1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十二年四月二十三日(火曜日)
午前十一時十二分開議
出席委員
委員長 三田村武夫君
理事 池田 清志君 理事 福井 盛太君
理事 横井 太郎君 理事 猪俣 浩三君
理事 菊地養之輔君
犬養 健君 小島 徹三君
小林かなえ君 花村 四郎君
林 博君 松永 東君
山口 好一君 横川 重次君
神近 市子君 古屋 貞雄君
出席国務大臣
法 務 大 臣 中村 梅吉君
出席政府委員
法制局長官 林 修三君
検 事
(法制局第二部
長) 野木 新一君
検 事
(大臣官房調査
課長) 位野木益雄君
委員外の出席者
最高裁判所事務
総長 五鬼上堅磐君
判 事
(最高裁判所事
務総局総務局
長) 關根 小郷君
判 事
(最高裁判所事
務総局総務局総
務課長) 海部 安昌君
判 事
(最高裁判所事
務総局人事局
長) 鈴木 忠一君
判 事
(最高裁判所事
務総局刑事局
長) 江里口清雄君
専 門 員 小木 貞一君
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四月二十二日
委員吉田賢一君辞任につき、その補欠として西
村榮一君が議長の指名で委員に選任された。
同月二十三日
委員安平鹿一君辞任につき、その補欠として古
屋貞雄君が議長の指名で委員に選任された。
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四月二十二日
刑法の一部を改正する法律案(鈴木茂三郎君外
十二名提出、衆法第二七号)
の審査を本委員会に付託された。
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本日の会議に付した案件
裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する
法律案(内閣提出第八六号)
検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する
法律案(内閣提出第八七号)
裁判所法等の一部を改正する法律案(内閣提出
第八九号)
―――――――――――――発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/0
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001・三田村武夫
○三田村委員長 これより法務委員会を開会いたします。
裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律案及び検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する法律案の両案を一括議題といたします。
この際、両法律案に対する自由民主党、日本社会党町党共同提案にかかる修正案が提出されております。この修正案は委員各位のお手元に配付してありますので、これより直ちに両法律案に対するそれぞれの修正案の趣旨説明を求めます。福井盛太君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/1
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002・福井盛太
○福井(盛)委員 それでは私から御説明申し上げたいと存じます。
まず、裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律案の一部修正の案文を申し上げます。
裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律案に対する修正案
裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律案の一部を次のように修正する。
附則第一項を次のように改める。
1 この法律は、公布の日から施行し、昭和三十二年四月一日から適用する。
附則第二項に後段として次のように加える。
同日以後この法律の施行の日までの間に改正前の別表に掲げる二号から十一号までの報酬を受けるに至った判事補及び六号から十九号までの報酬を受けるに至った簡易裁判所判事のその受けるに至つた日における号についても、同様である。
附則に次の一項を加える。
3 裁判官が昭和三十二年四月一日以後の分としてすでに支給を受けた報酬その他の給与は、この法律による報酬その他の給与の内払とみなす。
次に、この修正案の提案理由を御説明いたします。
附則第一項において、政府原案は、「本年四月一日から施行する。」となっておりますが、本案の成立がおくれました関係上、これを「公布の日から施行し、本年四月一日から適用する。」と改める必要があります。従いまして、裁判官の報酬その他の給与で、四月一日以降の分としてすでに支給したものは、本法による報酬その他の給与の内払いとみなす必要がありますので、新たに附則第三項の規定を置いたわけであります。
なお、附則第二百項の後段に新しい規定を設けました理由は、四月一日以後本改正案成立の日までの間において新規に採用せられた裁判行の給与については、その採用の日に遡及して本法を適用すべきであると考えた次第であります。
次に、検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する法律案の一部修正の一案文を申し上げます。
検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する法律案に対する修正案
検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する法律案の一部を次のように修一正する。
第三条第一項の改正規定の次に次のように加える。
第四条中「及び勤務地手当」を削る。
別表の改正規定中「七三、〇〇〇円」を「七五、〇〇〇円」に改める。
附則第一項を次のように改める。
1 この法律は、公布の日から施行し、昭和三十二年四月一日から適用する。
附則第三項に後段として次のように加える。
同日以後この法律の施行の日までの間に改正前の別表に掲げる八号から十八号までの俸給を受けるに至った検事及び二号から十四号までの俸給を受けるに至った副検事のその受けるに至った日における号についても、同様である。
附則第二項の表中「昭和三十三年三月三十一日における」を「改正前の別表による」に、「昭和三十二年四月一日における」を「改正後の別表による」に改める。
附則に次の三項を加える。
3 検察官には、当分の間、一般官吏の例に準じて法務大臣が大蔵大臣と協議して定めるところにより、暫定手当を支給する。
4 前項の規定により検察官に暫定手当が支給される間、改正後の第四条中「扶養手当」とあるのは「扶養手当及び暫定手当」と読み替えて、同条の規定を適用する。
5 検察官か昭和三十二年四月一日以後の分としてすでに支給を受けた俸給その他の給与は、この法律による俸給その他の給与の内払とみなす。
以上の通りであります。
次に、この修正案の提案理由を御説明いたします。
まず、検察官の俸給月額の別表中、次長検事と、東京高等検察庁検事長を除くその他の検事長との分、七万三千円を七万五千円に修正いたしましたのは、下位にある検事が、本案第二条の二によって年功加俸を受けることとなりますと、上位にある次長検事及び右検事長の俸給月額を越える給与を受ける不合理な結果を生じ、はなはだしく均衡を失することとなりますので、これを是正いたしたわけであります。
次に、一般職の職員の給与の例に準じ、勤務地手当の廃止、暫定手当の支給について、所要の修正をいたし、かつ、裁判官の給与と同様に、本年四月一日より適用し得る等の手当をいたした次第であります。
以上の通りであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/2
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003・三田村武夫
○三田村委員長 以上で両法律案に対する修正案の趣旨説明は終りました。
質疑はありませんか。――なければ、この際委員長より一言政府並びに裁判所当局にお尋ねいたします。
ただいまの修正案並びに両法案の施行に伴う予算措置についてどのようにお考えになっておりますか、この際伺っておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/3
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004・中村梅吉
○中村国務大臣 法務省関係といたしましては、すでに法務省所管の給与総額の範囲内においてまかない得る程度でございますので、予算には格別影響はございませんから、その旨を申し上げておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/4
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005・三田村武夫
○三田村委員長 次に裁判所当局にお尋ねいたしますが、司法修習生の給与はどのようになっておりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/5
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006・五鬼上堅磐
○五鬼上最高裁判所説明員 司法修習生の給与は、裁判官の報酬に関する法律の前の法律、裁判官の報酬等の応急措置に関する法律というのがございますが、その法律が廃止になるときに、ただし悪きがございまして、司法修習生の受ける給与についてはなお従前の例によるというので、ルールによってずっとベース・アップごとに改正いたしております。従って、今回もルールによりまして司法修習生の方も月額一万二千八百五十円と改められることになります。
なお、この法案の修正に関しまして、裁判所側として一言希望を述べさせていただきたいと思います。と申しますのは、裁判官及び検察官に関する報酬は、当委員会で議決されて以来、裁判官の報酬等に関する法律第十条によりまして、一般行政官がベース・アップしたときにはそれにスライドするということになっておりまして、裁判官の報酬がスライドすると同時に、検察官の報酬も同様にスライドされて参りました。そこで、最初二十三年七月この法律ができる当時におきます二十九百二十円ベースにおいては、簡単にするために高裁長官と検事長の問題だけに限定しますが、東京高裁長官が一万九千円であり、その他の高裁長官が二万八千円、それから東京高検の検事長が二方八千円、その他の検事長が一万七千円、その次に六千三百七円ベースになった二十三年二月においては、東京の高裁長官が三万四百円、検事長が二方八千八百円、その他の高裁長官が二万八千八百円、その他の検事長が二万七千二百円となっておりまして、さらに今度は二十七年の十二月の一万二千八百二十円ベースの場合において、東京高裁長官八万二千円、その他の高裁長官が七万八千円、東京高検の検事長が七万八千円、その他の検事長が七万三千円と改正されまして現在に至っておるのであります。その間二回ばかり据え置きになったことがございましたが、とにかくかような比率でもって今日まで至っておるのであります。そこで、今日は検事長のうち、その他の検事長――次長検事以下その他の検事長の七万三千円を七万五千円にするについては、裁判所側としては、その他の高裁長官との比率上、どうしても二千円上げてもらいたいという希望を政府の方に申し上げたのでありますが、いろいろな事情からその他の高裁長官等の修正をするということはなかなか困難な事情を承わりましたので、私どもといたしましては、なるほど今回の俸給改訂によりまして検事正に年功加俸がつくために七万三千円の上の検事長をオーバーすることはいかにも不合理である、その他いろいろ裁判所側にも不合理がございますが、最も不合理なところはその点であろうということを考えまして、この点だけはやむを得ないであろうからして、今回は裁判所側としてはその他の高裁長官について同率の二千円のベース・アップは要求いたしませんが、この点については、政府側にも私どもは申し入れをいたしまして、その次のいわゆる東京高裁長官その他の高裁長官及び検事長その他一般認証官のベース・アップの場合においては、今国二千円上らなかったというところの点を御考慮に入れてこの次の給与改訂に臨んでもらいたいということを要望いたしたのでありますが、なお、当委員会に対しても、ぜひこの点は最初から当委員会においてお定め下された比率を保たれるようにお願いいたしたいと思う次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/6
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007・中村梅吉
○中村国務大臣 政府といたしましては、ただいま正鬼上最高裁判所事務総長から述べられました趣旨を体しまして、今後裁判官の報酬等に関する法律を改正する機会におきまして十分検訂して参りたいと考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/7
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008・三田村武夫
○三田村委員長 他に御質疑がなければ、これより両法律案に対する討論に入りますが、討論の通告がありませんので、直ちに採決に入ります。
まず、裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律案を修正案通り修正議決するに賛成の諸君の起立を求めます。
〔総員起立〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/8
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009・三田村武夫
○三田村委員長 起立総員。よって、本案は修正案通り修正議決せられました。
次に、検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する法律案を修正案通り修正議決するに賛成の諸君の起立を求めます。
〔総員起立〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/9
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010・三田村武夫
○三田村委員長 起立総員。よって、検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する法律案は修正案通り修正議決せられました。
次に、ただいま議決せられました裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律案並びに検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する法律案の両案に対し附帯決議を付すべしとの動議が菊地養之輔君より提出されております。趣旨説明を求めます。菊地養之輔君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/10
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011・菊地養之輔
○菊地委員 この際裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律案及び検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する法律案に対する附帯決議案を提出いたしたいと存じます。
まず、決議案を朗読いたします。
附帯決議
高等裁判所長官、検事長並びに裁判所長、検事正その他経験年数等においてこれらの者に準ずる裁判官及び検察官の給与は、一般行政官の上位者に対する給与改善が行われた関係上、これと比較するときは、著しく均衡を失するに至ったものと思料せられる。
政府は、司法の使命の重要性にかんがみ、速かにこれを是正する措置を講ずべきである。
右決議する。
次に、附帯決議案についてその趣旨を御説明申し上げます。
