1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十一年二月十日(金曜日)
午前十時四十八分開議
出席委員
委員長 高橋 禎一君
理事 池田 清志君 理事 椎名 隆君
理事 高瀬 傳君 理事 福井 盛太君
理事 佐竹 晴記君
小島 徹三君 小林かなえ君
世耕 弘一君 林 博君
古島 義英君 松永 東君
横川 重次君 神近 市子君
菊地養之輔君 武藤運十郎君
吉田 賢一君 志賀 義雄君
出席政府委員
法務政務次官 松原 一彦君
検 事
(民事局長) 村上 朝一君
委員外の出席者
検 事
(民事局参事
官) 平賀 健太君
判 事
(最高裁判所事
務総局家庭局
長) 宇田川潤四郎君
参 考 人
(弁護士) 長瀬 秀吉君
参 考 人
(調停委員) 黒田善太郎君
参 考 人
(専修大学講
師) 田邊 繁子君
参 考 人
(一橋大学教
授) 久保岩太郎君
参 考 人
(東京大学教
授) 川島 武宜君
参 考 人
(評論家) 村岡 花子君
専 門 員 小木 貞一君
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二月九日
委員田中伊三次君及び宮澤胤勇君辞任につき、
その補欠として戸塚九一郎君及び楢橋渡君が議
長の指名で委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
家事審判法の一部を改正する法律案(内閣提出
第二号)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/0
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001・高橋禎一
○高橋委員長 これより法務委員会を開会いたします。
家事審判法の一部を改正する法律案を議題といたします。
本日は参考人より本案についての意見を承わることになっております。出席を予定されている参考人の方々は、弁護士長瀬秀吉君、調停委員黒田善太郎君、婦人代表田邊繁子君、一橋大学教授久保岩太郎君、東京大学教授川島武宜君、評論家村岡花子君、以上の六名であります。
この際私より参考人各位に簡単にごあいさつを申し上げます。本日は御多用中にもかかわらず当委員会のためわざわざ御出席下さいまして、まことにありがとうございます。厚くお礼を申し上げます。家事審判法の一部を改正する法律案についてはすでに御承知のことと思いますが、本法律案は新たに家事債務の履行確保制度を制定せんとするものであります。家庭裁判所も申し上げるまでもなく裁判所の一種であります関係から、この種の改革は、一般の民事判決、調停及びその執行等についても関連検討すべき重大な問題であり、基本的に種々なる角度から考究すべき大きな改革を包含するものと思われます。本日御出席の参考人各位におかれましては、それぞれ専門の立場から忌憚のない御意見を陳述していただきたいと存じます。なお、御意見はおのおの二十分程度にお願いいたします。また、念のため申し上げますが、参考人の御意見開陳が終りましたら、各参考人ごとに質疑を済ませ、御退席を願うことといたします。
それでは田邊繁子君の御意見を承ります。特にこの際田邊参考人にお願いいたしますが、長年の調停委員としての経験上及び特に御婦人のお立場からの本法律案についての御意見に特に重点を置いてお伺いいたしたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/1
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002・田邊繁子
○田邊参考人 私考えますのに、よく、調停のあとの履行の問題につきましては、裁判官の方々の間なんかでも、一般の金銭債務なんかと同じようなお考えをお持ちになって、一般の司法の問題ではここはこうだとかああだとか言って、特別に家庭裁判の問題とか、身分上の問題で起りました債務とかいうような問題の特別な点をはっきりおのみ込みにならない議論があるように思うのでございます。ですけれども、身分関係で、たとえば離婚というような問題で生じました子供を養う養育費を父親から取るとか、そういう問題は特別の問題で、生死に関するような生活権の根底の問題でございますから、身分関係の債務というものには特別なめんどうを見てあげていいということを考えなければならないのではないかと思いますので、私はそういう立場から考えさせていただいております。
今度のこの法律が出ましたのは、家庭裁判所の調停委員を五、六年いたしておりましたときから待望久しかったものでございますから、こういう法律ができたらどんなに多くの人が喜ぶかと思っておるのでございますが、この法案を拝見いたしますと、私の率直な感じといたしましては、せっかく改正されるのならばもう少し徹底して改正していただけたならばという感じがするところがございます。
一番初めの十五条の二のところでございますが、「家庭裁判所は、審判で定められた義務の履行状況を調査し、義務者に対して、その義務の履行を勧告することができる。」と書いてございますが、私どもが一般に調停いたしておりましたときなんかで感じますと、割合調停できまった履行がしてもらえなくても何とか食べていらっしゃれるというような家庭環境のお方でございますと、まだ幾日になっても履行してくれませんとか言っていらっしゃるようなひまもございますし、それから、家庭裁判所の利用ということについての知識もおありになるのでありますが、子供をかかえてほっぽり出されてしまって、経済力もないというような人がつき添い人になっているとか、あるいは毎日ニコヨンのところに並んで道路工事をしていらっしゃるとか、そういうほんとうに困ったお母さんたちでございますと、きょう一日休んで、家庭裁判所で待たされて、まだ夫がくれないのでございますがと言っていらっしゃいますと、その日の子供の御飯にも事欠くようなことがございます。そういう事件を扱いましたときに、私どもは非常に気になっておりまして、ああいうふうに定めたけれども、やってくれているかしらと思うのでありますが、毎日々々——これは裁判官のお方も同じだと思いますが、次々新しい仕事が殺到して参りまして、それに忙殺されて、結局忘却のかなたに消えてしまって忘れてしまうということになっております。私、三、四年前にイギリスに参りまして、あそこの別居裁判なんかを調べて参りましたが、あそこでは、別居いたしますと、毎週単位にその妻あるいは子供に支払っておりますが、その履行期を一週間、二週間過ぎますと、プロベーション・オフィサーがわざわざその家庭にたずねて参りまして、履行してもらっているかどうかを調べてもらっているのでございます。日本の法律とイギリスあたりの法律の差がそこにあると思うのでございますけれども、日本の法律では、しっぱなしであって、里親に預けてあとはどうなっているか知らない、あるいは、養子制度を家庭裁判所が許可いたしますけれども、あとから調べませんから、秀駒事件なんかがありますと、未成年者の養子が芸者にさせられているというようなことにぶつかりますので、この家事債務の履行のことは、義務として家庭裁判所が履行期が過ぎたならばどの事件でも問い合せをいたして下さるというように十五条の二を変えていただかなければ、ほんとうに保護してほしい人をつかめないのではないかと思うのでございます。ですから、審判で定められた義務の履行状況を調査し、義務者がその履行を怠っている場合には履行の勧告をしなければならないというように、これは義務にしていただきたいと思うのでございます。そういうふうにいたしますと、忙しいお母さん方でも、自動的に裁判所の方から進めて下さって履行を受けることができやすいのではないかと思っております。
それから、次の十五条の三でございますが、従って、これもそういう場合に職権で調査いたしまして、履行していない場合が見つかるわけでございますから、家庭裁判所は、怠った者がある場合においては、相当と認めるときには権利者の申し立てによりということと、それに続けて、あるいは職権をもって義務者に対し相当の期限を定めて義務の履行をなすべきことを命ずることができるというようにして、忙しいお母さんの方に家庭裁判所の方から進んで保護ができるように職権ということも入れていただけば非常に効果が上るのではないかと思っております。
それから、金庫制度と呼びますか、イギリスなんかのコレクティング・オフィスと言われているものができますことは非常に助かりますので、じかに受け渡しをしなければありがたいことたとほんとうに嬉しく思います。
それから、私が考えますのは、家庭裁判所が命令をしても履行しないような場合に、二十八条でございますが、「家庭裁判所は、これを五千円以下の過料に処する。」というのでございますが、五千円というのは、ちょっと安過ぎるのではないかしらと思います。たとえば、五千円の過料に処することができないような、——調停でちゃんときまった人でも、あとから失業したとかなんとか、払えないような人ならば、家庭裁判所が五千円を取り立てようということをおっしゃらないと思いますから、過料に処する人は、よほど悪質な人で、払う能力があるのに払わない人だと思います。そういたしますと、五千円くらいいたくないのではないかと思いますので、やはり二万とか、三万とか、五万とか、ちょっと金をとられたら痛いという程度にできるだけ高くした方がいいのではないかと考えております。
それから、もう一つ考えさせられておりますことは、こちらから伺いたいわけなのでございますが、過料を取り立ててもまだ払ってくれないという場合には、この法案の立法の方ではどういうお気持でいらっしゃるのでございましょうかという点で、何度も過料を取り立てようというお気持でございましょうか、その点が伺いたいところでございます。私といたしましては、強制執行をいたしますにも、自分が調停委員をいたしておりましたときの経験からして、二千五百円とかなんとかお金を出して強制執行することができるくらいならば困らない人が多いのでございますから、取れば取れるというようなことの見込みがある場合には、国家がその人に立てかえてあげて強制執行をしてあげるというような訴訟扶助制度が日本にはございませんから、この家事事件だけでもそういうような保護の手を加えていただけたならまどうかしらというふうに考えているわけでございます。
私の考えておりますことは以上のような点でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/2
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003・高橋禎一
○高橋委員長 そこで、今お尋ねになりました点について申し上げますと、今まで当委員会に現われたところでは、改正案の二十八条の過料の点でございますが、これは、一度過料に処したら、再び過料には処されないというものではなくして、何回でも過料に処される、こういう建前のような説明があったわけです。そして、ここで特に御意見を承わりたいと思うのですが、これに関連して、過料処分にすることは不適当ではないかという意見もあるわけなんです。だから、今おっしゃった御意見以外に、その点についてつけ加えて述べていただければなおけっこうだと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/3
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004・田邊繁子
○田邊参考人 過料は、私、不適当だとは考えませんので、ほんとうは、私どもは、そういうふうなふらちな、たとえば妻と子供を泣かせておいて、そして自分は財産を持っているというような夫を想像いたしますと、そういうような男は、イギリスやアメリカと同じよりにやはり牢屋にぶち込んでしまったらいいわけなんでございますけれども、日本の月給というものがほかのイギリスあたりの月給より少うございますので、イギリスあたりの人でございますと、三分の一必ず妻に払うということができますが、日本では別の生活をして送るというようなことが非常にむずかしいような低いサラリーの場合が多いので、必ず身柄を拘束して入れてしまうということは無理かと思うのでございます。そういたしますと、やはり過料という線ぐらいで妥協しなけれぱならぬのじゃないかと思いますが、これを何回も繰り返しても、よし、がんばって妻に払ってやらない、というような事情が結局生じてくると思いますので、そういうような場合に、やはり一定の限度をもって職権をもって裁判所の方で費用を出して強制執行するとか、もう一つのとどめをさす手を考えておかないと、結局困る問題はいつまでも困るんじゃないか、そんなふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/4
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005・高橋禎一
○高橋委員長 田邊参考人に対して質疑の通告がありますから、順次これを許します。神近市子君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/5
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006・神近市子
○神近委員 今田邊参考人がおっしゃった点では、——きょうは御婦人の参考人はお一人でございますけれども、私も、役人の義務にしてもらった方がけっこうではないかということ、それから金額の点が安過ぎるという点も御同感でございまして私は、一昨日でございましたか、貧困者と裕福者とでパーセンテージにならないものか、たとえば決定している金額に対するパーセントで示した方がよくないかということを申し上げたわけでございます。それで、大体裕福者に対して非常に安過ぎるということで、何回かけてもこれは過料でございまして刑罰には当らないということにも、私どもちょっと疑問を持っております。それで、今の御趣旨とはちょっと違うかもしれませんが、参考人に伺ってみたいと思います。
私どもは資料として表をいただいております。今まで大体調停官だとか事務官だとかが勧告して、その勧告が履行されている率が相当ある。この立法はその実績から出てきて考えられたようでございますから、その点でも、もうすでにある程度実行されているものを法律があとから追っかける形ですけれども、それでもまだよかろうと私は賛成しているつもりでございますが、こういうことを私は伺いたいと思います。いろいろ相談を受けられた場合に、調停にかけてみて、そうしていろいろ男子の調停委員のお考えが、婦人にあまり親切でないというような場合が地方ではよく起っております。まあこうやって委員やあるいは立法府の方々を考えてみますと、男でおいでになるということから、この問題に対する感覚が大へん違うと思うのであります。それで、調停をなさる場合に、そういうような基本的な男子と女子との関係から、男子の調停委員と婦人の調停委員との考えが対立するような場合があるのでしょうか、それは大して目立たないということなんでしょうか。私が伺っている場合に、どうも対立があるということを伺っているので、それをちょっとお伺いいたしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/6
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007・田邊繁子
○田邊参考人 私がいつも男の方と組んで調停いたします感覚では、調停委員となっていらっしゃいます判事さんやら調停委員さんは、そこではやはり新憲法の線に乗ってやるように努力していらっしゃると思うのです。けれども、やはり封建的な、男の方がいばっていて女の方が屈従の地位に置かれておりました時代に育っておりますものですから、お互いに不用意に男の方の封建性が調停の途中でよく現われてくることがございます。そういうときには、女の調停委員さんたちは、やはり子等の線に持っていこうと一生懸命努力なさっていると思うのでございます。私は、お名前は知らなかったのですが、いつか、老人の調停委員さんの男の方でございましたが、夫が不貞をしたために妻が逃げ出したわけですが、家内のなりをして夫を捨てて逃げ出すとは何事じゃと言っておしかりになったので、驚いたことがあったのであります。その方はお名前もよく知らないうちにやめてしまいましたが、たしか七十か八十くらいのお方だったと思います。でも、別にその方を憎むわけではなく、そういう時代に育った方なんだからと思って、私はその事件を一緒にしていたことがございましたが、地方に参りますとという先生の今のお言葉でございまして、この間も、家庭裁判所の女の調停委員さんですが、地方ではひどいのよと言っていましたが、私もそのとき憎まれ口を申しまして、東京もひどいということがある面では言える場合もほんとうにあるんじゃないかということを考えたのでございます。それは、調停委員さん自身も知らずに身につけた男の封建性であるのと、それから、社会全体が男の不貞というものには寛大でございまして、女の不貞には酷なんですから、女で不貞したような人が離婚申し立てをしたりするときには、初めから反感を社会も持つし調停委員も持つ、女の調停委員だって持つというようなわけでございまして、男の場合でございますと、少々めかけがあっても男の腕だなんておっしゃる。奥さん自身が言う場合があるのでございますね。こういう腕のある人ですから、一人や二人はしんぼうしようと思いますけれども、こういうような仕打ちはあまりじゃないかというようなことを、来る人自身おっしゃっている方がありますので、神近先生の御心配のような点は、私はある程度あると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/7
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008・神近市子
○神近委員 そういう場合、たとえば、私も知っている実例は、子供の引き取り方について、やはり同じようなことにあっている人があったのですけれども、再調停を要求するというか、たとえばそういう調停委員を忌避することは簡単にできるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/8
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009・田邊繁子
○田邊参考人 その問題は、一事不再理の原則と申しますか、判決を行なった裁判はもう一度裁判しないというような原則があるのでございますね。ですから、やはり一度調停できました問題につきましてはもう一度調停はしていらっしゃらないで、具体的な事情が変化いたしました場合には、たとえば夫が失業して支払い能力がなくなったとかいうときには、やはり裁判官や調停委員さんが両方を呼び出したりして、そこを調整してあげていらっしゃるのが実際だと思いますが、調停委員の先生に伺わないとわかりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/9
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010・神近市子
○神近委員 このいただいた表を見ますと、今まで言われていた通り離婚問題が一番多いのです。そして、結婚の予約不履行ですか、そういう形の中に内縁というものが入っている。戦前に内縁関係を認めたというあの判定がございましたときに、それは非常に婦人に有利であったというので、そのときには私どもその判例を歓迎したのですけれども、今日この民主主義になって婦人の権利が認められると、この内縁関係をあまり広範に認めてあるということが非常に今支障になっているのじゃないかという疑いを私は持っているわけなのです。外国の例をもちましても、結婚すると同時に届出をする。日本では、民法の七百四十二条を見ますと、あまりはっきりしないような形で内縁を認めておる。ですから、結婚した者はすぐに合法的な手続をとらないとならないというふうにした方が婦人には有利じゃないか。内縁というものがほとんど一般的なものになっておりますから、女の方も安易に結婚関係に入るというようなことで、調停の場合にもそういう場面にぶつかるというようなことはございませんかしら。それをちょっと伺わしていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/10
