1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和四十年三月十二日(金曜日)
午前十一時二十分開議
出席委員
委員長 渡海元三郎君
理事 小澤佐重喜君 理事 坂田 道太君
理事 南 好雄君 理事 二宮 武夫君
理事 三木 喜夫君 理事 山中 吾郎君
大石 八治君 木村 武雄君
熊谷 義雄君 床次 徳二君
橋本龍太郎君 川崎 寛治君
高橋 重信君 長谷川正三君
前田榮之助君 鈴木 一君
出席国務大臣
文 部 大 臣 愛知 揆一君
出席政府委員
文部政務次官 押谷 富三君
文部事務次官
(大臣官房長) 西田 剛君
文部事務官
(初等中等教育
局長) 福田 繁君
文部事務官
(大学学術局
長) 杉江 清君
文部事務官
(管理局長) 齋藤 正君
委員外の出席者
大蔵事務官
(主計官) 小田村四郎君
専 門 員 田中 彰君
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本日の会議に付した案件
国立養護教諭養成所設置法案(内閣提出第四〇
号)
————◇—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/0
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001・渡海元三郎
○渡海委員長 これより会議を開きます。
国立養護教諭養成所設置法案を議題といたします。
質疑の通告がありますので、これを許します。山中吾郎君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/1
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002・山中吾郎
○山中(吾)委員 本法案の中身に移る前に、一言だけ大臣に御意見を聞いておかなければならない重大な問題があるのです。本日の毎日新聞に、前法制局長官の林修三氏が投書をして、私学助成は「憲法は禁止している」という見出しで論説を書いております。その大体の要点は、「私学に対する助成の強化ということは、私学の財政難、その授業料の値上げ問題とからんで、世論の大きな支持を受けている。」「しかし、私が不思議に思うことは、私学に対する国の助成問題が論ぜられるにあたって、だれも憲法第八十九条の点に触れないことである。」そして自分の御意見として、「現行の私立学校法は、この建て前」いわゆる助成ができないという憲法のたてまえでできておる。「現行法がはたして憲法第八十九条の趣旨に沿うものであるかどうかは、かねて議論のあるところであるが、少なくとも憲法の建て前は、コントロール・アンド・サポートである。第八十九条がわが国の実情に合わない点をもつにしても、識者は、もっと憲法に神経質であるべきで」ある、憲法不在の私学論争をしておるという書き方をしている。大臣は、援助をしても文句をいわないということを何回か言われておって、一応いままでの御答弁の中にも、すでに第八十九条は私学に対する助成関係からいって公の支配に属するものだという御答弁もされている。この間まで内閣法制局長官であった人が新聞に書かれておるので、これを明快にしていただかないと、今度調査会設置法案を出されるやに聞いておりますし、そういう常識でものごとが進んでまいったわけです。私もそういう方向でいままで考えてきたわけなんで、正式に文部大臣からこれについての御意見をお聞きしておきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/2
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003・愛知揆一
○愛知国務大臣 ただいま御指摘になりました林前法制局長官の意見という点については、私大いに意見を持っているわけでございます。すでに当委員会におきましても、私としての見解は申し上げましたとおりで、私といたしましては、憲法に抵触しない、こういうふうに考えております。ただこういうような法制の権威者の一人がこういうことを公に発表するぐらいでございますから、問題はなかなかむずかしい問題である。したがって私の希望から申しますれば、そういう意見に対しましても、臨時私学振興方策調査会が設置されましたならば、そういう問題についてもはっきりした国民的な結論をそこで終止符を打って、そして前向きに前進するようにいたしたい、こういうふうに考えておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/3
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004・山中吾郎
○山中(吾)委員 私の印象の中に、昨年、予算委員会の席上において、田中大蔵大臣と灘尾文相がおるときに、両方の意見を聞き、田中大蔵大臣は、やはり憲法からいって生きておる、私学に対して援助すべきであるということについては、疑義があると私に答えておるものですから、おそらく政府の中でまだ意見統一ができていないと思う。そしていまこの前法制局長官の発表があったから、これはちょっとたいへんだと思うので、ひとつこの点は責任を持って、私学助成のできる方向に意思統一できるように御努力願っておきたいと思います。
そこでこの法案に関連をいたしまして御質問を申し上げていきたいと思うのですが、まずこの養護教諭養成所設置法案の中身は、実は二つの養成所だけであります。北海道とそれから岡山大学の二つである。文部省においては大蔵省に対して要望されたのはたしか八カ所である、そして少なくとも六カ所は必ず取るのだということを耳にしながら今度の予算編成の時期を過ごしてきたわけでありますが、この二カ所だけを内容とする法案の提案に対しては私たちはまことに不満であります。この点のある程度のいきさつと今後どうするかということについてまずお聞きしておきたい思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/4
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005・愛知揆一
○愛知国務大臣 これはただいまもお話がございましたように、私といたしましては四十年度は八ブロックに養成所をつくりたいということで予算の要求をしたことも事実でございます。しかし申し上げるまでもないことでございますが、いろいろの財政上等の理由からその希望は貫徹できませんでしたので、ひとつ努力を新たにいたしまして、できるだけすみやかに残りの六つは増設をはかりたい、かように考えておるわけでございます。
それからどうも二つにならざるを得ないということになりましたので、北海道、中国地区というようなところが特に養護教員の設置状況が比較的に悪い、また養成所を置くことについてもそれぞれの地元の要望が非常に熾烈でございましたので、まあ順位をどうというわけではございませんけれども、比較的に配置状況が悪く、したがって要望も非常に熾烈であるというところを、やむを得ず本年度としては二つだけを取り上げたというのが偽らざる実情でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/5
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006・山中吾郎
○山中(吾)委員 それに関連しまして、参議院でお約束された問題ですが、五千二百名の養護教員を養成するという計画と、これを二カ所だけ設置をされるこの法案との関係を見ますと、こういう進捗状況では、五千二百名の養護教員は確保できないのじゃないか、その点を疑問に思うのでお聞きしておるのですが、いかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/6
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007・愛知揆一
○愛知国務大臣 この点は確かに非常にむずかしい、それこそいま申しましたように大いに努力を新たにしなければこうした計画の完遂はできそうもない。いまの時点でとてもできそうもない状況じゃなかろうかという御心配を持っていただくことは、私はまことにごもっともだと思いますけれども、あとう限りの努力を傾注してまいりたいと強い決心をいたしておるような次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/7
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008・山中吾郎
○山中(吾)委員 大臣の決心はわかりますけれども、物理的に来年度二カ所設置ではできないと思う。またいままでの政府の約束が事実上できなくなるので、その辺は見通しをつけないと、いままでの政治的いきさつからいって、この法案においそれと賛成できなくなる。これをひとつ頭に入れていただいて、質問は送りますけれども、約束があるわけですから、五千二百名ということは何かいろいろ説明されておるけれども、現実にこれではできない。何らかの見通しのある回答がない限りは私はこの法案に対して賛成はできないということをさきに申し上げておきます。
それから私非常に矛盾を感ずるのは、こういう養護教諭の養成と限度政令の関係にまた戻ってくるわけです。それは、たとえば岩手県において、戦後十数年努力をして、僻地の学校に養護教諭を設置したために、今度出された標準法、したがって限度政令からはみ出る養護教諭が四十名ぐらいになった。それは補充できないというので、欠員のままにだんだんと縮められております。ところが、そういう養護教諭を養成しなければ養護教諭はできないわけでありますから、一方に、苦心惨たんして県知事の承認を得させて、岩手大学に付設の県立養護教諭養成所を設置したが、限度政令によってはみ出た者はぷつんとされるから、今度は養成しても就職をすることができないというので、募集停止をいたしました。それが岩手の現状です。しかも養護教諭養成所を設置するときには、最初の二カ年は赤十字病院の付設高等学校、高等看護養成所に県費で委託費を出して、しかもいい先生を入れなければならぬというので、月二千円の学費まで出して——これは国が出さなければならぬものだが、県立養成所一カ年を大学に付設をして、これも全部県で大学の講師手当その他を出して、生徒に学費まで補給してやってきた、そういう一つの実績と苦心があるわけです。それが限度政令で定員を削る。したがって養護教諭養成所は募集停止をしなければならぬ。そうしておいて、今度はそれだけの地方の教育行政の実績、功績に対して罰を加えるがごとく、そういう方面の養護教諭養成所は、国立養成所だけを育英制度の対象にする、県立などはしないのだという、一方に、育英会法案一部改正が参議院に出ております。そうして、いままで旭川と岡山というのは教育行政が怠慢で、僻地に養護教諭をやらなかったから標準より非常に少ない。少ないから、いまそれに国費をもって国立にする。怠慢であった地方行政に対して恩賞を与えている法案である。そして十何年苦心惨たんして教育行政の推進に努力した岩手県に罰を与えるような、そういう中身が入っている。まことに私はふんまんにたえない、そういう法案なのです。それと限度政令との矛盾がここにきている。この点は明確に申し上げないと、これは地方で熱心に教育行政をやるものはなくなる。ばかが教育行政をやるようになる。そういうことについて、まずこの養護教諭養成所に対して国の文教政策は根本的にピントがはずれていると思うのですが、大臣おわかりになっていただけますか。ここに大蔵省の小田村主計官おられますか。主計官聞いておいてくださいね。大臣に御感想を聞きたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/8
