1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和四十九年五月二十一日(火曜日)
午前十時四十三分開会
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委員の異動
五月十七日
辞任 補欠選任
高橋 邦雄君 黒住 忠行君
五月二十日
辞任 補欠選任
黒住 忠行君 田中 茂穂君
五月二十一日
辞任 補欠選任
田中 茂穂君 黒住 忠行君
志村 愛子君 高橋 邦雄君
松永 忠二君 鈴木美枝子君
宮之原貞光君 安永 英雄君
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出席者は左のとおり。
委員長 世耕 政隆君
理 事
斎藤 十朗君
内藤誉三郎君
片岡 勝治君
小林 武君
委 員
今泉 正二君
梶木 又三君
金井 元彦君
志村 愛子君
中村 登美君
二木 謙吾君
加瀬 完君
鈴木美枝子君
安永 英雄君
矢追 秀彦君
松下 正寿君
加藤 進君
国務大臣
文 部 大 臣 奥野 誠亮君
政府委員
内閣法制局長官 吉國 一郎君
内閣法制局第二
部長 味村 治君
文部政務次官 藤波 孝生君
文部大臣官房長 井内慶次郎君
文部省初等中等
教育局長 岩間英太郎君
事務局側
常任委員会専門
員 渡辺 猛君
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本日の会議に付した案件
○学校教育法の一部を改正する法律案(第七十一
回国会内閣提出、第七十二回国会衆議院送付)
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001・世耕政隆
○委員長(世耕政隆君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
この際、委員の異動について御報告いたします。
昨日、黒住忠行君が委員を辞任され、その補欠として田中茂穂君が選任されました。
また、ただいま松永忠二君及び宮之原貞光君が委員を辞任され、その補欠として鈴木美枝子君及び安永英雄君が選任されました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/1
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002・世耕政隆
○委員長(世耕政隆君) 学校教育法の一部を改正する法律案(第七十一回国会閣法第一一二号)を議題といたします。
前回に引き続き、本案に対する質疑を行ないます。
質疑のある方は順次御発言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/2
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003・加瀬完
○加瀬完君 私は、先日の質疑の終わりに、教育とはいかなる作用または活動か、こういう点の御見解を本日、御発表いただきたいとお願いをしたわけであります。
これは、教育活動というもの本体というものを整理いたしませんでは、結局、教育効果をあげるということがなかなか期しがたい。いま審議中のいわゆる教頭法についても、大臣なり文部省の御見解は、これによって教育効果があがる、こういう御認定でありますけれども、教育効果があがるということは、教育活動が非常にそれで能率的になるという前提がなければならないわけでありますから、それでは、一体教育活動とはどういうものか、こういう点を伺おうとしたわけであります。これは、常識論ではなくて、法律論として、教育とはいかなる作用または活動という御認定をなさいますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/3
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004・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 教育基本法の第一条には、教育の目的が書いてあるわけでございます。したがいまして、教育活動あるいは教育という作用、そういうものは、この目的を実現するということ、それが教育の作用であろうかと思います。この教育の目的の中には、「人格の完成」ということと、それから「平和的な国家及び社会の形成者として」の「国民の育成」というふうな、分けてみますと、二つの面になるわけでございますが、一つの「人格の完成」ということ、これはもちろん日本国民としてという前提がつくわけでございますけれども、「人格の完成」は、これは個々の国民が、それぞれみずから「人格の完成」を目ざして努力をする、それを教育の面では、「人格の完成」につきましていろいろこれを助長するような諸活動を行なう、そういうことであろうかと思います。
それから「国民の育成」ということでございますが、いずれの国家あるいは民族も、その伝統、思想、文化、そういうものを持っているわけでございます。そういうものを次の世代をしょって立っていく青少年に受け継いでいく、そういうふうないろいろな活動、そういうものを学校教育、社会教育、家庭教育を通じて行なっていく、そういうふうないろいろの活動、これが教育の諸活動というふうに考えるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/4
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005・加瀬完
○加瀬完君 それは、教育の目的論であり、教育の領域論であるかもしれませんが、教育という働きは一体いかなるものだということにはならないわけですね。それで、「教育者と被教育者との精神作用を媒介とする活動であって、他律的強制とは本質的に相いれない要素を持っている。」これは、昭和三十九年の五月七日、ここの立法考査局で出された見解でありますが、法制局長官、法律的に見て、この見解は間違いですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/5
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006・吉國一郎
○政府委員(吉國一郎君) 私、いまの定義の問題初めて伺ったものでございますから、的確なお答えはできるかどうかわかりませんが、ただいまの定義の、教育というものについてどういう法的な概念を与えるかということによって、学説の違いとまでは申しませんにいたしましても、いろいろ考え方はあり得ると思います。
ただいま、お示しになった立法考査局の考え方というもの、これも一つの知育と申しますか、そういうものに限定して考えれば、一つの定義的なものになり得るものではないかというふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/6
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007・加瀬完
○加瀬完君 他律的強制とは相いれないものだと、こういう認識は、教育という働きについては原則として他律的強制とは相いれないもの、教師自体が子供に対して働きかける、子供自体が教師に対して働きかける、こういう作用が原則であって、他律的強制とは相いれない、そういう性格があるということはお認めになりますね。これは立法考査局の見解は私は正しいと思うのですけれども、違いますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/7
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008・吉國一郎
○政府委員(吉國一郎君) この他律的強制になじまないとおっしゃいましたか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/8
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009・加瀬完
○加瀬完君 なじまない、相いれない。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/9
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010・吉國一郎
○政府委員(吉國一郎君) 相いれないと申しますか、他律的強制に相いれないというのは、やはり一つの教育の理想の姿ということは言えるかと思いますが、ただ、現実の教育というものについては、他律的強制をどうしてもしなければならない場合というのがあり得ると思います。私も学校法令全部知悉しているわけではございませんが、学校教育法の体系におきましても、教員が児童なり生徒なりに対して一定の処罰をしなければならない場合があり得る。これは他律的強制ということばの定義の問題になるかもしれませんが、一種の他律的強制と社会通念では呼んでいいことかもしれません。また、広く家庭教育なんかも入れて考えますと、親権者が児童の教育及び監護をなす権利という監護の中には、当然そういうような他律的強制も入っていることは、これはもう通説であろうと思いますので、他律的強制と全くなじまないというものではない。他律的強制と相いれないような性質を持つような部面が、教育の理想の姿として、教育というものの概念を考えてみた場合に、その頂点に与えられるということは言えると思いますが、全く他律的強制を含まないとか、相いれないということを言い切ることはできないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/10
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011・加瀬完
○加瀬完君 言い切ることはできるのですよ。あなたの解釈違っていますよ。いまおっしゃる懲罰権なり、いろいろ養護したりなんかする、そういう働きというものは教師自身なり父母自身が持っているものなんですよ。教師が懲罰権によって懲罰をすることは、他律的強制じゃないです、これは。ここで言うのは、教師と子供という、こういう精神作用の関係にあるものであるから、教育というものは。教師と子供の精神作用に対して外側がいつでも何か圧力をかけていくと、こういうことは、教育として本筋ではないとこういう規定を立法考査局はしたわけですから、これは原則論としては認めなけりゃおかしいと思うのですよ。教育基本法だって、そういうことになっているのですよ。文部省なり教育委員会なり、この前言ったように、子供を教育する権利はないですよ。教師が教師の責任において子供を教育する、その教育をしやすいためにいろいろの他律的な、法文上は内容を持っていますよ。しかし、それはあくまでも教師の教育活動なり教育作用なりを助けるという性格のものなんですよ。そうじゃありませんか。これ答えていただきたいのは、現在ある法律になじむとか、なじまないとかいうことではなくて、教育そのものというのは一体原理的にどういうものだ、こういう点から伺っているわけですからね。原理は、もう一回申しますよ一教育とは、「教育者と被教育者との精神作用を媒介とする活動であって、他律的強制とは本質的に相いれない要素を持っている。」、これは認めないわけにはいかぬと思うのです。いかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/11
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012・吉國一郎
○政府委員(吉國一郎君) どうも、立法考査局の書いたものの解釈の問題になるおそれもないではないと思いますが、ただいま他律的強制になじまないと申しますか、相いれない要素を持つものであるというのは、教育が、その前のほうで、教育者と被教育者との間の心的交流でございますか、何か心的交流を要素とするというようなことがございまして、そして他律的強制になじまないということは、教育をするについて、他律的な強制というものをできるだけ排除するのだということを言っているように、私はその立法考査局の文章そのものをまだ拝見したわけではございませんで、それほどしさいに検討したわけではございませんが、ただいまお読みになるのを聞いておりますと、そういうふうに、われわれとられますので、問題は別な点にあるのではないかというふうに感じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/12
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013・加瀬完
○加瀬完君 教師と子供の関係で進めらるべきものが本体であって、外側からいろいろの条件で強制をするということは、本質的にそういうやり方は教育といものには相いれない、これは当然じゃないですか。この場合、文部大臣頭ひねっているけれども、いまの教師は変だとか、どうもどうだということでなく、ここで言う教師というのは理想的な教師ですよ。理想的な教師が良心に従って子供にじかにぶつかっていくのが教育であって、ああしろ、こうしろという他律的な強制をするということは、本質的に教育というものとは相いれない、これは法律的にも当然そう解釈されなければならないと思うんです。私がこれを問題にするのは、あまりこれ認めてないけれども、教育というのは子供と教師が、教師のほうからいえば教育がやりやすいように、子供のほうからいえば教育が受けやすいように、そして目的とする教育効果が高進するように、そういう条件なり環境なりをつくっていくというのが教育行政のねらいだよ、これは。教頭法というのが、そのものずばりその条件なり環境なりをつくることになるかというと、私は疑義があるということで、こういう質問をしたわけであります。いまの教育行政が、この教頭法をはじめ、教育の主体は教師であるという、外側からの圧力というものは教育の本質にはなじまないものだという考え方が私は非常に少ないと思う。そういう反省が文部省にはないと思う。文部大臣がたびたび指摘する教師らしからざる教師がいるということと、教育の行政の本筋はいかにあるべきかということは別の問題ですよ、これば。これをごっちゃにしちゃ困ると思う。教師がはなはだ成績をあげてないから、うちのほうで成績あがらざるを得ないようないろいろの法規をかぶせていくんだということは、これは次元の違う問題ですよ。文部行政は、いまそういう方向をたどろうとしておりますけれども、これは少しおかしいと思う。
そこで、第二の問題として、これも先日お願いをしておきました総理の発言について、大臣から御説明を願いたいわけであります。と申しますのは、この発言も、教育の本質そのものを少しも踏まえておりませんという私には疑いがありますから、あらためて大臣から、教師憲章でありますとか、あるいは「五つの大切・十の反省」ですか、というお話がありましたので、これはどういう真意であるか、十分御説明を承らなくて、いいとか悪いとか言うことは失礼でありますから、あらためてひとつ大臣に御説明を承ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/13
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014・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 総理が先般「五つの大切・十の反省」という徳目を掲げられました。どういう趣旨かということを伺いましたら、自分としては、一つの問題を提起したつもりだということでございまして、文部省に対してどうしろ、こうしろということは何ら考えていない、これをきっかけに、また、皆さんの間でいろんな論議をしていただければいいんだ、問題提起と受け取っていただければけっこうだということでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/14