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011・田邊繁子
○田邊参考人 内縁につきましては、やはり結婚届がございませんと法律上は結婚と認めておりませんから、たとえば、子供ができましても私生児になったり、事実上別れます場合は離婚として扱われませんから、夫に対して財産の請求をしようというようなこともできないわけです。ただ、事実上結婚生活をして結婚だったということで、内縁の解消とか、また離別というような名前で別に呼んで、家庭裁判所で保護していらっしゃると思うのでございますが、神近先生がおっしゃいましたと同じように、結婚した後何週間内に届出をしなかったら過料があるとか、何か結婚届をみながもっと早くするようなことを考えてあげた方がほんとうの保護になると思うのでございます。労働者災害補償法とかあるいは社会保障的なものでは事実上内縁の人が保護されておりますけれども、そういう保護よりも、ほんとうは届けざるを得ないような法律にするとか、あるいは、炭鉱会社なんかになりますと、みんな会社で届けをなさいますから、すぐ内縁なしになっております。この間東京でも、どこかの会社が、結婚届は会社の事務で全部処理するので、内縁は一人もないと、どこかでおっしゃっておりましたが、届けなければ結婚とならない以上は、啓蒙とか、事実上届けざるを得ないようにみなが考えていかなければならないのじゃないかと思います。
もう一つ考えますのは、結婚式をあげて、結婚届を出さないで、一年くらいで出されるのがございます。いなかなどでは、家風に合わないからとか、これは子供を産めるか産めないか、労働力がどうだとか、試験観察されて出される。そういう場合、結婚届をして一年くらいの場合にもらっている慰謝料と申しますか財産をもらっていくというものと内縁のままのとで差があるかどうか調べたのでございますけれども、やはり結婚届のない内縁のままのはもらう額が一般に少いのでございます。同じ結婚をして、同じようにしていると思いますのですけれども。ですから、やはり結婚したならば結婚届しなければならないというふうに全部啓蒙もし、法律もそういうふうになった方がいいのじゃないかと思っているわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/11
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012・高橋禎一
○高橋委員長 佐竹君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/12
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013・佐竹晴記
○佐竹(晴)委員 これは立法技術等にも関係いたしますので、その面は法律家その他専門家にお尋ねをいたしたらと思っておりましたが、ただいまの質疑応答に現われております点を考慮いたしますならば、少しばかりお尋ねをいたしておいた方がかえっていいじゃないかと思いますので、一、二お尋ねをいたしておきたいと思います。
先ほど特におっしゃるのは、家庭裁判所へかかってくる案件は普通裁判所の事件と同様ではないのだ、特別に扱う必要があるのだということを強調なさいまして、幾多の例をあげられました。離婚をした際に子供を抱いて、その子供の養育もできないといったような場合、これは生命にかかわるような事件で、普通の貸借や何かと違う、それで家庭裁判所案件についてはここに特別な措置が必要だ、かようにおっしゃいますが、御承知の通り、ただいまも御説明に出ておった通り、届出をいたしません前は、もし事件となりますと、婚姻予約不履行事件として、これは普通裁判所か扱います。それから、御承知の通り、家庭裁判所の審判事件というものはごく限られております。そこで、調停事件としては、たとえば離婚の際におけるところの慰謝料のようなものは調停にはかかるといたしましても、審判事件としてこれは扱うものではないので、慰謝料請求とかいったようなものが調停でまとまりませんときには、御承知の通り損害賠償請求事件となって現われて参ります。そこで、家庭裁判所事件のうちで最も深刻にして悪質なるものは、普通裁判所案件としてけりをつけなければならぬ段階に追い込まれます。それから、たとえば夫婦離婚の場合におきましても、その離婚の原因であるところの、夫が妻をたたいた、あるいは傷害を与えた、その他深刻なる虐待が行われた等におきまして、そういった場合にその傷害とか虐待を理由といたしまして損害賠償を請求いたしますときは、これは普通裁判所が行います。かようにいたしまして、軽い案件は家庭裁判所で調停その他でけりがついた。これに対しては、あなたのおっしゃる通り、絶対的な保護が必要だと言われる。ところが、それよりもっと悪質なもので、どうしても民事裁判所へ訴えなければ解決のできない損害賠償事件となって現われた場合に、その普通裁判所の扱った損害賠償事件については、ほうりっぱなしにして果していいものであろうか、家庭裁判所事件においてアフター・ケアをやるならば、一般民事事件の場合においてもアフター・ケアをやるべきじゃないか、何で家庭裁判所の事件だけをそんなに特別扱いするのだということが、この委員会における立法技術といたしまして問題となって論議がかわされておるわけであります。ただにそういったような案件のみならず、単なる貸借問題といたしましても、ここに年とった女の方があり、子供を抱いてどこかへ勤めている、給料をくれない、その給料をもらわなければ子供とともに飢え死にしなければならぬといったような場合に、訴えて普通裁判所で調停になった、ところが、雇い主は残虐にも一向にその支払いをしない、そういったような場合に、それでも裁判のしっぱなしで、普通裁判所だからほうっておいてよいか、家庭裁判所に持って行けば救われるが、そうでないもっとより深刻なものが一般社会に幾多あっても、普通裁判所にかかる事件ならばほうりっぱなしにしておいていいというというふうに、果してさようにはっきり区別することができるであろうかということが、ここの委員会においては問題になっております。従って、先ほど引かれております案件についても、家庭裁判所の案件でも、質の悪い、しこうしてもっと深刻な、普通裁判所の判決によらなければけりがつかない場合がある。そういった場合でもほうっておいていいのだ、家庭裁判所にかかったもののみを救えば事足りるのだという根拠を承わりたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/13
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014・田邊繁子
○田邊参考人 初めに、内縁の問題は普通裁判所とおっしゃいましたが、やはり男女問題の内縁関係は全部家庭裁判所に来ておりまして、今調停その他なさっておりますから、内縁の問題は、家庭裁判所の前置主義の関係で、まず家庭裁判所に来ていると思います。
それから、ただいまおっしゃいましだこと、まことにごもっともでございまして、たとえば、その家賃でやっと食べているようなおばあさんの家主さんにだれも家賃を払わなければ、おばあさんが食べていけないとか、いろいろな問題があるのでございますが、それは、こちらの問題だけを追求していてそちらはという問題ではなくて、家事事件は、少くともやはり家庭裁判所というものができました立法理由から考えても、最後までごめんどうを見てあげなければ、家庭裁判所がほうりっぱなしに、ただ調停ができましたでは済まないと思います。家事事件はやはり最後までごめんどうを見ていただくことが必要だと思います。一般の普通裁判所にかかった問題も、今おっしゃいました深刻な問題でありますならば、やはり刑事事件ともなり、あるいは人権問題ともなって、いろいろ他の方面から救う手も打たれますでしょうし、民事以上の問題でも特別な扱いをする法律措置などもこれから必要ならば考えていくべき問題ではないかとも思うのでございますが、いかがでございましょうか。その辺、私用るうございませんが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/14
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015・佐竹晴記
○佐竹(晴)委員 内縁関係の問題が家庭裁判所に参りますことは、それはその通りです。調停の場合は許されます。しかし、婚姻予約不履行に関する慰謝料請求の訴えは家庭裁判所では扱いません。御承知の通り、これはもう普通裁判所でなければ扱えないのです。それで、非常に深刻な、向うがどぎつい不履行をやる事件は、最後には普通裁判所の判決を受けなければならぬ場合が多いのです。もっとも審判事件は特に逐一具体的に例をあげますが、その審判事件の場合でも、これはすべて調停に一応かけられますが、調停がととのわぬときには内縁関係の慰謝料請求事件は普通裁判所へ持って行かなければならぬ。調停にかかって、調停で軽く解決のついたような、つまり甘い事件はアフター・ケアで世話をする、それよりもっと深刻な事件で普通裁判所に持って行かなければならなかった事件でもほうりっぱなしで、判決のしっぽなしでよいということがどうして言えよう。私ども当委員会でもわからない。私もわからない委員の一人なんです。
それから、さらに、先ほどおっしゃっておりました過料の問題でありますが、普通この貸借の問題はどこまでも貸借であります。不履行したからそれに刑罰を与えられるということになりますと、それはあなたのおっしゃる通り民事的不履行者はみんな監獄にほうり込むようにしたらいいかわからないのですが、そうなると、刑罰制度というものが乱れてしまうでしょう。これを私は専門家にお聞きいたしたいのですが、専門家でないあなたに、そういう方面の立法論といいますか、筋といいますか、そのことをお聞きするのは無理だと考えましたので、御遠慮いたしておりましたが、お説を承わっておりますと、何か法務委員会のわれわれは理屈のないところに理屈をつけて難題でもこねておるのじゃないかということになってもいけませんから、一応お尋ねをするのであります。
この間私がお尋ねしたのはこういう点です。一回履行命令を出して、不履行だと過料を与える。それで、過料を与えてもなお履行しないと、もう一度履行命令を出す。また履行をしないからもう一度過料をやる。そうすると、極端な例で言えば、一万円、二万円くらいの慰謝料の問題で、百万円も二百万円も過料が申し渡されるということになります。こういったようなことになりますと、この過料というものは刑罰以上の強制力を持ちます。そういったような強大な強制力を加えることがいわゆるアフター・ケアであろうか。アフター・ケアの性質というものはそこまで立ち入るべきものではなかろうと思う。従って、この過料の問題等についてはおのおのおよそ限度がなければならぬのじゃないか。あなたのおっしゃる通り、一回きりで二万円とか三万円とかあるいは五万円以下の過料に処するとかいったように、しんしゃくのできるような工合に多少ゆとりのあることはけっこうでございますが、ところが、政府委員のお答えによりますと、何回でもできるとおっしゃいますので、そうすると、民事債務に罰則を与えて強制するということは、法の体系を根底からくつがえし、民事をことごとく刑事化するおそれがありはしないか、民法と刑法を紛淆してきはしないかといったようなことが心配になりますので、過日来この委員会においては慎重に審議をいたしておるわけでございます。五万円の慰謝料のところに、何回もやって百万円とっても二百万円とってもかまわぬ、それまでめんどう見てやるのがいいのだという、そこまでお考えでございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/15
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016・田邊繁子
○田邊参考人 先ほどの内縁の問題でございますが、内縁関係の問題は、婚姻予約不履行の判決請求の訴えをいたしますと民事裁判所に行かなければならぬと思いますが、婚姻の問題は内縁の解消というような問題で調停にしょっちゅう参っておりまして、調停のむずかしいものは訴える。離婚の場合も離婚のむずかしいのは訴えるわけで、先生のおっしゃいましたように、ほんとうに手をやいて困った問題だけは訴えに参ります。そこで、この法律ができるといたしますと、訴えに行った者は同じようにかわいそうなのに、あとのめんどうを見てもらえる者はこの法律のようになるので、これがきまるとしますと、先生の御不審の点はごもっともと思いますが、そういう者は、民生委員とか、世の中にあるいろいろな制度が一緒になって救うような方法にしなければならぬのじゃないかと思います。
なお、三度も四度も過料を繰り返していることはばかげたことだと思うのでございます。イギリスでは、マジストレート・コートできめました離婚事件の債務不履行でございますと、二週間で警告して、それでも払わなければ監獄に入れますが、一月、二月——二月が最高だったと思いますが、二月で出します。それでも払わなければ十五年間まで出したり入れたりすることになっておるのでございます。実際は十五年間までも継続しないだろうと思っておりますが、私は、一、二回やって効果がなければ、貧乏な人からとることがはっきりわかっているならば訴訟の救助と同じような精神で立てかえてあげて強制執行でその人を実質的に救ってあげることがこの法律のほんとうの目的であって、二万、三万、十万の離婚不履行のために二度も三度もかけていくのは何も家庭裁判所の目的ではないと思うのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/16
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017・椎名隆
○椎名(隆)委員 一つだけお伺いいたしますが、できることなれば、履行の勧告とかあるいは履行しないから過料に付すというようなことがないのが望ましいのです。私の考えていますのは、審判とか調停ができるときに、調停委員の方々が功を急ぐ——功を急ぐというと語弊があるかもしれませんが、何とか仕上げる、無理があってもまとめてしまう、つまり債務者の資産状態も何も考えないで無理におっつけるというようなことが結局履行の渋滞になるのじゃないか。裁判所の調停のできる当時の状態ですね。果して裁判所の方で履行する能力があるのかどうかということは調べるのでしょうか調べないのでしょうか。ただまとまりさえすればいいのだという、功を急ぐようなことが調停委員の中にはあるのじゃないでしょうかね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/17
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018・田邊繁子
○田邊参考人 初めのうちは家庭裁判所が調査をする機関を持っておりませんでしたので、その人が財産があるのかないのかわからないのでございます。ですから、財産がないと言っておりますと、ないかと思ってその言っておることだけを真実に思って調停をしていたという時代があったわけでございますが、去年、おととしあたりから調査官制度ができました。しかし、地方へ行きますと調査官のない裁判所がまだだいぶありまして、出張所なんかが非常に困っていらっしゃるのでございます。ですから、あの工場は借金ばかりで差し押えられていますなどと言いましても、調査してみるとそんなことは何にもなくて、あの工場は非常に好景気だというようなことが出るわけで、ただいまはそういうような調査に基いて調停を運んでいらっしゃるということが断言できると思うのでございます。その点は御心配ないかと思いますが、やはり調停しておりますときの心理を考えますと、早くまとめたいというのは人情なのでございます。そして、このごろは男の人に非常に悪質なのがございまして、調査官が言ったらうんと言って払わなければいいんだよというようなことがだいぶあっちこっちに言われております。家庭裁判所の調停というのは十万払えと言っても二十万払えと言っても引き受けてこい、そうすれば早く済んで、あと払わなければいいと言っているのです。ですから、そういう悪質な人の場合もありますし、調停に立つ人が早く何とかまとめたいということで功をあせって、先生が御心配になったような失敗を重ねていることもあるかもしれないとは思うのでございますが、調査官制度ができましてからはそういうことは少いのじゃないかしら、こう考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/18
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019・菊地養之輔
○菊地委員 関連して、ちょっと一問だけ聞きたいのですが、田邊さんは非常に熱心のあまり、過料を二、三万にまでふやせとおっしゃるわけですが、そういうふうにして仲裁ができ、しかも二、三万とるということになりますと、調停が果してうまくいくだろうかということを私は聞きたいのです。過料が強制されるということになりますと、当事者が話し合いの場合にこわいのです。少くとも片方の側では過料をとられる。何回でもとられる。幾らになるかわからない。二、三万とられるかもしれない。もっととられるかもしれないということになれば、調停はスムーズにいかぬのじゃないか。そこのところはどういうものでしょうか。調停を長くやっておられたあなたの経験から見て、調停を求められて話し合いでうまくいくように説得していく方が正しいのじゃないか。元来は強制力を持たないでお互いに譲歩し合ってそうして話し合いできめるというふうな方針なものですから、理想的には過料なんかにして国家が強制力を持たない方がいいと思うのです。ところが、従わない場合に万やむを得ない方法として政府で考えておるのだろうと思うのですが、しかし、過料を二、三万というふうなものに上げてしまったのでは、普通の方法はできなくなるのじゃないか。たとえば、あなたのおっしゃったような、困っている人たちに対して、過料の制裁で履行させるという方法は、非常に安易な方法で、何べんも何べんも出すことになりましょうけれども、そういう安易な方法だけを選ばないでいくのが正しいのじゃないか。家庭裁判所の調停の性質、審判の性質というのはそういうようなものじゃないかと私は思うのであります。民事事件にもないような、ことに昔のソロモン時代の法制のような金を払えない者は監獄へ入れるぞというような強制力をもってやるということは、今日においては正しいかどうか。ことに家庭裁判所の方針として正しいかどうか。もしそれが正しいと仮定しても、そういう強制力があった場合に調停がうまくいくだろうか。その点私は疑念を持つのでありますが、いかがでございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/19
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020・田邊繁子
○田邊参考人 お答えいたします。私、過料の制裁というようなところまでいくのはよほど悪質な場合だと思うのでございます。善良な人は、払う期限が来ているんだけれども、失業していて払えないとか、またつい忙しくて払わなかったというような場合だと、勧告が来れば払ってくれると思うのでございます。勧告が来ても払わないわ、命令が来ても払わないわ、実際に過料の取り立てが来ても払わないという場合でございますと、やはり先生もそういう方にお会いになったこともあると思いますけれども、私ども、家庭裁判所で、相手方は呼び出しても呼び出しても参りませんで、現地調停ということで行きますと、裏口から逃げる。そういう悪質な者があるのでございます。そういう悪質な人の場合を予想しておるので、よい人ならば勧告で払ってしまうのではないかと思います。ですから、事件の進行しております過程で過料の制裁なんかがうしろにあるから調停がむずかしいというようなことはないんじゃないか、初めからその人間が悪い人なら悪いのじゃないかと思うのでございますが、いかがなものでございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/20
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021・菊地養之輔