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009・福田繁
○福田政府委員 ただいま岩手県の問題についてお触れになりましたので、限度政令の問題と養護教諭の問題につきまして、一般的な問題から少し御説明をさせていただきたいと思います。
御承知のように、標準法を改正いたしまして、この五カ年に生徒児童の減少によりまして七万六千人の教員の定数が落ちるという事態に際会いたしましたので、私どもといたしましては、この機会に学級編制の改善を行ない、同時に小規模学校などの教員の充実をはかっていく、あるいは専科教諭の充実をはかっていく、そういう趣旨におきまして、約六万人程度の教員定数を確保したわけであります。したがって、この際に私どものとった方策といたしましては、各県いろいろ具体的な実情がございますけれども、その実情をできる限り勘案いたしますと同時に、やはり従来の教員と養護教員あるいは事務職員というもののバランスのとれた配置を当然に今後の教育の振興の上から考えるべきじゃないかというような観点から、養護教員あるいは事務職員、教員のバランスのとれた配置ということを念願に改正をいたしたわけであります。たまたまいまお触れになりました岩手県のごときは非常に養護教員の設置に努力されてきたあとがございます。しかしながら、一方において事務職員はほとんど置かないというような実情でございました。したがいまして、標準法の改正によって事務職員と養護教員の定数の流用ということができませんので、いま申しましたような特殊な事態が起きたわけであります。したがって、岩手県に対しましては、あるいはほかの県も同様でございますが、特に私どもとしては従来の過員あるいは定員というものをできる限り救済するという措置をとったわけであります。したがいまして、三十八年度の時点に立脚いたしまして、三十九年度におきましても、一挙に定数が落ちるというようなことがないように、いわゆる定数法上の過員救済という措置を講じたわけであります。そういうことによりましても、なお岩手県においては三十九年度に数名の過員を生じたわけであります。それから四十年度におきましても、現在のところは定数、標準法を上回る過員がやはり数名出るわけでございます。しかし、県としては、これは国庫負担の対象にならなくても、できる限り救済の措置を講じていきたいというので、山中委員がかねてから御心配になっておりましたような点も特に私どもは県の教育委員会に対してお話をいたしまして、四十年度においては三十九年度の定数を落とさないような措置を講じるということになっているわけでございます。したがって、養護教員については今年は岩手県の場合は少しも心配は要らないと私は思いますけれども、そういう特殊な事情があるということは私どもよく承知いたしております。できる限りその救済の措置をとってまいりたいと思っております。
それからもう一つの問題は、この養護教諭養成所でございますが、これは限度政令に関係して何か閉鎖されたような意味に私は伺ったのでございますが、もしこれが間違っておれば訂正いたします。私の承知しておる限りにおきましては、これは県教育委員会が養護教員を充実したいという非常な熱心な意図のもとに設置されていることは私ども承知いたしております。ところが、これは大体目的を達しまして、三十七年度以降はひとまず募集を停止した。いわば閉鎖同然の状態になっておったわけでございます。別に限度政令の問題とこれは直接の関係はなかろうと私は考えております。三十七年以来これは募集を停止いたしております。県としては、財政上の問題があるかと思いますが、当然にやめていきたいという考えがあったようでございます。一方におきまして、それじゃ岩手県にそういう養成の場がないかと申しますれば、県立の保健婦養成所というものがございまして、その中の生徒に対して養護教員の免許の資格を与えるという方法もできておりますので、補充その他については、この卒業生も充用できるというように考えられるのでございます。したがいまして、将来の問題としては、各県には養護教員養成所というものをできる限り設置されることを私どもも希望しているわけでございます。たまたま岩手県の場合は、そういう過去において他の県よりも先んじて養成をしてきた、一応養成の目的を達したということで、三十七年以来募集停止になっているのが現状だろうと思います。そういうことでございまので、私どもとしては現状を申し上げますと、山中委員のいまの御質問に対しまして、以上のように承知している範囲を申し上げた次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/9
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010・山中吾郎
○山中(吾)委員 他の県もいろいろ例を出せばたくさん出ると思うのですが、バランスを最初とるという考え方、その中に非常に間違いがあるのではないかと思うのです。岩手県は事務職員はなるほど少ないのです。それよりは僻地が非常に多いから、養護数諭に県財政の協力を求めてやっておる。そういう各地域によって、実質的な実態に応じた教育行政をやっているのを尊重して、助長するのが文教政策ではないかとぼくは思っているのです。ところが養護教員が多く、事務職員が少ないからバランスをとる。それではその地域の地方自治の自主性もないし、地方の創意的な行政もでないので、そこに限度政令の思想的な間違いがあるのではないかということを主張している。バランスをとるつもりで文教行政が行なわれておるのでは、とんでもないことだと思う。その特質を生かすのが文部省の行政ではないのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/10
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011・福田繁
○福田政府委員 私も根本の考え方においては、山中委員のお考えに賛成でございます。しかしながら、標準法で算定いたしましたいわゆる義務教育の一定の水準を維持するための定数としては、国が財政補助をしてやるわけでございますから、それ以上のことは、地方の自主的なお考えで、これを積極的に進めるという場合においては、いかほどお進めになってもけっこうでございます。そういう意味で、できる限り地方の自主性をたてまえにして、今後教育の振興をはかっていくべきではないか、かように思いまして、大部分においては、これはそういう地方の実情に応じると同時に、やはり単なる機械的なバランスという意味じゃなくて、山中委員のおっしゃったようなお考えで進めるのがほんとうだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/11
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012・山中吾郎
○山中(吾)委員 限度政令を出さないで局長がそういうお話しをされるなら、半分はわかるのです。二分の一国の負担があるから、あとは交付金であるけれども、知事はどちらに使ってもいいが、教育に使おうという教育尊重の立場から、二分の一は国の負担を前提として、道路に使える費用を教育のほうに投じるという制度が限度政令のないときにはあるから、あとは地方の努力でやっているのだ、これは言えると思うのです。しかし、標準法をこえてなお努力しようという地方行政の場合、これは国が出させないという政令を出して、局長がそんなことを言えますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/12
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013・福田繁
○福田政府委員 これは国庫の問題になりますけれども、国の財政の都合で、そういう限度を設けたわけでございますから、これは私どもとしてはやむを得ないように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/13
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014・山中吾郎
○山中(吾)委員 そんな無責任なことはないでしょう。それなら最初からいまの言い方はやめたらいい。標準法よりこえて養護教員を採用したことはかってでございます。局長は、全部国で負担できないから、県でかってに負担せいという意味で、答えておられるんですか。そうすると、同じ義務教育の先生に、国の負担による先生とそうでない先生に分かれてくる。県費の養護教諭と国の負担を前提とする養護教諭の二種類になる。あなたはそれを前提とされておるわけですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/14
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015・福田繁
○福田政府委員 私どもは教員の個々の方々に対して県費負担の職員と国が負担する職員と分けるという考え方は毛頭持っておりません。これは御存知のように、国庫負担法そのものが都道府県の財政を援助するというたてまえに立っておりますから、したがって、都道府県の編成しました予算に対して二分の一の財政支出をするということだけでございますから、個々の先生がどういう負担を受けたかというようなことではございません。これは県がその全体の予算の中で給与を払っていくのでございますから、個々の先生の違いが出てくるというような考え方では決してございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/15
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016・山中吾郎
○山中(吾)委員 標準法で、養護教諭を百名なら百名、あるいはそれ以上とるのはごかってでございます。その分は算出の基礎として出していないのでございますから、したがって県の場合には、予算計上の算出の基礎の中には、百名は国庫負担の対象になる養護教諭、あとの十名は純県費で当然出てきますよ。そんな冷酷な考え方はないでしょう。そういう限度政令に矛盾があるんです。義務教育費国庫負担法の対象になるものはといって、校長、教諭その他と法律に規定してある。したがって、純県費のそういう教諭というものは、日本の法律の中には予定されていないと思う。そうじゃないんですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/16
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017・福田繁
○福田政府委員 現在の都道府県の条例できめます定数は、一括して定数をきめます。それに対して県の予算を組むわけでございます。百五十人なら百五十人の定数を組みまして、その中で何人が国庫から半額を支給されるかという問題だけのことでございまして、そういう法令上の区別はあるはずがないと私は考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/17
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018・山中吾郎
○山中(吾)委員 まだ法律を調べられないのですが、義務教育費国庫負担法の第二条ですか、国庫負担の対象になる種別をはっきりと書いて、校長、教諭、助教諭、養護教諭。したがって、そのたてまえは、国庫負担法の対象とする以外の教諭は予定していないのではないか。それはどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/18