裁判官及び検察官の給与は、司法の使命の重要性にかんがみまして、裁判官の報酬等に関する法律及び検察官の俸給等に関する法律が立法されました当時には、一般行政官より有利に定められていたのでございます。しかるに、その後一般行政官の上位者については、職務の級の引き上げ、あるいはいわゆる管理職手当の支給等が行われたのに対し、裁判官及び検察官に対しては、一般行政官と同じくいわゆるベース・アップが行われたにすぎず、しかも、認証官たる裁判官及び検察官については、ベース・アップの際もしばしば報酬または俸給の据え置きが行われましたため、高等裁判所長官、検事長並びに裁判所長、検事正その他これらの者に準ずる裁判官及び検察官は、その職務と責任が特に重要なものであり、また在職年数においても一般行政官の上位者のそれよりはるかに長いのにもかかわらずその給与を比較するときは著しく均衡を失するに至ったのでございます。このようなことは、司法の使命の重要性と、この部門に人材を得るという見地から見ても不当であり、また両法律制定当時の考え方にも反するものと思われますので、政府に対し、すみやかにこれを是正する措置を講ずるよう附帯決議案を提出する次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/11
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012・三田村武夫
○三田村委員長 以上で趣旨説明は終りました。それでは、本動議について採決いたします。
本動議に賛成の諸君の起立を求めます。
〔総員起立〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/12
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013・三田村武夫
○三田村委員長 起立総員。よって、動議の通り両法律案に附帯決議を付することに決しました。
なお、ただいま議決されました両法案律の委員会報告書の作成及び附帯決議の送付等につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼、ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/13
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014・三田村武夫
○三田村委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。
―――――――――――――発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/14
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015・三田村武夫
○三田村委員長 次に、裁判所法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。
質疑の通告がありますので、これを許します。猪俣浩三君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/15
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016・猪俣浩三
○猪俣委員 これは裁判所の事務当局にお尋ねいたします。どなたでもお答え願いたいと思います。
最高裁判所の判事を三十名に増員することについての予算関係、その給与においてどの程度増額され、あるいはまた三十名で法廷を作る場合において設備の改善というようなことがどういうふうになるのであるか、三十名の最高裁判所判事が大法廷を組織して審査をするということについて法廷の改造を必要とするのかしないのか、改造を必要とするならばどういうことになるのか、あるいは五人の小法廷が六つもできる場合に法廷はどういうことになるのか、そういう給与の面あるいは法廷改造その他の面についてどういう予算措置が必要であるか、もし大体の見積りがありましたら、御意見を承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/16
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017・五鬼上堅磐
○五鬼上最高裁判所説明員 ただいまの猪俣委員の御質疑に対して、最高裁判所の、現在の裁判官と同じような国民審査に付される裁判官が三十名に増員されることに伴う人件費及びこれに伴う施設費等については、実は私の方の経理局の方において計算をいたさせておりましたのですが、ちょっと今私のところに届いておりませんから、数字は後ほど資料として提出いたしたいと思います。もちろん、法廷の増設等、その他いろいろな方面に相当の金額は計上されなければならぬと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/17
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018・猪俣浩三
○猪俣委員 なお、これは事務当局で御答弁ができるかどうかわかりませんが、御答弁できたらしていただきたいと思います。
この政府提案の原案にもありますが、最高裁判所の裁判官の任命については別に定める諮問審議会に諮問するような規定がありますが、こういう審議会の大体の構造がわかっておらぬのであります。これは提案者である法務大臣かもしれませんが、どういう構想でこういう任命に関する諮問的な審議会をお持ちになるのであるか、その大体の構想を御説明願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/18
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019・位野木益雄
○位野木政府委員 裁判官任命諮問審議会は、法律案では、裁判官、検察官、弁護士及び学識経験のある者の中から任命するということだけが規定されておりまして、裁判官が何人とか、検察官が何人とかというようなことまでは、政令できめるということで、法律にきまっておりません。で、政府の方でもまだ確定案は持っておらないのでありますが、当法務委員会の御審議等によりまして御意見などを承わりましてから、法律制定後に確定案を作りたいというように考えております。ただ、法制審議会等におきましてはこの点についても種々意見が出ましたので、御参考までにここで申し上げておきますと、いろんな案が出たのであります。
まず、案が出ました順序によりまして申し上げますと、初めに日本弁護士連合会の方から法務大臣の方に建議書が来たことがあります。これは昭和三十年の十二月であります。その案によりますと、衆議院議長、参議院議長、最高裁長官、日弁連会長、検事総長、判事四人――これは最高裁が推薦する者、検事二人――これは検事総長が推薦する者、弁護士七人――これは日本弁護士連合会の推薦する者、それから学識経験者五人、うち二人は大学の法律学の教授。それから、判事四人、検事二人、弁護士七人、学識経験者五人については任期三年とする。合計二十三人というふうな内容の案であります。これは法制審議会でも日本弁護士連合会事務総長の佐藤さんから御紹介があったのでありますが、日本弁護士連合会では、現在の段階ではこの案に別に固執しておらないというような御説明がありました。
それから、その次の案といたしましては、法制審議会に出た案をだれが出したかというようなことを申し上げないで申し上げますと、十二人という案がございます。裁判官三人、検察官三人、弁護士三人、学識経験者三人というのが一つの案です。それから、もう一つの案は、裁判官二人、検察官一人、弁護士一人、学識経験者三人、合計七人くらいがいいのじゃないかという案もございます。
それから、この内容につきましてはいろいろの意見がありました。最高裁長官を中に入れるかどうかというような点でずいぶん意見が分れておりましたが、いずれにいたしましても、法制審議会では、比較的少数の構成員で構成すべきであるというふうな意見が強かったのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/19
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020・猪俣浩三
○猪俣委員 今の委員会でありますが、これは片山内閣のときにさような委員会に諮問されて判事というものを任命したと思うのでありますが、それが吉田内閣になってから廃止された。そこで、何か廃止しなければならぬ不都合があったのかどうか、さようなことをここに御出席の政府委員の方が御存じであるかどうか、古い方は御存じだろうと思うが、何かあの片山内閣時代にやったのが不都合なことがあってやめたのかどうか、それは非常に参考になることじゃないかと思うのですが、もし御存じの方がありましたら、承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/20
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021・位野木益雄
○位野木政府委員 御指摘の通り、裁判所法制定当時には裁判官任命諮問委員会の制度がございましたが、昭和二十三年の法律によりまして、この制度が廃止になったわけであります。この廃止の理由は、当時の提案理由によりますと、こういうことになっております。この制度の実績に徴すると、この方式は形式に流れ過ぎて所期の効果は得られないといううらみがある、かつ指名及び任命に対する責任の所在を不明確ならしめるおそれがある、内閣が裁判官の指名または任命について諮問するかどうか、諮問するとすれば何人に諮問すべきか等の点は一切内閣の自由裁量にまかせる、そのかわり指名または任命に関しては内閣が一切の責任を負う、こういうような説明になっておりますが、要するに、この場合には、最初のことで、一時に全員を選任しなければならないという特殊な事情もあったかもしれません。それから、もう一つ、こういう事情もあったかと思います。裁判官を選出する委員を裁判官の中から選挙するというような、制度的にちょっと今から考えるとどうかと思われるような理由もあったせいもあったかと思いますが、実際の初めの趣用について必ずしも効果が上らなかった、むしろ批判の方が多かったというふうなことが、直接の廃止の動機になったのじゃないかというふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/21
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022・猪俣浩三
○猪俣委員 これも裁判官当局あるいは法務当局どなたでもお答え願いたいと思うのですが、自民党の修正案及び社会党の修正案として一致いたしておりますことは、刑事事件の上告理由を拡大して法令違反を加えることであります。政府の提案におきましても、「判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があって原判決を破棄しなければ著しく正義に反することを理由とするとき」とあるのですが、自民党でも社会党でも「著しく正義に反することを理由とするとき」というものを削ってしまったわけです。そこで、これが実際問題としてどういう違いができてきて、もし当局としては都合の悪い点があるなら、どういうところ、そういう点につきまして御説明願いたいと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/22
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023・五鬼上堅磐
○五鬼上最高裁判所説明員 幸いここに江里口刑事局長が参っておりますから、御答弁いたさせます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/23
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024・江里口清雄
○江里口最高裁判所説明員 原案では、「判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があって原判決を破棄しなければ著しく正義に反する」、こういうふうに相なっておりまして、「著しく正義に反する」というのは、ただ単に正義に反するというのみでありますと、いやしくも法令違反がありますれば、法律的正義反するということに相なりまして、しぼりになりませんので、「著しく正義に反する」ということにいたしておるのでございます。
法令違反はあるが著しく正義に反しないというふうで判決が破棄にならなかった事例等を二、三あげてみますと、密輸事件で没収がたくさんあったわけでございますが、その中に没収すべからざる、密輸に関係のない軽微な帽子が一個あった。これは没収すべきものではありませんが、非常に軽微である。従って、その程度のものは著しく正義に反しないということで、原判決が維持されたものであります。また、累犯、で仮釈放中の犯罪で、累犯としては二犯であるという場合に、それを犯として原判決で取り扱った。それで、二犯と三犯はいずれも拡張する場合においては法定刑が倍加されるわけでありまして、著しく正義に反しないということで、これも破棄しなかったわけであります。また、刑を加重する場合に、刑法十四条の範囲内で加重する。従って、たとえば懲役二十年の限度しか加重できないという場合に、その十四条を落したというような場合におきまして、これは著しく正義に反しないというふうに判決したのもございます。
そういうことで、「著しく正義に反する」というふうにしぼらなければならない理由は、著しく正義に反しないような軽微な法令違反がありますと、これを一々破棄いたしましても、ほとんど原判決主文と同一の刑の言い渡しをするような場合が非常に多い。従って、一々これを調査して判断する必要あるいは実益がないではないか。最高裁の判事が原判決と同じ判決主文を言い渡す程度の軽微な法令違反をただすようなことは最高裁の判事の職務とするには当らないではなかろうか。そういう小さい法令違反等をただすような職務には見識の高い裁判官を充てる必要はないのじゃないか。それから、一一そういう軽微な判断を示す必要があるといたしますと、事務の負担量から見まして、非常に多くなりまして、刑事だけでも六部あるいは七部、少くとも三十人以上の判事が必要ではないかというふうに思われるのであります。その判事の給源は、結局、第一審判事であります者から充てられることになるんではないか。そういたしますと、第一審が非常に弱体になるということに相なるわけでございます。また、訴訟の全体の体系から見てもおかしいのであります。と申しますのは、原判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反というのは、控訴理由として定められておるものでありまして、控訴理由と上告理由と同じ範囲で法律審を二度重ねるということは、これは上訴の体系としては不必要に思われます。
要しますに、上告の範囲をできるだけ広げるということは、それ自体人権の保障を手厚くするわけでございますので、一がいに反対するわけではございませんが、それによりまして人権を保護することに役立つかどうか、あまり実質的な意味はないんではないか。また、それだけ裁判官を充てるだけの余力があるかどうか、余力がないんじゃないか。かえって第一審を軽くして弊害面が多くなるのではないかというふうに思われるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/24
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025・猪俣浩三
○猪俣委員 「著しく正義に反する」ということにしなければならない理由のうち、たとえば法務委員会の社会党、自民党が考えております修正案のようにすると、著しく事件がふえてきて、三十名も判事が必要だと言うんですが、これは意見の相違でございますが、私どもから言わせれば、ずいぶん意見がある。あなた方が、しぼるということ、事務的のことから考えて事を処理なさるということについては、われわれ異論があるのですが、それはさておいて、実際問題として三十人もふやさなければどうにもこうにもならぬということになってくると、これは実際上の問題として考えなければならぬ。
そこで、その根拠ですが、今あなたの御説明を聞くと、法令違反はみんな正義に反するんだ、――これはいい。それで著しいというものをつけた、著しい法令違反にしないという判事が三十人も必要になってくると言われるのですが、それがちょっと私どもには納得いかぬ。「著しく正義に反する」ということ、この著しいをつけないと、三十人もふやさなければならぬほど事件が多くなるということ自体に対しても、どうも納得がいかぬのです。理想から言えば、最高裁判所は最後に国民の権利義務、人間の運命を決する場所であるがゆえに、いやしくも法令に違反するようなことを下級審でやっておったら、どんなにささいなものでも取り上げなければならぬ。最高裁に行ったらそれが是正されるという、最高裁に対する最後の願いを国民は持っておる。まだ最高裁があるんだ、――あの八海事件の映画の説明ではありませんけれども、最高裁判所というものはそういうことで重きがあると思うのです。そんなちっぽけな法令違反などはいいじゃないかという建前はいけないと思う。その建前については私ども異論がありますが、「著しく正義に反する」としないとなれ、ばそんなに急に事件がふえるものだろうか、そこがちょっと私どもはわからないのですが、もう少し具体的に資料的にお示しがありませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/25
