1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和四十三年四月二日(火曜日)
午前十時二十五分開会
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委員の異動
三月二十六日
辞任 補欠選任
山本 杉君 大谷藤之助君
三月二十七日
辞任 補欠選任
大谷藤之助君 山本 杉君
横山 フク君 赤間 文三君
紅露 みつ君 井野 碩哉君
黒木 利克君 館 哲二君
三月二十八日
辞任 補欠選任
山本 杉君 中山 福藏君
三月二十九日
辞任 補欠選任
井野 碩哉君 新谷寅三郎君
中山 福藏君 山本 杉君
赤間 文三君 横山 フク君
館 哲二君 黒木 利克君
三月三十日
辞任 補欠選任
新谷寅三郎君 紅露 みつ君
四月二日
辞任 補欠選任
柳岡 秋夫君 森 勝治君
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出席者は左のとおり。
委員長 山本伊三郎君
理事
鹿島 俊雄君
黒木 利克君
大橋 和孝君
藤田藤太郎君
委 員
植木 光教君
紅露 みつ君
林 塩君
山本 杉君
横山 フク君
藤原 道子君
森 勝治君
中沢伊登子君
衆議院議員
社会労働委員長
代理理事 藤本 孝雄君
国務大臣
厚生大臣 園田 直君
政府委員
厚生大臣官房長 戸澤 政方君
厚生省医務局長 若松 栄一君
厚生省薬務局長 坂元貞一郎君
事務局側
常任委員会専門
員 中原 武夫君
参考人
神奈川県保険医
協会理事長 田村 清君
聖路加国際病院
内科医長 日野原重明君
名古屋大学医学
部附属病院講師 古瀬 和寛君
順天堂大学医学
部長 懸田 克躬君
徳島大学医学部
教授 三好 和夫君
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本日の会議に付した案件
○理事の補欠互選の件
○参考人の出席要求に関する件
○社会福祉事業振興会法の一部を改正する法律案
(内閣提出)
○医師法の一部を改正する法律案(第五十七回国
会内閣提出、第五十八回国会衆議院送付)
○社会保障制度に関する調査
(はしかワクチンに関する件)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/0
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001・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) ただいまから社会労働委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
本日、柳岡秋夫君が委員を辞任され、その補欠として森勝治君が選任されました。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/1
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002・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 次に、理事補欠互選の件についておはかりいたします。
去る三月二十七日、黒木利克君が一たん委員を辞任されましたので、理事が一名欠員となっております。この際、その補欠互選を行ないたいと存じます。
互選の方法は、先例により、投票の方法によらないで、委員長にその指名を御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/2
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003・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 御異議ないものと認めます。
それでは、理事に黒木利克君を指名いたします。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/3
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004・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) この際、参考人の出席要求に関する件についておはかりいたします。
医師法の一部を改正する法律案の審査のため、本日、当委員会に、神奈川県保険医協会理事長田村清君、聖路加国際病院内科医長日野原重明君、名古屋大学医学部附属病院講師古瀬和寛君、順天堂大学医学部長懸田克躬君及び徳島大学医学部教授三好和夫君を参考人として御出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/4
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005・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 御異議ないものと認め、さよう決定いたします。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/5
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006・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 次に、社会福祉事業振興会法の一部を改正する法律案を議題といたします。
政府から提案理由の説明を聴取いたします。園田厚生大臣。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/6
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007・園田直
○国務大臣(園田直君) ただいま議題となりました社会福祉事業振興会法の一部を改正する法律案について、その提案の理由を御説明申し上げます。
社会福祉事業振興会は、社会福祉施設の設備及び運営に必要な資金の融通等を行なう特殊法人であります。
老人ホームなど民間の社会福祉施設で老朽度の著しいものは緊急に建て替える必要があるため、昭和三十八年度から昭和四十二年度までの五年間においてその整備を計画的に推進することとし、その建て替えに要する資金のうち、いわゆる自己負担分については、昭和三十八年度から昭和四十一年度までの間は年金福祉事業団から、昭和四十二年度は社会福祉事業振興会から、それぞれ利子を徴しないで融資してきたのでありますが、さらに、昭和四十三年度から昭和四十五年度までの三カ年計画でその整備を続行することとし、社会福祉事業振興会が利子を徴しないで貸し付ける期間を昭和四十五年度まで延長しようとするものであります。
以上がこの法律案の提案の理由であります。何とぞ慎重に御審議の上、すみやかに御可決あらんことをお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/7
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008・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 本日は、本案に対する提案理由の説明聴取のみにとどめておきます。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/8
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009・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 次に、医師法の一部を改正する法律案を議題といたします。
まず、政府から提案理由の説明を聴取いたします。園田厚生大臣。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/9
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010・園田直
○国務大臣(園田直君) ただいま議題となりました医師法の一部を改正する法律案について、その提案の理由を御説明申し上げます。
医師の免許については、これまでは大学の医学部卒業後、一年以上の実地修練を行なった者に対し、国家試験を行なった上、これを付与することとされていました。
この実地修練制度が創設されたのは昭和二十一年であり、それ以来今日まで、本制度がわが国の医療水準の向上に寄与したところ大なるものがありますが、しかし、反面、運用面において実地修練施設の整備、実地修練生の身分、処遇等に問題があり、近年関係者の間に再検討の声が高まってきたのであります。
このため、政府においては、その改善策につき、昭和四十一年六月、厚生・文部両省の共同で、大学医学部卒業後における教育研修に関する懇談会を設けて審議を願い、その最終意見の趣旨とするところに沿って第五十五回国会に法律案を提出いたしましたが、同国会では継続審査となり、続く第五十六回国会では審議未了となったところでございますが、この問題については、早急な解決が望まれておりますので、再び第五十七回国会にこの法律案を提出し、衆議院において本国会に継続審査となり、三月二十九日同議院で可決された次第でございます。
次に、法律案の内容について、その概略を御説明申し上げます。
まず、医師国家試験の受験資格に関する規定を改正し、大学の医学部を卒業した者は、実地修練を経ないで、卒業後直ちに国家試験を受験できるよう改めたことであります。これは、大学卒業後における医学の知識及び技能の修得のためには、従来の実地修練にかえて、医師としての身分を取得した上臨床研修を行なうこととするほうが合理的であるからであります。この改正によって、医師になるまでの修業年限は、形式的には一年短縮されることになりますが、この間、大学における臨床教育の充実をはかることはもとより、新制度によって医師になる者は、その免許を取得した後も、二年以上、大学の附属病院または厚生大臣の指定する病院において、臨床研修を行なうように努めなければならないこととして、実質上は一そう資質の向上を期しているのであります。
第二は、前に申し述べましたところの臨床研修を行なった医師については、その申請により、医籍に臨床研修を行なった旨を登録することといたしたことであります。
最後に、従前の受験資格に基づき、この法律の施行前に行なわれた国家試験に合格した者については、この法律による新しい臨床研修制度は適用しないこととしております。
以上がこの法律案の提案の理由及び政府提出法律案の要旨であります。
なお、衆議院において、臨床研修を行なった旨の医籍登録に関する規定等について修正がなされました。
何とぞ慎重に御審議の上、すみやかに御可決あらんことをお願い申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/10
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011・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 次に、本案につきましては、衆議院において修正議決されておりますので、この際、本案に対する衆議院における修正点について、修正案提出者から説明を聴取いたします。衆議院議員藤本孝雄君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/11
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012・藤本孝雄
○衆議院議員(藤本孝雄君) 医師法の一部を改正する法律案の衆議院の修正にかかる部分について、御説明を申し上げます。
その要旨は、第一に、医師は、「臨床研修を行なうように努めなければならない。」とあるのを、「臨床研修を行なうように努めるものとする。」に修正すること。
第二に、 「厚生大臣が臨床研修を行なった者について医籍に登録することをやめて、病院の長が臨床研修を行なった者について、厚生大臣に報告するものとすることとすること。
第三に、医師試験研修審議会の審議事項に関する規定を修正し、外国の病院を教育病院として認める場合に重要事項として審議会において審議することができるようにしたこと。
第四に、以上の修正に伴う規定の整理を行なうこと。
以上であります。
何とぞ御審議の上、御賛同をお願い申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/12
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013・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) ちょっと速記をとめてください。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/13
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014・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 速記を始めてください。
それでは、先ほど御決定されました五名の参考人の方々の御出席を願っておりますので、これより参考人の方々から御意見を承ることにいたします。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多忙のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございます。本案につきましては、各方面に広く関心が持たれておりますが、当委員会におきましても、この機会に本案に深い関係をお持ちになっておられる参考人の方々から、それぞれの立場から忌憚のない御意見をお伺いし、審査の参考にいたしたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。
これより御意見をお伺いいたしたいと存じますが、議事の都合上、御意見をお述べ願う時間はお一人十五分程度にお願いいたします。なお、参考人の方々の御意見開陳のあとで委員からの質問がございますので、お答えを願いたいと存じます。
御意見をお述べいただきます順序は、田村参考人、次に日野原参考人、古瀬参考人、懸田参考人、三好参考人でお願いいたします。
なお、日野原参考人から、先約がある関係上、十一時四十五分までに退席をしたいとのお申し出がございますので、あらかじめ御了承願います。
まず、田村参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/14
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015・田村清
○参考人(田村清君) 神奈川県保険医協会の理事長の田村でございます。
私どもの立場を最初に御説明申し上げませんと、これから申し上げます事項について御理解いただきにくい点もあろうかと思いますのですが、現在、医療保険を担当しております開業保険医が、医師会のほかに別個に保険医協会というものを組織しております。全国各地にある組織でございますが、秋は神奈川におきます開業保険医の団体の理事長でございます。神奈川県保険医協会と申しております。このような団体が各地にございまして、その連合体といたしまして保険医団体連絡会というものを開いております。先ほど事務のほうにお願いしてございましたが、去る三月十七日に全国の保険医団体が集まりましてこの問題について協議いたしました。そのときに声明書を発表いたしておりますので、これを先生方のお手元にお届けしていただくようにお願いしてございます。おそれ入りますが、御配付いただきたいと思います。
三月十七日という時点でございますので、さきに衆議院で原案が修正いたされます前でございますが、その趣旨は変わっておりません。この声明書に盛られておりますのは、どういう方法をとりましても、研修をしたということを登録するという考え方、これは医師免許証を獲得しまして国が医師として国民の医療を担当してよろしいという身分を得ました者を束縛いたしまして、医師の中に格差をつけるということでございますので、その登録ということに反対した理由でございます。
なお、この中に三つ述べてございますように、この法案に関係いたしまして、医科大学を卒業しましたなればすぐ国家試験を受けて医師免許証を与えること、これは原案にございますインターン制度の廃止について賛成している点でございます。そのほかの二年間の研修を特定の病院においてすることを義務づけること、修正いたされまして、するものとするという表現になっておりますけれども、実際問題としてはこれは原案とことばのニュアンスが違うだけで、実質的には医師を拘束するという点では変わらないものと思って反対いたします。なお、問題点でございます登録ということが修正になりまして、教育を受けました病院長から報告するということになっておりまして、これは予算措置のあることでございますのでやむを得ぬ点かと思いますが、そういうふうな方法をとって何らかの格差をつけるということは、私どもの立場では反対だということでございます。
以下、それぞれの点につきまして少しく詳しく問題点に触れさせていただきたいと思います。
まず、第一のインターン制度の廃止でございますが、これはインターン制度の廃止に踏み切るのがあまりにおそかったということでございます。前からインターン制度が百害あって一利なしというふうに私ども見ておりまして、十分な医学教育を受けた者を一年間実地修練の名前でとめ置きまして、全然身分の保障もございませんし、十分な教育の環境もございません中で一年間空費した。ごくまれな場合には特別な病院等においてインターンの目的を達成できるようなところもあったかと思いますが、全国的に見ましてこれは若い医師にとって一年間の空費でございます。一年間殺されておったわけでございます。三千人の新しく卒業した医師が一年間殺されておったわけでございますので、延べにいたしますとこれは三千年でございます。臨床医の活動できます期間をおよそ三十年と考えますと、百人の医師が殺されておったということでございます。一方、各病院におきましては医師不足に悩んでおります。その間をどうするかということでいろいろ考えられて今度の法案がつくられたものと考えますが、具体的に見まして、四年間の教育を受けまして卒業の時点に医師として知識の量は一番多くなっているわけでございます。医学全体につきましての知識を一番多く持っているのは、卒業の時点における若い医師でございます。ところが、これが一年間殺されまして、その間にせっかく持っているものをもっと伸ばさなければならないのに、はなはだしい場合には病院でじゃま者扱いにされてうろうろしておったのが実情でございまして、今回の改正に到達したものと考えます。どのように卒業の時点で医師が知識が多いかという具体的な点を考えてみますと、現在、各大学で行なわれておりますCPCと申します、臨床と病理のコンファレンスがございます。たいへんむずかしい病気で死亡されました患者さんの臨床所見と病理解剖による所見とを突き合わせまして、実際の病気はどういうものであったか、死因はどういうものであったかということを究明する、戦後たいへんに普及しました医学の勉強の大事な一つの手だてでございますが、このCPCにおきまして、片方に材料を隠しております病理の先生の解答が出る前に、それまでの臨床所見でいろいろ考えまして、検査成績等を勘案しまして、実際の病気はどうであったか、この亡くなられた患者さんの体の中にはどのような変化があったであろうということを推察いたしまして解答を出します、その答えが一番よく当たるというのはこの若い先生方に多いわけでございます。紙の上の知識はこのように一番多く持っている若い医師が、その後の勉強のしかたによってこれが生かされるかどうかという点が、りっぱな医師をつくり、国民の医療を担当する能力を備えた医師をたくさん用意するために一番大事なことでございますが、これがいままでは一年間殺されておったと見てよろしいと思います。貴重な時間を損失しまして、国民の受けた損失は非常に大きなものであったと考えます。これが、卒業の時点で国家試験が受けられて医師免許証が与えられるということは、何よりも国民のために喜ばなければならないことだと考えます。
そういたしまして、卒業いたしました者がどういう方法で一人前の医師に仕上がっていくかという過程でございます。紙の上で十分な知識を持っておりましても、先ほど触れましたCPCで正しい答えを出す能力は持っておりましても、今度は、具体的な生きている患者さん、病気を持った患者さん、しかも、その患者さんが比較的短期間に健康を回復しまして社会復帰のできるそういう病気をみた場合には、この人たちは能力は低いわけでございます。これが医師が研修をしなければならないという第一の点であろうと思います。みんなそういう過程を通って医師に育ってきたわけでございます。そのあと、二十年でも三十年でも医師は不断に勉強しなければならない、これは当然要求されることでございます。私ども戦前に育った町の中の開業医でございますが、現在私ども町の中の開業医の使っております検査方法その他は、全部戦後覚えたものでございます。ほかの職業でももちろんそうでございましょうが、医師の場合には患者さんの生命というものを預かっておりますので、勉強をしないということは許されないことでございます。特別に二年間だけ勉強すればよろしいというものではないわけでございます。
なぜ、私どもが、登録をするとか二年間若い医師を縛りつけるように見える制度に反対するかと申しますと、この裏には現在の日本の医療保険の仕組みが関係しているということでございます。そういうふうに私どもは考えております。と申しますのは、現在、医師が非常に不足しております。なぜ不足しているか。医師の働く場所が非常にふえたからでございます。三十六年に皆保険が達成されまして、日本国民はだれでも何らかの医療保険の被保険者、あるいは被扶養者になっているわけでございます。この制度が全国に普及いたしました結果、それまでは病気は持っておりましても医療を受けられないという人がたくさんあったわけでございますが、医療に対する需要が潜在しておりましたものがにわかに顕在化してまいったわけでございます。非常にたくさんの医療需要が出てまいりました。しかし、厚生省の行なっております患者調査、あるいは医療の調査を見ますと、現在でもまだ三割方の人は、病気になっても、けがをしても、医療を受けていないのが実情でございます。しかし、とにもかくにも皆保険という制度でたくさんの医療需要がふえてまいりました。一方、病院がどんどんつくられております。厚生省の計画では、年間に一万とか一万五千の病床の増加を計画されておったようでございますが、ここ数年は実際には一年間に三万もあるいはそれ以上もベッドがふえたわけでございます。そうすると、これに対して働く人が必要でございます。建物はお金をかければどんどんつくることができましょう。しかし、そこで働く人は、医師にいたしましても、看護婦にいたしましても、にわかに育つものではございません。それで、現状はどういうことが起こっているか。至るところで医師不足でございます。医師不足のために、一人の医師が、ことに体に力のございます若い医師が、一日のうちに一カ所だけでなしに、二カ所、三カ所と動いて病院あるいは診療所の診療を担当しているというのが現状でございます。
それから医師の勉強する場所は全国至るところに幾らでもあるわけでございます。それを、どうして二年間というものを特定の病院に縛りつけなければならないのか、これが私どもの理解できないところでございます。なぜそういう仕組みにするのであろうかと考えてみますと、現在の医療保険の低い診療報酬で成り立っておりますそれぞれの医療機関というものは、できるだけ安い賃金で働いてもらう人を用意しなければならない。それを解決する一つの方法を国立病院等に限って考えれば、今度の法案は非常にすぐれたものであろうと思います。一石何鳥もねらった非常におつむのよろしい方のお考えになったものと私ども理解するわけでございます。
