1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十七年四月三日(火曜日)
午前十時二十七分開会
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委員の異動
三月三十日委員増原恵吉君及び館哲二
君辞任につき、その補欠として西田隆
男君及び西田信一君を議長において指
名した。
三月三十一日委員青田源太郎君辞任に
つき、その補欠として古池信三君を議
長において指名した。
四月二日委員古池信三君辞任につき、
その補欠として青田源太郎君を議長に
おいて指名した。
本日委員加瀬完君辞任につき、その補
欠として鈴木壽君を議長において指名
した。
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出席者は左の通り。
委員長 松野 孝一君
理事
青田源太郎君
井川 伊平君
亀田 得治君
大谷 瑩潤君
委員
西田 信一君
野上 進君
高田なほ子君
赤松 常子君
国務大臣
法 務 大 臣 植木庚子郎君
政府委員
法務省訟務局長 浜本 一夫君
事務局側
常任委員会専門
員 西村 高兄君
参考人
東京大学教授 雄川 一郎君
大阪高等裁判所
判事 平峯 隆君
弁 護 士 澤 克己君
京都大学教授 杉村 敏正君
弁 護 士 高木 右門君
東京地方裁判所
判事 位野木益雄君
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本日の会議に付した案件
○理事の補欠互選の件
○行政事件訴訟法案(内閣送付、予備
審査)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/0
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001・松野孝一
○委員長(松野孝一君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
この際、委員の異動について御報告申し上げます。
三月三十日付館哲二君辞任、西田隆男君選任、増原恵吉君辞任、西田信一君選任、以上であります。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/1
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002・松野孝一
○委員長(松野孝一君) 理事の補欠互選を行ないます。
去る三月三十一日、理事青田源太郎君が一時委員を辞任されましたため理事の欠員を生じておりますので、この際、その互選を行ないたいと思います。互選の方法は、慣例により委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/2
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003・松野孝一
○委員長(松野孝一君) 御異議ないと認めます。
それでは、私より青田源太郎君を理事に指名いたします。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/3
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004・松野孝一
○委員長(松野孝一君) 次に、行政事件訴訟法案を議題といたします。本法案については、去る二月一日に提案理由の説明を聴取し、二月十二日に逐条説明を聞いております。本日は、本法案について参考人の意見を聴取いたします。
本日御出席いただく参考人は、東京大学教授雄川一郎君、大阪高等裁判所判事平峯隆君、弁護士澤克己君、京都大学教授杉村敏正君、弁護士高木右門君、東京地方裁判所判事位野木益雄君、以上六名の方々でございます。午前中は雄川参考人、平峯参考人及び澤参考人の御意見を伺い、午後は杉村参考人、高木参考人及び位野木参考人の御意見を伺うことにいたします。
最初に、参考人各位にごあいさつ申し上げます。御承知のとおり、本法律案は、現行の行政事件訴訟特例法が解釈上疑義が多く、かつ、行政事件訴訟の特質及び各種行政法規との関連においての考慮が十分でなく、その運用上幾多の困難を生じておりますため、これを全面的に改正しようとするものでありまして、各方面に対する影響も大きく、きわめて重要な法案でございます。つきましては、参考人各位のそれぞれのお立場から、忌憚のない御意見を伺いまして、本法案審査の参考に資したいと存じ、委員会の決議によりまして御出席をお願い申し上げた次第でございます。参考人各位におかれましては、御多忙のところ、わざわざ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。
それでは、これより御意見を伺いますが、時間の関係もありますので、御意見の開陳は、お一人二十分程度にお願いいたしたいと存じます。
なお、委員の方々に申し上げますが、御質疑は、三名の参考人の方々の御陳述が全部終了しましてからこれを行ないますから、御了承願います。それでは最初に、東京大学教授雄川一郎君からお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/4
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005・雄川一郎
○参考人(雄川一郎君) 私、ただいま御紹介いただきました雄川でございます。今ここで問題になっております行政事件訴訟法案というのは、ただいま委員長のほうからお話がございましたように、現行の行政事件訴訟特例法を全面的に改正するものでございますが、これは、今度の国会に同時に提出されております行政不服審査法案と一緒になりまして、日本の行政法ではおそらく画期的な法律案といってもいいのではないかと思われますが、また同時に、それだけこれらの法案に含まれた問題点は多いわけでありまして、いろいろな議論があるだろうと思われますけれども、私の全体としての感想を最初に申し上げますと、私といたしましては、この行政事件訴訟法案全体としては、賛成するものでありまして、その実現の早からんことを願っているものでございます。今申しましたように、この法律案の全体にわたる考え方なり構想なりにつきましても、それから個々の規定につきましても、理論的それから技術的にいろいろの問題を含んでいると思われますが、ここでは時間の関係もございますので、ごく大づかみに、基本的な問題点につきまして、この法律の提案理由の説明をいただいてございますが、この説明で、この法案の主要な点とされているところのあらましにつきまして、私の感想を述べさしていだだきまして、何らかの参考にしていただきたいと思います。
まず最初に、この法案の構想と、それから全体の組み立てについてでございますが、要するにこの法案は、いわゆる行政事件訴訟に関する基本法といたしまして、その性格を明らかにし、この法案が行政事件訴訟の基礎となるべき一般法である。そういう考え方に立ってできているのは、御承知のとおりでございます。その趣旨は、あるいは第一条あるいは第七条あたりに現われているわけでございます。この点については、理想的な立法を願うという立場からいいますと、この法律に盛られた程度の規定では、なお十分ではないわけでありまして、あるいは本来からいえば、行政訴訟に関するいわば自足的な法典、自足的なと申します意味は、この法律に定められておりますところでは、行政事件訴訟手続の全部を尽くしてはいないわけでありまして、第七条に見えておりますように、「この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による。」という形で、いわば民事訴訟法あるいはその他の民事訴訟法規におんぶしている面があるわけでございますが、理想的な見地からいいますと、そうではなくて、行政事件訴訟に関する自足的な法典を作るべきだという考え方もあるいはあり得るかと思います。たとえば、お手元に参考資料として配付されているように伺っておりますが、昭和七年にできました行政訴訟法案などは、そういう考え方でできているわけです。しかし、現在のところ、そういうものを望むことはとてもできないわけでありますし、また現在のように、司法裁判所が行政事件訴訟を扱うという場合に、そういうような考え方で行くのがいいかどうか、そういう問題もあるわけでございまして、少なくとも現在の段階では、とてもそこまではいけないということになるだろうと思います。そこで、そこまでは望めないにいたしましても、行政事件訴訟法という以上は、やはり行政訴訟の基本的な骨格に当たりますような規定を体系的に盛り込んだ立法をするということが本来は望ましいところであろうと思われますが、この法案は、そこまでも行っていないわけでありまして、その点が不満といえば不満でありますけれども、しかし、現在のところ、行政訴訟に関する理論というものは、まだ十分に確立されてはいないところが多いわけでございますし、判例も学説もまだ十分に固まっていないところが多いわけでございます。それから一面で、現在の裁判所というものは、何といっても民事訴訟に慣熟しておられるわけでありまして、そういう裁判官なり裁判所なりによって運用されるということを考えますと、やはり現在の段階では、この法案程度にとどめまして、規定の大部分を民事訴訟法規におんぶしながら、必要な規定、しかも、それも現在の段階で固められ得るだけのものを取り上げていくという考え方にならざるを得ないことになるのではないだろうかと思われますので、さしあたりは、この法案程度が現在達し得る限りの線ではないだろうか、これを踏み台にして将来の発展を考えていくべきであろうと思われます。そしてまた、そのことだけでも、現状に比べますと相当の進歩になるのではないかと思われるわけでございます。
この法律案で残されたいろいろな問題は多いわけでありまして、たとえば、いろいろな論議の対象になっております行政訴訟における主張立証責任の問題だとか、あるいは請求の放棄は認諾ができるかとか、自白の法則がどこまで適用があるかというような、いろいろな問題がございますが、それらについては、この法律では全然触れておりません。ここらも足りないといえば足りないところでありますけれども、しかし、何分これらの問題については、学説、判例によるところの行政訴訟の法理そのものが固まっていない段階でございますので、、どうもやむを得ないところではないかと思われます。ただ、そういうように、基本的には民事訴訟によりながら、行政事件に必要な規定を置いていくという考え方をとるといたしましても、将来の判例によって、やはり行政事件に即した扱いというものを認めていかなければならない面がどうしても出てくるわけでありまして、その点について申しますと、この法案の第七条が、現在の行政事件訴訟特例法の第一条と違いまして、「この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による。」といっておりますのは、現在の法案の考え方と違いまして、民事訴訟の原則によりながら、しかし、行政事件訴訟としての特質を考慮いたしまして、必要なモディファイを加え得るという余地を残そうという頭だろうと思われますが、こういう点からいえば、あるいはこれもお手元に参っているかと思われますが、たとえば、ドイツの新しい行政裁判所法の第百七十三条のような書き方、「両手続の性質の原則的差異により排除されないかぎり、」という表現を使っておりますけれども、こういう表現を使うのもあるいは一案ではなかったかと思われるわけでございます。
それが全体についての印象でありますが、次に、この法律では、第一章総則におきまして、いわゆる行政事件訴訟の類型というものを体系的に定めております。これは、現在の特例法の第一条が、いわゆる取消訴訟と、それから公法上の権利関係に関する訴訟という二つの書き方だけを定めているわけでございますけれども、それが、それだけでは十分ではなくて、またいろいろな疑義が多いというので、こういう考え方をこの法案はしているわけでありまして、現在のところ、考えられ得る行政事件訴訟の類型というものを取り出し、それにはっきりした概念を与えまして、それに関する適用規律を明らかにしていこうというねらいを持っているものと思われます。ことにこの点で注目されますのは、第三条の第一項に、「「抗告訴訟」とは、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟をいう。」と、抗告訴訟という観念を持ち込んで参りまして、抗告訴訟という観念で、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟を広くとらえ、その中で、現在の段階で固められ得るものをつかまえているわけでございます。この中には、たとえば、無効等確認の訴えなどのように、従来抗告訴訟の性質を持つかどうかという点について問題のあったものもございますし、それから、不作為の違法確認の訴えなどのように、従来の判例の上では必ずしも認められなかったものもございますが、これらが公権力の行使に関する不服の訴訟の意味を持つということは、私もかねがね理論的にそういうふうに考えていたところでありまして、この解決は正当であろうと思われます。それから、この不作為の違法確認の訴えをこの法律が導入した点が一つ注目される点でありますが、これは、言うまでもなく、行政庁の行為によって国民が困っているという場合の救済手段に一歩を染めたものでありまして、その意味から注目されるところであります。この点については、この法律案に出ております不作為の違法確認の訴えというのは、要するに、申請をした者に対して行政庁は何もしない、何もしないのはいかぬではないかということだけの話でありまして、別に何らかの具体的行為義務を行政庁に課することにはなっておりませんから、いかにもなまぬるいという感じは否定できませんし、そういうものを置いたところであまり意味がないという考え方もありましょう。こういう考え方の規定を設けるとすれば、もう一歩進んで、いわゆる義務づけ訴訟、あるいは行政庁の給付訴訟などといわれておりますが、具体的なある行為を行政庁にする義務を裁判所の判決によって課するというところまでいかなければ意味がないという考え方もあり得るかと思われます。しかしこの点は、先ほども申しましたように、現在の判例でもむしろ大勢は否定的でありまして、また学説の上でもいろいろ議論があり、十分に固まっていないところでありまして、そこまで現在の段階で立法化するにはおそらく適しない問題ではないか。これは将来の学説なり判例なりの発展に待つべき問題ではないだろうかというのが私の考えでございます。そういう点については、この義務づけ訴訟に限らず、いわゆる予防確認訴訟、すなわち、行政庁がある国民に不利益な行政行為をやろうという場合に、事前に、それを何らかの形で、そういうことをするのは違法だという裁判を求める道を開くというような問題もございますが、これらの点は、現在の段階では、おそらくは黒白をつける、つまりそういうものを許すという趣旨を明らかにする、あるいはそういうものはだめだということを明らかにするのではなくて、やはり将来にまかせらるべき問題ではないだろうかと思われるわけでありまして、それらの点で、この法律の第三条第一項が、抗告訴訟というのを、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟という広い見地からつかまえておりますので、もし将来具体的な事件が出て参りましたときに、そういう訴訟を認めるのに適するという裁判所の考えがあるとすれば、それは第三条第一項にいう抗告訴訟として受ける、こうなるわけでございます。要するに、この法案の考え方というのは、現在の学説、判例の見地で固められるところまで固めたものでありまして、その考え方は、結論においては私は正当だろうと思っているわけでございます。
それからなお、多少こまかい問題になりますが、いわゆる事実行為、すなわち法行為としての行政行為の性質を持たない、公権力の発動としてなされる事実的な行為について、この法律では正面から出しておりません。おそらく考え方としては、第三条第二項にいう、「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」、ここでいう「その他公権力の行使に当たる行為」に読み込ませるつもりであろうと思われますが、私は、この点については、せっかくここまで来たのであれば、事実行為についてもはっきり出しまして、何といっても、いろいろな面で一般の行政行為と違ったところを持っておりますから、処分の取消しの訴えに対する必要な特例を考えていくということがいいのではないだろうかと思っているわけでございます。
次に、この法律において訴願前置をはずしておりますが、御承知のように、訴願前置については、いろいろな批判が従来あったところで、この際思い切ってはずすというのは一つの行き方だろうかと思われます。ただ問題は、そう言いましても、何といっても、ほかのいろいろな法律で訴願前置を強制するという必要がある場合のことは否定できませんので、どうしても例外を認めざるを得ないわけでありますが、その例外が非常に広がって参りますと、訴願前置をせっかくはずしたことの意味がなくなってしまいますので、この点は、この法律案直接の問題ではございませんけれども、あまり不合理な例外が多くならないように、この点は、立法の衝に当たられる国会に特に私としてはお願いしたいところでございます。
それから、執行停止の点でございますが、この法案は、現在の特例法と同じように、出訴があっても執行停止しないという原則をとっておりまして、この点については、あるいは原則と例外を逆にして、出訴があれば執行が一応停止される。必要があれば執行命令の制度を設けるというような考え方ももちろん十分考慮に値する問題でありますけれども、現在の日本の段階では、まだまだそこまでは踏み切れないのではないだろうかというように私は考えております。
それから、この内閣総理大臣の異議、これも非常に問題になっている点でありますけれども、私は、結論的に言えば、さしあたりは存置すべきであろう、これを廃止しなければならないだけの積極的な理由は現在のところないのではないかと思っております。それは、要するに、ある行政行為によってどういう行政上の効果を生ずるかということの問題になるわけでありまして、裁判所の終局的な責任において執行を停止するかしないかをきめるという点については、やはり理論的にも若干問題がないわけではございませんが、まあその点を抜きにいたしましても、実際に問題として考えましても、不当な執行停止の責任をもし裁判所がかぶるということになるならば、やはり好ましいことではないのではないか、やはり内閣総理大臣に再度の発言権を与えるということは、別にそう不当なことではないだろうと考えております。この点は、たとえばドイツの行政訴訟制度でありますと、先ほど申しましたように、むしろ執行停止の原則をとっておりますし、それから、もちろん内閣総理大臣の異議にわたるような規定はございませんが、それは、やはり行政裁判制度をとっておることと大きな関係があるのではないかと思われます。また日本みたいに、司法裁判所が行政事件を扱う建前をとっておりますイギリスやアメリカなどの場合でございますと、判例によって裁判所がインジャンクションというような行為をするにあたって、自己制限を課しておるわけでございますが、そういう点は、法典国としてのわが国では期待しがたいところでありまして、そうなりますと、やはりこういうような制度を置くということも一つの意味があるのではないかと思われます。その具体的な内容については、もしこういう制度を設けるとすれば、この法案に盛られたところは、現行法よりもはるかにましになっているというふうに考えているわけでございます。そのほかいろいろな問題があろうかと思いますが、技術的な問題が多いわけでございまして、時間もまた参りましたので、御質問でもあれば、私の考えをあとで述べさしていただくことにしたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/5
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006・松野孝一
○委員長(松野孝一君) ありがとうございました。
続いて、大阪高等裁判所判事平峯隆君にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/6
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007・平峯隆
○参考人(平峯隆君) 光栄ある委員会の参考人として出頭を命ぜられて意見を述べる機会を与えて下さいましたことを誇りに、かつ喜びに感ずる次第でございます。私は、民事、刑事の裁判を三十年間やってきました。それから行政訴訟につきましては、これがしかれて、裁判所の権限の中に入っていって以来扱ってきた一人として、最も数多く扱っておるという、こういうだけのことしかないのでございまして、深く学問的に研究しているひまもなく、またその能力もないのでありますが、これまで扱ってきた経験とか、そういうようなことから、また本法案につきまして非常にかねてから興味を持って、関心を持っておった者の一人として、私の個人的な意見を述べさしていただきます。
本法案の全般的な構想とか体系とか、こういうことにつきましては、ただいま雄川さんがおっしゃれるとおりで、それを引用させていただきますが、たいへんりっぱにできておりますし、このような法案を一日も早く成立していくということを望んでおる次第でございます。
