1. 会議録本文
本文のテキストを表示します。発言の目次から移動することもできます。
-
000・会議録情報
昭和四十一年三月二十二日(火曜日)
午後二時三十分開会
—————————————
委員の異動
三月四日
辞任 補欠選任
近藤英一郎君 木村 睦男君
吉武 恵市君 河野 謙三君
天坊 裕彦君 堀本 宜実君
三月十日
辞任 補欠選任
堀本 宜実君 源田 実君
出席者は左のとおり。
委員長 江藤 智君
理 事
岡本 悟君
金丸 冨夫君
岡 三郎君
吉田忠三郎君
委 員
源田 実君
中津井 真君
平島 敏夫君
木村美智男君
瀬谷 英行君
浅井 亨君
中村 正雄君
岩間 正男君
国務大臣
運 輸 大 臣 中村 寅太君
政府委員
運輸大臣官房長 深草 克巳君
運輸省航空局長 佐藤 光夫君
運輸省観光局長 増川 遼三君
海上保安庁次長 岡田京四郎君
気象庁長官 柴田 淑次君
事務局側
常任委員会専門
員 吉田善次郎君
—————————————
本日の会議に付した案件
○運輸事情等に関する調査
(航空に関する件)
(海上保安に関する件)
(観光に関する件)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105113830X01319660322/0
-
001・江藤智
○委員長(江藤智君) ただいまから運輸委員会を開会いたします。
委員の異動について報告いたします。
去る四日、近藤英一郎君、吉武恵市君及び天坊裕彦君が委員を辞任され、その補欠として木村睦男君、河野謙三君及び堀本宜実君がそれぞれ選任されました。
また、去る十日、堀本宜実君が委員を辞任され、その補欠として源田実君が選任されました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105113830X01319660322/1
-
002・江藤智
○委員長(江藤智君) 運輸事情等に関する調査を議題といたします。
最近の航空事故等について、運輸大臣から発言を求められておりますので、これを許します。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105113830X01319660322/2
-
003・中村寅太
○国務大臣(中村寅太君) それでは、去る三月四日発生いたしたカナダ太平洋航空機及び翌三月五日発生しました英国海外航空機の事故について、その状況を報告いたしますとともに、去る二月四日発生した全日空機事故について、二月八日報告いたしました以後の経過について御報告いたします。
報告に先立ちまして、わずか一カ月の間にこれらの事故に遭遇し、とうとい生命を失なわれました方々に対しまして、つつしんでその御冥福をお祈り申し上げますとともに、遺族の方々に対しまして心からお悔やみ申し上げます。
まずカナダ太平洋航空機事故について申し上げますと、同社所属ダグラスDC−8型機は、同社の四〇二便として、機長マクニール以下十名が乗り組み、旅客六十二名を乗ぜて、昭和四十一年三月四日十六時十四分——これは日本時間でございますが、香港を離陸し、東京に向け飛行しました。
同機は十九時十六分、高度一万四千フィートで木更津の上空に到着いたしましたが、東京国際空港の気象状況が着陸不能な状態であったので、同地点上空の待機経路に入り、気象状態の回復を待った。その間一時は台北へ引き返えそうとしたが、結局二十時五分レーダーによる精密進入が可能な気象状態になったので、C滑走路への着陸進入のための降下を開始しました。
二十時十五分ごろ、同機は指定された滑走路へ一マイルの距離に達した。それまでの同機の方位及び角度は正常でありましたが、四分の三マイル以降、降下度が十ないし二十フィート低過ぎましたので、管制官はその旨を注意した。その後も低過ぎる降下を続行したので、再度その旨を注意した。その直後、同機は急角度で降下し、滑走路末端手前の護岸に衝突して炎上大破しました。
事故発生直後、運輸省東京航空保安事務所の化学消防車等九台が出動し、消防庁の化学消防車等八十六台、警視庁警備部隊千六百四十名の応援を得て、乗客救出、火災の鎮圧につとめた。また、海上保安庁においては、四日二十時四十五分ごろ巡視船十隻を現場附近に出動させ捜索に当たらせました。
遭難者七十二名中、八名が負傷入院し、六十四名が死亡いたしました。
負傷者八名のうち、現在入院加療中の者は五名であり、他の五名は退院しました。
遺体は、大田区内の真光寺等三寺院に安置された後、米軍立川基地内の冷暗所に移されたが、遺族への引き渡しも逐次行なわれており、二十二日現在一体を残すのみとなっております。
政府は、この事故の措置として、直ちに運輸省に運輸大臣を本部長とするカナダ太平洋航空機事故対策連絡本部を設置し、事故の善後措置に重点を置いて応急対策の推進をはかっております。
