1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十三年三月二十七日(木曜日)
午前十時四十三分開議
出席委員
委員長 町村 金五君
理事 高橋 禎一君 理事 林 博君
理事 福井 盛太君 理事 三田村武夫君
理事 横井 太郎君 理事 青野 武一君
理事 菊地養之輔君
犬養 健君 大橋 忠一君
小島 徹三君 世耕 弘一君
徳安 實藏君 長井 源君
古島 義英君 横川 重次君
猪俣 浩三君 神近 市子君
佐竹 晴記君 志賀 義雄君
出席国務大臣
法 務 大 臣 唐澤 俊樹君
出席政府委員
検 事
(刑事局長) 竹内 壽平君
委員外の出席者
検 事
(刑事局参事
官) 神谷 尚男君
専 門 員 小木 貞一君
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三月二十六日
委員大橋忠一君辞任につき、その補欠として三
木武夫君が議長の指名で委員に選任された。
同月二十七日
委員三木武夫君辞任につき、その補欠として大
橋忠一君が議長の指名で委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
刑法の一部を改正する法律案(内閣提出第一三
一号)
————◇—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/0
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001・町村金五
○町村委員長 これより会議を開きます。
刑法の一部を改正する法律案を議題といたします。
昨日に引き続きあっせん収賄罪に関する問題について審査を進めます。発言の通告がありますので、順次これを許します。横井太郎君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/1
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002・横井太郎
○横井委員 私は法律家でございませんので、ごく常識的のことをお伺いしたいと思うのでございますが、その第一は、岸総理が三悪追放を言い出しましてから、世間では、岸総理が三悪追放を言い出しても一向犯罪が減らないじゃないかということを言うのでございますが、私は、今までの単純の収賄罪のほかに、今度またあっせん収賄罪というものを別に作ると、その結果は今までのものプラスあっせん収賄罪ということになって、犯罪というものはよけいふえる、犯罪をよけいふやしたことになるのじゃないか、これはどういうふうにお考えになるのか、これを一つお伺いをしたいと思うのでございます。
ことに、この間資料をちょうだいすると、汚職なんというものの統計は二十五年をトップとしてだんだん減ってきておる傾向にあることに、いわんや特別職の公務員を対象とする犯罪というものはごくわずかなものです。こういう場合になぜこういうものを出されるのか、何年かやった結末をつけるという意味か、それとも総理がこういうことを言い出したというのでやるというのか、どうもわれわれしろうとにはわからぬのだが、その間の事情を一つ説明していただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/2
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003・唐澤俊樹
○唐澤国務大臣 ただいまのお尋ね、私も横井さん以上にしろうとでございまして、はっきり権威あるお答えもできないかと、自信を持ちませんですが、私は、岸総理が汚職追放をあれほど強く主張しておるにかかわらず、逆に汚職がだんだんふえてきているのじゃないかということをよく聞くのでございまして、これにつきまして、私の感想は汚職追放をする、もし汚職の疑いがあれば厳格にこれを訴追する、こういう方針でございまして、将来いろいろの手段もございましょうが、少くとも刑事訴追の点でも汚職の起きないように厳格にこれに臨むということが汚職追放の一つの手段でございますから、今日汚職の数がふえたからというて、それは汚職追放を言われる以前の事犯もございます。また、汚職追放の表面に出たものが多いということは、いかに検察当局がこの汚職を厳正に追及しておるかという証拠にもなるのでございまして、一がいに、表面に現われた汚職が減らないじゃないかということと、汚職追放のかけ声が効果がないということとは、すぐにこれを結びつけるということは、りくつの上でどうかと思うておるのでございます。これは、汚職追放を主張した、それが半年、一年の間にすぐ即効的に効力を現わすものでは私はないと思うのでございます。一年前あるいは二年前の汚職を厳格に訴追するために、よけいに現われるという場合もございましょうし、それからまた、新しく今度のような犯罪を規定いたしますれば、それだけ検挙数もふえるということは当然のことでございます。しかし、私は、岸総理の言われる汚職追放の一環として、現行法は厳重にこれを適用していく、それから新しい立法もする、こういうことを主張されるために、間接に汚職というものは統計では証明できないけれどもやはり減っていきつつある、これが三年、五年の後には必ず統計に現われてくる、かように考えておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/3
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004・横井太郎
○横井委員 それから、先般来の御説明によりまして、この法律は特別職の公務員を主として対象とするものである、こういう御説明もございましたが、その通りでございますが、一体、特別職といえば、中央・地方の議員を対象とするのでございます。もちろん一般の公務員もその中に入りましょうけれども、特に議員というものが対象になると思うのでございます。一体、議員というものは、われわれから言うと、そんなに悪いものかということを非常に考えるわけでございます。議員といえば何でもかんでも悪いことをする……。もちろん議員というものは清廉潔白でなければいかぬ、廉潔を保たなければいかぬということはよく存じており、ほとんど大多数の人はそうであると思うのでございますが、たまには、これはどの社会であっても悪いことをする人はあると思うのでございます。その清廉潔白である、また実際にそういうことを常に考えておる人が、こうやっていかにも悪いことをやるような法律を作られるということについては、どうも割り切れぬものがある、われわれ自身もそういう気持がするのでございます。端的に言えば、まことに迷惑千万なような気持にもなるのでありますが、その点はどう解釈しておられるか。法務大臣も議員の一人でございますが、その点を一つ解明をしていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/4
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005・唐澤俊樹
○唐澤国務大臣 このあっせん収賄罪に関する規定が、主として特別職の公務員を対象とするような結果になるだろうというように申し上げたのでございますが、結局、これはあっせんに関する罪でございまして、一般の公務員は、あっせんする場合がありましても、それはそうしばしばではないであろう、しかるに、たとえば議員職にあるような人は、選挙区を持っておりますし、そんな関係から、やはり数多くの事件について依頼を受けるから、従って、このあっせんに関する法案に触れる場合があり得る、こういうような意味を持ちまして申し上げたわけでございまして、別に特別職の公務員を対象として作っているわけではございません。ただ、実際の結果につきましては、そのあっせん関係が多いということで特別職の公務員が対象になる場合が多いのではなかろうか、こういうふうに見ておるわけでございます。
なお、次の、何でも議員——国会議員でも府県会議員でも、議員というものは悪いことをする、その陰においては汚職をやりかねない、こういうような一般観念があるといたしますると、まことに私どもも不本意でございまして、これは、私はやはり議員の一員でございますけれども、政治家というような立場におりますると、やはりみんなの注目の的になりまするから、自然そういうような批評が普及するのではなかろうかと思うのでございます。何でも議員といえば悪いことをするというようなふうに思われておるとしますと、私もその一員として実に不本意、遺憾千万に存じておるところでございます。ただ、公務員、ことに国会議員のような重要な職権を持って立っている者といたしましては、やはり身を持すること謹厳廉潔でなければならぬ、これは国民から要請されておるところでございまして、その廉潔性を保持するためにやはりこういう規定も必要だと思うのでございますが、さればというて、そういう議員職にあるような者が今腐敗しておるから、それでこういうような規定をする、こういうような意味は毛頭ないのでございまして、もし一般に議員に対するそういう観念があるとすれば、これは改めてもらわなければならないし、私も議員の一員として非常に遺憾千万に存じておるところでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/5
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006・横井太郎
○横井委員 次にお伺いを申し上げたいことは、この法案に対しまして、世間いろいろな批評があるのでございます。たとえば、一方において、これはざる法なんだと言う人があるかと思えば、小野先生は、ざるではなく骨ばかりなんだとおっしゃる。かと思うと、また逆に、これはもう扱い方、運営のいかんによってはおそるべき法案じゃないかという説もあるのでございます。そこで、政府の考えとしてはどういうようにお考えになるか。ことに、私はむしろ後者をとるのでございまして、運営のいかんによっては、まことにわれわれとしてはおそるべき法案でないかともとるのでございます。ということは、昨日来いろいろ言葉がありまして、法務大臣自身も、扱い方いかんによっては検察ファッショにもなるというような言葉も出たのでございますが、実際そうじゃないかと思うのでございます。これはそこまで言ってどうかと思いますけれども、たとえば、売春汚職に関しましても、今日起訴をされておる人の中には、あるいは新築の名のもとに収賄したとか、あるいはせんべつの名のもとに収賄したとか、検事というものはとかくそういう言葉を使われるのが多いのでございまして、これは私自身も選挙違反にかかって、こんなにまで人間をなぜ悪く扱わなければならぬかと思った。自分自身もやられたのです。全然関係のないことを起訴されておる。この間の恩赦で全部なくなったのでございますけれども、私は今でもこれはうらんでおります。全然関係がない。それを、とにかく横井をひっくくらなければいかぬ、こういう目標をもって調べられて、全然関係のないことを無理に白状をさして、そうしてそこへ持っていかれた。これはあり得ることなんだ。私自身もやられた。だから、この運営いかんによっては、何々の名のもとにとかなんとか、とかくそういうように扱われやすいのでございます。でありますから、この法案を見まして、私は、決してざるではなくして、これはもう考えようによっては紙一重の場合があると思います。そういう点について、私は法務大臣のお考えを承わりたいと思うのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/6
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007・唐澤俊樹
