1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和四十一年五月十二日(木曜日)
午前十時二十二分開会
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委員の異動
五月十一日
辞任 補欠選任
田中寿美子君 柳岡 秋夫君
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出席者は左のとおり。
委員長 和泉 覚君
理 事
木島 義夫君
松野 孝一君
山田 徹一君
委 員
斎藤 昇君
鈴木 万平君
中野 文門君
大森 創造君
亀田 得治君
藤原 道子君
柳岡 秋夫君
山高しげり君
政府委員
法務省民事局長 新谷 正夫君
事務局側
常任委員会専門
員 増本 甲吉君
参考人
日本大学教授 三戸岡道夫君
弁 護 士 大住 達雄君
鉄道機器株式会
社社長 吉田 要三君
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本日の会議に付した案件
○商法の一部を改正する法律案(内閣提出、衆議
院送付)
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001・和泉覚
○委員長(和泉覚君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
商法の一部を改正する法律案を議題といたします。本日は、先日決定いたしましたとおり、本案について参考人の方の御意見を聴取いたします。
この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
参考人各位には、御多忙中にもかかわらず御出席をいただき、まことにありがとうございます。浮く御礼を申し上げます。
御承知のように、本案は関係各界において深い関心を持たれておる議案でありますので、本委員会といたしましても、その審査に慎重を期しますために、ここに各位の御意見を承る機会を持った次第であります。何とぞ、各位におかれましては、忌憚のない御意見をお述べくださるようお願い申し上げます。
なお、議事の進め方でございますが、参考人からお一人二十分程度御意見をお述べいただきまして、そのあと委員から質疑がありますれば、それにお答えを願いたいと存じます。それでは、まず三戸岡参考人からお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/1
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002・三戸岡道夫
○参考人(三戸岡道夫君) 今度の商法一部改正法律案について、私の御意見を申し上げたいと思います。
私は、今度の改正法案につきまして、全面的に賛成をいたすものでございます。それで、私の立場でございますが、商法の株式会社法が実際どういうふうに運営をされておるかということを専攻いたしておるものでございますが、それにつきまして今度の改正意見につきましても、長年商法が改正を繰り返したわけでございますが、ことに昭和三十七年後におきまして商法の改正の問題で各方面からいろいろの、要望が出たわけでございます。今回の改正は、その、要望について法制審議会の商法部会におかれまして検討して、取り上げるものを取り上げて今度それを立法化されたわけでございます。
その内容につきましてでございますが、まず第一に株式の譲渡制限を認めることにする改正でございますが、これは、昭和二十五年の改正で、そり前は定款でもって株式の譲渡制限が認められてれりましたのを、定款をもってしても譲渡制限ができないというように改正したわけでございます。この改正は、株式会社の株式というものについての流通性を徹底的に保障しなければならないこいう精神で、その精神は株式会社にとりましてはきわめてりっぱな精神でございますけれども、何ぶんにもわが国の株式会社というものが、株式を実際に上場している会社だけでなくて、いわゆる同族的な閉鎖会社が数の上からは非常に多いわりでございまして、それに関連しますと、このりっぱな指導精神をそのまま推し進めるのがどうかという批判も出てくるわけでございます。これは、上場会社とか大企業にとりましては、こういうものが認められましても、今後おそらく定款にこういう規定を設けることはできませんでしょうが、同族的な会社にとりましては、資本の自由化しいうようなことも伴いまして、やはり譲渡制限の道を開いておくほうがいいのではないかということから、その要望にこたえる趣旨でこの改正法木が出たものだと思います。
その内容につきましてでございますが、定款をもって取締役会の承認を要する旨を定めることができるというようになったわけでございますが、これは昭和二十五年の改正以前にそのまま戻したわけではなくて、同じように定款で制限規定を設けることができることにいたしましたが、その定款の規定の設け方につきましても非常に要件を重くしております。また、これを株券に必ず記載しなければならないようにいたしまして、投資家保護のこともはかっております。それから譲渡を会社が断わった場合の処置につきましても、投資家についての投資の回収をはかる方法が非常に詳細に規定されております。したがって、これは、閉鎖会社がこういう制度を設けたとしましても、投資家保護に対しては欠けるところがないような手続になっておりますので、この法案どおりの法律か成立してけっこうだろうと思います。
それから第二の額面、無額面の相互転換の問題でございますが、これは無額面株式を昭和二十五年に認めましたけれども、実際には非常にこれが発行されないということでございますが、しかし、いま、額面株式の額面額というものについてこれに拘束されるといいますか、そういうことで株式を通じての資本調達というようなことも完全にうまくいっていないように考えるものでございます。むしろ無額面株式というものを大いに育成する意味におきまして、いま額面株式と無額面株式の転換の道が開かれておりませんので、ここにその方法を開いていただくということは非常にけっこうだと思うわけでございます。
それから第三の問題は、株式譲渡方式の改正と、それから株券を発行しない制度を認めるということでございますが、株式の譲渡につきまして御承知の裏書きあるいは株券と譲渡証書の交付によるという譲渡方式がはっきり明定されましたのが二百五条で、これも昭和二十五年の改正でございますが、この改正で株式の譲渡ということについての方式を明確にしたわけでございます。それ以前は、株券の裏書きとかあるいは白紙委任状の真偽——真正であるかとうかということを会社について調査いたすことになっておりまして、これが調査して偽造だということがわかれば、株式の譲渡の効力を生じないということになっておったのでございますが、昭和二十五年の改正で、もう株券の裏書きとかあるいは譲渡証書という形式が整っておれば、その真偽は調査しなくとも名義書きかえをしなければならない、あるいは、それに基づくところの善意取得も成立するというような改正が行なわれたわけでございます。
その後、各会社の資本調達ということが盛んに行なわれて、各会社の規模が非常に大きくなったわけでございます。昭和二十六、七年のころには、証券取引所の取引が一日に三千万株というようになればもう取引の事務が停滞して取引を停止しなければならないというようなことが言われ、一日取引所が休んだというような事実もございましたが、その後機械化の問題とかいろいろのものが進みまして、現在では一日に一億五千万株、あるいは多い日には三億株というような取引が行なわれるように非常に膨大になったわけでございます。そこで、株券の受け渡しというようなものについても非常な膨大な量になってきました。そこで、法律上は記名株式の譲渡につきましてば株券の裏書きが要るとかあるいは譲渡証書が要るということを規定しておりましたけれども、それは形式が整っていればいいんだ、その真偽は会社で調査する必要がないということから、その裏書きとか譲渡証書というものがきわめて軽く見られるようになりました。実際に受け渡す者が非常に膨大な株券の量を受け渡したときに、株券を渡せばいい、判さえ押して渡せばいいだろうということで、そういう慣行が非常に多く行なわれるようになったわけでございます。
そこで、問題になりますのは、非常に大きな取引が行なわれるところのものは、証券取引所を通じて行なわれるような取引におきましては、株式の裏書きというものにつきましても、形式的には取引の必要要件になっておりますけれども、だれかが裏書きのある記名捺印というものをつくればそれで十分なんだということでこれが軽視されて、せいぜい株券に判だけ押して渡すという慣行が非常に多く行なわれることになったのでございます。それで、これが法律問題となりますと、はたしてそれで裏書きがあるのかないのかということが問題になってくる。それで、これが取引所を通じての上場株式についてなんかの受け渡しの問題にしましても株式の名義書きかえなどにしましてもほとんど問題にならなかったのでございます。ところが、やはり、閉鎖会社と申しますか、閉鎖会社のなかなか株式の譲渡を認めたくないところにおきましては、その株式の名義書きかえについてもこれを断わりたい。断わりたいときに、最初は約束があるんだというようなことを言っておりましても、それが約束があるんだというようなことでは、株式の譲渡制限は定款をもってしてもできないのでありますから、効力がないわけでございます。そこで、今度裁判上の争いになっておるときに、いや、あれは裏書きの判だけなんだから、その理由で名義書きかえは断わったというような事件が数件東京地方裁判所とかその他の裁判所に訴えが出されまして、これが最終的には最高裁判所まで行った事件もございまして、最高裁判所では、そういう場合には形式が欠けているんだから、会社は名義書きかえについて自分の責任で記名を入れて受け付けてもいいけれども、それは形式上の不足なんだから断わってもいいというような判決も出たわけでございます。したがって、この裏書きは、実際上の意味がないにかかわらず、そういうふうな問題を生じておる。そこで、この流通の面におきましても、はたしてこれを補充すべきか、しなくてもいいのかという問題が実際上には非常に困った問題となったわけでございます。
それからもう一つは、法律はそういうふうに株券の裏書きというものを要求しておいて、しかもそれが真正であろうと偽造のものであろうと、一たん取引所を通ずるような形で善意の第三者に渡ったら、もはやそれは取り返せないんだというような法律上の構成をとっておりますけれども、これが一般の投資家などにとりましてははたして認識されているかどうかということはまた疑問でございます。したがって、「私は、裏書きが要る株券は預けているけれども、株券の裏書きをしていないから安心だ」といって株券を預けたものが、それが裏書きされて株券が転々されてしまう。そうして、それが最後には株式会社に来て名義書きかえをしてもらわなければならなくなる。そうすると、会社では、名義書きかえをせざるを得ませんから、名義書きかえをするわけであります。そうすると、それを渡したところの投資家は、「おれはあの判を押さないで渡した。それを会社が調べもしないでなんで名義書きかえしたか」というように食ってかかる場合が多いのであります。そういうことからいたしますと、形を整えるだけの問題でこれを残しておくということは、これは法律的には形が整うということにもなりますけれども、いま申し上げたように、裏書きの形式が非常に軽視されて、大量のものの場合には裏書きの形式が非常にくずれてしまう、非常に形式的に軽視されたものになってしまうということで、法律はそういうものを置いておかないほうがいいんじゃないかというふうに考えるのであります。
