1. 会議録本文
本文のテキストを表示します。発言の目次から移動することもできます。
-
000・会議録情報
昭和三十九年五月八日(金曜日)
午前十時三十八分開議
出席委員
委員長 丹羽喬四郎君
理事 加藤 高藏君 理事 瀬戸山三男君
理事 廣瀬 正雄君 理事 福永 一臣君
理事 岡本 隆一君 理事 兒玉 末男君
理事 山中日露史君
天野 光晴君 正示啓次郎君
中村 梅吉君 堀内 一雄君
堀川 恭平君 山本 幸雄君
渡辺 栄一君 川俣 清音君
久保田鶴松君 楢崎弥之助君
西宮 弘君 吉田 賢一君
出席政府委員
建設事務官
(計画局長) 町田 充君
委員外の出席者
参 考 人
(千葉大学助教
授) 清水馨八郎君
―――――――――――――
五月八日
委員井谷正吉君及び久保田鶴松君辞任につき、
その補欠として川俣清音君及び楢崎弥之助君が
議長の指名で委員に選任された。
同日
委員川俣清音君及び楢崎弥之助君辞任につき、
その補欠として井谷正吉君及び中嶋英夫君が議
長の指名で委員に選任された。
―――――――――――――
五月八日
奥地等産業開発道路整備臨時措置法案(瀬戸山
三男君外七十名提出、衆法第四九号)
同月七日
宅地建物取引業法の改悪反対に関する請願(玉
置一徳君紹介)(第三四九七号)
地代家賃統制令の一部改正に関する請願(藤本
孝雄君紹介)(第三五一七号)
建設省西大寺工事事務所廃止反対に関する請願
(黒田寿男君紹介)(第三五一八号)
同(和田博雄君紹介)(第三五一九号)
同(山崎始男君紹介)(第三五六八号)
東北自動車道の早期着工に関する請願(鈴木善
幸君紹介)(第三六一九号)
は本委員会に付託された。
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
連合審査会開会に関する件
土地収用法等の一部を改正する法律案(内閣提
出第一四五号)
――――◇―――――発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/0
-
001・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 これより会議を開きます。
連合審査会開会の件についておはかりいたします。
目下本委員会において審査中の土地収用法等の一部を改正する法律案について、昨七日、農林水産委員会より、連合審査会開会の申し入れがありました。
この際、これを受諾し、来たる十五日午前十時より、農林水産委員会と連合審査会を開会するに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/1
-
002・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。
――――◇―――――発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/2
-
003・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 土地収用法等の一部を改正する法律案を議題とし、審査を進めます。
本日は、本案審査のため、参考人として、千葉大学助教授清水馨八郎君の御出席を願っております。
清水参考人には、御多忙のところ、本委員会においでいただき、ありがとうございます。どうか忌揮のない御意見をお述べくださるよう、お願いを申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/3
-
004・岡本隆一
○岡本委員 清水先生どうもありがとうございます。きょうは、土地収用法というよりも、清水先生に私がお願いしてもらいたいと事務当局に申しましたのは、土地問題全般についてお話しを願って、それが土地収用法と非常に密接な関連がございますから、そういう意味で御意見を承らしていただきたい、こういうことでございますので、あえて土地収用法だけに拘泥しないで、自由にひとつ土地問題について、清水先生の――日ごろ非常にうんちくのある御意見を雑誌やその他で拝見いたしておりますが、御自由にお話し願いたい、このように私は思います。その辺御了解願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/4
-
005・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 それでは、ただいま岡本委員からのお話のとおりお願いいたします。清水参考人。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/5
-
006・清水馨八郎
○清水参考人 本日は、土地収用法の一部改正に関する審議の参考人といたしましてお呼びいただきまして、ありがとうございます。突然のことでありますので、改正法律案の資料も昨夜おそく見せていただいたというような次第で、ほとんど目を通しておりません。そういうわけで、本日は法律案以前の問題といたしまして、土地収用法を改正しなければならなくなった背景、つまり土地問題とか地価問題について私の日ごろ考えておりますことを二、三参考に報告させていただきたいと思います。
私の意見のごときは、もうすでにこの建設委員会の諸先生方や宅地制度審議会で十分御討議しておられると思いますが、私のような非常に自由な立場の意見は、それが同じ意見であっても、それはそれとして、かなり意義があるのではないかと思いまして、しばらくお聞き願いたいと思います。
私は、土地問題の背景を次のように考えております。社会的、歴史的な背景は、そこに書いてありますように、現代は社会革命が地域革命に大きく移行しようとしておる時代である。社会革命とここでいっておるのは、技術革新とか消費革命とか流通革命とか人間革新とか、消費ブーム、レジャーブームなんといっているようなあらゆる現象に、革命という字をつけても驚かないような時代であります。そういったような人間社会の大きな変動、これを社会革命と申しますと、それがいまや土地に投影して、国土の土地利用を革命的に変えなければならない。つまり舞台を変えなければこの社会革命は遂行できない段階にきた。ここで土地利用の空間関係を根本的に改めなければならない段階にきたわけであります。ところが社会革命のほうは個人的にどんどん進んでいってしまうけれども、受けて立つところの地域革命の舞台のほうは、公共投資なんかによって投資していかなければならない関係上、いろいろそれが非常にスムーズに進まない。その社会革命と地域革命のアンバランスが、さまざまな問題を生んでいるというのであります。その地域革命の進行をはばむものは、申すまでもなく土地問題であります。現代は言うまでもなく農本国日本の時代から都市本国、工業本国日本の時代に大きく転換しようとしている。これを中にはさむところの土地制度は、農地制度的に土地財産絶対主義のもとにとどまっている。ここに土地問題の矛盾が必然的に出てくるのだと思うのであります。それが地価の急騰といったようなうみとなって出てくるのであります。したがって、現在の土地問題、つまり地価は地の災い、地禍、つまり一種の公害的な様相を呈してきておるのであります。これが現代日本の社会の一大病根となって、その影響は日ごとに顕著になってあらわれてきているのであります。
現代都市の交通問題とか住宅問題都市の再開発など都市問題、あるいは地域開発問題、あるいは産業の振興などの解決に土地問題を避けてはもうどうしようもない。土地問題を避けて通ることは許されない段階にきたのではないかと思うのであります。したがって、庶民も被害者であり、公共企業体、地方公共団体も被害者であり、国家も被害者になっております。われわれ計画者でさえも、どんなに善意に満ちた図面をかいても、それは土地問題の矛盾に突き当たって動きがとれなくなっている。いずれも砂上の楼閣になってしまっております。
そのような中で、最も深刻な問題が住宅問題だと思うのであります。現在都民の六割はアパートに暮らしております。そして住宅難の三重苦、つまり家賃の高さ、居住空間の狭さ、通勤距離の遠さというような三重苦の責めにあえいでおります。そして市街地における住宅環境の狭さから解放されようと思って持ち家を持とうとすると、今度はそれが遠さ、つまり通勤難に置きかえられてしまう。どれかを犠牲にしなければ住宅問題は解決しない。この地価の上昇に対して庶民の抵抗できる唯一の方法は何かといえば、結局距離を離すこと以外にない。距離を離しあるいは家屋敷を縮小する。あるいは国電なんかでもだんだん満員電車になってしまう。だんだん空間が圧縮されることも、結局地の災いの反作用だと思うのであります。
一方、そういうような矛盾がある反面、一人の地主が一方ではたいへんな金持ちになる。近郊地主の成り金のような矛盾が出てくるのであります。近郊地主はモモ、クリ三年土地一年だというように、土地がやせるほど百姓のふところは肥えるといったような問題、億万長者がざらに出てくるという矛盾、そして日本で一番の金持ち農協が練馬農協であるというような事態、日本にある農協のベスト二十のうちの八つまでが東京にある農協であるという矛盾でございます。農地なき農民が一番金持ちであるということが許されて、億万長者がざらに出ている。こういうことを何かあたりまえのように考える思想がはびこっているのはたいへんなことだと思うのであります。
さらに問題は、現代の物価のインフレ傾向でありますが、この物価のインフレ傾向の底には、地価のインフレがあるのだということがあまりに考えられていないのはどういうわけか、私たちにはわかりません。国民の富の三分の二は土地であるといわれております。その土地の資産を私が推計しますと二十兆円になっております。その二十兆円が毎年二割も三割も上がる。外国に輸出できないようなものであって、国土のみんなのものであるものが、ただやたらにつり上がってしまう。そのために、現実において金が動く。近郊農村、あるいは鉄道をつくる、そしてそれによって眠っていた農民がみなたたき起こされてしまう。そしてそれが商品化する。それに応じて金を政府は支払わなければならない。具体的なものがなくて価値が上がってくるのですから、たいへんな金が乱費される。そういうことが隠然として、あらゆる物価やサラリーを引き上げざるを符ないことにしているのではないかと思います。したがって、地価を押えないで物価が押えられるはずがないじゃないか。ところが、出てきた結果の物価だけを押えよう押えようとしている政府のやり方は、私たちには何か間が抜けているような感じがするのであります。肝心なものを押えないで、その結果のほうを押える。一般の消費者物価にしろサラリーにしろ、地価に関してはその被害者になっている。加害者のほうを押えないで被害者だけを押えようとしているから、いつまでたったって隠然として物価も上がってくるといわざるを得ないのであります。ところが政府の出すさまざまの資料を見ましても、地価と物価の関係はほとんど触れていない。とにかくこれほどの矛盾が、これほど長期にわたって、しかもこれほど多くの人に関係して、いまだに何らの解決が見出せないということは、何としても政治の怠慢ではないだろうか。この日本の国土の舞台であるその舞台の問題を全然調整しないで劇だけのことを考えているということはどういうわけか、私たちにはわかりません。舞台をつくらないで、劇だけを審議している。私は、土地問題を審議しないでいて、国会は何をいままで審議してきたのかと言いたいのであります。それほど重大な段階にきているのではないか。それに対して、政府が非常にこの土地問題、政策に憶病ではないか、土地収用をする役人たちも勇気がないのではないだろうか。なぜ勇気がないのかと申しますと、ただこの土地財産といものは神聖にして侵すべからざる絶対主義、土地財産絶対主義の思想が隠然としてあって、それに遠慮している。