1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和四十一年四月二十二日(金曜日)
午前十一時開議
出席委員
委員長 八田 貞義君
理事 上村千一郎君 理事 小澤佐重喜君
理事 谷川 和穗君 理事 八木 徹雄君
理事 川崎 寛治君 理事 長谷川正三君
久野 忠治君 熊谷 義雄君
坂田 道太君 床次 徳二君
中村庸一郎君 松山千惠子君
大原 亨君 栗林 三郎君
河野 密君 高橋 重信君
横路 節雄君 鈴木 一君
出席国務大臣
文 部 大 臣 中村 梅吉君
出席政府委員
文部事務官
(大臣官房長) 赤石 清悦君
文部事務官
(大学学術局
長) 杉江 清君
文部事務官
(管理局長) 天城 勲君
厚 生 技 官
(医務局長) 若松 栄一君
委員外の出席者
参 考 人
(千葉大学医学
部付属病院長) 鈴木 次郎君
参 考 人
(青年医師連合
入局者会議財政
部長) 宇都宮泰英君
参 考 人
(青年医師連合
中央執行委員
長) 今尾 貞夫君
参 考 人
(順天堂大学医
学部長) 懸田 克躬君
参 考 人
(聖路加国際病
院内科医長) 日野原重明君
専 門 員 田中 彰君
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四月二十二日
委員松原喜之次君辞任につき、その補欠として
大原亨君が議長の指名で委員に選任された。
同日
委員大原亨君辞任につき、その補欠として松原
喜之次君が議長の指名で委員に選任された。
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四月二十一日
義務教育における習字教育振興に関する請願
(黒金泰美君紹介)(第三一九一号)
同(亀山孝一君紹介)(第三二六四号)
同(小坂善太郎君紹介)(第三二六五号)
同(福井勇君紹介)(第三二六六号)
同(森山欽司君紹介)(第三二六七号)
同(小川平二君紹介)(第三三五二号)
なぎなたを中学校以上の女子に正課として採用
に関する請願外二十五件(中曽根康弘君紹介)
(第三一九二号)
同(森義視君紹介)(第三二六八号)
同外一件(田中榮一君紹介)(第三三五三号)
同外一件(塚原俊郎君紹介)(第三三五四号)
同(堀川恭平君紹介)(第三三五五号)
編物を正課として採用に関する請願(愛知揆一
君紹介)(第三一九三号)
同(赤城宗徳君紹介)(第三一九四号)
同(石田博英君紹介)(第三一九五号)
同(石田宥全君紹介)(第三一九六号)
同(浦野幸男君紹介)(第三一九七号)
同(江崎真澄君紹介)(第三一九八号)
同(大原亨君紹介)(第三一九九号)
同(加藤清二君紹介)(第三二〇〇号)
同(加藤常太郎君紹介)(第三二〇一号)
同(鍛冶良作君紹介)(第三二〇二号)
同(亀山孝一君紹介)(第三二〇三号)
同(仮谷忠男君紹介)(第三二〇四号)
同(黒金泰美君紹介)(第三二〇五号)
同(河本敏夫君紹介)(第三二〇六号)
同(坂村吉正君紹介)(第三二〇七号)
同(四宮久吉君紹介)(第三二〇八号)
同(田川誠一君紹介)(第三二〇九号)
同(地崎宇三郎君紹介)(第三二一〇号)
同(徳安實藏君紹介)(第三二一一号)
同(中川一郎君紹介)(第三二一二号)
同(早川崇君紹介)(第三二一三号)
同(福井勇君紹介)(第三二一四号)
同(星島二郎君紹介)(第三二一五号)
同(松田竹千代君紹介)(第三二一六号)
同(八木徹雄君紹介)(第三二一七号)
同(柳田秀一君紹介)(第三二一八号)
同(逢澤寛君紹介)(第三二三四号)
同(岩動道行君紹介)(第三二三五号)
同(池田清志君紹介)(第三二三六号)
同(臼井莊一君紹介)(第三二三七号)
同(小渕恵三君紹介)(第三二三八号)
同(大村邦夫君紹介)(第三二三九号)
同(金子岩三君紹介)(第三二四〇号)
同(川野芳滿君紹介)(第三二四一号)
同(木村剛輔君紹介)(第三二四二号)
同(木村武千代君紹介)(第三二四三号)
同(倉成正君紹介)(第三二四四号)
同(坂本泰良君紹介)(第三二四五号)
同(始関伊平君紹介)(第三二四六号)
同(進藤一馬君紹介)(第三二四七号)
同(砂原格君紹介)(第三二四八号)
同(田口誠治君紹介)(第三二四九号)
同(田中正巳君紹介)(第三二五〇号)
同(田村良平君紹介)(第三二五一号)
同(竹下登君紹介)(第三二五二号)
同(中馬辰猪君紹介)(第三二五三号)
同(坪川信三君紹介)(第三二五四号)
同(渡海元三郎君紹介)(第三二五五号)
同(泊谷裕夫君紹介)(第三二五六号)
同(橋本龍太郎君紹介)(第三二五七号)
同(華山親義君紹介)(第三二五八号)
同(肥田次郎君紹介)(第三二五九号)
同(古井喜實君紹介)(第三二六〇号)
同(細田吉藏君紹介)(第三二六一号)
同(森下國雄君紹介)(第三二六二号)
同(森下元晴君紹介)(第三二六三号)
同(淡谷悠藏君紹介)(第三三三八号)
同(天野光晴君紹介)(第三三三九号)
同(今澄勇君紹介)(第三三四〇号)
同(上村千一郎君紹介)(第三三四一号)
同(受田新吉君紹介)(第三三四二号)
同(内海清君紹介)(第三三四三号)
同(遠藤三郎君紹介)(第三三四四号)
同(大橋武夫君紹介)(第三三四五号)
同(唐澤俊樹君紹介)(第三三四六号)
同(栗山礼行君紹介)(第三三四七号)
同(佐々木義武君紹介)(第三三四八号)
同(田中伊三次君紹介)(第三三四九号)
同(塚原俊郎君紹介)(第三三五〇号)
同(永末英一君紹介)(第三三五一号)
戦傷病者の子女の育英資金等に関する請願(羽
田武嗣郎君紹介)(第三二一九号)
同(保科善四郎君紹介)(第三二二〇号)
同(増田甲子七君紹介)(第三二二一号)
同(小川半次君紹介)(第三二六九号)
同(遠藤三郎君紹介)(第三三三四号)
同(砂原格君紹介)(第三三三五号)
同(田澤吉郎君紹介)(第三三三六号)
同(高瀬傳君紹介)(第三三三七号)
学校栄養士設置に関する請願外六件(戸叶里子
君紹介)(第三三五六号)
は本委員会に付託された。
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本日の会議に付した案件
私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する
法律案(内閣提出第一三七号)
文教行政の基本施策に関する件(大学病院に関
する問題)
————◇—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/0
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001・八田貞義
○八田委員長 これより会議を開きます。
私立学校教職員共済組合法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。
質疑の通告がありますので、これを許します。高橋重信君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/1
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002・高橋重信
○高橋(重)委員 私は、私学共済一部改正の法律案につきまして、この法案が出る経緯あるいはこれを出されるに至りました内容を、文部大臣に最初にお尋ねいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/2
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003・中村梅吉
○中村(梅)国務大臣 実は、予算編成段階で、厚生年金との関係もありますので、国庫補助率の引き上げを実現したいとわれわれ考えておったのでありますが、厚生年金と私学共済、農業共済等とは内容が違いますので、その内容を十分突き合わせて検討した上でないと結論が出せないというようなことで、期待するような結果を得ることができなかったわけであります。そこで、さしあたり若干の是正の道をはかろうということで、従来の一五%の補助率を一%アップしまして、二八%ということにいたしまして、その二八%にしたことについて給付等の内容をどうするかということの検討を続けてまいりまして、ようやく成案を得まして、予算措置はできておりますから、その一六%を基準として一応今年度の方向を決定いたしたいということで、この法案を提案いたしまして、御審議を願うことに相なったような次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/3
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004・高橋重信
○高橋(重)委員 いま大臣からお話がありましたが、この法案が出るに至った経緯を私が知っておる範囲内で申しますと、三月四日の予算委員会におきまして、わが党の足鹿議員からこの問題が提起されまして、文部大臣といたしましては答弁をなされておるわけなんですが、その答弁の内容を簡単に申しますと、文部省としては、私学振興の立場あるいは私学共済を育成強化するという立場から、百分の二十の補助をしてもらいたいと大蔵省に要求した、こういう御答弁がなされておるわけなんです。しかるに、今回出てきましたのを見ますと、百分の一だ。一だけふえておるわけですが、あまりにもこの差がひど過ぎる。しかも、この法案は、法制局からこういう法案提出の予想等を聞いたときには、出ておらなかったわけです。今回突如としてということばを使って申し上げると、三月四日に予算委員会に取り上げられて、そこからやむを得ずこれが提案されたというふうにわれわれは察知しておるわけなんですが、そういう面から考えてみると、文部省としては私学共済に対する積極性がない、こういうことが言えると思うのです。その点、文部大臣として日ごろ私学振興ということを強調されて、私学共済の面におきましても毎年一部改正で出てくるわけでありますが、今年の内容を見てみますと、いかにも微々たるものであるということを強く感ずるのですが、文部大臣の御感想を承りたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/4
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005・中村梅吉
○中村(梅)国務大臣 いま御指摘のように、当初は厚生年金と同率の二〇%国庫補助に引き上げたいという観点に立ちまして、予算の概算要求をして大蔵当局と折衝してまいったのでありますが、厚生年金と共済とはやり方の違いがありますので、それを詰めた上でなければ結論は出せぬというのが大蔵省の言い分であります。なるほどこれは議論をしてみますると内容の相違がありますから、相違点を詰めて、実際にはどれだけの国庫補助をすれば内容的に同率になるのか、それはこまかく詰めないと結論が出ません。そこで、さしあたりそれでは今年のところは私学共済の原資の充実をする意味で、一%補助率をふやすということで、あとは引き続きの懸案として検討しようということに予算編成段階で落ちついたわけであります。結果的には、お話のように、予算審議の段階で予算委員会でいろいろ議論が出まして、給付の改善等その他をやらないで、原資の充実というだけでは筋が通らぬじゃないかという議論も出まして、その後、いろいろこまかい計算はなかなか容易でありませんので、農業共済のほうと私学共済のほうは相並行して積み上げの作業を続けまして、そしていま御審議をいただいておりまするようなことで、今年は一%を有効に使おうという結論に相なった次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/5
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006・高橋重信
○高橋(重)委員 経過の御説明がありましたが、一%上げることによって原資を充実させる、と同時にそれを有効に使いたい、こういうお考えであります。先般谷川議員からも御質問があって、局長から答弁があったわけですが、有効に使いたいというのは、どういうふうに一%を有効に使われたか、その内容を簡明に承りたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/6
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007・天城勲
○天城政府委員 先生御承知のとおり、私学共済制度は、一面厚生年金の築いた線がございますけれども、同時に教職員の共済制度というものが一つの大きな中心でございますので、国公立学校の先生方の共済制度に基づく給付内容と差のないようにということが、やはりこれを充実していく一つの観点でございます。いままでたびたびの機会に私学共済法の改正をいたしまして、逐次国共済との差を縮めてまいりまして、特に昨年度国会で御審議いただいて可決しました現在の新法におきまして、ほぼ新法に関しては同等の扱いができたわけでございます。しかし、なお旧法期間の扱いにつきまして若干国共済を下回る点がございますので、今回その点を中心に直したいと考えたわけでございます。
その点は、簡単に申し上げますと、年金の計算基礎におきまして、旧法期間においては五年平均で基礎を計算するということと、五万二千円の頭打ちがあるということが現状でございますので、その両者を撤廃するということ、それから既裁定年金の扱いにつきましても国共済と比べて不利な面がございますので、この基礎計算のしかたを改める。また、恩給関係で最低保障六万円の線が今度実現しようといたしておりますので、私学共済においても最低保障六万円制度を取り入れる。なお、私学共済の非常に特殊なケースでございますが、旧私学恩給財団の仕事を承継いたしておりますので、この過去の既年金につきましても最低保障の六万円を新たに規定したい。簡単に申しますと、以上のようなことが、今回の給付内容の改善の要点でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/7
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008・高橋重信
○高橋(重)委員 十一時二十分に参考人を呼んであるそうですから、もうあと十分しかないのですが、いろいろ御質問申し上げたい点がありますが、できない点は次期に譲りまして、二、三重要なことだけお尋ねしてみますので、簡明にひとつ御答弁を願いたいと思います。
私学共済が発足いたしましてから、約十二年ぐらいになるわけですが、現在私学の育成強化、こういう面が私学共済の中に大きく取り入れられておるわけでありますが、私学で、全国に大学が幾つあり、幼稚園が幾つあり、私学のいわゆる教職員数、これを学校種別に御説明願いまして、現在入っておるのは、そこの中で何名であるか、何校であるか、これを校種別に御説明願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/8
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009・天城勲
○天城政府委員 現在の調べは四十年の十月末でございますが、共済の加入校数で、大学百五十三、短大二百六十六、高校一千百五、中学五百三十九、小学校百二十七、幼稚園四千九百二十六、盲ろう七、各種学校六百二十七、高専六でございます。それからこれの組合員数でございますが、大学で二万六千二百八十六、短大で六千七百四十二、高校六万一千四百四十三、中学校五千九百三小学校二千二十八、幼稚園三万二百六、盲ろうが百四、各種学校が一万五百二十六、高専が三百四十四でございます。締めて、学校数におきまして七千七百五十六、それから組合員数にいたしまして十四万三千五百八十二名でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/9
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010・高橋重信
○高橋(重)委員 それでは現在ありますところの大学の数、それから教職員数、これに対して組合にどれだけ入っておるかというパーセント、局長、わかりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/10
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011・天城勲