大体この構想を見ますと、国民の権利の伸張というようなことに非常に意を注がれたことが見えております。そのような点におきまして、まことにけっこうと存ずる次第でございますが、実際検討いたしますと、必ずしもそうではないような規定もあるように思うのでございます。そのような幾つかの問題点につきまして、私の率直な意見を述べさしていただきますが、最初に、訴願前置の規定でございますが、現在の訴願前置の制度を廃止しまして、本法案は、訴願前置をはずしまして、この点につきまして、これは国民はどちらでもいけるというのでありますから、国民の権利伸張には非常に役立っておるように見えるのでございます。ところが、この法案の表向きはそうではございませんが、ただし書きによっていろいろな訴願前置を設けるということ、ここに実は本案の意味があるように読みとられますが、これは、表向き国民の権利伸張をはかって、そうではないようなことを結果するのではないかと思うのでございます。このようなただし書きをつけられるということ、これを立法の過程、立案の過程について聞知したところによりますと、たとえば大量的な処分、技術的、専門的な処分、あるいは第三者的な機関が審査請求に当たる、こういったようなものをただし書きの中に入れよう、こういうような御意向のように承っております。そうなりますと、行政処分の大部分がそのようなことになるわけでございます。そうすると、実は原則と例外とが逆になってくる、このようなことになります。それでもいいといえばいいのでございますが、国民としては、どちらでもできるのだからと思っておったところが、そうではなくて、実は法律によって訴願前置が要件になっている。こうなりますと、国民をして惑わしめるのではないか。しかしまた、行政処分の性質から見まして、やはり訴願前置というものは非常に意義があるということを考えますと、あながちただし書きを削除することもできない。私はむしろ、このようなふうに、原則と例外を表向き変えていながら、実質的には逆なようなことを結果する、このような法律は、むしろ端的に、やはり行政処分については訴願を経なければ出訴ができないというふうにしたほうが、むしろ混乱を避ける意味においていいのではないかと思うものでございます。現在の訴願制度そのものによりますと、この点が、訴願の規定が非常に不備でございますから、そのために国民が出訴の機会を失うということも考えられます。行政不服審査法案が別途に出されておりまして、これによりますと、新たに教示の制度が導入されましたし、また、訴願制度について規定の整備ができておりますので、そのようなことを前提にいたしますると、訴願前置を取っても、国民の権利に大した影響は及ぼさないのではないか、このように愚考する次第でございます。そこで、私としましては、第八条は、訴願前置を廃止することなく、存置するほうがいい、こういうような結論を持っている次第でございます。
次に、訴訟形態につきましては、本法案は非常に意を用いておりまして、りっぱなものができたことを喜んでおります。しかし、その中で二、三問題点を考えてみますと、まず第一に、不作為の違法確認でございます。第三条五項、第三十八条に規定してあります不作為の違法確認の訴えは実益に乏しいから、むしろ相当期間の不作為は却下処分があったものとして、その取消し訴訟として規定するほうがいいのではないかという考えを持っているのでございます。なぜかといいますと、現在このような類型は認められておりませんから、一歩前進したことに間違いございません。しかしながら、不作為の違法確認ということは、決して国民の申請しているその本案についての判断をするわけではなくて、それ以前の問題として定められております。そうしてこの違法確認の訴えができるのは、相当期間を経過して、なお処分がなされない場合でございますから、そうすると、大体において原告が勝訴になるのではないかと思います。しかし、勝訴したところが何になるかといいましても、何もない、実体判決がないのでございますから。長年訴訟で争って、そうしてなおかつ行政庁が処分をしないということでありますと、違法が確認されたところが、行政庁の申請認容の処分を期待するということは、これは絶対望み薄だということを考えなければなりません。そうすると、この判決に勝訴して、行政庁が却下の処分をすると、またそれに対して初志を貫徹しようとしますれば、もう一度訴訟を起こさなければならない。二重の訴訟をしいるようなことになるのではないか、こういうふうに思うのでございます。そこで、むしろこのような規定を設けるとすれば、却下処分があったとして、それの取り消しのような形、出訴の関係では、却下処分があったとして、そのような構成のもとに不作為の違法確認を認めるならば、これは別でございます。この場合におきまして、申請を認容したと認めるならば、これはおそらく大問題であろうと思います。申請を却下したと見て訴訟を起こさしめるのでございますから、混乱は起こらないというふうに思うのでございます。そこで、この不作為の違法確認は、却下処分があったものとみなして、それに対する取消しの訴えというような形に持っていくのがいいのではないかというふうに考えております。
次には、本法案では類型としてあげられておりませんが、先ほど雄川さんが触れられました、義務づけ訴訟及び予防的義務確認の訴訟類型でございます。この法案の第三条によりまして、「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」を「抗告訴訟」ということになっております。また、裁判所法の第三条におきまして「一切の法律上の争訟を裁判」するというふうに裁判所の権限が定められておりますので、そのことから見ていきますと、まさに、必要がある場合に義務確認訴訟及び予防確認訴訟の認められる余地があるということは、私も、解釈論としては是認できるのではないかと思うのでございます。しかし、この規定がないということが問題でございまして、やはり現在の段階におきましても、その類型を十分に検討された上、法案の中に織り込むのが時宜を得たものではないかというふうに考えるのでございます。
この義務確認のほかに、給付訴訟が認められるかどうかという問題もございますが、行政庁が不作為の場合に、作為を求める訴訟や、不作為の禁止を求める訴訟、これと義務確認の訴訟とは相似たところがあるのでございますが、やはり違うところがある。給付訴訟を命ずる、あるいは、みずから裁判所が許可があったと同じような判決をするということ、これはどうも、三権分立の原則からいっても、少し行き過ぎではないかと思いますし、また給付訴訟を命じ、給付すべきことを命じ、あるいは不作為を命じた、命じた判決といいますのは、これは意思の陳述を命ずる判決でございますので、この法案によりますと、民事訴訟が準用されますから、民事訴訟法の七百三十六条によりまして、判決が確定いたしますと、それらの処分があったことになります。しかしこれは、結局、行政庁がそういう許可あるいは不許可、あるいはそのような作為、不作為をしたのではなくて、裁判所がそういうことをするということは問題ではなかろうかと思います。しかし、その一歩手前における、ある処分をなすべからざる義務の確認、あるいはそういう処分をなすべき義務があることの確認、そのような形は論理的な判断の結果出てくるもので、まさに判断作用だけでございますので、裁判所がかわって行政処分をするというような非難は当たらないのではなかろうかと思うのでございます。事後審査が裁判所の本来の機能ではないかという一般的な批評がございます。まさに一般的にはそうであると思いますが、しかし、そのようなことは法律の明文から直接出てくるものではないのではないかと思うのでございます。判裁所におきましては一切の争訟を判断する、だから結局、争いがあって、争いが裁判をなすに熟しておれば、それを裁判所が取り上げても、格別、三権分立に反するわけではないのではないかと、かように思うのでございます。現在、義務確認の訴訟を積極的に是認した判例というのはそう数多くありませんし、また、学説としても支配的な見解であるとは思いません。しかし、現実に裁判を扱っておりますと、やはりどうしてもそういうような類型を認めて判断しなければ正義に反する結果が発生する、かようなことをたびたび経験いたします。そこで、このようなことにつきまして、せっかくこの新しい法案ができるのでございますから、時期尚早という意見もございますが、やはりこの際、この点につきまして何らかの規定を置くべきものではないか、かように思うのでございます。
次に、無効確認訴訟の問題でございます。無効確認訴訟につきましては、本法案の第三条の四項におきまして、「「無効等確認の訴え」とは、処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無の確認を求める訴訟をいう。」こう規定してございます。そしてその訴訟につきまして、第三十六条におきまして、「無効等確認の訴えは、当該処分又は裁決に続く処分により損害を受けるおそれのある者」、そのような者、その他「法律上の利益を有する」、確認を求めるについて利益を有する者が起こすことができる。しかもそれは、現在の法律関係に引き直してはその訴えはできない、あるいはその目的を達するということができないものに限り提起することができる。このような規定の仕方になっております。御承知のように、無効等確認の訴えというのは、行政訴訟が起こりましてから出訴期間の経過あるいは訴願期間の徒過、このようなことから無効等確認の訴えがほうはいとして起こってきたわけでございます。このような形式は、当初予想されていなかったとも言われておりますが、実務上は、実は大きな意味を持ってきておりますし、件数からしても、取消訴訟に次いで多数を占めている訴訟形態でございます。現在は何らの規定がございませんので、訴訟としては、取消訴訟と同じような違法事由が、それを引き直して、すぐ無効の事由になるとして訴訟を起こしてきております。そこで、実務からいたしますと、無効等確認というものがやや乱用されておるのではないかというきらいが感じられるのでございます。そこで、何らかの規制を加えなければならないということは考えられるわけでございますが、それにつきましては、最高の三十四年九月二十二日の判例がございまして、重大明白という要件を主張していることを要する、というような判例を出しております。これで私は足るのじゃないか、現在の法律関係に引き直すということ、これは一般の民事訴訟の確認の訴えと混同しておるのではないかというふうに私思うのでございます。私法上の契約でございますと、その後、その契約の無効を確認したところが、現在の法律関係とは一致しないということは、これはよくあるわけでございます。ところが、行政処分におきましては、処分の無効を前提としてある行為がなされるということは考えられないのでございます。それから、無効確認といいますと、これは過去の行政処分の単なる無効確認を求めるというのではなくて、これは、現在そのような行政処分公定力を持っていない、行政処分として通用しないということを明らかにする、このような訴えというふうに考えますと、これはもちろん現在の法律関係に当たるのでございまして、過去の法律関係だと考えてこのような訴訟に疑問を持つ必要はないのではなかろうか。また、本法案の認めておりますように、それを現在の法律関係に引き直すことができない場合があるということも認められておりますから、これは、理論的に言いましても、単に行政処分の無効確認という端的な、そのような形式で訴訟を起こさせるのが筋が通っているのではないかと思うのでございます。これを本法案のように、現在の法律関係に関する訴えに引き直すということにいたしますと、どういう結果が発生するかと申し上げますと、現在の法律関係でございますから、行政庁が相手になるのではなくて、現在権利を持っておる者あるいは相手方の権利を奪う人が出てくる。そういう者が被害になってくる。結局、行政庁のある処分によって権利を得た者、あるいは得ない者、その同士で訴訟が行なわれるということになります。そうすると、これが無効な処分の結果、そのような訴訟が起こるとすれば、行政庁の不手ぎわ、それを国民が背負わなければならぬ、こういうようなことが結果されるのではないか。むしろやはりその処分をした行政庁が被告になっている現在の形のほうがはるかにすっきりしておって、事態の解決にふさわしいのではないかと、かように考えるのでございます。
次には、内閣総理大臣の異議権の問題でございます。裁判に行政権が関与するこれは唯一の規定だというふうに言われております。まさにそうでございます。これにつきましては、すでに御承知のように、最高裁判所の合憲とする判例がございます。しかし、その中の少数意見として述べられている意見及びある種の学説によりますと、これは違憲だというのでございます。まさに違憲の疑いも十分にあるのではないか、必ずしも合憲だと完全に言い切れない点もあるのではないかというふうに思うのでございますが、それはしばらくおきまして、裁判所は、結局、法に基づく判断をいたしますが、結局判断をしっぱなしというのが普通でございまして、そのいたした判断が間違っておった場合に、法的に責任を負うか負わないか、これは負わない。負うという規定はございませんので、責任というものを負わない者が判断しているというようなことは、雄川先生もおっしゃっておられます。まさにそのとおりでございます。しかし、責任を負わないということがあればこそ、裁判所はまた裁断の責任を感じて仕事をやっているわけでございます。それにもかかわらず、行政権から見まして、不安があるという場合も考えられますから、私は前進的な意味におきまして、この内閣総理大臣の異議を、違憲である、または不都合な規定であるとして排斥するという考えはございません。しかしながら、また本法案におきましては、現行法よりも一歩進んで、この内閣総理大臣の異議があった場合に、その政治的責任を問うという意味におきまして、国会に報告するという規定が設けられました。たいへんにすぐれた解決の仕方だと思うのでございます。この規定によりまして、行政庁と裁判所と立法と、この三者が一つの接点におきまして一緒に問題を見るということができることになったわけでございます。しかしながら、何分にも裁判権に対する干渉でございますので、単に事後的なそのような責任において問題を解決するだけでは足らないのではないか。本法案におきましては、やむを得ない場合でなければ異議を述べてはならぬとありますが、それを担保する規定はございません。また、裁判権を奪った形でこのような異議を申し述べられるということには、裁判所から見ますと、かなり不満があるのでございます。そこで、この点におきましては、内閣総理大臣の異議権の発動を最小限度に抑制する必要があり、そのために、第一には、異議権は即時抗告を経た後に限るものとする。第二点には、裁判所に異議理由の審査権を与える。裁判所をして一応理由があると思量させる程度の合理的な、かつ具体的な理由を付することを強行規定とすること、このようなふうにしたらどうかというのが私の意見でございます。現行法では、異議は裁判前になすべきことになっております。しかし、裁判後に異議がございましたら、それを取り入れて、執行停止を取り消しております。しかし、それからいたしますと、裁判をした後の異議をいうので、まさに裁判所と行政権が衝突する場面を作るわけになるのでございますが、裁判所がどういう意見を持っておるかということでなくて、一方的に無条件的に異議を申し述べるということになれば、それによって裁判所の意思表示が全然出ていない。裁判長が慎重に審議して、同じような意見を発するかどうかわからない。そのような形においてこれが国会に報告されるというようなことでは、事案の十分な解明が尽くされないのではないかというふうに感じます。そこでまず、裁判権がございますので、最初に、第一審としてこの申請の当否を判断させる。もしそれが行政庁の思わしくない方向で解決されるとすれば、本案におきましては、即時抗告の規定がございますので、即時抗告をして、その期間において異議を述べるというふうにすれば、裁判所の意見が一応出た形で問題が提起される、こういうことになります。それから、単に異議があったら、いきなり無条件的に執行停止を取り消すということは、裁判所の審査権を全然無視することになるわけでございますので、そのようなおそれを防ぐ意味におきまして、とにかく裁判所にその異議理由の審査権を与えて、裁判所が、なるほどそういうこともあろうかというふうに、合理的だと考えられる、そのような理由を付し、それを考慮に入れた上裁判所が決定をする、こういうことにすれば、裁判所の審査権を無視したことにはならない。したがって、合理的な、理由だけから見まして相当だと思われるような理由が付せられておりますれば、おそらく裁判所は尊重するであろうかと思うのであります。しかし、現在の単に乱用の気味にわたりまして、単に公共の福祉に反するという、ただそれだけのことで異議がある、それだけで裁判所が全然お手あげになるということは、国民としても、そういう審査しておる人としても、納得しがたいものがあるのじゃないか。行政の最高責任者がそう言うのだからという、それだけでは裁判所としては納得しにくいのではなかろうか。納得し得る何らかの理由がなければならない。それを強行規定として、それを言わなければならない、このようにするのがいいのではないか、このように思っておるのでございます。
いろいろございますが、また、申し足らないところがございますが、後刻、質問の機会がございましたら、その機会にお答えさしていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/7
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008・松野孝一
○委員長(松野孝一君) ありがとうございました。
次に、弁護士澤克己君にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/8
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009・澤克己
○参考人(澤克己君) 私は一介の弁護士でありまして、むずかしい学問上の理屈はよくわかりません。しかし、行政事件訴訟、ことに抗告訴訟につきましては、かねがねこういう考えを持っております。人はだれでも他人の権利を違法に侵害してはいけない、それは不法行為である。しかし、それよりももっといけないことは、国または公共団体が公権力を違法に行使して国民の権利を侵害する、そういうことは最もいけない。たとえば、対等の人と人との間で、ある人が他の人をなぐる、それはもちろんいけないことであって、暴行罪を構成する。しかし、捜査官憲、警察官のような公務員が、権力をかさに着て無力な被疑者に拷問を加える、こういうことはもっともっといけない。抗告訴訟は、こういうような人の忌まわしむべき不法行為、そういうことからかよわい人民を救済しよう、そこに制度の目的があるはずだ、こう考えるのであります。そういう意味から考えまして、今度の法案にも数々の不満がございます。先ほどから、今度の法案はかなりりっぱにできたという意見がいろいろございましたが、それは法規の体裁をおもに言われておる。ですから、訴訟実務、裁判の実務上便利になった、やりやすくなったということであって、人民の側から、その権利を救済するという目的から見ては、あまり進歩改善の跡は見られない。むしろ後退したものが相当ある、こう考えております。
そこで、時間がありませんから、私は順序をかまわないで、重要だと思う点から拾って参ります。
第二十五条の執行停止。この点は、先ほども雄川さんが言われたように、訴訟を提起すれば当然に執行が停止されるという原則をもう一度考え直してもらうということには相当余地があると思うのです。ことに、出訴期間を短縮しようかというような場合には、出訴期間を短縮するのだったら、なおさら再考の余地があるんじゃないか、こう考えます。
それから次に、二十五条の二項、三項ですが、二項、三項によって執行停止の要件を制限しております。非常に厳格に規定しております。二項によっては、「回復の困難な損害を避けるため」、それから「緊急の必要があるとき」、この二つ。三項では、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」ということがあって、もう一つ消極的な要件として、本案について理由がないと思われるときにはこれをできないというふうに、裏と表から、いわば四つの条件で縛っている。がんじがらめに縛りつけている。こういうことは、国民を救済しよう、かよわい国民のために道を開いてやろう、不服の道を開いてやろうという観点から見て、非常に不親切な、思いやりのないやり方ではないか。私たちは、この要件を一つないし二つ、いずれかを組み合わせて、それで足りるのじゃないか。もう少し国なり公共団体の側は、人民に対する子を保護すべき親の愛情といいますか、それとも主人に仕える忠実なしもべの奉仕的な精神といいますか、もう少し謙抑な気持で、要件を緩和してほしい、こう考えるのであります。
それから、内閣総理大臣の異議について申し上げます。平峯さんがおっしゃったように、これは違憲であります。私は、これは全文を削除すべきものだと考えます。その理由は、三権分立の根本原則に反する、司法権の独立を否定する昔の封建制に逆行するものである。司法権に対する、裁判官に対するはなはだしい侮辱、不信の表明であります。先ほど平峯参考人は、違憲だということはしいてはおっしゃらなかったようですが、それは、平峯さんは、自分が裁判官ですから、遠慮なさったのじゃないかと思うのです。私どもは、これは明らかに違憲だと、こう考えます。それから、二十五条二項に対する即時抗告の規定もありますから、もうこういう規定を設ける実際的な必要もほとんどない。私どもは、折衷案として、一応異議権を認めても、その異議の当否を判断するのは、最終的には裁判所だ、こういうふうな規定ならいいのではないかと思いましたけれども、その必要さえも、二十五条二項の即時抗告の規定によって、もう裁判所に信頼したらいいではないか。私どもは、裁判所が法律的には最終的な判断をするということによって非常に安らぎを覚える。私どもは、役所はたくさんあるけれども、やはり一番信頼するのは、最終的には裁判所です。裁判所には、私いろいろな不満を持っております。持っておりますけれども、何といっても、最後のよりどころは裁判所だという気持になる。裁判所が、「上意」というようなことで、自分の裁判をやったやつを、総理大臣から一言言われただけで一ぺんにだめになってしまう、こういうことでは安心してやっていけません。