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019・福田繁
○福田政府委員 国庫負担法の中にあげておりますのは、職種でございます。校長、教諭、養護教諭、事務職員といったような職種でございます。それ以上のものは規定してないはずでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/19
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020・山中吾郎
○山中(吾)委員 国庫負担法というものは、国庫負担をする対象をここに規定している。したがって、その国庫負担の対象としない種別というものは予想していないのではないかと聞いているんです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/20
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021・福田繁
○福田政府委員 そのとおりでございます。県においても区別はしてないはずでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/21
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022・山中吾郎
○山中(吾)委員 その話は何ですか。ほかの人が聞いていても、おかしくないですか。要するに、標準法をつくって、それ以上は——先ほど非常に冷酷な、底冷えするような答弁ですが、県ではかってに多くとっているのではないかと思います、ただしそれは県費で支給していただいているのであると、突っぱねるような話ですが、そうしたら、県費負担の教諭と国庫負担の教諭と二つあなたの理論の中に当然入ってくるじゃないですか。主計官、聞いておいてください。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/22
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023・福田繁
○福田政府委員 私の申し上げますのは、県の定数で組みました養護教員なら養護教員あるいは教員なら教員というものの中に、県費負担の養護教員あるいは教員、それから、国庫負担の教員あるいは養護教員というような区別はしてございませんということを申し上げたわけでございます。これは予算としては一括して組むわけでございますから、その予算の中の標準法で算定された基準までは、国庫が二分の一負担するというだけの財政の問題でございますから、教員そのものに二種類ができるという考えではございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/23
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024・山中吾郎
○山中(吾)委員 それは国家公務員ではないですよ。いまは地方公務員の岩手なら岩手の公務員の話をしておって、岩手で区別をするわけだ、県費負担の教諭とそうでない教諭と、文部省なり局長は何も区別をする心要はない。そんな関係はございません、何もこれは国立大学の教授の話をしているのではない。現実にそれは二種類になりますよ。当然、そうすると法律のたてまえからもおかしい。もう一度言ってください。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/24
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025・福田繁
○福田政府委員 たとえば市町村負担の職員とか県費負担の職員という区別は、負担の区分によってできると思います。負担の段階においてできると思いますけれでも、県費負担の職員であるべき市町村立学校教諭あるいは養護教諭につきまして、これは国庫負担の国費をもらっておる職員、これは純県費だけで出しておる職員、そういう区別はできないということを私は申し上げておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/25
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026・山中吾郎
○山中(吾)委員 今度限度政令ができたら、あとは区別せざるを得なくなるということをぼくは申し上げておるのです。これは参議院の義務教育費国庫負担法の審議の質疑応答の中にありますよ。国が二分の一負担をする教諭と、そうでない教諭をつくるということは、義務教育のたてまえからいって、また教員の心理からいって不適当である。したがって、全部国の負担の対象とするというたてまえになっているのです。そうして国庫負担法の審議の中に明快に政府はそういうものをつくるなにはないとまで、速記録を私読みましたが、書いていますよ。きっとその当時福田局長は初中局長でなかったかしらないが……。だからあなたの言っていることは、この義務教育国庫負担法のできる審議の過程からいっても間違っていると思う。こういう限度政令というものができるからこういう矛盾が——限度政令そのものがきわめて不適当だという結論にしまいはなると思うのです。この負担法のたてまえからいって……。それをいまの御答弁では、私、この法案は通せませんよ、いまのそんなくそ理屈では……。それはひとつ保留しておきます。
そこでこういうふうな、私すぐ僻地の問題になって矛盾を感じてくるのですが、限度政令が施行される場合、必ず僻地の学校にしわ寄せがくる。しわ寄せがくるについてわれわれは、そういう矛盾をした限度政令が出されたのであるから、少なくとも各地方において熱心に教育行政を推進した実績だけはつぶさない配慮が必要ではないかということで、何回か論議をしてきておるわけです。というのは、法のたてまえにおいては実績は二分の一あるからしっかり教育費というものについて努力をせいと教育委員会に示しておるような精神である。しかし各県の特別の事情がある場合には最高額を定めるという条文が、ただし書きがあるのであるが、全体の精神としては各地方に対する教育行政の推進をむしろ奨励している法律であることは間違いない。その精神で努力してきた。したがって少なくとも限度政令を出す場合には、法律の精神に基づいて努力した実績を下回る限度政令を出すことは、これはもうその人間の功績に処罰をもって報いるというような限度政令になるので、つくるならば現在の到達点以上にすべきだ、私はそういう思想なんだ。大蔵省が財政的な意見で文部省にそういう要求をされたけれども、その点は少しおかしいと思うのですね。そう主計官、聞いていてください。あなたは答弁はあまり要らないが、そういう矛盾があるということはしっかりしておいてもらいたいと思う。
そこで私は、少なくともそういうしわ寄せを最小限にとどむるという中で大臣に要望した三つの条項がございます。一つは、少なくとも、分校を含んで単級学校でも先生は二名を置くようにやってもらいたい。それから小学校の一学年はせめて複式をなくしてもらいたい。それから第三には、二、三人の分校その他の学校において一人でも先生が研修に出ますと、もう子供の教育が空隙になるから、産前産後の先生と同じように補助教員制度をとってもらいたい。こういう要望を実はしておいたわけであります。これはその現実からいいますと、私は現場の僻地の先生からいったら、実に熾烈な要望が実感的にあると考えておるわけなんです。たとえば一例を申し上げますと、今度の標準法において二十五名以下は複式になる、そういう標準になっております。そうしますと、ある学校において一年、二年合わして二十六名、三年、四年合わして二十六名、五年、六年合わせて二十六名ならば、一名ずつ多いために六学級できるのですね。そうすると、校長、教頭、教諭を合わして八名の先生を出すことができます。二十六名ずつの七十八名ですね。ところが一年、二年が二十四名、三年、四年が二十四名、五年、六年が二十四名、二十五名より一名足らない。総計七十二名で、いわゆる六学級の学校よりたった六名の子供が少ないだけで三学級の複式になるわけです。そうすると、先生はその学級の数、三名にたった一名プラスした四名ですね。子供はたった六名しか違わない。そこで複式のある学校というものは教員の定員からいって非常に不利な状況になるわけです。しかも教育というのはがたっと下がってくる。そこで村の人々は複式にされることを一番いやがるわけです。そういうことを考えて、少なくとも複式になるときに先生が急に減る現実からいって、PTAにしても、村長にしても、学校関係の皆さんにしても先生が減ることを非常に心配をするので、理屈はいろいろあります、せめて一学年の複式をなくせ、しゃくし定木にしなくてもよろしい、そういう場合には先生は減らさないでほしい。いま言った極端な例ですが、もう一度復習しますが、七十八名の村の小学校は六学級の経営ができることがあり得る。七十二名の場合は三学級の複式学校になる。先生は八名と四名の二分の一になってしまう。それは親は黙っておれないでしょう。そこへプラス一を加えるということは、当然限度政令を出したからにはやらなければならぬのじゃないか。私は一つの教育的な見地を入れて、せめて小学校の一年だけは単式にしてやりなさい。それは先生を一名減らすなということなんだ。あとは理屈はどうつけてもいいのです。こういう矛盾は、僻地の学校に対して思いやりを持たないで限度政令を出すというのは、こんな底冷えのする文部省なら一体ないほうがいいじゃないですか、どうですか。大臣にはあとで、局長に先に聞きたい。あなたがたいてい案をつくるのだろうから。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/26
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027・福田繁
○福田政府委員 山中委員は限度政令と結びつけておっしゃいましたけれども、私は必ずしも限度政令の問題ではなくて、この問題は標準法自体の問題であろうと思います。そういう意味で私どもとしてはやはり今後いろいろなそういう僻地の教育を考えます場合、いろいろな問題が山積をしておりますことは、私どももよく承知しております。ただ、いまおあげになりましたいろいろな具体的な場合でございますが、この方向としてはもちろん複式でないほうが私は望ましいと思います。単式のほうがよりけっこうでございますけれども、やはり学校という一つの教育形態をとります場合に、非常に生徒が少ない、たとえば一年生が一、二名でも一学級を編制するかというようなそういうことになりますと、やはり経営上の問題もございますので、やむを得ず複式学級というものを編制しておるのが現状でございます。ただその際に教育論として考えますと、山中委員のおっしゃることも非常によくわかりますけれども、現在の複式学級の編制の中には四個学年あるいは五個学年、ほとんど単級学校に近いような編制の学級すらあるわけでございます。したがいましてそういう問題も徐々に私どもは解消していきたいという考えを持っておりますが、これは現実の問題としてやはりいろいろ検討しなければならない問題がございますので、十分今後これを検討して、より教育効果があがるような方向でやっていきたいと考えております。これは標準法自体の問題でございますと同時に教授方法等にも関連してくる問題でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/27
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028・山中吾郎