○天城政府委員 いまちょっと手元に統計資料を持ち合わせておりませんので……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/11
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012・高橋重信
○高橋(重)委員 現在の大学の数と教職員数、そのくらいのことはすぐわかりそうなものじゃないですか。というのは、私学振興とか、あるいは私学共済の強化とか育成ということを言っておっても、まだ入っておらぬ教職員数は何名あるか、そういうものを文部省で握っておって、入っておらぬところの教職員なりあるいは学校に対してどういう対策を立てていくかということは、頭にしっかり持っておってもらわなければいかぬと思う。そういうことをやっておらぬと、ちょっとずつ小出しに一部改正、一部改正といって、消極的に受け身的にやらざるを得ぬということになりやすい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/12
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013・天城勲
○天城政府委員 私学共済は成立当初全員加入制度をとったわけでございますけれども、成立前に健康保険あるいは厚生年金に加入していた私学で、その既得権と申しますか期待権を尊重するという見地から、選択を認めたわけでございますので、当時、百十七校、教職員にいたしまして二万六千人が加入してないわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/13
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014・高橋重信
○高橋(重)委員 その当時というのはいつですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/14
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015・天城勲
○天城政府委員 三十七年の十月の現在数でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/15
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016・高橋重信
○高橋(重)委員 三十七年から考えますと、大学の急増期を控えまして、相当大学の数もふえたと思います。当時は二万六千人がまだ未加入だったというお話ですが、いまは未加入の教職員数はどれだけかということをさっきからお尋ねしておるのですが、それはわからぬですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/16
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017・天城勲
○天城政府委員 たいへん恐縮でございますが、ちょっと統計資料を手元に持っておりませんので、いま取り寄せますから。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/17
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018・高橋重信
○高橋(重)委員 後ほどその資料を出していただきたいと思います。私は相当数の教職員がまだ未加入のままに放置されておると思う。それにはそれ相応の理由なり原因があると思うのでありますが、一番大きな理由、原因は何であるか、その点をひとつ御説明願いたいと思います発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/18
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019・天城勲
○天城政府委員 成立当初におきます私学の加入状況につきましては、いま申し上げましたような状況でございますが、その後国会におきましても、未加入校の加入問題について促進するように附帯決議がなされたこともございます。私たち、本来の趣旨から考えて、その後その面の努力をいたしてまいったわけでございますが、今日なお実現していないいろいろな理由がございます。その一つは、やはり成立当初にありましたように、どうしても、一定の制度で進んでまいりますと、既得権、期待権というものがそれぞれの学校や教職員にございますので、現在におきましても私学側におきまして事情がいろいろ違っておりまして、全員が同じ歩調で私学共済に入るという状況にない点が一番大きな点だろうと思います。そういう意味では各学校の期待権ないしは既得権というものを尊重いたさなければならないので、この点についてはやはり十分納得のいく形になりませんと、無理じいに強制することも困難だと思っております。そういう点が一つございますし、社会保障制度でございますので、関係の政府部内機関との調整という問題もなお残っておりまして、これらの点についてまだ成案を得ていないというのが実情でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/19
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020・高橋重信
○高橋(重)委員 私は未加入のところは相当学校の形態も大きくて、いろいろの歴史があると思うのですが、やはり私学共済を力強いものにするには、そういう大きな学校、大学に入っていただいてこそ力強いものになると思うのです。入っていただくには、入ることによってかえって不利益な処分を受けるとか、自分たちが不利をこうむる、こういうことになっては入らないと思うのです。そういう点をはっきりしていただきたいと思います。
どこに原因があるかということをもう少し掘り下げて質問したいと思うわけですが、もう二十分もまいりましたので、私は時間を守りましてここら辺で終わらしていただくのですが、特に委員長にお願いしておきたいのは、今後この問題は続いて私は質問したいと思います。一番問題は、やはりこれを運営する運営方法にもあると思うのです。したがって、次期には私学共済の理事長なり専務の方に来ていただいて、実際にいろいろ御努力願ったけれども、まだ未加入のものにこういうところがある、こういうところはこういう理由だ、こういうなまの声を私は聞きたいと思うので、ぜひ後ほどの理事会におきまして、私学共済の責任者の方に参考人として来ていただくように、適当な処置をしていただきたいことをお願いいたしまして、ここで一応質問を終わらしていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/20
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021・川崎寛治
○川崎(寛)委員 管理局長、あとで高橋委員の御質問に対して統計資料をお出しいただくわけですが、私は先ほどの未加盟の問題、これはちょっとその整理が正確でないと思うのです。ということは、高橋委員から質問されたように、現在の私立の大学なり高等学校なり中学なり幼稚園なり、こういうものの現在の職員数と加盟数というのは、先ほど言われた加盟数がありますね。それと、未加盟の場合は厚生年金に残っているものがあるわけですね。それが百十七そういうことでしたが、これはつまり私学共済が始まったときに百十七なのか、現在百十七なのか、その辺の移動が私学共済の発展の過程の中でなかったかどうか。そうしますと、先ほどの数字からいきますと、さらに未加盟の相当数のものがあると思うのです、百十七というだけでなくて。私学全体の教職員数は、先ほどの管理局長の数字からいけば十六、七万でしょう。そうするとそれは数字が合わない。それがさらにどういうふうに分かれておるか、その点を整理して出してもらいたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/21
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022・天城勲
○天城政府委員 さっきはちょっと手元に資料がなかったのでただいまの点十分考慮した上で正確な資料を出したいと思います。
————◇—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/22
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023・八田貞義
○八田委員長 文教行政の基本施策に関する件、特に大学病院に関する問題について調査を進めます。
本日は参考人として、千葉大学医学部付属病院長鈴木次郎君、青年医師連合入局者会議財政部長宇都宮泰英君、青年医師連合中央執行委員長今尾貞夫君、順天堂大学医学部長懸田克躬君、聖路加国際病院内科医長日野原重明君、以上の五名の方々に御出席を願っております。
この際、委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。
参考人の方々には、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。本日は医学教育から見た大学病院のあり方、無給医局員及びインターンに関する問題等につきまして、各位の御意見を承り、もって本委員会の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞそれぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べくださいますようお願いいたします。
なお、議事の都合上、まず御意見をお一人約十五分程度で順次お述べいただき、その後委員からの質疑にお答えをお願いいたしたいと思います。以上お含みの上よろしくお願いいたします。
それでは順次御意見をお述べいただきます。まず、鈴木参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/23
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024・鈴木次郎
○鈴木参考人 ただいま御紹介にあずかりました千葉大学付属病院長の鈴木でございます。
きょうここへ出席いたしまして、この席から今回の異常な、また不祥な事件がわれわれ大学にかかわって発生いたしましたことにつきまして、私、大学の一員といたしまして、心から遺憾の意を表したいと存じ、また御迷惑をおかけしましたことにつきまして、深くおわびを申し上げたいと存じます。
今回の事件は、ただいま司直の手に預けられておる鈴木にかかわることと考えられておりますが、そうした事態が生まれたことにつきまして、大学病院における内部の運営管理という問題にかかわってこうした事件が発生したかいなかという問題は大きな問題となると存じます。われわれもつとにこの事件発生以来、そうした問題に大学をあげてよく検討してまいり、またその対策に没頭してまいりました。彼の供述によりますと、無給医局員であるということが、今回の一つの原因というふうな、そこに因果関係を求めたような供述があるのでございますが、もしそうであるとするならば、またここでわれわれは深く検討いたさなくてはならないと存じます。しかしながら、私たちは、はたして彼がそうした無給医局員であったということが、今回の事件に直結するものであるかいなかという点の解明は、今後にゆだねられる点であろうと考えております。
ここで簡単に鈴木某の身分について御説明申し上げますと、日本医科大学を卒業しまして、三十五年五月に研究生として大学に入局、第一内科に所属いたしました。その後教育出張といたしまして、それから約半年後には多古町の中央病院に出張いたしまして、二年間の期間をもってそこに就職しております。これはいわゆる教育出張と称せられるものであります。その後三十七年の十月帰学いたしまして、第六研究室というところに所属し、研究生活に入りました。そのときには患者を受け持つということはなく、もっぱら研究あるいはそのほか外来の手助けというふうなことをいたしておりました。その間、川鉄の医務課でちょうど用務が多くなりましたために、週三回補助として健康管理に当たっておりました。これは日給でございます。さらにまた三十九年の七月、このたびの事件にかかわります三島病院に、集団赤痢が発生いたしましたために、その応援に参りまして、出張いたしました。その約一カ月後、また帰学いたしまして、やはり研究生としての生活を行なうとともに、川鉄の健康管理に携わり、週三日の出張をいたしておりました。その間ときどき三島にも研究の関係から出張いたしておったようでございます。以来ずっと研究室におきまして、研究生といたしまして研究に従事いたし、なお診療には補助的な立場をとっておったということでございます。
このような鈴木でございましたが、先ほど申しましたように、はたして彼が無給医局員であった、いわゆる研究生という立場であったという点と、今回のこうした不祥なことと直結するかいなかということは重大なことであり、なお十分検討を要する点であろうと私は存じます。
われわれの大学におきますところの研究生というものにつきましての規定がございます。これは大学あるいは大学同等の学校を卒業した者等が、志願する資格を得て、そして研究生として認められて参るのでございますが、この研究生は、年に九千二百円の月謝を払うということになっております。もちろんこの条項には、研究生は在学中専心研究に従事するものとするということになっておりますが、ここにまた一つの問題があることは事実でございます。
もう一つ、私どものほうでは無給の副手というものがございます。これは副手の任期は二年といたしまして、副手は、大学院医学研究科を終了した者、また研究生として一年以上経過した者が副手となり得る資格ということにいたしておりまして、その副手の任用は毎年四月、十月、一月という時期をもっていたしております。これがいわゆる無給副手でございます。このようなわれわれの内規によりまして、研究生及び無給副手という形にいたしております。研究生は月謝を払わなければならない。これを何とか月謝を払わなくて済ませる方法はないかということから、無給副手という制度にいたしまして、その月謝の免除ができる方法をとったのでございます。
現在私どもの研究生は、定員六百名ございますところを、二百九名おります。それから無給副手は、定員三百五十三名あるところを、——この定員というのは、内規で大学内のわれわれのところだけできめである定数でございますが、その三百五十三名という一応の定員に対して、二百九十八名の無給副手がおるようになっております。
この無給副手がどのような状態であるかと申しますと、研究生、無給副手を総合いたしまして、その約三分の一ないし二分の一は、各科によって情勢が違いますが、終日病院に来て研究あるいは診療に従事することをしておるわけでなぐ、おのおの大学病院以外の各病院に配置され、そこで診療に従事するというふうな姿になってしまっております。
それにはおのおの理由がございまして、私はこう考えます。研究生は、大学を卒業して、なおかつ診療ということに関する技術的な面、経験ということに関しては未熟である。したがって、自分がりっぱな医師として患者に対するためには、さらに自分の経験を積み、自分の技量をみがいて接しなければならないという一つの善意、良識に基づくところの意欲。それからもう一つは、現行の医療制度に合致するために、あるいは医学博士の称号というものを獲得するという一つの意欲、さらに現行の医療制度にマッチするために、他日医師として十分に活躍して、十分なる収入を得るだけの一つの技量を自分に持ちたいという気持ち、これらが総合され、あるいはおのおの別になって、研究生として志願してくる気持ちがあると私は思います。
そうした人たちをわれわれは快く迎え、そうして医学の進歩のため、また医学の修練のために、おのおのその指導に当たる人たちがともども生活しておるわけでございますけれども、何にしましても、現在の経済機構といいますか、そうした面からこの人たちが研究という純粋な形を、経済という面に合わせて考えなくてはならなくなるというその実情に対しまして、私たちは一応考慮してやらなくてはならないということになります。そういうことから、要するに一つの法則、一つの規約はあっても、それに準拠しないで、やはりそこに幅を広げて考えて、その研究生活ができる方法を考えてやらねばならないというふうのことが現在の実情であると私は考えます。これはとにかく教育及び研究という態度については決して十分な理想図というわけではなく、あくまでも現時点における便法にすぎないと私は考えます。これはまたきょう問題になるところと思いますが、また深くお考え願いたい点であると存じます。