○菊地委員 ただいま田邊さんがおっしゃったように、呼び出しをかけても来ない、来ても自分の調停が不利になると裏から逃げ出す、かようなことがどこにでもあり得るのですが、そういう者がふえるんじゃないか、呼び出しても来ない人がふえてくるのではないか。これはきまった以上は過料の制裁があるのだ、そうなると行ってきめれば過料の制裁が出てくるから行かない方がよい、そうして不調に終った方がよい、問題を不調に終らす方向に持っていく当事者がふえるんじゃないかという疑念を私は持つのであります。ところが、さっきおっしゃったように、それよりも、いわゆる国家の力で資力のない婦女子に対して強制執行の費用を出してやるとか、強制執行のような方法で家庭裁判所が骨折ってくれるとか、そういう方法の方がやはり調停事件としては本則じゃないか、いわゆる過料で個人の債務を強制していくというのは、先ほど佐竹君がおっしゃったように、日本の法体系から見ればちょっと無理ではないかと考えておると同時に、国家の方で、そういう取り立てに応じない、勧告に応じない者に対して国家の力で取り立ててやるという方法でやった方がよいじゃないか、先ほどあなたがおっしゃったような、この方に力を込めていただけばよいということをおっしゃったが、過料なんというよりも、その方法でやった方がよいと思うんですが、その方法はいかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/21
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022・田邊繁子
○田邊参考人 私も、そういう実質的な、——過料を二万取り上げたって三万取り上げたって、その人にパンの一切れが行くわけではありませんから、ほんとうは実質的なその人の救済方法をとっていただいたらと思うわけなんでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/22
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023・高橋禎一
○高橋委員長 それでは、田邊参考人にはお忙しいところを非常に貴重な御意見を伺いましてありがとうございました。どうぞ自由に退席して下さってもよろしゅうございます。
次は黒田善太郎君より御意見を承わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/23
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024・黒田善太郎
○黒田参考人 私、御紹介をいただきました黒田でございます。
御承知の通り、家事事件の当事者すなわち当事者のうち権利者となるべきものは圧倒的に女性が多いのであります。しかも事件の当事者の相当の部分は貧困者であります。従いまして、調停を円滑に運営し、しこうしてその内容すなわち調停条項が完全に履行され得るかどうかということは、申すまでもなく家事調停の使命の批判の対象になると思うのであります。もとより、家事事件は単に財産関係の調整のみでなく一定の理想のためになされる身分関係の調整の上に成立するものである限り、ただいま申し上げた通り履行の確保が重大なる要素に相なることは申すまでもないと思うのでございます。そこで、田邊参考人からるるお述べになった通り、履行の確保、要するに当事者、つまり義務者が悪質な場合、あるいは訴訟ずれした場合、やむを得ず法律的処置によって履行の確保の手段をとらなければならないということは現実の事態であると私は思うのでございます。かように考えてみます際に、このお出しになった一部改正法案、すなわち十五条の二、十五条の三、十五条の四、これは現下の情勢において最も適切なる手段ではないかと思うのであります。われわれ実務に当っておる者から考えますと、これは数年来当局にかような処置を一日も早く講じてもらいたいということを熱烈に要請しておったのでありますが、幸いに当局もその点を理解されて、ただいま申し上げた通り第一は勧告、第二が勧告に応じなかった場合には過料として五千円を徴収する、それから、家庭裁判所は金銭の支払いを目的とする権利者のために裁判所に寄託制度すなわち金庫制度を設けて、裁判所の手を通じて債務者から債権者に金銭の受け払いをするという、この三点は家事審判並びに家事調停の運行を期する上において、また家庭裁判所の使命を達する上において最も必要な法案であると、私は双手をあげて賛成いたす一人でございます。
先ほど来田邊参考人に対していろいろの御質問があったのでありますが、実務にお当りになっておらない方の御疑問、御質問、これは一応はごもっともな御質問であろうと思うのであります。しかしながら、現在でも調査官制度ができまして不誠実なる債務者に対して勧告をしておることは事実であります。そうして勧告の効果というものは相当に上っておるのであります。それから、権利者の一方が、せっかくりっぱな調停調書ができても、一、二回の履行によってあとはそのままになっておる、今日自分の子弟を養うかてにも困っておるのだということを訴えてくる場合が相当あるのであります。かような際には、その事件を担当された裁判官もしくはその裁判官の命令によって調査官をして実態の調査をして、そして勧告する、あるいはまた、裁判所に出頭を命じまして、いろいろ事情を聞き、実際調停成立当時の経済上の事情が著しく困難に陥っているというようなことを確認いたした場合には、権利者に対してその状態をるる説明して納得してもらっております。この調停制度の運営につきまして、いろいろ御疑問があるようでありますが、われわれ調停委員会は、申し上げるまでもなく判事一人、調停委員二名以上をもって組織しておるし、またすべてが事案の実態を把握するまであらゆる角度から調査をしております。すなわち、当事者の申し立てば全部と言っても差しつかえないほど自己の利益のみ主張して不利益なことは隠しているということは、これは当然でありますが、それに対しては、参考人もしくは利害関係人を呼び出して、事案の真相をつかみ、なおそれでも足りなければ、調査官をもって実態調査をして、その資料に基いて委員会は合議をしてそうして一定の線を定めて、その線で納得のいくように説得にこれ努めているわけであります。要するに、調停というものは、条理にかない、実情に即して、そうして当事者の互譲によって公平妥当に調停を成立せしむることが目的でありますから、実情を把握することが先決問題であるわけであります。
そこで、調停委員の男子委員と女子委員との意見の対立があるのではないかということですが、あるいは人おのずから自己の判断、主観によって異なった見方をする場合があると思います。しかしながら、それは、ただいま申し上げた通り、合議によって解決の方針を定めて、その方針に基いて成立せしめるということでありまするから、この理想通りに運営いたすことといたしましたならば、最もいい制度であろうと存じます。
ことに、過料の問題につきまして、過料を取るのは債権者に利益になるのではなくて国家の所得になるのではないか、そういうようなことまでして、いたずらに権利者の反感をつのらすということは策の得たるものではないのではないかという御意見もあろうと思いますが、これはいわゆる伝家の宝刀でありまして、再三勧告いたしましてどうしても勧告に応じない悪質な義務者に対してやむを得ざる手段であろうということをまずもって御認識をいただきたいと思うのであります。その例を申し上げますると、たとえば調停前の仮の措置、これは、調停の性質から言って、きわめて内容は軽いものでありまして、強権の発動ができないわけであります。ただ、違反した場合には裁判所の命令によって五千円の過料を取る。そうすると、百万円の資産を隠匿するために五千円の過料なんかはきわめて軽いものだといって、あえてその過誤を犯すというような人に対しては、他にもっと制裁の方法が法律的にあると思うのであります。要するに、この過料の制度、これは全国的に調停前の措置に対してこういった手段を取ったのはおそらく昨三十年度は一回くらいしかないかと思うのであります。それから、いかに呼び出しをかけても出頭しない者に対して過料三千円を取るという現行の制度があります。これなんかもおそらく七、八十件、多くて九十件くらいしか事実やっておらないように伺っております。かようなふうに考えてみますと、これは最後の手段であって、不誠実なる債務者に対しては最後はこの手でいくのだということの一つの制裁のポイントをそこに現わしておるのだということで、相当のきき目があるのじゃないかと思うのであります。
大体この程度であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/24
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025・佐竹晴記
○佐竹(晴)委員 時間がないようでありますから、簡単に一問だけ御質問いたします。
先ほどお尋ねいたしておきました点と回しようなことになりますが、ただいまのお言葉のうちにも、権利者は女性が多くて貧困者が多い、この履行を確保するためには特別のめんどうが必要である、義務者側が悪質の場合においては特にそのめんどうが必要である旨を強調なさいました。まことに筋はその通りだろうと思います。悪質の義務者に対してこの法律を適用して、大いにその効果を上げようという趣旨でお作りになるのでありますが、しかし、こういったような規定ができますと、せっかく調停に応じようと思っておっても、調停に応じない。たとえば、婚姻予約不履行の事件等においては、私は調停に応ぜられません、こう言えば、強制調停の場合は別でございましょうが、それに応じないと普通裁判所へ訴えるよりほかに仕方がございません。離婚事件等においても、調停不成立の場合においては本訴によらなければなりません。みな本訴に追い込んでしまう。本訴になりますと、この家事審判事件のただいませっかく御審議になって作ろうといたしております履行勧告や命令や寄託も、そういったアフター・ケアの規定は一切適用がございません。悪質の者は免れる。そうして一部善良な者は大がいこの改正の命令や制裁を受けるといったような結果になるおそれはないかということが、私ども最も心配をするところでありますが、いかがでございましょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/25
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026・黒田善太郎
○黒田参考人 お答えいたします。人間はいずれか心の奥には良心があるわけであります。実際問題として、裁判所から、お前はこれだけ履行してないじゃないかというので出頭の通知を出しますと、十人のうち八人は裁判所にやって参ります。それで、判事なりあるいはその事案を扱った委員が幸いにして出務しておった際には、それからじゅんじゅんとして勧告をいたします。そうすると、ただいま申し上げた通り人間というものはどこかに良心がありまして、いろいろ事情を述べて、実はこういう事業の失敗があった、またこういう債権がとり得る見込みがあったけれどもとれなかったのだ、しかしこれだけは工面して持って来たのだと言って、一万円のところを五千円持って来るとか、あるいは三千円持って来るとか、大体相当の効果を上げつつあるわけなのであります。それからまた、一ぺんにはこれだけ入らないから、事情を訴えて、自分の収支の状況はこうなんだ、そこで五千円の月賦支払いのものには二千円にしてもらいたい、これならば確実に実行できるといったようなケースが相当あるのであります。これは、実際に当ってみますと、それだけの効果は確かに上っておるということをはっきり申し上げることができると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/26
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027・吉田賢一
○吉田(賢)委員 黒田さんに一つだけ伺いますが、との勧告もしくは命令をする前にいろいろと義務履行状況等の調査をします。その際に、調査する人があるような東京の裁判所はともかく、いなかにおきましてはどういう人が具体的に当るというふうにお考えになりましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/27
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028・黒田善太郎
○黒田参考人 調停制度についていろいろ非難を耳にいたしますのは多く地方であろうと思うのであります。その原因は、地方の家裁にはまだ予算関係において調査官が行き渡っていないところもあると承わっております。しかしながら、一面、さような地方でありますと、当事者の事情が比較的調停委員につかみやすい環境に置かれておる。そこでその調停委員の人選が必要になってくる。調停委員がしっかりしておれば、いいかげんな調停はできないはずなんでありますが、しかし、調停委員も人間である以上そこに多少過失がないとは限らないのであります。そこで地方にはそういうような好ましからざるケースが多少あるやに聞いておりますが、これは、家庭裁判所とし、また最高裁の家庭局としましても、家庭事件の性質をよく認識されまして、調査官の充実を一日も早く願って、各家庭裁判所に配属し得るようにお骨折りを願いたいと思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/28
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029・吉田賢一
○吉田(賢)委員 私の伺う趣旨は、将来予算をとって調査官を設置するとか、あるいは調停委員会に非難があるか、そういうことをお尋ねするのじゃなくして、十五条の二によりますと、義務履行状況について事前調査をして勧告するということが規定されております。その事前調査をするのに実際はどういう人が当るとお考えになりますか。たとえば、書記官が当るとか、調停委員が当るとか……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/29
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030・黒田善太郎
○黒田参考人 調査官があるところは調査官がやっておると聞いております。また現実に東京はそうであります。それから、調査官がないところは、書記官もしくは判事がそれだけの手続をやっておると思いまする。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/30
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031・高橋禎一
○高橋委員長 午前中の会議はこの程度にとどめまして、牛後一時まで休憩をいたします。
午前十一時五十八分休憩
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午後一時二十六分開議発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/31
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032・高橋禎一
○高橋委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
参考人よりの意見聴取を続行いたします。参考人長瀬秀吉君。
長瀬参考人にお願いいたしますが、参考人が弁護士として長年の経験上からの本法律案についての御意見を承わりたいと思います。どうぞよろしく願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/32
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033・長瀬秀吉
○長瀬参考人 それでは私から家事審判法の一部改正の法律案に対しまして意見を申し上げます。
第十五条の二、勧告に関する法文、その次の義務の履行を怠った者に対する履行命令、これに伴う制裁、第十五条の四、金銭の寄託に関する法条、私は大体これらは賛成でありまして、かつ必要であろうと考えるのであります。
必要な理由といたしましては——結論に達する前に大体きわめて概略の数字を申し上げますと、これは皆さんの方にも多分資料が回っていると思いますが、家庭裁判所における義務負担の、つまり金銭的負担の大体の代表的数字を申し上げますと、昭和二十九年度におきまして、財産分与に関しまして、総計が二百三十二件のうち百二件が五万円以下になっておるのであります。大体半数に近いものが五万円以下ということで、これはきわめて低額の数字であろうと考えるのであります。その次に、慰謝料並びに財産分与、これまた三千五百五十四件のうち千四百四十五件が五万円以下となっておるのであります。それから、扶養料につきましては、一時払いもございますが、月賦、つまり毎月支払うというこの金額におきましては、二千円以下というのが百八十四件でありまして、これが最高の数字を示しておるのであります。要するに、財産分与もしくは慰謝料及び財産分与の額といたしましては、五万円以下というのが最高の数字を示しておるのであります。月賦におきましては二千円以下というきわめて少い数字になっておるのであります。それから、そういう数字の債権者、つまりどちらの方が債権者になるかというと、男女別にいたしますと、財産分与事件におきましては男が二十人に対し女が二百十二人、大体約十倍に相当する数字になっておるのであります。それから、慰謝料並びに財産分与を含めたものにおきましては、男の方の権利を持つ者、つまり男が債権者になる者が三百五十五件に対して、女の方は三千百九十九件というふうに相なっておるのであります。それから、予約不履行による債権取得者といたしましては、男の二百二十件に対して女が千八百八十六件、こういうふうな数字を示しておるのでありまして、男の方が債権者の地位に立つ場合におきましては、大体女の十分の一もしくは八分の一というふうに言えるのであります。要するに、大半は女の方が債権者の地位に立つのだ、こういうことに相なるのであります。それで、全国的に大体の数字をとってみますと、履行されておるのは五〇%、大体半分くらいが履行されておりますが、あとの半分は履行されていないというふうな状況になろうと思うのであります。さような関係で、何ゆえに履行されないかと言えば、これは午前中の参考人も申し上げましたが、中には悪質の者もある。ただし、その中には支払いがし得ないために不履行をしている者もあるのであります。このような状態でありまして、この第十五条の二にある不履行者に対して履行の勧告をする。これは、先ほども御質問がありましたが、大体これも調査官によってやる方が最も便宜ではないかと思います。要するに、勧告をすれば、やはり悪質な者とかあるいは強硬な者に対しましても相当の効果がありましょうし、また、資力が十分ならざる者であっても、これは裁判所並びに裁判所における調査官の勧告があれば相当効果があるのではないかと考えておるのであります。現に、東京家庭裁判所におきましては、事後処理といたしまして、相当これによって効果を上げておるのであります。
それから、その次の条文に関係いたしまして、勧告しても履行をしないという場合におきましては、履行すべしという決定をもって履行命令を出す、これはやはりその次の段階といたしまして必要なる方法ではないかと考えます。また、その履行命令に従わない場合におきましては、三十八条ですか、これに対する過料の制裁を与える、これもやはり必要ではないかと考えるのであります。ただ、民事の不履行に対してさらに金銭的制裁を加えることは、一面においては民事問題が刑事化するというふうな危険はないかという御質問もありましたのですが、必ずしもそうではないというふうに考えます。同時に、この履行命令というものは、裁判所が諸般の事情を調査いたしまして、そうして必要のある場合において履行命令を発するので、これも運用のいかんによっては決して弊害もない、それがために民事の不履行が刑事化するということがあるというふうに考えなくてもいいんじゃないか、こういうふうに私は考えるのであります。