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026・江里口清雄
○江里口最高裁判所説明員 「著しく正義に反する」という点ですが、法令違反を入れましても、事件はそれほどふえない。現に法令違反は軽微なものでも上告の申し立てがあっておりますので、事件はそれほどふえないわけであります。しかし、その中には非常に軽微な法令違反の主張がありまして、著しく正義に反しないで、原判決の主文あるいは理由の重大なところに別に影響を及ぼさない、従って、破棄いたしましても、原判決と同じ判決をするというような事件が相当あるのであります。こういうような事件は、たとえ上告に主張のような法令違反がありましても、それが着しく正義に反しない、原判決の主文には影響がないというような場合におきましては、その主張だけを見てこれを棄却することができるわけでございますが、「著しく正義に反する」というしぼりがございませんと、それを一々判断をいたしまして、判決で破棄をして、そうして同じ判決をする。その間の記録の審査あるいは判断を示す判決を書くという点に実質な負担が非常にふえて参るわけでございます。この点で裁判官が非常に人員の増加を必要とするというふうに考えるわけでございます。
著しく正義に反しないということで破棄にならなかった事例を二、三申し上げてみますと、これは判例集に載っておる事件でございますが、たとえば窃盗の事件、他人の家に入って窃盗したという争件の起訴があったのでございます。ただこの事件が住居侵入は訴因の中に入っておらなかった。罰条が起訴状に掲げられておらなかった。従って、これは起訴の範囲ではなかった。しかし、事情としては、住居に侵入して窃盗したということが起訴事実に書いてあったのでございます。訴因としては窃盗だけの起訴でありますが、この判決で、住居侵入、窃盗を一つの牽連犯と認めまして、有罪の判決、刑を言い渡したのでございますが、その場合において、上告理由といたしまして、窃盗だけが起訴されておる、住居侵入は起訴されておらない、それを住居侵入まで認めたのは判決に影響を及ぼす明らかな法令違反であるということで上告になったのであります。それはもちろん判決に影響を及ぼすべき法令違反ではございますが、刑も妥当であるということから、破棄するに当らないということで、棄却になったものでございます。また、判決書に判事の契印を押すことになっておりますが、この契印が落ちておったということが上告理由になった。これは確かに法令違反ではございますが、契印を落しただけで、原判決が著しく正義に反することに当らないということで、棄却になっております。また、控訴審で被告人と弁護人と双方が控訴趣意書を出しておった。原判決では弁護人だけの控訴趣意書について判断を下しておる。被告人の控訴趣意書について判断をしておらなかった。しかし、実質的にはその市件では被告人の控訴趣意に掲げられておる事項はすべて弁護人の控訴趣意に掲げられておる。従って、弁護人の控訴趣意について全部判断をしておれば、被告人の控訴趣意について別に判断しなくても、これは原判決に影響を及ぼさないということで、破棄しなかった例もあるのでございます。また、酒税法の事件で罰金三千円という判決をした。ところが、これは三つの犯罪事実があって、各千円ずつ罰金に処するという判決であるべきであった。しかし、全体としては合せて一本の主文で三千円を言い渡した。これは著しく正義に反しないというような判決で棄却になっておったのでございます。
以上申し上げたような事案は、確かに原判決に影響を及ぼす明らかな法令違反ではございますが、しかし、破棄しなければ著しく正義に反するとは言えない。これは主張だけで棄却、破棄するに当らないということで処理ができるわけでございますが、著しく正義に反するというしぼりがかかっておりませんと、これを一々判決で詳細に判断いたしまして、しかも原判決と主文は同じような判決をすると、それは、他に弊害がなければ、それだけの手厚い審理をすること、あるいは判決をすることもけっこうとは思えますが、二審あるいは一審を手薄くしてまで形式的なことをする必要があるかどうかということになりますと、そこまでする必要はないのじゃないかというふうに考えるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/26
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027・猪俣浩三
○猪俣委員 それは御意見として承わっておきます。
それから、これも自民党、社会党のほぼ意見は一致しておりますが、まだ具体的にはきまっておりませんことは、控訴審を継続審にするということでございます。控訴審を継続審にするということは、私どもは、理論から言えば当然のことで、在野の実務家としては、これはどうしてもそうしなければならぬと考えておりますが、裁判所の側としては、これに対してどういう影響があるということでありますか。そういうことに対しての御意見を承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/27
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028・江里口清雄
○江里口最高裁判所説明員 控訴審を継続審にするということも、それ自体は人権の保護を手厚くするゆえんでございますので、しいて反対するわけではございませんが、それで実質的な保護になるか、あるいは弊害面はないかという点から、やはりこれも反対せざるを得ないのであります。と申しますのは、現在、原則として事後審にはなっておりますが、必要なものは事実審理がなされておるわけであります。その数は、統計的には控訴審の事件の一四、五%は事実審理がなされておるわけでございまして、大審当時、事実審理も、これは上告審でなされておったのでありますが、これはわずかに一、六%、百人のうち一人半強が事実審理があったわけでございますが、現在の控訴審では一四、五%百人に十四、五人の者が事実審理を受けておるのでございまして、裁判所といたしましては、控訴の趣意を見て、事実審理が必要であると思われるものは、大体事実審理を現在ではやっておるのであります。過去においては事実審理が足りなかったという点もあったかと思いますが、最近、一審の無罪を二審で有罪にするという場合には、これは事実審理をすべきである、また、二審で一審の刑を重くするという場合、あるいは執行猶予を実刑にするというような場合におきましては事実審理をすべきであるというような最高裁判所の判例も出ておりまして、今後こういうような事件はすべて事実審理がなされるわけでございます。で、全部について継続審にするということにいたしますと、事実審理を二審において全部重ねなければならない。それでは控訴審に非常に多数の判事を必要とするというわけでございまして、ひいては第一審を弱体ならしめるというふうに相なるのではないか。刑事におきましては、何と申しましても事実の認定と刑の最定が一番大半でございまして、この事実の認定と刑の量定は決定的と言うていいくらい第一審できまっているのでございます。数量的に申しますと、控訴率は現在では一六%でございまして、控訴審での破棄率は二四%でございます。百人のうち八十四人までは一審で確定し、十六人の控訴で二四%、約四分の一が破棄されている。従って、百人のうち九十六人までは第一審の判決がそのまま確定しあるいは維持されているというわけでございまして、破棄される四人のうち、最刑不当で破棄されるものが七〇%でございますので、百人のうち九十九人までは事実は第一審で確定した事実がそのしまま維持されているという状態でございます。上告審の破棄率は三・五%程度でございますので、千人のうち二人くらいが破棄されているというような状態でございまして、第一審で事実の認定と刑の量定がほとんどきまっているという状態でございます。ところが、刑事におきましては、真実の発見ということは、上訴を積み重ねるごとによっては必ずしも得られないのじゃないか。実例で見ましても、真犯人が確定後に出てきたというような問題になった事件は、大体において第一審で確定した事件が多いのでございます。当委員会で問題になりました浦和の強盗事件あるいは札幌の強盗強姦事件というような事件も、一審で確定してしまった事件でございます。第一審を充実いたしまして、第一審の裁判を間違いないようにするということの方が、上訴を積み重ねるよりも、より必要ではないか。現在の第一審をまだまだ充実する必要があるというふうに考えるわけでございますが、この必要な第一審を軽くしてまで、不必要とは申しませんが、ひどく上訴を積み重ねるような行き方は安当でないのではないか。民訴は原判決に影響を及ぼすことの明らかな法令逮反が上告理由になっておりますが、刑事訴訟法は民訴と区別しても区別する意味があるように思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/28
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029・猪俣浩三
○猪俣委員 今の続審にすると非常に事件がふえて負担が重くなるということですが、しかし旧訴訟法時代はみな覆審であった。それから、大審院でも事実審理をやっておった。ちゃんとやっておったんです。ところが、新刑訴になってから、もう事後審でなければならぬ、――われわれは覆審でなくして続審主義を言っているのですが、それでも、大へんだ、負担にたえないという御議論。そこで、私ども少し割り切れない。昔やっておったことをなぜできないのか、そうして、しかも人権尊重の現在において裁判所だけをだんだん簡略にするということが、根本的にちょっと不可解なところがあります。
なお、あなた方は気づかぬかもしれぬけれども、私も弁護士として最近非常に痛切に感じますことは、第一審が信用ならぬ場合に、一体どうなるかということです。私は今千葉の地方裁判所で事件をやっておるが、判事を忌避いたしました。この忌避に対して裁判所は却下をいたしました。私は高等裁判所に抗告をいたしました。高等裁判所は、こちらの抗告を理由ありとして、破棄して差し戻しておるのであります。ところが、判事の忌避というものはほとんど成立しない。それはそうでしょう、同じ仲間の裁判官が裁判するんだから。そこに無理がある。もし皆さんが続審を排撃するならば、私は、裁判官の忌避をもう少し厳重にやらなければいかぬと思う。ちゃんと刑事訴訟法に道を開いておきながら、ほとんどない。徳島県あたりにかつて一件あったきりで、幾ら忌避しても通らない。ここに僕は非常に問題があるのではないかと思う。裁判官の中には、ことに地方の裁判官の中には実にえこじなのがありまして、非常に非常識なのがある。そこに忌避なんかやりましても、感情の対立が被告や弁護人との間に起ってしまう。そうすると、いわゆる刑事の事実認定にしろ量刑にしろ、裁判官といえどもやはり人間ですから、感情が動くということは考えなければならぬ。被告に有利な事実の認定及び量刑をしないと僕は思うのです。ところが、そういう傾向があるから忌避しても、それは成立しない。ますます感情が疎隔するばかりで、その裁判長が裁判する。それで、一審でもう事巽調べはできないというようなことになったら、全くこの被告は救うことができない。ことに、千葉の地方裁判所ですが、刑事部というのは一つしかない。そこで忌避をやりましても、かわりの判事を作るということは容易でないから、なかなか申し立てが通らない。ところが、実際実に非常識な裁判官が近ごろふえてきている。世の中は民主化しているにかかわらず、まるで化石みたいな裁判官が相当ある。これが、先入観念で、ことに、地元に長くおりますと、いろいろな情実が頭にしみ込んでおりて、どうも保守的な裁判官が多い。千葉の事件はそういう事件ではありませんけれども、われわれ労働運動に関する裁判に臨んでみてもはっきりわかる。もう初めから化石した頭で、市民法と異なった新しい体系の労働法なんというものは全然頭にない判事が実に多い。そういう場合に東京の高裁に持ってきますと、さすが中央で、相当頭のいい、勉強している判事がそろっております。だから、労働事件なんて大体一審ではだめなんです。東京に持ってきて事実審理をやってもらうと無罪になるのが多い。新潟県の高田の裁判所で、支部ですか、電気会社のストライキについて有罪の判決をしました。これなんかも高裁に持ってきたら無罪になりました。電気をとめた、あるいは。ピケッティングをやって就業を拒否したというような事件で、全部これは業務妨害罪になっておったやつを、東京高裁に持ってきたらみな無罪になりました。労働法なんかわからないのですよ。そういう判事がまだ相当おる。千葉でやっておる事件は、千葉銀行の恐喝事件でありますから、地方的に相当重大問題になっておるために、これは大体地方でそういう裁判をすることが適当であるかどうかさえ疑われる場合もある。そういう場合におきまして、続審もできないということになりますと、私は、その被告人の正しい権利というものが守られないおそれが十分あると思う。
かような意味におきまして、前にやっておったのですから、今これがやれない道理はないはずです。私どもはそういうふうに考えます。もしこれが、どうしても現在のように事実審理は第一審ということになりますならば、裁判官の忌避問題についてもっと立法を変えねばいけません。今のような実情では有名無実です。信用せざる、忌避している判事に判決を受けるというようなことは悲劇じゃありませんか。ところが、今はみなそういう状態です。そうして、一審で済んだことはその上の裁判所では事実審理はしないというようなことが建前になりましたら、全く人権の保護などできやしません。だから、どうしてもこの続審ということを拒否するならば、まず裁判官の忌避問題から解決してかからないと不公平だと私は思う。これは私どもの意見でありますから、意見だけ具申しておきますが、その点について、前には覆審をやっておって、そうして大審院でも事実審理をやっておったのです。それを今度は、それをやるとどうして大へんだ大へんだと法務当局は言うのであるか、その理由をちょっと説明して下さい。前にはやっておったのでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/29
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030・江里口清雄
○江里口最高裁判所説明員 猪俣委員の仰せられる通り、旧刑訴時代におきましては二審は覆審であったのであります。しかし新刑訴になって事後審になった。これは第一審の手続が旧刑訴とは全然変っておるのであります。旧刑訴の第一審におきましては、警察の調書あるいは検事の被告人、証人、参考人に対する調書等、区裁判所では証拠能力がありましたし、地方裁判所におきましては、予算調書、被告人の尋問調書あるいは証人尋問調書等すべてが証拠になったのでありまして、公判の審理はむしろ非常に形式的なものだった。予審の調書はほとんどそのまま証拠として採用されて、証人を申請いたしましても、それが予審で調べられた証人でありますと、公判で証人を調べるということがほとんどなかったのであります。一般的に申しますと、公判で証人を十人も調べるという事件は非常にまれでありまして、むしろ、その事件が有罪か無罪か問題だというような事件にほとんど限られておったのであります。ところが、新しい刑事訴訟法におきましては、公判中心主義でありまして、伝聞証拠は排斥される、従って検察官、警察官の捜査官の作成した調書は原則として証拠能力がない、被告人あるいは弁護人が同意しない限りは証拠にとれないというようなことから、公判において証人調べということが非常に多くなっているのであります。公判で十人、二十人、三十人の証人を調べるのは普通であるというようなことが非常に多い。あるいは五十人、百人、千人というような証人を調べるのも現在の第一審ではそれほどまれではないのであります。過去の第一審と現在の第一審とでは、現在の第一審の事務量あるいは負担というものが非常に多くなった。従、て、裁判官の大多数が第一審を担当いたしておるわけでございまして、第一審が事務量が非常にふえて、裁判官全員といたしましては四割程度しか戦争中よりふえておらないのに、事件は四倍程度もふえている。第一審の手続は以前よりも非常に負担が多くなりており、一件当りの法廷の開廷回数も、証人の調べも、鑑定人の調べも、非常に多くなっておるのであります。それで、第一審で判事の手数が非常にとられる。しかも第一審中心主義の判事訴訟法をとっております。これは、結局、上訴は簡素化し、あるいは第二審が事後審ということで、初めて現在の第一審がやれるわけでありまして、現在の第一審を過去の予審制度とし、あるいはまた形式的な書面審理に変える、-過去の第一審は被告人の尋問をしてしまえばほとんどその審理は終ったというような状態でありますのが、現在では全部公判で証人を呼ぶというのが原則になっておる公判中心主義であります。この第一審の公判中心主義を過去の書面審理に、あるいは形式的な審理に変える、第一審から変えていくということであれば、第二審を覆審にし、あるいは続審にしてもこれはやれるのでありますが、第一審を今の公判中心主義の建前にいたしますと、どうしても第二審を過去のようにはやれないというふうに考えるわけでございます。で、過去にやっておったからやれないはずはないという御意見も一つの御意見でありますが、第一審が過去の通りであればこれはやれるのであります。その点一つ御了承いただければ幸いだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/30