それからもう一つは、いま申し上げたあとの面でございますが、これが、裏書きというものを残しておるのだから、この裏書きに価値を認めるということで、かえってこれを信用する者が間違いを起こすというようなことになってくる。そういう弊害もあるのでございますから、もともともはや株券の交付ということと同じことになっておるのでございますから、株式の譲渡ということは株券の交付によるものとしていただきたいという要望をわれわれはしたわけでございますが、その趣旨が今回の二百五条の規定の改正となっておるわけでございます。
それから第四の議決権の不統一行使の問題でございますが、議決権の不統一行使ができるかどうかということは、学説上いろいろ争いがあるところでございます。ところが、いろいろ資金調達の関係でアメリカで日本の株式を引き受けてもらうというような場合に、アメリカで代用証券を発行するというような事態が非常にふえてきた。たとえば、ソニー会社のADRの発行であります。そういうような会社が非常にふえておりますが、そういう場合には、アメリカの考え方から申しますと、アメリカの考え方は、株主名簿上の株主が実際上の株主と違う場合には、実際上の株主の意見を聞いて議決権の行使をさせなければいけないという慣習と申しますか原則があるわけでございます。そこで、日本でADRを出す場合には、株主名簿上の名義は受託会社になりますけれども、実際の株主というのは、ADRを実際に買った株主、株式を買った会社がアメリカにいるわけでございます。そこで、委託機関は一々そのADRの所持人の意見を聞いて議決権を行使させるということをADRを出すときにソニーはアメリカ側と契約を結ぶという形が出てくるわけでございます。そういった場合に、一体株主名簿上の株主と違う株主に議決権を行使させるという契約を結んだら、会社では、そういうものの議決権は、たとえば一千万株というものについてそういうADRを出しておりますれば、八百万株は賛成だとか、二百万株は反対だというようなことを向こうが指示してきたら、そういうふうな分割行使をせざるを得なくなってくる。日本の場合にはそういうふうな法律が明確でないから、そこで、トラブルを生じた場合は、ことに株主総会に関する問題につきましては、決議取り消しの訴えなんかで常に脅かされておりますから、そこで、これを明確にしてもらいたいということから、議決権の不統一行使に関する二百三十九条ノ二という規定でございますが、そういう規定の改正が今度考えられておるわけでございます。これも、そういう趣旨から、ぜひそういうことにしていただきたいというように考えるわけでございます。
それから新株発行の手続の問題でございますが、これがいわゆる第三者に対する新株引受権の付与が株主総会の特別決議時項であったのを、今度は、第三者に対する新株引受権の付与ということにかえて、特に有利な価額で新株を株主以外の者に発行する場合には株主総会の特別決議が要るということに変えるような改正になったわけでございます。
そこで、この要望を出しましたのは、これは新株引受権というものにつきましての商法の規定のずっと改正されたところを見ますと、昭和二十五年の改正によりまして授権資本制がとられたそのときに、株主及び第三者に対する新株引受権は保障しなければならないということで、これは定款の記載事項になったわけでございます。株主のほうのものは、これを与えるか与えないか、またどういう制限のもとに与えるかということは、これは絶対的記載事項になったわけでございます。第三者に対するものは、だれに与えるかということを喪かなければ与えることができないようになったわけでございます。
ところが、これを実際に運用していきますと、株式の資金調達の面において実際非常に都合が悪かったのです。これをいろいろ定款に書かなければなりませんから、定款に書きましたけれども、そのときに、「株主は有する。ただし、取締役会の決議でこれは取ることができる」と、これはちょっと考えたらこじつけでございますけれども、そういう定款の規定を置かざるを得なくなったわけです。そこで、各会社が、それによって授権資本のもとで資金の調達をはかったわけでございますが、これがその法律にいうところの定款の記載に合うか合わないかということが非常に問題になっておりまして、株主からこれを訴える者がございまして、そうしてこれは定項の規定は無効だという判決が東京地方裁判所でおりたわけでございます。したがって、そのときに問題がございましたので、あらかじめ法制審議会におかせられてもいろいろ検討されておりまして、国会で、そういうトラブルがあるのならその定款の規定から削除しようという改正が成立したわけでございます。これが昭和三十年の改正でございます。その後、そのときに株主のほうとか第三者に対するものは定款から落としましたけれども、やはり株主以外の者に新株引受権をやるからには、これは株主総会の特別決議を経るようにしておかなければならないという手当てが、いまの問題になっておるところの二百八十条ノ二の第二項の規定として追加されたわけでございます。
ところが、これが、実際の問題としましたら、第三者に対する新株引受権の付与ということが問題ではなくて、株主以外の第三者に新株引受権を与えてその結果特に有利な価額でその者に与えることができるということがねらいになったわけでございます。したがって、第三者に対する新株引受権の付与ということの経過を見ましても、役員、従業員、その他会社の縁故者に対して新株引受権を与えてそしてその恩顧に報いるということがずっと慣行になって行なわれたわけでございますから、「特に有利」な価額で新株が発行できるというところに重点があったわけでございます。その「特に有利」な価額に重点があったのは、新株引受権を有する者は有利に買ってよろしいというところの二百八十条ノ三のただし書きという規定が今回削除になりますが、そういう規定があってその両方の関係が観念づけられていたわけでございます。
そこで、むしろ第三者に対する新株引受権の付与ということが今度は問題になってきました結果、新株をだれにも引受権を会社は与えないでこれを一般から公募したいというときに、これは会社が自分で株式を募集するわけにいきませんから、証券会社に委託する。委託する場合に、証券会社がこれを一括買取引受してそしてこれを大衆に売りさばくという方法が実際にとられるわけでございます。その場合に、買取引受契約を特定の証券会社と結んだときに、それはやはり二百八十条ノ二の第二項の規定からいうと特定の第三者に対する新株引受権になるじゃないかということで、これも訴えが起きたわけでございます。株主総会の決議を経なければいけないじゃないかということが言われたわけでございます。しかし、これも、会社としては、新株発行の形におきましてそういう手段を講ぜざるを得ないから、そういう証券業者を使って公募をする形をとりますときに必ずこの規定にひっかかるということになってくる。そうすると、この規定は、新株引受権契約ではなくて、値段の問題をむしろチェックする趣旨が初めから実質的にはあったんじゃないかということを考えると、この規定としては、むしろこれを端的に、新株引受権の付与ではなくて、特に有利な価額で第三者に与える場合というぐあいに変えたほうがいいということを考えるわけでございます。そういうふうな要望も出されて、法制審議会で慎重審議の結果がこういう法律案となったものと考えるわけでございます。
それから具体的な問題では、ここに特に有利な価額がまた問題になるとは思いますけれども、これは具体的事実の問題でありますから、今後、証券行政といいますか、そういうふうな中で、証券会社というものがもっと引受業務というものをやれるようにしなければならないんじゃないか。現在では、株式なんかにつきましては、流通市場だけがあって、発行市場はまだないんじゃないか。そうすると、発行市場というものをつくって、そして引受業者というものをもっと育成して、そしてそういうふうな引受市場におけるところの公正な価額というものが成立されるようなことを考えなければならないと思います。現在の流通市場を基準にしてそして新株の発行の価額が特に有利かどうかというような判断をするところに、まだ現在の場合ではすぐこれがスムーズに解決できないかと思いますけれども、ここで特に有利な価額でやる場合に規定をしておいて、そして実際上の裏づけというものは今後そういう面の一般の実際の運用面で発行市場を育成するというような形でこれを解決していかなければならないというふうに考えるわけでございます。
それから新株引受権の譲渡でございますが、新株引受権の譲渡につきましては現在商法のほうでこれに関する規定がない。したがって、指名債権の譲渡の手続ということが言われておりますけれども、これはやはりここで道を開いておくほうがいいんじゃないか。しかもそういう場合にどういう手続によってやるかということを開いておくほうが今後の混乱を防ぐのによいことだと考えるわけでございます。諸外国においては新株引受権の市場というものはあるわけでございますから、わが国にも今後外資を入れるためにはそういう道を開いていかなければならない。実際上これをどういうふうにやるかということについては、道を開いておけば、今後いろいろな実際の株式の運用というようなことにおきましてこれを具体的に実施する方法は考えていけるだろうと思います。
最後に、転換社債の転換の問題でございます。これは、転換社債が国内だけで発行されている場合には、株式の名義書きかえの停止期間中これを停止することもよかったんでございますけれども、ドル建てで転換社債というものが非常に多くなってきた現状におきましては、諸外国の慣習に従ってこれを閉鎖中にも転換できるような道を開いておくほうがいいわけであります。
そういう意味におきまして、今回の改正法案の全部につきまして賛成いたす次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/2
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003・和泉覚
○委員長(和泉覚君) ありがとうございました。
次に、大住参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/3
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004・大住達雄