私、神奈川県横浜に住んでおりますので、地元の医療事情を考えさせられておるわけでございますが、私どもの地元に横浜市立の医科大学がございます。この附属病院に三百人の医師がおります。教授、助教授以下それぞれ医局におるわけでございますが、先ごろまでは、この病院で働いております先生方の給料が病院から出ているというのがたった一人でございます。最近ふやされまして十数名になったと聞いておりますが、教授、助教授、講師、それからそのあとに続きます医局長、助手、その人たちの給料は、教育機関であります医科大学のほうから出ておって、病院の会計とは関係ないことでございます。それであるのに、市議会で問題になりますときには、附属病院が赤字であるとか黒字であるとか、数年前には、二千万円の赤字を解消するために、市民には不便であるかもしれないけれども、従来の乙表を甲表にかえるというふうな問題がございました。甲表にされました。そのために、いままで一週間に一回通えばよかった患者さんが、週に二回は病院へ通わなければならない、そういう処方が切られる制度にかわりました。また、甲表になったために、いままでは低い値段のお薬で済んだのが、どの患者さんも六十円以上の処方内容の薬をもらわなければならなくなった、こういうふうな実情が起こっております。しかし、一方、その病院の各科の看板でございます教授にいたしましても助教授にいたしましても、その給料は、医育機関である医科大学のほうから出ていて、病院のほうとは全然関係がないということでございます。また、神奈川県に県立の病院が幾つかございますが、西の端のほうの足柄上病院というのがございます。病室はいつでも満員でございます。箱根山の北のところの病院でございますが、この病院の人件費は、病院の医業収入の一〇〇%でございます。あと足りない分は全部県費で補充しているわけでございます。こういうふうな状態の中で、国なり公立の病院の現在の低い医療費で押えられている財政をどうやってうまくやっていくかというのには、安い、しかも労働力のたくさんある若い医師を今度の制度で縛りつけていくというのは非常に上手な方法であろうと考えるわけでございます。
そういう点で、私ども、現在進行中でございます健康保険の抜本改革は、昨年の特例法をはじめといたしまして、財政のことだけを考えている考え方であるから、これを抜本改悪、抜本的に改悪されるのだというふうに受け取っておりますが、その抜本改悪の一環として今度の制度が考えられているという点で、インターンを廃止する点はそのまま即刻おやりいただきたいけれども、その他の点につきましては全面的に反対するというのが私どもの立場でございます。
以上、要点だけを申し上げましたが、私の第一回目の意見の開陳をこれで終わらせていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/15
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016・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) ありがとうございました。
次に、日野原参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/16
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017・日野原重明
○参考人(日野原重明君) 日野原重明でございます。
今回の改正案の最も重要な点は、現行インターン制度を廃止することであります。インターン制度は、世界の文化国家の多くが法的な規制のもとに採用している制度であります。でありますので、詳しい説明なしに日本でインターン制が廃止されたと公表されると、日本では医師としての免許を与える最小限度の条件、ミニマム・リクアイアメントに医学校卒業後の研修が含まれないということになりますので、日本では法的にひとり立ちを許される医師のレベルが諸外国よりも低いとみなされる心配があるわけであります。
インターン制度というものは、国民の受ける医療の水準をなるべく高くするために欧米で古くから行なわれているわけで、医学校卒業後、アメリカや英国では一年、西独では二年の研修後に医師の開業の免許が与えられます。アメリカでも卒業後すぐに免許を与えることのできる州があるというふうにいわれておりますが、実情では、すべての者がインターンを受けて後、こういうふうな開業あるいは医業を独立してやられるというふうなことになっております。それにまた、英国では、卒業後一年の臨床研修は登録前研修と呼ばれておりまして、教育病院の研修を終えた者のみが完全な資格を与えられた医師として完全登録を受けるわけであります。すべての医師が法的規制で登録を受けるので、医師同士の差別は英国ではないわけであります。
日本では、国民医療の側に立ってこの制度が昭和十九年に立案され、戦後にこれが実施されたわけでありますが、大学病院やその他の修練病院——約二百数十ありますが、これらの教育体制が不備なために、インターンに満足を与えず、また、身分や生活保障がなされなかったために、今日見るような激しい反対運動が展開されているわけであります。
この制度は、医学教育における先進国では実績をあげており、わが国でも、インターン制度をスタートさしたときには、最初は不備であるが、そのうちには何とかうまくいくであろうというふうな考えを医学教育者も持っておりました。しかしながら、それに対する十分な予算措置がなかったり、あるいは、医育機関におけるインターンの研修の内容がいつまでも不十分であったというふうなことのために、この制度が成長しなかったわけであります。
実は、インターン制度が悪いのではなしに、その運用が悪かったということになるわけであります。そういうわけでありますので、この法律を変えることは国民の側からは大きな問題であります。そこで、臨床医学の教育に携わっている指導者たちの中には、現行のインターン制度はやむなく廃止しても、これにかわる卒業後の臨床研修は何らかの形で行なわれなければならないと考える者が多く見られるわけであります。
そこで、医学校を卒業した者に国家試験をまず行ない、一応医師としての身分を明らかにした上で、免許を受けた医師として実地研修を受けされる案が大学医学部卒業後における教育研修に関する懇談会によって案出されて、厚生省はその線にある程度沿って立案をしたわけであります。
インターンを廃止した場合、卒業後の教育を一年間義務づけるという内容は、昭和三十九年にいわゆる八人委員会で決議され、そのための政府の予算が要請されたのであります。しかし、この義務づけということが、インターン学生並びに医学教育者の多くの反対を受けて、今日の政府原案のごとく「臨床研修を行なうように努めなければならない。」という表現がとられたわけであります。これが衆議院では「努めるものとする。」と弱められ、研修は、義務づけでなく、医育機関や卒業生の自主的、道義的姿勢で行なうということになったわけであります。これは、国民の側からすると、ある程度甘過ぎる法案でございますが、インターンや医学教育者の多くは、行政的な条件をつけた制度にせ賛成せず、法的拘束を受ける研修制度には強く反対しているわけであります。私は、十分な国家予算がつけば、司法修習生の制度のように、研義を義務化することが望ましいという意見を今日まで述べてまいりました。しかし、予算に対する政府への不信がこのような行政的な制度化を阻止する動力となったわけであります。
私は、この修正法案が通れば、日本の医学教育者並びに政府は、医療を受ける国民に対して重大な責任を負わなくてはならないと考えるわけであります。なぜならば、修正案が通れば、医師免許後の研修を受けなくても済むわけでありますから、研修を受けない医師でも国民の治療に当たることができるわけで、制度としては何か後退したような感があるわけであります。
高層建築を建てるためには、一級建築士でなくちゃならない。そういうふうな場合に、その一級建築士を選ぶということはきわめて簡単なことでありますが、患者が病気をした場合に、患者が医者を選ぶということは非常に困難なことであります。ことに、選択を許さない辺地においては、その医師にかからざるを得ない。そういうふうなところに、医業というふうなものは、他の職業と違って、やはり国家で援助してある程度はぐくんで、ある最小限度のリクアイアメントを与えたところに持っていかないと、国民は非常に困るわけであります。ほかの職業と違って医業は国民の命に連なっているということを考えると、どうしてもそういうふうな卒業後の研修を受けるためのあらゆる便宜がはかられなくちゃならないし、そういうことをはかる国家がほんとうの文化国家と言うことができるのではないかと私は考えております。
今度の改正案では、登録ということばが全く抹殺されておりますが、患者は研修を受けた医者であるかないかということが全くわからないというところに大きな問題があるわけであります。しかし、一たん免許を与えた人にさらに登録をする、そうして登録しない医者もあるということは法的に理屈がつかないというふうな意見もありまして、そういうことも当然考えられるわけでありますが、私は、研修登録というふうな名前においてこの登録というふうなものがなされればよいといままでは考えてきたわけであります。そうして、研修を受けたということが何らかの意味において開業をしている人のオフィスの中にでも明示されるというふうなこと、そうしてその研修がりっぱな教育病院においてされたということがわかれば、国民は非常に安心するのではないかと思うわけであります。
こういうふうな卒業後の研修は一体どこですべきかということでありますが、日本の医学教育が、進んだ欧米の医学教育と違っていることは、欧米では学生時代からすでに民間の病院にまで進出してそこで研修を受けているということであります。いまは大学には有能なスタッフがそろっておりますが、しかし、患者のベッドはきわめて制限されておりまして、日本ほど患者を担当することが少ない国はほかにはないのではないかと思っております。つまり、限られた年限の間に実地に患者に触れる、そういうふうな機会が少ないので、今度の教育病院の考え方というふうなものは、きわめてスタンダードの高い、いままでのインターンの修練病院よりもはるかに厳格に選ばれた教育病院において、そのベッドとその病院における有能な指導者を使って教育することができれば、卒業後の教育が、単なる医育機関の中の病院だけではなしに、広いフィールドでされるわけであります。臨床研修の意味はベッドサイドでのティーチングでありますから、患者とかベッドなしにはされないわけであります。いままで、学生やインターンが、国立病院やあるいは民間の病院をボイコットして、大学病院に立てこもってまいりました。そのために、大学側は、やむなくその医局あるいは病院に大ぜいの研修生をかかえてまいりました。これでは、席がないのに入場券を売っているというようなことと同じことであって、教育する側にも非常な責任があって、それを受け入れるところに教育側がほんとうの最も教育的な考えを放棄したということになるわけであります。言いかえると、卒業する人々をほんとうに教育するためには、なるべく多く、しかし厳選された教育病院にばらまいて研修をさせるというふうなこと、そうして、一般の民間病院にはなるべく学閥を避けて、諸大学との関連を持った広い意味の関連病院ができるだけ多くできて、そこにおいて研修がされ、そうして、そういう大学病院——これは官公立だけではなしに、私立の大学病院に対しても、教育上の十分な国家的援助がされるべきであります。
卒業後の教育以外に学部での教育の重要であるということは言うまでもありませんが、卒業後の教育の意義は、医者であるという身分において研修をすることであり、その患者を担当するという責任を与えられた姿勢で勉強をするということでありますので、これは学生が研修をするよりもずっとさらに実質的な実のある研修をすることができるわけであります。でありますから、卒業後の二年間の研修というふうなものは、これは労働基準法に従うようなものではなしに、アメリカでいう二十四時間勤務であります。そういう意味で、インターン制度にかえるこういうふうな研修制度がされる場合には、各教育病院に寄宿の宿舎の設備がないと、四六時中そういうケースに触れるということはできないわけで、そういうふうな宿舎をつくったり、教育的な施設をつくるというふうなことは、いまの健康保険制度では各病院の財政は許さないわけであります。そういう意味において、病院に対する経済的援助も必要であり、官公立並びに私立の大学への援助は非常にされなくてはならない。そういうふうな援助がされるというふうな約束の意味においてのみこの修正案は認めてもいいのではないかということと、それほどの責任を感じ、そうしてそれを義務として受ける医育機関なり教育病院があるというふうなことを世界に示さなくては、この制度はやはり一歩退いたことになる、そういうふうに私は考えるわけであります。
ベッド不足である、医師不足である、民間の病院が低賃金で医師を雇うというのではなしに、これはベッドを供給するという意味においてその病院が犠牲的になるわけであります。個人的なことを言って僭越でございますが、私が病院勤務の九時から出れば教育ができないので、一時間前に出て教育を始めるというふうなことであります。教育というふうなものはやはりある意味における犠牲も必要であるが、しかし、無理な犠牲でないようにそこが経済的にもいろいろな意味でもされなくちゃならない。しかし、それがあるまでは、教育者は教育の使命ということから自分たちを鞭撻しなくちゃならない。教育への情熱とほんとうにディボーショナルなあり方が日本の医育機関に欠けていたというふうなことをインターン制度が十分でなかったということでわれわれが反省しなくちゃならないことではないかと思うわけであります。
以上であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/17
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018・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) ありがとうございました。
次に、古瀬参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/18
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019・古瀬和寛
○参考人(古瀬和寛君) 古瀬でございます。私は、全国医学部無給医対策委員会というものがありまして、その事務局メンバーとして、特に大学の中にいる医師としての発言をしたいというふうに思います。
それで、意見を三つの側面から分けて述べてみたいというふうに思います。まず第一は法案が出てくる過程の中での問題点であり、第二番目は法案そのものが持つ問題点、それから第三番目に法案の背景をなす医療をめぐる情勢との関連性でございます。
まず、現在、研修医の方たちそれから学生の人たちが、広範にストライキをやったり、非常な反対運動をやっております。このことは、単に若い人たちだけじゃなくて、医局員の人も、それから十幾つかにわたる教授会の方が、これに反対声明を出され、いろいろな反対の意思表示をしておられます。このことは、一つはインターン制度というものが戦後生まれて問題だということがずっといわれてきながら、そのことに対して抜本的な政府の対策、先ほども出てまいりましたけれども、予算が全然ちゃんと組まれてこない、そういう中で、はっきりどうにもならないんだという不信が出てきて、それでそういう運動がどんどん発展していったんだというふうに私は考えるわけです。そして、そういう中で、無給医の運動、それからインターン生の運動、学生さんの運動ということが非常な大きな高まりになってくる。そうすると、どうにもならなくなって出てきたのがこの一つの法案だと思うのです。
そのときに、先ほども出ました卒業後医師教育研修に関する懇談会というもの、俗に医者づくり懇談会と呼んでおりますけれども、それがつくられました。そのつくられた過程で、ほんとうにそういうことに悩み、そしてそのことを実情を知っておられる教育者の方、あるいは現場にいる研究者の方、そういう方たちの意見が入るような形ではつくられなかった、それが非常に大きな問題であろうと思うのです。そのことを端的に申しますれば、現在大学におられない名誉教授の方とか、現役をのかれた方、そういう方たちが大きなパーセンテージを占めておられますし、それから地方の大学の方が少ないというような、そういう構成メンバーになっております。このことによって、現実離れをした一つの考え方というものがその中から出てきているように思います。それから、このことと関連して、中間答申が出、最終答申が出る、その過程の中で、特に在京の人たちがこのことを実際につくり上げていくというような傾向がそれを助長したというふうに思います。
さらに、このことは、この重要な内容を持つ法案が、各大学の教授会は国会に提出されてかなりたった後にその全文を入手したというような形で動いておりますし、民主的な過程の中でこれがつくられて意見がくみ入れられたということがない。さらに、全国医学部長病院長会議での議論がそのまま引き続き行なわれてきましたけれども、この運営には法案をかなり強引に成立させようという一部の方々の意図がかなり問題とされてもきました。このことは詳しく申し上げるのを差し控えますけれども、特に最近の学部長会議の中で問題になりましたその意図のあるアンケートの問題とか、それから部外秘の資料がいろいろなデータを載せて各大学に送られるというようなこと、それから三月二日には学部長会議の決議がなされておりますけれども、その決議が一つの条件のような形で変わりまして、その初めに法案の早期成立を期すというようなことがつけ加えられて、いつの間にかすりかえられている。それからまた、そのアンケートの問題はその会議においてなかったものとするというようなことになっている。こう非常に不明朗なものがいろいろあったわけであります。そうして、現在、その学部長会議が事実上解散をしたままで、この重要な事態の中で教育者自身がほんとうにこの問題について詰めて討議をするという場を失っております。招集する責任者があいまいなままに放置されているというようなことがあるわけであります。
まあこういうようなことをまず最初に述べましたのは、いままでの政府の政策というようなことの中で、あまりに抜本的な改正がおくれてきている。そのことに対して、みなが何とかしなきゃいけないということを言い、医育者の一部の方たちがほんとうにこれをくみ取り、教育者の立場から解決するということに欠けていた面があるのじゃないか。そのことが問題を紛糾さしている一つの大きな原因だというように考えます。
それから第二番目が、法案そのものの問題です。この点につきましては、衆議院でもかなり論議をされておりますので、二つの点に限ってしたいと思います。
第一の問題は、研修生に対する生活と身分の問題です。卒業した後、国家試験をもし受けて、そうしてそのあとに研修する医師の待遇が、国立大学病院は月に一万二千五百円、国立病院で一万五千円程度、公私立の大学病院あるいは公私立の指定病院で二万五千円、こういう低額であります。これで一人前の研修をちゃんとやれ、生活をやれということ自体がはっきり無理だと思います。これはどなたもそういうふうにおっしゃるわけです。現実に現在インターンの人たちがやっているような、アルバイトに追われ、ろくな研修ができないということは目に見えているわけです。現在でも、地方のインターン病院に行くような形をとっている大学ではそのぐらいの額は現実に病院から給付を受けるというふうなことで、額の問題が非常な前進だというふうにわれわれは決して考えられません。
それから次は身分の問題ですけれども、これがあいまいな形になっております。さきの衆議院の討議の中でも、政府側の答弁にいろいろな食い違いがあったというふうに聞いております。労働省は、これは労働に対する対価であって賃金だという考え方をし、厚生省は、医師である非常勤の職員に準ずるようなものというふうな形になっており、文部省は、研究生というふうな、こういう大事な法案が現実に審議が進められて、そうして衆議院を通過している中で、こういう食い違いがそのまま解決されないまま通ってしまっているということ自体に大きな問題を感ずるわけです。
さらに、それを突き進めて見てみますと、その名称は診療協力謝礼金という名称になって、これはきわめて新しい概念です。これは、いってみれば、病院で仕事をさしてもらいながら研修できるのだからけっこうではないか、それによって病院の収益にもなるのだからお礼ぐらいは出そうというふうな、そういうようなのが謝礼金の考え方かのように思います。しかし、いろいろな理屈づけをしても、現実に謝礼金を支払うということの社会的意議はきびしいものがあると思います。懇談会の答申にもあるように、あくまで診療業務遂行について寄与に応じて支払うというのが謝礼金であり、これは賃金の一形態なのであって、それが一万二千五百円ないし二万五千円という非常な低額だということ、これは重大だというふうに思います。すなわち、たいへんな低賃金医師を身分あいまいのままにつくり出して混乱を助長していることになると思います。ここには、臨床教育、研修ということを第一義に考えない教育無視の思想があり、そして、いかに医学教育を安く、金をかけないでやろうかという考え方が貫かれているように思います。これは、私たち容認できるものではありません。このことは、単に研修時代だけじゃなくて、その後に引き続いてくる無給医に対する診療協力謝礼金というような形で引き継がれて、全体をずっと貫いている一つの体系というふうにわれわれは考えざるを得ないわけです。
このようなことでは、いままでインターン運動の基本的な三つの要求であったところの生活保障、身分の明確化、教育の充実といういずれもが全然解決されないということに現実ではなっております。そればかりか、従来一年であったインターンを二年に引き延ばすような結果を生んでおり、それが大学病院以外の病院に配置される数が多くなり、それが基幹病院に集中する結果を生むということがさらに別の問題を生むというふうに思っております。
その次は、じゃ、生活、身分のほかに、教育条件がはたして保障されるかということに移ります。現在、大学病院が有給者のみで運営できるというふうに考えている人はほとんどいません。これは社会的な常識となっております。だれしもが無給医なしには大学の任務である教育、研究、診療を進めるということができないというふうに理解をしております。無給医がそういう業務にタッチするのは、たかだか一〇%とか二〇%とかいうものではなくて、大学病院がやらなければならない大半あるいはそれ以上のことを現実に無給医がやっているわけです。ちなみに申しますと、昭和四十年度の「国立大学病院年報」によりますと、国立大学の有給者の数は四千百八十名で、これに対して無給者である研修生という項には八千三百七十二名、大学院生二千四百八十六名、合計一万八百五十八名という数になっております。それで大学が運営されている。ですから、大学病院に研修生が配置され、その中で教育を全うしようと思っても、現実にいる無給医の人たちがきりきり舞いして何とかやっている状態で、はたして教育が保障されるか。これは全然否と答えざるを得ないわけです。それで、現実に見てみますと、無給医自体が学生さんの教育、インターン生の教育を一緒にやらざるを得ないということになっております。
卒後の教育を考える場合に、卒前の医学部の教育ということがまず基本になります。それがきわめて重要なんですが、そのことの充実にスモールグループ・ティーチングとかベッドサイド・ティーチングというもっと新しい方法、もっと効果的な方法がとられなければならないということが強調されます。全くそのとおりです。しかし、それが十分にできないのはなぜか。定員が少なくて、ほんとうに教える人たちがいないからです。それから設備が悪いからです。そういうものを解決できないままに新しい研修制度に入り込んでいった場合に、ますます大きな混乱が起きるということを私たちは危惧します。
現在、政府は、無給医が無報酬、無資格でもって主治医として診療行為に携わっているという事実をもう合法的に説明し得なくなって、昨年、無給医二千四百人にも一日四百円という診療協力謝礼金という制度を設定して、いわゆる無給医の解消をはかろうとしております。しかし、このこと自体、政府自身もが無給医なしに大学が運営ができないということを認めたことであり、私たちは、このようなあいまいな診療協力謝礼金を認めずに、この受け取りを拒否して、はっきりと正式職員としての資格を持つ人間としてこれを採用し、国民の医療に責任を持てるようにすべきだということを考え、要求しております。すなわち、さしあたりは、昭和四十三年度予算で謝礼金の対象者となっている二千四百五十七名全員を早急に有給化してもらいたいということです。こういうことなしに、大学病院の教育条件を変え、教育環境を変えるということはできないことだろうというふうに思います。
