1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和四十八年十二月十三日(木曜日)
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昭和四十八年十二月十三日
午後零時三十分 本会議
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○本日の会議に付した案件
瀬崎博義君の故議員草野一郎平君に対する追悼
演説
昭和四十八年度における期末手当の割合等の特
例に関する法律案(内閣提出)
午後零時三十四分開議発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/0
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001・前尾繁三郎
○議長(前尾繁三郎君) これより会議を開きます。
————◇—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/1
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002・前尾繁三郎
○議長(前尾繁三郎君) 御報告いたすことがあります。
議員草野一郎平君は、去る十一月二十二日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
同君に対する弔詞は、去る十一月二十七日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
〔総員起立〕
衆議院は多年憲政のために尽力しさきに農林水産委員長の要職にあたられた議員従三位勲二等草野一郎平君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます
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故議員草野一郎平君に対する追悼演説発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/2
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003・前尾繁三郎
○議長(前尾繁三郎君) この際、弔意を表するため、瀬崎博義君から発言を求められております。これを許します。瀬崎博義君。
〔瀬崎博義君登壇〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/3
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004・瀬崎博義
○瀬崎博義君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員草野一郎平先生は、去る十一月二十二日、郷里の滋賀県長浜市民病院において急逝されました。まことに痛惜の念にたえません。
私は、ここに、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼のことばを申し述べたいと存じます。
私と先生は、所属する政党を異にし、相反する政治主張のもと、特に昨年の総選挙戦では、熱心な論争を交えた仲であります。つい先ごろの九月二日の夜も、「政治を語る」と題して行なわれた近畿放送のテレビ討論会の席で、私は草野先生と相対したのであります。そのとき、先生は、滋賀県選出の他の自民党の諸君とともに出席され、私は、国政上のさまざまな問題をめぐって、先生と白熱した討論を行なったのであります。その先生が、わずか二カ月の後に幽明境を異にされようとは、全く思いもかけなかったことでありまして、哀惜の念やるかたないものを覚える次第であります。
草野先生は、明治三十九年一月、伊吹山ろく滋賀県東浅井郡の山深い寒村の農家に、七人兄弟の長男としてお生まれになりました。
幼くして農民の苦しみを身をもって味わわれた先生は、高等小学校を終えると、僻地の草野川発電所に勤務されました。独立独歩の志厚かった先生は、不屈の闘志をもって職務に精励するかたわら、近江新聞社の通信員として、寸暇を得ては文を練り、真実の追求と観察眼の養成につとめられました。
自来、先生は、ジャーナリストとしての道に専念し、持ち前の鋭敏な頭脳をもって健筆をふるわれました。大津新聞社長、滋賀新聞編集局長等を歴任し、本院議員に当選して新聞社を辞任されるまで、地方言論界に尽くされた業績は顕著なものがあります。
また、昭和八年五月、弱冠二十七歳にして大津市会議員となり、ここに政治家としての第一歩を踏み出され、その後、任期満つるごとに再選また三選され、昭和二十一年まで、その庶民性と実行力をもって、県都大津市の市政の上に多くの業績をあげられたのであります。
その間、向学心に燃える先生は、人生哲学にみがきをかけるべく、かつて通信員時代に通信教育を受けたことのある京都の大谷大学に学び、人格の陶冶につとめられました。これが先生の風格形成の大きないしずえとなったのであります。
先生が初めて衆議院議員を目ざして出馬された一のは、昭和十七年のいわゆる翼賛選挙でありまし−た。この選挙に非推薦で立候補された先生は、東条軍閥内閣の激しい弾圧にあいながらも奮戦されましたが、善戦むなしく小差をもって落選のうき目にあわれました。この試練は、草野先生をして政界への進出の決意をいよいよかたくせしめたのであります。戦後、草野先生は新たな世相の中でも初志を貫いてきたのであります。
しこうして、戦後十年、わが国の民生も一応の安定を見るに至りましたが、先生はその政治的信念から、物質文明偏重の風潮を憂え、また、いわゆる農業近代化の立ちおくれを痛感して、昭和三十年二月の第二十七回衆議院議員総選挙に日本民主党から立候補されました。常々「血の通った信頼される政治」を強調されていた先生の人格は、強く選挙民の心をとらえて初当選の栄冠を獲得し、晴れて本院に議席を得られたのであります。
本院に議席を得られてからの先生は、長年の新聞記者生活によってつちかった鋭敏な時代感覚とみずからの信念に基づいて行動され、議院運営、内閣、建設等の各委員会においては、理事として委員会運営の衝に当たられました。
特に、昭和四十五年には、選ばれて農林水産委員長の重責をになわれました。先生は「相異なる立場から共通の結論を得る。」ことをモットーとし、委員会においては、公正を目ざし、かつ辛抱強くその運営に当たられ、誠意ある先生のお人柄と相まって、与野党委員の信任を得られたのであります。
また、第二次、第三次池田内閣の内閣官房副長官にあげられ、第一次、第二次佐藤内閣にあっては、農林政務次官に就任され、自由民主党においても、国会対策副委員長、広報委員会副委員長あるいは建設部会の会長として国会運営の衝に当たり、あるいは党の啓蒙宣伝、政策の立案に尽瘁されました。
先生の数々の御活動の中で特筆すべきは、農政に傾けられた情熱でありましょう。幼少のころから農民の苦悩をいやというほど味わった経験が、農政への開眼、愛着となってあらわれ、農政一筋に生きられたのであります。