○参考人(大住達雄君) 日本に法律の数は非常に多いのでありますが、われわれの私生活において一番関係のあるのは民法と商法であります。民法は、個人及び物に対する関係、親族、相続の関係で一番関係が深い。商法は、われわれの日常生活の中の経済生活に関する関係において一番関係が深いのであります。
民法は明治三十一年に施行されております。それから商法はその翌年明治三十二年に施行されておりまして、双方ともすでに六十六年ばかりたっておりますが、この間、民法は、部分的の改正はありましたが、親族、相続を除きまして、ほとんど六十五年の間は改正らしき改正はないのであります。親族、相続が改正されたのは、これは戦後の日本の家族制度、相続制度がまるっきり変わったので、これはやむを得ないことでありますが、総則、物権、債権においてほとんど改正されておらないのであります。しかるに、商法におきましては、この六十五年間に相当大幅な改正が行なわれているのであります。明治三十二年に施行されて、すでに四十四年には大幅な改正が行なわれております。さらに、その後昭和十三年にまた大幅な改正が行なわれております。その後、太平洋戦争の関係上改正が行なわれておりませんでしたが、戦後、昭和二十三年、それから昭和二十五年、昭利三十年、昭和三十七年、それから今回の改正と、数次における改正が行なわれているのであります。
なぜ民法が改正されないのに商法がそうたびたび改正されるかと申しますと、これは商法という法律そのものの持つ特性によるのであると考えるのであります。商法はわれわれの経済生活を規制する法律でありますが、経済というものは日進月歩、すでにこのごろは、一年、二年でなく、四、五日のうちにも経済情勢が変わる。経済情勢が変わると、これを規制するところの商法というものは当然変わらざるを得ないのでありまして、このように経済の発展変化に伴って商法が改正されるというこの性質を時勢適応性と、こう申しております。時勢に適応するために簡法は必要に応じて部分的に改正せざるを得ない、こういう運命を持っているのであります。
第二番目は、国際間の関係であります。国際間の関係はますます密接になりまして、飛行機できょうの夕方羽田を立てばその日の午前中にはアメリカに着くというようなことになって、非常に密接な関係になっているのであります。国際貿易を盛んにし、国際間の相互の理解を深めるためには、法律が同じであるということが一番望ましいのであります。われわれ外国に行きまして一番不便なのは、金の問題とそれからことばの問題であります。これが統一されれば一番いいのでありますが、経済においても法律が統一されるということが一番望ましいことでありまして、すでに手形小切手法、それから国際物品運送なんかも統一されておりますし、それから海上保険なんか、これは法律では統一されておりませんけれども、ロイドの約款がありまして、これが慣習法的に適用されて、ほとんど統一されておるのであります。どちらに統一するかといいますと、これは大陸法系と英米法系とありますけれども、大体英米法系に統一される傾向が多いのでありまして、これはいいか悪いかという問題ではなく、そうならざるを得ないことだと思います。日本では貿易は三〇%以上米国に依存しておる。カナダ及び英国、コンモンウェルスを含めますと、これは半分以上の貿易をやっておるのでありまして、どうしても英米法に統一するというほうが日本のためにも便利であるということになります。大陸法の本家本元であるドイツすらもすでに英米法にかわりつつあります。ですから、日本の商法が昭和二十三年以来だんだん英米法に近づいたということもこれは必然的の結果でありまして、こういうふうに国際的に法律が一緒になるという傾向を国際順応性と、こう言っております。
それからもう一つ、経済というものは簡易迅速であるということを必要とするのでありまして、あまりめんどうくさい手続をとると、かえってそのために商機を逸したり、あるいは需要者が困るというようなことがあるので、だんだん簡易迅速性ということが重んじられるようになりまして、これによってまた商法を改正せざるを得ないということになるので、商法がたびたび改正されるのはそういう理由に基づくものだと考えられるのであります。
それで、この法律の改正につきましては、主務官庁が指導性をとって国民を指導するために法律を改正していく、こういう場合と、それから関係方面、商法で言いますと財界、経済界の方面の要望によって改正していく、この二つの方面があると思うのでありますが、戦後の商法改正は、昭和二十五年はちょっと違って、むしろこれは司令部の至上命令というのがずっと入っておりますけれども、それでもやはり経済界の要望をずっと取り入れて、司令部の指示と経済界の要望というものを調整して改正されたのが二十五年であります。この二十五年の改正を是正するため、また、その後に起こった経済情勢あるいは国際情勢に適応するために改正が行なわれておるのであります。今度の改正も、主務官庁の法務省が指導性をとっていって、むしろ経済界の関係の要望によってこの改正が企てられたものでありまして、すでにこれを法制審議会にかける前に、日本経済団体連合会と、関経連と申しますか、それから日本商工会議所等から要望が出ております。ほとんど皆同じなのでありまして、これらの団体は日本の企業界、経済界を代表するものでありますから、この要望によって商法を改正したことはきわめて時宜に適するものでありまして、この商法の改正によって日本の経済はさらにスムーズに円滑に発展を遂げていくと思うのであります。もちろん、経済界の要望だけではなく、企業に対する出資者、利害関係人の利益というものも同時に考えなければならないのでありまして、この改正は、経済界の要望をいれつつ、株主その他の利害関係人の利益を調整して立案されたものだと、こういうことが言えると思うのであります。
各論的なことは三戸岡参考人から詳細に御意見の開陳がありましたので、私もこの改正には全面的に賛成でありまして、早くこれが国会を通り、そうして早く実施されることを望むものでありまして、各論のほうは御質問でもありますれば私の意見を申し上げますけれども、重複を避けまして、総論的な意見にとどめておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/4
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005・和泉覚
○委員長(和泉覚君) ありがとうございました。
次に、吉田参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/5
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006・吉田要三
○参考人(吉田要三君) 私自身中小企業の経営者でございますので、自分の会社運営の経験にかんがみまして意見を申し上げたいと存じます。
御承知のとおり、中小企業の大部分は個人企業から出発をいたしておりまして、その間資本の増加の必要を生じますと、同族であるとか、知人であるとか、あるいは技術等の協力者、取引関係者、こういう人たちに出資を求めまして株式会社に組織がえをするのが一般でございます。この場合に、これらの株主はいずれも個人的な信頼感を経営者に持ちましてできたものでございまして、いわば経営者を中心とする株主相互の人間的結合という面が非常に強いのが中小企業の特色であろうと考えておるのでございます。こういうような同族会社的な性格を持った中小企業というものは、御承知のとおり、株式会社の九〇%内外を占める非常に大多数になっておりますので、これらの立場の問題をお取り上げいただけることは、われわれといたしまして非常にありがたく思う次第でございます。
まず、株式護渡の制限の問題でございますが、中小企業といたしましてはぜひこれを実施していただきたいと思うのでございます。その理由は、ただいま申し上げましたように、中小企業というものは株主相互の人間的な結合、人間的な信頼感に基づいて組織されておりますので、株式の値上がりを待つとかあるいは配当の安定だけを期待するというような、有価証券を持つというような意味で株主になったのではないのでございまして、企業の存続発展ということに協力をしようという気持ちに基づいた組織になっておるわけでございます。こういうような意味におきまして、その株主が変わりましてそういうような相互の信頼感を失ってまいりますと、企業の経営方針の統一を欠きまして、経営が不安定になる場合が事実非常に多いのでございます。
私自身の経験といたしまして、終戦直後、私どもの株式が物納されまして、これがまあ競売と申しますか一般に売却せられたんでございますが、私どもはこれを買い取るのに非常な不安を感じて、かろうじて私ども自身がこれを入手することができたのでございまして、こういう点におきまして私どもが中小企業の立場から株主というものに対して非常な関心を持っておることを御承知おき願いたいと思うのでございます。
こういうような意味におきまして、今般の改正で株式譲渡の制限を必要によって認めるという御趣旨でございますが、これは私どもといたしまして非常にありがたく思う点でございます。同時に、私ども自身も、自分の企業の立場のことだけでなしに、この制限が認められました場合に、当然そういうような会社は株式の公開性がないのであるから、株式市場に上場する資格を失うだろうということも当然のことであろうと思うのでございます。また、会社が株式譲渡の制限が認められました場合に、会社みずからが株式を買う責任を負うということも当然のことであろうと思うのでございます。ただ、この場合に、第一次的には価格は当事者の話し合いできまると思うのでございますが、これができなかった場合には、最終貸借対照表の純資産額でもって一応その価格を算定しようという御趣旨が盛られておると思うのでございます。これも一つの方向を示すものとして私どもは賛成申し上げるのでございます。さらに、こういうような価格が話し合いがつかなかった場合に裁判所の決定に従うということも、私どもは株主の財産権を保護すると同時に私ども自身の価格に対する責任を明らかにするという意味において反対しますことはないのでございます。
ただ、私どもが多少心配に感じますことは、こういうような法律的な手続をもってきめられた価格ができました場合に、税務署が譲渡価格というものを査定をいたしますが、その間のズレをとういうふうに解決するのであろうか。こういう意味において、税務署の譲渡価格査定という問題に対する影響力があるのではないかというふうに考えるのでございます。
次に、第二の問題は飛ばしまして、第三の株式の譲渡方法等でございますが、私どもも、長期の安定株主が多いために、判子をなくしてしまうというケースが非常に多いのでございまして、判子を使うということは実際的には形式化しておるのではないかと思うのでございます。そういう意味におきまして、裏書きあるいは譲渡証書の必要なしに株式が譲渡できるという御案は、私どもといたしましても当然であろうと思うのでございます。