また、運輸省航空局は、事故発生後、直ちに事故調査担当官を現場に派遣し、調査を開始しました。八日、カナダ太平洋航空機及びBOAC機事故技術調査団を設け、自後は同調査団を中心に事故原因の究明に当たっております。
なお、カナダからも調査団が来日し、航空機製造国の米国調査団とともに日本側の調査に協力中であります。
次に、英国海外航空会社所属ボーイング707型機の事故について御報告申します。
事故の概要について。
英国海外航空会社所属ボーイング707型機は、同社の九一一便として、機長ドブソン以下十一名が乗り組み、旅客百十三名を乗せて、昭和四十一年三月五日十三時五十八分東京国際空港を離陸し、香港に向け飛行した。
該機は、当初計器飛行方式による飛行計画を提出していたが、東京国際空港離陸前に、富士及びレベルインターセクション経由串本まで有視界による飛行を行なら旨、同空港管制塔に対して要求し、有視界飛行で離陸した。
十四時十五分ごろ、富士山頂から南東七キロメートルの太郎坊付近に向けて炎上墜落中の該機が目撃され、十五時五十分、捜索中の自衛隊富士学校の当直司令に対して、激突大破した該機を発見した旨の報告があり、該機の事故が確認された。
次に、捜索救難活動について申し上げます。
捜索救難活動は三月五日十四時二十分ごろから開始され、陸上自衛隊富士学校隊員及び野営中の第一師団等総数六百三十六名、静岡県警本部長以下二百五名並びに地元消防団員多数が現場に出動した。
現場の状況は、太郎坊気象観測所から南西方二百メートル付近に該機の本体部分があり、この本体部分から南西方五百メートル付近に機首部分、西方三百メートルと四百メートル付近にそれぞれ第一エンジンと第四エンジンがあり、本体部分から東方二千メートル付近に尾翼の一部が発見された。遺体は、機首部分及び本体部分を中心に散乱していた。
同日中に遺体百十四体(残り十体)を収容し、引き続き徹夜で作業を進め、六日五時三十分には救難隊を二千名以上に増強し、同日十二時五十分までに全遺体を収容した。
収容した遺体は、大乗寺及び善竜寺の二寺院に安置し、検視を行なったが、五体満足なものはほとんど見受けられなかった。
なお、遺体保存のため、英大使館は、米大使館の了解を得て、八日までに米軍の立川基地内にある冷暗所へ百十一体の遺体を移送したが、このうち二十一日までに百七体がそれぞれ空輸されており、残りの四体についても逐次引き渡しが行なわれる予定であります。
また、日本人十三体の遺体については、六日から八日にかけてそれぞれ遺族への引き渡しを終了している。
次に、政府のとった措置について申し上げます。
政府は、即刻、福井運輸政務次官、古屋総理府総務副長官及び佐藤運輸省航空局長を現場視察のため急派するとともに、運輸省航空局係官を現場に派遣し、事故原因の調査を開始しました。
また、三月四日運輸省に設置されたカナダ太平洋航空機事故対策連絡本部を、カナダ太平洋航空機及びBOAC機事故対策連絡本部に改組し、その第一回会議を三月五日十九時三十分、第二回会議を三月六日十六時三十分に開催しております。
事故対策連絡本部の決定に基づき、三月八日にカナダ太平洋航空機及びBOAC機事故技術調査団を運輸省に設置し、原因究明に当たることにしております。
なお、英国からも同調査団が来日し、航空機製造国の米調査団とともに日本側の調査に協力して一おります。第三に、全日空機ボーイング727機の事故につきましては、去る二月八日に中間報告をいたしておりますので、その後の経過について報告をいたします。
まず遺体の捜索収容状況について申し上げますと、二月四日以降三月二十一日までに百十三体を収容し、前回御報告申し上げました二月七日までの収容数十三体と合わせ計百二十六体が収容され、未収容遺体は七体となりました。なお、収容作業は最後の一体まで収容すべく続行中であります。また、機体につきましては、その後の捜索により胴体底部、計器類の一部を除き機体の大部分の所在を確認し、二月十二日に揚収を開始し、発見部分はすべて場収を完了しました。
次に、事故発生に伴う措置について申し上げますと、内閣に設置した全日空機事故応急対策本部においては、二月八日以降三月十八日までに対策本部会議を八回、通算十二回にわたり会合を開き、遺体及び機体の捜索収容、遺家族対策、事故原因究明対策等に関し検討を行ない、所要の措置を関係各省庁に指示しました。
また、事故原因究明のために設置した全日空機事故技術調査団会議は、その後六回、通算七回の会合を開いたほか、現物の実地検証を行なう現物小委員会を五回にわたり開催し、事故原因の究明に当たっております。