それから、もう一つの問題は、もし研究生というふうな姿をいま定員化し、あるいは固定的なものにして、いまの状態でないようにしてしまう、これが一番いいことだと思うのですが、現在の医療制度におきまして、大学病院というか、大学というものと、それから大学外の社会における医療ということとは、これは需要と供給の関係にあると私は考えます。つまり、需要が各病院、おのおの医師というものを要する。しかもその絶対数は現在足りない。そうすると、その需要というものが非常に多く大学に求められる。それに対する供給、といっては語弊があるかもしれませんが、要するに医師というものが、そういう実社会において医療を担当し従事せしめるという要望にこたえなくてはならないというところに、われわれの研究生というまた立場がいろいろに解釈されてくるというふうになってまいるのであります。
大学病院の特殊性といいますのは、要するに医学の研究をやるところであり、また教育を行なうところである。なおかつ診療というものにタッチしなければならぬ三つどもえの条件を与えられたところの特殊な病院であります。したがって、そういう特殊な姿をまっとうに生かすというところにいろいろな便法、いろいろな制約外のいろいろのことも考えなくてはならないという事態が起きてきていると考えなくてはなりません。こうした面から考えまして、大学病院というものはどうあるべきか、大学の管理はどうあるべきか、無給副手あるいは研究生というものはどうあるべきかという問題がもちろんあるわけで、これはもう数年前からわれわれ考え、また検討してきたのでありまするし、特に文部省当局におかれましても、この点につきましては十分なる審議を行いつつあるように伺っております。こういうことで将来、われわれの大学病院が最も模範とならなくてはならない。医学の進歩に従事する、タッチする大学病院を、いかなる姿で、いかなる性格で、いかなる機構においてこれを全うするかということが、さらに今日大きく私たちが考えなければならない一つの問題であることは事実だと存じます。
はなはだざっぱくな内容になったと存じますが、本日はどのようにこの会が行なわれるか不明のまま伺い、かつ最初の発言を求められたのでとまどいました。私、実は十六日院長になったばかりでございまして、前に一度院長もいたしましたが、十分な御説明もできない、御意見も申し上げられないで残念でございますが、なお御質問等にまた応じまして、私のわかる限りにおいてお答え申し上げるというふうにいたしたいと存じます。
どうもありがとうございました。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/24
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025・八田貞義
○八田委員長 次に、宇都宮参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/25
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026・宇都宮泰英
○宇都宮参考人 ただいま御紹介にあずかりました宇都宮です。私は青年医師連合会入局者会議の全国の事務局の中で財政部門を担当しております。私はこのたび当委員会で大学病院に関する文教行政に関して参考意見を述べる光栄に浴しましたので、青年医師としての意見を率直に申し述べたいと思います。
今日の議題は、大学病院に関する問題ということですが、私たちは大学病院の問題それ自体を論ずることは、いささか的はずれになるのではないかというふうな気がいたします。しかし、大学病院を論ずることは決して無意味なことではないということを強調しておきたいと思います。技葉末節なことに関しましては、それを一応私たちとしては除外して、むしろ根本的な問題から始めない限り、議論を進めることはできないというふうに考えます。本質的にはこの大学病院の問題というのは、むしろ大学病院の外、先ほど千葉大の病院長先生がおっしゃいましたように、大学病院の外、すなわち一般市中病院の問題を含めて、さらに医療行政全般の問題の中に大学病院の問題を位置づけて考える必要があるのじゃないかというように考えております。
私たちは、これまで大学病院のあり方について、政府機関内で、その改革のための努力を種々はばまれてきた。そういうような歴史を知っておりますけれども、それらがことごとく有効なものとして発展せず、今回の千葉大事件を契機に世論がようやくこの大学病院の問題に目を向け、あわてて政府のほうが対策を講じたというふうな印象をもって受け取っております。この無給問題は、ここ十数年来少しずつ問題にはなっておりましたけれども、千葉大チフス事件が生じてから、おっ取り刀で調査するとか、検討するとか、あるいは文部省発表の千人有給化というような構想が具体化するというように、まことにお粗末な行政に、私たちはいささか不満の意を持っております。ただ、千人有給化にしても、現在俗に言われておりますように、八千人の無給医局員のうち千人を有給化した場合、あとの七千人をどうするのかという問題は一切触れられていない点、私どもは不十分な行政当局のやり方というものを指摘したいと思います。
さて、私たちは、何も千葉大の腸チフス事件を契機にしてこの無給問題を取り上げたのではなく、実を言えば、これはまた懸案の的であるインターン問題と直結して考えてきたわけです。
ここで少しばかり視点をずらしまして、インターン問題から無給問題へと論議を進めていきたいと思います。私たちはここ二年間にわたってインターン制度を廃止せよという主張を続けてまいりましたけれども、その問題の核心は、次のようなことだったわけです。第一点は、ポスト・グラジュエート・トレーニング、つまり、大学を卒業して実地訓練をする、そういうことは、いわゆる医療行為を通じてしか獲得し得ない、つまり、具体的な医療行為を通じて、そういった卒業後の医療技術の習得をしていくわけです。つまり、卒業後の実地訓練というのは、医療労働そのものである。具体的に頭を使い、そうして手を使い、そういった労働そのものであるということであります。さらに大きく問題を立てますと、卒業後の訓練というのは、一生を通じて行なわるべきであるということであります。したがって、訓練の期間を一年でいいとか、あるいはまた一定期間を区切って、ここまでは訓練をするとかいうような考え方は、医療、医学の向上を限りなく求めていく医師を育てていくものではありません。
第二点は、訓練とか修練とか呼ばれる教育に対する従来の考え方に根本的な誤りがあると主張いたしたいと思います。と申しますのは、先ほど述べましたように、実地訓練というのは、医療そのものであるという点、また、教育が単に個人的な投資の対象でしかないのだという従来の誤った考え方を指摘したいと思います。昔は開業医を育てることを主目的にしておりましたところから、教育、つまり訓練をさせるということは、個人的投資だから、無償でいいのだというような考え方があって、それが今日なお続いておるわけです。で、医療が国家政策の名において行なわれる限り、この考え方は根本的に改めなければならないと考えます。再度強調したいのですけれども、卒業後のいわゆる実地訓練というのは、一生を通じてのものであり、しかも医師を社会的存在として育てていかねばならないという視点、考え方に立たなければならないと考えるわけです。この原則を踏まえないと、問題解決の方向は必ず袋小路に突き当たってしまうというふうに考えます。これが私たちが二年間インターン制度、特に卒業後の実地訓練の問題を通して私たちがつくり上げてきた一つの考え方なわけです。
次に、私どもはインターン問題、特にインターン制度を廃止するという論拠に立って、大学病院の無給問題を考えたいというふうに思います。私どもは大学病院における無給制度について次のような問題の立て方をいたします。すなわち、私たち青年医師が無給であることを承知しながら、それでもなおかつ大学病院に入っていかざるを得ない、こういう現実はまさしく現在の医療状況の諸矛盾の総体的な表現であるというふうに規定するわけです。簡単にいえば、大学病院に医師が集中し、そこに無給問題が生じてくるのは、何も大学病院自体に悪い点があるのではなく、現在の医療状況、医療政策に根本的な誤りが含まれているというふうに主張したいわけです。もちろん歴史的に見て、大学が医療、医学の発展の源をなしてきたという点は考慮すべきであります。したがって、たとえば辺地に医師がいないとか市中病院は医師不足だといわれておりますけれども、このことをとらえて、大学に医師が集中するからそういうような状態になるのだということは決して言えないだろうというふうに考えます。私たちに言わせれば、大学に、無給という悪条件のもとにありながら集中せざるを得ない、そういったような現在の医療状況に根本的な問題があると考えます。すなわち私たちは医療労働を通じて卒業後の実地訓練をやっていくわけですけれども、それは一生を通じて行なわるべきであるという先ほど申し上げた視点に立って、さらにそのトレーニングというのは日々新たに再生産される医療技術獲得の場で私たちはやる権利がある。つまり毎日毎日が医療労働であると同時に、みずからは実地訓練をしていく、そういった場を医師の権利として保障してくれということを要求したいわけです。したがって大学病院の外においてそのような場をつくらない限り、つまり医療労働を通じてみずからの医療、医学の向上がはかられる場をつくらない限り、大学病院への医師の集中は避けられないし、もし定員の名において大学への門戸を閉ざすならば、私たちはそれに対しては反対の意思を表明しなければならないというふうに考えております。私たちは、大学病院それ自体を取り上げて、単に文教政策のワク内で現在の無給問題の解決が考えられてはならないというふうに主張しております。
次に、また逆の方向から問題を立ててみますと、大学では教育、診療及び研究、それとあと卒業後の一定のトレーニングというものが行なわれているわけですけれども、しかしそこには無給診療と、それから無給研究、無給で医学の研究をするという無給研究によって行なわれていることからくる矛盾と不合理が存在しております。また卒業後の一定のトレーニングと申しましたけれども、その大学のトレーニングといっても名ばかりで、何も系統的なものがあるわけじゃありませんし、大学病院における診療部門の重要部分は若い無給医局員によって行なわれているというのが現状です。現在のように若い無給医師によって診療が行なわれ、彼らは一般市中病院でアルバイトをしながら不安定な生活を続けていることは、不自然で不合理の一語に尽きますけれども、逆にいえば現在の市中病院は、そのような不自然な形で、不自然なアルバイト医師によってかろうじて医局に医師の供給を仰いでいるというような現実なわけです。このような形で無給医師を大量にかかえ込んでいる大学医局が、アルバイトという形で市中病院に医師を送り込む以外に、私たちのことばでいえば、外勤あるいは永久的な就職というような形で一般市中病院へ医師を供給しております。このことはさらに大きな問題を含んでいるわけです。
次に、その大学病院が研究機関というふうに考えられておりますけれども、研究と申しましてもまた名ばかりで、正式ないわゆる研究のための職員というのはほとんどいず、大部分無給研究によって行なわれております。そこで研究に対する国家政策の貧困があって、その研究予算をどこから捻出するかということは、現在の医療、医学の発展にとって非常に重要なことだろうと思うのです。その研究予算を、——関連の病院から医師を派遣するわけですけれども、その関連病院からの献金によって仰いでいるということは、私たちはむしろ公然の秘密というふうに受け取っております。
以上のことを一口で申しますと、大学における医学研究は、人的な面では無給の医局員によって、資金の面では少ないながらも国家予算があるわけですけれども、それと、また製薬資本からの委託研究、そうしてそれと同時に関連病院からの献金によって行なわれているという、非常に不十分な形で行なわれているわけです。さらに大学病院の運営が独立採算制の方向で行なわれつつあるということを指摘しておきたいと考えます。つまり大学病院における研究、教育が患者収入のワク内で行なっていくという考え方は非常に不合理なものであるというふうに考えております。これは単に指摘するだけにとどめたいと思います。
以上、長々と申し述べましたけれども、要約いたしますと、第一に、大学病院問題は、文教行政のワク内では解決できず、医療全般に対する政策的検討と切り離せないこと。第二に、大学病院の問題それ自体には無給問題を含めて、独立採算制強化に大きな問題があるのではないかという指摘。それから第三に、俗にいわれている無給であることの中には、無給で診療するという面と、それからもう一つ、無給で医学に対する研究をしているという二つの問題があること。この三点にしぼられますが、私たちとしては、最後に先ほども述べましたように、卒業後のトレーニングに関しては、それが一生を通じてなさるべきものであり、医療、医学の向上を求める医師を社会的に育てていかなければならない。したがって無償であってはならないという視点を確立していかねばならないと考えます。
さらに研究は、医学に関する研究という行為は、単に個人的な趣味のものではない以上、当然社会的に還元されるべき価値を生み出すがゆえに、無償であってはならないということを強調しておきたいと思います。
最後に、大学病院の外における医療状況、特に日々新たに再生産される医療技術獲得の場を医師に保障していない現在の医療状況、そういった医療状況の変革がなされない限り、大学病院の門戸から青年医師を締め出していくという方向に関しては反対の意見を持っているということを申し述べて終わりにしたいと思います。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/26
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027・八田貞義
○八田委員長 次に、今尾参考人にお願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/27
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028・今尾貞夫
○今尾参考人 青年医師連合の中央執行委員長の今尾でございます。
初めに、自分たちの立場を説明さしていただきたいと思います。
いままでインターン問題という問題は、これは厚生省の問題として、医学教育を終えると管轄が厚生省の側に移るということで、文教の問題からはかなり別な問題として言われていた。そのことが今日に至って文教問題としてここに取り上げられ、それについての参考人として呼ばれたことについて、たいへん世の中が変わったと申しますか、われわれが変えたと申しますか、そういう感じがするわけです。
厚生省のインターンに関しましては、ことしの三月に全国の医学部を卒業した者が三千百人ほどおりますが、それが厚生省のインターンという形になったのは、四百数十人で、しかもそのうち半数しか厚生省の指定病院というものには現在行っていないわけです。そして私たちはインターン生でもない。それから学生でもない。ましてや厚生省のくれた医師免許というものも持たず、大学病院で医師として一生続く研修というものを始めたわけです。その辺に関しましては、前の宇都宮参考人がかなり述べられましたので、私としては一応いかに医療行政というものが卒業後の教育の問題にとって決定的な役割りをし、そして卒業後の教育について、医療行政というものをどのように現在把握しており、それが国民のため、われわれのためにならないかということを指摘してみたいと思います。それは文教委員会に対する問題としては少しずれると思いますが、しかし先ほど宇都宮参考人も言いましたように、現在の大学の病院の問題を論ずる場合に、どうしても医学、医療に決定的に作用しているものが医療行政であり、その中心的な問題というものが健康保険問題であるということを言わざるを得ないからであります。