ただ、中小企業の株主は、非常に長期の安定株主の傾向がございますので、株式の保管にはやはり問題がございますので、今度の御改正による不発行制度とかあるいは寄託制度というものを利用する向きが相当あると思うのでございますが、これらにつきましてはまだ慣行ができておりませんので、どういうふうな方式がとられるか、私どもといたしましてはよくわからないのでございます。ただ、こういうような譲渡が容易になると同時に、株主権というものが知らない間になくなっていたという不安もございますので、こういう点のないようなお取りきめを願いたいと思うのでございます。
次に、第六の新株式引受権の譲渡でございますが、中小企業の株主は出資力の乏しい株主も相当多くございますが、いろいろな都合で出資力がございましても増資を希望しない場合があるのでございます。こういうような意味におきまして、株主の利益を保護いたしますために有利に発行いたします新株式の引受権を他に譲渡することができるという御決定は、私どもといたしましても賛成申し上げるのでございます。ただし、私は、この新株式引受権の譲渡は、今度の改正の株式譲渡制限の規定が同様に準用されるものであろうと理解いたしておるのでございます。
私ども、中小企業の立場から、ただいま申し上げました三つの項目に対しましては、積極的な関係がございますので、これをただいま申し上げました趣旨で賛成申し上げるのでございますが、その他の第二、第四、第五、第七の項目のことは、一般的な事項といたしまして私どもも別に反対する必要はないので、株式の合理化という点から当然ではなかろうかと思うのでございます。
ただ、最後に、私どもが感じておりますることを二、三申し上げさしていただきたいのでありますが、現在、株式の取扱単位というものが一株でありました場合に非常に大きな矛盾があるのでございます。たとえば、額面五十円の株式を印刷いたしますのに、一枚百円ぐらいかかる。それから株主総会を一回いたしますと、一株でも二百円とか三百円の金がかかるのでございます。こういうような意味におきまして、額面、五十円一株ということはほとんど単位として意味をなしておりませんので、私どもの実感といたしましては少なくとも百株以上が単位でなければ経済的に意味がないと思っておるのでございます。ところが、慣行的に一株五十円ということがきめてありまして、こういう一株でも株主として請求があった場合にはそういう株券を発行しなければならないというような面もございますので、私どもといたしましては、今後、百株以下であった場合は株式の移動に際しまして現金でこれを決済して端株を整理していくというようなことが何か法律的に容易にできる道が開けないかということを期待いたしている次第でございます。
もう一つは、今日の商法は、大企業も中小企業も一律に適用されているわけでございますが、何ぶん大企業と中小企業とはその上場の有無によりまして公共性も非常に違いますし、先ほど申し上げましたように、会社の性格も構成上から非常に違っております。また、同時に、法律を守る能力というものは大企業と中小企業とは格段の差がございますので、将来、商法の適用には、大企業、中小企業に何らかの差を設けて弾力性を持ったものにしていただかなければならないように感じておる次第でございます。
最後に、今回のような法律の改正がございましても、この趣旨を具体的に周知徹底させるような御措置がないと、私どもといたしましては何がきまったのかわからないというのが実態でございますので、その点につきまして、こういう法改正につきましてはこれを中小企業に周知徹底させるような行政指導をしていただきたいように思っておる次第でございます。
以上のことで、私どもは、中小企業の経営者の立場から今回の改正につきましては全面的に賛成を申し上げる次第で、ぜひとも御改正願いたいと思うのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/6
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007・和泉覚
○委員長(和泉覚君) ありがとうございました。
以上をもちまして参考人の御意見の陳述は終わりました。参考人に御質疑のある方は、順次御発言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/7
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008・亀田得治
○亀田得治君 二、三お尋ねしたいと思いますが、三戸岡さんに伺いますが、証券会社の買取引受のことなんですが、判決があったりいろいろしてこういう改正案が出てきておるわけですが、証券会社が一括して会社から引き受けてそうして一般のお客さんを集める、これは実質は証券会社の引受ではないのですね、正直にそのことを判断すると。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/8
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009・三戸岡道夫
○参考人(三戸岡道夫君) 実質的には、証券会社を通して一般大衆に売り出すトンネル——トンネルといいますか、本来ならば、引受業者というものがあって、引受業者がその業務としてこれを一般大衆に売り出すために一応ブールして一般に売り出す。ただ、日本の場合はそのプールがありませんで、直接売り出すことを条件にして会社から引き受けているというのが現状でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/9
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010・亀田得治
○亀田得治君 そこで、私は三戸岡さんの意見を聞きたいのは、証券会社が別に株そのものを引き受けるのではなくて、中間の仕事をするだけなんですね。したがって、証券会社の業務としてそのような仕事ができるように法律上規定すればいいように思うのですが、何かこう実際と法律の規定というものがきちんと合っておらぬような感じがするわけですね。私自身は、証券会社のそういうやり方がちゃんと慣習として発達してきておる、これを否認するつもりはない、これは何も。しかし、いまも申し上げたように、手数料をもらって全く事務的な仕事だ、こういうふうにいわれておるわけなんですね。それなら、そういう事務的な仕事がやれるようにもっとまっ正面からはっきり商法においても書いていったほうがいいのではないか。商法に書くのがいいかどうかわかりませんがね。あるいは証券取引法なり何かそういうものに書くのがもっと筋かもしれませんが、どうも実際問題が何か少し擬制して、そうして一括引受というふうな考え方をつくってしまっているわけですが、その辺が、そんなことをしないで、正直に証券会社の業務というものとして認めていくようなことで済むんじゃないか。したがって、そうなれば、きわめてこれはもう事務的にたとえば手数料等の問題についても規制してもよろしいし、今度はっきり事務として認めていくんだから、そういうふうな立法のほうが私はより一そういいようにも思っているんですが、そこら辺のところを少し御参考までに聞かしてほしいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/10
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011・三戸岡道夫
○参考人(三戸岡道夫君) いまおっしゃったとおりに、実際の新株発行につきましても、会社が公募する場合には、そういう制度がなくちゃいけないだろうということは、私さっき発行市場というような形で申し上げました。いま証券業者というものの業務でおもになっているのは、流通市場においてのディーラーとブローカーで、自分で買ったりあるいはお客さんに頼まれてある株式を買う業務は大いに行なわれている。ところが、新株を発行する場合においていま申し上げたような形の引受業務というものが、それはやはりいろんな経済的関係とか証券行政とかいろんな問題がからんでくるのだと思いますが、今後は証券取引法の関係なんかでも証券業者に対して引受業務の免許というものがおそらく近々制度としてはできるんじゃないか。それで、商法の関係から申し上げますと、そういうふうな形において、証券業者を通じてでもいい、とにかくそこに株を一括して渡して、それを次の段階に売り渡す方法を講じましても、現在の二百八十条ノ二の第二項の規定で、株主以外の者に新株引受権を与えるという契約を結べば、それはこの規定に当たることになるんだから、そうすると、今度引受業者を通じて株式を公募しようと思う場合にも、その証券業者というものに引受権を与える契約を結ぶんなら、この規定があるから株主総会の特別決議を経なければいけないということになると、新株による資金調達ということがやはり非常にめんどうになる。手続が重なってくる。今度の場合は特別有利な価額で発行をしたか、どうかが特に肝心な問題だから、第三者の引受業者に対して、手数料とかなんとかいろんな値の関係で会社が損害を与えられておれば、これは特に有利な価額ということで今後は考えていけるんじゃないか、もし違反していればつかまえていけるんじゃないか。したがって、第三者に対する新株引受権付与の形で、しかもそれが有利な形に関係づけてやっておる現在の法律よりも、今度の改正法のように直接特に有利な価額でやる場合は株主総会の特別決議によることにしたらいいのじゃないか。それから、あとの、いま先生おっしゃったような証券行政、そういうもののあり方は、いわばもっと株式の発行市場というようなものを育成していただきたい。そこでまた特に有利な価額というものの判定の基準がおのずから制度としてもできるんじゃないか。現在のような流通市場による株式の発行価額というものを基準にして、やれ有利だ、特に有利だというようなことを考えると、ちょっとまた基準がむずかしくなるんじゃないかというふうに感じております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/11
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012・亀田得治
○亀田得治君 私はよくそういう関係のところはわからないからお聞きするわけですが、この改正案で私はいいと思うんですけれども、証券会社が引き受ける意思というものは別にないわけでしょう。証券会社は、一時的にそれを預かって、そうして一般の公募の結末をつけてやる、こういうだけなんですからね。ところが、この商法の改正案の構成が、また従来の考えからでも、一応証券会社は引受者だ、その引受権を一般大衆に譲渡していく、渡していく、そういう関係になっているんですね。そうじゃないんですか、法律的には。証券会社に引き受けさして、そうして引受権をさらに譲渡する、一般に。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/12