それからもう一つ、第三十条に、裁量処分の取消しという問題があります。これは、取消しの理由を不当に制限している。この三十条によりますと、「裁量権の範囲をこえ又はその濫用があった場合に限り、裁判所は、その処分を取り消すことができる」というて、この二つの場合に限っている。ですから、そのほかは一切できないということです。これは、審議会の小委員会でもあまり問題がなかったようです。学説、判例をそのまま明文化したのだというような意見があったようですが、私ども実務家としては、非常に危険を感ずるのであります。結論から言いますと、私は、西ドイツの行政裁判所法なんかを読ましていただいて、それも参考にしたのですが、それを参考にする前から、これはいけないと思っておりました。この二つの理由のほかに、取り消し理由のほかに、裁量の処分が公平でないとき、それからあるいは、処分が行政庁に裁量をゆだねた目的に適合しない方法または程度において行なわれたとき、行使されたとき、こういうものも加えなければ、この規定だけでは狭過ぎる。たとえば、裁量権の範囲をこえさえしなければいいということになると、国家公務員法に懲戒処分という規定がありますが、それは、公務員が何か非行をやれば懲戒される。その処分の種類には、上は死刑にひとしい免職から下は戒告もあります。その範囲のどれ——軽い懲戒事由ですね、軽い非行について、その範囲のどれを当てはめて懲戒処分に付しても、これは裁量の範囲じゃないかという解釈が生まれる。その解釈は間違っていると思いますけれども、そういう解釈をされる余地がある、危険がある、こういうことです。ですから、それはそれでも裁量権の範囲だというようなことになってくるとたいへんだから、それは明らかに公平でないという観念、あるいは裁量をゆだねられたその目的に適合しないという観点から、そういうものも取り消されなければならない。著しく不相当の場合ですね。
それからもう一つ、権利を乱用した場合。乱用した場合には取り消すことができる。今の日本の裁判所の判決例では、乱用というものは、非常に要件を厳格に解しております。よっぽどでないと乱用という主張が通らないで、処分者が故意に、よっぽど悪い魂胆でやるということが証明されなければならぬ。ところが、そういう魂胆なんというものは、簡単に証明できるものではないのです。役人さんは上手にやりますから、それがあの人たちのお手のものじゃないかもしれませんが、そういうことは非常にお得意ですから、それをうわべだけ見て、理由をくっつけて、処分が不当だと言っても、そのときにその乱用の証明なんてできるものじゃない。だれが見ても、客観的に見て、これは不公平ではないか、裁量に委任された趣旨に適合しないじゃないかというような場合には、やっぱりこれは取り消してやらなければいけませんよ。いやしくも、少しでも公権力の違法行為によってかりそめにも国民の権利が侵害されちゃならぬ。この観点に立って、いつも立法の心がまえにしていただきたい、こう考える。これは、具体的な例を申し上げますと長いから、そういう判決例を引用することはよしましょう。
それから三十一条、事情判決。これも、小委員会でも問題はいつもあったようですが、三十一条の事情判決の規定も削除すべきだと考えます。理由を簡単に申します。これは、憲法十三条の個人の尊重の趣旨に反する。国家は個人のためにあるということを忘れている。行政庁が違法な事実を作って、それをあとで何とかかんとか言ってそのまま見のがされるということになると、違法な既成事実を行政庁がだんだんだんだん作っていくということを助長して法の支配の原則を崩壊せしめる。たとえば、憲法で禁止してある再軍備その他の面においても、だんだんだんだんなしくずし的に憲法やその他の法律がつぶされていく。そういう既成事実をだんだん作っていくという法律軽視の危険な傾向が現われてくる。それからまた、これは乱用の危険が大きい。そういうようないろんな事情で棄却を相当とするような場合には、通常は原告のほうの権利乱用という理由で棄却することもできる場合が多いでしょう。ですから、別にこの規定がなくても、多くの場合は原告の権利乱用という理由で棄却ざれる場合もありましょうから、こういうふうなことをわざわざ規定を置いて、そして憲法に違反するような疑いのあるものを置くことはもっと重大なことです。私どもは、これは角をためようとして牛を殺すのたぐいである、こういう考えを持ちます。こういうこともドイツの訴訟法にはなさそうです。「総理大臣の」というようなことも、米国の資料、それから西ドイツの資料にもなさそうです。日本独得のものです。日本独得のものが必ずしも悪いとは申しません。申しませんが、これは非常にいけない規定じゃないかと思います。
それから、ほかのことについて少しくまだ申し上げます。
訴願前置主義ですが、これは私どもは、平峯さんとは反対に、例外を省いて訴願前置主義を全面的に廃止する。もちろん、訴願の道は開いてあるので、どちらでも好きな方法を原告なり人民が選べばいい。それがほんとうのサービスだ、行政庁や司法裁判所がサービス競争すればいい、こういうふうに考えます。
それから現在、例外をたくさん設けるということは、実務家でも私どもでも非常に迷うことが多いのです。これは平峯さんがおっしゃったとおりです。ですから、例外のないことにしてどちらかに統一してほしい。統一するのは、今言いましたように、訴願前置を廃するというように統一してもらいたいということを考えます。
それから管轄の問題がございます。今度の法案で私は原告のために実質的に利益になったのはこれくらいのものじゃないか思うのです。専属管轄を廃止して少し管轄を広げてくれた、これはありがたいと思います。しかしその前に、もう一つ欲を言ってつけ加えたい。それは西ドイツの行政裁判所法第五十二条第四号にあるものに準じて「公務員の身分に関する訴訟は、原告の現に勤務しまたは最後に勤務しておった行政庁の所在地もしくは原告の住所在の裁判所にこれを提起することができる。」。原告が、何か地方の官庁の命令で鹿児島あたりに勤務しておって、そこに住所もある。そうしてそこで首になったというような場合に、そこに生活本拠があるのでなかなか東京まで行けない。行政庁が東京だからといって東京で訴訟を起こさなければいけない、これは非常に大きな負担です。それは逆でなければならない。もっと、こういう違法な侵害から国民を救済する訴訟というものは、もっとサービスといいますか、逆に考えなければならない。これはこの規定の中でも、第何条でしたか、十二条ですね。十二条の三項には「当該処分又は裁決に関し事案の処理に当たった下級行政機関の所在地の裁判所にも、提起することができる。」というから、中央機関のほかに出先機関、鹿児島なら鹿児島にあって、そこがその処理に当たった場合ならいいのですが、処理に当たらないでただ関与したという程度なら、やっぱり管轄は鹿児島にはならない。「当たった」という意味がちょっと不明確ですが、鹿児島に勤務しておったら、多分鹿児島の出先機関もそれに何らか関与するでしょう。ですから、関与するということになると少し広くなりますけれども、それよりも一生そこに勤務しておった、そこに勤務しまたはそこに住んでいる、そういうような場合にはその裁判所の管轄する場所に提起することができるようにしてやってもらいたい。それはそれだけに被告の側に負担になりますけれども、そういう負担はむしろ原告に負わせるべきものじゃない。それは国のほうに管轄の不利益は負担させるというのが原則でいいと思います。一般にこの規定は、全体としてこういう訴訟によって国なり公共団体が迷惑を受けることを少しでも少なくしようということばかりに意を用いておるように、少しひがんでおるかもしれませんが、そういうふうに見える。
それから第十四条、出訴期間六カ月を三カ月にするということ、これはやはり六カ月にしておいてほしいのです。現在の日本の国民の法律水準がまだ低いということ。これを三カ月なり二カ月にするということは、まだ時期尚早だと思います。五十歩百歩だといいますけれども、五十歩百歩でも異議がある。ことに訴えの提起に執行停止の効果を認めれば格別ですが、認めないのなら六カ月にしたってたいして国はそれにより特別な損害はこうむらないのだから、これは訴訟を提起すればすぐ執行停止になるのだということなら、早く片づけてしまわなければいけないから、一カ月なり二カ月ということは理由がある。西ドイツの訴訟法なんかでもその意味では理由があるけれども、日本はそういう場合はないのだから、やっぱり六カ月ぐらいは認めてやって下さい。これはお願いします。
この程度で一応終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/9
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010・松野孝一
○委員長(松野孝一君) ありがとうございました。では、これより参考人に対する質疑を行ないます。御質疑のおありの方は順次御発言下さい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/10
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011・亀田得治
○亀田得治君 いろいろ重要な問題点について御意見をいただいたのですが、特に私たちのほうで関心を持っておる点について、もう少しお聞かせを願いたいと思います。
その第一点は、例の「総理大臣の異議」の問題でありますが、参考人三人とも意見が違っておるのです。澤さんははっきりこれは要らないという点に重点があったようですし、平峯さんはだいぶ否定的ではありますが、結論的には置くと、こういうふうに修正をすべきじゃないかというふうな御意見に拝聴しました。雄川さんの御意見は、大体これでいいじゃないか、こういうふうにお聞きしたわけですが、これはまあ私の意見としては、かくのごときものは要らない、実はこういう意見を持っているのです。そういう立場から疑問を持っているわけですので、平峯さんと雄川さんにもう一度ちょっとお聞きしたいわけですが、私のこれが要らないと言う根拠は、いろいろありますが、一つの論点としては、この執行停止をするにつきまして、澤さんの御指摘のように、非常に条件がたくさんついておるわけですね。なかなか執行停止に簡単に行くかどうかということは、この条件を見ておるとむずかしい問題があるわけなんです。しかも、その中に二十五条のたとえば第三項などには、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき、」と、こういったようなものも出てきておるわけですね。したがいまして、裁判所が最初執行停止をするかしないか、その段階において、行政庁のほうで、この問題を執行停止されては公共の福祉に重大な影響を及ぼして困るのだと、こういうことは当然出てくるはずです。それは総理大臣が最終的にそういうことを言うくらいであれば、当然訴訟の当事者となった行政庁がその考えを裁判所に最初の段階において出すはずです。また出さなければおかしいと思う。総理大臣自身は、実際はそういう末端のことはよくわからないわけでしょう。わからない場合が多いはずです。総理大臣が異議を申し述べるといたしましても、結局は、裁判所で敗れて、仕方がないから総理大臣に泣きつくという格好になることが多いのじゃないか。そういう実際の場面、経過などを考えてみますと、裁判所自体も、何もその公共の福祉というような問題を初めから無視して執行停止をやる、こういう格好にはなってこない。それで、ただしその第一段階で敗れましても、これも御指摘がありましたように、即時抗告という段階でもう一度やれるわけですね。だから、それだけで私は十分だと思うのですね。そういう行政庁側の公共の福祉に訴える機会が奪われておるというのなら別ですけれども、そうじゃないんですから。で、まあ、これに対してはいろいろな反論もまた予想もされますが、これは裁判所にいたしましても、私は行政事件の扱いというのはだんだん時間がたてばなれてくると思うのですね。やはり全体的な立場でものを見ていこうという格好というものは、ずっと出てきておると思うのです。だから、そういう点がこの条文自体を見て私たちは必要ないじゃないかというふうに考える。
それからもう一点は、制度としても、これは戦後の占領当時GHQの指示でできたものであることは間違いないわけなんです。この占領政策というものは、これは当然憲法と矛盾する事態というものが起こることは、これはもう日本だけじゃなしに、どこだってそうでしょう。だから、そういう場合に、裁判所が憲法をたてにとってぽんぽんやられたんではたいへんだといったようなことが例の平野事件なんかを契機にいたしまして、そうして出てきたわけですね。まさにこれは特例法という名前のとおり、その点なんかまさに特例なんです、この経過から見ましても。で、諸外国には、もちろん御承知のように、ない。だから、なぜ日本だけそういうものを認めなければならぬか。この点が第二点です。
それからもう一つは、しかし、行政にふなれな裁判所が、そうはいいましても、ときにはやはり実際の行政と必ずしもマッチしない判決を出す場合があるかもしれぬという御意見があろうと思いますね。そういう場合には、やはり総理大臣の意見を尊重すべきだと、こう来るのだろうと思います。しかしながら、そういうことを言い出せば、これは普通の私人間の争い、あるいは刑事裁判にいたしましても、これは私は結局裁判官の判断でおやりになることですから、純粋に客観的に見れば、そういう間違いというものは幾らでもあり得るものだと思います。ただ、その間違いをできるだけ少なくしていこうという努力が裁判所で最大限なされておるわけでして、だから、そういう今私が第三に申し上げたような点までを問題にされるということになりますと、ちょっとそういうことを言うのであれば、それは単に行政事件だけの問題でないのじゃないか。むしろそういう不当な裁判の結果というものに対する批判は、これは終局的にはやはり私は世論の批判に待つべきだと思います。ああいう裁判がいいか悪いか。まあ世論といいましても、それは学者の批判とか、そういったようなものも含めて、そういうものに待つべきものであって、何か裁判にしろうとである総理大臣がぽんと横から出てきて、その判断をくつがえす、こんなことはどうしても納得できない。これはいろいろ学説なり考え方等が分かれておりますので、私たちもこういう法案をここにあずけられまして、どう判断すべきか、これはここで法律ができ上がればずっと残るわけですので、非常に苦慮しておる問題なんです。これは政治家が賛成、反対、どういう態度をとるかということ自身も批判の対象になる問題です。そういう意味で皆さんの判決と同じように私たちは苦慮しておるわけでして、今三点だけを申し上げたわけですが、それは亀田君、ちょっと考えは間違っているというような点がありましたら、ひとつ率直に御指摘を二人の方からお願いしたいと思います。
それから……まあいろいろ申し上げるとこんがらがっていけないと思いますから、その点だけ先にお聞きいたしまして、あと一、二点、それが済んでからお尋ねいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/11
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012・雄川一郎
○参考人(雄川一郎君) ただいまの御質問の点に関します私の考えを簡単に述べさしていただきますが、私もこういう何か、「総理大臣の異議」というような制度をもし白紙の場合に立法するとすれば、——白紙と申しますのは、現在の特例法に全然そういう規定がないと仮定いたしまして今度行政事件訴訟法を作るという場合に、もしこういう制度を導入するということであれば、これは相当問題の余地があると、おそらくそういうふうに考えるのではないかというふうに思われます。そういう意味では、こういう制度がぜひなければならないということを言うだけの根拠は、正直に申し上げまして、私は持っておりません。ただ私の考え方として、現在の特例法にこういう規定があるということを前提にいたしまして、−また、こういう規定が設けられるに至りましたのは、今おっしゃられましたような実際上の経過もございますし、それからまた、そのほか、こういう言葉はあるいはどうかと思われますけれども、裁判所が行政処分の執行停止を簡単にやる、それに対して行政庁が不満を持っておるというようなこともあるだろうかと思われます。
まあ、ともかく何らかの理由に基づきまして、こういう規定が現在設けられておるということを前提として今度の法律案を考えます場合に、それじゃこういう規定は現在どけるべきかと言われれば、どけるほどの理由はないだろうというのが私の基本的な考え方でございます。
そのことを前提といたしまして、その第一の点でございますが、確かにこの異議の制度は、形の上から申しますと、裁判所のやったことに対して行政の長たる内閣総理大臣が文句を言うという形になっております。それで、裁判所がこの二十五条に掲げられておりますような事柄について判断をした結果を、内閣総理大臣の異議によってひっくり返すという形になってはおりますが、しかし問題は、執行停止の手続が、御承知のように、疎明に基づいてなされるものでありまして、また一般の判決手続に比べますと比較的簡単な手続でなされるわけでございます。また、そういう簡単な手続で早くやらなければ執行停止ということは意味をなさないものでございまして、それは事柄の性質上当然そうなるわけでございますが、そうなりました結果が常に必ずしも妥当な結果が出てくるということは保証されていないわけでございまして、これは裁判所が慎重な判決手続を尽した結果の裁判でももちろん間違いはあり得るわけでございますけれども、その場合に比べまして、はるかにそういう可能性が多いということが言えるわけであります。その結果、予期しない行政の停廃という事態も考えられるわけでございまして、そういう場合にやはり何らかの保証が必要ではないかということは十分考えられていいところだろうと思われます。この問題については、根本には一体行政処分の執行停止をするというのは裁判所の固有の権限、憲法にいう司法権の作用に当然入ってくるのか、あるいはそうではなくて、本来は行政処分を執行するかしないかというのは行政的な権限である、裁判所が何らかの法律に基づいてそういう権能を与えられて初めて執行停止をするということになるのかという、理論的、あるいは、言ってみれば、憲法解釈的な問題が根本にあるわけであります。それをどっちをとるかによってかなり見方も違ってくるだろうかと思われますが、私の考えは、その点については結論的に言えば後者でありまして、執行停止の権限というものは司法的な権限でなくて行政的な権限ではないかというように考えているわけでございます。そこで一たんした裁判所の執行停止を内閣総理大臣の異議でひっくり返すというのは、なるほど内閣総理大臣が裁判所のやることに文句を言い、また司法権を侵犯するように見えますけれども、私はその点はそうは考えていないのでありまして、つまり問題の面が違うわけでございます。裁判所が執行停止をいたしますのは、要するに、この行政事件訴訟法の規定に言う執行停止の要件を満たしているかどうかという、いわば一種の法律的な判断でございます。内閣総理大臣の異議というものは、そういう法律的な判断が間違っているからそれをひっくり返すというのではないのでありまして、その結果行政上どういう困った事態が生ずるか、そういうことを述べて、その執行停止の結果として生まれましたところの、あるいは結果として予想されますところの行政の不測の停廃に備えようというわけでございます。それから先ほどの御質問の中に、大体内閣総理大臣の目の届かないような末端の事項について、行政庁を抱き込んで内閣総理大臣が異議を出すということがあるのではないかということがございました。あるいはそういうことがあるかもしれませんが、まあ私をして言わしめれば、そういう場合には異議を出すほうが間違いでありまして、ここで異議を出すのは、内閣総理大臣が国政全般をにらんだ上でそれは困るということで初めて出すべき異議でありまして、末端のささたる事柄について本来異議は出すべきではないというように考えております。ただ、それを裁判所が抑えるということにはなっていないわけでございますけれども、それはそれこそ世論なり国会——この法律案では国会に対しては報告をするということになっておりますが、国会でコントロールしていくべき問題ではなかろうかと思っておるわけでございます。
それから第二点の、これは日本特有の制度であって、その点は一体どうかという点でございますが、この点はちょっと先ほども触れましたように、確かにこういう制度は、私の知る限りの狭い知識の範囲内では、外国にこれに相応するような制度というものはどうもないようでございますが、その点は先ほども触れましたように、基本的な制度の建前でも、外国と日本とではいろいろな面で違っておりまして、執行停止を設けるとして、こういう制度を導入するということが外国にないからといって、直ちにそれが不合理なものではない。不合理なものだときめつけるべき理由はないので、何らかこれに合理的な理由があれば別にその点はかまわないのではないだろうかと思われます。要するに、裁判所の判断するのは法律的な判断でございまして、内閣総理大臣の異議というのはそうでない、いわば政治的行政的な判断の問題でございます。ですから、事柄は法律的な判断の問題であれば、今例にあげられましたような一般の民事訴訟、刑事訴訟のような場合でありますと、かりに裁判所の判断が間違っていたとしても、ほかの者がそれに文句を言ってひっくり返す、それに対して批判をするということは自由でありましょうけれども、その効果をくつがえすということは、これは裁判制度をとっている以上できないわけでありまして、この場合と違うわけであります。この場合、裁判所のした法律判断を内閣総理大臣がひっくり返すというのではないのでございまして、全く別の見地から、行政の円滑な方向を保証するというために設けられた異議の制度でございます。ほかの場合とはその点が違うのではないかというように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/12
