1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十七年三月二十九日(木曜日)
午前十一時二分開会
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委員の異動
三月二十八日委員横山フク君、山本杉
君及び片岡文重君辞任につき、その補
欠として泉山三六君、宮澤喜一君及
び相馬助治君を議長において指名し
た。
本日委員江田三郎君及び相馬助治君辞
任につき、その補欠として小笠原二三
男君及び片岡文重君を議長において指
名した。
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出席者は左の通り。
委員長 大矢 正君
理事
北畠 教真君
近藤 鶴代君
野本 品吉君
豊瀬 禎一君
委員
井川 伊平君
杉浦 武雄君
田中 啓一君
温水 三郎君
小笠原二三男君
千葉千代世君
米田 勲君
片岡 文重君
柏原 ヤス君
岩間 正男君
発 議 者 米田 勲君
発 議 者 豊瀬 禎一君
発 議 者 千葉千代世君
発 議 者 大矢 正君
国務大臣
文 部 大 臣 荒木萬壽夫君
政府委員
文部政務次官 長谷川 峻君
文部大臣官房長 宮地 茂君
文部省初等中等
教育局長 福田 繁君
文部省管理局長 杉江 清君
事務局側
常任委員会専門
員 工楽 英司君
参考人
東京都教育委員
会委員長 木下 一雄君
全国教科書供給
協議会会長 今井 兼文君
東京学芸大学学
長 高坂 正顕君
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本日の会議に付した案件
○高等学校の建物の建築等に要する経
費についての国の補助に関する臨時
措置法案(米田勲君外四名発議)
○義務教育諸学校の教科用図書の無償
に関する法律案(内閣提出、衆議院
送付)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/0
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001・大矢正
○委員長(大矢正君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
まず、委員の異動について御報告いたします。
昨三月二十八日、横山フク君、山本杉君が辞任され、その補欠として泉山三六君、宮澤喜一君がそれぞれ委員に選任されました。また、本日、江田三郎君が辞任され、その補欠として小笠原二三男君が委員に選任されました。以上であります。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/1
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002・大矢正
○委員長(大矢正君) これより高等学校の建物の建築等に要する経費についての国の補助に関する臨時措置法案を議題とし、審査を進めます。
質疑のおありの方は順次御発言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/2
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003・小笠原二三男
○小笠原二三男君 文部大臣にお尋ねしたいんですが、六・三制における小・中・高、その上の大学までの学校教育制度の中で、こういう近年の状況を追うて見ますと、高等学校というのは、いわゆる高等普通教育と言われておりますが、現在、国民として高等学校教育を希望するという側が非常に多いわけですが、これが試験制度で選抜せられて、一定以上の者しか高等普通教育は受けさせない、あとは他に職を求め、それぞれの社会生活を営む、こういうような形になっておるんですが、大臣の遠大な理想からいえば、現状以後における高等普通教育というものは国民の前にどうあったらいいか、これもお考えの点があったら所見を承っておきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/3
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004・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 高等学校の課程まで義務制にしたらどうだという意見、あるいは高等学校の今御指摘のような趣旨にかんがみて、試験なしで入れたらどうだというような意見等があることは私も伝え聞いております。ところで、義務教育が六年、三年、合わせて九年の年限を持っておる国は、世界的に見まして、いずれかといえば、義務教育年限は長いほうだと承知しておりますが、日本は日本ですから、外国のまねをする必要はむろんないんですけれども、世界的な一応の常識からいえば、義務教育年限としては一応今で十分ではなかろうかと私は思います。したがって、高等学校の課程三年までを、さらに義務制にするかいなかという問題は、むろん検討すべき問題とは思いますけれども、具体的にその検討に入っておるわけではむろんございません。いずれにせよ、当面、現行制度のままでいいんじゃなかろうか、かように考えておるのであります。いわんや、この前提に立ちますれば、試験制度でふるいにかけるということもやむを得ないことだ、同時にまた、試験制度によって能力に応じて教育を受けるという立場はかえって貫かれる意味もある。そういうことからいたしまして、全員入学という考え方には賛成できないと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/4
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005・小笠原二三男
○小笠原二三男君 大臣のおっしゃることは常識的にいろいろ肯綮に当たる点があります。けれども、これは大臣でなく、事務的な部分として解釈の問題として一応伺っておいて、それからお話を承わりたいと思うのですが、今も、質問しましたら、高等学校の問題について義務制というお話がありましたが、義務教育というのは、受学の義務を児童、生徒のほうの側に持たせるということを義務制と言うのですか、それとも、そういう学校教育を受け得る環境を国が整備し、受け入れるという側の国の側に対して義務制というものが強要されているのですか。
〔委員長退席、理事豊瀬禎一君着席〕
その成り立ちとして、諸外国の例等から見ても、どっちの側から義務制ということがいわれてきているのですか。まあこれは大臣でなくてもようございますから。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/5
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006・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 義務制の義務は、国の側か教育を受ける児童、生徒の側かというお尋ねのようでありますが、私は児童、生徒の側に立った義務制という概念だと思います。児童、生徒それ自体はまだ未熟で、意思能力がないと思いますが、その保護者に対して義務を負わすということであって、政府側はその義務の制度に対して奉仕する立場にある。そういう相互関係と私は理解いたしております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/6
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007・小笠原二三男
○小笠原二三男君 私も今のようなお考えでいいのではないかと思っております。それで、近代学校教育以前であると、塾その他の私学によって勉学を志す者が、特定の個人なり、あるいは塾なりというもので教養を受けてきたということは、日本のみならず諸外国の例にもあると思う。学校教育が成り立ってきた歴史の上から言えば、児童、生徒をして学問を修得させたい、勉学せたいということ、それが個人の習慣として、また社会なら社会一般の要求となって、これが国としてその環境を整備する、奉仕する部分を受け持ち、一方、大多数の児童、生徒、青少年にこれこれしかじかの水準の教養を与えることが、その国家なり社会の生活水準を引き上げる基礎である、こういうことからだんだん公立学校の形態が出てきたと思うのです。ところが、今アメリカあたりでは、子弟を公立学校に入学せしめることに反対なインテリゲンチャが相当多く私学のほうに入れる。あるいは学校にやらないで、自分みずからが昔のような自由な子供に対するしつけ、教育を与えたり、こういう向きがある。あるいはイギリスのように、私学制度なら私学制度というものが非常に発達しておる向きもある。これは一面、公立学校のほうの一つの欠陥をついておる。一斉の教室における集団教育、これが個人の才能を伸ばし得ないという一つの欠点をついておる部分もあると思うのです。どっちもどっち、一利一害のあるところだと思うが成り立ちはあくまでもこれは父兄なり、社会の要請によって学校というものがだんだん小学が義務制、それがひいては中学が義務制、こうなってきたと思うのです。それでまた諸外国の例から見ても、小学、中学と分ける分けないにかかわらず、九年制——十二年制の義務制というのはどこにありますか、ちょっと私はその例を知らないのですが、大体まあ九年制というふうな形で行なわれておる。ですから、今一がいに高等学校の義務制ということはむろん考えられません。けれども、大臣がおっしゃったように、義務制にする必要はないということと入学の選抜が正しいのだということとは、そのままつながる問題ではないと思うのです。一定の頭脳あるいは教育水準以上の者以外には高等普通教育は受けられない。それは教育作用からいえばそのとおりでございましょうが、しかし、現在の高等学校の選抜試験というものは、一定の水準以上の方を入れるという選抜ではない。頭から順位百番までとか、百五十番までとかいう形で入学を許可するので、これは高等普通教育を受けるに値しないような、それだけの基礎的な教養なり、頭脳程度がなっていないということで、ある学校ならある学校は、三百人志望して百人定員であっても七十人しか——これは適正な教育を受ける資格がないのだというので七十人だけを選抜するというやり方ではない。私はここに問題があると思うのです。優秀な学校といわれるところに志望する者は、八十三点なり、八十五点なりの入学試験の成績を得ても八十六点以上しか合格できなかった、こういうことがあるでしょうし、そうでない学校なら三十五点とっても入学できたというところもあるでしょう。そういう形のものが入学試験選抜がいいのだ、こういうことには必ずしもならぬと思う。で、私、整理してもう一度申し上げますが、いろいろ青年の職業について、社会生活を営み、しかも今日のように日本の産業構造が非常な勢いをもって発展しておる。高度の頭脳と技術を要する、また、それを持たない者は普通の就職による収入を得た社会生活、経済生活が営めない、だんだんそういう形態が顕著になってきておる。そういう社会的な基盤の上に立って、今日の高等普通教育というものは義務性は必要でない、私も賛成です。義務性は必要でないが、希望する者、勉学の意思のある者はできるだけ収容されると、このことだけはどうしても社会体制にマッチする今後の方針でなければならぬ、こういうことを考えるのですが、そういう意味合いで、なおかつ高等普通教育を受けるに値しない者は選抜で落とすのだ、入れないのだ、他に道を求めさせる方法をとるのだ、こういうことなのかどうかですね。もう少し大臣のお考えとしてつめたお話を承りたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/7
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008・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 結局、選抜試験を通じて定員だけを入れることが適切なのか、あるいは勉学の意思のある者は全部入れて、入った後にふるいにかけるということが適切なのかという選択問題でもあろうかと思います。それと同時に国民の側から見まして、今お説のような意味で勉学の意思のある者は入るようにしたいという願いと、それをまかなうために当然国民側で経費を負担しなければならぬ、納税者の利害打算の気持と、また、その実際との相互関係を総合判断して、まあいずれを選ぶかという事柄じゃないかと思います。現在の日本のやり方は前者の立場に立って、概念的にだけ取り上げれば、お説のようなことも考えられる一つの考えだとは思いますものの、現実問題とすればどうも割り切れない。したがって、選抜試験だけでは将来伸びる可能性のある者が、選抜試験の時点においては点数が足りなかった、しかし、もし入っておったりせば、点数のよかった者よりもうんと伸びたかもしれないというがごとき素質を持った者が不幸にして脱落するというような不合理も出てくることは、むろん連想されるのでありますが、それは先ほど来申し上げたような要素を考えあわせて、どちらが現実的に妥当であろうかということに立って選ばれたやり方だと理解するわけでございます。そういう意味で、実際問題としては困難がありましょうとも、全部入れておいて落第させる、端的にいえば。ということよりも、一定の定員を実際上まかなえる限度で設けて、入るときにふるいにかけるということで、一応がまんをしてやっていこうじゃないかという今の考え方のほうが現実的ではなかろうか、私はそういうふうに理解しておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/8
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009・小笠原二三男
○小笠原二三男君 まあだんだんにお話し合いをして、これは意見をたださなくちゃいかぬのですが、今最後に言われた部分、ちょっと横道にそれますが、そういうお考え方が東京なら東京のような場合に現実としてどう現われてくるかというと、ふるいにかけられた者は私立学校に収容されるということなんです。公立なり、公共団体がまかなわないところを私立学校が父兄の要請を受けてしりぬぐいをする、一面でいえばそういう形がないわけでもない。また、そこに私立学校業という悪い意味の商売が成り立っているかもしらんのですが、一応、私学あるいは公立の学校というものについて差別した考え方で日本の学校教育が行なわれるということは、原則からいってこれはいけないことだと思います。また、文部大臣として、それは私学は民間のもの、公立の関係は直接間接自分の所管なり、行政内容のもの、そういうお考えは全然ないと私は信じたいのです。けれども、今のような、ただ単に技術的な入学試験問題のことだけを考えて、そうしてやむを得ないということはちょっとそれは行き足りないのではないかと思います。別な面から私もう一度お尋ねしたい。今の六三三四の学校制度の中で、中学校、高等学校という三三は、前者は三年、前期の青年期の教育だ、普通教育だといわれる。後半の高等学校は青年後期の完成教育だといわれておる、そういう建前でこれは区分したはずです。ですから義務制という形からいえば、六三になっていますけれども、人間完成の教育という点からいえば、高等普通教育のところまでいくのがあたりまえだと私は考えておる、青年前期の中途半端な教育で社会にほうり出すというよりは、青年後期の部分まで教養を与えて社会人として出発させるというのが筋だと思っている、学校制度がそうなっている、ただ金をかけるかけない、受学の義務を持たせる持たせないということだけで六三の体制と後期の三とを分離してあるだけで、私は六三三四のこの学校制度ができた本旨は、青年の立場に立って教育の区分を区切った限界というものは、基準は、青年前期、後期、こういう分け方でできたものと心得でいる、そういう意味からいいますと、日本の国民として高等普通教育が受けられるように、それが希望する者にはそうした教育が与えられるように、そういう施策を講ずることが基本的な考え方と申しますか、まあ現状においては理想と申してもやむを得ないでしょう。そういうお考えのもとに、さて現実的には入学選抜なら選抜の問題もやむを得ない。がしかし、選抜問題もかようかよう、しかじかというような状態にして、能力のある者が高等普通教育をなるべく多く受けられるようにしたい。何かそういう考え方になるのが私は建前じゃないか、筋ではないか。高等普通教育は義務制でないから、別なんだから能力のない者は入らないのだ、仕方がないのだ、これだけではちょっと大臣としてお考えになるのに私は足りないものがあるように感ずるのですが、基本理念としては、高等普通教育を授けられた者が一般日本における社会人としてどこにもあるように、こういう願いの上に立って行政を進めたい、こういうことにはならぬのですか、私は義務制とか何とか、そういうことを言うておるのじゃない。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/9
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010・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) まあ義務制という立場でのお話じゃむろんないと承っておるわけですが、私はおっしゃるようなことのけじめは、政治ないしは行政の場において形を作られる意味においては、義務とするか、そうでないかという差別以外には具体的な方法がないのじゃないかというふうな気がいたします。それはお説のとおり、後期中等教育が普遍的に青少年に共通の願いであり、また国民、民族全体としても願わしきことであることは私も同感でございます。そういう意味では、その制度づけをします場合は義務制にする。およそ人間であり、日本人である限りは、六三プラスもう三年は必ず勉強させようじゃないかという考え方が制度上に現われます具体的な方法は、義務制であるかいなかということによって厳密に差別というか、制度づけられるものじゃなかろうか。今の高等学校はそうではない。普遍的に、おしなべて必ず教育を受けさせる限度が九年間だ、あとは家庭の事情ないしは本人の考え、適性等に顧みて必ずいかねばならないとはしていない。まあそこに自由の選択の余地を残すのだ。しかしながら、職場についてもやはり向学心はある人が一般であろうから、それは定時制なり、通信教育その他で、その希望を十分とはいえないまでも極力求めに応ずる体制でいこう、まあそういう考え方が現行の制度じゃなかろうかと私は思うわけでございますが、児童、生徒ないしは国民、保護者の立場からの願いとしては、お説と同じような気持を私も理解できるつもりでおりますが、制度づけの場合は、やはり義務制として年限を延長するかいなかという課題になるのじゃなかろうか。そこでまあ現状に立ってのことを先ほど来申し上げたのでありますが、現状を概念論を抜きにして現実に立って認めていきます立場からは、選抜ということもやむを得ない、選抜によって落後した者の中に、客観的に見れば本人にとって不幸なものがあり得るということも当然想像されますけれども、これまた今の考え方に立っておる限りはやむを得ない部分ではなかろうか、かように理解しておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/10
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011・小笠原二三男
○小笠原二三男君 その制度上、制度上というお話を申しますが、ある年限に達した青年を全部学校で受学せしむるという体制になれば、それは義務制ということを言うていいでしょうが、現状においては希望する者あり、希望しない者あり、今後において希望はますます多い、この現実は無視できない。そうすれば、一方、小中学校の義務制なら義務制というものは、憲法にあるように、無償の制度が拡充せられていって、ますますこの義務制というものが充実し父兄の負担を軽からしめて勉学させる、そうして出てきた者が高等普通教育をどんどん望んでくる。望んでくるとなれば、その大勢におくれないだけ、希望する者はできる限り収容して、そうして教育を与える。それが普遍化してくれば、それは義務制という形で、そうして無償的な措置も高等学校にまで拡充されていく、こういうことがやっぱり今後の国家、社会における要請となって、それは何年後に完成するかはわからないとしましても、
〔理事豊瀬禎一君退席、委員長着席〕
要請となって教育の仕事というものが伸ばされなきゃならぬ、こういう考え方には私は大臣も御賛成だろうと思う。そういうことであれば、どうして現状においては、義務的な姿勢にまではなり得ないとしても、高等学校に生徒を収容させるのに、また就学するのに都合のいい環境を整備してやろうか、こういうことが問題となって高校の急増対策というふうなことが考えられてくる、そう思うんです。で、そのことから、高校の急増対策というものはどの程度でいいのだという限度は生まれてこないと思う。幾ら多く作っても数少なく作っても、これはどうでもいいのだということではもうなくなって来ておる。どうしても、政府でさえも高校急増対策ということで苦労しなければならなくなってきたこの現実、現状というものは、ますます高等普通教育の必要を国民が認め、そうして青年がこれを希望してくるという態勢に応じようとしておることなんですから、この態勢というものはどこまで国として押し進めていくかということ、その限度を考える場合には理想として、理念として、希望する者は高校に収容させていきたい、これしかないと思う。あと何にもないと思う、それは。ただ、今度は、現実問題として起こってくるものは、それは財政事情、それしかないと思う。教育制度の建前なり、あるいは将来の日本のあり方、先進諸国にひけをとらないと申しますか、あるいは資源その他のない日本として、技術、頭脳、これによって日本の経済をまかなっていかなけりゃならない、こういう態勢に応じようということのためには、どうしても高等普通教育、あるいは大学、このことで頭脳と技術とを伸ばす以外は日本は生きていけない。しかも、父兄はこれだけ希望して来ているのだ。これにこたえるのにはどうしたらいいかという問題として、これは考えられていいのではないか、私はそう思っておるのです。ですから、幾つ高校を作ったからいいとか、幾つ作ったらいけないとかいうようなことの判断というものは、やっぱり基本的にはそういう要請にこたえ得るかいなかという問題に帰すると思うんです。大臣のお考えはどうなんでしょうかね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/11
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012・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) まあ制度という前置きで義務制のことを申し上げましたが、このけじめをつける方法としては、義務制で初めて名実ともに明確になるという意味で申し上げたつもりでおります。お説のとおり、高等学校に進みたいという希望が今日だんだん高まって来ておる。今後も高まって行くでございましょう、そのことは学問に対する、学ぶということに対する青少年の意欲も、むろん第一義のことでありますが、同時に国民の暮らし向きがよくなっていくことにもまた正比例して向上していくものと思います。そういうことで国民の側が、青少年の側が希望する、進学の希望をだんだんと高めていく、量的にもそれが多くなるということには、国としても、公共団体としても応じていく立場にむろんあると思う。その努力は従来継続的に、不満足な点もあったでしょうけれども、なされ続けておると理解いたします。まあそこで、義務制でないもんですから、ぎりぎり決着こうだというのっぴきならない線が出てこない筋合いのものではございますものの、せめて全国的に見ました場合には中学校卒業者に対しての比率で、六〇%が三十五年度の実績だと承知いたしておりますが、三十六年度はもっと向上しておりますが、少しこれは異例に属するケースのようでございます。そこで、安定した係数をとれば、三十五年度の六〇%の進学率というものは確保するのが、高校急増の対策としての基本線であろう。それからあるパーセンテージが向上して、急増のピークが終わるというふうにとらえまして、その程度は国の立場においても、都道府県はまあ当然のこととしまして、国の立場においてもそれだけは確保することが当然の責任であろう、そういうことで対策を講じているわけですが、これはまあだんだんと年がたつにつれまして、比率としては向上していく、現状としては、百パーセント受け入れても、希望者は続出するという事態に対処してどうするかということは、今お説のとおりに、国民側に立ったその要請にこたえる努力が、なし続けられなければならない。そうなりました極点に達しますれば、義務制としても何ら支障のない、財力から言いましても、進学の向上心から言っても、義務制と何ら異ならない条件が具備されまするならば、私はそのときは義務制にしても無理がない、さらに極端に言えば、それが向上していって、大学程度にまで同じ状態が生まれ出てはいけないものではないのですから、ゆくゆくは大学に至るまで、同じような考慮が払われてもいい時期がこないとは言えない。まあ、ものの受け取り方としては、そこが私の今言いましたこととお説が同じかどうかは別といたしまして、大体のお気持はわかるような気もしますし、私もそういうふうに受け取ってはおります。それで当面の現実問題を中心に今まで申し上げておったわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/12
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013・小笠原二三男
○小笠原二三男君 それで今国が考えておる高校の急増対策というものが、あるピーク時までのそれを考えておりますが、これに即応して大学志望者というものも増加してくると思うのですね、これに対しての対策というものは考えておられるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/13
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014・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) これも高校急増対策ほど具体的に一定の数を選定しまして、それに応ずる角度からはとらえておりませんですけれども、態勢として、高校のピークが当然大学に移ってくることは予想されるところでありまして、そのためのみの理由で対策は講じていないことは、今申し上げたとおりでございますが、それよりももっと包括的な立場で、世界をあげての技術革新の競争といってもいいくらいの時期に際会いたしまして、日本が現状もしくはそれ以上の上向きのカーブで繁栄をし続けていくならば、何としても科学技術者の量的な、また質的な向上がないならば、有力な一つの条件が欠ける意味がありますから、そのことを憂える意味で、さらには当面します政治課題としては、所得倍増をうたっておりますが、それにもむろん応ずる角度から、大学における科学技術教育を量質ともに充実するという課題として、三十六年度以来、それ以前ももちろん努力は続けられておりますが、特に今申し上げたような名題を目標にして、具体的な努力を三十六年度以来続けております。三十七年度予算におきましても、約六千名近い科学技術者の養成機構を整備しようということで、いささかの努力をいたしておりますが、この考え方は今後も続けられていくべきものと思います。その間、国立のみならず、私学の協力も当然期待した立場において考えておるわけでありますが、そういうことで参ります限り、高校のピークが大学に移ります場合に、少なくとも昨年なり、今年なりの入学率と申しましょうか、収容能力というものは培養できそうに検討いたしておるのであります。繰り返し申し上げますが、お説のような、高校のピークが大学にきたときにどうするかということのためのみに特に具体的な計画をしているわけではございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/14
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015・小笠原二三男
○小笠原二三男君 それで、事務当局に伺いますが、資料として、高等学校のほうの計画が進むと申しますか、どんどん生徒がふえて卒業者がふえていく、それと見合って、今までの大学進学の希望と入学、これの比率がどういうふうに変化していくか、そういうようなものはお調べになっておると思うのですが、できるならばちょっと御説明いただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/15
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016・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 担当の大学局長が、ちょっときょうはかぜぎみで休んでおりますからお答えできませんけれども、ただしかし、今すぐできたものを直ちにお届けできないにいたしましても、こうなるはずだというものは、文部省としては当然持っておるべきことでもありますし、持っていないとしても、できるものと思います。作らせまして、時間がかかることは御了承いただいて、お届けを申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/16
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017・小笠原二三男
○小笠原二三男君 それで、高校急増の対策でございますが、三十五年度は中学卒業生の六〇%と見たというのが、今後どういうふうに推移するかということで、やはり考えられておって、何かそれも発表されておるようですが、もう一度それを知らせていただけませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/17
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018・福田繁
○政府委員(福田繁君) 今後の急増期の進学の率でございますが、先ほど大臣からお答え申し上げましたように、大体一番近いところで、安定した年という意味で、三十五年の五九%というのがございます。三十五年は五九%でございますが、三十八年の急増期におきましても、六〇%を確保したいという計画で、三十八年度六〇%、三十九年六十一%、四十年になりまして六三%というので、その後におきましては、漸次進学率も向上することと考えられますので、大体四十五年におきましては、進学率七二%というような上昇を見込みまして計画をいたしておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/18
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019・大矢正
○委員長(大矢正君) ちょっと速記をとめて。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/19
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020・大矢正