いまやそこに疑問を感じなければならない段階にきているのではないかと思うのであります。この地価の上昇に対して国は――この中に書いてあるような公共投資の矛盾によって、一そう国家自体も地価をつり上げていることになっているのではないかと思います。最近、私は公共投資についてちょっと調べる機会を得ましたので、調べてみて驚いたのでありますが、公共投資の充実ということは、何か大義名分のような感じが持たれます。生産資本と社会資本のアンバランスを解消するんだ、社会資本の充実こそ近代国家の要件であるといったような美名に隠れて、意外に多額な金がむだに使われているのではないか。これほど多額の金が無計画、非能率にむだに使われている予算はないのではないかと思ったのであります。公共予算というものを広く解釈しますと、学校でも何でもみな公共投資でありますので、公共投資というものは、ひっくるめると二兆円くらいになっているのではないか。国の予算の三分の二くらいが実は公共投資である、公共事業であるということになると、国の政治というものは公共事業をやることである。その一番金がかかるのは――金がかかるのはもうあたりまえだと思って、当然ムードでもって、やたらに金を出す。むしろ量よりも質の段階を考えなければならないときがきているにかかわらず、これがあまり考えられていない。各官庁がばらばらな予算を組んで、かってに土地取得競争をやっている。たとえば公団住宅を一つぽんとつくる、それに伴って、今度は新たな生活環境を樹立するという新しい公共投資をしなくちゃならない。したがって、一つの公共投資を不用意にやりますと、それが新たな公共投資を生む。公共投資が公共投資を呼ぶという、それで地価は地価を呼ぶというふうにして、連鎖的に拡大して、現在のようになったのではないかと思うのであります。どうしてもこの公共投資を調整しなければならない段階がきているように思うのであります。そしてその予算のかなりの部分が、地主に単にくれてやるようなことになっていくのであります。不用意に公共事業というものを拡大していきますと、開発事業というものをやればやるほど、これは計画を発表したと同時に、公共貧乏というか、開発貧乏というか、動きがとれなくなってしまう。一番いい例が、新産都市のようなものを指定したとたんに指定貧乏というか、めちゃくちゃになってしまう。肝心なもの土地問題に対して手を打たないで開発事業をただやったんでは、これは土台を築かずして家を建てるようなものだと思うのであります。したがって、指定貧乏というか、開発貧乏におちいる。指定すると、個人は非常な金持ちになる。地主金持ち、公共貧乏。当局がそれを買い出動するときには前の何倍かで買わなければならないというふうになって、公共は動きがとれなくなってしまうのであります。私たちが非常に不平等に感ずるのは、公共体が地主の土地を非常に安く評価して、そしてそれに応じた固定資産税をとっていく。そしていよいよ国が買い出動するときには高く買う。安く評価しておいて高く買うんですから、こんなばかげた話はないわけであります。どうして地主というものがそんなに保護されなければならないのであろうか。私たちは非常にふしぎに思うのでありますが、それは、私たちの税金なんというものは一銭もまけない。正しくその所得に応じた税金をかけてくる。ところが、土地だけはまず時価よりも安く評価する。安く評価してそれに応じてかける。税金を納めるときは、この土地は安かったんだ、今度はそれを売るときには、この土地は価値があるんだというようにして、地主だけには非常に有利な制度になっております。日本の国民の五%しか地主はいないのであって、あとの九五%は土地なき民であります。それにもかかわらず、地主というものが非常に保護されるような精神になっておるということが非常に疑問に感ずるのであります。土地収用における土地の値段なんというものは、時価に追従していたんではもう切りがない。これは上から公示をする、価格をつくって公示主義、提示主義でいかなければいけないのではないかと思います。公共事業が土地の値段をやたらつり上げる一番いい例が、現在オリンピックの関連事業でありますが、これなどを見てみますと、土地収用がもう常軌を逸しているのではないかと思うのであります。御承知の青山通りなんというものが、わずか三千メートルの距離に対して百億円の金がかかっておるといわれております。その八五%が土地代、土地補償代である。一キロするのに三十億もかかっておるというのは、地下鉄よりも金がかかっておるわけであります。これもすでにある土地をただ拡幅するにすぎないのであります。驚くべき金が使われておる。金を出すほうはお役人ですから、お役人は自分のふところはいたまないのですから、この公共事業に名をかりて、大義名分に名をかりて非常なむだづかいが行なわれておる。金を取るほうは、この際とばかりに人の、国民全体の金をとろうとする。これは一種の横領であり、反逆罪ではないだろうか。私たちはこの点訴えることができるのじゃないだろうか。民衆訴訟ということが、成り立つのではないかという意見を、私に盛んにしてくれる人があるのであります。納税者訴訟、こういう事実をつかまえてやったらどうかというような助言もしてくれたのでありますが、とにかく現在の宅地の地価というものは、農地の地価と違いまして、社会資本との有機的な関連においてのみきまるものでありますので、土地の値上がりの利益の帰属というものをどうやって調整するかということが一番肝心なものであります。その社会資本の関係において上がった不労所得というものが、一方的に地主のものにだけなってしまっておるのであります。こういうようなことでは、この不平等においては、旧地主の補償なんというものは結局当然起こってくるわけであります。これは損をしたということではなくして、もうけそこなったということなのでありますが、取り上げられたその土地で、現在の地主が不当にもうける、そのもうけが見ていられないという現象だと思います。そのことをこのままにしておくと、結局は公共用地収用においても同じ問題が起こってくるのじゃないか。公共事業でもって取り上げられた、協力したほうは、あとでもって周辺の地価が、千円で取り上げられて一万円になったときに、自分たちが協力したんだから、それで地価が上がった。そうして協力したほうがそれを黙って見ていられないほかの者がどんどんもうけるそのもうけに対して、がまんがならない。同じような問題が、公共用地の収用においても起こってくると思うのであります。
さて、土地問題の対策については、供給さえすれば――需給関係の不均衡からきたものだから、地価というものは、供給さえすれば下がるんだという考え方に立っておるようでありますけれども、これで解決できたためしがないのであります。従来住宅公団を建てる、供給したらその分下がるかというと、建てれば建てるほど土地は上がっていく。あるいは新産都市をつくる、とたんに新不動産都市を指定したようなことになってしまう。その新産都市の合計はたいへんな量であります。そうしたら工業用地は下がるかといったら、工業用地は全然下がらない。学園研究都市を筑波山につくる、その面積は東京の四分の一くらいの大きな面積がそこに提供されるのですから、市内の土地は下がっていいわけですけれども、下がる気配は全然ない。三点が一平面を決定するといいますけれども、土地は、三点ではなくて二点あればいいわけであります。五百円であったところが一点か二点千円で買われれば、この辺が全部千円ということで一平面を決定して、あと全部上がる。あるいは全部五千円になってしまうというような、理論も何も成り立たないようなことで地価が形成されているのであります。こういうような段階のままに、供給を幾らしても、地価を下げることはできない段階にきているわけであります。私は千葉のほうでもって埋め立てを見ているのでありますけれども、五井・市原地区の埋め立てば、何のための埋め立てかわからない状態になっている。国土がないから埋め立てたのだ、五千円か一万円の金で埋め立てたところが、その手前の水田が、その地域ではそのときは三千円か五千円であったのが、いまは五万円にまでなっている。国土が狭いからといって埋め立てて広げたのだけれども、地価は十倍になってしまう。そこに学校をつくったり道路をつくるために公共が出動すると、予算は前の十分の一に下がってしまっている。埋め立てをすることによって皮肉にも、すでにある内陸の土地、その価値というものを、土地を買う側あるいは当局にとっては縮小したことになってしまう。拡大する目的が、実は内陸を破壊させてしまっているような事態が至るところに見られる。こういうようなところに、供給したことによって救えるものでないということは明らかであります。土地が不足しているから地価が上がるのではなくて、地価が上がれば上がるほど土地は余り出すというこの現実。土地は幾らでも、景観的には、その辺にころがってきている。新聞などで、たくさんの供給がされて、これでもかこれでもかと土地は売り出されているわけであります。有史以来の土地供給時代。土地がないとは言えないわけであります。土地ほど財産を倍増するのにいいものはない。金もうけにこれほどいいものはないのであります。土地の投機ということがいわれていますけれども、投機なんというものではないということなんであります。投機といえば、株でもアズキでも何でも、暴落することがある。もうけもあるけれども、大損をすることもある。そういうものを投機というならば、土地は投機ではない。戦後から絶対に下がったためしがないから、これほど安全確実なものはないと思うのであります。したがって、金持ちはだれでもが、ますます、投機ではなくて、所得倍増のために投資して、手放さない。もはや価格機構でもってこれを調整するという段階を過ぎてしまっている。基本的に、土地というものは何であるかということを、いまや考えなければならない段階にきているのではないか。
そこで、私は次のような、土地基本法というようなものが、何かにつけても、まず第一に出されなければならないと思うのであります。いろいろの個別の対策ももちろんありますけれども、そういう対症療法と同時に、いまや土地とは何か、土地哲学というか、土地の思想を確立しておかなければならない段階にきている。土地というものは、国土と国民と国家、その一つであります土地は、究極的には国家のものだと私は思うのであります。独立国家の要件というものは、土地がなければ成り立たない。今度の戦争が終わって独立を宣言できた民族というのは、土地があった民族だけなんであります。国家形成の要件である。したがって、土地というものはいままでのようなそういうものであっていいかどうかということを考えなければ、地域革命というものは成り立たないのじゃないか。土地の絶対的な所有から相対的な所有へ。絶対的な所有であっていいかどうか。そこに社会的、経済的な所有へ。近代国家の歴史は、封建的な土地所有からの脱皮の歴史だと言っても過言ではないのであります。土地をどう考えるかによって、国家が近代化している。土地は国家を前提として所有が認められるのであって、国家がなければ、おれのものだということは言えない。南極大陸はおれのものだと言っても、どこの国かということがあって自分のものがあるし、日本の周辺に島を見つけて、おれのものだと言っても、それが日本国家のものになって、そして登記されて初めて、自己の土地所有が認められるような性格のものであって、国家が中に入って土地所有が認められるようなものは、一般の財貨とは違った扱いをされなければならぬことは当然だと思うのであります。それにもかかわらず資本主義の国で私有を許すのは、各個人に割り当てて所有させておいたほうが利用効率がいいからであって、それでみんなに分け与えておく。したがって、国家が必要があればいつでも供出する前提で所有が認められるようなものでなければならないと思うのであります。英国などでは、土地は究極的にはクイーンのものであるという思想があるそうであります。したがって土地の所有というものは、非常に社会的な義務を負っているのだ。利用するために土地というものがあって、ワイマール憲法のように、所有権は義務を伴う、非常に公共性があるということであります。この私有制との調和というものをはかってないところに問題がある。