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013・亀田得治
○亀田得治君 一応お聞きしてからと思いましたが、かえってこんがらがると思いますので、ただいまのお答えにちょっと関連して再度お聞きしますが、この執行停止の処分は、裁判所の法律判断と内閣総理大臣が出す異議とは性格が違うというふうに言われておるわけですが、形式的にはそれに間違いないと思いますが、しかし執行停止の第二十五条の停止の要件ですね。この要件は第二項と第三項にわたって書いてあるわけでして、その中に、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき、又は」云々、この言葉は内閣総理大臣の異議の二十七条の三項と言葉自体も同じであるわけですね。だから、そういう意味で、法律判断とおっしゃったのは何か三項を無視されて、いわゆる第二項だけを特に指されておられるような感じも受けたわけですが、その法律判断自体の中に、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ」があるかどうか、これが入ってくるわけですから、条文ではそれ違っておりますが、二項だけが要件ではない、そういうふうにまでしてあるわけでして、したがいまして、何か紛争が起こった場合には、行政庁としては当然この第三項の要件というものは主張されると思う。それは非常に政治的な意味を持った性格のものではありますが、やはりこの第二十五条の三項に該当するかどうかというやはり法律判断であるわけでして、法律判断の中にそれが含まれるわけです。したがって、内閣総理大臣がその同じことを理由にして出してくるということは、結局は裁判所の法律判断をひっくり返す。異質のものじゃ私はないと思うのですね。裁判所においてはそういう「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ」があるかどうかといったようなことを判断する能力がないのだ、こういうふうに前提してしまえば、これはまた何をか言わんやですが、もしそういうことが前提にされるとしたならば、この第三項自体というのは、これは削除しなければ筋が通らない。ここに書いてある以上は、制度としてはやはり裁判官にはその能力がある、こういう前提に立っているわけですし、また個人個人の裁判官を調べれば、場合によっちゃ総理大臣以上に政治的な見識を持っておられる方があるかもしれない。だから、そんな個々のことを言い出せば、これは切りがないのでありまして、法文の体裁自体としては、やはり裁判所の法律的判断を総理大臣がひっくり返すのだ、やはりこういうふうになると思うのですが、どうでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/13
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014・雄川一郎
○参考人(雄川一郎君) ただいまの点、私がまあ法律判断という言葉を用いましたのは、もちろん二項だけではなく、第三項も含め、二項、三項あたりの執行停止の要件を総合的に勘案した判断ということになるのはこれはもちろん当然のことでございまして、別に三項を排除しているわけではもちろんございません。ただ法律判断という言葉を使いましたのは、あるいは言葉が悪かったかもわかりませんが、もちろんこの執行停止の判断は、裁判所がいわゆるほんとうに法規に覊束されて右するか左するかをきめるというような問題ではない。ある意味で裁判所の裁量によって執行停止をするかしないかということをきめられることは、これは当然であろうと存じますが、ただ私の申し上げます意味は、その場合に裁判所がどういう立場で判断するかといえば、やはり司法権の行使者として、そうして裁判手続に乗って参りました当事者、利害関係人の権利を法律に従って保護していくという立場においてなされる判断だ、それくらいの意味にお取りいただけばよいかと思います。ところが、内閣総理大臣の異議というのはそうではないのであります。全然別の見地から、つまり国政全般の動きをにらんでおります見地から、ある行政庁が裁判所によって執行停止をされそうになる、また執行停止をされた、そういう場合に行政上困る事態が生じてくるか、あるいは生じたかという点に関する判断の問題に帰着するわけでありまして、まあ見方が違うのではないかというのが、まあ私があるいは言葉が足りなかったかもわかりませんが、判断の内容が違うというのはそういう意味でございます。で、これはぶつかった場合にどっちに結局軍配を上げるべきかという問題になると思いますが、その点については、先ほども申しましたように、裁判所と同じように判断をするのであれば、もちろん内閣総理大臣が口を出す筋合いでもありませんし、それは個人的にいえば、それは内閣総理大臣のほうが具体的には裁判官よりも、あるいはそれには精通している場合もあるかもしれませんが、制度的な問題としては、裁判所に対して内閣総理大臣が口を入れるのはおかしいわけですが、それと同様な意味におきまして、そういう事柄の政治的、行政的な判断の問題になってくるとすれば、それは制度的な問題としては内閣総理大臣が最後に口をきくということで筋は通っていくのではないかというように考えているわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/14
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015・平峯隆
○参考人(平峯隆君) 私のこの問題に対する考え方は、先ほど申し上げたとおりでございますが、理論的な及び基本的な考え方としましては、亀田理事が御質問の中におっしゃられたとおりでございまして、私としては、これは廃止すべきものであるというふうな基本的な考え方を持っておるわけであります。そこで、ただいまの亀田理事の御発言の中に、裁判所に対する非常に信頼の厚い言葉がございまして、私は非常にうれしく存じたのでございますが、また裁判所におる者としまして考えまして、一足飛びにこれを廃止するということにつきまして、多少のしり込みを感ずるわけであります。それで先ほどのような修正的な意見を持ったわけでございます。この規定のできたいきさつ及びこの運用から考えましては、将来これは廃止すべき方向にあるのではないかと思うのでございますが、現在の段階におきましては、一歩前進してその運用においてそれをチェックする方向へ向かって行くというのが現在の私の最小限度の抵抗と申しますか、であるわけでございます。ただ執行停止の要件でございます。これは二項と三項と両方が要件になっておりますが、二項のほうは積極的な要件であり、三項のほうは消極的な要件であって、しかも、大体これは被告たる行政庁側のほうから主張しかつ疎明していく事項であるのではないかと思うのでございます。そこで、そういうような消極的な要件につきまして裁判所が判断する場合に、そういう消極的な要件があるという認定及び判断、それは非常にむずかしいことになるのでございますが、それが足らない場合と言っては語弊があるかもしれませんが、いきさつとしましてはそう考えられるわけでございますが、それが多少どうも疑問だと思われるときに、行政権の最高の地位にある内閣総理大臣がみずからの責任をもって異議を申し立てる、そうして、同じことではありますが、そのことを特に強調して異議を申し述べるということになりますと、そこにウエートが違ってくるのではないかというふうな意味におきまして、つまり内閣総理大臣が責任を持つ、こういうようなことにおいてこの消極的要件を主張する。そこから裁判所の判断において、たとえば、第一審では多少疑問であったがということで消極要件がないと判断した。ところが、内閣総理大臣がそれに対して、即時抗告があった後に、内閣総理大臣がさらに重ねてその点を強調するということになりますれば、裁判所もなおもう一度再考するというようなことにおいて事態の解決がはかられるのではないかというようなこと。まあ私としましては、理論的な、基本的な考え方におきまして廃止すべきではありますが、運用の段階においてはこれは慎重でなければならないので、その意味におきまして修正的な意見を持っておる、こういうようなことでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/15
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016・亀田得治
○亀田得治君 もう一点ちょっとお聞きします。この第三条ですね、この点につきまして三人の参考人の方とも、ここに書かれておる四つの類型以外のものも、認められるのだ、義務づけ訴訟なりそういったようなことについても、当然今後の学説、判例の発展に待つのだという意味では一致しているわけですが、また、提案理由もそういうふうに説明はされておるわけですが、もしそうだとすれば、たとえば、この法律の十三条「(関連請求に係る訴訟の移送)」というところに関連請求についての事例があげてあるわけですが、その最後に、第六号に「その他」云々という規定を設けておるわけです。だから、まあこれがありますから、一、二、三、四、五と、これに当てはまらぬでも、そのうちの何が出てきてもこれでやれる、こういうことになるわけですが、第三条も決してこの四つに限定するわけではない。今後の行政事件の発展によっていろいろ合理的に考えられるものは含んでいる、また当然そうすべきだ、こういう点では一致しておるわけでありますから、それならばこの第三条に第六項というものを一つ起こしまして、そこに何か適当な表現をもって規定する。第一項の中で規定しておるのだというふうになっておるわけですが、普通の体裁からいいますと、どうも第一項の中にすべては入っておるのだけれども、しかしまあ主として考えられるのは、2、3、4、5だ、こういう印象を与えるわけですね。だから普通の立法の場合には、たいていあとに掲げるものは例示なら例示といったようなことがはっきりしているわけですが、どうもこの第三条の書き方がその点はっきりしない。したがいまして、そういう点をもっとはっきりさせることについてはどうすべきか、単なる私の思いつきで申し上げますと、第三条の第一項が、この法律において抗告訴訟とは左のものを言うというふうにして、そして2、3、4、5と行って、そしてこの法案の第三条の末尾のところを、このままでもいいですから、「その他行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」というふうにこれを第六項に加えますと、普通のしろうとの人が見てもわかりがいいんじゃないかというふうに思っているんです。こまかいのは、訴訟の類型の話等ありましたが、そういう点はまた研究さしてもらうことにして、その点だけを、平峯さんいろいろこういう実際問題がおわかりでしょうし、それから雄川さんはいろいろ理論的に研究されていると思いますから、お二人にちょっとお聞きしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/16
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017・平峯隆
○参考人(平峯隆君) ただいまの亀田先生の御質疑、私も、これは先ほど申しましたように、他の類型を排するものではないという解釈をとっております。そこで、これをどういうふうに表現したらよいかという問題でございますが、このままですと、確かに限定的だというふうに読まれるおそれがないわけではございません。いきなり第三条から他の類型が認められるというのでなしに、やはりそのほかに裁判所の機能とかいろいろなことから考えまして、また第三条の原則からそうなるのでございますが、一そう明確にするということにおきましては、ただいま亀田先生がおっしゃったような趣旨で、例示的なものにこの四つを掲げて、そして「その他行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」というふうにすれば、一そう適切かつ明確ではないかというふうに思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/17
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018・澤克己
○参考人(澤克己君) 私は、この第三条は、第一項によって何か例示的だという表現はほぼできている。むしろ第二条で、「この法律において「行政事件訴訟」とは、抗告訴訟、当事者訴訟、民衆訴訟及び機関訴訟、その他行政上、公法上の争いに関する一切の、すべての訴訟をいう」とかいうふうに第二条のほうへ含めればいいのではないか。私は、第一条と第二条にこういう表現が用いられているから、全体として列挙的、制限的な趣旨に解されるおそれが出てくるのではないかと、こう考えているわけですがね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/18
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019・亀田得治
○亀田得治君 そういえば第二条自身で四つに限定しているわけですね。まあこれはひとつ研究さしてもらいましょう。
それからもう一つ、これはわれわれ国会議員自身が判断すればいいことかもしれませんが、ともかく行政事件訴訟法に関する各種の問題点についての意見が相当分かれているわけですね、専門家の間で。そうして現在の行政事件の処理自体は、判例なり学説などの積み上げによって一応運用されておるわけですね。そんなに私は不便はないだろうと思うんです。ただ、それらを整理してきちんとわかりいいものにしたという点は非常に意味があると思うんです。その点は各参考人とも御指摘のとおり、私もその点は同意します。ただ、専門家の間で非常に問題のあるとと、たとえば訴願前置の問題でも、たまたまお三人の意見が全部違っておるわけです。さっぱりしたほうがいいと言う者、右と左違っておるし、大体雄川さんは中間的な御意見です。まあわれわれとしても非常に判断に迷うわけです。
そこでお聞きしたいのは、決してこれは、まあ特に政党の政策的な立場から賛成、反対といったようなものの出てくる法案じゃないわけでして、それだけに、もう少しゆっくりいろいろな専門家の意見がまとまるのを待つべきではないか、法案の作成としては。いいものを早く作るということはいいですよ、そのこと自体には少しも反対ではないわけです。しかし大よそ意見の一致を見たものだけを早く作るということならいいのですが、必ずしもそうではないわけなんですね。そこら辺のところを皆さんは——まあ草案が雑誌に発表されたりいろいろして、いよいよ国会にこれが来ておる。あのままやられたのではちょっと問題じゃないかというふうにお考えになっている人もあるでしょうし、その自分の主観ではなしに、そういう立場から見てどういうふうな感じを持って見ておられますか。実際上こいつがないと裁判にすぐ支障があるということなら、これは多少の意見の不一致があってもすぐやらなければならぬと思いますがね。お三人の方に簡単に結論的にひとつ御意見を聞きまして、私の質問をこれで終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/19
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020・雄川一郎
○参考人(雄川一郎君) この法案全体に対する私の感想、これは先ほども初めにちょっと述べたところでございますが、ただいまも御指摘がございましたように、行政訴訟に関するいろいろな問題については、学説も一致してない点が多いわけですし、判例でも必ずしも一致してはいないわけでございますけれども、私の見るところでは、この法律案に盛られましたところは、現在のところもちろん異論はない。異論なく完全に一致しているということは言えないかと思うのでありますけれども、大体承認されていたところを、言いかえれば、現在の段階で固められ得るところを固めて出てきたのだろう。将来に残された問題もございます。それから、まあ理想を望むという立場からいたしますと、こういうような大きな基本法については、これは人によって、また立場によっていろいろな理想、違った理想が出てくるわけでありまして、そういう理想をすべて満足するということは、実際問題としてとても不可能なことであるわけでもございます。そういうようなことを考えますと、現在のように行政訴訟の法理そのものがまだ十分に固まっていない段階で、あるいはこういう立法をするのはどうかという考えはもちろんおありかと思いますけれども、しかしこの程度のところは大体現在の学説なり判例なりでほぼ固まってきたところでありまして、現在の段階でこの程度の立法をするということは、まず現在の理想からいえば最善のものではないかと思われますけれども、しかしまず次善の策ではないかというように考えておるわけでありまして、また現状、つまり現在の行政事件訴訟特例法に比べますと、私の考え——これはあるいは御承知の方もおありかもわかりませんが、私は法制審議会におきましてこの案のもととなった答申の作成に関与した者でございますけれども、そういう立場を離れて見ましても、現状と比べて見れば格段の違いがあるのではないかと考えておるわけでございます。ですから、まあ現在のところとしては、やはりこの法律というのはなるべく早く実現することが望ましいというのは、最初に申し上げましたとおりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/20
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021・平峯隆
○参考人(平峯隆君) この全体を眺めまして、いろいろな点につきましては、私はそのほかに先ほど述べました以外にも意見はあるのでございますが、全体的な規定の内容その他を見まして、これはまあ一歩進んで行く方向にあるということを思いますので、この法案の実現の早からんことを望んでおるわけでございます。現在は特例法が十二条でございますので、判例に待つところが非常に多いということはもちろんでございます。また、現在の現行法のもとにおきましても、まあ一応事案の審理はやっていけるわけでございますが、しかし、このような新しい路線がしかれることによって一そうそれが正しいほうに進んで行くのではないかと思いますので、この法案の一日も早く通過することに賛成するわけでございます。
かりにこの法案がまだ時期尚早、まだ問題点が残っているということでありますれば、ただ本法案の中で早急に実施を望みたいのは、この専属管轄を廃止している点でございます。これはおそらく行政庁のほうも、また国民にとっても異論がないでありましょうし、権利救済を求める国民の側としては非常に恩典を受けるものでございますから、これはまた専属管轄を廃止しない限りは、現在のままではどうにもならない規定でございます。そして今の専属管轄を廃した点は、私としましては双手をあげて、一刻も早く通るように御審議をお願いしたいと思っているわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/21
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022・澤克己
○参考人(澤克己君) この現行法、新法案ともそれぞれ長所短所があって、そんなものをそのままにして突っ込みでどっちがいいかと言われると、正直なところ、これは迷うんです。ただ、平峯参考人も言われたように、ちょっと新法をやっぱり実施してほしいなあ——これをこのままにして延ばして、もっといいものを選ぶために、今度はまあ見送るというときに未練を感ずることは、管轄のことだけなんです。それ以外には、まあいろいろこまかいことではたくさんありますけれども、か、亀田さんが言われたように、まか何となっていける、まかなってきたのです。それよりも、実質的に後退するのは、内閣総理大臣の異議の点にかなり重要なものがあるし、それからさっき言った裁量取り消しの理由、裁量処分の取り消しの理由などについてもちょっと危険なところがあるというので、実際迷っているのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/22
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023・赤松常子
○赤松常子君 委員長、二つ簡単に……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/23
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024・松野孝一
○委員長(松野孝一君) 赤松君、簡単にお願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/24