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015・加瀬完
○加瀬完君 それでは、去る予算委員会で総理は、教育の問題では国民的合意を得たいと、こうおつしゃいました。そうすると、これはたたき台で、これをたたき台にして道徳教育の問題について、あるいは教師のあり方について国民的合意を得るための材料だと、こう解していいですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/15
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016・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 人それぞれ現在の日本のあり方についていろんな考え方、見方を持っていると思います。もっと情操豊かな、徳性豊かな人間になるべきだという考え方もございましょう。そういう意味において、徳育問題、情操教育問題、そういうことについてみんなで考えようじゃないかという意味合いの問題提起、こう私、理解をしたわけでございます。したがいまして、御指摘になりましたように、国民大多数がこういう徳目、徳に欠けるところがあるようだ、お互いにひとつ努力をして身につけるようにしようじゃないかというようなことで合意の道が開けてくることになりましたら、それこそしあわせなことじゃないだろうかと、こう思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/16
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017・加瀬完
○加瀬完君 たいへん失礼な言い分ですけれども、総理なり政府なりは、教育の内容であれ、教育の問題であれ何でもできるんだと、こういう前提で御発言なさったということでは、そうするとないわけですね。と言いますのは、総理のいままでの御言動は、総理なら何でもできると、こういうようにどうも考えざるを得ないような節々がございますから、これはあくまでも国民的合意を得るための材料として提起をしたんだと、こういうように解していいですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/17
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018・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 総理は現在の教育の姿について特別な関心を持っているようでございますし、また、このままでいいかということにつきましては心配もいたしているようでございます。そういう中であの問題を、先ほど来申し上げておりますように、一つの問題提起として出したんだということでございます。したがいまして、いまおっしゃいますように、国民合意の道ができてまいりますと、それこそ総理としては非常に望ましいことだと考えると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/18
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019・加瀬完
○加瀬完君 それでは文部大臣に伺いますが、総理の言うような教師憲章というものは必要だと思いますか。それは国なり文部省なりが制定すべき筋合いのものだとお認めですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/19
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020・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 教師憲章ということばは別にいたしまして、教師はいかにあるべきかということ、これはいろんな法律にいろいろ書かれております。地方公務員法でありますとか、あるいは教育公務員特例法でありますとか、あるいは教育基本法でありますとか、いろんなところへ出てきておるわけでございまして、それらのものをまとめて一つのわかりやすいようなものをつくるという考え方がありますならば、私は、それもけっこうなことだなあ、こう思います。決してそういうこと、国民皆さん方が教師にどういう姿であることを期待しているか、そういうものがまとまってくること、これはけっこうなことだと思います。しかし、文部省としていまそれに手をつけようということを考えているわけじゃございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/20
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021・加瀬完
○加瀬完君 教師自体、たとえば日教組なら日教組が教師憲章みたいなものをつくってあることについていろいろ批判をし、あるいはこれに反対することは自由だと思います。あなたの立場で自由だと思います。しかし、いまおっしゃるように、文部省なり国なりで教師憲章をつくって押しつけるということになりますと、これは教育基本法に抵触することにならないか、この点はどうお考えですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/21
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022・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) いまも申し上げましたように、教師はいかにあるべきかということについて、国会でいろいろなことをおきめになっておるわけであります。かりにそれを字句どおりまとめて、それを教師憲章だというなら、私は、国会で批判はないんじゃないか、こう思うわけでございます。しかし、そんなことが意味あるとは私は思いません。もっと道徳的な意味合いにおいて、国民が教師にこうあってほしいということをまとめたらどうかという意味での教師憲章的なお考え方ではなかろうか、こう受け取っておるわけでございます。国民皆さん方が教師にこういう期待を寄せているんだ、皆さんの間にさほどの大きな見解の違いもなしにそういうものが生まれてくるなら、これはたいへんにけっこうなことじゃないか、こう思っている、かように答えているわけでございます。しかし、私がいまそういうものをつくろうとしているというわけじゃございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/22
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023・加瀬完
○加瀬完君 それはわかりました。
そこで、文部省の教育行政の責任は、教師自体がみずから律すべきことまで規制することが先なのか、教育の条件や環境を整備することが先なのか。いまのお答えでも大体うなずけますけれども、これは確認しておく必要がありますから。どう考えても、教育の条件や環境というのを整備するのが文部省の専決事項だと思うんです。教師がどうあるべきかということを規制することは、これが教育条件のどういう問題があっても、総じて精神的な問題を先にやるんだということには現在の法規をどこ見たって、そういう解釈は成り立たないと思いますが、これはお認めいただけるでしょうね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/23
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024・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 宮之原さんからも、この点についての御議論があったわでございますが、十条第二項には、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに心要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」、この「必要な諸条件」というのは、外的な諸条件だけであって、内的な諸条件を含まないのかというお話がございましたので、そんなことはありませんと、外的な条件も内的な条件も別に限定をしているわけじゃございませんので、当然含まれますよと。内的な条件という場合には、教育内容が一つの内的条件として入ってくるでしょうと、こういうようなことを申し上げたことがございました。いずれが先だとか、いずれがあとだとかいうことじゃなしに、全体を見ながら教育行政はその責任を遂行していかなければならない性格のものだろうと、こう思っておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/24
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025・加瀬完
○加瀬完君 そこに、私は錯誤があると思う。教育内容のあらゆる面に文部省が教師以上に権限を持つというのはどこ読んだってそんなの出てきませんよ。しかし、私は、その議論はあとに質問でいたしますから、ここではやめます。
ただ、外側の条件を整えなければ解決できないような問題がたくさんございますのに、いまの田中提案について触れるならば、いま高等学校や大学の入試制度というものは、御存じのように、小学校から家庭教師や塾教育という、学校ではない特別な教育をしなければ上級学校の、父母が希望するような学校には入れないという通念で、学校教育そのものが破壊されるような状態を判断できるような特別な教育というのが行なわれておりますね。大学も、有名高校に入るか、特別に裏口入学で金を積むか、そうしなければ、英才であってもなかなか入れないと、こういう状態にもありますね。これは政府も国会も責任をもって果たさなければならない教育の機会均等も、ひとしく教育を受ける国民権利もむざんにも否定をされているという形でしょうね。この制度そのものが排他的でしょう。だれかが落ちなければ自分が入れない。そこに友情が育ちますか。あるいは他人に迷惑をかけないという道徳をここでつくろうとしたって、道徳をぶちこわすような環境が教育環境の中に存在しているということであれば、政府のすべきことは、教師に教師憲章を与えたり、教師に徳目の指示をしたりする前に、こういう問題を解決するということが、総理大臣なり文部大臣が提示しているとは申しませんが、政府なりの先のこれは義務ではありませんか。こういう状態をそのままにしておいて、ただ、教師だけにこういう徳目でやれと言って、道徳教育が育つような環境というものを特に文部省はあるいは政府はつくるという義務が先行しなければおかしいじゃないですか。これ認められますか。いまの塾の教育や家庭の特殊教育というものだけを野放しにしておくこと、金出せば裏口入学できるというこの現状、あるいは教育は差別あってはいけないはずですけど、優良学校、いわゆる入学のための優秀学校と入学率の低い学校と、こういう学校が現在しているんです。こういうものを解決するということがむしろ私は道徳教育の方向を示す前に、政府としては考えなきゃならない問題ではないかと思いますが、これ御否定なさいますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/25
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026・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 教育に関しまして問題たくさんございます。ほかの問題が片づかなかったら徳育についての問題の提起をして悪いんだと私は考えない。やっぱりあらゆる問題について解決への努力を尽くしていかなければならない。自由な社会にするためには相手の自由を尊重しなければなりませんよと、もっと日本人は時間を大切にしょうじゃありませんか、物を大切にしょうじゃありませんかと、こういうことを呼びかけて悪いとは私は思わない。同時にまた、入学試験の弊害もございますけれども、同時に、競争すべてが相手を憎しみ合う社会になるのだと私は考えない。やっぱり競争を通じてみんな努力し合う、また励まし合う、私はその中にも友情が生まれる、競争のあり方じゃないだろうかと、こう考えるわけでございます。入学試験の弊害もよく存じておりますし、また、学校教育の中に長所もあれば矩所もある。その短所をためすために努力をしなければならぬこと、これも人一倍強く感じておるわけであります。しかし、そういうことができなければ、徳目について問題提起をすることが悪いんだと、私は理解しないのでございまして、あらゆる問題、一緒にみんなで努力をし合っていきたいものだと、こう思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/26
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027・加瀬完
○加瀬完君 そんな予備校の校長さんみたいな話をされちゃ困りますよ。現実に子供はそこなわれておるでしょう。自殺者も出ている、入学試験のため。家庭はそのために塾に通わせたり、家庭教師を頼んだりするために、経済的な大きな破綻を生じている、そういう訴えも多いでしょう。義務教育の中で、法律にきめられているような教育の条件なり環境なりが守られないとするならば、それを直すというのがあなた方の責任じゃないですか。私は、道徳の指針を総理が出したり、あなた方が道徳教育必要だとおっしゃっていることに反対ですね、しかし、あとでこれはとくと御意見を承りますが、一番道徳教育で必要なことは、みずから道徳をやって典型を示すということでしょう。法規の上でもきめられていることをサボっておって、一方的な文部省の専決事項ではないようなことにまで、いたけだかになって、宣伝をするということは、はなはだ私は不見識だと思う。あらためて聞きますが、あなた方はこの間、教育においては教師の自主性や創造性が非常に尊重されなければならないという御説明をなさった、これはお認めになりますね。自主性や創造性というものが教師に必要だということはお認めになりますね。お認めになるなら、なぜそれは必要なのか、なぜ教師の自主性や創造性というものが教育においては必要なのか、この点はどうお考えになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/27
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028・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) たびたびお答えをしてまいりましたことをまた重ねて申し上げるのは恐縮でございますけれども、私は、人それぞれ特性を持っておる、その人それぞれの能力、個性、これを伸ばしていく、これが先生方の重要な役割りだと考える。人それぞれの能力は違うわけだから、人それぞれに応じた伸ばし方のくふうをしていかなければならない。そういう意味において、先生方の自主性、創造性ということ、ことばを使いますと、そういうことになると思いますが、そういうものが最大限に発揚されていかなければならない、尊重されなければならない、こういうことを申し上げているわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/28
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029・加瀬完
○加瀬完君 たびたびお答えになっているんだが、本質的な答えがさっぱりはぐらかされておりますから、同じことを何回も聞くことになるんですよ。