それから、その次の金銭寄託の問題。これは、裁判所を相手方に持って行くことはいやだというようなのが相当あります。しかし、反対に、裁判所から催促でもされて持って来るという際に、裁判所がこれを扱って、そうして権利者の方に取り次いでやるということは実際上の問題といたしましてはしばしばあるのでありますから、これは相当必要な方法であろうと考えるのであります。ですから、法案の第十五条の二ないし十五条の四及びこれに付属いたします制裁の問題につきましては、いずれも相当な改正であろうと思いまして、私は賛成の意を表する次第であります。
それから、少し変りまして、家庭裁判所の事件のみこういうふうな特別の取扱いをしなければならぬかどうかということ、これは相当な御意見であろうと思いますが、何しろ、先ほど申しました通り、家庭裁判所の事件の金銭的金額におきましては、財産分与並びに慰謝料の問題といたしまして最も多くの数字を示すのは五万円ということでもって、きわめてこれは少い金額じゃないかと考えるのであります。これは、日本人のこういう裁判所に現われる事件の当事者といたしましてはいかに経済力が低いかということを物語るものではないかと思います。要するに、経済力の乏しい者が多いのだというようなことが言えるのであります。従いまして、その不履行の際におけるこれに対する強制執行の方法なんかといたしましては、実際の問題として非常に困るという立場にあろうと思うのであります。極端に言えば、分割払いの際、扶養料等におきましては、これは当然将来に向って分割支払いをするのですが、そういう場合における代表的数字の一カ月二千円の扶養料、こういうものがもし不履行とされた場合におきまして、普通の金銭債務の強制執行によってこれを差し押えをしたらいいじゃないかというふうな考えであれば、これは御承知の通り東京地方裁判所の執行費の基準によりましても最低の予納金が千円であります。何万円かになりますと千五百円という予納金になります。従いまして、一カ月二千円の不履行の金額を請求するために少くとも千円とか千五百円というものを予納するのだということは、とうてい不可能に近いのであります。従いまして、強制執行によってその実現を期するということは非常に困難なのであります。また、一方から言うと、先ほどから申し上げました通り、強制執行をする権利者の立場の人は大半といいますか八割は婦人であり、そういう人が、自分の前の夫であるとか、あるいは内縁関係の男であるとかいう者に対して女の方から強制執行を依頼してやるということは、非常に困難なことであって、金銭的にも非常に困難であるし、またそういう面からも非常にやりにくい、遠慮するというふうな立場にあるのではないかと思うのであります。のみならず、相手の方に自分の子供がおるとか——子供の方は夫婦でもって両方一人ずつ分けるという場合も少くないのであります。そうしますと、相手の方に子供がある場合に、いかに夫であっても、それに対して強制執行までして零細な金額をとるということは、そういう面からも相当困難である、いやなことであるのだ、こういうふうになろうと思うのであります。ことに、前には相手が東京におりましたが、現在は大阪におるとか九州におるというような場合におきまして、強制執行の方法によって零細な金を取り上げるというふうなことは、まず大体不可能ではないか、こういうふうに考えるのであります。従いまして、そういう場合におきまして、家庭裁判所における調査官の制度を活用いたしまして、東京の裁判所から福岡の家庭裁判所に依頼をいたしまして、調査官の制度によってこれで向うで勧告をする、そして取り立てもしてくれるというようなことがあれば、非常に便利な方法であって、かつ必要な方法ではないか、こういうふうに考えますので、私は、実際問題として、長年調停には参画いたしましたが、この案につきましては、これは必要な方法ではないかと考えるのであります。
一応御説明を申し上げまして、もし御質問がありましたら、できる限りお答えをしたいと考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/33
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034・高橋禎一
○高橋委員長 御質疑があれば、どうぞ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/34
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035・佐竹晴記
○佐竹(晴)委員 ただいまの御説明は政府の御説明以上に出ておりませんので、このままにいたしましてもよろしいのでございますが、せっかく表をもって御説明になったことでありますから、一つ二つだけお尋ねをいたしておきましょう。
先ほど数字をあげておられましたが、これはおそらく最高裁判所が作られた表によっての数字と思います。その最高裁判所が出しております資料の第一表の調停事件、これは総数でいきましょう。昭和二十九年度におきまして事件になった総件数は三万八千六百四十九です。そのうち調停の成立いたしましたものが一万八千九百二十九です。相当多くの調停が不調に終っております。さように、相当たくさんの調停が不調に終った場合に、これはどこに行くか。普通の民事裁判所に持って行くよりほかにございません。家庭裁判所に行って調停にかけたら不調に終った、そこで慰謝料の請求、たとえば離婚あるいま婚姻予約不履行に関する慰謝料の請求になりますと、普通裁判所に持って行かなければならない。ところが、普通裁判所の判決に対しては、一切アフター・ケアをやらないというのです。この家庭裁判所において調停のととのいます場合は、むしろ善良な場合が多いでしょう。そして、政府の出しております資料の第四表によると、たとえば履行状態について見ると、一時払い履行済みが六三・九%を示しておる。一部履行が二六・六%を示しておる。政府提出の表にちゃんと明らかになっておる。この間の宇田川局長の説明を総合いたしましても、二割二分の不履行である。調停の場合においてはほとんど八割まではこれを履行いたして居ります。そうして、不調に終ったたちの悪いようなものが民事裁判所へ追い込まれて、民事裁判所の判決となる。これに対しましては何らのめんどうを見ない。家庭裁判所だけの判決及び調停にそんなめんどうを見てそうして、家庭裁判所でまとまらなかった事件が民事裁判所に追い込まれて、困難な事件となり、そうして悪質な相手方の場合を多く予想いたします場合に、その民事裁判所の判決に対して何らのめんどうを見ずにほうっておいて、一体いいものかどうか。家庭裁判所において工合よく調停のまとまったようなものだけを保護いたしまして、そこで不調に終った悪質のものを民事裁判所に持って行って、判決を受けてもそれを放任してよろしいという理由というものはどうしても発見されぬではないか、こういうことが一つの疑問になっております。家庭裁判所におけるところの調停だけに、あるいは家庭裁判所の審判だけにかようなアフター・ケアをやらなければならぬ根拠はどこにあるだろう。これについて参考人は多年の御経験も持っておられることでございますから、御所見があれば承わっておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/35
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036・長瀬秀吉
○長瀬参考人 佐竹委員の今の御質問は、悪質のものが調停不調になって、その場合においては地方裁判所に行かなくちゃならぬ、地方裁判所の事件につきましてはこういう特殊な扱いはしないが、その点についてどうも疑問がある、あるいは不履行になるというような御意見だろうと思いますが、これは、不調に終るような場合もいろいろ理由がありまして、悪質というばかりには限らない。金額の点あるいはその他の感情の点、その他法律上の点というようないろいろな場合がありますので、必ずしも悪質とは限らないのであります。私のこの法案に賛成いたしましたゆえんは、先ほど申し上げました通り、不履行の中で、しかも家庭裁判所における金額というものはきわめて低額である、もしくは零細である、そういうものは強制執行の方法によって実現し得るか、あるいはそういう方法をとることが可能であるかといえば、これはきわめて困難である、むしろ不可能に近いものがあるのではないか、ことに扶養料の問題等におきましては毎月千円というのが相当ありますし、二千円というのが一番多いのですが、二千円というものを強制執行するのはほとんど経済的にも不可能である、従って、そういう場合におきましては、こういう事件の救済についてはやはり勧告またそれを少し強める履行命令というものが必要であるのではないか、こういうふうに考えましたので、必ずしも、地方裁判所の事件というものは救済しなくてもよろしい、そういう意味ではございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/36
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037・佐竹晴記
○佐竹(晴)委員 低額というお話が出ましたが、これは結局、純粋執行の場合において費用がたくさんかかり泣き寝入りになるから、そんな多額の、たとえば二千円の執行に千五百円の予納金を納めなくてはできないということを救済する方法を講じなければならぬ、こういうお話でございましたが、それでありましたならばこれは純粋執行に関する経費の問題です。そうすると、たとえば簡易裁判所の判決も全部そうなんです。簡易裁判所の事件なんか全部アフター・ケアをやればいいわけですが、それを何で放任しておくのでしょう。低額であるという理由によって区分する理由はどこにもないと思います。私は、それよりもむしろそういったような場合には訴訟救助で行ったらどうかということをこの間政府に尋ねましたが、政府においても、広い意味においての訴訟救助の方法があるとお答えになった。低額であるからといって必ずしもこういった法律改正をやらなくとも、現行の訴訟救助の方法をうまく活用することによってその道を見出してもらえるのじゃないかというふうに考えるのでありますが、その点についてはどういうお考えでございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/37
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038・長瀬秀吉
○長瀬参考人 二つの問題があると思いますが、一つは訴訟救助、一つは低額の問題です。今引例になりました簡易裁判所の問題におきましては、御承知の通りこれは十万以下ですから必ずしも高額ではございません。あるいは二、三万というのも中にはありましょう。しかし、これは大体一時でもって支払うので、分割払いというような判決は通例ないわけであります。従いまして、この法案で問題になっております扶養料の関係というような、毎月一人について一千円あるいは二千円、三千円というようなものとは相当本質が違うのじゃないでしょうか。それから、今の取り立て方法、これに関しましても、やはり実際問題といたしまして、家庭裁判所における裁判官もしくは調査官によって努力をされるということは、相当必要性がある、こういうふうに考えるのであります。
訴訟救助の問題につきましては、これは研究の余地があるかもしれません。むしろ皆さんの方の御意見も拝聴できればよろしいかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/38
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039・佐竹晴記
○佐竹(晴)委員 簡易裁判所の場合でございましても、あるいは地方裁判所の場合でもそうでありますが、判決に分割払いを命ずる場合はほとんどない、それは参考人のおっしゃる通りです。しかし、調停の場合には、これは非常にこまかな金額に割って調停が成立いたしますことは、お互いに長い経験でよくわかっております。低額でそうして割り払いで、たとえば毎月千円払い、五百円払いといったような事件がたくさんございます。簡易裁判所だって地方裁判所だって、ずいぶん低額のこまかな金額に区分して、そうして長きにわたって割り払いする場合は非常にたくさん出てくる。こういったような問題をもって家事裁判所の審判及び調停だけを特に保護しなければならぬというりくつはどうしても成り立ってこないと思います。従いまして、家事裁判所においてこういうことを認めるということになれば、必然的に地方裁判所の、すべての一般普通裁判所の判決及び調停にもこの理論を及まして、アフター・ケアをやる。べぎじゃないかということは必然的に出てくるのです。その際に、あるいは予算がないとか、あるいはとても現在の人員ではそういう仕事をまかなえないからということでありますなら、それはまた別途の問題でありますが、これを理論の上において家事裁判所の審判並びに調停だけを特にこうやって区分をして保護しなければならぬ根拠がどこにあるかという説明にはならぬと思います。
さらに、いま一点。先ほど、不履行の場合に制裁を与えることも賛成である、民事問題が刑事問題化するおそれがない、御心配がないとおっしゃるのでありますが、先ほどもお聞きの通りに、一回履行命令をやる。履行命令に応じないので、そこで今度それに対して五千円以下の過料に処する。これを通達したが、これには何の返事もよこさぬ。つまり、判決をしたがだまっている。呼び出したけれども来ない。不誠意である。相当の理由ありとしてこれに対して履行命令を出した。履行命令に対しても応じない。だから相当の理由ありとして制裁を加えた。そこで、制裁を加えてさえも払わぬということでありましたならば、それはなおよろしくない人間である。なおよりよき相当の理由が生じたということになりましょうから、さらに第二の履行命令ができる。さらに第二の履行命令に応じなかったならば第二の制裁が加えられる。かくして、繰り返してその制裁は十万円になろうと百万円になろうともできるということになると、結局それはその方が痛いのでありますから、たとえば十万円の債務をしょっているときに百万円の制裁が来るようになると、その方がおそろしいのですから、その制裁、その威嚇におそれをなして不本意ながら債務を払うということになると、本末転倒になりはしないか。先ほども別の参考人のおっしゃっておりました例のような、民事の債務が不履行であったならば、特に家事審判、家事調停に関する債務不履行であった場合には、監獄にほうり込むことができる、こういう制度が日本において認められるといたしますならば、それは何をか申しましょう。しかし、日本ではそこまでは行っていない。そうは考えておりません。日本では、民事はどこまでも民事、刑事はどこまでも刑事。ところが、民事の不履行をやると、それに制裁がついて、民事本来の請求権よりも制裁の金額が多くなって、その方に威嚇されてもとの債務を払わなければならないというようなことになると、言葉は適当でないけれども、これは民事事件がことごとく刑事制裁を加えられたと同様の結果になるおそれはないか。そういったようなことは、これはどうも基本的に相当考うべき重大な問題を含んでいるじゃないかということが当委員会に一つの疑問となっております。こういったような問題について、制裁がどれだけふえてもいいし、さらに進んで民事も不履行ならどんどんほうり込んだらいいじゃないか、そういったような、先ほどの参考人のおっしゃるようなことになると、これはまさに民事問題が刑事問題化して参ります。けれども、ここに出しておるところの政府提出の提案理由の説明は、家事裁判所の場合には強制執行では十分でない、だからこれにかわる別の方法でできるだけ救済をしよう、いわゆるアフター・ケアだと言っておる。ところが、先ほど言ったような程度にまで参りますと、これはアフター・ケアではございません。裁判所も、仕事に忠実なるのゆえをもって、おれの命令に従わないといって制裁を与える。制裁を加えてもなお応じないといって第二の履行命令を出す。まだ応じないからといって第二の制裁を加える。第二の制裁を加えられてさえもなお応じなければ、第三の履行命令と制裁を加える相当の理由ありと言わなければならぬ。そうなると、度が重なれば重なるほど、刑事の累犯と同様に情状はだんだん悪くなる。何べんやられても応じなければ、何べんでも繰り返す相当の理由となる。そうなると、これは裁判所の威厳の意味においても、裁判を執行する責任においても、これはどうしてもとことんまでやらなければなりません。こういったことが果して適当であろうかどうか。私はこれをさらに承わっておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/39
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040・長瀬秀吉
○長瀬参考人 履行命令を出すという。これに従わない場合においては制裁を加えるという。それは何べんでも反復されるのじゃないかという今のような理論は、これは佐竹先生のおっしゃる通りかと思います。しかし、実際の問題といたしましては、裁判所はさようなことをいたしませんで、その前に勧告というのがありますから、勧告よって十分これを運用する。どうしても聞かない場合において履行命令を出す。それで聞かない場合において制裁を加えるというのであって、この制裁の点はなるべく適用しない。そういう方が、私は運営上においてはよろしいのじゃないかと考えております。むしろこれは伝家の宝刀というか、最後にそういう制裁を加えるというふうな運用の仕方をするということが必要ではないかと考えております。多分これは、政府といいますか発案者の方といたしましても、かような考えでもってこの法案を出すのであって、佐竹先生が今言われたような、制裁の罰金の額が、何十ぺんか繰り返したためにそれが何万、何十万になるということは、普通の考えとしてはちょっと考えられない。そういうことは考えないというような立法精神であろうと考えるのであります。要するに、こういう法律があれば、履行が比較的よくなるのじゃないか、こういう考えでもって立法されたのではないかと私は思うのであります。さような意味でもって、そう極端なところまでは考えなくともよろしいのではないかと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/40
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041・菊地養之輔
○菊地委員 調査し、勧告すること、私個人としては、こういう方法は、家庭裁判所の本質上、ここまで世話をやかなければならぬと思います。ただ、佐竹君が何回も繰り返して申された、履行命令を出す、それに応じなかったならば過料の制裁を加える、こういうのが一体家庭裁判所の本旨から見て正しいかどうか。私はこういう点を十分考えてみなくちゃいかぬと思うのでございます。今長瀬さんがおっしゃる通り、これは伝家の宝刀だ、おそらくこの宝刀はよくよくの場合でなければ抜かないのだ、こういうお話があって、また政府の成案もそこにあるようでございますけれども、それならば、そういうようにいわゆる伝家の宝刀で一年に一ぺん、二年に一ぺん抜くかわからぬようなものを、家庭裁判所の本質上、いわゆる家庭の平和あるいは健全なる親族共同生活を維持する目的を持っているところの家庭裁判所にこの種のものを置く必要があるかどうか、こういう点ですが、しょっちゅう抜かなければならぬものなら、これは仕方がございません。そういう状況があって、しょっちゅう抜かなければ家庭裁判所がきめたことが維持されないというならば、何をか言わんやでありますけれども、一年目に抜くか二年目に抜くかわからぬようなものを置くことによって、家庭裁判所の本質が見失われはしないかと私は思う。この点について例をあけますと、これが夫婦離婚の場合ならいいでありましょう。他人になりますから。しかしながら、親子あるいは兄弟姉妹の間、同じ共同生活をしている間に対して、家庭裁判所が審判したり調停したりして、その問題が履行されなかった場合に、一般日本人として、債務を履行しなかった場合には強制執行を見ることは仕方がないという観念がございます。だから、履行しなかった債務者に対して強制執行をされて解決を見たというのはいいのでしすけれども、いわゆる兄弟姉妹親子関係の同居している間において、その履行命令を聞かなかったというので過料の制裁を受けた、こういう場合に、家庭裁判所の目的であるいわゆる家庭の平和と健全な親族共同生活というものにひびが入らないか、この点を私は懸念するのであります。