そこで、私は、マッカーサーの日本の憲法でそれがどういうふうに書いてあるかと思って調べましたところ、ここに重大なことが載っておるのであります。マッカーサーは、こういうことを予想して書いたのかどうか知りませんが、先見の明があるのではないかと思うのであります。現在の憲法の中で、二十九条の財産権のところに書いてあるのでありますが、現在の憲法とマッカーサー憲法との違いは二つあります。一つは一院制にしろというのを、二院制に改めたということと、もう一つは土地のことであります。土地については、三条にわたって書いてある。二十七条、財産を所有する権利はこれを侵してはならない。ただし財産権の内容は、公共の福祉に合致するように法律をもってこれを定める、と書いてあります。次の二十八条が非常に重要であって、土地及びすべての天然資源に対する究極的な財産権は、国民の総代表としての国に存する。つまり天然資源は国家のものであるということをはっきり規定しているのであります。土地及び天然資源は、その維持、開発、利用または管理を確保し、改良する目的をもって、正当な補償のもとに国がこれを収用することができる、としてあったのであります。二十九条が、財産の所有は義務を課すと書いてあるのであります。これを見た松本焏治という人が、これはたいへんだ、日本古来の財産絶対主義を破壊するものである、大混乱を起こす、共産主義的な考え方になってしまうのではないかという思い過ごしから、これを削って、現在のようになったといわれております。これをやったからといって、そういうことになるということはあり得ないと思うのでありますが、一番大事なところが削られているということはもう一度考えてみなければならぬ問題だと思います。
大体、土地が不動産であるという概念であっていいかどうか。おそらく日本だけではないだろうか。動かしがたい財産、不動の財産、外国ではこういうふうなことばは使っていないのであります。いっこういうふうになったのか、私も知りませんけれども、動かしがたい財産といったようなことが書いてある。その不動産という概念を土地というものからとらなければならぬのではないか。現在土地問題の矛盾というのは、所有と利用との矛盾ではないだろうか。土地は利用されたがっている。ところが所有というものがこれをはばんでいる、その間の矛盾かと思うのでございます。
あまり長くなりますので少しはしょりまして、これに従ってただ読むだけにしておきます。
「(9)重農主義から重宅主義」宅地に重点を置くような考え方、マッカーサーが農地解放をやったように、いまや宅地解放、宅地法というものが必要な段階になっているのではないかということを提案したいと思います。農地法というものがあるならば、宅地法というものがあってもいい時代がきている。いまは農地というような、この耕土とか、肥沃度に関係があるような土地のあり方から、場所的関係とか社会的な資本との関係において価値がきまるような宅地というものに対しての制度は、全く違った制度がここになくてはならない。しかも農地のほうは非常に広くあります。宅地のほうは国家的にも非常に狭いのであります。したがって、農地以上に集約的に使わなければならないものでありますから、もっといろいろの制約がなければならないと思います。農地の不在地主が許されないように、宅地こそ一そう不在地主、利用しない地主が宅地を多く占領するというようなことがあっていいのだろうかと、こう考えるのであります。宅地というものは、どんなに需要が起こっても、供給できるものではないし、だれかが持っていて、用途を変更する以外には出てこないのであります。しかも、それが国民の五%によって占領されている。東京でいえば、わずか二・五%の都民が東京都の半分の土地を所有しているというこの事実。私たち国民は土地につく権利がある、五十坪くらいの宅地を持つ権利があっていいんじゃないか、国民全部が健康で文化的な生活を営めるために、五十坪くらい許されてもいい。その五十坪を二千万世帯が持っても、国土の一%で足りるのでございます。宅地を持つ権利が当然保障されてもいいと思うのです。
次に、土地の価格制度でございますけれども、土地の現在の時価というものに非常な疑問を感ずるのであります。現在の時価というものは、いわゆる経済価値プラス反社会的な要因というものによって構成されて、その反社会的な要因のほうが、はるかにウエートが高まってきておる。つまり、ごね得とか欲ばり、ごまかしとか投機とか、地価を分析して、それを経済的な現象として、まじめに追っていって研究しても、全く無意味なものになってしまっているのであります。ばかばかしいことになっている。人間の欲望は限りがありませんから、幾らでも欲ばりたいのですから、とことんまで行ってしまう。そういうものをあとから追っていって、地価の現象を迫っていっても、全く無意味なものになっておるのであります。土地は、御承知のように、再生産もできないし、輸入もできないものですから、需給均衡の法則が作用して、価格が形成されるようなものではないのではないか。つまり、一般商品といったようなものではない。それを商品なんというものにしていいかどうかということが問題であります。国土の一部分である、それが集まって国家が形成されているようなものが、商品として、売ったり買ったり、それだけをもうけの対象としていいかどうかというような疑問を感ずるのであります。土地は用益されて初めて価値を生むものだから、商品としての土地の価格という概念はあってはならないと思うのです。土地は手段価値があっても、個人の目的価値にしてはならない。つまり、土地だけを金もうけの対象として取引されてはならないと思うのであります。西欧では地価というような概念が一般化されていない。地価というものの概念がないのだそうであります。土地の価値というものはあるかもしれませんけれども、社会資本の充実とともに価値が上がるということがあっても、売買価値というような、時価というようなものがあっていいかどうか、ここに疑問を感ずるのであります。経済学のほうで言うと、もののプライス・メカニズムでこれを安定させていくというようなことはもうできない段階にきているのではないか。プライス・メカニズムというものを非常に重要視したワルラスという人でさえも、土地だけを例外として、土地の国有論を唱えております。これは非常に教訓的だと思います。そういう意味で、地価に関する限りは、これは放置することはできないものではないか。つまり、国家統制が絶対に必要ではないか。地価ストップ令とか、やみ価格の禁止令、暴利取り締まり令とか、地価安定は非常に重要な段階にきている。作物のようなものは、有限的な投機性だと思うのであります。一年性の作物のようなものは、どんなに投機しても、来年になるとまた新しい米が出てくる、新しいアズキが出てくる。有限的な投機で終わるけれども、土地だけは腐らないし、保管料も要らないし、これは永久投機になる可能性がある。いつまでも投機することができるというようなものになってしまう。したがって、米価を押えるよりも地価を押えるほうが大切にもかかわらず、米価のほうは国家統制をして押えてきているけれども、もっと肝心な、多くの人に関係するところの地価統制がされないのはどういうものかと思うのであります。米についてはやみ価格を禁止されておる。全国一律の同じ値段である。土地についてもかくあるべきものというようなものが出てこなければならないのではないか。それにもかかわらず、国自体が土地に対しては固定資産税の評価の立場もあれば、あるいは相続税の評価もあれば、違っておる。それから工共用地を取得するための田畑を取り上げるときの価格というものは、大体時価の二倍くらいでそれを収用しておる。公自体が土地に対してめちゃくちゃなやみ価格でもって当たっておる。それに一般のやみ価格というもので、二重、三重の価格が、最も大事な土地に対して残されておるということは、一体、公正取引委員会は何の公正な取引を監視しておるかと言いたいのであります。そういうことにやたらに金を使っておるような当局に対して、会計検査院は何を検査しておるのかと私たちは言いたいのであります。
最後に、土地政策の急務ということでありますが、土地の利用区分制度の確立が必要なことは言うまでもありません。なぜ必要かと申しますと、土地に関しては、一つの土地が一つしか利用されなければならないものが、無差別な競争が可能なのであります。一つの土地に対して、工業地も需要者になるし、住宅地も需要者になるし、商業地も需要者になるし、同時に一つの土地に対して競争する。大金持ちも貧乏人も、同じ土地を同じ立場で競争しなければならない。一般商品ならば、大金持ちはやはり上等品のところに行って買えばいいし、貧乏人は安いところに行って買えばいいのですが、土地に対しては無差別に競争が行なわれるから、どうしても高くついてしまう。商業地と住宅地が一緒に需要されたならば、売り手は当然住宅地のほうにいく、あるいは商業地のほうへ落ちてしまうということになるので、一つの土地に対して幾つもの需要が競争する。そういうことがないように、できるだけこの土地はかく利用さるべきだというゾーニングというものが必要であります。しかし、ゾーニングされても、必ずしもそれだけによって地価が押えられるかということはまた疑問であります。現在、日本の地域指定をされておるところが全部地価が下がっておるかといえば、やっぱり上がっておる。土地というものは財産としていまのような絶対主義のものでいいかどうか、ということに疑問を持たなければいけないのではないかと思います。土地センサスとか土地の統計というものが、私どもが土地を調べようと思っても、一体日本の国土がどうなっておるか、だれにどのように持たれておるのか、どこへ行っても信用すべき統計はほとんどない。しかも土地の値段は何だろうかといっても、不動産研究所という民間の資料しかそこにない。地価の指数といっても、なぜそういう指数が出てきたのかわれわれに教えてくれない。不動産研究所は不動産を研究しておるのであって、土地を研究しておるのではないという立場であります。私たちは土地を研究しておるつもりでありますが、土地が不動産である前に土地であるという立場をとりたいのであります。それが幾らに評価されて、どのくらい担保価値があるかといったような立場だけで土地というものが見られておる。それから出てくるところの指数を私たちが信用して、幾らだろう幾らだろうと言っておるだけであります。なまの指数だけを見て言う危険があったのであります。一体このままこういうような状態が続くとどういうことになるかと心配するのでありますが、それはおそらく次のようなことになるのではないか。政治が解決する。それが全然手を打たない。非常に憶病であって、勇敢に土地の問題に立ち向かわないとすれば、健康で文化的なわれわれの生活が保障されないということによって、あるいは裁判所に訴えるとか、内閣に訴えるという行政訴訟を起こす。あるいは民衆訴訟を起こす。あるいは納税者訴訟を起こす。あるいは最後に残されているのは、民衆運動かあるいは暴動かということになってくるのであります。そういう危険を非常にはらんでいると思います。過去の歴史でもって、土地問題が矛盾したときの歴史上の解決は、どういうふうに解決するかというと、たいてい不穏な状態で解決をしております。つまり米騒動があるならば土地騒動というものが当然予想されるのであります。昔は農民一揆という問題とか、あるいは略奪とか戦争とかということでもって土地は解決されているというおそろしい問題が起こってくるのであります。あるいはマッカーサーが解放してくれた。強権発動で解決したから農地は解放されたというような、何か不穏な事態が起こらなければ解決されないというような気がしますので、そういうことを前提に置いて、今後おそらく十年くらいの間に非常な不穏な事態が土地の問題で起こるのではないか。それを予想して勇敢に土地問題に立ち向かっていただきたいのであります。土地問題は、結局家が建たないとか土地が得られないということは、個人の罪ではないのであります。個人が怠慢だから家が建たないのではなくて、やはりこれは政治的に解決する以外にはどうにもならない。地方自治体にもどうにもならない。非常に高い政治の場でしか解決できない問題であります。ここにおいて決断が必要だと思うのであります。開放経済で、あらゆるものが自由化する中で、土地だけは不自由化しなければならないのではないか。
