1. 会議録本文
本文のテキストを表示します。発言の目次から移動することもできます。
-
000・会議録情報
昭和三十三年二月十二日(水曜日)
午後一時三十三分開議
出席委員
委員長 森山 欽司君
理事 植村 武一君 理事 大坪 保雄君
理事 田中 正巳君 理事 野澤 清人君
理事 八田 貞義君 理事 八木 一男君
小川 半次君 加藤鐐五郎君
亀山 孝一君 草野一郎平君
小島 徹三君 小林 郁君
田子 一民君 中山 マサ君
古川 丈吉君 山下 春江君
亘 四郎君 岡本 隆一君
栗原 俊夫君 五島 虎雄君
滝井 義高君 堂森 芳夫君
中原 健次君 長谷川 保君
吉川 兼光君
出席政府委員
厚生事務官
(医務局長) 小澤 龍君
委員外の出席者
検 事
(刑事局刑事課
長) 河井信太郎君
参 考 人
(東京大学教
授) 萩原 朗君
参 考 人
(慶応義塾大学
教授) 植村 操君
参 考 人
(東京大学教
授) 上野 正吉君
専 門 員 川井 章知君
—————————————
二月十二日
委員勝間田清一君辞任につき、その補欠として
滝井義高君が議長の指名で委員に選任された。
—————————————
二月十一日
日本労働協会法案(内閣提出第三九号)
同日
医業類似行為既存業者の業務存続に関する請願
(伊藤郷一君紹介)(第七八三号)
同(阿左美廣治君紹介)(第八五七号)
下水道整備促進に関する請願(池田清志君紹
介)(第七八四号)
社会保険診療報酬引上げに関する請願(池田清
志君紹介)(第七八五号)
保育所予算確保に関する請願(加藤鐐五郎君紹
介)(第八一五号)
老齢者、有子未亡人及び身体障害者等の年金制
度に関する請願(小林信一君紹介)(第八一六
号)
社会保険診療報酬引上げ反対等に関する請願(
足鹿覺君紹介)(第八二九号)
簡易水道普及に関する請願(足鹿覺君紹介)(
第八三〇号)
国立療養所の給食費引上げに関する請願(北山
愛郎君紹介)(第八三一号)
通信関係原爆犠牲者の処遇に関する請願(高津
正道君紹介)(第八三二号)
未成年軍属の処遇に関する請願(高津正道君紹
介)(第八三三号)
薬事法改正に関する請願(平田ヒデ君紹介)(
第八三四号)
衛生検査技術者の身分法制定に関する請願(山
花秀雄君紹介)(第八三五号)
同(植村武一君紹介)(第八五八号)
同(小林郁君紹介)(第八五九号)
同(松浦周太郎君紹介)(第八六〇号)
同(五島虎雄君紹介)(第八八六号)
同(田子一民君紹介)(第八八七号)
同(山中貞則君外一名紹介)(第八八八号)
同(中原健次君紹介)(第八八九号)
同(西村彰一君紹介)(第八九〇号)
同外一件(福田昌子君紹介)(第八九一号)
国民健康保険法改正案に関する請願(生田宏一
君紹介)(第八八一号)
労働者災害補償保険法の一部改正に関する請願
(高岡大輔君紹介)(第八八二号)
日雇労働者健康保険法の一部改正に関する請願
(高岡大輔君紹介)(第八八三号)
国民年金制度創設に関する請願(田子一民君紹
介)(第八八四号)
日雇労働者健康保険法の改正に関する請願(和
田博雄君紹介)(第八八五号)
の審査を本委員会に付託された。
—————————————
本日の会議に付した案件
角膜移植に関する法律案(中山マサ君外三十九
名提出、第二十六回国会衆法第四三号)
————◇—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/0
-
001・森山欽司
○森山委員長 これより会議を開きます。
角膜移植に関する法律案を議題といたします。
—————————————君、慶応大学教授植村操君、東京大学教授上野正吉君より御意見を承わり、本案審査の参考に資したいと思います。
この際、参考人の方に一言ごあいさつ申し上げます。本日はお忙しいところおいでいただきましてまことにありがとうございました。何とぞ忌憚のない御意見をお述べ願います。はなはだ恐縮でございますが、時間の都合もございますので、簡単に要約してお述べ願いたいと存じます。
なお参考人の方より御意見の御開陳がありました後、委員各位より質疑がある予定でございますので、その点お含み置き願いたいと思います。ただ議事規則の定めるところによりまして、参考人の方々が御発言をなさいます際には、委員長の許可を得なければなりませんし、また参考人の方々は、委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので御了承願いたいと存じます。
ではこれより参考人の方より御意見を聴取することにいたします。まず萩、原朗君にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/1
-
002・萩原朗
○萩原参考人 御紹介にあずかりました東京大学の眼科教室の萩原朗でございます。このたび角膜移植の法案に関しまして、参考人としてここにお招きをいただいたわけでございます。格別まとまったお話もございません。ごくありふれた臨床的のお話を申し上げまして、あといろいろと御質問がございましたらお答え申し上げるという程度にいたしたいと存じます。
角膜移植と申しますのは、角膜が濁っておりますために視力が非常に悪い、そういう患者に健康な角膜の一部分あるいは全部を移植して、再び日を回復させるという方法でございます。それでこの手術はいつごろから始まりましたか、ちょっと漁場がわかりませんですが、大体一九一人年ごろチルムという人の報告が現われております。しかしながら大体よく研究され、そしてまた現在の手術術式ができ上りましたのが、大体一九二三年ごろでございまして、オデッサのプロフェッサーのフィラトーという人がそれをよく研究しまして、現在の術式ができ上ったわけであります。それを今踏襲して、それにいろいろ改良を加えておるわけであります。
ところで角膜移植にはいろいろな方法がございまして、自分の日だけで処置することができる場合があります。たとえばちょうど瞳孔のところに濁りがございまして、その周囲が透明でありますときには、円形、あるいは短冊形の切片を作りまして、透明なところをぐるっと回して瞳孔に持ってくる、そういうような方法もございます。そうした場合には別にほかから角膜を持ってくるということが必要ございませんからして、これは自由にできるわけでございます。しかし盲人必ずしもそういうのだけではございませんで、角膜全体の濁っているという場合が多うございます。少くとも周辺ごくわずかの部分だけしか透明でないというものがたくさんございます。そうした場合にはどうしてもほかからのきれいな角膜を持ってきて入れかえなければならないということになるわけであります。それでわれわれは普通にはたとえば五才くらいの子供——大体五才まででございますが、一才、一才、三才、四才、五才ぐらいまでの子供に網膜膠腫という病気が起ります。これは非常に悪性なものでありまして、目のガンと言っていいくらいの悪性なものであります。見つけ次第すぐ眼球をとらなければならぬ。そうした子供では大体角膜は非常にきれいなものであります。そういう者を隣りに寝かせておいて、盲人の角膜を入れかえるというようなことを昔はやっておったわけであります。しかしそれでも網膜膠腫というのは近ごろはなかなか少くなりましてたくさんはございませんので、しょっちゅうそういうことをやることができません。従って何とかして角膜のいいのを持ってこなければならぬ。ある人は、たとえばお母さんが子供にぜひ日をやりたいという希望がありまして、お母さんのきれいな角膜のごく周辺の、つまり視力に関係のない部分の一部分を取って参りまして、子供のまん中のところに植えてやるという方法も試みた人があります。しかしどうも健全な角膜をゆえなくして傷つける、たとえゆえがあってもそれは困るというようなことであって、実際はあまり歓迎したことではないのであります。そのために健全な角膜がいろいろと障害を起しまして、また病気になることもございますからして、決して安全な方法ではないわけであります。どうしても今度は死んだ人の角膜をもらってこなければならぬということになります。それで普通は、これは法的にはいけないことかもしれませんけれども、施療患者、あるいは変死者といいますか、そういうふうなもの、病理学教室あたりで解剖に付す、そういうような死体からいただいてきて、それを視力の悪い人に植えかえるというようなことをやっておったわけであります。しかしそれはどうしてもわれわれとしては大っぴらにはできないのでございまして、何とかしてそれが公然とできるようにしたいものだということが要望されるわけであります。それでこういうような要求が出されたのであろうと存じますが、われわれ臨床家といたしましては、これぐらいの程度のことしかわからないのでございまして、臨床的にそれを手術いたしました結果がどうなるとか、あるいはその成績はどうだとかいうようなことにつきましては、また御質問がございましたらお答えすることにいたしたいと思います。あとまた植村教授からいろいろお話がございますから、これで私のお話を終ることにいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/2
