1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十三年二月二十八日(金曜日)
午前十時五十四分開議
出席委員
委員長 福永 健司君
理事 相川 勝六君 理事 高橋 等君
理事 保科善四郎君 理事 前田 正男君
理事 石橋 政嗣君 理事 受田 新吉君
大坪 保雄君 大村 清一君
北 れい吉君 小金 義照君
纐纈 彌三君 薄田 美朝君
田村 元君 辻 政信君
中川 俊思君 眞崎 勝次君
粟山 博君 山本 粂吉君
茜ケ久保重光君 飛鳥田一雄君
淡谷 悠藏君 稻村 隆一君
中村 高一君
出席国務大臣
建 設 大 臣 根本龍太郎君
出席政府委員
総理府総務長官 今松 治郎君
法務政務次官 横川 信夫君
委員外の出席者
議 員 小川 半次君
専 門 員 安倍 三郎君
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二月二十二日
委員横路節雄君辞任につき、その補欠として勝
間田清一君が議長の指名で委員に選任された。
同月二十四日
委員中川俊思君及び勝間田清一君辞任につき、
その補欠として植木庚子郎君及び山崎始男君が
議長の指名で委員に選任された。
同日
委員植木庚子郎君辞任につき、その補欠として
中川俊思君が議長の指名で委員に選任された。
同月二十五日
委員茜ケ久保重光君及び山崎始男君辞任につき、
その補欠として神田大作君及び田万廣文君が議
長の指名で委員に選任された。
同日
委員神田大作君及び田万廣文君辞任につき、そ
の補欠として茜ケ久保重光君及び山崎始男君が
議長の指名で委員に選任された。
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一月二十一日
総理府設置法の一部を改正する法律案(内閣提
出第八三号)
法務省設置法の一部を改正する法律案(内閣提
出第八四号)
同月二十七日
建設省設置法の一部を改正する法律案(内閣提
出第一〇八号)
同月二十八日
恩給法等の一部を改正する法律案(内閣提出第
九四号)
同月二十二日
建国記念日制定に関する請願外三件(神田博君
紹介)(第一〇一二号)
同(大橋武夫君紹介)(第一〇一三号)
同(久野忠治君紹介)(第一〇一四号)
同(小笠原三九郎君紹介)(第一〇一五号)
同(杉浦武雄君紹介)(第一〇一六号)
同外八十五件(徳安實藏君紹介)(第一〇一七
号)
同(中垣國男君紹介)(第一〇一八号)
同(保科善四郎君紹介)(第一〇一九号)
同外二件(坂田道太君紹介)(第一〇五二号)
同(床次徳二君紹介)(第一〇五三号)
同外三件(松野頼三君紹介)(第一〇五四号)
同外一件(小澤佐重喜君紹介)(第一〇七八
号)
同外三十六件(大橋武夫君紹介)(第一〇七九
号)
同外百七十六件(小林かなえ君紹介)(第一一
〇〇号)
同外八十六件(纐纈彌三君紹介)(第一一〇一
号)
同(加藤鐐五郎君紹介)(第一一一二号)
同(坂田道太君紹介)(第一一一三号)
同(薄田美朝君紹介)(第一一一四号)
同(田中彰治君紹介)(第一一一五号)
同外五件(床次徳二君紹介)(第一一一六号)
同外十五件(山本粂吉君紹介)(第一一一七
号)
国旗記念日制定に関する請願(今井耕君紹介)
(第一〇二〇号)
旧日本医療団職員に恩給法適用等に関する請願
(臼井莊一君紹介)(第一〇二一号)
同(大久保留次郎君外一名紹介)(第一〇二二
号)
同(小西寅松君紹介)(第一〇二三号)
同(前田房之助君紹介)(第一〇二四号)
同(門司亮君紹介)(第一〇二五号)
同(亘四郎君紹介)(第一〇二六号)
傷病恩給増額等に関する請願(大橋武夫君紹
介)(第一〇二七号)
同(三浦一雄君紹介)(第一一〇二号)
肇国節制定に関する請願外一件(池田清志君紹
介)(第一〇五五号)
同外一件(床次徳二君紹介)(第一一一八号)
旧軍人関係恩給の加算制復元に関する請願(中
馬辰猪君紹介)(第一〇八〇号)
同(中馬辰猪君紹介)(第一一二一号)
金鵄勲章年金及び一時賜金復活に関する請願(
高村坂彦君紹介)(第一〇五六号)
岩手県下の寒冷地手当引上げに関する請願(小
澤佐重喜君紹介)(第一一一九号)
暫定手当の不均衡是正等に関する請願(世耕弘
一君紹介)(第一一二〇号)
の審査を本委員会に付託された。
二月二十五日
旧軍人の恩給加算制復元等に関する陳情書
(第三九六号)
寒冷地手当増額に関する陳情書
(第三九八号)
講和条約発効前の占領軍による被害者補償に関
する陳情書(第四
二二号)
米駐留軍関係労務者の離職対策に関する陳情書
外一件(
第四三〇号)
を本委員会に参考送付された。
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本日の会議に付した案件
総理府設置法の一部を改正する法律案(内閣提
出第八三号)
法務省設置法の一部を改正する法律案(内閣提
出第八四号)
建設省設置法の一部を改正する法律案(内閣提
出第一〇八号)
国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律
案(纐纈彌三君外十六名提出、衆法第二号)
――――◇―――――発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/0
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001・福永健司
○福永委員長 これより会議を開きます。
まず建設省設置法の一部を改正する法律案を議題とし、政府に提案理由の説明を求めます。根本建設大臣。
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—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/1
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002・根本龍太郎
○根本国務大臣 ただいま議題となりました建設省設置法の一部を改正する法律案につきまして、提案の理由及びその要旨を御説明申し上げます。
この法律案は、建設省設置法の一部を改正いたしまして、道路局に管理部及び建設部の二部を新設するとともに、北陸地方建設局及び四国地方建設局を増設するほか、地方建設局の内部部局を整備拡充する等の改正を行うものでありまするが、以下その要旨を御説明申し上げます。
まず第一に、道路局の機構を整備拡充することとしたことであります。
道路の整備につきましては、政府は昭和三十三年度におきまして、これを国の最重要施策の一つとして取り上げ、最近における自動車交通の激増に対処し、産業基盤の強化に資するため、従来の計画を大幅に拡充いたしました道路整備五箇年計画を新たに樹立いたしまして、これに伴い特別会計を設けて、幹線と地方重要道路の双方にわたり逐次その整備をはかることといたしたのでありまするが、新道路整備五箇年計画に基く道路整備事業を強力に推進して参りまするため、このたび道路行政を担当しておる本省機構を整備拡充することといたした次第であります。すなわち、道路局に管理部及び建設部を設け、管理、建設の両面から今後の道路行政の一そうの推進を期する所存であります。
次に、本省に地方支分部局として新たに北陸地方建設局及び四国地方建設局を設置するとともに、地方建設局の内部部局を整備拡充することといたしたのであります。
現在、建設省の地方支分部局として東北地方建設局、関東地方建設局、中部地方建設局、近畿地方建設局、中国四国地方建設局、九州地方建設局の六地方建設局が設置されており、河川、道路等の国の直轄事業の実施に当っておりますが、年々の事業量の増大に伴い、これら事業実施の万全を期するためには、北陸地方及び四国地方に地方建設局を設ける必要が生じてきたのであります。加うるに、来年度以降におきましては、先ほど申し上げましたように道路整備五箇年計画に基く直轄の道路整備事業が相当増加することになりまするので、この際、北陸地方建設局及び四国地方建設局の二地方建設局を新たに設け、事務運営の適正かつ能率化を期することといたした次第であります。すなわち、従来の関東地方建設局の所管区域でありまする新潟県並びに中部地方建設局の所管区域でありまする石川県及び富山県を所管区域とする北陸地方建設局と、従来の中国四国地方建設局の所管区域でありまする四国四県を所管区域とする四国地方建設局を設置することとしたのであります。
また、地方建設局の内部部局につきましては、道路事業等の増大に伴い、事業実施の能率化をはかるとともに、河川事業、道路事業の遂行に当ってその責任を明確北する等のため、従来の庶務部、工務部及び企画部にかえて総務部、河川部、道路部及び企画室を置くこととし、東北地方建設局及び関東地方建設局には、これらの部のほか用地部を新設することといたしました。なお、営繕に関する事務につきましては、その事務の性質上従来の所管区域によって処理する方が適当と考えられますので、新設の北陸地方建設局及び四国地方建設局においてこれを分掌しないこことし、これらの地方建設局には営繕部を置かないことにいたしました。
第三に、地理調査所の位置を東京都に変更することとしたことであります。
地理調査所は、戦時中の疎開先長野県から、戦後千葉県に移転し、現在に至っておりまするが、このたび東京都目黒区上目黒に建設されておりまする新庁舎に移転することになりましたので、その位置を東京都に改めることにいたしたのであります。
その他地方建設局の所掌事務等につきまして、若干の事務的改正を加えることといたしました。
以上が建設省設置法の一部を改正する法律案の提案理由及びその要旨でございまするが、何とぞ慎重御審議の上、すみやかに御可決あらんことをお願いいたします。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/2
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003・福永健司
○福永委員長 次に総理府設置法の一部を改正する法律案を議題とし、政府に提案理由の説明を求めます。今松総務長官。
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—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/3
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004・今松治郎
○今松政府委員 ただいま議題となりました総理府設置法の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び概要を御説明申し上げます。
終戦以来ソビエト社会主義共和国連邦により占領され、事実上その支配下にある北方地域に関しましては、日本国の主権が完全に回復され、島民の帰島が実現されるよう努めなければならないことは当然でありますが、これが実現を見るに至る間においても、その地域に在住していた島民は土地、家屋その他の財産等を島に残したまま全員本土に引き揚げ、その生活も困窮いたしておりますので、これら北方地域とその島民に関し、諸般の事項について調査、連絡、あっせん及び処理等を行わなければならない問題が少くないのであります。
これらの事務を行い必要な措置を講ずるために、現在の南方連絡事務局を改組いたしまして特別地域連絡局とし、沖縄、小笠原諸島等南方地域のほか、北方地域に関する事務を行わせることといたしたいと考えますので、その根拠法である総理府設置法の一部を改正する必要があるのであります。これが、この法律案を提出する理由であります。
次に、この法律案の主要な点を御説明申し上げます。第一は、総理府本府の内部部局として特別地域連絡局を置き、その所掌事務として現在南方連絡事務局で所掌している事務のほか、北方地域に関し必要な事務を加えたことであります。
第二は、日本政府南方連絡事務所を総理府水府の付属機関とし、南方連絡事務局設置法中の日本政府南方連絡事務所に関する規定とほぼ同様の規定を設けたことであります。
以上、この法律案の提案理由及び概要を御説明申し上げたのでありますが、何とぞ慎重御審議の上すみやかに可決されますよう、お願い申し上げる次第でございます。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/4
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005・福永健司
○福永委員長 次に法務省設置法の一部を改正する法律案を議題とし、まず政府に提案理由の説明を求めます。横川政務次官。
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—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/5
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006・横川信夫
○横川政府委員 法務省設置法の一部を改正する法律案について、その趣旨を御説明申し上げます。
この法律案の要旨は、法務省設置法の一部を改正して、法務大臣官房に司法法制調査部を置くこと、法務大臣が必要あると認めるときは、法務研修所の支所を置くことができるものとすること、法務大臣の管理のもとに婦人補導院法第一条の規定による婦人補導院を置くこと、入国管理事務所の出張所の名称及び位置を法務省令で定めるものとすること及び東京拘置所の位置を改めることの五点であります。
まず、法務大臣官房司法法制調査部の新設についてでありますが、現在法務省におきましては司法制度その他他の部局の所管に属しない法令案の作成、内外の法令並びに司法制度及び法務に関する資料の調査、収集、整備、編さん及び刊行、法務に関する統計、法制審議会、国立国会図書館支部法務図書館に関する事項等を大臣官房調査課においてつかさどっているのであります。この種の事務、ことに司法制度等に関する法令案の作成並びに司法制度及び法務に関する資料の調査等の事務は、近時ますます増大するとともに、その複雑重要性を加えて参りましたことはすでに御承知の通りでありまして、現に今国会におきまして御審議をわずらわしております最高裁判所の機構改革等に関する法律案等、毎国会多数の法律案を立案している状況であります。従って、これらの事務は一課をもってしてはこれを円滑に処理することが著しく困難な状況に立ち至りましたので、ここにこれに関する機構を改め、事務の円滑、かつ能率的な処理をはかるため、大臣官房に司法法制調査部を設置し、これらの事務をつかさどらしめることにしようとするものであります。
次に法務研修所の支所の設置についてでありますが、法務関係職員の事務能率の向上並びに事務の適正処理に資するため、従来法務研修所におきまして、諸般の研修を実施して参ったのであります。しかし中央における研修のみによりましては、予算等の点からその実施に種々制約が生ずるのでありまして、この際地方における研修を充実実施し、中央、地方を通じて総合的な研修の効果を上げるため、法務大臣が必要があると認める場合には、法務研修所の支所を置くことができるものといたしたのであります。さしあたって来年度において、名古屋市及び広島市に支所を設置することを計画しております。
次に、婦人補導院の設置についてでありますが、今国会に提案御審議をわずらわしております春売防止法の一部を改正する法律案第十七条の規定により、補導処分に付せられた者を収容するための婦人補導院につきましては、同じく御審議をわずらわしております婦人補導院法案第一条にその規定があるのであります。そこで、この婦人補導院は、法務大臣の管理のもとにこれを置き、東京、大阪、福岡の三婦人補導院を新設することとし、なお法務大臣は必要があると認めるときは、婦人補導院の分院を置くことができるものといたしたのであります。
次に、入国管理事務所の名称、位置を法務省令で定めるものとすることについてでありますが、入国管理事務所の出張所につきましては、配置職員が二名ないし三名程度のものが多く、そのほとんどが出入国港に設置されていて、主として外国人に対する出入国審査事務を取り扱っております。しこうして国際情勢の推移、貿易の消長、出入国船舶の増減等の影響を受けてその事務に繁閑を生ずることがあるのでありますが、限られた予算と人員を有効適切に利用し、これらの事務の円滑化をはかるために、出張所の新設、位置の変更等を臨機に行うようにすることが強く要請される次第であります。そこで同じく港関係の行政機関である税関の支署、出張所等の場合と同じく、これらの出張所の名称及び位置を省令で定めるようにするものであります。なお、この改正に伴いまして付則におきまして、地方自治法の一部に所要の改正措置をいたしております。
次に、東京拘置所の位置を東京都豊島区に改めることについてでありますが、法務省の付属機関で、東京都豊島区にある巣鴨刑務所におきましては、御承知のように従来戦犯受刑者を収容してきたのでありますが、その在所者の数が著しく減少し、その施設の大部分が遊休化し、これを転用することが必要な状態になって参りました。しこうして、同施設は元東京拘置所として建設され、多年東京拘置所として運営されていたものであり、未決拘禁の施設として適切であるのみならず、その収容能力も大であり、かつ裁判所等の関係機関との交通の利便等を考慮するとき、これを東京拘置所として復旧することが適当でありますので、現在東京都葛飾区の小菅刑務所の施設にある東京拘置所の位置を巣鴨刑務所のある東京都豊島区に移し、当該施設に東京拘置所を開設しようとするものであります。
以上が法務省設置法の一部を改正する法律案の趣旨であります。何とぞ慎重御審議の上、すみやかに御可決下さいますよう、お願い申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/6
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007・福永健司
○福永委員長 ただいま提案理由の説明を聴取いたしました各法案につきましては質疑は次会以後に譲ります。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/7
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008・福永健司
○福永委員長 次に、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、質疑に入ります。質疑の通告がありますので、これを許します。淡谷悠藏君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/8
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009・淡谷悠藏
○淡谷委員 国民の祝日を決定するときは、一般民間の祝祭日とは違いまして、これが国民に与える影響は非常に大きい。もしこの祝日を軽率に決定するならば、国民の一致団結を増すどころか逆に激しい分裂抗争を引き起すおそれがございます。従ってこの審議には非常に慎重な態度をもって臨むことが絶対必要であります。
今世界の国民の祝日、国家の祝日というものを調べてみますと、韓国を除いてははっきりした根拠のある日を選んで国民の祝日としておるようでございまするが、一体提案者はこの提案による国民の祝日の決定を、科学的な根拠による新しい方法がいいのか、あるいは科学的な方法によらずとも、ぼうばくとした神話なり伝説なり、あるいは何らかの別な根拠に基いてばく然と決定しようとするのか、その基本的態度についてお伺いしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/9
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010・小川半次
○小川半次君 お答えいたします。建国の記念日が新しくわが国の祝日の中に追加されたといたしましても、国民の考え方とか、あるいはこれによって及ぼすところの国民の思想というものが、分裂抗争するというようなそういう大げさなことをわれわれは考えていないのでございます。あなた御自身はそういう考え方を持っておるかもわかりませんが、われわれは世論調査その他からこれを勘案いたしてみるときに、そのような分裂などということはあり得ないと信じております。