○唐澤国務大臣 このあっせん収賄罪に関する一条につきましては、法務省案として新聞にも伝えられました当時からいろいろの御批判を承わっておるわけでございます。それから、いよいよ提案されて出ましてからも、本会議等におきましていろいろと御批判を受けました。その際にも申し上げました通り、また当委員会におきましても先日来ちょっと申し上げました通り、私は、今日の要請に応ずる法案といたしましては、この内容が最も妥当適正であると確信をいたしておるわけでございます。これはたびたびの機会において申し上げましたから、重複を避けまして、くどくは申し上げませんけれども、これは私だけの信念から申すのではなくて、私も、これを起案するに当りましては、学者、専門家の意見も相当聞いたのでございますが、やはり学者、専門家も、これは何分にも議論の多い条文であり、立法技術上非常にむずかしい条文であって、しかもわが国の刑法としては初めての規定である、ことに刑法におけるわいろ罪に関する規定の沿革を見ますると、積み重ね方式で順次規定がふえていっているわけでございまして、それほどにわいろ罪に関する規定というものは立法技術上むずかしいものとされておるようでございます。それに精通しておる学者や専門家は、やはり、この規定を置くとしても、ある程度のしぼりをかけなければならない、ある程度の制限を置かなければいけぬという意見が多数であるように私は見受けたのでございまして、先日も申し上げました通り、過去二十年間にわたって朝野の法曹学者、専門家が知恵をしぼって、そうして作り上げた改正刑法仮案、これが昭和十五年に発表になっておりまして、御承知のことと思いますが、これに含まれておるあっせん収賄罪に対する規定も、やはり要求してわいろを取った場合というふうにしぼってあるのでございます。その当時も、何ゆえに要求した場合だけを処罰するかという質問があったようなふうでございまして、当時の速記録によりますと、やはり、これは新しい規定で、ややもすれば乱用のおそれがある、だから、ある程度しぼって、明確にしておかなければいけない、そこで要求してという条件でしぼったということのように当時の記録が残っております。そこで、私どもも、この条文を立案するに当りまして、改正刑法仮案中の一条文も非常に研究もし、参考にしたのでございますが、今日の学者は、要求したかしないかということで社会悪を区別するということはどうであろうか、ことに、要求ということが法律にあれば、要求さえしない、要求したという証拠さえあがらなければ罪にならないということであれば、要求したという証拠を隠すくらいのことは簡単にできる、だからして、実務の方から言っても、要求という条件があっては、実際問題として法が運用できないのじゃないかという一部の意見もございました。それで、そういうような意味合いを持ちまして、新たにこの案をほかの観点から立案したようなわけでございます。
なるほど、他の公務員に対して不正の作為・不作為をするようにあっせんした場合というてしぼっております。しかしながら、私どもの考えといたしましては、初めて規定するあっせん収賄罪でございますから、その観念をはっきりしておきませんと、ややもすれば、運用を誤まり、乱用の弊が至るところは最後は検察ファッションになる、こういうようなことが非情に心配をされるので、初めての立案でありますから、まず、不正な作為・不作為をさした場合、これはすでに刑法の条文におきまして御承知の通り、枉法収賄罪のうちに、不正の行為というようなもう習熟した観念でございますから、この場合、つまり何人が見ても他の公務員をして不正な作為・不作為をさせたようなあっせんをまず処罰の対象にして、そうしてはっきり規定をして、その場合だけはこれを処罰する、こういうふうにいたしたわけでございます。
要するに、この条文は一面におきまして、公務の公正、公務員の廉潔性を保持するために処罰をもって臨むという目的と、他の一面、さればといってその規定のあるために民主主義政治下における公務員の適正な公正な運動までこれを弾圧するというような結果を持ち来たさないように、相待って検察ファッショのようなことを誘発するようなことのないようにという二つの考慮のもとに作られた条文でございまして、くどく言うようでございますが、私といたしましては、この内容が現段階においては最も公正適切な条文であると、かように確信いたしておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/7
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008・横井太郎
○横井委員 今のお言葉はよくわかりましたが、またそれと反対の解釈も一つできるんじゃないかと思います。ということは、公務員が他の公務員に不正の行為をさせたときは、要するに罰せられるのでありますが、それじゃ、その反面解釈で、不正でなければ報酬を幾らとってもいいのじゃないか、こういう思想が生まれてくると思うのでございますが、この点に関してはどう考えられますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/8
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009・唐澤俊樹
○唐澤国務大臣 これはすべての法律についてさようでございまして、法律が一切の社会悪を全部処罰の対象として規定いたしますれば、今指摘のような場合はできません。しかしながら、社会悪のうちの、その程度の強いものだけかりに法律が処罰の対象として規定いたしますれば、考え方によっては、それに漏れておるものは法律が許しておるんじゃないか、極端に言えば、それはやってもよろしいぞと認めておるんじゃないか、こういうようにも言えますけれども、これはすべて、法律でものを禁止したりなんかする場合には、その反面にそういう解釈は生まれます。しかしながら、この規定がなければ一切の行為は自由であったのでございますから、その自由であったあっせん収賄行為、処罰されなかったあっせん収賄行為のうちのある悪質なものだけを処罰する、こういうふうに規定するわけでございます。理屈で申せば、それに漏れておるものはよろしいということになるのではないか、それは理屈の上ではその通りでございますが、しかしまた、考え方によりまして、あっせん収賄行為というものは今日の法律で許されておる、幾らやってもよろしいんだ、こういう観念が、あっせん賄収行為はいけないんだ、そのうちで特にこういう悪質なものだけは処罰するそうだ、それ以外のものはまあ程度が軽いから処罰はしないけれども、とにかくその中心の悪質なものだけは処罰されるから、やはりあっせん収賄ということはいけないんだ、こういうふうな考え方も立つのではないか、こう思います。ことに、この条文を詳しく読んで、そうして理屈を言えば、広いとか狭いとかいう理屈も立ちますけれども、とにかく、今日までは、金を取った、それは自分の職権に関することをやって金を取った場合だけわいろ罪といっていけなかったそうだが、今度はわいろ罪というものが二種類できて、一つは他人にものを頼んだ場合で、自分の職権のことではないが他人にものを頼んだ場合でも、ある場合には触れるそうだ、こういうような観念がここに生まれまするから、あっせんによって金銭の授受をするということが非常に減ってきやしないか、それが相手方に不正をさせるとかさせないとかいうこの条文にすっかり合うような行為ばかりでなく、およそあっせんによって金を取ることは大体よろしくないのだそうだというような観念ができて参りますれば、この規定はこの限度でございまするけれども、広くそういう意味において、よかれあしかれ効果を持ってくるのじゃないか、私はかように考えておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/9
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010・横井太郎
○横井委員 外国の立法例を一、二承わりたいのですが、おもにアメリカ、フランス等でございますが、ことにフランスあたりで、同じあっせん収賄罪があってもほとんどこの法に触れた者がない、こういうことを聞いておるのですが、その点を一つ承わって、しかも、法に触れた者がないということは、これは有名無実の法律だということにもなるのですが、その間の事情を、局長からでもけっこうでございますから、一つ承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/10
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011・竹内壽平
○竹内政府委員 その間の実情を明確にお答え申し上げることはもとより困難でございますが、本法案の立案に当りまして、私どもの許されます範囲において、あるいは外務省を通じ、あるいはたまたま外遊しております関係の職員を通じまして、現地において調査いたしました限度においてのお答えでございまして、もとより正確を保しがたいことをあらかじめお断わり申し上げておきますが、フランスにおきましては、このあっせん収賄罪ができましたときには、売勲事件というものがありましたそうで、その売勲事件の実際問題に対処するためにこのあっせん収賄罪が作られたということでございます。その他の国におきましても、今日ユーゴーとかチェコというような国の実情はよくわかりませんが、イギリス、フランス、アメリカ等におきましては、現実の問題としてほとんど適用を見ていないようでございます。その理由はいかなるものであるかという点について調べてみますると、多くは法律以前の問題として処理される場合が多いということであります。法律以前の問題と申しますのは、主として議員等の公選によって公務員の地位についておる方々のあっせん収賄の問題だと思いますが、こういう方々は政治家として世論の批判の前にさらされておる立場にあるわけであります。このような行為を広くスキャンダルと申しますならば、このスキャンダルの容疑がありますことは、このような方々にとりましては政治的に致命的な結果をもたらすようでございまして、法律の適用という前におきまして、あるいは議院内部なり、あるいは選挙区において、あるいは選挙を通じて世論の批判にさらされることによりまして大体処理されることで、今日では実例として適用を見た例はほとんどないということでございます。これはまた、このような規定がありますために、そのような政治的な高いレベルに引き上げられたのかどうか、その点はもとより明らかではございませんが、とにかく、そういう文明先進国におきましても、このような規定が存在し、かつそれが適用されていないということは、考えようによりましては、刑法は結局刑なきを期するというのが最終の理想でございまして、理想の形において存在しておるということが言えるのじゃなかろうかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/11
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012・横井太郎
○横井委員 それでは、今度はこの種の犯罪の要件につきまして二、三お尋ねをしたいと思います。
その第一は、請託を受けということでございますが、請託を受けるということは、その具体的内容の説明を聞いて、これこれのことをやってくれという程度にまで聞くということか、それとも、ただ官庁のだれだれさんによろしく取りなしてくれということとだけでよろしいのか、その点をまず一つ承わりたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/12
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013・竹内壽平
○竹内政府委員 官庁の職務権限を有するだけ某によろしく頼むというのでは請託にはならないのでございます。事項が特定されなければならぬと思うのでございます。例をあげて申しますならば、税金をまけてもらいたいというふうに特定をしてこなければ請託ということにならないのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/13
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014・横井太郎
○横井委員 たとえば、われわれが請託を受けて他の公務員に働きかける場合ですが、これを、請託を受けないで、ただ恩を売るために自発的に他の公務員に働きかけをする。これは恩を売るためにやった。その場合には、たとえばこの条文によりますと、報酬をもらったって別に差しつかえない。ところが、それを、たとえば民間人が、ある議員が一生懸命骨をおってくれるそうだ、もっと頼んで、そうして最後の目的を達するように途中から請託をしたというような場合は、もともとは自発的にわれわれが運動しておったのだけれども、途中から頼みに来たといいような場合には、やはり請託ということになるのか、それとも、それはわれわれ公務員が勝手にやるのだから、この条文に当てはまらぬのか、その点を一つ承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/14
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015・竹内壽平