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031・五鬼上堅磐
○五鬼上最高裁判所説明員 今の猪俣委員の御議論に対して御釈明を申し上げます。
先ほど来千葉の事件、高田の事件等、個々の事件についていろいろ猪俣委員の御実見のお話でございますが、私どもは過去の事件で事内容が裁判に関する限りここで御説明を申し上げるわけには参りませんが、ただ、一般の判事がどうも化石化しておる、田舎の方に行けばことにひどい、それは東京の方に来ればいいがと、かような御意見でありますが、旧来と比較して、少くとも終戦前の裁判官と違って化石化しておるというのは、これはいささか私どもの見方からすればさようではないのじゃないかと御釈明申し上げることができると存じます。と申しますのは、終戦後においては、いろいろ司法制度も変りまして、なるほどいろいろな新しい法令がたくさん出ましたがために、その法令の出た当時においては、その法令を使っていく上に習熟しない裁判官もなかったとは申せません。また、猪俣委員の御指摘するような、たくさんの裁判官のうちには、裁判官も人間であるからして、見ようによってはあるいは感情の入る場合もあったかもございません。しかしながら、全体としましては、終戦後におきましては、いろいろな研修とか会同とかいうようなことによって、法律の研究その他裁判官のあり方等については、これは最高裁判所が最も熱心に、さようなことについては司法行政上考え、実施いたしておるのでありまして、私どもの見るところにおきましては、そんなにたくさんの終戦前よりも化石化の裁判官が多いというようなことはないということを確信いたしておりますから、この点一つ猪俣委員においても御了承願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/31
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032・古屋貞雄
○古屋委員 関連して……。
今お話をいただきましたことについて、私はむしろ承服できないのです。明らかに誤判がありますばかりでなく、罷免まで受ける判事がおる。しかも、終戦前よりも、裁判官に対する監督と申しましょうか、あるいは気風の刷新と申しましょうかが相当欠けておるのです。ことに、私ども非常に驚くのは、訴追委員会に何千件と事件が来ておる。これは罷免するまでに至りませんが、時間中に碁を打っておって、弁護人から開廷を要求しても応じないとか、あるいは、その他の事件の判事が、検事の捜査に対して、出向いていって先に知らせるとかいうようなことがしばしばあるのです。私は今の五鬼上事務総長の確信を持っての御釈明に対しては納得いかないと思うのですが、それはとにかく、訴追に相当な件数が出てくるのを私ども調べてみます。と、罷免には至らぬけれども、実に困る、また能力から言っても全くこれは不適任だと考えるのがたくさんあるのです。それだから全部だということは申し上げませんが、今のような確信があるほどの御釈明については、もう少し謙虚な態度でやっていただきたい。というのは、今までは裁判官会議で責任を持っているのです。この機構改革についてもわれわれは相当突っ込んで質問したいと思うのですが、裁判官の監督についてはどうも責任がないのですね。調べてみると相当ある。天皇様の判事様みたいな態度、これは直らぬですよ。それが猪俣委員の関係であったと思うのですが、その点はやはり、そう確信を持たずに、その方面にも相当御注意をしていただきたいと思う。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/32
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033・猪俣浩三
○猪俣委員 古屋委員の言を私も引用いたします。それはあまり確信を持たれるとかえってよくない。私の知っておる限りにおいては、相当裁判官はその地位の安固になれて、――ことに今裁判官の数が非常に足りない。これは裁判官の給与問題と関係がありましょう。大体のことをしたって首になんかなりっこないという確信を、それこそ確信を持っているらしい。だから、勉強もしないし、他を恐れることのないような裁判官が相当ある。そして、土着の人たちで通勤している裁判官が相当あって、これはいろいろな弊害を起しておる。ところが、人事の刷新が、地位の安定から、なかなか行われない。それに、戦後非常に裁判官の数が足りないときに任用されたような裁判官がまだ相当残存しておりまして、これはしょっちゅう最高裁判所で指導しませんと弊害を起すと思いますが、これはまた他日御相談申し上げることにいたしまして、法制局長官かお見えになっておりますから、一点お尋ねいたしたいと思います。
いわゆる、日本の憲法におきまして、最高裁判所の裁判官が十五人なら十五人がワン・ベンチで法廷を組織しなければ憲法通反であるという議論がある。こういう議論に対して、一体これは正しいかどうか、正しいとするならばいかなる根拠があるのであるかということが第一点。
それから、最高裁判所の三十名の判事ができたとして、そのうち互選によって八人の判事を選ぶ、それに長官を加えて九人で法廷を作り、ここにおいて憲法裁判をやるということ。その八人の判事は互選であります。任命するのでも何でもない互選であって、事務の分担上そういう九人の法廷でもって憲法裁判をする。ただし、その憲法裁判が前の憲法判例と違う場合においては、三十一人の連合審査をやって判例を変更する。だから、三十人の判事はさような場合には全部がその連合審査に入るけれども、今までの裁判所の判例と同じような裁判をしている場合には九人の法廷でさばいていく。現在、最高裁判所小法廷なるものは、合憲だという判断を小法廷でどんどんやっておる。憲法八十一条によれば、合憲か違憲かを終審裁判所としてやるという規定でありますが、今の最高裁判所は合憲の場合は八十一条にかかわらず小法廷でやっておるのであります。私はこれはこれでもいいと思う。その精神からいくならば、互選された九人の裁判官が前の判例と同じような判例をやる場合においては、その九人でやっても何も憲法の精神に違反しないのじゃなかろうか。判例を変更するような場合には全裁判官で審議するということになっておればいいのじゃなかろうかと考えられるのでありますが、こういう諸点に対しまして法制局長官の御意見を承わりたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/33
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034・林修三
○林(修)政府委員 ただいまの猪俣委員の御質問でございますが、私も、実は、当委員会におきましてこの裁判所法等の一部を改正する法律案についての各界の権威者の方々の公述の御意見も速記録によっていろいろ拝見いたしました。
今お尋ねの第一点は、いわゆるワン・フル・ベンチという問題だと思います。これについてもいろいろ御意見があることは私も承知しておりますが、どうも、私ども考えますところで参りますと、結局、最高裁判所というものは、やはり内閣あるいは国会と同じように憲法において設置されておるというものでありまして、その憲法では、長官とそれから裁判官をもって構成するということになっております。従いまして、少くとも最高裁判所が憲法によって与えられた最も重要な権限でありますところの、ある事件が憲法に違反するかどうかという問題につきましては、やはりいわゆるフル・ベンチと申しますか、ワン・ベンチと申しますか、こういうことでやっていくのが建前だ、憲法の認めている原則ではなかろうか、かように第一の問題は考えるわけでございます。
そこで、第二の御質問でございまして、最高裁判所の裁判官を三十一人にふやした場合において、その中の長官を含めた九人の判事でございますが、これが憲法判断をやることが果して憲法違反になるかどうかという御質問だと思うわけであります。その八人の判事が互選によって選ばれるということでございますが、ただ、私、その互選の方法等は突はまだはっきり承知いたしかねる点がございます。しかし、少くとも、どうも考えてみますと、やはりそれで参りますと、最高裁判所の裁判官のうちのある部分の方が原則的に憲法違反の裁判に加わり得ないような建前になるのではなかろうかというような気がいたします。あるいはこれは交代制でおやりになるというようなお気持かどうか、ちょっとその点はまだ私どもにはわかりかねますけれども、互選でやっていくということになりますと、そういう結果になるのではないかという気がいたします。
それから、従来この大法廷でやりました憲法違反の、あるいは憲法に違反するかあるいは憲法の解釈に関する判例を変更するのは、全部のいわゆる連合審査でやる、この点はそれで私はいいと思いますが、やはり、問題は、先ほど申しましたように、初めてある憲法に関する判例を作っていくということは、憲法の建前から申しますと、全体の判事が関与してされるのが憲法の認める建前ではなかろうか、かように考えるわけでございまして、ただいまお示しの第二の問題が憲法違反にあらずということを私ども実はちょっと太鼓判を押す元気は出てこないような次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/34
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035・猪俣浩三
○猪俣委員 あなたの御意見だけを承われば、これは腐るほど論議したことだから、まあまあそれでいいと思うんです。いいと思うんですが、あなたの御説明を聞きましても、ワン・ベンチでなければならぬというのは憲法の精神解釈ということになると、これは解釈する人の主観によって相当違ってきて、法文上確固たる根拠が私はないと思う。法文上確固たる根拠があるという御主張でありますか、ワン・ベンチでなければならぬというのが憲法の精神だという有形的な条文が憲法なり法律にありましょうか、それを一つ伺いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/35
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036・林修三
○林(修)政府委員 ただいまの御質問は、実は当委員会の公聴会においても各界の権威者の方々がいろいろの意味において公述をしておられます。その点からも猪俣、委員は十分御承知のことだと思うわけでありますが、いろいろ意見があるわけでございますが、私どもといたしましては、今も申しました、少くとも最高裁判所に与えられた最も重要なる権限であるところのある事件が憲法に違反するかどうかという問題の終審裁判所という権限につきましては、やはり八十一条の建前あるいは七十九条の建前がその根拠になるものであろう、――その条文が今申しましたことを表わしているかどうかについては、これはいろいろ御意見があると私は思います。しかし、私どもといたしましては、やはり七十九条、八十一条が一応根拠として考えられるのじゃないか、明文があるかとおっしゃいますれば、明文では、そこはいろいろ議論のあるところでございますが、根拠をあげろとおっしゃれば、やはりそこの条文じゃないか、かように考えるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/36
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037・猪俣浩三
○猪俣委員 林さんに対する質問は私としては終りますが、最後にもう一点だけ五鬼上さんにお伺いします。それで私質問を終りたいと思いますが、それは、自民党の提案及び社会党の提案の共通点としまして、最高裁判所の調査官というものを廃止する、――私どもは秘書官だけ残しておくというような案だし、自民党さんは、秘書官まで廃止してしまう、こういう私どもよりもなお思い切った態度をとっておられるのですが、そこで、調査官というものを現状で廃止すれば、一体どういう結果を来たすとお考えになっておるか。私どもは調査官を廃止して秘書官を置くという。秘書官というのは 普通の秘書官じゃなしに、補佐官と言うたらいいのでございましょうか、アメリカの制度ですね。アメリカの最高裁判所、連邦裁判所は、高柳賢三氏の論文によると、調査官というものはないのだという報告でありますが、他の人の説明をまた聞くと、あるのだ、しか、しそれはないのだと言われる程度のものであって、すなわち司法研修所を出たての判事補みたいな者が判事の補佐、手先となってあるだけで、日本の調査官のように高等裁判所の判事の資格のあるような、そういう調査官というものはないのだという説明を聞いておるのでありますが、そこで、私どもの廃止案も、また、自民党の廃止案の中にも、全然そういう補佐官をなくする意味じゃなしに、今のような調査官というものをなくしてしまうという案のようでありますが、そこで、これに対して最高裁判所ではどういうふうなお考えを持っておるか、お漏らしを願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/37
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038・五鬼上堅磐
○五鬼上最高裁判所説明員 調査官の問題につきましては、実は、最高裁判所発足当時に調査官制度というものができて、これは、最高裁判所の判事の任命も、いろいろ従来の大審院判事とは変った各界の方面から裁判官というものがお入りになっておる。弁護士界、あるいは検察界、あるいは学者界、あるいはその他外交界というような方面からお入りになって、従って、この裁判官の補助的役割を果すために、こういう調査官制度というものも、その調査官としては、まず従来裁判所においていろいろ裁判に携わった者、あるいは昔の判例を調べる、あるいは立法例を調べるというような、その他文献の調査だとかいうようなために現在の調査官というものを採用いたしまして、その後入れかわりはございましたけれども、猪俣委員の御指摘の通り、ただいまの調査官というものは第一審の裁判官として有能な人々が相当ございます。そこで、私どもとしても、運営上すでに、古い調査官の方々、すなわち第一審の裁判官として十分お役に立つような方々は徐々に第一審の方へ出ていただいて、それにかわるに大体判事補の七、八年程度、いわゆる司法修習を終えて七、八年たったところの判事補を充てようというような方針をすでに立てまして、現に最近においても一人入れかえまして、だんだん入れかえていくつもりでございます。しかし、一面この調査官というものを全然廃止してしまって、果して、政府案でいけば九人、あるいは問題になっておる猪俣委員御指摘の案でいくと三十人の裁判官で調査官なくして運営できるかといったら、私どもとしては、運営できないのじゃないか、かように考えておるのでありまして、たとい裁判官が三十人増員になっても、いろいろな文献の調査とか、あるいは判例とか、その他の裁判官のアシスタントとしていろいろする仕事が残っておるのじゃないか、また、それがなければ十分運用されていかないのじゃないか、かように考えまして、政府案においても、調査官制度はある程度残す、しかしながら若いところの判事補程度の者を置くということを考えておるようであります。私どもはこの案に賛成いたしておるのでありますが、全然とってしまうということには、いずれの案にしても、とうていまかなえないのじゃないか、かように考えております。
ただ、先ほど御指摘のありましたように、アメリカのいわゆるロー・クラークの制度――実際にロー・クラークをされた人が日本に来まして、私も直接お話を承わったのでございますが、いろいろな判例を調べるとか、立法例を調べるとかいうようなことをいたしておるようであります。その他判事のいろいろな言いつけによって働いておるようでありますが、たとえば長官には三人のロー・クラークがある、その他の裁判官には大体一人のロー・クラークがついて働いておる、かようなことを承わっておるのでありまして、理想はやはりアメリカのシェープリーム・コートのロー・クラークの制度、ロー・クラークと申しますか、ああいうふうな調査官的のものが必要なんじゃないか、かように私どもは考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/38