○委員長(大矢正君) 速記をつけて下さい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/20
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021・小笠原二三男
○小笠原二三男君 そうすると、大臣、昭和四十五年の七二%、それが急増対策によって校舎が増加し、一方において生徒数が、卒業生が減ってくる関係があっても、進学率が高まってくる、こういうことになって、七二%になるのだと思うのですが、この七二%というのは、それ以上将来には、もう急増対策でやった収容力からいえば、どんどん進学率が上がってくるのですか、どうなるわけでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/21
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022・福田繁
○政府委員(福田繁君) 四十五年七二%と推定いたしましたのは、国民所得の倍増計画に伴います総合計画において、大体十年先の四十五年においては七二%程度になるであろう、と申しますのは、国民生活の水準も向上し、それに伴って高校の進学者の率も高まる、こういうような一応の推定のもとにやったのでございまして、それ以後については、あるいは高まるとも思われますけれども、計画としては、現在のところ四十五年までの計画しか考えてないわけでございます。ただ急増時におきましては、これは三十八年、九年、四十年の三カ年でございます。四十五年、四十四年の辺は、これは急増と申すよりも、今申しました他の総合計画に基づく進学率でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/22
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023・小笠原二三男
○小笠原二三男君 それでは、三十八、三十九、四十年と、三カ年計画の急増対策が完了すれば、高等学校の収容能力というものは、そこで固定する、その固定しておる収容能力の中で、一方、今度は生活水準が高まってくる関係で、卒業生がだんだん減ってこようとも、進学希望が多くなって、その学校へ収容させるとなれば、私立としては七二%ぐらいは見られるし、むろん収容はできるのだ、こういう計算なのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/23
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024・福田繁
○政府委員(福田繁君) 四十五年ごろになりますと、大体、高等学校に進学する者も固定して参るというような考え方でございます。と申しますのは、三十九年以降におきましては、中学校の生徒も漸減して参る。そうして遠い将来はわかりませんが、四十二、三年ごろになりますと、大体一定の線まで固定してくる、こういうような考え方でございますので、高等学校に進学するものも、大体、数としては固定してくるんではなかろうかと、こういうような想定のもとに一応の計画としては考えておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/24
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025・小笠原二三男
○小笠原二三男君 くどいようですが、急増対策の三カ年計画の急増が完成したと、そして既設のものと合わせれば、その後七二%になろうが、七三%になろうが、収容する能力だけはもう保持できるだけの体制はできると、こういうことですか、一方、卒業生が減ってくるわけですからね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/25
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026・福田繁
○政府委員(福田繁君) 少し言葉が足りなかったかと存じますが、だんだんそういう生徒が平常化して参りますと、この三十八年、九年、四十年に急激に増加しました生徒も高等学校を過ぎてしまいますので、したがって、恒久的に進学率として、進学者として、若干ずつふえていく分は、これは四十四、五年ごろに残るわけでございます。したがって、異常な急増としての形は消えて参りますけれども、長い期間に進学率が高まって参りますと同様な高まり方、言いかえますと、高校入学者というものが七二%までにはふえてくると、こういう想定のもとに計画しておりますので、その時期におきましては、大体、高校入学者は七二%だけは収容できると、こういう計画のものでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/26
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027・小笠原二三男
○小笠原二三男君 そうすると、まあしつこいようですが、結局三年間のこの急増対策による校舎の建築、既設の校舎、これらによって、あとは老朽校舎その他の問題を処理していけば、一応もう希望する者は七二%であれ何であれ、進学はできるんだ、その校舎に進学できるんだ。あとは急増とかいうようなことはない。もう整備の段階に入るんだ、内容の充実なり何なりの段階に入るんだと、そういう計算なんですか。やはり年々高等学校は四十年後においても新設を要すると考えているんですか、この点を聞きたかったんです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/27
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028・福田繁
○政府委員(福田繁君) 三十八年、九年、四十年に、大体先ほど申し上げましたような進学率を考えて計算いたしますと、高校在学者数におきまして大体百二十三万人増になる計算でございます。で、このことは毎年の高校入学者が、三年間に毎年百五十万程度入学できるというものでございます。したがって、この高校入学者の臨時にふえる分で、これはそのままあとに残りませんが、先ほど申し上げましたように、三十五年に比較しまして、四十五年におきましては公立の在学者総数としては、三十五年が二百二十九万程度でございます。それに対して四十五年には二百五十六万程度の在学者が見込まれるのでございます、七二%にいたしまして。したがって、この二十七万程度の増というものが見込まれているわけでございます。したがって、施設としては、三年間の臨時にふえます百二十三万人の増加する生徒に対する受け入れ施設というものを十分確保する必要がございます。それからまた恒久的にふえる部分の高校生の数は、大体、所得倍増計画等に伴いまする技術者の養成ということが主たる目的でございますので、内容はそういうものが主でございます。したがって、この高校急増期間が過ぎましても、そういう施設についてはやはり今後継続的に整備する必要がある、こういうように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/28
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029・小笠原二三男
○小笠原二三男君 もう時間がなくなりましたからあと次回に回しますが、問題は、四十五年度の二百五十六万というもののつかみ方ですね、推定による二百五十六万というものが、これが大体その線に当たればよし、当たらなければここにまた問題は残るわけですね。それからもう一つは、これで高等普通教育は四十五年ぐらいの日本の現状としてもういいのだ、これくらい収容するだけの施設を持っておったら十分なのだということが示されることを私は希望したいのですね。もう少しその点を次回に御説明いただけるような資料をお願いしておいて、私の質問は一時やめます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/29
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030・片岡文重
○片岡文重君 大臣にちょっとお尋ねしたいのですけれども、大臣の高校教育に対するお考えは、今の小笠原委員との質疑の中で大体わかりましたが、しかし、教育というものは、あらゆる長期計画の中で一番やはり先を見通した基礎的な考え方に立ってやらなければいけないと思うのですが、この四十年をピークとする急増対策も、三十七年度予算を見ると、ほとんど全くゼロといってもいいくらいに国の施策は当初の計画から見れば削られております。ほとんどが地方依存になっておる。これがもし四十年度なり四十五年度なり、こういう期限といいますか、大体そこがピークになる、最高になる。あとはどんどん下っていくということでなしに、将来もどんどんそういう点までふえていくだろうということであれば、地方でも、それから私立でも、どんどんということはへんかもしれぬけれども、とにかくその施設を作って学校を作ろうという気分になるでしょう、特に私立の場合は。ところが、そうでなしに、見え透いた何年かの先には、もう不要になるのだ、あとはせっかく施設を作ってもどうなるかわからぬというような見通しに立てば、地方自治体でもそうであるし、いわんや私立の学校などというのは、そうできる見通しはないわけです。義務制にするかどうかということは離れても、多数の進学希望者として、進学の能力のあるものが普通の能力のあるものがはねられていくことになる。進学の希望を拒否されることになるのです。そういうことを考えると、私はこの際、ほかの経費を削ってでも高校進学の希望者に対しては思い切った措置が国家として取られなければならぬ。政府として取られなければならぬと思うのですけれども、とられておらない。この急増する生徒の措置を、一体このままで問題もなく納まるものとお考えになっておられるのか、あるいは将来の高校の進学の希望を持つ子供ら、そうして、しかもそれがIQが七〇とか、八〇とかであるという子供なら仕方がないけれども、そういう激甚な——最優秀生とまで言えないけれども、普通社会人として社会生活に対応し得るような能力を持っておる者は、その進学希望をできるだけかなえてやるのが、私は国としての政治のあり方だと思うのだけれども、こういう点について大臣はどういうふうにお考えになっておりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/30
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031・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 進学するであろう生徒数の増、これは推定に基づいておりまして、ふたをあけてみて誤差があり得るものではございますが、先刻来お答え申し上げておるような基礎に立って推計をいたしました。その増加生徒数に対しましては、高校の新設もしくは既設の学校における増設ということで、まかなえるだけの財源措置をいたしておるのであります。これはもう前々お答え申し上げましたように、全体の事業数量を五百五十億と押えまして、約五十億近いものが三十六年度に、主として工業高校の形ではございますが、措置済みでございます。三十七年度において百五十四億の財源措置をいたすことによって、三十六年度プラス三十七年度の財源の措置額、合計いたしましたもので、三十八年の急増第一年に備えるには十分であるという計算のもとに手当はいたしております、ただ、それでしょっちゅう問題になりますことは、それが地方交付税で措置せられ、あるいは起債で措置せられておる、そういうときには数字的につじつまが合うにしても、はたしてそれぞれの都道府県が、現実にそれだけのものを実施するであろうかどうかに懸念があるというのが、主として国会で御懸念の点であると思うのであります。それを心配し始めますれば、ひとり教育の問題のみならず、その他の公共事業系統のことといえども、地方交付税ないしは起債を財源措置として引た当てにいたしまして実現されるであろうことを期待しているわけですが、すべてこれ懸念にたえないということになる道理だろうと思います。したがって、各都道府県知事がそれだけの財源措置を、国としての立場では措置をした、その線に立って高校急増が自分の行政区域内における直接責任の課題だから、まじめに取り上げて実行するという政治的な良識がある限りには、必ず実行できるはずだから安心できる、こう考える立場に立っておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/31
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032・片岡文重
○片岡文重君 見解の相違ということになるかもしれませんけれども、あなたが今おっしゃった国としての措置を十分尽くしておる。しかし、それは国の予算ではなしに、地方交付税あるいは地方起債等によってだ、だから、あるいは不完全かもしれないと自身言っておられるとおりに、こういうやり方は私は国として——今あなたおっしゃった良識ある政治家を地方知事に期待をしておられるようだけれども、国みずからが良識ある態度では私はないと思うのです。時間がありませんから、その点についての議論をしているひまはありませんけれども、さっきもちょっと言ったように、これがどんどん伸びていって、いつまでたってもふえる、利用価値がふえるだけだという施設のことであるならば、その地方起債等によっても私はやり得ると思う、また心配するでしょう。ところがそうではなしに、カーブを描いてしまうわけです。下降するわけです、一定の期間に。しかも、それが相当長年月にわたってそういうのでなしに、短い期間に下降線をたどるということになれば——しかし施設としては、最高のことを目途としてやらなければならぬ。ところがその最高の目途が近い期間である、あと下るのだということになれば、それは地方の知事といえども、そう熱をもってやれるはずがないでしょう、あり余っている財源がどこにもないんだから。そういう点について大臣は少しも懸念を持たないのかどうか。それからもう一つは、完全に手を打ったということは、あくまでも進学率を従来の、つまり進学希望を持ちながら拒否されておった子供たち全部を除いたところの、今までの、つまり狭き門でなおかつ入れ得る限界をもって起算の基礎としておる、ここにも大きな問題があるんです。私はそこをもっと広げて、その限界をおかないで、希望し得る、しかも社会通念から言っても、社会人として自立し得る常識を備え得るような子供たちには、それぞれの向き向きに従って、せめて高校教育ぐらいは受けさすべきじゃないか。そういう長期の対策を国家として立てべきではないか。特に荒木さんは、すべての問題について非常に強い信念であたられるようだから、そういう国家百年の大計を立てるために大きく目を開くべきではないか。この期待と予算とはあまりにもかけ隔てている、もっと大きく目を開く意思はないかどうかということをお尋ねしているわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/32
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033・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 第一点、先ほどお答え申し上げたことで自信があるかどうかということですが、自信があります。裏づけをしたかという意味において自信があります。ただ、先刻も申し上げましたとおりに、都道府県知事が誠実に実行しないということが万一あるならば、その点で誤差は出てくるおそれはあります。そういうことはないと信じたいのであります。だから現実問題としまてしは、東京都その他の富裕県、あるいは中どころ以上のところでは、文部省で一応推定しておりましたよりは、より多くの学校の整備を具体的に計画しているところもたくさんございます。問題は貧弱県において問題があろうかと思います。この点は先ほど来申し上げました地方交付税と起債で財源措置をするにあたりましても懸念されたところでございまして、地方交付税法の改正等をめぐりまして、その貧弱県については現実に即して、さらに弾力的な措置を講ずることによって万全を期したいという裏づけのもとにスタートしておりますので、自信ありと申し上げ得るかと思います。活眼を開いて将来の教育計画を十分考えろという仰せでございますが、その御指摘の考え方には私も同感でございます。ただ微力にして、現実が伴わないおそれがありますけれども、先刻来、小笠原さんにお答え申し上げましたような気持で、学校制度というもの、学校設備というものは、何も文部省の立場だけで物を考えるためのものじゃないと心得ております。国民側に立って物を考え、国民の要望に極力沿う建前で全努力を傾けべきだ、そういう考え方で、私のみならず、文部省の関係者一同熱意を込めてやりたいと思っておりますことをお答えいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/33
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034・片岡文重
○片岡文重君 質問はまだありますけれども、先ほどの委員長の要望がありますから一応留保しておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/34
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035・野本品吉
○野本品吉君 きわめて簡単にですが、今朝来、小笠原委員その他からいろいろの御質問がありまして、そのうち私は思い起こすことがあるのでありますが、実は今の日本国憲法が議会で審議されますときに、義務教育の問題が相当論議されたわけであります。原案には児童という言葉が使ってあった、チルドレンという言葉が使ってあった。この原案の児童という言葉をそのまま憲法に規定してしまうことは、日本の国の教育の質的な非常に低下になる。何とかしてこれを高める方法を講じなければいかぬというのでいろいろ議論し、それからGHQ等にも何回となく往復いたしまして、これを子女という言葉に改めた。その事実を今から新たに想起してやまないわけなんです。これで一応児童から子女までいったことによって、今の義務教育の六三制の基礎が憲法の上においてできてきた。なお、義務教育の問題につきまして、これは父兄に対して教育の義務を負わせるのであるから、国の責任において父兄が負った教育義務に対してこたえる道を開かなければならぬ。この道を開くためにいろいろなことが必要であるが、このことは父兄の負担と国の財政能力との見合いにおいて十分考慮しなければならぬというのが、現在、憲法の審議録にも明らかに残っている事実であります。この考え方は、高校の問題についても、ある程度適用といいますか、考えてみる必要のあることであるということを、今私は当時のことを思い起こしまして申し上げる次第なんです。そこで、高校の問題につきまして、政府はいろいろな紆余曲折を経まして、党、政府、大蔵省、自治省等の間において話し合いがつきましたのが、現在、大臣から、るるまた何回も何回も説明される財政的な措置である、大臣はこの財政的な措置によって、父兄の要望、あるいは府県の要望にこたえ得るというお見通しのようでありますが、私はその大臣の言葉に信頼したいのでありますが、重ねてその点について大臣の御答弁をいただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/35
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036・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) まあ先ほどお答え申し上げたとおりに考えております。ただ、現実問題として、そうでなかったじゃないかということが後ほど起こらないとは、これは保証できないけれども、しかし、これは三十六、七年度において急増対策を続けてきておりまして、これはあくまでも三十八年度の新学年に高校に入ってくるであろうところの急増生徒に対する対策として前向きの姿勢でございます。その三十七年度実績等を見ながら、常にこれを監視しながら、今申し上げたことが期待に反すること、はななだしきことあれば、それに対する応急措置は当然考えなければならない、それはそう考えますけれども現在としましては、私は都道府県知事の良識に期待し、国として考えました財源措置、裏づけによってやれる、こう考えている次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/36
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037・野本品吉
○野本品吉君 私は与党の一員といたしましても、この問題は非常に大きな問題であると、こう考えておりますので、大臣の今の御答弁に対しましても、今後われわれ与党の者といたしましても、事態の推移に対しましては、どこまでも厳重に監視の眼を離すわけに参らないということを一言申し添えておきます。
もう一つは、高校の入学の問題でありますが、これは、大臣及びこれは高校の問題について法案を提出されました社会党の方にも共通の問題としてお伺いいたしておきたいのです。で、高校の全員入学運動というものが、最近非常に各地で組織的に行なわれております。もしその全員の入学運動というものが、それらの人たちの希望するように現実の問題になった場合に、これは制度的には義務制ではなくても、実質的には義務制に通ずるようなものになってくる。そのときに、私は高等学校というのは一面において普通教育であると同時に大学へつながる教育である。高等学校の教育というものを普通教育として見なければならない面と、大学に通ずる専門教育への道としても見なければならない。その際に、そういうときに、全員入学の場合に、一体今の高等学校の学科課程で普通教育としては満足できるかしれない、しれないけれども、大学への専門教育の基礎知識として満足できるかどうか、これは非常に疑問がある。したがって、もしそういうことになってくれば、その高等学校の教育というものが、円満にその目的を達するために高等学校の学科課程というものを改めなければ、普通教育としての教育と専門教育への道としての教育とを充足することができないのじゃないか、こういうふうに考えるわけで、結局は、大学へ進もうとする者に対しては、学力の質的な、学問の質的な低下、これがどうしても予想されるのであります。この点について文部省ではどういうふうにお考えになりますか。それからこの法案を提案されました社会党の方はどういうふうにお考えになっておりますか、この一点だけをお伺いしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/37
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038・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 先刻お答え申し上げたことでございますが、少なくとも現状におきまして高校全員入学というスローガンは適切じゃない、ただ一見もっともらしくは見えますが、教育効果ということを児童生徒側に立って考えるについて十分の思慮が私は足りてない、現行制度のもとに立脚して申し上げる限りにおいては、ある程度の競争があることは本人のためになる、私はかように理解しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/38
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039・米田勲
○米田勲君 私はただいまの文部大臣の答弁とは非常に考え方が違っております。野本委員は、高校全入の運動の問題に関連して意見を交えて述べておられますが、まず第一に、私は国民の間に起こっておる高校全入の運動というものは正しいと思っております。教育の分野にまで優勝劣敗の資本主義的な物の考え方を持ち込んでくる必要はないので、親も子供を教育したい、子供も教育を受けたいと考えている者が高校に学べるような条件を作ってやるというのは、国の当然の責任である。そういうふうにして一般国民の知能のレベルをより高く、広くしていくことは何ら差しつかえのないことである。差しつかえのないというよりも、むしろそういう方向を目ざすべきである。したがって、私たち社会党は、この国民の高校全入運動というものを強く肯定をする立場に立ちます。しかし、現状において直ちに飛躍して、その高校全入を短期間に完成するということは、いろいろな条件を解決する必要がありますので、その方向を是認しながらも、現状の段階を一歩前進させるという考え方に立って、われわれの考える法案を今提案しておるわけです。
それから野本委員の考え方ですが、高校により多くの希望する生徒を入れる条件を作ることは、専門教育としてのコース、大学へのコースを考えるときに、高等学校の教育の質的低下がくるのではないか、こういうふうなお考えのようですが、私は、そのことは考え方が違っておるのではないかと思います。高校により多くの生徒を収容しても、その生徒を教育していくための設備なり、施設なり、その他の条件をできるだけ充実していくことによって、そういう懸念はないし、かりに百人の学生、生徒を収容していくうち、百人全部を大学進学という方向に合わせる必要は毛頭ないのであって、その中のよりすぐれた素質を持った者、より優秀な者が専門的な教育をさらに受けるために大学へ進むというものの考え方で、その他の高校の生徒は、そこで受けた高等普通教育を基礎にして社会に出て活動していくという考え方に立てば何ら差しつかえない。決して、高校により多くの生徒を収容するようなやり方をとると高校教育の質が低下するという考え方は妥当でないのではないか、こういうふうに私は考えるわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/39
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040・田中啓一
○田中啓一君 関連して。私は文部省並びにただいまの法案の提案者に御所見をただしたいと思うわけでございます。私は高等学校というものには、現在、どの高等学校でも、もっとも農業とか、あるいは工業高等学校とかいうふうに分かれてはございますが、それぞれまあ教科課程あるいは教科内容とでも申しますか、そういうものが制定をされておりまして、それを生徒に教える、生徒はこれを理解をする、こういう制度のものだと心得ております。ところが全入学と申しますると、中学校を出た者は、希望するならば、とにかく全部入れよう、こういうことでございます。また、現実にも、実は地域によりましては希望するならば全部入っておるところもある、まあ大へんに入学試験が激烈だと申さなければならぬような学校あるいは地域もある、こういう現実の状態だと思う。それで、先ほどまあ小笠原委員からの御質問にも、学力の検定のようなことはあるいは必要かもしらんが、ただ選抜ということはどうも教育の方針にかなわぬのじゃないか、こういうような御趣旨の御質問もあったように私は伺っておりました。で、その希望する者をみんなそれじゃ入れてやるように高等学校を整えようじゃないかということも、私はこれも一面ごもっともなところがあると思いますけれども、私はそれよりも前に、教育の内容というのは非常に広いものなんだ、それぞれ能力に応じて世の中の役にも立つように能力を伸ばしていこうと、こういうことのように思うのであります。そこで、そう考えますと、私は全入学ということを考えるには、まず高等学校の教科を能力に合わせてやれるように、したがって、まあいろんな私は、ちょうど特殊学級とか、特殊学校とかいうことにも通ずることと思うのでありますが、そういう私は教科の課程というものを考えなければいかぬのじゃないか。その上のことでこれはあわせ論じないと、私はいかぬのじゃないかと思う。そうでなくて論ずれば、ただ論だけになってしまうのじゃないか。こういう気がいたしますので、あわせて両者の御所見を簡単に伺っておきたいと存ずる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/40
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041・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) ただいまの田中さんのお説なり御質問、先刻、野本さんの御質問になった共通の部分があると思いますが、高等学校の教育内容、教科内容というものがいかにあるべきかということは、なかなかしろうとが断定的には申し上げかねると思いますものの、高等学校が一般教育を主とする学校であることには間違いない。しかしながら、同時に進学する希望も持っておる者が相当おる、そのことを全然無視するということもいけない。私は両方の調和をどこに求めるかということが教育内容からは適切じゃなかろうか、かように考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/41
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042・米田勲
○米田勲君 ただいまの御質問にお答えをいたしますが、私には能力のない者は高校に入れないほうがいいんだという何か考え方のように聞こえるんですが、そういうことを肯定すると、義務教育である小学校、中学校にも同じような考え方が働きはせぬかと心配をするわけです。もちろん子供の中には精神薄弱、あるいは身体障害、あるいはその他の事情で普通の子供とは全く違う子供がおりますが、これはそういう特殊学級その他の教育によって救うとしても、それ以外の子供は小学校に入ってくる。これは教えた経験のある者ならみなわかりますが、小学校のごとき、一年生から六年生までどの学級を見てもピンからキリまである、知能には。そのピンからキリまである知能に即応するために、小学校の教育をこの一番劣っておる知能の程度にまで下げるという必要は毛頭ない。現在そんなことはやっていない、中学校も同じです。だから私は高等学校に入ることを希望する——しかし、その希望している子供にも非常に知能に傾斜はあります。ありますけれども、それらの子供をより多く収容して、学問を研究する勉学の機会をより長い期間与えてやるということによって、その個々人の知能は必ず前進をするものである、意味のないことだというものの考え方は成り立たないと思うわけでございます。それと私は、先ほど小笠原先生のほうからも意見が出ておりましたが、実際、日本全体を見ますと、大きな都市、そしてその有名校、越境しても入学試験を受けるといったような集中している学校については、相当の能力があるにかかわらず現在のところ入学はできない。いなかのほうにいくに従って、北海道の場合でもそれが言えるんですが、都市の学校よりも入学の試験のときの成績ははるかに低いけれども、高校に入っていくことができるという非常にアンバランスができているわけです。教育はすべての子供に学問を受ける機会を平等に与えるという必要がある。そういう角度からも私は全入運動の方向は正しい、できるならその方向に国家は計画を立てて努力をすることが正しいんだと思う。知能のない者は高等学校に学ばすべきではないという考え方は、少なくとも国家の将来を考え、教育行政を担当していくものの立場からは考えてはならないことではないかというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/42