○竹内政府委員 頼まれもしないのに、恩を売るために介入して動くという場合には、もとより請託があったとは申されないのでございますが、この請託は明示であると黙示であるとを問わなということに解釈されますので、それらの事実関係が、恩を売るために介入したものであるか、その間に、自然に頼んだことになるかという事実問題が一つあると思いますが、それは事実認定の問題でございますのでしばらく預けまして、今御指摘のように、途中から、一生懸命でやってくれているのだから、最終の目的を果すために、この辺で一つしっかり頼むということで新たに請託があったといたします。そういたしますと、そのときから請託があったことになることはもちろんでございますが、もうあっせん行為が終っておる場合には、その請託は本法のもとにおきましては意味をなさない請託になるのでありまして、あっせんの以前に、少くとも同時に請託がなければならぬというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/15
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016・横井太郎
○横井委員 そういうところが非常にしろうとのわれわれにはむずかしいことで、われわれ日常の政治活動と申しますか、日常活動において、地元のことだから一生懸命やってやれというので一生懸命骨折った。頼まれもせぬけれども骨折った。ところが、途中で聞き出して、なお一そう目的を達するために、地元の者がやって来て、ぜひ頼むということはしばしばあるんです。それを一々、どの程度から、どういう限界からこれが請託を受けたことになるのかわからぬのですから、またそんなことを考えておったのでは、われわれの日常活動というものはできないのでございます。ですから、こういう点で私ども非常に苦しむわけでございます。こういうことがわれわれの日常活動というものを阻害することになりはしないか、こう思うのですが、その点はどうなんでございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/16
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017・竹内壽平
○竹内政府委員 その点は、請託という点で御心配になるよりも、むしろあっせん行為の実体がどういうあっせんであったかということで大体の目途がつくのではないか。私どもが運用、解釈において疑問の余地がないようなというのは、主としてそういうところに重点を置いたつもりでございます。つまり、頼んだ、頼まれぬといったようなあいまいな問題がかりにあるといたしましても、依頼を受けてあっせんをします行為が不正な行為にわたるかどうか。これは法律があって不正になるというのではなくて、だれが見てもけしからぬ行為だということは、健全な常識をもって、社会通念によって判断され得ることでございますので、その事項にわたりません限り、法律の適用を受ける場合はないわけでございます。その点は取扱いに疑問の余地はなかろうというふうに考えるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/17
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018・横井太郎
○横井委員 それから、公務員が他の公務員に職務上不正の行為をなさしめ、また相当の行為をなさざらしむべくあっせんをするということでございますが、その点につきましては、この間の逐条説明におきまして大体了承しますけれども、なお少し承わりたいと思いますが、職務上の不正行為というものは、ことにその不正行為ということはどういうことを意味するのか。これは解釈によって非常に広くもとれるし、また狭くもとれるのでございますが、その点を一つ明らかにしていただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/18
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019・竹内壽平
○竹内政府委員 この不正の行為の内容につきましては、私どもは裁判所の判断に待つ以外にはないのでございますが、幸いにして現行法の百九十七条の三項その他に「不正ノ行為ヲ為シ又ハ相当ノ行為ヲ為ササル」という規定があります。この規定は昭和十六年の改正以前においては百九十七条一項後段に規定してあった規定でございます。それで、刑法が施行されましてから約五十年になりますが、この五十年の間に判例によってその解釈がしばしば示されておるのでありますが、その間の判例は、終始一貫して、不正の行為というのは、公務員としての職務上の義務に違背する一切の行為をいうのであるというふうになっておりまして、この解釈は今日においてもほぼ確立した解釈だというふうに考えておりますし、学者もまたそれを支持しておるのでございます。従いまして、不正の行為という点につきましては、裁判所の見解はすでに一定しておるというふうに考えざるを得ないと思うのであります。それでは何が職務上の義務であるかという点でございますが、各公務員の職務に関するいろいろな法律、法令があるのでございますが、この法令を検討いたしまして決定するほかはないと思うのでございますが、法令の明文にはっきりと書いてありますものは、それから義務が出てくるのでございますが、かりに法文に明文がない場合にはどうなるか、これは、社会通念から見まして、公務員としてあるまじき行為と見られる義務違反だけが不正行為であるというふうに思うのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/19
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020・横井太郎
○横井委員 そういたしますと、非常に幅が広いのでございますが、ここで一つ実際あった問題でお聞きしたいのでございます。そうすると、かつてある政党が、おれの方の政党に頼めば税金をまけてもらってやる、こういうので盛んにおやりになった政党があったのでございます。これは現実にどなたでも知っておる。そうしてそれについては一件幾らという報酬を出したのだそうでございますが、税金をまけるまけないというのは、税金は一定の基準があって、それをまけるまけぬというのはおかしな話なんでございます。また、滞納になっておるやつを、滞納ということは処分されるのがあたりまえだが、それをある程度猶予してもらうとか、まけてもらうとか、こういうような交渉を盛んにやって、その人たちが運動すると必ずある程度まけられた、こういうような時代があったのであります。これは一体今後この法律ができるとやられるということになりますか。実際の問題でございますが、どうでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/20
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021・竹内壽平
○竹内政府委員 ただいまお示しの事例で、直ちにこの法案に適合するかどうか、これはもう少し内容を具体的に検討いたしませんと、たとえば税金について申しましても、税金をまけてくれというのは、もう法律にきまっておるのでございますから、そのきまっておる税率をある特定の人だけに低い税率を適用してほしいということはもう違法なことなんで、そういうことをあっせんするということは申すまでもなく不正な行為をさせるようにあっせんする行為に当るのでございますけれども、その税率は動きませんが、その税率の当てはまる基礎になります所得、利益というものの計算関係につきまして、いろいろ、法律によって、こういうものは利益として見るとか、これは利益からはずすといったような内容がきめられておりますので、そういうような点についてほんとうは利益でないのだから利益からはずしてくれというような趣旨の依頼になって参りますと、これは必ずしも不正な行為をさせるようなあっせんだとは一がいに言えないのでございまして、そこらの関係は具体的に内容を検討しませんと、不正であるということは断定できないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/21
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022・小島徹三
○小島委員 関連して……。
ただいまの御答弁で横井君の質問の一半はわかったと思いますが、もう一つお聞きしたいことは、そのときに利益を受けた者、つまりわいろを受けた者は、先ほどの質問では政党という形になっておったようですね。政党が運動して云々ということだったのですが、かりに今のような状態では、ここに個人がおったとして、個人の後援会があった、そうして個人がかりに不正のようなことをさせた、そうしてその金はその個人の後援会に入れたというような場合、それは一体どういうふうになりますか。その個人とは第三者のように見えるが、事実上は個人と同じものだ。私は同じ効力があるものだと思うのですが、そういう場合にどうなりますか。その点について伺いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/22
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023・竹内壽平
○竹内政府委員 ただいまお示しの場合は非常にむずかしい問題でございまして、いわゆる第三者供賄ということの議論として私ども部内でもずいぶん論議をいたしましたし、また法制審議会におきましても議論をいたしたところでございますが、その個人と後援会との関係を、個人と全く同じものと見るか、あるいは、後援会に所属しております何某と、お示しの個人との間の通謀関係、共同正犯といったような共犯の理論を適用し得るような関係にあるか、そういったようなことは事実問題としてまず判断をされなければならないと思うのでございますが、もし、その第三者、後援会が、その個人とは全然別人格のものでありまして、かつまた今言ったような共犯関係と見られるようなつながりがない、そうして、ほんとうは個人そのものであるというふうに客観的に見得るような事実関係もない、さらに、もっと掘り下げて申しますならば、後援会が会計経理についての計算関係において個人の財布と同じものであるかどうかというようなことが区別の一つの基準になろうと思いますが、そういう点が全然なくて、全くの第三者と見得る場合には、その後においてその後援会に入った金がまた個人のところへいろいろな形で戻ってくることがありましょうとも、これは第三者と見なければならないのであります。つまり、後援会を全く第三者と見るか、個人と同じものと見るかという事実問題をまずきめなければなりませんが、全く第三者と見られまする場合におきましては、本法案は第三者供賄を処罰することにいたしておりませんので、そのような場合には適用外ということに解釈されるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/23
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024・小島徹三
○小島委員 私はその点を少しはっきりしておいていただきたいのですが、個人を後援するという目的で使う金であるならば、その金が還元されて個人のふところに入ってこなくても、その目的のために使われる働く場合は、これは第三者の法人格を持っていますから第三者とみなしてしまうということであるなら、私は、もうあっせん収賄罪なんというものはほとんど意味がなくなってくるのじゃないか、かように思うのですが、その辺をただ抽象的な議論だけされておったのでは、私どもはちょっと納得できない点があるのです。現金そのものは、一たん銀行を通っておるんだから、かわったにしても、その金が還元されて個人のふところに入ったということであればまたあなたのような議論になるかもしれないけれども、実際は個人は全然さわらない。さわらないが、その金は個人のために全部使われておるんだということは、会計上から言ったって、その個人を後援するためにできておるものだから当然そうあるべきだと思うが、それが何に使われておろうとも、金を見たことはないかもしれないけれども、純然たる利益はその個人が受けておるのですから、そういう場合に第三者だと言い切ってしまうということになると、ますます混迷してくると思います。その辺をもう少しはっきりしてもらえませんでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/24
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025・竹内壽平