-
003・森山欽司
○森山委員長 次に植村操君にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/3
-
004・植村操
○植村参考人 こういう角膜移植の法律ができますことは、私ども臨床家にとりましては非常にありがたいことなんでございます。ただ、角膜が移植できるということが伝わりまして、一般にはかなり誤解も受けておる点があると思うのでありまして、日常しばしばこれに遭遇するのであります。つまり角膜を移植さえすれば視力は非常によくなるというような期待を持っている人もありますし、それからまた一眼がほとんど健全であって一眼がほとんど失明同様である、これも角膜を移植してくれというような要求をしばしば受けるのでありますけれども、これは誤解だと私は思うのであります。角膜移植というのは開眼治療というふうに言う方がいいと言っている人すらあるのでありまして、視力はよくはなりますけれども、視力をよくするというより、今ほとんど失明していた者が多少明を取り戻す、多少視力がよくなるので視力改善ということになるかもしれませんけれども、広い意味の視力改善というより開眼の手術と言った方がいいと言う人がいるぐらいでありまして、一眼がほとんど健全である場合に片一方を移植しましても、これはほとんど効果がないのであります。それを非常によく誤解されるので、そういう患者さんがよく来るのですけれども、これはほんとうの適応ではないと思うのであります。言いかえますると、こういうような角膜の移植というのは、両眼ほとんど失明状態になっている、眼科の方から言いますと視力は
〇・〇二以下をほとんど失明と定義づけておりますけれども、それぐらいの悪い視力の場合にやるべき手術だと思うのです。これが往々間違って伝わっているようであります。ただ非常に軽い混濁のときにやればよくつくことはつくのです。濃い濁りでほとんど失明しているより、軽い混濁のときには、健康な角膜を健康な目に植えれば非常によくつくのです。そういう点からいえば、視力に少し障害があるものにやってもいい場合もあると思いますけれども、万一その経過が悪ければこれで失明さしてしまうという危険も相当にあるわけですから、そういうような適応を十分に考えてやられる必要はあると思うのです。こういう法律ができたからどんどんやっていいというので、片っ端から要求に応じてこれをやるということは、かえって弊害があるのじゃないかと私は考えるのです。
それから、今までも、死体から角膜を取ってやったというようなことがあるやに聞いておりますし、また医学的良心に基いてやったのもあったと思います。多少問題となったのもあったようであります。何かで読みましたけれども、日本でも明治の三十八年に最初に角膜移植の論文を、発表した方があります。その時分からもうやっていたじゃないか、だから今法律を作るのはむしろおそいぐらいだということを言われた方があるようでありますけれども、そのときのは動物の角膜を人間に植えたというような研究なんでありまして、人間のを植えたのもそのあとに研究がございます。しかしこれは死体から取ったあるいは健全な人の日から取ってきて植えたというのではなくて、これは当然取らなければならない眼球、さっきちょっと話がございました網膜膠腫というような、置いておけば命にかかわるというような、これは日の奥の方に障害があるので、日の前の方に障害はないのであります。ですからそういうような目の玉を取るあるいは緑内障とか何かで日を取らなければだめだというときに取った角膜を植えている、この程度でありまして、健康な人のを取ったのでもなし、それからまた死体から取ってやったのでもなかったのです。先ほどお話がありましたフィラトーという人が、今から二十年くらい前ですか、死体から取ってやっていいというようなことをたくさんの研究によってやりまして、それからやれるようにはなったのでありますけれども、何分にもこういう取ってもいいという法律がなく、うっかりすれば死体損壊罪に相当するというようなんで、やっておれないわけなのであります。これが法律で認められるようになりますれば、十分なほんとうにいい適応症を選べば失明を救うことができるというふうに考えられると思います。そうなれば、今何万人おりますか、失明者のうち幾分は救われることがあると思うのです。ただその手術がちょっとめんどうでありますし、植えたものが必ずよくなるとはきまりませんで、私はいろいろの関係で光明寮をずっと調べてきたことがありますけれども、あるところで、やったために両眼全く失明同様になってしまって、光明寮に入ったという人も実際に見ておりますので、これはやっていい場合は非常にいいと思いますけれども、またそういう危険も伴うものですかう、これはだれがやってもいいというよりか、やはり相当経験のあるところでやるべきだというふうに考えます。こういうので、だれでもどこでもやってもいいというようなことでは、かえってその弊害もあるのではないかという懸念も多少あることはあるのです。
それから目のことはそのくらいにしまして、私よく存じませんけれども、死体から眼球を取るということは解剖の一種であるというふうにも考えられるのではないか。これは私法律なんか存じませんから、そう考えるのですけれども、これは手術でなくて、植える方は手術でありますけれども、死体から取る方は死体の解剖の一種だと思います。そうしますと、この解剖をできる医者というものは一定の資格が必要なはずであります。ですから、大学とか何かでありますれば、死体を解剖する資格を持った医者がたくさんおりますから、よろしいのでありますけれども、たとえば私が地方で開業しているようなときに、この人の目を死んだから上げますといってもらうときに、それを取っていいかどうか、これが私にちょっとわからない点なんでありますけれども、そういうことがはっきりしておりますれば、どこでもできると思いますけれども、それがもし解剖の一種であるということになりますと、この法律ができましてもどこでもはできないのではないか。これは無知なためにそう考えるのかもしれませんが、そんなような気がするのであります。そういうようなことをちょっと考えました。
とりとめもないようなことを申し上げましたが、私はこの法律についてそんなように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/4
-
005・森山欽司
○森山委員長 次に上野正吉君にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/5
-
006・上野正吉
○上野参考人 私は東京大学の法医学を受け持っております上野であります。こういうことは私にとっては初めてでありまして、私は法医学をやっております関係上、こういうような医学に関した法律ができるときに法医学者が呼ばれるということは、非常にいい前例を開いたものとして歓迎しておるわけでございます。
ただいま二人の教授から臨床方面のことについて詳しくお話がありましたので、私はそれ以外のこと、医学と法律との関係について私の意見を述べさしていただきたいと思います。