われわれは大学病院に入りまして、具体的に自分たちの医療技術経験の蓄積ということをやる過程で、どうしても診療行為をしなければいけない。それは当然のわけです。したがってそのことによって大体どんなに患者との接触を自分の研究という面でしぼりましても、一日に五百点、五百点と申しますと、金額にすると五千円ですが、五千円は大学病院においてもわれわれは利潤を生み出してしまうわけなんです。そういう問題として現在の健康保険の問題というのはあるわけです。インターン生が教育という名前で、医師となるのに義務づけるという形で、厚生省あるいは一般市中病院がインターンを医療の第一線に出して、そしてそれをフルに回転させる。そうすると現在の健保の中では、だれが行なっても一つの行為については一定の見返りがくる。そして経験が浅くて失敗すれば、それがまた次の医療需要を喚起する。経験が浅ければあらゆる薬を投ずるということで、そういう形で現在の健保のもとでは、経験が浅く、技術が未熟であればあるほど利潤を生み出すというようなことになっているわけです。そういうものを厚生省は教育という名前で全部の市中の病院に散布しまして、そして教育ということでただ同様で、多いところで昼めしを出そうというくらいで使って、膨大な利潤というものをそういう形で病院に還元していた。そのことがまた一つには医療需要の問題を生みますが、医師の供給の問題として考えますと、大学病院の医師が市中病院に就職あるいは出張せざるを得ない場合に、そこにおいてはすでにインターン生でまかなっているという状況があって、医局員自体が非常に職を制限されるという状態というものまで関連するわけです。それが結局インターン生として一度市中病院に出ると、そのままそこに居ついて、そして二万円、三万円という形でそこで雇用されるほうが、医局に行くよりかはましであるというような状況を一時的につくったわけです。全く教育という名前で厚生省がインターン生を医療の第一線に置いて、ただ同様で使い、そしてフルに働かせて利潤をあげ、そしてそういう形で現在の医師の需給関係を解決して、医局からたたき出す、そうして安い賃金で医師免許をとった後もそういう病院に固定させる。そういう固定させる場合の一つのイデオロギーとして、そういう経過で四、五年すれば専門医という称号を与える。これが現在問題になっている臨床医の名称と、現在の健保体制の中で厚生省が医師を位置づけていこうとする場合の基本的な方向であろうと思うわけです。それが現在の大学における学位制の問題をあたかも止揚するかのような形でいわれている。しかしいま申しましたように、現実には未経験な、また安い医師をフルに回転させる、それをフルに回転させても現在の健保においては逆にそのことを助長するということになっているわけです。基本的にはそういう方向で医療行政が現在行なわれている。いかに安い医師を長時間義務づけて働かせるか、そういう方向になっているということを、大学の問題について、文教行政の問題を考える場合に考えていただきたいと思うのです。
このような方向に対して、医学生はそのようなインターン生という形で使われて、全体の医療技術を下げ、しかも医師自身の展望というものを狭くする問題に対して反対しているわけです。全く現在の健保のもとでは医療技術は要らないし、何ら経験を積む必要がないにもかかわらず、われわれはやはり医師となった時点の良心に従って、国民のために、自分たち自身の技術というものを常に検討しながら拡大再生産していくべきだという観点で、一つには現実においてそのことが保障されている唯一の病院である大学病院に集まったわけです。しかし厚生省がいう理念でのインターン生という、そういうものではわれわれは耐えられないということで、医師として、研修医ということで現在大学で実際の診療行為を通じて技術の拡大再生産を行なっているわけです。そこにおいてわれわれは、従来の医局による種々の医療技術の再生産のプログラムのお仕着せというものは、現在大学内において種々問題があるわけですが、そこの問題というのは、いままで千葉大の鈴木先生等から御指摘がありましたので省きますが、われわれとしては、やはりわれわれ自身がわれわれ自身の良心に訴えて納得がいき、そして国民の健康を守るという観点で、満足できる内容を持って自分らの医療技術の再生産をしていくべきだということで、自主的に内容を管理し、そして、お互いに内部でチェックし合う、相互に切磋琢磨していくということを行なっているわけです。したがって、われわれとしては、そういう形で現在唯一の医療技術の拡大再生産のできる大学というものに集まっている。集まらざるを得ない。それは積極的に集まったのではなくて、そこしか自分たちの良心を満足させ得るミニマムなものがないということで集まったということを納得していただいて、大学病院の環境の整備ということを進めていただきたいと思います。
ただ、その場合に、繰り返して申しますが、大学病院における医学、医療の問題が、現在の医療行政、健保の問題と不可分である。しかも、その中で、厚生省の行なわんとしている具体的な方向というものを十分考えて、われわれの納得のいく形で行なっていただきたいというふうに思います。
どうも、インターンの問題というのが文教のところへほうり込まれることについて、はっきりわれわれの現在行なっていることとの接点というのはつかめませんでしたので、散漫になりましたが、文教問題との具体的な接点のことでは、質問の中で申させていただきたいと思います。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/28
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029・八田貞義
○八田委員長 次に、懸田参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/29
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030・懸田克躬
○懸田参考人 私、順天堂大学の医学部長をしています懸田でございます。医学部長と申しますのは、教授会の選挙で候補者を出されて、学校当局から任命されるものですから、本職は教授で、精神科の医者であります。ですけれども、きょうの場合は、特にいま精神科の医者ということをお断わりしたのは、無給医局員の問題で先ほど千葉の鈴木さんがちょっとお触れになった問題に私も意見があるものですから、一言触れるための予備知識のような意味で申し上げました。
まず、私ども、学校を預かって学生を教育し、それから卒業した者の技術上の修練、あるいはその研究、あるいは臨床医学の研究というものに責任を持って、そしてそういうものができるような場をつくろうというふうに考えて努力しているわけですけれども、いろいろな意味で矛盾を感じておるわけです。あるいは、いろんな意味で苦悩しているといってもいいだろうと思う。いろんな問題があるわけでございますけれども、もう先ほどからいろいろな点で触れていると思いますので、簡単に一、二の点だけ申し上げます。
一つは、大学病院の特殊性の問題。臨床の教育が一番きょうの問題になると思うのですけれども、いまの大学のいわゆる大学院制度というようなものが一つあるわけですけれども、臨床の場においての大学院というもののあり方が根本的に考えられなければならない問題を持っているというところに、私どもは一つの悩みがある。基礎医学においては大学院制度は非常に有効に生かされておりますけれども、実情としては、臨床では大学院制度というものは非常な矛盾を持っていて、私どもの一つの悩みとなっている。これを解決すると申しますか、この問題の解決の一つの道として、私どもは専門医制度というようなものを考えておりますけれども、まだその問題については十分な道を持っていない。この問題が一つございます。
それから、付属の診療施設としての大学病院の問題を考えますときに、私ども非常に痛感しますことは、大学病院は大学の付属の機関でありますから、研究と教育と両方の義務を負わされているわけでありますけれども、文部省の管轄する国立の大学の医学部もそうでありますけれども、みな教育と研究の機関としての立場から必要な定員というものを考えているわけです。一部あとで触れますような補正はされておりますけれども、その立場から、しかもその立場でも不十分な数しかいままでは備えられていない、講座のワクの中に与えられる員数というものは少ないということ、そこに一つの問題があって、定員の増加をしなければならない問題が私は大きい課題としてあると思うのです。
大学病院は、そういう問題のほかに、社会的な現実の要請があるものですから、普通の一般の総合病院と並んでというよりは、もっと権威のある中央的な病院、総合的な権威のある病院として社会的に診療の求めに応ずるという義務あるいは要請をされているという面があるわけです。しかも、この面が研究と教育の面よりもだんだんにウエートを増してきている。患者がどんどん参りますから、これを断わるわけにはまいりませんで、どうしても多くの患者をだんだん見るようになるということで、一般の医療制度の中での権威ある、信頼に値する病院としての働きを要求されてきておる。この面の要員というものが実は十分に考えられていないわけです。講座の中に——講座と申しますのはいわゆる内科教室とかいうものにほぼ当たるものでありますけれども、その中に教授、助教授または講師一、助手二、三というふうにあるわけですけれども、そのほかに付属病院の要員として先ほど申しましたような診療ということを考慮した医師が与えられているわけですけれども、それでも現実のいまわれわれが当面しているような大学病院に対する一般の診療の要請に応ずるだけの員数は与えられていない。ここに一つ問題があるわけです。定員がございませんければ、どうしてもそこに有給でない人たちが現実の場で働いていくということが起こってくることが当然にあるわけです。
無給医局員の問題というのもこういう点から一つ考えられなければならない問題があると思います。しかし、問題が少しそれますけれども、すべての入局者を有給にしなければならないかというと、この問題は非常に大きい問題で、いま全国の医学部長会でも検討しておりますし、各大学でもそれぞれ検討しておることでありますけれども、教育と研究のためにほんとに必要な要員というものをどのぐらいに押えたらいいだろう、それから現実の診療に必要な要員としてどのくらい押えたらいいだろう、それをどういうふうにして満たしたらいいかというような考え方で定員というものを考えようとしているわけです。それは必ず有給化されなければならないものでありますけれども、それをこえてすべてを有給化することができるかということは、私ども学校としてはとうていできないことだというふうに考えております。ただ、こういう場合に、そこに入ってくる人たちの勉強したいという意欲にどういうふうにこたえるかということは、学校の施設なり教授なり教育要員なりの努力と教育にあることで、それは私どもの責任だと思いますけれども、すべてを有給化することはできないというふうに思います。しかし、かなり大幅の定員をふやさなければ現実の要請にこたえるものにはならないというふうに考えております。
もう一つ、この問題についてはおそらく学術会議のほうの第七部でも小委員会が設けられて検討を始めておりますから、医学長会の検討、各大学のそれぞれの検討と相待って、早い機会に結論が出るだろうと思います。文部省当局でも考えておられるというふうに聞いているわけです。
それから臨床の、卒業してからの医者の教育ですけれども、先ほどの参考人のお話にもありましたけれども、私どもやはり医学の教育あるいは医学の修練というものは一生続くものだというふうに考えているわけです。ですから、これを一年とか二年で切ることはおかしいということは、それは私ども考えているわけで、全国の医学部長会では、卒業したらすぐにやはり医師の資格を得るような手段を講じてほしいということを言ったわけです。ただその後すぐに実地の修練に当たっていいかどうかということについては、私どもはいまの医学の現況から見てかなり問題があるように考えております。ただこれを法的に規制することがいいかどうかということは問題がありますけれども、その点については慎重な考えで臨みたいというふうに考えております。
ただ現実に、大学を出て現行の制度のもとでインターンを行ない、国家試験を通って医者としての実際の診療をすることができるようになった者のほとんどすべてといっていいくらいの者が、医局に残って勉強しているわけです。その中にはいろいろな原因があると思います。先ほどの方たちが言われたような問題も入っているかもしれませんけれども、これはやはり医者というものの生命を預かることに対するほんとうの気持ちの、何といいますか、良心的なあらわれだと思うのです。この気持ちは私も非常に尊重しなければならぬと思います。これは現実のいまの矛盾の一ぱいある医療制度の中に組み込まれて、実際に医療の世界に入っていったときにいろいろ指弾を受けるようなことがあるならば、そこにはやはり医療制度の問題には深く考えなければならぬ問題があるというふうに考えます。
いま臨床修練というものは一生の問題だというふうに申し上げたわけですけれども、しかし現実の医療行政の立場で、実際に独立し、開業をする場合に、衛生行政当局がある制約を設けるということは、これはあり得ることだろうと思います。あるいは二年を要求するところも国によってあるわけであります。ただその場合に、そういう要求をするならば、その要求をするのに見合うだけのものをやはり考えなければ、現実の社会的な場での要求にはならないだろう。そういうものを与えないで要求するというところに、いろいろな問題があるのではないかと私は思います。ただし、こういう問題とは別に、私どもとしてはとにかくこの卒業後すぐの、学生を終わったばかりの者を含めた臨床修練というもののあるべき姿を整えたいということで、医局に入ってからの修練の方法を考えているわけです。何も考えられていない、卒業後の訓練は名前ばかりであるということははなはだ言い過ぎでありまして、これは私どもすべてが非常に努力していることです。ただその中に、現実のいまのような社会的、経済的条件のために矛盾が一ぱい入っているということは事実でありますけれども、何もないというようなことはないだろうというふうに私は考えます。研究も名のみであるということもまたそうであります。これはただ私一人が言うことではなくて、私先ほど申しましたように、専門としては精神医学をやっておりますが、その学会でもやはり精神医学科の——最近精神科の医者の問題が大きく社会的に問題になりましたけれども、何とか高めたいということ、専門の知識を十分に持った者が実際の診療に当たるようにしたい。もちろんそれには社会的な報酬が大きくものをいうわけですけれども、学会としてはまずその人たちを何とか訓練するシステムを立てたいということで、委員会をつくって、私は委員長になっているわけですけれども、努力をしているわけです。これは大学のほうで臨床の各教室ごとに努力しているのと符節を合わせるようにして進んでいるわけです。これは私どもの学会だけではなしに、ほとんどあらゆる学会が、卒業後の訓練をすることを一生懸命考えて基準化しようとしているわけです。ただその場合に専門制度ということが許されるためには、医療制度の中に入る必要があるわけですけれども、それができませんから、しかたなしに学会としては、何とかしてそういう制限の中でもほとんど歯を食いしばるような苦しみでありますけれども、先ほどの参考人も言いましたように、いまの医療制度、健康保険制度では、経験というようなものが全然ものをいわない、あるいは経験というものがむしろマイナスといいますか、収入としてはかえって多くならないというような現象もあり得るような矛盾したものの中に置かれても、とにかく臨床修練、医者の一生の研究あるいは経験を積むこと、修練を積むことをやっていきたいということで考えているわけです。その点は誤解のないように願いたいと思います。
それから端的に現在のインターン制度の問題ですけれども、やはりいまのままのインターン制度というものは非常に欠陥が多くて、むしろ害があるというふうに考えております。それからいまのような程度のインターン制度で、もしも厚生省が実地修練ができたと考えているのであれば、現存の六年の医学の教育の中で十分にできることだというふうに私どもは考えます。そのいい例もあるわけです。あるインターン生を預かっている病院があります。そもそも医学教育がいま大きくインターン制度の問題にからんでおりますけれども、臨床教育の改革が行なわれておりますが、その改革の行なわれた第一回の学生と現在のインターン生とを同時に訓練した病院があるわけです。それを私は、厚生省の医師試験のための修練病院の問題を取り扱う委員会がございますけれども、その立場から見に行ったことがあるのですが、そこでの指導委員の意見を聞きますと、この新しい教育を受けた者を実際に自分たちがそこで訓練してみて、助手に使ってみて、インターン生と少しも変わらないということを言っているわけです。この問題は現在の制度のもとのインターンを考える場合には深く考えなければならぬ問題だと思うのです。その意味で私どもは現行のインターン生ということを非常に強調して、これを何とかしなければいかぬと言っているわけですけれども、非常におそれますのは、先ほど申しましたように、卒業してすぐに完全な医者になるというような誤解があったらたいへんである。それから医者は絶えず臨床の修練を積まなければならぬ。それを積むことができるような何らかの方法をわれわれとしては絶えず努力しなければならぬということですね。医師というものはほんとうに卒業しただけでは足りないので、まだまだ勉強しなければならぬ、一生勉強しなければならぬというような、そういうある意味では崇高な、ある意味ではかなり過酷な運命を持ったものだということがぼやかされてはならないということを痛感いたします。