○竹内政府委員 それは、その後援会が第三者であるかということの事実認定の問題に結局はなるのでございまして、同じようなことを繰り返すかもしれませんが、まずその個人と後援会との関係が全く個人と同一体と見られるような事情がございますれば、これは、先ほどもお話がございましたように、第三者後援会名義で自分が受け取っていると認定されることはやむを得ないと思いますが、そうじゃなくて、やはり客観的な証拠事実によりまして、——これは目的がそういうことにあるから、いずれはいろんな形で個人のところに利益がもたらされるといたしましても、とにかく利益の帰属する主体が違うということに相なりますれば、その後援会は第三者と認めざるを得ない、そして、第三者ということになると、第三者供賄の規定を設けない限りは、これを処罰することはできないというふうに解釈しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/25
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026・小島徹三
○小島委員 そうすると、わいろというのは物か現金をもらわなければならぬのであって、何らかの利益をもらうということではいけないのですか。その利益というものは、形でこそないけれども、あらゆる意味において、いろんな意味における利益、その利益を受けることは一体どうなんですか。収賄罪になるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/26
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027・竹内壽平
○竹内政府委員 これは、現金に限りませんので、人の欲望を満足させるに足る利益はひとしくこれわいろの対象になるものでございますが、おっしゃる利益というのは、贈賄者から直接もらうのではなくして、後援会を通じて、その後援会から反射的に受ける利益でございまして、そういう抽象的な意味の利益は入らないというふうに考えております発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/27
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028・小島徹三
○小島委員 この点追及していっても、おそらく確実な返事はもらえそうもありませんが、どうもその点はもう少しはっきりしておいてもらわぬと、今後すべてのものに大混乱が起きてくると思いますから、もう少しはっきりと法務省の方で腹をきめて、解釈をはっきりしていただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/28
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029・三田村武夫
○三田村委員 関連して……。
今の話ですが、これはあるいはむしろこの法案の一番重要なポイントになるかもしれないと思う。刑事局長の法的見解はわからなくないのでありますが、この法律ができますと、直ちに現場に持ち帰って適用される事案でありますから、事はきめて具体的になるのです。たとえば、Aという議員がある会社に頼まれてある事項のあっせんをするということによって、Bという業者が相当の利益を得た、その報酬をAたる議員に提供することは、法律の適用云々ということでなくて、どうもAたる議員の人間とか社会的立場も考えて、先生のところに持っていくのでなくて、先生の後援会に持っていく、Aたる議員もそれを承知の上でやっているという場合が、私はあり得ると思うのです。そういう場合の処置、解釈があいまいでありますと、この法律は非常に問題の残されてくる場合があります。これは、今すぐ、小島君の言われるように、この解釈を刑事局長一人ですっかり割り切って御答弁を要求するわけではありませんが、非常に重要な問題ですから、慎重に御検討願いたいと思います。
それから、これは私しばしば申し上げるのですが、これはただ法務省の見解というだけでなくて、過去の判例、それか学説、そういうものを十分御検討の上、権威のある、いわば有権的な解釈をお出し願いませんと、法律はできてしまいますと一人歩きするのです。ここで、いやそういうことは当るとか当らないとかいうことを刑事局長がおっしゃっても、それだけでは解釈の基準にはなりませんから、これは、裁判所でも検察庁でも、あるいは警察官でも、ここにおける答弁で、有権的にこの解釈に従うことが一番妥当で、この法律の運用には一番正しい見解だということが納得し理解され、それが権威ある一つの解釈として何人もこの点に従わざるを得ないような解釈を出しておいていただきませんと、今小島君の言われた問題はきわめて重要であります。横井君もその点を心配されての質問だと思いますから、どうぞこの点は、ここで即座に御答弁を求めるよりも、今申しましたように、学説、判例その他十分御検討の上、このケースが果して当るか当らないか——もしそういう形で来るなら、それは法律解釈として抽象的に言えば今刑事局長が言われたようなことになりますが、そうすると全部そこへ行ってしまって、何のことかわからぬということになります。全部締め上げてしまえという趣旨ではありません。たとえば、それが同じAたる議員が関係しておるものでも、非常に社会的に意義の高い、価値の高い文化活動をやっているとか、あるいは教育用活動をやっているとか、そういう場合は別ですが、明らかにそれぞれAたる議員の選挙運動の母体であるというような場合は、これは別な角度から検討し考慮する必要があると思いますから、この点は十分御検討の上、一つまとまった見解をここに発表していただきたいと思います。つけ加えて申し上げておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/29
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030・唐澤俊樹
○唐澤国務大臣 ただいま御両所からのお尋ね並びに御注意、了承いたしました。十分研究いたします。一言つけ加えて申し上げておきたいと思いますが、この立案当時から、いわゆる第三者供賄という名のもとにこの種の規定を置くかどうかということは、非常に研究いたしたのであります。しかし、理屈は今お話しの通りのことが想像されます。ただ、実際の過去の実績を見ますと、たびたび申し上げることでございますが、このケースは収賄罪と第三者供賄との関係にも同じことが起きるわけでございます。直接自分の職務に関して収賄をする、自分が収賄をすれば罪に触れるから、自分の秘書官に取らせ、自分の親兄弟、友人に、取らせ、あるいは自分と密接な関係のある後援会に取らせたというときに、果してそれが収賄罪になるかどうかということは、同じケースが今の法律においても起きるわけであります。そこで、過去の沿革を見ますと、明治四十年に収賄罪の規定があった。それから三十数年の間に、別にそういうような規定がなくても、脱法的に収賄罪というものが全部のがれておらなくて、そうして、あるいは御記憶がと思いますが、大きな鉄道疑獄等の事件もございました。これが果して自分が直接収賄したのか、それとも第三者へ提供されたものかというようなことで議論があった場合もありますけれども、とにかく、三十数年、四十年足らずの間、別にその間に事実上の脱法的なことはそれほどなかった。しかし、実際その必要が出てきたから、第三者の供賄の規定が四十年足らず後に付加されたわけでございます。そこで、理論の上からいきますれば、第三者に取ってもらいさえすれば全部のがれるじゃないか、こういうことでみんなそれに行きそうに思うのですけれども、従来の行き方からすればそういうことがないから、とりあえず今度ははずそう。しかし、法制審議会でもそういう議論がございました。至るところでその疑いがあるわけでございますから、これは一つ十分研究をして、将来第三者供賄に関する規定そのものも一つ立案を考えなければいけないのじゃないか。それから、第三者に供賄したような関係が、事実はその本人のやったことの脱法行為である。たとえば後援会なら後援会に渡した、しかしその金の使い道はその本人が一々指図をする場合は、自分がそこへ預金していると同じことで、これは明らかに脱法行為でありますから、刑事局長がケース・バイ・ケースで事実について認定しなければいけないと言うのはそこであろうと思います。そこでまた、今度は逆の場合を考えますと、それじゃ第三者にやった場合も規定して、全部処罰の対象にするかと申しますと、金を持ってきた、自分は要らない、要らないけれども、どこそこにこういう学術団体がある、あるいは慈善団体がある、もし君たち金を出さなければ気が済まないならば、あの慈善団体は金がなくて困っているそうだから、あれに寄付でもしたらいいじゃないか、こう言うて、その慈善団体はその入の投票にもその人の経済にも何にも関係ない、しかしその慈善団体に金を出したのは明らかにその人の指図によって——自分があっせんをしてやったそのお礼である、そのお礼は自分が取らないが、あの慈善団体へ寄付してやってくれ、こういう一種の善行為をやっていても、それは明らかに報酬であるから第三者に供賄したことになります。しかしその目的には悪性はないということは、事実あったそうでございます。事実そういう供賄のケースがあったということを私承わりました。でありますから、非常に悪性で、ほとんど自分が取っておるのと違いない場合から、順次その色彩が薄くなって、そしてそれはわいろ性がないというケースまであるものですから、それを法律でいかに書き分けるか、これがなかなかむずかしいものですから、結局解釈に待ちますけれども、これは判例かなんかによりませんと、ここで御説明申し上げることはどうしてもケース・バイ・ケースで、こういう場合はやはり本人の責任である、こういう場合は第三者へやったのだから今の法律では罰せられないというようなことを申し上げましても、やはりそのことはどうしても抽象化するのでございます。しかし、今の御両所の御注意、御意見もありますから、その点は十分に注意して考えて、解釈も行政府としては一定して、判例の参考も期さなければなりませんし、そして、将来の立法につきましても、この法律の運用の暁において考えていかなければならぬ、そういうふうに考えておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/30
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031・横井太郎
○横井委員 実は第三者供賄のことは私はあとで聞きたいと思ったのだが、とんだところに行ってしまった。しかし、この際ついでだからお聞きしたいと思うのです。たとえば、自分の女房が知らぬ間にやっておったとか、いろいろあるのです。一番聞きたいことは、私に報酬を持ってきたところが、私が全然受け取らぬ、ところが、Aという男に私が借金をしているということを知って、知らぬ間に借金の穴埋めをしてくれた場合には、一体この犯罪になるかならぬか。これは、それを知っておる場合もあるだろうし、知らぬ場合もあるだろう、あとで聞く場合もあるし、いろいろあるだろうと思いますが、そういうこともついでにこの際聞かせてもらいたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/31
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032・竹内壽平
○竹内政府委員 全然知らない場合は、犯意の問題といたしまして、犯意がございませんから、収賄にはならないというふうに思います。
それから、奥さんに渡したというような場合は、これは、奥さんが黙っていて言わないということになれば、これまた犯意がないということになりますが、奥さんでありましたら、どこの御家庭でも主人に黙っている人はないので、いずれわかる、こういうことになりますれば、これは自分が受け取ったと大体同じように見られるのが普通であると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/32
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033・横井太郎
○横井委員 とんだところに行ってしまったので、これ以上聞きませんが、ことに後援会等のごときは非常に解釈があるのでございます。全然会計を別にしておる後援会もありまして、ほんとうに私どもを後援してくれる後援会は全然別なのでございます。会計も別ならば、やり方も全然別でございますので、なるほどその金はその議員のために使うかもしれませんけれども、非常にむずかしい問題であります。この点を一つ、三田村委員がおっしゃった通りに、ぜひとくとお考え願って、あとで御説明を願いたいと思うのです。
