1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十九年五月十四日(木曜日)
午後一時三十九分開会
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出席者は左のとおり。
委員長 中野 文門君
理事 北畠 教真君
二木 謙吾君
吉江 勝保君
小林 武君
委員 植木 光教君
木村篤太郎君
久保 勘一君
中上川アキ君
秋山 長造君
加瀬 完君
豊瀬 禎一君
高瀬荘太郎君
国務大臣
文 部 大 臣 灘尾 弘吉君
政府委員
文部省初等中等
教育局長 福田 繁君
事務局側
常任委員会専門
員 工楽 英司君
法制局側
第 二 部 長 腰原 仁君
説明員
文部大臣官房総
務課長 木田 宏君
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本日の会議に付した案件
○国立教育会館法案(内閣提出、衆議
院送付)
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001・中野文門
○委員長(中野文門君) ただいまより文教委員会を開会いたします。
国立教育会館法案を議題とし、前回に引き続き質疑を行ないます。
御質疑のおありの方は順次御発言願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/1
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002・加瀬完
○加瀬完君 前回の委員会にも例示いたしました衆議院の鈴木一君の質問に、福田局長だと思うが、鈴木さんが、教師の理想像を描いて会館で研修させるのかという質問に対しまして、教師としての使命感に燃える人が実はほしいという意味のことをお答えになっておりますが、文部省の言う教師の理想像とは教師の使命感に燃える人ということを意味するのか、この点はいかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/2
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003・福田繁
○政府委員(福田繁君) 望ましき理想像ということになりますと非常にむずかしくなるわけでございますが、私が申し上げましたのは、教師としては子供を指導し、子供に教える立場にある者でございますから、一般のサラリーマンという場合と違って、教師自身が十分な指導力を持ち、また人格識見においてもりっぱな人物であるという意味合いにおきまして、教師の使命というものを十分自覚した教師であってほしい、こういうような意味合いで申し上げたつもりでございます。それ以上に別段の意味を持ったものではないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/3
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004・加瀬完
○加瀬完君 さらに説明を加えまして、「文部省の立場から申し上げますれば、文部省が少なくとも義務教育等につきましては、教育のいわば基準を示しているわけでございます。これにほんとうに血を通わせ、また命を与えるのが教師の力であります。そういうふうに考えますときに、政府といいますか、国の示しておる基準というものをもっともっと生かしてやっていただくような人がほしいわけであります。」、こうお述べになっております。とすると、具体的に、理想像とは教師の使命感に燃える人で、さらに具体化するならば、国の示した基準を生かしていくような人ということを解釈してよろしゅうございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/4
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005・福田繁
○政府委員(福田繁君) そういうことを申し上げたかわかりませんが、そういうことと直接つながっている考え方ではなくて、教師が生徒児童を指導するに当たりましては、十分この学習指導要領等の基準に即して、十分それをこなし得るような立場においてこれを指導してもらいたい、こういう趣旨で私は申し上げたつもりでおります。前段のほうと直接の関係はないと思いますが、学校の教育の場においては当然そういったことがあってほしいと私ども考えているわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/5
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006・加瀬完
○加瀬完君 現在は国の基準を無視、または反対いたしております教師が多い、このように御認定をなさっていらっしゃるのか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/6
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007・福田繁
○政府委員(福田繁君) 非常に多いかどうかわかりませんが、中にはいわゆる文部省で示しておりますところの学習指導要領についていろいろ批判をし、反対する教師も中にはいることは否定できない状態でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/7
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008・加瀬完
○加瀬完君 国の基準として示された学習指導要領を守っていくということは無批判であるということと同じにはならないと思うのです。教師の側から学習指導要領というものを改正なり、あるいは修正なりということは、実際使ってみてそれが教育的な価値が問題になればあってしかるべきなんであります。そういう意味の批判というものは、当然、教師であるからこそ、私は指導要領に対してしなければならないことだと思う。しかしながら、批判をするからといって、その批判をしている者が現在の指導要領に反対をして守らないということにはならないわけなのです。この点はもう少し文部省も、指導要領を示せば、それをそのまま無条件に守ればいいということではなくて、やはり先におっしゃったように十二分に教育のために生かせるように、プラスの面で指導要領に対する意見というものは大幅に聞いていくのだという態度が当然だと思いますが、いかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/8
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009・福田繁
○政府委員(福田繁君) その点につきましては、お説のように私ども考えております。学習指導要領そのものは一つの基準でございまして、これについて現場の学校においてこれをもとにしてやる場合におきまして、いろいろやる方法等につきましても現場の先生としていろいろな御意見があろうと思います。また、学習指導要領も、事によりましてはこうしたほうがいいという場合もあり得ると思います。そういう改善なり、やる方法についてのいろいろな御批判というものは当然出てきていいわけでございます。そのために、私どもといたしましては研究集会等におきまして、現場の学校あるいは教育委員会等におきまして、現在の学習指導要領そのものについてどうこれを具体化していけばりっぱな授業ができるかというような点から、常に研究と、何と申しますか、討議を繰り返しているわけでございます。したがって、そういう場を通じての研究討議というもの、あるいは批判というものは当然あってよろしいと私ども考えるのであります。ただ、ごく一部でございましょうけれども、直ちにそれを授業の上に実施するという面については、これはいかがであろうかというように私ども考えるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/9
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010・加瀬完
○加瀬完君 指導要領の扱い方は、文部省の立場あるいはこれを受けて立つ現場の教師の立場で、私はいろいろのお伺いしなければならない問題を持っております。いずれ別の機会に回答いただくことにいたしまして、次に、あなたの衆議院における御説明の中に、この教育会館における講習なり、研究集会というものは、いままでの文部省などの講習会とは違ったことをやるのだ、こういう御説明がございました。いままで文部省でやっておりました講習としては、どういう講習をこの場合さしておられるのか。そうして教育会館で行なう内容はこれと逢うというのは、それじゃ新らしい教育会館ではどういうことを教育関係者の資質の向上のためにおやりになろうとするのか、この点を明らかにしていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/10