まず、この角膜移植に関する法律案の逐条をちょっと読んでみたのですが、一番先に問題になるかと考えたのは第二条でありまして、「医師は、死体から四球を摘出することかできる。」こう書いてあります。死体からと書いてありますか、この死体ということは、簡単にこう書いてありますか、これは非常にむずかしいのであります。生体と死体との区別ということは、非常にむずかしい問題があるのでありまして、何をもって死んだとするかといいますと、それは心臓の働きがとまった、呼吸がとまった、両方がとまったときが死、こうしておるのでありますけれども、急にばったりととまってくれればいいのでありますけれども、大ていはだらだらととまりまして、いつが終りであるかわからないのが普通なのであります。これは非常に悪い夢のように私が思い出すのでありますけれども、二十数年前に私が古畑教授の助手をしておったときに一つの解剖がありまして、それに立ち会って見ておったのでありますが、胸を開いたとたんに心臓が動いているのを見たのであります、その動きは不規則な動きではありますけれども、りっぱな収縮運動。そうしますと、これはまだ生きておった、生きておったのに解剖したということになるわけでございます。確かに死んで数時間もたってから運び込まれてはおるのでありますが、そういうことがあるわけであります。従って死をよく確認されてからでないとこれは非常にむずかしいと思います。いろいろむずかしい問題が起るんじゃないかと思うのであります。心臓がとまり、呼吸がとまりましても、からだの大部分の組織はまだ生きております。たとえば筋肉に電気を通してみると収縮する、あるいはフロカルピンを注射すると汗が出てくる。もちろん生殖細胞なんかは長い間動いております。そういうふうにまだ生体は生きておる。まだ生きておるからこそ角膜なんかも移植した場合に効果があるわけであります。全然組織まで死んでから角膜を移植したのでは効果がないわけです。なるべく死んですぐやりたいという希望を医者はすべて持つだろうと思います。その意味において、もう絶対これは蘇生することができないという死の確認をしてからこれを行うべきであると思うのです。その死の確認ということをはっきりしておきませんと、目をとってしまってからまた生き返ったというようなことが起きないとも限らないわけであります。これに対しては確認のための法規が必要じゃないか。死体の解剖保存法の方にはありませんが、目の角膜移植という法律であるならば、この確認ということをぜひ入れてもらった方がいいんじゃないかと思います。たとえば二人の医者でこれが確認されたとかということが必要じゃないかと思うのであります。
その次に考えたのは第三条でありますが、変死体もしくは変死の疑いのある死体から眼球を取ってはならないという条文でありますが、この「変死体若しくは変死の疑のある死体」というのは、実は角膜移植には非常に適当した死体であります。急に死ぬ、刀で刺されて死ぬとか、あるいは毒を飲んで死んでしまうとか……。ところが普通の病気で一カ月も一年も苦しんでから死んだのでは、死んで二、三時間たたないのに非常に腐敗が早くて、目が混濁してしまうということがあるのです。急に死んだ死体ほどこれは適当していると思うのです。この変死体もしくは変死の疑いのある死体でも、絶対にできないのではなくて、これが検視を受けて——検視というのは警察官か検察官、そういう法律上の検視あるいはその上東京なら監察医の検案を受けて、もうこれは大丈夫だということになったら、直ちにこれは使えるようにすべきだと思うのです。変死体または変死の疑いのある死体を医者が見ましたならば、これは二十四時間以内に届け出なければならない法律がありますから、もちろん医者は届け出るのですが、届け出て成規の手続が済んでもしかもなお使えないような法律になっておりますが、そうしないで、これは成規の手続が済んだら早く使えるというふうにしなくちゃならぬ、した方がいいんじゃないかと思うのです。たとえば遺言を書いて自分の目は寄付するということにしてピストル自殺をはかった、毒を飲んで死ぬとかいう場合があるわけです。そういう場合には明らかに変死ですから、この条文によっては使えないことになりますが、その方も検視が済んだら使えるようにしたらよくはないかと思います。
それから同じ三条、その他病気を伝染させ、あるいは危害を加えるおそれのある疾病にかかっていた着の死体から取ることはできないとありますが、これは必要のない条文じゃないかと思います。医者はこういうものは決して使いませんから、医者がやる以上はこういうものはない。ただ第二条によって医師は眼球摘出することができると書いてありますから、医師以外はできないのですから、この条文のこの点は不必要ではないかと思います。医師がやる以上、医師を信用いたしまして、その点は書いてない方がいいのじゃないか、こういうふうに私は考えます。
それからあとは大体何もないようでありますが、趣旨としては非常にこれはいいことで、こういうことはぜひ進んでやっていくべきだと思います。
ほかでは、たとえば死体から取るベきものはもっといろいろなものがあります。現在動脈瘤で今にも死ぬような人でも、大動脈を移しかえることはできるのです。外国では大動脈もやはりとっておいてしまっております。そういう場合にも、アメリカなんかで見てきたのですが、遺族の承諾を受けて変死体なんかのやつを取りまして、大動脈をやはり保存しております。そういう意味において角膜にもこういう法律を作り、大動脈が必要だったら大動脈も作る。その次に腎臓の取りかえられる法律を作る。何もかにも作ったっていいのであります。私たちは死体の臓器の利用ということで、何かもっと大きな意味の法律に作ってもいいのじゃないかと思うのでありますが、これは今回は緊急を要するわけでありますから、この角膜移植だけやってみてもいいと思うのでありますが、将来は大動脈あるいは賢臓あるい睾丸、卵巣、そういうふうな内分泌臓器の移植なんということも、これは必ず必要にたってくるであろうと思うのであります。以上であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/6
-
007・森山欽司
○森山委員長 次に質疑に入るのでありますが、萩原参考人及び上野参考人は御都合上三時までしか出席されませんので、以上お含みの上質疑をされるよう願います。岡本隆一君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/7
-
008・岡本隆一
○岡本委員 一点だけお伺いしたいのでございますけれども、現在そういうふうな角膜移植の手術を行われる頻度でございますね、どの程度にあるのかということと、それから今度は具体的に比較的急がない手術でありますから、そういうふうな角膜が、眼球が出るのを待機しておって、そういう申し出があり、あるいは承諾があるような角膜をお使いになるのであろうと思いますが、そういうふうな寄付するという篤志家と、それから必要とする患者との結びつけを行う機関でございますね、そういうふうなものをどういうふうにして運営されていかれるのか、あるいは現在はおそらく病院で死体解剖がある場合にそれをお使いになっていらっしゃるだろうと思うのですが、そういう点をもう少し具体的にお話をいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/8
-
009・萩原朗
○萩原参考人 私からお答えいたしますが、足りないところは植村教授から追加していただきます。頻度でございますけれども、これもむしろわれわれが頻度を作るようなものでございまして、外来に参ります患者に、あなたは角膜移植したらいいかもしれないからということを勧めます。しかしこちらに材料がございませんからして、それは勧めただけでございまして、機会を待てといって帰すだけでございます。もしこれが一般に知れ渡りますとたくさんにあると思います。頻度と申し上げられませんけれども、非常にたくさんのものがあると思います。それからしてただいまぼつぼついろいろなところからして私の眼球をぜひ使ってくれろというふうに言ってくる人がございます。それで瀕死の人もございましたけれども、全然まだそんなふうなことがなく、病気でも何でもない人で宗教的の自分の気持でもって寄付したいからと手紙でもっていって参ります。そういう人はよりどころがございませんで、どこへ申し込んだらいいかというようなことをよく聞いて参りますけれども、ただいまのところまだいわゆるアイ・バンクというものもできておりませんですから、手紙をいただいたままで箱に集めてある程度でございます。