○山中(吾)委員 標準法以外の問題でなくて、標準法の問題ですよ。それが同時に限度政令があるためにそれがとれないから限度政令の問題も各地方にある。そうでしょう。先ほど言ったように七十八名の生徒で六学級の学校ができるのですよ。七十二名で三学級の学校になったちゃうのですよ。そういう現実の矛盾を、一律にあなたの言われるバランスか何か知らないけれども、二十五名以下は複式ということだけで事務処理をしていくものだから、そういう矛盾が出るのだ。出るから地方の教育行政者は黙っておれないので、標準法より教諭を多くとって、複式で低下するのを押えて一、二名プラスしていままで苦心をしてきたのじゃないか。それを限度政令でやれなくなった学校があるじゃないか、ないですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/28
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029・福田繁
○福田政府委員 先ほど申し上げましたようにこれは標準法自体の内容の問題でございまして……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/29
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030・山中吾郎
○山中(吾)委員 内容なら変えなさい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/30
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031・福田繁
○福田政府委員 それは今後検討の問題でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/31
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032・山中吾郎
○山中(吾)委員 たとえば複式四学級のときには、先生が四名おっても、一人研修に行ったら授業なんかできなくなるでしょう。ところが六学級になれば、よけいなことにああいう小さな学校に教頭まで置く。教頭なんという教壇に立たない先生をつくるものではないですよ。校長だって授業をする姿の中においてこそほんとうの教育者の姿がある。校長、教頭、それに管理職手当を出しておる。そして先生六名。何ですか、こんな行政は。そして一方複式のときにはがたっと減らしてしまう。教頭という種目をつくれば教壇に立たなくてもいいという思想が入ってくる。そういう中に問題があるのだから、せめて複式の場合にはいまの定員標準より一人くらいプラスしなければならないと思う。その方便として、私は、小学校一年の複式を解消したらどうかという一つの提案をしているのである。ところがそれは小学校の低学年のほうが複式のほうが便利であって、上は内容がむずかしいから教育的に言えば、小学校一年の複式はあったほうがいいなんということで、初中局のだれか専門家に聞いたら、ぼくにそれはこういう意見で反対でございますと言っておる。そんなことは万々わかる。ただしそんなものは水かけ論になる、といっても、それはそれでけっこうです。ただし僻地の先生の実感を聞いてみたらわかる。たとえば僻地のまじめな先生は私らに痛切に、よく手紙でよこす。僻地の子供の学力程度の低い原因は、この人たちはずいぶん実感を持って研究しておると思うのですが、小さいときの栄養の不足がある。それから小さいときに家庭が非常に不衛生だから、重患、重い病気にかかった者がずいぶんある。それからやけどなどをたくさんしている者がある。経済の貧困、親の理解の不足、こういうものが重なって僻地の子供の学力程度が低い。学力テストなんかさせても何の処理もしていない。その中で、最初に入った子供の場合には、幼稚園教育を兼ねた集団教育をしながら、経済の貧困といろいろな環境から後天的低能になっている。これは先天的低能じゃない。後天的低能である。そういうものを引き上げて、かりに五名であっても、最初はその子供を一年、二年幼稚園教育を兼ねながら、家庭の欠陥を、あるいは満六歳までのいろいろの欠点を引き上げるための十分な手当をする教育がなければならない。盲ろうあ学校と同じようにやらなければならぬというのは、別な面から私は主張しているわけです。それこそいま青少年の不良化の原因は幼児教育にある、愛知大臣が何回か新聞に出しておる。そういう認識の上に立ったときに、いま言ったような全体として教員の定員が少なくなっているのだから、プラスを加える、実質的に人間形成の立場からいったならばそういう僻地の生活環境の欠点を考えたときに、一年生の複式を解消するというのが一番教育的にぴったりするので私は申し上げている。そういうことに対して十分に僻地の先生のなまの声を聞かないで学問的にどこの本に書いてあるか知らないけれども文部省の中ではこういう意見であるからだめです、そんな言い方は私はないと思う。こういう点について十分頭に入れて問題を解決すべきであると思うので申し上げておきたい。
さらにこれはまじめな僻地の学校の先生なんです。入学当時については座尿する子供が非常に多い、泣く子が非常に多い。僻地の農家から生まれてきた子供の指導については入ったときに一番手数がかかる。こういう子供は集団生活に何の抵抗力もない。そこでせめて就学初学年だけは、同じ年齢の者を中心にしてやりたいという痛切なことまで書いてある。文部省の専門家はこういうものは全然見ていない。私が一学年を解消しなさいと言ったのは、そんな形式論で言っているのでないことだけは説明しておきたいから申し上げておきます。
さらにこの機会に、単式分校を含んで、どんな小さな学校においても少なくとも先生は二名を置くべきだという要望をいたしました。それも思いつきではないのです。これは僻地の分校の先生をしておる人たちの一人ですが、三学級の複式、したがって教員は三名しかおらない。分校ですから校長がいない。三学級の複式で三名しかいない。ところがそういうときには必ず一人は助教がおる。免許状を持っておらないから、その人は勉強して何か免状をとりたい、また勉強したいから教育もできる。認定講習にぜひ行きたい、その長期の講習に。三学級の三名の先生が一名減ればこれはどうしたって教育はできないでしょう。だから産前産後の補助要員と同じように、そういう場合には理屈を言わないで補充教員制度を出していただきたいということを私は申し上げておる。結局僻地の人は認定講習とか研修には出られないですよ。二名、三名しかいない分校とか僻地の学校で一人抜ければ−三十名の都市の小学校の先生の場合の一名抜ける二十九分の一とは違うんです。そこは教育は断絶しない、そういう熾烈なものを含んで、あらゆる点を考えて御要望申し上げた。それを簡単にお考えになっておるのは、私はたいへんな間違いがあると思うのです。主計官わかりましたか。
それから、さらにこういう場合に、僻地の先生というものはいろいろな点で過重負担があるということで、私はこの間予算委員会で国産のジープを備えつけることを要望して、大臣は努力すると言われたのですが、これもある岩手の岩泉——チベットといわれる付近の分校の先生ですが、こういう悩みを訴えておるのです。地元で木炭やまきを買おうと思っても、現金を見せないで購入することは困難です。それに村の店から二、三百円の品を買っても、その店では三百円のバス賃と一日のひまをつくってめんどうな役場の窓口に立たなければならないのでは気の毒でなりません。学校がその店で物を買うと役場にもらいに行かなければならない、結局売ってくれないというのです。そこで自分の給与の中から立てかえて子供のために必要な物を買っておるということなんです。せめて自分の金で立てかえはしなくてもいいように、そして早く子供に不自由なく必要な物を買わせてやる方法を検討してもらいたい。いなかの商店は現金でなければ物を売らない。ところが一方に地方自治の運営の関係から、便宜的に学校予算の関係で、村役場に出す物品購入の請求受領書の出し方が、県の指導によって非常にめんどうになって立てかえができなくなってしまっておる。そういうふうな中であるから、すぐいろいろと役場に往復できるような便宜の交通機関を持ってやる必要もあるし、こういう中に僻地の先生というものは過重負担の問題がたくさんあるのだ。そこを一名ふやせ、あるいは研修のなにをせよと私が言うことはもっともなことでしょう。それくらいのことできないで、簡単に財政上、ちょっと便宜上困るからというので限度政令を出すという考え方に、底冬えのする日本の教育に対する伝統があると思うのです。黙って聞かれておってもわからぬから、ひとつ大臣からお聞きします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/32
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033・愛知揆一
○愛知国務大臣 山中委員から非常に詳細にわたる御意見を拝聴いたしまして、私どもとしても謙虚に誠実にこうした問題を検討してまいりたいと思っております。私としては限度政令の問題につきましては、いろいろ御意見がございましたけれども、これは御了解を願うわけにはいかぬかもしれませんけれども、一つの既成事実として、そして、これはいろいろ言い回しもあろうかと思いますけれども、私が前々から申し上げておりますように、要するに、いまも答弁がございましたように、標準法からきている問題で、しかも、非常に俗なことばで言えば、どこのさいふでもってその金を出すかということです。そういう場合にはやはり全国的な一つの基準で考えざるを得ないのではなかろうかと思うのであります。しかし私はいまの時点に立って考えてみれば、ただいまもるるお話がございましたように、たとえば僻地なら僻地というような非常に特殊な問題であって、しかもこれが全国民的によく理解され、認識されるというようなことでございますならば、特殊な具体的な問題としての取り上げようもあったのではなかろうか。しかしこれはよく事情も御承知のように、ひとり文部省だけのから約束を申し上げても、できることもできないこともございますので、私としては真剣に関係方面とも相談を進めてまいりたい、ひとつ新しい将来の問題として検討を前向きに誠実にしてまいりたい、こういうふうなかまえ方で私としては取り上げさせていただきたいと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/33
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034・山中吾郎
○山中(吾)委員 それでは端的に大臣に考え方をお聞きしておきたいと思うのですが、現在の複式、僻地小規模の場合は学級数プラス一なのです。それをプラス二にしてやるという努力を真剣におやりになるか、それをお聞きしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/34
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035・愛知揆一
○愛知国務大臣 ただいまも申しましたように、これをお話の経過からいって、私がここでやりますと申しましても、やれない場合にはこれはたいへんな問題になります。(「主計官がだめだ……。」と呼ぶ者あり)主計官にしても、主計官の立場からここで明快なる回答をせよと言われても、私はこれは無理ではなかろうかと思いますから、しばらく時間をおかしいただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/35
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036・山中吾郎