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011・福田繁
○政府委員(福田繁君) 文部省におきましては、従来から御存じのように、校長、指導主事等の研修会とか、あるいは小学校、中学校、高等学校等の教育課程の研究集会、あるいは特殊教育の教育課程の研究集会というようなものをやってまいっております。そのほかに道徳教育の講習会も行ないます。また、幼稚園教育の実技講習会というようなものも行なっております。そういうものと同時に、たとえば各教科の国語だとか、社会、数学へ理科、保健体育、芸術、それから外国語というようないろいろな各教科にわたる講習会等も実施してまいっております。これはもちろん現場の先生方が十分各教科をこなして実力をつけていただきたいという趣旨のものでございます。ところで、私申し上げました、教育会館では別のことをやるのだということは、これはことばが少し足りなかったと思ったんですが、文部省と重複しないような事業をなるべくやってもらいたいという趣旨におきまして私は申し上、げたつもりでございます。したがいまして、文部省では、従来十分な設備等がございませんのでやり得なかったような視聴覚教育関係の講習会だとか、あるいはまた語学の研修にいたしましても、文部省ではやはり限度がございまして、一般的な語学の研修ならばできるわけでございますが、それ相当の設備を使っての近代的な語学研修というものは、文部省では従来はあまりやっておりません。そういった文部省でできないようなことをこの教育会館自体でやってほしいと、こういう意味において申し上げたつもりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/11
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012・加瀬完
○加瀬完君 第一義的には、学校教育関係者の資質の向上であるという御説明も、ただいま御答弁をなさいました趣旨の衆議院における御答弁の中の前後にあるわけでございますが、教育会館における研修は教師の使命感の自覚という点に重点が置かれるものだと考えてはいけないのですか。ただいままでの御説明ではそのような点が強調されております。語学教育とか、視聴覚教育とかということをおっしゃっておりますが、語学教育とか、視聴覚教育とかということでは、教職員の資質の向上を第一義的に考えての講習とは受け取りにくい点もございますので、はっきりさしていただきたいのですが、教師の使命感の自覚ということを第一義的に目的とするということじゃないのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/12
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013・福田繁
○政府委員(福田繁君) 私は教育者が研修を受けて自分の資質を高めるということにつきましては、文部省でやる講習会におきましても、あるいは都道府県教育委員会その他の教育委員会などでやります研修会等におきましても、あるいはまた一般の団体、たとえば校長会その他のいろいろな団体がやっておりますそういう団体におきましても、もちろん実技の向上とか、いろいろ実力をつける内容のものは含まれておりますけれども、終局の目的は、やはりどういうものがやるにいたしましても、教師の使命感、教師としてのりっぱな指導力をつけていくという、こういうような意味においてそういうものがなされるものだと考えております。したがって、この教育会館自体におきましても、やはり他の一般の団体等におきまして研修、講習をやります場合と違った意味を持つものではないというように私は考えるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/13
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014・加瀬完
○加瀬完君 単に指導要領の内容を理解させるとか、道徳教育について教授方法あるいは資料の扱い方を講習するとか、あるいはいま御説明のように、視聴覚の技術とか、あるいは語学の練習とかということをやることでしたら、文部省設置法の第八条の十三号の口でございますか、その専門的、技術的な、現在、文部省でなし得る講習でも可能なはずでございますね。文部省の講習とは重複をしないような、そうして教師の使命感の自覚という点に重点が置かれるということになれば、教師の使命感、したがって、教師のものの考え方とか、ものの見方とか、こういったことに教育会館の指導の力点というものが置かれてくるのが当然ではございませんか、そうではないですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/14
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015・福田繁
○政府委員(福田繁君) その点につきまして私先ほど申し上げましたとおりに、どういう専門的な研修でございましょうとも、やはりその専門的な知識技能を通じまして、教師みずからがやはり教育者として子弟を教育するという立場においては、どういう講習会、研修会でありましょうとも、終局の目的はやはり教師の使命感というものを考えて、そうして研修、講習を実施するのがたてまえだと私は考えるのでございます。そういった意味で、特段にここの国立教育会館だけが教師の使命感を目標にして研修をするということではございません。そういう意味では毛頭ございませんが、御指摘になりましたように、いろいろな専門的あるいは技術的な研修でございましょうとも、私はそういうように考えておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/15
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016・加瀬完
○加瀬完君 文部省の講習とは重複しないということであるならば、何も教育会館が語学練習の講座を開いてそれを主催しなくても、そういう場所と機関があれば、文部省講習で教育会館の場と教材を提供してもらえば済むことですね。視聴覚にいたしましても、視聴覚講習というのは文部省が主催して、そして場所だけを教育会館に提供さしてもいいわけです。しかし、そういうことではなくて、そういう文部省のやることとは重複しないで教育会館には別にやることがあるのだとして、しかも、その別にやることの一番の中心は教師の使命感の自覚というところに力点があるのだとすれば、これは教養講座といったことが主になって、国語の知識を豊かにするとか、算数の指導技術を覚えるとかということではなくて、もっと使命感というからには、ものの考え方なり、あるいはものの見方なり、教師自身の思想というものを高めていくとか、深めていくとか、変えていくとか、こういうことに中心が置かれざるを得ないでしょう。それが教師に対する資質の向上を第一義的にするということではないですか。それはおやりにならないのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/16
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017・福田繁
○政府委員(福田繁君) お説のように、この教育会館の事業といたしまして、第二十条の一項の二号が置かれておりますので、その点についてのお尋ねでございましょうと思いますが、私どもは、やはりこの二十条の二号あるいは一号のほうの業務にいたしましても、何らその点においては変わりはないと考えるわけでございまして、ただ、この教育会館の設置をいたします考え方としては、当初申し上げましたように、りっぱな会館をつくって、文部省なりあるいは都道府県教育委員会その他いろいろな団体等で行ないます研修の場を提供しようということから始まったわけでございますが、特殊法人としてこれを設置する場合におきましては、他の特殊法人におきまして業務として掲げておりますと同様に、みずからこの業務を行なう能力を与えるということはこれは当然のことでございます。そういった意味でこの前、大臣の御答弁のありましたときに、何と申しますか、私の記憶では従的にと申しましたか、そういうような意味で第一号のほうの問題の業務であり、第二号をそれについで従的に考える業務だというような御発言があったように記憶しておりますが、そういうことでございまして、そのやる仕事については、これは文部省でやることをこの教育会館で重複してやるということもどうかと考えられますので、内容そのものはできる限り、やる場合は重複しないようにということが望ましいわけでございます。そういった意味で、もちろん専門的、技術的な講習等も行なうわけでございますけれども、特に御指摘になるような思想的な問題を取り上げてここでやろうというような考えは毛頭ないわけでございます。一般の先生の教養なり資質を高めるという面から、そういう事業をやるということにほかならないつもりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/17