さてこれには、私だけの意見を申し上げますと、とにかく角膜移植の材料は、できれば二十四時間以内に使いたいのであります。三日以上になりますといろいろな保存法を講じましても、ちょっと角膜自身も弱ってしまってつきにくくなります。まれにつくことはございますが、まず三日以上は無理かと思います。そういたしますと一昼夜の間に材料をとって、すぐに手術をしなければならないということになりますから、集めます機関もいろいろと考えなくちゃならない。たとえばすべてのものを一つのところに集めますと非常に不便が起りまして、一々それを申し込んで、そしてまた向うからそれを知らせるというふうなことではとてもやり切れないと思いますから、できれば相当の権威のある機関では自分がそれを処置することができるようにしていただけないだろうか。たとえば大学やそういうふうな病院などでは自分で処理できるように、アイ・バンクを通さなくてもできるようにしていただきたいと、私だけの意見でございますけれども持っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/9
-
010・植村操
○植村参考人 大体今のお話でいいと思いますけれども、外国なんかですと登録しておきまして、もし眼球が手に入るあるいは入ったとなりますと、すぐ自動車なり飛行機でどんどんどこへでも持っていきますから、アイ・バンクというものが、どこに偏在しておってもいいらしいのです。ただ甘木ですとそういうふうにいきませんので、登録しておいて、それから供給して、それを買って受け取るという、その連絡は非常にむずかしいだろうと思います。しかしそんなことを言って作らないではだめなのでありまして、まあ日赤あたりにできると思いますけれども、そういうふうにして連絡がかなり円滑にいかないとせっかくのものが何もならないと思います。大学なんかでございましたら大学に届けておいてもらえば、大学自身ですぐに連絡をやりますから手術もすぐそとでやれますので早いと思いますけれども、そうでない地方なんかですとなかなかその連絡がむずかしいのではないかという気がするのです。しかしだんだんと普及して方々にそういう登録をするところができれば非常にいいだろうと思います。
それからこれはちょっと別になりますけれども、私どもの病院なんかでももうすでに前からやっておりますけれども、これは死体からとらないで、たとえばガンが副鼻胴あたりにできまして、そこで骨をすっかりとってしまう、そうすると眼球が落っこちてしまう、だからやむを得ず眼球をとるのです。そういうのを受け取りますので、そういうのは登録竜何もしないですぐできる。大学ですとそういうことも非常に早く、何の法律に触れることもなくできる場合があると思います。まず僕の方たんかでもそういうふうな面からやっておるのです。しかし登録してやるということをぜひやるべきだと思います。ただその連絡をどういうふうにするかということが非常にむずかしい問題だろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/10
-
011・森山欽司
○森山委員長 滝井義高君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/11
-
012・滝井義高
○滝井委員 一、二点お伺いしたいのですけれども、伝染病の死体の眼球、これは時間的に非常に長いチフスみたいな者の眼球というのは、さいぜん上野先生が言われたように、混濁が早くてだめだと思うのですが、伝染病にもいろいろあって、たとえば赤痢みたいなものがあるわけですね、消化器系統……。伝染病がいかぬということになると、一体伝染病の範囲というものはどの程度に限定をするのかというような問題が一つ出てくるのではないかと思うのです。法定伝染病の中でも赤痢みたいなものもあるわけで、そういう点三条関係で医師がやるのだからという自由判断ではちょっと問題が出てくるのではないかと思う。こういうところはやはり省令でこれこれの伝染病はとってはいかぬというような一応何か基準を設けておかないと、医師の中にもやはりピンからキリまで、と言ってはおかしいですけれどもあるわけですが、その点はどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/12
-
013・上野正吉
○上野参考人 お答えしますが、伝染病の点は「疾病を伝染させ、その他危害を与えるおそれのある疾病にかかっていた者の正死体から、」こういうことは当然医者は考えるだろうと思うのです。ただ今こういう伝染病はいかぬと言いますと、それ以外の伝染病ならばやっていいかというように機械的に考えるとかえって弊害があるので、これはやはり医師の良識にまかせまして、もし条文を入れるならばその受ける当人に不必要な条文になりますけれども、危害を与えるおそれのないと考えられるような眼球だけとることができるとか、そういうふうなのならいいですけれども、狭く何々ではいかぬというふうにしてはかえっていかぬかと思うのであります。医者はそういうような知識があるのが当然です。医師の免許証を持っておるのですからそういう心配はないと私は考えます、発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/13
-
014・滝井義高
○滝井委員 そうしますとその裏を返して、常識的にいって角膜を移植する場合に、伝染せしめる可能性のある疾患というのは一体どういうものがあるということですか。角膜をとって移してこれは伝染の可能性があるというのは、梅毒みたいなものは角膜にきますからわかるのですが、そういう点ちょっとお教え願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/14
-
015・萩原朗
○萩原参考人 ただいまの御質問でございますが、こういう場合もございました。先ほど申し上げました、五才以下の子供に網膜膠腫という病気があってそれを植えましたところが、たまたまそれの細胞がついておりまして、それで植えた角膜にその膠腫が発生したというのが二名ばかりございました。これは気をつければそんなことは免れると思いますけれども、そういうことがありました。
それからもう一つ御質問の梅毒の問題でありますが、先天梅毒の胎児におきましては、角膜の中に一ぱいスピロヘータがうようよしておる。しかし生れますととたんにきれいになってしまう。少くともスピロヘータがいなくなるということになっております。ただそれが先天梅毒を持っております患者についてずっといる間はびらん性角膜実質炎というようなものが起って参ります。これはどっちかと言いますと血清学的の問題になりまして、もう少し研究してみないとわからないことでございますけれども、そのようなことがございまして、これは梅毒はうつらないけれども植えても何にもならないということが起らないとも限らないと思います。結局濁ってしまって、かえって悪くなったということが起らないとも限りませんので、そこはもう少し研究してみないとわかりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/15
-
016・滝井義高
○滝井委員 一九五一年からイギリスで特別立法が行われてやっておるわけでございますが、イギリスあたりの取扱いは、おそらくそういう具体的なデータというのはあるのだろうと思うのですが、どうも寡聞にしてわれわれはそういうのを知らないのですが、先生方何かすでに先進国でやられておるところで、こういう場合の死体ならば大体大丈夫だ——今私は常識的に考えて、梅毒なんというのはだめだと思っておったのだが、実際に生れてしまうと角膜にスピロヘータがいなくなってしまうということになると、これはまかぬ種は生えないのであって、スピロヘータがあって初めて梅毒が感染するのですから、スピローへータがなくなってしまうということになる、これは科学的に見ると感染しないような気がする。しかしそれは血清学的に見ると、やはり問題が幾分残る感じがするんですが、そこらあたり何かイギリスその他先進国で、移植をやられておるところの実例というものはわからないでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/16
-
017・萩原朗