以上、たいへんかってなことを申し上げまして恐縮でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/6
-
007・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 どうもありがとうございました。これにて参考人の御意見の開陳は終わりました。
―――――――――――――発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/7
-
008・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 質疑の通告がありますので、順次これを許します。川俣清音君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/8
-
009・川俣清音
○川俣委員 清水先生から、るる土地問題について御高説を承ったのでありますが、その他先生の論説を拝見しておりまして、疑問を持っておった点が、依然として氷解されませんので、お尋ねをしなければならぬと思うのであります。
そこで、ひとつ基本的にお尋ねをいたします。はなはだ失礼でございますが、先生の説明の中に非常に強い批判が加わっておることは、私はこういう露骨な批判が出てくることは非常にけっこうだ、それは理解します。しかしながら、先生の説明の中になお矛盾があるように私は思うのです。それは、たとえばことばじりでございますが、土地収用法で収用されたのは、時価の二倍で収容されておるのは好ましくないというお話がございました。時価というのは一体何で判定されて二倍というふうに言われるのか、その説明が聞きたかったのです。時価というものは何で構成されているのかということを実は聞きたかった。会計検査院に対する御批判もございましたが、会計検査院は、ことしの報告書によりますと、国有地の貸し付けが時価よりも非常に安過ぎるから、国有財産の管理上上げなければならないという批判をいたしております。特に、国有林野で神戸の学校用地に貸し付けたところが非常に安過ぎた。時価で換算した価格よりも安い価格で貸し付けておる、こういう批判。ところが、そこは学校ができたために付近の地価が上がった。そこで、付近の地価が上がったのに安過ぎるという批判が会計検査院から出ておるのです。したがって、あなたの説と違いまして、学校ができたということによって地価が上がった。その地価によって算定していかなければ国有財産の管理上けしからぬ、こういう批判が行なわれいるわけです。したがって時価というものは一体何なのか。不動産研究所についても御批判がございましたが、不動産研究所の時価というのは、いわゆる客観的な流通性のある価格であるという説明が行なわれております。すなわち取引があったものの平均価格が時価である、こういう説明が行なわれているわけです。一体時価というものについて、その点ではどうも先生の説明も私は十分理解しかねるのですが、一体時価というようなものが何で構成されているか。流通性のないものには客観的な時価というものは生まれてこないと思うのです。ある程度流通性があるから時価というものが生まれてくるのではないかと思うのです。流通性のないものに客観的な時価というものはあり得ないはずだと思う。そういう点についての解明が足りないので、お教えをいただかなければならぬと思うのですが、もっと基本に戻りましてお尋ねをしたいのは、私は必ずしもこれに賛成ではありませんけれども、一般のいわゆる学者といわれる人々は、近代法の根幹をなすものは等質的な権利能力と、自由な所有権と、契約の自由である、これらが結びついて近代資本主義の秩序の基礎をなしているのだ、こう説明されております。清水先生の御意見によれば、これから新しく脱皮して新しい社会秩序が生まれてこなければならないのだ、そういうところから土地問題を考えるというお説だと私は理解をいたしますが、そこで一体土地の所有権の成立をどのように理解をされているのか。私がちょっとお聞きしたところによりますと、所有権というものは社会的にはないのだ、それは用益権であって、本来の絶対所有権というものではないように理解すべきだというふうにも言われております。そういうふうに先生の説明をお聞きするわけです。もう一つは、土地は投機の対象にはなっていないということです。これはちょっと理解しにくい。下がることはないじゃないかということですが、御承知のように、最近の農地は、特に田などについては、地域によりましては値下がりを来たしていることは明らかであります。したがって、高くなるものだというふうなお考え方は、都市生活をされておれば別でありますが、農村では、最近反当の売買価格が下落いたしているところもあるわけであります。それは農地法というような制約がもちろんあるから、流通性にある程度制約を受けている、こういうところからくるものでしょうけれども、上がりっぱなしだというのは少し資料が不足なのではないかというふうに私は見るわけです。先生の説を反駁する意味じゃないのですけれども、そういう点についてどういうふうにお考えか。私は、時代によって土地の所有権の内容は変わるのだ、こういうように理解いたします。封建時代から脱皮しなければならぬというけれども、かえって封建時代のほうが土地の所有については制限がきびしかったというふうに私ども歴史的に見るのです。私の勉強が足りなければお教えを願いたいのですが、むしろ土地の所有権の制約は、封建時代のほうが強烈であったというふうに私は理解をするわけです。そこで、もちろん封建制度から脱皮しなければならないというのは、制約があったのから脱皮をするのではなくして、一つの所有権の中には統治権を含んだ所有権であった封建制度から脱皮しなければならぬという意味であるならば、私はさように理解をいたします。封建制度の土地所有権というものは単に土地所有権であったのではなく、統治権も、部分的な統治権であるわけですけれども、統治権まで持っておったというところに封建制度の土地所有のあり方があったのではないかと思うのですが、これからの土地所有権の内容をどのように規制すべきか、あるいは理解すべきかということになりますと、土地所有権の成立をいかに理解して土地収用を考えるべきかという問題にぶつかるのではないかと思うわけです。土地所有権の構成内容をどのように理解すべきか、この点についてもう少し御説明を願いたいと存じます。
それから、土地価格を生み出すところの地代、すなわち用益地代でしょうが、地代というものをどのように先生は理解されておるのか。これもひとりなかなかむずかしい問題だと思いまするけれども、先生のお考えをお述べ願いたいと思うわけです。
それから、宅地について非常に御熱心な御意見を拝聴いたしまして、非常に心強い点もあるわけですけれども、今後土地の用益をめぐりまして、一体宅地にだけ重点を置いていいのかどうか。いま緊急な問題であるということは認めまするけれども、宅地の問題を片づけるというと、食糧の問題が、たとえば野菜の値段等が騰貴をいたしまして、むしろ生活不安を醸成をしておるのではないかというような点が考えられます。私かつて千葉におったことがございますが、千葉の近郊は非常に野菜が豊富で安価なところであった。したがっていまでもまだかなりのかつぎ屋と申しますか、農村の人々が野菜を都会に売りに来ております。最近だんだん減ってまいりましたのは、労働賃金の上昇によって労働の需要が増大したために、かつぎ屋が少なくなった点もありましょうが、むしろ蔬菜地がだんだん減少するということによって、地元の野菜価格が上がりまするために、あえて運ぶ必要がなくなったというところもあるようであります。かつて私が千葉におりました時代に小作人だった連中にときたま会うことがございますが、そのときにいろいろお聞きしますと、むしろ野菜をつくることよりも宅地に提供して、百姓をやる者がなくなってきたという説明がされております。これは単に宅地問題ばかりではもちろんないですけれども、宅地の造成が、今度は土地の同じ利用収益面からいって、野菜地が不足をするということになって、住宅は得たけれども食糧は得られないということになりはしないか。このアンバランスの起こるような問題をいまにして解決しておかなければ、宅地の問題は非常に緊急の問題でもありましょうが、緊急の問題を解決すると同時に、いま言ったような日常生活の野菜というもの、文化生活を営めば営むほど、野菜といいましても、根菜類ではなくてむしろ葉菜類の野菜の需要が増してくるわけでございます。根菜類でありまするならば適地というものがありまして、そこから大量に輸送することもできましょうが、葉菜類になりますると、距離が伸びますると、葉菜価値が下がるわけですから、したがって生活環境に近いところに葉菜類がなければ、農民ばかりではなくして、住宅居住者にも影響を与えるということになるのじゃないか。そこで宅地についていままで非常に御熱心な御議論は、私そのまま受け取ってもよろしいのですが、宅地の問題が緊急を要する問題であると同時に、野菜の供給地の問題が起こってくるのではないかという点について、これはおそらく別な点では説明をされておるのだと思いますが、きょうの説明の中ではむしろ矛盾を感じたので、この点についての見解を承りたいと思うのでございます。
私は、先生の言われるように、土地の流通性というものをある程度制限すべきである、それはむしろ土地の絶対権など認めないで、用益権、使用収益の権利を重要視すべきであるということについては全く賛成でございますが、宅地の問題も今後やはり起こってくるのじゃないか。所有権の権利を押えて価格の高騰を押えることにもなりましょうが、絶対権を押えてまいりますると、今度は使用収益権と申しますか、用益権と申しましょうか、そういうものが発生してくるのじゃないか。都会の土地価格の中には、むしろ借地権というものが、青山で三千メートル当たり百億という計算が出ておりますが、これは地価でございませんで、むしろ借地権を含めた価格でございますことは御承知のとおりだと思います。したがって、今後私どもは用益権と申しますか、土地は土地に価値があるのじゃなくして、用益するところに価値があるのだという考え方をとっておるのでありまするけれども、これを用益権を非常に強めてまいりますると、所有権は確かに軽減いたしましょう。制約を受けますから軽減するわけですが、むしろ、用益権の強いところは所有権の価値が下がって、用益権の価値が上がっておる。地価の中にはむしろ用益権のほうが高い。銀座でもおそらく土地所有権よりも借地権のほうが高いはずでございます。したがって用益権を認めることは、私はそのとおりだと思うのですが、今度は用益権が上がったのでは同じことだと思うのです。今度は現に自分の宅地を持っておる人に価格が発生してくるということが――初めは住宅難を緩和するための土地を持たせるわけですが、そこに用益権が発生して、借地権が発生して、土地所有権とは別な権利が発生してくることになるのじゃないか。これが私は宅地問題の一番大きなガンになるのじゃないかと思うのです。私は用益権については賛成ですけれども、危険を感じておるのは、この借地権が強化されることによって、逆な意味の土地の制約が始まるのじゃないかという心配を持つわけですけれども、この点についての御説明がお願いできれば御説明願いたい、こういうふうに思うのです。