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039・古屋貞雄
○古屋委員 関連して……。
今の御答弁でお尋ねしたいのですが、調査官というものは、今五鬼上さんのおっしゃられたような調査官だと思うのです。ところが、日本の実状は、実際はそうでなくて、今の調査官は記録を全部ごらんになるのです。そして、今の上告はほとんど調査官裁判だというように、日本じゅうの弁護士が信じ切っておる。そういうことを私どもも信じ切っておる。と申しますのは、保釈一つするにも、全部調査官が記録を見ておる。現にこの間、私どもはそれを痛切に感じたのですが、保釈の申請から決定を受けるまでに一週間以上もかかる、それから、今の上告の書類が判事さんの手元に行くまでに六ヵ月平均かかるということは、そういう意味だと思う。そういうところにばかり期間をとられてしまって、実際の裁判をする判事さんが真実に記録を見ておるかどうか、真実にそういう内容について御審査をされておるかどうかということを実は非常に疑っておりまして、たまたま例の小浜の裁判の誤判事件のときに、最高裁の判事さんに訴追委員会に来ていただいて聞いたところが、自分は裁判をするのだけれども、ほとんど記録は見ていない、忙しいのだと、明確に言っておるのです。私は菊地さんと二人でお聞きしたのですが、それでは、法治国ですから、判決主文と条文ぐらい比較してごらんになるだろうと言ったら、それも見ないとはっきり申しておるのです。私は、そのときに、なるほどこれは、日本中の弁護士諸君がいう上告の裁判は調査官裁判なんだなと信じた。それで私はそういうような考えを持っておるのですが、今おっしゃられたような調査官ならば、私は必要だと思うのです。命令されて文献を調べる、命令せられて判例の調査をする、法令の立法例を見る、こういうことは私は必要だと思うのです。このことは必要なんですが、そうでないのですよ。調査官がみな記録を見てしまう、そうして判事さんがごらんにならぬ、こういう印象で、そういう判断を私どもにすら持たせるような実際のお話を承わっておるわけです。こういう点があるなら、それなら要らないのだというような方向、意見が法務委員会で出てくるわけです。実情は実際どうなんでございましょうか。実際十五人の判事さんが記録を全部ごらんになって裁判をされておるのでしょうか。この点は私は非常に疑問なんです。ただ争点だけを調査官が出して、これが争点ですよといって出されたものをやられておるのか、実際に記録を全部ごらんになって裁判をしておるのか、この点どうなんですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/39
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040・五鬼上堅磐
○五鬼上最高裁判所説明員 記録を全然見ないで裁判されるということは、ちょっと私ども想像できないのです。(古屋委員「そうおっしゃっているのです。自分自身が言うのだから」と呼ぶ)それは何かのことであったのですが、調査官と裁判官との関係については、私ども直接はその事務に携わっておりませんから、あるいは十分の御説明はできないかと思いますが、關根総務局長から一応手続等を御説明申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/40
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041・關根小郷
○關根最高裁判所説明員 今古屋委員のお話でございますが、実は、上告事件が参りまして、調査官の方に回りまして、それから裁判官のところに回る、これは確かにおっしゃる通りでございます。調査官の方の審査を経た事件で裁判官の方に回っているものは相当ございます。これは、御承知のように、戦前の大審院の判事の三分の一の裁判官の数でございますから、負担件数も約三倍、お一人の負担件数が大審院のときは年間約百件でございましたのが、ただいまの最高裁判所の裁判官のお一人当りの件数が五百五十件、従って、調査官の方で幾ら早く審査いたしましても、裁判官の手元に積み重ねられる事件が多いわけでございます。従って、どうしても全部の記録を見るのがおくれるということになる。これは必然のことかと思います。でありますから、結局人をふやさなければいけないということになる、あるいは最高のほんとうの判事としては事件の範囲を縮小しなくてはならぬ、これが政府案の考え方でございますが、そういったことを考えざるを得ない。今お話がございました、記録を見ない裁判官がいるかということに対しては、これはそういうことは絶対にあり得ないと思います。そういう裁判官が裁判をすること自体問題になるわけです。そういうことはあり得ないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/41
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042・古屋貞雄
○古屋委員 そういうことをこの席上で私も追い詰めてこうですと申し上げたくないのです。これは訴追委員会の記録をごらんになればはっきりわかります。判事さんのお名前を申し上げてもいいのですが、私は遠慮しておるのです。そのくらい忙しいのだ、戦前の大審院の判事の負担件数よりも多いということだけはお認めになっておる。従って、私はもう一つ事務総長に承わりたいのですが、一審で裁判所が事件を受付をいたします場合には、これは日本の国民の権利でもあるが裁判所の義務といたしまして、終審まで審理をして明らかにしていただくという義務はないのでしょうか。そういう国民にまた権利があるのでしょうか、どうでしょうか。それを特に制限して上まうということになりますと、民主主義は根本からなくなってしまうと思うのです。しかも主権は国民にあるのですから、御主人公からそういう申し出が出ておる場合に、一審の事件の受付をしたときに、即、昔なら大審院、今では最高裁が裁判をする義務が裁判所にあると私は思うのですが、その点どうでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/42
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043・五鬼上堅磐
○五鬼上最高裁判所説明員 係争事件が裁判所に起ってきて、そうしてそれからずっと終審まで裁判所が引き受ける義務があるかということですが、それはむろん、法律に定められまして管轄を定められれば、その管轄に属する事件については、最高裁判所はこれを受け付けなければならない、かようには考えておりますが、今おっしゃったように、一審の事件全部が最高裁判所まで、三審まで来なければならぬということも、どうかと私どもは思っております。要するに、審級制度というのは、どちらかと言えば、裁判の間違いを是正していくというところに審級制度があるので、そう一審の裁判がいきなり初めから間違いばかりだとおっしゃられても、これはまず一応一審の裁判において大体片づいていくのではないか、そうして、しかも不服のある裁判あるいは誤判の疑いのある裁判というものは二審に行く、そうして上告審で是正される、そのためには、国として結局ピラミッド型の裁判制度をとっている以上は、やはり控訴審の管轄、上告審の管轄というものをある程度制限せざるを得ないのではないか、しかも制限して救済されない事件はそんなに多くないのではないか、むしろ制限をして、真に救済しなければならぬ事件を控訴審なりあるいは上告審に持ち込むということが、裁判の制度の理想ではないか、かように考えており、ことに、国民主権の立場においては、裁判所としてもそういう制度になってきて、できることならば一審において国民はもう全部一審の裁判を信頼するというところまでいくのが理想ではなかろうか、従って、控訴、上告というのがますます減ってくることが裁判のほんとうの姿である、こういうように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/43
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044・古屋貞雄
○古屋委員 それはその通りだと私は思うのです。思うのですが、義務だけはあるわけですね。全部、受け付けた以上は、最後の結末がつくまではということになれば、三審制度である以上は三審までいくべきだ。今のように、お役人さんが高いところから見てものを言って、これで制限するという考え方それ自体は、私は承服できないと思うのです。やはり、国民全体が下から盛り上って、今の裁判なら、ば一審でけっこうでありますという、やはり国民の納得のいく裁判でなければなりません。どうも判事さんになると化石するおそれがある一審の裁判に対し控訴してはいけないということを考えて、国民を納得させるということを考えないきらいがあると私は思う。だから、裁判が型にはまってしまう。申し渡しの証拠の援用自体が型にはまってしまう。そういうことはおもしろくない。そういうことはあり得ないと思う。千差万別の事件なのですから、やはりはまるべきものではなくて、今のような、むしろ国民の納得するような裁判をしていくというお話なら承わる。ただ制限をしたいということを先に打ち出しておいて、だからむだだと言う。むだであるかむだでないか、だれが判断するかと言えば、裁判官ではなくて国民だと思うそうではないのですか。その点どうです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/44
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045・五鬼上堅磐
○五鬼上最高裁判所説明員 なるほどおっしゃる通りであります。もっとも、一審で国民が納得される裁判をするということは、やはり裁判所のなすべきことだろうと思います。しかし、それかといって、一審で引き受けた事件は最後まで全部義務があるかどうかということは、やはり国会でお作りになった法律によって、控訴審はこういうことをやる、上告審はこれこれのことをやるというこの法律の範囲内において、裁判所は十分その義務を果していけばいいのではないか、そのように思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/45
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046・古屋貞雄
○古屋委員 その点はもう当然ですよ。――国会は国民の代表なのですから。私はそのことを申し上げておるのです。ただ、私どもが承わりたいのは、化石するしないという問題よりも、やはり長い間裁判官をやっておりますと、これはだれでも言うことですが、世情にうといのです。ことに、最近のような世情の変り方というのは、急変なのです。世情の変り方というものは、文学にしても、あるいはいろいろの社会、経済の動きにしても、変ってきます。非常に変ったのです。変って、日本は今は過渡期です。前の憲法と今川の憲法を見ると、まるで違っておる。そして、男女にしても、平等だとおっしゃいますけれども、実際の今の日本の実情というものは平等でない。過渡期ですから、長い間の伝統がありますから。同じように、古い裁判官の中には、かっての天皇裁判をやった伝統的な惰性があると思う。ないとは絶対に言えないと私は思う。そうして、一日も早くこれを是正するということは、この立法の問題において重要性を持っておる。私はそう思うのです。その点が、新しい憲法のもとで新しい教育を受けてきて基本人権を尊重している人たちが裁判官になってきている一方、同じ裁判官で、長い間帝国憲法の中に育ってきた、そして裁判をしてきた人がいる。そういう惰性が十分ございます。ことに、捜査上の人権じゅうりんは、みんなそうなのです。それは、検事の取り扱いについても、井本さんからもおっしゃったようですけれども、同様です。私は、まだ日本の裁判においては、一審における証拠の面において、完全な当事者主義というものは行われていないと思う。とにかく検事さんは捜査権を持っておりますから、人の自由を奪ってまで調べる。公判に回されて起訴状一本で調書で平等に行われているかといえば、そうではありません。検事の調べたことば、ほとんど全部証拠になっております。刑訴法第三百二十一条ないし三百二十八条の規定もあるのですが、全部証拠にあげております。だから、私は、今当事者裁判が平等に行われておるとは考えない。従って、そういう欠陥をどこで補うかということは、猪俣委員がおっしゃったように――新しい証拠が出た場合、やはり続審の制度をとらなければ、そういう問題がうまくいかないと思う。東京ではなるほどやっております。事実審理をしておるのは東京の高裁だけが一番多いのです。地方にいくと事実審理は一審で終りです。それはいわゆる事後審だからという理由です。けれども、私は、その点については、新しい証拠というものが出てくるということについてはたとえば――今度の菅生事件のごときものでもそうでしょう。三年間姿をくらましてしまった。証拠が出てこないでしょう。一審には出さなかったでしょう。菅生事件において新しい証人が出てきまして、私は新聞を見ないからわかりませんが、新しい証人が重大な証言をしておる。あなた方のように事後審を原則としてやっておられたら、もう裁判はできないと思う。この点はやはりそういうことも考えていただかなければならぬ。ここに明らかな重大な証拠が出てきたけれども、前の刑事訴訟法のように事後審でいくと、裁判官の頭一つで、事実を調べなくても、事務的に事後審でいいのだからこれはためだと言われれば、それだけになってしまう。そういうことは、人権の尊重を考える以上は、著しく費用がかかったり町日が経過しないならば、裁判の真実発見のために行われるならば、よほど考えなければならぬ。今の日本の国民としては司法権の裁判にたよるほかはない。これが一番の根本だと思う。ここがくずれれば司法なんかだめだと思う。そういう意味において、私どもも皆さんと協力して、ここで真実の発見をして国民の納得する裁判をしたいというのが私の考え方なのです。従って、お立場が違いますから考え方は違ってきますけれども、こういう問題はお互いに十分に論議し尽すことが必要だと思う。だから、頭からあくまで制限しなければいけないという考え方はやはり反省する必要があるのではないかと思います。この点は江里口さんから一応御答弁を願っておきたいと思う。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/46
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047・江里口清雄
○江里口最高裁判所説明員 御意見十分拝聴いたしました。現在の第一審が十分な当事者主義あるいは公判中心主義となっていない点もあるという点、私どもも同感でございまして、それであればこそ、これを当事者主義に、また公判中心主義に持っていかなくちゃならぬ。第一審の審理がややもすると捜査書類の引き継ぎの場所になっておるのじゃないか、これを一日も早く改めなくちゃならぬ。それには、第一審の審理を充実し、第一審の裁判官を充実する必要があるというふうに考えて、目下努力中でございます。
それから、ただいまの、新しい証拠ができたという場合に、控訴審で事後審.では取り調べができないという点でございますが、現在の刑事訴訟法は、昭和二十四年に施行された当時は、第二審は完全に事後審になっておったのでございます。ところが、昭和二十八年に改正がございまして、ただいまお話しのように、第一審でやむ得ない事情によって弁論終結前に取り調べの請求ができなかった事件、ただいまのお話の管生事件のような新しい証人が出てきたという場合には、三百八十二条の二あるいは円百九十三条の改正によりまして、現在では、取り調べを請求し、その事実調べをすることができるようになっておるのでございます。それから、第一審終結後に量刑事情について新たなる証拠が出れば、これも取調べを請求することができるように昭和二十八年に改正になりまして、それ以前ではほとんど事後審として京実審理がなかったのが、改正後におきましては、一四、五%が第二審で事実審理がなされておるのであります。なされる道が開かれ、なされておるというのが現状でございまして、先ほど猪俣委員の仰せのような事件も、第二審では事実審理がなされておるのでございます。現在では事実審理がなされる道が開かれており、現に一四、五%がなされておる。これを全部百パーセントに継続審にするということはむだの点が多いんじゃないか。これも、第一審の手続を、過去の書面審理のような手続にして、第一審から裁判官を引き抜くような第一審の訴訟構造なり訴訟手続にいたしますれば、第二審を覆審なりあるいは全部百パーセント続審にすることもけっこうでございますが、現在では、第一審をまだまだ充実して、判事がおれば第一審になおなお注ぎ込んでりっぱにしたいということに全力を尽しておるという実情でございますので、第二審をなお百パーセントに継続審にするということは、かえって人権擁護の上から弊害が多いんじゃないか、こういうような考え方から、私どもは百パーセントに継続審にすることには反対の立場をとっておるわけでございます。これで一つ御了承いた、だきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/47