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043・小笠原二三男
○小笠原二三男君 午前中、大臣と、現在の日本の教育体系あるいは義務教育との関連等から、高等学校の教育というものは広くこれを受けさせる機会を与えるべきであろうし、そのことが日本の将来の発展の上に正しいことなんであって、それがただ単に現実にマッチしないというところに問題があるのではないかということで、大体同じ意見だというふうに伺っておったら、今の野本さんの御質問によると、高等学校の全入運動——全入学ということは望ましいことではない、子供には競争させ、競争心を起こさせる、そういうようなことからいっても選抜がいいのだ、こういう断定的なものの言い方は、これは根本的に教育を考える者の立場からいうて問題だと思うのです。憲法があって、教育基本法が当時作られて、貧富の差なく、望む者にはいかなる教養でも教育でも与えたい、こういう一貫した精神で日本の教育行政というものが進められてきたと思うのです。そして大臣がおっしゃるとおり、現実がそれに沿わないために、貧しくて進学の希望を持ち、能力のある者は、定時制なりあるいは通信教育なりで、なお勉学、向上心を満足させるという形をとってきたはずなんです。けれども、これはすなおに自然と発展する形においては、高等学校の教育を受けるのにも多くの経費的な負担がなくて勉学する機会が与えられるということが、大きな立場からいって、これは日本の国民の望みであろうと思うのです。また為政者のそれは常に念頭に置くところであろうと思う。過去の保守党内閣が定時制なり通信教育なりを創設したり、あるいはそれは時の財政の都合で補助金をぶった切ったり、いろいろなこともありましたが、二十五、六年当時は国庫負担制などというものを真剣に文部当局において考えた時代もある。そして教科書のみならず、学用品なり、あるいは給食費なり、交通費までも、ひとつ国で負担することを考えようじゃないかというふうに、教育諸条件を伸ばそうということに対しては過去の保守党内閣だって非常な力を入れた時代があったが、財政的にそれが実現しなかったというだけのことです。今、大臣のおっしゃっていることは、単に現実的な技術論なんです。学校収容能力というものが、限定されておる、ますがある。たくさん希望する。はみ出す。だからそれはしようがないのだという形を、全員入学運動は望ましくないとか、あるいは選抜制で競争心によって入学さすほうがいいのだ、そういうことを言い出す。これは文部大臣として自己矛盾ですよ。義務制において小中学校の一定の教科課程を終えたものを卒業させるのです。これは国の責任なんです。そうした中学卒業の資格を持ち得た者が青年後期の高等普通教育に入るということを、これは選抜によって弱い者、能力のない者は入らなくていいのだということはおかしい。高等学校というものは中学を卒業した者が入ればいい学校なのだ。入れる学校なのだ、建前は。ただ入れ得ないという、ますが小さいということに今の悩みがあるのです。技術論なのです、それは。それを全員入学運動というものが何か教育上望ましくないというようなそういうものの言い方は、私は大臣、ちょっと言い違いではなかったかと思うのです。少なくとも義務制として受学の義務を国が命じて教育を授けた。そして卒業した子供を入学資格とする高等学校に入学させなくともいいのだ。そんなことが教育の原則として、教育の制度としてあっていいのだというものの言い方は、これは自己矛盾ですよ。そうではなくて、もしも大臣が、内容に立ち入って、中学卒業者の中には、希望する者があっても、能力がない者もある、高等普通教育に耐え得ない者もあるのだ。だからそれははずしていいのだと言うなら、その学習の能力に耐え得ないというのは、小中義務教育にあるわけなんですから、この義務教育は国が、公共団体が、ともにやっている過程においては、そういう者が一人もおらないようにするための一切のサービス、奉仕というものが、これは文部省として当然の義務なんです。文部省の仕事はそこにある。そうして高等学校というものは希望する限りこれは入れる。そういう環境を整備することが、やはり文部省なり、公共団体の直接国民に奉仕する責任だと思うのです。それを理念的に、初めから高等普通教育には、全員入学運動は望ましくない。全員入学は望ましくないとか、あるいはまた選抜制度がしかるがゆえに正しいのだ、またその理屈をつけて、競争心を持たせるということは当然のことだ。これは一国の文部行政を担当する、国民に直接教育において奉仕する立場にある文部大臣の言としては、私はとらないところなんです。何か私はその点は言い違いだったと思う。もう一度その点については御答弁願いたい。
また、野本委員は、そういうふうに全員入学的な形で入ることによって——これは内容もやはり含んでいる。能力の差のあまりにはなはだしい者が多数高等学校に入ることによって、大学へ進学する専門教育がおろそかになるやのお話しがあった。けれども、これは先輩である野本委員にも、これは、考え違いではないかと思う。日本の高等普通教育は、戦前における旧制高等学校のような、予備校として存在させたのではない。だから、さっきから六三三の体制としては、青年前期後期、両々相まって人間完成、一応の普通高等学校教育が完了するのだ。こういう建前なんだということを、私は再三申し上げた。今日、現状においては都市における高等学校の競争率の激しいというのは、大学進学のための予備校化しているところに、この問題が起こっているのです。しかし大学に進学した場合において、新たな体制としては、大学課程前期二年というのは、専門教育に耐え得る基礎的な教養を与える期間として、大学そのものがそのことを行なうことに建前はなっている。はっきり制度の上からも、教育内容の上からも、分別されているところなんです。したがって、その点は考慮する必要はない。原則論として、一般教育論としては考慮する必要がないところなんです。私はこれは大臣が、教育制度のあり方として、高校全員入学というのは好ましくないのだとか、選抜制度が正しいのだというような意味で言ったとは考えたくない。そういうふうには聞き取りたくない。けれども、大臣がもしもそうだというならば、そう御答弁願っておいてよろしい。時間がないですから、あとでまたその点は申し上げますが、答弁違いであったのではないかどうかという意味で、まず一応の御答弁だけ承っておきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/43
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044・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 私は、先刻も小笠原さんの御質問に対してお答えいたしましたとおり、高等学校の入学希望者、現実に立って三十五年度の六〇%の進学率、この程度のものは急増期間中といえども維持していくべきだ。こういう考え方に立って、高校教育については対処せねばならない。そうしてゆくゆく単に志望した者だけでなしに、国民がすべて、原則としてすべて中学を出た者が高校に行きたいし、行けるような条件がだんだんと備わってきたという現実に即し得る場合には義務制という考え方があり得るであろう。しかし、それは今としては考えられないことだ、こうまあ申し上げたわけであります。先ほど来の野本さんその他に対するお答えは、その気持においてむろん変わりません。全員入学運動なるものが義務制にすべきだというんなら話はわかる。ただ、国民側のもろもろの条件も整わないのに、ただ全入運動と言い放すことに弊害があり、その言い方そのものが私は合理的でない、こういうことを申し上げたつもりでございます。したがって、その前提に立つ限り、選考によって、競争によってその質問をより分けるということもやむを得ないし、当然だ、そういう考えを申し上げました。すべて、希望するなら入れなければならぬという考えは、義務制度であるならば言える。そうでないのに、その条件を整えないで、ただ全員入学ということは私は無責任な放言だろうと思います。それが言えるならば、大学にも全員入学を叫ぶべき本質を持っておる。その客観的条件、国民的条件が整わなければ私は言うべきじゃない、その意味で、義務制にすべきだという主張ならば、一応の考え方としてはわかるという気持がしますから申し上げました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/44
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045・大矢正
○委員長(大矢正君) ちょっと小笠原委員に申し上げますが、文部大臣の意見と小笠原委員の意見とはかなり食い違いがあると思います。そこで、いろいろ御意見があると思いますが、委員長の立場といたしましては、午後一時の参考人の意見は、これは当然聞かなきゃならぬことでございますし、外部から呼んでいることでございますから、一時を多少過ぎましても委員会を開かしていただいて、参考人の意見を聞いて、できることでありますれば、今の問題は参考人の意見を聞いたあとで、ひとつ結着をつけたほうがよろしいんじゃないか、こう思いますので、そういうことでひとつ御了承いただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/45
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046・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 今の委員長の取りなしでけっこうです。そこで、野本先生、あなたがおっしゃっているように、午前中の話し合いどおり進行するということは絶対了承できません。ただいまの文部大臣の答弁は、教育基本法の数条に違反する疑いを多分に持っています。したがって、私どもとしては、こういう席上で文部大臣から基本法違反の発言があった場合に、教科書法案に直ちに入るということは絶対にできません。したがって、委員長が取りなされたように、参考人は外部の方ですから、これは時間を守って予定どおり話をお聞きして、午後いかなる議題を取り上げるかは、午後の理事会で話し合いをしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/46
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047・大矢正
○委員長(大矢正君) 本案に対する自後の審査は後日に譲ります。
午後は一時二十分より委員会を再開いたすこととし、暫時休憩をいたします。
午後零時四十三分休憩
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午後一時三十八分開会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/47
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048・大矢正
○委員長(大矢正君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
これより義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律案を議題とし、本案につきまして参考人より御意見を聴取することといたします。なお、ただいま御出席の参考人は、東京都教育委員会委員長木下一雄君、全国教科書供給協議会会長今井兼文君、東京学芸大学学長高坂正顕君、以上三名の方々であります。
この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は、御多用中のところわざわざ本委員会のため御出席を賜わり、まことにありがとうございました。これより順次御意見をお述べ願うわけございますが、各位の御意見の開陳時間はお一人二十分以内ということで、順序は木下参考人、今井参考人、高坂参考人の順にお願いをいたします。なお、各位の御意見開陳後、さらに委員よりの質疑にお答え願うようになりますので、その点をあらかじめお含みおきを願いたいと存じます。
それではまず木下参考人よりお願いをいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/48
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049・木下一雄
○参考人(木下一雄君) 義務教育はこれを無償とするという憲法の建前で、今日までその趣旨の実行されて参りましたのは授業料を徴収しないということでありました。しかし、授業料を徴収しないということで義務教育の無償ということは満たされたとは考えられないのでございます。現に、義務教育を無償とするという精神でさらに実現されたい教育施策として私どもが平素望んでやまなかったものがあったわけでございます。その一つは、義務教育諸学校の教科用図書を無償とすることであり、その二は、学校給食費を全額国庫負担とするというようなことでございます。
昨年夏、文部省に学校給食制度調査会が設けられて、わが国の学校給食のあり方につきまして十分研究されたことがありました、これは、一昨年、学校給食費のことにつきまして国の補助が全部打ち切られるのではないかというような予算措置も伺いましたので、当時、学校給食の精神からいたしまして、私どもはこれを大きな問題として取り上げたのでございます。さようなことからこの調査会が設けられまして、いろいろ研究をされたことがございます。そのときも、義務教育を無償とするという建前からいたしまして、学校の給食費を全額国庫負担とすべきであるという議論が圧倒的であったのでございます。ところが、現状は一食一円の補助という実情にありましたので、この調査会は、結局、少なくとも給食費の半額公費負担を目標とすることといたしまして、それによりまして年次計画をもって助成の率を高くして、完成年度で半額国庫負担のところまでこぎつけようというようなことを考えまして、一応、小学校は五年、中学校十カ年の年次計画をもちまして調査会といたしましては答申いたしたのでございますが、三十七年度予算に計上されたところを見ますと、ほとんどこのことは実現されていないようなことで、私ども非常に遺憾に思っていることであります。さようなことからいたしまして、義務教育は無償とするという理想の実現というようなことは、なかなかむずかしいのではないかというような一般の考え方もあったと思っております。ところが、今回、別に政府におかれまして提案されました義務教育諸学校の教科用図書の無償に関しましての法律案は、先般、衆議院で可決され、参議院において御審議になられる運びとなりましたことは、わが国の教育の全体から見まして、また、わが国の義務教育の将来におきまして、まことに喜ばしい段階を築きましたものといたしまして、この義務教育は無償であるという精神の理想の実現の上にも、教科書無償制度の確立を私どもは願ってやまないものでございます。教科書の無償が、父兄負担の軽減という現在わが国の教育施策の中でも重大な点とされております。そのことに大きな効果を持っていることは申すまでもないことでございます。
従来、わが国の論者の中には、教科書無償とか、学校給食費の補助のようなものは、普通以上の家庭に対してはあまり負担軽減の意味にならない。国の金を有効に使うためには、そのような少額な補助負担などはやめて、生活保護法の適用を受けるような家庭に有効に回したり、その他もっと適切な他の方途に回したほうがいいとするものが相当あります。もとより経済困難な家庭の子弟に対しましての教育について考えなければならないことは言うまでもありません。教科書無償や学校給食の全額国庫負担とはまた別の重要な問題として、このことは別個に考えなければならないと思うのであります。ここには教科書無償と学校給食というような面から考えてみることがいいと思うのでございます。私ども——私の考えといたしましては、普通以上の家庭と貧困の家庭というような差別をつけないで、一斉に、たとえば給食費の補助を行なうとか、教科書の無償をもってするのが教育的には価値があるものと考えるのであります。いわゆる金持ちでありますとか、上流とかいわれる家庭の子供の学校に持って参りますお弁当が——かつて、まあ長い間私どももそういう経験を持っておったのでございますが、その子供の持ってきますお弁当のほうが、かえって栄養的であることが珍しくなかったと思うのであります。子供が学校に参りますころには、まだ両親が寝ていて、女中にまかせきりであるような、家庭での裕福も、子供の持ってきますお弁当の中身はきわめて不親切なものがあり、ときにはお弁当のおかずが案外粗末であったり、またときにはおかずのからっぽなものさえ、かような子弟にかえって見ることがあったのであります。むしろ普通以上、いい家庭の子供に学校給食は価値を持つという一面もあっていいのではないかと思うのであります。教科書の無償にいたしましても、私は同様のことが考えられると思うのでありますので、あり余る家で、子供に多くのものを買って与えるという習慣のついておりますような家庭では、価値の感情を子供に持たせるということがなかなか、かえってむずかしくなっております。そのような習慣のついております子供もあるわけでありますが、教科書が無償ということで、学校が一様に子供に教科書を与えるということになりますと、すべての子供に価値の心持を起こさせるものであります。教科書の無償が父兄負担の軽減になるとともに、直接子供に与えます教育的価値はきわめて大きいといわなければなりません。
次に、教科書を無償とすることがかりに実施されるとなりまして、さような時期につきまして申し上げたいと思うのであります。政府は、とりあえず明年四月、小学校第一学年に入学いたします児童に対しての経費を三十七年度予算に計上しておりますが、少なくとも昭和三十九年四月から完全実施の運びになり得ますよう、このことをぜひお願いするものであります。さしあたり政府は教科書無償の措置を行なうことにつきまして、その実施の方法でありますとか、手続でありますとか、供給のあり方等につきまして十分検討することを必要とするわけで、義務教育教科用図書無償調査会を設置されることになっておりますが、その審議の結果を三十七年十一月までに答申するようなことが規則に書いてあるようでございます。ぜひ、さようなことからいたしまして実施移行の準備をする手はずを定め、三十九年四月から小中学校が完全に実施に移されるよう望むものであります。万一、国庫の財政負担能力の問題からいたしまして年次計画を考えるというようなことになりましても、できる限り早急に、広い範囲の児童、生徒に行き渡りますよう努力していただかなければならないと思うのでございます。
次に、教科書を無償とする措置を行なうため、その実施の方法等について十分検討を加えるため、ただいま申し上げましたように、昭和三十七年度において調査会を設置して研究するということになりました。この点はまことに適切であると考えます。無償とするといたしましても、これを供給いたしますのに、給与してしまうのか、貸与するのであるか。これらの一つの点でも影響するところが多いと思うのであります。アメリカでは州の半数は学校備付に教科書というものがなっております。その他に給与する学校と貸与する学校とあるようであります。わが国の児童が教科書等に非常に親しみを持った生活をする習慣があり、また、教科指導上の慣習等からいたしましては、十分これらの点の研究も必要でございましょう。また、実施の範囲から考えまして、私立学校の義務教育に相当する児童生徒についてどのような方策をとったらよろしいか。財政的にもなかなか検討されなければならない問題が多いと思うのであります。また、経費を国と地方とでどういうふうに分担するか。これらの点もありまして、調査会の仕事は一つ一つ大きな影響を持つものであります。しかしながら、いずれにいたしましても、三十七年十一月までには答申を終わって、三十八年度予算措置に間に合うよう進めなければならないと思うのでございます。なお、調査会は必要と認めた事項を文部大臣に建議するということが条文に載っておるようでありますが、この点につきましても、できるだけひとつお取り上げいただくことが望ましいと思うのでございます。
最後に、国の財政能力につきましては、聞くところによりますと、ある場合には金は幾らでもあるというようなことも聞くこともありますが、また予算ということになりますと、いつも初めは査定におきまして大きな棒を引かれるというのが毎年の例であるようでもございます。教科書無償が実施されました場合におきまして、教育のほかの重要な予算の面がこの影響を受けるというようなことがあってはならないと思うのであります。特に先刻も述べましたように、要保護、準要保護の家庭の子弟等、家庭に恵まれない児童、生徒のためには、さらに別途に、できる限り教育施策をしなければならないことは、今日のやはり緊急のことであろうと思うのであります。その他、高校急増対策を初めといたしまして、文教重点施策が教科書無償の制度によりまして影響を受けないように進まれることを特に終わりに望んでおく次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/49
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050・大矢正
○委員長(大矢正君) ありがとうございました。
次に、今井参考人にお願いをいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/50
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051・今井兼文
○参考人(今井兼文君) 今井でございます。教科書の供給業者として、教科書無償制度実施について意見を申し述べる機会を与えられましたことにつきまして、まずもってお礼を申し上げます。
私ども供給業者としては、教科書の無償制度に反対するものではありません。ただ、実施にあたって、その供給がいかなる方法で行なわれるか、多大な関心と不安を持っておるのであります。いかなる方法で実施されるかは、いずれ法案通過の暁、設置されます無償制度調査会において審議されるので、今からとやかく申し上げることはないようでありますけれども、すでに実施要綱として私どもが承っております点について、私ども供給業者の立場から若干意見と希望を申し述べさしていただきたいと思うのであります。
まず、私どもの不安を感じております点は、無償実施の際は、代金の支払いは国が直接発行者に対して行なうことになりますことであります。いわゆる中央決済の方法がとられるとなりますと、現地における需給の円滑を欠き、はたして完全供給が期待できるかどうかということであります。しかも、中央決済によって供給業者は教科書の配送のみで代金の取り扱いから離れるということは、あらゆる面で完全供給に支障を来たすものと思うのであります。完全供給のためには相当の予備本も必要といたします。したがって、相当の残本も避けることはできないのであります。無償制度実施の際、この残本がどう処理されるかということも重要な問題点となることだと思っておるのであります。完全供給のためには、従来どおり特約供給所が相当の予備本を自己の所有として保有し、現地で自由に必要に応じて供給することが大事であると思うのであります。これに反して、ただ指示されたものについて配送するがごとき機能では、完全供給は期待できぬと思うのであります。また、供給業者は従来の機構を利用するが、代金は供給業者の手を経ないので、したがって、供給手数料も若干縮減されることもやむを得ないであろうということであります。一応もっともな考え方のようであります。けれども、教科書の供給という特別な仕事の性格からして、必ずしもそうでないということに御理解をお願いしたいのであります。
その理由は、次に述べさせていただきますが、全国五千の供給業者は、ある県の調べによりますと、取次供給所個々の営業の平均五一%がこの教科書で占められておるのであります。特約供給所のマージンは四%で、取次供給所のマージンは一二%であります。座売りで、しかも供給責任のない、また年に四十八回転するたばこの小売マージンは九%、これに比較してみましても決して過当なものではないと考えております。教科書の供給は学校への持ち込み販売、山間僻地まで供給の責任を持つものであります。最近、人件費その他諸経費の高騰により、経営上次第に困難を感じておるのであります。けれども、三十七年度より定価の一四%引き上げによって実収もスライドして増加し、辛うじてこの困難を切り抜け得るものと存じております。小中学校の教科書代金が百六十億として、取次供給所が全国で約五千あります。一取次供給所平均年間の取扱高は約三百万円となります。この手数料は三十六万円で、月額三万円となります。この三百万円の売り上げをするには、小中学校を合わせて十校ぐらいとなります。この十校の学校に供給するには、家族のほかに店員一人ぐらいは必要とするのであります。そうすれば、月三万円の収入で決して楽ではないと言えると思います。たばこ小売店は年間二百万円ないし三百万円の売り上げは普通だと聞いておりますが、年間三百万円の売り上げに対しましては二十七万円の収入があります。教科書のほうは三百万円で、たばこに比較いたしまして九万円だけ多いのであります。しかるに、販売経費は比較になりません。したがって、もし手数料を縮減されるとなりますと、生活上非常に苦しい立場に陥るのであります。これが手数料縮減に困る第一の理由であります。また、代金を取り扱わぬといたしましても、児童、生徒あるいは学校に教科書を渡した際に、代金にかわる受取証を学校からいただき、さらに教育委員会の証明書をいただかなければなりません。この受取証並びに証明書の取り扱いは現金以上に手数を要するのであります。現金売りよりも掛け売りのほうがはるかに事務的に多くの手数を要することは明らかであります。これが、代金を取り扱わぬという理由で手数料を縮減されるのに困る第二の理由であります。また、もし今後供給業者は、指定されたとおり、一定の冊数を一定の所に届けるという輸送の責任を全うすればそれでよろしいというのであれば、はなはだ簡単でありますけれども、教科書の供給については、最も大切な完全供給の責任を持つとすれば、千有余の種類の教科書について、一冊の不足もないように供給を完了せねばならず、これは容易な仕事ではないのであります。これを、ただ単に輸送という考え方で手数料を縮減されますことは、著しく実情に沿わないものと存じます。もし私ども供給業者が、輸送の仕事にかわるということで手数料を縮減されるとしますならば、完全供給の責任はどこに負わされることになりますか。これは重大な問題であると思います。私どもは、輸送の責任だけでなく、供給責任をも当然持つべきものと信じております。したがって、手数料の縮減には納得のいかぬところであります。これが手数料縮減に困る第三の理由であります。
次に申し上げたいと思います問題点は、中央決済のことであります。文部省には、無償制度実施にあたっては、教科書代金は、先刻申し上げましたとおり、中央決済、すなわち中央において国から直ちに発行者に支払いをすると発表されております。私どもは、これに対し、地方決済、すなわち国から県または市町村に支出委任の方法を講じていただくことを要望するものであります。この支出委任の方法は、現在例はたくさんあると思います。これを言いかえれば、国は教科書を、発行者よりでなく、供給業者より買い上げていただきたいというのであります。これは一見、教科書の買い上げだけの面から見ますと、中央において一括買い上げが最も自然であり、また妥当なように感ぜられるのでありますけれども、教科書の特殊性から考えまして、地方決済を主張するものであります。価格は、発行者からでも、供給業者からでも同一でありまするから、供給業者から買い上げても差しつかえないと思います。米や麦と違って、千種類にも及ぶ教科書を、約一千八百万人の児童、生徒に渡さねばならない特殊性を持つ教科書、しかも山間僻地まで、一定の期間に一冊の不足もないように処理するには、現地で買い上げ並びに支払いが行なわれるのが最も迅速を期する制度であると思うのであります。その理由は、児童、生徒の実数把握は容易ならぬ仕事であります。需要冊数調査の時期と、四月の新学期までの期間には、団地の新設、工場誘致等の人口移動により、相当数の過不足を生じます。万一、一部の不足のためもらうことのできない児童、生徒があったとすれば、有償のときとは違って、その不平ははなはだしいものがあると思います。場合によっては、せっかく来ておる教科書でも、一部不足のため、その全部を渡すことは差し控えなければならないという事態さえも起こるのであります。また、年内絶えず転出入がある、これは児童生徒の約二・五%となっておりますが、その転出入のための補給も必要であります。また、例年各地に起こります風水火災による滅失教科書の補充等、有償、無償のものともに取り扱う必要があるのであります。この場合、現地で買い上げが行なわれるとすれば、すべて迅速なる処理ができるのであります。もし供給業者が輸送だけを担当するものとすれば、かかる場合、迅速なる供給はとうていできないと思うのであります。これが地方決済を希望する第一の理由であります。
次に、中央決済より地方決済のほうがはるかに手数を要するように一見思われるのでありますが、実際は全くこれと正反対であると思います。昭和二十六、七、八の三カ年、小学一年の国語、算数の二科目が無償配布されました際、二十七年と二十八年に中央決済が行なわれました。当時わずか二科目でありながら、文部省において、発行者から提出の納本冊数、金額と、地教委から集まってきた受領冊数、金額とが容易に符合せず、文部省は財務課の係官を地方に出張させて調査され、清算が十一月にも及んだという記録が教科書懇話会の歴史の一ページに記載されておるのであります。これはわずか二科目であって、なおかつこうした苦い経験があるのであります。まして、小学、中学全科目のものを中央一括処理ということになると、米何万俵といった取り扱いと違って、およそ数百万枚にも及ぶ領収書の照合整理は、おそらく延べ十万人あるいは二十万人の労力と時間を要すると思うのであります。その膨大なる事務量に対する経費たるや、実に莫大なるものがあると想像されます。十年前のわずか二科目の際においても、清算に当たって、どうしても合わないで、合わせてしまったものもあったと聞いておるのであります。これを現地で処理いたしまするならば、間違いも容易に発見され、その処理が中央決済よりはるかに簡素化されると思うのであります。これが地方決済を要望する第二の理由であります。また、地方決済であれば、供給業者は単なる輸送業務という観念でなく、マージンの問題もとやかくいわれる必要もなく、従来のとおり供給業者としての自負と責任を感じ、またその業務に愛情を持って専念することができるのが人情の自然であると思います。これが地方決済を要望する第三の点であります。
以上、いろいろの角度から申し上げましたが、要するに、第一の点は、供給業者並びにその従業員が生活を脅かされることのないようにお願いしたいということと、第二の問題として主張いたします地方決済も、要するに、完全供給を目的とするものでありまして、私ども六十年間完全供給を金科玉条として今日まで精進してきたのであります。たとえ無償配布が実施されました暁においても、私どもの手によって完全供給の実をあげ、無償配布の実施が、児童、生徒、父兄、さらに学校並びに一般社会から一そう喜ばれるよう尽くさせていただきたいとひたすら念願するものであります。
以上であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/51