といいますのは、最初に提起しましたように、本来、教育というものは、教育者と被教育者との精神作用を媒介とする活動であって、体質的抑制とは本質的に相いれないということがありますから、どうしてもその主体である教師の自主性や創造性というものをもっとはからせてくれなければ困るということで、創造性、自主性が教育の上ではいつも叫ばれておるということに私はなろうと思うんです。そうではないですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/29
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030・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 加瀬説として、それをおっしゃることは、私は何ら反対いたしません。しかし、私にそれを強制されるについては、私はそんなこと一つも納得ようしません。私は、教育というものは、むしろ先生方の熱情も大切であり、同時に環境も大切だと、やはり同一年齢のものは一つのクラスを編成して教育が行なわれているわけでございますけれども、友だちから受ける啓発も非常に大切だと、その学校、学校の学風というものがある、環境というものがある。それが児童生徒の心身に及ぼす影響も非常に大きなものがある、こう考えておるわけでございまして、単に知的なものではない、知、体、徳、調和のとれた人間が育っていかなければならないと考えます。また、先生一人だけで教育が行なわれているのだと考えておりません。やっぱり先生一人一人の力、これは非常に重要でございますけれども、同時に学校全体、あるいは環境全体、あるいはクラス全体、それが大きな教育の役割りを果たしているんだと、だからまたりっぱな学校に入れたい一りっぱな学校はどういう学校であるか問題はございましょうけれども、しかし、学風のすぐれた学校に自分の児童生徒を通わせたいという気持ちになっているんじゃないだろうかと思います。私は、加瀬説は加瀬説として、そういう問題の見方はあるだろうということはあえて反対するものじゃございませんけれども、それを私に押しつけられたんじゃ、やっぱり違った考え方もあるということは認めていただきたいものだと、こう思っておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/30
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031・加瀬完
○加瀬完君 あなたは、教育のことしろうとだから、そういうことをおっしゃるのももっともだけれども、教育学の立場では、私の言っているように解釈をするのが定説です。それだけ申し上げておきます。
あなたのおっしゃるように、教育には環境というのが非常に大事ですよ。伝統というのも大事ですよ。校風というのも大事ですよ。しかし、それらを直接子供に一こう言いましょうか、伝統が即教育ということにならない、校風が即教育ということにならない、その校風なり伝統なり、それが教師の人格を通して子供に与えられ、子供は教師の人格を通してそれを感得するということのほうが、非常に教育活動では、教育の目的を達する面というのが大きい。あなたのおっしゃるようになるなら教師は無用論になるんじゃないですか。教育の中心は教師なんですよ。その教師は、さらにその教育の効果というのを高めるために校風をつくったり、伝統をつくったり、あるいはあなたのおっしゃるように一つの基準なりというものをつくって、それを受け継いで、集大成をしていくという作業が、教師を中心に行なわれるということが、これは狭く言えば学校教育ということになる。あなたに言われるように、強制しません、強制はしてはいませんけれども、考え方がもう少し、教育のことを論ずるなら、教育学に立った立論をしてくれなければ困るというので、ただ意見がましいが、申し上げたわけです。
それでは、今度は、法律論で聞きます。憲法の思想の自由や信仰の自由の規定、あるいはその精神を具体化した教育基本法の規定に反する行政措置というものはなし得ないと、これは解釈していいでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/31
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032・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 憲法に示しておりますこと、これは教育の上におきましても最大限度尊重していかなければならないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/32
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033・加瀬完
○加瀬完君 尊重するということと、なし得ないということと違いますよ。憲法なり教育基本法にはずれたようなことをきめられますか、あるいは行政指導できますか、それはできないということも当然でしょう。尊重していくということと、やってならないということは別ですよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/33
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034・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) お話がよくわからないのですけれども、憲法の一つ一つの条章、それはまた、ものによりましては公共の福祉をそこなわない限りとか、いろいろなことがついていると思うのでございまして、憲法条章全体の中で、個々の規定、最大限度に尊重していかなければならない、こう考えておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/34
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035・加瀬完
○加瀬完君 それじゃ、あらためて伺います。
教育基本法に規定している内容に反する行政措置ができますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/35
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036・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 憲法に基づいて法律が定められているわけでございます。憲法なり法律なりに基づいて、行政当局は行政を執行しておるわけでございますので、そのワクからはずれるようなことは避けなければならないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/36
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037・加瀬完
○加瀬完君 わかりました。
そこで、これも前に質問がありましたけれども、あらためて聞きますが、教育における不当なる支配とは、どういうものだとお考えになっておりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/37
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038・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) そのことについても、たびたびお答えをしているのでありますが、やはり教育といえども、国会統制に服するものだと、戦前のように大権事項に専管しておったと、そういうものではない、そういう趣旨を憲法、教育基本法第十条第一項が示しているのだと、かように考えているわけでございます。したがいまして、憲法なり法律なりに定めていることをひん曲げようとする、そういう勢力は不当な勢力だと、こう判断をいたしておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/38
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039・加瀬完
○加瀬完君 この十条論議のとき、時の文部大臣も、こう言っておりますね。かつての文部省あるいは軍部、こういう国家権力による支配は、これは不当なる支配だと、将来は何だという質疑に対して、政党、官僚、こういうことを述べていますね。これはあなたの好きな組合を入れてもいいですよ。財界を入れてもいいですよ。組合だって、私は組合の出身ですけれども、教育において不当なる支配をしていいとはだれも考えていないし、私も考えない。しかし、政党なり官僚なりが不当なる支配をしやすい立場にある。したがって、不当なる支配をしないように留意すべきであるということは当然考えられていいことだと思いますが、これはどうでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/39
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040・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) その点は、たびたびお答えを申し上げておるわけでございますけれども、私は不当な勢力が政党だ、組合だときめてかかることは私は反対であります。政党なり組合なりが教育の問題について関心を持つ、ときには発言をする、何ら悪いことではない。私は、やはり教育問題についても国会統制のもとに服するんだと、その法律に反した干渉を試みようとする、その場合には、それが政党であれ、組合であれ、不当な勢力になるんだと、こう考えておるわけでございます。政府というものは、戦前の姿とは違いまして、今日におきましては、行政を執行する、その場合に常に国会でおきめになりましたことに基ついて執行していくわけでございまして、国権の最高権威は国会だ、こう憲法でも示しておるわけでございます。そんなことはあり得ないわけでありますが、かりに法律を無視して行政当局が教育を進めようとする場合には不当な勢力になるじゃないかと、理屈の上ではあり得るじゃないかと、こう考えるわけでございます。あくまでも、教育というのも戦前とは違いまして、今日においては、国会統制のもとに進められなきゃならないんだという精神をこの十条一項が明らかにしているんだと、かように私は理解をいたしておるものでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/40
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041・加瀬完
○加瀬完君 非常に無反省な発言ですね。官僚統制というものが一番将来憂うべきことだと、かつては文部省だってこう言われたのに、文部省は官僚統制にならないように、いわゆる不当なる支配にならないような反省のもとに教育行政が行なわれるというのが、文部省の前提条件ですよ、これは。あなたのおっしゃるように、関心を持って悪いとはだれも言ってない。不当なる支配になるような意図で行動をされることは、これは排除さるべきだと申し上げておる。
そこで、法制局長官に伺いますが、その支配の正当か不当かは、かりにそれが力によって法制化されたとしても、法律以前の問題であり、教育はたとえ法律に定めるところによっても不当に支配すべきものではないという考え方は間違いですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/41
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042・吉國一郎
○政府委員(吉國一郎君) 日本国憲法のもとにおきましては、立法は、憲法第四十一条によって国権の最高機関であり、唯一の立法機関である国会において行使されることになっております。その国会における立法が、そのような不当な内容になるということは想像だにできないことでございますけれども、憲法にも違憲立法審査というような制度もございますので、国会といえども、論理的には誤りをなすことはあり得るではないかという議論もあるでございましょう、そのような姿をかりに想定をいたしました場合に、立法の内容といえども、この社会に現存する一つの条理と申しますか、そのようなものに反するようなものに相なった場合には、その立法に基づく行政なり、あるいは法律の執行というものが不当な内容になり得る場合が全くないではないということは言えると思います。ただ、先ほども申し上げましたように、日本国憲法のもとにおいて立法を担当される国会がそのような立法をされることは、ほとんど想像さえできないということになるのではないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/42
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043・加瀬完
○加瀬完君 教育立法というのは、憲法なり教育基本法のあれがありますから、「これにはずれるようなことを、またはずれるおそれがあるようなことをもくろむべきでもなければ立法すべきでもない。」と、当然です。いま、この見解は私の見解ではないんです。どなたの見解だと思いますか、文部大臣御存じじゃありませんか。これ文部省の見解なんです。文部省がこういう見解を当時出しておった。これ間違いですか。それは間違いだという訂正を文部省なさるんですか。いままでは一回も訂正しておらなかった。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/43
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044・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) ただいま法制局長官から申し上げましたように、私どもも考えているわけでございます。違憲立法審査権というのがございますから、法律がすべて正しいというわけではもちろんございませんけれども、国会でおきめになりました法律に基づいて私どもは仕事をしているわけでございまして、その法律が憲法違反でないという限りは、それに従って行政を行なうということは、これは当然だと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/44
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045・加瀬完
○加瀬完君 私の読み上げたものは、これは訂正なさるんですか。それはお認めになるんですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/45
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046・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) ちょっとお読み上げになりましたものがどういうような関係で出されたものであるかということをよく承知をいたしませんものですから、ちょっとお答えできないわけでございますけれども、それはどこの、どういう解釈で出しておるものでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/46
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047・加瀬完