いま一つは、そういうことを行なっていったならば、先ほど田邊さんにも質問したのでありますが、十分なる答えを得られなかったから、練達たんのうなる長瀬さんに私はお聞きするのでありますが、こういうような最後には伝家の宝刀を抜くぞという強制的な方法をもって家庭の審判調停に臨むことが正しいかどうかという点であります。理論的に正しいかどうかという問題と、いま一つは、この法律があるために、制裁規定があるために、家庭裁判において、多くの人を威圧さして、いわゆる出頭に違反したり、あるいは故意にこれを不調に導くようなことがありはしないか。もし家庭裁判所で調停するというと、いつかは罰金が来るかもしれない、罰金も何回も来るかもしれない、——長瀬さんのように、そんなにたびたびするのじゃないと、これは提案者も考えているのでございましょう。また実際もそうでございましょうが、しかし、それを受ける側からすれば、何べんやられるかわからぬと思う。おそらくはこの調査官は、調査・勧告またはその他で、前のものを納められないというと制裁が来るぞ、それが五千円以上だ、何回も来るぞと説明するに違いありません。そういうような状況で円満に調停が行われるかどうか。こういうことを私は危惧するのであります。せっかく家庭裁判所というものが非常なる効果を上げまして、この法律が出てからいわゆる家庭の平和あいるは親族共同生活に大きな寄与をしているわけでございますが、この過料をもって制裁するということをもって、この調停にいや気がさして、その能力を発揮することができなくなるのじゃないか、こう私は考えております。
この二つの点で長瀬さんの御意見をお伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/41
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042・長瀬秀吉
○長瀬参考人 あとの方を先にお答えいたします。
こういう不履行の際に履行命令が出る、さらに制裁を加えるというために、家庭裁判所本来の使命にひびが入りはしないかということでありましたが、これは見解の相違かもしれませんが、私はさようなことはないというふうに確信する次第であります。調停の際におきましても、当該事件を調停するについて委員の方といたしましてはあらゆる角度から——これはちょっと横道に入りますが、先刻田邊先生からは男の方が何か旧式であるとか何とかいう意見もありましたが、さようなことは私どもといたしましては毛頭やっておりませんし、考えません。そして、家庭裁判所の事件におきましては、あらゆる方面から、一体この事件というものはどういうふうな方向に導いたらよかろうか、離婚の問題にしても、離婚というものはやむを得ざるものかどうか、その際において子供は一体どこに帰属するのか、同時に経済上の問題がどういうふうになっていくのかという、あらゆる方面から調査をいたしまして、よく考えまして、そして調停に臨んで最善の調停をしたいというふうに実行しておりますので、制裁というめったに行わない条文のために当事者が調停を回避する、その他調停をなるべく不成立に終らせようというような考えになるということは大体ないのではないか、こういうふうに考えるのであります。
それから、前の方は今の答弁で言い尽したのではないでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/42
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043・菊地養之輔
○菊地委員 よろしゅうございます。これは提案者の側に聞くことでしょうから、この程度でやめておきましょう。
ただ一つ、これは長瀬さんにお聞きするのでありますが、不履行の場合が非常に多い、これはわれわれに数字をあげて資料を提供されたのでありますが、それが単に債務者側だけの罪と考えるのは誤まりだと思うのです。そういう考え方からいわゆる債権の確保のためにのみ重点を置いて、調停の本質を見忘れがちだ、こう私は考えております。一体不履行の原因は債務者側のみが負うものか。調停で、両当事者の負担能力の点、あるいはその他の精神的な融合の点、そういう点に欠くるところがありはしないか。精神的な融合が調停によってでき上ったとするならば、何とかこの債務を履行したいという気持が債務者側から出てくる。ところが、負担が過重であってどうしても弁済できないようなものも、調停委員がその点を考慮しないで、事件を片づければいいという考え方で、負担能力を顧みない債務負担をさせている、そういうことも一因になると思います。だから、単に債務の不履行だけを見て、その確保だけに重点を置かねばならぬというので、いわゆる従来の日本の法体系から見てないような個人債務に対して過料の制裁をするということになると思います。それよりは、もっと調停自体で考えてもらわなければならないことは、負担能力あるいは精神的和合が完全にでき上ったかどうか、そういう点であると思う。私も調停委員として経験がございますけれども、私自身汗顔にたえないこともあるのでございます。まず事件を片づけようという考え方が頭に浮ぶ。従って、事件の本質はどこにあるかということを十分に考慮するいとまなく、解決することの方にせかれるのであります。これは私一人ではなくほかの人もそうらしいのですが、負担能力の点なんかは考慮には入れますけれども、それよりも、もっと兄弟の間なり親子の間なりの和合の点に力こぶを入れるべきで、債権債務の片づけ方が家庭裁判所の目的ではございませんから、その点に重点を置くことが不完全であると、債務者になった方の精神的和合がはかれないということになるのであります。そういう点は、単に不履行者の数字が多いからこういう制裁をしなくちゃならぬと考えるよりも、今申し上げた親子関係あるいは兄弟、これに重点を置いていったならば目的を達せられるのではないか。まずそれをやってみて、それでも成績が上らなかった場合にはこの異常な制裁規定によるという考え方を持ってもいいのではないかと思います。私は長瀬さんとは同僚でございまして、長い問いろいろの会合でお知り合いで、その経験の深さに敬服しておる者でありますから、この点に関して賛成、不賛成は別問題として、今私が申し上げた点をどう考えておるか、率直に述べていただきたいと思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/43
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044・長瀬秀吉
○長瀬参考人 解決を急ぐという点、これは午前中もそういうお話がありましたが、現在私どもがやっている調停の精神といたしましては、必ずしもむやみに解決を急ぐという考えはございません、当該事件の本質を研究いたしまして、この事件は一体どういうふうに導いたらいいか、そういう最終もしくは最善のめどをつけまして、その目的に向ってやりますので、むやみに解決を急ぐというようなことはやっていないつもりでございます。またやるべきでないと考えております。それで、当事者の方でどうしてもこれでは解決できない、いかにしても譲歩ができないというような絶対的理由があれば、不調になってもやむを得ないじゃないかという考えを持っておりまして、むやみに解決を急ぐという方針はとっていないつもりであります。
それから、前の方ですが、従いまして、その事件の本質をよく考えまして、その事件の全体を見て適当なる解決をするという方向に努力いたしますので、履行にだけ重点を置くとか、あるいはむりに金額を増すとか、そういうことはしないつもりでございます。当該事件の支払う方の支払い能力その他諸般の事情を考慮いたしまして、支払い可能の限度において調停していく、これが理想ではないかと考えるのでありまして、そうむりをしないつもりであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/44
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045・福井盛太
○福井(盛)委員 ちょっと簡単に一つ。先ほど来の質疑応答によりましてだんだん事案は明瞭になってきたようでありますが、一点私はちょっと疑いを差しはさむ点があるのであります。この点について長瀬参考人にお尋ねしたいのです。
債務の履行がなかった場合において履行の命令を出す、それに応じなかったときには過料を取るということは、ただ一度なんでしょうね。それとも、一度その命令に従わなかったときには過料をかけて、さらに払わなかったときはまた命令を出して、その命令に従わなければまた過料を取るというようなことがあり得るのですか。それはどういうお考えですか。先ほどそれは理屈はそうなるかもしれぬというようなお答えをしておりましたが、私は遺憾ながらそれが理解に苦しむのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/45
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046・長瀬秀吉
○長瀬参考人 私はあまり立法の方の当事者でありませんが、当該事件については一回でよろしいのじゃないでしょうか。また裁判所はさような運営をするということが正しいのじゃないでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/46
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047・福井盛太
○福井(盛)委員 それで了解いたしました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/47
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048・長瀬秀吉
○長瀬参考人 それから、この法案と直接関係がないのですが、制裁の問題につきまして、二十八条かに、調停前の措置について違反した場合においては制裁はあるわけなんです。それにも多少本件の条項が関連していると思いますが、それはそれとしまして、調停前の措置の方法といたしまして、これは立法問題かもしれぬけれども、地方裁判所における、もしくはその他家庭裁判所以外の裁判所における財産の保全処分たとえば財産分与の調停申し立てをする、その際において必要があればその財産に対して保全処分をして財産の散逸を防ぐという、これは現在におきましても、ただ命令はいたしますが、その命令は執行力がないというふうにはっきり書いてありますので、たとえば調停を申し立てたその調停が半年かかった、その間に財産というものは全部散逸してしまったというようなことでは、とうていその目的を達しませんから、そういう場合におきましては、司法裁判所における保全処分の方法といたしまして仮処分というようなことができるような立法にすることが相当ではないか、こういうふうに考えております。ただし、その立法には、本案訴訟が当然伴いますから、あるいは本案がなければいけないのじゃないかという御意見があるかもしれませんけれども、その本案というのは、これは訴訟に違いないが、家庭裁判所の事件におきましては、家庭裁判所の調停というものは、人事事件につきましては前置主義なんでして、当然やらなければいかぬ。だから調停に対する保全の方法がやはりなくてはいけないのじゃないか、こう考えておりますので、これを一つよけいですが申し加えておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/48
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049・高橋禎一
○高橋委員長 それでは、ほかに質疑がないようでございますから、長瀬参考人にはお忙しいところ御苦労かけました。いろいろ貴重な御意見を伺いましてありがとうございました。
次に、参考人川島武宣君より御意見を承わりたいと存じます。川島武宣君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/49
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050・川島武宜
○川島参考人 私、いろいろやむを得ない所用がありまして、大へんおそくなりまして、ほかの参考人の方々のお述べになった議論を伺っておりませんので、あるいは重複するようなことがあるといけないと思いまして、そういうことも考えながら私の意見を申し上げたいと思います。
もうおそらく今までほかの参考人の方々からお話があったかと思いますが、現在、家庭裁判所の調停及び審判によって設定された義務の履行というものが、ただいまもお話がございました通り、大へん怠られている実情でございます。それの理由はいろいろございましょう。無理な調停をやったということもございましょうが、しかし、必ずしも私はそれだけではないと思うのであります。それは、普通の債務と偉いまして、家庭裁判所の金銭給付のようなものは非常に感情がからんでおりまして、夫婦げんかをして別れた元の妻に金を払うということが何となくいまいましいというようなことから、金があっても払わないというようなことはずいぶん多いわけであります。それからまた、日本の従来の考え方かち申しまして、離婚するときに、妻が生活に困る場合には妻に対してある程度の生活を保障しなければいけないという観念は割合に乏しいという地方あるいは人々もあるのでありまして、そういう人は金をなかなか払おうとしない。調停で納得したものなら払うでしょうが、しかし、たとえば審判もできるわけですから、審判の場合にはその人の意思に反してもそれはそういう義務を課することができるわけです。もちろん、その支払い能力のない者にそういう義務を課するということは現在の民法ではないはずであります。従って、もしも支払い能力がなければ、それはそういう者についてこういう強制手段を用うべきではありません。現に、それは、法務省で作られました法律案提案理由書を見ましても、支払い能力があるにかかわらず払わないやつに、たとえばこういう履行命令を出すというようなことを立法趣旨に書いておられますが、私はそういうものがどうしても必要だというふうに考えるわけであります。
これには、家庭裁判所というものの根本の考え方について若干御了解をいただく必要があるかと私は思っておるわけであります。つまり、従来の裁判所の観念で申しますと、裁判所が自分で出かけて行って履行状況を調査し十り義務者に履行を勧告するという、そういう出しゃばったことをなす必要もないし、むしろなすべきではない、裁判所は判決さえしていればいい、それ以外のことはほかの機関がやっていればいい、これはちょっと言い過ぎかもしれませんが、従来の裁判所は裁判が本来の仕事であって、たとえば強制執行であるとか、そういうようなことは、これは裁判所でなすべきことではない、むしろもう少し低級なものがやったらいいというような気分も多少あったのじゃないかと思うのです。ところが、現在の家庭裁判所というものは、これは皆様も御承知の通り、そういう意味での裁判所ではないわけであります。名前は裁判所とついておりますけれども、これは非訟事件をやるところでありまして、非訟事件というのは、こういう調査をしたり勧告をしたりということにもふさわしいところであります。それから、もう一つ、家庭裁判所というのは単なる非訟事件とまた違うわけです。登記事務をやったり戸籍事務をやったりという意味での非訟事件とは違うわけであります。たとえば会社の登記をするとか、そういうものではないのであります。これは世界的の傾向でありまして、イギリスでもアメリカでもそうですが、こういう家庭事件を扱う特別の非訟事件的な一つの裁判所系統におけるそういう機関を作りまして、そこで非訟事件的に家庭事件を処理していく、そういうことがつまり家庭事件の性質上最も適しているのである、なるべくならそういうところで解決をしたい、——まあこれは専門の言葉でソーシャル・ケース・ワークと申しております。そういうケース・ワーク的にこれを処理することが一番望ましいのであるという岩え方から来ておるのでありまして、日本の家庭裁判所もそういう世界的な一つの流れの上に乗っておるものであります。でございますから、普通の裁判所のように一対一で真剣勝負をする、お互いに証拠を出して争うというようなことでは、実は家庭事件はうまく解決ができません。先ほども私伺っておりましてごもっともだと思いましたが、やはり家庭事件で争い、あるいは夫婦親子で争いがある、——本来争いがあるべきではございませんが、まあ不幸にして世の中にはあるわけですから、そういう場合に、普通の訴訟のように原告被告で証拠を出して戦うというような真剣勝負のようなことになりますと、これは実はもう家族関係の実情に沿わないわけでありまして、それは徹底的に家族関係を破壊する目的ならそれでもけっこうでございますが、やっぱり家庭関係というものはできるだけこれを幸福に平和に維持していきたい、そのためにはそういう真剣勝負だけで、つまりけんかにしてしまっては困る、そこで調停なり審判なり、非訟事件的な扱いをしようという考慮が出てきた。つまりケース・ワーク的にやろうという考慮が出てきたわけでありますから、従って、家庭裁判所は従来の裁判所で考えたならば考えられないようなことにまで出しゃばるということは、これは実はそういう考慮から出発しておるのであります。従って、裁判所は判決さえしていればいいんだという観念でごらんいただきますと、大へんおかしな出過ぎたようにも思いますけれども、まさにそれが家庭事件というものの処理上最も適しているのだということをお考えいただきますならば、こういう規定の必要性というもの、及びそれが決して日本の裁判制度の精神にもとるものではないということが御理解いただけるのではないかと存じておるわけであります。これは少年事件も同様でありまして、少年事件につきましても、これをただ判決で刑法第何条で処罰して刑務所に入れるというだけでは、これはますます犯人を作っていくだけでだめであります。むしろ犯罪がまだ芽ばえない間にこれを導いていかなければならぬのでありまして、御承知の通り、少年事件に対しても非訟事件と同じ取り扱いをする大幅な制度ができております。これが現在の家庭裁判所の少年部でございます。