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052・大矢正
○委員長(大矢正君) ありがとうございました。
次に、高坂参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/52
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053・高坂正顕
○参考人(高坂正顕君) 高坂でございます。私は今回の政府提出にかかる義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律案に賛成するものであります。次にその理由を二つに分けて申し上げたいと思います。
第一は、その趣旨あるいは基本精神についてであります。この点、おそらくどなたも御異論がないことだとは思いますけれども、完全実施になるべく早く踏み切っていただくということのために、現在の世界の情勢及びわが国における従来からの経過を思い起こしてみたいと思います。今日、世界のほとんどすべてのすぐれた国々が教科書の無償制度をとっております。アメリカがむろんそうでありますし、そのほかイギリスがそうであります。フランスもそうでありますし、ドイツもそうであります。デンマーク、スエーデンもまたそういうような形をとっております。むろんそのやり方につきましては、給与にするか、貸与にするかは問題があり、またそれぞれ違っておるところがあるようでありますけれども、無償にするという方針は、かなり多くの国々において採用されているのであります。わが国を見ますというと、いうまでもなく、日本国憲法は第二十六条におきまして、「義務教育は、これを無償とする。」という規定を持っております。そして従来からの経過を見てみますというと、この憲法の精神を生かそうとする努力が見られているのであります。たとえば昭和二十六年、二十七年及び二十八年におきまして、その一部の実施が試みられていたのであります。しかし、その実施をどのように行なったかということにつきましては、昭和二十六年のものを見ますというと、義務教育の理想のより広範囲な実現への試みとして行なう、つまり一つの試みとして行なうのでありますし、年限もこれは一年に限られておったわけであります。また、この試みを奨励するためだというようなことも言われているのであります。その点、これは不徹底であったと言われてよいと思います。次に、二十七年の法律では、根底におきましては義務教育無償の理念を含んでいるものでありますけれども、その趣旨としてうたわれておりますものは、児童の国民としての自覚を深めることに資するとともに、その前途を祝うということになっておりまして、いわば児童の入学をお祝いするというような意図がかなり強く出ているのであります。これらの試みは、ある意味においてはそれぞれけっこうな点があるのでありますけれども、おそらくは財政上の理由によるのかと思いますが、昭和二十九年以降中止されていたのであります。これはわれわれが残念に思っていることであります。ところが、今回提出されております法案では、その点が非常にはっきりとして参っているようであります。つまり第一条を見ますというと、「義務教育諸学校の教科用図書は、無償とする。」、非常に簡明な記載になっておりまして、憲法の精神を非常にはっきりと示しているわけであります。この憲法の精神によります無償とするということにつきましては、教育基本法及び学校教育法のうちにおいては、授業料をそれは徴収しないということがはっきりときめられているのでありまして、この授業料という点においては無償という理念は実現されているのでありますけれども、残念ながら、これは当時の日本の経済上の理由にもよると思いますけれども、図書の無償というようなことにまでは及んでいないのであります。また、先ほど木下参考人からの話にありましたように、給食の点においてもきわめて不満足な点があったと思うのであります。そのような点において、なおこの義務教育無償という理念は十分に徹底はしていないのでありますけれども、今回の法律案が、教科用図書を無償とするということをはっきりとうたっておりますのは非常にけっこうなことであり、従来と異なるところの意義のある点だと思います。このような理由で今回の法律案の趣旨、あるいは根本精神につきましては、全面的に賛成したいと思うものであります。第二は、これを実施する上の準備の手続についてであります。この法律案は、その第二条におきまして、「教科用図書を無償とする措置につき調査審議するため、文部省に、臨時義務教育教科用図書無償制度調査会を置く。」と規定しております。私はこのような調査会が設けられるということはけっこうだ、妥当だと思うのであります。たとえば、今後どのような年次計画、あるいはできるならば非常に早くそれを実行するためにはどうしたらよいか、あるいはまた私立学校においての図書の無償ということはどういうふうに取り扱ったらいいか、そういったような問題もいろいろ問題として出てくるのではないのかと思います。たとえば私立学校の場合におきますというと、私立の小学校等におきましては、授業料を徴収するということが許されております。このような点と、無料でもって図書を給与するということとの間の関係をどう見るかというようなことも、これは調査会のようなものでやはり調査していただくのが必要でもあり、適切でもあると思うのであります。まあ私自身の気持から申しますというと、国の、あるいは地方公共団体その他の学校といいますものが図書を無料で配布する以上は、私立学校に対してもそのような措置をとるのがデモクラチックな考え方に合致するとは思いますけれども、いろいろと検討を要する点がやはりあるのであろうということはいなめないと思うのであります。このような調査会を一年限りの、限時的に設けて、いろいろと検討をするという方法、そして、そのために三十七年度に二十人以内の委員によって、学識経験ある人を含めるわけでありますけれども、その意見を聞くというのが適切であろうと存じます。そして、その結論を三十七年十一月三十日までに文部大臣に答申するというのも、これも早いほうがあるいはいいのかと思いますけれども、大体ここら辺で妥当なことではなかろうかと思うのであります。これが手続に関する点でもって、この法案がこれでよかろう、妥当であろうと思う理由でございます。
以上の二つの理由をもちまして、私はこの法案に賛成したいと思うものでございます。
ただ、終わりにひとつ希望だけ申しますと、先ほど申したことでございますけれども、このせっかく無償ということに踏み切る以上は、調査会の結果を待たなければならないのでありますけれども、できるだけ早く完全実施に移っていただきたい、そのことを切に希望して、私の意見を終わらしていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/53
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054・大矢正
○委員長(大矢正君) ありがとうございました。
それでは、ただいま聴取いたしました参考人各位の御意見に対しまして質疑のおありの方は順次御発言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/54
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055・千葉千代世
○千葉千代世君 今井参考人にお尋ねいたしますけれども、ただいま述べられました御意見の中に、昭和二十六年、七年、八年に、小学校一年生について実施して、その場合に中央決済で非常に困った実例が述べられておったのですけれども、業者としては、結局、中央決済でなく地方決済の方向にしてほしい、こういうふうな御意見に伺ったのですが、そのとおりでございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/55
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056・今井兼文
○参考人(今井兼文君) さようでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/56
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057・千葉千代世
○千葉千代世君 それからその二十六、七、八年に実施した場合、いろいろな困難な点をあげられたのでありますけれども、この無償を取りやめた原因については、先般の文教委員会で文部大臣から政府の意向をただしたわけですけれども、業者の立場から見た場合に、やめた原因はどこにあったとお思いになりますのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/57
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058・今井兼文
○参考人(今井兼文君) われわれの立場から申し上げますと、政治的な面についてはよく存じないのでありますが、ただ供給者として事務的にいろいろ困難であったという面をわれわれはよく承知しているのであります。第一年の昭和二十六年は半額国庫負担、半額は地方自治体の負担であったのでありますが、その実施につきましては、市町村は必ずしもそれを歓迎しなかった、地方の負担が多くなるというので評判がよくなかったというのが実際だったようであります。われわれは代金を市町村から受け取ったのでありますが、その場合にも、国から市町村に渡ってくる時期、また、市町村から払い渡された時期等はかなりおくれまして、そういう面においていろいろ支障はあったのでありますが、いろいろなそうした関係から、第二年目の昭和二十七年には全額国庫負担ということになりまして、同時に中央決済ということになったのであります。その中央決済につきましては、先ほど申し上げましたように、非常にこれは集計、照合等で発行会社もかなり困られたということも聞いておるのでございます。二十七年と二十八年にはいろいろとそれを改善して様式等も改められましたが、やはりかなりの手数を要した。その辺にも、もしこのたび実施されるとしますれば、相当、過去の経験等を御調査願いまして、再びそういうことの繰り返しのないようにお願いしたい。それには地方決済という方法が一番妥当であろう、こう思うわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/58
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059・千葉千代世
○千葉千代世君 今まで配送事務と、それから代金の回収、この二つをやっておったわけですね。そうすると、今度は代金回収は中央より直接支払うから配送事務だけになる。それで手数料を減らすと、こういうことでしょうか。聞き違っておりますといけませんので、念のため伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/59
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060・今井兼文
○参考人(今井兼文君) 一応われわれが今日まで耳にしておりますのは、そういうような意見が多いようであります。それにつきまして、教科書という特殊な扱い方という面からしまして、代金を取り扱わなくても、その一つ一つにやはり学校の受け取り、教育委員会の証明書といったようなものを処理しなければならないということになると、現金の取り扱い以上に手数を要するという点におきまして、一般に考えられる代金の取り扱いをしないから、配送だけでありますから安くなってもいいだろう、これは一応常識で考えられると思います。その考え方ももっともだと思いますけれども、教科書につきましてはそういう考え方が当たらない、先ほど申し上げましたように、ただ指定されたものを指定されたところに送れば済むという運送店のような仕事であれば、われわれもそれは納得いたしますが、しかし、それでなくてやはり完全な供給——指示された数だけでなくて、現地において必要という場合には直ちに学校のそういう要望にこたえて、現地の業者が一日も早く間に合わしていくということのためには、やはり業者は自己の商品として手に持って、直ちにそこから買い上げていただくというような操作が実際的である、こう考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/60
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061・千葉千代世
○千葉千代世君 さらにお尋ねいたしますけれども、国から県、それから地方と、いわゆる支出委任にしてもらえればたいへん都合がいいという御意見でございますけれども、それはいわゆる地方決済でございますね。そうすると、地方決済にすれば、今までの手数料の率で生活が保障できるというのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/61
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062・今井兼文
○参考人(今井兼文君) そのとおりでございます。そうしますと、従来、長年われわれがこの業務に当たってきた、品物の流れ、代金の流れというものが変革を来たさない、したがって、すべての点が円滑に運ぶ、こう信じておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/62
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063・千葉千代世
○千葉千代世君 先ほどお述べになった御意見の中に、全国五千カ所の業者がおる。一校当たりに大体三百六十万円くらい、そうすると、手数料が三十六万円、月にすると三万円で、家族とそのほかに一人ぐらい雇わなければやっていけない、こういうようなお話でございましたのですね。そうすると、中央決済になりました場合には、手数料が縮小されていきますね、そうすると、生活は立っていかないわけですか。その点ちょっと御説明いただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/63
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064・今井兼文
○参考人(今井兼文君) 中央決済になれば縮減されるということが一応伝えられておるのでありますけれども、その点についてはわれわれは納得がいかない、完全供給の面から見ましても、その他の理由においても、教科書という特殊な性格においてそれは妥当でないが、実際に完全供給を行なう上におきましては、地方決済ということは、要するに、われわれ業者から買い上げていただくということでありまして、したがって、その商品は供給業者の手元へ保管されておるのだ、必要な場所に現物が置いてあるということが直ちに円滑な供給が実施できるということで、地方決済をお願いしておるのと同時に、その代金の取り扱いから離れないということにおいて、従来の供給業者の仕事の実態というものが存続するということにおいて、その点はやはり主張しておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/64
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065・千葉千代世
○千葉千代世君 それから災害が発生した場合にたいへんお困りのように伺ったのですが、たとえば先年、伊勢湾台風がございまして、教科書が全部流されてしまって非常に困った。そういう場合には中央決済ですと手持ちがないわけでしょう。それですぐ急に間に合わして送ることができない。あのときには災害立法で非常の処置をしたわけですけれども、そんな場合にはこれは全然余裕も何にも一つもない。ただ機械的にそれをやるだけという、非常に無責任な形になるわけですね。その責任は中央がしょって、それが円滑にすぐ送れるような手配が中央でできない限りは、これはまずいわけなんですね。その点についてちょっと御意見を伺いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/65
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066・今井兼文
○参考人(今井兼文君) その点につきましては、ほとんど毎年いろいろな災害があるのでありますが、ことに先ほどお話しの伊勢湾台風の際のごときは、最も現地の教科書供給業者が教科書の補給ということに犠牲的に活動したと、愛知県知事からもその県の教科書供給業者は感謝状もいただいております。これは、ただ輸送をあずかる立場における業者であればそこまでいかないのでありますが、やはり完全供給という責任を持たされておる、しかもまた、手元には自分の在庫があるんだということにおきまして、とりあえず、あるものは直ちに補給し、ないものはさっそく発行会社のほうに連絡し、昼夜を分かたずトラックで東京から積み出し、あるいは道路がこわれておるときには、船ででも運ぶといった非常な措置をとりまして、そういう災害時においては、業者として、児童の精神安定の上からも一日も早くということで今日まで来ておりますが、われわれ供給業者もこれは大きな責任でもありますが、また、かなりこの点は一般から認められておる事実であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/66
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067・千葉千代世
○千葉千代世君 今井参考人に対する質問を終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/67
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068・田中啓一
○田中啓一君 私は、木下先生、それから高坂先生にお伺いしたいと思うんですが、まず木下先生のほうには、先ほどお述べになりましたうちに、憲法のいわゆる義務教育無償という大理想の実現については、授業料はもちろんまず第一だ、それはとっくに実現されておる。第二は教科書だ、その次は学校給食が望ましいと、こういうお話でございました。その授業料の次、教科書ということは、むろんもう今日すでに教科書が始まっているところですが、その次に位するものは、ぜひ学校給食をやりたい、そこらの理由と申しますか、御意見の根拠というようなものを、木下先生からも高坂先生からもお伺いしたい、こういうことでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/68
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069・木下一雄
○参考人(木下一雄君) 教科書を無償にするということにつきましては、先ほど申し上げましたとおりでございますが、学校給食というものが、すでにわが国の義務教育におきましては教育の中の一環の仕事として考えられておるのでございまして、単に学校で食を給するということだけでなく、学校教育の中の大事な部分として、また家庭の中にもすでに学校給食ということは入っておるのでございまして、しかも、このことは児童、生徒の栄養ということに直接関係があるのであります。戦後、非常に物資の豊かでない時分におきましては、さような点から考慮せられたのでございますが、今日におきましては、さらに、児童の栄養ばかりでなく、進んで、将来わが国の国民の食生活の改善というような面からいたしましても、学校給食の中には大きな目的が入っておるのであります。また、学校給食を通じまして、児童、生徒のいろいろの面からの教育の内容におきまして指導の面があると思うのでございます。さような点からいたしまして、学校給食は全面的に国がその費用を負担すべきであるということは、教科書が無償になりますということが一つの理想の実現でありといたしますれば、直接国民の栄養にも関係することでありますし、先ほども、これが貧富を問わず、日本の児童、生徒には教育的価値があるものであるということを申し述べましたのでありまして、ぜひ学校給食も、さような法律案でも出ますれば、まことに私どもは日本の教育のために喜ばしいことだと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/69
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070・高坂正顕
○参考人(高坂正顕君) 学校給食が非常に望ましいということは、いろいろな点から言えると思うのでございますけれども、一つは経済上の理由から確かにそれは言えると思うのでございます。相当生活に詰まっている御家庭、そういうところで、子供さんのための給食をどうするか、お昼の弁当をどう持たしてやるかということは、相当頭痛の種になるところもあると思いますし、また、お母さんが勤めに出たりなんかすると、たいへん負担にもなると思います。それに対しまして、給食といいますことが国家によってその大部分を負担してもらいますというと、これはよほどその点楽になると思われます。
次に、今、社会的とでもいいますか、同じようなことでございますけれども、これは前に木下参考人からの意見にあったことでありまするが、富裕な家庭といいますものも、この給食の場面におきましては、一般の、むしろ経済的に困っている家庭の子供さんたちと同じものを一緒に食べる。これは私、たいへんお互いの間の結びつきといいますか、親和の気持を強めていく、これは事実子供の給食の時間においでになられてごらんになるとすぐわかりますけれども、きょうの給食がおいしいかどうかと聞くというと、子供たちはおいしいとか、やれ、これがちょっとまずいとか、実になごやかなものであります。また、衛生的な面から言いましても、これは現在の設備ですというと、相当不備の点があるのでありますけれども、国家が相当な腹を据えてやってくれますというと、設備も非常によくなりますし、内容もよくなっていく、私はいいだろうと思うのであります。終わりに、教育的に非常に重要な点は、これは食事の間のマナーとでもいいますか、そういったような点で教育的な効果は相当あると思います。アメリカの場合なんかを見ますというと、子供が当番でもってきちんきちんとそれを運んでやり、また片づける。そしてその間の責任は子供が持つと同時に、適当に先生がそれを指導するというようなことで、食事の上でも、まあしつけと言ったらあれかもしれませんけれども、あまり不作法でないような、お互いに気持よく食事ができるような習慣を養うこともできますし、私どももいろいろの点でけっこうじゃないかと思います。つまり、教科書のほかには学用品などというものをやはり無償にするということも、これは考えられなくもありせんけれども、教科書の場合は、これは文部大臣が認めた教科書を使う義務があるのでありますけれども、どういう学用品を使うかということは、別に義務づけられていませんので、それまで無償にしなくちゃならない理由はありませんから、したがって、順序からいいますというと、教科書の次には給食というふうに考えているわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/70
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071・岩間正男
○岩間正男君 三、四点お伺いしたいのですが、この法案の一番うたっておるのは、義務教育の無償の理想を実現する端緒としてやる、こういうことですね。この問題について木下参考人、高坂参考人の御意見を伺いたい。
まず、義務教育の無償の前に、日本の教育という中の基礎的な問題として、すし詰め学級の問題、これは非常に大きな問題じゃないかと思います。こういう問題が非常に未解決ですね。こういう問題と、今度の教科書だけを取り上げたという関連ですね。これが一つ。それから第二に、二十六条の無償を実現する、こういう点でいろいろ話がありました。給食とか、そのほかに学用品まではどうだかという高坂参考人の御意見もありましたけれども、実際、二十六条の精神を完全に実現するということになったら、大体どの範囲くらいまで、これを行なうべきか、これについての希望、その点をまず先にお伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/71
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072・木下一雄
○参考人(木下一雄君) すし詰め学級の問題がまだ解消していないという御質問でございます。元来、すし詰め学級といいますのは、非常に運命的に日本の教育におきましては引き続いて行なわれてきたものでありまして、私が今から約五十年ほど前、小学校の教員をいたしておりましたそのときの教え子が、いまだにクラス会などを開きますが、つい、せんだっても、そのクラス会のときに、私が当時担任いたしました学級の全部の名前、もちろんその中には死んだ子もたくさんありましたが、全部の名前を記録して持って参りました。そのときに私が担任いたしました児童数は実に一学級七十四名でございます。というような、このすし詰め学級の教育というものは、もう明治の終わりごろからずっとつい先年まで、これは日本の教育者は全くそういうものだと思ってきておったのであります。私がかつて学芸大学の学長をしておりました時分に、たくさんの師範学校の卒業生が訪問して参ります。そのとき、君らの一学級担任の児童というものは何人くらいであるかということを聞きますと、たいてい皆六十人こえたようなことを返事いたします。これはまことに、私ども日本の初等教育者はその負担に甘んじて指導して参ったのでありまして、少なくともその当時まではすし詰め学級の教育をやっておったのでありますけれども、すし詰め学級が問題にされなかったというのが、私のこの見方でございますが、初めて先般、教育委員会の制度が改正になりまして、教育委員会の委員がすべて任命制になりました。その第一回の全国の教育委員長の協議を持ちました会がございました。そのときの大臣は、清瀬文部大臣でおいでになりました。その当時、清瀬文部大臣は、道徳教育を大いに進めなければいかぬ、できるだけ全国の教育委員長におかれては、その点に力を尽くしてもらいたいという御希望がございました。そのとき私は、かねて日本の小学校の教育がすし詰め学級であるにかかわりませず、それにつきましては、すでにそういうものだというふうに考えておりますことにつきまして、教育委員になります前から、そのことは何とか早く解決をすべきであるというふうに考えておりました。たまたま東京で私が委員をしておりましたものでありますから、私が全体の委員を代表いたしまして大臣にお願いを申し上げたことがございます。それは一学級の児童、生徒数が六十人以上であります学校、やがて過大学校というようなものの現状では、道徳教育を行なうということは非常に困難がありますから、ぜひ過大学校でありますとか、あるいはさような一学級児童数が非常に多いというこの問題を、大臣におかれましては、ぜひひとつこれについての御処置をお願いしたい、そうすれば、道徳教育はおのずから行きわたるところまで行きわたりましょう。こういう御意見を申し上げたのであります。当時、朝日新聞はそのことを取り上げまして、そうしてこれを問題にいたしました。その後、日本教育学会がこの問題を取り上げ、さらに日教組等があるからこの問題を取り上げるようになりましたのが、今日すし詰め学級の問題の歴史であります。さような経過をとっておりますすし結め学級に対しまして、政府におかれましては、学校教育のことにつきましては、すでに五カ年計画をもちまして、この解消のために学校の適正規模の問題でありますとか、あるいは学級に対する教員の定数の問題でありますとか、五年計画をもちまして、この解消に努力させておりまして、私どもの見るところにおきましては、このすし詰め学級の解消の問題は、すでに児童数が、いつになりましてどのくらいの児童数であるかということは見込みがついておりますので、私は今日、小学校教育におきましては、このすし詰め学級という問題は、一方におきまして、文教施設の拡充ということにつきましても、予算措置がとられておりますので、これは、私は局部的にはまだすし詰め学級はございましょう。たとえば東京のごとき、中央、千代田、ああいうところにおきましては過小学級であります。しかしながら、部分的には東京都といえどもすし詰め学級はありましょう、しかし、これは部分的な問題でございます。したがって、この問題の解決につきましては、さような措置で私は今後取り扱っていいと思うのであります。現在、問題でありますのは、この中等学校から高等学校急増対策の問題でありまして、ただいま御質問になりましたすし詰め学級のことにつきましては、私はある程度もうすでに解消の道がとられていると思うのでございます。それから次の第二の御質問でございますが、教科書の無償と学校給食のほかにということでございますが、今日の国の財政能力のほうから言いまして、学校給食でさえもなかなか、先ほど申し上げましたとおりの次第でございますので、私は現在におきましては、少なくとも教科書と学校給食、それ以外におきましては、まだ頭に浮かんでいるものがございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/72
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073・大矢正
○委員長(大矢正君) 参考人各位におきましては、せっかく御出席をいただいて、私からかようなことを申し上げるのは、はなはだ恐縮でございますが、当委員会の日程もございますので、できる限り答弁を簡潔にお願いいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/73
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074・高坂正顕
○参考人(高坂正顕君) あとのほうから申し上げます。範囲のほうから申し上げますが、私はできたら学校におけるいろいろな衛生設備その他を十分に充実さしていただくということを、これは国家の手でもって考えていただくことができないか、もっとも、これはほかのいろいろの法律と関係があって、あるいは学校のほうでやるのがいいかどうか知りませんけれども、学校衛生の点を一つ考えていただいたらどうか。次は、すし詰め教室の点でありますけれども、今年度がこれでもって大体小学校のほうではそのピークを越して参ります。あとしばらくは減少して参りますけれども、これに対しまして教員の数を減らすということをしないでやっていくならば、すし詰め教室なるものはだんだん解消するんじゃないだろうか。それでまた事実、先ほどの五カ年計画といいますものの具体的な内容を私存じませんけれども、多分そうしたような線に沿うているんじゃないかと思います。それで、具体的にはどのくらいが適当かということは国によってずいぶん違います。大体まあ四十ぐらいまでのところで日本とすればいいのじゃないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/74
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075・岩間正男