○加瀬完君 これは、この教育基本法を論議したときの答弁です。もう一回読みますと、「支配の正当か不当かはかりにそれが力によって法制化されても、法律以前の問題であり、教育はたとえ法律に定めるところによっても、不当に支配すべきものではない。」、こういう見解を述べているんです。これは私は正しいと思う。いまあなた方が御説明のように、立法というものは、当然こういう趣旨で行なわれるべきものであるから文部省が指摘したのに反するような立法は行なわれないであろうということは想像できる。しかし、そういう立法がかりに行なわれたとすれば、その立法は憲法にも教育基本法にもはずれるおそれがあるということなら、これは十分あらためて論議の対象にされる性格のものだ、一番大事なことは教育基本法だ、教育行政の基本は。こういう考え方は、これは文部省だってお認めになるでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/47
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048・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) いま国会における質疑応答をお読みいただいたようでございまして、私いま聞いておりまして、かりに法律に定めたものであっても、不当に支配するようなことがあってはならないんだと、こういう表現のところに重点を置いておられるように受け取ったわけであります。私もそのとおりだと思います。法律に定めたものであっても、それを拡大解釈してしまって不当な支配を行なおうとする、これは避けるべきだと思うのであります。法律に定められたとおりを忠実に実行していく、それが不当な支配になるとは少しもその論議の場合にも言うておられないように私は受け取ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/48
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049・加瀬完
○加瀬完君 私も、そんなこと言っていないよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/49
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050・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) でありますから、法律に定められたことについては、法制局長官等からお答えされておりますように、それに従って教育行政を進めていくということが正しいあり方だろうと、かように考えておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/50
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051・加瀬完
○加瀬完君 あなたは頭がよ過ぎるからね、私の言っていることに腹の中探ろうとしているけれどもね。別に腹の中の答えまでしてくれなくてもいい。
で、とにかくこれはお認めになる。そこで、では、文部省は、不当なる支配に及んではならないというためにどういう配慮をしてきたか、また、現在どういう配慮をしているか、この文部省の姿勢についてお答えをいただきましょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/51
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052・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 私どもは、法律に基づいて行政を進めるわけでございますから、法律の規定をただいま大臣から申し上げましたように拡大解釈をして、それを押しつけるというふうなことを避けるというふうな心がまえでまいっております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/52
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053・加瀬完
○加瀬完君 これは、大臣にお答えいただきますね。新憲法以後の教育立法は教育の権力統制をほしいままにした戦前の教育制度からの断絶に歴史的意義があると認めてよろしゅうございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/53
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054・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 権力統制ということばがいいのかどうか知りません。戦前をすべて権力統制という言い方がいいのかどうか私にはわかりません。わかりませんが、教育問題については、大権事項とされておった。そして、戦後はすべてのものが国会統制に服するというふうに改められた。それは大きな違いである、かように考えておるわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/54
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055・加瀬完
○加瀬完君 戦中、戦前のような教育統制は好ましいものではないとはお認めになると思うんです。いまの教育行政が統制的でないと明言できますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/55
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056・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 統制的であるとか、統制的でないとかということで判断は、私はしにくいと思うんでありますが、要するに、国会でおきめいただきました法律に基づいて教育行政が進められていくという点については、そのとおりだと思っております。役人がかってに自分の判断で一定の方向に統制してしまうんだというようなことは許されてならない、こう思います。
国会によりまして、ものによってはこのような方向でいかなきゃならないとおきめになることもございましょうし、また幅広いきめ方をされる場合もある。いろいろな対象によって異なってくるのじゃないか、こう思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/56
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057・加瀬完
○加瀬完君 教育基本法の第十条の二項の、「教育行政は、この自覚のもとに」、すなわち、われわれの否定すべきは、正しい自覚に立たない教育行政とその教育への不当な介入とであり、われわれの希求すべきは、正しい自覚に立った教育行政とそれの教育実施への援助、保障とである。このようにこの教育行政は、「この自覚」のもとにどいうことについて文部省自身が見解を出しておる。この考え方は、いまでもお認めになるでしょう。
もう一回申しましようか。「教育行政は、この自覚のもとに」の「この自覚」というのは、われわれの否定すべきことは、正しい自覚に立たない教育行政とそれの教育への不当な介入とであり、われわれの希求べききは、正しい自覚に立った教育行政とそれの教育実施への援助、保障とである。これはそのまま受け取ってよろしいでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/57
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058・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) ことばの内容で援助と助成という中身は、先ほど大臣から申し上げましたように、私ども解しておるわけでございますが、そのいまお読みいただきました考え方、それについては別段異論はございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/58
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059・加瀬完
○加瀬完君 ことばの内容と言ったって、これはあなたのほうがおっしゃったとおり、私はそれを読んだんです。
そこで、それじゃ文部省の指導、助言の限界はどこに置きますか。これは局長でけっこうです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/59
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060・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) これは一々について異なると思いますけども、やはり一定の条理と申しますか、そういうものに基づいて判断されるべきものだというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/60
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061・加瀬完
○加瀬完君 文部省設置法の五条の一項の三十二号、これはいまでも基準となさっていらっしゃるでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/61
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062・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) そのとおりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/62
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063・加瀬完
○加瀬完君 この文部省の指導、助言は、地方公共団体の教育委員会その他の機関に対してなされるのが原則ですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/63
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064・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) そのとおりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/64
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065・加瀬完
○加瀬完君 公立学校の管理権は、当然学校の属する教育委員会にあると認めてよろしゅうございますね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/65
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066・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) そのとおりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/66
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067・加瀬完
○加瀬完君 したがって、文部省が直接求めがないのに積極的に指導、助言という名前で、事実は指揮、監督みたいなことをしていることをどうして許されるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/67
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068・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) それは、指導、助言の範囲でやっておることだと思います。直接に権限もないのに文部省が法律の限界を越えまして行政指導するということは、私どもはいたしてないつもりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/68
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069・加瀬完
○加瀬完君 そういうことはありませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/69
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070・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 具体的なお話がございませんので、私どもは思い当たる筋はございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/70
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071・加瀬完
○加瀬完君 ここで、私は幾つでも例をあげられますけどね、ここであなた方の責任問題を追及するのが法案の審議の内容ではありませんからね、いずれか別の機会にします。幾らでもありますよ。都道府県教委なりを通して地方教育委員会なりに指導、助言とは思われないいろいろなことをおやりになっている。
それでもう一つ聞きますが。文部省は公立学校の教職員の研修等の参加命令を出すことができますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/71
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072・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 文部省が直接に具体的な教員の方に参加命令を出すということは、これはできないわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/72
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073・加瀬完
○加瀬完君 それならば、結局、現場の教職員の指導をするためには、校長なり教頭なりを通してやるということがたてまえということになるでしょう。文部省がこのごろおやりになっているように、何人か集めて講習をおやりになっているけれども、教育委員会にあなた方のほうは指導、助言はできても、直接全国の先生方をピックアップして集めて講習するなんという権限はないんだから。その職員の研修をだれにやらせるかといったら、校長、教頭というものに委嘱してやらせるというか、校長、教頭が教職員の指導に当たるということがたてまえということはお認めになるでしょう。どうです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/73
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074・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 文部省も、それから教育委員会も、それから校長等も、まあ具体的な研修につきましては、それぞれその責任に応じましていろいろ計画を立て、教員がみずから研修する機会を与えるというふうな責務があると思います。具体的には、市町村の教育委員会がそういうふうな責任と申しますか、教員に対する研修の機会を与えるというふうな当面の責任者であると思いますけれども、都道府県の教育委員会あるいは文部省も、やはり教員の研修の義務と申しますか、そういうものを助けるために、いろいろその立場におきまして計画を進めるということはあり得ると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/74