それから韓国以外に他の国の、たとえば独立記念日とかあるいは革命記念日というものはこれはございますけれども、これらは御承知のように、歴史の新しい国でございまして、あるいはもっと古くからその国は存在しておったのでしょうが、その歴史的過程におきまして革命が起ったりいたしまして、その革命の日を記念日としたり、あるいは国が外部から侵略されたり、いろいろな外部的な事情などもありまして、新たに独立国となったので独立記念日等を作っておるのでございまして、これらとわが国とは全然性格が違うのでございます。そこでわが国の建国の記念日でございまするが、これは淡谷委員が科学的根拠によるものか、こういう御質問でございまるが、これは科学的と申しましても、御承知のように、二千数百年も、もっと古いころでございまして、これは当時は文字というものがなかったのでございまして、その文字のなかった時代は結局言い伝え、民族が民族に伝えていくところの伝説、言い伝え、それによって伝わってきたのでございまして、その伝説と言い伝えが、文字がわが国に渡来いたしましてから、結局それを文字に表わしたのであって、その文字に表わしたのが日本の正史といわれているところの日本書紀でございまして、そのような日本書紀に基いて明治初年に幾多の学者の手によってこれが立案されるに至ったのでございまして、われわれはそういう根拠をたどって、二月十一日を建国の記念日として祝日の中に加えようというものでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/10
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011・淡谷悠藏
○淡谷委員 建国の日を制定することで、国民の中にいろいろな意見の対立を生じ、抗争が起るということは、私は好ましくないと申し上げている。この二月十一日の紀元節を復活させることに、すでに世論の中に一つの反対の風潮が強く出て参っておりまして、これは実体の本質を知るに従って、この一年間非常に変ってきている。この際冷静にこの社会の世論の変化というものを考えまして、提案者が言われるごとく、国民があげて祝うべき日をきめるのが一番正しいのではないかと思う。それについて今の御答弁ははなはだ不満足に思うのでありますが、独立記念日と革命記念日とある、国柄が違うとおっしゃった。日本と非常に似た国柄であるというイギリスが占い国であり、かつ日本とは非常によく似ているとしょっちゅう言っておりましたが、この国が建国の記念日を定めないという理由はどういうことに基くのか、御答弁願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/11
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012・纐纈彌三
○纐纈委員 お説のように、イギリスは古い国柄でありまして、いわゆる建国の記念日に相当したようなお祭がないわけでありますが、そこは淡谷先生も御承知でありましょうが、イギリスの歴史はいろいろ民族が征服したり征服されたりして変って参っているようなわけでございます。そこで国柄は古いのでありますが、ノルマンディに征服されたというような歴史がありますために、はっきりした建国の記念日を作るということが国情に適しなかったのじゃないかというふうに、私は見ているわけでありまして、イギリスが日本と国情が同じだ、似ているということを言いますが、これは島国で相当世界に雄飛してきた、こういう点については似ておりましょうが、歴史の意味から言いますれば、私はイギリスと日本とは必ずしも似ているということは言えないだろうというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/12
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013・淡谷悠藏
○淡谷委員 大へんに古い建国の日を制定いたしました韓国の李承晩大統領のまねをしておられるようであります。一体韓国の歴史を四千年と定めた根拠はどういうところにあったか、お調べでございましょうか。これは大へん似ているようです。他国の例をとられた小川先生、纐纈先生は多分御承知だろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/13
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014・小川半次
○小川半次君 韓国は四千何年というような建国の記念日をきめたようでございますが、韓国のそのことは、はなはだ残念ながらわれわれはそうした文献を持っておりませんので、今正確にお答え申しかねます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/14
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015・淡谷悠藏
○淡谷委員 今承わりますと、紀元節の復活は日本書紀に基いたという御答弁でございましたが、日本書紀を正史として取り上げる根拠、根底というものは、一体学者の間で一致した意見ですか。これは歴史的な根拠として取り上げることができますか。もしもそういう根拠がありますならば、私はお聞きしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/15
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016・纐纈彌三
○纐纈委員 日本書紀は、御承知のように、皇室が命じて編さんをさせました、いわゆる日本としては正史として長く伝えられてきたものでございます。ただ徳川時代にも藤貞幹なんという人が、一応日本の歴史について異見を述べたことがありますが、これは本居宣長によって手ひどくやられて参ったわけであります。その後ずっとこれが正史として伝わってきて、明治の二十一年ごろですが、那珂博士が藤貞幹氏の説を引用したのですが、日本の歴史に六百年のズレがあるということを提唱されたわけであります。しかしこの根拠におきましても、まだ歴史学が十分に発達しておりません明治の初期に唱えられたる議論でありまして、今日那珂博士のあの六百年のズレということにつきましても相当有力なる反対説もあるわけでございまして、少くとも千三百年以上正史としてずっと日本に伝わって参っておるわけでありまするから、今日あの歴史がでたらめだとかいうような説をなす人がありますが、これは歴史の科学的の研究をされる点において、研究されることはけっこうかと思うのでありますが、なおこれに対して反対論が定説とはなっておらないのでありまして、私どもといたしましては千三百年以上の長い間正史として伝えてきました日本書紀というものは、日本の歴史として私どもは尊重していくべきものだというふうに見ておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/16
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017・淡谷悠藏
○淡谷委員 紀元節が定説であると同時に、また日本書紀も歴史として定説になってしまっておりますが、これに対してでたらめという説をなす者があるという纐纈委員の御答弁です。でたらめだという説をなしておる人々はどういう人々であるか、実際に名前をあげていただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/17
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018・纐纈彌三
○纐纈委員 那珂博士に対しては相当たくさんの反対論者もあるわけでありまして、一々それをあげる煩にたえないわけでございますが、反対論者の名前をあげることは御必要であればまた調べて申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/18
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019・淡谷悠藏
○淡谷委員 そういう御答弁では私は納得いかないのです。少くとも歴史を論ずる厳粛な学問上の問題を、あなたはでたらめだとおっしゃった。ほんとうにでたらめということを言ったのであればその人の名前をあげて、その学説を追究する必要が私はあると思う。あなたが国民の一致団結の上に立った建国の記念日を制定しようというのであれば、でたらめな反対論を——それはいろいろあるだろうが、そのでたらめな説をなす人の本質もつかまれないで、あなた方の説だけを主張するのでは、いささか神がかりだと思うのですが、その点一つぜひともお知らせを願いたい。すでに請願書も出て配付になっておるわけですが、それを見てもわかるはずです、あなたの口から答弁願わなくても。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/19
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020・小川半次
○小川半次君 淡谷委員にお答えいたしますが、民主主義の時代にはどういう学説にも賛成論、反対論のあることは当然なんです。人それぞれの顔が違うように、考え方あるいは思いが違うし、あるいは自分の勉強した学説の中にも異説の出ることは当然でございまして、われわれは別に異説があるからといって、それに対しては異説は異説として研究の対象にして今日まで進んできておるのです。その結果その異説もまた賛成論もあわしまして、あわせて国民の世論等を勘案して、やはり国民が望んでおるという結論に達したので、建国の記念日を新たに祝日に加えよう、そういうことになったのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/20
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021・淡谷悠藏
○淡谷委員 小川先生の御答弁を承わりましたが、私は纐纈先生にお伺いしておるのです。あなたがでたらめだとおっしゃった学説の主張者を一つお聞かせ願いたい。重ねてお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/21
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022・纐纈彌三
○纐纈委員 でたらめと申しましたが、とにかくそういう説があるんだけれども、これに対しては必ずしも定説とはなっていない、やはりそれに対する反駁の議論もありまして、星野博士のごときは、那珂博士の説についてはっきり間違っているということを言っておられる一人でございます。辻善之助博士もそういうことを言っておられるように私は記憶しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/22
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023・淡谷悠藏
○淡谷委員 私は纐纈先生のその御答弁は本質をそらしておると思うのです。那珂博士の説を駁論した人の説を聞くのではなくて、あなたがでたらめな反対論があると言ったその反対論者を聞きたいのです。質問のほこ先をずらさないで、勇政大胆に、撃ちてしやまぬという気概でお答え願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/23
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024・纐纈彌三
○纐纈委員 それは大体神武天皇というのは架空の人物であり、従って二月十一日というものはでたらめだという説を学校の先生たちが言っておるのです。そういうことなんですよ。これは小学校で教わった生徒に私どもは聞いておるわけなんです。だからそういう意味のことをちょっと私が言ったわけなんでして……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/24
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025・淡谷悠藏
○淡谷委員 どうもなおさらこれは聞き捨てならない。少くともこういう提案をされた人が学校の先生から教わった子供の口から聞いて、それででたらめだというのであれば、子供を呼んでこなければ議論ができない。どこの学校の何という人ですか、でたらめじゃない御答弁を願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/25
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026・纐纈彌三
○纐纈委員 私は聞いておるのです。それをこの際御答弁する必要はないと思います。はっきり聞いておりますから……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/26
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027・淡谷悠藏
○淡谷委員 少くともあなたが主張される建国の日の、その紀元を否定する説をでたらめだと言う以上は、この私の質問に答弁する必要はないというのはどういうわけですか、答弁ができないのですか、必要がないのですか。知っていて必要がないと言うのか、知らないでできませんと言うのか、その点をはっきりしてもらいたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/27
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028・纐纈彌三
○纐纈委員 その点につきましては、それじゃさらに御納得いくような調査をいたして後ほど御答弁いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/28
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029・淡谷悠藏
○淡谷委員 調査の結果お答え願えるのですか、その御報告はいつ願えるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/29
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030・纐纈彌三
○纐纈委員 反対した学者の説を御披露いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/30
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031・淡谷悠藏
○淡谷委員 その資料はいつごろ御提出願えましょうか。いろいろ研究し、できるならば一日も早く国民の建国の正しいところを決定したいと思いますから、なるべく早く一つお出しを願いたいと思うのですが、いつ出されますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/31
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032・纐纈彌三
○纐纈委員 次会の審議の際までに間に合せます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/32
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033・淡谷悠藏
○淡谷委員 この請願書には、紀元節問題懇談会というものができておりまして、大体この建国記念日に対して反対論を持っておる学者がたくさん並んでおる。三島一、和歌森太郎、鈴木俊、芳賀幸四郎、林屋辰三郎、宮川寅雄、野原四郎、遠山茂樹、高橋しん一、松島栄一、黛弘道、小松良郎、そのほか歴史に関心を持ち歴史を勉強しております各大学の先生方や、その他の文化人が大きく名を連ねて、今日この反対の請願を出しておりますが、こういう反対論の根拠をあなたはことごとく一蹴し得る勇気をお持ちですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/33
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034・纐纈彌三
○纐纈委員 学者が日本の歴史をいろいろの見地から研究され、異論がありますことについては、私どもその研究をされたことについては大いに敬意を表するのでございます。しかしそういう学者の皆様方の研究されたことがすべて定説であって、日本書紀がすべてでたらめだというふうな説をとられることにつきましては、私は異論があるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/34
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035・淡谷悠藏
○淡谷委員 あなたは自分の主張する日本の正史、すなわち日本書紀というものの正しさを固執しておられますが、すでに、国民の中の責任ある学者が、この建国の日が疑わしいという一つの学説を出してきておる。しかもこの一カ年間非常な勢いをもって、この建国の日に対する反対の声が高まってきておる。この事実はお認めになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/35
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036・小川半次
○小川半次君 淡谷君にお答え申し上げますが、あなたは何か学者の説が完全無欠なようにおっしゃっておられますが、われわれは学者必ずしもその御意見が完全無欠とは考えておりません。国民の中には専門的な学者でなくても、もっと学者以上に掘り下げて研究している人もおりまするし、要するに表面には声を出さない国民の中には、学者以上の見識を持った国民もおるのです。私たちはその多くの国民の意思表示によって表われたところの世論調査というものを最も尊重しております。そういう見地に立ちまして、われわれは反対の学者の意見も、賛成の学者の意見も、多くの国民の声も聞いて、そして結局二月十一日に建国記念日を新たに加えてくれという国民多数の意見をつかみましたので、ここに提案するに至ったのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/36
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037・淡谷悠藏
○淡谷委員 私はあなたの言うことを納得することはできない。あなたは学問を否定しておる。学者というものは必ずしも本物じゃないと言っている。少くとも国が許可を与えた学校で教べんをとる教授がやっておる学問をあなたは否定しておる。もし学者の間に日本の建国の日についていろいろな学説があるならば、これを一つの正しい方向に持っていこうとする熱意があって初めてほんとうの学問と言えるのですが、これはどうですか。あなたは学問なんかどうあってもいい、いろいろあってもいいと言うのですか。少くとも学問というものは帰一するところがあるのです。その点をあなたは否定しますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/37
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038・小川半次
○小川半次君 私は反対論の学者の意見を全然封殺しているのではないのです。申し上げたように、完全無欠とは言えないと言っているのです。その説は全然間違いだと言っているのではないのです。学者の説といえども完全無欠なものでないということを申し上げておるのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/38