ですから、要約しますと、研修を保障するということには何が必要か。教育研修条件の具体的な抜本的な改単がまず必要なわけです。大学病院の教育、研究、診療に必要な要員は全員有給化して、研修中の医師はすべて正規職員として国がその責任において教育研修を保障すべきだというふうに考えます。また、大学その他における教育、研究、診療の諸活動を保障するために、有給職員の待遇を改善し、教育研究費を大幅に増額することが必要とも言えるわけです。
それでは、これらの環境整備は、まず法案をつくってからあとからやったらどうかという意見が当然出ると思います。しかし、二十年以上問題とされてきた従来のインターン制度がこの二十年間にどれだけ充実されたかということを一つ見ればわかると思います。それからインターン病院というのがそれじゃどれだけ充実したかということを見ればわかると思います。定員増ということから見ても、たかだか百人から五十名程度の増員であって、自然増にしかすぎません。インターンに対する予算の推移を見ましても、昭和四十年が三千七百万円、四十一年が一億三百万円、四十二年が二億六百万円、こんなわずかな金で研修が十分やれるか。これがほんとうに法案改正を機に飛躍的に発展するというふうには考えられません。安易に信用できないということは、これまでの経過が如実に物語っておるように思います。
そうして、もう一つの意見は、いま制度化しなければインターン問題の混乱収拾ができないという意見があります。私はむしろ反対だというふうに考えるんです。ということは、現に、学生さんたちは、ストライキをし、これら新しい研修制度ができたにしてもそれをボイコットしていくと宣言している。無給医は、幾つかの大学で、謝礼金を拒否する、こういう行為によって抗議をしておる。そうして、多くの教授会は反対の決意を表明しております。それじゃ、積極的に賛成している人たち、そういう教授会は幾つあるでしょうか。本質的な解決の方途になっていないものを押しつけて、その中であいまいなものを残したまま解決するということは、今後の混乱を一そう助長するのではないか、秋はそういうふうに考えます。
ちょっと時間がないようですから急ぎますけれども、第三の側面、この法案の背景をなす医療情勢と関連して考えてみた場合に、この安雇いの医師の人たちが国立病院を中心とする基幹病院に出ていき、先ほど申し上げたような低い賃金で雇われ、それで研修条件も悪いままにいくということ、このことは、結局、政府が現在進めている医療の再編の道具になってしまわないか、そういうおそれを私は非常に感ずるわけです。いままでも何回かにわたって健康保険の改悪が行なわれてきておりますけれども、国立病院などの特別会計法というような形で非常に窮屈になってきております。その中でさらに大きな研修の場が開けてくるということは考えにくい。
それからさらに、昨年十一月には健康保険法の抜本改正試案というのが厚生省から出されておりますけれども、これはいままでのものとさらに違って、給付率を七割に下げ、料率を上げて、さらには償還制というものを導入して、患者さんの受診抑制というようなことがどうしても出てこざるを得ぬ、そういうことが一つの日程になってきております。そういう中で、この試案要綱の中に基幹病院の整備という問題が繰り込まれておるわけです。ほんとうに国民の健康を守るために国が予算をもっと出してそういう中で解決するんでなくて、いまの安い医師の報酬、それから低い文教費、そういうものを解決することなしにこういう政策の中に繰り込まれていったら、研修生のほんとうの研修というのができるかどうか、それを疑問に思います。それで、こういうことが進んでいきますと、国民の皆さんの健康という立場から見て非常に重要な問題が起きる。というのは、大病院に医師がどんどん集まってしまうということは、中小病院に大きな負担がかかり、医師不足が来る。このことは、ほとんどの国民の方々は開業医の先生や中小病院に集中していくわけです。そういう問題も一つ考えなければなりません。それからもう一つは、先ほど申したような医師の研修ということが非常に不十分なままでそうなっていった場合に、国民の皆さんたちの立場から見てこれは非常に問題が大きいというふうに考えるわけです。
そして、最後に、現在出されている修正案について見たときに、基本的には原案と変わらないというふうに考えます。すなわち、研修の義務規定というのは、ことばを多少変えただけで、現実に残っておりますし、登録医の登録ということがなくなっても、厚生省への報告医師というものができるわけです。これがどういう形で使われるかということ、それに危惧を持ちます。ですから、先ほども申されましたし、後に徳大の三好先生のほうからも当然出されると思いますけれども、ほんとうに研修をする場合に年限を切って、ただあいまいな形でやるんではなくて、研修の実を重んじるということを考えた場合に、このような規定があることについては反対したいと思います。衆議院で五つの附帯決議が出ましたけれども、このこと自体がもはや環境条件を何とかしなければならないということを現状で認めているということだというふうに思います。しかし、それがそのままでもって法案を通すということは不十分だということを認めているということでもあるわけです。今後の混乱は一そう大きくなることを憂慮せざるを得ませんし、このような安直な切り抜け策に対して私たちは認めることはできないわけです。
以上述べたような観点から申しまして、今回の医師法の一部改正については、原案はもちろん、修正案についても反対いたします。本法案は廃案とすべきというふうに考えます。これが第一点です。
そして第二点としては、今後の問題としては、医学教育、卒後教育全体を通じての民主的な討議組織をつくり、十分な現状分析と根本的な検討を行なうことが必要だというふうに考えるわけです。
そして、第三に、十分な財政措置を行ない、大幅定員増、無給医の有給化、施設の充実を保障することを現実の裏づけのもとに行なう必要があるというふうに考えております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/19
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020・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) ありがとうございました。
日野原参考人の退席時間の関係から、各参考人の意見開陳中の途中でございますが、この際、日野原参考人に対して御質疑を行なうことにいたします。御了承願います。
質疑のある方は御発言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/20
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021・藤田藤太郎
○藤田藤太郎君 日野原参考人にお伺いをしますが、私は専門家じゃありませんから、しろうとくさい質問だと御了承いただいた上でお答えを願いたいと思います。
昭和二十一年まではインターン制度がございませんでした。それでお医者さんが国民の生命、健康を守ってきた。それで、インターン制度が行なわれたけれども、先生は、不十分であったから成功しなかったと、こうおっしゃった。しかし、そこから先なんでありますが、二年間の研修を——二年間とはおっしゃらないにしても、研修を必要とするんだと、こう言う。そうすると、医学を長い間学校で習ってきて、そして昭和二十一年前のお医者さんはそれで診断から何から担当された、若い人はたよりないというのは、医学医術が進んだからそれだけ必要だというなら、学校制度の中でなぜそれを——いま不足している医師の免許を与えてからなぜ二年間も必要とするのか。それよりか、医学というのは、まあ国民の願いというのは、日々医学の進歩のためにお医者さん全部が取り組んでいただく条件、教育施設や研究施設というものを国がこしらえて、単に二年でなしに、日々の医学知識については日々勉強して国民の健康と保健を守っていただくということでないと、勉強して今日の医学の最高水準まで知識を自分が持って、そうして出ていってからまあ二年やれ、登録であるとか登録でないとかいう議論がありますけれども、いずれにいたしましても二年間研修をやらなければ一人前じゃないぞという烙印が押されるわけでございます。こういう点を第一にお伺いしたい。
それから第二番目の問題は、いまもお話がありましたように、無給医局員という制度が大学病院に残っている。そうして、その中で、たとえば一つの科目の中で、教授一人、助教授一人、講師が一、二人、助手二、三人というのが有給であって、あとは全部無給、そういうかっこうで病院が運営されていく。さっきの話では、それも、大学のほうで給料をもらって、病院から一銭も給料をもらっていない。そうして病院が運営されている。あれだけたくさんの五百床も八百床もある病院の運営というものが、患者の生命を守っておいでになるお医者さんの立場というものが、たくさんの無給医局員とあわせて診断、治療が行なわれているという制度というものが今日の社会においていつまでも許されていいのだろうかということ、この二つの御意見を伺います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/21
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022・日野原重明
○参考人(日野原重明君) 最初の御質問でありますが、昭和十九年に研修制度が立案されて、その実施が戦後開始されたわけでありますが、その当時に比べますと、一般国民が医者となる最小限度の条件、ミニマム・リクアイアメントがいまから二十何年前よりもいまのほうがずっと高くなったと思います。あのときといまとでは、私たちのすべての文化的な生活水準が高くなっているように、国民の医療水準も高くなっているので、もっと実のある医者にかかりたいという要請があり、国としてもそういうふうに持っていくべきが筋合いだと思います。過去にはそれなしでも済んで、私自身がそれなしに済んできたわけでありますが、しかし、それには非常に個人的な努力をしてきたわけであります。よい教育制度がないために個人の努力が必要でありますが、ある教育の一つの環境と流れをつくって、その中で少なくともそこを通った人がここまで行くという制度ができれば、これは国家としては国民のために非常にいいことでありますので、私は、そういう医療を受ける国民の側からレベルアップをしてほしいというようなことを願っておるわけです。そうして、諸外国ではそれに成功しておると思いますので、日本もそういうふうな実績を持つ国の経験を学んでいくべきではないかと思います。それと、学校における教育が充実されなくちゃならないのは当然でありますが、ますます医療は詳しく専門化されますので、だんだんと深くなりますので、在学期間をいつまでも毎年毎年廷ばすということは事実できないことでありますので、これは医学以外でもすべての大学においてもっと長くやりたいのができないという状況から、どこかで切らなくちゃならないので、卒業後の教育にゆだねなくてはならない。しかし、そういった意味のことで卒業後になりますと、今度は自分がほんとうに担当者になるわけであります、患者の。責任があるわけです。責任を与えられた場における、しかも教育病院における教育というのは、これは実に有効なものでありますので、卒業後、そういうふうなある程度の資格が与えられて、しかも研修を続ける、しかしそのためには国家が援助をするということは、私は必要とすると考えるわけであります。
それから無給医局員があるということは、いまの時代には実に変な話であって、これは大学病院における病院管理が非常に不十分であるということがその一つであります。大学病院長は病院管理の専門家ではなしに、何かの、内科学、皮膚科学、あるいは細菌学の教授が病院長になるわけでありますので、病院管理については不十分でありますので、病院管理の専門家が大学病院の院長として、病院の能率化ということを考えながら、何人のフルタイム・ドクターが必要であるかということを——いまは、研究しながら患者をみるというふうなことになっておりますが、研究が八で患者は二というふうになっている場合がありまするし、研究が半分で患者が半分ということもありますので、そこをもう少しフルに患者をみる人がある場合には何人要るか、それだけにどれだけの予算が要るかということを考えれば、いまの保険の収入で必要人員が確保できるんじゃないかと私は考えております。そういう意味において、無給医局員の制度はできるだけ早く改められなくちゃならないと私は考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/22
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023・藤原道子
○藤原道子君 いろいろお伺いいたしましたけれども、お時間がないそうですから、簡単にお伺いしますが、いまの医局制度の前近代的なあり方をどのように改正したらいいとお考えになっているか。聞くところによれば、教授が一人と助教授が一人と、こういうふうなことで、あとはほとんど無給医局員でやっているわけですね。これでほんとうのあれができるかどうか。あとの二年の研修が絶対必要とおっしゃるけれども、私どもは一生が研修だと思うのですね、お医者さんは。だから、年限をお延ばしにならなくても、内容を教授陣を強化するとか何とかしてやれば十分教育はできるというふうにしろうとで考えるわけです。これに対しての先生のお考えをもっと詳しくお伺いをしたい。
それから外国でもインターン制をとっていることは事実でございます。みな給与を出しているんじゃないですか。そこに問題がある。それから研修生の身分の保障、この問題になると、どうお考えになりましょうか。国立病院、大学等、個々ばらばらの謝金制度のようなものをおとりになっている。身分の保障は何にもないのですね。司法修習生などは、共済組合員の資格も、あるいは旅費も旅費規程によってすべて支払われ、しかも公務員の初任給、こういうものをもらいながら研修していく。そして、済めば、弁護士になろうと、裁判官になろうと、検事になろうと、選ぶ道は自由であるというふうになっております。ところが、この研修生には、そういう身分の保障は何にもないわけです。これらに対してどうお考えになるか。ただ年限を延ばしたり研修していくだけで医者が十分であるとは私どもには考えられない。教育の内容をどうお考えになるか、これらについてちょっと詳しくお伺いをしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/23
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024・日野原重明
○参考人(日野原重明君) ただいまの教育を実際どういうふうにしたらいいかということは、私は非常に困難な問題だと思いますが、いまの大学病院でも、あるいは医育機関その他の病院でも——御質問は、おもに医育機関というふうに私は理解しております、大学病院における。これは、ほかに大学医育機関の専門家がおられますから、その専門家に聞いていただいたほうがいい回答があると思いますから、おまかせしたいと思いますが、ごくプリンシプルだけ申しますと、病棟に専属に勤務して、患者何人に対して何人という医者の数が出るわけであります。そして、その割当の医者だけはフルタイム・ドクターとして研修をさせる。それ以外に、どうしてもここの大学でここの病院で研修したいというふうな者があれば、それはやはり十分に生活を保障できないのは当然でありますので、どうしても必要な人員の数を出して、それに対しての生活保障をするようにして、そして、研究と研修というふうなものは非常にミックスアップされますが、卒業後二年、ここに書かれてある二年というふうなものは、完全に臨床研修ということに一本化した場合の考えでありますので、その数は病院において正確に出ると思いますので、それで予算ができると思います。その場合に、大学病院、厚生省関係の病院、その他の病院というように差があることは不合理だと思いますので、そこは各省が調整する必要があると思います。
それから身分のことでありますが、教育は終生職業についている間続けられなくちゃなりませんが、しかし、少なくても卒業してすぐに勝手なことをしてレベルの低い医療を国民に対してするのではなしに、長ければ長いほどいいわけでありますが、少なくてもこの線をというふうなことを出すためには、一年とか二年とかというふうなことを切らざるを得ないので、私は少なくてもこの線においてある年限を切らなければならないと思うわけであります。そして、しかも、在学中と卒業してというふうな状況においては、患者と取り組む取り組み方、責任の持ち方に非常に違いがありますので、卒業後は泊まり込みでもでき得るというふうな体制にしようと思えばできるわけでありますので、そういうふうな状況においてする教育は、卒業前の教育とはまた多少変わってくるものであって、そして、少なくてもその二年の研修後に専門医になりたい人は、内科の場合には五年ないし六年が絶対に必要とされて、それが発足されることになったわけでありますが、専門家としての医者は、その初めの二年と、そういうふうな経路をとりながらさらに五年、六年後に資格を受けて専門医になるというふうなことになる。しかし、辺地に行ったり、あっちこっちに行ったりする場合に、やはり少なくとも二年ぐらいの研修をりっぱな病院で終えた者がそういうところへ行って、しかし、そこでは生活が十分に保障されて働けるような場をつくっていただきたい、そういうふうに考えるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/24
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025・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 日野原参考人に一言お礼を申し上げます。
本日は、貴重な御意見をお伺いしまして、まことにありがとうございました。厚くお礼申し上げます。
それでは、引き続いて参考人に意見の開陳を願います。
次に、懸田参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/25
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026・懸田克躬
○参考人(懸田克躬君) 私がこの医師法の一部を改正する法律案に関して考えておりますことを簡単に申し上げたいと思います。
今度の改正の根幹にある点は、私の理解するところでは、現在医師の資格を得るための医師国家試験を受けるその前提条件となる実地修練、いわゆるインターン制というものを廃止する、そして、医学部あるいは医科大学という教育機関の卒業の資格を持った者は、すぐに国家試験を受けて、それに合格すれば医師になることができるという、インターン制の廃止がその第一の点であります。第二は、このような国家試験を受けて医師となった者に、なお臨床的な研修をする。しかも、充実した大学病院あるいは教育病院で所定の研修というものを少なくとも二年以上することが望ましいというふうにされていること。衆議院での改正前の原案では、その研修を終了した者が希望する場合には、院長がこれを証明し、それからこれを厚生省に届け出れば、その研修をしたという旨が国の記録に公に記載されて、その旨の証書が与えられるということであったわけですけれども、今度の場合には、それがなくなって、ただ院長の届け出ということになったということだと思っているわけであります。
私ども全国の医学教育に関連しておる者の集まりとして古くから医学部長会議というものがありまして、そこで絶えずこのインターン制の問題を議論しておりまして、そこで問題になりましたことは、現在のインターン制というものは、実際には、まあことばが正しいかどうか問題があるかもしれませんけれども、その意図したところと違って、形骸化してしまっていて、現実にはあまり有効な働きをしていない。しかも、これを実施するための適切なことも十分に行なわれなかった。また、一方、専門課程での教育の中で、臨床の教育の方法と申しますか、あるいは教育のしかたがいろいろに考えられて、その強化がなされてきていて、決してそれは十分ということはできないかもしれませんけれども、少なくとも平均の今日のインターン制というようなワクの中で行なわれていることで一応国家試験を受けて医師となることができるというふうな予想がなされるものであれば、それだけのものは十分に専門課程の中でなし得ていくというふうに考えていいだろうという考えが根本にあるわけであります。そういう意味で、いろいろな矛盾を持ったインターン制というものは、現在ではむしろ廃止したほうがいいという考えを私ども持ったわけであります。それには実際に実例もあるわけで、在学中の教育が、先ほどからも話が出ましたような、少人数制の教育とかあるいは臨床病理検討というようなものが樹立される、あるいはベッドサイドでの教育というものが強化されるというような仕組みの中で育てられた医学部の四年生と、それからそれが十分でなかったままに卒業してインターンをやっている人たちと、同じ病院で同じ指導的な医師がその二種類の学生とインターン生とを同時に同時期に教育してみて、ほとんどその間に差異を認めることができないというような実際の経験もあるわけで、そういうようなことを考えても、現行のインターン制度はもうその弊害の面もいろいろあるわけでありますし、廃止することが正しいだろうということを私ども考えたわけであります。この点については、現行インターン制の廃止という点については全国の医育者の一致した意見であろうと思います。しかし、いま申しましたように、そういうことは専門課程での医学教育の充実の問題というものを切り離して考えることはできないわけで、この点についての私どもの十分な顧慮というものが前提されていることは言うまでもないわけであります。
ただ、誤解を避けるために申し上げておきますけれども、この問題をいろいろ議論しております中で、現在のインターン制度が行なわれるようになってから大学を卒業して教授となっている人たちもございますけれども、そういう古くインターンを受けた人の中には、自分のころは非常によかったというようなことを言われる方もありますけれども、病院とそれから身分も生活も保障されないこういうインターン生という姿で研修をしている人たちとの両方の非常な犠牲においてあるところではかなりな実績をあげたところがあるわけですけれども、制度として考えた場合、あるいは平均として考えた場合には、インターン制というものはむしろ廃止したほうがいいというふうに私どもは考えるわけであります。そういう面があったことをもちろん否定するわけではないけれども、平均として考えた場合に、私どもはそう考えるわけであります。ただ、その前提として医学の専門課程での教育がますます充実しなければならぬ。その十分な教育をするためには、現在の人的な面での不足の解決、あるいは施設というような面での充実ということが絶えず行なわれていかなければならないことはもちろんのことでございます。
その後、第二の点で、卒業後の研修が二年以上望ましいということをこの改正法では言っているわけでございますけれども、もちろん、医師の仕事の性質上、人命という非常に大事なかけがえのないものを扱うのでございますから、その責任は非常に大きいものでありますし、また、医学が絶えず進歩している、そして絶えず新しく開発された治療あるいは診断、そういうようなものを取り込んで国民のために奉仕するということは医師の責任でありますから、そういう意味では医師の研修というものは一生の問題ということは当然のことであります。私、その意味で、二年というものを卒業して試験を受けてパスした者が受けることで満足されるというふうには考えていないわけです。ただ、私が考えておりますのは、むしろ私という個人の意見というふうにお聞き取りいただいたほうがよろしいと思いますけれども、国の国民に対する責任と申しますか、あるいは義務、そして卒業後の研修を国が望むという意味に解してはじめてこの二年以上の「研修を行なうように努めるものとする。」ということの意味が出てくるんだろうというふうに考えております。もちろん、それと同時に、そういうことに関して医育者が果たさなければならない責任というものも十分にここで考えさせられるということ、この二つを考えてはじめてこの問題は考えられるというふうに考えているわけであります。ただ、二年だけではなしに、さらに臨床的に修練を積むことは、もちろん、医師がその技能を高める、そしてそういう医師が診療の実際に当たるということは、よりよい医療が行なわれるということになるわけでありますけれども、それにはやはりおのずから年限というものはあるだろうと思います。一番問題なのは、卒業して医師となってから生涯勉強しなければならぬその最初の時期に、今後独力で新しい医学を絶えず取り込んでいくということを身につける、その最初の修練という場が充実されるということは非常に大事だというふうに考えて、私は、この卒業後行なわれる研修に、国がそれを保障し、国の責任としてこれを考えるということの意味を認めたいというふうに考えているわけであります。