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013・三戸岡道夫
○参考人(三戸岡道夫君) それが引受権となると、今度引受権を第三者に与えるということになります。ところが、引受権というものは、そもそも株主のほうは、はっきり株主に新株引受権を与えたら、みんな持ち株数に比例して引受権を行使する、請求する権利が出てまいります。第三者の場合はちょっとわからないのですが、第三者の場合には、株主以外の第三者にこの規定によりまして与えるとしましても、株主総会の特別決議によって、たとえば三戸岡道夫というやつに与えるということを会社が株主総会の特別承認を得て、今度代表取締役がそれに基づいて三戸岡道夫にこれだけの株をやるぞという契約に基づいて新株引受権を与えることになるのじゃないか。現在でも、いままでの例を見ましても、役員、従業員に与えるというような株主総会の特別決議を経て、承認を得まして、それに基づいて取締役会が役員とか従業員というリストをつくって、取締役会がそれに基づいて新株引受権を与える。その場合には、結局は、市価が幾らしようと、額面五十円で与える。今度それが有利条件でも、引受権を与えたのだから有利になったってかまわないということが現在までのやり方、引受権の付与というのはそういう形だったのです。したがって、その場合に、引受権を与えたということになれば、いままでのような形で役員、従業員に引受権を与えて有利な条件で株を発行する。ところが、証券会社によって株を公募する場合には、買取引受をしてもらう場合には、これは引受権を与えるのじゃなくて、次の大衆に売り出す方法として、その大衆を見つけたり、大衆に対して一々申し込みをさしてそれに対して割り当てをするという手続がたいへんめんどうでございますから、資金調達の上からいって、証券業者というものはそういうような業務もあるものだと思って引受業者に会社も一括引き受けさせる。したがって、新株を契約に基づいて引き受けさせますけれども、引受権の付与ということではないという考え方なんです。そういうことでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/13
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014・亀田得治
○亀田得治君 そこを法律的にどういうふうに理解したら一番正確なのかわかりませんが、事実関係さえわかれば、一応それで解決がついていくと思います。
それからもう一つですね、先ほど吉田さんからでしたか御指摘がちょっとあったのですが、私も、額面一株五十円、最低、ああいうふうなのはきわめて不自然だと思っておるわけですが、いろいろこう商法の改正が何回もあって、しかもそれが実際の商取引の必要から変わってきておるんだと、先ほど大住さんからもいろいろるるお話があった。私もそのとおりだと思うのですがね。そうしたら、なぜああいうふうなものがいつまでも残っておるのだろうか。計算するにしたって不便ですわね、単位が小さ過ぎて。だから、そこら辺のことは特に問題になっておらぬのかどうか、こういう機会に御参考までにお聞きしたいと思います。三戸岡さんと、大住さんにももし何かその点のなにがありましたら、両方にひとつ……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/14
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015・大住達雄
○参考人(大住達雄君) 二十五年年の改正のときに、株が、五十円が単位になっていて、これはあまり小さ過ぎるから大きくしなければいけないという声が相当あったのであります。ところが、そのときはまだインフレが進行中で、はたして幾らと定めていいかはっきりしないというので、五十円をそのままにして改正は将来に延ばしたのであります。ところが、二十五年の改正のときに、参議院の修正をもって、五百円に引きし上げられたのですが、商法の規定は、つまり新商法が施行になって以後に設立される会社は五百円でなければいけないけれども、従来の株式会社はそのままでいいと。ただし、五百円にしようと思うならば、商法の附則によりまして、定款を改正して五百円以上にすることができるという規定をつくったのでございます。ですから、五百円もしくは五百円以上にすることは、企業が定款を改正すればできるのでありまして、むしろ法務省としてはそれをすすめていたような状態でありました。で、この規定に従って幾つかの会社は五十円の株を五百円に引き上げた会社もあるのであります。ところが、実情はどうも五百円のほうは一般の評判がよくないようで、五十円のほうが非常に評判がいいんですね。かりに五百円の株なら、七百円になるということがなかなかむずかしいんですね。五十円の株が七十円になるのはわりあいにやさしいのでありまして、企業家自身が五百円をきらって、五百円に直した会社はもとの五十円に直した。それから新商法施行後にできた会社は、これは五百円を五十円に直すわけにいけないので、小さな会社を買いまして、株を買って、それに吸収合併するというような方法で五十円に直すという方法が行なわれたのでありまして、地方の新聞を見ますと、「会社売ります」という広告もあります。それは、五十円の会社だからそれに吸収されれば五十円になるというので、商法のむしろ期待に、反して企業家並びに株主は五十円のほうを望んでいる。これはどうも日本ばかりではないようですね。日本の株がアメリカで人気があるというのは、アメリカの株ですと、百ドル出してもせいぜい三株か四株しか買えない。日本の株を買えば百ドル出すと五十株買えるというので、日本の株に集中するなんという傾向があって、これは、九十円というのは株主もお好きであるし企業家もお好きなのであって、これはどうも商法のせいじゃないというふうに感じられるんですけれども、理論的に聞いてみますと、それは、九千円がいいと、こう言いますが、かつて大蔵省が、五千円にしようという案を立てた場合に、企業家がこぞって反対しておったというふうな事実もあるので、それで企業家及び株主の頭を少し改造しない限りどうにもならないんじゃないか、こういうふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/15
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016・三戸岡道夫
○参考人(三戸岡道夫君) それからもう一つ、いま大住先生がおっしゃったとおりでございますけれども、昭利二十六、七年ごろ、額面を上げろと、変わったから上げろということでございましたけれども、これはもう一つの問題は、株券をどうするかという問題があるのです。株券というものは、現在出ているのか——その当時でももう何百万枚でございましたけれども、現在、この表を見ましても、一千万枚ぐらいの株券が出ている。そうすると、いま流通している株券というのを、一ぺん変えるからといって各会社が回収して、それを今度また改めた株に書きかえて渡さなければならぬ。その手続がたいへんだし、それをやると取引が停止になってくるというような、影響するところが手続上非常に多かったわけです。そのときに、読みかえればいいじゃないかとか、いろんな意見が出たわけでございますが、一方が増資と新株発行をどんどんやっているときに読みかえるとすると、それこそ新円と旧円の切りかえのときのように大騒ぎをしなければならない。トラブルが起きたときにだれが責任を持つかということになりますと、実施に移す発行会社としてはなかなかいい方法がなかったのであります。そういういきさつもありまして現行のまま来て、現在では、大住先生のおっしゃるように、みんな一律に上げるならいいけれども、おれの会社だけ上げるのはいやだというようなことを言うのが非常に多い。上げた会社は目下は五十円に下げているというようなことが行なわれているのが現状でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/16
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017・亀田得治
○亀田得治君 それからこれは多少愚問になるかもしれませんが、日本の業界で無額面株ですね、これがあまりふえないというふうなお話等もあったわけですが、それはどういう理由からでしょうか。むしろ傾向としては世界的にやはりそういうふうになるんじゃなかろうかと思う点もあるのですが、その辺のところをお二人から少し御意見を聞きたい。
それからもう一つは、今度のような記名株式の譲渡の方法ですね、渡せばいいということにすれば、もう株式そのものを無記名株にしてもいいわけなんですね、実際は。で、それは多少やはりまた関係者がそういうことを望まないというふうなことなのか。名前を書いておいてもそれはもう単なるお飾りだというふうなことも、どうも割り切れない感じがするのです。むしろ、ともかくそこまでいくんなら、株式はもう一切無記名株にしてしまって、会社との関係はちゃんとした手続をとればよい。そのほうが無用なむしろ混乱を起こさない。しろうとは、名前を書いてありますと、そこを非常に重視して考える人もあるかもしれない。一々商法の規定までわかりませんから、名前が書いてあるんですから、書いてあったってそれは何にもならぬのだというようなことを普通の常識では考えないわけなんです。だから、ここまで踏み切るなら、そういうところまで改正をしたほうがかえって実際に合うようにも思うのですが、まあその辺のところも二つあわせてひとつ御意見を聞かしてほしいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/17
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018・大住達雄
○参考人(大住達雄君) それでは、額面、無額面の区別について私の意見を申し上げますと、元来、株券に額面を書くというのは無意味なんでありまして、額面というのは、かつて株式引受人が会社に対して一定の金額を払い込んだという歴史的事実を物語るにすぎないのでありまして、決してこれは株式の現在の価格をあらわすものではないので、株式に百株券なら五千円と大きく書いてありまして、それじゃ会社へ行って五千円の金をくれるかというと、決してくれないのです。市場に行って、五千円の値打ちがあるかというと、決して五千円の値打ちがあるわけじゃない。ある場合には一万円、二万円の値打ちがあるかもしれない。ある場合においては全然価値がないかもしれないので、株券に額面を書くということはほとんど意味がないのでありまして、ちょうど洋服の正札をつけて着ているようなものなんでありまして、そんな意味のないものはとってしまって、かえって株を取得した者が額面の記載に左右されずに会社の実体を見る、そのためにはむしろ額面をとってしまったほうがいいというのは理論的な面から来ているのでありまして、そんなことから、アメリカあたりでも、額面よりも無額面のほうが多くなっているというような状態であります。それは、株主に、株券に記載された金額に拘泥せずに会社の実体を見ろという観念を植えつけるというのが一つの考え方であります。