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075・加瀬完
○加瀬完君 目方教育委員会が、学校長や教頭も含めて教職員の指導に当たるだけのそれだけの体制はありませんね、おしなべて。そうすると、教職員の指導というのは、やっぱり校長、教頭に期待せざるを得ないと思うのです、実質的には。また、それが歴史的には校長の役目だった。現在だって校長の大きな役目だ。それなら、総理が「五つの大切・十の反省」というようなことを発表するについても、なぜ、そういった直接教師の指導の衝に当たられる方々の代表でも呼んで、私はこういう考え方を持っているが、あなた方はどうだという、こういう話し合いなり懇談なり現場の先生方の意見を聞くという方法をどうしてとらなくて、「五つの大切・十の反省」などということを独善的に述べるんですか。あなた方は前から現場の先生を尊敬してますと、こう言っている。尊敬しているんなら、教頭法なんか出さなくてもいいから、実質的に校長なり教頭なりをこんなにいまの内閣は尊敬してますよ、ですからわれわれの考えをひとつ出す前に、あなた方の意見も聞きます、こういう御態度をおとりにならないのですか。これは初中局長答えていらっしゃるが、あなたは大臣じゃないから、大臣のひとつ御感想をいただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/75
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076・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 加瀬さんは、学校教育に範囲を限定してお考えになっているようですけれども、私は、総理のあの提言はもっと広い意味の提言だと思うんです。国民の皆さんに呼びかけている意味の提言だろうと思うんです。でございますので、いろいろな提言が出て、そしてみんながそういうものを中心に議論し合う、そして世の中が進んでいくんだと思うのでございまして、あまり議論もしませんと、世の中の前進がないんじゃないだろうかと、こう思うわけでございます。いろんな提言は国民が歓迎するんじゃないだろうか、いわんや総理の提言大いにあってしかるべきだろう。もちろん反対の方は反対の議論あってしかるべきだと思うのでございますけれども、こういうものを中心に、またお互いに反省もし、また推進もしたらどうだろうか、こんな気持ちで受けとめたいものでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/76
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077・加瀬完
○加瀬完君 それは、私、否定はしませんが、そういうお気持ちがあるかもしれません。問題は、一般の国民の道徳水準なり、道徳基準なりが、こういうようなことを考えたらどうだというお出し方ではないわけですね、経緯から考えれば。学校教育の中で、こういった道徳教育の一つの基準というものをつくったらどうだという含みも当然あるわけですね。ないにしても、国民に与えなければならないものを義務教育に与えないということはあり得ないことですから。また、現在一生懸命やっていらっしゃる現場の先生方が道徳教育というものに対してどういう見解を持っているかということも当然これは総理として聞いてしかるべきことではないかと思う。今後そういう方法なり機会なりをおつくりになられることになりましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/77
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078・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 三十三年に小学校、中学校で週一時間の道徳の時間を設けたことは御承知のとおりでございます。この道徳の時間をどう使っていくかということにつきまして、学習指導要領でそれなりに内容を示しているわけでございます。現在、三十二の項目に分けて内容を示しているわけでございまして、大体その三十二の内容のどれかに総理が提案されました「五つの大切.十の反省」は含まれるようでございます。まあ、総理なりにわかりやすく徳目として打ち出されたのだろうと、かように考えているわけでございます。私としては、道徳の時間のあり方、どうさらに充実さしていくかということについては、現在でも研究指定校などをつくりまして御研究をいただいているわけでございまして、これをさらに十分なものにしていくためには、どのような配慮が必要であるか、今後も研究課題として努力をしていきたい、かように考えております。同時に、また、どういうような徳目を特に取り上げるかということは、私は年代によっても違いましょうし、また、地域によっても違うんだろうと思うんです。また、そういうこともございまして、学校学校で校訓をつくったり、校是をつくったり、あるいは努力目標をつくったりしておられるわけでございまして、そういう努力目標なども毎年毎年改められてしかるべきだ、地域の実態、その土地の習慣、そういうところの反省に立って私は考えられたらいいんじゃないだろうか。徳目を取り出すことは何ら悪くない、ただ徳目を学びさえさせればいいんだというような考え方、これは排除しなきゃなりませんけれども、必要な徳目を列挙して、これを媒体としてお互い身につける、努力をし合っていくということは、私は、学校教育においても今日も行なわれているし、今後もまた努力されてしかるべきだとこう考えております。同時にまた、社会教育審議会におきましても、何かプリンシプルみたいなものをこれを機会に研究することも一つの方向じゃないかという気持ちを持っておりまして、次の社会教育審議会の開かれます際には、そんなことも御研究をいただけませんかと話かけてみたい、こう思っておるところでございます。たとえて言いますと、ボーイスカウトはたしか三つの誓い、十二のおきてというようなものがございますし、その他の社会教育団体、それぞれ何らかのそういう徳目的なものを努力目標に打ち出しておるようでございまして、広い意味の社会教育においても、そういうものがまとめられるなら一つの行き方じゃないかなと、こう思ったりいたしまして、社会教育審議会にはかってみよう、こういう気持ちは持っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/78
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079・加瀬完
○加瀬完君 それでは、ここで御確認をいただきたいんですが、田中さんの出した道徳教育の何項目かというものを、そのまま学校にずばりとおろすという考えはない。道徳教育は学校それぞれで、地域それぞれで学校当局が考えてくれればそれでよろしいんだ、こういうふうに確認してよろしいかどうか。
それからもう一つは、文部大臣自身は、この「五つの大切・十の反省」というものに対して付加訂正をする点はありませんか。全部御賛成ですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/79
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080・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 「五つの大切・十の反省」を一律に各学校に押しつけていくという考え方は持っておりません。一つの提言として受けとめていただいて、それぞれの地域、学校の実態に合うように教育的なくふうをこらしていただくということを期待しておるわけであります。「五つの大切・十の反省」、みんなけっこうなことでございますが、先ほども申し上げましたように、徳目を取り出して、そして注意を喚起する、これを媒体としてしつけを身につける努力を払うということ、これは何ら否定すべきものじゃございませんが、そのときどきによって徳目の選び方、これはいろいろなことがあるんじゃないだろうかと、こう思っておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/80
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081・加瀬完
○加瀬完君 それでは、これを義務教育の一年から中学の三年までに、それぞれ配分して必修徳目とするというようなことはないということはよくわかりました。
そこで伺いますが、大体大臣も御賛成のようでありますが、この中に憲法については、どうするのかということが一言も触れておられません。あるいは民主主義については、どうするのかということも一言も触れられてはおりません。いま御承知のように、これを社会教育にまで対象を広げるというなら憲法をどうするのだ、民主主義をどうするのだ、こういう点を全然われわれが守らなければならない道徳の基準としては考えなくてよろしいか、こういう問題が私はあると思うのです。なぜならば、指導要領なりあるいは教育行政の骨格をなすもろもろの法律の中には、憲法というものは、民主主義ということを踏まえて構成されている。特に指導要領は一貫して一このごろだいぶ教科書は薄まってきましたけれども、憲法や民主主義を育てるということで編成されている。この総理のあげた十の中に、どこに憲法が育つことになりましょうか、民主主義が育つことになりましょうか。そういうことが出ておりませんことについて、初中局長、あなた方がいままで考えておった指導要領の内容とは違うわけだが、それをどう御説明なさいますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/81
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082・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 憲法とか民主主義、これはもういまの日本の社会生活を営む上の基本の常識と申しますか、でございますから、基本的な知識として学校教育でも取り上げてこれは別に教えているわけでございます。特に民主主義につきましては、これは教科全体、学校の生活全体、そういうふうな考え方で一貫されるべきものでございます。総理がお触れになっておられないということは、もうそれは自明のことであるというおうな前提のもとにお考えになっておられるので為ろう、そういうふうに考えるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/82
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083・加瀬完
○加瀬完君 当然、自明のことならこれは道徳的にも教えていかなければならないわけではないですか。あなたは、基本的知識だからこれは教えているというけれども、それなら憲法ということについて、教科書が改訂するたびに憲法教育が強化されておりますか、薄められておりますか。民主主義というものを育てるという方針が濃厚に教科書に色を増しておりますか、だんだん薄くぼかされているんじゃありませんか。これは、ここで教科書問答しようと思いませんけれども、私は何回か指摘した、指摘しようとしてみろって言うんだったら幾らでもある。文部省自体が、憲法というものを熱心に、重要な問題として取り上げて教育しようという、教科書編成になっておらないということに、一つ私は疑問を持っている。民主主義も同様です。そして、ことさらに、憲法なり、民主主義というようなものは、取り上げるほどのことがないと言うけれども、取り上げるほどのことがないと言うなら、ここに書かれている十の反省だって、取り上げることはない、あたりまえのことだと思う。
私は、この間列国議会同盟というのに参りました。教育文化委員会というのに出ました。そこでは、平和なり、人権なり、平等なりということにはほとんど意見が終始しておりました。ある国は、日本の経済発展は、日本の平和憲法のためだという引例をした国すらもございます。そういうふうに、世界的に日本の憲法というものが再認識されておりますときに、憲法なり、民主主義なりというものを、全くこの道徳教育の対象にしないということでは、私はちょっと、いままでの指導要領の概念からすれば、批判があってしかるべきだと思う。しかし、あなたが発表したんじゃないんです、総理大臣が発表したんだから。これは文部省にも少し留意してもらわなきゃならない点だと思う。
それからもう一つ、かりに靖国神社法案みたいなのが通るとすると、靖国神社というものに対しては、これは道徳教育でどう教えたらいいということになりますか、私にもよくわかりませんから、あらためて伺っておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/83
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084・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 靖国神社法案の、内容をつまびらかにしているわけではございませんけれども、これはちょっと道徳教育とは別の問題ではなかろうかというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/84
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085・加瀬完
○加瀬完君 宗教教育というのは、禁じられておりますね、日本の教育では。特殊な神社仏閣に対して、特殊な信仰の行事をしたりなんかするということも禁じられておりますね。そうなってくると、国の法律で、よく大臣、国の法律で、靖国神社が尊敬さるべきものだという規定をして、そうなってくると、道徳の時間に、どうこれは扱えばいいことになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/85
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086・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 徳目を並べます場合に、こういう徳目を加えるとか、こういう徳目を加えないとか、いろんな議論はあってしかるべきだと思うんでございまして、人それぞれ、何に一番力を入れるべきだということで、徳目を考えりゃいいと思うんであります。先ほども申し上げましたように、文部省が道徳の時間をつくった、その場合に、道徳の内容として三十二項目並べているわけであります。総理が提唱されているよりも、もっとたくさんな内容のものを事項として取り上げている。それを低学年のもの、高学年のもの、それぞれに従って、身につけさせ方を指摘してまいってきているわけでございます。まあ私なりに、憲法を尊重するような人間にしたいという意味で徳目を並べるんなら、ルールを守りましょうというような表現をするんじゃないかなあと、お話しを伺いながら感じておったところでございまして、また、靖国神社のことをおっしゃるんなら、私は、社会のために尽くさなきゃならないんだと、自分のことばかり考えるんじゃいけませんよ、社会、公共のために、みんな努力しようじゃありませんかというようなことの取り上げ方があるんじゃないかなと、こう考えておったところでございまして、宗教教育につきましては、教育基本法に、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」、こう示されておるわけでございまして、宗教教育全体が否定されているわけのものではございません。同時にまた、靖国神社法におきましては、宗教法人ではないというたてまえで、あの靖国神社法を制定したいという努力が行なわれていることは、御承知いただいていると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/86