○萩原参考人 私も寡聞にして、その文献は存じません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/17
-
018・滝井義高
○滝井委員 次にはその角膜移植の年令的な関係と申しますか、たとえば私のような強い近視の目、あるいは非常に強い老眼の目、こういうものと普通の若いりっぱな目、たとえば私なら私は非常に強い近視であったのに、何かほかの病気で角膜が悪くなってしまった。そうすると私の素地というものは近視です。それに老眼の角膜を植えてうまくいくのか。そこらの虹彩の関係、これは角膜ならばどういうものを持ってきてもいいということになるのか。どうもしろうとくさい質問ですが、そこらあたりがわからぬので、ちょっとお教え願いたいのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/18
-
019・植村操
○植村参考人 今の御質問ですが、近視というものも老眼というものも、角膜にはかわりはないわけです。ただ年令が多少問題になります。今までの報告を見ましても、また経験によりましても、もらう人は年とっておっても、ある年令以上になってもよろしゅうございましょうけれども、提供する方の人の年令は若いほどいいということに大体なっておりまして、老眼だから近眼だからということは問題でないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/19
-
020・滝井義高
○滝井委員 非常によくわかりました。
そうしますと次は、さいぜん死体から日をとるということは、一つの解剖だとおっしゃったわけですが、監獄法等の関係を見ますと、やはり二十四時間を経過した後でなければ解剖することはできないことになっておるわけですね。目を取ることは、やはり一種の解剖であることは間違いないようでありますけれども、その間のあれは法医学的に見るとどういうことになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/20
-
021・上野正吉
○上野参考人 ここの参考資料にも、ちょっと間違いというよりも、あやまらせるような文句があるのですが、御質問のように埋葬、解剖について、死亡後二十四時間を経過することを必要とすると書いてありますけれども、埋葬だけなんです。解剖はかまわないのです。監獄から刑死者を学校その他に交付するときに、二十四時間経なければならぬということがあるのです。解剖のためには、死体解剖保存法というものがありまして、それによりますと、全然時間の制限がありません。すぐにもできます。死を確認しさえすれば、解剖はすぐにできるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/21
-
022・滝井義高
○滝井委員 そうしますと、どうもその条文が不勉強でよくわからないのですが、今度のこの法律を見ましても、大体時間の制限は書いていないわけですね。どういう書き方になるのかよくわからないけれども、とにかく医師が死を確認をすれば、本人の書面をとった承諾があれば取り得る、こういう形になるわけなんでしょう。本人あるいは遺族もそうかもしれませんが、その場合の、さいぜん先生の言われた死の確認ということについて、何かそこに明らかに——これは心臓もとまり、呼吸もとまっておる、瞳孔も散大したということで死の確認をしたが、それに最小限の時間的な制約というものをおく必要はないのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/22
-
023・上野正吉
○上野参考人 これは心臓がとまり、呼吸がとまりましてから、約十分たちますと、もう再生不能ですから、それをちょっと長くとりまして二十分か三十分とりますれば、絶対に生き返ることはない。ただ心臓がとまったということと、呼吸がとまったということは確実に見る必要がある。仮死というものがございまして、心臓がとまったと思っていると、とまらないでゆっくりと動いているのがありますから、それを確実に見る必要があります。確実に見てしまってからならば、まず十分たてば絶対再生不能ですから、それを三十分ととれば大丈夫と思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/23
-
024・滝井義高
○滝井委員 仮死というものが生き返ったという実例は片から非常に多いのです。一体仮死をして生き返ったというその時間の長さの一番多い蘇生率はどの程度でしょうか。たとえば死んだと確認をしておって、一時間くらいで生き返ったとか、二時間くらいで生き返ったとか、いろいろ例があると思いますが、仮死が再び生き返ったという、何かそういう法医学上で調べたものがありましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/24
-
025・上野正吉
○上野参考人 それはないと思います。生き返ったので仮死だったな、こうわかったわけです。ですからその仮死だったなというのは、最初死んだということを思ったのが間違いだったと思います。ですから死んだという宣言は、医者が二人も三人も見たならば正しいと思いますが、たとえば、ちょっと医者が外から見て死んだと言った限りでは、ほんとうは死んでいないのです。私はあまり聞いたことはありませんが、ただうわさによりますと、一日たって棺おけのふたをあけたとか、そういう話もありますから、それは、確かに心臓がゆっくり動いておったということになります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/25
-
026・滝井義高
○滝井委員 そうしますと法文の上には、眼球摘出を死体からやるためには、やはり二人くらいの医師が、これはよろしいということを認めることを必要条件とするという、それだけの慎重さが必要だということと、それから、もう呼吸がとまり、心臓がとまって二、三十分、こういうことになると、そこにもう少し弾力を持たせて、一時間とかあるいは二時間と二十四時間以内とか、こういうようなワクを——先の方は早い方がいいわけですから、二十四時間はどうか知りませんが、最小限度の何かそこに死後の時間をおいて、二人くらいの医師が確認するというようなことを条文に入れた方が、これを具体的に実行に移す場合に、問題を最小限度に食いとめ得るのではないかという感じがするのですが、そういう点はどうでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/26
-
027・上野正吉
○上野参考人 実は死体解剖保存法の方にも、死亡の確認という条文はないのです。しかし死体解剖保存法で解剖する場合には医者の手をだいぶ経ますから、その間時間もありますし、生きている者を解剖することは、あまりないと思います。ですからなくても差しつかえはないかもしれませんが、角膜移植に対しては、これはぜひ入れた方がよろしいと思うのです。非常にあわてて取るということもあるのですから、必ず医師二人以上によって死を確認するということが必要と思います。それから、一時間程度でいいかと思います。大体角膜が混濁してきますのは、死後二、三時間から、よくよく見ますとだんだん混濁が始まってきます。それはかわいて混濁してくるわけです。ですから、なるべくなら混濁の始まらない前に取ってもらいたい。取って、それから普通の冷蔵装置にしておきますと、今度植えるのは、これは二十四時間以内でなくても、二日でも三日でもいいかもしれません。使用期間が延びるかと思います。それはよくわかりませんけれども、確かに早く取った方が効果がいいのは当りまえですから、なるべく早く取らせたい。しかも死だけはぜひ確認してもらいたい。両方うまくいくように、これは条文も考えるべきだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/27
-
028・滝井義高
○滝井委員 目の銀行のことですが、今上野先生からも、三日くらいしたらだんだん悪くなるというようなことがありましたが、目の銀行で死体から早い機会に取った角膜の保存の可能な日数です。これは血液銀行なんかできておりますが、自の銀行は中川善之助さんが「法律時報」に書いていらっしゃるということですが、それを読んでいないのであれですが、こういう月の銀行の運営の仕方です。それをちょっとお知りになっておればお話し願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/28