そこで、私はもう第三者供賄は聞かずに先ほどの続きをちょっと聞いておきたいのですが、公務員が他の公務員をして相当の行為をさせないという、この問題で一つ疑問があります。それを私は実列をもって申し上げたいのでございますが、われわれが国会においてある法案をもみつぶすことの依頼を受ける。こういう場合に、私どもが他の議員に、きょうはもう出席しないで欠席してこの法案を流してくれという依頼をする場合もあって、その場合も目的を達するかもしれません。そうかと思うと、今度は、ある議員に頼んで、きょうは議場へ臨んで、あるいは委員会へ臨んでこれを否決してくれと依頼をする場合があるかもしれません。同じことなんです。目的は同じことなんでその法案をつぶすことなのでございますが、その場合に、解釈のしようによっては、前者は違反となるだろうし、後者は、当然否決もし賛成もするということは議員の職責でございますので、それは勝手にやる場合もあるのだが、この場合は考えようによっては合法的だとも考えられる。同じ目的でありながら、片方は違反になり片方は違反にならぬ、こういう場合があり得ると思うのでございますが、これはどう解釈すべきものでございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/33
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034・竹内壽平
○竹内政府委員 ただいまお尋ねの事実に近い判例が明治四十四年六月二十日付の大審院判決に出ております。これは県会議員の例でございますが、「県会議員が議場ニ出席シテ決議ヲ為スバ其職務ノ執行タルコト勿論ナレバ、賄賂ヲ収受シ、因テ議場二出席セザリシハ刑法第百九十七条第一項後段二所謂相当ノ行為ヲ為サザルモノニ該当ス」という趣旨の判決がございます。これは今の不正行為の裏になります相当の行為をなさざさるというのに該当するんだという趣旨でございまして、今日この判決が最高裁判所によっても支持されるであろうか、若干疑問なきを保しがたいのでございますが、私ともの研究の結果によりますと、やはりこの場合も、まず前提になりますのは、県会議員が議場に出席して決議をするということは職務の執行行為である、義務であるということが言えるかどうか、言えるということになりますならば、金をもらって欠席をして、この場合には不成立に終らせるということの事案でありますが、不成立に終らしめたという結果を発生しておるわけでございまして、やはり相当の行為をなさざるに該当する場合としております。これと今の御設例と考え合せますと、おのずから結論が出るのじゃないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/34
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035・横井太郎
○横井委員 もう一、二点だけにとどめますが、正当の行為をなすとか不正の行為をなすというような問題のときに、検事さんはこれを不正の行為として起訴する。ところが、いよいよ裁判になるときは、どうせ他の公務員が法廷へ出ます。その場合、他の公務員は、あれは不正でございません、正当の行為でございます、こう言うことが現実の問題としては多かろうと思うのです。そういう場合には一体どういうことになるかということなんですね。検事さんはとかく人間を悪い者に見るから大てい起訴をする。ところが、実際やってみると、他の公務員が証人に出て、あれは不正でない、正当のことをやりましたと、こういうことを言うだろうと思う。これはどう解釈するか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/35
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036・竹内壽平
○竹内政府委員 それはあらゆる事件について起り得る事例でございますが、この場合に、不正な行為をさしたかどうかということの判断は裁判所がすることでございます。そして、今申しましたように、幾つかの判例は、こういう場合は不正の行為に当る、あるいは相当の行為をなさざるに当るという判決をいたしております。その趣旨は先はども申しましたように、あっせんを受ける方の職務権限を有する公務員の職務上の義務に違反するかどうかということを、区別の基準として判断するということが大審院の判例の趣旨でございますので、そういう判例が出ております以上は検察官もこれに拘束を受けますことは当然でございます。検察官側は、それに該当する場合であるというように主張するのでございますし、被告側は、それはそうでない、それに該当しないということで争いになり、それが結局裁判によって裁判されるというように事を運んでいくわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/36
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037・横井太郎
○横井委員 もう一点だけお願いします。あっせんをするということの実体でございますが、これは、名刺だけ一本書いてやるとか、紹介状を書いてやるとか、電話でもってその公務員が他の公務員にするというものはあっせんの範囲に入るのか、それとも、行っていろいろ話をして、ほんとうに中に入って話をしなければあっせんにならぬのか、その点を一つ承わりたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/37
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038・竹内壽平
○竹内政府委員 名刺を書くことがあっせんになるかどうかということでございますが、きわめて広い意味に解しますれば、そういうことも入るかもしれませんが、本条といたしましては、不正の行為をさせまたは相当の行為をしないようにあっせんをするという、そういう条件がついておるわけでございまして、あっせんという語義について申せば、名刺を書くだけでは、つまり単に紹介をするというだけではあっせんにならないと解釈いたしております。けれども、外形上は名刺を書いてやるだけでございましても、その事柄が同時によろしく取り計らってやってほしいという趣旨を含むものであります場合、つまり働きかけという行為がそこに伴います場合にはこれあっせんに当たるのじゃないかというふうに思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/38
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039・横井太郎
○横井委員 名刺を書くとか紹介状を書くということはわれわれ日常茶飯事あることでございまして、たとえば、相当顔のきく者が名刺を書けば、顔のきかぬ者が行っていろいろ交渉しあっせんしたりするよりも効力的には非常に効力を発するわけですね。しかもこの名刺を書いたことでもってあっせんをやるということになると、日常のわれわれの活動の上においてはなかなかその影響が大きいのでございますが、その点、もう少しはっきりならぬかどうか発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/39
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040・竹内壽平
○竹内政府委員 議員さん方の名刺が非常に効力があることは私も承知しております。(笑声)けれども、その名刺の効力があるからと申しまして、その名刺だけで不正な行為をさせ相当な行為をさせないということは直ちには出ないわけでございます。従って、普通に名刺をお書きになる程度では、いまだこの本条には該当しない、こうお考えいただいてけっこうであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/40
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041・町村金五
○町村委員長 猪俣浩三君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/41
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042・猪俣浩三
○猪俣委員 私、ちょっとこまかいことを聞きたいと思いましたけれども、時間がたちまして、用件がありますので、宿題だけ出して、明日御答弁をいたきたいと思います。
事は、相当具体的にしておきませんと、あとから問題が起ります。そこで、私がお尋ねいたしたいことは、最近判決になりました昭和電工事件の判決に関しまして、その具体的の事実に本法を当てはめてみてどういうことになるかということを検討してみたい。なぜかと申しますると、このあっせん収賄罪なるものが相当国民の世論化した動機は、あの昭和電工事件から発生したのじゃないか。あれに、検事が、あっせん収賄罪がないために非常に困難だという意見を発表するとともに、がぜん、これが政界腐敗の一因をなしておる、これに対してメスを入れなければだめだということが、最近のあっせん収賄罪——ことに社会党が第十九回国会に出しましたいわゆるあっせん収賄罪の提出の動機もそこにかかっておりました。それでありますので、今日これが高等裁判所において判決され、検事の上告がありませんので確定いたしました。相当長文の、ここに判決文が出ておるのでありまして、私も二回ばかり読んでみたのでありますが、どうか刑事局長もその判決を一つごらんいただいて、この判決の趣旨に沿うて私お尋ねしたいと思う。果してこの本法が、かような世間の疑惑をこうむりました事案に対して明断を下し得るところの法案であるやいなや、それをこまかく私はお尋ねしたいと思う。これは高等裁判所の判決において、事実関係、法律関係が確定しているのでありますがゆえに、私は資料としては客観的に最も有力のものだと存じます。そうして具体的でありますので、これの判決の趣旨に従って質問いたしたいと存じます。相当長文のものでありまするから、一応御研究いただきたい。
それから、いま一つは、これは政府から提出されましたもので、あっせん収賄罪の規定がないために検事が起案することのできなかった、あるいは有罪にすることのできなかったという事案が示されておる。具体的の事例をもって示されております。一体これが本法によって果してこれを有罪とすることができるか、あるいは検事が起訴の起案をすることができるのか。これの具体的の事実が明示されておりまするがゆえに、この一つ一つについて私お尋ねしたいと思うのであります。そうしませんと、いたずらに抽象論で、これはざる法であるとかないとかという抽象論に終るおそれがある。そこで、私は、具体的事例につきまして、こまかく、本法を適用した場合どうこれが処断されるのであるか、これを御答弁をいただくならば、本法の趣旨が相当明白になるんじゃなかろうか。これはあなたの方からお出しになったものでありますからおありであると思います。「斡旋収賄罪の規定がないため処分しえなかった事例」、そうしてずっと事案があがっております。私の見るところによれば、もし今まで政府委員の答弁した答弁の趣旨通りだとすると、この大半というものはやっぱり処罰できないのじゃないかと思われる。そうすると、あっせん収賄罪の規定がないために処分し得なかった事例として法務省刑事局が出しておるこれが、一体この法案ができたら処分し得るかのごとき印象を与えておりますが、皆さんが示された事例の大半がこの法案ではだめだということになると、おそらくこの法案はざる法であることをみずから立証したことになりはせぬかと思う。
そこで、昭和電工事件の判決文及び刑事局の出されましたこのあっせん収賄罪の規定がないために処分し得なかった事例、これに本案を当てはめまして事こまかく一つ御答弁願いたいと思いますから、相当時間がかかりますので、私はそれは次会に譲ることにいたします。