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025・赤松常子
○赤松常子君 私しろうとでございますもんですから、まことに、教えていただくという立場からちょっとお尋ねしたいのでございますが、この法案がまあだんだん前進して参ったということは三人の御参考人お認めでございますが、まだまだ不備な点があるようでございます。それで、諸外国の例と比較しまして、この法案程度では非常に整備しているものか、不備な点がどのくらい残っているものか、どういう段階か、諸外国の進んでおる例と比較をしての御感想を雄川参考人からでけっこうでございますので、どうぞ教えて下さいませ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/25
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026・雄川一郎
○参考人(雄川一郎君) 諸外国の例との比較をせよということでございますが、これは日本の制度は根本において、何と申しますか、非常に特殊な形をとっているわけでございます。たとえばヨーロッパ大陸のような、ドイツとかフランスあたりの国では、御承知のような行政裁判の制度をとっております。そういうところでありますと、とかもく行政裁判をやっていく以上は、このくらいの規定ではもちろんまかなえないわけでございまして、訴訟手続の細部に至る規定まで設けなければなりませんし、そういう問題があるわけでございますが、まあ日本の場合には司法裁判所ということになっております関係上、その手続の多くの部分は、まあ民事訴訟法に乗って動いて行き得るという建前になっておりますので、そういうことを比較の前提としては考慮しなければならないわけでございますが、それを考慮した上で考えてみましても、先ほども申しましたように、本来行政事件訴訟法という以上は、手続の細目は民事訴訟法関係の法規におんぶするといたしましても、本来から言えば、もっと体系的といいますか、訴訟手続の骨格になるような部分を盛り込んでいくべきではなかったかというように私は考えているわけでございます。そういうような点が、不備だと言えば不備だということになりますが、ただその点は、これはまあ先ほども申したことの繰り返しになりますが、現在のところまだ固められ得ないものも相当にあるわけでございます。この法律案に出たところは、大体現在の段階で固められ得るぎりぎりの限度で出てきたのではないかというふうに私は見ているわけでございます。これから比較して、非常に整備されたものであるかと言われれば、もちろん理想にはかなり遠いということは、先ほど申し上げたとおりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/26
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027・赤松常子
○赤松常子君 もう一つ平峯参考人にお尋ねします。
内閣総理大臣の異議申し立てにつきまして、従来の判例でこういうことがどのくらいなされておるのか、こういう必要というものがあなたのお立場から——あなたは最低の抵抗とおっしゃいましたが、あるほうがいいのかどうか、従来のあなたのお取り扱いになった事件の中で例がございましたら、何例があって、その結論は民衆の利益となったかどうか、例がございましたら、ちょっと御説明して下さいませ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/27
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028・平峯隆
○参考人(平峯隆君) 私も相当行政事件を手がけたのでございますが、私が手がけた当初の段階におきましては、下級行政庁が、執行停止の申し立てが出ますと、すぐに内閣総理大臣の異議をとってきてすぐそれを出してきて、何とも関与する余地がなかったのでございます。そういうことは非常に不満を感じていたわけでございますが、私のやった事件につきましても、やはりそういうことをされたということにつきましては、まあ私のやった判決におきましても、その原告たる被処分者の側の、処分を受けた者の言い分が通った事件がございますので、そういうことを考えますと、内閣総理大臣の異議ということは、私としてはあまり好ましくないのでございます。しかし、どうも全般的にいろいろな——これはまあ裁判所も一生懸命やっているわけでございます。まあ何分にも事件が多くて、また能力にも限りがあるわけでございますし、特に行政訴訟の特殊の性格に裁判所の担当者全体がなれているというわけでもございません。そういうことを考えますと、まあ外部から、あるいは特に行政庁のほうから、裁判上の取り扱いについて、これは困るというようなことをおっしゃられるようなことを耳にします。そういうことを勘案しまして、私の裁判官としての立場でなくして、全体的な考え方からすれば、異議というものも、反対の立場からすれば、全然意味がないものではない、大いに意味があるのだということを是認はできるのでございます。しかし私の個人的気持としては、少なくともこういうものは排斥すべきものであり、理論的にも成り立たないと思うのでございますが、実際の運用の点におきまして、まあ最悪の最後のものとして、伝家の宝刀としてあるということは、まあむだでもないようにも思います。しかし、これまでの運用の実績から見ると、好ましくないような傾向が見えていたわけでございますので、そこで今後存置するとすれば、それを最小限度にチェックする必要があるのではないか、こういうふうに思っているわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/28
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029・赤松常子
○赤松常子君 じゃ、これで。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/29
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030・高田なほ子
○高田なほ子君 ちょっと……。高田でございますが、お三方にいろいろ御意見を伺わしていただいてたいへんありがとうございました。私は純然たるしろうとでございますから、むずかしいことはよくわかりません。澤さんの御意見はたいへん私よくわかりまして、なるほどそうだという気持がするわけです。そこでひとつ平峯さんにお尋ねをしたいことは、公権力で国民の権利が阻害される、これを救済するための訴願制度である。こういうお話で、そうだとすると、処分機関と審判機関というものは原則として分離しなければならないものだと、私はしろうと考えでそう考えております。だが、先ほどから亀田さんも赤松さんも質問をされていることですけれども、この第二十七条に内閣総理大臣の異議を申し立てる権限をここに与えておるわけですけれども、先ほど平峯さんの御説では、司法それから立法、行政の三権が調和した接点としてこれを運用の面で認めてもよいと、こういうような御結論があったように思われますが、どうも私にはぴんとこない。もしあなたの御説がそうだとするならば、何をもって、この条文の中のどれをもって調和点と考えられておられるか、これがわからないわけです。つまり、私が疑問とするところは、大臣の異議は一つの国政作用。そうだとすると、この異議が非常に広く強く作用することになると、非常にこれは重大な問題が出てくるだろうと思うわけなんです。もちろん、この中には、執行停止の決定があった後に、総理大臣が後にも異議を申し立てることができるという重大な内容がありますから、私は問題にするわけです。そうすると、二十七条の第六項は新しく挿入された項目で、ここに、内閣総理大臣は国会に報告をして、この異議を申し立てることを乱用してはならないという、いわゆる国会に報告することが、その大臣の権限の一つのコントロールであるように出ておるようですけれども、私は、国会に報告したぐらいでは、とても今の政治情勢の中では、コントロールする作用は必ずしも適確に発動しないんじゃないかという、非常な疑問を持っているわけなんです。この疑問にひとつ答えていただきたい。これが一つです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/30
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031・平峯隆
○参考人(平峯隆君) 今の高田委員の御質問の中に、私が司法権と行政権と立法権の調和点だと申しましたように御質疑がございましたが、私は調和という言葉を使ってないつもりでございます。これは、この法案のとおりに実施が行なわれますと、この執行停止の問題につきまして、行政権は、三権分立しているのが合流してきている姿がそうなるということを申し上げただけでございます。
そして、今の御質疑の中にありました、国会への報告、これがそれ自体でそれほどの強い意味を持たないかもしれないということは、私はよくわかるのでございますが、国会に報告されることによって、行政権の運営がどうであるかということが国民の前にさらされるということによって、やはり——今までのは単に私見において言われるだけであって、それが国民の目の前にさらけ出されるということは判例を通じて以外はなかったわけです。それを、議会の場におきまして報告することによって国民全体がながめる、批判をすることができるということにおきまして大きな意味を持つんではないかと、当面考えたわけでございます。
それから、前の訴願の問題でございますが、これは訴願と言う限り、同じ処分庁そのものが、同じ処分をしたその個人なり関係者が判断するという場合におきましても、なお再考の余地を与えるという意味におきましては意味があるわけでございますが、おそらくは自分の非を認めて処分を撤回するということは、普通には、よほどの事情がない限り、そういうことは起こらないと思うのでございます。そこで、訴願の審査の機関としましては、第三者的なもの、少なくともその処分をした者とその他の者とが寄って構成する第三者的な機関が、これを担当するということが適正ではないかというふうに思います。この訴願によって、国民としましては、この法案のように両方に行けるということは、非常に表面的にはいいように思うのでございますが、訴願することによって、訴訟では救えない国民の権利救済が与えられる場合もあるのでございます。と申しますのは、裁判所は、違法とか無効とか、そういったことしか判断できませんが、行政庁の自制作用によります訴願の場合におきましては、妥当、不妥当の問題も考慮される余地がある。それが単に処分した者でなしに、特に第三者的な機関によって再考の機会が与えられるということになりますれば、そのような問題もさらにもう一度考えられるということにおきまして訴願制度があるということ。出訴の道を閉ざすならばたいへんなことでございますが、訴願と並行して出訴もできるということになっておりますれば——並行ということはおかしいんですが、訴願のほかに出訴もできるということにして、まず訴願を国民に要求することはあながち無理ではない。むしろ客観的には利益になるように思うのでございます。そのような観点から、私は最初の発言の中におきまして、第八条について現行制度のほうがよいように申し上げたわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/31
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032・高田なほ子
○高田なほ子君 雄川先生にひとつお願いするわけですけれども、三十一条の問題ですが、これは一説には、行政庁側に有利な特例であるというような見方をしている向きもあるようです。一体日本の最近の行政事件の中で、国民の側が勝訴になった率というのは、どのくらいの率が勝訴になっているものか、これが一つです。
三十一条では、違法宣言だけで、損害賠償だけのことにしかすぎないので、権利をもとに戻すということはなかなか困難なようにも受け取れる向きもあるのですが、この点はどうですか。
第三点は、「裁判所は、請求を棄却することができる。」、こういうこと、裁判所は「処分又は裁決を取り消すことが公共の福祉に適合しないと認めるときは、裁判所は、請求を棄却することができる。」、こういうふうになっているんですが、請求を棄却するならば、請求を棄却するような理由を明示すべきではないでしょうか。そうでなければ国民の権利というものは守られないおそれもあるのではないでしょうか。こういう三つの疑問に答えていただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/32
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033・雄川一郎
○参考人(雄川一郎君) 第一点の勝訴率の問題でございますが、これは今私ここで正確に記憶しておりませんので、あるいは不正確なことは申し上げないほうがいいかと思いますので、この点は御容赦を願いたいと思います。
それから第二の点でございますが、この三十一条の規定、これは現在の特例法の十一条でございますか、あれを受け継いだわけですが、その趣旨は、私の考えているところでは、別に行政庁、ことに当該処分をした行政庁の利益のために原告の請求を棄却するというわけではないので、むしろ主たる眼目は、反対の利害関係人がたくさんある。そういう人たちが、ある行政処分ができれば、その上に乗っていろいろな法律関係を設定したり、権利義務の関係を設定しているわけでございます。その基礎となった行政処分がひっくり返ることによって、そういう人たちの法律的な立場というものは、取り消しのしっぱなしといいますか、ただ取り消しただけではなくなってしまうわけでございまして、そういう点はやはり考えなければならない問題ではないか、そういう考え方から出てきた考え方だろうというように私は了解をしているわけでございまして、なるほど、原告としては損害賠償してもらっただけでは十分な権利の救済にはならないということは言えると思いますけれども、その点はほかにもいろいろな例がございます。まあ損害賠償を一方には与え、それから他方で、ある行政処分によって生じたいろいろな権利関係、法律関係というものの安定化をはかっていくということが、公共の福祉に適合するというような場合があり得るのではないかと思われるわけでございます。
それから第三点、その理由の点でございますが、これはあるいはこの規定がそこまではっきり出ていないかとも思われますけれども、ともかく、処分や裁決が違法であるということはまずはっきりしなければならないということは、三十一条第一項の終わりに出ていることでございまして、そういうことをはっきりさした上で、今申し上げましたようないろいろな一切の事情を考慮して請求を棄却するんだということは、もしとの事情判決をするという場合には、当然裁判所は言うべきことになるだろうと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/33
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034・松野孝一
○委員長(松野孝一君) ほかに御発言もないようでございますから、午前の参考人に対する質疑は、これをもって終了いたします。
この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、長時間にわたりまして貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。当委員会の審査のため、きわめて有益なる御意見を拝聴できましたことを深く御礼申し上げます。
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035・松野孝一
○委員長(松野孝一君) なお、ただいま委員の異動がございましたので、御報告いたします。
本日付をもって加瀬完君が辞任され、その補欠として鈴木壽君が選任されました。
以上でございます。
午後一時半まで休憩いたします。
午後零時四十一分休憩
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午後一時五十一分開会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/35
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036・松野孝一
○委員長(松野孝一君) これより法務委員会を再開いたします。
午前に引き続き、行政事件訴訟法案を議題とし、参考人の意見を聴取いたします。
午後は、杉村参考人、高木参考人及び位野木参考人の御意見を伺います。
最初に、参考人の各位にごあいさつ申し上げます。
御承知のとおり、本法案は、現行の行政事件訴訟特例法が解釈上疑義が多く、かつ行政事件訴訟の特質及び各種行政法規との関連においての考慮が十分でなく、その運用上、幾多の困難を生じておりますため、これを全面的に改正しようとするものでありまして、各方面に対する影響も大きく、きわめて重要な法案でございます。つきまして、参考人各位のそれぞれのお立場から忌憚のない御意見を伺いまして、本法案審査の参考に資したいと存じ、委員会の決議により、御出席をお願い申し上げた次第でございます。参考人各位には、御多忙のところ、わざわざ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表し厚くお礼を申し上げます。
それでは、これより御意見を伺いますが、時間の関係で、御意見の開陳はお一人二十分程度にお願いいたしたいと存じます。
なお、委員の方々に申し上げますが、御質疑は、三名の参考人の方々の御陳述が全部終了しましてからこれを行ないますから、御了承願います。
それでは、まず京都大学教授杉村敏正君にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/36
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037・杉村敏正
○参考人(杉村敏正君) それでは初めに、私がこの法案に対して意見を述べますその考え方について述べまして、その後、この法案の、私としては重要だと思われます六つの点について意見を申し上げます。そうして最後に、まあ全般的な立場からの意見を申し上げます。
今日、行政、特に行政庁の公権力の行使につきましては、行政についての法律的公正の原則というものがあります。その場合に、行政庁の公権力の行使が国民の権利義務に関係がある限りは、すべて法律の根拠が必要だということが要求されておりますし、またいかなる行政も法律に違反してはならないということが要請されております。ところが、そのような点からいいますれば、やはり行政実体法、したがって、たとえば行政庁の公権力の行使の要件なり、内容なり、また行政手続法、すなわち公権力の行使の手続についての法律の内容が問題になろうと思います。しかし、そのような法治主義に対する司法保障の必要性は、これは当然認められなければならないわけであります。そこでこの場合に、私といたしましては、憲法にもありますように、国民は裁判所の裁判を受ける権利を奪われない。したがって、行政庁の公権力の行使によって権利侵害がありました場合には、できるだけその権利救済を徹底するという考え方がこの行政事件訴訟法案を考える場合の基本的な点だろうと思います。もちろんその場合に行政権と司法権という問題、権力分立の問題がございますけれども、やはり訴訟法を考えていくといいます場合に、今申し上げましたように、基本的には国民の権利救済の完成を期するということが重点で、必ずしもそういう国家の機関の間における行政権と司法権の権限分配を厳格に解すべきではないだろう、こう思います。そこでこういうふうな立場からこの法律案を見ました場合に、先ほども問題となりましたように、一つの考え方、批判の立場は、現行の行政事件訴訟特例法と比較して、どの点においてよくなり、どの点において悪くなっているのか。それを、全般的に見れば現行の行政事件訴訟特例法よりはいいというふうな立場からの判断と、もう一つは、これは行政事件訴訟特例法の改正法案ではございませず、行政事件訴訟法案と、こうなっております。そうしますと、単なる現行法の疑義、あるいは結果の是正というところよりも、さらに進めて、基本的に行政事件訴訟法というものをどのように考えるかという立場からの批判と、二つあるだろうと思います。
そこで、その今申し上げましたような考え方から、まず六つの点について私の意見を申し上げます。
第一点は、第三条の抗告訴訟に関する規定でございます。この第三条の規定におきましては、私はこの第二項の「その他公権力の行使に当たる行為の取り消しを求める訴訟」を認められたこと、これはおそらく公権力の発動でありましても、行政上の強制を意味されていると思いますが、それについての取り消し訴訟を認めらている。それから第五項の「「不作為の違法確認の訴え」」を認められたことは、これは現在の判例、学説から見まして一歩の前進だろうと思います。しかし、その場合に当然考えられますのは、たとえば給付訴訟あるいは差しとめ訴訟あるいは処分権の存在確認訴訟、あるいは国民側の、ある公法上の義務の存在の確認訴訟、さらには積極的な変更訴訟というふうなものが、将来なければならないと思います。その点から申しますと、この第二項で「処分の取消しの訴え」」とされまして、現行法にあります「取消又は変更」の訴えといいます「変更」を取られましたことについては疑問を持っております。