それからもう一つは、用益権を非常に強く主張されておるのでございますが、私、そうならば一体先生の結論的な意味である住宅、一家族五十坪の所有権を与えてもいいのじゃないか――なぜ一体所有権を与えなければならないか、用益権だけでいいのじゃないかというふうに思うのです。それをわざわざ所有権を与えなければならないという……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/9
-
010・清水馨八郎
○清水参考人 それは所有権という意味ではなくて、用益権的なものです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/10
-
011・川俣清音
○川俣委員 ここに書いてあるのを見ると所有権というふうになっておりますために、そのことを聞いたのです。別に反駁的な意味じゃないのですけれども、説明が私には理解できない点がありますので、十分理解をいたしまして、今後の審議に役立たせたい、こういうふうに思いますので、あえてお尋ねをしているわけです。反駁するような意味じゃなくて、今後どう活用するかという意味でお尋ねをしているわけですから、どうぞひとつ……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/11
-
012・清水馨八郎
○清水参考人 いろいろたくさん出ましたので、どれがどれかわからなくなってしまったのですけれども、非常に多く、私以上によく勉強されておられます。一つ一つお答えするよりも、非常にむずかしい問題がたくさんこの宅地にあるのですけれども、国会は、こういう問題はむずかしいとか、憲法違反が心配だとかということで、おそれているのではないか。私たちはこの問題の矛盾の事実を言っているわけであって、何とかしてほしいというわけですから、その点を国会が大いに論じて、いまやこういうような問題を打破するような答えを出さなければいけないやつを、むずかしいとか困難だとかいうことだけでもって、内部だけでぐずぐずやっている段階ではいけないのじゃないか。どの程度まで、国会はこういう問題に対して真剣に意見をかわしたかということを、私はむしろ聞きたいのであります。いま先生のおっしゃったのと大体同じような考え方を持っています。地価は何かというような問題とか、投機とは何であるか、地代とは何であるか、それぞれ非常にむずかしい問題であって、ここで一括答えることは一つ一つ答えたら相当時間もかかりますので、結局、私は、土地というものは最後はやはり国有になっていかなければいけないと思うのですが、それは一ぺんにはいかない。徐々になると、やはり社会意欲というか、社会全体の形で相当に条件づきな規制が当然あってもいい。それで、そういうことから、地価とか価格とかいうようなものはあまり認めない立場にあるわけです。その価値というものが社会評価なんかでもって上がっていくということは、日本の国土全体、国民全体の価値が当然上がっているのです。ですから、そういうものはだれに帰属するかということが問題だと思うのです。それをいままでのように、全部おれのものだととっていっていいかどうかという、その不平等が耐えられない問題である。どからそういったやたら騰貴する部分と、それからそのものの持っている価値とを、不動産というようなものでは分離して考えなければならない。それから投機というような問題が出たんですけれども、私が言っている投機というのは、ここで一旗上げようというような投機であって、農地が下がったといっても、ほんのわずかしか下がらない。戦後の事実を見て、土地を投機している人がそれじゃその土地で投機してかつて大損した例があるか、ほとんど確実にもうかっているわけです。そういう意味で、投機なんということではないのじゃないかということを言っているわけであります。投機は地価が騰貴するのが投機だという意味ですね。
それから、宅地と農地の問題でありますけれども、農地を非常に重要視されておる。そのとおりだと思いますが、面積からいって、宅地はほんのわずかなものであります。国土の一%に四四%の人口が住んでいるというようなことから、農地はもちろん有効に使わなければなりませんけれども、宅地のほうの問題は、非常にたくさんの人に直接生活の場として影響を与えるため、これの矛盾が起こってきているのですから、こちらを早急に秩序づけることは当然だと思います。答えになっていないと思いますけれども……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/12
-
013・川俣清音
○川俣委員 さらに速記録を見ながら、いずれの機会かにいろいろお伺いしたいと思いますが、いまの宅地と農地の問題につきましては、御承知でございましょうが、昭和の戦前は、神奈川県は、御承知のとおり米の移出県であったわけでございますが、最近は移入県、米の消費県に転落しておるわけです。かつての百二十万石くらいの米の生産が、最近は四十万石、三分の一に生産が減っておる。これは耕地が減ったわけです。東京も、御承知のとおり、かつてやはり七十万石程度の米の生産がありましたのが、最近は二十万石を割っておるわけであります。米は他に生産県がありますから問題ございませんが、たとえば東京の野菜市場などを見ましても、かなりの消費増、これはもちろん人口増に伴う消費増でございますが、取り扱い数量が非常にふえておるわけです。そして供給難に陥っておるというのが現状だろうと思うのです。ですから、宅地を解決するだけでは解決のつかない問題が残っておるという点を私は指摘したかった。しかしながら先生のような方が宅地問題に非常に熱心なことについて、大いに敬意を表しているわけです。決して非難している意味ではございません。それだけでは解決がつかない問題が起こりつつあるということを懸念いたしておる。懸念をいたしておるので、この点を先生に参考にしていただきたい、こう思ったわけでございます。こういう問題について、やはり出していただくほうが、無条件でお聞きするよりも、私みたいに批判しながら聞くほうが、むしろ先生の意見に忠実であるかもしらぬ、私はそう思っている。無条件で聞いてあとでかえって行き詰まることのないようにしたいという意味でありますから、参考人に対して決して非礼ではないという意味でお尋ねをしているのですから、どうぞそういう意味に御了解願いたいと存じます。
さらに、今度は問題になってまいりますのは、やはり今後スモッグ等公害が非常にはびこっている。農地が存在しあるいは森林が存在することによって、スモッグがある程度緩和されていると同時に、空気の清浄を維持することができると思うわけです。先生御存じのとおり、東京の空気の清浄さは健康をそこなうというほどまでには至らないにしても、決して健全な環境ではないということ、そうすると宅地なりあるいは工場なりがたくさんできるということは、そこに住まいをする条件に必ずしも恵まれているとは言えないのじゃないか。宅地は確かに必要でしょうけれども、宅地が必要だということは、そこで生活をするということだ。生活の条件が整わないようなことになったのでは、宅地ということばと申しますか、土地という問題だけの形になって、生活環境の整備にはならないのではないかということを私は懸念をいたしておるものですから、宅地問題を論ぜられる場合には、やはり生活環境に向くということが条件にならなければならぬのではないか、こうも考えておりますので、先生が宅地問題について御熱心な点については敬意を表するのですけれども、もう一歩進んでもらえないものかという考えを常々持っておったものですから、この機会にさらに御研究を願いたいものだと思うわけでございます。これはむしろ質問よりも、先生に対する研究のお願いを申し上げたのですが、御見解を承っておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/13
-
014・清水馨八郎
○清水参考人 確かに、宅地問題は農地と一体になって考えなければならないことは当然なことであります。それから、空気の汚染と都市生活という問題は、確かにそのとおりであります。私は、むしろ宅地問題というよりも、都市の問題を主として研究している立場にありますので、結局、都市生活とは何であるかといったような観点から宅地を見なければならない。現在のように混乱した宅地の上に住んでいていいかどうかという問題は、御指摘のように、都市というもののなす環境の生活がこれでいいのかというような中から宅地を位置づけるということを非常に重要視しております。これからの都市というものは、いまのような集中的な都市の段階はもう過ぎていると思います。むしろ分散的な都市の段階に入る。したがって郊外へ向かって展開する時代である。それで、都市というものが形のある都市から形のない都市に移るのが理想だと思います。田園の中へますます入っていく。現在、事実宅地というものが都市の外へ外へと出ていく。これは地価が上がるためじゃなくて、文明の必然だと思うのです。田園の中へ展開しようとする、伸び伸びとした清らかな空気の中に入ろうとする、そういうような時代にあるからこそ、ますます都市的土地利用というものと、宅地的土地利用というものと、農村的土地利用というものが競合するわけであります。その意味で、これからの都市のあり方は何であるかというようなことから、この宅地問題を取り上げなければならないことは同感であります。そのつもりで勉強をしております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/14
-
015・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 楢崎弥之助君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/15
-
016・楢崎弥之助
○楢崎委員 私は、農林水産委員会に所属しておりますが、今度の法改正で、御承知のとおり第五条三項を改正して、海底を公共の事業に供する場合、あるいは公有水面を埋め立てもしくは干拓して土地を造成した場合に、その造成した土地に公共事業を行なう場合、いわゆる海面漁業の漁業権を収用または使用するという改正が出ておるものですから、きょうは特にお願いをいたしまして、農林水産委員の立場から、少しばかりお尋ねをしたいと思ってまいったわけです。
本来、土地収用法の収用対象というのは、原則として土地である、このように思うわけです。しかし現行法でも、第五条の三項に、河川の敷地ということで、内水面の漁業権を収用もしくは使用するという規定はあるわけですが、しかし、いずれにしても、今回の改正によって、海面漁業の漁業権を消滅させるというようなことが入れられておるということは、これは一つの、土地の解釈の拡大であると私ども思うわけです。ところが、本来土地などの私有財産と、漁業権の場合はおもに沿岸漁業、特に漁業権漁業もしくは知事の許可漁業に関係してくるわけですが、そういう沿岸漁業の場合は、沿岸漁業者がたくさん入り会って、そして生活の基盤をなしているのが漁業権なんですね。だから、単なる土地等の私有財産と漁業権とは、私は大いに性格が違うと思うのです。それに土地の解釈をそういうふうに拡大をして、海面漁業までも入れるということについての、その土地の解釈の拡大ということについてどのようにお考えか、ちょっとお伺いしておきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/16