そういう一つの思想の流れの上にこの改正ができておるのでありまして、現在の家庭裁判所の実務におきましては、実は調停で債務を負担したり、あるいは審判で債務を設定されたにかかわらず、それを能力がありながら支払わないという事件が相当あるのに対しまして、これを何とかしなければならないという声は、全国の家庭裁判所から起っておるわけであります。これは判事の間からも調停委員の間からも起っておるわけであります。これに対しまして、一体、裁判所が履行命令で過料に処分するとか、こう出しゃばる必要はないのじゃないかというようなお気持があるかもしれませんが、これは普通の債務と家事事件の債務とはちょっと性質が違うということを御考慮いただきたいと思うのでございます。元来、アメリカでは、こういう家事事件で履行しなければならない債務を怠りますと刑務所に入れてしまう。これはどういう考えかと申しますと、家庭事件の債務を、ことに財産上の給付について履行しないということは、ただ借金をして返さない、手形を払わないというのとは性質が違うということ、たとえば最近問題になっておりますかりに親子の扶養問題を考えましても、幼い子供を親が扶養しないでほうっておく、あるいは年とった親が生活に因るのに子供がそれを捨てて顧みない、そういうときに、一体単に勧告以上やってはいかぬというのでは、話が徹底しないのじゃないかと私は思います。そのときには、やはりこうやって履行命令を発し過料に処する、あるいはもっと一歩進んで刑務所に入れるくらいの覚悟がなければ、これは一国の政府として国民の社会生活の最も根本である家族秩序というものを維持することができないと思います。現に、日本の刑法には、年とった親を扶養しなければ遺棄罪としてこれを犯罪にしております。あるいは、小さな子供を養わなければ、これも犯罪になります。こういう精神があるのでございますから、それをただ刑法の場合は特に遺棄罪という形で問題にしておりますが、実際に家庭事件をおやりになった皆さん方はよく御承知と思いますけれども、家庭事件の債務には多かれ少かれ非常に切迫した、これをやらなければ別れた妻はパンパンになるよりほか仕方がないというような切迫した事件が多いのであります。そういうときに、これをほうっておいて、普通の手形債務あるいは高利貸し債務と同じようにやって、妻に文句があるなら、地方裁判所に訴えて五年ぐらいかかって、最高裁判所に訴えて、執達吏を向けて強制執行にしなさいというのでは、みすみす落ちていく人を法律上見殺しにしてしまうことでありまして、これは人道上許すわけにはいかないのであります。もしそういうことを徹底したならば、これは親を捨てても最高裁判に持ち出して五年かけろと言うのと同じことになってしまうのじゃないか。だから、私はどうしてもこれを簡易に裁判所で処置する方法が必要だと思います。アメリカではこういう場合に簡単に家庭裁判所が留置場に入れるのであります。これは私は非常に適切な方法だと思います。日本に参ります外人の法律家、弁護士は、その点日本の法律を非常に非難いたします。私も実は調停委員をいたしておりまして、外人の事件を大分手がけましたが、実は外人の事件には必ず弁護士がつきまして、そのとき外人の言うことには、日本の法律は実に野蛮である、こういう非文明的な法律はけしからぬと机をたたいて日本の悪口を言われた。そのとき私は実に情なくて、ちょっと穴があれば入りたいと思った。外国では親が子を養わない場合、あるいは妻に対して夫が金を出さないで、妻が路頭に迷う場合、あるいは、日本でよくある例でありますが、夫が結核になって結核療養所に寝ておりますその間に妻がほかの男をこしらえて、夫に金を持って来ない、夫は療養所で非常に困っておるというようなことがちょくちょくあるのです。こういう場合、日本の法律ではどうにもしようがない。夫は文句があれば最高裁判所まで三年、五年かかって訴えて強制執行しなければならぬ。そういうことでは非常に困るじゃないか。そういうときに、不心得な妻、あるいは療養所における妻に金をやらない夫に対して、簡単に履行を要求するものはないのか。ほんとうに野蛮だと言われても仕方がないと思います。理想を申しますと、私個人の希望では、この程度の改正では物足りない。ほんとうは、私は、これは刑法に特別遺棄罪を規定しますか、あるいは家事審判法に何かやるが知りませんが、夫婦の間でもそういう生活に困るような事態にありなからそれを扶養しないという人間は、親を養わないと同じように、やはり刑法上の犯罪として処罰すべきものを設けるべきじゃないかと思っております。私は始終家庭裁判所で外人の弁護士に、だから日本は野蛮なんだと悪口を言われる。そういう意味で、私は、この法律ができまして過料の制裁がつきましたならば、まだこれは百点満点というわけにはいかないのでございますけれども、これでやっと日本も文明国の仲間入りができるのじゃないか、そしてそういうけしからぬやつはやはりこれでもって押えてもらわぬことには、最高裁まで行けという普通の民事訴訟法ではちょっと手ぬるいのじゃないかと思うのでございます。どうしても過料の制裁というのを最小限度の問題として私はぜひこれは国会を通過さしていただきたいと思うのでございます。
大体、この種の規定は、普通は女性にとって有利に働きましょう。男性にとってはおそらく不利益になります。なぜかと申しますと、女で収入を持っているという場合はあんまりない。夫が肺病で療養所に入っている、それを妻が捨てたという場合は、大体男がこの規定のおかげをこうむるわけで、これも相当あると思います。あるいは、夫が長い間病気でいるとか、かたわになったとか、いろいろございましょう。しかし、まあ日本の社会では、大体男が収入をとるもの、女は家庭で家を守っているから、夫がほかの女をこしらえて家に寄りつかない、金を一円もよこさない、女房は子供を抱えて食うに困っているような場合の方が多いと思います。ですから、そういうような場合には、これは事実上は好人に有利な規定になると思いますが、この規定を通さぬということになると、おそらく全国の婦人は相当国会を恨むのではないかと心ひそかに思います。
もう一つは、家庭事件は和合を目的としているから、過料でやっては困るじゃないかという議論もちょっと先ほど伺いましたけれども、和合もけっこうでございますが、たとえば死んでしまったら和合にならないのです。あるいは、離婚をしまして、夫がその金をやらなければならない、それをやらないために別れた妻がパンパンになるのを救うというような場合にこれを発動するのですが、そういう場合に和合といいましても、離婚しているのですから、離婚している妻と前の夫とを和合させるということはできない。むしろ法律はそういう場合は跡始末でございます。大体、この法律を発動するのは、そういう跡始末の場合が多いのではないかと思います。しかし、跡始末でなくて、たとえば親を養わなければならないときに、お前早く扶養するようにということを言う場合にも、これは和合が主だからこんなものは発動すべきでない、こんな規定は要らぬ、そういうときには刑法の遺棄罪だけでいけばよろしい、あるいは普通の民事訴訟で執達吏を向けて強制執行でやれ、こういう御議論も成り立つかと思いますけれども、実際は検事局に行きましてなかなか遺棄罪を発動するということになりませんでしょうし、一体、親子の間で、私は親を養わないからという子供を遺棄罪で刑務所に入れて、なわつきにして喜んでいる親はないと思います。あるいは子供に対して十分扶養を尽きない親を刑務所に入れてなわつきにする、それでは親子の和合は保てない。むしろ過料の制裁くらいのところでいく方がいい。もっとも、これがあるからといって別に発動しろというわけではないので、こういうことがあれば簡単にいきます。実際は、履行命令を出しまして、これをやらないとお前は過料になるのだよと言えば、普通は履行するだろうから、それでいいと思う。私は、なわつきにしてまでやるという方法の方がかえって和合を欠くのではないか、こういうふうに考えるわけです。それで、私は、日本の家庭、家族生活の秩序を維持し、それを健全なものにしていくためには、どうしても最小限度この程度の力がなければ従来のものだけでは弱いんじゃないか、こういう意味で、ぜひこれをお願いしたいと思うのです。私は、家庭裁判所で事件を扱っておりまして、この種の規定があったらなあと思ったことが幾たびあったか数え切れないのでございます。
また御質問がございましたらお答えいたすことにいたしまして、一つぜひ私は国会でこれを通していただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/50
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051・佐竹晴記
○佐竹(晴)委員 今承わっておりますと、普通裁判所と家庭裁判所の場合は違う、普通裁判所のように一対一で争うべきではない、家庭裁判所は家族関係の平和を維持することが根底になっておる、こうおっしゃるかと思えば、今度は、菊地君の言った和合の点を取り上げて、実はそれは破壊されたときのことだから、和合なんというものはそのときはありはしないのだ、むしろ破壊された跡始末の場合が最も多かろうなどと、全く矛盾撞着いたします別個の観点をとらえて論ぜられますので、その間どういう一貫いたしました理論的根拠によって御説明になっておるのか、私どもちょっと理解に苦しむ点があります。私が特に考えますのは、ただいま参考人のおっしゃった言葉の通り、普通事件の債務と家事事件の債務とは違う、ところが、こんなに言い切れるものではございません。御承知の通り、最高裁判所からここに資料が出ておりますが、今度家庭裁判所の調停にかかりました案件が二十九年度において三万八千六百四十九あります。そのうち調停の成立いたしましたものが一万八千九百二十九であります。その余は不調に終っております。その不調に終ったのはどこへ行くかというと、これはもう泣き寝入りか普通裁判所へ持って行くのほかはございません。参考人は学者であり教授でありますから、釈迦に説法なのでございますけれども、たとえば婚姻予約不履行の調停が出る。まとまればけっこうです。ところが、不調に終ると、これは普通裁判所へ持って行くほかはございません。離婚事件でございましても、調停でまとまればけっこうです。不調に終れば離婚は御承知の通り普通の裁判所の事件となります。調停でまとまる場合と、調停でまとまらぬ場合に民事裁判所へ行ったときと、事件の根本がそんなに変るものだろうか。これは変りはいたしません。同じ事実関係です。婚姻予約不履行の慰謝料の請求は慰謝料の請求です。調停のときもそうだし、普通裁判所へ訴えたときもそうなんです。離婚の場合でも、家庭裁判所の調停にかかっているときと普通裁判所へ訴えたときと、やはり請求の趣旨は同様でございます。ところが、家庭裁判所において調停がまとまったならば、あなたのおっしゃる通り、刑務所へほうり込んでもいい、そこまでいかなければ野蛮だ、こうおっしゃる。それなら、普通裁判所へかかって普通判裁所で判決になった場合、それをほったらかしておいていいという根本的理由がどこにあるだろうか。そのように、家庭裁判所と普通裁判所との間に、事件が一つなのに、裁判所を異にすることによって、一つはほうり込んでもいいが、一つはほったらかしておいていい、そういう基本的、根本的、理論的体系というものがあるだろうか。これは、あなたが学者でありますから、一つ体系づけて御説明をいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/51
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052・川島武宜
○川島参考人 どうも大へん鋭い御質問で、第一点でございますが、私が最初に、家庭裁判所はそういうケース・ワーク的なところである、家庭の和合をもって目的としているものであると言ったことと、あとで言ったこととが矛盾撞着して、はなはだおかしいとおっしゃいましたが、ちょっと私の説明があるいは足りなかったかもしれませんから、補足さしていただきたいと思います。
私が最初に申し上げましたのは、家庭裁判所の制度の目的を申したのであります。家庭裁判所というのは何もけんかさせることが目的ではない、普通の裁判所のように一対一の勝負をやるところではない、そういうふうにしたのではその家庭の平和を維持できる事件もこわれてしまうから、なるべく平和にするように努力するには普通の裁判所の手続は適しないということを申し上げたのであります。従って、家庭裁判所へ出た事件はことごとく平和になるということを申し上げたわけではありません。実は、もっと根本問題を申しますと、現在の家庭裁判所へ出てきます事件は、実は病気で言いますと相当危篤になった事件が多いのでございます。それで、アメリカでも、家庭裁判所べ行く事件が危篤になり過ぎているというので、実は危篤になる前に家庭事件の病気を診断し治療をする施設が要るというので、全米にマリッジ・カウンシリングとか、ファミリー・カウンシリングとか、そういういろいろな家庭相談所ができておるわけでございまして、今後日本はそういう方向へ進まなければならぬと思います。ですから、家庭裁判所だけで実現できると申したわけでありません。つまり、家庭裁判所はそういう目的を持っている制度であるということを申したわけです。それで、できた事件でも、危篤であるがために、治癒する病気もありますけれども、不幸こして台癒しないでとうとう大手術をしなければならぬというようなことになるのがあるわけです。そういう場合にどうなるかといいますと、そこで私は申し上げたんですが、過料の制裁でいく場合があろう、しかし私はそれだけではないと申し上げたんです。たとえば、家庭裁判所で平和の関係を維持できるという場合も相当あるわけですが、そういう場合にもやはり過料の制裁という程度の制裁があるのでなければ平和を維持できないのではないかということを申し上げたわけなんです。これは、先ほど申し上げましたように、たとえば親子の関係で申しますと、親を養わなければならぬということは、これは地方裁判所へ行こうが、家庭裁判所へ行こうが、養わなければならぬわけですが、家庭裁判所がそれを取り扱うというときには、地方裁判所でやるようなやり方でないようなやり方でやりますから、より多く親子の関係がうまくいくのではないか。私は過料の制裁というものもそこで意味を発揮するのではないかということを申し上げたわけなんです。地方裁判所でありますと、親子の扶養事件が起きましたら、原告、被告が対立して、証拠をあげて被告の言うことを否認したり、とてもしちめんどうくさいことになりまして、普通の方法で執達吏が行って強制執行をするというようなこと、あるいは先ほど申しましたように、なわつきにするということなんですが、そういうふうなことが従来の裁判所のやり方なんですけれども、どうも家庭事件には適しないというので家庭裁判所ができたわけですから、それを一歩進めまして、平和な関係を維持するためにもむしろそういう過料の制裁ぐらいの制裁がほしい。そんなものも要らない、もっと心から平和になるようにした方がいいじゃないかというようにおっしゃるかもしれません。私も実はそう思うのです。それが理想だと思うのです。そういうふうにするためには、これは裁判所だけではだめでございまして、先ほど申しましたようなマリッジ・カウンシリングのようなものも必要でございます。しかし、不幸にして家庭裁判所に出るのは病気が相当重いので、そういう場合に、そういう過料の制裁といいますと、これは小手術ぐらいのところでございますか、あるいは注射でございますかに当るわけですが、何もしないで、あなたは大丈夫なおりますよと言って簡単になおるような病気なら、もちろんこういう過料の制裁をやる必要もないと思います。ただ、不幸にして世の中にそういう事実があった場合に、やはりこの程度の手術と申しますか注射もしないで親を養わないでほうっておくより、その方がいいのじゃないか、それがやはり家庭を維持していくゆえんではないか、家族生活を全うするゆえんではないか、こういうふうに思うのでございます。
それから、第二点でございますが、同じ離婚事件ではないか、地方裁判所へ行って困るのではないかという御意見でございます。私もその通り賛成なんでございます。全く同じ意見でございます。ただ、なぜ体系的に違うかと申しますと、これは、私の理論が矛盾しておるのではございませんで、現在の裁判制度が二元的になっておるわけであります。これは、将来はできるだけそういうことをなくして、そういう問題が、地方裁判所でほんとうの真剣勝負をして、そうして最後に執達吏が行くというようなことにならないで解決できるように、できるだけやりたい、そういう努力の現われが今度の家事審判法の改正であるというふうに御了解いただいたらどうか。私も今後なるべくそういう方向に持っていきたいと思うわけで、私の理論に矛盾撞着があるのではなくて、不幸にして日本の制度にそういう二元性があるのでございます。ですから、皆さんでできるだけその方向にいくように御努力いただけますと、私たち大へんありがたいと思います。そうしますと、理論的こも一貫しまして、私ども大へん助かるわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/52
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053・佐竹晴記
○佐竹(晴)委員 ただいまの制度では二元的でないのを、二元的にしようというこの法律をあなたが支持なさるので、その二元的になさろうとするこの改正論に御賛成なさることが矛盾しておるのではないかと私は言うのです。今のままで置いたら、普通・家庭裁判所の場合においても、調停審判について履行命令もなければ、その履行命令を聞かなかったからといって制裁を加えることもございません。ところが、今度は家庭裁判所の場合にはそういうアフター・ケアをやる。不調に陥ると普通裁判所に持って行く。あなたの言うように、家庭裁判所に持って来たときにはすでに病が重い。不調に陥ってから普通裁判所に持って行けばなお病が重い。なお手当が必要である。ところが、普通裁判所の場合にはそれは相手にしない。そのときに、判決になろうと、あとに調停になろうと、その判決はしっぱなしであって、あとはめんどう見ぬぞという制度であります。そういうときに、家庭裁判所と普通裁判所とを二元的に区別するようなこういう改正をすることに矛盾はなかろうか。あなたは、家庭裁判所というものと普通裁判所というものと、これが二元的と言う。そういう二元的というお言葉を用いておるのでございますが、私の二元的というのは、それではなしに、今の家庭裁判所ではこういう制度がないのです。普通裁判所に持って行った場合の判決及び調停でもないのです。これは一元的なのです。それを今度二元的に差別を設けるので、なぜこの差別を設けるのか、もっとも、あなたのお気持といたしましては、これは同様にすべきものである、そのお気持ならよくわかります。家庭裁判所でこれだけのことをやるならば、普通裁判所の場合だって、判決をやりっぱなしではいかぬぞ、全部の裁判に対して裁判やりっぱなしではいかぬ、調停やりっぱなしではいかぬ、裁判所も高い壇からもう一段おりて、その自分のやった判決の跡始末をし、なおさらにめんどうを見ろ、そこまで一元的にしなければ筋が通らないのだ、だから私の理論には矛盾がないのだ、こうおっしゃるならば、それはまことによく理解ができます。がしかし、そこまでいきますと、今日の裁判制度のもとにおいては、あの裁判官とあの書記官とあの経費ではできません。これは重大な問題が出て参ります。この改正をやりますだけでも相当の予算を伴うております。従って、実際私ども、こういった委員会における国会議員としての職責からものを考える場合、単に理論的に筋が通りさえすればそれでいいというのとは違います。私ども特にお訴えいたしたいのは、先ほど申しております通り、実際の調停に出てきておるものが三万八千四百五十九件もあるのに、そのうち調停のまとまったものが一万八千九百二十九、その余はみんな泣き寝入りか普通裁判所へ行っている。それよりほかにございません。その分をほうっておいてどうしていいのだ。私は、家庭裁判所のことについてそれだけ熱心に御主張なさいますならば、また進んで日本は野蛮だとか、あるいはアメリカの弁護士にいじめられたとか、あるいはほうり込んだらよかろうとか、それまでおっしゃるならば、さらに進んで普通裁判所のそれと区別する理由もない。普通裁判所へ行った場合にはなおよりよくこれを救い上げて、それに対しましてもアフター・ケアをやるようにしてやるべきが当然じゃないか、私はこう考えておるのでございますが、理論上もし間違っておったらいけませんから、学者のあなたに一つ是正を願っておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/53
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054・川島武宜
○川島参考人 ちょっと、私の申し上げた趣旨をもう一度説明さしていただきますが、私、先ほどこういうふうに申し上げたのです。つまり、現在すでに二元的になっていると申しましたのは、離婚事件にしろあるいは親子の事件にしろ何にしろ、現在普通の人事訴訟手続があるにかかわらず別に家庭裁判所というものを作りまして、いわばこういうケース・ワーク的な、非訟事件的な扱いをしておる制度が裁判所のワクの中にできておる、これが二元的だと申し上げたので、二元的というのは、この法律の改正で新たにできるというよりは、すでに始まっている。この二元性はどうして始まったかと申しますと、もう前に、皆さんも十分に御承知の通り、民事調停法ができましたときから、要するに日本の家庭生活というものを普通民事訴訟法でやるのは困る、何か特別なやり方でやらなければ日本の家族生活は維持できないというところから、民事調停法というものができまして、あのころから、ほんとうはもっと古くから、大正八年ころ民法改正要綱を作ったころからあるわけですから、そういうふうにしまして家庭事件だけは何とかして一般民事訴訟法と違うやり方で解決したい、こういう精神があってできておりますので、そういう意味の二元性は、この改正でできたというよりは、もうすでにできている。これはその延長にすぎない。それじゃ二元主義はいかぬということになるかというと、これはもう実際の必要上その方が望ましいのでありまして、それは、そうしないで、いわゆる民事訴訟法の理論でがんばったら、私は日本の家庭生活はほんとうに破壊されると思います。ですから、そのためにこういう制度ができたので、二元制度がつまり一番正しいので、日本のみでなくどこの国でもそれが正しいのだということで今日発展しつつある。そして家庭裁判所制度というものはこういうようなものに各国ともなりつつあるわけですから、現に二元性があるということを私が申し上げたのはそういう意味で申し上げたので、これが新たに矛盾を起すというわけではない。