ただ、立ちました関係上、一点、昨日佐竹氏が質問しました法益論でありますが、これは二元説をおとりになっておるようであります。私も法益は必ず一つ下なければならぬと思いません。しかも、二元と申しましても、非常に連関性のあることであります。公務員の職務の公正をはかるということ、及び公務員の廉潔性の要求、こういうふうな御答弁でありました。ただ、この二元は窮極において一元にしぼられなければならぬ。二元説というものは哲学的にも成り立たなかったのでありますが、と思いますが、かりにこの二元の法益を認めるといたしましても、刑法の単純収賄罪とあっせん収賄罪とは、この法益の順序がちょっと違うのじゃなかろうか。第一次、第二次の関係において違うのじゃなかろうか。あっせん収賄罪の法益というのは、私は、結局公務員の廉潔性ということが第一次に来るのじゃなかろうか。これがまた世論でもあるのじゃなかろうか。公務員は国家から俸給をもらっておる。それだのに、世話したというてよけいな利益を取るということが、一般の庶民感情とマッチしない。それがとりもなわさず公務の適正に対する国民の信頼に疑惑が起るもとにもなるということから、これを処罰しなければならぬ。そうして、きのうも問題になりましたように、現在公務員じゃない者、たとえば退職官公吏、事件ブローカー、そういう者が職権のある公務員に働きかけて不正な行為をさしたとき、それを処罰しないといけないことになりますが、私はやはり、現在において、公務員、これが一般職であろうが特別職であろうが、公務員というもののあっせん行為というものがまず第一に処罰の対象になるというゆえんのものは、このあっせん収賄罪の本質はどこまでも公務員の廉潔性にある。ことに、私は、その主体が公選による議員にあると考えておる。国会議員は最高の国家機関の構成員であります。また、地方自治体においても、県会議員でも何でも、昔と違いまして、より民主的になっておるとすれば、それだけ議員というものの職責も重大であるし、責任も重大であります。従ってまた、その議員の品位というものも、また昔より以上に重んじられなければならぬ。民主政治であればあるほど、この公選の議員なんというものに対して廉潔を要求することは当然であります。職権の大なる者には責任がつきまとうし、責任のある者はその品位を保たなければならぬ。今日、政治の腐敗と称して、ややもすれば民主政治そのものを否定せんとするような思想が一部台頭してきているこの際に、このあっせん収賄罪の規定は、私はまことに適正なものだと思いまするが、その法益論が間違いますと、全般の解釈が間違ってくる。そこで、私は、このあっせん収賄罪の法益の第一次は何であるか、これは公務員の廉潔性ということに重点があるのじゃなかろうか、それに対しての御所見を承わりたい。そうなりますと、ほかの法益がそこにあるとすれば、ほかの犯罪成立要件に対してもその点から観察していかなければならぬと私は考える。そこでまずその点をお伺いしたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/42
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043・竹内壽平
○竹内政府委員 一昨日大臣から本法案の提案理由を御説明いたしたわけでございますが、その中にも明らかにされておりますように、公務員の綱紀粛正ということが強く叫ばれておる、こういう世論にこたえるものであるということを申しておりますようにただいま猪俣委員から御指摘のように、そういう点が強く保護されなければならない法益として重点が置かれたことは、まことにその通りであると存じます。昨日お答えしましたように、わいろ罪というものは、考え方が二つあるのであって、その一方だけで立案したと見られるような立法例は諸外国にもないようでありますが、特に単純なる職務に関する収賄罪という場合でございますと、これは、官紀の粛正、つまり廉潔性ということも、もちろんそれによって金をとるのでございますから、廉潔性を保護しようとするものであるということももちろん言い得るのでありますが、それよりもより多く公務の公正を担保しようという趣旨がそこに強く現われておると思いますが、これと違いまして、あっせん収賄の場合には、みずからの職務に関しての不法利益の収得ではなくして、他の職務権限を有する者に働きかけるということで謝礼をもらうというのでありますから、その事柄の性質からして、いやしくも公務員たる者はという、今おっしゃったそのお言葉が強くにじみ出ておるというふうに私ども考えておるのであります。分量がどうであるとか、あるいはどちらが主であるとかいうふうにきめてかかるつもりは、私どもとしても持っておりませんが、ただいま御指摘のように、あっせん収賄の主体たる公務員の場合におきましては、公務員としての廉潔性の保持ということが強くこの法案のねらいとして掲げられておることは、私は全く同感でございまして、私どももさように心得ておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/43
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044・猪俣浩三
○猪俣委員 そういたしますと、そこにいろいろの批判が出てくるのでありますが、要は、結局これは社会常識とも一致するのですが、公務員がその顔をきかせるというところ、これが国会議員、県会議員、その他の公務員が相当社会的に地位が向上していればしているほど、その顔をきかせるということ、そうして金を取るということ、これが批判の対象である。日本人は一体封建性がぬぐい切れず、顔がものを言うという習慣が非常に多いのであります。公務員などもその古来の陋習から抜け切れないでおる。そこに私は問題があると思う。顔をきかせて何かしてやって金を取る。先ほど問題になった、議員の名刺がものを言う、議員が偉くなればなるほどそうなります。それはものを言うことはけっこうだ。ところが、金をとることで問題になる。名刺がものを言うことだけけしからぬという議論をやっておったのでは問題にならぬ。金を取るということ、それとくっつけないで論じていては何にもならない。名刺を出して金をとる、いわゆる顔をきかせるのです。それがやはり国民の信頼を博している公務員の廉潔性を阻害するものではなかろうか。何か利権屋というふうな色彩が濃厚になる。そこで、私どもは、そういう意味からして、社会党の原案では、その地位を利用しているということが書いてある。そして請託ということを抜いてある。公務員の廉潔性を尊重することからするならば、請託があろうがなかろうが、何かしてやって金を取ること自身がけしからぬ。この請託の問題については事こまかく私はお尋ねしたいと思うのでございますけれども、この請託ということは、犯罪の成立要件を困難ならしめ、おそらくこれによってほとんど無罪が出てきましょう。検事の起訴の起案ができがたいことだろうと思う。これは過去の実績、統計が示しておるのでありまして、私どもははなはだきめづらいことだと思いますが、これはまた明日事こまかく統計上からお尋ねしたいと思います。これは、法務省の出した統計から見ましても、いわゆる受託収賄というものは実に数が少い。学者の論文を見ますと、これは受託収賄が現象として少いのじゃなくて、とても立証が困難のために、みんな単純収賄で起訴しておるためだというふうに論じておるが、それはその通りだろうと私は思うのであります。そこで、政府当局は、これはしぼったのだということになるのでありますが、しぼり方にもよりまして、大半が免れて恥なき徒になるようなしぼり方をやったのでは、これはざる法であって、どうもあまりききめのないものをただ世間体のために作ったと思われるようなことが出てくる。そこで、私は、さっき申しましたように、こういうことにつきましてもう少し詳しく質問したいと思いますから、明日おいでいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/44
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045・町村金五
○町村委員長 大橋忠一君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/45
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046・大橋忠一
○大橋(忠)委員 私は法律の専門家ではありません。そこで、ただ一般庶民の感覚から、あっせん収賄罪に関する問題を御質問申し上げたいと思います。
今度のあっせん収賄罪は、われわれしろうとから見ますと、非常に不満足なものでありまして、法案制定の暁にどれだけの現実的の効果があがるかということに対して疑いを持つものであります。しかしながら、かりに骨抜き法案と称せられるこの法案に骨を入れて、刑法改正仮案のようなものにかりにしたところが、私は、その効果のあがらぬことにおいては五十歩百歩ではなかろうかと思うのであります。
〔委員長退席、林(博)委員長代理着席〕
現在も収賄罪というものがありますが、さきにも御指摘になったように、一カ年間にわずかに検挙されたものが七百前後、起訴されたものがその半数に足らないというような現状であります。これは、現行の憲法及びそれに基いて作られました刑事訴訟法というものが、英米で行われておるものと同様に非常に寛大なものでありまして、黙否権その他あらゆる方法によって人権を保護しており、従いまして、犯人の自白以外に具体的な証拠をつかむということはなかなかむずかしい。そこで、やってみても無罪、無罪になるものは起訴ができない、起訴ができないから検挙もできない、こういうようなことになりまして、国民は表面に出た犯罪だけが犯罪であるとは思っておりません。それはほんの氷山の一角であり、大きなものがまだ隠れておる、それが検挙されないのだ、こういうふうに思っておるのであります。数年前に、私の記憶によりますと、検察当局が、実は汚職は幾らでもあるのだ、しかしながらその捜査費が足らないから検挙ができない、おそらくこの汚職によって国家国民の受ける損害は二億円くらいに上っておるだろうというようなことまで言ったと新聞に出ておったことを私は記憶しておるのであります。さらに、この数年前の造船疑獄の際に、われわれは時の検事総長を訪問いたしまして、なぜ小者ばかりを検挙するのか、大物がおるじゃないか、断固としてそれを検挙しなさいと言って迫ったのであります。そういたしますると、時の当局は、実は、今の憲法及び刑訴法のもとにおいて、検挙をしたところが無罪になるにきまっておる、二十日間の勾留期間を過ぎて、そうして保釈になって口うらを合せる、有力な弁護士を頼んで巧みにマヌーバーしたら、とうてい起訴することができない、証拠がつかめない、従って検挙したところで起訴もできない、起訴したところが無罪になる、そこでできない、しかしながら、英米式のトライアル・ジュリー、いわゆる陪審制度があれば、われわれは直ちにでも検挙する、こういうようなことを言われたことを私は記憶しておるのであります。いわゆるトライアル・ジュリーにおきまして、民間人が中に入って裁判をやる、そうすれば、やはり当然国民の感情と世論を代表して裁判をやる結果、どうしてもこれが重く罰せられることはきまっておるのであります。貧の盗みとか、そういうような同情すべき事件に対してはあるいは軽きに失するような判決が下るかもしれませんが、国民が非常に憎んでおる政治家や官吏の汚職というようなものに対しては重い判決が下ることは当然だろうと思うのであります。そこで検察官も検挙が非常に楽になる、起訴も非常に楽になる、こういうような工合になると私は思うのであります。そこで、私は、今回あっせん収賄罪というものができるのはけっこうでありまするが、そういうものを作っただけでは、汚職追放という結果はもたらされない、政界浄化ということにはあまり効果はないのじゃないかというふうに思っておるのでありますが、これに対する法務大臣の御見解を伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/46
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047・唐澤俊樹