○山中(吾)委員 私には満足するお答えでなくても、私は聞きたいことは聞きます。
いま例を申し上げたように、僻地の三学級で三名、二学級で二名、そういう場合に認定講習に行くときに教育が中絶をする、その場合補助教員制度をお考えになるお気持ちがあるかどうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/36
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037・愛知揆一
○愛知国務大臣 御提案は三点にしぼられておるわけで、単級学校の問題と複式の解消の問題と研修のための特別の補充教員の問題と、三つの御提案にしぼられているわけでございます。この三つの点につきまして、ただいま申しましたようにとくと検討いたしたい、かように考えておりますので、ただいま一にについてはどう、二についてはどう、三についてはどうと具体的に的確にお答えをいたすまでに、いましばらくの研究の時間をお与え願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/37
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038・山中吾郎
○山中(吾)委員 主計官にお聞きしておきますが、私のいま申し上げたような実態でありますので、教員定員のいわゆる行政というものは、各地方画一的にいくべきものではないということがおわかりになったかどうかということを……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/38
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039・小田村四郎
○小田村説明員 画一的と申しますと多少語弊があるかと思いますが、しかしながら標準法をきめましたときの法律の考え方、これを標準にして地方の学校の編制あるいは定員を考えてもらう、こういうことでございます。したがいまして、その標準の中におきまして、各地方の自主的な判断によっていろいろな配置をやられるということは何ら差しつかえないわけでございまして、そういう意味で画一的ではないということでございますならば、私も全く同感であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/39
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040・山中吾郎
○山中(吾)委員 ずいぶん知能的な答弁なんだが、そうすると、普通の都市の学校から一名をとってきて僻地にやることは御自由だ、こういうことなんですね。そんなことならばかでもやるのですよ。それでひとつ大蔵省の感覚で聞いていただきたいのは、現在新制中学の卒業生はほとんど都市に行っているのです。労働力として供給しているのです。岩手の場合だって大体八・八から九割まで行ってしまって、村では労働力がなくなって、村長さんが校長に文句を言っているのです。何のために村で教育しているんだ、卒業してしまうとみんな外へ出しているじゃないかとしかられている。一方校長は、村に職場がないからそう言われてもしかたがないと文句を言っている。そういういじめられ方をしているところもある。東京都は、中学校、高等学校を調べてみると、全部東京の中で就職している。したがって、大都市はいなかの貧乏県の教育費で養成された技術者、労働者を入れて地域開発の生産力にしておる。僻地では苦心惨たんして教育費を出してつくった子供が、その地域の開発のために金を出しているつもりが、全部よそに行ってしまっているのですね。工業学校卒業でも八割五分は東京付近に来ておりますね。そういう中で考えてみたときに富裕府県というものは貧乏県の教育におぶさって、そこの生産力をたくさん供給してもらっている。そういうことから考えて、富裕県に対して限度政令をしくというのは妥当ですね。それ以上は皆さんでやりなさい。ところがいなかで養成をした少年諸君が、京浜地方あるいは大阪地方へどんどん行っておるのに、同じように標準法をつくって、それ以上はかってにやりなさいというのは、税法の公平の原則からいってもおかしいじゃないですか。それがあなたのほうで限度政令をしいている実態なんですよ。そしていまのお答えは全体の中で適当におやりになることは差しつかえありません、これも底冷えのする主計官の答弁です。主計官は気持ちはあたたかいだろうと思うけれども、これに対する表現からいったらずいぶん底冷えがするんですね、どうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/40
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041・小田村四郎
○小田村説明員 お答えいたします。
底冷えがするようなお感じを受けられましてたいへん恐縮に存じております。ただ私どもお答えを申し上げますときは、どうしても制度的なことでお答えするよりいたし方ありませんので、その点は御容赦いただきたいと思います。
いま山中先生のおっしゃいました労働力の給源としての問題あるいは労働力の移動の問題、これは確かにそういう事実がございまして、地方団体としてそういうお気持ちになっておられることは、そのとおりだと思います。ただこの問題は、何と申しますか、国としての雇用政策全般の問題でございますし、またあるいは逆の意味では後進地域の開発というような政策の問題にもつながってまいるかと思います。教育という観点から申しますと、これは私が申し上げるのはどうかと思いますけれども、やはり教育水準あるいは教育内容の機会均等、あるいはその妥当な内容を保障するということがたてまえでございますので、それ以上のことを文部省の予算措置で要求されるのはちょっと筋が違うのではないか、こういう感じを受けたわけでございます。それはまた別の対策において考えるべき問題ではないか、かように考えるわけでございます。
僻地教育の問題につきましても、私どもが担当しておる考え方としては、あくまでもその教育内容の機会均等と申しますか、そういうような観点から考えてまいりたい、かように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/41
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042・山中吾郎
○山中(吾)委員 教育の機会均等の立場からというのはそのとおりなんです。それについて反対意見は一つも述べていない。そういう立場の中で義務教育もあるのであって、僻地も大都市もそういう義務制度をとって教育の機会均等を実現する制度になっておるわけなんです。そういう教育の機会均等をつくるという立場から、一番最初に僻地問題についてはいろいろ教育水準が下がる条件があるから、上がるだけの措置をする必要があるというので先ほど定員の話をしたのです。その次に属地的といいますか、その地域の開発ということは、教育の機会均等も含めて考えるべきものがあると思うのです。少なくとも大蔵省が、税の負担能力に応じてその地域に対して多く助成をするとか少なくするということは、私は教育の機会均等と表裏一体の問題だと思う。富裕県においては一定の限度政令をつくっても、そういう地域には限度政令をつくらないで、ある程度先生の定員が多くなっても国が財政援助をしてやる。いまのような実態を含めて、それは教育の機会均等と表裏一体のものであるとともに、税制の当然の公平の原則ではないか、こういう意見を私は申し上げておる。その点、異議ないですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/42
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043・小田村四郎
○小田村説明員 ただいまおっしゃられましたことは、あるいは地方の財政力に応じての差等補助率というような問題ともつながるかとも思いますが、現在地方の財政調整は原則として地方交付税等で行なうのがたてまえになっております。ただし義務教育負担金等におきまして、限度を多くするというような意味での若干の調整はあるわけでございます。それから限度政令の中におきましても、不交付団体につきましてはいわゆる定員定額制で、給与等の内容につきましても頭打ちをいたしております。その他の交付団体につきましても、定員だけについて限度を設けるという趣旨で、給与額等については何ら制限を付していないわけでございます。その点若干の違いがある。そういうことと、さらに国の財政全般につきまして、その詳しいケースは私存じませんけれども、財源といいますか税負担力の少ないところにかなりの金が相対的に多く流れていくということはまず言えるのじゃないかというふうに考えております。いまの義務教育の国庫負担金につきましても、そういう意味におきまして不交付団体については定員定額制、交付団体についてはいわゆる定員制、こういうことで若干の差は設けておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/43
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044・山中吾郎
○山中(吾)委員 制度的に大蔵省の立場から意見を述べなければならぬとおっしゃったから、私も制度的に申し上げたいと思います。義務教育の教員については単なる交付金の差でなくて、先ほどあなたがおっしゃったように、義務教育国庫負担法のたてまえで本文には実支出額の二分の一という大前提の制度がございます。それに対してただし各府県ごとに特別の事情があるときは限度を定める政令を出すことができる、これが制度で、特殊の事情がなければ出せないというのが制度のたてまえなわけです。そういうふうな意味において、非常に財源豊かな富裕県にだけ昨年までは限度政令を出しておったと思うのです。今度は全部の県に定員制を出してきた。特別の事情というものは、そういう場合に使うことばじゃないと私は思う。全国全部に定員の限界をつくるという政令を出すというのは、あなたは制度論から言うが、私は制度論からは考えられない。それではあなたのほうで各府県ごとに特殊の事情を説明してくださいと言ったらできないのではないかと思う。制度論からいって若干のということばは逆なんで、本文が実支出の二分の一だから、例外として限度政令を定めるならば、例外的な特殊事情がなければならぬので、それは富裕県にはわかる。しかし全国−鹿児島から岩手まで全部含んでのべつまくなしに最高限度の政令を出す、これは私の制度論、法律論からいったら違反に近いと思う。それがいま申し上げたような僻地に矛盾がないならば、そういう論議をそうしなくてもいいと思うのですが、そういう問題が出てくるので、ずいぶん無理な要求を大蔵省が出されたのではないかと私は思う。先ほど申し上げたように、またそういうたてまえのもとに努力をした地方行政を下回る標準法、そうして下回る定員法を定めてしまったものだから、努力した人に懲罰を加えているのではないかという感じを与えている。そういうことでこの問題の矛盾をやはりずいぶん考えていただかなければならない。
それから、あなた冷静な制度論をお述べになったから、私も冷静にお聞きします。特殊事情があれば限度政令は出すことができるから、特殊事情がなくなれば当然廃止するのがたてまえだと思うのですが、いかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/44
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045・小田村四郎