それから、先ほど来統計を示してのお話でございますが、私も全く同感でございまして、実はそんなたくさんの事件のうちで相当多くの部分が調停解決つかないということは、大へん残念に思うのでございます。ただ、現在の家庭裁判所の書類の状態では、実は正確な資料をつかみ得ない。私も実は調査を始めたことがあるのですけれども、実態をつかみ得ない。それはどういうのかと申しますと、不調というのは全部あとはけんかになって泣き寝入りか地方裁判所へ行っているわけではない。御承知と思いますけれども、取り下げ事件というのが相当あるのです。取り下げ事件というのは調停委員会がいろいろ説得をいたしまして、一つ仲よくやろうじゃないか、それじゃ取り下げようというので、そのときには調停をしまして、たとえば被申立人は今後素行を慎しみ酒を飲まぬこととか、ときどきは法律的には意味のない条項まで入れて調停をしておりますけれども、それもしないことがある。なぜしないかといいますと、調停まで行った方がいい場合もありますけれども、調停はしないのだ、初めからけんかはないのだ、取り下げようじゃないかというので、争いを水に流してもとへ戻すために、裁判所も勧め、当事者もその気になって取り下げるという事件が相当ございます。この取り下げ事件の中には、もちろんそう称して実は裁判所の外へ行って実力で押えようというふらちなやつもおりますけれども、しかし、相当そういういわば調停成立の結果取り下げるというのがあるのでございます。これがやはり相当な数に上っておるようです。それからほんとうの不調でございます。どうしても解決つかなくて不調になったという事件がある。これは確かに、おっしゃいます通り、泣き寝入りになるか実力闘争で力の強い方が勝つか、あるいは裁判所へ行くかと存じますが、これは金もかかりますし時間もかかりますから、普通は裁判所へ行かないで泣き寝入りになる。これがわれわれ悩みのたねでございます。家庭裁判制度、家族法というものをどうしたら家庭生活の幸福が得られるかということを考える者にとっては最大の問題でございます。これは、私の考えでは、今後先ほど申し上げましたようなカウンシルの組織を充実していくというようなこととか、あるいは家庭裁判所の調停審判制度をもっと強力にしていくほかはないと思います。
そこで、最後の質問にもう一つお答えする必要があるかと存じますが、お前の理論から言えば全部地方裁判所へ持って行ってやればいいじゃないか、お前の言うことは一貫していないじゃないかとおっしゃいます。私は確かにそう思うのです。お説に何でも賛成してしまうとちょっと変ですが、私そう思うのです。確かに矛盾でございまするし、残念なことだと思うのです。ところが、その矛盾というのはどうも解決しにくい。なぜかと申しますと、一方では、私法上の権利というのは、最後には国民は法律でもって裁判してもらうという権利を憲法上保障されておりますので、家族事件が平和的に解決できる、あるいは当事者の納得で解決できる限りは、なるべくそういうふうに持っていきたいわけですが、どうしても納得しないくらいに病膏肓に入った場合は、これは法律による裁判を受けるという権利を否認するということは憲法上できないから、最後にその道だけは残さなければならない。それはどうしてもやむを得ないので二元的になるわけであります。この二元的になるというのは、その病膏肓に入った場合のやつは、どうしてもそういう方法で救済せざるを得ないのじゃないかという一方に要求がある。しかし、今までは病膏肓でないやつもある。病膏肓にならないものは軽いところで病気をなおしてやろうということで二つの大きな制度になりますと、これは注射薬、飲み薬でなおるのもあれば、手術しなければなおらぬのもある。結核でも、もとはみんな殺してしまったわけですが、その後大手術をしてなおした。ところが最近では飲み薬だけでなおるようになったのと同じて、家庭裁判所制度が発達すれば、飲み薬で結核がなおるような状態になって、将来は結核で死ぬ患者がなくなると同じように、権利義務の争いで普通の裁判所へ行くというものがきわめて少くなる。あるいはまた不調で泣き寝入りになるものがきわめて少くなるのじゃないか。あるいはそれを目ざしてわれわれが努力しなければならないのじゃないか。つまり、理論の上では一貫することは簡単でございますが、家庭事件をどうすればいいかということは、要するに実際は社会現象をわれわれがどう処理するかという、ちょうどお医者様と同じ立場にあるわけでございまして、法律というのはそういうソーシャル・エンジニアリングの一つの道具にすぎない。その道具をどう使うか、われわれは、なるべく大手術にしないで、まだ病膏肓に入らないうちになおしたい。そういうふうに、法律という道具とほかの道具をどういうふうに使い分けるかというふうにお考えいただければいいのじゃないか。しいてそれを一つにしますと、どうしてもみんな手術しなければならなくなってしまうので、いろいろの療法があるというふうにお考えいただくのがいいと思います。最近では、法律というのはいわば病気をなおす道具、ソーシャル・エンジニアリングの道具の一つだ、ほかにもいろいろな道具があるのだという考えに最近の法律の考え方はなっておるのでございます。そういうふうにお考えいただきますと、矛盾というよりも、むしろいろいろな仕方がある、その使い方、効果がいろいろあるというふうにお考えいただければ、あまり矛盾というふうにお考えいただいて御心配いただかなくても済むのじゃないかと思うのでございます。
お答えになりましたかどうか……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/54
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055・佐竹晴記
○佐竹(晴)委員 決して議論めいたことをいたしたくはございませんが、ただ、心配いたしておりますのは、同僚も言っております通り、家庭裁判所における審判及び調停になりますれば裁判所からいろいろな強制力が加わって参ります。そうして、その義務を果さないときには、まさに参考人のおっしゃるごとく、それは犯罪に値する。外国人から野蛮人呼ばわりせられ、あるいは外国では刑務所にほうり込むに値する。審判及び調停に同意すればそうなる。ところで、それを否認して争うて、調停不調に陥って泣き寝入りになるか、普通裁判所べ行けばそれが免れるということでは、世の中がおさまらぬじゃないか。こういう法律を作ることによって、そういったような事態を逆に生み出すということになりはしないであろうか。政府の資料によると半分以上調停が不調になっておるものがありますが、家庭審判所において調停に応ずると、そういった者を悪人呼ばわりをするのだから、それを逃げて調停不調に持っていけば、それできれいに済むのだということになりますと、だんだん調停不調の数が増していってせっかく政府の企図いたしております、ただいま参考人も口をすっぱくしておっしゃる通り、家庭関係の平和の維持、あるいはその後における跡始末をし、できるだけスムーズにやろうとするその精神の逆を行って、かえって逃げを張って反対の方向に追い込むようなことが多くなりはしないだろうか。これを先ほども同僚も心配をいたしておりますし、私が数字をあげて申しております根底にはそれがあるわけであります。
なお、お話のうちに、家族関係の平和を維持したいとか、家族秩序を維持するとか、家族制度とはおっしゃいませんが、いかにも日本の家族制度の復帰を前提とするかのごとき御議論が出て参りまして、これはそういったものとは別のことをお考えになっておるのだろうとは考えますけれども、あなたの用いられておる言葉の中にはしきりにそういう言葉が出て参りますので、それらの関係についてもなお承わっておきたいと考えます。
それと、いま一つ、結局この問題は、最後には履行命令に次いで今度は制裁を加える。過料であります。刑罰ではありませんが、過日来政府の答弁によりますと、それは一回きりではない、二回も三回もできる、かようにおっしゃっております。これはもちろん相当の理由のある場合でなければ出せません。相当の理由ある場合に履行命令を出します。それに応じない、はがきの一本も来ない、これはまさに制裁に値いたしましょう。今度は過料の制裁を与える。その制裁を受けても履行しないといたしますならば、第二の履行命令を出すにふさわしい相当の理由があると私は思います。そこで第二の履行命令を発します。これも応じない。そこでまた第二の制裁を与える。ところが、二回三回やっても聞かぬということになって、これは向うがずるいから裁判所は手をあげたということになれば、裁判所の方が負けです。もしそういったようなことを肯定するような法律だったら作らぬ方がましです。そこで、どこまでも効果を発揮しなければならぬ。裁判所は威信にかけて五回、十回、百回やるでしょう。そこで、訴訟の額が十万円であったときに、過料の額が百万円に達しないとも限りません。こういったようなことになりますと、この制度というものが果してどういう結果になるであろうか。日本においては民事と刑事とを截然区別をいたしておりまして、先ほど参考人のお説のごとく、民事不履行者に対して家事裁判事件であったならば刑罰に処することもできるという、ここまで行けば、それもまことに筋が立っておりますが、そうでなしに、日本は民事事件はどこまでも民事事件です。民事事件に罰則的なものを与えられることはないのです。民事はどこまでも民事である。金銭債務が不履行に終ったために金利がつくことは認められておりますけれども、罰則のつくことはありません。もっとも、戸籍届をしなかったといって、われわれがいわゆる公法人に属する一員としての公人の義務を怠った場合には、それはまさにその義務不履行に対しましてその公法人から罰則に相当するものが来ることはやむを得ないでしょう。ところが、民事上の債権債務をアフター・ケアで世話をした。今度は世話をした家庭裁判所の方が強くなって、本人の方の請求はさておいて、世話をした方の言うことを聞かぬからといって、どんどんもとの債権以上に大きな金額の制裁を加えるといったようなことになるということは、果して穏当であろうかどうか。これも一つの疑問として取り上げておりますが、これに対する御所見を承わることができますならば幸いであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/55
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056・川島武宜
○川島参考人 だいぶ多岐にわたりまして、大へんでございますが、お答えいたします。
最初の点でございます。言うことを聞かないと得をするのじゃないかというお話でございますが、この点は、一つは、御承知の通り調停は本人が言うことを聞かないと成立いたしませんが、たとえば財産分与のようなものは、言うことを聞かなくても最後に審判はできるわけです。審判は本人が同意しなくても審判はできるわけですから、別に言うことを聞かない者がみな得をするわけではありません。ただ、離婚のような場合は、本人が言うことを聞かなければ離婚になりませんから、これは現在は調停するほかないと思います。ただ、私個人は、また相当多くの法律学者はそういうことを考えておりますし、またこれは言っていいかどうか知りませんが、別に公けのことではないからいいでしょうが、私の知っている多くの裁判官も同じ意見ですが、やはり離婚事件を家庭裁判所で審判事件として少くとも第一審くらいはやった方がいいんじゃないかという意見も相当あるわけなんです。私どもは、何としても、家庭事件をとにかく普通の民事訴訟法外でやるという根本システムを考えなければ、先ほど来のことがありましたが、家族の生活というものを合理的に建設していくためのソーシャル・エンジニアリングができないのではないかと考えています。現行法のもとにおきましても、審判事件に関しては相当たくさんございます。御承知の通り家事審判所にたくさん並んでおりますが、あれは当事者がいやと言っても一方的に家庭裁判所が審判できるわけですから、別にノーと言った者が得になる範囲がそうないと思うのであります。もう一つは離婚事件で、これはどうしても、先ほど来申しておりますように、調停制度がもっとうまくできて、調停が有力にならなければいけないので、私は現在の調停制度には実は大へん批判を持っております。一般に調停が有効適切に行われるためには、もっと調停制度を充実しなければならぬ。これには私はいろいろ改正意見を持っておりますが、そういうことを同時に私はやることを強く強く希望しているのです。
もう一つ、家族秩序とか家族生活の平和と言ったので、お前は家族制度の復活を希望しているのではないかというお話でございますが、私は正反対でございまして、私は強く反対しております。絶対反対でございます。
それから、何べんも何べんも云々ということでありますが、私はこれは必要があれば何べんやってもいいのではないかと思っております。といいますのは、一つ例をあげますと、たとえば子供を扶養しないとか、あるいは年取った親を扶養しないというけしからぬ人間があまりいるとは思いませんが、いた場合に、これは過料の制裁を出してそれでおしまいだ、これでは何にもならない。むしろ私はそういうときに繰り返し出すということが必要だと思います。しかし、繰り返し出してもだめな者はしょうがないじゃないかという仰せでございますが、ですから、私はそういう場合には二つの方法があると思うのです。一つは今の遺棄罪、そういうけしからぬ者こそ遺棄罪で断固処罰すべきであると思います。しかし、遺棄罪だけでは足りないのです。刑務所に入れても親は助からないのです。そこで私はどうしても簡易な強制執行がほしい。現在、執達吏に頼んで強制執行するということがいかに困難かは、そういう御関係の方はよく御承知で、私も法律家ですけれども、執達吏に頼んで強制執行するということは、私はおそらくやる気がしないだろうと思うのです。現在のような強制執行手続法のもとにおいては、確かに、仰せの通り、繰り返し繰り返し過料を課したらしまいというので、ほんとうに困ったことになる。私、全く御意見に賛成でございます。私は、ですから、この法律改正に際しましては、実は簡易強制執行の道がほんとうは望ましいのですけれども、私が今それを強く申し上げませんのは、御承知の通り、今法務省で強制執行法の改正の委員会をやっていらっしゃる。あれができるまでは法務省としても強制執行に関する法律改正はちょっとおできにならない状態にあるわけです。ですから、私は、この程度の改正でも、私個人の意見を求められれば目をつぶろうと思いますけれども、これにつきましては、大へんしちめんどくさい強制執行であって、そういう普通の親子、夫婦、兄弟の財産の争いが簡単に強制執行できないようでは、やはり年取った親たる者は安心できない、あるいは生活能力のない妻たる者は安心できないから、そのときに家事審判法の簡単な強制執行法を規定してもらいたい、そうして今仰せになりましたような心配のないようにしてもらいたいと思っております。そのときはぜひ一つ皆さんにおかれましても御尽力願いたいと思っております。
最後に、民事と刑事の問題でございますが、ちょっとそういう声を私も聞いたこともあるのですが、これは多分こういうようにお答えすれば御了解いただけるのではないかと思うのです。私、学者の立場で考えるのですが、確かに現在の訴訟は民事、刑事を分科させるというところに根本の思想がございますし、実にローマ法以来の法律制度の発達の歴史はそういうことでずっと来ているわけです。確かにおっしゃる通りでございまして、その点につきまして私は何ら異存はないのでございます。ただ、民事と刑事とが全然手続とか目的が違うということと、しかもそれがお互いに深い関連があるということとは別の問題でございまして、現在でも深い関連がある。たとえば、民法で親を養う義務を認める、同時に親を養わない者は刑法上遺棄罪にするということは、深い関連がある。民法に、詐欺をしたらその法律行為は取り消すことができる、そうして貸したものは返還請求できるとか、払ったものは取り返しができるという規定を置くと同時に、詐欺罪の規定を置くとかいうことがあるわけでして民事と刑事とはそういうふうに関連しているわけです。ですから、この家事事件の場合におきましては、この民事と刑事とは、やはり今でも手続なりあるいは目的は違うと思うのです。手続が違うといいますのは、刑事で犯人を刑務所へ入れるための手続と民事事件の手続とは違うと思います。けれども、家庭事件というものは相当切迫した場合が多いのでございます。何度も申し上げますように、普通の民事でやっておったのでは親がミイラになってしまうということでは困りますから、切迫した事情が多い家庭事件では、この二つの民事と刑事との事件の関連をなるべくやりやすいようにしてやる。そうして家庭裁判所で機に臨み変に応じて適切な手を打っていく。これをしなければ困るというので、こういうような規定があるわけです。たまたま同じ法律に書きましたために、ちょっとそういう印象を与えますけれども、別にこれはそういうローマ法以来の伝統である民事、刑事の分科というものを混乱させるような意味はこの改正には全くないというふうに考えられますので、そういう御心配の点はないと考えていいのではないかと私は思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/56
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057・菊地養之輔
○菊地委員 川島さんは、全般的な私の意見を聞いていただかなかったので、この点ははなはだ遺憾に思っておりますが、私どもは法案については白紙でございまして、しかも過料の制裁の問題も白紙でございます。これをどうしても維持しなくてはならないとか、あるいは反対するという立場をとっているのではございません。家庭裁判事件に国家の権力の作用するような過料制度なんというものを設けるよりも、ほかにいい方法がないかというので探求しているのです。先ほどあなたがおっしゃった簡易な執行、こういうものがいわゆる家庭裁判所事件に行われるというのは非常にけっこうなことです。こういう方法でいくべきじゃないか。これは午前中の参考人ともいろいろ話し合ったのですが、そうすれば過料なんという制裁規定を置かなくても済むのではないか。これは当然強制執行で、審判事件でも調停事件でも執行吏がおりますからやれるのですが、それを家事審判法として特別な簡易法をとったらどうか。私は今はまだ方法は考えていませんが、これは川島先生からいいヒントを与えて下さればいいと思うのですが、たとえば、調査官が、単に調査や何かにとどまらないで、進んで勧告をし、あるいは命令を出すのはよいけれども、請求をする、あるいはその金を受け取ってくるという、執達吏のああいう厳格な法でなくても、簡易な方法を調査官に与えてもいいんじゃないか。そうすれば裁判所法の一部改正でも可能なことになるのではないか、そういう方法はないかということを考えているのであります。決していわゆる家庭事件から起きた債務をおろそかにして確保に反対するものではないのでありまして、この点は一つ誤解のないようにお願いをしたいのであります。