○唐澤国務大臣 今日の捜査制度、また検察制度についての根本的の疑念を持たれてのお尋ねでございました。お言葉のように、今日の憲法は人権の擁護ということに非常に重点を置いておりまするから、従来の犯罪捜査、犯罪検察、また犯罪の審理ということにつきましていろいろの制約ができておることはお言葉の通りでございます。そのために捜査検察に当っております者が非常に苦心をしておることは想像に余りあるわけでございますし、これは憲法から出発しておる大きな問題でございまして、果して現行制度がいいかどうかというようなことを検討いたしますれば、さかのぼって憲法そのものの検討もしなければならない。憲法の中に刑事訴訟法の実体を盛っておるような規定すら入っておる今日でございますから、どうしても憲法そのものにさかのぼって検討を加えなければいけないということになりまして、今日といたしましてはこれは非常に重大な問題だと考えております。現行の検察事務におきまして、あるいは大物、つまり呑舟の魚というようなものがのがれるのではないかということを、よく世上の批評として承わっておりまするが、私がこの法務へ参りましてわずかな期間の経験でございますけれども、私は、さようなことは従来も絶対になかった、また、私就任して以来さようなことは全然ないように存ずるのでございます。先ほども申し上げました通り、証拠の収集とか審理とかいうことにつきましていろいろの制約がございます。そうして、捜査や検察、審理はすべて証拠をもって進められるものでございますから、世間で、あるいは新聞紙等で伝えられれば、それはすぐ起訴される、有罪になる、こういうふうに見るのでございまして、これが一旦証拠不足のために釈放されますれば、呑舟の魚が免れたというような世上の批判を受けるのでございますけれども、私の感じを率直に申し上げますと、検事総長が率いておりまする検察当局は、もう従来長い間の経験を生かし、検察常識と検察官としての良心によって捜査を進め検察を進めておるのでございまして、少くも私に関しましては、具体の事実については指図はいたしません。抽象的に、一切法の前には平等である、いやしくも犯罪の疑いがあれば厳正中立にこれを捜査検察してもらいたいということは申しますけれども、それ以上は、大体検事総長の率いる検察陣の従来の経験と、そうして検察官としての良心によりまして、検察事務を進めておりまして、私は、世間でうわさされるように、呑舟の魚がややもすれば政治的の理由が何かでのがれるのだということはないように思うております。そういうことを誤解するようないろいろの事象はございますけれども、私は、その事の真相に入ってみると、やはり検察陣は全部証拠を追うて進められておる、証拠があれば、いかに呑舟の魚でありましても、これが訴追を受けることは免れないようになっておると、深く信じておるわけでございます。
それから、このあっせん収賄罪に対する規定が法律として活動するようになっても、おそらく政界浄化には大して効果はないのではないかというお尋ねでございますが、元来、政界浄化とか綱紀の粛正ということは非常に大きな問題でございまして、そうして、とても法の一条文によってその実現を期待できるような問題ではないと思います。やはり、世間一般の道義の向上というようなことや、あるいは客観的には経済状況の好転というようなことや、一切がっさいの社会事象が集まって、そうしてその結果として、あるいは綱紀も粛正され、政界も浄化されるというふうに考えておりまして、法律によって万事を解決するというようなことは、それは事の末ではないかと私は考えております。ただ、しかし、そう言っておられませんですから、他の方面の手段を怠らないとともに、やはり法律をもって正すべきことは正すということで、こういうような立法もいたそうと考えているわけでございますが、そういうような意味で、法律万能とは考えておりませんけれども、しかし、一たんこの規定が成文となりまして動くようになりますれば、相当の実効があるのではないか。
〔林(博)委員長代理退席、委員長着席〕
法文の上ではいろいろの条件によって縛られておるという御批判もあるようでございますけれども、とにかく、従来は自分の職権で仕事をしてやってそうして金を取った場合だけが収賄罪になったけれども、今度は他人に頼んでそして金品を受け取った、つまりあっせんをして金品を受け取った場合も罪になるということで、これは相当の実効を持ちやしないか。ことに、将来この法律が判定されて動くようになりまして、そして統計をとってみて、かりにこの法律に触れる者がないといたしましても、それは、この法律あるがために自粛自戒して、そしてこの法律には触れないようにやっておくというような陰の効果というものが必ずあると思いますし、やはりこの規定の適用を受ける者も不幸にしてできてくるのではないか、かように私は考えまして、法律万能ではございませんが、この条文が成文化されましたならば、やはり道義の公正、公務員の廉潔性を保持するために相当の効果があるのではないかというように確信しておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/47
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048・大橋忠一
○大橋(忠)委員 専門的に見れば御説のようなものかもしれませんが、国民の常識から見ますと、今の政界というものは相当腐っておると見ておるのであります。政治家というものは、昔から、財産があっても政治をやると貧乏になるというのが常識でありますが、これもほんとかうそかは知りませんが、世間の評判によると、政界の巨頭の中には、大へん大きな財産を持っておると伝えられておる人があります。そうしてそれは主としてあっせん収賄的にもうけたものと世間では思っておるのであります。そこで、疑獄事件が起るたびごとに小さい魚ばかりつかまって、大きいものはのがれる、こういうような感じが国民の間に強いのであります。そこで、こういうような誤解を防ぐためにも、裁判というものを職業裁判官だけにまかせずして、国民の世論と感情を代表する民間人にやらしたらどうか。すなわち英米におけるジュリーの制度を作ったらどうか、こういうことを私は提議したいと思うのであります。ことに、今日は主権というものが国民に移った。天皇の名における裁判から、国民の名における裁判になって参ったのであります。天皇の名において裁判をやる旧時代においてさえも、非常に不完全ではあったが、一種の陪審制度というものがあったことは御承知の通りであります。ところが、今回憲法の改正によりまして主権が国民に移った。国民の名においてやる裁判になったのでありますから、それは当然国民の世論と感情とそして常識を代表するところの民間人に裁判はやらすべきものであると私は思うのであります。立法や行政がやはり民間から選出されたその代表者によって行われておる際に、独立をしておるところの司法というものが、全然民間と離れて、いわゆる官吏のみによってやられるという現在の制度は考え直さなくちゃいかぬ。そこで、この裁判というものを民主化するという意味から言っても、陪審制度を設ける、少くとも欧州の大陸でやっておるところの参審制度程度においてもよろしいから、裁判の民主化をしなくちゃいかぬ、こういう実は意見を持っておるのであります。職業裁判官というものは、最近弁護士出身の人なんかをだいぶお用いになるようでありますが、それでもどうも法規の末節に拘泥し過ぎる。法的概念に縛られ過ぎて、常識的な、国民の納得するような裁判ができないことがしばしばあると国民は思っておるのであります。ことに、学校出の世間知らずの若い裁判官の中には、赤い思想にかぶれたような者もある。それが判決の上に出ておるといわれたようなことが新聞に出ておりました。私は、こういうような危険を防ぐ意味から言って、民間人を裁判に少くとも参与させるというところまで行かぬといかぬと思うのでありますが、法務大臣の御所見はいかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/48
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049・唐澤俊樹
○唐澤国務大臣 ただいまの御意見は、わが国の司法制度におきましては非常に大きな問題でございまして、民衆の裁判・審理への関与ということは、これは各国における司法制度におきましても非常に重大な、また非常にむずかしい問題とされております。ただいまお言葉にもありました通り、わが国でも陪審の関係におきまして多少の経験を持っております。当時この制度をしくにつきましても非常にけんけんごうごうの論争があったようでございまして、その結果ああいう制度を試みたわけでございますが、この実績につきましてもいろいろと批判があるようでございます。要するに、裁判はどこまでも事実を明瞭にして、そうして法の適用を誤まらず、公正な判決でなければならぬ。それからまた、国民がこれを信頼し、これを仰ぎ見るように、尊敬するような裁判であり、判決でなければならぬ。この要請に応ずるために、今のジュリーのような制度がいいか悪いかということは、これは非常に議論が多いところでございまして、今法務省におきましても鋭意研究をいたしております。これは、ただ一片の理屈でなくて、実際に適用してみて、そうして、今日のわが国の社会、国民の法律に関する知識、常識の程度であるとか、その他国民性等との関係もございまして、非常にこれはむずかしい問題でございます。今法務省においても鋭意研究中でございますが、なお技術の問題もございますから、刑事局長から補足して申し上げることにいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/49
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050・竹内壽平
○竹内政府委員 ただいま大橋委員から刑事裁判に民衆を関与させる制度を採用すべきではないかという御意見がございました。非常に傾聴すべき御意見と存じます。民衆を関与させる制度は、ただいまの日本国憲法のもとにおきまして、主権が国民にある、この憲法の趣旨を推進いたしますためには、司法権の作用だけを官憲において龍断すべきものではないのでございまして、その行くべき先は国民の関与にあることは申すまでもないのでございますが、これは抽象論といたしまして私どももさように考えておるのでございますけれども、ただいま御指摘のありましたように、わが国におきましてもかつて陪審法を持ったのでございますし、ただいまはこれは停止の状況になっております。その実績をわれわれとしては検討しなければなりません。また、民衆を関与させる方法といたしましては、御指摘のように、英米で広く行われておるジュリー・システム、陪審制度をとるか、あるいはドイツ等においてこれこそ裁判の新しい方向であると自負しておりますところのシェッフェンゲリヒト、参審をとるかということは、私どもといたしましては研究を要する問題でございます。
簡単に結論を申し上げますと、国民の間に参審なり陪審なりの制度を作るべきであるという機運が盛り上って参りますならば、わが国におきましても新しい形の陪審ないし参審の制度を採用すべきであるという考えでございまして、さような機運の上昇しおる状況にかんがみまして、つとに法務省としましては寄り寄り研究いたしておる状況であります。なお、御質問がございますれば、その内容につきましても御説明いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/50
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051・大橋忠一
○大橋(忠)委員 あっせん収賄罪に関連して検察ファッショということがしきりに言われております。これはむろんおそるべきことでありますが、われわれしろうとから見ますと、憲法及び刑事訴訟法その他においてわが国の国民の人権は極度に保護され、黙否権までも認められておる。こういう法制下において、昔あったところのいわゆる帝人事件であるとか搭連炭坑の事件のような拷問その他おそるべき方法による検察ファッショのようなものは起り得ないと私どもは実は考えておるのであります。むしろ国民は、それとは逆に、検察官が少し手ぬるいんじゃないかと考えているのではないか。現に、最近の売春汚職の問題についても——これは新聞によることでありますからはっきりいたしませんが、業者が二千数百万円からの金を集めておる、そのうちで行方がわかったのが二百万円そこそこ、あとはどこにいったかわからぬ、従って、検挙された人だけはまことに気の毒だが、まだもっとたくさんもらって隠れておる者がたくさんいる、検察官はまことに手ぬるというのが巷間の批判になっておるのであります。しかしながら、もしその検察ファッショというものが将来起り得るとすれば、私は、英米等でやっている起訴陪審、グランド・ジュリーの制度を採用すべきだと思う。起訴すべきかどうかを国民に判断させる、そして世論を納得させるのが私は政治の要諦だと思う。さらにジュリー・システムをやれば、もし検察ファッショの犠牲になったような被疑者に対しては、必ず同情を呼び起しまして、そういう者はかえって軽くなる。その意味から、むしろジュリー・システムこそ検察ファッショを防ぎ得る方法ではないか。一面において検察官の活動を便利にすると同時に、検察ファッショも牽制し得るところの効果があるのではないかと思っておるのでありますが、いかがでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/51
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052・竹内壽平