-
029・上野正吉
○上野参考人 私はあまり知らないということを申し上げるために立ち上ったのですが、これは今まであまり大っぴらにやられていないために研究は進んでいないと思うのです。普通の電気冷蔵庫、零度から四度くらいに入れておりますが、もっと低い温度に入れればもっと延びるんじゃないかと思います。そういう保存方法の研究なんかもすぐにでき上ると思います。現在までどの程度まで研究が進んでおるか、私よく知りませんので、それはほかの参考人の方から……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/29
-
030・植村操
○植村参考人 目の銀行のお話でございますけれども、これは血液銀行と多少意味が違うと思います。銀行と申しましても、目を抜いてそこへ預けておいて、すぐほかへ回すということも一つの仕事だと思いますけれども、日本の現状ではやはりそこへ登録しておいて、そうしてそれが死んだという通知があったらすぐ被提供者、もらいたいという方に連絡をして、そこでうまく受け渡しといいますか、それをやるというのが銀行のおもな仕事じゃないかと思うのでありまして、そこへ預けておくというようなことは——そういう場合ももちろんあると思います。冷蔵庫一つあればできるのでありますけれども、連絡がうまくいかなければ何にもならなくなるので、多少血液銀行とは意味が違う点があるのだろうと思います。
それから幾日以上たったらだめだというようなことですけれども、これはずいぶん古くなったのをわざと移植するという実験はもちろんないわけですから、どの辺からいけなかったということはわかりませんけれども、動物実験は多少やったのがあったと思います。人間ではたしか三日くらいまではよかったという報告があったと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/30
-
031・加藤鐐五郎
○加藤(鐐)委員 ちょっとこれを読んでおりませんし、またお話しの半ばに入って参りまして聞き落したかもしれませんが、ちょっと伺います。二十四時間以後で手術をなさいまして、成功した例はあるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/31
-
032・萩原朗
○萩原参考人 たくさん例はございませんかもしれませんけれども、あることはあるようでございます。眼球として取り出して保存するのが普通でございます。死体のままで置くということは普通ないのでございます。死体のままで置いて、そして取ったというようなことも前にはあると思いますが、大てい眼球として持って参りまして、そしてたとえばペニシリンを生理的食塩水に溶かしまして、それをガーゼにひたして、そしてその中にくるんで広口のビンに入れて、大体四度くらいの冷たさの冷蔵庫に入れて保存するのが普通でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/32
-
033・加藤鐐五郎
○加藤(鐐)委員 これはどなたにお尋ねしていいか知りませんが、ここの参考資料の中の第三条に「輝雄文は火葬は、他の法令に別段の定のあるものを除く外」の別段の定めというのはどんなことが考えられますか。つまり一十四時間以前においても何か別段の定めがある場合ということがありますか、そういう法文がどこかにありますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/33
-
034・川井章知
○川井専門員 第三条と書いてありますのは、角膜移植法の三条関係、こういう趣旨だけのことでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/34
-
035・加藤鐐五郎
○加藤(鐐)委員 今お伺いしますと、萩原先生は、おそいほどいかぬ、早いほど効果があるということ、これは常識からいってもわかるわけでございますが、しかし死体解剖でも、これをちょっと読んでみますと、死後二十四時間を経なければならぬとあるのに、先刻十野さんは六時間目にやったら心臓がどうであったということであります。埋葬法ができるときに、私は知っておりますが、二十四時間という問題につきまして、今から三十年ぐらい前に京都大学の松下さんが、二十四時間ではいけないということを世界各国のいろいろな実例を引用して主張されたことを私は記憶しております。松下さんは生理学か何かの学者でございましたが、とにかく京都大学の教授から代議士になってきて、埋葬法案で五時間演説したのです。各国の実例を引いて、それが古い実例で、あまり学問的には効果がないものもあっただろうと私は思っておりますが、そうすると、死体ということで埋葬法との関係がなかなかめんどうになってくるように思うのです。二人の医者が死んだということを確認するということになってくると、その関係はどうお考えになりますか。ことに死体でも、刑務所の死体を、今読んでみますと、二十四時間ということを書いてありませんが、先刻上野さんのお話では、そういうことはないような、実際解剖なさっているようなことを承わりますが、どちらがほんとうでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/35
-
036・上野正吉
○上野参考人 私のところの行う解剖は、刑事訴訟法による解剖なんです。時間の制限は受けません。ですから、たとえば殺人が起った、その死体を解剖するわけです。無関係なんです。だから非常に早くできます。それから埋葬の規定は二十四時間ということがありますけれども、解剖の規定には二十四時間というのはないのです。解剖も三十四時間以内にやっていいのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/36
-
037・加藤鐐五郎
○加藤(鐐)委員 そうすると、多くの大学病院で死刑にした者を解剖しますが、それも時間の制限は何もないのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/37
-
038・上野正吉
○上野参考人 それはあります。それは二十四時間たってから交付しなければならぬ、それはあります。そこは古い条文で、ちょっと矛盾があるのだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/38
-
039・八田貞義
○八田委員 死体であるか生体であるかの鑑別に対して、非常に有益な鑑別方法についての御注意を伺ったわけでありますが、先ほど死体の場合、心臓と呼吸かとまった場合、十分以上たてばもう蘇生することはない、こういうお話があったのですが、一般に瞳孔が散大した場合は、死亡確認の方法としては絶対的なものでないかというふうに考えますが、瞳孔散大というのは心臓とか呼吸がとまってとれくらいでもって起ってくるものでございましょうか。瞳孔散大は絶対信頼性をもっていいものであろうというふうに考えますが、この点一つお教え願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/39
-
040・上野正吉
○上野参考人 大体瞳孔散大するのは、死後に筋肉が弛緩をして散大するわけですから、少くとも一時間か二時間たっておるわけであります。ですからいい方法ではありますけれども、ただ病気によって瞳孔が縮小するのがあります。ですから瞳孔だけを見ればいいというわけにはいかぬと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/40
-
041・八田貞義
○八田委員 瞳孔縮小でなくて散大したやつなんです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/41
-
042・上野正吉