○小田村説明員 そのとおりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/45
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046・山中吾郎
○山中(吾)委員 この養成所に関連をして直接間接現在の限度政令のしわ寄せがあるものだから、いの法案の審議の中でいままで御質問を申し上げたわけであります。
そこで本論に入って、これから養成所のことについてお聞きしたいと思います。
全国の県限りでつくっておる養護教諭養成所、その一覧表をこの次に出していただきたいと思います。これはずいぶんあるはずです。
この法案の直接の内容にならないかと思うが、育英会の適用を国立養成所二カ所だけに適用して、県立の教諭養成所は育英会の対象から除外をしておる法律が出ておるのですが、これは大学局ですか初中局ですか、どっちですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/46
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047・杉江清
○杉江政府委員 大学局でございます。公立の養護教諭養成機関の大部分は保健婦の養成を兼ねておるものでございます。おっしゃるのは、それを兼ねない養護教諭養成機関もあるということに重点が置かれると思いますが、大部分は保健婦の養成機関を兼ねておる。こういった保健婦の養成機関に対しては、実は別に厚生省で奨学の措置をしているわけでございます。そういうこともありまして、これをまずはずしたわけであります。それから純粋に養護教諭だけの養成をするのも、わずかではございますが、ございます。問題はなぜ育英の対象としないかという点でございますが、要するにこれは第一条の学校に従事する者に対して育英奨学の措置を講ずるというのが、いままでの育英制度の根本になっておるわけでございます。それを広げますと、その限界がむずかしくなって、他に波及する危険が多分にあるわけです。また一方、第一条学校の学生に対する育英奨学の措置もまだ不十分な状態でございますから、そのほうの充実を優先させ、そして必要に応じて他へ及ぼすことも今後の課題ではありましょうけれども、現段階においては、各種学校の形態を持っておりますものに広げますことは、きわめて慎重にならざるを得ないと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/47
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048・山中吾郎
○山中(吾)委員 養護教諭を養成する目的で設置をする限りは、国内であろうが、県立であろうが、育英対象に一方はする、一方はしないというのはどうしてもわからない。看護婦養成所というなら別ですよ。看護婦養成所を出て、次に教養科目を前提とした一カ年の養護教諭養成所、二カ年のものもありますが、護養教諭をつくるために県がつくって、その人たちは養護教諭になるのだから、ほとんど実質上就職を義務づけるようにし向けて学費を出しているのがあるでしょう。それを国立の二カ所だけしか育英対象にしない、そういう理屈が私にはどうしてもわからないですね。だからそれほど差別をしたいならば、全国の養成所の実態がわかるように、全部資料を出して説明をしてもらいたいと私は思います。わからないのですからね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/48
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049・杉江清
○杉江政府委員 資料は後日提出いたしますけれども、考え方としましては、先ほど申し上げましたように、各種学校にまで及ぼすということは、各学校の中で養護教諭だけのものをやるという理屈も、また非常にむずかしい問題になるわけでございます。たとえば保健婦養成機関との限界はどうか、ひいては保母養成所とかいろいろなものに波及するおそれを持っておるわけなんです。波及するというのも、一つの政策として私は成り立つかと思います、けれども、大部分はそうした別の方途で奨学措置が講ぜられている。もっとも問題はいまの養護教諭のごく少数のものでございましょうけれども、やはりこの際は一応第一条学校に重点を置いてやる。各種学校であるという形式に即して現段階においては区別せざるを得ない。しかし、おっしゃるような意味もわかりますので、私ども、この問題は今後の課題として十分検討してみたい、かように考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/49
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050・山中吾郎
○山中(吾)委員 養護教諭というのがなかなかなり手がないし、養成するのが大事であるから、教諭になるというのを目的として育英制度の対象にするという基本精神は、終始一貫論議してきたのじゃないのですか。そこで養護教諭を目的とした養成は県立、国立いずれでもやるということで当然入ってくる。あなたの説明は各種学校だからやらないというのですが、そうすれば国立養護教諭養成所だって各種学校ですよ。ところが独立の法律によってできたから特別の各種学校だという説明をまたするだろうと思いますが、性格からいった各種学校じゃないですか。だから各種学校であるかないかということで差別をする論理は、いまだこの国会の審議の中に一つもなかった。いまのあなたの答弁のようなものは一つもない。教諭になることを前提として育英制度の対象にすることを明確にすれば、他に波及する心配が一体どこにあるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/50
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051・杉江清
○杉江政府委員 たとえば先ほど申し上げました保健婦の養成を兼ねております指定養護教諭養成機関との限界は私は非常にむずかしくなると思います。結局各種学校に及ぼすかどうかということは、育英奨学制度の根本にかかわる問題になるわけです。それでいま各種学校という一つの形式に即してこの際は考えていく。それで将来の課題としては、おっしゃる点をひとつ十分吟味しまして、いたずらに相関連して広がるということはやはり避けたい。その間実体に即してその区別がうまくできるということであれば、十分今後考うべき課題だと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/51
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052・山中吾郎
○山中(吾)委員 教諭になることを条件として特別の育英資金制度まで置いて、そうして学芸学部の七割、八割まで補助をして——こういう経済が繁栄すると教諭になり手がないという伝統的な性格があって、一方においてあれだけ苦心している。聞くところによると、文部省の原案は、文部大臣の指定したる教員養成所に対してとあったという。ところが出てきたらそうじゃない。だからその経緯もお聞きしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/52
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053・杉江清
○杉江政府委員 おっしゃるとおり当初私ども養護教諭のみを養成する機関についての育英奨学を拡張することを考えたのでありますけれども、大蔵省にも議論があり、またかたがた、先ほど申し上げましたように、各種学校まで広げるということはやはり育英奨学制度の根本問題だから、今後十分検討しようという意見があって、このようにいたしたわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/53
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054・山中吾郎
○山中(吾)委員 同じことを繰り返して各種学校、各種学校というけれども、それなら聞こう。養護教諭養成所は何学校だ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/54
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055・杉江清
○杉江政府委員 これは形式論になりますけれども法律で特別の定めのあるものは各種学校ではないという規定があるわけであります。その意味で、実体は各種学校でございますけれども、形式的には各種学校でない。こういうようなデリケートな限界に来れば、ある程度形式と制度で割り切っていく以外にないのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/55
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056・山中吾郎
○山中(吾)委員 国立と私立の区別をなくそうといってみんなで論議しているときに、国立と県立と区別をするといっても、あとでくっつけた理屈にすぎないじゃないか。国立にすると各種学校でなくなるというのはどこに書いてあるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/56
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057・杉江清
○杉江政府委員 学校教育法第八十三条に「第一条に掲げるもの以外のもので、学校教育に類する教育(当該教育を行うにつき他の法律に特別の規定があるものを除く)を行うものは、これを各種学校とする。」こういう規定がございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/57
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058・山中吾郎
○山中(吾)委員 他の特別の規定というのは何を指すんですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/58
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059・杉江清
○杉江政府委員 たとえばこの養護学校は……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/59
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060・山中吾郎
○山中(吾)委員 この法律そのもの……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/60
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061・杉江清
○杉江政府委員 別に法律があればそれは各種学校でない、こういうことになるわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/61
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062・山中吾郎
○山中(吾)委員 この中でこの国立養成所は各種学校でないと規定しなければ規定にならないというのはどういうことかわからない。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/62