そこで、この第三条の一項の規定で抗告訴訟の定義をいたしましたので、解釈上この四つの類型以外に訴訟が認められないかという点につきましては、たとえば第二条の規定を見ますと、「「行政事件訴訟」とは、抗告訴訟、当事者訴訟、民衆訴訟及び機関訴訟」というふうな形をとる。第二条ではまさしく限定的に定義しておりますことに比べますと、解釈上はその他の訴訟方法もとれるだろうとは思います。しかし言うまでもないことでありますけれども、法律というのはやはり法律実務家あるいは研究者にわかればいいだけのものではございません。ことに訴訟法でありますから、実体法と違いまして、はなはだ理解しがたいわけでありますが、その点を考えますと、ますますこの第三条の規定の仕方は、二項から五項までに規定されているそういう類型以外のものを許すということを明示する必要があるだろうと思います。
次に、第二点でございますが、この第八条で訴願前置主義を原則的には廃止しておるという点について申し上げます。私は訴願制度そのものはやはり価値があると思っております。それはもちろん行政庁の処分の不当について争いを提起します場合には、訴願以外には方法はありません。そして行政庁の処分の違法性を争います場合におきましても、理念的には迅速、簡易な解決の手段として価値があるだろうとは思います。しかし、迅速、簡易に解決が行なわれるはずのものだということが訴願制度の建前ではありますが、しかしながら、あらゆる行政庁の処分についてこのような建前が現実に行なわれておるとは考えません。そしてまたこれについては行政不服審査法というものが成立いたしましても、ある特殊な、たとえば租税についての不服審査、その他の場合に、訴願の制度が、不服審査制度が十分に行なわれるとは考えません。そういう意味からいいますれば、やはりこの第八条で認めておりますように、原則としては訴願前置主義を排除するということが望ましいと思います。この点では、この法律案の規定というものは望ましいと思っております。
次に、第三点でございますが、これは第九条からその後の二十四条に至ります手続について見て参るわけでございますが、この点につきましては、私の現在考えている点では一つ異論がございます。
それは十四条の一項で取り消し訴訟の出訴期間が「処分又は裁決があったことを知った日から三箇月以内に提起しなければならない。」、こうなっております。いろいろ聞くところによりますと、六カ月であっても、訴訟を提起する人は一月以内に大体提起しておるのだという話もありますけれども、私、判例を見てみますと、どう考えても無効確認の訴訟を提起するのは無理であるけれども、それを提起しておる。おそらくその事情はやはり六カ月間の出訴期間をうっかりしていたからではなかろうか、こう思います。そういう点からいいますれば、やはり現行法のように六カ月にしておいていただきたい、こう思っております。しかしながら、その他の点を見てみますと、たとえば第九条のカッコの中で「(処分又は裁決の効果が期間の経過その他の理由によりなくなった後においてもなお処分又は裁決の取消しによって回復すべき法律上の利益を有する者」も原告適格があるという規定や、あるいは先ほどからお話のありましたように、十二条の「(管轄)」に関する規定や、またたとえば二十一条にあります「(国又は公共団体に対する請求への訴えの変更)」の規定、こういったものは、まさに国民の権利救済を伸張するものだろうと思います。そういう意味から、今申し上げました九条から二十四条までの規定は、大体に望ましい規定じゃなかろうか、こう思います。
次に第四点といたしまして、二十五条の「(執行停止)」と、二十七条の「(内閣総理大臣の異議)」について申し上げます。この執行停止につきましては、これはこの法律案の一項を見ますと、「処分の効力、処分の執行又は手続の続行を妨げない。」というふうにありまして、単に行政上の強制執行の停止だけではないということを明示されています点、それからまた第二項で、「回復の困難な損害を避けるため」というふうにして要件を緩和されている点、それからまた第三項で、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき、」というふうに規定されている点は、現在の制度よりもいいだろうとは思っております。しかしこの執行停止につきましては、実は実体法の問題といたしまして、いわゆる行政処分の公定力とか執行力というものについても、現在学説には異論もあるところでございます。ですから、たとえば、ある種の処分については公定力を認めず、行政庁側から裁判所に出訴を認めるべきではないかという意見もありますし、また執行力につきましても、行政代執行法というのが国税徴収法で一般的に強制力を与えるのは行き過ぎだという意見もございます。そういう点を考えて参りますと、やはり訴訟が提起されました以上は、当然裁判所の前では行政庁も国民も同じ立場にあると、こう考えなければなりません。そうしますと、やはりこの場合には、原則と例外を逆転いたしまして、私といたしましては執行の停止を原則とすべきではなかろうかと思います。私は西ドイツの行政法理論というものは必ずしもそう民主的なものだとは思いませんけれども、そこにおいてさえも、そのような原則をとっておるということが考慮されなければいけないんじゃないかと思います。特にこれは行政庁の考え方といたしましては、おそらく執行不停止が原則だということは、やはり行政庁にある種の危険な意識をもたらすんじゃないだろうか、こう思います。
次に、内閣総理大臣の異議の点でございますが、これは先ほどからお話しのありましたように、やはり現行法と比べまして整備されている点はあるだろうと思います。たとえば第三項の規定あるいは第六項の規定がそうであります。しかしながら、この第四項の規定になって参りますと、「第一項の異議があったときは、裁判所は、執行停止をすることができず、また、すでに執行停止の決定をしているときは、これを取り消さなければならない。」というふうに、執行停止の決定後の異議の場合でも、取り消すことを義務づけております。これは現在の制度よりも異議の権限というものが強くなっておるという点は否定できないだろうと思います。そこで基本的にはこの問題をどのように考えるかという点につきますると、これは先ほどから御議論がありましたように、ある立場に立てば、確かにこの規定は一つの価値を持っているだろうと思います。しかしながら、その立場というものは、結局のところ、やはり行政権の責任を強く強調する、そうしてある範囲においては裁判官の判断に対して信頼は必ずしもできないという立場だろうと思います。そこでこの点につきましては、二十五条の六項で即時抗告の規定もございます。また、もしもこの規定を置くならば、先ほどから意見もありましたように、第四項のように、全然裁判所に審査の余地もなくして、直ちに執行停止をすることができず、また、執行停止を取り消さなければならないというのは行き過ぎだろうと思います。この点は、裁判所が公共の福祉についての判断をします場合に、必ずしも内閣総理大臣は行政権としては侵害ができないということでございますけれども、具体的な処分が行なわれました場合に、その処分との関連で公共の福祉を考えるわけでありますから、私の考えでは、裁判官でありましても、やはり法律の制定とか、政令の制定ではなくして、具体的処分との関係で公共の福祉を考えるということは十分に可能であろうと、こう思っております。そういう意味からいいますれば、私といたしましては、本来ならばこの規定というものは廃止すべきではなかろうかと、こう思います。
それから第五点でございますが、三十一条の終局判決の規定でございます。これは同様に、現行法と比べますれば、「原告の受ける損害の程度、その損害の賠償又は防止の程度及び方法その他一切の事情を考慮したうえ、」と、こうありますし、また第二項で、「終局判決前に、判決をもって、処分又は裁決が違法であることを宣言することができる。」というふうに、現行法より十分な規定は置かれております。しかしながら、この場合に、やはりここで公の利益というふうな概念が使われておりますけれども、私といたしましては、実はこのような理論というものは、単に行政事件訴訟法の問題でなくして、行政庁がある違法な処分の取り消しをいたします場合に、当然にこの理論が実体法上の問題として入ってくると思います。そういう点からいいますれば、この公の利益ということをさらに例示するか、何らかの方法で具体的に明示していただければありがたいと、こう思っております。
それから第六点でありますが、「無効等確認の訴え」でございます。これは三十八条の三項で、無効等確認の訴えに準用する規定がありますし、その前の三十八条の一項にも規定があります。大体準用すべき範囲というものは、現在の最高裁の判決で認めているところであろうと思います。ただ、私といたしましては、やはり無効の確認といいました場合に、処分が重大かつ明白な瑕疵を持つ場合に無効だというふうに考えますから、その点からいいますと、執行停止に関する規定というふうなものにつきましても、取り消しに関する訴えの規定の準用が認められるというのは少し行き過ぎではなかろうか、こういうふうに考えます。
時間が参りましたので、あと最後的にこの法案についての私の全体的な意見を申し上げます。この法律案の個々の規定を見ました場合に、先ほどから二、三申し上げましたように、たとえば、処分の変更を求める訴えの規定がない、あるいは出訴期間を三カ月に短縮しておる、その他、私といたしましては現行法のほうがまだいいという若干の規定はございますが、しかしながら、全体的に見ますれば、やはり現行法よりもよくなっておるというふうに考えております。しかしながら、これはこの提案理由にも書いてありまするように、解釈上幾多の疑義がある、それを是正するとか、あるいは行政事件訴訟の特質及び各種行政法規との関連についての考慮が十分でないからというふうな点で考えた場合に言えるわけでありまして、特にこのあとの、「行政事件訴訟の特質及び各種行政法規との関連についての考慮」というものは、実は具体的にどこに現われておるのかということは、必ずしも明白ではございませんけれども、もしこの解釈上の疑義をなくして、幾分手直しするというふうな意味においては、この法律案は価値があるだろうと思います。ただ、その程度であるならば、行政事件訴訟特例法の改正で私はよかったのではないだろうか。もしもここに新たに行政事件訴訟法案というものを打ち出すならば、先ほど申し上げました執行停止につきまして、原則と例外を逆転するとか、あるいは内閣総理大臣の異議の規定を廃止するとかというふうなことがなされなければならなかったろう、こう思います。そういう意味では、はなはだ全般的な意見あるいは批判というのは申しにくいわけでありますけれども、私といたしましては、今申し上げたとおりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/37
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038・松野孝一
○委員長(松野孝一君) ありがとうございました。
次に、弁護士高木右門君にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/38
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039・高木右門
○参考人(高木右門君) 私はこの法案の検討をいたしますについて、まず行政訴訟あるいは行政裁判の本質、目的という、この行政裁判に関する立法、あるいは立法論議、あるいは学説に現われております基本的な問題を振り返って見るということが、重要かつ不可欠の事柄ではないかと思うのであります。従来この行政裁判の本質、それから目的につきまして、それは行政作用であるか、あるいは司法作用であるか、また、法規の保護が主眼点であるのか、また人民の権利保護が主要な目的であるのかという、この対立した考え方が現われてくるわけであります。で、その本質と目的についての相対立した二つの問題について、わが憲法がどういう態度を示しておるかということを申し上げたいわけでございます。
憲法七十六条の一項におきましては、司法権は普通裁判所に属する旨を規定しておりまして、第二項において、「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」というように規定しておりまして、明治憲法下における行政裁判所のような、裁判機関による行政訴訟、行政裁判は、終局的に排除、排斥しているわけであります。この規定の持つ意味は非常に重点であると考えるわけでありますが、それは、この規定の文言から率直に現われておりますような、単に消極的な意味合いだけでなくして、行政訴訟、行政裁判は、終局的に行政権から独立した司法権の管轄に服属するものである。すなわち独立の司法裁判所の権限に属するもの、つまり行政裁判そのものの本質は行政作用でなくて司法作用であるということを積極的に宣明したものとして解すべきだと思うのであります。
このように、わが憲法が、行政裁判は行政機関たる行政裁判所の手で行なうべきものであるとする大陸型の規定を捨てまして、英米型の方式を採用し、それに移行したということは、長年のわが国における伝統的なプロシァ的考え方を排除して、行政裁判を独立の裁判所の管轄下に置くことをうたったわけであり、この点におきまして、西ドイツの行政裁判制度とあたかも軌を一にしているものであります。
次に、行政裁判の目的でありますが、先ほど、行政裁判の目的は法規の保護か、人民の権利の保護であるかというふうに表わしましたが、この法規のことにつきましては、従来行政上の秩序の維持とか、あるいは行政権の自律性、あるいは自己抑制、行政の自己監督、または自己統制を目的とするというような言葉でも表わされております。そういう考え方があり、それに対して、人民の権利、自由の保護、救済する。これは結局、誤った行政から、あるいは行政権のアービトラリーから個人の権利を守るという考え方に主眼点を置くものであります。しかしながら、従来行政裁判を行政作用であると見てきましたドイツにおきましても、またフランス、わが国におきましても、たとえばドイツにおける南ドイツ学派のとっていましたように、またフランスのコンセイユ・デターが判例法的に発展せしめられた思想からいきましても、またわが国の行政裁判所当時の一般通説でありましたごとく、人民の権利保護、行政裁判が行政作用の一作用であるけれども、人民の権利保護を主目的とするのであるという考え方があったわけであります。しかし、わが憲法の規定の仕方、特に基本的人権がわが憲法の中心的な、しかも目的的な規定の仕方をしている点から考えまして わが憲法下における行政訴訟は、人民の権利の保護、放済を目的とするものであるというふうに考えざるを得ないのであります。そしてこの考え方は、憲法三十二条の規定しておりまする、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」という規定と相待ちまして、行政訴訟において司法国家としてのあり方を鮮明にしたものと考えるわけでございます。
こうして見てきますと、結局行政訴訟、行政裁判は司法作用であり、わが憲法下においては司法作用であり、かつその目的は人民の権利保護、放済に主眼点があるということが言えるのでありまして、したがって、こういうふうに行政訴訟、行政裁判をとらえますと、そこに必然的に出てきます手続上の担保的な考え方が生まれるわけであります。それは何かと申しますと、公正手続あるいは適正手続といいますか、その原則であります。結局行政訴訟制度の確立の指導目標といたしまして、この二つの目的、すなわち人民の権利の保護、救済ということを目的とすること、それからその手続は公正手続によるべきこと、この二つを最高限度に発揮、展開することが立法の態度として必要だろうと考える次第であります。御承知のように、アメリカの一九四六年の連邦行政手続法は、やはりこの二つを骨子として大綱を示したものといわれておるものでございます。それにさらに加えるに、行政訴訟において迅速という要請が加わると思います。こう考えてきますと、本法の総則の規定にこの三つの指導目標を掲げることが必要ではないかと、私は考える次第であります。すなわち、行政訴訟の目的としまして、個人の権利の保護を目的とすること、それから公正手続によってなさるべきこと、それから迅速を旨とする、この三つを織り込んだ一条文が必要だと考える次第でございます。以上のような基本的な建前をもとにしまして、この法案の是非を重点的に観察したいと思います。
私がこの法案でよろしいと考える点は三つございます。一つは、抗告訴訟において訴願前置主義を排除したことであります。すなわち、行政救済を受けるや、司法救済を受けるやは個人の選択にまかせるという建前でございます。ただし、これは余談ではありますが、こういうことになりますと、裁判所の負担が非常に多くなるのでありまして、これを機縁にして裁判所の予算を増大するというようなことが考慮されますれば、法曹の一員としましてきわめて喜ばしいことだと考える次第です。
次に、三十条の「(裁量処分の取消し)」の規定でありますが、これは現行特例法よりは一歩前進した規定でございます。ただし、同条には、とれこれに限りというような限定的な規定の仕方をしている点がいささか疑問に考えられる次第でございまして、むしろそういう限定的な規定の仕方をやめまして、逆に訓示的な規定に置きかえ得るならばはなはだ妥当であるというふうに考える次第です。
次の第三条の点は、提案理由に説明されておりますように、学説あるいは裁判例上区々に解されておりました手続的な諸問題について、統一的に大別し、かつ整理したという点でございます。これはきわめて概念的に申し上げたわけでございますが、次に、賛成しかねる点、と言うよりは、一歩進めて反対をしたい、あるいは疑問視せざるを得ない点を申し上げたいと思います。
先ほど申し上げました行政裁判を行政作用である、また行政機関たる裁判所においてなされなければならないというような一連の古い考え方からしますと、行政訴訟を民事訴訟と比較しまして、その特殊性をきわめて強調する、あるいは訴訟の間口を制限的に見るというような傾向があるわけでありますが、本案の提案理由にも行政訴訟の特殊性をうたっておるのでありまして、その点に、もとへ返る、古い考え方に返るという危険性がいささか感ぜられるわけであります。すなわち、この職権主義を非常に強調しておるわけですが、私は、むしろ行政訴訟も現在の特例法がとっております民事訴訟法のベースで十分ではないか、ただ、そのベースを公正手続の観点から見まして補充すべき点は主張立証の責任でございます。主張立証の責任、先ほど杉村参考人も触れられましたが、私はその点で主張立証責任を行政官庁に負担せしめるという原則がこの際打ち立てられることが必要である。そうすれば行政訴訟としても公正手続が十分補い得るのではないか、そのように考えている次第であります。
そういう意味で、次に抗告訴訟について申し上げますが、やはり杉村参考人が触れられましたように、三条におきましては、一応第一項に一般的、概括規定を置いておりますが、次に二項から五項にわたりましてそれぞれの抗告訴訟の類型を出しております。第五項の「「不作為の違法確認の訴え」」でありますが、これは現実には積極的な意味がないのであります。というのは、かりに訴えを、請求を容認する判決がありましても、何らかの処分または裁決をしなければならないという状態が生まれるだけでありまして、それ以上の積極的効果は期待されないのであります。しかも、この規定があるために、抗告訴訟の限界は「不作為の違法確認の訴え」を求める限度までである。それ以上の積極的な給付等を求める訴訟はできないんだという反対解釈がとられるおそれがあるのでありまして、そこの点を考える必要があると思います。この規定はそういう点からしまして不満な点があるのですが、必ずしも無意味であると私は申し上げたくはないのですが、この際この規定を百尺竿頭一歩を進めまして、ドイツあるいはアメリカ等においてとられております義務づけ訴訟まで規定することが必要ではないかと思うのであります。われわれ裁判例から見た例で申し上げますと、たとえば皇居外苑の使用許可申請事件または旅券の発給請求事件というような事件があるわけでありますが、との事件に現われましたところでは、一定の時期にそこを使いたい、あるいは一定の時期に外国へ行きたいというような場合におきましても、行政庁がその申請に対して何らの処分をしない。こういうときには、不作為の違法確認の訴えをもってしては現実にその権利を救済することができないのでありまして、やはり行政庁を義務づける訴訟類型が必要だと思うのであります。また、それらの例示の事件だけでなくして、羈束行為につきましても、一般的にそれは考えられることであります。羈束行為につきましては、先ほど杉村参考人がおっしゃいました変更——単に取り消し、一部取り消しというようなことだけでなくして、変更判決も必要であるということが言えるわけでございます。この問題につきましては、一部の論者は、司法権が行政作用に介入することになるとか、あるいは三権の分立の原則に反する、また司法裁判の事後的審査という性格に反するというような反論を下しておりますが、それは先ほど申し上げましたように、憲法の中心的なしかも目的的な規定が基本的人権の保障であるという点と、それから三権分立の概念は結局は手段的な概念でありまして、基本的人権保障という中心目的に奉仕する、そういう手段的概念であるということから考えまして、目的達成のために手段は合理的にあんばいすれば許される。またそのほうが望ましいという考え方からしまして、今言ったような反論の根拠がきわめて理由がないということを言えると思うわけであります。結局、立法政策の問題でありますから、この法案の審議に際して、そういう規定を置いていただけばはなはだけっこうであると考えるわけであります。そのほか、先ほど杉村参考人がやはりお話しになりましたように、まあ処分権不存在確認の訴え、あるいは法令無効の訴訟というものを抗告訴訟の一類型として掲げる必要があると思うのであります。