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018・加瀬完
○加瀬完君 この法文解釈の上からは、いまの局長の御説明のようであれば施設だけが提供されれば済むことなんです。第二号の研修会、講習会を主催する権限というものを何も与える必要はないわけです。第二号にはそういうきまりがある。しかも、御説明によれば教育会館でやることはいままでの文部省のやっていた講習とは違うのだ。ここでは教師の使命感の自覚に力点を置いてやるのだ、要約すれば、そう受け取れる御説明があれば、じゃ、教育会館ではどんなことをやるんだ、こういう質問が当然出てきてしかるべきでしょう。いま、あなたは教師に対する思想教育なんかおやりにならないと、こうおっしゃった。おやりにならないということと、やろうとしてもやれないということは別です。この法文の解釈の中でそんなことをやろうとしたってできませんという、思想教育をしてばならないという保証がございますか。あとで聞こうと思いましたけれども、いまお話が出ましたから伺いますが、一体、研究集会、講習会を主催することができる、しかも文部省は、その講習会、研修会のねらいは教師の使命感の自覚だと、こうおっしゃっておれば、教育会館自体が使命感の自覚という名のもとに、教師の考え方やものの見方というものを講習をしたって、法文上はこれを制限をする、制止をする保証は何にもないでしょう。するかしないかということを私は聞いておるのではない。法文の解釈の上では、やろうと思えばできる規定になっていることが問題ではないかということを伺っておるのです。文部大臣、あなたがいま思想教育をするためにこれをやったのだということを私は申し上げておるのではない。しかし、やろうと思ってもできないという規定になっていますか、これが。その点をお答えいただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/18
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019・福田繁
○政府委員(福田繁君) 思想はこれは各人の自由でございますから、そういった意味での何か統制的な講習をやるということはもちろんこれは許されないことでございます。そういった意味で、もちろんこういう教育会館の講習、研修が、そういうことをごうも目的にしているものではございません。しかし、この教育者としての考え方、あるいは指導の仕方といったようなものについての教師の考え、そういうものは、これはいろいろやはり自分の専門的な分野を通じてあろうかと思います。そういった意味におきまして、文部省がやる講習会におきましても、あるいは団体がやる講習会におきましても、教師のいわゆる使命感というような、教師としてのりっぱな指導力をつけていくという意味におきましての内容は、当然含まれるものだと考えておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/19
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020・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 関連質問。局長の答えた重複しないということは、結果的の判断なのか、それとも重複させないという文部省の意思があるとすれば、文部省として教育会館にそういう意思の作用を具体的に及ぼすにはどういう方途を考えているのか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/20
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021・福田繁
○政府委員(福田繁君) これは教育会館自体が成立いたしますと、そこでみずから事業としてはきめるわけでございます。文部省としてのその教育会館に対して注文があるとすれば、予算や事業計画を通じて文部大臣が承認する際にまあ注文をするということはあり得ると思います。そういった限度におきまして、教育会館の事業が適当でなければ、文部大臣が監督するという道は残っておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/21
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022・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 その際に文部省は、さきに年次計画を立てておるものと重複した場合は、教育会館は中止させる、文部省のほうは中止する、両方があるとしますね。そうすると、結果的に重複しないという表現はしておるけれども、加瀬委員が何度も質問しているように、文部省の主催しようとしておるものの肩がわりという課題を与える意図並びに法的な根拠を持っておると判断するのが至当じゃないですか、どう考えておられますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/22
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023・福田繁
○政府委員(福田繁君) おっしゃるように、重複するかしないかは、これは事実の問題だと思います。運用の問題であろうと思います。私のほうとしては、なるべく教育会館自体が行ないます事業については、文部省でやっているような仕事と直接重複しないことが望ましいという意味で申し上げたわけでございます。そういった意味で、この第二十条の二号というものは、みずから教育会館が事業を行なう能力をここで与えるわけでございますから、適切な事業を会館自身で決定をしてこれを運営する、こういうことになるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/23
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024・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 たびたび言われているように、法制定の際の立案者の意図と異なって法律ができた以上は、この会館法がそのまま通るとすると、法的に文部省と重複する権限を与えられる、こう見て差しつかえないでしょう、法的な権限として。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/24
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025・福田繁
○政府委員(福田繁君) 法的には、この講習会、研修会を主催し、そういう業務を行なう権限が付与されるわけでございます、この二十条によって。しかしながら、この二十条の二号の業務そのものは、この前も申し上げましたように、これは特殊法人である国立教育会館というものが行なう事業でございますから、何ら、行政機関が行なうようなものとは違って、命令するとか、監督するとか、あるいは参加を強制するとか、そういうような趣旨のものでは毛頭ございません。これは何と申しますか、衆議院の段階で私申し上げたように、一つのサービス的な業務にしかすぎないというように私どもは解釈いたしておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/25
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026・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 ぼくが聞いているのは、法的には重複する可能性と言って悪ければ、重複しようとする権限を与えようとしているのだ、そのとおりでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/26
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027・福田繁
○政府委員(福田繁君) その点はおっしゃるとおりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/27
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028・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 たとえば一つの楽器会社が、音楽その他教育者の、あるいは教育行政機関の職員の資質向上に役立つという意図のもとに、自由に講習会を主催し、参加の自由性を開放していくということは局長も認めているでしょう。それと、教育会館に対して法的に主催権を与えようとするのは、参加の自由性は同じであるという答弁をしながら、法律的に主催権を与えようとする意図の違いはどこにありますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/28