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048・古屋貞雄
○古屋委員 その点は私は存じております。ただ、裁判所で新しい証拠を出しますとそれを採用になればそういうわけですが、しかし、原則として今のように事後審なんですから、これを、原則として調べる義務を与える、しかしながら、証拠調べは裁判官の裁量ですから、その点で決定する、こういうことにいたした力が――これは意見の相違になるかもしれませんけれども、原則的に継続審にする、そうして、その具体的な事件については裁判官の新証拠の認定にありましょうから、そういうことについて決定すべきものである、そう広めるべきものであるという意見を持っておりますけれども、意見の相違になりますからこれでやめますが、やはり今実際は東京だけですよ。いなかでは、新しい証拠だといってそれを持ち出しても、事件の関係上なかなか調べしていない。
それから、今の事後審にするか継続審にするかという問題で、継続審にするといっても、私はそんなにふえないと思う。むしろそれの方が国民が納得するんじゃないかと思う。というのは、今申し上げたように、新しい証拠が出し得なかった場合もあるし、また新しく出る場合もあるのですから、その点は意見の相違ですからこれ以上申し上げませんけれども、やはりその点を十分考慮する必要があるんじゃない
従って、今のお説は、人数が足りない、一審が強化されてないからということですが、この点は、一審を強化する方法をわれわれとしても考えたいと思っております。それから、一審を強化すればおのずから納得がいくから、控訴審の件数が減ってくる、こういうことに相なると思うのですが、やはり、私どもの考えとしては、十分に証拠を出して真実発見に努力し得る状況を作りたい。従って、その中でりっぱな裁判が行われれば上訴は減ってくるのだ、こういうふうに考えるために、やはり、お説のように、一審の強化をすべく、一審を相当数増員することが当面の非常な急務じゃないかと私どもも考える次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/48
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049・江里口清雄
○江里口最高裁判所説明員 地方の高等裁判所の方が事実調べは少いというお説でございますが、これは統計的には必ずしもそうではないのでございます。場合によっては地方の方が事実調べが多い高等裁判所もございますし、また、高等裁判所の破棄率等は、地方の高等裁判所あるいは支部の方が東京、大阪よりもはるかに高いというような統計になっておりますので、その点ちょっと申し上げておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/49
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050・三田村武夫
○三田村委員長 この際お諮りいたしますが、先般本案につき当委員会において公聴会を開き公述人より意見を聞きましたが、その際の公述意見の要旨を調査室においてまとめてみましたので、これを会議録に掲載いたし御参考に供したいと存じます。御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/50
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051・三田村武夫
○三田村委員長 御異議なければ、さよう取り計らいます。
本日はこの程度にとどめ散会いたします。次会は公報でお知らせいたします。
午後一時六分散会
公聴会意見の要旨発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/51
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052・団藤重光
○団藤重光公述人(東大教授)
一、(イ)小法廷は下級裁判所である。
(ロ) 小法廷は、高等裁判所に対する関係では上級審であり、最高裁判所に対する関係では、附置されているから、厳密な意味では、最高裁は上級審ではないが、やはり上級、下級の関係にたつ。
(ハ) 小法廷から司法行政権の重要部分を奪うことの可否如何小法廷の裁判権の行使を制約してはいけないが、本案ではそういうことはないからよい。
二、根本的には大体歩調がそろうのが、刑訴は民訴と違い、事実の認定、刑の量定ということが大切だから、結論として、刑訴の上告理由が民一訴より絞られることはやむを得ない。
三、上告理由としての「判例違反」刑訴四〇五条(上告理由)を根拠に、判例の法源性を主張する学説もあるが、自分はとらぬ。
広く法令違反を上告理由にすれば、「判例違反」は不要。
本案では、「法令違反」が限定されている(即ち、判決に影響を及ぼすこと、及び著しく正義に反することの二つで)から、「判例違反」を上告理由とする必要がある。
四、「上訴」とは、未確定の裁判に対して上級裁判所に不服申立をするというが、「異議の申立」というのは、右の要件の何れかを欠く場合である。判決言渡のと同時に確定してしまう場合は一応「上訴」には入らない。一応というのは、民訴の特別上告、刑訴応急措置法当時の特別上告或は再上告は広い意味では「上訴」であろうから。
本案の小法廷と大法廷は、上、下級の関係にたつが、「付置」という特殊の関係にあるから、異議の申し立てが「上訴」の形をとっていないことは差支えない。五、小法廷の判決により、確定力が生ずるということは、執行力が常にそれに伴うととうことにならない。執行停止の措置もある。
小法廷の判決が大法廷で破棄されることがある。現行の上訴権回復の請求のような場合にもそういうことがある。
六、上告の名宛は大、小何れの法廷か法定の必要はないか
本案では一応小法廷から入ることになっているが、もし必要な場合は大法廷へ直接入るように最高のルールで決めれば入ってゆく。技術的なことだからルールによればよかろう。
七、憲法違反の主張と、その法令違反の主張とを含む事件は大、小何れでやるか
単に憲法違反の主張があったというだけでははっきりしないが、憲法違反について判断するということになれば、それが厳密な意味で一個の事件であれば、大法廷へ行く。
八、厳密な学問的意味における一個の事件の場合は、事件を分けて一部だけ確定させるということは、現在の訴訟では認めない。(但し異論あり)従って、一個の事件の一部分を大法廷、他の一部分を小法廷でやることは不可能である。しかし、一個の事件を、まず大法廷で憲法違反の点についてだけ「中間判決」をして、残りの一般法令違反の点について事件を小法廷に移して小法廷で審判することは可能だ
常識的な意味で一つの事件という場合、例えば併合罪の審理で一つの判決で主文が分れ、一部について有罪、一部について無罪という場合は、この場合厳密な意味においては事件が数個であり、上告も可分にできる。
九、「名を憲法違反にかりている」という理由で上告棄却がなされる場合にも、本案では、異議申立の道が開かれている。
十、憲法違反に関する限り、最高裁判所裁判官の全員合議は憲法の精神から見て必要ではないかと思う。現在の小法廷はむろん最高裁判所である。
十一、憲法にいわゆる終審という意味は、訴訟法でいう厳密な意味の上訴に限らない。一たん確定力が発生しても、その手続の発展として、一連の手続として最高裁まで持っていけは、終審という要件を満たす。十二、現状のままで、現在の上告受理の刑訴第四百六条を活用すれば、重要な法律問題は全部最高裁に取上げられる。これが最善の方法と思う。
小法廷を作れば、本来の最高裁判所がやや浮上った形になる。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/52
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053・宮沢俊義
○宮沢俊義公述人(東大教授)
一、司法権の意義範囲
新憲法は明治憲法のような行政裁判所を分けることを意識的に否定していることから見て(即ち司法刑、或はアングロサクソン型を採用している)司法権というのは、裁判所法にいうように一切の法律上の争訟の裁判ということになる。
二、違憲審査権は司法権に当然伴うものではなく、伴なわせるか否かは立法政策の問題。日本国憲法は司法権に違憲審査権を伴わせたと解する。三、ワン・ベンチは憲法上の要求ではないが、政策論としてはワン・ベンチが適当であることは議論の余地なし。
四、部に分れる(民事、刑事、連憲部等)ことは違憲にはならぬが、政策的に適当かどうかということになる。
五、現在の小法廷の活動は最局裁判所の活動と見ていい。決して下級裁判所ではない。従って、大法廷へ上訴するというようなことは現在も認めていないし、認めないのが当然。
六、すべての裁判所が合憲の審査権をもっているわけだから、最高裁判所小法廷(現在の)が合憲裁判をすることは違憲にならない。七、合憲推定ということは、それによって何をいおうとするか、場合場合によって違うのではないか。裁判その他で法律を適用するに当り、法律の合憲性は積極的に証明する必要はない。合憲でないと主張する者が挙証責任を負う。法律を公務員等が適用する、そのあとでその法律が憲法違反だということになっても、その法律の適用は違憲性を欠いているという場合とか、内閣あるいは検察庁が法律を適用するに当って、国会で成立した法律は合憲の推定を受け、その合無性に拘束されるから、それを適用する責任があるというように、場合によっていろいろ違う。
八、国法上の裁判所と訴訟法上の裁判所という区別は、現行法上も可能だと思う。
憲法第七十九条でいう「最高裁判所は、……」という場合は国法上の裁判所をいい、第八十一条のは裁判をする単位としての機関としての裁判所訴訟法上の裁判所を眼中においているのではないか。
九、本案については次善の案として賛成で、最善の案は、最高裁という頭を小さくして八名位とし、上告理由をしぼるのがよいと思う。
十、上告が何べんでもどこまでも広く許されることは、時間がかかり、裁判が長くかかり、ほんとうの権利の保護にはならないのではないか。
十一、憲法は、すべての事件が全部国民審査を受けた裁判官によって裁判されるということは要求していない。
十二、憲法の問題だけは最高裁まで終審として裁判させなければいけないという解釈が一般に承認されており、ほかの事件は立法政策の問題で、最高裁を終審としなくても違憲でないと思う。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/53
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054・中村宗雄
○中村宗雄公述人(早大教授)
一、小法廷の性格
(イ) 国法――憲法上、下級裁判所であるが、裁判所法上の上告終審裁判所、言葉をかえていえば最高裁判所ということになると思う。
(ロ) 小法廷は、民事、刑事の事件については終審の上告裁判所ということになる。だから、再度の上告といわないで、異議の申立というのだと思う。
(ハ) 小法廷から司法行政権の重要部分を奪うことは悪い。裁判権と司法行政権とは切っても切れない縁があるから、小法廷が下級裁判所である限りにおいては、当然司法行政権を与えねばならぬ。
二、上告理由は民訴と刑訴で異るべきではないと確信している。
三、法令違反を上告理由とすれば、判例違反というものは上告理由に特にあげる必要はない。
四、異議申立は実質は上告である。弁護士会方面の反対を避け、また、小法廷を最高裁判所の一部のごとく見せるには、上告としては工合がわるいから、そうしたのだろう。これは当事者のための非常上告と考えればよいわけで、あながち非難すべき理由はない。この辺、起草者の苦心があったと思う。六、国会において小法廷を下級裁判所なりと規定するならば、上告の宛名人は当然最高裁判所小法廷とすべきであろうと思う。小法廷はこれを最高裁判所に置くとあるが、まことにあいまいな言葉で、置くのだから最高裁判所の一部だというようににおわせるかも知れないが、小法廷は最高裁判所の一部にあるのだということになれば、これは単に置く場所をきめただけのことになる。
七、憲法違反の主張とその他の法令違反の主張を含む上告事件は、本案八条の三の三項によって、当然大法廷の権限となる。そうするとどんな事件でも理屈をつけて憲法違反にもって行くことがおきれば、(当分の間)大法廷の事件は一向に減らないだろうという議論も立つと思うが、最高裁がもう少し能率をあげててきぱき片付ければ、そんなに憲法違反に名をかりて大法廷の方に回してもらおうとする者はないだろう。
そこで、中間移送制を設け、最高裁が違憲なりや否やを解決し、それに基いて、さらに、民事、刑事の裁判を小法廷が続行して判決を言渡す方法が考えられる。ドイツにも少し事情が違うが中間移送制がある。九、最高裁判所はあまりに憲法違反なりという判決はすべきでないと思う。事実今まで実質的に二件である。そうすれば、最高裁判所はあまり多く起らない憲法事件だけを取り扱う裁判所、――いわば盲腸的な存在になるのではないか。この案をとる限り、将来最高裁判所は漸次縮小され、最後は、オーストリアにおけるように非常置の憲法裁判所でいいのではないか。これは将来当然憲法改正のときに生ずる問題であろう。この案の方向は当然憲法改正につながる、最高裁判所、上告裁判所の根本的改革ということにつながる案である。
将来真に機能をいとなむのは小法廷であるから、この万をいよいよ拡大し十二分に民事、刑事の上告を扱うようにすべきで、上告を制限して裁判所の能力にマッチさせるということは根本的に誤りである。もっと控訴、上告の道を拡大してゆき、小法廷をさらに拡大する方向にむかうべきである
拡大案はいろいろの差しさわりがあり、拡大案がうまくゆけば憲法改正につながらない現状を肯定した案になるが、今拡大しても早晩また問が起こる。そういう意味で拡大案をとらない。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/54
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055・峯村光郎
○峯村光郎公述人(慶大教授)
一、違憲審査権は最高裁に限らず下級裁判所もこれを有するものと解す。憲法第九十八条にいうとおり、最高法規である憲法に違背する法令はむろん無効だから。
一般的に他を拘束しないそれぞれの国家機関の見解が対立して収拾できない場合の最後の判断を最高裁判所の権限として国家的判断の統一をはかったのが憲法第八十一条と見るべきであろう。憲法の番人といわゆる所以。この権限を行うには全興の合議体たるを要し、具体的事件について問題を生、じたときに限られる。
違憲判決の効力が一般的でなければ、最高裁判所だからといって必ずしも下級裁判所を拘束しないわが法制下では、憲法第八十一条は無意味になる。
従って、一たん違憲の判決をした以上、最高裁判所自身といえども無効にした法令の効力を復活させることはできない。
二、司法権の優位が法制上認められており、最高裁に違憲審査権がある以上、一応法律の合憲推定をすることが妥当と思う。(但し反対の考え方も可能ともいえる)個々独立の国家機関が法律の合憲推定について疑義をもち、それぞれ異った判断をすることが法的安定性を害するという見地から考えても、むしろ法律の合憲推定ということを認め、最後に法令審査権の決定にまっということが制度として妥当と思う。
しかし、学界が十中八、九違憲立法であるとするものが堂々と存続するというわが国の状態からいうなら、制度としては合擬推定ということを認めるにしても、違憲審査権を具体的に個々の国民が実施するという心構えをもたなければ、この点はかえって混乱を、あるいは結果において、その制度を認めた制度と違った結果に到達するおそれがある。
三、判例連判を上告理由とすることは
成文法主義のわが国でも「判例」を法源と認めるべきであると考える。
裁判所が一般に法律の定立に関して影響を及ぼしうる何らの形式的権限をも認められない法制の下では、形式的立場からすれば、判例は単に法律の適用であるに止り、法律の定立たるものではないとされ、従って、法源としての判例法を認めるは無意味だとされるが、判例と社会生活の実質的関連について見れば、裁判所は、法的安定性のために重大な理由及び確実な根拠がある場合でなければ従来の判例をあえて変更するものではないし、下級裁判所も特例の理由のない限り訴訟経済上より上級裁判所の判例をとうしゅうするから、判例は法律上の拘束力がないに