それからもう一つは、額面株式は、額面の未満で発行できないのであります。ところが、無額面株式ならば、その会社の採算状態に即して、あるいは市価に応じて、適正な価額で発行できるという特徴があるのでありまして、かりに額面株式の市価が四十六、七円の場合に五十円で株式発行するといっても、これはだれも応じ手がないのであります。ところが、市価よりも少し安く発行すると、そうするとこれは応じ手がある。しかし、額面株式だと、額面だけを資本に入れなければならないのですから、これはできないのであります。そこで、無額面株を発行すれば市価に応じた価額で発行できると、こういう便利があります。資本調達が容易になるという利益があるのでありまして、現に名前を申し上げても、住友金属は、資本をある程度充実しなければアメリカの銀行で金を貸さない、少なくとも倍額に資本を充実しなければ貸出に応じないと、こういう条件をつけてきたのであります。ところが、あのときに、額面株式の時価が四十七、八円だった。そこで、四十五円で無額面株を発行して一対一で株主に割り当てた。それで資本をアメリカの銀行の要求するとおりに充実させて、それを条件にして外資を導入した、こういう実例があるのでありまして、今後やはり株式の特価発行ということが相当大きく経済界の問題になってくると思いますが、そうなると、額面より上になり下になっても無額面の発行か盛んになるのではないかというふうに見通しがつけられるわけであります。
それから、株式の譲渡について、株券の引き渡しだけで譲渡できるなら、いっそ無記名の株券にしたらどうかという御意見のようでありましたか、無記名の株式ですと、会社に記録が何もないりです。だれが株主であるかという記録がないのでありますから、総会の通知を出すこともできないわけです。それから、総会に出て議決権を行使するには、株券を持って会社に自分は株主であるということを証明しなければならない。そこで、現在においても、無記名式の株券を発行した場合には、権利を行使するには、一週間前に株券を会社に供託しなければならない、こういう規定があります。それから、株主の住所もわかりませんので、配当を送るというわけにいかない。やはり株券を持って会社に行って株券に何か配当を支払ったというような記入をして毎期配当をもらわなければならないと、こういう不便があるのであります。そこで、株券には名前は書かないけれども、これは法定要件ではありませんから書かなくてもよろしいけれども、株主名簿は書いておかなければならない。株主名簿に株主の記載があれば、そこに総会の通知を出す。総会の通知状には必ず出欠表というものを入れてありますから、それを持って出れば、そのまま株主総会で議決権を行使することができる。会社は住所がわかっておりますから、そこへ配当を送る。増資の場合にも、そこへ新しい申し込み書を送る。こういうことで、無記名の株券とそれから株券の譲渡には判が要らないということとは、株主の受ける利益というものは非常に違うわけでありまして、しいてたとえて言えば無記名の定期預金証書、銀行の台帳には預金者の名前は書いてあるけれども、預金証書には書いてないというふうな程度に思っていただければけっこうだと思うのであります。
それから、譲渡につきましては、三戸岡参考人からもお話がありましたけれども、昭和二十五年以前の商法においては、会社に届け出た判を裏に押さなければ会社は名義書きかえをしなかったのであります。ところが、届け出た判を使って譲渡するということをしないケースが非常に多かったのであります。そういう場合には、株券を取得した者が会社へ持って行って名義書きかえしてくれと言いますと、会社は、株券の裏に押された判または白紙委任状に押された判を参考に、台帳と印鑑簿を突き合わせまして、違う印鑑でもって書きかえできない。名義書きかえすれば会社の責任でありますから、印鑑相違ということで突き返した。そうすると、株を取得した者は本人から買っている場合は少ないのでありまして、たいてい証券会社を通じて買う。証券会社は、印鑑相違で突き返されますと、証券会社に売り込んだ人のところへ行って、「判が違いますから押し直してください」と言いますと、株を売っちゃって金をもらった人は非常に冷淡なんです。「どんな判を会社に届け出たか忘れちゃった。もう一ぺん会社に行って調べてくれ」というようなケースがありますし、「判は株を売っちゃったら必要ないのだから、どこかへやっちゃった」と言って、これは悪行為かどうかは知りませんけれども、判を押し直してくれないことが多かった。そうすると、せっかく買ったけれども、これは名義書きかえができないんです。そういう場合には、証券会社が保証人になって会社に一札入れて名義書きかえをしてくれろという案をつくって会社に出したことがあるのですけれども、それでも結局判が違っているのに名義書きかえすれば、その責任は会社へ来るんです。会社が訴訟に負けて、証券会社は保証書を入れたからどうかしろということになりますから、会社はそういう手続をいやがったのでありまして、こういう株を事故株と称して、相当あったわけであります。
そこで、昭和二十五年の改正において、株券の裏に押す判は会社に届け出た判でなければならないという規定を削ってしまったのであります。その結果として、三文判でも何でもいいということになってしまった。つまり、会社に届け出た判でなくても、判さえ押してあれば名義書きかえできる。そのために会社は責任を負わないということになったので、会社は判を調べずにどんどん名義書きかえを行なう、こういうことになってしまったのです。商法の規定にはそういうことはありませんけれども、実際の取り扱い及び商法の解釈からいうと、裏に押す判は三文判でも何でもけっこうだということになってしまったのであります。これははなはだ意味がないことであります。株主の中には、まだ、会社に届け出た判をしっかり持っていれば株券を盗まれてもだいじょうぶだという観念を持っている人が非常に多いのであります。だから、判さえ大事にしておれば株券を失っても自分の権利は失わないというふうに思っている人が相当多いのでありますから、むしろ株券を失ったら、いくら判を持っておってもだめだ、三文判でも何でもいいからだめなんだということを一般株主に植えつけることが大事だということでもって、むしろそのほうが結果的には株主保護になるのじゃないだろうかということで、株式の譲渡は株券の交付だけでいいという法律案ができたわけであります。
ただ、株を売らない人が一生懸命保管している。これは万一盗まれるという危険がありますから、そこで、株券がふだん要らない人は、会社に預け入れる、あるいは株券の不発行の手続をとって株主の権利を保護しようじゃないか、しかし、売りたければ、会社へ行って、「前に預けた株を返してもらいたい」と言って、あるいは「株の不発行の手続をお願いしているけれども、新たに株を発行してください」と言って売ろうと思う必要な株だけを発行してもらって、そうして他に譲渡すればいいじゃないか、こういうことで、株主の利益をはかると同時に、株主の権利をかえって擁護させる、こういうような効果があると、私はそう思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/18
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019・亀田得治
○亀田得治君 三戸岡さん、同じですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/19
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020・三戸岡道夫
○参考人(三戸岡道夫君) ただいま大住先生のおっしゃったとおりでございます。株主が権利を行使する場合に、その議決権を行使をするとか、配当金をもらう場合に、無記名株でございますと、いま申されたように供託しなければならない。記名株と無記名株の違いは、株主名簿というものが中にあって、それによって株主の権利をいろいろ守るように権利行使をさせることができるかどうか。無記名の場合には非常にそれがむずかしくなってくるのじゃないか。これも制度の問題でございますから、ドイツのように、無記名株のほうがいいじゃないか、どうして記名株のようなめんどうくさいことをするかというような制度もございますけれども、基盤が違っている。向こうは、金融機関というものが中に入って仲立ちをする。発行会社と投資者との間に金融機関が入っているわけであります。日本ではそういう制度がいまからどうというわけにもいきませんので、どうしても日本では記名株を残しておかなければならない、株主名簿を残しておかなければならないということになるのだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/20
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021・亀田得治
○亀田得治君 無記名株になりましても、それだけ持っておったのでは会社との関係が全然つかないわけで、したがって、当然株券を取得した者は自分のほうから積極的に株主名簿なりそういうところがきちっとできているかどうか、むしろそういう気になると思うんですよ、逆に今度は白紙であるために。だから、その点はそれほど実際問題としては不都合は起きてこない。ある意味においては、むしろ会社に対する関心を深めていいんじゃないか、そういう効果も逆にあるだろうと思う。株券に名前を書いてあるために会社もわかっているはずだということでむしろぼんやりする、そういう点もありますからね。しかし、なかなかいろんなそれを取り巻く諸条件がそろわないと、むずかしい点もあるかもしれません。その点、いまドイツのことがお話に出ましたが、そういう無記名株でやっているというのは相当あるのでしょうかどうですか、もし御存じでしたら、その点をお教え願いたい。
それからもう一つは、先ほどお伺いしたのは、なぜ日本で便利な無額面株がふえないのか、多少は出ているようですが、期待されたほどふえないのかという点のお尋ねをしたんですが、その辺のところの御感想をお聞きしておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/21
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022・大住達雄
○参考人(大住達雄君) いまかりに株を五十円といたしますと、五十円で発行するのは、額面でも無額面でもどちらでもいいのであります。いま、現在の状態は、額面つまり五十円で、時価がどうであろうとも、五十円で株主に割り当てるという発行が非常に多いわけであります。その場合に、額面にするか無額面にするかといいますと、従来からなれている額面のほうが株主になじみやすいだろうということで額面株を発行しているだけなんであります。これから時価発行ということが行なわれると、むしろ無額面のほうが多くなるのじゃないかというふうに考えられるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/22