○岩間正男君 まあ、ここで御意見をお伺いするのでありますから、意見にわたることは差し控えたいと思います。それは、七十四人で教育にタッチされた木下先生から見られると、現状の小学校五十六人とか、中学校五十四人、高等学校は五十五人になりますから、そういう点については解消されたと、こうごらんになっていらっしゃるが、実は違うのじゃないですか、この点は。この辺は議論にわたりますからやめますけれども、基本的にはまだ解決されていない。これは、この前、予算委員会でも南原参考人に出席を願って、そのときに世界の情勢、一学級の生徒数について意見を述べられました。これはまあ現状を言われましたが、今あなたたちがあげられた先進国だという国ですね、こういうところでは三十人。今、高坂参考人からも四十人というお話がございましたが、かりに四十人にするとしたらたいへんだと思いますね。こういう基本的な問題を解決しないでおいて、さて教科書の問題、こういうふうに入ってきているわけです。そうすると、これはちょっと本末転倒になりませんか、日本の教育行政。その点どういうふうに一体基本的に、ことに東京都の教育委員会の委員長というような重職にあられる木下参考人には特にこの点をお伺いしておきたい。これは日本の根本的な問題です。すし詰め学級の問題についてはあなたの今お話がございましたが、実は終戦後、全国の教員が非常にこの問題を大きな問題にした。この運動から発足しておることは事実です。五十万の教員が大問題にしている。つまり、戦前の教育は大量生産の、むしろ軍国主義教育ですからね。これを解消するには、民主教育を徹底させるには、少なくとも三十人にしなければならぬというのは、当時の教育科学的に見たって当然の帰結である。これは運動の大きな焦点だ、基本的な問題です。今のような問題が解消されて教科書だという形になりますと、ここのところは非常に問題のある点だと思います。で、先ほどこれに関連しまして大臣に……、高坂参考人のお話でこの先進国をあげられましたが、たいてい今言ったような児童数の問題は解決しているところで教科書の無償、これに入っているんだ。日本のように、まだとにかくすし詰めの問題が重大な問題になっている中で、教科書の問題を取り上げるという形にはなっていないんだ。この点どうお考えになるか。もう一つその次にお聞きしたいのは、学力テストとの関係です。学力テストをやり出したので参考書がべらぼうに市場にはんらんしておる。そのための父兄負担というのは、教科書無償どころの話じゃありません。事実私はそういう話を耳がタコになるほど聞いている。そうすると、一方で教科書無償をやった、しかし学力テストを今後強行すると、こういう態勢の中では、父兄負担の軽減などということ、つまり義務教育無償の端緒を開くなどということは事実不可能だと、こういうふうに考えるのでありますが、この関連をどうお考えになりますか、第二点としてお聞きします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/75
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076・木下一雄
○参考人(木下一雄君) 一学級の児童、生徒の数ということで教育をいろいろ問題とするのでございますが、これは予算措置等におきましては、やはり四十五人とか、あるいは五十人とか、五十五人とか、平均で出すのでございますけれども、私どもは一学級のそれぞれ各管下におきましての学校の教育を考えますときには、これは平均の問題ではない、一つ一つの学校の一学級々々々の問題でございまして、この一学級の生徒、児童数を平均で考えるということは、教育の面から申しましては実際には非常に縁の遠いことになってくると思うのであります。私どもは一学級一学級の平均でなく問題として考えております。それからわが国の思想で、一学級の生徒というものは少なければ少ないほどいいのだというようなことを考えている向きもございますけれども、ある程度やはり学級としての指導を考えます場合には、三十人以下とか、アメリカとか、ああいうような国々の非常に少ないところの一学級の生徒、児童数を持っている学校が必ずしも私は教育的にうらやましいと思っておらぬ。やはり四十人とか、三十五人とか、適正な学級のこの生徒数があることによりまして、学級生活の能率、教育的な能率が上がってくると思うのであります。間々、学者によりましては、一学級のアメリカその他非常に少ない例をあげまして、これで教育が徹底するものというような解釈をいたしている者もあるようでありますけれども、私は必ずしもそれには賛成いたしておりません。
それから次に、第二の問題といたしまして、学力テストにつきまして参考書云々の御質問がございました。実はこの学力テストと学力調査と概念の混同が非常に私はありますことが、今日この学力調査に対しましての批判が起こってきているもとではないかと思うのでございます。これにつきましては、もとより文部省におかれまして、学力調査の趣旨というものをはっきりともっとよく理解するように、これは文部省におきまして、さらに今年以後も続いて中学校においても全体調査をするのでございますので、小学校におきましては抽出調査もされますけれども、この点は、学力調査と学力テストの概念の混同をしないように、ひとつ御指導をはっきりと文部省にもお願いするのであります。新聞等のあるいは報道機関等におきまして、よくこれを学力テストをいたしまして問題が起こるのであります。なぜかと申しますと、学力テストというものは個人々々の学力を見るものであります。ところが文部省で行なうところの学力調査は、個人々々の点数がいかにあるかということを、個人を対象として問題にしているものではございません。それが誤り伝えられまして、個人を対象とするいわゆるテスト、テストと申しますのは個人を対象といたします。したがって、学校の児童にまたこの調査をするにいたしましても、一人々々の生徒の点がどうであるか、こうであるかというようなことを心配いたしまして学力テストをいたしますから、参考書などが盛んに売れてくると、こういうことになってくるのであります。これは結果といたしましては、参考書がたくさん売れたり何かすることは、確かにこれはよくないことだと思うのでありますが、これはテストではないのである、学力調査であるという概念をはっきりいたしますれば、個人々々のためのこの手引きでありますとか、参考書がたくさん売れるというようなことはもちろん、学校においてさような子供に対する指導が未然に防げると思うのでございます。これはもしそうであったとするならば、今後における学力調査のやり方につきまして、十分ひとつ文部省におかれましても概念の混同を避けて、そうしてさような指導書や参考書などの売れない——買っても値打がないのだというふうに指導していただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/76
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077・高坂正顕
○参考人(高坂正顕君) これもお尋ねのあとのほうから申し上げますが、今テストをやるから参考書がしきりに出されるというお話でございますが、あるいはそうした問題あるかもしれませんけれども、むしろ問題は、私は参考書の点から言いますというと、入学試験のほうがおもなる問題になるのじゃないかというふうに思っております。なお、テストの理解につきましては、あるいは木下参考人の調査と区別ということは重要な点だと思います。
最初のほうの点でございますけれども、教科書の無償を規定しておりますところは新しい新興国の中にも相当ございます。しかしこの場合には、あまりすし詰め教室のような問題は起こっておりません。なぜかと申しますと、ここら辺では義務教育というもの自身が十分に行なわれない程度で、生徒を集めるのに骨を折っているという実情でございますから、ここでも問題はございません。私は、先ほど申しましたような形でこの問題は解決すべきだと、こう思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/77
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078・岩間正男
○岩間正男君 私だけ時間をとって恐縮ですから、どうぞ私の質問について要点をお答えいただきたいんです。御高説はいずれ拝聴する機会もあとであると思いますから、どうぞそういうふうにひとつお願いしたい。
先ほどの児童数だけで教育の質がきめられないという御意見がございましたけれども、これは修身科なんかはなるほど多くたってできると思いますが、今、政府で推進している技術教育一つ見ましても、五十人、六十人ではできないんではないかと考えられますので、こういう点なんかはずいぶん問題はあると思いますが、ここでは議論にわたりますからこれはやめます。
もう一つ最後にお聞きしたいのは、今度のねらいについて、これはもう世の中で、この無償法案を出したことについていろいろなことが言われておる。二つの問題がはっきり言われておるわけですね。一つは参議院対策だ、つまり教育の基礎問題はたくさんあるわけでしょう。今のすし詰め学級の問題、大衆負担の軽減の問題で、この前、私は十一年前の教科書法案のときに聞いたことがあります。そのときの初等中等局長、ここにいる辻田さんが、少なくとも無償の問題だったら、今の教科書、学用品、それから児童の給食、交通費、雨がさ、ゴムぐつ、こういうようなものまで、ほんとうの無償の精神を貫徹するならどうか、そのときそういう答弁をされている。それからずっと変わりまして、授業料を取らないことだけで無償だ、こういうような珍妙な解釈まで行なわれ、最近それがいつの間にか、参議院選挙を前にしてだろうけれども、今度無償ということになってきたんですね。もう一つ言われているのは、明らかにこれは国定化のねらいだ、この二つは、これは国民の間で非常に疑惑を持ってこの法案の提出に対して言われていることなんです。これについて明確にやはり答える必要があると思うんです。参考人のあなたたちには、これはあるいは御無理かもしれませんけれども、このようなことは耳にされていられると思う。したがいまして、この際このような国民の疑惑に対してどういうお考えを持っておられるか。もう一度申し上げますと、この法案提出のねらいは参議院対策だ、今までの十一年前のあれを見ましても、つまり基礎がきまらないで、バラックを建ててネオンサインをつけるようなやり方、こういうようなやり方、もう二年もおくれると、のどもとを過ぎると熱さを忘れてしまうというようなやり方になってはまずいですから。もう一つは、せっかく出してくれるのが国定化だというようなことでは国民は納得できない。これは国民が非常に心配している問題です。これについては、当委員会としては、はっきりこれについては努力しなければならぬと考えている。したがって、参考人の今御意見を御両所からお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/78
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079・高坂正顕
○参考人(高坂正顕君) 国定化をねらうんではないかという疑惑が一部にあることは私も存じております。しかし、この場合は国定化の前段階として、その予備的なことをねらっているものだと私は解釈しております。また、そうなる必然性もなかろうと私は思っております。
次に、参議院選挙対策かどうかとおっしゃっているのでありますが、これはどうも私にはお答えする材料がさっぱりありませんから、これはかんべんさしていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/79
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080・木下一雄
○参考人(木下一雄君) 国定になるとかというようないろいろ御懸念をお持ちになられる方もおありかもわかりませんが、私どもは直ちにこのことに連絡するのは少し無理じゃないかと、こういうふうに考えております。結びつければ幾らでも何でも結びつきますけれども、私は教科書無償というとこだけについて、ぜひこれを成り立たせたい、こういうことだけ考えております。
参議院対策ということは、私も政治ということにあまり内容を存じておりませんので、その内側のことは何も存じませんから。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/80
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081・米田勲
○米田勲君 時間が相当経過しておりますので、簡単にお尋ねをいたしますが、高坂先生に伺います。
先ほど御意見をお聞きいたしますと、この政府の提出している法案には御賛成のようであります。私たち社会党は、この政府の法案は羊頭狗肉の法案だと批判しているわけです。したがって、社会党としては、衆議院のほうに、教科書を無償にするという考えで法案を出すならば、このような法案を作らなければならないのだという模範を示すために提案をしました。しかし、少数で否決をされて、この法案は衆議院でつぶされたわけです。私は賛成をなさる先生に端的にお聞きしたいんですが、この法案を見ますと、義務教育における教科書を無償とするというスローガンは確かにうたっております。しかし、実施のための具体的な方策というものは、この法案のどこにも具体性をもって表わされてはおらない。そして、この法案はあげて調査会を設置して研究するんだ、答申をもらうのだということだけに力を入れている法案に見られるわけです。もちは絵としてかかれているけれども、一体食べられるもちが大体どのようにして作られて、生徒が食べることができるのかということは一切不明なわけです。ところが、当初この法案を発議した文部省の中には、相当具体性を持った法案を検討準備したことをわれわれ知っている。それが、政府与党の中でさまざまに論議をされているうちに、いつの間にか大事なところはみな骨抜きになって、われわれが批判するような羊頭狗肉の法案としてここに現出しておるわけです。私は、先生がこの法案を見られ、どうしてこういう姿に変わって出てきたのかということをお考えにならなかったかどうか、このことをお聞きさしたいのですよ。なぜかといいますと、かつて保守党の手によって教科書無償の政策をやるんだといって大々的に宣伝されて、確かに実施をされました。小学校の一年生に算数と国語の本を一本だけ無償で与えて、あとは終わり。こういう過去の実績を私たちは知っておるから、なおさらにこの法案を見て強く批判をしておるわけなんであります。先生はそれに御懸念がないのかどうか、全く双手をあげてこの法案に賛成をしておられるのかどうか、その点を簡単にお伺いをしたいわけです。
それから、岩間君が先ほど質問しておりましたことに関連するのですが、日本の教育政策を進めていく場合、特にこの場合、義務教育として限定して考えてみますと、ほんとうに義務教育を充実させ、その教育を振興させるのには幾多の手だてが必要なんです。その条件を整備するために幾多の施策が必要だ、それらの施策は、私に言わせると、総合的に並行して充実させていくのでなかったら、日本の義務教育の充実ということは期しがたい。一つのことがよいからといって、そのことを飛び抜けてやって、他の条件はいつ整備されるかわからないというようなことでは、義務教育を完全に充実していくということを国民が期待できないわけなんです。この教科書無償ということは、いろいろな考え方があって出てきていると思いますが、一つには父兄の負担をなくして国で責任をもって教科書を買って上げよう、こういう考えや、一年生が学校に入る、また上級に進学する子供に教科書を無償で国が与えて激励をするといったような意味もあるでしょう。しかし、考えてみますと、日本の現在の経済はきわめて高度に成長をしたと政府は言っておる。そして経済の高度成長政策をうたって、それが現在はいろいろ困ったことになっておりますけれども、その批判は別にして、そういうことを一方にうたっておる。それなのに、終戦後十数年を経て、今日の義務教育の現状は一体どうなっておるかということを私は言いたいわけなんです。教員の定数を充実しなければならないということも、これは多年いわれておるが、それもまだ先進諸国に比べてきわめて劣悪な条件にある。事務職員や養護職員を各学校に置かなければならぬということを法律でうたいながら、逃げ道があるものだから、それを利用して、いつまでたってもこのことが必置されるようなことが行なわれないまま今日に及んでおる。先ほどすし詰め教室の問題が出ましたが、これは現在もなおすし詰め教室、文部省のいうすし詰め教室解消というのは五〇名以下にするときのことをいっておるのですが、私は五十名でも、先進諸国の実態を見て考えるのですが、まだすし詰めだと考えておるのです。文部省と見解が違うわけです。そして、このすし詰め教室は、文部省の計画では去年足踏みしましたので、三十八年度でようやく五十人に編制を下げていく。これが四十人なり、三十五人になる日は一体百年もかかるのではないかと思うわけです。こういうことが一方にある。それから学校の施設、設備、これも義務教育を充実させるためには、今のような状態のまま一体いつまでほうっておくのかと言いたいわけです。先ほどの午前の審議にも、高校生の急増対策についても、文部大臣はうまいこと答弁をしておりますが、おそらく私は地方の自治体の経済実態からいえば、これはとんでもない状態になる、今の政府の施策では。そういうこともかかえておる。そして今PTA会費の高いこと、学校の教育のために必要なものをPTAがかわって会費を出して買っておる。そのPTA会費だって巨額の金になっておるわけですよ。何百億という負担をPTA会費として負担しておるわけです。こういう父兄の教育に対する負担が一方にはものすごく膨大に放置されておる。給食費の話なども、みんなが望む給食費などは、いつの日にか実現するであろうと言いたいわけです。こういうようなもろもろのことを考えてみると、一つの問題が正しいことだから、いいことだからといって、それだけ打ち出しておいて、他の条件整備を怠たっておるということは、きびしく私は批判されなければならない。この法案に賛成するよりも、むしろこの法案を出された機会にそういうことを国民が批判すべきではないか、こういうふうに私は感ずるのですが、先生の端的なお考えはどうかということをお尋ねしたいのです。
それからこの間、文部大臣に聞きましたところが、教科書の検定制度や採択制度、それから現在の供給機構等は、これを改悪するようなことはしないと言っております。しかし、この義務教育無償の法案をやがて実施していった過程で、あるいは調査会の検討で教科書の検定制度や採択制度、供給機構等の現在のあり方について、これはやはり抜本的に改正すべきであるという御見解をお持ちになっておるかどうか、これらの点について、簡単でけっこうでございますが、お伺いをいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/81
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082・高坂正顕
○参考人(高坂正顕君) ただいまのお尋ねは三つくらいになるかと思うのでございます。第一は、教科書を無償でもって給与するというけれども、その実態がどうもはっきりしないではないか。しかし私はそれほどぼんやりもしていないと思うのでございます。といいますのは、とにかく三十八年度から第一学年には手をつけていくということ、それからあとは先ほど私たちも要求しておりますようなふうに、なるべく早く全面的な実施に持っていけるようなふうに努力してもらいたい。これが、まあ調査会のほうでそういうふうになれば、そうしてそれを文部省が認める、また議会で多分いろいろな手続の上のことを決定になれば、これは実現されるのではないか。また、教科書はどんな教科書を使うのかということにつきましても、これは大体現在のとおりのやり方でよかろうかと思いますから、どういう教科書を使い、いつからやるかというたぐいのことはほぼいい、ただ、そこに無償ということがつけ加わってくるだけで、この点は私は大体見当がつくのではないかと思っております。
第二の点は、ほかにもしなければならぬことがたくさんあるじゃないか。すべてを総合的に並立的に行なえという御議論で、私もそれができれば非常にけっこうだと思うのでございますけれども、どれか一つやるにしても、これは莫大な経費を要する。そうするとその中からどれをまず先に選んでいくかということできまってくることになると思いますので、まあ一応最初には授業料を取らないというところ、それからその次には教科書の無償、そしてその次には先ほどの給食というようなことで、その次に例のすし詰め学級、しかし、私はこれはできたら第三のところあたりと一緒にしていただければ、これはなおけっこうだと思いますけれども、そこら辺の財政的なやりくりのことは私はわかりませんが、できたらそういうふうにしていただきたい、そう思うのであります。つまり、ほかにもなすべきことがたくさんあるということは、おっしゃるとおりだと思います。しかし、順序からいえば、これは決して間違ってはいないだろうと、こう思うわけであります。なお、教員の定数の問題、やはりすし詰め学級の問題と関係いたしますが、しかし、これは大体第二の点と一緒になりますから、以上の二つでお答えにはなるかと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/82
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083・片岡文重
○片岡文重君 最初に今井参考人に一つお聞きいたします。それは先ほどいろいろ御意見を伺っておりますと、多分に将来に対する無償供給されるであろうところの教科書の取り扱いについて、将来の条件保護といいますか、既得の条件をはたして保護できるかどうかという点に多分に不安をお持ちになっておられるようですが、万一、今日御希望になっておられるような諸条件が確保できなかった場合に、業界としてはどういうふうにお考えになっておられるか、まだそこまでは考えておられないかと存じますけれども、御要望の点については、全部が全部御期待に沿い得るとも私どもには考えられませんので、御期待の点が実現するように私どもとしては努力をいたしましはうけれども、万一できなかった場合に、業界としてどういう態度をおとりになるのか、これを今井参考人にひとつお尋ねしておく次第であります。それからさらに木下、高坂両参考人にも御質問を申し上げたいのですが、御答弁をいただいてから……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/83
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084・今井兼文
○参考人(今井兼文君) お答えいたします。もとよりわれわれは、従来の営業を確保していきたいというのが業者の全部の念願であります。しかし、ただ一方的にわれわれの都合のみを言うものではありません。先ほども申し上げましたとおり、完全供給という面から考えまして、われわれが申し上げていることは、けっして相反するものではない。われわれがお願いし、要望していることは、直ちに完全供給につながることでありますので、裏返せば完全供給であるものを、完全供給するためには、従来の機構というものを利用していただくということが最も経済的であり、能率的である、こう信じておりますので、伝えられておりますごとく、ただ輸送だけの仕事になれば、手数料が減るであろうこと自体に、大きな実態についての御理解がない。これはやはりわれわれといたしましては、そういう教科書の供給という特殊な性格というものについて、極力理解をしていただくという努力をすることが完全供給に向かって忠実である。ただ単にわれわれ商権擁護のために申し上げておるとお考えになれば、そこにはわれわれの本意とは若干の食い違いがあります。今までもしばしばそういう経験を持っておりますので、現場の学校の先生方におかれましても、教科書のそういう特殊性ということはなかなかおわかりにならない。これの実情をよく御説明申し上げなければ、そういう点を無視してといいますか、お気づきにならないままにいろいろな施策が立てられ、その結果、せっかくの無償というものが実施された暁において、供給に困難を来たすということがあっては、これは国民も不幸であり、また政府も非常に困る。それに対してはわれわれはどこまでも実情を知っていただく、しかし、われわれの申し述べておることにつきまして、私は完全供給には一致しない要望であろう、相反するということであれば、けっしてそれを主張するものではありません。われわれの今日申し上げておることは、完全供給と相なつがるものでありまして、それに反するようなことは、われわれ十分に反省し、自粛しておりますので、必ずわれわれの申し上げることは根気強く説明するならば、御理解願えるものと信じておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/84
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085・片岡文重
○片岡文重君 時間を急いでおりますので、私の質問は結論だけを申し上げましたから、誤解なさったようですけれども、それらの取り扱いについては、当然設けられるであろう調査会において論議をされ、決定をされるでありましょう。そして御要望なさる点が、完全供給のために特にアブノーマルな事態が起こったときの善処、それから転入転出等の子供たちに不便をかけまいとするあたたかい御配慮等御説明ございましたので、おっしゃられるように、調査会においても十分に御趣旨のほどはそんたくされる、取り上げられるものと存じます。しかし、何分にも今他の同僚諸君からもいろいろ御質問がありましたように、この法案が提出されるに至りました動機、それから法案の内容等について、他の参考人の方々からも御説明ありましたけれども、巷間伝えられるところは、決してそういうわけではないのでありまするし、院内において携わっておりまするわれわれの調査して知り得た範囲内でも、決してすなおに受け取れないような法案でもありますから。そうして調査会が設けられ、答申をされるまでの間の期間というものは、私は決してこれは長くはないと思うのです。きわめて私は不十分なものが出てくるのではないか、そういうことで、もし御希望がいれられなかった場合には、どういうことになるのかということ、ですから、完全配給が阻害されるであろうことは、これは申し上げるまでもないのであるが、手数料の引き下げまで御心配になっておられるのですから、そういう場合にはどうされるおつもりなのかということをお尋ねしたわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/85
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086・今井兼文
○参考人(今井兼文君) お答え申し上げます。われわれが現在伝えられておりますごとく、配送の業務だけになるのだということになれば、われわれは従来完全供給に努力して参りました面が、従来のごとくできないという結果になると、必ずそのときには供給が困難になる、こう思っております。しかし、その供給の混乱を心配いたしまして、われわれ従来のごとく完全供給の衝に当たらしていただきたいということを念願して、これが認められないとすれば、これはいたし方がありませんので、われわれは訴えるだけは訴えて、そのあと混乱したときには、その責任はわれわれでないということだけは御承知願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/86
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087・片岡文重
○片岡文重君 議論でありませんから、そのくらいにしておきます。
それから木下参考人並びに高坂参考人に同じ問題で御質問申し上げますので、御意見をお聞かせいただきたいのですが、すでに他の同僚諸君から、これまた同じような趣旨で御質問なされました。それで、義務用の教科用図書を無償配布をするということは、反対をする議員は一人もおりません。これは国民もおそらくないんです。全部これを賛成です。ただ、その教科書を無償供与になるか、貸与になるか別として、とにかく配布をする過程とその方法に問題がありますが、今私がここでお尋ねしたいのは、それよりも一それも大切であり、国民も望んでいるところですけれども、先ほど来しばしば言われている給食の問題、それから特に義務用諸学校における理科施設の問題、それに、すし詰めの教育の問題もありますけれども、こういう問題を一つ一つ数えていくと、おのずから、そこに同時にできないとなれば、順位が出てくるはずだと思うんです。給食の問題一つ考えてみましても、私は千葉県ですが、海岸のほうへ行ってみますと、三百人、四百人という小学校があります。そういう学校は給食がございません。そうして、そういうところにくるのは大体貧農、それから漁村の子供が多いのです。弁当を食べるときには弁当を隠して食べるんです。そういう子供もいる。そういうところほど経済的な面からいえば、すぐにでもやってやらなければならない。それからいま一つは、オリンピックに出られた選手が、日本選手の耐久力のないことについて痛切に訴えられております。これは要するに体質改善が必要だということ、この体質改善をするためには、合理的な栄養給食というものが必要である、先ほど木下参考人からも実例をあげられましたけれども、これらの語例を考えてみますると、むしろ何を先に選ぶかということになれば、この教科書法案よりも、そういう点に可及的に実施していったほうが国家将来のためにもなるのではないかと考えられます。しかし、先ほどの高坂さんのお話では、なお教科書法案の実施のほうが第一順位であるやにうかがわれましたが、これらの諸点をいろいろと御勘案いただきましても、なおかつ、この教科書法案を——これら給食とか、理科施設等のほとんど皆無にひとしいような諸学校が全国にたくさんあります。そういう状況等を御勘案いただいて、今までにいろいろ議論もせられ、また、巷間、新聞、テレビ、ラジオ等で伝えられ、大きく問題が提起されておりますから、ここらを御勘案いただいて、なおかつ、これら給食や理科施設等の諸設備を完備することよりも、この教科書法案のほうが優先をせしめて十分な価値があるとお考えになられるのかどうか、積極的に御賛成をなさっておられるかどうか、木下参考人と高坂参考人からそれぞれの御所見を伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/87
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088・高坂正顕