も拘らず、事実上の拘束力をもち、従って、法律の適用は裁判所を通じて法律の定立と同様の結果を生ずる。
判例を上告理由とすることが妥当である。
四、合議体は必然的に少数がよいという議論はでてこない。
判事の数が少くなればなるほど、憲法違反、判例変更等の重要な問題について、判事一人の役割が大きいことにもなり、一人の負担する役割が大きければ大きいほど、その人を得ることが困難になる。人を得ないと重要な問題があるべき姿において表現されない結果になるという危険をはらむ。何人がよいかは、その目的に沿った決定ができるかの技術的な問題になる。
五、上告理由の拡張は当然すぎる位当然である。
六、本案では、小法廷は憲法違反の審査権をもたないことになるわけで、他の下級裁判所よりも権限が縮小されるかと思う、また四審制の非難もあるが、別な上告裁判所を認めても同様になる。一部には、小法廷においても憲法違反事件を扱うのだ、それが最高裁の違憲審査権だという議論もあるが、これは憲法第七十九条、第八十一条の解釈としては多少牽強附会のそしりを免れないだろう。
七、ワン・ベンチは憲法第七十九条及び第八十一条から必要と思う。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/55
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056・戒能通孝
○戒能通孝公述人(都立大教授)
一、十五人の裁判官では、事件がさばききれないところから問題が起ったのだから、あと二つ、三つ小法廷をふやせばよいと感じる。
二、従来の伝統である三級審制度は四級審制度に実質上変ると思われるが、なぜ四級制にしなければならなかったのだろうか疑問をもつ。
三、刑事上告理由を拡大するのはよい。不幸にして、すべての下級裁判所裁判官が完全な裁判官とはいえない。完全な裁判官であってもすべての事件について完全な判決をすることはできかねる。従って、それに対して異議がある場合に、上告理由を拡大するに反対する理由はない。
四、この小法廷の裁判官は全くおかしなものだと感ずる。憲法違反事件について裁判権がない。ただ最高裁に送付するだけであり、判例の問題についても、従来ある判例と異なる意見を持つような場合には大法廷に送付するというようなことになってしまう。法律解釈の権限のないような何か非常におかしな裁判所ができるじゃないか。法律解釈の権限においては、簡易裁判所の裁判官よりももっと下級な権限とか限度を持たない裁判官がつくられることについて納得できないものがある。
五、小法廷は独立の裁判所なのか、半独立なのが、性格があいまいで何となく裏くぐりをしているようなものはあくまで排除して、裁判に関する制度というものはどこまでも明瞭で、ごまかしのないようにしたい。なぜ増員してはいけないか、釈然としない。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/56
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057・金森徳次郎
○金森徳次郎公述人(憲法学者)
新憲法成立のときには、三権分立の建前から憲法審査権というものはどこかに何らかの形で必要だということだったが、それはむしろ例外的現象で、実際生活においては普通の法律問題の方がかなり重要なことがあろうと思う。こく広い意味をもって、何でもかでもの裁判所であって、その裁判所では終審として憲法違反に関する諸問題を取扱う、こうきめたつもりである。下級裁判所も法律の違憲を審査しりるが、最高裁が最後のしめくくりをするというふうにした。憲法だ憲法だといって騒ぎだてをするのは、擬法ができたその瞬間的な時代的意識の流れに影響されているのではないかと思う。もし最高裁判所は実際的に憲法違反事件を審査することに重点をおいててのほかのことは非常に例外的な現象にするという考えであるならば、多少いろいろの欠点があり、またいろいろの弊害も起ってくると思う。最高裁判所は一つの総合体となって動かなければいけない。(国会、内閣と同様)ばらばらになって、それが最高裁判所の働きだといえない。小法廷というものは憲法上の最高裁判所ではないということをはっきり頭の中に置いて、それにふさわしい活動を認めるということが唯一の解決の道であろうと思う。それなら、小法廷をやめて全部大法廷でいくということにすれば理論的にすっきりするが、実行的に故障がある。だんだん最高裁が発展すれば数十人の裁判官圧置かねばならない。従って小法廷というものを否認する意味ではないが、一つのうまい知恵ではあるが、最高裁判別そのものではないということをはっきりいろいろな形で表わしておく必要がある。小法廷の性質が多少不明瞭なところがある。例えば、小法廷で憲法に関する問題を自分で裁判する場合がある、それは従来認められていた判例に従ってゆく場合である、とあるが、従来のものに従うか従わないか、これは本来裁判所の自由であって、たまたま前に大法廷の判例があるから、その線に沿ってやってゆけば小法廷で憲法の問題をさばいてもいいじゃないかということは、ことによると憲法第八十一条の「憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」という原理と衝突するのではなかろうか。なぜなら、憲法問題の最後の決定は最高裁がやるということになっているから、最後までゆく機会が失われて、途中で憲法問題を事実上確定せられてしまうということは何か気になると思う。
部にわかれてやることは、何かうまい工夫があって、全体が一つになる、つまり最後には一つの機能によって調節せられるというふうな、工夫でもつけば、それはばらばらになってもやはり最高裁の意思であるといえようが、普通の考えでは、各独立体の意見をそのまま最高裁の意見とすることは、裁判制度の本質に反する。つまり憲法と抵触すると思う。
小法廷と大法廷と全く根本的性質が違うというときに、社会的に見て、類似の名前をつけて、人々の一棟の自発的錯覚に陥る気持を利用しようとすることは、一国の法律としてあまりかんばしくない。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/57
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058・眞野毅
○眞野毅公述人(最高裁判事)
一、ワン・ベンチ論
最高裁判所は法律でなく憲法でその設置などが定められているもので、しかもそれは単一であり、単一であるべきことが憲法各条(八十一条、七十七条、八十条等)に示唆されている。ワン・ベンチ論の根拠は、憲法の文字だけから結論を見出し得べきものではなくて、その制度の伝統を見て解決に到達すべきものだ。
最高裁判所はワン・ベンチで構成すべきものである。二、部に分けてやることは違憲である。
三、現行の小法廷は最高裁判所の一機構ではない。
四、現在の小法廷に対して、不服の申立の道が許されておる限りは、憲法第八十一条あるいは第七十九条には抵触しない。
五、小法廷の性格
(イ) 小法廷は、ワン・ベンチでないし、規則制定権もないし、下級裁判所判事任命権もないから、下級裁判所である。
(ロ) 対高裁では上位、対大法廷の関係では下位。
(ハ) 司法行政権は必ずしも小法廷に不可分に帰属するとはいえない。
しかし、裁判をすることに直接の関連を有するような事項については、小法廷にも司法行政権を与えることが適当と思う。
六、民訴と刑訴は性質が違うから上告理由は異ってよい。
七、判例違反を上告理由として最高裁が取り上げることは必要であり大切なことだ。
八、この異議申立は、より上級な裁判所に対する不服申立であるから、一種の上訴であると思う。九、小法廷の判決は一応確定するが、異議の申立があって、破棄され、しかも判決に影響を及ぼすべき場合には、確定力が失われ、元の裁判所に戻され、審理されるのだ。本案では異議の申立が許されているのだから、最高裁がただ意見だけを発表するのだというような解釈はとり得ないと思う。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/58
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059・島田武文
○島田武文公述人(弁護士)
一、本案では最高裁機構があまりにも複雑で、一般国民にはわかりにくい。簡明率直でわかりよいものでなければならない。
一、本案の最高裁判所小法廷が三審で、最高裁判所が四審となり、制度改正の趣旨に反する。
一、小法廷の裁判について、執行を停止しないことを原則とするならば、小法廷の裁判を終審とするのがまさっている。執行停止が容易に許されれば最高裁判所に対する異議申立が非常に多くなって、未済事件はますます増える。
一、同じ事件の裁判が、四審の最高裁判所と三審の小法廷に共属する。つまり、同じ事件をどちらの裁判所がさばいてもよいというが、不公正だ。審級の間には画然と職分管轄の区別を設けなければ、裁判所の威信を傷ける。
一、司法行政の面において、小法廷は最高裁判所の決議乃至決定に服することになっていて、この面からも小法廷の性格が不明確である。
一、一つの事件に憲法問題と一般法令違反等の問題が含まれる場合に、これをどこで、処理するか、最高裁の管轄と小法廷の管轄が不明瞭である。
一、憲法第七十八条は、最高裁判所と下級裁判所を特に別扱いにする趣旨ではない。最高裁がワン・ベンチでやるという規定はない。
憲法第八十一条もワン・ベンチの根拠にはならぬ。
憲法第七十九条も国法上の意味の裁判所についての規定であり、ワン・ベンチの必要はそこからは出ない。
一、憲法違反の事件は直接最高裁判所へ行き、三審で、他の法令違反の事件は小法廷を通って最高裁判所へ行くので四審となり、不公正である。
一、結局、現行法の大法廷をやめて、現在の小法廷をふやして、憲法違反を含めたすべての事件の審理裁判をすることに改めるのが一番正しく能率的である。
一、刑事上告の範囲は狭すぎる。現在の民訴との関係でも不均衡である。
一、第一審の強化は必要だが、年の多い判事や何等の上の裁判官をもって行くやり方だけでは強化されない。理想としては三人の合議制が必要だ。現在一人でたくさんの事件をもって、いるから、裁判が捜査中心主義になって、国民の満足はえられない。公判中心でなければならない。
一、控訴審ではつとめて事実の取調べをするようにしなければならない。(覆審は必要ないが)ことに無罪の場合で控訴審で有罪にするような場合には、少なくとも職権で事実の調べをする必要がある。
一、改革はまず最高裁判所から始めて、順次下級に及ぼすのがよい。事件は一番多く最高裁判所に停滞しているから。
一、増員は必然だ。旧大審院は四十五人で、今は十五人で、事件は三倍にふえているのに、人数は三分の一だ。
一、任命諮問審議会は是非必要。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/59
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060・小野清一郎
○小野清一郎公述人(弁護士)
一、ワン・ベンチは不要である。
違憲合憲の判断は重要であるから裁判官全員からなるただ一つの法廷で裁判することが望ましいが、憲法第八十一条はワン・ベンチの根拠にならぬ。
現在の小法廷でも合間の判決をすることができることになっており、現在の制度がすでにワン・ベンチ論を否定している。
憲法第七十九条の意味は、最高裁判所という国法上の司法機関にはそれらの職員がなければならないというだけのことであって、それが単一の法廷でなければならないとか、またその単一の法廷が必ず全員で構成されなければならないということにならぬ。
最高裁に数個の小法廷がなければならないことは事件数から見てとうてい否定できない。
二、最高裁に民事、刑事の小法廷、違憲審査の大法廷を置くことはきわめて合理的である。民、刑それぞれ専門の判事によって審判されることが適当で、それによって、実質的に権威ある判例法が展開されていくであろう。
また、憲法解釈はやはり格別達識の士によって行われるのがよい。現在大法廷と小法廷とがあることがすでにアメリカのシュープリーム・コートと違うのだ。いたずらにアメリカの制度を採用してワン・ベンチ論をするのは愚であり、わが司法制度の歴史的形成と現在の状況とに即応した改革をなすべきだと思う。三、現在の小法廷は憲法第八十一条の最高裁判所の一機構であることは疑ない。小法廷もまた、大法廷の判例がある場合には最終的な合憲の判決をするのは、小法廷が憲法第八十一条にいう最高裁判所の一機構であるからでなければならない。四、本案の小法廷がある場合に最終的に合憲の判決をすることができるものとすることは、憲法第八十一条及び第七十九条の許さないところである。
だから異議の申立を許すのであるが、それでは四審になって不当である。
五、小法廷の性格
(イ) 小法廷は国法上において独自の下級裁判所である。
(ロ) 高裁との関係においては上級裁判所、最傷裁判所に対しては下級裁判所、いわゆる中二階だ。異議の申立という名称はともかく、それは下級裁判所の判決に対する不服申立であり、しかも上級裁判所において審判せらるべき不服申立である。四級審であり、訴訟法学的立場において、そのほかに考えようは絶対にない。
(ハ) 小法廷の司法行政事務を最高裁判所に行わせることは、小法廷が独自の裁判所であるかぎり、裁判の独立性を保護する上において若干の疑問がある。
六、上告理由は、民訴と刑訴とでは控訴審の構造が違っており、従って控訴理由も同一でないから、両者の間に若干の相違があってもよい。
七、判例は少くとも第二次の法源として承認されなければならない。それは客観的な法そのものの発展のために必要なはかりでなく、それによって法令の解釈を統一し、法的安定を維持することができる。上告理由とするに十分の理由がある。八、異議申し立ては、理論上どうしても一の上訴方法であり、再上告と称すべきもの。異議申し立と呼ぶことによってその性質をこまかすことは九、小法廷の判決は一応の確定力を生ずるが、さらに最高裁の判決によって破棄されることがあるから、いまだ完全な確定力とはいい得ない。十、一審強化には、ドイツの参審制度のように、たとえば判事一人のほかに陪席を民間からあげるという方法を採用するのがよい。
十一、大法廷の九人の裁判官は互選等の方法できめて、二、三年交代にしてはどうか。違憲はならぬ。十二、司法行政事務については、判事三十人なら三十人の互選による何人かの行政委員会制によるのがよい。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/60
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061・藤田八郎
○藤田八郎公述人(最高裁判所判事)
一、ワン・ベンチが必要だということは憲法第七十六条、七十九条、八十一条、七十七条からは出てこない。
アメリカの最高裁判所法を継受しているのだからという沿革の論は別
として、条文論からは、なるほど憲法上最高裁判所はワン・コートでなければならないということはできるが、ワン・ベンチですべての審判をしなければならないという結論は生まれてこないのではないかと思う。
憲法にいう裁判町というものは、国法上の意味の裁判所であり、官庁としての裁判所であって、独立して現実に裁判権を行使するいわゆる狭義の裁判所というものを表わしているのではない。従来のわが国の裁判所は、そうした狭義の裁判所をたくさん持っている裁判所だった。宮丘としての裁判所の中に多数の狭義の裁判所が存在しているというのが常態である。裁判というものの本質上(立法、行政と違い)そう多数でやれる性質のものではない。ベンチがふえるのは当然である。その在来の日本の裁判のあり力を憲法が変更する意思はもっていないと思う。禁ずる明文がない以上、最高裁判所といえどもこれをもつのは当然である。
ただ考えなければいけないことは、憲法八十一条にいわゆる最高裁判所は違憲審査権をやる最高裁判所だということである。公権的、有権的、あるいは最終的な憲法判断の権限をどこにもたせるかは各国の立法例により異るが、わが国では最高裁判所にもたせた。憲法触釈は区々になってはいけない、憲法解釈をするベンチは必ず一つでなければならぬ、これが憲法の要請だろうと思う。国民審査と考え合せても、憲法審査に関与しない裁判官があることは、これも憲法は認めない。オールジャッジのワン・ベンチは動かせない。
しかし、最高裁判所というのは、憲法裁判所当時のものとは迷うのであって、民事、刑事についても最終最高の裁判をするところなのである。――現在の小法廷がそうである。そういうところに分れて裁判することは憲法違反にはならない。
三、増員には反対