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039・淡谷悠藏
○淡谷委員 どうもおかしなことを聞きますね。提案者である纐纈さんは、さっき学校の先生から教えられた生徒から聞いて反対論があると言われるし、あなたは民間にも学者があると言われる。そうすると、纐纈さんはでたらめだと言い、あなたは学問というものは広漠としてたくさんあってもいいと言う。こんなのは一体どうです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/39
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040・纐纈彌三
○纐纈委員 ちょっと淡谷委員は私の言ったごとを誤解されておるようですが、私は日本の歴史はでたらめだと言った方々があるということを言ったのでありまして、学者が言ったわけではありませんが、そういうことを今の反対の方々が言っておられるということを申し上げたわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/40
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041・淡谷悠藏
○淡谷委員 これはやはり学問に関係した問題でもありますのでよく厳密に扱ってもらいたいと思いますが、私の記憶によれば、あなたは反対論はでたらめだとおっしゃっているのです。紀元がでたらめだとは言っていません。だからあなたがでたらめだとおっしゃる学説があるなら名前を聞かしていただきたいと申し上げているのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/41
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042・纐纈彌三
○纐纈委員 今あなたのおっしゃるのと私の言ったことは逆なんです。それは速記を一つ調べていただいて——私のとちょっと誤解がありますから。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/42
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043・淡谷悠藏
○淡谷委員 それでは記憶違いもありますから、速記について、あなたの提出される資料とともにあとで検討することにいたします。
それでは小川さんにお尋ねいたします。あなたは国民世論に基いてこの日をきめるとおっしゃるが、国民世論の調査はあなた自身がなされたのですか、あるいは何か別の機関によってなされたのですか。この点を一応御答弁願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/43
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044・小川半次
○小川半次君 お答えいたします。これはあなたも御存じのように、世論調査をするいろいろな機関がございます。あるいは新聞社とか、あるいはこれを専門にやっておるものもございます。そういう機関によって表われたところの調査を私は申し上げておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/44
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045・淡谷悠藏
○淡谷委員 もう少し詳しく御答弁願いたいと思います。何年の何月何日ごろのどういう世論調査に表われたか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/45
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046・小川半次
○小川半次君 総理庁審議室の世論調査、これは昭和二十一年一月二十三日から二十五日、調査対象六千九十七名、これは二十才以上でございまして、世論調査の方法は層化多段階無作為抽出法という名称のあれでございます。このときは大体八一・三%の結果が出ているのでございます。それから昭和二十三年一月十五日から十八日の、これはやはり今の内閣審議室と同じような時期でございますが、時事通信社の世論調査でございまして、これも大体今申し上げましたのとやや似通った数字が出ております。その次に昭和二十七年四月五日から六日にかけまして、読売新聞社の世論調査がございます。これは紀元節を制定するごとに賛成であるか反対であるかという世論調査でございまして、その結果六三・七%賛成が出ております。反対はわずか八・六%しか出ていないのでございます。その後もやはり世論調査等ございますが、大体以上のことを御参考までに申し上げておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/46
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047・淡谷悠藏
○淡谷委員 その後もやられておるそうですから、その後の方も一つお聞かせ願いたい。だんだん滅ってきておるかふえておるか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/47
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048・小川半次
○小川半次君 昭和二十九年二月七日NHKの世論調査がございます。これは賛成者八七・四%、反対は四・五%で、ふえておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/48
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049・淡谷悠藏
○淡谷委員 そのほかにありませんか。それは二十九年ですから、三十、三十一、三十二年、今三十三年ですから、人工衛星が飛ぶような時代に、四年という月日は長い。この間の世論調査の変化の形をつかまえたか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/49
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050・纐纈彌三
○纐纈委員 最近のは三十一年十二月にやった新聞世論調査連盟の世論調査ですが、これは実は先ほど小川先生から申されたように、大体世論調査のほんとうのあれば、層化多段階無作為抽出法というのが一般に行われておるのでありますが、この世論調査は、実は層化無作為抽出法で、いわゆる多段階の方式をとっていないわけなんであります。従いまして、私どもはそこに多少正確さが疑われるのじゃないかと思いますが、それによりますと、結局、あった方がいいというのが四三・五%、要らないというのが二一%、これはふえております。どちらでもいいというのが二四・二%、わからないというのが一一・四%、こういうことになっております。しかも、この調査する場合の標題は、紀元節のような建国記念日とか、建国祭といったような日を国民の祝日にするというようなきめ方はいいか悪いか、こういう出し方になっているわけなんです。その辺と、いわゆる一番大事な多段階をあれした、きわめて簡略な世論調査になっていることを、やはり参考として見なければならぬ、こういうふうに思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/50
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051・淡谷悠藏
○淡谷委員 実は私纐纈先生にもう少し教えていただきたいのですが、あなたはだんだんパーセンテージが減ってきますと、今度は調査方法の問題に入ってきているわけです。そこで層化無作為抽出法が前に行われているのですが、こういうことを御批判なさったのでしょうか。この層化無作為抽出法とあなたの今おっしゃった多段階調査ですね、この二つの正しさの比率はどうなっていますか、あなたのお考えを聞きたい。一体世論調査の方法は何段階あるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/51
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052・纐纈彌三
○纐纈委員 今大体層化無作為抽出法が一番に行われておりまして、そのほかには、層化作為抽出法とか、あるいは層化無段階抽出法とか、そういうふうなものが古くは行われておりましたですが、今日一番多く行われておりますのが層化無作為多段階で、各方面に広く分播しまして、世論調査しているわけですから、この方法が一番正しく、また今日各方面に行われておるものであるというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/52
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053・淡谷悠藏
○淡谷委員 三十一年の十二月は四三・五%の賛成者に減った、ただし調査の方法が間違っておったとおっしゃる、それでは二十二年はどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/53
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054・纐纈彌三
○纐纈委員 三十二年のはありません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/54
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055・淡谷悠藏
○淡谷委員 ことしのはございませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/55
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056・纐纈彌三
○纐纈委員 ことしもやっておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/56
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057・淡谷悠藏
○淡谷委員 建国祭に去年は軍人が動員されたそうですが、ことしは美人を動員されたそうです。この軍人を動員するのと美人を動員するのとでは世論構成の上に影響ございますか。(「軍人なんかおらぬよ」と呼ぶ者あり)旧軍人です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/57
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058・纐纈彌三
○纐纈委員 特別に旧軍人を招集したとか美人を招集したというようなことは私は存じません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/58
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059・淡谷悠藏
○淡谷委員 あなたは御存じないはずはないので、これは新聞などにもたくさん出ております。世論調査に非常に熱心な纐纈さんが、こういう紀元節の行事に対して無関心であったはずがないのです。現実に婦人を動員したのか婦人が出たのか知りませんが、ともかくもそういうことがあったということはお認めになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/59
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060・纐纈彌三
○纐纈委員 私ども提案者としては、どういう方法でそういうことをやられたか内容は知りませんが、昨年のごときも、各地方で、全国的に婦人団体は自発的に相当出ておるようであります。今年は私も参りましたのですが、婦人が非常に多いという感じもしませんでしたが、とにかくたくさん出てきておったことは事実でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/60
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061・淡谷悠藏
○淡谷委員 あなたはさっきは存じません、今度は参られたそうですが、一体どこへ参られたのですか、その場所をお聞かせ願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/61
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062・纐纈彌三
○纐纈委員 私は内容は知りませんので、どういうふうなことをやられたかは知らぬということを申し上げたわけでありまして、当日スポーツ・センターで行われた祝典には参りました、こういうことであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/62
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063・淡谷悠藏
○淡谷委員 東京でなされました建国祭にはおいでになったと思いますが、そのときは何か去年とは国民の感情が違ったような印象をお受けになりませんでしたか。現実にかなり変ったように考えますが、どうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/63
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064・纐纈彌三
○纐纈委員 私の感じではぜひ一つ建国記念日を祝祭日としてもらいたいという、非常に強い国民感情というものが出てきておるというふうに見てきております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/64
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065・淡谷悠藏
○淡谷委員 私たちは逆に考えているのです。今年は非常に人出が少かったのです。これは、あなたは調査方法にまで目をつけられるような精密な頭脳をお持ちの方でありますから、あのいろいろなことを見ましても、私はこの点ははっきり科学的にお認めになるだろうと思いますが、どうですか。やはり人出は少くとも、熱意は高まったとお考えになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/65
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066・纐纈彌三
○纐纈委員 今年は奉祝大会の方はスポーツ・センターでやったようでありますが、街頭の行進は全然やらなかったわけであります。それで約一万人集まったと私は聞いておりますから、決して去年なんかと比べて減ってはおりません。むしろますますふえておるというふうに私は見ております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/66
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067・淡谷悠藏
○淡谷委員 ではその行列をやめた理由、それからこういうふうな企画に主として参画しております団体にはどういう団体があるか、これは世論調査の上に大事だと思いますから伺っておきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/67
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068・纐纈彌三
○纐纈委員 行列をやめられたことにつきましては、私は奉賛会の方に十分関係しておりませんから存じませんが、ただ行列をやりまして、はち巻をやったりすることがかえってわれわれの考え、意思と違う、こういうようなことから、奉祝会ではほんとうにまじめな奉祝会にしよう、こういうことに変ってきたのだろうと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/68
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069・淡谷悠藏
○淡谷委員 私は纐纈さんにもっと率直にお答え願いたいのですが、われわれはこの問題についてはまじめに取り上げているのです。はち巻を締め、たすきをかけて行列に参加すると、あなたの方ではどういう御迷惑をこうむるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/69
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070・纐纈彌三
○纐纈委員 われわれは、ほんとうにまじめな国民の感情を尊重しているのでありまして、そこで一部の、たとえばことに右翼団体が加わって、そのためにそういうものが中心になってやっているというようなことを国民一般に知らしめますことは、私はまじめな意図に対してかえって逆効果になると思う。ほんとうにわれわれはまじめに国民の感情を尊重して、そうして厳粛にしかも静粛なお祭をやろう、こういうことに奉賛会の方では方針をきめてやったように私は聞いております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/70
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071・淡谷悠藏
○淡谷委員 あなたはどう意図されたか知りませんけれども、現実に建国記念日というような紀元節の復活について、右翼団体やかつての暴力団体がこれに便乗して動いている事実はお認めになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/71
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072・小川半次
○小川半次君 私たち提案者といたしましては、そういうあなたのおっしゃる右翼団体などが動いているかどうか、われわれにはそういう情報も全然入っておりませんし、またわれわれの関知せざるところでございます。そういう連中はあるいは利用しているかもわかりませんけれども、そのことも、まだわれわれの方には何らそういう情報も入っておりませんし、われわれとは別個の問題でございますから、われわれとしてはこれに答えるところの何ら材料を持っておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/72
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073・淡谷悠藏
○淡谷委員 去年この問題の審議に当りまして、学者の公聴会を開いた場合に、右翼団体の首脳と目されております赤尾敏が委員会に入ってきて、反対する者はやっつけてしまえ、そういう暴言を吐いて衛視に議場から連れ出された事実がございますが、これも知らぬとはおっしゃらないでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/73
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074・小川半次
○小川半次君 赤尾敏氏であったかどなたか存じませんけれども、反対の説を唱えた公述人に対して、どなたか暴言を吐いて、衛視にとがめられておったように私は記憶しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/74