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087・加瀬完
○加瀬完君 逆に伺いますが、各家庭でそれぞれの宗教に入信して、宗教教育を子供に与えることを、これ制限させるわけにいきませんね。信教の自由は、憲法で認められているわけですから。そうすると、各家庭では、靖国神社は反対だというそれぞれの宗教もある。それを法律化されたときには、学校ではどういう教え方をするかというような問題も出てくる。そこで、少なくも、憲法というものや、民主主義というものは、いまさら説くまでもなく常識だと言うなら、そういうワクに従った行動というものは、当然、前提とならなければ、家庭生活、学校生活、法律と宗教の観念ということで、いろいろの食い違いが出てくる。そういう点、簡単に私は思いつきを発表されては、よほど今後の、その取り扱いというものの整理をしなければ、現場の先生方は困ると思う。
そこで、この問題でもう一つ伺います。
責任ということは、この総理の、どこにもこれは入っていませんけれども、責任ということは、いまの国民教育の上で、重要な道徳基準にはなりませんか。交通ルールを守るということが、憲法のルールを守るという、解釈はできないでしょう、それと同じように、どこかつけ足すところがあるなら、どこかへつけ足す——つけ足すというか、こじつけるとしても、責任というものをあんまりこう重要視しておらないようですけれども、これ文部省、これについて、どういう御見解ですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/87
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088・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) この十の反省の中に、約束は守ったろうかとか、あるいは交通ルールを守ったろうかと、あるいは人に迷惑をかけなかっただろうかというふうなところが、責任ということと関係があると思いますけれども、全般に非常にわかりやすい、平明な表現でやられておるものでございますから、責任を果たしたろうかというふうな表現でやりますと、また、その中身とか、考え方について、いろんな考え方もあると思います。したがいまして、それをごく平板に、ごく具体的にお示しになったわけでございまして、そういう意味では、こういう考え方、こういう行き方もあるんじゃないかというふうに思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/88
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089・加瀬完
○加瀬完君 そんなに無理にこじつけないで、文部省は文部省としての、きちんとした見解をお出しになってかまわないんです。だから、総理大臣なら何でもできるという前提に立ってやってるんじゃないかと私は聞いた。そうではないと、これは一つの私案だと。そんなら文部省は文部省で、こんなもの出しちゃ困るという——極端に言えば、見解があってもしかるべきだと思う。
そこで、さらに質問を続けますが、道徳教育というものは、その指導方法の最高はどういうことですか。ずっと、いま文部省は道徳教育を鼓吹しているわけですから、道徳教育における最高の指導方法というのは、どういうことだとお考えですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/89
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090・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 現在、道徳教育の指導方法につきましては、私どもは特に示しておりません。これは読みものを使ってもよろしゅうございますし、あるいは視聴覚教材を使ってもよろしゅうございますし、あるいは児童劇みたいな方法でやってもよろしゅうございます。方法につきまして、とやかく申し上げておるというふうなことはございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/90
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091・加瀬完
○加瀬完君 そこが、あなた方が道徳教育ということについての定見がないことですよ。道徳教育というのは、口で説明することではないですよ、典型を示すことです、感得をさせることですよ、先生のようにやろうと、あら、いいことした、あのように私もやろうと、こういう形をとるようにしなけりゃ、道徳教育というのは進まない。どうも長い説明で恐縮ですが、私の郷里に大原幽学という人が百数十年前におりました。「道落チタルヲ拾ワズ」という郷風が生まれました。しかし、どういうことか、幕府は彼を捕えました。獄から帰って来た幽学先生は、郷風がだいぶ乱れていることに自分の責任を感じて自刃をいたしました。彼の道徳の一つの筋は、「捨テガタキハ義ナリ」ということです。責任を尽くせということです。ですから、私どもも、子供のとき先輩から幽学の遺風をそのまま継がせられて、責任というものに対して一番しかられたり、指導もされました。だから、私は、いまでも道徳の一番基準は責任を果たすということだと思っています。責任を果たせない者が道徳教育なんという資格がありませんよ。いないところで悪いですが、総理は、政治責任も私的生活も典型を国民に示すだけのそういう生活をしているとあなた方御認定ですか。こんなもの、てめえでいいかげんなことをしておってへかってに国民にこれやれの、学校の先生それやれのと、こういう資格は、田中さんについてはありませんよ。まあ、あまりそんなことを言わないようにしましようね、個人のあれは。
教頭法にしても、文部行政の反省と責任というものをあんた方考えていますか。いままでこうやってきたけれども、どこにわれわれのやり方がまずいから、文部大臣の言うように現場に混乱が生じたのか。この混乱をたたく前に、われわれのやり方によっては混乱が救われるんじゃないか。それは単に取り締まりを強化するというだけではだめではないか。教師と子供のつながりで、あなたのおっしゃるように、情熱的に教育に命を傾けるということになれば、教頭も、校長もへったくそもない、その学校の教育はひとりでに進む。そういう状態になれないのは何であろうかと、こういう反省というものが先にきて、私は、もろもろの立法措置というのが講ぜられてしかるべきだと思う。なぜならば、やり方によっては、不当なる支配になるおそれが文部省のやり方には当然含まれているわけですから。そういうことを万しないということであれば、反省の上に反省を重ねて的確に教育行政の方針を打ち出さなきゃならない。そういうことで、私は、この教頭法がつくられているとはとても思えない。これは、権力体制の強化以外に何がありますか。教頭も尊敬してませんよ。教員も尊敬してませんよ。校長も現在尊敬されておりませんよ。校長が−あとで申し上げます。どれだけの権限をもって自分の学校経営なり、教育経営なりできますか。がんじがらめでしょう。何の教育目的をこの教頭法は持っておりますか。初中局長でけっこうです。こういう教育目的を持っておりますということを述べていただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/91
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092・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 昨日、それから本日の朝日新聞に、教頭先生のことにつきまして、いろいろ特に記事が出ておりますけれども、まことに舞台裏の非常に繁雑な仕事をしておられまして、私ども、そういうふうな御努力があって初めて、個々の先生方が教育に打ち込んでいかれるというふうなお仕事であろうというふうに考えているわけでございます。まことに舞台裏、女房役で繁雑な仕事でございますけれども、そういう仕事をしていただく方がおられて初めて、学校全体としての力が出てくるということではなかろうかと思います。そういう方々の地位というものを明らかにいたしまして、そしてその権限をはっきりさせるということ、このことが、学校という組織体が、国民、住民に対して教育というサービスを十全に保障するというふうな立場から申しますと、きわめて適切なことではなかろうかというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/92
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093・加瀬完
○加瀬完君 あなたが新聞を出したから私も新聞を出します。
田中道徳論について、五月十九日の「朝日」の社説は「首相の徳育論に欠けたもの」という内容を掲示しております。
要点は、「徳育を説くものは、みずからその実践に不断の努力と勇気を示すものでなければならない。」
第二番目に、「インフレが進行するなかで、強いもの、富めるものが肥大し、一般国民は生活設計の展望を持てないまま、その日ぐらしの刹那主義に走る。ヒタイに汗する勤労より、ぬれ手にアワの投機に目を向ける。社会的不公平の是正に怠慢な政治と行政、公害や自然破壊を顧みない企業活動が、社会連帯感をむしばんでゆく。国民の道徳感覚を崩壊させている要因が、ほかならぬ政治の側にあると」福田大蔵大臣が指摘したと書いてある。
第三には、「現在の学校教育は、人間性、創造性を軽視し、暗記を重視するつめ込み教育になっている。そこを見落としてはなるまい。」こうも言っている。
第四には、「田中首相は、教育勅語を徳育の規範と考えているようだが、重大なことである。そこに示された個々の徳目の是非ではなく、教育勅語が戦前の天皇制を支える教育体系の集大成であった、その基本的性格を見ようとしていない。」こうも言っている。
第五には、「教育基本法は、個人の尊厳と、真理ならびに平和を追求する人間の育成を教育理念として掲げている。徳育の立脚点は、この一点にすえられねばならない。」と、こうも言っている。
これは、田中さんの道徳論だけではなくて、私は現在の教育行政というか、文教行政というか、文部省の行政も立脚点を教育基本法という一点に私は基礎を置かなければならないと思う。しかし、そういう形になっているとは思われない。
そこで確認をいたしますが、教育は、国家統制によって行なうべきものではない、教育行政の方向についても、国民との教育的合意が必要だ、このようにはお考えになっていらっしゃると認めてよろしいか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/93
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094・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 国家統制ということばがよくわからないのですけれども、国民を基礎に置いた国家ということになりますと、教育といえども、国民の意思に基づいて進められていかなければならない、こう思うわけでございます。ただ、その中に、国の教育をただ単純多数決でゴリ押しをしていってもいいのかと、こういう意味になってまいりますと、それはできる限り国民の合意のもとに進められるように努力していかなければならないのじゃないか。特に教育は、そういう性格のものだと思うというふうに私はお答えをしたい、かように思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/94
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095・加瀬完
○加瀬完君 あなたは要らないことを言うよ。多数決で教育しろなんて私が一言でも言ったか。
私も教師の経験があります。校長の見識というのは、校長個人の見識じゃないんですよ。そのことに関してその学校で一番いい意見が校長の見識と、このように教育者はみんな考えていますよ。十対一だの、十二対三だのといって多数決できめられて、それに従うというようなあほうな校長は一人もいないはずですよ、教育者であれば。夜を徹しようが、何日かかろうが、教育的に間違っているということであれば、その間違っている多数を説得するのが校長の任務です。そして相いれられなければやめればいい。責任というのは、そういうものですよ。それで、それだけ職員とけんけんがくがくの議論をして教育というねらいについて意見が一致しないということはあり得ないです。これは、私の体験からそう申し上げているのです。したがいまして、多数決でいいなんて考えたことはない。教育的に一番高い識見によって学校というものは運営されるべきものだ、当然であります。それにしても、あなたは国家統制にひっかかっている。文部省が義務教育を支配する権限はないということは、これは当然でしょう。どうして国家統制ということにひっかかっているのです。
それから、これはあとで言いますけれども、国民イコール国会という議論はおかしいですよ、義務教育については。国民イコール国会ではありませんよ。地方分権で地方にまかせられているのです、義務制の学校は。これはあとで質問をいたします。
ところで、私は、校長以下教員が一体になって教育に当たることが教育だと思っている。命令だけで教師を統括しても教育はできないと思っている。特に学校は教師と子供が一体感で、その先生が非常に信用され、子供たちが先生を慕う、先生も子供を無条件でかわいがる。こういう状態が、私は義務制の教育では特に必要だと思いますが、初中局長、こういう先生を好ましい先生と思いませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/95
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096・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) まことにそのとおりだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/96
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097・加瀬完
○加瀬完君 具体的に伺います。
「ふるさとはけやきの木
えしじゅの木
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お話しきいたり
勉強したり
仕事をしたり
遊んだり」
これは、ある学校の校歌です。「お話しをきいたり、勉強したり、仕事をしたり、遊んだり」——あとで御説明いたしますが、これは、この学校の卒業生が、有名な人ですけれども、その方がつくって母校に贈った校歌です。こういう状態、何十年かたって母校の印象というものをけやきの木やえんじゅの木もあったかもしれぬけれども、「お話をきいたり勉強したり、仕事をしたり、遊んだり」という追憶を何十年も持ち続けている、こういう雰囲気というものは、さっき大臣のおっしゃる、校風なりあるいは伝統なりとして見ても好ましいものとはお認めになりませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/97
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098・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 教育法制といいましょうか、法律秩序の議論と、やはり人格の触れ合いによって教育が進められていくと思うのでございまして、そういう教育環境といいましょうか、二つに分けて議論をしませんと、先ほどのようにおしかりを受けたりするようでございます。