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063・杉江清
○杉江政府委員 そもそも各種学校の制度は、第一条学校以外に学校教育に類する教育が社会には相当行なわれておるわけであります。そういうものについて、国は原則的にはあまりこれを干渉するといいますか、指導するといいますか、そういう立場はとらない。原則的にはそういうものは自由にひとつやっていただこうという立場をとっているのですけれども、しかし相当の公共性を持っておりますから、ある程度の規制を加える必要がある。著しく公安を害するようなものがあるならば、閉鎖命令をかけるという余地も必要である。そういうことで大まかに各種学校というぼおっとした範囲をくくって各種学校という制度をつくっているわけです。しかし教育内容制度は各種学校に似てはおるけれども、第一条学校のように一つの体系立った組織の中には入らぬけれども、しかしその内容については法律をもって明確に定め、そして国の監督権限も明らかにしている。そういうものはやはり実態の上において各種学校と違うと思うのであります。そういう意味で、いままでのように法律で組織的内容が定められておるものは各種学校でないという規定は、私はある意味では当然の規定だと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/63
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064・山中吾郎
○山中(吾)委員 いつも大学局長の不得要領の答弁でごまかされるのが習慣になっているのですが、第一条に規定するもの以外はいわゆる各種学校というたてまえでこの学校教育法ができているわけでありますね。ここに入れないと各種学校でないという法律論も成り立つと私は思っているのです。ただし特別の定めがある場合と書いてあるから、それで国の法律をつくれば各種学校に準ずるけれども、各種学校でないんだと理屈を言われておる。それはけっこうです。ただし政策論として大体国立エゴイズムだと思うのです。地方でああいう苦心をして養成所へ入れているのです。その人は先生になるんです。しかもみんな苦労して、苦心して僻地へ行っているんじゃないですか。そうして学校においては軽視をされ、地方では一番貴重な教職員として評価が高いと思うのです。それを除外するのは政策論としては——形式論はやめますが、政策論としては不当だと思う。それをよく頭に入れておいてもらいたい。大臣はどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/64
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065・愛知揆一
○愛知国務大臣 先ほども答弁がございましたように、私どもとすれば、文部大臣の指定するものということにしたがったわけでございますから、政策論としては、これは広げてしかるべきものだと思うのです。ただいろいろの事情からそこまでいけなかった。まずここからスタートをするということにいたしたわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/65
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066・山中吾郎
○山中(吾)委員 大臣が一番率直です。それがほんとうだろうと思う。局長、そんなに無理をして理屈をつけないでもいい。大蔵省に気がねをしているが、もう主計官はいないんだ。文部省は腰が弱くていかぬ。当然のことは当然だと主張して押し通していいんじゃないですか。しかも八カ所も出している法案ならいいけれども、たった二カ所ですよ。
それから次にお聞きしますが、まだこの法案に気に食わないところがあります。第六条に養護教員養成所における授業料は、その一部徴収を猶予することができるとか、あとで教職についた場合については免除することができる——一部免除なんてけちくさいことを言わないで、授業料全部免除してやればいい。なんでそんなけちくさいのか。どうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/66
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067・杉江清
○杉江政府委員 これもポリシーとしてはごもっともだと思います。今後そうしたいと思いますけれども、ただこれは先例にありますように、工業教員養成所についても同様な方法で一部の免除をしておるわけであります。具体的にいえば三分の二を免除しておる、こういう方法をとっておりますので、それ以上にこの際これを持っていくことが事実上できなかった、こういうことでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/67
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068・山中吾郎
○山中(吾)委員 これは裏では猶予しておいて、職につけば免除するというか、実質的に就職義務をしたようになっておる。途中からまたかためて返すなんてそんなこと、金持ちの者は養護教員に入っていない。貧乏なできる子供しか入ってこないところです。だから免除をしてやって素質のいい者を入れるべきだ。戦前の日本の教員養成のことをもっと考え直さなければいけないと思う。昔の師範学校なんというものは徴兵免除までしておる。こんなことまでしてできる素質のいい子供を入れることに苦心惨たんしておった。授業料なんて初めからないのです。これは国立養成所をつくって授業料一部免除と書いてある。こんな法案は賛成できない。教員養成に一体どんな見識を持っておるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/68
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069・杉江清
○杉江政府委員 事務的に申し上げれば、この法、新しい制度をつくること自体が相当なふん切りでございまして、かなりの抵抗も率直に申しましてあったわけでございます。いままで養護教諭のためにしっかりした制度がなくて、方々で養護教育のために特殊教育を受けさせるとか、看護婦の資格を持っている者を一年間勉強させるとか、いろいろ便宜的な方法が用いられたのですが、今度このようなしっかりした制度をつくるということに私ども重点を置いたわけでございます。
繰り返しますけれども、いまのような点は、ポリシーとしては成り立つと思いますけれども、ただこういう制度をつくるときに、ほかにすでに似たような制度がある以上に引き上げるということは、実際問題としてなかなかむずかしい。こういう事情でございます。これは十分なお答えにならないかもしれませんが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/69
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070・山中吾郎
○山中(吾)委員 ぼくの質問はまだ時間がかかるのですが、まじめに考えて、今後の教員養成の方向として、この程度で教員を養成できると思ったら大間違いです。しかもけちくさいことは、授業料の一部免除、徴収を猶予して、就職したならばその一部だけ見る。そして就職せざるを得ない。こんなけちくさい、そんなもので日本の教員養成ができますか。明治以来日本がこれだけヨーロッパの水準に達したというのは、貧乏の家庭でも、できる子供を入れる最大の政策をとってきたからだと思います。農村だって長男で秀才で大体戦前は小学校でも四、五番までの者が師範学校に入っています。戦争に行く必要はなかった。そこまでやっておる苦心をあなたは忘れておる。ことに地方の養護教諭養成所では授業料は取っていません。しかも岩手県の場合、二千円の学資を補給しておった覚えがある。だからぼくは、教員養成を重視する東北大学から分離することに疑問を持っておる。素質の悪い者ばかり入るから見てごらんなさい。やはり教えるという場合は、素質の悪い子供は幾ら学校に入れてもしようがない。教える場合は会社の社員と違って、一つ間違いを教わったらそれを死ぬまで覚えている。ぼくらもその経験をしておる。先生がうそを教えたらもう変えられない。こういうように文部省は教員養成のほんとうの精神を持っていない。少し国家統制をしてやろう、そんなけちくさいこと。百年の大計なんです。ぼくは法文を見たときにもう魅力はなくなった。この法案は、これは何とか賛成しなければならぬ、しかし賛成する気持ちが半分になってしまった。
その次に、その裏のページを見てください。二項に「前項に規定するもののほか、学長は、経済的理由によって納付が困難であると認められ、かつ、学業優秀と認めるときその他やむを得ない事情」これはどういう意味です。学業成績は「その他やむを得ない事情」の中に入るのですか。「学業優秀と認めるときその他」というのは同じような概念だと思うのです。学業成績が優秀ならやむを得ないから「費用の全部若しくは一部を免除」してやるというふうに考えるのですが、それはどういうことですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/70
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071・杉江清
○杉江政府委員 これは「その他やむを得ない事情」、たとえば災害等の場合も含めその他——いまいろいろな事情が考えられると思いますが、要するに、「経済的理由によって納付が困難であると認められ、かつ、学業優秀」であると認められるときが一つの基本的な条件、その他災害等の事情でやむを得ない状態のときというふうに読むわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/71
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072・山中吾郎
○山中(吾)委員 学業優秀と書いておけば、その他妥当なる理由と書いたらいいんです。私は、こういう理屈を言っているのだが、ほんとうは、ここにあなた方の思想に間違いがあると思っているのです。やむを得ないから免除してやるというのは何ですか。この法案の根本思想は文部省は改めてもらいたい。そして私は、これは僻地に行った先生にこそ、一番大事なことは、行きたがらない僻地などに赴任したそういう人たちこそやるべきだと思うのです。そういう人が入っていないでしょう。課長が何か耳打ちしているから答えてください。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/72
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073・杉江清
○杉江政府委員 お気持ちは十分わかります。原則が授業料等は納めるべきものだ、こういうたてまえをとっておるから、表現としてはそうなると思いますけれども、おっしゃるような意味はよく理解できます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/73
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074・山中吾郎