これで私の話を終わりますが、私、御質問にお答えするのだと思って参ったものですから、まとまった話をする準備をしておりませんでしたので、言い残したことがいろいろあると思いますけれども、ただ精神科の医者の立場で考えますと、あの千葉事件を無給医局員の問題と関連づけることは全く間違いであろうと私は思います。これは具体的な問題である、個人の資質にかかわる問題であろうというふうに思います。ただ個人の行動でももちろん現実の社会の場の中で行なわれますから、そういう意味でいまの制度というものはものをいいますけれども、全くそのウエートは個人のほうにかかる問題であろうというふうに私は考えておるわけであります。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/30
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031・八田貞義
○八田委員長 次に、日野原参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/31
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032・日野原重明
○日野原参考人 私は、聖路加国際病院の内科医長をしている者でございますが、国立大学を出身して、その医局での生活、大学院の生活を通じて、さらに民間の総合病院に就職して、二十五年の内科医としての経験を持った者、そしてその病院は、昭和の初めからインターン制度に準じた制度を取り上げてやってきておりますが、そこにおる者として、私は、インターン制度を含んで医学教育、そしてまた大学の問題に触れて、自分はそこから出、またその外側にある者として、そういう問題を総合的に取り上げてみたいと思います。
医学教育は、医者になるための医学校における基礎的な教育と、卒業後の教育とに大別できます。医学校で基礎的な医学の教育にかなりの時間をさきますので、患者を実際に取り扱って、生きた臨床医学を修得することは、上級になってのみなされますので、わずか大学の専門コース四年の期間内に、内科、外科その他の臨床学科、さらにまた最近非常に重要とされている予防医学までも含めて修得することはとうていできないことは明らかであります。このことは、大学の法科を出ても、すぐに判決が下せる司法官になれないのと同じことであります。
インターン制度があっても、教える先輩の医者のほうに教育的な情熱がなく、また一方教えを受けるインターンが生活に追われてアルバイトをせざるを得なくなるというふうな状況下における医学教育というのは、実に不備なものであります。インターンの現在までの修練は名目だけのものであると言われておりますが、私もそれを認めております。そのすべてがそうという意味ではありませんが、今年度、私の病院には二十余名のインターンがインターン連盟の反対を押し切って志願してまいりました。そしてまた国家試験を去年、おととしやってみて、そのインターンに入局した者あるいはまた国家試験を受ける人々の実力をテストしてみますと、それはおそらく皆さんそんなことがあろうかと思われるようなこと、たとえば聴診器を使う基礎的な技術まで私たちが教えなくちゃならないということ、そういうふうな医学教育がされていたということは、日本の医学教育が実に奇怪なものであったと言ってもいいわけであります。これに対する非常な反省が現在なされて、いまこの教育を受ける若い医学生は非常にりっぱな修練を受けつつあると言えますが、少なくともことしインターンに入った人、しかし大学の成績はきわめてよいというふうな人々の臨床的な訓練はあまりされていないと考えてもいいのではないかと思います。
しかしこの反面、一年間のインターンを実に一生懸命にやった者を私は数多く知っております。つまり日本の医学教育の産物は、玉石混淆であるというわけであります。
そして国民には、商品を買う場合には商品のよし悪しで商人の評価ができますが、患者には、医者の能力を評価するということは全く不可能な状況であるわけであります。医学教育の進んだ国では、この医師の能力のばらつきが非常に少ないわけでございます。私たちはこのばらつきを少なくさせるように医学教育を立て直さなくてはならないわけであります。
なぜ日本では医学教育がそのように貧困であるか。日本の医学は非常に進んでいると言われました。それは、すなわち戦前に日本の陸海軍が世界に冠たるものだといって戦争のふたをあけたのにかなり似ているものではないかと思います。
最近は、またきわめて優秀な者のみが医学校に入学するのではなくて、優秀ではなくて、別の条件がかなえられれば門が開かれるというふうなこともあります。これも一つの大きな問題だと思います。
第二に、大学では教育よりも研究を重視する傾き、あるいは誘惑があります。あるいは学会で研究を発表することに教授あるいは幹部スタッフは時間と精力が非常にとられますので、医学生や若い医師への教育がなおざりにされているわけであります。
第三に、責任を持って教育するスタッフが大学には少ないということであります。
第四に、教授同士の緊密な提携、学生や若い医者を教育する上の緊密な提携がないということであります。
一口で言えば、大学は研究の使命を掲げる声は大にいたしますが、よい医師をつくって社会に送り出すという医学校の建学の精神が失われていることが医学教育の内容をこのように貧困にしてきたと思います。
大学といっても、市民への奉仕をモットーとした、たとえば順天堂病院というような病院形態から大学になったものと、研究に非常に重点のある大学とでは、いろいろな意味の変化がありますので、大学病院というものを一口に言うことはできないことは、よく皆さんに理解していただきたいと思います。
このような貧しい臨床医学の修練を身につけて大学をいままで出てきたわけでありますので、この若い医者に国民の健康をあずかる資格が与えられるためには、卒業後も引き続き実施修練を要するのは当然であります。卒業後にすぐ引き続いて行なわれる教育を、アメリカではグラジュエイト・エデュケーションと申します。ポスト・グラジュエイト・エデュケーションではなしに、グラジュェイト・エデュケーションということばをいま用いておりますが、インターンの修練は、このグラジュエイト・エデュケーションの第一歩であります。
大学は、卒業させた学生を自分の大学院の学生に迎えるときは、これを引き続き教育する義務がありますが、医学校を出た卒業生を全部大学が引き続き教育しなければならない義務は大学にはないわけであります。ただその大学での研修を特に望む者に対しては、たとえ大学院の学生のような者でなくても、その大学の教育陣や施設の許す限度内で若干の者の教育を引き受けることができますが、昨今のインターンのように、大学外の病院をボイコットして、あるいは国立病院をボイコットして、大学病院にだけ立てこもるたいへんな数のインターンを大学が受け入れているということは、大学が受け入れた者を教育するという大学の義務を放棄したことを意味しております。このことは、座席数以上の入場券を売りつけるようなものであって、あふれた者は場外で何かのアルバイトをするという情景を連想させるわけであります。
学問の水準が高くなればなるほど教育の陣容は数を要します。学生の教育はある程度の集団であっても、インターン以上の者の教育は個別的になり、一人のインターンに対して何人もの指導医が必要になってまいります。医学は、こまかく分科されているので、専門専門の指導者が必要なのでございます。
大学では、特に大きい大学の医局、たとえば五十人、百人という医局員をかかえておりますが、教育に参与することを義務づけられているスタッフは数が少なく、たいていは学位論文をつくるための実験にせわしく、また無給医生活のためのアルバイトや、月々に迫ってくる学会の発表の準備に時間をとられて、インターンをかまう時間がないというのがいままでの状況であります。
卒業したばかりのインターンをきめこまかく何人もの上級医が指導する英米の現状に比べて、経験の乏しい一、二の先輩に尋ねるか、我流で自主的に勉強せざるを得ない日本のインターンは、外国と日本とではこの一年の修練のあとに格段の実力の差がつくのは当然なことであります。きめのこまかい二十四時間勤務をあえてするような激しい外国病院の勤務の中に、しかもきびしい監督指導のもとに鍛えられてこそ、その一年間の各科にわたる実地修練は、独立して人の生命を何とか預かれるだけの実力をそのインターンに与えるものであります。英米のように医学校の教育が日本よりずっと高い国でも、卒業後の訓練は日本よりもさらにさらにきびしく、彼らは日本のインターンの何倍も勉強をしているのであります。グラジュエート・エデュケーションの踏み出しは、大学卒業後一年間、資格のある医師としての最小限度の修練、少なくとも一年はこの修練をしてほしいというふうなことでありまして、それで足りないのは当然でありますが、医療を受ける国民の側にとっては、少なくも卒業して、ちゃんとした教育病院で一年くらいは医学全般の修練を受けてから社会に出てほしいということを願うのは、これは国民が当然そういうふうなことを願っていいものと思います。
しかし、実際に専門医学に進みたい者は専門医コースが——これは欧米ではインターンに引き続きこれが組まれております。このコースをレジデンシーと呼んでおりますが、日本ではそういうふうな臨床の訓練を秩序立ってする病院は非常に少ないわけであります。こういうふうな秩序立った専門医——専門医ということばを紹介しますと、私は内科医でありますが、私が開業する場合に、内科と小児科を標傍してもいいわけです。そのうちに小児科の人がたくさん来ればこれは小児科の先生だということ、それでもいいわけです。小外科もやっていいわけでありますが、しかし専門医というのは一定の、外国における、そして欧米のすべての先進国にどこにでもあるこの専門医の制度というものは、インターンを済んでから三年ないしは数年の間専門的に、内科だけ、外科だけというふうな専門をやって、さらに実地試験を受けて、この人は内科の専門医でいってもいいという資格を学会の権威によって与えられるのが専門医でありますから、一般の民衆は非常に安心してその人にかかっていいわけで、日本における医学博士という臨床に必ずしも関係のないもののチーテルを掲げるものとは、専門医は、医療を受ける者にとっては医療の意味が全く違うわけであります。そういう意味において、日本の医学が将来伸びるためにはこれはどうしても専門医の制度を樹立しなくちゃならないということが内科以外の各学会でも非常に真剣に考えられて、これがおそらく実現されるんじゃないかと私は個人的に予想しておるわけであります。
こういうふうな状況でありますが、日本でもしインターンが廃止されると聞いた場合に、一体国民は危惧の念を持ちはしないでしょうか。インターンの生活が保障できないために、それがきっかけとなって、そしてまたインターンの教育の不備がきっかけとなってインターン制度を廃止するというのであれば、人間の生命を重視しない日本の社会保障、文化国家という名を返上すべきだと思います。生命を取り扱う職業の医師の水準が高められるために医療制度がどうならなければならないかということを問題として、ぜひ国会の議員諸氏に考えていただきたいわけであります。
インターン制度実施は、日本では昭和二十一年でまだ歴史が浅いわけでありますが、アメリカではすでに五十年の歴史を持っております。もう各国ではこれがたたかれたたかれて、そのインターンの上に専門医が乗るという制度ができてきたわけであります。全国医学部長会議インターン問題小委員会、全国大学病院院長インターン問題委員会では、この昭和四十年八月に厚生大臣に次の要望書を出しております。「卒業後の臨床研修は法的、義務的規則を廃し、」義務づけさせるという規則をやめてしまって、インターン期間、たとえば大学の「医育機関の責任において、道義的、自主的に受けるごとく指導する。卒業後の臨床研修の場所は大学病院又は大学が適当と認めた病院とする。」もしこれが法律に詳しい議員諸氏の公平な目から漏れて、このような申し合わせのような法律で、卒業生が卒業直後の国家試験を受けただけで免許を与えられるとすると、道義的自主的に研修を受けるように指導できない医者があった場合に、その責任をとるのは大学のだれであるのか。学長かあるいは文部大臣か。それについて重大なトラブルが起こることが予測されるのであります。おそらく学部長の中に、私が責任をとるということをあえて言える人は非常に少ないのではないかと私は想像するわけであります。
次に、卒業後の臨床研修の場所は「大学病院又は大学が適当と認める病院とする」とこういうふうにありますが、今日までのインターン教育に熱心でなかったグループの中に大学病院の多くがあったということは、これは大学内の方々が御存じで、私たちの同僚がやはり内輪ではそういうことを言っているわけであります。大学病院であっても病院であるからには、伝染病に限らずその病院はその管理上大学外の権威の監督を受けるのが、これは国民医療の側から考えて公平であり、他の民間病院や大学外の官公立病院とともに、査定審議会のようなものでインターン教育を引き受ける資格があるかいなかを査定されるべき筋合いのものであって、大学がただそれをきめてしまうというふうなことは、国民医療の側からはこれは少し筋が違っているのではないかと私は個人的に考えております。そういう意味において、これは厳格にすべての病院が公平に監査されて、それをあえてやろうという病院にのみインターンの修練を委託するというふうなこと——もちろん病院がお金を持ち出さなくてはならないようなことが起こるかもわからないが、次の時代の医者をよりよく教育するために手を上げるようなところに、私はこのインターンの教育をまずそこに向かって、その例を一年でも二年でもやってみろということを提唱したいわけであります。
しかもこの国民医療の柱石となる医師の教育は非常に重要でありますから、少なくともインターンは四六時中病院近くかあるいは病院に住んで、夜間に急変する患者に対してはすぐかけつけるというふうな機会がないと、これは訓練ができまい。そのためには泊まり込みをしなければならないし、病院は部屋と食事を用意しなければならない。教育のための必需品として少なくとも月一万五千円に当たるくらいの教育費が国家から捻出されないものでしょうか。政府は日本の保険医療費一兆一千四百億中の約二千五百億円を国庫負担として国民に支出しておりますが、その国民一人一人の命をささえる医師に最低一年間の研修を義務づけるための費用を三千百人のインターンに対して総額六億円、これは国民保険医療費中国庫補助費の千分の二でありますが、六億円がとにかくできるだけ早い将来に教育用に払われれば、各病院でインターンは文字どおり泊まり込みをし、激しい修練が受けられ、病院に経済的な出血をなくすることができるわけであります。しかしそれをあえてしようとするためには、そこの病院の、あるいは大学の先生方が実にエキストラに働かなくちゃならないということ、そういうふうなことがやはり先輩の医者の中にも要請されなくてはならない。すなわちこれは教育でありますから、商売かけ引きではないというわけであります。