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023・亀田得治
○亀田得治君 惰性ですね、一つは。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/23
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024・大住達雄
○参考人(大住達雄君) 惰性というよりも、つまり同じ五十円で発行するものならばやはり書いてあったほうがいいという……発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/24
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025・亀田得治
○亀田得治君 感じだけですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/25
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026・大住達雄
○参考人(大住達雄君) 書いてあったほうがいいというのがいままでの株主の感触だろうと、こう思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/26
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027・三戸岡道夫
○参考人(三戸岡道夫君) 大住先生のおっしゃったとおり、株式の額面株というのは、発行のときしか意味がなくて、発行してしまえばもう問題ではない。株価の問題におきましても何ら影響がない。額面株式は最低発行額にしなければならないとか、その額は資本金に入るとかいうような発行のときの制約だけがあるわけであります。ところが、額面というものが一般投資家というものに非常に根強く意識されているのではないかと思います。われわれがいま大住先生のおっしゃったような理屈をいくら並べてみましても、株を買う人とか、証券会社の方々、こういう者は、額面というものに異常な関心といいますか、私どもからいえば異常な関心なんです。ですから、いまおっしゃったように、時価発行にいかなければならないとか、株価というものは公正な発行に持っていかなければならないということになりますが、時価発行をして結局高い株価につくと、本来額面で割り当てを受けて額面で発行するよりもその。プレミアムは会社が取るんだという一般の批評がございまして、会社がかってに得をして株主に不利益を与えるということを言います。しかし、そのときの相場で株を発行して、あとは会社が額面超過額は内部留保にしておくほうが、会社は健全なものになるし、そうならなければならないのじゃないかと思います。もう一つは、額面発行の慣行は日本だけのようでございます。ドイツでは、無額面株は認めておりません、額面株だけのようでございますけれども、一つの会社が五十マルクとか百マルクとか千マルクとかいろいろの種類のものを出す。そういうふうなことで、日本だけが最低の額面にこだわって、どうしてこだわるのかということで私どももこれは時価発行すべきではないかという議論をしておりますが、私どもも額面の価額にそれほど振り回されるのはおかしいというふうに考えております。しかし、現状はどうしたってそういうことなんでございます。ですから、たとえば日本通運が時価発行的な転換社債を出そうとしましても、一般の証券市場においては売りたたかれてすぐ値が下がってしまう。時価発行ということは、先ほど申しましたように、非常にきらわれる。株主に割り当てられて額面で発行してもらうのが自分ら株主、投資家を保護する道だというのが一般の心理といいますか、そういう考えが行き渡っているんじゃないかというふうに考えます。
それから無記名株の問題でございますけれども、無記名株は、私の知っているところでは、ドイツが無記名株がほとんど原則になっております。これはアメリカが進駐して記名株に一応したんだけれども、やはりアメリカさんがいなくなったらもとの無記名株が便利だということでそういうことになったそうですが、これはやはり基盤だと思います。いろいろの金融機関が株式業務を扱うという裏づけ体系があるのでそういうことができるんじゃないかと思います。これは私もよく存じませんけれども、そういう背景がものを言うんだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/27
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028・亀田得治
○亀田得治君 ドイツ以外にそういう例はありませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/28
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029・三戸岡道夫
○参考人(三戸岡道夫君) ちょっと私存じません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/29
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030・松野孝一
○松野孝一君 ちょっと一、二お伺いしたいと思います。
先ほど、古田参考人から、会社が非常に大きいのもあり小さいのもあり、小さいものは最低七人の発起人で五百円株で三千五百円ぐらいでできる、大きいものは何百億ぐらい、こういうお話があって、そういうのを一つの商法の株式会社編あるいは株式会社法で律するということは、おのおのの株式会社の公益性の点、その他いろいろ違うと思うんですが、私もそういうような感じはするんですが、それでこれは株式会社法というのを、まあ有限会社法というのがありますけれども、そうでなくて、株式会社法を区分する、大きいのと小さいのと区分するというような学者間とかあるいはそういう方面の御意見があれば、先生たちの考えをちょっとお聞きしたいと思います、大住先生あるいは三戸岡先生から。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/30
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031・大住達雄
○参考人(大住達雄君) 現在の株式会社法には資本の制限というものはないのでありますから、極端に言えば、額面株式ならば、一株五百円ですから、発起人七人で三千五百円の会社ができる。もし無額面株を発行すれば、七円でも会社ができる。理論的にはそういうことであります。ところが、会社の現状を見ますと、大きい会社としては数百億ないし千億円をこす会社もできております。一方においては、百万円、二百万円の会社が相当多いのであります。その数百億円の会社と百万、二百万の会社を同一に規制するということは非常に無理があるのでありまして、会社を大会社と中小会社とに分けて、別の規制をしなければいけないというのは、すでに終戦後からも論じられているのでありまして、いわゆる一億円以上の会社というのが現在二千三百ばかり、三千に足りないんです。株式会社の数は、どのくらいあるかというと、大体四十万ぐらいあるんじゃないかと思います。その四十万ぐらいのうち、資本金が一億円以上の会社、ないし株を市場に上場しておるのは、現在三千に足りない。この三千を対象とする会社法、これをどういうふうに規制してもいい、ことに出資者の利益のために大きい規制をするという法律は、わりあいにたやすくできるんじゃないか。あとの四十万からの会社をどういうふうに規制するか。現在の株式会社法ではとてもこれはきつ過ぎていかぬ。それではゆるくするかといいますれば、あまりゆるくしたのではかえって基盤が脆弱になって中小企業を育成することにはならない。それからあまり資本が小さいと、いわゆる株式会社というものを利用して悪を働くというようなことも考えられるので、このあとに残った会社——大企業、マンモス会社以外の企業をとういうふうに規制するのかというのがむしろ問題でありまして、これはやはり中小企業法とこれとの関連において保護を加えると同時に規制を加えなければならないというところから、こっちの方面のほうがむしろむずかしいのでございますが、法制審議会におきましても二つ区別して会社法を別々にしなければいけないという機運は相当盛り上がっているので、私個人の考えとしては近き将来においてこの問題が取り上げられるんじゃないかというふうに考えているのですが、いつ実現するかといいますと、小さいほうの会社の保護と規制ということで相当難航するのじゃないかと、こういうふうに考えておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/31
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032・三戸岡道夫
○参考人(三戸岡道夫君) ただいま大住先生がおっしゃったとおり、そういう必要があるということは非常に認められておりますけれども、どの辺に一線を画すかということと、それからいま申されたような、それでは中小企業のほうをどう規制すればいいか。大きなほうの規制は、いまある規定の中の大きなほうに通用するものをどんどんきびしくするならきびしくして取り締まればいいと思いますが、やはり中小のほうにどういう措置を講ずるか、あるいは有限会社になれと言ったってそうもいかぬでしょうし、そこの辺が非常にむずかしいのじゃないかと思います。そこで、最近また改正が論議されることだと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/32
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033・松野孝一