三十名にも増員ということは、量の問題でなくして最高裁判所の質を変化せしめる問題である。
新憲法の最高裁判所というものはアメリカの制度にならったものであることは明らかで、増資はドイツ流の大審院というものな作ろうとするものである。これは、憲法の予測しないところ。憲法の精神に、反する。
最高裁をつくったのは、少数有能な裁判官でもって構成し、これに国家の最高の待遇をあたえて、立法、行政権とてい立した真の意味の司法権の独立をはかったも一のである。
三十人は、不適当であって、十五人でもワン・ベンチは多すぎる。これが大法廷の審理が迅速に運ばない大きな理由である。四、三十人増員論の立場からすれば、(自分は増員絶対、反対)結局、民事、刑事とに分けて五人の構成で三部つくることになるであろうと思う。しかし、その場合、違憲審査はどうしてもワン・ベンチでなければならないのだから、違憲同順は民、刑総連合部で審判することにすべきではないかと思う。しかし、これは憲法の予期しないことである。するなら憲法改正をまってすべきであろう。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/61
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062・岩松三郎
○岩松三郎公述人(法務省特別顧問)
一、小法廷の性格
(イ) 憲法第七十六条の「下級裁判所」というのは、審級の意味の下級裁判所をいうのでなくて、司法行政上の意味における下級裁判所であり、小法廷はそういう意味の下級裁判所である。
(ロ) 訴訟法上の上訴審としての関係では高裁に対しては上級裁判所。大法廷との関係では、違憲審査の関係では下級裁判所といってもよいと思う。そして、普通の裁判権の関係では同列と思う。また、官庁としての裁判所としては、大法廷に対し下級裁判所。
(ハ) 司法行政権は司法裁判権の独立性を保障する一手段であるという面もあるが、必ずしもそうでもなく、司法行政権というものは、司法裁判権の行使を容易ならしめるよう準備したり助長したりする行政活動をする権限であり、これを全然持たなくても、訴訟法上の意味の裁判機関は存在し得る。例えば、地方裁判所の「部」はこれを大部分もっていない。大部分はもたないが、多少はこれをもっている本案の小法廷は、その意味でやはり独立の下級裁判所として存在し得る。
二、上告理由は民刑で行ってよいか
民事と刑事は、性質が違うから、もし上告制限をすることがやむを得ない(色々の国情、特に国の経済力から)なら、ば、区別するのが妥当であろう。然し、上告を無制限に許すほど余裕があれば、区別しないでよい。
三、上告理由としての「判例違反」
法令違反の外に「判例違反」を認める必要はそうないと思う。ただ「判例違反」をあげておけば、判例に違ったと云うだけで明らかで、すぐ上告の理由にあげられやすいという便宜はある。四、「異議申立」は、従来の観念からいうと、異議でもなければ上訴でもなく、むしろ再審に近い一種の不服申し立てだと思う。小法廷の判決は解除条件付確定判決ということになる。
五、大法廷の破棄判決のあったときは、それに遡及効を認めないといけない。なぜならば、小法廷の判決が事実上無条件に確定したのと同一結果を招来することになり、憲法第八十一条の終審として最高裁が有する憲法適否審査権を害するきらいがあるから。終審というのは、通常の不服申立における終審を意味する。六、名宛は、大、小法廷の、どちらへでもよいが、一番理論的にいえば、小法廷の名宛にして、上告は一応そこへやって、あとは裁判所内部の関係で移送してもらうことでよいと思う。
七、憲法問題と一般法令違反の問題が一つの事件に含まれているときは、本案では、法律で定めるとか何らかの手当をしなければ、大法廷がやらさるを得ないことになる。
八、一つの事件を大法廷と小法廷とに同時に係属される状態をつくることは適当でないから、一応大法廷で憲法違反の点をやって、小法廷へ戻してやることにするのがよいと思う。現在でも最高裁規則にそういう規定になっている。
九、「名を憲法違反にかり……」といって上告を棄却する裁判に対する異議は
実質的には憲法違反の問題が包含されているのに、実質的に憲法違反はないといって棄却する小法廷の裁判に対しては、異議申立の道が本案では保障されている。
現行の小法廷の裁判に対しても不服申立の道が開かれていないと憲法違反になるのではないかと思う。
十、ワン・ベンチは憲法上の明文にはないが、憲法の趣旨からそう解釈しなければならない。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/62
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063・岡弁良
○岡弁良公述人(弁護士)
一、上告理由
昭和二十九年六月一日民事上吉事件の審判特例法が失効し、同年民訴の改正で上告理由に法令違反を加えることになったので、十五人では審理不能という世論が圧倒的となって、増員論が支持されるに至った。刑訴も民訴との均衝上当然法令違反を上告理由に加うべしとの議論が強くなって、その改正と機構改革の改正案とは不可分のものとして研究されるに至った。
刑事上告理由は「判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違反」とすべきだが、本案では制限がさらに加重されている。が「正義……」というしぼりをかける必要はない。
二、増員案について
判事総数三十名とし、民事法廷三つ、刑事法廷三つ、各法廷の裁判官は五人ずつの合議体とする。別に民事連合法廷、刑事連合法廷、民刑連合法廷を設けて、判例の抵触を防ぐことにしたいという在野法曹の結論が最近に至りまとまった。
二、最高裁の受理事件が増加し審理し切れないのに減員ほど矛盾した話はない。増員が常識で、この方が予算的にも経済である。
本案の小法廷は学者のいう中二階で、性格がきわめてあいまいである。名前から最高裁判所かと思うと、下級裁判所であるといい、下級裁判所かと思うと、法令違反の上告裁判所で終審裁判所であるといい、終審裁判所かというと、憲法違反があればさらに大法廷に異議の申立ができるという。
三、なお、民事には判例違反を明記してないが、判例違反は民事、刑事上告ともに統一さるべきものと思う。四、元来、控訴審は刑事でも民事と同様続審主義にすべきものだ。今日の実際は東京、大阪等大都市では、大部分証人調べや実地検証を、やっており、その結果原判決を破棄する例が多い。第一審が今日のよりに単独判事の時代に、事実調べを一審限りとすることは、当事者に不満の念を与える。一審の充実は実際(予算面、判事の数等)困難だから、控訴審を続審として丁重に裁判するほかはない。
五、小法廷は違憲訴訟以外の事件を扱うという本案の建前は控訴審が二つできたという感じがする。四審制ははなはだしく不当である。六、控訴審は続審とし、上告審は憲法違反と法令違反を審理裁判して、憲法第八十一条の違憲審査並びに司法裁判所としての法令解釈の統一の面と二つを兼ね備えて審理、裁判すべきではないかと思う。本案は結局、国民が司法上の裁判をうける機会を制限しはく奪しようとしているように感ぜられ賛成できない。七、本案は第十条、第三項で、大法廷から事件をさらに小法廷に移すことにしているが、事件をやりとりする日子は相当なもので、訴訟遅延がはなはだしくなる一つの原因となる。八、本案は四番制になり、それだけでも一年ないし二年の延長をきたすものである。
大法廷は違憲審査だけをするのたから四審にはならないというかもしれないが、もしそのような少い事件を九人の判事が最高裁判所として大きな予算と機構とをもって審理裁判するということは非常な無駄なことになる。
しかし、実際は、憲法の解釈に誤りがあるといい、憲法に違反するといっても、法令違反はことごとく憲法違反になる(憲法三十一条違反)。二、三年運営してゆく場合、小法廷は多数だから事件は処理できるであろうが、最高裁判所はとうてい事件を審理し切れなくなり、また五千、六千と事件は累積し国民の非難の声が起るであろう。もしそれを印刷物などで却下決定などをすれば、最高裁判所の威信はそれこそ地に落ちるであろう。
九、本案では、最高裁は終審.裁判所として違憲審査をすることによって、憲法第八十一条の要件をみたしたのであるが、憲法第七十六条の司法権については下級裁判所である小法廷にその権限を譲ったと見られる。なにゆえに国民が希望する法律の解釈の統一という重大な使命を最高裁判所自身がやらないのか、本案の重大な欠点である。刑事はともかく、民事ではほとんど最高裁と絶縁することになるであろう。十、憲法第七十九条は最高裁判所の裁判官の数をきめたのであって、決して合議体の裁判官を何人にしろということを命じた条文ではない。
八十一条による全員参加の権利を最高裁諸公は主張するが、われわれはこれを奪おうとするのではない。
三十人の通常は不可能ではなく巧拙の問題である。
憲法の解釈が区々になるという心配は連合部を設けることによって除かれる。
大法廷、小法廷というような区別はむしろない方がよい。
十一、少数意見制は、国民審査のとき必要だという議論があるが、国民審査に少数意見を見て投票する人はほとんどまれであるから廃止するがよい。
十二、任命諮問審議会を設けることは在野法曹年来の意見である。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/63
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064・佐藤藤佐
○佐藤藤佐公述人(検事総長)
一、小法廷は最高裁判所の中にあるが下級裁判所であるという解釈を下さざるを得ない。
下級裁判所である小法廷に最高裁判所小法廷というような名前をつけ、また、下級裁判所判事である最高裁判所小法廷判事というような名一瞬をつけ、いかにも複雑に見える。
もっと国民にわかりやすい制度に、わかりやすい名前がつけられなかったか不満に思う。
小法廷の判決に一応確定力は認めるが執行停止ができるから、これが乱用されるおそれがあり、そうすれば、事実上四番になり、訴訟は遅延する不安がある。しかし異議申立はめったになく、一部分四番になっても大部分は小法廷でかたづくから全体的に見れば審理促進に役立つという見通しもつく。
二、三十名に増員(純粋増員論)して、その三十名の裁判官が全体の会議において、憲法違反、判例抵触の問題については十二名なり、あるいは十三名の裁判官に本年度はまかせて事件を取扱わせることを委任するということになれば、決して憲法違反にはならないのではないかということを考えている。従って、現在の小法廷は憲法違反ではない。
ただ、増員する場合、難点は、第一級の候補者を三十名も選ぶことが実際問題として困難ではないかと思う。
また、これが倍増されると、その裁判官の地位、待遇において一瞬高いものを期待することがむづかしいのではないかということを考えると、この純粋増員論には、にわかに賛成することはできない。
結局、適当な案は外に考えられない。本案に賛成せざるを得ない。
三、刑事上告の門は狭すぎて、国民の人権擁護上不充分である。
ひろげるべきであるが、本案は狭い。しかし本案のように著しく正義に反すると絞っても、当事者は、それにかまわず上告するであろうから、当事者には実際上そう不便はなかろうと思うから、賛成している。
四、控訴審の構造
将来刑訴改正の時は継続審に直してもらいたい。
刑事は事実の認定と刑の量定が一番問題で、法律問題は第二の問題だ。二審は法律問題、三審は憲法問題だけといっても、国民感情は満足しない。自然、当事者は名を法律問題にかりて、控訴する、上訴するというのが実情である。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/64
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065・石田和外
○石田和外公述人(東京地方裁判所長)
一、審級制度を活用するには、一、二、三の各審級にそれぞれ異った任務をもたせ、全体として適当な調和が保たれるようにして、始めてその効用を発揮させ、国家の経済も保たれ、関係人の権利擁護の実も速成されると考える。
二、民事、刑事共に一審が裁判官にその人を得、審理のよろしさを得、事実の認定、法律の判断、刑の量定みな肯綮にあたり、当事者の満足、信頼をつなぐことができれば、控訴審も上告審もその必要はないわけである。
新刑訴は弁論主義、当事者主義が強くうちだされているから、そのようにすれば、二重犯人や誤判はないわけであるが、八年の運用を反省すれば、足りない点があることを認めざるを得ない。それは裁判、検察、弁護士を含む法曹実務家の新制度に対する認識が足らなかったためと思う。最近全国的に第一審強化運動が展開されている。
三、厳密な意味の最高裁判所については、憲法が付与した高き使命、性格から見て、当然その任務は憲法違反、判例抵触、重要な法令解釈の三つに限るべきものと思う。増員には絶対反対で、現状が維持できないとすれ、ばむしろ減員に賛成する。
上告理由も、現状維持か、かりにその範囲を広げなければならぬとしても、最小限にとどむべきである。現在、判事の補給が困難であり、法曹一元の理想は唱えられるが、検察官、弁護士側ともに必ずしも補給源として頼むに足りない。最高裁小法廷の創設はたちまちにして下級裁判所をいたく圧迫し、一審は現在以上の弱体化は免れない。
四、本案は、控訴審の上に二軍の法律審を設けようとするものであって、将来控訴審が覆審に改められる危険がある。大陸法的な上訴制度は第一審素通り主義に陥り、審級の積み軍ねは、乱上訴と誘発し裁判の遅延を来す。当事者の利益保護にもならぬと思われる。今こそ、機構改革、審級制度の改正に投じようとする費用とエネルギーを第三番強化に向けて、わが国裁判制度の基礎を固めるべきである。
五、上告理由の大幅拡張は反対である。
六、最高裁判所小法廷設置には反対する。設置するとしても、できるだけ小規模にし、その人員は第一審増強へ振り向けるべきである。
七、現状維持は可能である。現状維持を主張する理由
(イ) 十年間相当の実績を上げている。
(ロ) 最高裁判所の事件は漸減の傾向にある。
(ハ) 昭和二十六年事件が激増したのは特殊な一時的現象である。
(ニ) 現在四千四百件程度の事件があるが、このうち三千件くらいは、結局常時存在するものでやむを得ない。今の情勢では約一千件オーバーと思う。
(ホ) 民、刑共全国的に事件の落つきをみせてきたこと。
(ヘ) 最高裁判所の人的構成が昨年末相当一新したこと。
(ト) 別途に裁判官の負担軽減の方法を考慮する余地があること。
(チ) 一審強化により漸次上訴事件の減少を期待すべきこと。
(リ) 一審強化の方途、必要によっては陪審制あるいは参審制の採用、あるいは裁判官の増強策(待遇問題等)を検討すべきではないか。
…………………………………発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/65
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066・柳川真文
○柳川真文公述人(東京地方検察庁検事正)
一、一線の者としては、判例の問題についても、また法令解釈の問題についても、それがすみやかに確定されることを望むので、本案は、大体においてよいのではないかと思う。
三十人、四十人という多数では、合議として困る。十分な審理ができないだけではなく、結論が非常に遅れると思う。しかし、八人という比較的少い裁判では、何か片寄るような心配があるということも一応考えられるが、選考委員会で慎重に、ふさわしい人を選べばよいと思われる。
二、本案は、たしかにすっきりしないとは思うが、これもいわば感じの問題であって、大なる欠点とはいえない。
三、懸念されるのは刑事の執行停止の点である。うまく運用されないと事実上四番となり、裁判の遅延を来すのではないか。運用上充分考慮されればよいのではないかと思う。
四、この程度の上告理由の拡張は、あまり審理遅延を来さないと思うし、国民の強い要望でもあるから、賛成したい。
五、昨年、最高裁の第一審強化対策要綱ができて、二月から実施されて、公判中心主義、直接審理主義、口頭弁論主義というような刑訴の基本的な方針の忠実な実践を始めているが、これには異論はないこと勿論であるが、他面審理遅延のおそれがある。その防止対策として、第一審判事の数を増して、合議部なり単独部をふやしてゆく必要があると思う。しかも老練な裁判官を一審に回せば、迅速で且つ適正な、当事者の満足する裁判ができて、自然上訴は減ってゆくと思う。有能な弁護士、高等裁判所の裁判官、最高の調査に来てもらうことがよいと思う。
同時に、一審充実のためには検察官の充実増員ということも忘れてはならない問題である。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102605206X02819570423/66
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