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075・淡谷悠藏
○淡谷委員 世論調査にあんなに熱心な態度を示されたあなた方が、現在審議しておる議場で衛視につまみ出されるほど熱心な賛成論者が、だれかと確認しないというはずはないと思う。赤尾敏氏と私は確認しました。朝から入っておりました。こういう事実があったのをおわかりにならないようでは、ほんとうに国民の世論というものを把握ができますか。目の前で起っておる事実がわからないような怠慢なことで、国民世論の把握ができるのでございますか。三十二年あるいは三十三年の世論調査のようなものを、もう一ぺんやってみる御意思はございませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/75
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076・小川半次
○小川半次君 先ほどの赤尾敏氏の件でございますが、私は赤尾敏氏の顔を存じないので、だれであったかわからない。これが日ごろ顔を知っておるだれかが衛視にとがめられたのであれば、淡谷君がとがめられておるとか小川がとがめられておるとかいうことがわかりますけれども、あなたは知っておられるけれども、私は知らないので、だれであったか知らないと言っているのです。
それから世論調査の件ですが、これはどこかの新聞社で自発的にやっていただきますれば大へんけつこうでございますけれども、今われわれが直ちに世論調査をするかどうかは、今のところまだ考えておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/76
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077・淡谷悠藏
○淡谷委員 私は紀元節賛成論者の性格をはっきり見きわめることが、審議の上に非常に重大な意味があると思う。木村篤太郎さんは大へん熱心な賛成論者でありますが、二月の十三日に大和タイムスの記者会見において、三笠宮のことに言及しておられる。国民の税金で養われておる人として言うべき言葉ではない、皇族をやめてから言うべきだ、こんなことを前国務大臣であった、最も熱心な紀元節復活論者が、新聞記者との会見で言っておるということは、どうお考えになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/77
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078・小川半次
○小川半次君 それは木村さんは木村さん御自身の御意見を発表されたものであって、私はこの御意見に対して今どうこう申し上げる筋合いのものではないので、私からこのことについて答弁を差し控えたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/78
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079・淡谷悠藏
○淡谷委員 こういう事実のあったことはお認めになりますか。私も新聞記事だから真偽のほどはわからないが、この重要なことを、あなたの方では一つの注目すべき世論として、また世論のうしろにひそんでおる建国記念日復活の一つの意図として検討されるような御意思はございませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/79
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080・小川半次
○小川半次君 まことに残念ながら、その新聞記事は私まだ拝見しておりません。あなたの御意見を聞きまして、初めて知ったような次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/80
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081・淡谷悠藏
○淡谷委員 すでにさまざまな学者の反対論が出、また世論の上においても著しい変化が起っている場合、古い世論調査に基いて、しかもあなた方が正史と伝説的に信じてこられたこのことをもとにして、建国記念日を定めるという態度の中に、私は何かはっきりしない、そして何かの意図を感ずるのですが、あなた方のこういう世論がきまる前にあわてて紀元節を復活しようというその気持は、一体どういう御熱意に基くのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/81
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082・小川半次
○小川半次君 昨年の国会でも申し上げましたように、人はそれぞれ自分の祖元を敬い、また人の生まれた日、自分の生まれた日を祝福するということは、やはり人間生活の上に私は非常に美しいことだと思います。そういう見地に立って見るときに、自分たちの住んでいるこの国土が、一体いつから建国されたものであるか、そういうなつかしみを持つのも、これまた人情の常でございます。そこでそういう純粋にして素朴な国民の気持を察してやることが、やはり政治家としてまた当然の道ではないかと思う。そういうことから、戦後世論調査の上にも国民のこうした純粋な、素朴な気持が、やはりわれわれの住むこの国土においても建国の記念日というものがあってほしい、またあることが何となく国民として一つの祖先を敬う気持と同じようなものを自分の国に持つことができる、こういう考えが現われて参りましたので、われわれはこれを祝日の中に入れよう、こういうことに提案の趣旨があるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/82
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083・淡谷悠藏
○淡谷委員 私はあなたの御答弁を聞いて大へん残念に思うのは、あなたは世論調査の結果に基き、あるいは世論の多数がこれを求めておるからやると申しますが、最近は反対論に対して非常に暴力的な圧迫が加わってきておる。そこであえて私は名前を言うことを差し控えますけれども、容易ならざる脅迫あるいは暴力を誇示するような態度が世論を押えてきておる。これは正しい世論をつかむ上において非常に大事なことだと思いますが、その点の御調査は行き届いていないのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/83
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084・小川半次
○小川半次君 このことによって非常にそういう圧力とかあるいは暴力的なことが生ずることは、まことに残念なことであって、またこういうことのみならず、いずれの場合も同じことでございますが、そういう圧力とか暴力が、ものの制定とかあるいは実現するに当って行われることは、これは許すべからざることでございます。しかしこの問題についてどのような脅迫的なことあるいは暴力的なことが起っておるかは、まだその詳しい情報などは私の手元には入っておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/84
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085・淡谷悠藏
○淡谷委員 一体新聞にも書いておりますし、もう世間でももっぱらうわさされておる、その事実をまだつかまえていないで、あなたが世論云々を言う資格はないと思う。世論を考えるならば、こういう事実に基いて、果してそれが真実であるかどうかをきわめることが、この法案の成立を急ぐより前に必要なことだと思います。その点はどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/85
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086・小川半次
○小川半次君 淡谷委員から一つ具体的にどこでどういうことがあったのか、お聞かせ願えますれば、あるいは新聞等によって私の記憶がよみがえるかもわかりません。事実を具体的に一つおっしゃっていただきたいのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/86
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087・淡谷悠藏
○淡谷委員 これは確実な資料に基いて私の方からもあなたの方にはっきり提出しましょう。もしその事実があった場合は、もう一ぺん世論調査をしますか。どんな事実があろうともあなたは撃ちてしやまんの態度で通すのだ、こういう気持であるならば、出す必要はない。少くとも世論形成に暴力が加わるような事実があった場合に、もっと慎重にこの祝祭日の決定を審議すべきであるという線に立つのか、何が何でもやってしまうのだ、こういうふうな態度をとられるのか、この点を確かめておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/87
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088・小川半次
○小川半次君 われわれは何が何でもやってしまうというような考えは持っておりません。ですからこのように委員会が開かれまして、そうしてあなた方に審議をお願いしておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/88
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089・淡谷悠藏
○淡谷委員 大へんごりっぱな態度だと思います。そこでいよいよ根本的な論に入ります。一体あなた方の考えておる紀元節の根拠ですね、これはしばしばこの委員会でも討議されましたし、学者の論議もあった。今あなたは学者の論議ではきまらない問題だとおっしゃる。さまざまな議論があってもいいと言われる。しかし事は民間行事とは違う。民間行事ならば、これは信ずるままにお稲荷さんでもいいだろうし、何を拝んでもいいでしょうけれども、少くとも国家が議会の決定をもってする建国記念日を、そんなぼうばくとしたままできめてはならぬ、確定した事実に基いた建国の日を定めるべきだと私は思うが、これがなくていいのですか、それでもはっきりした建国の日を定めるという御熱意がありますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/89
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090・小川半次
○小川半次君 あなたのおっしゃるように、あるいは学問的に科学的に日本の建国の記念日がいつであるかということがはっきりしておれば、その日があればけっこうなんです。しかし過去において幾多の学者とかあるいは多くの人の意見を徴してみたのですが、二月十一日以外の日に建国の記念日をきめるということになると、非科学的な、あるいは学問的に合わない日なんです。最も近いのはやはり二月十一日なんです。そういう結果が出たので二月十一日ということになったのでございまするが、あなたは何か二月十一日以外にあるいは学問的に科学的にあるようなお話にも受け取れるのですが、一体ありましたらお示し願いたいのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/90
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091・淡谷悠藏
○淡谷委員 日本の建国を悠久二千六百年以前に返って求めようという根拠は、ないのが当りまえだと思う。ないものを出せというのは、幽霊の脈を取れというような注文ですよ。そんな無理な注文を出して攻めるならば、確実性がなくとも、歴史的根拠がなくても国民感情の上に立ってこれをきめるのだという態度に出られたらいいじゃないですか。これはあなたの方に求めたいのです。私の方ではその日はないと言っておる。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/91
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092・小川半次
○小川半次君 結局あなたも国民感情に求めたいということに帰着されるようですが、われわれその国民感情の上に結局ここにきたのです。ですから二月十一日以外に建国記念日はない。しかし最も近いのは二月十一日だ。その最も近い日をやはり建国の記念日にするということが国民感情に合うことだ、こういうことになると私たちは思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/92
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093・淡谷悠藏
○淡谷委員 二月十一日が建国の日に最も近いという考えは学者の一部でしょう。今日ではこれを学問として正確に信じている人はないでしょう。多くの歴史学者はほとんど否定している。合わない。ここで学問の議論をしたってしようがありませんから、これはいずれ公聴会でも開いて聞くより仕方ありませんけれども、あなたは学問上二月十一日が最も近い日だと主張されるのですか、あるいはあなたの信念の上で、あるいは信仰の上で主張されるのですか、どちらですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/93
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094・小川半次
○小川半次君 かつて二月十一日を紀元節と称して七十幾年参ったのでございます。その間に二、三の異説を唱える学者もおったのですが、明治から大正、昭和にかけてこの七十幾年の間、今申し上げたように、二、三の異説を唱える学者があったけれども、当時は日本の多くの学者がこれは当然として認めておったことであるし、国民もまたそれを当然のこととして親しんできたのでございます。そういうことがやはり国民感情として国民の中にあると私は思うのです。ですから国民感情としてあるものを抹殺して、国民感情に合わない日を建国の記念日にしいて持ってくるということは、これこそ私は国民の意思に沿わないことではないか、このように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/94
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095・淡谷悠藏
○淡谷委員 紀元節を国民感情として懐しむという風潮は徳川時代にはなかったのです。これは明治時代になって初めてできた国民感情なんです。この国民感情形成の上に、明治政府のさまざまの政策や施策や、あるいは思想形成の努力が非常に加わってできた国民感情だという事実を、あなたはお認めになりませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/95
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096・小川半次
○小川半次君 確かに、明治初年に日本の国民感情が近代国家を作っていくという非常に希望に燃えた感情に変ってきたということは事実でございます。御承知のように、徳川封建制度のもとに苦しんできた国民が非常に解放されたような気持になり、そして当時の先進国といわれた諸外国の長所なども取り入れたいという気持がわいたことは事実でございます。そして当時外国等に派遣されておりました明治の先覚者たちが日本に帰って参りまして、外国にはこのような独立記念日とかあるいは革命記念日とか、あるいは日本で言えば建国の記念日にひとしいようなものがある、そういうふうな意見なども出まして、当時わが国の為政者がこのようなかつての祝祭日を制定するに至ったものと私たちは解釈しているのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/96
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097・淡谷悠藏
○淡谷委員 それはさっきの御答弁と食い違いませんか。日本の国は他の国とは違うとおっしゃっておる。しかし例はやはり外国の例をおとりになった。便宜なところだけをおとりになって不便なところはとらない。実際の建国記念日は、二千六百年をどうしても固執するという御意図なんですか。もっと先進国の例にならったらいいじゃないですか。明治政府がこの問題を取り上げるならば、明治政府ができた日とか、あるいは王政復古ができた日とか、これを選ぶべきだと思いますが、明治政府がことさらに紀元節を選んだといういわれは一体どこにあるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/97
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098・小川半次
○小川半次君 先ほど申しましたように、諸外国の例なども参考にして、そうして日本が近代国家として希望に燃えて出発していこうという門出であったので、このような、一つの民族意識というか、そういうものを高めるためにも必要と考えて、当時制定したものではないかと私は思うのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/98
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099・淡谷悠藏
○淡谷委員 近代国家が形成されたので、そのための民族意識を高めるため、その通りだろうと私は思うのです。そこで、一体近代国家というものはどういう要件を備えておるか、これを伺いたい。ぼうばくとしたいにしえに建国のもとを求めるよりは、むしろあなたのおっしゃった近代国家形式の日に建国の日を求めたらいいじゃないですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/99
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100・小川半次
○小川半次君 それは、たとえば現在の立場から見るときに、過去において日本に紀元節というものがなくて、今一つこういうものをきめようかというときには、それはまたいろいろな日を考えてみるということもあるでしょうが、しかし明治、大正、昭和二十年に至るまで紀元節としてせっかく国民が親しんできたこのものがあるのですから、このものを抹殺してまた別に日をきめるという、私はそういうことを国民はあまり望んでいないのではないか——それは世論調査の結果でありますが、このように考えておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/100
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101・淡谷悠藏
○淡谷委員 あなたは明治、大正、昭和と言っておられる。この世論というもの、国民感情というものは明治以後に形成されたものなんです。そのときの近代国家の要件は一体どうなんですか、私はこれを伺いたい。国家の成立の日とあなたはおっしゃる。国の始まった日とおっしゃる。近代国家が初めてこの日を作ろうというのですから、あなたの言われる建国というものと近代国家の成立要件とはどう違うのか。なぜことさらに歴史的にも明らかでない、学者の間にも異論のある、つかむことのできないような遙遠二千六百年の昔に建国の日を求めなければならないか、これは一体明治、大正、昭和という近代国家の誕生とどういうふうに違うのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/101