インターン制度が廃止されるという運動が成功すると、日本はもはや世界の医学的水準から完全に脱落します。そしてまた東南アジアの医療を日本が引き受けているのにインターンがない日本に、そしてインターンの上に形成されてこそ育つ専門医制度がない日本に、東南アジアの若い優参な人がだれが来ますか。そういうことで私は東南アジアの医療を——出発する前にばく大な費用が出されると思いますが、その前に私たちがその医療をやるだけの資格があるかどうか。その医療は若い人によってなされるわけでありますから、そのために六億円ぐらいのものは決して大きな額とは言えないわけであります。こういうふうに考えて、私は終戦後日本が軍備をとられ、そしてまた領土をとられて貧困になり、資源がますますなくなったが、私たちが世界にもし誇り得ることが何かあるとすれば、日本は人々の命をこんなに大切に考えて、こんなにとうとんでいるというふうなことを実証することであります。それは日本の政府が、また日本国民が医療のためにほんとうにお金を出す努力をするということで、そういうふうなことを私たちが示してこそ、私たちは外国からはじめて尊敬される。命をとうとぶために何をしているかということを世間に実証するのではないか。私はこれほど高い世界への誇りはないと思っておりますので、どうかそういう意味の、命を守るために医師が勉強するための大きな投資だということを、どうか国会議員の諸氏が認識をして、そういう面において大学の医学教育を再建する。そしてそのあとに受けるインターンの教育、専門医制度を樹立するために応援をするというふうなことを、ぜひやっていただくことをお願いする次第でございます。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/32
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033・八田貞義
○八田委員長 以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/33
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034・八田貞義
○八田委員長 次に、質疑を行ないます。通告がありますのでこれを許します。横路節雄君発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/34
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035・横路節雄
○横路委員 いま五人の参考人の方々からいろいろお話をいただきましたが、
〔委員長退席、八木(徹)委員長代理着席〕
きょうは午後二時から本会議がございまして、私のほかに同僚の大原委員から、取りわけ参考人の鈴木さんに、今度の千葉大学の付属病院のことにつきまして詳細にお尋ねすることになっておりますので、私は主としてインターン問題及び無給医局員の問題についてお尋ねしたいと思います。
いま参考人の日野原さんから、大学における医学教育の欠陥についてお話がございましたが、その点については私もうなずける点もあります。たとえば率直におっしゃいませんでしたが、必ずしも秀才ばかりではない。別な条件がそろえば入学するのだ、というのは何を言おうとしているか、国会の場所ですから御遠慮をなさって言っているわけで、その点は私もそれ以上は触れないつもりですが、こういうところに問題があることは事実です。だから私は、本来からいえば、もっと国家試験をきびしくして、そして落とすものは落とす。こういうようにしたほうがいいのじゃないか。ですから卒業と同時に国家試験をやる。それを相当きびしくやる。しかしそのことが、いま日野原さんがおっしゃったように、別な条件がそろって入っているところもある。ですから、そうやると相当問題になるところも出てくるのではないかという配慮が厚生省のほうにあるような——私は懸田さんにお尋ねしたいのですが、この間私はこの場所でインターン問題を取り上げたのですが、あなたのおっしゃるように今日の医学教育には欠陥がある。医学部四年、教養学部二年の六年の大学を出た者が、医学教育をどういうようにやることによって、今日のインターン制度一年をやらないで済むか、すぐに国家試験をやって、医師の免許状を与えてやることができるか。なぜならば、国家試験をやらないでインターン生が診断、治療に当たっておるのは医師法違反です。医師法違反を公然としてやらせておる厚生大臣は、ほんとうは処罰しなければならない。病院長も処罰さるべきである。やっておるインターン生も全部処罰さるべきである。そういうことが平気で許されておる。これが普通であれば、法律的に相当厳重に処罰さるべきものが平然として許されておる。ここに一番問題があるので、まず、懸田さんに、あなた先ほど実際に、六年をやってインターンをやったものと、六年間にいろいろ新しい医学教育の制度でやっておるものとを比べると、新しい医学教育をやったものはインターンをやらなくても、はるかに優秀な医師としての力を持っておるということをお話になりましたので、その点を先ほど聞いていて、私もインターン制度に非常に問題があると思う。ですから、何とか六年の課程の中で、いまやっておるインターン制度をやらないで、そこでできないものか。いま入局者の代表の方、なお、ことし医学部を卒業された方も何と言っておるかというと、一生涯自分たちは医師としてのいわゆる実地修練をしなければならないと言っておる。やらないと言っておるのではない。一生涯しなければならないと言っておる。問題は卒業と同時に医師の免許状を与えてもらいたい。そのためには、今日の医学教育のどこかに欠陥があるのじゃないか。卒業と同時に与えるべきだと私も思っておるのです。そこで先ほど懸田さんから、何か実験的におやりになられたというお話がありましたから、その点ひとつお話し願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/35
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036・懸田克躬
○懸田参考人 お答えいたします。
誤解があると困りますから、はっきり申し上げますけれども、私が、実地修練にまいって、そこで新しい医学教育というのは、このごろでは実際の患者に接する教育をやろうというので、小さいグループで指導者がついて、これは医局員の非常な犠牲ですけれども、小グループに分けて、患者のベットの側について教育しようという動きが、全国の大学で行なわれ始めてきたわけです。そのような試みを最初にした大学の一つに九大があるわけですけれども、そこの関係の病院に、その病院は厚生省関係の病院なんです。そこの職員は同時に大学の講師になったりしておるのですが、そこで普通の教育を受けてきた人と小グループの臨床修練をやってきたグループと一緒に使って見て、全く同じだということなのです。一方は大学生、一方は卒業してインターン生として来ておるものが実際同じだということになれば、いまの制度でも、少なくともそこでのインターン修練と同じことをやっておることになる。その制度がそれでいいというのであれば、十分に行なわれれば私はできるだろうと思います。ただ、卒業後の修練をしなくていいかどうかということになると、私はやはり非常に問題があると思う。この点は誤解のないように私繰り返していつも言うのですけれど、いまのような平均的なレベルでのインターン制度の中で修練したという人が一本立ちになれるというように考えるならば、いまのような経験から見ても、いまの六年の中でできると私は考えます。これはおそらくすべての医学教育者は考えておることだと思います。ただ、もしも十分に保障ができるものならば、それはもう一年というような、あるいは二年でもいいのですが、その後の修練が保障された形で行なわれるということは、それは国民医療の立場からいって好ましいことは言うまでもない。ですから、そういう面、先ほど日野原参考人の御意見、誤解があっては困りますが、学部長会でも「現行のインターン制度は廃止する」ということで、「現行の」ということをうたっているわけです。いま学部長会の申し合わせのインターン廃止ということをいろいろ非難されまして、インターンに六億出せという話をされたわけですけれども、私どもいろいろな交渉を持った結果、学部長会でもそういうことの実現はいまのところとても望み薄だ、それは絵にかいたもちだという現実の上に立って、いまのようなインターン制度を廃止する、それからほとんどすべての者が医局に入っているんじゃないかという現実を踏まえながら言っているわけであります。しかしながら何人かに一人あるいは百人に一人あるいは何百人に一人かもしれませんけれども、すぐに診療しなければならぬという人があるかもしれない、あえてする者があるかもしれぬけれども、それをチェックする方法はどうしても考えなければならぬだろう、それを医師法のワクの中で医師になる資格を押えるということはしないほうがいいだろうということを学部長会では言っているわけでありまして、いまの意見は非常に誤解を受けるおそれがありますので、訂正しておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/36
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037・横路節雄
○横路委員 実はこの問題はいずれあらためて文部大臣と厚生大臣に出ていただきまして議論するわけですが、これはどの社会だって同じですが、特に医師の場合には将来ともに自分で研修しようという気持ちのない人は医師としての資格もないと言ってもいいんじゃないか。それは教育者でも同じです。将来自分の研究の道を歩もうという意欲のなくなった者は教育者としての資格はない。資格だけ持っていればいいんだ、これではならぬと思うのです。そういう意味で、私は自主的におやりになっていただくのがいいんじゃないかと思うのです。
この間医務局長にお尋ねしたところが、こういうお話なんです。ことし三千百人が医学部を卒業して厚生省指定の病院二百六十五に四百五十人のインターン生が行って、残りは大学病院に行っています。それは届け出がありましたかと聞いたら届け出はない。届け出がなければ来年は国家試験を受けられないではないかと言ったら医務局長は、来年の国家試験を受けるときに、大学病院に行っている人は自主的にインターン生としてやっているのです。ですから一年間自主的にやっているという証明があれば受けていただいていいのです。こういうことなんです。大学病院に行っていらっしゃる方は——いま今尾さんが代表者のようですが、全国でもみんなそれぞれ学校で研究その他に当たっているわけなんです。
さて私はあなたにお尋ねをしておきたいのですが、これは非常に大きな問題だと思うのです。ということは、来年国家試験を受けるのですか、受けないのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/37
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038・今尾貞夫
○今尾参考人 来年の国家試験は受けません。これは現在の国家試験という問題ですね、そしてそれを前提としているインターン制度というものが健保のワクの中でいかに医療に従事する医師を圧迫し、そして国民に対する医療、医学を破壊しているかということをわれわれは主張せざるを得ないし、その実態を暴露しなければいけない。そういうことで先ほど日野原先生がインターン制度が必要であるということを、現在の医療の実態と無関係にそれが現実に使われているということ、あるいは一般市中病院の実態と無関係におっしゃられたわけですが、厚生省がまさにインターン生を使おうとしているのは、全く経験も技術も不足して何もなくても、それが現在の健保下でも膨大な利潤を生み出し、しかもそれが日野原先生が教育であるから二十四時間病院で拘束してやるべきだということを言われている。そのことが現実に二十四時間ただで働く医師がいて、それで現実の医療というのは制度的にはまかなえる。そういうことが経験ある医師の生活を圧迫するし、国民の医療、医学を破壊してもいくということがあるわけです。したがってわれわれとしてはインターン制度というものを前提として、その存在を現在意義づけている唯一のインターン制度の最終的な問題である国家試験というものは拒否せざるを得ないということです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/38
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039・横路節雄
○横路委員 ことし医学部を出られた皆さんが大学の付属病院に約二千七百人から行かれている。その方たちが代表者の方からそういうお話があって、これは結局インターン制度をとにかく全面的に改正をしない限り自分たちとしては国家試験を受けないという意味の意思表示だと思うわけです。この点は、厚生大臣はこの国会に提案すると言っているが、はたしてこの国会に提案できるものなのか、次の国会に提案できるものなのか、その点は非常に問題がありますが、いまことし出られた青年医師連合の皆さんからそういうかたい決意を聞きましたので、その問題は次に厚生大臣のときにあらためて私のほうから——この間は医務局長からそうでないというお話を伺いましたから、その点はお聞きしておきます。
その次に無給医局員のことについて宇都宮さんにお尋ねしておきたいのですが、実は私のほうでも資料をいただいているのですが、無給医局員というのは国立大学だけで八千二百三十八人、私立を入れると、一万二千名あるというわけですね。まず国立の八千二百三十八人というのをここでずいぶんこの前議論したのですが、有給に千名とも言うし、千三百名とも言うわけです。懸田参考人のお話では、自分たちの大学でも、治療に当たる者、研究に必要な者は定員化しなければならぬと思っている。こういうお話なんですが、先ほどのあなたのお話で、私は非常に重要だと思いますのは、定員化をしてくれ、必ず有給にしてくれ。しかし有給にしない者は大学からはみ出してしまうのじゃないか、定員外だといってはみ出してしまうのじゃないか。そういうことになると、いわゆる大学で研究ということができなくなる、こう言っているので、私はまずあなたにお尋ねをしておきたいのは、無給医局員だ、無給医局員だというけれども、生活しているわけですね。何で生活しているのか、こういう機会に国会の場で、何で生活しているのか、失礼ですが、まさかかすみを食っているわけでもないでしょうが、どうやって生活をしているのか、どうやってアルバイトしているのか、この機会に明らかにしていただきたい。今尾さんにも聞いておけばよかったのですが、インターン生というものがどうやってアルバイトしているのか。無給医局員というのをいまここで見ますと、十年以上というのが千四百三十三人いるわけですね。七年から十年というのが千三百八十人、五年から七年は千七百六十八人というので、五年から十年以上というのが約五千人いるわけなんです。まずどうやって生活をなすっているのかということが第一点。
それから第二点は、あなたがお考えになられている、先ほど懸田参考人からお話がございました診療とか、治療とかいう点からいけば、一体どの程度——実際には、八千何ぼか全部有給化されればいいのか、あなたのほうでは大体どれだけ絶対必要だというのか、そういう点、考えていなければ考えていなくてけっこうなんですよ。実際は無給医局員というのはどうやって生活しているのか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/39
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040・宇都宮泰英
○宇都宮参考人 お答えいたします。無給医局員の生活はどうやって行なっているのかという御質問でございますけれども、私たち大学卒業していわゆる一年間の自主的な実地修練を終えて本年四月から現在入局しているものでございますけれども、当然自分一人で独立して生活していくという考え方に立ったときには、結局大学でトレーニングを受けながら、かつ大学の診療に従事しつつも一切の経済保障はないものですから、アルバイトで生活をまかなっているわけです。ところが、最初入局しますと、大きな内科、外科等では、大体は病室の受け持ちの医者になるわけですから、三ベッドないし四ベッドくらい持つと非常に患者さんの治療で忙しい。したがって外にアルバイトするといっても——医局は紹介口を持っているわけですから、大体アルバイトを紹介してもらえるわけですけれども、外に出ると患者さんをほっぽり出さなければならないわけです。つまり重体患者を持った場合には、受け持ちの医者でありますから、それをほっぽり出して外の市中病院で生活をするということは、内部の大学における患者の診療に非常に支障を来たす。それに上の先生もいるわけですけれども、上の先生も同じようにアルバイトで食っているわけですから、その先生も非常に時間がないということで、結局受け持ちの医者になったときには昼間はアルバイトに出かけられない。そのアルバイトの時間をどうやって見出すかといえば、夜アルバイトに出るわけです。それで先ほど二十四時間拘束ということを申しましたけれども、重体の患者を持って二十四時間ずっと診療に従事していると、アルバイトの時間すらないということで、多くは週二晩くらいアルバイトで出る。それでも一人で食っていくためには足りないわけですから、日曜日にアルバイトをする。またもっとひどくなれば夜アルバイトに出る。外科系なんか非常に患者が急変するので、夜アルバイトに出ることも困難である。そういう時間がないというところでは日曜日しかアルバイトする時間がない。そういうことで、大体当直と日曜日のアルバイトで食っていっています。それで、そういう一人で生活し得ないという道を選ぶときには当然うちからの仕送りで食っているわけです。あと、もちろん結婚なんかした場合には、その奥さんのほうから援助を受けて食っているというのもかなりおります。そういうことで、医師というのは一人の人間でありながら、人間以下の生活をさせられている。しかもその上に患者の生命も扱うという重大な任務を帯びている。そこら辺の矛盾で私たちは非常に苦しんでいるわけです。