○参考人(高坂正顕君) ただいまのお話は、教科書の無償配布はもうそれはだれでも認めるところだ、しかし、それをどういうふうな点で実施するかについては問題があるけれども、それはもう無償配布にだれも不賛成という者はない。しかし、それよりも先に、むしろ給食の問題あるいは理科の施設というようなものを充足させるべきではないかというお尋ねだと思います。この点は、私どちらのほうが絶対的にいいのかということは、そう簡単に言えないかと思います。といいますのは、予算や何かの上での事柄や何かもいろいろあると思うのですけれども、私、今手元にございませんのでわかりませんが、給食のことはかなり前からいろいろと骨を折ってこられて、だんだん進んではおりますけれども、全体を完全に無償でもってやるというところにまで持っていくだけの余裕が一方にはまだないということもあるんじゃないだろうか、こう私は思います。するというと、どちらがやりいいのかといえば、教科書の無償配布がやりいいということになるならば、私はやれるものからまずやるほうがいいだろう。で、どっちがいいか、両方とも非常にいいことなのでありますその中で、やれるところから手つけて、とにかく踏み切っていくほうが必要なんではないか、私はむしろそう思っております。で、理科の設備のほうのことも、前からいろいろと法案のようなものもいろいろありまして、何か助成はしておりますけれども、あれもだんだん増していくということにならなくちゃならぬだろうと思いますが、全面的に一応完全にできるものがこの教科書の無料配布だということだとするというと、これをひとつやることが授業料のあれに次ぎまして出てきても、ちっともそれに反対する理由は私はないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/88
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089・木下一雄
○参考人(木下一雄君) ただいまの御質問は、先ほど米田先生から高坂参考人に対して御質問がありましたことと内容におきましては全く同じ関連のものであるかと思っております。理科施設にいたしましても、給食の問題にいたしましても、それから義務教育の教職員の定数の問題にいたしましても、PTAの問題にいたしましても、これはみな現在義務教育におきまして解決を急いでおるものでございます。この仕事は、おもに各都道府県の教育委員会において、いろいろ予算も立てまして実施しておるわけであります。一つ一つ申し上げますと大へんでございますが、先ほど給食のことを御指摘になりました。農山漁村におきましての給食が非常に行き渡っていないということにつきましては、先般の学校給食の調査会におきましても、この問題を取り上げまして、農山漁村等におきましては、どういう給食をしたらばいいか。必ずしもパン食でなくて、こういう農山漁村等においては、手に入りやすいものをもってやったらばどうかというような答申もしてございまして、今後におきましての学校給食のあり方は、農山漁村に徹底するのだ、ですから、これはこれで進んで参っていくのじゃないかと思うのであります。それから理科施設の充実ということは、これはもう全くこの点だけでも、御承知のとおり各都道府県におきまして、科学技術教育の振興が、高等学校教育並びに中等教育におきまして、どういう形であったらばいいかということにつきましては、各都道府県とも理科センターを作りましたり、いろいろの施設をいたしまして、幸いにこの充実にはある程度進んでおると私ども見ております。先ほど米田先生の御質問の中にありました、たとえば事務職員でありますとか、養護職員、これは東京都におきましては、すでにその予算措置をやっておるのでありますが、高校急増対策などにつきましても、二十五校の校地買収をすでに済ませております。なお、九月までに追加予算を出すというくらいまでに進んでおるのであります。それからPTAのことにつきましても、三十七年度におきまして、一応PTAの負担はなくすることができるようになっております。もちろん、今度はPTAのほうから、進みまして、さらに、今度、これが解決したからもう一ぺんこれをわれわれで計画しようというようなことになってきますれば、これはいけないと思うのであります。このように総合的に考えまして、ただいま御指摘になりましたようなことは、それぞれ重要な施策して、各都道府県において進めております。したがいまして、国の政策といたしまして、この教科書の無償ということを取り上げられますことは、これはもうぜひ必要だ、こういうふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/89
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090・片岡文重
○片岡文重君 これ一つで終わります。取り上げることに私どもは、先ほど申し上げたとおり反対してはおらないのですが、給食の施設にしても、理科施設のほうの問題にいたしましても、都道府県等で、特に東京とか、大阪という財政豊かなところは別としても、こういうところは必ずしも諸学校に、極端に言えば設けなくとも、博物館の利用なり、いろいろの点で教育の方法もあるわけです。ところが、僻地、農山村等においては、学校等に施設をしなければ、教育の方法もないところがある。テレビやラジオさえ聴視することもできないというところもあるわけです。そういうところに、この貧困府県がはたして十分の手が伸べられるかどうかということになると、無差別に教育の機会を与えるという憲法並びに教育基本法の趣旨から言っても、全国民に平等にその機会を与えるという趣旨から言えば、むしろそういう差別をなくすことのほうが先決ではないのか。しかも、これがこの今回の教科書法案をもってすれば、あるいは従来の学力テストのような問題等も出ましたけれども、必ずしも莫大な父兄負担の軽減になるとも考えられないという状態である。したがって、経済的という点になれば、もちろんないとは言いません。たくさんあります。ありますが、それよりも、こういう基本的な問題も、国家百年の将来を考えたときには、私どもはむしろ優先するのは教科書法案より、他のものではないかという気がするのですけれども、重ねてお尋ねするわけですが、たとえば理科振興基準等に五〇%以上合うという学校が一体幾つあるかということを考えましても、これはむしろ釈迦に説法ですから何ですけれども、あまりにも貧し過ぎるのじゃないか。で、今日の世界の情勢から言っても、これらの点についてはもっともっと力を入れる必要があるのじゃないかという点を考えると、いろいろな疑惑を招いてまでも七億からの金を投ずるよりも、その七億をもって、給食施設なり、理科施設なりにむしろ投じたほうが、まだ国家のためにはなる。自民党さんのためにはどうかわからぬけれども、国のためには私はなる、こう考えるのですけれども、どうですかね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/90
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091・木下一雄
○参考人(木下一雄君) 私も初め意見を述べましたときに、教育に恵まれません子供たちにつきましての教育施策は、これは別途に充実していかなければいけないということも申し上げておるのでありまして、それと同じように、理科施設等につきましては各都道府県も骨を折っておりますけれども、現状におきましては十分でないということは私どもよく承知しておりますので、年々、教育長協議会等におきまして、文部省に、国のほうに対しましてこの点の充実を要望いたしておりました。また、非常にお骨折りをいただいておるわけであります。給食施設の行きわたらないこと、これにつきましての施設、設備の不十分な所もたくさんございます。この点も、これはやはり義務教育を無償とする建前から申しますと、給食のごときはさしあたり半額国庫負担がいいということを先ほども述べたのでありますが、その中には給食施設というような直接給食の内容でない、施設の面での補助もぜひ必要である、こういうようなことは並行して進むべきもので、せっかくできました教科書の無償ということを引っ込めてしまって、そうしてほかのことにだけするということは非常に残念に思うというふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/91
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092・柏原ヤス
○柏原ヤス君 木下先生のお話の中で、裕福な子供に給食を与えることは大へん意味があることだということを例にお引きになっておっしゃられてよくわかったのですが、教科書の場合もやはり裕福な家庭の子供にも必要だ、大へんいいというお話がございましたね、そのところをもう少しおっしゃっていただきたいのですが。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/92
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093・木下一雄
○参考人(木下一雄君) 必ず持たなければなりません教科書のごときものを、やはり裕福な家庭の者でも、それから恵まれない家庭の子供でも同じように学校から支給してもらうということ自体が私は非常に教育的価値があるものであろう。そうして、さらにその上に裕福な家庭等においては、かえって非栄養的な弁当を学校に持ってくるというような意味におきまして、平素の生活におきまして物というようなものに対する考え方というものが、かえってこのような家庭におきましては教育的にどうかと思う点がある。したがいまして、教科書のようなものは、負担となる家庭にはやはり負担が非常に重いと思うのでございますが、普通以上の家庭におきましては、それほどのことはないにいたしましても、しかし、教科書というものを国から供給してもらうということは、これは私は非常に子供にとりましては価値があると思っております。たとえば運動会でもって一等賞をとりまして、安いノート一つもらいましても、あるいは鉛筆二本もらいましても、たとえどんな裕福な家庭の子供でも、一等賞で薄っぺらなノート一冊もらっても、学校から鉛筆二本もらっても、どのくらい尊い感じを持つかわからない、そういう心持ちが私はさような家庭の子供には特に持たしてやりたい、こういうふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/93
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094・大矢正
○委員長(大矢正君) 他に参考人に対して御質疑のおありの方はございませんか。——他に御発言もないようでありますから、参考人に対する質疑はこれをもって終了いたしました。
参考人各位に申し上げます。本日は、長時間にわたり、しかも貴重な御意見の御開陳を賜わり、まことにありがとうございました。本法案審査に多大の参考になったものと存じ、委員会を代表して委員長より重ねて厚くお礼を申し上げます。(拍手)
速記をとめて下さい。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/94
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095・大矢正
○委員長(大矢正君) 速記をつけて下さい。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/95
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096・大矢正
○委員長(大矢正君) 次に、高等学校の建物の建築等に要する経費についての国の補助に関する臨時措置法案を再び議題とし、審査を進めます。
質疑のおありの方は順次御発言願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/96
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097・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 午前中、野本委員の質問に対する大臣答弁に関しまして、一、二重要な要素を含んでおりますので、再度、大臣の見解をただしておきたいと思います。
午前中の野本委員の質問の内容はいろいろな要素を持っておりましたが、私が大臣に質問したいという点は高校全入に関する問題と、さらに、教育課程の改編に対する質問の点でございます。野本委員の質問では高校全入運動がやがては現実の問題となった場合には、これは制度的には義務制でなくても、実質的には義務制に通ずるようなものになってくる。こういう角度に立ったところの全入運動の把握に対する質問であります。さらに、私どもが重大な関心を持ちますのは、全入運動を推進すると高等学校の教育低下を来たすという問題であります。それは、内容的には現行教科課程を改編する必要も生じる可能性も持つ、そのために教科課程の低下、改訂ということが起こる。結論的には高校教育の低下を来たすのではないか、こういった危惧を持った質問内容でありました。これは速記録を調べておりますから間違いのないところであります。これに対する大臣の答弁は、少なくとも現状におきましては高校全員入学というスローガンは適切じゃない。ただ、一見もっともらしくは見えますが、これからが重要なところですが、教育効果ということを児童、生徒側に立って考えるについて十分の思慮が足らない、さらに、現行の制度のもとに立脚して申し上げる限りにおいては、ある程度の競争があることは本人のためになる。こういう答弁であります。したがって、野本委員の質問に対する高校全員入学という運動は、それがやがては高等学校の学力低下を来たすという質問に対して、全般的には全部読み上げますと長くなりますので、部分的に取り出したのですけれども、学力低下を来たす可能性があるということを認めると同時に、義務制的にならなければこれが実現できないかのごとき答弁をしておられるわけです。大臣も御承知のとおり、教育基本法の第三条における、国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられるという定め、並びに、教育は直接国民に責任を負って行なわなければならない。この二つの角度からいたしますと、まず第一に主張し得ることは、義務教育九カ年間の課程を終了したものは、当然として高等学校教育を受ける能力を与えるということを意図しておる。したがって義務的でなくとも、本人が高校に進学したいという希望を持てば、国民の全般的な教育水準を上げていくという角度からも、また能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有するという憲法並びに教育基本法の定めからしても、このことは現段階においては阻却されておるけれども、教育制度上からいっても、現状をより前進さしていくという角度からいっても、当然首肯されるべき課題であります。これを大臣は、そのスローガンは適切ではないとか、教育効果という面からすると思慮が足りない、こういうきわめて皮相な見解のもとに全国父母の願いを一蹴しておるということは、大臣として、教育基本法の精神からもきわめて不適切な発言と私は思う。そこで、大臣は、高等学校というものは、本質的に競争してふるいにかけられなければ入学することを好ましとしていないという学校制度であるかどうか、このことをまず御答弁を願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/97
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098・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) まあ全入運動ということそれ自体の定義と申しますか、それを具体的にしなければまあ意見も立てられないわけでありますが、それについて私なりの考えでお答え申した点を反省しております。全入ということを文字どおりそのままいけば、小中学校もこれは全入、学齢児童は全入だと、したがって、高校全入ということは高校までも義務制にするという前提に立って言えることであって、そうでないならば言えないであろうという考え方に私なりに立ったことを申し上げたのであります。そこで、その前提に立って申し上げますならば、今の高校教育というのは義務制ではない。しかし、希望する者があれば、なるべく多く収容きでるように努力するということはこれはまあ当然のことと心得ております。そこで、午前中のお答えにも申し上げましたとおり、そういう努力をずっと文部省の立場ではし来たっておると私は思います。中学卒業者の高校志望者に対しましての入学の割合を言えば、約六〇%というのが最近の実績であるわけでありますが、その六〇%の進学率というのは、希望者がどれだけ入ったか、入学志願者がどれだけ現実に入ったかという点で押えれば、九六%見当が現実に入学しておるという実情だと承知いたします。その程度に、今まで文部省という立場においては、なるべく教育の機会を多くするという考え方に立って努力して来ておると申し上げ得ると思います。そのことは私は一つも否定いたしません。もっと努力していくべきだと思います。ただし、義務制ではないからすべてが入るというわけには参らない。だんだんその努力が積み重なっていって、家庭の条件もよくなってきて、中学を卒業した限りの者はほとんどすべてが高校に入っていくというような状態になってきたときには、無理なくして義務制に移行できる。そういう課題としては私は全入ということがよくわかるような気がいたします。そういう意味合いを午前中お答え申し上げたつもりでおります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/98
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099・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 大臣は、全国、本年度のみならず、もっと以前から全入運動が起こっておることは御承知のことと思います。そしてその全入運動は即義務制ということを主張しておるのではないということは、私はとうに御存じのはずと思う。少なくとも父兄の非常に多くの人が、わが子の完全入学を希望しておる、この内容を、義務制を指向するものであるか、希望する者を全部入れてもらいたいかということを、私は私なりに把握して高校全入運動というものに答弁したということは、私が指摘したところの基本法の、直接国民に対して責任をもって教育行政を展開していくという最高責任者のあなたとしてはきわめて不見識な答弁です。あなたが高校全入ということを荒木流にどう解釈するかということは問題ではない。今、父兄が非常に強い希望をもって進めておる全国的な運動の高校全入というのは、いかなるものであるかということぐらいは大臣としては当然考えておいていただきたいと思う。しかし、ただいまの点で大体了解しましたから、その点はそれでは終わります。
次に、これは野本委員の質問に対するあなたの答弁の中でもう一つ重要なことは、希望する者が高校に全入すると、教育効果という点からすると思慮が足りない、こう指摘しておられます。大臣は御承知のとおり、たとえば中学校において全国八百万の、六百万ぐらいですか、中学生の中で、いわゆる学校の成績がある基準以上に達しておるものがある、それが成績順位に入学しておるものでもないことは御承知のとおりであります。さらに入学試験の結果が、国公立、私立等いろいろな学校があって、必ずしも画一的な入学試験問題を出しても、それが、優秀な順位にとられていないということも御存じのとおりです。学校によってもっと低い試験問題を出しておるために入学できる、高度の入学試験問題のために浪人をしておるという、こういう現状は当然御承知のはずであります。このことに対する認識の不足と、教育というものは、たとえば優秀な者だけ集めて教育をしていく、だからすぐ教育効果が上がるというものではありません。これは教育基本法も、学校教育法に基づく教育の定め、教育の目標というものの中にも、相互の人間関係の中に欠点を持ち、いろいろの要素を持っておる者が相切瑳して初めて教育の効果はおさまると見ておる。かりに大臣が言う考え方が、ある成績以上でない者が高等学校に入学するために教育効果が低下するというような判断のもとに、教育効果という児童側に立って考えると、思慮が足りない、全入運動というものは思慮が足りない、こういうお考えであるとするならば、教育の目標に対する重大な私はあやまちであるし、また、父母自身の願いという観点からしても、教育の実際の効果という問題からしても、教育効果の低下を来たすということはあり得ないことであるし、また、教育行政家としても考えてはならないことであります。教育基本法はそういう考え方に立って教育を行ない、教育行政を精神としては強く否定しておるはずですよ。この多い希望者が全部入ることによって教育効果という点からして、思慮が足りないということは、全入運動をしておる父母に対してどいうう指摘の仕方ですか、御答弁を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/99
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100・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 私は午前中もお答え申し上げたと記憶しますが、まあ理想と申しますか、親の立場からの願いごととしては、高校にも全部入学する、大学にも全部入学するということができますならば、そのことが望ましいと思います。そういう意味での親の願い、国民的な立場からの願いというものは自由であると同時に、また当然でもあろうと、私はそれはそう理解いたします。教育基本法も、また憲法も、また行く行くはそういうことも考えに入っておるとは思いますものの、同時に、現実的なことを考えて、能力に応じて教育を受けると定めておると思います。そのことは、義務教育では能力の有無は問題にしないというのが現行の制度だと思います。したがって、高等学校におきましても、なるべく多くを収容する目標をもって努力をすべきことではあるけれども、しかし、その年々によって入学を希望するという具体的な員数は予定ができない。義務教育ならば生まれた子供は全部入るということがはっきりいたしますが、家庭の事情なり、あるいは景気の変動なりによって希望の数というものは変動があると思われます。大学でも同断だと思いますが、そこで、義務教育同様には具体的には現実問題として扱えないことを前提として、能力に応じて教育を受ける権利を有するという趣旨で一貫しておると思うわけであります。したがって、そうであるならば、その前提に立つ限りは、たまたまある県においてその年の高校入学志望者を全員収容することができたところはそれでいいとして、すべてがそうでは現実にあり得ないわけですから、またそれを予想しておるものですから、オーバーしたところでは選考せざるを得ない。選考によりまして、選考の試験そのもののよしあしは批判の余地はありましょうけれども、中学における成績全体と総合的な本人の能力判断、内申書というものも参考にしながらテストを行なうというやり方で選考しておるのが現状だと思うのであります。その限りにおいては、そうでないよりも競争によってより勉強したいという意欲は起こると思います。その効果はそうでないときよりも、義務になった後は、また別途、教員組織から教育内容から、それに応ずるものになりましょうけれども、そうでない前提で現にあるところの高校に関します限りは、ある程度の競争があったほうが、ないときよりもより効果的であろうと、そう思いましたから、そうお答えをしたのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/100
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101・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 教育基本法第三条の、能力に応じてひとしく教育を受ける権利があるということも、そういうふうに理解なさるとするならば重大な問題ですよ。能力のない者は高等学校には入学試験に合格しなければいかないでもよろしいと、やむを得ないと、こういう定めではないですよ。憲法、教育基本法を貫く精神を十分お考えになってごらんなさい、それぞれ人間は持って生まれて能力を異にしておる。その能力を基本的な人権として伸ばす権利を享受しておる。こういう角度に立って、その能力に応じてそれぞれの能力を伸ばすように教育を受ける権利があるというので、学力ある者は大学にいきなさい、ない者は中学校卒業して徒弟にいきなさいと、こういうふうに教育基本法三条を理解するなら、とんでもない間違いですよ。私は教育基本法上問題であると指摘したのは、単にあなたの答弁の用語ではなくして、あなたに今指摘したように、入学試験に落ちる者はやむを得ずいけないんだ、これが能力に応じた教育の機会均等なんだと、これは数多くの教育学者が、そういうものではなくして、現行教育の、国民教育の建前というものは人権の尊厳という角度から、いろいろな持って生まれた能力を持っておる、これを、その能力を十分に伸ばしていくような教育の機会が与えられなければならないという趣旨ですよ。このことを十分考えておいていただきたいと思う。このことはまた教科書法案の際に審議しますので、この論争をあとにおきます。
それと野本委員の質問に対して、あなたは肯定的な答弁を、私は前後を通じて、私は速記録を調べたのですが、述べておられます。いわゆる希望者が全員入ることによって高等学校の教育効果が低下するという、今までもそういうお考えですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/101
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102・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) その点はもっと現実把握と教育の目的を具体的に掘り下げて、総合的結論を申し上げないと十分ではなかったと思います。ただ、私が肯定的に申し上げました私の頭の中の考え方としまして、当面考えましたことは、たとえば高知県で全員入学しておるということを聞きます。ところでその結果は、大学の入学だけですべてを判断し得るのだとは申しませんけれども、大学の入学実績を統計的な数字で表わしたものを私は見たことがありますが、その前後においてだいぶんな違いがあるということを聞かされております。それが私の常識の一部分にあります。そういうことを連想しながら考えます場合、先刻申し上げましたように、高校が義務教育になったときはそれなりの教育内容、あるいはそれなりの、それに応ずる教員組織等がきちんと別途考えられる意味があろうかと思いますが、それはちょうど小中学校と同断でありますがそうでないことを前提として、現在あるその高校に、ただ希望するから全員入れるのだということにしたとして、そうでないときと、そうしたときとの違いは出てくるであろう、そういう私なりの考え方に基づいて一応申し上げたのであります。
〔委員長退席、理事北畠教真君着
席〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/102
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103・野本品吉
○野本品吉君 ちょっと私の質問に対する誤解が多少あるようですから、一応、議事進行。——野本委員、野本委員と、しきりに出ますから、私の言ったことに対して、私の気持を正しくお伝えしておくことがこの際必要だと思うので……いいですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/103
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104・北畠教真
○理事(北畠教真君) 野本委員。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/104
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105・野本品吉
○野本品吉君 私が申しましたのはこういうことです。全員がかりに高等学校へ入った場合のことを想定いたしますと、試験によって入った場合と子供の状態が変わってくる、すべてのものが入ってきますから。そこで、高等学校というものは普通教育の完成という面と、もう一つは大学への道にも通ずるわけなんです。そこで今までどおりの、つまり試験、選挙されて入った者を対象とした高等学校の教科課程がそのままこれに適用されるということには多少の疑問がある。豊瀬委員がおっしゃるように能力に応じて教育するということになれば、今までより能力の格差というか、幅が大きくなるのですから、したがって、その能力に応じた教育をするための教科課程に対するある程度の訂正というか、手直しというか、手を入れる必要があるであろう、そういう意味で申したわけですから、その点は誤解のないようにお願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/105
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106・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 野本委員の質問に対して別に反論いたしておるわけではございません。大臣の答弁に関して問題を持っておるわけです。高知の例か出ましたがね。なるほどセレクトすると、希望者の九六%が入った場合と、あとふるいにかけられるべき四%が入った場合には、百人の中の九十六人が大学を受ける場合と、百人とも受ける場合は、大学を落ちるものは大学の収容能力から考えても減ってくるでしょう、これが教育効果が低下したと大臣はお考えになるのですか。大学入学試験を受けた者で、落ちた者の数がふえたということを教育効果が低下したと考えるとするならば、またまたこれは問題としてはとんでもないことですよ。教育の目的というのは、大学を受ける者を多く出すことや、高等学校に多数入学するところに、現行教育の目標や精神を置いておりませんですよ。しゃべる能力を持っている者もあれば、こつこつとして、人の、縁の下の力持をする能力を持っている者もあるし、黙って思考する作業についてひいでている者もある。それぞれの能力を持っている者を、その能力に応じてひとしく教育の機会均等を与えないということですよ。だから、大学に入ろうが、落ちる者がたくさんできようが、中学を出て実業界に入ろうが、それを教育効果が大学入試とか高校入試の数が減ったからといって、教育効果が低下した、これは全く戦前の読み書きそろばん式の詰め込み教育目標に立って考えるなら、そういうことは指摘できますよ。かりに、かなり成績の悪い者が高校の教育を受け、全員入学したために、そうして高校の成績もまた悪いとします、大学に入れないとします。これは教育の効果の低下でなくて、あなたの説によると、九十六人が入って四人が入らないよりも、その四人が高校教育を受けたことによって、中学教育を卒業した際よりも、もっとその人間に対する教育効果は、三年間プラスされているし、そうしてその人間個々に対しては、個々の尊重という立場からすると、よりよい教育効果の条件が与えられる、このように判断すべきですよ。かりに今度は逆から言ってみましょう。現在、高校により入学させるために、中学の義務教育がどんなに入学試験偏重という弊害を起こしているかは、大臣も認めて本委員会で答弁なさったところですね。教育効果という面からだけ考えてみましても、入試があるのとないのとは、現行の義務教育の本質を達成するために、はるかな差を作ることは、これはいかなる人も認めているところですよ。こういう児童の心身をそこなっていく入試という弊害を身にしみて感じた父兄が、国民に直接責任を持つという教育基本法のかまえから、自分たちの教育というものはかくあるべきものであるという角度に立って、全員入学ということを希望している。これに対して思慮が足りないとは何ごとですか。現段階では.教育基本法十条の、教育諸条件の整備充実に対する文部省の努力不足のために、全員入学という父兄の希望が達せられていないのは申しわけないことである、こうおっしゃるべきですよ。思慮が足りないとは国民に対して何という言いぐさですか。これが私が基本法十条の直接国民に責任を負って行なうという、教育は国民の手にあるという観点と、教育行政が教育諸条件の整備を主とするという、その任務から考えても、あなたが高校全入というのは思慮が足りないとおっしゃる基本の考え方は、基本法の精神に若干相反する疑いがあるという指摘をしているのです。いわゆる教育効果が全員入学によって低下するかのごとき印象を再度受けたのですが、もう一度御答弁をお願いしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/106