次は、出訴期間の短縮の問題ですが、提案理由にいろいろ書かれておりますが、結局現在のわが国の国民の法律的な知的水準というものを考えますと、やはり三カ月はどうしても短いんではないかというふうに私は考えるのでありまして、やはりその点において、現行法どおり六カ月としていただきたいと思うのであります。
次に、執行停止の制度の問題でありますが、この点におきましても杉村参考人と全く同様に、西ドイツの制度のように、訴えまたは異議があれば、法律上当然に執行は停止されるという制度を採用することが望ましいと思うのであります。
次に、内閣総理大臣の異議の問題でありますが、この法案によりますと、現行法と比べまして第六項の規定を置くことによってこの異議の乱用を防ぐということになっておりますが、私はこの六項を入れることだけでは乱用を排除するということがきわめてむずかしいのではなかろうか。それよりも、もっと裁判構造的に見まして、根本的に検討する必要があるのではなかろうかと思います。これを置くことに賛成する議論の根拠となっているのは、終局裁判までに至る暫定的措置として、行政処分的な性質を有するものであるから、行政権の首長である内閣総理大臣が介入してもよろしいというようなことと、もう一つは、行政府の首長としての政治責任、あるいは行政上の責任が重大であるというようなことが言われているわけでありますが、先ほど私が申し上げましたように、行政裁判のわが憲法下における本質及び目的という二つの点から考えまして、この規定はきわめて不合理であると言えるわけであります。要するに行政訴訟の目的は、行政権のアービトラリーから個人を守る、個人の権利を守るというところにあるわけでありますから、その実効性を与えるためには、司法国家の司法国家たるゆえんを最高限に発揮せしめるということがどうしても必要であります。それから、内閣総理大臣の政治責任論でありますが、これは全然別個の次元の問題でありまして、ことさらにこの一般的な、また通常の裁判過程を規律します行政事件訴訟法的なものにこの異質の要素を持ち込むことは必要ではないのであると同時に、合理的でもないと考えるわけであります。で、私の考えるところによりますと、この内閣総理大臣の異議の規定は現行特例法にありますが、これの動機的なものは、元来占領当時に、占領軍司令官が間接管理の方式によりまして、占領軍司令官の絶対命令権を貫徹するためにとられた特殊な措置的規定であると思うのでありまして、占領が解け、憲法が全面的に発効しております現在においては、きわめて異例な規定である。またその存在理由もなくなっているものと思うわけです。しかもこの規定が存在することによって、公共の福祉というきわめて抽象的な、まだ固まっていない概念、観念につきまして、司法裁判所の考え方、すなわち司法権の判断と行政権の判断とが相衝突する場を提供するということになりまして、この点から国民の順法精神というものを惑わすおそれが多分にあるわけであります。結局、公共の福祉に対する公権的な解釈は、憲法上裁判所にゆだねられておるわけでありますから、その立場をやはり貫徹することが憲法の精神に沿うゆえんであるというふうに考えられます。
次に、さらに一つの矛盾は、行政府の首長の意思、すなわちそれは行政官僚の意思でもあるわけですが、それが直接行政裁判の運命そのものを左右するという結果を来たす点であります。行政庁は、行政訴訟においては一方の訴訟当事者であります。それを当事者として対審的な訴訟構造がとられているにもかかわらず、その一方の当事者に、さらにその首長である内閣総理大臣が余分に一枚加わりまして、その訴訟の運命そのものを左右するという形をとってくるのでありましてこれは近来の裁判構造といいますか、訴訟構造といいますか、当事者主義、弁論主義を中軸とするそういう訴訟構造を根抵から破壊するという矛盾を持っているものであります。
さらに提案理由によりますと、この異議に対して理由を付さなければならないという二項の規定があるわけでありますが、理由を述べない異議は無効であるというふうに説明しております。三項の「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれのある事情」という「事情」につきましては、その当、不当は裁判所が判断することができないのだというような趣旨の説明がなされておるのでありますが、その点から見ますと、極端な話としまして、理由には公共の福祉に重大な影響があるという理由を付しまして、その事情について具体的なものを示さなくても、その当、不当は判断し得ないということで、結局公共の福祉に重大な影響があるというトートロギー的な理由を付することによっても、この異議は成り立つということにならぬとも限らないわけであります、そうなりますと、全くこの理由を付すべき規定は有名無実と化してしまうわけでございます。
それからさらに執行停止規定、すなわち二十五条ですが、この規定が現行法と比べまして整備されまして、行政庁側に執行停止決定に対する即時抗告という不服申立権が与えられたわけでありまして、その点で従来アンバランスであると言われていた点が十分埋められたわけでございます。したがって、先ほど申し上げました公正手続の原則からいいますと、二十五条の規定でもって十分でありまして、それ以上にこの強大な内閣総理大臣の異議権を認めるということは、全く何とも言えないアンバランスを逆に与えることになるわけでありますけれども、その点でも不適当であるというふうに考えるわけであります。そしてこの規定につきましては、弁護士会はもちろん、日本弁護士連合会でありますが、これは絶対に反対意見を出しております。また最高裁判所の事務局の下級裁判所に対する意見聴取の結果を見ますると、その絶対的多数が反対となっております。結局この規定を存置することに賛成なのは、行政庁と、それに同調する一部行政法学者だけであると言っていい状態であります。
次に申し上げたいのは、補則の「(処分の排除)」の問題でありますが、現行法では第十条の執行停止の条文のうちに一項として規定しておるのでありまして、したがって、抗告訴訟と言うよりは、取り消し訴訟だけの規定であるというふうにも解釈できる余地を残しているのでありますが、この法案のように、補則の中に仮処分の排除という形で出されますと、単に取り消し訴訟だけにとどまらず、その他の無効確認あるいは不存在確認の訴え、その他の訴訟にもすべて適用されるということにならざるを得ないようであります。そこに四十四条には「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」ということで、大体抗告訴訟だけに限るようなふうにも見えるわけでありますが、何と申しましても、補則に規定されているということによって拡張解釈されるおそれがあるということであります。事実、義務づけ訴訟というようなもの、それからさらに当事者訴訟等につきましては、仮処分の規定の適用がありませんと、権利本来の実現についての救済がとうていできないということでありまして、その点からしまして、この規定は、取り消し訴訟に対する執行停止という態容問題を除く他の場合にまで及ぼさないような配慮が私は必要だと思うのであります。で、このような権利実現のための応急措置としましては、西ドイツの制度におきましても、また英米におきましても、マンダトリー・インジャンクションというような形で与えられておるわけでありまして、そういう行政訴訟に関する進歩的な思想を持っておる西独、英米の制度をこの際大いに取り入れる必要があるというように考える次第であります。
私の申し上げたいのは以上の点でありますが、この法案は手続的な面を整備したという点においては大いに買っていいと思うのですが、根本的な思想が、退嬰的あるいは逆コース的な色彩、あるいはにおいをもたらしておるという点に危険感を感ずる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/39
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040・松野孝一
○委員長(松野孝一君) どうもありがとうございました。続いて東京地方裁判所判事位野木益雄君にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/40
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041・位野木益雄
○参考人(位野木益雄君) ただいま御紹介いただきました位野木でございますが、ただいま東京地裁で行政事件を担当いたしておりますので、そういう関係からここにお呼びいただいたのじゃないかとも考えられますので、そういう立場からの意見も出るかと思いますので、御承知の上お聞き取り願いたいと思います。すでに前に立たれました参考人の方々が詳しい意見を申しておられますので、重複を避けまして、要点のみを申し上げたいと思います。
全般的の意見を最初に申し上げますと、この法案は現行の行政事件訴訟特例法の規定の不備を補う、それから解釈上の疑問を解決するということを企図しておられまして、さらにこれを今までの十数年間の実施のあとにかんがみて改善に努めた、改善の工夫をしておられるということがうかがわれますので、全般的には賛成をいたしたいと思うのであります。後に申し上げますように、若干の問題点を存するというふうには考えておりますが、全体としては妥当な法案ではないかと思います。関係者のここまで持ってこられた御労苦に対しては、敬意を表したいと思うのであります。以下おもな項目について順序を追って申し上げたいと思いますが、まず最初に行政事件の処分について申し上げます。
すでに前参考人の方々が御指摘になりましたように、この法案では行政事件の類型を明確にいたしまして、抗告訴訟、当事者訴訟、民衆訴訟、機関訴訟というものをあげて、さらに抗告訴訟の中で、さらに、処分の取り消し、裁決の取り消し、無効等確認の訴え、不作為の違法確認の訴えというものを掲げまして、従前の法律では明確を欠いておったものを明らかにしたという点が非常に進歩だと思います。特にこの不作為の違法確認の訴えというのは、今まで実務上もそれほどはっきりとこういうものが認められておるということはいたしておらなかったと思います。こういうものがはっきりと規定されるということになりますと、今後裁判の実務の上でも国民の権利救済にとって非常に有用な役割を果たすことになる可能性があるということを考えております。で、そういう意味におきまして、全般としてこの行政事件の種類についての規定については賛成申し上げたいのでありますが、ただ問題を少しほじくってみますと、先ほど来の御意見もありましたように、不作為の違法確認の訴えというもので、はたして国民の権利のほうが十分に守られるかどうか、もう少し徹底したものが認めらるべきじゃないか、あるいはこういうものに類似した訴えの形態を認めるにしても、もっと実効のある規定の仕方、制度の立て方、訴えの構成というものができないものかということは、問題として十分考えられるわけであります。それから、のみならず、ここに掲げている以外の形態の訴訟を許さないかどうかということにつきましては、提案者の説明によりますと、許すという趣旨であるということになっておりますけれども、字句から見ますと、明瞭を欠いておる、限定的だという読み方もできないわけではない。もしそういう許すものであるとするならば、もっとはっきりした法文の書き方はないかということも、これは十分考えられるわけでありますが、しかし、まあ現在の日本のいろいろの実情を考えますと、この行政訴訟についての考え方が非常にまちまちである。そして非常に進歩的な考え方の方もありますが、そうじゃなくて、やはり行政権のほうを重く見ようという考え方もかなり相当強いわけであります。そういうふうな情勢から条文をいろいろ考えられるという場合には、結局立法はある程度妥協ということになりますと、そこまでなかなか踏み切れなかったという実情もあるのじゃないかと推測いたしますが、まあ現在の情勢を考えますと、不作為の違法確認の訴えということを認めたという点でも、まあ一歩の前進でありますから、これをさしあたり認めていくということも一つの立場だと思われますので、特に反対を唱えるというわけではございません。それからまた、もう少しほかの訴訟も許すという字句を何か考えぬかということもありますが、ほかの形態のものは許さないと言う必要はないということがもし読めるといたしますれば、しいてこれを訂正しろというところまで考えるわけではございませんが、そういう問題点もあるということを指摘しておくにとどめたいと思います。
次に、訴願前置の廃止の点について申し上げます。これも前参考人の方々からいろいろ詳細なお話がございましたので、詳しいことは申し上げませんが、考え方といたしましては、まあ国民の権利保護を重く見ようという思想に基づくものだと思われますので、賛成を表したいと思うのであります。また訴願前置が廃止されますと、裁判所の負担が重くなるのじゃないかという見方もあるようでありますが、私の浅い経験ではありますが、その経験に基づいての考え方からいたしますれば、おそらくこの立法でも、原則はこうなっても、例外がかなり多くはずされるのではないか、例外でかなりこの原則がはずされるのじゃないかということも考えられますし、またその必要が、租税の事件とかいろいろ考えますと、どうしても考えられるのであります。そういたしますと、原則は原則でも、実際の取り扱いとしては、それほど今のところ変わらない、また変わることも期待できないのであります。今の裁判所の現状、あるいは現状と申しますか、陣容の現状ですね、そのほか考えましても、それを今例外なしに全部認めるということは無理じゃないかという気もいたしますので、おそらくこの例外を認めざるを得ない。そういたしますと、結局原則をそういうふうにきめたということになるのが実際の結果ではないかと思われるのでありますが、しかし、そういうふうな原則を確立して、おいおいそういう方面に立法を進めていくということはけっこうなことだろうと思うのであります。
それから、次に管轄の規定について申し上げます。これも先ほど来の御意見があったように、私も賛成でございます。今、私、東京で行政事件を担当しておりますが、やはり農林大臣とか、あるいはそのほかの中央官庁が被告になった、そういう事件につきましては、東京が専属管轄ということになっておりまして、非常に忙しい時間をさいて地方に出かけなければいけない、これは非常に負担であります。そういうふうなことが必要ならばこれはやむを得ませんが、地方の役所でやっても、地方の裁判所でやっても可能であるという場合には、これは当然地方でやってもらったほうがよろしいわけであります。国ももちろん非常に便宜を得るわけであります。そういう意味におきまして、このたび専属管轄が廃止されまして、ほかに十二条の二項、三項というような特別の管轄が認められましたことは非常にけっこうなことであるということを申し上げて賛成をいたしたいと思います。
それから、次に出訴期間の短縮の点について申し上げます。一般的に見まして、出訴期間が六カ月というのは、やはり諸外国の例から見ても少し長いという感じはいたすのであります。それからまた、法律関係を早く安定したいという考え方その他提案理由で述べられたような理由もわかるのであります。ですから、これについても根本的に反対というところまでは参りませんですが、私ども実務をとっておりまして、やや疑問といいますか、も持たないわけではない。というのは、わが国の国民の法律水準と申しますか、これはどなたか御指摘になりましたように、やはりそう高くない。それで現実には無効確認訴訟というものは非常に多くなっておるが、これは出訴期間が守られないで無効確認の訴訟にやむなく来ている、これがかなりあるんじゃないか。おそらく統計をごらんになりましても取り消し訴訟の半分、あるいは年によりましては半数以上の無効確認訴訟というものが提起される。これは何を意味するかと申しますと、結局出訴期間内はうっかりしておったということで、やむなくあとで問題を発見して無効確認訴訟でやってきている、こういう実情があるんではないかという感じがいたすのであります。で、もしそういうことでありますれば、これは少し長過ぎるという気がいたしますけれども、今の日本の状態ではやむを得ないんじゃないか。これを制限しなければどうしても困る、行政上非常に差しつかえが生じる、こういう事情がありますれば、これはまあいたし方ありません。しかし、もしそういう事情がそれほど今のところはないということでありますれば、いましばらく様子を見る、そしてだんだん国民の法律水準も上がってきて大丈夫だというときになって短縮してもいいという見方もできるかと思います。しかしながら、これは今申し上げましたように、行政にどれだけの支障を及ぼしているか、まあこれは執行停止なんかもありますから、それほど支障も来たさないんじゃないかという見方もできるかと思いますが、しかしその実情については私はまだ十分な認識を持っておりません。したがって、そういうふうな不十分な認識から断定を下すということは危険でございますから、それを避けたいと思います。そういうふうな疑問を持っておるということを指摘しておきたいと思います。
次に、内閣総理大臣の異議の制度について申し上げます。この制度につきましては、先ほど来御意見がございましたように、外国でもあまり例のない制度だ、まあ非常にすっきりしない制度だということが言えるかと思います。まあ憲法論といたしましても、どなたか御指摘がありましたように、少数意見かとも思いますが、司法権に対する行政権の侵犯である、だから憲法違反である、こういうふうな意見すらあるわけであります。しかしながら、行政権の実施についての最終的な責任を果たすためには、どうしてもこういうものが必要である、こういうのが論拠ではないかと思いますが、まあ外国の制度を見ましても、それならば同じじゃないか、まあ裁判所の陣容とかなんとかということが考えられますが、しかし行政権の実施とかなんとかということを理論的に申しますと、どこが違うだろうという見方もできないわけではないと思いますが、そういう理論的な問題、これは両論がありまして、なかなかここで申し上げて、一方の意見が説得的な程度ですぐれているというところまで説明申し上げる自信がございません。ですから、これの存否につきましては、ここでの理論的な意見は申し上げないことにいたしますが、これについての今度の案でございますが、今度の案は、これは従前の異議の制度、これを整備した点がございますけれども、ある点ではむしろ実際上拡充しているという点があるのではないか。というのは、それは停止決定後の異議という点でございます。これは従前の最高裁の判例がございまして、執行停止の決定後には異議の申し立てばできないのだ、こういうふうな一応の取り扱いになっておるように考えておりますが、それを意識的に排除いたしまして、執行停止の決定のあった後でも異議の申し立てができる、こういうことになっています。これは実際上は、異議というものは決定がなされた後でなければ言えない場合もあり得るのだというふうなこともあるかとも思いますが、しかし、そういう懸念が実際上あり得るかというのは、この裁判所の判断を得ないでも特に文句なしにとめさせる、裁判所の判断を待つことができないのだ、裁判所には幾ら説得してもだめなんだというところまでの今必要があるかどうかということにつきましては、ないとはそれは断言できませんが、数年来、すでに御承知かと思いますが、異議の申し立てば実際上なされた例がないように聞いております。制度の最初のころはいろいろ行き過ぎがあったようにも聞いておりますが、だんだん安定いたしておりまして、それほど特に異議を申し立てなければ何ともできないという事例は、最近数年においては、ないように聞いております。で、そういうふうな実情であり、しかも制度自体が好ましくないというところへ持ってきて、さらに従前の制度よりは拡充していくということは、これは相当問題ではないかというふうに考えるわけです。ことに、今の裁判所の判断と総理大臣の判断とが相反するということが非常に明瞭に出てくるわけです。今までは判断が出る前に異議があるということでございますから、それはあまり目立たなかったのですが、今度は決定があった後に、その決定は困る、これはおそらくただ困るというだけではなくて、公共の福祉に反するということで異議を申し立てると思いますが、裁判所としてもすでに公共の福祉も考えたけれども、この場合は個人の権利の保護のほうが大事なんだという判断で執行を停止をしたけれども、これは困ると言って異議を述べる。異議を述べた場合には、必ず取り消さなければならぬ、こういうことになりますと、実際上裁判所の決定を総理大臣が無効にしてしまう、こういう見方もできるわけです。そういう見方が非常に露骨に出ておる。こういうふうなことでありまして、前のよりもそういう欠点がはなはだしくなる、そこまでの必要性があるかどうか、こういう点について疑問を持っているのでございます。しかしながら、これは、先ほど申しましたように、非常に根強い異議存置論者がございます。そういうことからも、これもやむを得ないということで、現在の案のようになったのであろうと思いますから、もしそれを存置することにいたしますれば、少なくとも現在よりは悪くしないということが考えられるべきだと思います。ほかにも異議を存置するかどうか。特に、抗告なんかを認めておりますから、異議なんかはなくてもいいじゃないか、裁判所が幾ら説得してもだめだというところまで考えなくてはいけないか、こういうこともありますが、かりにそれを一歩譲りまして、異議の制度を存置いたしますといたしましても、それを決定後の異議の申し立てというところまで拡充することはどうであるか、こういう考えを持っているのであります。そのほか、あるいは存置する場合についての、もう少し有効な、総理大臣の異議申し立て権の乱用防止という方法はないかということも考えられますが、さしあたりその程度のことは考えられないものであろうか、これも非常にむずかしい問題でありますから、この立案者にも非常に敬意を表しておるのでありますが、そういう疑問を持っているということを申し上げておきます。