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029・福田繁
○政府委員(福田繁君) この一般の会社やあるいは団体が、いろいろ講習会その他の類似の事業を行なうということは、これは会社自体のまあ能力と申しますか、会社の定款なり、あるいは一般のこの団体の目的、規約によって定まるということだと考えます。それは一般の商法による会社なり、あるいは一般の団体でございますと、任意団体でございますが、任意団体であっても、会員だとか、その他の意思によって、規約その他によってきまることでございますが、この国立教育会館そのものは法律によって特殊法人としてつくられるわけでございますから、したがって、子供が生まれるときに名前をつけて、どういう着物を着せるかというのと同じように、生れた者に対してどういう権利能力を与えるかということでございますから、一般の団体の規約等によってそういう業務が行なえるのと同様に、この二十条の業務の内容としては、法律によってそういうことを与える、こういうことにすぎないわけでございます。ただ、これが特殊法人でございますので、法律できめるというだけの違いでございます。別にたてまえとして違っているとは私は考えないわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/29
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030・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 ちょっと局長の例が悪いようですが、たとえば法律で講習会の主催権を与えない場合は、国の予算を全然支出しない範囲内において、部屋貸し業、施設提供業以外に、たとえば教育会館へどうぞお好きな方はおいでくださいと言って、会費は百円です、こういう講習会を開くという権限は、法律に定めなければやれないという判断ですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/30
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031・福田繁
○政府委員(福田繁君) 私どもは、こういう特殊法人につきましては法律で書いた業務の範囲以外はやれないというように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/31
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032・加瀬完
○加瀬完君 いま豊瀬委員も指摘になりましたが、教育会館は独自の計画で動くというものの、監督権は文部大臣にあるわけです。ですから、どういう講習が計画され、どういう研究集会が催されるとしても、その内容については文部大臣が終局には責任を持つわけですし、しかも、その予算の裏づけも国の補助という形になるわけですから、文部省の意図というものを離れて独自の講習というものが、研究集会というものが動き得るはずのものではございませんね、教育会館の主催する研究会にしても、講習会にしても。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/32
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033・福田繁
○政府委員(福田繁君) その点は先ほど申し上げましたように、文部大臣がこの法人の監督権者でございますから、そういう意味におきましては、おっしゃるとおりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/33
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034・加瀬完
○加瀬完君 そうすると、教育会館の研修には何らの強制はない、こうおっしゃいましても、文部省の教師の理想的なあり方という、その意図は教育会館の講習を通じて進展をしていくことになりますよね、あるいは明らかにされていくことになりますよね。そうすると、その文部省の教師のあり方に対する考え方というのは、これは教師の勤務の評定についても一つの基準になり得ることですよね。そうでしょう。こういう教師でなければならないと教育会館で教えているとすれば、こういう教師でなければならないという、その考え方そのものは、これは勤務評定の場合の一つの基準とならなければおかしいでしょう。そうすれば、そういう形に動いてくるとすれば、事実関係においては強制しようがしまいが、これは教育会館の講習というものに現場は参加をせざるを得ないという、形式はとにもかくといたしまして、内容としてはそういう強制力が生まれてこざるを得ない、そうなりませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/34
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035・福田繁
○政府委員(福田繁君) その点は少しおことばを返すようでございますけれども、思い過ぎではなかろうかと私は思うのでございます。この教育会館自体は、教師あるいは教育委員会に対してももちろんその指揮命令をするというようなものではございません。そういうことはとうていできないわけでございます。もしできるとするならば、この法律の中にそういう条項がなくてはできないわけでございますから、できないはずでございます。そういった意味で、できる限り有益な講習、研修を実施いたしまして、その内容によって教師自体が、これは適切なりっぱな講習であるから参加しようということになれば、それによって当然にその研修会なり講習会というものは実を上げてくるものだと考えるわけでございます。教師自体の勤務評定そのものとは私はつながってはいないというように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/35
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036・加瀬完
○加瀬完君 表面はつながってはないんですよね。法文の上では何にもつながっておらない、完全にそれは別の問題です。しかし、事実関係は文部省の講習の方針というものに従っていけば、これは優秀な教師として処遇されるという結果が出るとすれば、しかも、それが一つの評価の基準ということになるとすれば、これは任命権者である教育委員会ばこの教育会館の講習というものをボイコットするわけにはいかない。どうしても参加するように命令をしなきゃならないことになる。あるいは個人としても参加を希望するという形がどうしても動いてくる、こういう形に私はならざるを得ないと思う。といいますのは、局長も御存じでしょうが、戦前から戦中にかけて国民精神研究所というものが文部省にございました。この国民精神研究所というものは、これまた御存じのように、学生の左翼思想を善導するという方針に基づいてつくられたもののはずですね。ところが、ここで行なわれましたことは、学生ではございませけんで、主として教員養成の学校の中心的な教員を集めまして、各府県からそういう意味の代表を集めまして、そこで国体明徴の本義を教えた。いわゆる教学の本義というものによりまして各教員養成学校の思想教育を施した。そうして、それはさらに今度はその当時の行政の監督の衝に当たりました視学官、視学というものを集めて同じような講習をやったわけです。それによりまして日本の教育がどう変わったか御存じのはずであります。そういうことができないんだという法律的な保証が一体この教育会館法にありますか。教育会館の目的は、教育職員の資質を向上させるということはお認めになっておる。しかし、どうお考えになっても資質の向上ということはこういう内容だ、その内容はかりに右のほうの内容であろうが左のほうの内容であろうが、それを持ってこられて、右はやってもいい、左はやれません、左はやるけれども右はやれませんという保証はこの条文の中にどこにもない。結局、思想教育を行なおうとすれば行ない得る根拠というものを与えることになるのではなかろうか、そこを私どもは心配しておるわけであります。法律上そういうことはあり得ないという保証が取りつけられておりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/36
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037・福田繁