-
017・清水馨八郎
○清水参考人 海面の問題については全然考えてなかったのです。どういうような法律になっているか、それに対して、土地収用法と同じようにしてはいけないという考え方なんですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/17
-
018・楢崎弥之助
○楢崎委員 私がただいま申し上げましたように、土地収用法の収用対象は、原則として土地なんですね。それが海面漁業の漁業権までも範囲を広げるということは、あまりにも土地の解釈拡大としてはひど過ぎるではないかという考えですね。もう少し言いますと、土地などの私有財産と、多くの沿岸漁業者が入りまじって、入り会って生活の基盤をなしておる漁業権とは、本来の性格が違うではないか、それを入れるのはまず第一番に根本的に少しひどいのではなかろうか、このように思うわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/18
-
019・清水馨八郎
○清水参考人 私もちょっとそれに疑問を持ちますね。やはり水とか用水権と同じような考え方で、この土地はやはり内陸の土地だけに限るべきで、海面のようなものは、いまの土地の所有といったようなものとは全然性格が違うものじゃないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/19
-
020・楢崎弥之助
○楢崎委員 少し専門外のようでございますから、詳しいことはまた別の機会があろうと思いますが、いま少し私どもの考えを言っておきますと、特に当国会におきましては、本院におきましては、昨年沿岸漁業等振興法といって、沿岸漁業を振興させる法律をつくったわけです。それに基づいて、具体的な沿岸漁業の構造改善事業を進めておるわけです。その中には、漁場の効用を低下させあるいは喪失するということを特に防止するという概念があるわけです。そうすると、今度の土地収用法からいうと、そういう沿岸漁業を振興をさせるという方向と非常に逆行する考え方が出ておるから、私は、これは国会の審議の問題になりましょうけれども、どの程度建設大臣と農林大臣が話し合い、調整をされて、この辺の改正を出されたか、ちょっと疑問を持ったから、聞いたのです。
それでは、漁業の問題は専門外のようですから、一般的な問題で二、三お尋ねしたいと思います。これも収用法に関係するのですが、現行法によりますと、第四十七条に、収用委員会の却下の裁決という項目があるわけです。これでは、起業者が収用委員会にかけてある土地をほしいとかある漁業権を消滅してくれとかいう場合、収用委員会がいろいろな事情を勘案して却下ができるのかどうか。この四十七条でいきますと、普通言われておる解釈からいくと、収用委員会にかかった際には、これは三つ条件があるようです。この収用法に違反をするときが一つですね。それから次に一号と二号とあって、「申請に係る事業が第二十六条第一項の規定によって告示された事業と異なるとき。」二号も書いてあるのですが、こういう事項に限ってしか却下の裁決ができないのかどうか。私はなぜこういうことを聞くかと申しますと、これも漁業に関係をするのですが、この収用法の二十一条の二項で、たとえば「事業の施行について関係のある行政機関又はその地方支分部局の長は、事業の認定に関する処分について、建設大臣又は都道府県知事に対して意見を述べることができる。」と、そういう行政機関の意見を聞くようになっておるのです。それで、これはよく問題になろうと思うのですが、大いに解釈が違うところですけれども、たとえば漁業の問題なんかの場合は、漁業調整委員会の意見を聞く必要があるということになりましょうが、そういう意見を聞いて、これは取り上げるのはまずいという意見が出されたときに、その収用委員会は、そういう意見を聞いて却下の裁決ができるかどうか、これも非常に問題のあるところですが、私はおもに土地収用法の内容についてお尋ねしたかったのですが、同僚の先生から、先生の専門と違うというようなお話でございますから、私はこれでやめます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/20
-
021・清水馨八郎
○清水参考人 いまのような問題は、ちょっと考えておりませんので、間違ったことを言うかもしれません。いずれ研究してお答え申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/21
-
022・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 兒玉末男君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/22
-
023・兒玉末男
○兒玉委員 本日は、非常に貴重な御意見を聞かしていただきまして、いい勉強になりましたが、土地の問題について二、三お伺いしたいと思うわけです。
今回出されておる土地収用法については、私たちも大体基本的に反対の立場をとっていないわけです。いかに土地収用ということの必要かということは、非常によくわかってきたわけですが、ここで私がお伺いしたいのは、やはり土地の価格の問題でございまして、実はこの前、当委員会において、私が住宅公団の住宅団地の取得に関する問題で質問いたしておりますが、まだ十分な裏づけの資料が入っていないのでありますけれども、関西方面で相当大規模な住宅団地の取得がなされたわけです。ところが、私たちが調査した範囲内によりますと、その地域が丘陵地帯であって、その地域の農民の入り会い権みたいなものがあった地域じゃないかと思うのですが、大体丘陵地帯三十五万坪と言われております。それで、当初大体五百円前後で、ある土地会社が買ったものが、五回ほどたらい回しされて、そして最終的に、私の調査したところでは、資本金も非常に小さなトンネル会社的な会社が、わずか一両日の間に、住宅公団に大体三十五万坪を坪当たり四千百円という価格で売りつけておるわけです。この事実等については、すでにもう法務局の移転登記等の状況も調べておるわけですが、さっき先生が言われておりましたように、こういうふうに公共投資の名目のもとに、実際に不当なる利得を得ているとわれわれは判断せざるを得ないわけです。これの合法性は否定できないにしましても、私はやはり社会的に重大な問題だと思っているわけです。こういうような、いわゆるたらい回しによって不当に土地価格が高騰させられて、しかもその最後のしりぬぐいは、住宅公団という国の機関が、国民の税金をむだ使いをしている、こういう行為についてどういうような規制を加えられるべきか、あるいはそういう行為が公然として許されていいものかどうか。特に先生は土地価格の問題の権威者でございますので、まずこういう点についての概念と申しますか、お考えを聞かしていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/23
-
024・清水馨八郎
○清水参考人 いまの問題は、おそらく香里か何かの問題じゃないですか。先ほどから申しておりますように、五百円の土地が四千百円になってしまう、いまおっしゃったようなそういう矛盾に対して、これはがまんならなくて、私たちは土地の研究の専門家じゃないのですけれども、都市計画とかそういうようなことを考える立場から、これを、当局に対して、早く何とかしてほしいというようなことを発言しているのであって、こうしろというようなことは直接私は考えていないわけであります。確かに地価というものは、いま言ったような経済的な法則ではなくて、もうたらい回しに登記すれば地価は騰貴する。登記と騰貴ということは同じことになってしまいますね。そういうような矛盾があっていいかどうか、そういう意味では全く同感であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/24
-
025・兒玉末男
○兒玉委員 そこで、先ほど御説明もありましたが、このいわゆる四千百円という価格の妥当性について公団当局が説明していることは、先ほど言われました不動産研究所あたりの出した価格からいって、決して不当に高いものではない、こういう表現がとられまして、客観的にも妥当だというふうな裏づけをいたしておるわけであります。そこで私が若干の疑問を持ったのは、確実にそういう国の機関を通じて調査するならば、どういうふうな過程をたどって四千百円という価格が出てきたかという歴史的背景ははっきりしているわけです。そこで、その妥当性について、不動産研究所というところの性格に、今日先生のお話を聞いて、私は非常に疑問を持ったわけですが、大体、本質的に、この不動産研究所のあり方というものはどういうふうな方向にその性格はあるべきか、この点について、先生の御見解を承りたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/25
-
026・清水馨八郎
○清水参考人 私は不動産研究所の資料というものに前から疑問を感じておったわけです。私たちが調査に行きましても、それがなぜそうなったかということを少しも教えてくれないわけです。東京その他近郊については、明治以来やっているものですから、その関係上、同じところを観測点をきめておいてずっとやっていますから、農地が宅地になっても、それをどっちの値段で評価しているかよくわからないわけです。聞くところによると、一つの都市について六点くらいしかない、それで評価している。それが、非常に都市の地域が拡大してまいりますから、宅地がたちまち商業地になってしまう。それを宅地としてやればべらぼうな値段になってしまう。しかもそういうものを平均化して出しますので、なまの価値を全然出さないで、その結果の指数だけを出してくる。それで指数主義というか、指数だけが並べてあって、これが地価だ地価だと言っている。ところが、差額主義でいきますと、そんなに上がるはずはないわけです。たとえば、百万円の土地が百十万円になるということは容易なことではないのですけれども、千円の土地はすぐ二千円になる。そうすると二倍になった、三倍になったということで、地価をあおるのに何か利用されたような、その意味で、こういう地価というもは一体何であるかということを、やはり国のような、どこか確実な評価機関が正しく出すべきであって、それを一民間の、財産を保存するほうの立場あるいは信用膨張というものの担保価格、不動産評価といったような立場の研究所の資料だけを――これはもうどこにも出ておるわけです。それでいいのかどうかということは非常に疑問を感ずるわけであります。この際、国が率先して、都市センサスのようなものをやったりして、確実なものを出すべきだ、こう思うのであります。いまのような矛盾が、香里ばかりではなくて至るところにあるのでありますが、こういうことに対して、私たちはむしろもう納税者訴訟というものを起こさなければいけない段階にきているのではないか、国民の税金をかってに使う、それは不当である、そういうような事実をたくさん集めて、問題を提起しなければならない段階にきているように思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/26
-
027・兒玉末男