ただ、この場合には、いろいろな問題が確かにあります。大学病院がその研修の場の有力な一つでありますし、また、一つには教育病院というものが考えられて、質の高い内容を持った病院がそういう研修の場として考えられるわけでありますけれども、そこにはどうしてもその指導スタッフあるいは施設というようなものから教育できる員数というものはおのずから限られてまいりますので、そこにどうしても定員という問題は起こってくる。しかし、原則的には、修練する者は自分の希望するところでそれができるようにあってほしということも当然考えるわけであります。この問題に関連して、しばしば大学の無給医局員の問題が出てまいりますけれども、無給医局員が大学にたくさん見られるという現象は、単に大学の附属医院の管理の貧しさということでは片づかない問題であることは確かで、これにはいろいろな原因があるわけであります。大学以外の病院で、大学のような実のある卒業後の研修あるいは研究——大学は研究と教育と診療という三つの課題をかかえておりますけれども、充実した研修の生活が行なわれる場が大学以外には非常に少ないという環境的な条件が、大学に多くの若い医局員を集める。そして、定員を越した者はどうしても無給になるわけで、そこに雲集するということになる結果を招いているわけで、これは単に管理だけの問題に帰することはできない。現実にこれがすべて定員化されるということになれば、それは無給医の解消ということにつながるわけでありますけれども、希望する者がすべて有給扱いになるということは当然できないわけであります。ただ、現在の非常に乏しい、ある点では現実離れしていると言ってもいいほどな大学の教育スタッフの定員の少なさというものを解決することは、もちろんその前提として考えられなければなりません。
そのほかに、この研修にはもちろん問題がほかにもありまして、無給医の存在、そういう人たちの力をかりて大学が現実に運営されているというこの問題も解決しなければなりませんし、そのほかに、大学では、大学院の研究生——あるいはこれは大学の医学部の研究生というふうになったとも聞いておりますけれども、この乏しい人員の中で、現在の卒後の研修というものを一応はずして考えてもまだ十分な人員が与えられていないとさえ言い得る状況の中で、新しい課題を大学が受け持つということについては、これは相当深刻に考えなければならない問題がありますけれども、しかし、いまやはりそういう研修が必要であるということになれば、これは私ども教育者としては受けとめなければならないことであろうというふうに考えているわけであります。
それと同時に、大学では、卒業後の教育ということになりますと、今度新たにそこに課されることになる卒後の研修のほかに、もっと本来備わったものとして大学院というようなものがありますので、それとの関係を深く考えなければなりません。このことは、大学病院での研修と教育病院での研修の問題としてまた私どもの今後考えていかなければならない課題だとは受け取っているわけであります。もしも、そういうことが私どもの中で真剣に考えられ、絶えず漸進的にでも解決されなければ、この研修制度がまたインターン制の失敗を繰り返すことになりはしないか。そういうことがあってはならないので、われわれとしては、非常な努力をしなければならぬ、また、絶えず国との話し合いの中でその充実を期していかなければならぬという決心をしていることは同時に申し添えておきたいと思うわけであります。
先ほど、登録医ということばをちょっと申しましたけれども、私は、この問題を、国と大学医育機関あるいは研修の機関というものが国民に正しいよりすぐれた医療を提供するという義務があるということを明らかにする意味で意味があると考えているわけなんです。今度の改正でその点が強まったのか弱まったのかということをいま慎重に考えようとしているわけでありますけれども、卒業後の研修がどんな形であれ、卒業してからの医師に、あるいは卒業して間もなく将来生涯にわたって勉強を続けていかなければならぬ者に、勉強の基礎的な訓練をし、臨床的な基礎的なものを与える最初の二年あるいはそれ以上というものを大事に考えていくということにこの研修の意味を求めようとしているわけであります。
ただ、この問題については、どういうような計画を持っているかということがもちろん問題になってくるわけでありますが、現在のこういう問題が起こる前から、どの大学の臨床の教室でも、新しく入ってきた人たちにどういうふうにトレーニングを与えるかということで、これは各学会の中でのそういう方向に向かっての検討と並行して、各教室で、ほとんどの教室が考え、それぞれのプランを持っていることであります。その詳しいことについては私どももまた引き続いて検討を加えているわけでありますけれども、そういうようなことがありますので、これも漸次充実し、また、それに必要な人員、施設というようなものも充実することの中でこの問題は解決していくべきであろうというふうに考えているわけであります。
問題は、大学と大学以外の教育病院というところでの研修というようなものが国の要請という背景から考えられるとするならば、やはりどこで行なわれようと十分なものがなされなければならぬ。そのささいな点についてはいろいろな違いがあるでありましょうけれども、その大綱においては共通の地盤の上に立った研修がなされなければならぬということも当然でありまして、その点の検討もしてあるわけであります。
ただ、繰り返して申しますけれども、こういうような問題は、私ども、長い歴史の中でいまのような状況になってきたそのものが一挙に解決されるとはもちろん考えておりませんけれども、少なくともこれを契機としてさらに私どもの力を合わせてこの問題に取り組んでいくということによって、漸進的に解決していきたいというふうに考えております。また、その可能性を考えているわけであります。先ほど医育者の責任と申しましたけれども、長い間医育者の集まりに出席しておりまして、年をふるごとに真剣に、教育の問題、専門過程の在学中の教育の問題、卒業後のトレーニングの問題、それから医学の研究というものももちろん大学の大事な仕事で、その辺の充実というようなことで医育者がどんなに真剣に考えるようになってきているかということをまのあたり見て、そうしてみんなが真剣にディスカスし、真剣に力を合わせて進もうという態勢を見ておる者として、私は、ある意味で前途に希望を持っておるということを申し上げることができるかと思います。もちろん、いろいろな意味で、まだまだ私どもの考えなければならない問題がございますけれども、大綱としてはいまのように考えているわけであります。
また、いま考えられている研修制度というものも、私は、これが固定化したリジッドなものとして受け取ることはしないでいいであろうというふうに考えているわけであります。先ほど、ドイツでは、卒業後医師となってから二年間、メディツィナルアシステントという、これは公務員ですけれども、そういう形で修練を積んではじめて独立の開業ができるというふうになっているという話が出ましたけれども、ドイツが何も模範というわけではございませんが、初めは一年、それが足りないというので十五カ月以内に、さらにそれが足りないというので二年に延ばされて、現在は二年という独立の医療に従事するための期間が置かれておるわけでありますけれども、最近、ドイツのある教授から私どもの同僚のところに参りました手紙を見ますと、またドイツではこの二年をもう一度一年にというような検討を加えようという動きも出ているということを申しておりました。これは、ただ二年が長いから一年に変えるというのではなくて、そのときの社会的な情勢、あるいはその後の大学の中の研修のシステムというようなものがどういうふうに充実され、どういうふうに変わってきたかということに応じて、それに順応して変わっていくものだというふうに考えておりますので、この二年がまた将来あるいは延びたほうがよければ延びるかもしれない、あるいはもっと短くて十分なことができるようになるということであればそういう時期もあるかもしれませんけれども、しかし、現在としては一応二年というものを考え、「二年以上」ということで、なお、その二年については、その生活というようなものを考えるということは正しいことだというふうに考えます。
もう一つは、先ほど、研修の内容が国の要請であるという限り、大学で行なわれるにせよ、病院で行なわれるにせよ、およそ筋の通った共通の大綱を持つものであるということが望ましいと申しましたけれども、その研修者が受ける待遇というものも、やはり研修の場によって差異があってはならぬというふうに考えて、この点については十分な配慮をしていただきたいというふうに考えるわけであります。
ほかにもいろいろございますけれども、以上の点だけを申し上げて、御質疑がございましたらまた申し上げたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/26
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027・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) ありがとうございました。
最後に、三好参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/27
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028・三好和夫
○参考人(三好和夫君) 三好でございます。私の経歴を申し上げておきたいと思いますが、私は、ただいま徳島大学の内科担当教授をしておりますが、約十一年前に徳島に参りまして、それまで十八年間東大病院におりました。そのうちの九年間は先ほどの無給医局員を実際にやってきた者でございます。徳島大学では、ことしの一月一ぱいまで任期二年の病院長をやってまいりました。そういう立場で私の考えを申し上げたいと思います。
私は、この法案、これは衆議院で修正されておりますが、このままには強く反対の意見でございます。法案のうち、現行インターン制度の廃止にはむろん賛成でありますが、引きかえに加えられております研修制度には強く反対という意味でございます。
わが国の正しい医学教育や医療の確立には、わが国の国民——ほかの国民ではなしに、わが国の国民の真の健康、福祉を目的とし、外国の制度を無批判に直輸入するのではなく、その時代に応じた、わが国の国情、国民生活の実情に即した方策が検討されなければならないと思います。このようにして引き出されてきます妥当な結論が、はじめて世界共通の近代社会の理念に合致することになるものである思います。それは何であるかといいますと、人間の尊重であると思います。この法案には、そのような姿勢が見られないと思います。
この法案は、医師の研修を制度化するものであります。すなわち、医師法に新しく「臨床研修」の一章を加え、医師が二年以上、すなわち、年限を切り、また、特定の病院を指定して、これを「行なうように努めるものとする。」として、その結果を病院長が「厚生大臣に報告する」となっております。これによって、現実に、二年以上特定の病院で研修を行なう医師の立場ができるわけであります。これは、結果的には、現行インターン制度の二年延長と非常に似たことになります。
今回の医師法の改正の考え方の誤りは、私は、医師の研修の意味の取り違え、あるいははき違えにあると思います。医学教育者の従来主張してまいりました医師の研修は道義的、自主的であるべきであるということが安易に受け取られてしまったものと思います。結論的に申せば、医師に研修はぜひ必要でありますが、これは医師として患者の医療に責任を遂行しながら行なうべきもので、研修を主とした研修医という立場はないということであります。言いかえれば、医師が診療にあたって医師の職業的良心に従うように努めることが医師の研修であります。この良心は、むろん法律や制度でははかることができないことは明らかであります。また、それを制度的にしてしまいますと、意味が全く変わってしまいます。もともと、医師は患者の医療のためにあるもので、患者に責任を持つことが医師の本分であります。医師は、自分が責任を負った患者に、すなわち、主治医はその患者にその時代の最高レベルの医療を施すべく、日夜反省しながら汲々と励む、これが医師の研修であります。医師は患者に責任をとるために研修するのでありまして、医師が自分自身の研修のために患者を診療するのではない。それでは話が逆になってしまいます。ところが、もし研修ということを法律で定めて研修医という立場ができますと、これは、患者側からいたしますと、研修のために診療を受けることを認めてしまうことになりかねない。また、医師の側から言いますと、患者に対する責任感が希薄化されてしまいます。人間愛に基づく医師の自己向上への意欲はそがれるおそれがあります。俗に言えば、いわゆるお客さん医師になってしまって、これでは真の研修効果は得がたくなると思います。
免許を得た医師は、職業人として、患者すなわち病人、それから社会に対しても、その責任を果たすべきであるというのが私の考え方であります。
しかし、そのために、医師には、その身分、生活及び診療と研究の自由が保障されていなければなりません。自由とはもちろん真の意味の自由でありまして、放縦とか無軌道ではありません。この保障によりまして、医師は、はじめてその責務を果たすことができるのであります。
ところで、この法案のように研修医をつくるとどういうことになるか。具体例として、東京で最も大きい国立病院の一、二をあげてみたいと思います。このクラスの病院は、ベッド数五百ないし八百、医師の定員数は七十から八十名、これにおそらく今回の研修医がそれぞれ三十ぐらい割り当てられるのではないかと思います。二年以上の研修でありますから、少なくとも倍の六十人の研修医ができます。すなわち、その病院の医師定員数の三分の二以上から同数近い研修医師がふえるわけであります。この数的比率がたいへん問題であると思います。この六十人の研修医は、すべてベッドを持ち、実際上の主治医になるわけであります。そして、それ以上の年長の医師は、おもに相談医であるとか専門的な医師であるとか、指導医的な立場になるわけであります。私がここで申し述べたいのは、免許取得後の一年、二年、せいぜい三年ぐらいまでの医師が、大学をはじめ多くの病院でベッドを持ち、主治医となり、その病院診療の主力であるということであります。その医師たちが、正規職員ではなく、支給は謝金払いである。これでは、一方ではその病院の診療に追われ、他方ではまた生活に追われ、研修どころではないということになります。これは結果的に、研修の名のもとに、医師を安く使い、それを特定の病院につなぎとめるということにほかならないということになります。これは、どうしましても封建徒弟制度であると言うよりしかたがありません。このことが、今回の教育指定病院、これは大体は都会に偏重している大病院、おそらく百三十ぐらいのところに行なわれるのではないかと思います。いま申し上げましたのは、最も大きな国立病院でございまして、そのほかには、たとえ三百床以上にしましても、定員の医師の数は二十前後というところさえあります。
要約いたしますが、こういう状態で、教育の場は、現在、ほとんど整備されていない、非常に不十分だということが言えます。もちろん、病院は、建物あるいは設備も必要ですが、何よりも大事なのは、病院の運営はやはり人であります。また、このようにいたしますと、大学病院も、先ほどからお話のございました無給医局員と並んで、さらにその上に研修医という集団で、この両者で成立するということになります。また、これもお話がございましたが、一方、この制度ができますと、国の他の病院や地方の医師不足はますます増強深刻化されることも明らかであります。さらに、別に、医学教育に関しましては、たださえ人の行かない基礎医学の一そうの衰微を来たすということにもなります。これも大問題であると思います。さらに、また、保健所の医師などもおそらく減るのではないかと思います。このような、研修に期限をつけ、病院を指定する制度は、つくってはならないものと私は思います。
それでは、国民の医療にたえ得るような医師をつくるのにはどうすればよいかということでございますが、これはもうすでにお話もございましたから簡単に申し上げますが、それは、卒業前医学教育の充実と、それからここは私は少し違いますが、医師の働く環境と場の是正、整備以外にはないと思います。ところが、わが国の現在の医学教育はまことに不十分で、教官の不足、医師の不足、ベッド数も足りませんし、設備もすべて不足であります。
したがって、基礎、臨床ともに、いわゆる少人数実地教育ができておりません。ことに、臨床、また中でも内科、外科等いわゆる基幹になる科の定員不足は、現にほとんど明治時代のままで、常識はずれとさえ言えると思います。この不十分を、いわゆる無給医局員がささえている。先ほどのお話のとおりであります。すなわち、無給医局員の大部分は、大学の正規職員の業務でありますところの教育、研究、診療を行なっているものであり、自分自身の勉強のためにいるものではありません。これを緊急に有給定員化すべきであることはもちろんであります。さらに加えて、これも御指摘がありましたように、教授以下指導教官の数も格段にふやさなければならないと思います。
さて、卒後の教育でございますが、先ほど述べましたように、医師が普通に良心的に診療できるように環境と場の整備がしてあれば、それがそのまま医師の研修になるということでございます。しかし、この場合には、一つつけ加えますと、医師に、個々の診療にあたって、みずから考え、あるいは調べ、必要に応じて研修することのできる時間的余裕を与えることがぜひ必要であります。
これらに対する政府の財政措置でありますが、医学教育、医師育成のための財政措置は、これは問題ないと思いますが、ぜひ正しい形で行なっていただきたい。
卒業後の教育に関して大切なことは、ただいまも申しましたように、この財政措置は医師の研修という観点から行なう要はないわけであります。ただ、国が国民の医療そのものの責任を果たすための財政措置を行ないさえすればそれでよいということを十分に御理解いただきたいと思います。国民の医療がうまくいっているという状態が、そのまま医師の研修もうまくいっているということであると思います。
どうも、この改正案は、臨床研修という医師の性格から切り離せないものを無理に切り離し、これを別に制度化することによってその部分の予算獲得の方便にしようとするもののごとく受け取れます。すなわち、医師に臨床研修を規制することによって、国に責任を持たせよう、それで予算を組ませようという誤った考え方であると思います。
医師養成の責任は、国民の健康を守るために国にあることは、これは憲法を持ち出すまでもなく明らかであります。したがって、医師法につきましても、その第一章総則に、医師の任務として、「医師は、医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする。」とございます。これで、医師の医療責任、ひるがえって国の責任は十分であります。
現行医師法には、さらに、刑法上の罰則もありますし、医療過誤はもちろん刑法に問われることであります。医師は、従来とも、ヒューマニズムの上から、また、このような法的のことからしても、安易には独立した診療には入っていないものであります。事実、習慣的にも、卒業あるいは免許取得後、少年数で独立診療に入った医師は非常にわずかであります。資料として昭和三十九年のものもございますが、これによりましても、五年以内に独立した医師はわずか八十五ということです。毎年、医師は三千人ぐらい卒業あるいは医師の免許取得を行なっております。
大体申し上げましたが、おしまいに、この法案と、先ほどもちょっと出ましたが、医育者の態度についてでございますが、この法案の登録研修制度を医学教育者が一致して支持しているごとく誤って伝えられていることは、まことに残念であります。この登録研修制度に対しては、逆に大多数が反対しております。たとえばここに私が持っておりまする各大学教授会の要望や声明による意思表示だけで見ましても、反対はすぐ十校ぐらいのものは集めることができます。逆に、はっきり賛成の意思表示、声明という大学は一校もないというありさまであります。
医学教育者の大多数は、もともと、このことに関する三原則、すなわち、一は、現行インターン制度の廃止。二は、卒業後直ちに国家試験が受けられ、合格者に医師免許を与える。そして、三は、卒業後の研修の必要は認めますが、これは道義的、自主的であって、法的、義務的にはしない。ときには、これを医学教育者の責任で指導するという、この三原則を持してきたのであります。
なお、医師の研修とは、当然医学研究的な要素が入るもので、これは臨床研修という字を使うよりは、医学研修と言うべきであるというのが医学教育者の多くの人の見解であります。さもありませんと、医師は単に技術家に堕落してしまうと思います。
最後に、医学教育界の混乱についてでありますが、現在、全国医科系大学では、深刻な混乱、ストライキが続いております。今春、医学卒業生の出ない学校も、東大、医科歯科大学、京都大学、新潟大学等、数校ございますし、医師の国家試験ボイコットに至りましては、四十六校中三十七校という数に至っております。学生諸君の行動に一部過激に見えるところもあるかと思いますが、何といいましても法の改正に国、厚生省を動かしましたのは、彼らの絶大なる犠牲によるものであります。それからまた、法改正に対する彼らの態度はどうかといいますと、ただいまの医学教育者の三原則と同じであります。何よりも、この制度が適用されるのは、学生あるいは卒業した医学生の諸君であります。もともと、医学生であるとか私ども医学教育者は非常に保安的な部類の人間であるのがこういう状態であります。私たちは、せめて、この改正法案を、秋たちが考えても理の通ったすっきりした形で、法案で言いますと、新しく加えられた「臨床研修」の章をはずして通し、これをもってわが国の医学教育、国民医療の積年の荒廃の是正の第一歩としたい、これ以外にこの深刻な混乱を打開する道はないと考えております。
もう一言いたしますが、昨日は、ジョンソン大統領によるベトナム北爆中止と次期大統領に再出馬せずとの報道がございまして、米国民はじめ、世界の人々はこれによってとにかくほっとしたところだと思います。この法案に関しましては、とにかく青天井に修正して通すことが先決であると思います。それが行なわれれば、現在の混乱した医学界におきまして、医学教育者も、学生諸君も、そしておそらく国民の方々も、ともに一応ほっとするであろうというのが私の実感であります。本式の充実化は、それから引き続いてスタートすべきであると思います。政府は、医学教育、医師育成、国民医療の問題に関して、従来の実のない制度づくりで問題を糊塗していく方針をひとつやめていただいて、人間を尊重した実質改革の施策をとるという政策の転換にいまこそ踏み切るべきだと私は思います。このようになさいますことを願ってやまない次第でございます。
以上が私の意見でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/28
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029・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) ありがとうございました。
以上で参考人の方々の御意見の開陳を終わります。
これより参考人に対する質疑に入ります。質疑のある方は順次御発言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/29
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030・黒木利克