まだこまかい点がございますが、時間も参りましたので省略いたしますが、今申し上げたような問題点がございますが、しかし、全体としてはこれは進歩しておる、今の法律よりは進歩しておる法案と言って差しつかえないと思いますから、全般的には賛成いたしたいというふうに考えております。
以上は、私の全く個人的な意見であります、それから、経験並びに研究不足の上での意見でありますから、間違っている点もあるかと思いますが、お含みの上御理解いただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/41
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042・松野孝一
○委員長(松野孝一君) ありがとうございました。
それでは、これより参考人に対する質疑を行ないます。御質疑のおありの方は、順次御発言下さい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/42
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043・亀田得治
○亀田得治君 最初に、杉村先生にちょっと一点お聞きいたします。
それは、行政事件訴訟という、こういう体系についての基本的な考えをどこに置くべきものなのかという点です。先生並びに高木さんからも、そういう点についてお話がありましたが、今出されておる法案では明確でないわけですね。基礎がどこにあるのかということ、その点をひとつ御参考までにお聞きしたいわけです。私たちの考えでは、ともかく行政権による権利侵害、これを救済するということが問題になっているわけですから、権利侵害の救済なんだ、この点に重点を置いて考えますと、侵害者が普通の個人であるか、あるいは地方自治体であるか、国家であるか、そんなことは大して意味に重要性がないわけなんですね。権利侵害を救済するんだ、そういうふうに考えるわけなんです。したがいまして、法律の体系からいいましても、いわゆる行政法の体系としてこういうものを考えるということ自身に問題があるのではないかという疑問を持っておるわけです。で、そういう点について諸外国の制度ですね。代表的に英米系なり大陸系の制度なりはどういう立場をとっておるか。まあ私ども、多少個々的には条文などは拝見はしておりますが、その背後に流れる考え方を知りたいのと、そして今出ておる法案ですね。これは一体どういう角度で評価すればいいのかという点です。
それからもう一点は、よく、日本の裁判所はまだ行政関係の扱いにはなれておらない、したがって云々というようなことで、裁判所が行政事件を扱うについての制限を設ける一つの根拠にときどき言われるわけですね。それが理論的にいわれるのか、あるいは実際問題としてというような意味かわかりませんが、そういうことがよく言われるわけです。しかし私、これははなはだ筋が通らないと、実はかねがね考えておるのです。それならば、普通の刑事事件なり、あるいは個人間の権利侵害の問題にいたしましても、裁判所がどうも手薄だから、まあこの程度の扱いでいいのじゃないかという理屈にやっぱりなっていくわけです。だから私は、このことは、司法制度をやはり実際の筋の通った権利救済の制度としてマッチできるように、どうしたならば予算措置なりあるいは国政全体としての制度を確立するかということの問題であって、どうもそういう問題を行政事件訴訟法といったようなものにからませるのは、私は根本的に間違っておる。やはりそういうものをからませるから、結果としてははね返って、司法制度がいつまでたってもしゃんとしない。そういうことにも私はなると思うわけでして、そういう問題をどのようにお考えになるかということをお聞きしたいのです。
それから、高木先生には、先生は法制審議会の審議には参加されたわけでありますので、お聞きするわけですが、総理大臣の異議申し立てという問題は、われわれとして、今一番実はこの法案の中では問題にしておるところですが、お聞きしますると、法制審議会でも相当議論があり、そうしてようやくその点が認められたというような結果のようでありますので、そこら辺の真相を御参考までにお聞かせ願いたいと思います。
それから位野木先生、最後に、総理大臣の異議の制度について御説明があったのですが、その中で、現行法では、執行停止後には総理大臣の異議申し立てばできない、そういうふうに何か判例がなっているというふうにおっしゃったわけですが、その判例はいつのものであるかという点をひとつお聞きしたいのと、何か逐条説明書では、解釈としては、現行法においても、停止決定後においてもできるというような、これは決定後ですか。停止後のことじゃないのですか、その辺、ちょっとこの逐条説明では違ったような私記憶があったものですから、それを少し確かめてみたいと思います。
以上三点、おのおのの先生にお順いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/43
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044・杉村敏正
○参考人(杉村敏正君) 今の御質疑の第一点は、行政事件訴訟というものを基本的にどのように考えるかということだったと思います。これは訴訟でありますから、その場合に、その訴訟というものが、国民の権利あるいは法的に保護された利益の救済だという面に第一の重点があることは明らかであります。そうしました場合に、たとえばここで問題となっております抗告訴訟というふうな場合に、その訴訟の提起ができるだけ容易に行なわれて、そうして本人の権利あるいは法的に保護された特定の利益の救済の実現を第一にすべきだろうと思います。だから、これに関連して、たとえばこの法律案にございます民衆訴訟あるいは機関訴訟という面についても、これはこの法案自体の問題ではございませんけれども、この点、主としては行政法の適法性の保障ということになるわけですけれども、この点についての拡充も望ましいと思います。ただ、ある特定の個人の行政法上の権利あるいは法的に保護された利益の保障という点を主張いたします場合に、当然問題となりますのは、この場合に、その問題となっている事件そのものが行政権の行使でありますから、その点で、どの程度やはり行政権の立場というものを考慮する必要があろうかということが当然出て参ります。そういう点では、たとえば、行政権がかりにこの行政訴訟に関与いたしましても、民事事件とか刑事事件の場合の考え方とはやはり幾分違う点があるだろうということは考えられます。ただ、今おっしゃいましたように、侵害者が何人であろうと、権利保護というものが訴訟の目的であるから、その侵害者のいかんというものは問題でないという点は、まさしく私もそう思うわけで、だからこそ、先ほど申し上げましたように、この法案を検討する、あるいはこれについて意見を述べるといった場合に、やはり権利あるいは利益を侵害された人の保護というものを第一に置くべきで、そういう点からいえば、司法権、行政権という権力分立ということ、それ自体いろいろ考え方があるわけでありますから、権力分立の一つの考え方をとって、国民の権利あるいは利益の保護の制度を侵害してはいけないだろうというふうに申し上げたわけでございます。この行政事件訴訟法というものを行政法の体系として考えるということについて問題があるとおっしゃいますことの意味は、必ずしも私明確にはわからないわけでありますけれども、それは、行政法というのは、やはり行政の立場というものを、言いかえれば、行政による公益保護というものを前提として考えておりますから、そういう点から言いますと、この行政法と、それから、ここで行政事件訴訟法といいます場合に、行政法の体系とおっしゃることの意味はちょっとわかりませんけれども、行政法自体ではなくして、やはり民事訴訟法の考え方を基礎にしてやっていくという意味のことでございますれば、私もおっしゃるとおりだろうと思います。
第二点の問題は、今提案されております行政事件訴訟法案は、そういう行政訴訟の見方について、どのような角度で見ておると考えるかということの御質問だろうと思います。これは、実は私は、全然この審議にはタッチしておりませんので、若干雑誌その他に出されております関係者の方の意見を読んでのことでございますけれども、どうもこの最後に載っております「理由」のところで、行政事件訴訟の特質との関連について考慮が十分でないうらみがあるというふうなことが、具体的にこの法案のどこに現われているかということにつきましては、必ずしも明確ではございません。おそらくこの法案の第一条とか第七条で、単なる民事訴訟法の特例法というものではない、しかし、行政訴訟法というところまではいかない、その中間的な行政事件訴訟法案だというふうなことを言っておられるのではないかと思いますが、ただ、この「理由」にありますように、行政事件の特質の考慮が十分でないからというので、その他の規定のところで、行政事件の特質という点からどのように考えて変えられたかという点は、はっきり実はしないのです。むしろ、そういう点からいいますれば、この法案といいますのは、やはり手続的な規定を整備して、そうして従来判例、学説で固まったところを手直ししていこうという技術的な点が重点ではないだろうか、こういうふうに考えております。ただ、その場合に、先ほど申し上げました国民の権利保護を拡充するということと、実は、この場合には、行政権と司法権との調整というものが矛盾する場合があるわけでありますので、そういう点からいえば、この法案というものは、やはり微温的な立場で出されているだろうと私は思っております。そういう形から見ますと、やはり現在の行政事件訴訟特例法というものが基礎にあるわけでございますから、やはり行政権に対する考慮が、私の考え方からいえば、少し強いというふうに見ております。
それから第三点は、それに関連いたしまして、諸外国の行政事件訴訟制度についてはどうかということでございます。これは、実は私は、むしろ行政実体法のほうにおもな研究をおいておりますので、十分なことは答えられませんが、やはりドイツかフランスの場合の訴訟法であるならば、もっと整備されている。それに対しまして、行政裁判所というものを持ちませんたとえばアメリカの場合を見ますれば、やはりこういう点についての基本的規定は行政手続法のわずかの規定でございますから、そういう点では、やはり民事訴訟というものを基礎にして、あるわずかの程度において行政訴訟の特質を入れておるというふうに考えておると思います。このことは、アメリカの場合に、あるいはイギリスの場合には、手続法においてあるいは、訴訟法において、行政事件としての特色が大陸法よりも少ないということは、実は、行政実体法自体において、行政行為、行政庁の公権力の行使というものについての特色を大陸法ほどは認めていないわけですから、それにマッチしていると思います。
第四点でございますが、今の御質問では、裁判所の裁判官というものは、やはり行政権の作用あるいは、これはそうおっしゃいましたかどうか疑問でございますが、公の利益というふうなものについて、十分考慮をする能力がないのではないかというふうな意見があって、これがたとえばこの行政事件訴訟法案に潜在的にひそんでいるのではないだろうかということについての御質疑だと思います。これは、私の考え方としましては、戦後、裁判所が行政事件を取り上げまして裁判されます場合に、私のような行政法の研究者の立場から見まして、そう不当な判決が出ておるとは思いません。ある意味からいえば、従来の学説を進歩せしめておるような判決があると思います。そういう意味から言いますれば、私は、裁判所の裁判官が行政法について判断する能力が低いとは考えられません。そしてまた、今考えて見ますれば、今日だれも言いますように、行政権というものが非常に発達しておりますから、国民の日常生活と密接不可分に結びついております。そうすると、これはまた別の問題でありますけれども、裁判官とされましても、民事、刑事のほかに、同じような行政法についての専門的な知識というものがなければならないだろう、こう思っております。
以上が私の答えでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/44
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045・高木右門
○参考人(高木右門君) 私は、法制審議会の行政訴訟部会の小委員会に三年間ばかり小委員として勤めております。正確なことはちょっと申し上げられないのですけれども、小委員会で最も意見が対立したのは、総理大臣の異議の問題です。これにつきましては、最後まで論争がなされて、一番最後に表決といいますか、決をとるような形になったわけです。で、存置論者と反対論者は、私の記憶では、二人ないし三人の差にすぎなかったというふうに記憶しております。その程度でいいですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/45
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046・亀田得治
○亀田得治君 数はまあそういうことでしょうが、大体メンバー一人々々おっしゃっていただかなくてもいいわけですが、大体裁判官関係とか弁護士会関係とか、いろいろあるわけでして、そういうふうな大まかな傾向はどういうところですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/46
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047・高木右門
○参考人(高木右門君) 弁護士会側の委員というのは私だったわけですが、これは絶対反対であります。それから、裁判官の委員の方で、ある例外を除きまして、裁判所側から出てこられた方、それから、最高裁判所の事務局から出てこられた方は反対です。それで、存置論をなした人は、行政庁から出ている委員と、それから行政法学者の一部の方ですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/47
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048・亀田得治
○亀田得治君 あまり詳しく聞くとあれでしょうから、その程度でけっこうです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/48
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049・位野木益雄
○参考人(位野木益雄君) ただいま亀田委員のお尋ねの判例でございますが、昭和二十八年一月十六日の最高裁の決定でありまして、民事裁判最高裁の判例集の七巻一号十二ページというところに載っております。これは、こちらでいただきました「行政事件訴訟参考判例要集」ですか、これにも八十七ページに載っております。それから、逐条説明ではどういう説明になっておるか、ちょっと今、学説では、執行停止決定の前後を問わないとする見解が有力だというふうに承知しておりますが、判例は、そういう最高裁の判例があります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/49
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050・亀田得治
○亀田得治君 午前中にもちょっと出た、多少こまかい問題になるのですが、法案の三一条ですね。これにつきまして、「裁量権の範囲をこえ又はその乱用があった場合に限り、裁判所は、その処分を取り消すことができる。」単に裁量権の範囲をこえ、こういうふうになっておるわけですが、そうなりますと、この行政庁の裁量権というのは非常に広いわけですが、裁量権の範囲にさえあれば取り消せない。裁量権がこれくらいあるとして、ともかくも裁量権からこえるぎりぎりのところ、ちょっとでも入っておったら、それで行政庁の勝ちだ、こういうことになりますと、実際問題としては、非常に個人の権利が侵害されるというようなことが懸念されやせぬか。いや、そういう点はもう担当の裁判官にまかしておけばいいのだということになるのか。もう少しその点についてしぼったほうがいいのか。そこら辺ですね。理論的な問題として杉村先生、それから、実際いろいろ扱っておられるでしょうから、そういう立場から位野木さんにちょっと御意見をお聞きしたいのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/50
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051・杉村敏正
○参考人(杉村敏正君) この三十条は、実は、私先ほど六点ほどあげて意見を申し上げましたが、その後、午前中に澤参考人の御意見がございましたので、つけ加えようと思っていた点でございます。この三十条の規定は、もしも価値があるといたしますと、現在裁判所は、すべて裁量権の範囲をこえたり乱用があった場合には、違法であり、取り消すというふうにされております。普通の言葉で言えば、つまり法律家の通例の言葉で言いますと、社会通念から見て著しく不当の場合には、これは裁量権の乱用があって違法であるから、裁判所は当然違法として取り消し得る、こうなっております。ただ、この点については、学説で、裁量行為につきましては違法になることがない、法律上の争訟になることがない、したがって、裁判所はそれについての審議権がないというふうな学説も、これは、私は少数説とは思いますけれども、ございます。ですから、その点から言えば、そういう少数説に対しては価値があると思います。しかしながら、これは現に裁判所で、私の考えでは行なわれているところだろうと思います。そうしてこの「裁量権の範囲をこえ又はその濫用があった場合」という規定の仕方は、私これでいいと思うのです。なぜかといいますと、裁量権の範囲をこえというのは、今おっしゃいましたように、裁量権行使といいますか、上限下限といいますか、それがきまっているわけです。たとえば懲戒処分でありますとか、あるいは営業の許可の取り消しから施設改善命令まで、上限と下限がきまっているわけです。そういった場合に、その範囲をこえて両側に出るわけでございますから、これが違法であることは問題ございません。ですから、おもに問題となりますのは、その裁量の乱用の場合でございます。この乱用につきましては、私、裁判所の判決のところから見ますれば、けさ澤参考人の御意見がありました比例原則違反、平等原則違反、それから、処分をすべき要件になる事実の認定の誤りというふうなものは、すべてこの裁量の行使が誤っておる。それが社会通念上著しく不当だと見られる範囲においては、やはり裁量の乱用ということで取り消されていると思います。そういう意味から言いますと、この乱用があったという場合を、さらにこれを具体的に限定していくということになりますと、これは、おそらく判例、学説で実はどういうそれこそ類型があるかということは確定しておりません。だからこれは、今後比例原則、平等原則違反というふうなことのほかに、何か裁量の乱用の型というものが出てくるのではないかと思います。そういう意味では、私は、この規定でいいんじゃないかと思います。ただ、先ほどお聞きしたところでは、「限り」と書いてあるので限定されているという点で少し問題点があるというふうに御意見をお述べになりましたが、この点、ちょっと私よく判断できない点でございます。
以上でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/51
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052・位野木益雄
○参考人(位野木益雄君) 私も、今杉村さんが言われましたように、三十条の条文は、大体これでいいのじゃないかと思っております。といいますのは、現行の判例、それから学説の大勢、これを変更しようという趣旨ではない。ただそれを明らかにする趣旨で書いたのではないかと思います。それで、その字句も、これ以外に何かいい字句があるかというと、ちょっと考えつきませんので、結局は運用の問題ではないかと思います。で、具体的の場合に、これに入るかどうかということの問題だと思います。まあこの程度でも、そう国民の権利の侵害を救済するについて不十分とは今のところは考えておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X01719620403/52
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053・松野孝一
○委員長(松野孝一君) ほかに、御発言もないようでございますから、午後の参考人に対する質疑は、これをもって終了いたします。
この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、長時間にわたりまして、貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。当委員会の審査のため、きわめて有益な御意見を拝聴できましたことを深く御礼申し上げます。
次会は、四月四日午前十時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
午後三時五十四分散会
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