○政府委員(福田繁君) 御心配の点はよく私ども理解できるのでございますが、かつての国民精神文化研究所時代におきましては、御承知のように、当時ある一定の目的のために地方の指導的な人を集めて、旅費、滞在費等ももちろん支給しておったようでございますが、場合によりましては、その所員というような、身分そのものを変えてそこで十分な教育をする、あるいは研究させるというようなやり方をしておったようでございます。それとこれとは全然私はやり方も違うと思いますが、また、時代そのものも当時の時代と現在の時代とは非常に違うと考えるわけでございます。そういった意味で、そういうことをかりにするわけもございませんし、できるわけのものでは私はなかろうと思う。それは現在のやはり民主主義の時代におきまして、そういうやり方というものは、これは一般の方も教育界も、これはとうてい是認することはないと思いますので、その心配は法律の中にもちろん書かなくたって当然のことだというように考えるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/37
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038・加瀬完
○加瀬完君 国立教育会館法の第一条の目的あるいは第二十条二号等は、資質の向上のための事業がなし得ることを規定しておるわけですね。そうして資質の向上ということがこの教育会館設立の大きな目的だということであれば、内容はとにかくといたしまして、いままで文部省講習では行ない得なかったような以上のものを、資質の向上の項目として、ここで教育会館自体が研究集会なり講習会なりをして教育訓練をなし得るということでございますね、規定はそれだけでしょう。どういう内容を持ってはならないということには少しも触れてはおらない。そうであるならば、少なくとも教育会館というものをつくって、文部大臣の監督のもとに職員の資質の向上のため、ここで研究集会や講習会をやるんだということであれば、その内容は、意欲的なものを文部省としては持っていなければならないはずなんです。いま持っている意欲的なものを、私は国民精神研究所と同じものだとは申しませんよ。しかし、持てるものなんです、法律の内容からすれば。そうなってまいりますと、文部省自体のものの考え方が変わってくれば、これは国民精神研究所にならないとはだれが保証できるか。なぜ私がこういうことを言うかと申しますと、研修という権限は、任命権者、すなわち地方住民の代表だけに与えたわけですね。これは少なくもいまの時代は違うと言うけれども、いまの文部省の考え方と、この地方公務員法を制定したときの考え方とはまた違っているでしょう。これは少なくも教育行政の文部省による中央集権化を排除しようという精神が基本になって、研修の権限も任命権者のみに与えるという制定のしかたをとったわけではないですか。その研修権を文部省にすら与えなかった立法当初の精神というものは、どれだけいま尊重されておりますか。少なくも文部省自体も、研修とはいわなくても、ずんずん講習会なり研究集会という名のもとに、内容的には研修をやっておるでしょう。そうしてそれをさらに教育会館に移そうと——移そうということばが悪ければ、教育会館という第三者に新しく与えようとしておるわけです。文部省にすら研修権というものを原則としては与えないという立法の精神だったものを、第三者である教育会館に、研修という法律条件がなくても、実質的には研修と同じ効果があがるような力を与えるということは、一体、地方分権ということが基本で新教育行政が出発をした当時と比べては、これまた時代的に若干のズレがございましょう。この点はどうです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/38
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039・福田繁
○政府委員(福田繁君) 時代的なズレとおっしゃいますが、仰せのように、もちろん教育公務員の研修につきましては、教育公務員特例法、特例法はもちろん教師の側から書いた規定だと思いますが、地方公務員法には、その任命権者、すなわち教育委員会の側から研修の機会を与えなければならぬというような、いろいろな規定がございます。そういった意味で、研修そのものは第一義的に任命権者というものが当然やるという法律のたてまえになっておるわけでございます。それは地方分権とももちろん関係はございますけれども、しかしながら、同時にまた、任命権者だけでなく、文部省もこの教師の研修あるいは教育委員会で計画いたします研修計画については十分な援助を与える、その援助の態様として、直接いろいろの形において援助することも必要でございましょうし、文部省自上月が研究集会等を開いて資質の向上をはかるということは、一つの援助の態様だと私ども考えておるわけでございます。そういった意味で、文部省自身にも、設置法によって研究集会あるいは講習会等を開催する権限が与えられているものだと、こういうように考えておるわけでございます。したがいまして、ズレとおっしゃいましたけれども、私は当初から、そういうような教師の研修というような問題については、非常に重要な事柄でありますので、お互いに行政機関相互の関係におきましても、その行政機関と教師との関係におきましては、みんなが協力して、これを十分実行するという方向において考えられたのではないかというように、私は解釈いたしております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/39
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040・加瀬完
○加瀬完君 きょうはこういう質問をするつもりじゃございませんでしたが、研修という、その文言の法律的解釈が、初等中等教育局においてあいまいではないかと思う。あらためて、じゃ聞き直しますが、研修が文部省でできますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/40
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041・福田繁
○政府委員(福田繁君) 文部省の設置法におきましては、教職員の研修について援助するということがございます。したがいまして、私が申し上げましたように、研修を実施する方法として、あるいは援助する一つの態様として、研究集会を開いたり、あるいは講習会を開くということは、これは文部省の権限として認められておるものだと思います。ただ、先生おっしゃいました研修権というものは、私はどういうものかよくわかりませんけれども、そういうものが別個にあるとすれば、これはちょっと考えが違うわけでございますが、私どもとしては研修ということばは使っておりませんけれども、文部省設置法の中で研究集会、講習会といっておりますのは、やはり研修の一つの態様だというように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/41
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042・加瀬完
○加瀬完君 私がここで伺いますのは、法律的に研修権というものが文部省にあるのかないのか、この点であります。なぜ私がこういうことを伺うかといいますと、研修ということを、非常に文部省はこのごろ簡単に使いましてね、実質的には研修権がないと私どもは思うわけでございますが、研修を強化しておるわけですよ。この傾向が強まりますし、方向を誤りますと、これは再び教育の国家統制ということが復活しないとは限らないわけであります。ですから研修ということを、くどいようですが、問題にするわけで、法制的な意味において研修をする権限というものが文部省にございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/42
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043・木田宏