そのほか、航空会社に対する措置としましては、二月十日運輸大臣名をもって全航空事業者に対し安全確保に関する警告を発するとともに、二月十一日定期航空運送事業者五社の社長を運輸省に呼んで、安全運航確保及び経営基盤の強化について指示をいたしました。また、運輸省航空局は、二月十一日ボーイング727型機の立ち入り検査を行ない、さらに二月十五日以降数次にわたり定期各社の操縦士に対する特別査察を行ない、安全強化について万全を期しております。
以上をもちまして、航空事故に関する経過報告を終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105113830X01319660322/3
-
004・佐藤光夫
○政府委員(佐藤光夫君) 新東京国際空港についての経過報告を申し上げます。
新東京国際空港の建設につきましては、すでに数年前から調査、計画を進めてきましたが、昭和四十年三月の関係閣僚懇談会において、あらためて新空港問題についての検討方針が示され、特に霞ケ浦の埋め立てにより新空港を設置する場合の土木技術的観点からの諸問題の解明をはかることとなり、関係各省それぞれ所管に応じ現地に即した調査を進めました。調査の結果は同年十一月にまとまりましたが、それによりますと、霞ケ浦は主として土木技術的観点から新空港の候補地として適当でないことがわかりましたので、同年十一月十八日残る唯一の候補地である千葉県富里を新東京国際空港の位置として内定をいたしました。内定後、十二月六日から同十三日までの間、運輸省航空局と県当局との間で住民対策に関する諸問題について協議を行ないました。その結果、県は地元説得のため必要な住民対策として、土地等の補償対策、代替地対策、騒音対策及び職業転換対策についての意見を提示し、また政令による位置の決定を即日行なわず一定期間後とするよう要請をいたしました。運輸省としては、県の住民対策に関する意見については、これを尊重し、その線に沿って努力する旨を回答し、また政令による位置決定は年内には行なわないことといたしました。その後県は、住民対策に関し政府の具体的条件の提示を求めておりましたが、地元における内定後の反対運動が相当活発になってきたこともありまして、二月二十八日の定例県議会の冒頭において、知事としては事態の推移を静観する態度を表明しました。
政府といたしましては、新空港の位置の決定にあたっては、広く国の各般の行政分野との調整をはかり、統一した意思のもとに臨むべきであるという見地から、三月四日の閣議において、新空港の建設に関する重要な問題を協議するため、内閣に臨時新東京国際空港閣僚協議会を設置することをきめ、さらに協議会の下に関係各省の事務次官をもって構成する幹事会を設けて具体的問題点の協議を行なうこととなりました。協議会は三月十日に初会合を開き、また幹事会もすでに二回会合し、目下鋭意問題点を検討中であります。また、これら政府部内における協議機関の設置と並行して、運輸省内に新東京国際空港建設推進本部を設け、実施面における推進をはかることといたしております。
次に、三宅島空港、佐渡空港及び松本空港の概況について御説明申し上げます。
第一に三宅島空港でございますが、三宅島空港の障害物件につきましては、東京都は昨年十月その除去に要する予算三千百万円の議決を得て、同年十一月五日除去工事に着手しました。一部用地買収の難航もありましたが、本年一月二十三日除去工事が完了いたしました。当省は、同月二十八日航空法第四十二条の規定による飛行場完成検査を実施し、同月三十一日付をもって東京都に対し検査に合格した旨を通知しました。東京都は同空港の供用開始を三月一日に行ない、同月初めから、全日本空輸株式会社により週二便、金曜日及び日曜日にフレンドシップ機により東京−三宅島線の運航が行なわれております。
第二は佐渡空港でございますが、佐渡空港には、除去すべき障害物件として、農協倉庫など六棟及び樹木がありますが、同空港の設置管理者である新潟県において、地元両津市の協力のもとに、そのうち二棟、樹木の一部の除去を行ない、残部についても鋭意努力中であります。また、航空機の離着陸の安全を一そう強化するため、同県において進入路指示標識四カ所及び進入角指示標識を目下設置中であります。なお、日本国内航空株式会社が今春から新潟−佐渡一日一往復をノール機によって運航する計画になっております。
次は松本空港でございますが、昨年七月十六日松本空港の供用開始以降、不定期運送事業及び使用事業用の航空機の使用は行なわれておりますが、定期航空便はいまだ就航しておりません。定期航空便の就航については、今後とも関係航空会社等とも打ち合わせ検討を続けることにいたしております。
以上で御報告を終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105113830X01319660322/4