教育環境といたしましては、学校の追憶がいついつまでも残っていくような姿、これはやはりそれだけ人格の触れ合い、心に残る印象、そういうものはやはり大きな教育的な役割りを果たしてきたと、こう思いますので、たいへん好ましいことじゃないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/98
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099・加瀬完
○加瀬完君 私は、教育を論じていますけれども、教育にプラスになるような法律でなければ困るという立場で申し上げておりますから、教育論と法律論とごちゃごちゃになるようでありますが、いかなる法律も、事、教育に関する限りは教育そのものにプラスになることでなければいけないじゃかと、教育にプラスになるような、ひとつ文部省は法案を考えてくださいという希望を込めて申し上げておるのです。
これは、教育学者として有名なお茶の水大の周郷博教授が母校に贈った校歌であります。周郷さんは、この校歌の内容をなしております「お話しをきいたり、勉強したり、遊んだり」という思い出の主人公は、担任の蜂谷先生であると、ある新聞にあとで発表をしております。その概要を申し上げますと、自分がいま学者になって、一体自分に対する影響力の一番強かったのはだれだと思って、世界の著名な学者なり恩師、先輩というものをこう考え続けてきても、結局は小学校のときけの蜂谷原吾先生に落ちつくと、こう言っているわです。すると、周郷先生の母校への思い出は蜂谷先生という人格を通して構成されているということは、これは認めざるを得ないのです。周郷さんだけじゃなく、蜂谷先生がなくなるまで毎年毎年この教え子たちは蜂谷先生を呼んで同窓会をやっておる。こういう先生は、優秀な先生という御認定はなさいませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/99
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100・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 教育的に非常に影響力を持った先生だったと思います。また教育のためには、そういうことが非常に重要だと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/100
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101・加瀬完
○加瀬完君 これは、局長でもけっこうです。文部省は、この周郷少年に一生を刻みつけた蜂谷先生のような先生と子供のつながり、教師と子供の一体感というものが教育上非常に大切なものだという御認定はなさいませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/101
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102・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 最も大切なものだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/102
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103・加瀬完
○加瀬完君 昔の学校は、教師と子供のつながりが十分できるような条件がありましたよ。教師は自分の時間を持っておって、自分の子供と遊んだり、勉強したり、仕事をしたりということができた。いま、それができますか。あなた方の法制は、こういう教師に、子供と教師が自由に計画し、自由に教育を営む、そういう時間なりあるいは条件なりというものを与えておりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/103
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104・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 戦後、日本は経済的にも、社会的にも一応崩壊した中から立ち上がったわけでございますから、その間に、いままでの日本の教育条件をそろえるにつきましては相当関係の方々が苦労してこられたわけであります。しかしながら、社会情勢の変化その他によりまして、なかなか私どもが理想と考えておりますような条件の整備ができてないということも、これは事実でございましょう。しかしながら、今度の国会にも御提出申し上げておりますように、学級編成の改善あるいは先生の充実あるいは事務職員、養護教諭の充実、いろんな面で昔の、ただいま先生が御指摘になりましたような関係というものを、そういうものが達成されますようにつとめてまいりたいというふうに考えているわけでございます。
しかしながら、また、教育に対するいろんな要求というものも最近特にふえてきているというふうな点もございまして、なかなか先生が御自分の時間というものを持ち得ない。子供との接触というもの、そういうふうな機会が少なくなってきているということも、これは事実だろうと思います。いろんな社会的な変化等によりまして、そういうふうな事態が達成されないという面もございますけれども、私どもも、できる範囲におきまして、そういうふうな条件が整えられるようにつとめてまいりたいというふうに考えている次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/104
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105・加瀬完
○加瀬完君 それじゃ、今度出す教頭法は、こういった教師と子供の一体感を醸成するような、育成するようなそういう方法に何か寄与するところがありますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/105
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106・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 先ほども申しましたように、いま学校の仕事というのは非常にふえております。そういうふうな学校のいわゆる雑務と申しますか、そういうものにつきまして、ある程度責任を持ってさばいていただけるような方、これは、ある意味では教頭先生ではないかというのが、昨日、本日の新聞にも出ておりますような教頭先生の仕事の内容の御紹介ではないかと思います。そういうふうな裏役的な方がおられまして、そうして一般の先生方が教育に専念されるというふうな環境をつくること、私は、これは現在の非常に仕事のふえた学校においては適切なことであろうかというふうに思うわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/106
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107・加瀬完
○加瀬完君 教頭さんにしかられますよ。教頭は雑務係だ……。いま雑務が非常に多い理由は昔に比べて学校の行政上部機構がふえ過ぎたことですよ。いろいろな行政機構がふえて、それがみんな学校に事務をおろしていくのです。どうにもならないという状態ですよ。雑務が多いなら、小さい学校にも、事務職員をふやしたらいいでしょう。大きな学校にも事務職員をふやしたらいいのです。高等学校と比べて、高等学校なら事務長のほかに何人かの事務職員がいますよ。小学校なら、学校事務職員、複数の事務職員なんというのはごく少ない。全然ないところもある。あるいは、用務なり給食なんというものをやらなければならない学校というものがたくさんある。用務なり、そういう先生をふやせばいい。いわゆる教師が雑務としてやられているものもやらないで済むような職員をふやせばいい。そういう形にはなっていない。私が言いたいのは、カリキュラムをとっているのです。国がきめる、それによってまた都道府県の教委がきめる、そしてまた地方教委がきめる。学校なり校長なりががんじがらめにからめられているのです。校長の見識を出す余地はほとんどないでしょう。そして、そういう上部行政機関からおろされたものが事務的に正確に整っているかどうかということだけを検分する。そうなりますと、学校法規なり上部の行政命令に違反しないことが校長なり教頭なりの一部の仕事になってしまう。教育をするという仕事がどこかへいっちゃっているのです。そこで、これは私が指摘するだけではないです。読売新聞に、「近ごろの校長は管理職なのか教育者なのか」と、こういう記事が載っておる。「少なくも、校長を教育者で置くためには、小規模学校にして管理業務を減らさなければどうにもならない、校長先生を小役人にすることは教育の危機だ」と、こう言っている。これ実情ですよ。だから私は、教頭も小役人の下請をさせるということでなくて、教育的見識をもって、別の教育的な仕事をさせろということなら、これは一面、考えられる面がないでもないけれども、御説明のとおり雑務ということでは、こういう教育の状態をこのまま認めておっては、教頭法というものが出たって、教育にプラスにはあまりならないという見解を下さざるを得ない。管理強化をしなければ、教育が発展をしないという論理はどこから来るのですか。管理強化をしなければ、校長とか教頭とかいうので管理強化をしなければ、教育は進展しないという論理はどこにあるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/107
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108・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 私どもは、管理強化をするというふうなことは少しも考えておらないわけでございます。雑務ということばが非常によくない表現でございまして、先生方からもおしかりを受けたわけでございますが、事務職員やその他がやれないような仕事で、たとえば父兄に対する子供の教育の相談、その他を含んでおるわけでございます。何も事務のほうばかりではないわけでございます。また、事務につきましては、事務職員をふやすというふうなことをやっているわけでございます。ただ、いまも御紹介ございましたように、校長先生が非常にほかの管理的な業務に手をとられて、そうして教育的な方面に力を注げないというふうなお話がございましたが、そういうふうなことを考えますと、教頭先生を置くことによりまして、校長先生が本来の教育的な職務に少しでも立ち戻れるというふうなメリットもあるんじゃないかということも考えられるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/108
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109・加瀬完
○加瀬完君 父兄は、自分の子供の相談は受け持ちのところに行きますよ。子供を知らない教頭のところや校長のところにはいきませんよ、どっか入学を頼むときであれば別だけれども。
それから、校長の管理事務が非常に多いから教頭を加えて補助するということの前に、校長にそんな管理事務だけさせて、学校の教育が進展するかという基本的な問題を考えなければおかしいんですよ。
問題をもう少し進めますがね。教育において個の樹立ということをどう思いますか。社会科指導の目的は、出発当初どういうことでした。また、新しい教育になって、師範学校が廃止された理由は何ですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/109
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110・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 教育における個の樹立と申しますか、それは教育基本法の第一条にも書いてございますように、人格の完成を目ざす、そういう国民を教育という面から助けるということではなかろうかと思います。戦後の教育が、教育基本法に基づいて運営されているということは、これは御案内のとおりでございます。
師範学校が改組されたということ、廃止されたということは、これは教員というものがやはり一般の大学の中で、一般教養をあわせて学びながら卒業した者、そういう者が教職者としてふさわしいんだ、広い識見を持って、単に教育の技術、あるいは教育関係の学問だけを受けた者ではなくて、そういう広い一般的な常識を持った者が教育者としてふさわしい、そういうふうな意味で、師範学校から一般の大学でもって教員養成をやるというふうなことじゃないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/110
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111・加瀬完
○加瀬完君 これは釈迦に説法ですが、教師が従前のように、従前というのは、戦中、戦前のように、ただ読み書きを教える機械であってはいけないと、もっと個の樹立というものを考えて、子供を人間的に扱い、人間的に成長させなければいけない。そのためには、いままでのような師範タイプではいけなくて、もっと広い常識人にならなければだめだというのが師範教育が廃止され、あるいは師範学校的教師の教師像というものが改められた大きな理由でしょう。ところが、いま、あなた方が指導・助言して、都道府県教委などにやらさせている教育行政は、子供を育てる理想に教師をかり立てているか、ものを教える技巧に教師を奔命に疲れさせているか、どちらだと思いますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/111
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112・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 個々の教員の先生方は、教育基本法の第一条にも定められておりますように、子供の人格的完成ということに非常に熱意をもって当たっておられるというふうに、私どもは考えるわけでございますけれども、先ほど来御指摘のように、時間が足りない、そこで人格的な触れ合いのいとまが少ないということで、どうしても、ものを教えると申しますか、そういうふうな技巧に走らざるを得ないというふうな実態もあるということは、これは別に否定するようなことではないと思います。私どもも、しかし、本来、先ほども申し上げましたような師弟の関係というものに教育というものはあるべきだと、そういう方向に教育行政というものを進めていくべきだという点につきましては、先生と同じような考えを持っておりますということを申し上げたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/112
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113・加瀬完