○黒木利克君 田村先生にお伺いをいたします。開業医の立場からの御意見ということでございましたが、国民の立場といいますか、国民医療の立場から少し疑問に思う点もありましたから、失礼でございますがお尋ねをいたします。
第一は、御発言中に、医学部の四年で十分な医学教育を受けたことになるのだから、その後のインターンというものは一年間の空費、一年間医者を殺すことになるというようなことをおっしゃいました。また、一方、卒業後CPCでは一番成績はいいけれども、しょせんは紙の上の能力だというようなおことばもございました。そうすると、臨床研修といいますか、医学研修といいますか、その必要はお認めになっているようでもございますが、その場合に、どういう研修の仕組みというか、制度をお考えになっているのか、お伺いをしたいのであります。
また、それに関連をいたしまして、御発言中に、卒業後こういう医学の勉強をするところは至るところにある、それを一定の病院に縛りつけるのはいかぬということもおっしゃいましたが、勉強するところは至るところにもあるというような意味が、診療所も医療機関でありますから、診療所でもいいじゃないかというような意味なのか。私は、その点で、日野原先生から、制度的なインターン制というものがなければ、国際的に見ても日本の医師の水準が下がるという心配があるのではないか、国民医療上から不安だというお話、それから教育病院というものは厳選されたりっぱなところでやらなくちゃならぬ。懸田先生から、質のいい質の高い病院で教育をする必要があるという発言がございましたが、それと反対の御意見のようにも承ったのであります。特に、国立病院というものを教育病院にするのは、新卒の医師の搾取になるから、低賃金で医者を使うことになるから、適当でないというような御発言もございましたが、国立病院が今後教育病院的な機能を持つことも必要だと私も思うのでありますが、国立病院というものがそういう教育病院としての能力がないのが、単にいま申しましたような搾取があるからけしからぬというようなことだけのお話なのか、むしろ学閥を避けるというような意味でもそういう国立病院等を教育病院的にだんだん整備していくことも必要じゃないかと思いますが、そういう点についての御意見を伺いたいと思います。
それから三好先生には、医師の研修の——これも医学研修、臨床研修、いずれにいたしましても、医師の卒業後の研修の意味のはき違いだというような御意見がございまして、結局、医師が患者に対して責任を持って良心に従って医療を行なうということが研修なんだというようなお話でございますが、どうも十分に意味がわからないのでありますが、ともかく卒業後の研修の場というものをどのようにお考えになっておられるのか、お伺いしたいと思います。
また、国立病院の例をおあげになりまして、封建徒弟の制度に堕するという心配もおっしゃいましたが、その発言の中に、研修生が実質上主治医となるのだというような御意見もございましたが、これは厚生省にむしろ質問したらいいかもわかりませんが、それはどうも事実と違うのではなかろうかというような感じもするのでございます。ともかく、卒業後の研修の場というものが一体どうなるのか、その辺をお聞かせ願えればしあわせでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/30
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031・田村清
○参考人(田村清君) ただいまの黒木先生の御質問にお答えいたします。
インターン制度の内容につきまして、過去二十年間の実績は、それぞれ教育の任にあられます大学の先生方からお話がございましたように、形だけあって中身がなかった、むしろやめたほうがいいからこういう状態になったのだというお話がございましたけれども、しかし、インターンになります際の卒業試験が終わった人たちの医学全般にわたって持っております知識の量というものは、これはやはりその当時が一生の間で一番幅広くて多いのであります。部分的に深まるのはその後のことであります。その点については、私、CPCで成績のよい若い先生方を現に見ておりますので、なるほどあのくらい知識を深く幅広く持っているのかなということは、現に自分で体験している点でございます。しかし、この方たちが、なまな患者さんを一人であずけられましたとき、それを適当に処理できない、これもいなめない事実でございます。したがいまして、なまな患者さんに対しての責任を果たすために研修が必要になってくるわけでございます。
その研修の場をどうするかという問題でございますが、国立病院というお話がございましたけれども、それじゃ各地にございます国立病院が内容の充実したものであるかどうか、また、そこに現在若干の予算を注ぎ込んだから、研修をする立場の若い医師を指導することのできる先生方が十分おるかどうかという点に至りましては、私は非常な疑問を持つわけでございます。どこへ行きましても、この先生についたら自分が勉強できると思うところを自由に選ばせることが、ほんとうに研修をしたいと願っている若い医師の希望を満たすものだと考えます。
特に、国立、あるいは公立、あるいは私的の病院でも、名前の通っているところだから、審議会で審議してこれを教育病院として指定するというようなことであってはならぬと思います。町の中でもすぐれた医師はたくさんおります。現状、一般国民が医師を見ます見方は、町医者——私などはその典型的なものでございますが、町医者という見方をしておりますが、その町医者といわれる、あるいは村の医者といわれる先生方は、みんな長年病院で研修をしてから開業した人でございます。先ほどの三好先生のおあげになったデータでなくても、免許証をもらったから翌日からすぐ開業するという勇ましい医師はいまの世の中にはございませんし、社会的な信用なしに開業できるというものではございませんし、その点はどなたがお考えになっても変わりがないことと思います。
大きな病院ということでその中の医療内容がよろしいかどうかという問題でありますが、現在、国民全部が健康保険で医療を受けております場合に、その一月一月の一人ずつの患者さんについて請求明細書というものが出されて医療費が支払われていることは、先生方詳しく御存じの点と思いますが、私、支払基金の審査委員をいたしまして、各病院から出てまいりました請求明細書を二カ年間見たことがございます。大学病院のも見ました。国立病院のも見ました。それで、そこで行なわれております医療は、紙の上で推察するというのは非常に危険なことではございますけれども、一律に型にはまった治療が行なわれております。大病院の外来の診療内容などというものは、一人一人長い間家庭医として結びついております町の中の開業医の実情に即した診療に比べてはなはだしく見劣りのするものだという感じを私は持ちました。
国立病院の小児科の診療内容につきまして、そこの国立病院の院長さんが審査委員長に出ておられました。審査委員長としてわれわれ審査委員に対して合同の会議で意見を述べられましたことと、その提出されております内容と、はなはだしく違いますので、審査委員長のところへその現物を持ってまいりまして——その請求書というものは、院長の名前で出ているわけでございます。現在の医療機関とそれから保険医という二重指定になっております保険診療の医療担当の側の制度の上から申しますと、個々のその中で診療を担当しました主治医の名前はそこへ出てこないわけでございます。そこの院長さんの名前で請求が出ております。国立病院の院長の名前で出ている請求だから内容がよろしいということは言えないわけでございます。それで、はなはだしく片寄った傾向の診療が行なわれておりますので、委員長である国立病院の院長先生のところへ持っていって、先生が指示されたこととこの内容とははなはだしく食い違いがありますので何とかなりませんでしょうか、このままでは私は審査することができませんということを申し上げましたら、帰ってから小児科の医長に注意をするから今月分は通しておいてくれというお話でございましたが、私は、先生のお話のとおりにやりますとこのままの審査はできませんので、これはほかの方にかわっていただいてよろしいかということで処理をしたことがございますが、そのように、国立病院だから新しく医局に入ってきた若い先生を教育できる、しかも、国民に対して責任の持てる医療を担当できる医師を勉強させるというふうな仕組みには現状なっておりません。これは全国の現状をお考えになっていただきたいと思います。
それで、何と申しましても、現在の保険医療制度のために、ただ数をこなしているというのが大方の病院の外来の実情でございます。そういうところでそれを担当いたします先生方に、新しく入ってきた医局員を教育するというふうな能力があるのかないのか、私はたいへんな疑問を持ちます。
教育するというのは、押しつけることでございます。しかし、何と申しましても、医師が研修をするというのは、自発的な活動でなければできない。ひまがなければできません。生活の安定がなければできません。若い先生方に望ましいことは、患者さんをじっくりとよくみて、そして、そのあとに、きょうみた、いまみた患者さんについて、自分で本を調べたり先輩にただしたりしてほんとうに勉強する場所が与えられることでございます。国立病院がにわかに教育病院として指定を受けたといいましても、私どもの地元ではそのような病院は、私の考えておりますような医師の自発的な研修という点から言って、現状無理であると考えます。
また、大学の附属病院にいたしましても、地元の大学に内科の講座が二つございまして、教授が二人おられますけれども、大学の先生を前に置いてたいへん言いにくいことでございますけれども、大学の先生というのは、内科の教授といいましても、その内科のごく一部分についての非常に深い専門的な立場を持っておられる先生でございます。それじゃ、内科のことを全部その先生で処理できるかといいますと、これは疑問でございます。ざっくばらんに申しまして、私は、消化器病の患者さんについて、消化管のレントゲン検査、あるいは胃カメラ、ファイバースコープの検査というふうなものをお願いする場合には、地元の大学の内科にはお願いしないことにしております。民間の開業医のところにはるかにすぐれた検査技術を身につけた、建物は小さくともりっぱな仕事をやっておられる先生がございます。そういうところへお願いすることにしております。神奈川県の実情を申しますと、大学のありますのは横浜でございます。箱根山に近い方に小田原という町がございますが、そこに最近までわらぶき屋根の建物で開業しておられました——現在建物を改築中でございますが、その一開業医の先生が神奈川県下におきましては消化管のレントゲン検査と内視鏡の検査につきましては最高の権威者でございまして、西のほうの幾つかの大学に客員教授として呼ばれましてときどき講義に行っておられます。それで、その先生が非常に熱心な方でして、開業医を集めて週に一回ずつ夜研修の時間を持っておりますが、あの指導を受けておられます十数名の開業医の先生方は、診断能力において非常にレベルの高いものを持っておられる。ところが、この先生方が勉強したことをそのまま実施しまして支払基金に請求を出しますというと、個人開業医のくせにこんなに検査ができるはずがないというので、最初の間は非常な苦しい立場におとしいれられておりました。審査委員会でその内容を認めてくれないというわけです。個人開業医がそんなことをできるはずがないというのが大方の審査委員の考え方であったわけでございます。
町の中に幾らでも勉強する場があると申し上げますのは、ほんとうに医学研修というのは一生の仕事だと取り組んでいる開業医がたくさんおりますので、勉強する場所は一個所と限らないで、幾らでも勉強するところがある。また、生活の保障を得る場も幾らでもあるのではないかというのが、現状をもとにしまして私の意見を述べた論拠でございます。
以上でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/31
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032・三好和夫
○参考人(三好和夫君) ただいまの御質問でございますが、私が医師免許取得後の医師には研修医という立場がないということを申し上げたわけで、意味は、したがって、医師にはそれでは研修は要らないのかという意味で申し上げたのではございませんけれども、医師には、いまもお話がありましたように、一生涯の研修をするということが医師の生活そのものでございます。したがいまして、御質問の研修の場はどうするのだということは、これを言いかえますと医師の勤務の場をどうするのだということは、医師の勤務の場をしっかり整備すればよいということで、それは、そこで医師が職業的な良心をもって——これも私は普通の職業的良心でいいと思いますが、診療できるようにしてやれば、そこで医師が診療することはすなわちそれと同時に研修になるということでございますから、医師の診療する場、環境、これはぜひ整備していただかなくてはいけないということでございます。
それで、もう一つ、国立病院の、特に大きな東京の国立病院の例をあげましたのは、私よく知っておりますし、国立病院の中では、地方の国立病院とはけた違いに整備されていると思うから、わざと意識してそういう例をあげたわけでございます。そういう病院におきましても、いまの状態ですと、そこに定員医師に相当近い数の法案による研修医という立場の者が行きますとどういうことになるかということを申し上げたわけであります。うっかりしますと、七十人の定員医師が六十人の研修医を一人一人指導するのだというふうな錯覚が起こりますが、事実はそういうことはできませんで、主治医になって病床を持ちますのは、先ほど申しましたように、一、二年、三年ぐらいまでで、大きな科でも、といいますのは内科とかそういうところでも、もう四年生ぐらいになりますと、だんだんに部屋の室長になりましたり、相談医になりましたり、また、特殊な専門方向に進んでまいります。ということは、そういう一、二年生、三年生という医師は、これは決して研修医というのではなくて、むしろ逆に主治医という重い責任を持ってやるわけでございますから、身分や生活をちゃんとしなければいけない。また、それができても、特定の病院に固定させるのはよくないという意味で申し上げたわけでございます。
それからもう一つは、これもいま田村先生からお話がありましたが、国の医師のあり方でございますが、これには、いろいろな方がいろいろな形の医師をお話しになりましたが、当然、専門的な医師も必要でございます。それから相談医的な医師、あるいは指導医的な医師も必要でございます。しかし、最も大事なのは、国の国民の病人、これに対する主治医的な医師でございます。これは概念がまだはっきり固定はしておりませんで、いわゆるGPだとか、一般医だとか、プライマリー・フィジシャンだとか、いろいろ呼び方がなされておりますが、こういう医師がどこの国でももう国民の医療の主役を負っているわけでございます。それと並んで特殊な専門に分化した医師も必要でございます。しかし、そういう専門的になった医師はむしろ数が少なくてしかるべきであって、国の医師がみんな専門医になってしまいますと、これは国の実際上の医療をうまくやっていくわけにはまいりません。ともしますと、何か専門医のほうがいまの主治医といいますか一般の医師よりも格が上のような、あるいは偉いような感じを受けまして、医学生も医師もとかく専門医になりたがりますけれども、私は、これは間違いでありますし、これを防がなければ国民の大多数は非常に困ることになると思います。専門医と申しますのは、これもいまお話がございましたように、一人一人では一般の病気の診療の役に立ちません。専門医は、たとえば十の方向あるいは二十の方向に専門化しておりますときには、一人の病人が参りましたときには十人ないし二十人の専門医がそろいませんと診療できません。そろっても、それを統括する主治医というものが必要なわけです。そろったときは確かにレベルは上がると思いますが、そういうことは、どこの国でも、国の非常に特殊な人たちのときには確かに専門医が十人も二十人もかかることもありますけれども、そういうことはどこの国民につきましても十分にこれを求めることは無理でございます。これは病院についても私は同じことが言えると思います。そういう専門家のそろった病院が国に幾つかあって、まあこれは病院でございますから、一般の病院と別にそういう特殊な病院がたくさんあることはけっこうでございますが、国の病院が全部そうなると、これは病院の場合には少し意味がある。独立の開業のお医者さんもおるわけですから、病院の場合には全部なってもかまわないかもしれませんが、しかし、そういうことを求めるのはまだまだ先の話だと思います。ただ、それにしても、幾つかは国にはそういう特殊な病院が必要でございます。
それから先ほど幾人かの参考人からもお話がありましたように、国には、大学病院以外に、それと匹敵するような教育病院があってしかるべきだと思います。ただ、そういう病院は、やはり大学病院と同じような医師のあるいは医学の研究という面が——これは私発言のときに一言触れたところでございますが、研究という意味が加味されておりませんと、医学ないし医師は堕落してしまいます。したがいまして、大学病院以外に、そういう研究あるいは教育を含めた病院が幾つかあって、これはお互いに大学病院と人事交流とかいろいろな意味で交流するというのが非常にけっこうでございます。私はいつも理想案というようなことを言われますが、実は最も実際的なことを申し上げているつもりで、国のそういう病院を一ぱいつくるのはたいへんにしても、年次計画でモデルケースで幾つかだんだんにつくっていく。そういう病院も、都会偏重ではなくて、ちゃんと合理的に全国にバランスをとってつくるべきだと思います。
それで、国の医療を担当する一般医師も、これは生涯勉強していかなければ医師の役を果たせなくなりますから、そういう方々には、これもまた私が発言いたしました医療制度のあり方、保険制度のあり方を抜本的に変えて、これはいろいろな条件がございますから、結果的には、少なくとも医師は、一日に何時間とか、週に何日とか、あるいは年に何カ月とか、あるいは十年に一年とか二年とかは、ほかのところであるいはそういう勉強をすることができるようにすれば、うまくいくと思います。特に特殊な、いま胃カメラのお話がございましたが、一般の診療をやっている人でも、胃カメラの勉強をしたいという人は、一年のうちの二カ月なら二カ月はそういう特殊な病院に行って勉強してくる。しかし、その二カ月を抜けたときに、かわりの医師もいない、また、抜けたために生活ができないというようなことでは不可能でございます。そういうことができるようにして、国には、実際上の主治医、それからいろいろな方面の専門医、病院もいろいろな形のものがある、そういうふうにすれば医療はうまくいくと思います。そうでないと、うっかりしますと、私が一番心配して申し上げましたのは、いま幾つか指定しようというような病院にだけそういう医師が行ってしまう。それも、一般の傾向として、何か少しでも専門的なことを覚えたり、専門化したほうが偉くなったという感じがでございますから、これを十分に押えませんと、結局、特殊な病人だけは行けばいい医療が受けられる、しかし国全体として最も国民の大多数を占めている人たちの医療は逆に非常に低下をして、無医村までできるということが起こると思います。そういう意味で申し上げたわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/32
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033・森勝治
○森勝治君 懸田先生にお伺いしたいのでありますが、先ほど、日野原先生のお話を——先生はお帰りになりましたが、日野原先生のお話を承っておりますと、医療、医学教育制度に何か欠陥があるかのごとき印象を私はぬぐい切れなかったわけであります。さらに、先生のお話にありましたように、大学は出たけれども、国家試験は通ったけれども、これを一人前の医師として認定することはできないという印象をしろうとの私どもは受け取ったわけであります。こうなりますと、国家試験というこの立場の信用の度合いの問題や大学教育における医療制度の全きを期し得ない。だから、大学の外でも勉強しなければいわゆる聴診器を持つ医師が誕生できないのだ、こういう印象がぬぐい切れないのであります。特に、日野原先生は、司法修習生というような表現を用いられたわけでありますが、そういう面から申しますと、日野原先生も言われましたが、医療を受ける国民の立場を守り云々というような表現を先生は用いられましたが、先ほどの懸田先生のお話を承っておりますと、この日野原先生の御意見とやや——まことに失礼な言い分でございますけれども、やや相似た考え方のもとに御説明をいただいたように私は思うのであります。そうなりますと、特に先生は大学の担当の責任の先生でありますので、しろうとの私が受けた印象、すなわち、医科大学というものの卒業生、まあ先生ですね、これが国家試験を通ったが、国民はどうもあぶなっかしくって免許を持った先生を信用できないような、こんな印象を受けたので、これが私のひが目であるならば私はあえて私の考え方を改めなければなりませんけれども、どうもそういう問題についてしろうとの私が合点がいきませんので、一体、大学教育というものは、卒業して国家試験を受けて合格すれば、まあ医療の専門的な高度な、あるいはまた高邁な理想に基づくもろもろの問題を解明することはできないかもしれませんけれども、一般にわれわれしろうとの国民が見る医者としての資格認定を持った者だと、すなわち、聴診器を持って患者が安心してその先生の診療を受けることができる、だから国家試験でパスしたんだ、こういう理解を私どもは持ちたいんだが、先ほどの日野原先生や、恐縮ですが懸田先生のお話の中には、どうもこの新免された、新しく免許をとられた先生方に患者が聴診器を当ててもらうことをどうも忌避するような、こんな空気をややもするとかもし出すような印象を御説明の中でとったわけであります。ですから、この点をひとつお聞かせ願いたいことが一つ。
それからもう一つ、先ほど三好先生もおっしゃいましたが、医者はその身分、生活と自由というものが保障されなければならぬ。これは、先生といわず、どなたも当然なことであります。ところが、従来やってまいりましたいわゆるインターン制度というものになりますと、どうもこれは欠陥というよりも、この対策という点が非常におくれておる。この点は、確かに三好先生のおっしゃるとおり、私は、封建的な残滓がいまなお現存している、明らかに残っているという考えを持たざるを得ないのであります。ことばをかえて申しますと、いまの郵政省がかつて逓信省と言った時代に、逓信省の出先の工事関係の、たとえば電話の工事をするとか、こういう方々の昔の採用条件では、かつて連れ越し人夫という呼称をもちまして、無給あるいはほんの、まあ昔のことばで目くされ金と言うんでしょうかな、ちょっとほんの一部の金を与えて、約三年間使うわけであります、人夫として。そして、この三年間、雨の日も風の夜も上司の命令を受けて連れ越し人夫として無給の奉仕をしなければ、逓信省の工事関係の職員に採用しなかった、こういう例が過去官業労働の中にあるわけであります。これは戦後改められまして、そういう制度はなくなりましたが、今度は、先生方の職場の中で、私がいま逓信省のことを申したのは一つのたとえとして申したわけでありますが、そういうふうに逓信省でいう連れ越し人夫のような、身分の保障のない、先の暗い、しかも、今日のように非常な物価高でありまするから、先生方も、国民のためのよき医師であると同時に、やっぱり生活と戦っていかなければならぬわけであります。こういう保障がないということ、これはもう非常に気の毒であります。
ところが、懸田先生のお話の中では、希望者が多ければ、まあ定員という表現を用いられましたが、定員をこえた場合にはというただし書きの前提がついておりますけれども、無給でもやむを得ないのだという考え方が御説明にあったわけであります。そこで、私はそれが心配なのであります。無給でもやむを得ないということは、いま三好先生の指摘されたように、封建的なかすが残っておると指摘された。これはわれわれしろうとが見てもそうであります。これはとっくに改められなければならぬにもかかわらず、依然としてこういう姿があるから、今日のように各方面でこの問題について論議され、検討され、われわれもこうして先生方の御意見を拝聴しているわけでありますが、こういう姿をやはり一日も早く改めていかなければならぬと思うのであります。いわんや、医師として国家の免許を受けておるわけですから、いわゆる勉学の過程とは異なって、一人前の医者として認められたわけですから、当然そこには労働の——労働という表現を用いますと、先生方はあるいは御異論があるかしれませんが、私はあえてここで労働という表現を用いますが、労働の質と量に適応する賃金というものが与えられなければ、いかに高邁な理想に燃えて、昔の表現で言いますと天職などという表現がありますが、医師をもって天職とする、こういう方々も、国民に対して十分な医療を尽くすことができなくなりはせぬかと思うのであります。先生は、そういう問題について、先ほど聞いていますと、こういうことはやむを得ないのだという消極的な御意見だろうと私は思うのでありますが、やはりこういうのはわれわれ一日も早くやめさせなければならぬと思うのであります。したがって、この点についてのお考えと、その前段で申し上げました点と二点をお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/33