○説明員(木田宏君) いまの加瀬委員の御質問でございますけれども、研修ということばが法律の上で使われておりますのは、教育公務員特例法に一つあるわけでございます。もう一つ出てまいりますのは、地方公務員法の中にその規定が出てまいります。研修ということばは、教育公務員特例法が、十九条に、「(研修)」という見出しで一つの規定をつくっておりまして、この内容を読んでみますと、教育公務員特例法の十九条におきましては、「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。」、こう書いてございまして、この第一項を受けまして、第二項に、「教育公務員の任命権者は、教育公務員の研修について、」と、こういう受け方をしているわけでございます。したがいまして、ここで使ってございます「研修」というのは、教育公務員自体が、みずからその職責を遂行するために、研究と修養に努めなければならぬ、教育公務員自体の行ないます研究と修養ということを、つずめて「研修」というふうに使っておると、このように私どもは理解しております。その限りにおきましては、研修ということばは、教育公務員自体がやることを研修というふうに呼んでおる、このように考えるわけでございます。ところが、地方公務員法に同じく「研修」という規定がございまして、地方公務員法の三十九条でございますが、「職員には、その勤務能率の発揮及び増進のために、研修を受ける機会が与えられなければならない。」、こういう書き出しがあるわけでございます。この研修も、「研修を受ける機会」という書き方になっておりますので、多少論議もあろうかと思いますが、一応、職員の研究、修養ということを職員の側から考えたことばとも考えられるのでございますが、ところが、地方公務員法では、その第二項に、「前項の研修は、任命権者が行うものとする。」と、こういう使い方をしております。そういたしますと、この地方公務員法の第二項の規定から出てまいります「研修」というのは、これは教育公務員なり、公務員自体が行なう研究と修養ということではなくて、むしろ国家公務員法で使っておりますような、職員に対する教育、訓練という、そういう使用者側の責任と申しますか、そういうことを研修というふうにつかまえて、いわば他動詞的につかまえておる。教育公務員特例法のほうでは自動詞的につかまえておるというふうに理解いたします。研修のことばの意味自体から申しますと、いずれにいたしましても、職員自体が自分で研修をするという使い方、もう一つは、職員の任命権者、使用者でありますものが、その使用者の責任として職員に教育、訓練の機会を与える、こういうものを研修というふうに法文の上では使っておると理解しております。そこで、先生のいま御指摘のございました文部省の関係でございますが、文部省は、その設置法の第五条で、文部省では、その教育職員の研修について援助するという書き方をいたしてございまして、この研修に対する援助の態様として、文部省初中局におきましては、講習会とか、研究集会とか、研修会等の会合を催させることが一つの援助の態様である、こういう規定のいたし方になっておるわけでございます。文部大臣がこのようなことをいたしますことは、地方教育行政の組織及び運営に関する法律におきましても同様に援助の態様といたしまして、講習会、研修会等、そういう機会を提供する、それが援助の態様である、こういう考え方でございます。したがいまして……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/43
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044・加瀬完
○加瀬完君 ちょっと待ってください。あまり説明すると質問ができなくなる。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/44
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045・木田宏
○説明員(木田宏君) そういう書き方になっていはしないかと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/45
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046・加瀬完
○加瀬完君 その研究、修養ということは個人的研修であり、任命権者が講習会や研究集会を与えて資質の向上をはかることが第二項の指摘している研修であるという御説明でございますが、法律的に地方公務員法なり、あるいはいま御指摘の教育公務員特例法なりで言われておる研修というものは、勤務能率の発揮及び増進のためのものということに任命権者の意思というものがプラスされなければ、法律的には研修の要件は整っておらないということになりませんか。といいますのは、自治省設置法の第四条の十五号の二に、「地方公務員に対し、当該地方公務員の任命権者の依頼を受けて研修を行う」という文言があるわけです。で、自治大学校というのが設置されておりますが、自治大学校設置法の第二条には、「地方公務員でその任命権者の推薦に係るものに対し、高度の研修を行う」、三項には、「任命権者から依頼があった場合においては、研修を行うことができる。」、こういうように任命権者の意思というものがなければ法律的な研修というものは成立しないと解釈される文言があるわけでございます。で、いま御指摘の、確かに文部省設置法によって、「研修について連絡し、及び援助する」とありますね。その援助の一態様として、第八条の十三号のロで、講習会、研究会を主催することができるのだという御説明でございますが、この八条の十三号の研究会、講習会というものと、地方公務員法等でいう法律的な研修というものは別個のものではございませんか。これは法制局に聞きます。法制局来ているでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/46
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047・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) ただいま加瀬先生の御発言にございました自治省・設置法の関係をおっしゃられたと思いますが、あれは法文には依頼を……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/47
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048・加瀬完
○加瀬完君 別個か別個でないかということだけ答えればいい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/48
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049・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) 「依頼を受けて」ということになっております。文部省のほうは依頼ということはございませんので、設置法の五条の関係から申しますと、「教育職員の研修について連絡し、及び援助すること。」、依頼というものがございません。依頼があるかないかということの点でございますが、これに相当しますところの実体の規定……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/49
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050・加瀬完
○加瀬完君 質問を取り違えているようですが、私の質問は、文部省設置法の第五条における「研修」というものと、八条の十三号の口における講習会、研修会というものとは、これは別個なものではないか。法律的には研修の一態様だとすなおに読み取れるものではなくて、研究会、講習会というものと、さきに指摘をした研修というものとは別個なものではないか、別個か別個でないかということを御判断いただければいい、法律的に。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/50
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051・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) ここにございます「教育職員の研修」、これは普通法令に使っております一般の研修だと思います。と申しますのは、職員の職務上必要な知識上の習得、教育訓練というような意味であろうかと思います。この中には文部省の所管の関係もございますから、広く、国立もあるでしょうし、公立関係もあるでしょうし、私立関係のものもあるというふうに理解しております。先ほどお話の初中局関係の分は、研究集会あるいはまた講習会と、こういうようなことばを使っておりまして、研修ということばそのものでは使っておりませんけれども、その研究集会なり講習会というものが、実質的に、いま申しましたような概念、研修の概念に相当するようなことを目的として行なわれるものならば、同じものもあるだろうし、違う場合もあるだろう、こういうふうになろうかと考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/51
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052・加瀬完
○加瀬完君 お答えが私にはよくのみ込めないのですが、私の伺っておりますのは、第五条でいう研修ということと、この研修ということは、勤務能率の発揮及び増進のためのものに任命権者の意思というものが加わったものだということは、他の法律でこれは明らかです。それと文部省の初等中等局自体でできる研究集会、講習会というものとは違うものではないかということです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/52