そこで、どういう方法で簡易な執行方法をやっていくか、この法律の一部改正ができるかどうか、もし試案がございましたならば一つお話しを願いたいということと、第二としては、今御議論を承わったのでありますが、アメリカの例を引かれ、アメリカの人たちが、日本の法律は野蛮じゃないか、こういうことを言われて、アメリカの法制をたたえておられますけれども、これは違うのじゃないかと思う。アメリカと日本とは国情が違うのではないか。しかも日本は二千何年間か、いわゆる家族制度で来た国であります。家族制度がいいか悪いかはここで論じませんけれども、そうした長い伝統をつちかててきた国と、個人主義で育ったアメリカの家庭事件と同じにして考えるならば、非常なる誤まりを犯すことになるのではないか。いわゆる個人主義の立場が正しいとしましても、日本はまだ徹底したアメリカほどのところまで進んでおらない。従って家事審判法も、あるいは家庭におけるやころの事件のさばき方も、その制裁方法も違わなくちゃならぬ。かりに、あなたのおっしゃるように、日本のいわゆる調停事件、審判事件に対して監獄に入れるということになったらどうか。夫婦が別れる場合に、あるいは妻を監獄に入れる、夫を監獄に入れるというなら、それほどの問題は起きませんけれども、家庭事件というものは夫婦関係だけではありません。従って親と子が争ったり、兄弟姉妹が争ったという場合に、親を監獄に入れたら、今日の日本においてどうなりますか。将来個人主義が発達した場合は別問題としても、親を監獄に入れて、子供はてんとして恥じないか。兄弟を監獄に入れて、てんとして恥じないか。従って、日本の国情から見て、アメリカの法制をそのまま持ってこないのは野蛮だと論断することは誤まりではないか。いわゆる家族制度が崩壊していって新しい制度が生まれる過渡期にある日本の今日の家庭生活におきましては、独特のいわゆる家庭裁判、調停事件あるいは審判事件があっていいんじゃないか。アメリカの法律万能の方式をすぐ日本に持ってくるということは、非常に危険なものの考え方ではないかと思っている。従って、アメリカに野蛮な法律だと言われるのを川島先生が非常に恥かしいと思うということは、われわれには理解できない。アメリカの法制は非常に発達しているとおっしゃるかもしれませんけれども、その法制の発達の段階はその国の国情に沿うた行き方でなければならぬ。私は何も日本の家族制度を維持しなければならぬと言うのではなく、私は川島さんと同じように、日本の家族制度はもっと新しくならなければならぬという立場に立つのでありますが、今日の段階はそうなんであります。
そこで、日本の家庭状況から見てどの程度まで持っていったらいいか、いわゆる家庭事件、審判事件というものはどう持っていったらいいかという問題があると思うのであります。アメリカの法制をそのまま日本に持ってきて、すぐ日本の家庭生活が幸福になると私は思っておらぬのです。そういう点から考えて、この家事審判法による第一条の目的を達成するためには、国家の権力がなるべく入らない方がいいんじゃないか、これが私はいわゆる家事審判法の精神でもあると思う。親子ともにお互いの間で解決をつけるというところに本分があっていいんじゃないか。なるべくいわゆる国家権力というものは手控えておいた方がいいんじゃないかという観点を私は持っているのでありますが、その観点から言うて、いわゆる勧告をしたり調査をしたり、あるいはいろいろな方法をもって円満に解決することはいいけれども、親子、兄弟姉妹の間で、その一人が他の一人に対して過料の制裁を与えるというようなことになりますと、家庭生活が円満を欠くようになるんじゃないか。なるほど債務の確保はできても、いわゆる家庭裁判の目的であるところの家庭の平和というものはそのためにそこなわれるんじゃないか。従って、国家がこれに介入しないで、ほかの方法で話し合いの方法をとる。それができなかった場合には、やむを得ないから、いわゆる一般の民事裁判に許されている方法によって簡易な執行法をとったらいいんじゃないかということを今考えているのでありますが、一体どうしても過料の制度を許さなければ債務の確保の方法がないのであるか、ほかにいわゆる簡易な執行法というものをお考えになっておりますか。これに対しては、先ほど来申し上げました、この家事審判法を改正することによって、どこか一部分これにつけ加えることによって解決する方法がないのか、これを法律家としての、またその方の権威である川島先生にお願いしたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/57
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058・高橋禎一
○高橋委員長 この際委員各位に一言申し上げますが、参考人の方々は実は非常に御多忙のところをまげて御協力を願っているようなわけでありまして、特に予定の時間より非常におくれましたので、まことに恐縮をいたしているような次第でございますから、そういう趣旨において、御質問等もできるだけ簡明にお願いをいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/58
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059・川島武宜
○川島参考人 ただいま、私のもしも誤解しておりますところがございましたらお許しをいただきたいのですが、強制執行に賛成という御意見を伺いまして、私大へん嬉しく思います。私もぜひそういうふうにあってほしいと思いますことは、先ほど申し上げた通りなんでございますけれども、ただ、現在強制執行に関する委員会というものが法務省に設けられておりまして、やっている最中でございますので、いずれ必ず、強制執行の問題、民事訴訟法の方でも解決されまして、それと調子を合せてこの家事審判法の方にも家庭事件の執行方法の特別の規定を置かなければならないときが近い将来に来るんじゃないか、そういうので、家事審判の改正はその点だけはちょっとあと回しという話を聞いておりますので、私もそれまでしばらく待つほかはないと思っているというような程度でございましてそういう強制執行の規定を入れなければならぬというふうな御意見に対して、私も全く同感の意を表せざるを得ないのであります。
ただ、私がアメリカかぶれで、たいへん個人主義のことを言っているというふうにおっしゃいましたが、実は、私の申しますのは、そういう意味で申し上げたのではなく、こういう意味なんです。家庭事件に法律を入れなくちゃいかぬ。家庭事件でそういう金銭上の義務を果さぬ者をジェールに入れるのは個人主義の国だからとおっしゃいましたが、実はそうでなくて、私は逆でないかと思うのです。東洋では古くから、親を養わない者は、アメリカの程度に至らないまだ軽微のものでも、引っぱってきてむちでたたいたり刑務所に入れたり、相当きついわけです。それで、一体、親子でも夫婦でも兄弟でもみな同じなんですけれども、家庭事件で、何べんも申しますように非常に切迫した状態を作るわけです。手形債務とはちょっと違うわけですから、そういうものは時間的に非常に切迫した緊急な状態を作るものですから、そういう場合には法律が入らざるを得ない。ですから、そういう場合に法律が入ってきて、ある程度強制力を行使する。そうして刑務所に入れるというのもやむを得ない。ですから、さっき申しましたアメリカの例のごときほかに、日本にはもっと重い遺棄罪の規定があるのであります。あの遺棄罪の規定もけしからぬということになるのかどうか。また、自由党の憲法改正案によれば、親孝行の義務といいますか、孝養の義務を法律に書こうというような規定がありますが、これも法律が家庭の中に入るわけであります。要するに、問題は、法律がどの程度まで家庭の事件を書いて強制力を行使するか、あるいは刑罰を持ってくるかというのは、要するにその限度の問題。そうしますと、家庭関係における財産給付というのは、非常に緊急状態が起きて人命にもかかわる、あるいはパンパンになるかどうかというようなことが多いのでございますから、そういう場合には、私は法律が入るのは当然であると思う。現に日本では遺棄罪の規定があるのでありまして、アメリカの家庭裁判所がやる留置所にほうり込む程度の生やさしいものじゃない。アメリカのやっているのは刑が軽過ぎるとおっしゃるならわかるのですけれども、それが重過ぎると言うと、日本のはもっと重い。日本は遺棄罪があるのですから。これはアメリカが個人主義であるからそういうふうになったというようには考えません。個人主義かどうかということは関係ないのじゃないかと思うのですね。ですから、ただ私が申しました何が個人主義かというと、この点が個人主義なんです。日本では親子は認めておりますけれども、妻を遺棄した場合、夫を遺棄した場合、日本の法律は遺棄罪として処罰をしないのであります。それをアメリカ人が文句を言う。私はそれはやはり日本でも法律の規定を設くべきではないかということを申し上げたのでありまして、それ以外は現に法律の規定があるのです。ですから、その点は、私が個人主義とおっしゃられれば個人主義かもしれませんけれども、しかし、私はやはり、夫が妻を捨て、妻が夫を捨てるのも——それは相手方が生活能力がない場合でございます。そのために緊急状態に陥って、パンパンになるとか、あるいは餓死するとか、そういう緊急状態になった場合には、これは人命にかかわる一種の不作為犯に近い状態ですから、そういう場合には刑法上の犯罪になり得るのじゃないかと思う。私は、それは必ずしも個人主義でけしからぬ、日本の国体に反するというようなことではないのじゃないかと思います。
大体それでお答えになったかと思いますが、おそらく私の申し上げたのはあなたの御意見とそんなに違わないのじゃないかと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/59
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060・高橋禎一
○高橋委員長 川島参考人には御多忙のところを長時間にわたっていろいろ貴重な御意見を伺うことができまして、まことにありがとうございました。
次には参考人久保岩太郎君の御意見を承わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/60
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061・久保岩太郎
○久保参考人 久保岩太郎と申します。私に課せられましたのは、大体渉外事件に関する問題でお尋ねになるというようなことで承諾したわけなのでございますが、この問題に関しましては、外国人との関係で、日本に外国人がおる間に、扶養の義務を尽さないとか、あるいはごたごたを起しまして、離婚問題を起すとか、そういう場合にどうするかという問題に引き続きまして、さらに、向うへ帰ってしまった場合にどうするかという問題につきまして、その処置はどうしたらいいかというお尋ねがあるかと思ったのでございますが、そういう点でございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/61
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062・高橋禎一
○高橋委員長 そうでございます。国際法学者でいらっしゃる参考人のことでございますので、いわゆる家事事件の債務者が外国人である場合、あるいは逃亡し、あるいは帰国したというような場合に、いかにしてその履行を確保するか、こういうことを中心にして御意見を承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/62
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063・久保岩太郎
○久保参考人 これに関しましては、離婚したあとで、あるいは離婚中の扶養の問題として問題になることでありますが、いずれにいたしましても、日本におる間に被告、相手方たる夫がやったといたしますと、まず日本に裁判権があるかどうかという問題になりますが、その間は、原告の方が日本人であるという点から申しまして、裁判権のあることは、これは疑いないだろうと思います。そういうところで日本の裁判権がありますから、どこかの家庭裁判所に訴えを起し得る場合を入れまして、そうして離婚自体の問題はどうするかということになりますが、この点につきましては、法令の十六条の関係からいたしまして、夫の本国法によるということになりますから、たとえば、アメリカ人が夫である、あるいは朝鮮人が夫であるというような場合には、あるいはアメリカあるいは朝鮮の法律に従って審判なりあるいは調停をやっていくということになるわけであります。
それで、離婚自体の問題といたしましてはそれで片づきますが、離婚自体に附帯した問題といたしまして、離婚配偶者に対する扶養の問題あるいは慰謝料の問題、そういう問題が起ってくるだろうと思います。この問題につきましても、それはやはり法令第十六条の関係からいたしまして、夫の本国法によるということになるわけであります。この場合におきましては、とにかく被告が日本におるわけでありますから、日本人相手の場合と同じようにこれが財産ある限り実際上取れるということになると思います。
ところが、ひとたび日本を出てしまいますと、これは日本の家庭裁判所ではもういかんともすることができないような状態になってくるわけでございます。向うでこれを認めて執行してくれるということになればともかくでありますが、現在の状態といたしましては、各国がそれぞれ自国の法律によって扶養、損害賠償あるいは慰謝料というような問題を処理しておる限り、これは実行至ってむずかしいというわけでございます。これは現在の法律状態においてはやむを得ない状態だ、これは悲しむべき状態ですが、やむを得ない次第であります。
それから、離婚に至る前の問題としては、夫が日本人たる妻に対しまして扶養をしないという場合、この場合におきましても、前に申したのと同じように、やはり国籍とか住所とかの関係からいたしまして、日本の裁判所に裁判権のあることは明らかでありますから、前と大体同じような方法によって救済をなし得るというわけでございます。しかし、ひとたび向うへ渡ってしまいますと、これはさき申しましたのとほとんど同じような状態で、至って困難になるという都合でございます。
大体こういうことになります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/63
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064・佐竹晴記
○佐竹(晴)委員 何か国際的に互いに救助し合う方法はないものでありましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/64
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065・久保岩太郎
○久保参考人 現在においてはありません。ですから、いたし方ないと思います。ただし、全国連の方で、そういう互いの扶助につきまして協力しようということにつきまして条約案なんかができておるようでございます。もしそれができますと、この条約によってある程度の実現はできるだろう、こういう希望がありまして、条約ができることを衷心から希望しておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/65
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066・高橋禎一
○高橋委員長 それでは、久保参考人にはまことにありがとうございました。
次に参考人村岡花子君の御意見を伺うことにいたします。村岡参考人は御婦人であり、社会評論家でいらっしゃいますし、また身の上相談等についても非常に御活躍なさったように承わっておりますので、そういう立場、特に御婦人の立場に立って、本法案についての御意見を承わることにいたします。どうぞよろしく。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/66
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067・村岡花子
○村岡参考人 私は、家事審判法というものがあることを認め、もちろん認めますけれども、それを大へんにいいことだと考えているその根底の上で、今度のこの家事審判法の一部を改正することを考えて、それに賛成するものでございます。そして、先ほど、法律家であり、また実際に調停のことにも携わっておられます実際家であり、そういう意味からは非常に現実の問題をつかみつつなお理想を持っていられるところの川島参考人からるるお述べになりましたことの全部に私は賛成するということを述べまして、もうそれを繰り返す必要はないと思います。繰り返しません。
ただ、私が申したいことは、今も身の上相談ということが出ましたが、どの新聞にも身の上相談の欄というものがございます。そして、あの身の上相談というものは、身の上相談をする必要のない人たちは、あれは読みものなのだ、それからまた創作なのだ、こういうことを言う人々もございます。けれども、実際に身の上相談というものに当っている者たちから見ますと、その相談というものは、決して新聞に載せられますあの短くなっております、しかも非常に要領よくまとまっているものではなくして、大へんに長いもので、あとさきもわからないように、読むこともできないほどにへたな字で書いてある場合が多くございますし、もちろんそれは新聞社が整理してよこすものでございますけれども、ああいうものをたくさん読んでおりますと、いかに日本の国に——どこの国でも同じごとでしょうけれども、国会の皆様たちが代表して立っていて下さる日本の国の家族、そしてまた私たちが皆様方を私どもの代表として国会にお送りしております私ども家族たちの間に、どんなに生活問題があるか、家族関係においてどんなに悩みがあり、そのためにどうにもならない中に入っているか、こういうことが如実に感じられるのでございます。私は少しずつそういうものに相談をしておりますときに、たびたび家庭裁判所にこれを持って行きなさいということを申します。あなたの住んでいるところの近くの家庭裁判所にこの問題を持って行きなさい、それにはこうすればいいといって、その方法を教えますけれども、教えながら私の思いますことは、私自身もある期間この家庭裁判所の調停委員をしており、そしてその間に感じましたことを思い返して私自身がそういうことを勧めながら持っております不安は、果してこの人のこの悩みがこれで解決できるのだろうか、夫は女狂いをしていて全然生活を見てくれない、子供と自分が家の生活を支えている、こういう人はずいぶんだくさんございます。もちろん悪い妻もございますけれども、そういうような悪い夫もございます。どうにもならないときに、家庭裁判所に持って行きなさい、あるいは、ある場合には、もう仕方がない、離婚するよりほかないから、離婚ができるように家庭裁判所に行きなさい、そうすれば離婚後のあなたの生活問題についても考えてくれるでしょうと言いますけれども、果してどういうものなんだろうか、私は、ほんとうに申しわけないことですけれども、法律に対しての危惧を抱く次第でございます。もう少し何とかならなければ、きまることはきまりますけれども、きめられたことが実行されないことの不安が多いのであります。そういう意味で、私は、今度のこの改正案というものは、この程度のことは家事審判法においてなすべきことである、こういうふうに思うのでございます。
同時に、私、必要だと思いますことは、身の上相談のように、ああいうようなもので、ほんとうに何というか、部分的なことによって日本の国のいろいろな家族の問題を解決しようとする人たちがこんなに多いということは嘆かわしいことであって、ほんとうにちゃんと組織された家庭問題相談所、結婚相談所というものが日本にもあっていいはずだと思うのでございます。そういうものがこの家庭裁判所と並行して、家庭裁判所に行く前に、そういう相談所においてその問題がいろいろの角度から、——医学的に考えなければならない場合もあり、心理的に考えなければならないときもございます。いろいろな角度からそういう問題が考えられて、そうして家庭裁判所に持って行かなくてもよい、離婚にまで行かなくてもよい、親子の方の問題も解決されていく、こういうことが、ただ部分的に何か一つの案を出すということだけではなく、もっと組織的な相談所の組織というか、仕組みというものができるはずだということを考え、それを心から希望しながら、私ども家庭の婦人の立場からこういうような法律の改正の行われますことを心から望むものでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/67
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068・高橋禎一
○高橋委員長 質疑がございますか。——御質疑がないようでありますから、村岡参考人からの御意見を伺うことはこれで終ります。
村岡参考人には御多用中まことにありがとうございました。お礼を申し上存ます。
それでは、参考人からの意見の聴取はこれをもって全部終了いたしました。
本日はこれにて散会いたします。
午後三時四十九分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405206X00519560210/68
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