○上野参考人 ですから瞳孔だけをお書きになるつもりがなければ非常にけっこうなんです。すべて医者にまかせまして、医者が死を確認するいろいろな手段で、心臓だけ、呼吸だけを見るだけじゃなく、たとえば死斑が出てくる、それは十分確実な証拠ですから、背中をひっくり返してみて死斑が出ているとか、そういうあらゆる手段を尽して死を確認しさえすればそれは問題ないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/42
-
043・八田貞義
○八田委員 それで私は思うのですが、心臓がとまり、呼吸がとまって瞳孔散大しておるという場合は、死を完全に確認してもいい、こういうふうに考えるわけなんです。
そこでもう一つお伺いしたいのは、動物の角膜を使うというお話がありましたが、今までどういう動物の角膜を使っておられるか、ちょっとお知らせ願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/43
-
044・植村操
○植村参考人 いろいろの動物が使われておりますけれども、今まで一番行われたのはやはりウサギだと思います。それからサルを使ったのもございますし、それから鶏を使ったとかいろいろございますけれども、今までの報告で多いのはウサギだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/44
-
045・八田貞義
○八田委員 ウサギでも十分に開眼手段として非常に効果的だというふうに了解してよろしゅうございますか。人間を使う必要はない、ウサギの角膜を使っても十分に代替できるのだ、こういうふうに了解してよろしいかどうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/45
-
046・植村操
○植村参考人 それが全部成功すればこの法律が要らないようなことになってしまうと思うのでありまして、これは残念ながら今までは大体ほとんど全部不成功でございます。つくことはついたりしますけれども、取れてしまう。混濁するだけでなしに取れてしまうのが多いようです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/46
-
047・森山欽司
○森山委員長 他に参考人の方々に対する御質疑ございませんか。
それではこの際参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。大へん貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/47
-
048・森山欽司
○森山委員長 次に政府当局に対する質疑の通告がありますので、これを許可いたします。田中正巳君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/48
-
049・田中正巳
○田中(正)委員 私は本法案について法律上の関係について若干質疑をいたしたいと思います。
まず第一に、先ほど若干問題になっておりましたが、墓地、埋葬等に関する法律に、死後二十四時間を経過した後でなければ埋葬または火葬にしてはいけないという規則があるわけですが、その原則に対して他の法令に別段の定めがある場合はこれを除いているわけですが、この別段の定めというのは具体的にどういう法律があるか、その点をお聞きしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/49
-
050・小澤龍
○小澤政府委員 それは伝染病予防法でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/50
-
051・田中正巳
○田中(正)委員 それだけでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/51
-
052・小澤龍
○小澤政府委員 その通りでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/52
-
053・田中正巳
○田中(正)委員 そうすると墓地、埋葬等に関する法律とこの角膜移植に関する法律とは若干趣旨は違いますが、死体を尊重すると申しますか、あるいは死体の蘇生を保護をするという点については若干共通した部分があると思うのです。そういう趣旨から尋ねるのですが、現在までこの墓地、煙弾等に関する法律の除外例というものは大体公益に関係するものが多くて、こういった角膜移植に関する法律のような私益に関する除外を設けるというような思想は現在までにございませんでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/53
-
054・小澤龍
○小澤政府委員 ほかにございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/54
-
055・河井信太郎
○河井説明員 その点につきましては刑法の百九十二条に検視を経ずして変死者を埋葬したる者は五十円以下の罰金——今日では五十倍になっておりますからその点は調整されておりますが、そういう処罰規定と、もう一つは刑事訴訟法の二百二十九条に変死があった場合には検察官が検視をしなければならないという規定がございます。従いまして、死体につきまして変死のあるものにつきましては検視を経ないと処置することができない、こういう関係になっております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/55
-
056・田中正巳
○田中(正)委員 死体解剖保存法によりますと、こういった死体解剖をする場合には遺族の承諾が要るということが書いてあるのですが、角膜移植に関する法律にも同じように遺族の承諾が要るという規定がございますが、遺族の承諾というものが法律上出てきた理由といいますか、そういったような点はどういうふうに考えられますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/56
-
057・河井信太郎
○河井説明員 お尋ねの点につきましては、主として民法上の相続権の関係から、学者の間でも議論が分れておりまして、死体そのものが所有権の主体として、いわゆる相続の対象になるかどうかという点につきましては議論のあるところでございます。それは不動産とか、動産のように、いわゆる遺産相続の形で当然に遺族がこれを相続して、遺族の所有権に帰するものであるかどうかという点については、必ずしも学説は一致していないのでございます。大体におきましては、本来の動産、不動産というものと同じような意味ではないが、遺族がそれを相続するというふうに解しておるようでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/57
-
058・田中正巳
○田中(正)委員 そこで実例について法務省にお尋ねいたしますが、この角膜移植に関する法律が現在まだできておらないのですが、この施行前に、この法律の施行を強く促したと思われる実例が実は昨年実際のケースとして出て参っておるようでございます。ほかにも例があるかもしれませんが、私どもの存ずるところ、昨年岩手大学の今泉という教授が角膜移植行為によって告発をざれた。それに基いていろいろやった結果、不起訴処分に相なったという結果を聞いております。この不起訴処分になった理由、どういう理由で不起訴処分になったのか、御存じならばお聞きしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/58
-
059・河井信太郎
○河井説明員 お尋ねの事実というのは次のようなことでございます。