○兒玉委員 もう一点だけお伺いしたいのですが、今後さらに研究していきたいと思うのですけれども、特に先ほど先生が、土地基本法というようなことを言われたわけです。私たちもまさしくその必要があるのじゃないかと感ずるわけですけれども、問題は現実に存在する、特に宅地造成を前提とした地域というものが、国のほうに相当買収されているわけです。ところが、この問題の中にもございましたように、先ほどの関西のある団地の場合でも、もうすでに売買をしてから今日まで手がつけられない。こういうことは、たとえば、上水道とかあるいは道路とか排水とか、そういうことは非常に客観的に困難であるということでもって、十数億の国家投資の経済効果というものが全然あらわれないまま、今日に至っておるわけです。こういうふうな行為に対する規制ということと、それからもう一つは、やはりいままで当初の所有者からこの公団に移されるまでに、大体私の調査したところでは、約三年半かかっているわけです。三年半の間に、結局たらい回しの機関をつくって、しかも地価を引き上げるためにこれが利用されている。こういうこと等を規制するためにどういうことが考えられるのか。それからもう一つは、先生の言われている土地基本法というものは、いわゆる国土の開発計画等々と関連した国土総合開発法というものがあるわけですが、そういうものとの関連についてどういうふうなお考えをお持ちか、この二点だけを質問いたしまして、私の質問を終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/27
-
028・清水馨八郎
○清水参考人 最初に、公共投資の問題は、先ほど述べたように、非常に無秩序なんです。かってかってなことを、起業者がそれぞれ土地競争をやっている。こういうことでもってばく大な費用がかかっている。こういうものを早く調整しなければ、公共事業が公共事業を生み、地価が地価を呼ぶので、動きがとれなくなってしまう。その意味で、地価をつり上げる元凶の一つにもなっているのじゃないか。その意味でこの土地収用法なんというものをつくるのはいいのですけれども、国家だけが、土地を取り上げるのには土地収用法をうまく使って、自分だけ取り上げればあとはいいのだということでは困ると思います。ほかの民間、個人もやはり土地を収用しなければならない、自分のために収用しなければならない。ところが国家のほうは、こういう法律をたてにして、どんどん取り上げていくということで、ほかのことは顧みないということではいけないのであって、やはり究極においては、地価を抑えるということをしておかなければいけない。国だけはとにかく買えた、それによって公共事業をやれば、またその周辺の地価が上がる、不平等になってしまう。したがって取り上げられた弱い者は、またこれによけいな費用を投じなければ買えないということになると、結局弱い者いじめになってしまうというような意味で、国家だけが、公共事業の円滑をはかるために、収用法を完成しただけではいけないのであって、これも一歩前進だと思いますけれども、同時に、地価を絶対的に規制するという強い立場をとらなければいけないのじゃないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/28
-
029・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 岡本隆一君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/29
-
030・岡本隆一
○岡本委員 先生のお書きになったものをときどき拝見させていただきまして、非常に私は先生のお考えに共鳴を感じているわけです。かねがねから、私ども委員会の中で、土地を持っているということは、その有効利用を国からまかされているのだ、こういうふうな理解の上に立って、われわれがやっていくべきだということを申しておるのでございます。そこで先生の、土地基本法をつくれ、これも私非常にいいお考えだと思うのです。ただしかし、現在の憲法、あるいはまた民法の中に、やはり土地の所有権というものは絶対的な所有権というふうな形で出ているように思うのです。だから、もし土地基本法をつくるとするならば、憲法、もしくは現在の民法の所有権あるいは地上権といったものを改正せずに、土地基本法だけ独立してつくることができるかどうか、というふうな点についての御見解をひとつ承らしていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/30
-
031・清水馨八郎
○清水参考人 非常にむずかしい問題で、法律的なことをよく知りませんので、うまく答えられないと思いますけれども、私なんかは、憲法に違反するから困る、非常にむずかしいからというようなことを言っていたのでは、いつまでたってもよくならないから、場合によっては、憲法を改正しなければならないのではないかということまで考えているのでありますが、現在の憲法の中でもできるというような先生もたくさんおります。二十九条のただし書きを活用すればいい。「公共の福祉に適合するやうに」というようなことを書いてありますから、あれを拡張解釈することによって、できるのじゃないか。そういうことに対して、非常に何かおそれている。土地絶対主義というものをおそれ過ぎていて、憲法の解釈を拡張すればできるにもかかわらず、それをおそれちゃっている。ということは、戦後あらゆるものが、個人の権利というものが絶対的になってしまって、公共的なものが忘れられているという意味で、その考え方を社会の通念にしなければいけない。戦後、地価もインフレになったのですが、個人の権利が非常にインフレ化している。これを押える。法律で押えるよりも、社会思想の上において押えなければいけない。敗戦後、日本は、国益優先ということから、一ぺんに私益優先のほうに振り子が移ってしまって、まん中にあるべき公益優先という思想が全然失われている。昔から日本には公益優先という考え方はなかったように思う。国益優先ということと一緒になっていた。国のため、天皇のためと言えば、全然それで頭を下げてしまった。ところが、公益優先という考えは、国益優先という犠牲的精神とは全然違うのであって、私益を守らんがための公益であります。そういう概念がないために、戦争に負けて、これはひどいことになった、こりごりだというので、一ぺんに私益優先という考え方になって、振り子が途中でとまらないで行き過ぎた。これはどうしても公益優先という、みんなの私益を守るための公益というような思想を強く打ち出していかなければならないのではないか。現在の憲法の中でも、勇敢にやればそれはできるのだという考えを一応とっているわけでありますが、場合によっては、憲法はこういうところで改正すべきだ。土地問題とか交通問題が非常に重要になってきておりまして、外国の憲法では、こういうものを相当強く打ち出しておりますけれども、日本では、交通憲章なんか憲法の中に一つもうたっていない。現在一番大事な社会問題が一つもうたわれていない。私は、九条なんて問題でなくて、現在の社会に合わせるような憲法の改正が必要な段階にきているのじゃないかと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/31
-
032・岡本隆一
○岡本委員 先生にきょういただきましたプリントの中でございますが、「土地基本法の必要」というその中に、「平均宅地権」というのが十二の項目にございますが、こういうふうなことも、土地基本法の中には盛られるべきであるというふうなお考えを持っておられるのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/32
-
033・清水馨八郎
○清水参考人 これは、土地基本法はこういうふうな法律だということでなくて、こういうことも必要じゃないか、こういうことも必要じゃないかということを、羅列的に並べたのであって、国民の基本的な権利として、こういうような権利、衣食住の住ということが一番基本である。人々が貯金をしているのは何のために貯金しているのかといったら、家の環境をよくしたいということが基本であり、焼け野原になったとき、人が最初にやることは、まず家を建てることである、掘っ立て小屋を建てることである。食のことはそれから次に考えられることなんで、その最も基本的なことが不安定になっている。そういう政治がないじゃないかという意味で、一番基本である、宅地の上に自由に住めるという権利があっていいのじゃないかということであって、これは日本ばかりではなくて、ほかの国にもこういったような考え方がないわけではない。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/33
-
034・岡本隆一
○岡本委員 つまり住の保障は宅地の保障である、そういう意味において、そういう考え方は基本法の中に盛るべきであるというふうなお考えであるかと思いますが、それからもう一つお伺いしておきたいのは、先生のこのなにを拝見いたしますと、たとえば、最後の第七の「土地政策の急務」のところでございますが、土地の利用区分の制度をつくって、その利用区分の制度に従って、土地を有効利用させるように政治的に統制していけ、こういうふうな御意向のようでございます。そういうふうな土地の統制というふうな形でいきますと、なかなかいろいろな大きな反対運動とかまた画期的な制度の改革というふうなことになってまいりまして、農地改革が行なわれたときのマッカーサーの命令のようなものでもなければ、とても私どもには困難なように、というよりも、不可能なようにも思います。そこで私どもが考えますのでは、先生方もすでに御承知でございましょうけれども、やはり税制であるとかその他そういうような面から、徐々にそういうほうへ振り向けていくというふうなことよりやむを得ないのではないか。そこで、最近大きな話題になっておりますのが、空閑地税の問題あるいは土地増価税の問題、あるいはまたそういう方法によらないで、固定資産税を――先ほど先生がおっしゃいました、税を取るときには安く評価して、買い上げるときには非常に高く評価するという、その矛盾でございますが、そういうことをなくして、時価に応じた形で税を取る。固定資産税さえ売買価格に応じて取っていけば、空閑地を長く持っておるということは非常に困難になってまいります。だから、そういうふうな固定資産税を時価並みに評価して徴収するという三つの方法が、いま土地政策として考えられる。土地を有効利用させるための方策として、税制で攻めていくのが一番いいのじゃないかというふうにいわれておるのでございますが、そういう点に先生がお触れになっておらないのは、何か特別の理由がございますのでしょうか。あるいは、その点についての先生のお考えを承らしていただけたらと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/34
-
035・清水馨八郎
○清水参考人 私は、数年前から、そういうことは盛んに言っていたわけですね。ここでは、そういう税金対策とかいろいろあるけれども、そういうことはもちろん必要なんだが、一応その前提として、土地はどうあるべきものか、土地の哲学といったようなものを、いまやはりここでもって確実に打ち出していけということであって、それから、当然いまのような具体的な空閑地税とか、社会資本に応じてその地価が上がったものの帰属を自分だけのものにしていいかどうか、それは社会に還元しなければいけないという意味で、当然増価税というようなものが考えられてくる。それは前々から持論として言っているわけであります。ここではその以前にもっと大事な国土のあり方というものを考えて、それから当然こういうような問題が出てくると思います。それを引っ込めているわけではありません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/35
-
036・岡本隆一