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034・懸田克躬
○参考人(懸田克躬君) ただいまの御質問にお答えいたしますが、医学教育制度の欠陥があって、そして一人前の医師が卒業の時点でつくれないという日野原参考人の意見を聞いたけれども、それについて、医学教育に携わっている者としてどういうふうに考えるかというのが第一の点だと思うのです。御承知のように、医学部あるいは医科大学というものは、あるいは医科大学の卒業生と申しましょうか、それは医学士というものになるわけでございますけれども、医学士の中には、必ずしも診療だけに従事する者ばかりではなくて、医学の研究に従事する者もあるわけでございますが、しかし、そのうちの大部分の者は医師として診療に従事していくというのが現実であると思います。在学中の臨床教育の仕方の改善とかいろいろな教育方法を考えるということで、現行のインターン制度の中で一年を過ごして、そして国家試験を受けて、パスすれば一応国が考えている平均の医師というものにはなるのだという、そういう考え方が妥当だとすれば、その程度の医師というものは卒業の時点で私どもは十分に養成しているというふうに先ほど申し上げたつもりであります。しかし、国の医療をどの程度の高さの医療を一般に望むかということでもちろんこの問題は動いてくることは当然であります。私どもが考えております臨床研修というのは、インターンのかわりにできたものというふうには考えておらないで、新しい観点から医師となった者の一生にわたる研修のその最初の二年というふうに私は考えております。国がもっともっと高いものを望むとすれば、やはりそれに応じたものをつくることはできると思いますけれども、いまの時点では、過去のインターン制度というものを背景にして考えた国家試験というものをパスしたときの医師像というものは、医学を卒業して国家試験を受けてパスしたという時点で達成されるというふうに考えているわけです。それからもっともっと高いものを国が望んで、卒業した時点からなお修練を必須のものとするということであれば、それは司法修習生というような問題を先ほど言われましたけれども、義務化して、そしてこれに生活を全く保障するというようなことも考えられるかもしれませんけれども、私どもは医師となって自主的にやるということがむしろ効果があるというふうに考えているわけでございます。ですから、いまよりももっと高い医師というものを最初の医師の出発点の時点での医師のレベルということに考えるということになれば、また問題はあると思います。私は、いまの時点で、ミニマムな要請というものは満たされているというふうに考えております。
それから無給医の問題ですけれども、無給医がいいというごとは私は全然考えておりませんで、これは大学におる者すべてがこの問題について深く憂慮しているわけであります。それは、先ほど申しましたように、大学という場が、その指導の要員からいって、施設からいって、あるいは研究的な立場で診療というものを身につけていくということからいって、大学以外の病院に比べて現実には格段の違いがあるというところから、ここに集まるということはどうしても現実として起こってくるわけであります。そのほかにも問題としては、たとえば学位というような問題もあるわけですが、そういうことで大学に大ぜいの医師が残るという現実を見ましても、すぐその残った人全部を定員というふうに考えて有給とするということは筋が通らないということを申し上げたのであります。やはり、大学は、いまの定員というものは、先ほども申しましたように、ちょっと現実に合わないと言っていいくらいに非常に少ないもので、大幅に増員しなきゃならない。そして、大幅に増員されて、その要員が充実されたという場合にも、施設、それからスタッフ、そういう中から、そこで十分な医師としての臨床的な経験を新しい医師が積むためには、無制限にそういう人たちを受けとめることはできないであろう。十分な研修ができるためには、おのずからいま申しましたものの中から自然のワクが出てくるであろう。そうすると、それがあってもなおどうしてもさらに残りたいという人が出てくる場合には、これはどうしても無給というものが残ってくるに違いない。しかし、それは決して好ましいものではなくて、ただその場合に無給医があってもやむを得ないというふうに突き放すのではなくて、大学以外のところでそういう研修ができるような研修の場が備えられるということがこの問題の解決にとって大事だということを私は考えているわけであります。決して無給医がやむを得ない、あっていいんだという考えではございません。
突き詰めると、大体いまの二点だと思いますけれども、これでよろしゅうございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/34
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035・藤田藤太郎
○藤田藤太郎君 私は日野原先生に先ほどお尋ねして、いま質問があってお答えになりましたね。だんだん突き詰めてまいりますと、先生は、インターンはもう廃止していいんだと。そうすると、インターンを廃止していいんだということになると、あくる日から医者として昭和二十一年の前の姿に戻していいと、こういうことになる。そこで、研修というものは、自主研修を、できるだけ技術の高い人、それから自分が習いたいというそのお医者さんで研修をして、国民の生命と保健を守ってもらうという立場から、お医者さんに、単に半年や一年や三年ということじゃなしに、将来医学全体として高めてもらいたいという念願をもっている一人であります。そうすると、インターンはもう廃止する、一人前の医者として国家国民として扱う。その上に、研修ということはどの先生もおっしゃっている。ところが、二年研修というワクをはめて、もしもこの研修を、わしらは自主研修をするといってこの法律に書いているような研修をしなかったお医者さんにはどういう認定が下ってくるであろうか。ワクの二年という研修というものをしなかった場合には、その医師に対してどういう判定が下ってくるであろうかということになってまいると思うのです。ですから、いまも最後に仰せられましたように、国があらゆるところでそういう施設をして、高度な技術を持っている先輩のお医者さんを通じて研修をしていくという場をつくっていくなら、単に一年や二年の問題じゃなしに、三好先生のおっしゃったように、片方で診療をしながら疑問の出てくる問題、もっと資質を高めなければならぬ問題は並行して研修していくということになってくる。その一番前提の国家試験、卒業と同時に医師にする、国民がどのお医者さんもわれわれの生命と健康を守ってくれるという立場からものを考えているとき、このワクをきめた二年の研修、そのとき医局員の問題に発展するわけですが、これはやめますが、そこらあたりのことはどうお考えになっておるんでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/35
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036・懸田克躬
○参考人(懸田克躬君) インターン制を廃止して、インターン制が現行のインターン制で考えているような程度のものであれば、それは卒業した時点で国家試験を行なってこれにパスした者に、過去のインターン生実地修練というものを経て国家試験を受けてパスした者と同じ資格を与えていいという考えを持っているということをもう一度繰り返してお話しすることになるわけですけれども、そういう場合に、たとえば国家試験をするといたしまして、この国家試験が現在の医師国家試験よりも低いものであるとは私は考えておりません。同じ程度の国家試験が行なわれるというふうに考えております。それに十分耐え得る者をわれわれはつくっていくということだと思います。
ただ、しかし、医師国家試験が求めている医師像というものは医師としてのミニマムな要請を満たすものであるということは、やはりわれわれ考えなければならぬ。医療は高ければ高いほどいいと思うのです。高いということは、何も専門化した、細分化した知識をたくさん持っているものが高いというのではなしに、いろいろな呼び方があるけれども、また、その内容も違うけれども、GPであるとか、あるいはPPであるとか、あるいは家庭医であるとか、いろいろなことばがあるけれども、そういうものが専門医に比べて低いものとは考えてはならぬ。私どもはやはりより高いそういう知識を持ったというものはあり得ると考えているわけで、そういう高いものを考えるとすれば、どうしてもそこにその後の修練というものを考えなきゃならぬ。それから医師が一生勉強していくということであれば、新しいものを独力で身につけていくことができるそういう基盤を最初のときにつくることが最も望ましいと考えざるを得ない。「二年以上」ということばがありますけれども、私どもは、これは国としての要請としてやるのであれば、身分も保障され、それから生活も保障されるということを望むわけで、その場合に、無制限にそれを考えることができなければ、最低二年というものを保障するということは必要だろう。現在、もっとあるいは三年ということであれば、またそれも私どもはよしと考えておりますけれども、その場合に、二年、三年と同じ人数だけふえていくかどうかはこれまたいろいろな問題がありますけれども、そういう意味で、とにかく最初の少なくとも二年というものを身分を保障し、生活を保障するというような方向に進んでいくということは、国のかまえといいますか、態度としては、いままでに比べて非常に望ましい、一歩前進というふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/36
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037・大橋和孝
○大橋和孝君 私のお尋ねしたいことだけを要点をはしょってお伺いしたいと思います。
まず、懸田先生に一つお願いしたいのは、順天堂の大学で学部長をやっておられるという責任の立場から、いま私どもこういう法案に取り組んで何とかしようとして一番心配になって頭を痛めておる点は、おたくの大学はたぶん七名ぐらいしか卒業していないはずだと思います。卒業試験をボイコットしておる。一体、学生はどういう気持ちをもってやっているんだろうかといろいろな方面から聞いたりして、どういうような状態だかということをわれわれも一生懸命に探っております。ところが、私のいままで受けました感じは、学生さんというのはかなり勉強に対して前向きの姿勢である。一生懸命勉強したいと。が、しかし、医師法を改正されていまのような状態ではいけないんだ。一体だれが反対してだれがほんとうにいいものをつくってくれるんだと。大学の学部長病院長会議でも、何かいろいろ意見が出された。先ほどちょっとお話もありましたようでございますけれども、その学部長会議の中でもなかなかはっきりした結論は出なかった。しかも、衆議院のほうのいろいろ審議の中では、その学部長会議の会長さんもおやめになったとかならぬとか、この学部長会議そのものが何か空中分解という状態になっておる。こういうような状態で、学生たちはどう受け取るかといえば、一番信頼する大学の先生方にもたよれない。だからして、インターンが廃止されてこういう新しい医師法が改正されたとすれば、一番身に受けるのはわれわれだ、こういう身近な感覚から相当きつい反対を押し切ってやっているのではないかと思う。それから、やっていることを、あるいは三派の学生だとかなんだとかということでもってこれを処理しておいていいのかどうか、私はそれを疑問に思うわけです。少くとも私が聞いた範囲では、彼らの言っておるのは、やっぱり勉強したいのですが、勉強する場がないのです。彼らが勉強する場が十分でない。彼らが要求するほんとうに勉強しようという立場から言えば、勉強する場がない。ところが、それをうっちゃらけておいてこういう制度をつくられては困るんだと。また、同時に、二年の研修をして登録する——今度は報告するということになりましたけれども、これは登録しても報告しても似たようなもので、卒業してから二年ということで一つの区切りをつけられることになるわけでありますから、やはり免状をもらった者はそこで区切りをされるわけです。資格が区切られる。そうしたら、いやでもそういう制度があれば、ミニマムのいま先生のおっしゃったようなものを身につけたいという気持ちがあれば、これに従っていかなくちゃならない。しかし、それには、身分も確定されていないし、あるいは生活も保障されていない。こういうような大事なことをほっておいてやられるということには学生諸君は非常な憤りも感じ、これは間違った方向であるということを認識しておるのではなかろうかと私どもは思うのでありますが、いまおっしゃっておるようなことで、学生あたりは、先生方が納得するように指導されれば、それに追随していくものかどうか、私は非常に問題じゃないかと思うのでありますが、学部長として、あるいは学部長病院長会議の考え方として、それでいいのかどうか、私はそこのところの御所信を一ぺん承っておきたいと思います。
ついでにもう一つの点も聞かしていただきたいと思います。いま、学部長あるいはまた病院長という側から見られて、今度の制度の中で、インターンをやめて、そうして卒業してすぐ試験を与える。そのためには、このあいだ文部省からも発表されておりまして、大学の中で千二百時間か何かふやしてもっとベッドサイドのティーチングをやる、こういうことになっているようでございますが、私どもはそういうことに対してはいいと思うのですが、それをしてあと「二年以上」ということで二年で区切ること、あるいは、そうでなくて、むしろもっと勉強の場を持たすための施設をするとか、あるいは身分を保障するとか、あるいはまた、いろいろなその無給の医局員をなくするための制度をするとか、こういうことはもう少し学部長として明確に出される必要があるのではないかと思うわけでありますが、こういうことについては、徳島大学のほうも病院長さんで前いらっしゃったようでありますから、そういう側から、あるいは、実際無給の医局員として立っておられる場合には、これに対してどうしたらいいか。保険医の代表の先生も見えていられるわけですから、そういう方々から、こういう問題はそこらが一番中心じゃないかと思いますので、各御意見をまとめてお聞きしまして今後の審査のかてにしたいと思いますので、あわせてお願いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/37
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038・懸田克躬
○参考人(懸田克躬君) 私どもの大学で七名だけ卒業して、それからほかは出ていないというようなことにもあらわれるような学生の不満、あるいは学生の動きというようなものはこういうことで解決されたかという御質問が中心だと思うのです。私どものところの卒業生が、試験を全部受けた者が七名で、あとは、一科目だけ受けないということのために、学則上どうしても追試験ができないということになっておるものですから、学生としては、追試験を考えていたようですけれども、学則上できないので卒業が延期されたということです。ほかの大学とちょっと事情が違うかと思いますが、しかし、問題は、学生連中のあの動きの中にたくさん私ども考えなければならぬ問題があるということはもう自覚しておるわけで、私どもがいま考えておることと同じことを考えているわけであります。
考えてみますと、こういうようなふうに問題が複雑になり、尖鋭化してきたというのは、やはり医学教育あるいは医師のあり方というものが根本的に変わらなければならぬときにちょうど際会しているのだ、その問題がここで爆発したのだというふうに私どもはとっておるわけであります。ですから、こういう法律を改正されたということでこの全部が解決されたというふうにはとても思いません。
たとえば、大学の中に封建的なものがあるということは、これは確かだと思うのです。ことに、臨床の講座といいますか、そういうところには、いままでのしきたりから、教授、助教授、講師、助手という一種のヒエラルキーみたいなものがあって、それが常にいまの新しい教育のじゃまになっておるということがある。そういうものを身にしみて痛感している人たちがいるだろうということもわかりますし、私ども自身もそういうものをぶちこわそうとして大学の中でやっているわけです。その中には、思うような勉強ができない。たとえば、内科に三講座あるとしますと、A、B、Cのうち、Aの講座に属していても、Aの教授、Bの教授、Cの教授それぞれ特技があるわけで、内科の医者としてはそれを一応最初にまんべんなく勉強したいという場合にも、いまの講座制のワクの中ではそれができない。それは破らなきゃならない。この要求は私は正しいと思います。私どもは、そういう講座制を破って、内科全体として勉強ができる体制をつくろうというふうに努力していて、そういうものが実ってくれば、そういう点の不満は多少でも解決の方向に向かうだろうというふうに考えます。そういう努力がなくて、運動自体を初めから否定的に見ることは、私は問題があるということを考えているわけであります。
ただ、研修のあり方だけの問題ではなくて、たとえば、その主張するところを見ておりますと、自主研修というようなこと、自分たちがつくったカリキュラムで自分たちのプランでやっていくんだというような主張がかなり大事なものになってきておりますし、それから大学と研修の協約を結ぶというような要求も出ておりますし、そういうようなものは、この法案の意図しているような、卒業してからの臨床的な試験あるいは修練というものを充実していくという問題とは別な観点から見られてもいい問題が入っているというふうに私ども考えます。要求がだんだん変わってきている。そのまま自主研修あるいは協約研修というものを私どもはのむわけにまいりませんけれども、しかし、いままでの長い間の欠陥がやはり彼らの要求の中に煮詰められているということは考えられるわけです。そういう点での努力は私どもしていくわけです。
たとえば、研究というものが主になって、研究ほどには学生の教育あるいは出てからすぐの人たちの教育というものが計画的に考えられなかったということに対する不満というようなものも私ども同情をもって見ようと思いますけれども、しかし、それをそのままにすべてをイエスと言うことができないというふうに私ども考えておるわけであります。
それから無給医の問題も、先ほど申しましたように、定員増という形で一応考えられなければならない。
それから学位の問題を一応解決しなければならぬであろう。学位というものに対して、あるいは臨床的な熟練というものを示すというふうに世間がとっているような、一種の迷いと思いますけれども、そういうものもなくなっていくことがやはりこの問題の解決の一助になるであろう。そのためには、臨床的な修練というものに対するある評価というものが別に考えられるということになればこの問題も解決するかもしれませんが、そうなれば、それができるための大学にまた残るというような悪循環みたいなものが残るかもしれない。そのためには、いまの定員増、大学以外の教育病院というようなところの充実、それからそこでの人事の交流という問題が非常に大きいと思いますけれども、そういうことの中で解決されていくというふうに考えているわけです。
それから、こういうことも、ただ口だけで言うのはやさしいことで、私どもが国にも正しい高い医療を国民に提供する責任と義務があるのだということを考えると同時に、私どももほんとうにそれに対して責任を感じて努力していくという体制がなかったらこれは片手落ちで、その点は十分に考えているつもりです。そういう意味では、私どものいろいろな活発な議論があり、先ほども三好病院長からもお話がありましたように、いろいろな意見がありますけれども、こんなに真剣に全国の医者がディスカッスをし合うということ、医学教育をよくし、それから卒業後の医師となった者をどうするかという問題、日本の医療のあり方という問題についてまじめに考える、その熱意はいままでにないことだと思っておりますが、そういうものを背景として、私は、このことを第一の突破口として進んでいくということを考えてもいいだろうというふうに考えているわけであります。
学部長病院長会議の意見ということになりますと、これは一致しているところは、先ほどのインターン制廃止というような問題、そのほか研修についてそれでは研修をどう評価するかというようなところについては全員一致ということでないことは、先ほどのお話でもあることはもちろんですけれども、この会議が決して崩壊もしておりませんし、会長、副会長が辞任をしたといいますか、辞任を申し出たのですけれども、再三の辞任が幹事会で受け入れられないで、いま会長、副会長はそのままこの仕事を続けようという体制でいるわけで、決して執行部がなくなったとか崩壊しているという現象はございませんので、やはりこれと取り組んでいこうという体制ははっきりしていると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/38
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039・藤原道子
○藤原道子君 時間がないそうでございますので、簡単にということで、端的に懸田先生にお伺いしたいと思います。
インターンの一年制であったのが廃止されて、二年以上の研修ということになりました。なぜそうなったか。結局、インターンの諸君の中には勉強のために行ってもじゃま者扱いされる点が多々訴えられております。今度改正になりましても、教授陣が強化されないで、無給医局員とか助手とか、こういう制度は少しも変わっていない。それで今度二年以上の研修となりましても、はたして研修生が納得いく、安心して研修できるようなことが可能とお考えになっておいでになるか。まず大事なことは、国の低医療費政策、これが打ち破られなければ、私はこれは堂々めぐりだと思うのです。ことに、国立は二万五千円、大学は一日六百円、そのようなニコヨンよりも安いようなそんなことで、どう誇りをもって研修ができるのでしょうか。また、これを受け入れてやる受け入れるべき体制ができているかどうかということが問題だと思います。このあいだも、あるところで、三百のベッドがあるけれども、お医者さんは十九名というところが現にございます。こういうところへ研修生が何人か割り当てられてまいります。この人たちに正しい医療の研修をだれが手をとって教えるのでしょうか。私は、内容の強化がなされなくて、名目的に理屈でもってこねあげたこの制度は納得いかない。私はしろうとでございます。
それからいま一つは、もし二年でも臨床の研修をいたします。そうしてくると、じみな基礎医学に残る人が少なくなるのじゃないか。医学の上で基礎医学は非常に大切だと思いますけれども、この点は一体どうお考えになっているか、この点についてのお考えをお伺いしたい。
それからもう一つは、いま地すべり的に人口の都市集中が行なわれているということで、このままで参りますならば、いまですら困っております僻地医療対策、これらはどうあるべきとお考えになっておいでになるか、この点も私はお伺いしたいと思います。
それから先ほど身分の保障ということを申し上げましたが、日野原さんは十分お答えなく終わったのでございますけれども、二十六年でございましたか、徳島大学病院でインターン生が診療中に精神病患者に刺されて死んだ事件がある。ところが、その人の身分の保障がないために、死に損でございます。研修生がもし病気になる。あるいは伝染病にかかる。また不慮の災難にあった場合の責任は、はたしてどこがみてくれんですか。私は、それが医療の責任者が養成されるところですから、この点を十分考えてもらいたい。無給医局員を九年で助手になる。助手になってはじめて公務員の初任給が与えられるんでしょう。それで、教授を十一年もおやりになっても月給が九万円。こういうことで医者がほんとうの誇りを持って生命の尊重のために働くことができるかどうかという点についてのあなたのお考えを聞きたいと思います。