それが大体の生活のしかたですけれども、あと四、五年して一定のトレーニングを受けるとベッド・フライといいまして、そこの辺でドクター論文を書くのですけれども、病室の患者の受け持ちからはずされて、そこで非常に自由な身となって、無給研究生いわゆる研究スタッフに入って研究するわけです。そのときは研究は別に時間的にさして拘束せられないので、定期的なアルバイトに出ることになります。そこからいわゆる週二回ないし三回昼間アルバイトに出て、あと残りの時間を大学に来て研究に従事するということで、無給医局員の生活の実態というのは、最初入った一年目、二年目、三年目それから四年目、五年目というふうに、年次を追っていろいろな形態の変動があって、必ずしも一緒くたにできない。全部同じように考えて、規定できないというふうに考えます。最初私が申しましたように、無給という問題には、無給診療という面とそれから無給研究という二つの面があるということが指摘されます。
次に、二番目の問題で、それでは大学におけるいわゆる診療及び研究及び教育に従事するスタッフの数ですけれども、この数に関して、国立大学、二十一大学あるのですけれども、その全体の数なんか私たちの資料ではとうてい出せませんので、具体的な数は持っていません。しかし考え方自体として、単に大学をそういった機能的に考えて一定の数を当てはめる。たとえば診療に従事する人は何名、それから学生の教育を中心にして教育に当たる人間が何名、それから研究面に当たる人間が何名というふうにきちっときめてしまうと、今度は新しく卒業した人間が大学に入ってこれない。どこへ行くかといえば、一般市中病院に行かざるを得ない。ところが一般市中病院というところはどういうところかといえば、現在のいわゆる健康保険の制度の中で非常に劣悪な医療を行なっている。しかもそこでは一切の実地修練というものは、一般的には——中には実地修練を伴うような病院が一つ二つあるわけですけれども、多くはそんな実地修練よりかむしろこき使う。そういったところで、先ほど私が申し上げましたように、いわゆる医師は一生実地修練であるという大前提を持ってくると、そこに大きな矛盾があるわけです。それで、たとえ生活ができても、そういったように自分の医療技術が日々更新していく、向上していく、そういった方向を保障されないような場では、決して私たちの将来的な方向はないと思うのです。その意味で、もし大学病院を定員化して、そこから無給医局員を締め出すというようなことになった場合には、日本の医療医学の向上というものが阻害されるということであるわけです。だから、私たちが強調しているのは、毎日毎日が医療労働であり、かつ、その医療労働を通じて自分の医療技術が更新され、向上していくというような、そういう病院経営のあり方、あるいは病院診療のあり方、そういったものを考えていかなければいけないというふうに考えるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/40
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041・横路節雄
○横路委員 鈴木さんに最後にお尋ねをしておきたいと思います。
私も、先ほど日野原参考人からお話がございましたように、今日の大学の医学教育といいますか、特にいまの無給医局員の問題、それから鈴木医師の問題というような問題は、医学博士という学位論文との関係があるのではないか。私はしろうとですからよくわかりませんが、臨床にはあまり関係がない。基礎医学には関係があるが、臨床には関係がない、というのであるならば、先ほど日野原さんからお話のように、臨床のほうは専門医としての研究の道を歩むということで、何でもかんでも学位をとらなければならぬということをやめたらどうか。これは率直に申し上げますが、このことがいわゆる医学界における封建制度を生み、もっと端的に言えば、医学界における徒弟制度というものを生んでおる。これはことばが過ぎるかもしれない。だから、この点を抜本的に変える必要があるのではないか。この間中村文部大臣にそのことを聞いたら、さすがに中村文部大臣も困り果てて、それは医学界全体で考えることです、こういうことになりましたら、きょうはひとつ鈴木さんから、どういうお考えですか、お考えをお述べ願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/41
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042・鈴木次郎
○鈴木参考人 ちょっとお答えの前にお断わりを申し上げたいのですが、本日のこの委員会に参考人としてどういう立場でどういう問題について申し上げるのか、私何にも存じあげないで参りました。したがって、トップ・バッターで立ったときには何をお話したらいいか、何がテーマであるか、何にもわかりませんで、したがって誤解を受ける点も多々あったと存じますけれども、またいままでのお話を伺って言いたいことはたくさんあったわけでございますけれども、また他日そうした機会を与えられれば幸いと存じます。
ただいまの横路さんの御質問でございますけれども、私は実は学位制度ということに関しては意見を持っております。しかし、いままで一つの利点と申しますか、学位制度ということはやはり一つの目標に向かってある機関で一生懸命それを研究する。いま、基礎には関係があって臨床には関係ないということは、ちょっと語弊ではないかと私存じます。内容のいかんによっては十分臨床的な研究があるわけでございますから、これは必ずしもそういうことは申されません。しかしながら現在の医学博士という称号は、現在の医療制度においてはそれがあるなしが一つ何かに関係してくるというところにおいて利点があるので、学問をやった一つのタイトルであるというふうな価値とは別になっているというところに、昔と今日とだいぶ違うところがあるのじゃないか。そうだとするならば、学位制度というものは、これは全然別個に考えるべきである。それよりも、たとえば、先ほど懸田教授が言われたような専門医という問題でこれを考える。医療行政という面で処置できる問題ではなかろうかというふうに私は考えるわけで、学位制度ということは利害がどの程度にあるかということは御想像にまかせたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/42
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043・横路節雄
○横路委員 もう一つだけ鈴木さんに。
いま無給医局員が八千二百幾ら、文部省は有給に千とか千三百と言っていますが、あなたのほうの学校の資料も私のところへ数字がきているわけです。先ほどお話もございましたが、あなたは大学の付属病院院長として、文部省の千ないし千三百は妥当だと思いますか。それとも、四千くらいならいいとか何ぼくらいならいいとか、概括的な話ですが、その点、ひとつこういう機会にお話しなすったほうが、無給医局員全体のために非常に益するところが大ですから、ひとつ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/43
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044・鈴木次郎
○鈴木参考人 無給医局員を有給にするというなら、これは全部していただく必要があるだろうと思うのです。しかし先ほどの今尾さん及び宇都宮さんのお話のように、有給にすることがはたして意義あるかどうかはまた一つ問題になると私は思います。したがって、有給ということの意義をここでもうちょっと考えない限り、その数の妥当性は考えられないというふうに私は思います。しかし、有給にされるならば、全部していただければなおけっこうだと思います。しかし、そこには難点が一つ必ず出てくるだろうというふうに私は思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/44
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045・八木徹雄
○八木(徹)委員長代理 大原亨君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/45
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046・大原亨
○大原委員 時間がありませんので、ひとつ簡単に。
これは、いま皆さん方が御意見を述べられたように、あらゆる制度に関係している。特に、皆保険下の医療の研究、技術の研究、あるいは教育体制をどうするかという根本問題に関係していると思うのです。ですから、私は、千葉医大の病院の鈴木さんを責めようとはしない。それを糾弾しようということだけの立場ではないわけです。しかし、今回の千葉医大のチフス、赤痢菌の事件を中心といたしまして、医療保険制度あるいは研究教育体制の問題全体がやっぱり議論されていることは事実です。私どもは国会においても議論をしておるわけです。そこで、ぜひ、直接皆さんのような当事者にこの機会に、こういう点について私は端的にお聞きをしたいと思うので、簡単にお答えいただきたいと思うのです。
最初に順天堂の懸田先生にお伺いするのですが、あなたは直接おわかりにならないと思うのですが、鈴木充君ですね、新聞その他でごらんになったと思います。あなたはちょうど精神病の専門家でもあるし、あの人は精神病患者なんですか、どうなんですか。その点をひとつ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/46
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047・懸田克躬
○懸田参考人 それは非常にむずかしいところで、私は三十何年精神科の医者をしておりますけれども、あの新聞だけで精神病と言い切る自信はございません。精神医学的な診察をしてみなければ白とも黒とも言えないということは、はっきり申し上げられると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/47
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048・大原亨
○大原委員 それでは、言うなれば何が精神病患者的な鈴木充君の行動を誘発したか、どういうことが原因でああいうふうな精神病的な異常な行動をさせたのか、こういうことについて病院長は、個人としても、あるいは集団的な討議の中でも、お考えになったことがありますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/48
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049・鈴木次郎
○鈴木参考人 鈴木充医師があのようなことをしたかどうかということは、これからきまるところでありますけれども、もししたとするならば、そこに何か一つの動機があるかという御質問だと思うのですが、これは、私たちがいろいろ考え、彼の業績等もいろいろ考えましたが、結局、ではその環境がそうさせたのか、それとも何か違う事件がそうさせたのか、つかむことはでき得ませんし、また、この問題は、おそらく司直の手でいろいろと検討されて、そこにある一つの姿が出るのではないかというふうに私は存じます。私自身、たとえば無給医局員の制度とこれと直結して考えるというふうなことはちょっと無理な点がありはしないかというふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/49
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050・大原亨
○大原委員 それは、鈴木充君が警察、検察の取り調べの中で自白をしていることとはあなたの御意見は違うし、それから聖路加病院の日野原さんの御意見とも違う。彼が自分で動機を告白していることとはあなたの意見というものは違うわけです。それは、あとで時間があれば申し上げますが、ともかくといたしまして、私は国民にかわって疑惑とする点を千葉病院長さんにお聞きをするのです。
第一は、足かけ二年にわたって、多数のチフス、赤痢の患者が大学病院の内部、周辺に発生しているわけです。その発生経路も専門家が集まっているところでわからないというのはおかしいじゃないかと国民は言っているのです。何か問題があるのじゃないか、こういうことを言っているのですよ。それから、発生経路の中から、だれがばらまいたかということぐらいは、国民の命と健康に責任を負っている大学病院、最も権威のある大学病院が、中で起きながらなぜそんなことがわからないのだ、こういう疑惑を持っているのです。私はあなただけの責任とは言わないけれども、当事者は、そういう全体の問題の中でどういうところに原因があるのだということは、国民の前に明らかにして、これを改革すべきだと思うのです。私は二つの点だけをここに申し上げます。
もう一つつけ加えておきます。つまり、チフス菌や赤痢菌などのような、言うなれば非常に危険な——これで死んだ人もあるわけです。副院長なんか。そういうチフス菌や赤痢菌を大学病院は責任を持って保管をしたりあるいは研究をしているのだろうか、こういう疑問を持っているわけです。
私は三つほどあげました。大きく言えば二つですが、その点についてあなたの率直な御意見を簡単にひとつお答えいただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/50
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051・鈴木次郎
○鈴木参考人 被告の立場にしていただいたわけになるわけですが、もちろん私たち大学当局全員がこれに対して大きな責任は感じておりますし、何らかの形でこの償いをすべきであるというふうには思っております。ただいまの御質問の、長い間におけるああした伝染病事件というふうなものに関してのあれは、これはわれわれ医学的常識では全く予想のつかない、あまりにも異常なる姿であるということが、まず一つ多少時間的にも誤らせる原因になってしまったということがわかりました。それから、また、その伝染経路の追及はずいぶんいたしましたし、そういう問題に関して、専門家とともにいろいろ検討はいたしましたけれども、その間に十分つかみ得ない部分が出てきてしまったことは事実であります。しかしながら、そうした面においてわれわれ大学としても、十分にそれをなし得たかという点については、私、実は先日院長になったばかりで、前のあれは現在もよく調べておりますけれども、なお追及し、それをはっきりといたしたい、そういうふうに考えております。
次の菌の問題でありますが、仰せのごとく、これには大学にも菌取り扱いという規定がございます。それにのっとってやるのがわれわれの常識であったわけであります。しかしながら、その常識というのが、えてしてマンネリズムになるおそれも多少あったかと思われます。そういうことで、私などもたとえばそうした法定伝染病の病原菌を院内で取り扱うということはなかったかと思っておりましたが、研究上のことから取り扱うという事態になっておったようであります。そこでただいまは、もっとはっきりしたルールにのっとって、そうしたものは院内では決して取り扱わない、ほかの病原菌に関しては、所定のところで所定の規則にのっとってこれを行なうということにはっきりきめまして、それを実施しております。また研究ということがもしそれで阻害されるとするならば、われわれ大学としても立場がなくなりますので、それをストップさせるわけにいきませんから、この研究に関しては、基礎医学ともどもに、十分な連携をもって所定の場所でこれが行なえるように取り計らっております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/51