農政に対する先生の信念は、「場当たり的あと追い農政ではだめだ、長期の展望に立っての農業施策を講ずることが、農業従事者にとっても国民にとっても重要なことである」ということでありました。そして、当時先生は、「日本人の食糧は日本人の手で」、「農家を文化住宅に」などと力説されました。これらの問題、たとえば食糧自給問題を真に実現することの重要性は、今日、緊急の問題になっているのであります。
また、先生は、初当選以来、琵琶湖の総合開発に熱意を燃やしてこられたのであります。先生は、山紫水明の琵琶湖を持つ滋賀県をこよなく愛するとともに、琵琶湖によって営まれる産業経済の調和ある発展を、みずからの主張としておられました。そして、琵琶湖総合開発特別措置法の基礎づくりとして、昭和四十一年に草野試案を発表されたのは世間周知のことであります。この試案に対しては、私たちは一定の批判を持っておりましたが、そのとき先生の心の中にあったのは、琵琶湖の水は、滋賀県民と近畿一千万住民の共通の財宝として長く後世に引き継がるべきものであり、また、開発の陰に泣く者があってはならないとの信念であったと聞いております。琵琶湖が再び澄み切った豊かな水を取り戻し、琵琶湖の恩恵が、滋賀県民と近畿一千万住民の生活を末長く守るよう、住民の期待にこたえてこの事業が遂行されることを願ってやまないものであります。
かくして、草野先生は本院議員に当選すること前後六回、在職十六年五カ月の長きにわたり、この間、国政史上に残された先生の足跡は、末長く人々の記憶に残るでありましょう。
先生は、父君の血を受けられて少年のころから俳句の道に造詣深く、俳号を「鳴嵒」と称し、早くから一家をなしておられました。かつては、文芸誌「宿雲」、「子午線」を主宰され、また現に、同人誌「歩道」を主宰される文人でありました。その作風は、宇宙の真理を求めて逆境に生き抜く雄々しい人間の理想像を描き、明るく清廉な人生観をあらわすものとして、読む人に深い感銘を与えたのでありました。
国の政治に携わる者の自戒の言として、先生は、「わしは、正直と清潔な政治家として生涯を貫く」と心に誓っておられました。先生の句に、
夕月に祈る総身透けるまで「夕月に祈る総身透けるまで」という句があります。変動する激しい政治生活の中にあって、きびしくも長い風雪に耐えつつ、幾山河を越えてこられた先生のすべてを余すところなく物語っているものと申せましょう。
もはや、草野先生ともこの議場で再び相まみえることはできません。その痛恨ひとしお深いものがあります。
ここに、草野先生の長逝を惜しみ、その人となりをしのんで、追慕のことばを述べ、心から御冥福をお祈りいたしまして、追悼のことばといたします。(拍手)
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昭和四十八年度における期末手当の割合等の
特例に関する法律案(内閣提出)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/4
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005・森喜朗
○森喜朗君 議案上程に関する緊急動議を提出いたします。
すなわち、この際、内閣提出、昭和四十八年度における期末手当の割合等の特例に関する法律案を議題となし、委員長の報告を求め、その審議を進められんことを望みます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/5
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006・前尾繁三郎
○議長(前尾繁三郎君) 森喜朗君の動議に御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/6
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007・前尾繁三郎
○議長(前尾繁三郎君) 御異議なしと認めます。
昭和四十八年度における期末手当の割合等の特例に関する法律案を議題といたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/7
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008・前尾繁三郎
○議長(前尾繁三郎君) 委員長の報告を求めます。内閣委員長徳安實藏君。
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〔報告書は本号末尾に掲載〕
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〔徳安實藏君登壇〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/8
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009・徳安實藏
○徳安實藏君 ただいま議題となりました昭和四十八年度における期末手当の割合等の特例に関する法律案につきまして、内閣委員会における審査の経過並びに結果を御報告申し上げます。
本案は、本年十二月六日付の人事院の意見の申し出にかんがみ、一般職の職員の給与に関する法律の適用を受ける職員等に対して、昭和四十九年三月に支給する期末手当〇・五月分のうち〇・三月分を本年十二月に繰り上げて支給しようとするものであります。
本案は、十二月十一日本委員会に付託され、十二月十三日政府より提案理由の説明を聴取し、直ちに質疑に入り、これを終了、討論もなく、採決の結果、全会一致をもって原案のとおり可決すべきものと決しました。
以上、御報告を申し上げます。(拍手)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/9
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010・前尾繁三郎
○議長(前尾繁三郎君) 採決いたします。
本案は委員長報告のとおり決するに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/10
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011・前尾繁三郎
○議長(前尾繁三郎君) 御異議なしと認めます。よって、本案は委員長報告のとおり可決いたしました。
————◇—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/11
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012・前尾繁三郎
○議長(前尾繁三郎君) 本日は、これにて散会いたします。
午後零時五十一分散会
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出席国務大臣
国 務 大 臣 小坂徳三郎君
————◇—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107205254X00519731213/12
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