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107・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) さっきお答えしたとおりでございますが、高等学校の本来の目標とするところが、後期中等教育という意味において受け取られるべきだという意味においては私も理解しております。ただ、現実問題としますと、上に大学がある、大学は全員入学でない、選考によって入らざるを得ない、そのことのよしあしの批評は別といたしまして、現状はそうである。高等学校を出た者で、二割近い者が大学に入っているかと記憶しておりますが、少なくとも、その二割見当の者は大学に入りたいという意思を持っている、入るについては選考に合格しなければ入れないという実情にある。ですから、すべてとは申しませんが、二割見当の者の大学入学の意思を達成せしめる点だけをとって申しますれば、入学率が高いほど効果が上がったんだという判定の仕方は、その部分については私は言い得ると思います。それは豊瀬さんの言われる教育が国民のためのものであるという前提に立って、国民の子弟である生徒が上の学校に行きたい、行くについては一つの関所がある、関所を通過せざるを得ないという——希望を達成せしめることも、また高等学校における一部分ではございましょうけれども、教育の目的として見のがすわけには参らないであろう、こういう認識に立ってお答えをしたつもりでおります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/107
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108・小笠原二三男
○小笠原二三男君 関連。午前中からの質疑の過程で聞きますと、大臣非常にいいこともおっしゃる。ところが、言うたとたんにだんだん突き詰めていくと、非常にけげんに思われることも平然とおっしゃる。どうも私聞いておって首尾一貫しない。整理して申し上げますと、午前中の大臣のおっしゃった高等学校全入学運動というものは、義務制にしなければ完成できないという建前からいえば、現実問題としては、これは望まれないことであり、望ましくない、こういう前提で考えておる。しかし、国民が高等学校の教育を受けさせたいということで入学を希望する、それをかなえてやりたい、こういうことについては同感であるというお考えも表明されている。ところが後段に、たとえば高知県の問題が出た。これが一番、大臣の具体的なお考えを示すものだと思うのです。高知県の例をあげられて、希望されるものが全員収容せられている高知県の学校教育というものは、大学進学率から見るとまことにそれは思わしくないものである。だから、やはり選抜、選考ということが必要なんだというような意味合いに聞きとれる。そこで、ここから問題は二つに分かれるのです。大学に行こうという者は行く、大学に入れないものが多数出る。そのことと、高等普通教育を受けるということとは直接は無縁のものです。あなたは、大学も義務制にして全員入学運動などというものも起こってくるかもしれんというたが、私はそうは考えない。今の学校制度の建前からいえば、大学は完全に専門の教育を与えるところであり、少なくとも大学院までの過程でいえば学問を探求する場なんです。大学は、したがって、一定水準以上の基礎を、学力なり何なり持たない限り、大学の専門教育にたえ得られない。学問探求、学者の養成ということについては欠けるものがあるとして、専門教育において選考せられる、能力が選考せられるということは私は否定しません。これは私は大学は一応別なものだと考えている。しかし、高等普通教育においては、そういうことを一応制度としては、建前としては切り離され、なお、上を望む者は望むだけの教養をもって望めばいいわけなんです。
もう一は、片面、大臣がおっしゃる、そういうどうもうまくない結果が起きる。だから選抜がいいのだということになれば、やはり高等学校というものは、そもそも建前として、望むからといってだれでも入れてはだめなんだ、あなたの言う意味の能力のない者はよそに回ったらいいのだという思想があなたの背景にあるのではないか。なるべくそれはかなえさせてあげたいと言っておりながら、片方においては、そんな者が入るとじゃまだ、学校の教育効果が上がらぬ、だから選抜されてそういう者が入らないでかまわないのだ、こういう思想があるように思われる。それが前段でいう教育の機会均等という建前と抵触する。こういう点で私たちはあなたの見解をただしておるわけなんです。ですから、それは大学進学という目的からいえば、現象的に不都合だというようなことがあっても、あるいはどなたかが言いましたが、高等学校において選択科目、その他のとり方とか、あるいは今クラブ活動をやって、自己の能力を、個性を伸ばしておるような、そういう活動の中で十分個性が伸ばされるような教育をするとか、いろいろな方法論上の問題はございましょう。これはあとの問題としてあるわけです。あるわけですが、建前として、希望する者は、そしてまた希望しておっても貧乏なために入学して学習をすることができないような者は、この第三条の奨学等の措置によってそれを入れてやる、こういう積極的な姿勢というものが教育基本法の建前ではないか、こういうことをあなたに再三尋ねておるわけなんです。だから、あなたとしましては、はなはだ失礼ですが、その時勢に即応していろいろな社会生活を営んでいく上において、高等普通教育等は希望する者は入学せしめる。それぞれの能力に応じて教育する幾多の施策を講ずる、そういう環境、諸条件を作るということで今後努力したいと思う、が財政的な問題等もあるので、逐年これはその水準を高めていきたいと思う、こういう態度であっていいのではないかと思うのですが、どうして頑強に選抜するのだ、そのほうがいいのだ、じゃまものは入っては困るのだというふうに聞こえるようなことを固執されるのですか。大臣のお述べになっていることは表裏一体にならぬのです。そう思うので、きちんとした御答弁を伺いたい。あなたのお話を聞いて、それはエリート意識を持った、おれは選ばれて選ばれて選ばれ抜いて偉い者になるのだという者や、その父兄は喜ぶかもしらんですが、国民一般、高校教育を子供に与えたいと考える父兄は必ずしも大臣の意見には賛成しないと思うのです。これは私、過去にもありましたのですが、やはり国会で質問したのですが、どうも旧制の高等学校を出て、東大出なんということで、官僚だ、大臣だとなってきた人は、これはひがみ根性かもしれませんが、選ばれて上がっていくところに人生意気があるのだというふうなことをすぐ考えたがる。さらさら大臣にはそういうところはないものとわれわれは考えておる。そう期待しておるのですが、何回も質問するのはいやでございますから、もう少し端的に短かい言葉でいいのだから、基本的な考え方というものを表明していただきたい。あっちいったり、こっちいったりすると、いろいろ考えが一貫しないというふうに思うので、お答え願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/108
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109・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 現実の問題と望ましき姿とを一緒くたに申し上げている点がいささかあると自分でも感じております。ただ、申し上げれば憲法でも教育基本法でも能力に応じて云々ということは、能力を見ないで無条件に教育の場で教育をするということは義務教育、それ以外の教育の場は能力に応じて教育を受ける権利を認めている、私はこう理解しているわけであります。そこで、今の現実の制度の上に立って見れば、小中学校は能力にかかわらずだれでも入れる。身体不自由その他の条件で一般の学校に入れない者は特殊のものを設備してでも必ず入れるというサービスをせなければならない責任が政府にある、理解しております。高等学校、大学は、それぞれ違うとは申しながら、その点だけに関して言うならば 能力に応じてやはり教育をする場だと理解せざるを得ないと私は心得ております。教育の抽象的目標ということでなしに、教育の場のあり方を現実に立って見ればそうなっていると思います。そうなっていることは、財政的な面、あるいは、国民の生活程度の向上の度合にもむろんよることでありましょうが、義務教育と違った立場においてある。言いかえますと、都道府県が高等学校の設置義務者でありますが、これがまた財源、国の協力の度合に応して、なるべく前進せしめていくべき政活的責任を負わなければならないが、義務教育と同じではないという違いが現にあるわけでございます。したがって、そういう建前のもとに、高等学校では全員入学というのは建前上からできないことになっている、できたところは偶然にもそうであるという制度上の姿であろう。その前提に立ちます限り競争があらざるを得ない。一般に競争というのは進歩をもたらすのだという共通概念で考えて見ますれば、選考という方法論としての検討の余地はあるとしましても、競争の機会がそこにある、だから、現行制度そのものに立って考えます限り、義務教育体制になっていない状況下においては、なおさらそうだと思いますが、その競争がある程度あったほうが、ないよりはいいだろう、また実績もそれを示している。そのことが根本的に教育の目標から見て適当でないという立場に立ってまた考えるならば、それを解消する方法は、後期中等教育を義務制にして小中学校と同じにするというのが、すべての国民、青少年に対してより高い教養を与え、学力もつけるということになる方法はそれしかないだろう。だから、それに至らない制度のままで当分行かざるを得ないと思いますが、その限りにおいて言うならば、ある程度の競争があったほうが、なかったよりはいいだろう、こういう感覚でお答えを申し上げているつもりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/109
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110・小笠原二三男
○小笠原二三男君 どうも現実だとか、将来だとかいうけれども、今の問題はこの財政的な具体的な考慮をした議論ではなくて、建前としての議論をしておる。この点から抜け出してもらっては困る。私、午前中にも義務制、義務制というが、どっちの側の義務制なんだと、こうとっぴな質問をしたら、それは相関関係なんだということだったのです。児童を持つ父兄の側、あるいは環境を整備して、その諸条件を整備するほうの国、公共団体、この相関関係に義務制があるのだと、こういう答弁だったのです。私は一応それを了承したのです。けれども、明治時代等における文明開化の時代で、国際的に競争しなければならない、そういう建前の際に無知文盲をなくすということで、不就学者を学校に縛りつけるという意味で行なわれた義務制という建前は、今日相当変わってきておると思うのです。それは中学校等においては、貧困のために働く、そういう学校に通学しないという向きは、まだある階層、あるいはある僻陬の地域等においてはありますが、ほとんどもう社会通念として学校に通うという建前は、今日日本においてはできておる。かえって今日の義務制なんていうのは、学校に通わなければならないということよりも、国みずからが義務教育を果たすに十分な諸条件を整備するという側のほうに義務づけられる向きが多くて、国民の側に立てば、よい教育を受けさしてもらう権利という形で出てきておる向きがあるだろうと思うのです。だんだんそういうふうに進歩した社会となればなっていくと思うのです。今お話のように、この教育基本法の第三条というものの建前は、何も義務制に限ったことではないのです、これは。あらゆる教育についてこの問題は触れて、包括的にここで概念を規定しておるわけなんです。高等学校そのものも、あの明治期以後に、われわれ、大臣も体験したようなあの旧制の中学校という建前、あれとは六三三の建前としては趣が変わってきておると思うのです。何かすると、試験によって入学するのが建前なんだということに固執したがるようですが、少なくとも教育の機会均等という議論からいえば、同じ一つの県内における納税者が自分の子弟が望む教育が受けられるだけの施設を、反対側の公共の側は、その税金を行使するほうの側は、教育の行政として努力をしていくということがこれは当然の責任だと思うのです。だから、少ないよりはより多く高等学校に希望する者は収容をしていくというのが教育行政のあり方だと思うのです。簡単だと思うのです。それが直接国民に責任を負う行政というものだと思うのです。その国民という言葉を、東京都でも、あるいは宮城県でも、言葉を置き直したら同じだと思うのです。納税者の要望にこたえるような教育の行政を、片側、税をとって仕事をする向きが行なう責任が原則としてあると思うのです。そういう建前からいえば、高等普通教育が青年後期の普通教育であり、完成教育であり、そこまで教育の水準を伸ばしたいという願いをお互いが希望をし、受け入れて施策をしていくということが何で悪いのか。何でその選抜ということをやることを建前としなければならぬのか。現実の問題は、学校が少ないから選抜せざるを得ない。そのことは十分われわれはわかっておる。大臣のおっしゃっておることは、それはわかっておることなんです。しかし、それでいいんだということで、そこにとどまらないで、希望する者は貧富の差にかかわらず何らかの方法をもって収容して、十分な教育が与えられる環境を作ってやろう、これが教育基本法のあり方だと思う。そのことだけを聞いておるのです。それを否定するのかしないのかという簡単なことなんです。ただ、現実の問題となれば、大臣おっしゃるとおり、収容しきれない。そこに選考というやむなき手続方法というものが行なわれる、これを否定しているのではないのですよ。だから、あっちこっち触れないで簡単にお答え願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/110
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111・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) その第一段階のことは、午前中お答え申し上げましたとおりに私も思っております。その願いというものはこれは好ましいことであり、けっこうなことである。それに応ずる努力をするということは、国も公共団体もむろん心がけねばならない、そのことに私は午前中からも一つも異存を申しておるつもりはないのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/111
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112・小笠原二三男
○小笠原二三男君 それだけでいいのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/112
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113・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) ただ、言葉の幾分混乱を来たしましたことがやっとはっきりいたしましたが、それはそうでございますが、現実にそれをしますためには、義務制にでもしないならば、きちっと行政府の責任が果たせないという結果になるであろうということを申し添えたために、いささか混乱をしておることを今発見いたしました。それは先ほども申し上げましたが、希望者をすべて入れるといたしましても、時々によって違う、その家庭の条件その他によって、時々によって違うわけでございますから、変動するものであろうものを必ず収容するんだということを、公共団体といえども国といえども例外なしに約束して、実現、実践することは困難であろうということが念頭にあるものですから、そのことをいささか先回わりして申し上げておった傾向があったと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/113
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114・小笠原二三男
○小笠原二三男君 大体わかったんですが、またしりのところにへんなことを言われる。そういうお約束をすることは、国も公共団体も困ることであろうと思うから、いささかというようなお話です。この教育基本法でそれが約束されているのだということなんです。この第三条を受けて第十条があって、第三条の教育の機会均等を果たすために、教育の行政はあらゆる環境を整備し、確立していく、それを目標にして教育行政というものは行なわれなければならないと義務づけられておる。約束させられておるのです。その教育行政の最高の責任者は、あなた、文部大臣なんです。それから各教育委員会の長、各公共団体の長なのです。文部大臣も教育委員会も教育の内容をこうしろとかああしろとか、そういうようなことにウエートを置いて行政が行なわれるのではなくて、この基本法制定の当時、腹の理念というものは、そのための教育諸条件を整備することに旨をおいて行政が行なわれるということなんです。そのために文部省設置法にも、各省設置法にないような、そのいかなるものにも支配されてはならない、したがって、文部大臣、文部省といえども教育の内容については立ち入ってはならない。へんてこなくちばしを入れない。行政が教育に介入してはならぬという建前の制限立法さえもつけて文部省設置法がある。あくまでも文部省は、あなたがおっしゃるとおり、直接国民に責任を持って、教育行政、そういうことで奉仕している、そういう機関なのですから、したがって、約束するしないでなくて、法の命ずるところは、どこどこまでも希望される者が十全な教育を受けられる、あなたのいう意味で。能力に欠ける者はその能力を伸ばしていく。そういう教育をこそする条件を整備することをあなたに委託している。請託しておるのです。そのことさえわかっていただけばいいんです。そうでなくて、ぶった切ってもいいのだ、何してもいいのだということになったら、高校急増対策の基準というものは出てきませんよ。現状どおりでもいいし、もっと現状より減らしてもいい。高知県の例をあなたは見ましたか。高知県などでそうだというのなら、あなたの言うようにするなら、高知県の高等学校を減らして、そして大学まで完璧に行け得る者を選考して、そうしてそれだけ入れておけばいい。それでも教育の機会均等ということになります、あなたのいう意味なら。だから、そうではないという建前、これが大前提となって高校急増対策なり何なり、教育行政あるいは政治課題が果たせると思う。そのことでけさから今まで、ごたごたごたごたと回り回ってお話ししたのです。大臣とわれわれと同意見になったことを非常に私は喜ばしいことだと思う。ひとつ、もう現時点における選抜なんというものは、大臣として、国の行政をあずかる方として、そういう技術的な枝葉末節のものを遠い長期計画のようにいわないで、希望される者が十分な能力が発揮できるような学校教育ができる条件を整備せられるように、特段な御努力を私たちに期待いたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/114
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115・北畠教真
○理事(北畠教真君) ちょっと速記とめて。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/115
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116・北畠教真
○理事(北畠教真君) では速記つけて。
本案に対する審査は、本日のところこの程度とします。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/116
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117・北畠教真
○理事(北畠教真君) 次に、義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律案を議題とし、審査を進めます。
質疑のおありの方は順次御発言を願います。
〔理事北畠教真君退席、委員長着
席〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/117
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118・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 教科書法案に対して質問を続けていきますが、本会議で、私、同法案の内容について、若干、総理大臣並びに文部大臣にただしましたが、本法案は、無償をうたいながら、その内容はすべて調査会一任の形式を持っておるきわめてミコヒルゴ的な法案あります。したがって、私は法案の具体的内容に入ります前に、まず提案理由の中に盛られておる法案立案の精神、特にこの法案が意図しておるところの教育の目標に合致するとか、あるいは教科書を無償にして生徒児童に与えることによって国民的自覚を深めていく等、いわゆる教育の方針並びに目標に関する法案を通しての意図というものが、きわめて重大な内容を持っておりまするので、まず、このことからただしていきたいと思います。
そこで第一に、これは大臣でもほかの政府委員でもけっこうですが、今回の法案を作成するまでに、参考人の陳述にもあったごとく、昭和二十六年から数カ年間にわたってあるときは前進への試みとし、あるときは入学祝いのプレゼントとし、やがては社会保障的な色彩と変更しながら教科書が給与されてきたこの経緯を、どのように踏まえて今回の法案を立案されたか、御説明を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/118
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119・福田繁
○政府委員(福田繁君) 御承知のように、昭和二十六年に単行法でもちまして、昭和二十六年度に入学する児童に対する教科用図書の給与に関する法律というものが制定されました。これは御案内のように、公立小学校の一年の児童の全部に対しまして、国語、算数の教科書を給与するという法律でございます。この場合は国庫が二分の一負担をいたしまして残り二分の一は市町村が負担をすると、こういうような建前でいったのでございます。で、そのときの法律の第一条にございますように、この「義務教育の無償の理想のより広範囲な実現への試みとして、地方公共団体に対して、昭和二十六年度に公立学校に入学する児童の教科用図書の給与を奨励することを目的とする。」、こういうような目的が掲げられております。で、このときは憲法第二十六条の義務教育は無償であるというその理想を、より広範に実現する一つの試みとして、この法律が制定されるのだ、こういうような趣旨がうたってございます。したがって、この当時の考え方といたしましては、憲法第二十六条の精神に基づいたこの理想の実現への一つの試みとして、これを実施するのだ、こういうことでございました。一年生に対する国語、算数という二教科の教科書でございまして、しかも、法律は昭和二十六年限りの一年だけの臨時的な措置でございます。したがって、当時の考え方としましては、これはさらに後年度にこれを拡充するについては、二十七年以降にどういう措置をとるかということを十分慎重に検討した上できめる、こういうような考え方であったようでございます。ところが、その後になりまして、二十七年には公私立小学校の一年の児童全部に対しまして国語、算数の教科書を給与するということでございますが、このときの二十七年の法律は、新たに入学する児童に対する教科用図書の給与に関する法律というような法律になっておりましては、二十六年の実際の状況からいろいろ検討された結果と思いますが、二十七年におきまして、新たに入学する児童にお祝いとして国語、算数の教科書を給与する。これは二分の一でなくて、国が買い上げまして発行会社に直接支払いの形にいたしましてこれを給与する、こういうような形になっているわけでございます。このときの法律の第一条には、目的として、「児童の国民としての自覚を深めることに資するとともにその前途を祝うために、国が毎年度新たに小学校、盲学校、ろう学校及び養護学校に入学する児童に対し教科用図書を給与することを目的とする。」と、こういうような趣旨がうたわれてございます。したがって、二十七年におきましては憲法第二十六条の精神には基づいていることとは思いますが、これは国民的な自覚を深めるということに資するための一つの方策としてお祝いのために小学校の一年生に対する国語、算数の教科書を給与する、こういうことになっているわけございます。その後、これは二十八年にも継続されたのでございますが、二十九年になりましてこの措置は補助金等の臨時特例に関する法律によりまして実施が停止された事情になっております。そしてその後に三十一年になりまして、就学困難な児童のための教科用図書の給与に対する国の助成に関する法律というものができまして、二十七年にできました、新たに入学する児童に対する教科用図書の給与ということでなく社会保障的な考えからいたしまして、就学困難な児童への教科書の給与というような形に変わってきたのでございます。その間のいろいろな事情等を見ますと、二十六年、七年におきましては、これは形が変わっておりますけれども、やはりこの法律の考え方としては憲法第二十六条の精神に立脚した措置であるというように考えられるのでございますが、その後のいろいろな対策の変わって参りましたのは、これは当時のいろいろな事情の変化というふうに伺っております。もちろんその中には経済的な内政的な事情が非常に大きな要素を占めているように承知いたしております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/119
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120・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 局長に要望いたしておきますが、できるだけ審議を進捗するために、私が聞いておるものを簡明にお答え願いたいと思います。私、手元に法律二十九号も三十二号もいずれも用意しております。私が聞いたのは、今あなたが説明された二十六年に出た法律、二十七年に出た法律、あるいは養護児童に対する給与、こういう教科書を給付するという変遷をどう踏まえて本法を立案しましたかということを、法案の内容を説明して下さいというのじゃない。こういう変遷をたどって、本年度新たに教科用図書の無償に関する法律を作ったという立案の趣旨は、この経緯をどう踏まえて作ったかと聞いているのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/120
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121・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 経過は今、政府委員から申し上げたとおりでございますが、結局消えてなくなったわけでございますので、その原因は法律そのものが試みとして、あるいは小学校一年の一定の教科以外は無償支給しない、法案そのものにだんだん先ぼそりになりそうな要素があったからだと反省します。しかしながら、憲法第二十六条の趣旨を実現したいものだという試みであったことは確かでございまして、これが一つのきっかけとなって、政府内部におきましても、また与党におきましてもそのことに対する郷愁はあったわけでございます。しかし、それを法律的に実現するとなれば以前の法律の経過に顧みて、逐次そういうおそれのないようにしなければ再発足する意味はない、こういうふうにとらえまして、義務教育用の教科書はすべて無償とする、というお約束を国民にする、そうして具体的には三十八年に入学する小学校一年生の使う教科書全部についてだけではございますけれども、具体的にスタートラインを切ろう、そうしてそのあとの年次計画ないしは教科書会社のあり方、配給機構等もろもろの問題は世上いろいろ議論もございます。したがって、それは慎重に扱って、法律に基づいた調査会を作っていただいて、そこで検討の結論を待ってまた立法措置を講ずる。手間が要りますけれども、それだけの慎重さをもって具体案をなるべくすみやかに作り上げて、再度国会で御審議願って、その線に沿って、用意しております三十八年に入学します一年生からスタートして、なるべくすみやかに完成したい、こういう構想に立って御審議を願っておるような次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/121
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122・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 私が、経緯についてどう把握し、本法案を立案したかと聞いておりますのは、御承知のとおり、二十八年度までは最初は二分の一、その次は全額負担というふうに少しずつ前進をしていった政策が、二十九年に施行停止となって、大臣がおっしゃったように消えてなくなった。その当時も選挙が行なわれる年であった。最初に支給を試みられたのは。今回も私本会議で質問したように、参議院選挙をめざしたスローガン法案である、こういう言い方をしましたところ、大多数の方々はそうだ、そうだと言って、拍手をしていただいたようですが、やはり無償をうたいながら、一年生にのみ支給しようと意図されておる。ここに過去の幾多の失敗にもかかわらず、蹉跌にもかかわらず、再び当面好餌を与えて、また消え去っていく、こういう文教政策の不一貫性を私は憂うるがゆえです。そこでまずお尋ねいたしますが、一番最初の、昭和二十六年度に入学する児童に対する教科用図書の給与に関する法律、この法律の目的に、「義務教育の無償の理想のより広範囲な実現への試みとして、」これは非常にりっぱな言い方です。この際の「義務教育の無償の理想のより広範囲な実現」というのは、教科書無償だけを意図して作られたか、それとも参考人からも述べられた給食、PTA負担あるいはすし詰め学級の解消、設備、施設の充実等も含んで、憲法で就学の強制が、無償の原則と一致しなければ、就学の強制は基本的人権として問題であるという角度から制定されたと思うのですが、単に教科書無償でなくて、二十六年の法律も、今指摘したような広範囲な、教育諸条件の整備という基本法十条の精神を受けて制定されたものと私は理解するのですが、大臣もそのように理解し、本法律案をそのような決意のもとに立案されましたか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/122