-
005・岡田京四郎
○政府委員(岡田京四郎君) お手元に三つの資料を配付してございますが、そのうち全日空機遭難事件関係につきましては、先ほど大臣からの御説明の中にありましたので、このほうは省略さしていただきます。
次いで海上保安庁ヘリコプター遭難事件概要について御説明申し上げたいと思います。
最初に、この事件につきまして去る十八日に運輸省葬がとり行なわれたのでございますが、その際江藤委員長には御参列くださいまして御丁重な御弔辞を賜わりましてありがとうございます。また、諸先生方もきわめて御多忙の中を御参列くださいまして御焼香賜わりましたことを心から御礼申し上げます。
次いで事件の概要について御説明申し上げます。
この事件が発生いたしましたのは、昭和四十一年三月五日の午後二時十五分ごろでございます。場所は羽田灯標の南東方向約四・三キロの地点でございます。所属及び機名は、当庁の第三管区海上保安本部羽田航空基地に属しております二〇二号機でございます。その型は、シコルスキーS58型でございます。乗り組み員はここに書いてございますような五人でございますが、不幸にして、里野機長、それから木下通信士、長浜整備士の三人が殉職されております。当時の気象状況は、快晴でございまして、北北西の風十ないし十三メートル、波高は一ないし二メートルで、視程約三十キロの状態でございました。
事故の概要について申し上げますと、当該機は、午後一時三十分羽田航空基地発、全日空機行くえ不明者の捜索を実施していたのでありますが、前記時刻、場所において高度を失い不時着、乗り組み員全員海上に脱出、機体は海没しております。なお、事故原因については、目下調査中でございます。
捜索救助等の状況について申し上げますと、第三管区海上保安本部長は、情報を入手後、直ちに巡視船艇等二十隻、航空機一機に対し、現場に急行するよう指示しております。現場付近航行中の汽船第一常盤丸が漂流中の木原整備長、長浜整備士の二名を救助、さらに汽船第十美成丸が佐々木飛行士、木下通信士の二名を救助いたしました。その後、四人を病院に輸送したのでありますが、木下通信士は入院前にすでに死亡し、また長浜整備士も入院後手当てのかいなく間もなくなくなっているのでございます。なお、行くえ不明になっておりました里野機長は、十日午前零時二十分羽田灯標南東方向四・七キロの地点で発見され、揚収いたしました。
また、機体は、六日午前十一時五十五分、羽田灯標南東方向四・三キロの地点において発見され、七日午前十時四十五分揚収されております。
以上でございます。
次に、三月十四日、日本漁船が韓国警備艇にだ捕された事件でございます。その事件の概要について御説明申し上げたいと思います。
三月十四日午後一時過ぎ、済州島の西にあります遮帰島から西に約十六・五海里——これは韓国の漁業に関する水域外約四・五海里の共同規制水域内でございますが、その場所で底びき漁船第五十三海洋丸が第五十二海洋丸と操業中、韓国警備艇一〇六号艇により臨検されております。
二、巡視船「せんだい」が午後三時に現場に到着し、一〇六号艇に対し第五十三海洋丸の釈放を交渉いたしました。この交渉がまとまらぬまま、午後九時十分に至り、一〇六号艇の申し入れにより、第五十三海洋丸に移乗しておりました一〇六号艇の艇員二名と、一方、一〇六号艇に移乗しておりました第五十三海洋丸の船長を、それぞれ自船に帰すことになり、荒天のため飛揚島の島影に移動いたしました。
三、午後十一時三十分ごろから二度にわたりまして、一〇六号艇と第五十三海洋丸が接舷しようとしたのでありますが、同艇の武装艇員が第五十三海洋丸に移乗する気配があったためなどの理由により、海洋丸が接舷を避けております。
四、十五日午前一時二十分、韓国警備艇八六五号艇が接近してまいりました。そのときに、第五十三海洋丸は巡視船「せんだい」に接舷しようといたしました。これに対し、午前一時四十分一〇六号艇が第五十三海洋丸に強行接舷し、武器を携行した艇員二名が乗り込み、先に移乗していた艇員二名とともに、小銃二発、けん銃一発を発射し、また銃の台じりで第五十三海洋丸の乗り組み員を殴打して、「せんだい」への接舷を妨害いたしました。その直後、第五十三海洋丸の乗り組み員中九名が海に飛び込むなどして、「せんだい」に収容されております。この間、僚船の第五十三海洋丸のほうは、現場を離脱いたしております。
五、巡視船「せんだい」及び現場に到着した巡視船「くさかき」は、その後も第五十三海洋丸を連行中の一〇六号艇に追尾し、同艇に対しまして抗議及び釈放の要求を引き続き行なったのでありますが、午前三時過ぎ韓国の領海付近に達しましたので、ここでこれを中止いたしております。
六、第五十三海洋丸は、十五日早朝、一〇六号艇に連行され、済州島山地港に入港した模様であります。