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102・小川半次
○小川半次君 建国の日というものはそういう国の、たとえば思想とかあるいは政治の動向とかそういうことには実際は関係なく、いかに国の政治の上に変化があっても、あるいは思想的に根本から変革があっても、国のできたその日というものは永久に変るべきものではないのであって、明治初年の先覚者たちは、自由民権的な国として育てていこうというような気持がおそらくあったのだろうと思うのです。しかしそれはそれとして、だからそれにこじつけて建国記念日を作ったものでは私はないと思う。そういうこととは別に、日本の国の国初めといいますか、その日を紀元節としたものであろう、私はこう見ておるのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/102
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103・淡谷悠藏
○淡谷委員 それではあなたは、明治政府の意図した紀元節の制定と、あなたの今お考えになっている建国の日の観念は全然違うとおっしゃるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/103
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104・小川半次
○小川半次君 いや、全然違っておるとは私は言ってないのです。そういうあらゆる角度から勘案して明治初年に祝日ができたものと、こう見ておるのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/104
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105・淡谷悠藏
○淡谷委員 そんなことでは私はまだ納得ができません。違っているのですか、違っていないのですか。どうもその点はあいまいなのです。幾分違ったところがあるというならば、その違った点の説明を願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/105
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106・小川半次
○小川半次君 別に違っておるというわけではないのです。要するにあらゆる面を参考にして、たとえば先ほど申し上げたように、外国の例なども参考にし、かつまた日本の政治を中心にして、あるいは当時の先覚者の自由民権的な思想などもあったかもしれませんが、そういういろいろなものを含めて、当時日本に祝祭日というものが制定されたのではないか、このように私は思うのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/106
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107・淡谷悠藏
○淡谷委員 それでは現在のあなた方の主張される建国の日の制定は、明治政府のとられた態度とどの点が違っておるのですか、具体的に説明願いたい。それとも明治政府が制定された紀元節と同じような観念を持って祝おうというのですか。どちらなんですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/107
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108・小川半次
○小川半次君 私たちは、そういう思想的とかそういう意味ではなくして、とにかく日本の国が二千六百年前に国初めをやった、それが二月の十一日であったというところの、日本書紀なりあるいは明治の当時日本の先覚者が制定いたしましたそのことを尊重して、しかも七十幾年の実績を根本にして建国の記念日を加えよう、こういう考えでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/108
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109・淡谷悠藏
○淡谷委員 どうも私はその点まだ答弁がずれていると思うのです。紀元節というものは、あなたもすでに御承知の通り、明治政府が作ったものなんです。日本書紀とおっしゃいますけれども、日本書紀は逆算に基いた一つの憶測なんですね。それをことさらにこの紀元節というものを制定しまして、撃ちてしやまん、八紘一宇の思想をもって押し進めた結果があの明治政府の形であったのです。これは御承知でしょう。その当時の考えと同じような考え方をもって今やられようとするのでないならば、あなたの新しい構想に基くその考えというものをこの際率直に話してもらえませんか。何をねらうか。あなたは国民感情としてなつかしさがあるからとおっしゃるが、国民感情のなつかしさは、古い時代の人なら知っている例の「雲にそびゆる」の歌なんですな。紀元節にもらったお菓子なんです。あとは紀元節というもののほんとうの意味は、啓蒙されて初めてわかるのです。それを啓蒙しないままに、明治政府をなつかしむような気持でこの紀元節を制定したならば、やはりこのぼうばくとした国民感情というものは、また明治政府から大正、昭和にかけて日本があやまちを犯した軍国主義復活の危険がありますから、ことさらに私は問うているのです。一体どういう新しいことがありますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/109
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110・小川半次
○小川半次君 明治初年にこの祝日が制定されたのは、先ほど申し上げたように、紀元節が日本の国初めの日であるという見解のもとに、当時の日本の先覚者が制定したものであって、撃ちてしやまんの思想とか、あるいは軍国主義思想が制定当時あったとは、私は考えておらぬのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/110
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111・淡谷悠藏
○淡谷委員 どうも私ただいまの御答弁には納得いかないところがたくさんあるのです。特にこの問題はわれわれは最も厳粛な問題として、学者のとっている態度を重視しなければならぬと思うのです。すでに国民の間に反対の風潮が出てきておる今日、新しい世論調査も行われていない今日、こういう反対論者の言うところの、でたらめで言ったんじゃないかという纐纈先生のお話もありましたから、さっきの私の要求に基く反対の学者の——あなたはこの学説はとるに足らぬとおっしゃいましたが、そういう人たちの調査の結果を待って私はもう一ぺん御質問をしたいと思いますので、これは保留しておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/111
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112・福永健司
○福永委員長 午前中の会議はこの程度にとどめまして、暫時休憩いたします。
午後零時十五分休憩
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午後三時二十九分開議発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/112
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113・福永健司
○福永委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。淡谷悠藏君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/113
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114・淡谷悠藏
○淡谷委員 先ほど御提出を願いました紀元節に反対する学者たちの名前の資料が整いましたら、拝見したいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/114
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115・纐纈彌三
○纐纈委員 書類としてはちょっとあれですから、一応私の承知しておる程度だけ申し上げてみたいと思うのですが、歴史教育者協議会の会長をやっておられまする和歌森太郎先生一派の学者が、大体反対を唱えておられることは承知いたしております。それから歴史学研究会の三島一先生、その他奈良女子大学の門脇禎二先生、金沢大学の遠藤元男先生というような方が歴史学者として反対をされている方と承知いたしております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/115
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116・淡谷悠藏
○淡谷委員 先ほどの速記録を取り寄せてみました。「今日あの歴史がでたらめだとかいうような説をなす人がありますが、これは歴史の科学的の研究をされる点において研究されることはけっこうかと思うのでありますが、なおこれに対して反対論が定説とはなっておらないので」とありまして、あなたのお話は、これはまあ反対の学者がでたらめとはおっしゃらなかったようでありますが、どうも御発言の内容では、研究されるのはけっこうだが、反対論は定説となっていない。つまり学者の説がきまらなくても建国の日はこれを押し通そうというお考えであれば、歴史としてではなく、明らかに歴史外に根拠を求めてあなたは国民の祝日を制定しようとされているようでありますが、この点はどうでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/116
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117・纐纈彌三
○纐纈委員 先ほど申しました点は、紀元節反対の学者が日本の古代の歴史に非常な疑問があるということを根本として反対をやっておられるわけなんですが、その反対をやっていらっしゃる学者の説というものはいまだ定説ではない。従ってそれに対する反対の、いわゆる紀元節賛成の学者もたくさんおられるわけでありまして、さような意味合いにおいて、学者として古代史を研究されることについては、私どもは非常に敬意を表するわけでありますが、それがいまだ学界においてのほんとうの定説となっておらないものをもととして、紀元節に絶対反対されるという点については、私どもは疑問を持つ、こういうことを申し上げたっもりであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/117
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118・淡谷悠藏
○淡谷委員 あなた方の主張される根拠は、歴史学としての定説として日本書紀をお使いになりますか、あるいはまた歴史学としてでなく国民の伝説としてお取り上げになるか、この点を明らかにしていただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/118
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119・纐纈彌三
○纐纈委員 私どもが国祭日をきめる問題は、もちろん歴史的の根拠がはっきりしていることでありますればそれに越したことはないのでありますけれども、これはなかなか古いことですから簡単に決定はできないのでございまして、しかもこれはいわゆる純粋科学の、歴史学の問題よりもむしろ国民感情としての政治問題であり、これが決定されたことは日本の正史日本書紀が千三百年もずっと信ぜられて伝わってきた、それを根拠として、明治維新当初において当時の学者その他の方々が十分に研究されまして、二月十一日が、「辛酉の春正月庚辰の朔」、神武天皇が即位された日を天皇の元年とする、これを基礎にしてやっておられるのでありますから、私ども祭日として国民がかくも多数要望しておるものをきめる上については、その日本の正史の記述を一応の基礎として差しつかえないじゃないか、私はこういう考え方を持っておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/119
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120・淡谷悠藏
○淡谷委員 歴史としてはどうも反対の学者の説も定説じゃないかもしれませんが、主張される方々の説もやはり定説じゃない。あなた方は正史だと言っておられる。かつて「雲にそびゆるが歌われたころには歴史と国史を分けたようであります。歴史は正確なものに基いたものかもしれないが、国史は国民思想の涵養上、多少事実に相違があってもいいというくらいの、便宜的な立場で教えた。あなた方の主張される正史の中にも、そういうにおいが多分にございますが、国史あるいは正史といった考え方と、今日の進歩した歴史学との関係についてどうお考えになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/120
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121・纐纈彌三
○纐纈委員 だんだん歴史学の研究も進んで参りまして、考古学等もあれし、出土品等によっていろいろ研究がされておりまして、さような意味合いから、歴史学の立場から日本の古代の歴史を研究されていくことについては私どもはぜひこれは学者の立場としてやっていかれることを希望します。また紀元節に賛成をしておられる学者の中においても、もちろん日本書紀が、全部が確実なものであるかどうかということについても、これは疑問を持っておる人もあるわけでありますが、私どもといたしましては、もうすでに明治以来七十年の実績を持った国民の祝日として、祝ってきましたところの二月十一日という日をこそ建国紀念日とするならば一番適当である、それ以外の日としては私どもはより以上適当な日はないというふうに考える。しかもこれに対しまして、国民の感情というものが非常に年々私どもは上昇しておると考えるわけでありますから、さような意味合いにおきまして、私どもは多数の民の声を尊重して、国祭日にすることが適当だというふうに考えまして、この法案を提出しておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/121
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122・淡谷悠藏
○淡谷委員 どうやらあなた方の正史という観念は、正確な歴史の事実と合わなくてもいいといったような、いわゆる国史の観念、そういう思想を持っておられるようであります。特に明治以来七十年という言葉で言われる限りは、私どもはやはり紀元節を制定した明治の政治的な立場というものを考えざるを得ない。あの当時は、まだ日本は国際的な関係が薄かった。今日では、国際的な関係が非常に高まっておる。さっきお願いしたと思いますが、韓国の紀元節の根拠については、まだお調べはつかないでしょう。小川先生どうですか。韓国四千年の建国の歴史というものはお調べはつかぬでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/122
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123・小川半次
○小川半次君 先ほどもお答え申し上げましたように、韓国の建国の記念日が四千数百年とかあるいは五千年とか、これはそういうことを私たち聞いておりますけれども、まだ確かな文献は持っておりません。また日本の学者の中でも、韓国政府の発表した建国の記念日というものが、正しいものかどうかということについて、確たる意見を発表した学者もないように私たちは承知しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/123
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124・淡谷悠藏
○淡谷委員 国際的な立場に立った国の建国記念日というものを考えるときに、国内のいろいろな行事として認められるならばよろしいのですけれども、日本の建国の歴史は、やはり国際的に問題になるのです。法律酌には問題はないかもしれませんけれども、学術の上では歴史の根拠のないもの、確実な資料のないものを国の起源として、しかも国が定めて祝う日だと制定することは、端的にいって笑われます。今でもここで質問しますと、韓国の四千年前の建国の日を委員自体が笑っておられる。これはまさに、わかりもしないはるかなる二千六百年の昔に建国の日を求めるという思想自体が、非常に今日の日本とはかけ離れた明治政府の意思に基いたものとわれわれは考えますが、その点はどうお考えになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/124
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125・小川半次
○小川半次君 淡谷委員の考え方は初めから二月十一日を否定しようというお考えのもとに御意見を出しておられるから、私たちの考え方とピントが合わないわけなんです。あなたは、明治初年に何か当時の先覚者たちがこれを軍国主義とかあるいはそうしたものにこじつけるために制定されたような御意見を持っておられるようですが、私たちは、あの当時は、自由民権の思想を日本に植え付けようというような考え方を当時の先覚者は持っていたと思うのです。ですから、このことが初めから日本を徹底的に軍国主義に持っていくために制定されたものとか、そういうあなた方の考えと私たちの考えとは大きな距離があるということを私ははっきり申し上げておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/125
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126・淡谷悠藏
○淡谷委員 非常に努力しましても、一つの思想の流れというものが正しく伝えられ、正しくとらえられるということはむずかしいと思うのです。しかも今あなた方が考えておられるような明治政府の意図にもかかわらず、常に戦争のあるたびにこの紀元節の問題が運用され、日本書紀における神武天皇の業績が、あの海外における兵の士気を鼓舞するために用いられた、この危険性は今でも存在するのです。もしもそういう危険性がないならば、どうしてああいうような運用を当時許したか。これは提案者の纐纈さんも経験されたはずです。自分のとっておる思想を歪曲されまして悲惨な結果を残すようになったあの戦争中の行為をなぜ黙って見ておられたのですか。もしああいうふうにならないというならば、あの当時すでにこの紀元節論者、紀元節を固持する者から、あの戦争に歪曲された紀元節の思想に対して強い反抗があってしかるべきものと考えますが、それはあったのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/126
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127・小川半次
○小川半次君 紀元節をあるいは軍国主義とかあるいは戦争行為に結びつけようとした一部の方があったかもしれませんけれども、紀元節そのものはこれは何の罪もないのでございまして、この紀元節そのものを何か軍国主義のために生まれたように解釈されるあなたの御意見には、私たちは考え方を異にするものでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/127