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053・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) ただいまのお話によりますと、任命権者の意思が加わるかどうかということにかかっておるようでございます。そういうふうに理解してまいりますと、文部省のその限りにおきましては、文部省は任命権者ではございませんから、任命権者の意思によって行なうものではない、こういうように理解いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/53
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054・加瀬完
○加瀬完君 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の四十五条の一項に「地方公務員法第三十九条第二項の規定にかかわらず、」という文言がございますね。結局、市町村教育委員会に研修権を与えてありますのは、原則としては任命権者なんだけれども、特にここでは、三十九条第二項の規定にかかわらず与えてあるのだというはっきりとした、いわゆる地方教育委員会に任命権者が授権をしたような形で表現をされておりますね。この文意からいたしましても、研修というものが原則としては任命権者のものだということは明らかだろうと思うのです。そこで、その次に四十八条の二項の四号、「校長、教員その他の教育関係職員の研究集会、講習会その他研修に関し、指導及び助言を与え、又はこれらを主催すること。」とありますね。ここで明らかにさしていただきたいのは、「研究集会、講習会その他研修に関し、」ということは、その頭書きにある文部省の権限としての指導、助言、援助の制限が加わって、制限のワクの中で研究集会や、講習会等が催されると、これは例示ですから、解釈されると思いますが、それでよろしゅうございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/54
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055・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) 御質問が二つあったと思います。まず施行法の関係から出まして……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/55
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056・加瀬完
○加瀬完君 前のほうはいいですから。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/56
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057・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) そうしますと、この地方教育行政の組織及び運営に関する法律第四十八条第二項四号にございます「これらを主催すること。」、この四号は、いまお話がありましたとおり、第一項の指導、助言、援助の例示ということになりますから、あくまでもこの法文の趣旨としましては、第一項が一番重要なところであろう、こういうふうに理解します。したがいまして、文部大臣は、都道府県または市町村に対する必要な指導、助言、援助というもののワクの範囲内で行なわれるもので、「これらを主催する。」、その主催も、そのワク内で行なわれるものであろうというふうに理解いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/57
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058・加瀬完
○加瀬完君 法律的解釈においてさっき木田課長の御説明のように、研修の一態様として、当然、任命権者が行なうべき同じような内容の講習会、研究会を催し得る援助の限界ということは、イコール研修をやってもいいというようなところまで広げて解釈してよろしいということに考えられますか、援助の限界というものは無限大に拡大をして解釈することができますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/58
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059・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) 設置法にもございますし、この地行法の四十八条にもございます。あくまでも援助として主催するなり、講習会を開くなりするものであろう。したがいまして、援助の一つの方法として、指導の方法として、助言の方法として、研修は援助の方法として地方教育委員会がその権限に従って行なう、それを援助するということで行なわれるものであろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/59
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060・加瀬完
○加瀬完君 援助の限界ですよ。援助というものは、法律的には補充的、側面的なものだと解釈してはいけませんか、法制局長はそう答えましたよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/60
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061・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) 援助をするということは、もちろん地方教育委員会が一時的に地方教育の所管の責任者でございますから、それが任命権者なり、その地行法のいまの規定で市町村教育委員会が行なうのがたてまえでございます。ですから、それに対する援助ということで、あくまでも文部省は援助という形で、援助という範囲内で行なうべきもの、したがいまして、文部省が行なおうとしても、向こうが必要ないというならばそれは行なえないだろう。ですから、援助の態様として、援助の限界を超えるということはあり得ないだろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/61
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062・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 ちょっと関連して。部長にお尋ねしますが、いま加瀬さんが何度も指摘したように、四十八条には指導、助言、そして点を打って「又は主催」と書いてありますね。あなたの答弁は、次第にこうニュアンスを変えてきたけれども、当初の答弁や木田君の答弁は、指導、助言と主催ということが法的に同じものであるような前段の答弁ですよ。指導、助言、文部省の場合は連絡援助、それから地行法の四十八条には、「又は主催」と明確になっていますね。だから、特例法の十九条を受けて、この場合はつとめねばならぬ。したがって、加瀬さんの言う研修権というものがもしあるとすれば、それは教師自体が義務規定として定められ、それをみずから研修を行なっていく。その際に、四十八条によって指導、助言が本体であり、または主催もあり得るのだと、こう定めているのですね。したがって、その連絡、援助という法律用語と、指導、助言という法律用語と、「又は主催」というのは、内容として異なっておるものと解釈すべきで、援助、連絡というのを拡大して、主催も一態様なりとする木田君の答弁は、これは牽強付会もはなはだしい。こういう法律解釈をやっていくから福田局長の答弁が信用されなくなる。あなたとしては指導、助言というものと、あるいは連絡、援助というものと、主催というのが法律上同意語だと断言しますか、異なると断言しますか、それだけ簡単に言ってください。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/62
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063・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) ことばを見ますと、指導、助言、援助、これはそれぞれ内容がありますように、援助という場合には、他が行なう場合に助ける、かわってやるとか、あるいはまた補なってやるとか、そういう意味であろうと思います。それから主催というのは、研究集会、講習会その他研修を主催する、こういうことになりまして、ことばの意味としましては、主催というのは、自分が行なう場合もあろうと思います。しかし、これは先ほどお話ありました第二項の指導、助言、援助の例示、あくまでも例示でございますから、その指導、助言、援助の範囲内で講習会を開く、こういうことだろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/63