○竹内政府委員 御指摘のように検察ファッショという声がこの法案をめぐりまして学者の一部にもあるわけでございますし、国会の内部にもそういう御心配のもとに御批判が出ておるのであります。私どもといたしましては、ただいま大橋委員のおっしゃった通り、今日の検察官がかつて世間で批判されたような意味においての検察ファッショのふるまいに出るということは、現行の憲法、刑事訟訴法のもとにおきましては想像もできないように思っております。しかしながら、検察ファッショという意味によりましては、どういうふうにとるべきものでありますか、学者の一部などでは、検察フアッショという意味につきまして、検察官が恣意的な意図のもとに検挙、処罰をやる、そしてそれが内閣を倒壊させるような結果を招来するようなことになる、そういう検察の運用がなされる可能性があることが検察ファッショを助長するという意味におきまして、あっせん収賄罪の規定などが極端に広くなりますとそういう結果を招来するのではないか、そういう意味におきまして検察ファッショの危険があると論じておるようでございます。そういうことは万々あるまいとは存じますけれども、なお慎重を期する意味におきまして、用語その他の制限を加えた次第でございます。
そういう御懸念もあることでございますので、裁判においては、陪審制度、参審制度、それからまた起訴におきましてはグランド・ジュリー、大陪審の制度を持ってきてはどうかという意見でございます。
アメリカ等におきましては、私も先年その状況を見て参ったことがございますが、大橋委員の御指摘のように、その点はきわめて適正に運用されておるように私見て参りました。しかし、陪審制度と申しますのは、その国の国民性に深く根ざしておる制度でありまして、いわゆる英米法の系統、特にアメリカにおきましては開拓者精神パイオニア精神とよく言われますが、そのパイオニア精神が国民の同僚の裁判ということによって治安を維持しながら西へ西へと発展したという歴史があるわけでございます。陪審制度とかあるいは大陪審の制度もそうでございますが、結局は納得のいく裁判ということが主眼のように思います。それから、ドイツその他大陸におきましては、納得ということも大事でありますが、それは二の法でありまして、客観的に実体的な真実の発見ということが裁判の正義だというところから、その実体的真実の前に納得、信頼ということが起ってくるというふうに、若干その重点の置きどころが違うようでございますが、日本の国情に照らしてみますと、過去においてドイツ法の影響のもとに帝国憲法以来すでに六十何年刑事司法の運用をいたして参っておりますし、国民の中には必ずしも同僚みずから裁くという気持が英米諸国のように顕著には見られないということがありますし、裁判を受ける者も、そういう形の納得というよりも、やはり実体的真実というところに希望をかけるという主張が多いようでございまして、直ちに日本に移し植えましてうまく成長するかどうかということは、いろいろ疑問もあると思います。ことに、大陪審につきましては、アメリカでは、若干の州において現在も行なっておりますが、一部の州におきましては、起訴という点につきましては国民の関与からはずすという傾向も見えておりますし、ヨーロッパの方におきましては、大陪審制度を形骸にとどめて、実体としては運用していない国もあるようであります。この辺も私どもとしては十分検討をいたしました上で善処したいというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/52
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053・大橋忠一
○大橋(忠)委員 昔から、政治のよしあしを判定する一番重要なスタンダードというものは、大体裁判が公正に行われるかどうかということによって判定せられてきたものであります。しかして、裁判の公正ということはむろん真実に基くということも必要でしょう。ところが、その裁判所のいわゆる真実というものは、果して真実であるでしょうか。たとえば、今の刑訴法における、自白以外の証拠というものだけが証拠であるでしょうか。それはただわかっただけの証拠であって、まだわからない事実はいっぱい隠されておるのであります。そこで、やはり国民の常識が納得するような裁判、これが民主主義裁判の根本をなすべきである。われわれ選挙をやってみますとよくわかる。世間というものは実に利口なものであります。世間は決してばかではない。実に神様のごとき霊知を持っている。神様のごとき霊知を持った世間がなるほどと思うような裁判をする、これこそ私は真の裁判だろうと思うのであります。従いまして、私は、民衆裁判というものは、ただ単に民主主義の本質から当然やるべきもののみならず、今申しましたような意味から、当然これはやるべきものである。そういうような意味から、戦前においても、昭和十年に不完全な形における陪審制度を始めた。ところが、やってみていろいろな弊害が出たがために、ついに十八年になってやめてしまった。自来十五年、まだ何らのその成案ができてない。なるほど、裁判官が非常にいやがる、経費が非常にかかる。裁判官から言えば、なるほど自分らで勝手にやった方が非常に便利でしょう。けれども、裁判官がいやがるがゆえに、取扱い上非常に不便なるがために——気のきいた国は全部やっておる。中国やロシヤさえやっている。しかるに日本だけがないというようなばかなことは私はないと思う。法務省では相当調査をされておるということを聞いておるのでありますが、その調査、研究はどの程度まで進んでおるでしょうか、その点を一つ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/53
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054・竹内壽平
○竹内政府委員 法務省におきましては、刑法、刑事訴訟法の改正事業を今しきりに進めておりますが、特に、刑事訴訟法の改正問題の中で最も重要な部分は、この陪審制度の採否の問題でございます。そういうふうな考え方からいたしまして、ただいま各国の陪審制度の実態的な調査、それから、国内におきましては、日本国憲法におきましても、陪審制度をとりますことが違憲ではないかという議論が、大橋先生も御存じだと思いますが、一部の学者の中にございまして、そういうような議論も承わりつつ鋭意やっております。特に、昨年の九月には、内閣官房審議室にお願いをいたしまして世論調査もいたしてみたのでございますが、まだその結果を発表する機会はなかったかと思いますけれども、簡単にこれを申しますと、大学、高等専門学校卒業以上の有識者約五百名につきまして抽出的な方法によって世論調査をいたしました結果、この制度そのものについてはいろいろな問題を出しておりますが、このうちの陪審制度、民衆を刑事裁判に関与させるというこの二点についての回答を集めてみますると、参審制度を是とするものが四十数%あるわけでありまして、それから、職業裁判所、ただいまのような職業裁判官に裁判をさせるのがよろしいという意見が約三〇%、それから、陪審制度をよろしいというものが一六%ある、そういう順序になっております。さらにこの調査も今後もっと範囲を拡大し、もう少し質問事項を整備して調査をしながら、国民の動向を見きわめつつ立案に当りたいと思っておるのでございます。
ただいまもございましたように、これを実施いたします場合に非常な経費を要するであろうということも想像されるのでございます。戦前の陪審法におきましては、陪審員を一つの事件で最も長く引きとめましたのが七日間でございます。これは主として殺人とか放火とかいう事件が多かったのでございますが、短かいのでも二日、平均いたしまして、今日の金に換算しますと十万円くらいはかかっておるのではないかと思いますが、これを死刑、無期というような罪に限定いたしましても、その費用は今の金で三億円になりますが、もしそういうことになると、今のあっせん収賄のようなわいろ罪は入らないことになります。これを緊急逮捕もできますような死刑、無期または長期三年以上の刑というような罪種に広げて参りますと、年間そういうような事件が約二十万件にふえるのでございまして、かりにこれを十万円単位で計算いたしましても、二百億からの金がかかるわけでございますが、今日の訴訟手続は、職権主義が制約されておりますので、一件の審理時間が長くなる。そういう点を計算に入れますと、なかなか一件十万円で処理できるかどうかは疑問でございまして、そんな点、そのほか職員を動員するとかなんとか、いろいろこれに附帯します経費、またこういう陪審員、参審員を選びます手続に関する経費といったようなものを見ますると、それこそ数百億の金を必要とするのでございます。その数百億の金が、真に裁判に寄与いたしますならば、決して国にとってむだな経費だとは私は思いませんけれども、今まで戦後十年余り、このような経費が支出されるということはなかなか国家財政の立場からも容易なことではないと思われるのでございまして、そういうような点も頭に置き、かつ前の陪審法がうまくいかなかった実績等から、原因がどこにあるかというような点も十分究明いたしまして、国民の動向を見きわめて、この問題の解決をいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/54
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055・大橋忠一
○大橋(忠)委員 最後に申し上げますが、私は、これは民主主義の本質の上から、経費とか、繁雑さとか、そういうことにかかわらず、当然置かるべき制度であると思うのであります。どうか、法務省が中心になって、国民世論を指導し、喚起をして、一つさらにこれを進めていただきたい。しかしながら、私が現在申しておるのは、結局、政界浄化のためから見ても、ぜひそれはやらなければいかない。さきにも議論が出ましたように、今日の政治家というものは信用がないのであります。私は、過日あるところで、お前は六千万円の金をもうけたという話を聞いた、政治家というものはそでの下等でなかなかもうかるじゃないかということを言われた。私はそういうことには特に潔癖でありまして、官吏時代からあまりにも潔癖過ぎるという非難を加えられておったものであります。今でもそうなんです。その私に対してそういうことを言う者がある。事ほどさように、政治家というと、何かきたない金をもうけるように思われる。また、さらに、あるニュース解説者に対して、君はよく知られておるから参議院の無所属から出たらどうかと言ったら、いや、だめです、当選した暁からもう国民は聞いてくれない……。つまり、政治家というものはうそを言うものだということでしょう。先年私がアメリカに参りましたときに、ちょうど国税庁の汚職事件で新聞が騒ぎ立っていた。その際にアメリカ人はどう言うかというと、役人が腐っておってもわれわれの選ぶ代表者というものはしっかりしておるというのがアメリカ人の気持なんです。これで初めて民主主義というものは成り立つのであります。ところが、日本のように、政治家というと、何かきたないことをしておる、うそをつく、こういうような状態が続いては、戦前においてついに政党政治が亡んだ通りに、せっかく敗戦の結果得たこの民主主義というものも、またおかしなことになってしまうんじゃないか。むろん、政界浄化のためには、法務大臣のおっしゃる通り、法的措置だけではできません。しかしながら、元亀・天正の戦国時代が治まって徳川時代の封建道徳というものができた一番大きな原因は、織田信長という気違いじみた英雄が興って、厳罰主義をもって臨んだということであります。従って、法務省の一角から進んで新しい道義を作るということもできるのであります。法務省の関係者、検察当局が、国の土台を作るという決心を持って断固としてやられれば、私は国民道義は法務省の一角から興るのじゃないかとさえ思うのであります。その責任は重かつ大であります。従いまして、私は、この際法務当局の奮起を促しまして、そうして、その一つの方法として、民主主義にはつきものであるところの、国民が裁判に参与する制度を、至急原案をお作りになり、そうして国民の世論を指導あらんことを希望いたしまして、私の質問を終ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/55
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056・町村金五
○町村委員長 本日はこれにて散会いたします。
午後零時五十四分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102805206X01719580327/56
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