私は、聞きたいことをたくさん持ってきたんですが、委員長のおことばで、これ以上時間がないようでございますから、残念でございますが、とにかく、教授陣の強化なくしてそのまま推し進められておるいまの体制、このままでインターンが研修生になろうと、私は内容は同じだと思う。誇りをもって勉強ができるように、とにかく医者は一生が勉強の場である。でなければ、こんな研修は二年すればいいんだ、ただでやらせるんだと、結局現象的な面ばかり追求されて、技術屋的な職人的な人格ができ上がるのではないか、こういうことも憂えるわけでございます。この点についても御意見を伺いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/39
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040・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) ちょっと速記をとめて。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/40
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041・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 速記を始めて。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/41
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042・懸田克躬
○参考人(懸田克躬君) 研修というようなことがこの医師法の一部改正で取り上げられてくるようになっても、いまのままではできないのではないかということですけれども、いまの定員だけでやれということであれば、それは非常に困難なことは明らかでございます。ですから、私どもは、どうしてもそのためには必要なスタッフをふやしてもらわなければ困る。施設を十分にするということも必要だと思います。その二つの充実ということが大事だ、特にスタッフという問題が大事だというふうに考えているわけです。大学には抽象的に見ればスタッフは十分おりますけれども、それが定員の中に入って月給をもらっていない者がいるという、この現実は非常に問題なわけです。これを国としては考えてもらわなければ困るということは、私どもは絶えず要求しておることであります。
ただ、そこで問題は、いますぐそれが充実されなければできないというふうに蹴るか、漸次充実していくということを約束してもらって、そうしてこれはわれわれが犠牲を払うことだと思いますが、犠牲を払わなきゃならぬ。われわれは医育者としてその程度の犠牲は、ただ当てのない犠牲ではなしに、増員をされていく、充実されていくというそういうふうな約束が守られるならば、やっぱり移行期の犠牲は忍ばなければならぬと思います。ですから、そういう問題がこのまま放置されれば、インターン制度のインターン生と研修生は先ほど申しましたようにこれは全然違ったものだと思いますけれども、この研修の制度は形骸化するという危険はある。ですから、先ほどわざと学部長病院長会議のことを申し上げましたのも、動いておるということを申し上げましたのも、そういうものについて絶えずわれわれの姿勢を正していきたいということを考えておることを申したかったわけでございます。その点は、御指摘のとおり、これが充実し、解決の方向に向かわなければいかぬ。しかし、一切か無かという態度ではなしに、漸進ということが保証されるならば、これを認めて努力していこうというのが私どもの考えと申し上げたらいいかと思います。
それから基礎医学の振興の問題ですが、研修が行なわれるようになって基礎医学に行く者が減ってしまうかどうかという問題は、これは軽々しく判断できないことで、以前にも、インターンというようなものがあるから基礎医学のほうに来る連中が少なくなる、卒業してすぐに医師になり、卒業してすぐに基礎の教室に入るということであればいいんだという議論もございましたが、ただ、インターン制の問題がいろいろ議論されるようになった当初、まだ学部長病院長会議というものができないころですけれども、全国の医育者について調査をしたことがございますけれども、基礎医学の教授でインターン制があってよろしいという人が皆無かというと、そうではなしに、相当のパーセントに及びました。私は、研修のために基礎医学が衰微するというふうには必ずしも考えていないわけです。これは、基礎医学の志望者が少ないというのは、日本の医学部の教育制度の中で——何も医学部だけじゃありませんけれども、基礎医学を専攻する人たちの一番大事な生活とか研究費というようなものが十分に与えられていない。それからそこで一生懸命研究しましても、将来というものを考えた場合に、将来自分が研究を続けていくべきポストというものが非常に限られているというようなところにもやはり大きい原因があるので、ただ臨床研修ということで基礎医学の衰微ということまで云々するということはできないというふうに考えております。基礎医学の振興はもっと別な観点から考えられる必要があるだろうというように考えます。
それから貧弱な病院で研修ができるかという問題は、当然その研修を実のあるものにするためには充実した病院でなければならぬわけで、そのためにはその病院のスタンダードというものを考えなければならぬというように考えているわけです。ただ、そういうことになりますと、大都市というようなところに若い一、二年の医師層が集まってしまうという問題が起こらないかということは、私ども非常に憂慮していることですけれども、そういうようなことで、整備され高くなった病院が漸次ふえていくということを私ども期待しているわけです。ただ、僻地の医師というような問題は、これはすぐこれと結びつかないと思いますけれども、これは国としてやはり別な観点から考えてもらいたいと思います。
それから研修生の身分が非常に不確定だと。私は、いまのような、診療謝金を出すという形とか、一万二千五百円というような手当、そういうようなもので十分とは少しも思いませんので、やはり医師としての待遇をしてそうして勉強させるということが一番正しいと思っておるわけです。そういうような方向に行くということが私どもの念願なわけです。決していまのようなことでよしと、勉強しているんだからいまのままでいいんだというようなことを考えているんじゃなしに、もう医師の資格をとっているんだから、医師としての待遇を受けながら研修していくというふうに私ども考えております。そういう方向に向かっていくように努力したいという考えを持っておるわけです。これが全然いれられないということになれば、また私ども考えなければならぬというふうに思います。ですから、保険も受けられない、災害のときの保障もないというようなことがあっていいということではありませんので、そういう点についてのやっぱり配慮もしてほしいというふうに考えております。
ただ、そういうわけで希望は一ぱいあるわけで、これが形骸化してしまわないためにいろいろな努力が必要ですし、これが通った暁にはいろいろな問題が次々と起こってくるというふうに考えておりますけれども、一つ一つ取り組んでいくという形をとって私どもの態度としたいというのが私どもの考えであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/42
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043・藤原道子
○藤原道子君 その点について教授陣強化とか、このままではだめだとおっしゃるなら、その点で当局との間に話し合いは進められておられるんですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/43
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044・懸田克躬
○参考人(懸田克躬君) 絶えず指導スタッフの増員とかいうことは非常に強く話し合いをしております。ただ、それがいつ満たされるかは問題ですけれども、一応形としては講師がふえたり、それから有給医局員が全国で一大学あたり百人あたりぐらいずつふえたりしておりますけれども、これで十分とは全然思っておりませんので、これが第一の誠意のあらわれとするならば、第二、第三の手を打ってもらって充実しなきゃならぬというふうに考えております。ただ、大学は、国立だけじゃありませんで、公立も私立もある。ことに、私立大学は、こういう状況は非常な課題を新たに与えられたことになるわけで、私は私立大学でございますから、そこでは非常に深刻な真剣な問題を一応考えているわけです。これにもやはり取り組んでいこうというふうに考えております。私どもとしては、非常に大きい課題をかかえた、しかし一歩前進するためには忍ぼうという考え方で、ということしかお答えできないわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/44
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045・三好和夫
○参考人(三好和夫君) この問題に関しまして、対学生のことでございますが、これは非常に重大なことでございます。私、医学教育者としては非常に責任を感じております。当然反省して、また、反省しているだけではなくて、もっと全員で真剣にこの問題に取り組み、行動をすべきだと思います。
それで、私のほうは、国立で地方の大学でございますが、幸いにことしは医学部の卒業生は普通に出ましたが、国家試験のボイコットはやっております。それで、学生諸君の運動はもう御存じのように全国的の問題になっておりますから、各大学個個の問題と、その上に全国的な医学教育者の態度ということが当然問題にされます。それで、いまその一つの機関としまして学部長病院長会議というものが出ましたが、この会議が非常にゆれ動いているということは、いま懸田参考人がお話しになったとおりでございます。いまの問題をちょっと続けますと、したがいまして、各大学それぞれこの問題に対する取り組み方の姿勢が違っておりますし、学生の各大学における態度もむろん変わっておりますけれども、しかし、全体としては、学部長病院長会議というようなものの態度には抗議をするということは、これは私たちもやむを得ないと思っております。
それで、私の感じ方でございますが、学部長病院長会議は、これは自分たちの会議でございますけれども、現在のところ決して自慢できるような形では御指摘のようにないと思います。まああまり自慢できないことを申し上げないつもりでおりましたが、御指摘もありましたので、これはわれわれの会議といいますか医育者会議だけではなくて、日本のほかの会議もそうであろうと思いますが、一言で言えば、やはり民主的に運営されておらないと思います。それがだんだんそういうふうになりかけていると思いますし、そうしなくてはいけないと思います。どこの会議でも同じではないかと申しましたのは、どうしても東京中心的な運営のされ方がなされてまいります。会議の中で委員会を組みましても、その中にまた常任委員会を組みましても、これは東京の方だけが悪いという意味じゃありませんが、やはり東京の人におまかせしておかなければしようがない、旅費もたいへんだろう、すぐにも集まれないだろうというようなことで、結果的には在東京の委員だけで特に急ぐものはきまってしまいます。こういうことは直してまいりませんと、国民全体の問題という重要なことがいつの間にか全体の意向が反映されないでいくという非常に困ったことが起こると思います。
これは懸田参考人が言われましたが、会長、副会長以下常任理事が三月二日の会議で辞意を表明いたしました。再選されても受けないということまで言いましたのですが、それが今度は幹事会だけでまたいまのお話ではっきりしなくなり、留任であるというような、これは私ども通知を受けまして、これ自体が非常におかしなことだと思います。当然総会でこういうことは検討してやるべきだと私どもはすぐ抗議をしたりなどしておりますが、こういう会議が、これは多少いま学生間の問題等があったためかと思いますが、常に非常に秘密的に閉鎖的に行なわれて、その討議の内容が外に出たり、あるいは結論が公に発表されたりいたしません。これもわれわれの会議だけではないかと思いますけれども、そういうことも私たちの教授会では思い切って——こんなことすら思い切らなければならぬというふうな状態でございますが、声明で発表してございます。先ほどお回しした中にございますから、できればこういうものも御採用いただければと思います。
ただ、私たちは、むやみに会議をこわそうとかいうのではなしに、ひとつ皆さんでオープンに、それで賛成も反対も出るし、違う考えも出て、これで多数の意見にきまるのもけっこうだと思います。そうでないことには、結局、その会議の意見が出てこないわけですから、いま御指摘もありましたたとえば行政当局であるとか国であるとかに要求することでも、非常に弱くなります。幾ら話しても、何となく在京の常任の委員だけの話のようなかっこうになってしまいます。ぜひこういうものは民主的にやられていくべきだと思います。ある意味では、これ自体が、といいますのは、われわれ自分自身の会議ということは、われわれ個人の中に指摘されるまでもなく封建性の残渣が残っている。学生諸君が封建性を打破するのだということは、こういうことから直していかなければならぬと私は思っております。
それにしましても、この会議でも、最後には一応は声明書を出しております。これはちょっと先ほど申し上げましたように、研修にはわざわざ医学研修と書いてございます。研修の必要は認めると。しかし、それを受けた受けないで格差がついてはいけないとか、そういうことが指摘してございます。そういうものの発表のされ方も非常に困るんですけれども、ただ、その内容につきましては、たとえば名古屋大学の声明などもそのあとに追いかけて出ておりますが、これを支持する、したがって、登録研修制度には反対するという声明が出ております。
どうか、だんだんにわれわれ自身の会議も民主的に運営されて、意思をはっきりするとか、そういういま過程にございますから、必ずよくなっていくと思いますから、ほんとに責任を感じて、特に自分たちの問題である医学教育の問題には取り組んでいきたいと思っております。
それからもう一つ御指摘の卒業後の教育がうまくいっているのか、それのいくように要求などはしておるのかということでございますが、これはいま懸田参考人からもお話がございましたが、やっておりますけれども、もっともっと真剣に強く訴えなければならないと思います。
私、もう一つだけ申しますが、封建制が確かに各大学の教室にございます。それで、これはいろいろ理由がありますけれども、大きなことの一つは、指導スタッフが少なくて、それから正規の職員が少なくて、無給医局員が多い。一番いい例が、一人の教授が、何十人、特に大きな大学になりますと百人にも及ぶ医局員、これが全部大学出の医師でございますが、そういう人間をかかえている。これが正規の職員でございませんから、無給医局員であって、その無給医局員はそれでは何によってそういうふうになっているかといいますと、これもいろいろございますが、一つは、確かに学位論文でございます。学位論文の審査権は教授にしかございません。しかし、これも、さっきお話がありましたように、そういう医師のそんなに集まっているところは、東京とか大都会なんかで、私のところなどは必要人員すらおらぬくらいです。そんなに集まっておりますのは、ほかに私が申しました医師として良心的に診療に従事できる場所がないからという意味も多くあります。そういう何十人に一人の教授ということになりますと、これはもういやでも封建制にならざるを得ないと思います。
まあ私たちの弁解のために一つ申し上げますと、これをせめて普通の教授の数に、と申しますのは、内科、外科とか大きなところは、教授の数が十分の一くらいしかおりません、実際上。といいますのは、内科というところに二人や三人の教授じゃなくて、十人とか二十人とかの教授がおれば——そんなにおらぬでも、せめて十人の教授がおれば、それにまたならって助教授、講師とかおりまして、それで無給医局員が正規の職員になります。ということは、正規の職員ではじめて身分が確保されるわけですから、身分が確保されなければ、これはもう封建制につながっていくよりしかたがないと思います、封建徒弟的につながっていくより。医師の身分が正規の職員になって、それで教授、助教授とかそういう指導スタッフのバランスがとれれば、いやでも封建制はくずれると思います。これは手前勝手な言い方ですけれども、むろん各個人が反省していく要があると思います。その教授の数が二人か三人しかいない教室を統合してみても、まあ統合しないよりいいかしれませんが、統合してみても、この問題の解決にはならないと思います。
それで、今回の反省ということの中に、われわれ自身の心の中に残っておる封建制の残渣というものを早く処理するのが私たちのつとめだと思いますが、これには、先ほどから申しました、いつでも自分のために研修するのであるとか、卒業して社会人になっているのにまだ勉強しているんであるとか、非常に古い、大学にもう何年も残っている、非常にわずかな人ですが、そういう人は、いつでも自分の勉強を永久に続けるんだと、これには社会的な責任がほとんど伴わない、そういう考え方になりますと、少数ながらそういう人はいつでも特殊な場合……発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/45
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046・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 失礼ですが、簡単にひとつ……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/46
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047・三好和夫
○参考人(三好和夫君) 経済的に恵まれていると思いますが、そういう面も十分にひっくるめてわれわれは十分に反省して、しかし、国にお願いすることはお願いして、無給医局員の教育義務を果たすべきだと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/47
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048・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 古瀬先生、簡単にひとつ、時間がありませんので。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/48
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049・古瀬和寛
○参考人(古瀬和寛君) 時間がございませんので、言いたいことはいろいろあるのですけれども……。
まず、一つは、いまの学生さんの問題に関連して、その登録法案の動きをめぐって教育というものに対する熱意というものが学生さんの中でもやはり前向きに出てきていると思いますし、それからわれわれの中にもありますし、教授の先生方のいまのお話を聞けばわかると思います。そういう中でかなり過激な動きが出てきておりますけれども、これは、だれもが医局というものを前にしていやになってしまう、それからそういう封建制を何とかしなければいけないというほんとうに切実な純粋な気持ちというのがやはり出発点だと思うのであります。それがいままでいろいろ政府に要求しても解決されないというようなこと、それから先生方をここに置いてなにですけれども、先生方にいろいろあれしても、なかなか気持ちの上でよく疎通ができない、そういうことがみんなからみ合って出てきているのであって、これを一方的にけしからぬというようなことで解決したんでは、いつまでたっても日本の教育というものは発展しないだろうというふうに思います。そういうことの因をなしているのが、私、この登録法案ができてくる過程で申し上げましたけれども、こういう運動に対する何か対策というような意味で法案がつくられて、それが日本の教育というものをほんとうに発展させるという根本理念に欠けている、そういうものに立脚していないために。それから日本の医療再編成ということに結びついていっているという、そういうようなことのためにおかしな形になってきているのであって、そういうことにますますみんなが激高する、これは当然と思います。私自身もほんとうにそのとおりであると思います。ですから、この問題を解決する際には、いままで出されたような修正案の中にあるようなごまかしの修正じゃなくして、ほんとうに青天井にする。
それから研修については、私も徳島大学で出されている印刷物なんかも大体同感でございまして、こまかいことは申しませんけれども、そういうほんとうに研修の考え方をし、それと同時に研修の場というものをつくっていかなきゃいけない。現状では、何ら実質的なものが改善されないで、むしろ改悪に通ずるというふうに考えざるを得ぬわけです。先ほども出ましたが、医学教育がいろいろほんとうにこれでいいのかどうか。これではいかぬと思います。私たちは、大学の中におる者として、これではいかぬと思います。医学部だけ卒業した、それでちゃんとした医師としてほんとうに臨床能力を持つということはかなり困難なことではあるけれども、それが、ずっと昔に比べて、私たちの学生時代と比べて、リクアイアメントというものが高まり、レベルが高まっているにもかかわらず、相対的に低下しているというふうに言わなければいけない。ということは、カリキュラムは昔のままですし、スタッフの人員もそのままです。これはふえ方なんか自然増です。そういう意味では、定員増ということ、それからいまも言われました講座をどんどんふやすということ、再編しさらにその流通をよくしていろんな壁をつくらないということ、そういうことに政府が積極的に取り組まなかったら、全然実質的な裏づけがないだろうし、そのことに対して私たちも無給医運動の中で何回もいろいろな統一行動をやり、そして定員をふやし、それから待遇を改善せよと、これは有給職員ももちろん含めてやってきたわけです。それに対する回答が今度の診療協力謝礼金であるということでわれわれはおこっているわけです。それを拒否しよう、そういう抗議の気持ちがあるわけです。そういう国の教育、医療に対する姿勢というものをほんとうに変えていってくれなければ、いまの窮状というものはこの法案の手直しのようなことでは解決しないだろうというように思います。先ほどことばが出ておりましたけれども、文教政策、医療政策をほんとうに変えていくという、そういうことが必要だろう。
それから基礎医学の問題につきましても、やはり同様のことだろうと思います。基礎医学のほうを見ますと、特定の人しか大学に基礎医学をやっていこうといって残れないわけです。ということは、生活がほんとうに保障されていないからです。それから将来の展望というのがその中に開けないからです。ほんとうに涙をのんで出た人をたくさん知っております。そういう人たちが基礎医学を続けられないということは、私たちもほんとうに同僚として涙をするくらいにして、しようがないなあと言ったわけです。ということは、特定の研究以外にはほんとうに金にならない基礎医学になかなか金を出さないという政府の施策、こういうものにはやはりわれわれは目をつぶるわけにはいかないわけです。