○山中(吾)委員 原則として授業料を納めるべきであるという思想が気に食わないのです。こういう教員養成の目的の学校ですよ。原則として授業料は取るべからざるものであるとむしろ考えるべきじゃないですか。日本の明治以来の教員養成の制度を調べてごらんなさい、そんな思想はないですよ。逆になっていると思うのです。それだから、この法案にこういうものが出ると思うのです。こういう問題については、最初からどこか出発点に間違いがあればこういうふうになると思うので、私は申し上げたいのですが、愛知文部大臣もそうだと思うのだ。十七、八の青雲の志を抱いておる時分に、先生なんて、じみな先生の学校に行きたいなんというのはないのです、大体は。ぼくらみたいに生活体験が豊かになって教育が大事だということがわかるのは、中年以後なんです。あの辺の青少年の場合はそうではない。だからこそ、教員養成については、授業料なんか取らないのだ。いろいろな特典を与えて、しかし教壇に立てば、どんなことがあっても子供を捨てるわけにいかないという教育者としての自覚がほとんどあとで出るのですね。だから、こういう授業料は当然取るべきものであるが、免除、そんな思想からこんな法案を出しておるのでは、私は、日本の教育なんというのは水準が低下ばかりしていくと思う。大臣、どうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/74
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075・愛知揆一
○愛知国務大臣 たとえば戦前の制度については私もよく承知いたしておりますが、いまからいえば、それだけにまた批判されている点もあるのじゃなかろうかとも思うのです。そういう点から、御主張の点もよくわかりますけれども、ものごとは時勢に応じて一つ一つずつ前進していくというのが一番実際的で、建設的な御意見、敬意を表して拝聴いたしましたが、今日の時点において、いろいろの点からいって、この程度からスタートをさせていただきたい、こう考えておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/75
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076・山中吾郎
○山中(吾)委員 愛知大臣の思想も、どうも不徹底でだめですね。戦前の欠点というのはほかにあるんですよ。授業料を免除することが欠点じゃなかったんですよ。そういうのは少しもないのですよ。
委員長、幾らでも質問があるのですが、何時までいいんですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/76
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077・渡海元三郎
○渡海委員長 どうぞ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/77
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078・山中吾郎
○山中(吾)委員 それでは大臣にお聞きいたします。
学校教育法の規定によって、原則として養護教諭は必置になっております。そうしてあと附則で、当分の間、これを置かないことができる、こういうたてまえになっておるのです。ところが、戦後、養護教諭を設置してからもう二十年近くになってしまっておる。この「当分の間」はいつごろとるつもりですか。五十年あとかそういうことはないのですか。大体のめどをお聞きしなければならぬと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/78
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079・愛知揆一
○愛知国務大臣 これは私もいまお答えするのに念を押したわけですけれども、率直に申しますと、いま何年先に必置が完成すると言うだけの用意は残念ながらございません。そこで、先ほども申しましたように、せめて四十三年度までの五千二百人、これをとにかく充足をしていきたいということで前進をはかっていきたいと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/79
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080・山中吾郎
○山中(吾)委員 必置という現在の学校教育法の思想をそのまま実現できないというようなお答えならきわめて不満だと思うのですが、あとで論議をしたいと思いますけれども、まだ大事なことがあるから、大臣にお聞きしますが、この養成所の卒業生は同時に保健科の教科の二級免状を与える制度になっておるわけです。そうしますと、その免状を持てば、当然、大体週六、七時間は授業を新しく持たせられると思うのです。それだけ労働過重が出ると思うのです。養護教諭は毎日の子供のけがであるとかそれから衛生統計その他で精一ぱいのところに、今度その授業を持つということは、これは慣行が常識化すると思う。定員そのままでいくと、今度はしわ寄せがここにくる一つの欠点が出ると思う。反面、いいところからいえば、普通の教科免状ですから、他の先生にひがみを感じないで、堂々と一般教科の先生という立場にあるので、その点はいいと思う。しかし裏は、こき使われるという現象が出ると思う。これは定員の関係を同時に考えなければならぬ法案だと思う。その用意がございますか、これは大臣にはあとで、局長にお聞きします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/80
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081・福田繁
○福田政府委員 現実に山中委員御承知のように、養護教諭が保健の授業を担当している者が相当ございます。小学校も中学校も同様でございますが、これは保健の授業を担当いたしまして、養護教諭としての職務にはなはだしく支障が起こるということであれば、これは当然考えなければなりませんけれども、一週間にまあ五、六時間だとかという程度のことであれば、むしろ養護教諭自体が、そういう保健の授業を持つということも、やはり一般的に申しますならば、資質の向上という面から申しましても、決して悪いことではないと私どもは考えているわけであります。これは非常に過重になりますと、やはり考えなければならぬと思いますが、現状は大体そんなところかと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/81
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082・山中吾郎
○山中(吾)委員 悪くはない、いいことだと思う。それは消極的な意味で悪いとは思わない、非常にいいと思う。だが、必ず大規模学校に行ったら十何時間持たされますよ、しまいには。そこで、その配慮をされないと、せっかくの養護教諭の教育者的地位を上げるという文部省の考え方が、私は逆になると思うということを申し上げているのです。その措置はやはり責任を持っておやりになるべきだ。一方、養護教諭がいつ必置になるかわからない。また限度政令で制限されておる。これはにっちもさっちもいかない。二重、三重の矛盾が出てくるのじゃないかと思うので、これは大臣、腹の中におさめておいていただく必要があると思いますね。
それから保健主事というのがたしかあったですね、学校保健法ですか、その保健主事が、一体しろうとの先生が保健主事をやって、そうしてその計画のもとに従属して養護教員が働かされておる。ところが今度は保健科の教科の免状を持ってくる養護教諭を考えますと、何も知らない男の先生が保健主事をして、その人の企画のもとに動かされる養護教員というのではかわいそうです。私は特に女性のことを考えるわけでもないが、かわいそうだと思うのですよ。その保健主事との関係はどうお考えになっておりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/82
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083・杉江清
○杉江政府委員 保健主事は保健に関する総括的な仕事を行なうわけでございます。たとえば保健主事の企画に沿って実際に健康診断するのは学校医、学校歯科医等がやるわけでございます。同じような意味において、保健の全体企画の中でやはり養護の仕事も行なうということは、私は制度としてそうおかしいものではないのじゃないか。やはり保健全体を計画的に推進するという意味で、相応の幹部の教員が保健主事という立場におられて、それでその方の指導のもとに、またそれと相談しながらこの保健の仕事を行なっていくという制度は、これは私はいいと思うのですが、実際にはそれぞれの専門的立場が当然尊重されることになるわけでございます。そういう意味において、むしろ養護の仕事及び保健の仕事を学校全体として重視し、それを計画的に進めていくという意味において保健主事があるということは、この養護教諭の設置のことと何ら矛盾するものではない、相補完してむしろ充実強化することじゃないかと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/83
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084・山中吾郎
○山中(吾)委員 いや、矛盾があるでしょう。一般の何も保健のことを知らない人が保健主事を兼ねて、保健教科までもらった、専門家の養護教員が使われるという行き方はおかしいでしょう。そうして一方に保健主事手当をよこせという運動があるのです。私ひとつ提案をしたい。そういう保健教科まで持たされる制度になるから、そうして養護教諭が保健主事を兼ねて、保健手当を少しやって、その労働過重の中を経済的にも考えるというならば、この学校保健法、この国立養成所の制度が新しくできて保健科を担当せしめるということになれば、それは兼務するかわりに兼務手当が出るというなら一つの行き方ですね。ところがこうしておいて授業を五、六時間よけい持たすことによって、片方は、男のわけのわからぬ、わけのわからぬと言っては悪いが、保健のことをわからぬ男性教員が保健主事をして企画して命令するということになれば、学校の中でしわ寄せをされるのは——労働過重と社会的地位が下がるだけですよ。そういうことをお考えになることを提案したいと思うのです。
私いろいろまだお聞きしたいことがあるのですが、きょうの御答弁は満足はいたしておりませんけれども、一応私は私の質問は打ち切りますが、ただ全国の県立の養護教諭養成所の一覧表、内容を出していただきたいと思います。そして関係があるようでないようだと思うかもしれませんが、限度政令の先ほど申し上げた三条件というものは、私から言ったらきわめて関係がある。そういうことを、ひとつ大臣の責任のあるもう少し具体的な御答弁をいただくということでなければ、無関係といいますけれども、やはり私は法案審議に重大な関係があるのだ、これを特につけ加えて私の質問は終わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/84
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085・渡海元三郎
○渡海委員長 次会は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。
午後一時五分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104805077X00819650312/85
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