七、「せんだい」に収容された第五十三海洋丸の乗り組み員中三名が負傷しております。
八、外交ルートによる釈放交渉は、十四日から始められまして、現在も引き続き行なわれている次第でございます。
以上、簡単でございますが御報告申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105113830X01319660322/5
-
006・増川遼三
○政府委員(増川遼三君) 最近発生いたしました観光旅館の火災事故に関しまして御報告申し上げたいと存じます。
去る三月十一日に発生いたしました群馬県水上町の菊富士ホテルに関しまして申し上げますと、同旅館は、昭和三十五年の十二月二十七日に政府登録を受けている国際観光登録旅館でございますが、当日、茨城県の東茨城郡御前山村の煙草耕作組合の団体が百四十八名、同じく茨城県の関城町の大竹電機その他の団体が六十五名、合わせまして二百十三名宿泊しておったのでございますが、三月十一日の午前三時四十分ごろに火災が発生いたしました。
これは、警察の調査によりますると、警備員の松井利次(三十七才)が石油ストーブをけ倒しましたことによりまして出火いたしたものでございます。一階の厨房わきの警備員の控室が出火場所になっております。
これによりまして、同旅館のうち、鉄筋コンクリートづくり地上三階、地下二階建ての新館、これには玄関、ロビー、客室等が所属しております。それと木造二階建ての建物、厨房と客室、広間等がございます。それと木造三階建ての客室部分、これだけが全焼し、また、鉄筋コンクリートづくり地上四階建て秀嶺館というものと、木造の離れ二棟、これが半焼いたしたのでございます。
これによりまして、死者三十名、うち男五名、女二十五名、負傷者二十九名——重傷五名と軽傷二十四名を出したのでございます。全く遺憾に存ずる次第でございます。この死者は、全部鉄筋コンクリート建ての新館の二階と三階に宿泊しておりました石塚煙草耕作組合の組合員の方々であったのでございます。このほかに、観光バス四台が駐車しておりましたが、そのうちの一台と乗用車一台が類焼いたしたものでございます。
これにつきましては、警備員の不注意によります失火ではございますけれども、そのあとにおける防火並びに避難の誘導という点に非常に欠けたものがございました。単に直接原因者だけでなしに、旅館の経営者側に相当な落ち度があることがわかったわけでございます。これに対して、当局といたしましては、直ちに陸運局長及び関係の旅館の各団体に対しまして、厳重なる警告を発した次第でございます。
次に、三月十九日の夜十一時に起こりました和歌山県の白浜町にございます三楽荘の出火について申し上げますと、三月十九日夜十一時過ぎに出火いたしました。これにつきましては、出火場所としては、焼却場または厨房付近の模様。それから出火原因といたしましては、失火の模様ということでございまして、まだ警察当局の調査が未了でございますので、この席ではっきりしたことは申し上げかねるわけでございます。この三楽荘は、日本観光旅館連盟の会員になっている旅館でございまして、政府登録の国際観光旅館ではございません。ただ、これにつきましても、われわれといたしましては、一般的な監督責任もございますので、目下詳細の報告を待機中でございます。
被害といたしましては、鉄筋コンクリート建ての三階建て、一部六階建ての本館と新館、それから別荘を全焼いたしました。
それから死傷者といたしましては、死者四名でございます。負傷者は、非常に軽微の負傷者が若干だけございまして、それぞれ対策を現地におきまして講じておるようでございます。
また、その隣接いたしておりましたホテル銀海が類焼いたしまして、これは付属建物の木造地上三階建ての従業員宿舎及び非常階段、これだけが類焼いたしまして、客室その他につきましては被害を免れた次第でございます。このホテル銀海は政府登録旅館でございます。これにつきましても、警察当局の調査が未了でございますし、詳細の報告が参っておりませんので、いずれも参りました際に御報告申し上げたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105113830X01319660322/6
-
007・江藤智
○委員長(江藤智君) 以上の報告に対する質疑は、後日に譲ることにいたしたいと存じます。
本日はこれにて散会いたします。
午後三時四分散会
—————・—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105113830X01319660322/7
4. 会議録のPDFを表示
この会議録のPDFを表示します。このリンクからご利用ください。