○松野孝一君 それからもう一つお伺いしたいのは、私は自由民主党の中においてこの論議をしたのですが、問題になるのは株式の譲渡方式の問題であったのですが、それはやはり株式取引所あたりあるいは経済の発達の状況から考えて法案のようにしなければいけないように思うのですけれども、また、現在の法規は三文判でもいいということになっておる点から見てなおさらです。しかし、株券の交付だけで譲渡ができるというふうに言ってしまうと、盗難が起きる率が多い。それは、先ほどもお話がありました小株主のほうに十分保護を厚くするという見地から、株券を発行しないとか、株券の寄託とか、いろいろな方法を新法は設けておるが、それでもなお足りないのじゃないかという意見があったんですよ。やっぱり、現行法のように、届け印でなくても、印を押さなければ株券をとれないとか、あるいはまた、株券を取ると、窃盗罪とか株券偽造罪とか、そういう罪に問われるというようなことになれば、おのずから盗難抑制力がある。株主の保護になるというような気持ちもいろいろ言われたが、大会社は問題はないんです、これは上場株でありますから。そうでない小会社にとっては、株主が株券を後生大事にしてしまっておるのに息子に取られてしまうとかなんとか、そういうようなわけでいろいろな議論が出たんですが、しかし、結局はこの法案でいいということに落ちついたのですけれども、何かそういうところに問題があるように思われるんですが、その点をちょっと御意見を承りたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/33
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034・吉田要三
○参考人(吉田要三君) 私、やはり、中小企業のような場合には、先ほど申し上げましたように人的結合というものが非常に強いので、株券というものは記名式でもいいような気がいたしますし、たとえ三文判であっても裏に名前が書いてあったほうが非常に自然であるような気がするのでございます。ところが、やっぱり株式の流通という面から申しますと、裏書きということに固執するのもどうかと思うのでございまして、やはりこういう点から中小企業と大企業との株券というものの性格が違う、あるいは株主の性格が違うという面から、やはり中小企業として法の適用が違ってこなければならないのではなかろうか、こういうふうに考えるものでございます。おそらく、私どもとしたら、株券なんていうものは一枚一枚発行しないで、その額面の金額あるいは額面の株数だけ書いて渡してそのまま取りかえたって、そう手数はかからない。むしろ一株券、十株券、百株券を印刷するから金がかかるので、一つの書式がございまして、それに幾らの出資かあるいは幾株の所有者だということを記名して書いてお渡しすれば、それでも当事者間には差しつかえなかろうじゃないか。そういう企業が非常に多いんじゃなかろうか。そういう意味におきまして、社会性が非常に強い大会社と、公共性が乏しい中小企業とは、差があるんじゃなかろうか。
私どもも有限会社ということを考えないではないのでございますが、有限会社というものは逆に今度は結社的な性格が非常に強いんじゃないかと思います。そのために、出資をしても、将来出資者が自分の息子のときになってこれは売ろうかというときに、「いや、あなた、結社だからこれは売れないんだ」というようなことをされるんじゃなかろうかと、そんな意味で、有限会社というものが非常に結社的な性格が強くて、出資という経済的な面もございますので、そういう面から出てこないんじゃなかろうか。もう一つは、有限会社というと、何か銀行があまりいい顏しませんね。名刺を出しましてもどうもぱっといたしませんで、これは実質の問題ではございませんけれども、そういう意味で問題があるんじゃなかろうか。
ただ、私どもも株式会社でございますけれども、大企業のように詳細に商法の規定は実は読んでおりません。法は知らざるをもって何とか何とかとございますか、事実見たことがないのでございまして、しかし、それでも差しつかえない。やっぱり常識で片づける以外にない、こういうふうに思っておりますので、そういう意味で、やはり公共性が非常に強い大企業に対しては詳細な法の規制あるいは保護というものがなければならない。中小企業は別個の面から保護と規制があってしかるべきだと、こういう点をどこでどうやったらいいかということは問題はございましょうけれども、やはりそういうものを片づけないといまの問題は一がいに片づかぬのじゃなかろうか、かように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/34
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035・松野孝一
○松野孝一君 先ほど、一株の株券を印刷するのに百円もかかる、そんなにかかるものか私もよくわかりませんが、それはたいへんなものですね。そうしますと、こういうような話を新聞記事で見たんですが、株券を発行しないとかいうことにしましても、また発行してくれと言った場合には株券を出さなければいけない。相当金がかかる。定款には株券は発行しないとしておけばいいけれども、とにかく非常に痛手になる、大きな会社にとっては。それにも関連してちょっと御意見をほかの方にもお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/35
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036・大住達雄
○参考人(大住達雄君) 株券は十株の場合に一株券を十枚こしらえなければならぬという規定は商法にはないのでございます。ですから、株主一人について一枚の株券をつくってもそれでいいのでございまして、結局、株の流通ということを前提にして一株券とか十株券とか百株券というのをつくっているわけです。閉鎖的な会社なら、株主一人について株券一枚でも一向差しつかえないのであります。ただ、これが閉鎖的な会社で、内輪で、親と子と、あるいは兄弟でもって争いが起こって、株券を取られるおそれがあるということになると、これは判を押さないで譲渡ができると言っても、三文判でいいと言っても、結局取られることは同じなので、そこでもし株主の保護を厚くしようと思いますれば、どうしても昭和二十五年の法制に戻って、会社に届け出た判でなければいけないということになる。おそらく、そうすれば、株主は実印を届けるでしょうから、実印さえしっかり握っておればだいじょうぶと、こういうことになるのでございます。そうしますと、今度は、株の流通は先ほど申しましたように非常に阻害されるわけでございます。昭和二十五年前でも事故株の数というものは相当多かったので、証券会社、株式を取得した者、それから会社も、非常に困っていたのであります。いまさらこの二十五年の、株の譲渡には会社に届けた判でなければいけないというところまで戻ると、いま株式の所有が大衆化されまして、非常に流通の混乱が起こる。それには戻れない。そうしますと、三文判でいいというような形式的な世界に類例のないような制度というものはむしろ廃止してしまって、引き渡しだけで譲渡することができるというふうにしたほうが、会社の手数も省けるし、証券会社の手数も省ける。現に、証券会社のところに株を売りたいといって判を持たずに来ますと、「じゃ、うちにあるよさそうな判を押しておきましょう」というようなことが行なわれておるそうです、私は知りませんですけれども。そういうことで、判というのは何も意味がないことになるので、むしろ判がないほうがいいだろうと、こう考えるのであります。
それから、刑法学者の人はこういうことを言います。証券、株券を盗んで判を押すと、これは併合犯になります。併合犯になりますと、一倍半になるのです、刑期が。たとえば、窃盗は五年で、それから偽造は五年——よく知りませんが五年とする。そうすると、長期に長期の半分を加えて七年半の懲役ということになる。だから、その意味において判を残しておいたほうがいいんじゃないかという議論も相当あったように承っておりますけれども、株券を盗んだ者が、あるいは拾った者が、三文判を押せば刑期が一倍半になるのだ、重くなるのだということを考えるかどうかという問題ですね。むしろ株券を持って行くと足がつくおそれがあるから破いてしまえというケースがあるかもしれませんけれども、判を押すと刑期がふえるのだからまあやめておこうというような殊勝な人間はないだろうという見通し。それからもう一つ、証券会社が預かりの株券を担保にして、担保流れになって寄託者に損害をこうむらしたという事件がありましたけれども、証券会社がかってな判を押してやっている。ですから、判を押せば刑期が重くなるのだからこれはやめておこうとそこで反省するかどうかということですね。結局、反省しないで、株主が取りに来たときまでに受け戻しておけばいいのだというような気持ちでやっているので、判があるかないかによって刑期が違うのだというように考えるのはおそらく犯罪者としてはそういうことはないだろう。そうすれば、そんなことで犯罪者に反省を促すよりも、むしろ判がなくても流通できるのだから株主のほうで株券を大事にしなさい、こういう警告を与えると同時に、株券の不発行制度、寄託制度というものをとるほうが株主保護にもなるのじゃないかという考えが相当多かったように聞いております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/36
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037・三戸岡道夫
○参考人(三戸岡道夫君) ちょっと株券のことだけ申し上げたいと思います。
いま申し上げたように、株券というものはやはり流通することを対象にしておるものですから、発行会社はこれが偽造されたりあるいは転々流通し得ることを考えておりますから、その株券はりっぱな紙を使ってぼろぼろにならないように考えているわけです。したがって、その流通ということを対象にしない場合には、これは百五十株なり二百株なり、いろいろの持ち株数に対して記載事項だけ書いてあるものを出せばいいでしょう。たとえば、上場会社にいたしましても、たとえば日本航空のような会社でも、政府が持っている二百万株は株券はおそらく一枚だと思います。しかし、発行会社でも、株券を取引単位にまとめる、だから、百株券は千株券にまとめて取引単位で株券を出す、そういうことを考えて株券を出しているわけであります。株券を出してそういうことを考えないとすれば、何も印刷会社に頼んで偽造を防止するというようなものを必ずつくらなければならないということはどこにもない。ただ、印紙税が一枚について十円はどうしてもかかる、そういうことでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/37
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038・和泉覚
○委員長(和泉覚君) それでは、参考人に対する質疑はこの程度にとどめます。
参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
参考人各位には、御多用のところ御出席をいただきまた、貴重な御意見をいただきまして、まことにありがとうございました。委員一同を代表いたしましてここに厚く御礼を申し上げます。
では、本日はこれにて散会いたします。
午後零時六分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105115206X01919660512/38
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