そういうことをみんな考えまして、国民の立場から見た場合にも、いまのままのような形で法案を出してしまえば、ほんとうにいい研修制度ができる、教育が改善されるというふうには私は思いません。それで、安易な指定病院の指定というのは、先ほど申しましたように、医療の再編、合理化のようなこととあわせて考えていけば、これは有害なかつ危険な面を持っているので、やはりこの際私たちはこの法案は廃案とすべきであろう。それで、あらためていま話されたような医育者と私たちと学生といろいろな有識者を集めて、ほんとうに民主的な討論をやって、こういうふうに日本の医療を変えなければいけないという点を明らかにして法案をつくるべきだというふうに思うわけです。ということは、私は廃案ということをはっきり申しましたけれども、それはただ青天井だけで事が済むというふうには考えないからです。あとのいろいろな問題がほんとうにやはり本質的なところで解決されなかったらいけないのじゃないかというふうに私たちの立場から考えるからです。その点について十分なほんとうに真剣な前向きの審議をぜひお願いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/49
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050・田村清
○参考人(田村清君) 先ほど申しましたように、医師が非常に不足しております。あらゆる場面で不足しております。それであるのに、医師になりたいというので医学教育を受けた若い人たちが、国家試験をボイコットしているということ、これは非常にもったいないことだと思います。何とかこの人たちが試験が受けられるような仕組みにしてあげることが急務であろうと思います。
また、一方には、長いこと勉強して、その父兄にしてみればたいへんな犠牲を払って本人に勉強させた有能な医師が、無給で働いているという矛盾はいまだに残っております。もともと、研究にしろ、教育にしろ、非常にお金のかかることでございます。それにお金をかけずに、要求だけを国がするというのは、とんでもないことだと思います。物理学のほうでは二名のノーベル賞の受賞者が出ておる日本でございますけれども、医学関係でいまのままでしたら、いつまでたってもノーベル賞の受賞者は出る可能性はございません。と申しますのは、医療というものについて根本的に国の考え方が間違っているからだと思います。皆保険にして、国民全部が医療を受けられる形だけはつくりましたけれども、これを非常に安い費用でどこまでもやっていこう、それどころでなしに、最近では、保険財政の破綻ということだけを中心にして抜本改革案というものが出されております。このような日本の医療の実情の中では、どの問題も解決しない。
しかし、さしあたってインターン制度の弊害だけはこれは簡単に除くことができるわけでございます。インターン制度を廃止して、卒業した者にはすぐ国家試験を受けさせて医師免許を与えるということはできるわけでございます。そのあとはどうするか。現状では、しかたありません、最善の策ではありませんけれども、この人たちにめいめいが欲するところに仕事場を求めて働かせればよろしいと思います。暴論のようでありますけれども、これ以外に現在解決策はないと思います。その後の問題については、大学の教育の問題にしろ、大学の病院の医局の問題にしろ、それから将来十分な研修のできる場として提供されるであろう教育病院の問題にしろ、これは衆知を集めて根本的に考え直さなければ、こんなびぼう策でこの大きな根の深い長い歴史的背景を持っている問題が解決できるものではございません。現在、制度をつくって、少しずつその中に予算をふやしていけば解決できるのだという問題ではないと思います。私どもあとに続きます大事な人たちの問題でございますが、それには現在の安い費用で形だけの医療をまかなおうといういまの医療についての根本的な考え方が改められなければ、大学の先生方がどんなに御熱心にこの問題について苦慮されて協議されても、解決の策は出ないと思います。
以上でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/50
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051・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) ありがとうございました。
これにて、参考人に対する質疑を終わりたいと存じます。
参考人の方々に一言お礼を申し上げます。
本日は、御多忙の中を貴重な御意見を拝聴いたしまして、まことにありがとうございました。この機会に厚くお礼を申し上げます。
速記をとめて。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/51
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052・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 速記を起こして。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/52
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053・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 引き続きまして、社会保障制度に関する調査を議題といたします。
これより質疑を行ないます。御質疑のある方は御発言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/53
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054・大橋和孝
○大橋和孝君 どうもたいへんおそくなりまして、ごく簡単にやらしていただきます。
このあいだ、はしかワクチンについて質問させていただきまして、その後いろいろ調べたところでは予算委員会等でも取り上げられているようでございますけれども、その後の経過についてちょっと、一、二伺っておきたいと、こう思うわけであります。
あちらこちらの刊行物の中にこれが出てきておりますけれども、あのときに私が申し上げたところは、Kワクチン使用がわずか一回であっても中毒作用があるのだと、そういうことが起こっておる、日本でまだ経験していないがと申し上げたのでありますが、その後はあちらこちらで発表が出ております。実は、私は、そのレントゲンのフィルムを借りてきております。これは子供さんでありますけれども、ごらんのように、肺門部にすごい腫脹がきておる。同時に、腕には湿疹の大きなものができまして、熱は三十九度六分、耳下腺炎を起こして中毒症状がひどく、もうほとんど全身的に発疹が出ておる。コプリック斑も出ているし、あるいはまた、咳や全身症状が非常にきつい。そうして、局所には八センチに五センチというような大きな水疱ができている。こういうようなのが出てまいりまして、非常な重篤症状をきたしておる例があります。レントゲンの写真なんか見ましても、小さな子供に対しては肺門リンパ腺のはれ方もきついわけでありまして、これが東京のある病院で実際に起こっておる例を見せてもらってきたわけです。
これに対して、KLワクチンの方法であればいいと、KをうつのはLのワクチンを一緒にやれば一回の方法が一番いいということを、私が質問した後の何かの委員会で発表されているわけでありますが、これはその後見てみましてもだいぶ問題があるのではないか。あるところの発表では、やはりKL方式を主体にするけれども、Lワクチンを単独で使うときには、副作用を弱めるためにガンマ−グロブリンを使用するんだということも発表されております。この前私が申したように、ガンマ−グロブリンの併用によってもこれが防止できるんだと、こういうようなことがあるわけであります。特に、私は、生ワクチンの使用ということを、それにプラスガンマ−グロブリンということをやってもいいということは厚生省の中でも立案されておったかに聞いておるのでありますが、その点についてはどんなふうであるか、厚生省の中でそういうことを考えておられるのならば、もっと卒直に発表したらどうか、こういうふうに思うわけでありますが、それはいかがなものでありましょうか。
その次に、もう一つお尋ねしたいのは、Kのワクチンというものは、何か調査してみてみますと、現在百二十万人分もできているそうであります、ワクチン製造業者で。私は、これを見てみて、わずか百二十万人分であれば、前のポリオのワクチンのときに、ソークワクチンを使用しないということになったために、厚生省ではかなりの補償をされたと聞いておるわけでありますが、それなんかに比べてみればわずかなものであって、Lワクチンは五十万人分製造が準備されておるということを聞いておるわけであります。これに対して、人命のほうが大事、子供の病気のほうが大事でありますからして、少しくらい補償してもこんなものを使うべきではないと、こう思うのですが、そういうところの御見解を第二点として伺いたい。
それから、時間がないですから、続けて質問さしていただきますが、また一面、この前の私の質疑の中で、薬務局長が、ガンマ−グロブリンというのは非常に高いから、これを使うのはおかあさんたちに気の毒だと。私も高いということは聞いておりましたから、高いと私も思っておったのですが、調査してみますと、実際問題からいったら、そうべらぼうに高くて使えないという範囲のものでもなかろうということが出ているわけでありまして、LG——生ワクチンとガンマ−グロブリンと使ったような場合を考えてみましても、この価格は四百八十三円ぐらい。ところが、KKあるいはそれにLワクチンを使ったら、六百六十八円くらいにつく場合もあるわけです。前にはKを二回やっていますから、こういうことを考えたらむしろ安いくらいで、値段からいってもそうべらぼうに高いということにはならぬから、私は、Kをやめて、LGの方法をとるのがむしろ正しいのではないかということを一そう感を深めたわけであります。この点についてのお考えを第三点として伺いたい。
それからもう一つ、私は非常におもしろくない報告を見たのでありますが、第七回の日本の麻しん及び類似疾患研究会総会というところのプログラムを見せてもらって内容を聞いたわけですが北里研究所の笠原教授でございますか、この人が、Kワクチンを使って、少々熱を出したり、そんな副作用のあることは当然やむを得ないことだ、一人や二人死んでもどうでもないということを公の場所で言ったという話ですが、それが真実であるかどうか。私はその報告を聞いたんだから、まさかそうでもなかろうと思いますが、厚生省のほうでこういうことがあったかどうか、これを確認しておられるかどうか、一ぺん聞いておきたいと思います。もしアレルギーがあってそういうことが起こった場合にはやむを得ないことがあったかもしれぬということだったらまた別問題でありますけれども、現段階で副作用が多いということをあちらこちらで心配されておる中で、一人や二人死んだってかまわないと、そんなことになったら、予防接種というものが一体何のために行なわれておるのか。むしろワクチンを製造するメーカーのために予防接種が行なわれるのか、子供さんをほんとうに病気から救うために使うのかということが言いたくなるわけでありますから、この問題については、真偽のほどはどう思っておるか、厚生省でどう把握されておるか、第四点に伺いたい。
それから第五点に、私は、このあいだ、社会党の第五次調査団で沖繩へ参りました。そしたら、沖繩の新聞で「琉球新報」というのがある。その三月二十六日版に「心配ない沖繩の生ワク」というのが出ておりまして、これを見てみますと、「“副作用はない”はしか予防今後も使う厚生局が説明」ということで記事が出ております。ちょっとそこのところだけ読んでみたいと思いますが、
本土ではいま、はしかのKワクチンを二回以上接種した子供に肺炎を伴う重いはしかにかかる事例が発生、副作用による「異型はしか」が不安を与え、さる一月に予防接種を終えたばかりの沖繩でもショックを受けた母親が多いが、厚生局では「沖繩で使用している生ワクチンは米国で開発されたばかりの最新薬で副作用の心配はない」と語っている。同局の説明によると、本土で使用しているK・Lワクチンは一世紀遅れのもので九五%の副作用があるが、沖繩で使用している生ワクチンは「シュワルツ」という最新薬で副作用も五%以下という。このためさる一月に接種を終えた約二万人の乳幼児たちもほとんど副作用の心配はないという。
こういうことを発表しているんです。琉球ですら本土のほうは一世紀おくれだと言っているわけですから、この新聞を読んで私は意外に感じたわけであります。こういうようなことが「琉球新報」で報じられておるにかかわらず、まだこちらがこういうものを使うとか使わぬということをやっていること自身は、国民に予防接種というものに対する不安をかもし出すことに非常に大きな影響を及ぼすと思うわけであります。こういう点についてもう少し真剣に考えてもらったらどうか、それについてのお考えを聞いてみたい。
それからもう一つ、新しい最近のニュースは、総評議長がソビエトからレニングラード16株というものをたくさん持って帰られている。これに対して、研究してくれといってある研究機関にも出しておられるというわけです。ソビエトにおいては、生ワクチンはかなり効果もあり、副作用が少ないと言っておられる。また、これを日本が必要であれば幾らでも送り届けると言っているそうでありますけれども、これを直接使うことについては日本の場合はその立場でもっと研究が必要であるらしい。いざその場でやるということに対しては問題があるかもしれないけれども、こういう提供までしようと言っているのに、シュワルツ株にしろ、レニングラード16株にしろ、もっと生ワクを使用することを勧誘していかないのか。そして、少々の副作用はあたりまえだということでK方法を強要していくということに対しては非常に問題があるのじゃないか。これに対しては相当十分なる配慮をもって今後進めてもらいたい。こういう点について所信のほどを聞きたいと思うのでありますが、時間がないから、まとめて全部質問いたしました。これに対して御答弁を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/54
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055・坂元貞一郎
○政府委員(坂元貞一郎君) 先般来の委員会で申し上げておるとおりでございます。
先般、三月の中旬に、私どものほうの麻しんワクチン調査会を開きまして、十八名ぐらいのウイルス学者なり小児科の臨床学者を集め、この方面における最高の権威者の方々ばかりであるわけでありますが、ここでの結論は、新聞にも出ているとおりでございます。アメリカ等で起きましたいわゆる異型はしかというものが、KKLなりあるいはKKKに発生するというようなこともこれあり、わが国においては少なくともこのようなKKKなりあるいはKKLというようなものは今後使用しないほうがいいというのが当日の結論の第一点でございます。つまり、KL方式というものが現状においては望ましいというのが当日の学者の結論でございます。それから、もちろん、従来KKKなりあるいはKKLを接種した子供さんたちには、適当な時期にあわせてLの単独接種をすすめたほうがいいという、以上二点の結論が調査会段階で出されたわけでございます。もちろん、この点については、今月中に私どものほうの審議会段階をさらに進めまして、最終的な結論を得られてから厚生大臣にその考え方が答申されると思いますが、それに基づきまして厚生省としては態度をきめなければならぬ問題だと、こういうふうに現在相なっているわけであります。
そこで、先ほど来からお尋ねの、Kワクチンというものを使用しないほうがいいのじゃないかというような御意見でございます。これにつきましても、いま申し上げましたような調査会等の先生方に私どもも十分意見をはかりましたところ、日本の現状においては、Kを二回接種することは問題があるけれども、KLという方式でやるということが一番望ましい。逆から申しますと、Lの単独接種というものはどうしても相当な副反応が強いというようなこともありまして、KL方式というのが現状においては一番望ましいということを結論づけておられるわけであります。
それからもう一つは、Lとガンマ−グロブリンの併用接種でありますが、この点につきましても、先生がいまお述べになりましたように、従来わが国の学者間にはいろいろな意見があったわけでございます。しかしながら、先般の三月の調査会段階では、Lワクチンの副反応をできるだけ弱めるというような意味において、ガンマ−グロブリンの適当量を接種するということは差しつかえないという大体の結論になっております。もちろん、これはまだ調査会段階でございます。ただ、ガンマ−グロブリンの適当量というものの限度が、これは大橋先生は専門家でございますので私から申し上げるのもどうかと思いますが、学者間において、あるいは臨床の医者の間において、そのとらえ方がむずかしい。したがいまして、この点はもう少し科学的に事実を詰めて、そうしてもし適当量についての一つのものさし的な考え方が出るならば、ガンマ−グロブリンとの併用接種というものはすすめていい、こういうようなおおよその結論が調査会段階においては出ております。したがいまして、私どもとしては、目下引き続きましてガンマ−グロブリンの適当量というものの限度等を詰めておりますので、これがある程度納得のできるようなものさし的な考え方が出てまいりますならば、私どもとしては、Lワクチンの副反応を弱める意味においてガンマ‐グロブリンというものの併用接種はすすめていいのじゃないか、私どもはかように考えているわけでございます。
それからガンマ‐グロブリンの価格の問題を御指摘になりましたが、確かに、ガンマ‐グロブリンは、現在わが国においても十二社ぐらいのメーカーで製造しておりますが、まだ十分のところまで生産量が上がっておりません。したがいまして、若干コスト高の面がはね返ってきておりますので、現在のところ一ミリリッターの薬価基準価格は、先生御指摘のように、四百八十三円になっております。したがいまして、これとLワクチンとのかりに併用ということになりますならば、Lワクチンのワクチン代が四百円ぐらいになっておりますので、それに若干の技術料が付加されますが、KLの場合のワクチン代とそう極端な開きにはなっておりません。Kのほうのワクチン代は、御案内のように、三百三十四円ぐらいになっておりますから、Kワクチンよりもガンマ‐グロブリンのほうが百円ちょっとぐらい高いというようなことで、そう極端に世間で言っているほどガンマ‐グロブリンの価格が高いということはないんじゃないかという点は、私もそのように思っております。
それから第四点の、北里研究所の笠原教授が、学会かなんかで、Kワクチンのために死亡する者があってもやむを得ぬとかというような趣旨のことを発言したということについては、初耳でございまして、これはよく調査してみなければいかぬので、さっそく事実を調査することにいたしたいと思います。
それから最後の、「琉球新報」に載っております、アメリカで開発しておりますシュワルツワクチンなり、レニングラード16型の超弱毒化された生ワクチンについては、私どもも従来からいろいろ文献なりあるいは学者等の意見を聞いて研究はいたしているわけでありますが、従来のわが国の文献なりあるいは学者の意見によりますと、シュワルツワクチンなりレニングラード16型の生ワクチンにつきましても、やはり相当な副反応があるということが出ております。幸いにして、最近、総評を介しまして、ソ連製のレニングラード16型の生ワクチンの寄贈を厚生省として受けましたので、これを今後私どもとしましては有効に活用さしていただきまして今後の弱毒化された生ワクチンの開発研究等のデータにしたいということで、現在、麻疹ワクチン研究協議会のほうと、この使用方法、活用方法、あるいは試験方法、そういうような具体的な細目について話し合いをしている段階でございます。
いずれにしましても、冒頭に申し上げましたように、先般の麻しんワクチン調査会では、全会一致で、KL方式というものが一番いい、ただし、その場合でもLワクチンとガンマ‐グロブリンの併用方式というものも差しつかえないというような結論が出ておりますので、これを私どもも十分調査会段階、あるいは特別段階の段階等でもう少し調査研究をしていただきまして、おそらく今月中ぐらいに審議会としての最終的な態度がきまるかと思いますので、それを受けまして最終的には厚生省としての基本的な態度をきめたい、かように考えている段階でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/55
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056・大橋和孝
○大橋和孝君 確かに、シュワルツあるいはレニングラード16型は、弱毒だといわれておりますが、研究してもらわなければならぬと思います。しかし、逆に、いま日本でやっているLワクチンも非常に毒力があるんだということで、それを消すためにはKを使わなければならぬ、KLだ、それがいまは一番いいんだということがいわれておりますが、いま日本で使っている株は、杉山株、豊島株というものでありまして、これは相当前のものである。そうして、その株そのものが、もういまでは、生ワクチンの観点からいったならば、「琉球新報」ではありませんけれども、少し時代おくれの観があるのではないか、こういわれておるわけです。これでもっと言うならば、泰川という厚生局の予防課長なんかは、シュワルツ株に関する限りは絶対大丈夫だと言い切っているわけであります。そこの中ではっきりそういうことを言っておる。いま日本で使っておる株は悪いのだというようなことを指摘される前に、少なくともこういうものが出たら変えてやっていくということがもちろん必要だし、比較的株が古くて、しかも毒性がかなりあるということであれば、これは思い切ってやめるべきじゃないか、そういうことを特に痛感をいたしますので、今後の調査会においても十分なその検討をしてもらって、特に、私は、新しくいまいわれておるところの——まあ前にポリオのときにもそういうような問題があって、生ワクチンがよかったということがあとになって出てしまったわけでありますからして、今度の場合もそうであるとは限りませんけれども、その研究を十分にしてもらいたい。
それからこのあいだもちょっと触れておきましたけれども、ガンマ‐グロブリンだけを使っても予防になるくらいでありますからして、新しい予防接種する人に、KLならばいいからといってこれを使用せずに、新しくする人にはKLをやめて、やっぱりガンマ‐グロブリンに主体を置いて、そして、いままでの方式であれば、ガンマ‐グロブリンをうつことによって、はしかになりますけれども軽くて済む。そんなようなおそろしい、胸部にこういう変化を起こしたり、全身に変化を起こしたり、熱がものすごく出たりというような症状が起こらないで、うまくすれば、熱が出ないで、少し発疹が出るくらいで軽いはしかにかかっただけで済んだという例をたさん私は知っておるわけでありますが、そういうことであれば、むしろそのほうが永久免疫ができるわけでありますから、そして早く生ワクチンそのものを研究してもらうということに踏み切っていただきたいと思っておりますので、どうぞひとつ大臣にもそれを伝えて、少なくとも小さな子供さんの抵抗力のない人に非常な重症な副作用の起こらないように十分配慮をするということで前向きに検討していただきたいということをお願いをいたしまして、私の質問を終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/56
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057・坂元貞一郎
○政府委員(坂元貞一郎君) 先ほど来申し上げておりますが、調査会段階での結論でございますが、さらにまた審議会の上部の機関等の審議がまだ残されておりますので、今月はただいまちょうど各方面の学会が活発に行なわれておりますので、専門の学者がなかなかお集まりにくい実情もございますが、学会等が終わりましたら、早急に審議会を開催いたしまして、十分慎重に検討した上で厚生省の態度をきめたい、かように思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/57
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058・山本伊三郎
○委員長(山本伊三郎君) 他に御発言もないようですから、本日の調査はこの程度にとどめておきます。
本日はこれにて散会いたします。
午後二時五十二分散会
—————・—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/105814410X00719680402/58
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