岩手県のある養老院におりました四十三才の婦人が、心臓麻痺で昭和三十二年の十月三十一日の午後二時に死亡いたしました。その婦人には約十五年前から同棲していた内縁の夫があったのでございます、その夫は妻が死亡いたしますずっと前に、岩手県に例のアイ・バンクができるという新聞記事を見まして、それでは自分が登録をしておこうということで登録をして、帰って、そのことを妻に話した。そしたら、それなら私のもやってもらえばよかったのに、こういうことを言っておった。そこで、まあお前は若いのだからということでそのままになっていたところが、死亡した。そこで、その死亡した直後に、そのことを岩手大学の方へ連絡して、同日の午後八時四十分に移植手術した、こういう事実でございます。それにつきまして、問題になって、警察で捜査を開始した、しかし内縁の夫ではあるが、これが同意をしておる。妻の生前にはそういう事実もあったというような点を考慮いたしまして、警察からは、その事件を検察庁へ送致して参りませんでした。従いまして、検察庁といたしましては、別に刑事事件としてこれを処理いたしたわけではございません。大体以上の通りでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/59
-
060・田中正巳
○田中(正)委員 そうすると今のようなケースは刑法百九十二条による死体損壊罪には該当いたさないものというふうに考えられるのでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/60
-
061・河井信太郎
○河井説明員 それは非常にむずかしいお尋ねでございまして、これがいわゆる死体損壊罪を構成するかどうかということに相なりますと、問題は被害者すなわち死者が生前において同意しておればそれで犯罪を構成しないかという問題が一つ、第二は、その死体を相続した遺族が承諾しておればそれで犯罪を構成しないということが言えるかという問題が一つ、第三者には、医師が業務行為としてそういう角膜移植のために眼球摘出行為をした場合においては、それだけで犯罪を構成しないと言えるか、おそらくお尋ねの点はその三点に帰すると思うのでございますが、これは刑法の違法性阻却に関する一般の理論によって決する問題でございまして、御承知のように、刑法が犯罪として保護する法益という中には、窃盗のように被害者が承諾しておれば犯罪を構成しないという場合もございます。かりに被害者が承諾いたしましても、犯罪を構成する、たとえば殺人であるとかあるいは放火であるとかいうふうなものは、かりに被害者が承諾しておりましても、あるいは所有者が承諾しておりましても、これは法益に反する犯罪であるから犯罪を構成する、こういう場合もございます。そこで本件の死体損壊というのが一体どの法益に当るか、こういう問題になるのでございます。すなわち個人が自由に処分し得るところの個人的法益であるか、それとも公共の風俗に関する犯罪、それを保護法益としておるのかということによって違法性阻却の問題が解決し得るわけでございます。その点になりますと、学者の間でも議論が分れております。ただ死体損壊罪が単に個人的な法益でない公共の法益すなわち風俗に関する犯罪であるから公共の利害に関するものであるという点については、学者の意見はおおむね一致いたしております。従いまして、問題は単に個人の承諾だけで違法性を阻却するかということになりますと、相当検討の余地があろう、さように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/61
-
062・田中正巳
○田中(正)委員 そうすると今の事件についての取扱いというものも非常に不完全な形で終っているというふうに考えられるわけなんでございますが、本人の承諾といったようなことが今の問題の取扱いで一つの大きなモメントになっているように承われるのですけれども、この法律案には本人の承諾ということが実は規定がないようでございますが、一体本人の承諾というものが、この死体の場合に、本人の意思がその死体に対してどういう法律上のなにを持つかということについては、いろいろまた議論もあるようでございますが、一体どういうお考えを持っておられますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/62
-
063・河井信太郎
○河井説明員 それは先ほど来御説明申し上げましたように、これが個人的な財産権の処分であるというふうな考え方になりますれば、本人の承諾ということが一つの重要な要件になって参ると思います。そうではなくて、風俗に関する、公共の利害に関する法益であるという見地に立ちますれば、別に本人の承諾というものは大して重視されないということになると思いますので、その点をどのような立場で考えるかということに帰すると思うのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/63
-
064・田中正巳
○田中(正)委員 そうすると、本人の承諾という問題については法律上一定した考え方が一貫しておらぬということになって参りますと、今のような事件で非常に問題になってくるのは、医師が角膜を移植するためにやる行為というものが一体刑法三十五条による正当な業務行為であると割り切れるかどうかという問題が非常に大きな判断の基礎になると思うのですが、この点については一体どういうふうにお考えになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/64
-
065・河井信太郎
○河井説明員 その点につきましても、いろいろと議論がございまして、問題は、角膜を患者に移植するという行為と、死体からそれを摘出する行為と、二つを区別して考えなければならないのじゃないか。眼疾の患者に角膜を移植するという行為が医師の業務行為であることは、これはほとんど議論の余地はないのじゃないか。それは一般の手術をする行為であるとか、整形のために死体を傷害する行為であるとかいうことと同じことになるのじゃないか。しかし死体の方から——死体を切り開くかどうするか知りませんが、眼球を摘出するという行為は、果してそれが医師の正当業務行為であるかどうかという点につきましては、なかなか学者の間に議論が分れておるようでございます。それが直ちにすべて医師の正当業務行為である、すなわち医師がそういうことを行なった場合は正当業務行為として刑法三十五条によって当然違法性が阻却されるというふうに解し得るかどうか、こういう点になりますと、いろいろと議論が分れているようでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/65
-
066・田中正巳
○田中(正)委員 そうすると、今問題になっている事件の取扱いというものはきわめて模糊たるうちに終っているというわけですが、これについて検察庁の方で何らかの御指示をなさった結果こういうことになったんですか。それとも検察の独自の判断でこういうことをなさったのですか。あるいはお互いが相談して、この程度のものは仕方がないというわけで実はそのままにしてしまったということになっているんですか。その辺はいかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/66
-
067・河井信太郎
○河井説明員 この岩手の事件の記事が新聞に出ましたので、最高検察庁を通じまして現地に照会をいたしております。法務省はその報告を受けております。受けました結果は、今御報告申し上げたような事実がそこでわかったわけでございます。しかしこれについて、法務省あるいは最高検察庁として統一的な見解、たとえば医師が本人の承諾を得てやった場合は犯罪を構成しないとか、あるいは遺族の承諾を得て医師が行なった場合には犯罪を構成しないとかいうふうな結論を得ておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/67
-
068・田中正巳
○田中(正)委員 大へんよくわかったのでありますが、さればこそ本法案のようなものが必要であるということに相なるだろうと思います。
これで終ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/68
-
069・森山欽司
○森山委員長 他に御質疑はありませんか。——なければ、次会は明日午前十時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
午後二時五十六分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804410X00519580212/69
4. 会議録のPDFを表示
この会議録のPDFを表示します。このリンクからご利用ください。