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052・大原亨
○大原委員 私はあなたの御答弁で納得できない点もあるのですが、ここでは議論する時間がありません。つまり、無給医局員体制、研究体制と責任体制の間には、根本的な欠陥がいまの大学病院の中にあると思います。私はそういうふうに半ば断定的な結論を持っておる。千葉大学にああいうふうにショッキングな事件が起きましたから、いろいろいままでの経過を調べ、あるいは関係者から聞いたのですが、時間がありませんから申し上げませんが、たとえば中山恒明教授のにせ死亡診断書事件というのがありました。それを調べておりましたところが、にせ診断書を書いただけでなしに、ばく大な謝礼金をもらっていたということですね。それからさらにこれを追及しておりましたところが、警察の手に二重帳簿があがってきたということですね。大学病院経営についての会計の二重帳簿、この中には製薬会社からのリベートもあった。あるいは寄付金もあった。あるいは、だれかが言われましたが、ひもつきの研究、そういうものがあった。そういう問題が次から次へと出てまいりまして、結局十八時間ほど死亡診断を延ばしておいて、未亡人が六億円の財産を引き継いだ。そのための便宜をはかって謝礼金を五十万円とも百万円とも——それどころじゃない、けたが違うという人もあるが、それは別といたしまして、そういう問題があった。それからもう一つ、これはうわさでありますが、関係者から聞いたのですが、チフス事件以前に習志野市においてコレラ事件というのが関係者の間でいわれておる。コレラで死亡した事件があるのですが、これは千葉大の腐敗研究所が習志野にあるのですが、これはインドのコレラ菌だというふうに専門家は言っております。それも表面に出ないで終わった。この事件も鈴木充君の事件も、こういうふうに長く、足かけ二年もありながら経路もわからぬし、元凶も突きとめられないというようなことには、何か封建的な、病院内や学内に発言を封じているものがあるのではないか。これは世上、週刊誌やいろいろな雑誌その他が書いておる。小説にもなっておるのですから、私はくどくどしく言いませんけれども、そこに問題が一つあるのではないかと思います。
そこで、そういう点をやるためには、厚生省の医務局長見えておりますけれども、無給医局員やインターンの制度は——大学の六年間の教育は文部省だ、インターンは厚生省だ、それから無給医局員は、治療の面においては厚生省でしょうが、研究生ということになると、内規はどういう根拠に基づいてできておるか知らぬが、これは文部省だということになって、皆保険下の研究、医療体制が全く無責任体制である。非常な無責任である。その中の盲点でできておる問題が一つあると私は思う。今日そういう根本的な欠陥があるのではないか。大学病院や大学の研究室のあり方について根本的に考え直さなければならぬ。これはあなた一人の責任とか、そういうことでありません。長い間累積いたしましたそういう禍根というものをこの際排除しなければ、日本の医療制度というものは確立しないのではないか、私はこういうふうに思う。
私、端的にお伺いいたしたい点は、一つの研究室に大体どのくらい文部省の研究費があるのですか。あるいは研究費以外で入りましたそういう研究を、徒弟的なというか親方子分というか、そういうことで漫然と——二重帳簿の問題がありましたが、関係なしに使われているということになれば、先般大学局長は違法であると言われましたけれども、そう簡単にも片づけられぬ問題があるだろうと思う。そういう問題をきれいにして、そして研究の問題について、ほんとうに良心的に、自主的に、権威を持った研究体制の基本をやるためにはどうしたらいいか、研究、教育、診療の第一線の責任者としてのあなたの御意見があれば、ひとつこの際聞かしていただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/52
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053・鈴木次郎
○鈴木参考人 ただいまの、たとえば中山事件、たびたびいろいろなことが続いてお恥ずかしい次第であるし、まことに申しわけないことだと思いますが、事実あったことですからあれですが、ただいま、その中で大学病院に二重帳簿があったというお話ですが、それはそういうことではないはずであります。それは第二外科教室における二重帳簿であって、大学病院の相関知せざる一つの問題であろうと思います。それが摘発されたわけだと私は思います。その点をひとつ誤解のないように願います。
もう一つ、コレラ事件というのを初めて私伺いましたが、私記憶にもないし、存じ上げませんので、それは申し上げることができません。
そこで、確かにいま御指摘のありましたように、大学として、国立大学の病院として、いろいろなこういうことが相次いで起きたというところに、たるんでいるぞ、何か間違っているぞというふうなおしかりをを受けることは重々覚悟しておりますし、私たちもそのように考えて、これを今後できるだけ是正し、何か欠陥があればこれを指摘し——私は外科医ですから、何か悪いものがあれば、それを摘出するだけの意欲を持っているはずであります。したがって今回も、いままでのことを振り返りまして、大学として、大学病院としくもし欠陥がそこにあるならば、それをいさぎよく是正するし、あるいは悪いものがあれば摘出するという意欲に十分燃えておることを、ここで御了解願いたいと思います。ただし、それをいかようにするかということは、私実は今回院長に任命されたのは、その責任を負わされたと思います。したがって、ただいま特別な委員会をつくりまして、その原因の探究と、それからわれわれの摘出するべき何ものかがあるかないかということ、それらを十分討議し、わかり次第どんどんそれを改革していくということにいたしたいと覚悟しておる次第でございます。もちろんそうしたことを、皆さんの御期待に沿うだけの、皆さんのためになるだけの、また日本の医学の進歩の何らかのお役に立つだけの大学病院にならなくてははなはだ申しわけないし、今回の事件というものをこうした形で一部でもお報いすることができるならば、私たちの一つのこれがやらなくてはならない問題であろうというふうに考えておる次第でございます。重々いろいろなことについて私皆さんにかわりましておわびいたしますけれども、ただいま私が述べましたような意欲は、わが大学医学部における教授及び助講会の人たちのすべての意向であることをお伝え申し上げたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/53
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054・大原亨
○大原委員 私はあなたを追及しているわけじゃないのです。あなたをどうこう言っているわけじゃないのです。これを契機に問題を解明していきたいということです。大学病院につきましては、大学病院の二重帳簿ということを言いましたが、これは誤解で、研究室です。研究室も教授や公務員がやっているのですから、これはやっぱり収支は明確にしなければいかぬわけです、原則からいえば。それから教授の中で、よく雑誌やその他にも出ておるし、私も資料を持ってきておるのですが、たとえば教授が他にクラブとか研究所とか診療所を持って、一回診療したならば謝礼金が五十万円とか百万円とか、有名な主任教授は取る。取って自分の子分じゃないけれども、徒弟でもないけれども、無給医局員の皆さんのある程度めんどうを見る、こういうことが重なっておると思うのです。これも公務員法からいえば違反なんですね。だから私は研究室において、あなたが主任教授としてどのくらい研究費を持ってやられたかということを聞きたかったのですが、研究費をどれぐらい政府は保障してやっておるのか、医師の待遇というものはどうあるべきなのか、私はこういう問題について、皆保険下の医療研究体制、教育体制の問題として、厚生省、文部省も見えておるが、国は真剣に考えなければいけない、私はこういう観点で言っておるわけですよ。だから、あなたが大学病院が二重帳簿なんて断じてないということを言われるが、あるのですよ。研究室にあれば同じことなんです、犯罪の上からいいましたらね。それはあなたは法律家じゃありませんから、その点はとやかく言いません。つまり、そういうことがあると、どうしても学問の進歩とか、自主的な研究とか、指導体制、研究体制、インターンに対するそういう整備、そういうふうなものはなかなかできてこない、博士号の問題もあるし、専門医の問題もあるけれども、できてこない。そこに欠陥があるから、当事者も、主張すべき点は主張し、解明すべき点は解明して、そしてこの際そういうことをなくして、ほんとうに国民の医療に奉仕するような、そういう研究体制、診療体制、教育体制をこの際やってもらいたいと思うのです。
それから、私はあなたにちょっとお伺いするのは、最近病院長になられたので無理かもしれぬが、大切な問題は、大学病院は独立採算ということはおかしいのじゃないですか。公共性と独立採算は、病院に関する限りは、病人が早くなおって少なければ少ないほど国民はしあわせですから、赤字になっていいはずです。売薬的な医療はやらぬでもいいはずです。しかるに、無給医局員をたくさんかかえてやるということは、三時間待って三分診療するということばがある。三時間で三分。そういう外来患者等についても、私は大学病院のあるべき機能として整理をして、そして、入院患者等を中心に、主任教授等を中心に、責任のある診療体制や教育体制や研究体制を一諸に確立しなければ、大学病院の機能は発揮できないのじゃないか、こういう点を思うわけであります。だから、そういう二、三の点につきまして、ひとつ御意見を伺わしていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/54
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055・鈴木次郎
○鈴木参考人 研究費は、一講座約三百万円だそうです。私この点は十分よく知りませんでしたが、年間三百万円という予算で賦与されております。
それから、先ほどちょっとおことばにありましたが、公務員としていろいろな診療所をつくり、何をするというふうな問題、これは中山事件にかかわる問題と思いますが、これはもちろん仰せのとおりだと私は思います。いかなる理由にいたしましても、それはできないはずだというふうに私は思います。
それから、独立採算の問題ですが、現在は独立採算ではございません。医療予算のもとにおいて国立病院は行なわれている。しかし、そこには、医療予算というのは、お金をくれるのではなくて、それだけの医療予算に——これは文部省からおこられるかどうか知りませんが、いわば大学病院はノルマを課せられた形になります。それだけのものをやるのだということになっておるわけで、その点また御検討願いたいと思います。
それから、外来とかそのほかの問題は、これは大学病院の運営の問題だろうと思います。この問題につきましては、もう数年来いろいろな検討は加えられてきておりますけれども、やはりこれにいろいろな難点があったわけで、現在も文部省では大学病院運営に関する委員会を設置されて、その審議を続行しておるはずでございます。そういうようなことから、要員の問題であるとかあるいは外来の取り扱いの問題であるとか薬剤部の問題であるとかというふうなことを、逐次それを改善する、いかにしたらいいかということをやっておるわけで、これは仰せられるまでもなく、ひとしくわれわれ自身の大学の病院の問題になっておる。これをいかにしたらいいかというところが一つの問題である。それには根本的な問題がある。根本的に御指摘なさっておりますが、要するに根本の問題があると思います。それは、大学病院というものはいかなるものであるべきかというところ、大学病院というものは一体何であるかという、この基本的な問題において割り出されることである。それが、知らず知らずのうちに変形をしてきてしまっていると、そこにいろいろな不備な点が出てきてしまっておる。そういうところで、結局やはりこれも国家的にいま特に当局におかれてもこの大学病院の運営あるいはその性格、それからその基準というふうなことについて十分に検討されているように私伺っており、そうしたことが一日も早くわれわれのところに示されることを期待しておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/55
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056・大原亨
○大原委員 最後に私は、あなたがお答えになってあいまいな点もあると言ったのは、チフス菌や赤痢菌が長い間大学病院の中にあって散布されておって、その原因も究明されないような病院が何で信頼されるか、そんな医者が集まっているところが信頼されるか、こういうことは、国民の端的な意見ですよ。それから、鈴木充君が、これは精神異常か云々かという問題もあるけれども、これはないと思う。精神異常者を雇っておるのならたいへんで、それこそそんなものを野放しでやっておる大学病院なんというものは、あぶなくて行かれやせぬということになる。これは問題にならぬと思うけれども、私はそういう点はやっぱりあなたがはっきり議論されていない問題がたくさんあると思う。
もう一つ私はお聞きしたかったが、問題として提起しておきます。つまり研究費や何かが少ないということが原因ですけれども、製薬会社のリベートのひもつきの研究という薬務行政に関連した問題がある。きょうもお話がありました。
〔八木(徹)委員長代理退席、委員長着席〕
しかし、それらの問題をあわせ考えながら、そういう研究体制が間違っている、ゆがんでいるという問題は一つ一つ是正しながら、たとえば私立大学の入学金が二百万も三百万もかかるということは、やはり医療担当者としての医学教育としては、根本的に欠陥があるわけですよ、私立大学の問題としては。私立大学に対しての教育研究の社会性の問題、国家保障の問題があるでしょう。それらの問題もありますが、きょうは時間の関係で十分議論できませんけれども、しかし、共通な問題は、医療制度全体との関係で、千葉医大の問題も、インターンの問題も、全部ひとつこの際文部省も厚生省も考えたほうがいい。あるいは個別的な問題と日野原さん言われたけれども、そういうふうに言われぬほうがいいと私は思います。それから博士号と専門医の問題もあるし、インターンの研究生を、制度をやるにしても、指導体制、研究体制の問題は、まるでなっておらぬということも、みな一致して指摘したことです。しかし、研究とは何かという本質論の問題にもなるでしょう。それから、病院経営のあり方、基本的な問題、任務づけの問題、そういう問題等では相当突っ込んだ御意見をお聞きしたいと思うのです。将来その議論は大いに発展させまして、私どもといたしましても、十分この点を究明して、やはり国民の医療に奉任するような研究体制や教育体制を確立していきたいと思います。
時間の関係がありますので、以上をもちまして終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/56
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057・八田貞義
○八田委員長 参考人の方々には、たいへんお忙しいところを長時間にわたり貴重なる御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
次会は来たる四月二十七日水曜日午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
午後一時五十一分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105105077X02019660422/57
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