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064・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 指導、助言と主催は法律上同意語かと聞いておる。同じなら同じ、違うなら違うとはっきり言いなさい。前段の説明は要らぬ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/64
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065・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) これは申しますように、四十八条の二項にございますことばの制限がどうしてもかぶってまいりますから、このことばの……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/65
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066・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 それはわかっている。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/66
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067・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) ですから、援助として行なわれる場合の主催であろうと、裸の主催とは違う、こういうことを申し上げておるわけであります。ですから、主催にしましても、かわって行なうとか、あるいは補完して講習会を補充的に行なうとか、そういうような他の制約なしに自分が思うとおりに主催する、こういう意味ではないということを先ほどから申し上げておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/67
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068・豊瀬禎一
○豊瀬禎一君 もう一つだけ聞いておきましょう、また、あとでいろいろ聞きますから。そうすると、文部省の設置法にあるところの連絡、援助という内容と四十八条の主催というのは同じですか、違いますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/68
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069・腰原仁
○法制局参事(腰原仁君) 設置法には、ここに連絡、援助とございます。で、これにはこの五条に、「その権限の行使は、法律に従ってなされなければならない。」、こういうふうになっておりますので、その援助の場合におきましても、たとえばここにありますような、いま申しました地行法のあの規定、あの四十八条の規定に従って、この研修の援助も、市町村に対する援助として行なわれなければならない、こういうふうにここでは読みとれると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/69
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070・加瀬完
○加瀬完君 木田さんに伺いますが、私は八条の十三号で規定されておる研究会や講習会を文部省ができないと申し上げておるのではない。これは研究会や講習会として行なうことはできる。しかし、研修という態様でやるということであれば、これは問題があるのじゃないか。そこで、研修の援助としての一態様だとすれば、当然これには援助の限界というものがなければならないと思う。こういうことを聞いておるのは、文部省の権限があるとかないとかということではなくて、結論的に言うならば、文部省にもないような権限というものを教育会館に与えられるものか、与えることが妥当かどうかということを聞きたいので、その前提として伺っているのですけれども、少なくも研修の一態様として行なうということであれば、十三号における講習会や研究集会も、援助としての一定の限界というものはこれはあるものだと、抽象的なことですけれども、それはそう解釈してよろしいでしょうね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/70
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071・木田宏
○説明員(木田宏君) 加瀬委員のいま御指摘の点は、私もかなりお気持ちの上で理解できる点があるわけでございまして、先ほど研修につきましての定義の御説明を、特例法と地方公務員法について申し上げましたのは、実は、教育公務員特例法で言っております研修というのは、教員自体を主体にした研究修養の活動、地方公務員法で言っております研修と言いますのは、むしろ使用者であります任命権者のほうの責任として教育訓練をする意味での研修、こういう意味に、二つの法律で「研修」と同じ用語を使っておりますけれども、その意味内容が違うだろうということをまず申し上げたわけでございます。そこのいずれの意味での研修ということを理解するかということがあるわけでございますけれども、いずれにいたしましても、研修ということばを教員自身、教育関係者自身の自主的な研究修養という意味で研修ということでありますならば、文部省がいろいろ開きます講習会、研究会等すべてその教員の研修に対する援助であり協力であるということになろうと思います。また、研修ということばを、地方公務員法の任命権者の責任である教育訓練と、こういう意味で考えました場合に、やはり文部省あるいは任命権者にあらざるいろいろな関係者が行ないます研究集会とか講習会とかいうものは、そうしたいわゆる任命権者の責任である研修に対する協力とか援助、こういう関係になろうかと思います。文部省は都道府県、市町村の教育委員会に対しまして指導、助言、援助という態勢でいろいろと協力をする立場にございますから、その意味で教育職員の研修につきまして、講習会、研修会等の場を提供し、そういうやり方でもって援助、協力をいたしておるということでございますから、その研修ということを、地方公務員法なり教育公務員特例法のような意味において研修ということばを使います限り、文部省がやっております研究集会、講習会というものは、研修そのものとは別個の一つの場である、援助、協力の態様である、このように理解しておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/71
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072・加瀬完
○加瀬完君 時間がきたようでございますから、ただ私は一点だけ指摘をして立場を明らかにしたいと思います。いま木田さんの御説明では、教育公務員特例法における研修というものと、地方公務員法における研修というものは違う内容が制定されている、規定されているように御説明をされましたけれども、これに対しては私はそのようには考えません。それは法制局長が参りまして、地方公務員法における研修とは、勤務能率発揮及び増進のためのものだという概念を御確認をなさっておるわけでございますから、この問題については後日またただしたいと思います。私がこういう問題を提起いたしましたのは、少なくとも文部省ですら、原則として研修権というものは認められておらないのに、実質的には任命権者の研修以上の研修結果が生ずるような権限というものを、一体、教育会館という第三者に与えていいものかどうか、こういう点について後日また大臣に伺いたいと思います。きょうは一応質問をここでとめます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/72
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073・中野文門
○委員長(中野文門君) 速記をとめて。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/73
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074・中野文門
○委員長(中野文門君) 速記を起こして。
本日の委員会はこれをもって散会いたします。
午後二時五十八分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104615077X02719640514/74
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