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123・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 憲法二十六条にいうところの義務教育無償の原則、この内容は、時に応して変化するものとはむろん思いますけれども、社会的な常識として受け取れ得ますことは、義務教育とする以上は、代償を取らないという趣旨であると聞かされております。したがって、最小限度は授業料をとらないということで一段落ついておる。しかしながら、憲法のいうところの無償の理想が、それだけですべてであるとはむろん理解いたしません。授業料をとらないという事柄の、時期的に次になりましたけれども、授業料をとらないということとほぼ同じような緊要性において教科書というものが考えらるべきで、なくてはならないもの、しかも、普遍的な要素を持っており、そうして平等性を持っておるということが、全国民的立場において無条件に受け入れられる一つの課題、それが教科書だ、こういう理解をいたしまして、その考え方に立って授業料をとらない、その次の課題として教科書を取り上げる、こういう考え方でございます。プラス・アルファ何があるかは、具体的に私にはよくわかりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/123
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124・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 少なくとも法律四十九号を立案される際に、この法律の目的に掲げられておる第一条の、「義務教育の無償の理想のより広範囲な実現への試み」ということは、少なくとも、単に教科書を全生徒、児童にやるということだけでは意図としてはなかった、このように大臣は理解しておられますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/124
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125・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 当時の立案者でございませんので、立案者の意思としてどうだということは申し上げかねますけれども、先刻私が申し上げましたような意味に、当時政府側としては理解しておっただろうと推測いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/125
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126・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 そのような決意のもとに立案をされ、そのことが法律の具体的な明文となって制定されたにもかかわらず、その翌年、全く異なった目的をもって法律が改変されたのは那辺にありますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/126
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127・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) これも推測に基づくことを申し上げるほかにございませんが、現実問題として、財政的な条件の変化からさようになったことが相当おもだった理由の一つではないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/127
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128・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 前年度作った法律が、一年そこそこでとたんに変貌してくる。こういうことを財政上の理由と言われるならば、今回の、憲法二十六条の実現への一歩の試みとして画期的な施策であるというふうに手前みそ的に謳歌しておられますが、今回はそういう財政上の理由等で、この教科書無償の政策が変換されることなく続けられるという決意と責任を大臣はお持ちになることができますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/128
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129・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) その決意と責任感は十二分に持っているつもりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/129
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130・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 法律四十九号と三十二号の目的の基本的な違いは、一方は義務教育無償の理想の実現の試み、一方は教科書をやると、「児童の国民としての自覚を深め」さらに、「その前途を祝う」、こういうことが目的です。憲法二十六条への実現の努力と、「国民としての自覚を深め」、「その前途を祝う」というのは、法律目的としては全く異なったものと私は理解しますが、大臣はそのように理解されますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/130
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131・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 全然異なったとも言いかねるとは思いますが、少なくとも、意欲がある程度減退した印象は免れないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/131
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132・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 意欲の減退というよりも、昭和二十七年当時の日本の政治情勢、国際情勢の中で、児童に国民としての自覚を深めるために教科書をやるのだ、これは当時の教育政策の中で、日本の平和愛好の教育政策がやがてはいわゆる戦争放棄の宣言をしたことがあやまちであったと指摘され、愛国心とか祖国愛という教育目標が欠除しているという指摘の論争の中で、国民としての自覚を深めるために教科書をやるのだということが立案されたことは、当時の教育学者や文化人が強く指摘したところです。この四十九号法律と三十二号法律との変遷を見ましても、さらにお祝いをしてやるのだといっておったのが、貧困な児童にやるのだという変貌したいきさつから見て、この間に文部省あるいは政府の文教行政の不一貫性を強く指摘することができるのですが、今回の無償は、少なくとも従前の轍を踏まず、法律に明記してありませんけれども、文部省の決意としては、少なくとも法四十九号の義務教育の無償の理想のより広範囲な実現への一段階、こういう決意、内容的には先ほど指摘したように、各種父兄負担の全廃あるいは給食設備、衛生設備その他教育基本法にいうところの教育諸条件の整備、こういうものへの前進の一段階として立案された、このように理解してよろしいですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/132
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133・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 父兄負担の解消ということは、憲法第二十六条に直結した課題ではないと心得ております。さっきも申し上げましたように、義務教育無償の理念は、まず代償をとらないということに始まる、そして義務教育が無償になる方向をたどらねばならぬことは当然としましても、その授業料をとらないこと以外にないだんということを具体的に定めますにつきましては、そのことが、国民の側に立って普遍的である。地域的に、あるいは年令的に差別があるということでは、憲法のいう趣旨に直接法として密着する課題ではなかろう。そしてまた、それが平等性を持っていなければ、憲法の趣旨とは離れてくる。そういうことが、私は必要要件だと思うのでございまして、そういう意味から申し上げて、最も適格性のある課題が教科書である。その次はしからば何だということになりますと、さっきも申し上げましたように、具体的には、私、今申し上げる材料を持ち合わせません。今申し上げた要件に合致するものありせば、進んで取り上げていくべき課題であろう、こう理解しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/133
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134・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 福田局長にお尋ねしますが、全国の平均値でよろしいですが、子供を義務教育諸学校に通学さしておるために、特別の例を除いて、必ず学校に納入しなければならない父兄の、小中一緒でもよろしいし、別々でもよろしいですが、年間負担平均は幾らですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/134
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135・福田繁
○政府委員(福田繁君) これは三十四年度の調査でございますが、小学校におきまして七千九百六十二円、中学におきまして六千八百七十二円となっております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/135
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136・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 さらに、六三制実施以来、学校寄付あるいは校舎建築、講堂増築等、父兄が寄付という名のもとに多額の負担をしてきたと思いますが、大まかに、何千億程度になるとつかんでおられます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/136
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137・福田繁
○政府委員(福田繁君) ただいま手元にその資料を持っておりません、総額はちょっと今計算しておりませんので、後ほど調査いたしましてお答えいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/137
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138・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 私もこの総額についてつまびらかにしないのですが、これはいわゆる目の子算的にやっても、数千億じゃなくて、兆をはるかに上回る負担だと思うのです。こういう義務教育諸学校に通学させるために、貧富の差いかんにかかわらず、強制的に父兄の負担が多額に上っているにもかかわらず、大臣はそうした負担は憲法二十六条の無償の精神とは直接かかわりのないことで、どうしても負担はやむを得ない、こういう先ほどの答弁のように理解されるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/138
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139・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 義務教育のための学校施設、設備費あるいは教職員の人件費、これはもうすでに制度づけてあり、無償の建前で動いている問題だと思います。ただ現実問題としては、いやが上にもいい学校を作りたいという欲望もある。いろいろな原因もございましょうが、これが父兄負担になっている分は、これは憲法の趣旨に反する姿だと、こう理解いたします。したがってその意味において、その現実の事由やむを得ないことがありましょうとも、年々歳々努力して憲法の趣旨に沿うように、また現行の制度に沿うように持って、いかねばならぬと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/139
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140・小笠原二三男
○小笠原二三男君 ちょっと関連して、事務的なことです。大臣にはあとで私の番がきたら質問します。政府委員にお尋ねしますがね、最初にああいう立法をしたときには、義務教育費国庫負担法というものがまだできないときで、それを出すために文部省としては非常に真剣な検討をして、そうしてこの負担法で、教科書無償の問題が一つ広範な問題として考えられるほかに、当時の辻田政府委員の御答弁では学用品——クレオン、鉛筆、ゴム、これらを含めた学用品費、教育費等も含め合わせた線を実現したいということで、資料がとってあるということで答弁があり、その中にはこの当時のPTAの負担が、一人当たり四百円かの程度のうち、二百円ぐらいのものをこの点で救われるということは、一歩も二歩も前進であるという意味合いの答弁もしている。ですから、これは義務教育無償であるが、父兄負担の軽減ということにも、問題としては大きく関係して提案せられている問題であった。そのときに、理念としてはまだ確定しておらないというのは、交通費だけの問題だったと思う。で、この問題についてはもう少し、当時の政府委員は内藤さんだったのですからわかっているわけですから、当時の文部省が義務教育無償をどう実現しようとしたか、その構想を、検討したものがあると思うので、あとで資料として出してもらいたい。相談してみて、過去の裏づけ資料として出してもらいたい。これは非常に文部省としては画期的な、貴重なものだったと思うのです。当時は天野文部大臣の時代です。これは要望です。
それから質問ですが、この教科書無償の問題は、学校の維持費、管理費、運営費というようなもので類別すればどれに入るか。無償の問題として考えているのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/140
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141・福田繁
○政府委員(福田繁君) まず前段のお尋ねでございますが、これは御承知のように、義務教育費国庫負担法は二十七年にできている。したがって、二十六年はその前年でございます。当時この負担法の中にどういう内容を盛り込むかということにつきましては、いろいろ文部省としては研究したことが当然あるわけでございます。したがって、俸給費だけじゃなくて、教材費等について、なるべく幅広く取り入れて、父兄負担の軽減をはかっていきたいというような趣旨であったように私も承知いたしております。ところで、それは二十七年に、この現在のような大体負担法ができましたので、それによって解決されたわけでございますが、この二十六年の教科用図書の給与に関する法律の際におきまして、これは考え方として憲法第二十六条のいわゆる義務教育無償とは何ぞや、無償の範囲は何が入るのだ、こういうような考え方につきましては当時、現在もそうでございますけれども、教育基本法の中には授業料は徴収しない、これは無償だ、こういうことが書いてあるのでございまして、この義務教育無償という観念から申しますと、教科書ももちろん無償の中に入る、それから学用品、給食等も入り得るものだと、こういうような考え方で当時の関係者は進んでおったと承知いたしております。したがってこれを無償にするという具体的な案は私は当時あったとは聞いておりませんけれども、国会の質疑の過程なり、あるいは当時の政府委員のいろいろな話を総合いたしましても、教科書については一応考え方をまとめておったというのが事実のようでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/141
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142・小笠原二三男
○小笠原二三男君 類別、学校教育費というものの中でいえば……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/142
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143・福田繁
○政府委員(福田繁君) 失礼いたしました。これは学校教育費の中で考えますと、教科書費というものを別個に立てておりますので、特に運営費に入るというふうには考えておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/143
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144・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 今回の立案の際に、今まで論議された、単に教科書を三十八年から一年生にやるということでなくて、給食の問題、あるいはさらに貧困な児童に対するもっと学用品等を支給する幅を広げていくとか、あるいは修学旅行を完全に国家が責任を持つとか、その他PTAの負担を逐次軽減していく等、いわゆる二十六年立法の際の精神のように、無償の理想をより広範囲に進展さしていくと、こういう問題が同時に検討されて、まず現段階では三十八年から一年生だけ、三十九年あるいは四十年では給食費は国がこれだけ持っていく、何年後にはおよそPTAの負担はゼロにしていく、いわゆるPTA負担金等のものはゼロにしていくとか、こういった無償の具体的な内容についてある程度検討され、憲法二十六条の、より具体的な実現への一応の論議の中で当面のステップとして本法案が立案されたのか、他の給食とかその他の問題については、精神としては国が負担したほうがいいと思うけれども、いつごろそれを実現するかといったような系統的な論議ではなく、この法案だけが一応作成されたか、いずれでしょうか。もし同時に、広範な実現への施策が論議されたとするならば、それも同時に御説明願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/144
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145・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 先ほども申しましたように、憲法の趣旨は授業料をただにするということだけではないと考えるわけですが、しからば何だということは相当慎重に検討を加えた上でないとお答えし得ない課題と私は思います。文部省としましてもそういう考え方に立ちまして、だれしも異存のない憲法二十六条につながる課題は教科書であるということに集中いたしまして、その実現をはかろうと考えたわけでございます。その他何があるかということを確信を持って申し上げる段階にはまだ参っておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/145
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146・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 たとえばある参考人の陳述のように、教科書の次は給食だと、こういう順序のきめ方というのはかなり問題があると思うのですが、しかし、給食も国が負担するほうがいいか悪いか、あるいは現在のように一万円に近い父兄負担は軽減していったほうがいいか、悪いか、いいとすればいつごろまでにはやらなければならないかという問題は、昭和二十六年の立法の際も、無償の理想へのより広範囲の実現への試みとして、このころからすでに長期の飛躍のステップとして描かれておる。十年後の今日、無償という大きな旗を掲げられながら、憲法の無償の原則についての具体的な施策というのが検討されないというのが、たびたび指摘しますように、きわめて何といいますか、軽視というか、二十六条の精神を軽視しているというそしりを免れませんじゃないですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/146
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147・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 軽視しないで重要視すればするほど、軽率にただ思いつきの感想をもってお答えにかえるわけに参らない、こういうふうに考えます。慎重を期しておるわけでございます。
学校給食につきましても、最終的な意見としてはまだ申し上げかねると申したほうが正しいかと思いますけれども、一応私どもの考えを申し上げさせていただくならば、給食費は、私は直接にそのものずばりで憲法二十六条につながる課題とはなり得ない、かように考えております。その一つの理由は、食べものは生命をつなぐためのかてでございますから、何人といえどもとらざるを得ない、憲法にいう義務教育無償の概念以前の課題でございますから、貧富の差別いかんはもちろんのこと、いかなる境遇、立場にありましょうとも、食わざるを得ない。したがって、それは人間としての食わんがための責任を持っておるはずですから、ただし、要保護、準要保護等の言葉で言われますように、社会政策的な、社会保障的な立場からどうするかの課題はむろん別途ございますけれども、共通的な概念としてとらえます場合には、給食費そのものが全額国または公費でまかなわなければならない、すなわち憲法二十六条に期待するところの当然のものだと私はちょっと言い切れないんじゃなかろうか。ただし、共通性、普遍性は教育の場において昼飯代を考えました場合、それ自身共通普遍的な要素が多分にあると思います。そういうことを考えあわされたと想像いたしますが、昨年給食制度調査会の御審議の結果、答申が出てきましたのは、国費、公費をもって給食費の半分、二分の一を負担するという建前が妥当であろうというふうな線が出て参りましたのも、思いますに、私が今申し上げたようなことをあわせ考慮された結論ではなかろうかと推測いたしておるのであります。最終的な責任のあるこれについての見解は他日を期していただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/147
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148・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 そうすると、大臣としてはできるだけ早くそういった無償の、より広範な実現に対し検討し、前進していく必要があるということは理解されますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/148
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149・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 今申し上げましたような心がまえで検討を尽くしまして、漸次実現するという責任は感じております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/149
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150・小笠原二三男
○小笠原二三男君 関連して。給食費の問題は、他日に譲るような慎重な答弁もありましたが、二分の一補助でよかろうという答申の線というものは、義務教育諸学校における教育費は、無償にしていく建前を望むが、二分の一で現時点ではおおむねよかろうという趣旨に大臣はお考えになっておりますか。全然無償の問題とは関連なしに、共通している問題であるから昼飯代を半分を持ってやろう、こういうことなんですか。この点、ちょっと気にかかりますのでお伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/150
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151・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 明確にはお答えしかねますけれども、さっき申し上げましたように、憲法二十六条から直接法で出てくる必然的なものではなかろう、そういう意味の対象にはならないであろうと、今のところ思います。ただ、教育効果と申しますか、児童、生徒の体位の向上、あるいは衛生的な立場におきましても共通的に、普遍的に価値のあるもの、また給食を通じましてもろもろの人間性を涵養する期待も持てると承知しますが、そういう意味でも普遍性があり、かつまた、平等性も一応考えられる。しかし、それは百パンセントそうだとも言い切れない、朝飯と晩飯と合わして昼飯が意義があるんで、昼飯だけが生命を維持する意味においてはすべてではないということもございますし、いろいろと検討すべき課題があるのではなかろうかと思います意味において、自信のあるお答えはいたしかねるとさっきから申し上げておりますが、今直ちに一応言ってみろとおっしゃれば、以上のように理解しておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/151
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152・小笠原二三男
○小笠原二三男君 まあ、自信がなくて御勉強、御研究の上で御答弁になるという謙虚な態度は、これはいいことだと思いますからこれ以上お尋ねはしませんが、人間飯というものはだれでも食うんだ、自前で食え、あるいは戦後食糧事情困難な時代において、便宜学校給食というものは行なわれてきた。その経過から言えば、なるほど無償の問題とは別個の問題であるように思いがちな、そういう考え方をするのは非常に今問題だ。何しろ日本の義務教育諸学校における学校給食の問題は、文部省自身の指導は飯を食わせればいいという指導ではない。教育作用そのものなんです。あなたが触れられた体位の向上、その他もありましょうが、集団給食、体位の向上、このことは国なり公共団体が将来の日本を背負う子弟に要請するところなんです。金があるから家で美食をせいとか、金がない者には生活保護法でひとつ給食を援助してやるとか、そういう問題ではなくなっておる。そうして、過去にはこの教育無償の原則のもとに給食費を。現にあなたの文部省において、その範囲において実現すべく具体的な検討をしたあれもある。これがだんだんだんだん推進せられてきて、一部補助等々が行なわれてきておる。ですから私は、かつて農林省における酪農振興のそれから、乳の大幅な下落の問題が起こってきた際に、これを学校給食に回す施策を当時とったことがある。その際にも、これは国費で便宜、乳が余ったから学校へ回すということで、学校教育そのものとは無縁に、便宜的な措置としてこういうことが行なわれるということであってはならない、教育目的に沿うがために、私はこの乳を学校給食のほうに回す、そうしてこれは継続的にやっていくのだ、こういう建制でなければならぬと思うがどうか、と尋ねたら、そのとおりでございます、ということだった。それも便宜的な問題としてその後紆余曲折はありますけれども、建前としては、方向としてはこれは無償の原則に近づけていこうということ、そういう前向きの姿勢で、どこの官庁も扱わないこの種の問題は、文部省自体が扱うべき問題である、もっと積極性を示す問題ではないかという感じ方を私持つのですね。だから、今の大臣のおっしゃる慎重な御答弁はいいが、あんまり力点を、飯を食うのはこれ人間自然の本能である、こういう考えでものを割り切らぬで、ひとつ御検討をなさるように、横道でありますけれども、これは希望しておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/152
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153・荒木萬壽夫
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 学校給食が、少なくとも義務教育課程におきまして推進され、完全給食にまで持っていかるべき教育上の本来的な問題であることは理解しております。現行法におきましてもそうなっているわけですが、ただ私が申し上げております意味は、給食の施設、設備及び人件費等は、国もしくは公共団体で負担する建前、原則に今なっていると思いますが、食費代そのものを全部国・公費で持つかどうかという点が、これが二十六条から当然に出てくる密着したものであるかどうかにはいささか自信がございませんので、その点を検討をして申し上げたいと、こう思っておるのであります。その意味において給食制度調査会の答申も、食費は二分の一国・公費でということになっておる、私はその辺の検討が十二分に行なわれたかどうかは別としまして考慮に入っているのじゃなかろうかと、こう思っていると、こう申し上げた次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/153
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154・大矢正
○委員長(大矢正君) ちょっと速記をとめて。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/154
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155・大矢正
○委員長(大矢正君) 速記をつけて下さい。
本案に対する質疑は、本日のところ、この程度とし、これにて散会いたします。
午後五時三十九分散会
—————・—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015077X01119620329/155
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