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128・淡谷悠藏
○淡谷委員 あなたはそう思われないかもしれませんけれども、あの戦争中は明かに日本書紀の神武東征のくだりが利用されて無理を感じられなかったと見えて、あなた方も反抗しなかった。この厳然たる事実を私は否定できない。これはどう解釈すべきでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/128
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129・小川半次
○小川半次君 文字の解釈にはいろいろあると思うのです。たとえば神武東征という文字の場合でも、東征ということは東を討つという説をなす人もありますし、それは東に行くということであるという説をなす人もありまして、ただ文字の上からあくまでもこれは侵略主義が初めから含まれているものであるというようなあなたの解釈と私の解釈は違うのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/129
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130・淡谷悠藏
○淡谷委員 私の解釈でもなし、文字の解釈でもございません。戦争中神武東征のくだりが盛んに軍部に利用された、あるいは悪用された、この厳然たる事実を生んだ原因はどこにあるか、そういう危険性を将来ともはらまないか、この点を聞いているのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/130
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131・小川半次
○小川半次君 それは先ほど申し上げたように、紀元節をあるいは戦争行為等に利用した一部の人もあったと思います。しかしそれは、そのときの政治家がもっとしっかりしておれば、私はそういうあやまちはなかっただろうと思うのです。これからは、あなたも御承知のように、民主主義の政治の時代でございますから、よしこの二月十一日が建国の記念日と制定されましても、今後の日本の政治家がもっとしっかりしておれば、私は悪用されることは絶対にないと確信いたしております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/131
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132・淡谷悠藏
○淡谷委員 それでは伺いますが、紀元節がかりに制定された場合、しかも国がこれを国の祝日と決定した場合、学校等においてその紀元節を祝う方式を一定の型にする御意思はございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/132
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133・小川半次
○小川半次君 御承知のように、現在施行されておる祝日を正式に祝っておる学校もありますし、また祝っていない学校もございます。これを正式に祝えというようなことはまだきまっていないようでございます。それはその学校の考え方、あるいはその学校の当事者の行為によるものであって、これをあくまでも全校あげて祝えとか、そういうことはやはり今後の問題として研究さるべきものではないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/133
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134・淡谷悠藏
○淡谷委員 そういうふうに将来どうしてよいかわからぬというような祝日を、なぜ今急にきめなければならないのか。これから学校においてはどう扱うか、その形式をどう扱うか、それさえもきまっていないような祝日を、なぜこんなにあわてて作らなければならないのか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/134
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135・小川半次
○小川半次君 私のお答えしたのは、現在行われておる祝日に対しては、これは休みという制度はございますが、全校あげてこれを祝わなければならないとか、そういうことはまだきめられていないわけであります。ですから将来たとえば紀元節もここに加わるといたしましても、現在のままでよいということであればそれでもよろしいでしょうし、また多数の国民から、そのときは全校あげて祝ってくれというような意見が将来出たら、それはそのときに考えるべきものであるということを私はお答えしたのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/135
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136・相川勝六
○相川委員 ちょっと関連して。午前中以来淡谷さんの御質問を伺いまして、まことに重要なことでありますから私も提案者に質問をしてみたいと思います。
そこで、大体淡谷さんのいろいろ根掘り葉掘りお聞きになるお気持を聞いておると、いかにも紀元節というものが、明治政府のときに軍国主義か何かそういうものを明治政府が考えて、その一端としてこの紀元節を制定したのじゃないか、従ってそういう流れをくんでおるから、今度の戦争においても軍国主義運動に利用されておるのじゃないか、これが心配だ、こういう意味に解せられる。これはきわめて重要なことでありますから私も聞いておきたいのであります。私あまり勉強しておりませんからわかりませんが、大体明治政府が紀元節を制定したときの空気がどうであったか、私は年代のことはよくわかりませんから質問したいのですが、明治政府も、最初徳川幕府を倒して新政府を作ったときには非常に大きな精神を持っておったと思います。あの五カ条の御誓文なんかを見ますと、私は今でもあの精神にはきわめて共鳴する。「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」とか「旧来ノ陋習ヲ破り天地ノ公道ニ基クヘシ」とか、そういう非常によい精神です。だから封建制度を打破してここに新しい民族国家、平和的な民主国家を作るというのが、明治政府のほんとうの気持じゃないか、その一つの大きな現われとして、民族国家として神武建国の理想というものを——途中は武を用いたこともあるでしょうけれども、国を建てたときには大きな平和的な大理想で神武天皇が国を作られた、これに返ろう、こういうことじゃないかと私も思う。そこであの明治政府の非常な偉大なる国際的な、平和的な、民主的な精神と、この紀元節制定というものが何らかの関係があるんじゃないかと思いますが、その辺はどうですか、これが第一点。
それから第二点は、今淡谷さんの御質問で、建国記念日ができたらば学校でどうするかとか、何かそういうようなお話がありました。この問題は、私もいよいよ建国記念日ができたらばどういうふうにこれをお祝いするかということは、これは今までの紀元節のやり方とは全然違った民主的な、国民的な、平和的な、大きな行事にしなければならぬと思う。そこで社会党さんが心配されるような、右翼的な連中だけがばっこするような、そういうお祝いであってはならない、やはり平和日本の建国として、われわれの理想を顕現するような紀元節にしたい。そこで問題として、そういうものができた場合には、そういう精神を貫くような、各方面の方々を集めて従来の紀元節の行事とは違った新しい角度の平和日本の建国記念日をお祝いするために、そういうお祝いの方法をどうするかというようなことについての民主的なやり方の調査会か何かを作って、具体的にきめるというようなお考えがありますかどうか、これを一つお聞かせ願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/136
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137・小川半次
○小川半次君 お答えいたします。明治初年にかつての祝祭日が制定された当時は、今お説のございましたように、当時のわが国の為政者もまた国民も、近化国家としての大理想に燃えて立ち上っておったということは、これは文献その他によっても明らかでございまして、またそうであっただろうと思うのでございます。そこで近代国家として大理想のもとに立ち上るといたしましても、やはり民族として過去の日本が、過去の日本民族がどう歩み来たったかというものを持たなければ、国民の団結とかあるいは国民の理想をいやが上にも燃え上らせることはできないだろうと思うのです。そういう意味において、日本民族の歩み来たった歴史等をいろいろ考えたところ、日本書紀に現われておる、その国始めの日を新暦に逆算いたしまして、そうして二月十一日と定めたものである、私はこのように見ておるのでございます。従って当時は、何と申しましてもいわば開国早々の日本でございますので、外国の大国に向って戦争をふっかけるとか、あるいは外国を侵略するというような、そういう大それた考え方は、明治初年の日本の為政者や日本の国民の中に、おそらく持っていたものは一人もなかっただろうと思います。そういう、要するにほんとうに平和な気持で外国と手を握って、そうして日本の国を一つ発展させていこうという理想に燃えていただろうと思うのです。ですから、初めからこれを軍国主義と結びつけて制定したのだという淡谷委員の御意見とは、私たちは全然異にしておるのでございます。
それから先ほどあなたの申されましたように、今後この祝日をどういう工合に運営していくかということについて、委員会のようなものを設けたらどうかというお説でございまするが、それは今のところ私は考えておりません。こういうものは多数の御意見によって決定するわけでございますから、国民の皆様方がそういう方向に持っていきたいという多数の御意見が決定いたしますれば、私たちはその御意見に従うものであるということをここに明言しておくものでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/137
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138・相川勝六
○相川委員 私の聞いたのはもっと端的なことなんです。私の聞いておるのは、五カ条の御誓文を出したときの空気ですね、それと五カ条の御誓文を発布したときの年代と、この紀元節を制定した年代との関連、その辺の事情をもう少しお知らせ願いたいのです。私は、どうも五カ条の御誓文を出す、あのときの勢いで紀元節もできたのではないか、これを聞きたいのです。もっと本質的な思想的な問題、これがどうなっておるか。
それから第二は、いやしくも提案者たる者は、これはわれわれも従来のような紀元節を考えていないのだから、やはり大きな理想を持ってもらいたい、だからそのための委員会、これもあなた方がそう希望するならやるとかいうことでなくて、あなた方自体で、新しい建国記念日は従来の紀元節と違ってこうやりたいというような、せめておぼろげながらでも大きな思想があってほしい、これを私は言っておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/138
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139・小川半次
○小川半次君 前段の方につきましてお答え申し上げます。後段の方は纐纈先生からお答えになると思います。前段の五カ条の御誓文と、かつての祝祭日と関連があるのではないかという御意見でございますが、それは五カ条の御誓文が制定されましたその翌年に祝祭日が制定されておりまするので、関連があったものと私は解釈しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/139
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140・纐纈彌三
○纐纈委員 第二段の相川先生の御質問に対しましては、私どもといたしましては、今日きまっておりまする祝祭日につきましても、それぞれその祝祭日の内容のいかんによりまして、主管の役所がきまっておるわけであります。そこでその祭をどういうような形に祝っていくか、こういうことはその主管省で大体の方針がきまると思うわけであります。今の祝祭日でも、御承知のように、特にこうしろ、ああしろというようなことを指示してやっておるというような形でなく、国民の盛り上った気持でお祝いするという形に戦後の新しい祝祭日は行われておるようでございますので、建国記念日つきましても、きまりましたならば、私どもはほんとうに国の古い歴史をしのびつつ、国民一般がお互いにおおらかな気持でお祝いしていくような形の祝日にしたい、こういうきわめてばくたる考え方でありますが、そういう考え方のもとに私どもは——おそらくこれは文教の関係を主といたしておると思いますので、文部省等ともそういう問題についてとくと一つ協議しつつ、これが淡谷先生たちの御心配になったような紀元節を悪用されるというような形のお祭ではないようにしていかなければならぬ、こういうことを考えておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/140
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141・淡谷悠藏
○淡谷委員 どうも提案者の小川さんは、やたらに私とは反対の立場、反対の立場といっておられますが、初めから反対されたがっているのです。だんだん撃ちてしやみたくなってきたように考える。
私こまかくお伺いしたいが、あなた方は何といってもこれは理屈ではないといいますが、祝いの形式をきめられるにしましても、休みが一日できた場合に、純真な子供たちがなぜ休みができたのだろうと疑いを持つのは当然なんです。国を始めた日だというように学校で教えております。考古学やその他の古代科学、これと日本書紀の記述は合わない。歴史とも合わない。そうすると勢い紀元節というものは、日本書紀というあなた方の言う正史という名の伝説かおとぎ話か何かに変ってしまうのですね。その日本書紀を引っぱり出して学校の子供たちが読んでいって、たとえばこんなところを読んだ場合にあなた方はどう説明されるか。「内木綿(うつゆふ)の眞(ま)さき国と難も、猶蜻蛉(あきつ)の臀(とな)めの如くもあるか。」という言葉があるのです。これを子供たちが教室で質問した場合にどう答えますか。この委員会で答弁ができますか。日本書紀ですよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/141
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142・纐纈彌三
○纐纈委員 淡谷先生のただいまお読み上げになりましたことは、私どもちょっと解釈に苦しむわけであります。大体今学校の子供たちに紀元節をなぜお祝いするか、こういうことでいいかげんのことを言って教えるわけにもいかぬじゃないかというお話でありますが、私どもはそれにつきましては先ほども申しますように、日本書紀はこれが全部完全なもの、確実なものとは存じませんが、また全部が間違っておる、ことに今の進歩的文化人とおっしゃる若い方々の研究によりますような、古代史が全部架空の問題であるとかあるいは伝説の域を脱しないとかいうような程度のものではないと私は思うのです。これは私の個人の考えなんでありますが、そこでこれはやはりそういう問題についてある程度もう少し日本の古代史を研究しなければなりませんが、今考古学からいきまして実際と合わぬというようなことをおっしゃっておる。これはだんだんなにして縄文というものが北九州で出ておれば、また大和の国にも出ております。そういうふうにしてだんだん考古学が進歩していろいろの出土品が出て参りますと、今まで疑問にされたものが私はだんだん解決がつくだろうと思うのです。そこはやはり学者の研究の領分でございまして、そういうことで疑問のものが氷解していくようになれば、私は日本の歴史研究者に非常に敬意を表し、また古い歴史を尊んでおったわれわれに対してそうした確固たる科学的な根拠を与えていただくようなことに古代歴史の研究する方が努力されることを私は非常に望んでおるわけでございます。そういうような意味合いからいたしまして、とにかくいろいろの疑問があるかもしれぬけれども、日本の正史として伝えられてきたものとしては、神武天皇が国を始められた。しかもみことのりも非常に民主主義、平和主義を唱えておられるみことのりがある。さらに軍隊も作り、地方官も作るというようなことで、当時といたしましては現代的な国家を作られたものと私は思うわけでありまして、さような意味からいたしまして、明治初年にこの日を紀元節として定められたことは非常に卓見であった、こういうふうに私は考えておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/142
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143・淡谷悠藏
○淡谷委員 あなたも歴史の研究の方は軽んぜられないという御意思を表明せられましたので、一安心いたしました。今後歴史の研究が進んであなた方の言われる建国の日がどうも疑わしいということが国民の世論として高まってきた場合、また国の祝祭日を変えるというのですか。
それから私の今言った言葉に対してはお答えがない。これはちょっとここでは答えを求める方が私は無理だと思う。日本書紀の書かれた時代、社会一般の情勢、性観念あるいは親族関係、家族関係、国そのものの形が今とは非常に違うのです。古代の言葉で書かれていますから、平気でこんなところに持ち込んで話をしても発売禁止になりませんけれども、ここで堂々とこの日本書紀を読んで、あなた方にこれを現代語に翻訳してもらえば国会の尊厳を傷つけますような言葉があるのです。それはこの本ならば大して国をくつがえすような危険はないと思うのですが、あなた方の重点の置かれている神武天皇のくだりでも「撃ちてしやまん」という言葉がしょっちゅう出てくるのです。戦争中われわれに一番訴え、またわれわれをかなり苦しめたものは、これは纐纈さんも御存じの通り「撃ちてしやまん」という言葉だった。もう一つは、やはり神武天皇が即位をしたときに出したという詔勅のうちに、「六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇と為むこと、亦可からずや。夫の畝傍山の東南橿原の地を観れば、蓋し国の墺区か。治るべし。」その前の方に「八紘を掩ひて宇と為むこと」という言葉もあるので、「八紘一宇」という言葉を使ったのですがこの「撃ちてしやまん」と「八紘一宇」があのころの戦争の合言葉であった。この書紀の記述に「撃ちてしやまん」がしばしば出てくる。いずれも戦争の前奏曲です。軍艦マーチです。「みつみつし、久米の子らが、かきもとに、粟田には、かみら一もと、そのがもと、そ根芽繋ぎて、撃ちてしやまん。」こういうのがある。さらにまた戦争のあれがありまして、いつどこにも「撃ちてしやまん」が出てくる。「神風の、伊勢の海の、大石にや、いはひもとへる、しただみの、しただみの、吾子よ、吾子よ、しただみの、いはひもとへり、撃ちてしやまん、撃ちてしやまん。」これは相川委員も言われたことは非常に私は傾聴いたしました。私も国を始めたころの言葉が運用されて、大東亜戦争の旗じるしになろうとはおそらく日本書紀を書いた人は思っていなかったろう、五カ条の御言文の時代には日露戦争や大東亜戦争さらに国をひっくり返すような今日のような結果を招こうとは思わなかったか知らぬが、こういう危険性があると思う。意図すると意図せざるとにかかわらずこういう危険性が出てくる。現に去年の公聴会の場合に、さっき話しました——小川半次先生は知らぬ」とおっしゃっていましたが、纐纈先生は赤尾敏を知っておられた。あの事件があってから私のそばに来まして、あんな者が出るから困ったといってあなたは嘆いておられた。これは将来の問題じゃない。あなた方が紀元節の問題を取り上げたら、さっそく右翼団体がはびこってくることはわかっておる。これはさっき小川さんは御存じないと言っておるのだが、私は非常に遺憾なんです。今度出ました「週刊サンケイ」をあなたはお読みになりましたか。これは読まぬとはおっしゃらないでしょう。「週刊サンケイ」の三月九日号です。あの中に紀元節問題に関して非常に憂うべき一つの記事があるのをあなたお読みになりましたか。——私にここで読ませたいのですか。私は今そういうことを聞きたくない。聞きたくないからあえて読み上げませんけれども、あなたが知らぬとおっしゃるなら読みます。どうですか発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/143