○岡本委員 非常にいろいろ御意見を承らしていただきまして、ありがとうございました。きょう私が先生に来ていただいた、一番大きな目的にしておりましたのは、私どもの党内には、土地収用法の強化について反対の人たちがあるわけです。それはやはり農林関係の人に多い。だから、農民の立場から、土地問題、また土地収用の問題について――先生は積極的に、土地問題、宅地問題から見て、土地というものの所有権をある程度押えていこうというお考えを持っていらっしゃいます。また農民の気持ちの中には、土地というものは自分のものというふうな非常に強い所有権を主張する気風もございますので、そういう点について議論してもらって、先生のようなお考えを党内にしみ通らせていきたい、こういうふうに考えておったのですけれども、十分な目的は達せられなかったと思いますが、しかしながら、非常にいい参考の文献もいただきましたし、またお考えも承らせていただきまして、非常にしあわせでございました。今後もまた、先生からいろいろの御意見を承りながら、先ほど先生がおっしゃいました、国会は何しておるのだ、まだるっこしく思っておるのだという御意見、まことにそのとおりでございまして、私たちも何とかしなければいけない、こう切実に思っております。したがって、今度の休会中には、土地問題と私どもはほんとうに真剣に取り組んで、来年の通常国会に間に合うように、何らかの形ででも土地問題に手をつけるというような方向へ持っていきたいというふうに、せっかく努力もいたしておりますし、また希望も持っておりますので、今後いろいろ先生から御助力、御助言をいただきますようにお願いいたしまして、私の質問を終わります。どうもありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/36
-
037・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 吉田賢一君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/37
-
038・吉田賢一
○吉田(賢)委員 ちょっと一、二点だけ伺わせていただきます。
土地制度については、国有にしなければ土地問題の解決はできない、こういう基本的な態度、思想にお立ちになっておる、こういうことになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/38
-
039・清水馨八郎
○清水参考人 基本的には、そういうことになります。しかし、一ぺんにはそこまでいけないから、やはり徐々にそこへ持っていきたい、こういう意味で、現在の態勢では――社会的な義務を非常に強く、土地所有というものが一般の財貨を持つのとは違うのだというようなことを相当強く打ち出す必要があるのではないか、これが私の思想です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/39
-
040・吉田賢一
○吉田(賢)委員 いまは宅地の問題が非常に重大な生活並びに政治、経済の問題になっておることはもちろんでございますが、わが国におきましては、こんな狭い土地でございますので、農業問題におきましても、類似の問題が相当あるわけでございます。農地も宅地も山林もひっくるめて、究極においては、徐々にではあっても、国有化しなければ解決しない、こういうふうにお考えになっておる、こう理解していいですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/40
-
041・清水馨八郎
○清水参考人 究極においては、昔のような国家が持つという意味ではなくて、社会全体のものであるというような考え方に立って、それを一部便宜的に割り当てられて使っておるのだ、というような考え方に立たなければならないのじゃないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/41
-
042・吉田賢一
○吉田(賢)委員 社会全体が利用し得るものと考えねばいけない、こういう考え方は相当あるわけでございます。したがいまして、公共の福祉に適合するように、私有財産は定めるべきだというのは、憲法二十九条の二項にも規定しております。そういう考え方は相当ありますが、さりとて、土地の所有権の関係、所有権は小さく民法的に言うならば、独占支配ということになるんでしょうけれども、そういう所有権の関係で、これは個人に持たすべきではなしに、国が持つというところまでいかなければ解決をしない問題である。そうじゃなしに、もっと公共性を法律によって拡充していくということは、日本のあらゆる条件にかえって適合するのではないか、こういう意見が相当あると思うのです。それは一切国有にしてしまってはどうか、土地がないのですから、宅地から国有にしてしまってはどうか、ただしきょうはそうしないのだけれども、その基本的態度で逐次法制化するというふうな、これは政治論として単純な理論ではありませんが、各般の社会、経済その他の諸条件を総合いたしまして、現実的に国有論が究極の態度だということで、いまの困難な事態を緩和し、もしくは切り開いていくということにほんとうにプラスになるでしょうか。逆に閉じていくというようなことさえ生じやしないだろうかという辺はどんなものでしょうか。なぜこんなことを聞くかというと、憲法の二十九条が絶対所有権という立場でないように学者は解説しております。したがいまして、公共の福祉に適合するように、ということを言っております。しかしそこに同時に、私有権と公共福祉との両者の調整というもの、これが政治上の悩みだろうと思うのです。そういう一種の悩みの状態に進んでおる最中ですから、一方のそういう国有論的な基本態度で政治論議をするということが実情に合うであろうか、その点はいかがでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/42
-
043・清水馨八郎
○清水参考人 非常にむずかしい憲法問題になって、私もよくわかりませんが、二十九条の拡張解釈でできるという学者もありますが、それだったらば、いままでもっと大いにそれが利用されて、こういうような問題が起こらないはずであるにもかかわらず、現在まで非常な矛盾が起きてきて、土地の公共性と私有性というものが全然調和がとれなくなってきている、こういう事実から見て、私は究極的には、いまこつ然と国有論を出すとたいへんですけれども、この解釈というものをもう少し強めるような政策を行政的にどんどん打ち出していいんじゃないかと思うのです。国有論というのを非常におそれて、何かすぐ大きな革命がくる、あらゆるものがひっくり返ってしまうように、少しおそれ過ぎているのじゃないかと思うのです。おそらくあと十年、二十年と時代が過ぎてくれば――現在山林でも何でも、全国民の五%の人がそれを持っているにすぎないのです。国民の大部分というのは、現在でも五〇%くらいのものは、都市的な地域に、みなその土地を離れて来ている人たちが充満してきているわけです。今世紀の末には、九〇%の人は都市及びその近郊に住むであろうというような、こういう時代の移りかわりからいきましても、これは当然都市的なものの見方でもって――農村の人を否定するという意味ではなくて、ルーラルからアーバンな生活がしたい、農村の人もやがてはみんな都市的の人になる。そういうようなことから考えてみても、これは大化の改新がなければできないのだということではなくて、おそらくそういうような方向をとらなければならないときが来ると思います。そういうようなことを前提に置いて、国土というものは何であるかということを、こういう理想を描きながら徐々に直していかなければならないと思うのです言。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/43
-
044・吉田賢一
○吉田(賢)委員 もう一点だけ伺っておきます。
地価対策ですね。これは現実の問題としまして非常に重要な問題でありますが、地価対策につきましていろいろと提案もされておりまするけれども、どうもまだ多くの同意を得るというようになっておらないようでありますが、いま先生が資料としてお出しになっていただいた中には、地価に関する国家統制をやってはどうか。たとえば地価のストップ令を出してはどうか。また前の物価統制令のあれと同じような一種の取り締まり令、こういうものを出してはどうか。要するに法制的に地価をストップしていこう、これが地価対策の、ずいぶんたくさんお並べになっておるようですが、相当重要なもののように思われるのですが、これはやはり法律をつくって何かの基準を設けて統制する、こういう考え方ですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/44
-
045・清水馨八郎
○清水参考人 そういう意味であります。地価の構成の現在の内容が非常に公正でないことは事実でありまして、その登記のたらい回しなんかして、あっという間に上がってしまっているというような――そういうようなものまで補償しなければならないのかどうかということであります。その意味で、地価というものが、買えば上がる、買うから上がるというように、風船玉のようになっているこの現状、こういう状態が危険であります。土地の値段がいまの段階でもいいからもしストップしてくれさえすれば、土地という財産は税金を取られるのですから、利子を生みませんし、持っていても何も意味がなくなってくるわけですから、とにかく現状でもいいから、これ以上上がらないのだという限界点でも早く出してくれさえすれば、おそらくそれだけでも投機的に持っている人は-暴落するであろう。その意味で法律をつくって、米の値段を簡単に押えることができる、現在しているわけです。それを何ともふしぎに感じないのに、同じような意味でなぜ土地にそれができないのか、私たちはしろうと的に考えますと、非常にふしぎに思うのでありますけれども、一番大事なものを少しも抑えようとしない……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/45
-
046・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 この際、清水参考人に、委員会を代表してごあいさつ申し上げます。
本日は、貴重なる御意見を長時間にわたり御開陳いただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。
――――◇―――――発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/46
-
047・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 この際、おはかりいたします。
ただいま議題となっております土地収用法等の一部を改正する法律案審査のため、去る六日、参考人から意見を聴取することに決定し、御一任願いました人選につきましては、東京大学教授大内力君、早稲田大学教授佐藤立夫君、全国漁業協同組合連合会会長片柳真吉君の三君に決定いたしましたので、御報告いたします。
なお、一名の参考人の意見は、先刻決定いたしました農林水産委員会との連合審査会において聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/47
-
048・丹羽喬四郎
○丹羽委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。
次会は、来たる十二日火曜日、午前十時より理事会、午前十時三十分委員会を開会いたすこととし、本日はこれにて散会いたします。
午後零時四十分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104604149X02719640508/48
4. 会議録のPDFを表示
この会議録のPDFを表示します。このリンクからご利用ください。