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144・小川半次
○小川半次君 残念ながらまだ読んでおりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/144
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145・淡谷悠藏
○淡谷委員 これは国民世論を重大視するあなた方は、読み落してはならない本なんです。読んでいないというならば、私は故意に反対の説に目を閉じ、耳をふさいでいる実情だと思う。「脅迫された三笠宮」というタイトルで——私は脅迫されたのが三笠宮であるから取り上げるのではございません。これは宮様であろうが一般の人であろうが、それを脅迫して、学説を翻させようということは許しておけない。だからあえて言う。ここに「紀元節反対論に右翼の「建白書」というサブ・タイトルがついていまして、あなた方が予定される二月十一日に「三笠官邸の騒ぎは相当のものだった」といっている。「出てこい、出てこい」と言って、一時間以上すわり込んでおった。「屋内にはこのどなり声は、すみずみまで響き渡り五人の幼いお子さま方は、泣き出したりふるえたりこれをなだめすかすのに、妃殿下や女中さんは、大骨折りだったという。こう書いておる。これは小川さんはお読みにならなくとも、おそらく纐纈さんはお読みになったでしょうな。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/145
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146・纐纈彌三
○纐纈委員 先ほど淡谷先生は非常にうんちくの深い、しかも撃ちてしやまんの例をお引きになりましてお話しになりましたが、実はあの当時撃ちてしやまんというのは万葉集にも盛んに出ておりますが、大体神武天皇様の東征された一番の根本は、ことむけやわすのです。話し合って、話しがつかぬ場合には、どうしても刃向ってくる者はやむを得ず撃ちてしやまんの気持を持ってきておられるわけなんです。そこで「我れ東を征ちしより茲に六年になりぬ。皇天(あめのかみ)の威(みいきほひ)を頼(かうふ)りて、凶徒就戮(あたとをころ)されぬ。」そうしてようやくこれで治まったということを書いておられますが、実は先ほど小川先生が、東征ということは撃つということでない、行くということだという話をちょっとされているのですが、実はこれは奈良朝時代に支那から坊さんが日本に来たのです。鑑真和尚というのが来朝したのですが、その来朝の伝記には「鑑真和尚東征伝」と書いてある、束をせめると書いてある。しかし、坊さんが武器を持ってきたわけではありません。これは支那では古い間にはやはり征を行くということに使われておるのでありますから、東征という言葉は征伐ばかりではなく、「言向平和(ことむけやわし)」、話し合いをつけていくということが根本でありまして、それにどうしてもまつろわぬ者はこれを撃ちてしやまん、という意気を示されたことと思うわけであります。恩威並びに施したというところだと私は思うのであります。そうしてまたこの詔勅には、少しでも民の利益になるものはこれをどこまでもやる、そうして今の「八紘を掩ひて宇と為む」ということも、この周囲の者がお互に仲良くして穏やかな国を作ろうという意味なんで、それが大東亜戦争の時分に御承知のように、相当へんなふうに使われたことは、私ども非常に遺憾に思うのでありますが、神武天皇のお気持は、ほんとうに今日の平和主義であり、また民主主義の精神のもとにやってきておられることでありますから、さような意味合いにおきまして、この建国の日をお祝いするということは、私はほんとうに日本のためには大事なことだというふうに考えております。
それから三月九日の「週間サンケイ」のお話でありますが、その内容につきましては私も承知いたしております。その後三笠百様が名古屋にいらした時分にも、何か多少不穏な状態があったというのですが、これも警察庁で聞きましたのですけれども、別に危害も加えなかったし、また受けられた方は相当脅迫を受けられたというようなことであったかもしれませんが、とにかく今の「週刊サンケイ」の記事は少し誇大のようにも考えますが、少くともそれは内容のいかんにかかわりませず、私どもはああいった乱暴なことをやる人が出て参りますことはまことに遺憾でございまして、ほんとうにこちらは迷惑を感じておるようなわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/146
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147・淡谷悠藏
○淡谷委員 あなたは、原因を作っておいて結果がはなはだ迷惑だといっても、これはしようがないのです。和尚さんの東征は東に行くことかもしれないけれども、行くという言葉にもいろいろあるようであります。しかし撃ちてしやまんを和尚さんが使ったとは私は思えない。これは、あなた方がことむけやわせて、きかざる者は撃ちてしやまぬだ、恩威並びに行うのだといいますが、大東亜戦争がそうでしょう、「東洋平和のためならば何で命が惜しかろう」という歌がある。あの東洋と平和のために虐殺をやり、国を滅ぼしたのです。みなことむけやわせてです。ことむけやわせて、いけなければりん然として撃ちてしやまんだ、そういうことを小川さんはしばしば言っているのです、さっきもあなたとは反対だということを宣言している。国民の祝日とするという看板を出すか出さぬうちに右翼が暴れたり、人の家を夜中に訪れ、女子供をおどかしたり、泣かせたり、そんなのはどっちが撃ちてしやまんをやるのですか。紀元節に反対する者はどこまでも撃ちてしやまんだ、宮様であろうとなかろうと、ことむけやわせてやわらげない者は、断固として撃ちてしやまんだ、という気持があるのですか。その点をはっきりさせてもらいたい。あなた方が作ろうとされるならば、まだ抵抗が続きますよ。ここに例をたくさん持ってきておる、脅迫状もありますよ、これを随時発表いたします。これにまつろわぬ者は断固撃ちてしやまんだ、こういう決意なのか。それともまだことむけやわす段階なのか、その点をはっきりしてもらいたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/147
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148・小川半次
○小川半次君 お答えいたします。先ほども申し上げましたように、これからの政治のあり方によって、これをあくまでも民主的に平和的に活用していこうという、そういう態度さえあれば私は決して心配は要らないと思います。現在これにからんで右翼の者が、先ほどの「週刊サンケイ」に載っておるような、そういう行動に出ておるということは、非常に迷惑しごくなことでありまして、それはそういう人たちが利用するのであって、国が二千六百何十年前に国始めをしたということとこういうこととは別個の問題なんです。それを悪用する者がおるかもわかりませんけれども、国が二千六百何十年前に国始めをやったということ、このことと私はそのことと別のものだろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/148
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149・淡谷悠藏
○淡谷委員 どうも私には受け取れないのです。あなたはこれを利用する者はかってに利用するので、こっちは知らぬといいますが、少くとも紀元節の旗を振りかざして右翼団体が暴れ込んだり、あるいは街頭録音をやれば街頭録音のじゃまをして、節の合わない紀元節のうたを歌ってマイクを取り巻いてしまったり、こんなことが現実に起っておるのですよ。私は、小川先生の偉大なる政治的手腕に信頼いたしますけれども、あなたが御心配要らぬといっても、われわれは心配せずにはおれないのです。NHKはすでに街頭録音をやめておるではありませんか。国論がいまだ定まらざるときに、しゃにむにこれを押していこうというあなた方の態度は、やはりことむけやわす段階を通り過ぎて、断固撃ちてしやまんの段階に来ているような感情が、あなたの眉目のあたりにまざまざと現われておりますが、もうそんな段階ですか、承わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/149
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150・小川半次
○小川半次君 決して撃ちてしやまんというような、そういう考え方は持っており葦せん。あなたは今いろいろ脅迫状などが来ているという御説でございますが、他の新しい祝日を制定いたしました当時は、私の手元にもそれこそ何百通という脅迫状が参った、のです。それは天皇誕生日を設けるとは何事であるか、天皇は戦犯じゃないか、そういう者を国民が祝おうなんてけしからぬというような脅迫状が、私のところに参ったのでございます。私は当時衆議院の文化正委員長として、世論調査の現われたもの、そうして委員会において審議の結論として得たところの問題をあくまでも通すということに努めたものでございます。おそらくどういう場合でも賛成論も起ればまた反対論もある。その反対論が行き過ぎて、今あなたのおっしゃるようなそういう脅迫状となって現われることも、私はやっぱり社会には多くあると思うのです。今あなたがその脅迫状のことを申されましたので、当時の、おそらくその右翼とは多少逆の立場に立った人たちの脅迫状かもしれませんが、私のところへもそのような多数の脅迫状が参ったということを、この際御参考までに申し上げておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/150
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151・淡谷悠藏
○淡谷委員 少くとも国の祭というものは、みんなあげて喜ぶようなものでなければならない。あなたも、それくらい反対があったらおやめになったらいい。天皇のお誕生日でも、むしろ国民があげて祝うような気持になったときに初めてやったらよろしい。結局それであなたが成功しておるから、味をしめて今度は紀元節をやる。いいですか、今度は逆にこっちへ脅迫状が舞い込んできている。こんな国論が沸騰しておるときに、世論が相対立する間に祝日をきめたならば、祝日どころじゃありませんよ。——読みましょうか、あるのです。私は、あなたも脅迫状をたくさんとったと言いますから、別にしいて読まなくてもよろしい。これは決していいかげんなことじゃないのです。国民の世論を形成するならば、もっと平和な手段によってきめたらよろしい。ずるずるに、天長節から紀元節、これに移ってくる中に私は非常に危険な日本の現在を考える。自衛隊がその例でしょう。初めは船に大砲を乗っけたものにすぎないというフリゲート艦を、今はもう自衛艦隊で堂々とのし歩いておる。ときどき汚職を起します。警察予備隊が保安隊にかわり、今度はいつの間にか自衛隊。大東亜戦争もそうですよ。初めは平和のためだ、東洋平和のためだ、おしまいには八紘一宇。こういう危険性を作るようなものがすでにこの紀元節という思想の中にあるのです。もし撃ちてしやまんという、あなた方の態度がまだきまらぬとするならば、自民党の中からも出ておりますような、もっと慎重にこの祝日に関する根拠を見定めて——あわててこれを決定するようなことは、私は間違っておると思うのですが、あなたが、やはりあなたの自民党の内部にも、まつろわぬ者どもがそろそろ出てきたのです。相川委員長は、この前は非常に強硬だった。われわれは質疑を打ち切られた。打ち切られたから、私たちはここでやっておるのです。続きなんです。それを相川委員長は聡明ですから、ちゃんとこの前の去年の審議でもう新しい世論形成をやりまして、むしろあなた方にとってはまつろわぬ者どもという傾向が出てきておるのです。この人たちのやはり説をいれて、少しあなた方も何かもっと慎重に考えるようなことを思いつかれても、私は損じゃないと思いますが、この点はどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/151
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152・小川半次
○小川半次君 淡谷委員も御承知のように、昨年の国会におきまする当委員会においては、私たちとしてはおそらく論義がし尽されたものと解釈しておったのでございます。その結果、この案が衆議院の委員会を通過した、そういう経緯をも考えまして、せっかく昨年衆議院の内閣委員会を通ったものを、このままほうむってしまうということは、せっかくの貴重な審議というものをむだにしてしまうおそれもありますので、このたびあらためましてもう一度提出するに至ったのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/152
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153・稻村隆一
○稻村委員 関連。この前だいぶ小川さんや纐纈さんとやったので、これはのれんに腕押しと思いますが、これは非常に重要な問題ですから、私はやはり国会の委員会の記録というものは永久に残るのですから、そこで記録に残しておくためにも、お互いにまじめな議論をしなければならぬと思う。ところが今言われたことに対して、私はあなたの考え方が間違っておると思うこと、ふに落ちないことを少し質問したいと思うのです。
これは実際、国会というところは、古代史とか歴史の論争の場所ではないと思うのです。そこでわれわれのわからないものは、学問によるほかはないので、そこでこういう古代史のいろいろな問題、建国記念日とか何とかいう問題を決定する場合には、学問の決定を待って、政治家がそれを参考にして実行をする、これ以外に私は道がないと思うのです。そこで学問的ないろいろな問題がきまらぬうちに、二月十一日は間違いがないといってきめるのは、これは軽率じゃないですか、あなたどう思いますか。政治家としたらはなはだ軽率だと思う。そういうことをやることは非常に取り返しのつかない事態を生むと思うのですが、それに対するお考えはどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/153
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154・小川半次
○小川半次君 お答えいたします。稻村さんは二月十一日は歴史上から見ても、これは全然間違っておるという、そういう先入感を持っておられるから、そういう御意見をなさるものと思うのでございます。それでは日本の国民は、七十年間の長きにわたって二月十一日を紀元節と信じて、これに親しみを持ってきたということ、そのこと自体がすべて要するに偽わりであった、虚偽であった。虚偽の中に日本国民は七十年間生かされてきたということになるのでございまして、せっかく過去の日本の学者たちが、また見識高い人たちが作ったものを否定するようなそういう考え方を私は持っておらぬのであります。七十年間国民が信じ、親しんできたそのことを尊重しなければならぬと私は考えております。ところが全然これを否定しておられるから、そこに私と考え方の食い違いがあるのではないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/154
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155・稻村隆一
○稻村委員 私はなるほどそれは違っておると思う。その議論をしようとは思わない。間違いであるという学者が多いでしょう。それから間違いでないという人もあるのだ。学問の領域においてそれは決定してないのです。それをあなたが絶対に間違いがない、これは正しいと思うと言うて、無理にこれを強行しようとすることは、これは政治家として乱暴ですよ。たとえば社会科学の問題も自然科学の問題も同じですよ。もし原子力発電所を作るという場合において、学者の意見を聞かないで、そうして世論がそうだからといって、世論によって原子力発電所が作れますか、原子爆弾が作れますか、できないです。それと同じなんですよ。社会科学の領域を、学問の決定を待たないで、どうして政治家が勝手にそれをきめられますか。しかも国会というものは、そんな古代史や考古学の論争をすることは不可能なんです。能力がないのです。国会はだからそれは学問の領域に待たなければならぬのです。これは原子炉と同じです。学問の領域によって、学問の決定を待って——私は、決して自分の説はあくまでも正しいと言うのじゃない、あるいは私の説は間違っておるかもしれぬ。あなたの説が正しいかもしれぬが、もう少し学問の決定を待ってきめることが、私は政治家の態度じゃないかと思うのです。ここで、紀元節のことは二月十一日が正しい、正しくないと言って国会でやったって、これは全然解決つきませんよ。つける能力が国会にはない。だから学問の決定を待ってからやられたらどうです。それを僕は痛切にあなたたちに希望するわけなんです。その点いかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/155
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156・小川半次
○小川半次君 稻村委員は、学者の意見学者の意見と申されますが、七十年間旧祝祭日施行のその間に、紀元節に対して否定論を唱えた人は、この七十年間の間に——歴史学者はおそらく数百名あったのでございますが、異説を唱えた人は、私の記憶によりますると三人くらいではなかったかと思うのでございます。七十年間の間に、たとえば二百対三、二百名の学者が賛成で、そうして二人くらいが反対であった。ところが戦後特に最近に至って、どうも二月十一日建国記念日ということは学問上合わない、こういう意見が非常に多くなってきております。これが学者の全部とは申しません。純粋にそういう意見を出している人もあると思いまするが、また私の聞くところによりますと、非常に思想的な背景のもとにそういう意見を出している人もあると聞いておりまするし、また歴史学者でない人が、学者グループとしてここに加わって、これに反対だと言っている人もあるようにも私は聞いております。ですから、学者の御意見すべて金科玉条として完全無欠なものであるともわれわれは考えておらぬのでございます。こうした七十年間の歴史と、その後の今日と、われわれは非常にいろいろその前後を深く検討いたしまして、やはり二月十一日以外に適当な日がないという結論に達したから、出したのでございます。反対の学者たちも、じゃ二月十一日以外に適当な日があるかといえば、絶対ないと言っております。これは事実そう学者たちも言っております。文字のなかった時代ですから、それをはっきりと文献に表わすということはとうてい不可能である、そういう見地に立って見るときに、やはり七十年間国民が親しんできたところの二月十一日が一番妥当ではないか、このようにわれわれは考えておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/156
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157・稻村隆一
○稻村委員 この前にも申し上げたから、私はここで繰り返す必要はありませんのですが、しかしもう一度繰り返しますが、明治の学者はほとんど反対したのです。これは前に委員会で申しましたから言いませんが、当時東京帝国大学文字部教授のチェンバレンというイギリス人がいたのです。その人が木居官長の古事紀伝を翻訳しておるのです。この翻訳の中にちゃんと書いてある。学者はみんな反対した。しかし当時の藩閥政府がそれを強行せしめたということを言っておるのですよ。当時は御存じのように皇室に対するいろいろな批判というものは許されなかったから、そこで反対の人も反対を言わなかったわけです。現に久米博士はひどい目にあっておるわけなんで、そういう事実があるから言わなかったわけです。決してあなたの言うように学者が全部賛成しておりませんよ。それはあなたの主張は間違いじゃないですか。あなたはどういうことからそういうことをおっしゃるのか。私の知っておる範囲においては、研究した範囲においては、当時の学者はほとんど反対だった。それを明治政府が強行したのですよ。それは多少賛成者もあったかもしらぬが……発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/157
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158・小川半次
○小川半次君 私はまだ不幸にして研究が足らない関係かわかりませんが、今あなたのおっしゃったように、当時の東京帝国大学の歴史学者たちがこぞってこれを否定していたということを、文献の上にもその他誌の上にもまだ伺ったことがないのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/158
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159・稻村隆一
○稻村委員 この話はこれでやめますが、あなたはさっき、明治の旗じるしは自由民権だ、こういうことをおっしゃいましたね。それは、明治の初めの自由民権の旗じるしの時代に紀元節が行われたということは、紀元節の問題は決して自由民権の運動と対立するものじゃない、こういうことをおっしゃったのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/159
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160・小川半次
○小川半次君 もう一度質問して下さい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/160
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161・稻村隆一
○稻村委員 先ほどあなたは明治の旗じるしは自由民権であったけれども、紀元節が行われた。だから紀元筋をきめたところの思想というもの、考えというものは、決して自由民権の運動と対立するものじゃない、こういうようなことをおっしゃいませんでしたか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/161
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162・小川半次
○小川半次君 明治の先覚者たちが海外に派遣されまして、外国の新しい思想あるいは行政一般のものを学んで帰った。その中には自由民権の思想というものも多分に持ち帰ったように聞いております。そういう自由民権の思想などもあったその時代であるから、この紀元節制定というものは軍国主義を意図して作ったものではない。自由民権の思想の時代であるから、その時代にこれが作られたものであるから、初めから軍国主義を意図してあの紀元筋が当時制定されたものでない、こういうことを申し上げたのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/162
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163・稻村隆一
○稻村委員 そこで私から申し上げたいと思うのですが、実は紀元節を創設した歴史的背景というものは、これは当時日本がようやく近代国家になった。近代国家になるときに、実は封建制度を倒すためには、どうしても自由民権の思想が先でなければならなかったはずなんです。ところが国際関係で、あなたのおっしゃる通り、日本には自由民権思想というものは非常におくれて入った。そこで私は、明治政府がこの紀元節をやったり、天皇をかついでやったことは、手段として私は間違いでないと思うのです。これは私ははっきり申し上げておきます。それは封建諸侯がまだ対立をしておった時代において、その封建諸侯を押えて統一国家を作るためには、天皇をかついで、天皇のもとに武力と権力を集中して、そうして封建諸侯を押さえるということは、やむを得ない手段だったのです。ここで個人のことを申し上げるのはどうかと思うのですけれども、私は北さんの金婚式のあいさつでもはっきり申し上げたのですが、二つの矛盾した—自由民権思想と、そうした国家主義的な統一思想、この二つのものが近代国家を建設したのです。西洋も同じです。西洋もやはり国家義と—西洋というものはあの民主主義的な思想があると同時に、非常に国家主義的な—それが帝国主義に発展した一つの侵略主義的な思想と、二つの矛盾したものを作り上げておった。それは日本もやはり同じだったのです。そこでこの天皇をかつぎ上げて、そうして天皇を中心にして、一切天皇のもとに日本の政治的ないろいろなものを集中するということ、こういうことが当時はどうしても必要だった。その哲学的な根拠をどこに求めたかということが問題なんです。それは要するに近世勤王論なんです。それは竹越与三郎さん——死んだ政友会の代議士で、晩年は帝室歴史編纂官であった、あの人が、一千五百年史に、数十年前にはっきり書いておる。勤王論というのは近世の産物なんです。これは太平記を読んだ水戸光圀が非常に感奮した。そこへちょうど明のと命政客である朱舜水がやってきた。そうして大いに清に征服されたことについて悲憤慷慨した。それを水戸光圀が連れてきて大日本史を編纂した。それが勤王論のもとなんです。日本外史なんかみなここから材料が来ておるのです。そういうのが水戸学派になった。それがすなわち尊皇攘夷になった。尊皇攘夷というのは、当時の封建制度を倒す旗じるしとしては非常におかしいのだが、日本ではこの哲学思想を取り入れて、そうしてそれが徳川幕府を倒す、封建諸侯を倒すという一つの理論的根拠になったのは必然だったのです。そうして官僚藩閥が政権をとった。そこで彼らは天皇を中心とする強大な国家を作り上げたのです。ところがこれが民権主義と非常に対立をしてきたわけなんです。それは御存じの通りで、明治の歴史を見ればわかるのです。これは明治政府が作り上げたものであることは明瞭なんです。繰り返して言うようですけれども、干支によって逆算して二月十一日にしたのですよ。二月十一日であるかどうかということは、これははなはだ疑問である。日本書紀を見てごらんなさい。二月十一日なんて書いてないでしょう。ただ辛西元年に橿原朝を創設したということだけであって、日にちは書いてない。日にちは明治政府が逆算して作り上げたのです。だからこれには非常に無理があって、弊害があるわけなんです。だからこの歴史は根本的に修正しなければならぬのですよ。そうしてこの国家主義的思想が過度に発展をして、日本は西洋と同じような侵略主義にいってしまった。それが日本の破滅なんです。しかもこの二月十一日に日露戦争の宣戦布告をしている。私は、これは反対する人もあるかもしれないが、必ずしも日露戦争自体は侵略主義の戦争と思いませんよ。しかし日露戦争後の日本というものは、アジアの人たちが、日本はアジアを解放してくれるものと思ったところが、やはり西洋と同じことをやった。そうして大東亜戦争とかあらゆる侵略主義の戦争に発展し、植民地を無理に武力によって獲得して、日本の破滅をもたらした。日露戦争の宣戦布告は二月十一日です。これは明治政府が政治的にやむを得なかったのであるが、自己の権力を拡大するために—これは決して悪いとは言わない、非常にいい点もあったけれども、間違った点もあり、弊害が出てきた。それを極端に発展させるために、紀元節というものを作り上げたのですよ。五節句をやめて紀元節を国の法律にしたのです。そういう歴史的背景のあるものを無理に復活させることは、今騒いでおる右翼団体のような反動思想を台頭させることなんです。あなた方は、人民主権の憲法を再び天皇主権の憲法に逆転させるような意図は持っていないと言われるけれども、そういう方向に逆転させる十分な危険性を持っておる。そう思いませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/163
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164・小川半次
○小川半次君 稻村委員のお説のように、徳川の封建制度を打倒するためには、天皇中心の政治をしこうとした、当時のわが国の先意者たちの考え方は、おそらく今のあなたの御意見と同様だっただろうと思うのです。しかし天皇中心のそういう政治が制定されたからといって、あなた方が御心配されるような、紀元節を軍国主義的なものに巻き込もうというような意図で作られたものでは、私はおそらくないだろうと思う。先ほど私が申し上げたように、当時は何といっても開国早々の弱国の日本が、外国に戦争をふっかけようとか、外国を侵略しようなどとは、毛頭考えていなかっただろうと思うのです。そういう当時にこれを作ったのであって、しかも作るときに、辛酉庚辰春正月というこの文字が日本書紀になかったら、私はおそらく日本の紀元節というものはこのときに制定されなかっただろうと思うのです。やはり千三百年も、国史あるいは歴史を含んだ正史として、日本が学問の根源として最も大切にしてきたところの日本の正史に、辛酉庚辰春正月とあって、これを逆算したところが結局二月十一日という日が出てきたものですから、当時の人たちはこの二月十一日をこのときに紀元節として制定したものだろうと私は思うのです。もし日本書紀にこのことがなかったら、私は二月十一日というものは生まれなかったと思うのです。してみれば、二月十一日はただ無根拠に作られたものではなくして、そうした千三百年の日本の正史に現われておる文献に基いて、当時の先覚者たちが制定したのでございますから、私はあながちこれがすべて間違いであるとか、いわんやこれが軍国主義の根源であるといって否定すべきものではない、このように解釈しておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/164
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165・稻村隆一
○稻村委員 むろん二月十一日にきめた人は、日本を軍国主義にするという意図はなかったかもしれません。ある人はあったかもしれませんが、ある人はなかったかもしれません。しかし天皇絶対正義というものが、そこへ発展していった。そうして日本を破滅さした。そこで敗戦後の日本は天皇絶対、天皇主権から、天皇は国民の統合の象徴になったわけでしょう。ところが今ここで紀元節を復活することは、反対者も多いのだから——とにかく社会党は反対なんだから、社会党の勢力は国民の中に相当ある。世論がどうとか申しますけれども、それは三分の一か、あるいは半分ぐらいは反対なんです。それを無理に紀元節、国民の記念日を法律をもってやろうとする。個人でやることは何をやろうと勝手です。しかし法律をもって国の記念日とすることは、少くとも統合の象徴である天皇を国民の分裂の象徴とする危険があると思うので、これは実に日本の憲法のためにとらざるところである。また皇室のためにもとらざるところだと思う。現に先ほど淡谷委員が言ったように、この問題を中心に大騒ぎしておる。そういう事実がある。だから法律をもって祝うものは、少くとも国民全体が祝うものでなければならぬですよ。古代書の中に幾らでもありますよ。これは学者や政治家がみんな協力して研究すれば、日本の古代文化の中には幾らでも記念すべき偉大なものがある。われわれは祖先の偉大なる業績を無視しようとは思わない。祖先があるからこそ今日われわれがあるのであって、その偉大なる祖先の業績とはどういうものか、これは具体的に幾らでもある。文化の記念としていまだに残っておる。そういうものを記念するのが当然である。日本書紀の不確かなるこの東征による橿原朝の創設という、しかも過去において軍国主義に利用されたものを、どうしても国の記念日としなければならぬということは、実におかしいと思う。自由民主主義が看板である自由民主党が、どうも自由民主主義と反するようなおかしなことになりはせぬか、こう心配するのです。反対が三分の一あるものを——半分以上かもしれません。だんだん反対が多くなっておる。そういうものを無理に法律で強行して記念日にして、国論を分裂させる必要はないでしょう。これは天皇のためにもとらざるところだと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/165
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166・小川半次
○小川半次君 二月十一日をいろいろ戦争等に悪利用したような過去はあったかもわかりません。しかしそれはそれとして、二月十一日そのものには罪がないのですよ。ただそれを悪用したものがあったかもわかりませんけれども、二月十一日そのものは何も罪がないのであって、だからといって、日本の国始めの日を過去において悪用したものがあったから、今度は三月十日にしようとか、五月六日にしようなんて、それこそ歴史を誤まるものであって、過去においてこれを悪用したものがあったかもしれないけれども、しかし厳然として日本の国始めの日というものは、これは万古不変に変るべきものではないと私は思うのです。将来もしこれを悪用するものがあるとするならば、それは時の政治の力でもってそういうことを悪用しないように、お互いが戒め合っていかなければならぬと思うのです。
それから社会党はこれは全面的に反対だそうでございますが、今日はそのようになっておるかもわかりませんけれども、昭和二十三年七月に現在の新しい国民の祝日が制定されました当時は、社会党の委員の方々ももし二月十一日を司令部が認めてくれるなれば仕方がないじゃないか、その日をしようではないかという相談があったのでございます。私は当時委員長でそういう相談も受けまして、司令部の方へ出かけて交渉したのでございましたが、当時は占領下にございまして、当時の宗教課長のバンスという人は断固として反対したのです。私は司令部へ八回通って、委員会の空気はこの通りである、あなたの方で大体許可してくれるならば、委員会は一致二月十一日を建国の記念日にしたい、こういう意見を伝えたのでございまするが、このバンスという宗教課長は断固としてこれに反対をいたしまして、当時は何としても占領下にあったために、ついに二月十一日を入れることができなかったのでございます。そこでもしあなたがそういうことはないとおっしゃるなれば、当時の社会党の委員の方の発言の速記録もございまするが、しかし今はそれを読み上げることは差し控えまするが、当時はそういう空気にあったのでございます。しかし最近はおっしゃる通り社会党の人たちは全部反対であられるかもわかりませんが、そのような二十三年当時の空気等も私はよく存じておりまするので、これはそう無理なものではないと思う。こういうように私は今なお解釈をしておるものですから、私は当時の責任者として当時入れるべきものを入れ得なかったところの責任があるものですから、私は纐纈氏などとともに、このようにして答弁の役に立っておるのでございます。こういう点なども一つ御了解願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/166
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167・淡谷悠藏
○淡谷委員 当時の責任者としてそういう立場に立たれることはお気の毒に思います。そういうことであればまた話し合いもできようと思います。社会党も二十三年ごろにはいろいろな説をなす者もあったことはあったでしょう。社会党というのは唯物弁証法に立っているので、いろいろ話し合いをしている間に、もしこれが正しいというような了解に到達いたしますれば、いつでも果敢に前説を捨てて新しい説に変える主義でございます。現在ではそういう意味で完全に紀元節反対に立っているのです。あなたはそうおっしゃいましたが、あなた自身がこの前の委員会でそのことを言っているのです。進駐軍から非常に強い反対があったんだ。そのとき進駐軍の危惧するところは何であったかと申しますと、あなた自身の言葉ですが、「向うのアメリカの方から、それは君の方で建国祭というものをやっているじゃないか、あれは戦争を起した張本人が建国祭をやったのじゃないか、こういうようなことを、言われたことを記憶しております。」と、あなたが答弁している。これは去年の速記録ですよ。——間違いました。これは佐藤觀次郎さんがあなたに質問したことです。こういうことを言われた記憶がございますか。佐藤觀次郎さんもこのころは委員だったらしい。そういうことがございましたか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/167
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168・小川半次
○小川半次君 今はっきりバンス宗教課長がそういう発言をしたかどうか記憶に残っておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/168
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169・淡谷悠藏
○淡谷委員 そこに速記録ございませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/169
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170・小川半次
○小川半次君 速記録と申しましても、こういう何百ページという部厚いものですから、速記録の何ページに出ているか今はっきりわかりませんので、あなたの方でおわかりでしたらページをおっしゃっていただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/170
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171・淡谷悠藏
○淡谷委員 もしも今おわかりにならなかったならば、大へん重大なことですし、アメリカが心配した通りのことが現実に起っている。決して私は歴史というものは、あなた個人が考えているようにいくものじゃないと思う。大東亜戦争だってずるずるといってしまったのでありますから、その点は事を始める最初に、ファースト・ステップを十分に注意しませんと、とんでもないことになると思います。その点を慎重に考えたいと思いますので、もしあなたの方でお許し下さいますれば、私は保留いたしまして、本日はこの辺で打ち切りたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/171
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172・福永健司
○福永委員長 本日はこの程度にとどめまして、次会は公報をもってお知らせいたします。
これにて散会いたします。
午後四時五十五分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102804889X00719580228/172
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