○加瀬完君 そういうふうには行なわれておらないでしょう。たとえば、教育研究所なり、教育センターというのがある、各県に。初めは教師の意見なり、その地域の大学の意見なり、少なくも、官側の教育委員会だけの意見では運営さるべきものではないと、こういう形で出発をして、あくまでも教育研究というものが主眼である。ところが、ほとんどその運営権というものは、官側が握って、その地域の大学の先生であっても、官側のお覚えのめでたくない者はみんな排撃して、文部省から示達されたような教材内容を研究するような全く自主的な性格のないものに堕しつつあるのが一般的に都道府県の教育機関の現況ですね。子供を育てる理想なんというものにほんとうに燃えれば、指導技術なんかというのはひとりでにその教師が考え出せる問題だけでも、指導技術みたいなことばかりやっておって、子供を育てるほんとうの教師の性格というのをどこでも養おうとしておらない、こういう現況をそうではありませんと、あなたおっしゃいますけれども、どこの報告を聞いてそういう答えが出るか、しかしまあ、議論をしておれば時間がたちますから、一体、教頭法を出すわけだが、校長、教頭の管理職の職員教育の目的はどこに置くんですか。教頭職というのをつくりました、雑務だと言ったけれども、雑務ばかりではないでしょうから、これは先生方に何か教えるでしょうから、どういうような職員を養成したらいいかということで、あなた方、教頭なり校長なりの職務というものを考えていますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/113
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114・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) まあ、教育で一番大事なのは、師弟の間の人格的な交流ということでございますから、先生方の人格というものが、これがかなり教育には大きな影響を及ぼすわけでございますけれども、校長や教頭さんが人格について教育をするということ、このこと自体は非常にむずかしいことではないか、やはり人格の完成というのは、これは個人の努力というのが一番大切なことじゃないか、と思います。そういう意味で、校長先生とか教頭先生が指導される場合には、やはりその御専門の教育の技術あるいはその長い経験に基づく子供の扱い方、そういうものについてのかなり技術的な問題が実際には先になっておる。しかし、日ごろのやはり校長先生、教頭先生と、それから先生方との人格的な触れ合い、心の触れ合い、そういうものを通じて先生方の人格にも影響が及ぼしていけるものだと、そういうふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/114
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115・加瀬完
○加瀬完君 人格的な触れ合いなり、人間的な触れ合いというものを醸成するように教頭の役割りを与えてくれるというのはけっこうです。それなら教頭法なんて反対されているものを出す必要ないでしょう、ほかの方法幾らでもある。
そこで、端的に聞きます。一般職員が校長、教頭の管理職に対して従順な服務者であることを要請しているのか、たまには文句を言ってもいいかち勇気のある教育者であることを望みますか。教頭なり校長なりに従順なる服務者をつくることを希望しますか。そうではなくて、校長や教頭にたてついてもいいから、教育に関しては勇気あるそういう教師を要求しますか、いずれを要求しますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/115
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116・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) いずれかということになりますと、これまた、両方でかなり隔たりがあるわけでございますけれども、まあ、校長先生や教頭先生の善意のある指導・助言につきましては、謙虚に考える、それからまた自分の意のあるところにつきましては、これを率直に校長、教頭に伝えるというふうなことであると思います。先般も東南アジアの文部次官クラスの方が来られまして、日本の学校についてどういう点が感心したと申しますか、印象が深かったかと申し上げましたら、学校の教員室が非常に和気あいあいとしておるというふうなことでございました。まあ、外国がどういうふうになってるかよくわかりませんけれども、これはまあ私どもとしましては、非常にうれしい御意見でございました。教員室が和気あいあいとして両方で忌憚なくものが言えるような雰囲気、そういうものであってほしいというふうに考えるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/116
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117・加瀬完
○加瀬完君 いかに局長さんでも、この教頭法ができればますます和気あいあいとなるという御認定はないでしょう。
文部大臣に伺いますがね、御意見をいただきたいのでありますが、ときにはエラーもするけれども、ときにホームランも打つと、こういう選手と、エラーは一つもしないけれどもいつもベンチにいるんだと、こういう選手と、あなた野球の監督ならどっちをとります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/117
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118・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) ときと場合によるんじゃないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/118
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119・加瀬完
○加瀬完君 ときと場合によって、エラーがあってもホームラン打つようなのをとればいいけれども、いまの学校は、大体ベンチの選手だけ養成しているわけだ。エラーはない、エラーはないけれども積極的な教育しないんだから、ホームランどころかピッチャーゴロも打てない。仕事はしないけれども、違反もしないというような教師ばかりが多くなっては、教育というのは、さっきおっしゃるように、情熱を込めて積極的に相手の人間にぶつかっていく作用ですから、だめなんです。しかし、いまの学校というのは、勇気ある教育者という行動は取りにくくだんだんさせられている。われわれの教師の時代は頭からどなった人もいるけど、われわれの庇護者もいた。いまは管理体系というものが厳格になってしまったので、そのレールからはずれるということを極力管理側もきらう、そういう傾向ですから大多数の教員はやっぱりレールからはずれないことを体して戦々恐々としている。勇気のある行動というものは、セーブされるような体制になってるんです。私は、教頭というものは、エラーがあったら、エラーを再びしないように指導をし、エラーの救済をするのが校長、教頭の任務で、エラーにあまり懸念なくホームラン打とうと積極的にやるようなこういう性格というのが各職場で醸成されなけりゃならないと思う。しかし、文部省のいろいろ出す法律なり規則なりというものは、エラーはしちやだめですよ、しなさんなよ、そういうことばかり言いますから、ベンチの選手ばかりできてくる。こういう点で、もしおわかりにならなかったら実情を十分調査して、ベンチの選手では教育にはなりませんという御認識をいただかなけりゃならないと思いますけれども、初中局長、これは現場を大臣に聞いたってわからないですけれども、そういう傾向が読みとれませんか。それは大臣の言うように一部には勇気のあり過ぎるのもいるかしれない、そんな者は少数だ、それはそれで当然正しい態度で臨めばいいでしょう、しかし、一般の教員ががんじがらめにされて積極的にホームラン打とうという気迫がそがれているんですよ。こういう事実がありますことをお認めになりませんか。お認めにならないなら、都道府県全部見てください、そういう学校の雰囲気になってることを。それこそ、日本の教育の危機です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/119
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120・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) まあ、私も県の指導課長をしておりまして、現場の学校にもたびたび参ったことがございますけれども、その際に、勇気があると申しますか、非常に熱心な先生というような方々、私は、これは非常にありがたい存在だというふうに感じたわけでございます。まあ熱心じゃなくて、その日その日を、その場その場を切り抜けていけばいいんだというふうな方ではなくて、ほんとうに熱心で何とかさらに現状をよくしていこう、子供たちに対して、もう少し手を差し伸べていこうという先生、こういう利害得失を越えた教育に対する熱情というものは、私はたいへんありがたいというふうに感じておったわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/120
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121・加瀬完
○加瀬完君 ですから、そういう方が多くなっていますか、縮んでおりますか。大臣がたびたび言われるように、混乱、混乱と言うけど、そういうほんとうに教育に対して勇気のある教師が、その集団の中にいて混乱を見過ごすはずがありますか。学校というのは共同体ですから、共同体でほんとうに自分の意見というものが入れられる、教育の目的行動がその集団によって行なわれるというなら、勇気のある教師は、かりにですよ、仮定ですけれども、混乱なりマイナス教育をしているものを見過ごすということはないですよ。それが、そういう形に職場が運営されておらないということは、校長、教頭の体制を強化して制圧しょうとしたって、校長、教頭の味方というのは出てきませんよ、教師自身が。エラーはしても点数かせげばおまえは優秀選手だと、大体三割打てば大バッターでしょう、野球だって。あなた方は十割打つことばかり希望していて、とても打てないからみんなベンチへ引っ込んじゃって。そういう体制というものを一掃することを考えなければだめですよ。教頭法なんか、校長がどうなんという問題じゃない。職場のほんとうのあなた方の期待するような教師の自覚というものを待って、教育の期待される発展をさせようと思うなら、私は、もう少しそこらの点も考えていただかなけりゃ解決はできないと思う。初中局長いかがですか。十分調査をして、職場が本気になって教育的良心に燃え上がる、そういうような方法を講じていくと、お約束いただけますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/121
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122・岩間英太郎
○政府委員(岩間英太郎君) 理想としましては、そういうぶうなことでありたいもんだというふうに考えています。しかしながら、最近、教員のサラリーマン化だとかというふうなこ々で、父兄からもいろいろ御意見があるという点は承知をしているわけでございますけれども、まあ、そういうふうな全般の教育環境というものを高めていく、そのために、先般来まあ人材確保法案その他の一連の施策も講じているわけでございまして、私どもは、私どものできる範囲におきまして、そういうふうなよい環境が醸成されますようにつとめてまいりたいというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/122
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123・加瀬完
○加瀬完君 そこで、文部大臣の考え方が問題になると思うんですよ。教育は教育者にしてもらうと、教育行政官は、そのサービスをする役割りだと、こういう観点に立つか、国会というものを通せば教育者自身を縛れる、どういう方法でもできるんだと、これは教育というのは、当然国家がやるべきだと、こういう考えに立つか。これイギリスの制度と比べて、イギリスはよく言われるように、金は出すが口は出さないと、こう言う。日本は金は出さないが口ばっかり出している。口ばっかり出して金がこなければ、仕事は金次第で適当になるし、みずからの責任で積極的にあなた方の期待するような教育活動をするということになりませんよ。校長というものに、イギリスなんか非常な権限与えているんですよ。進学のことについても、校長が認めない者は進学できないと。それは教育委員会たりとも、教育長たりとも、あるいは日本でいえば文部省たりとも、これに対して指導、助言ということはあり得ないという一つの慣習が立っている。それだけ校長というものは権限が与えられているとすれは、——校長が権限与えられるというのは、校長じゃない、教育者自身が権限を与えられているわけです。その中学校なら中学校の全体の職員の意向というものをとって、校長は校長の見識として出しているけれども、個人の見識じゃない、教育者の見識だ。それを社会が認めるということになれば、これは校長自身、教員自身張り切らざるを得ませんよ。そういう体制と比べて、日本のいまの文教行政というものは口を出し過ぎるんじゃないか。もっと口を出さないで、現場の先生に権限を与えると、校長でもいいですよ、校長にもっと大幅な権限与えると、そして思い切ってやってもらうと、エラーが出たら私のほうでカバーしますよと、こういう態度をどうしてとれないのかというのが私は疑問でしようない。大体、文部大臣をはじめ、教育者の体験者というのは少ないでしょう、教育行政の体験はあっても。それがしろうとだよ。しろうとがくろうとにものを言っているから、何を言っているんだいという気持ちになる、くろうとは。もっとしろうとはくろうとを尊重すると。大ワクがちゃんときまっているんだから的はずれな方向に教員がいくはずがない。教師というのは、そういうふうに非常に保守的ですよ。規則とかきまりとかというものは守ろうという、本質的に性格があるんですよ。ただ、全面的に責任を与えられているかいないかということですよ。そこがむしろ戦前は国家統制がきびしいといっても、目は荒かった。だから悪くいえば、かってなことをしてもそれはそれで通った。いまはもう校長の自由なんてありませんよ。こういうやり方がもっと反省されなければ、私は教育はよくならないと思う。意見になって恐縮ですが、校長の権限というものをもっと大きく認めてやると、教育者の権限というものを大きく認めてやると、こういう態度にどうしてなれないのですかね。重箱のすみを突っつくようなことまで、規則だとか、法律だなんてできめるということは、おまえらはうっちゃっておけば悪いことをするんだと、自律性がないんだ、自分で考えて、自分で子供を教育する能力がないと、こういうことと同じことでしょう。こんな現場に対する侮辱がありますか。あなた方と交渉とか何とかするときにはめんどうくさいから黙っていますよ。腹の中では、何もわからないでかってなことをきめていると、そういう感覚を持って帰る人も少なくはないんですよ。道徳教育のさっきの話も、なぜ現場の先生からいろいろ意見を聞いて、そして問題をきめていくと、そういう方法をとらないか。現場の先生というものを外国と比べても、こんなに軽視しておって、管理体制だけをどう強化したって問題の解決になりませんよ。校長だけでもいい。もっと現場の先生というものに対して大きな権限を与えると、こういう点はいかがでしょうか。大臣、それはお認めいただけませんかね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/123
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124・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 現場の先生方の意見を尊重していくこと、これはきわめて大切なことだと思いますし、私も、たびたびそういう見解はここで申し上げてまいってきているつもりでございます。同時にまた、校長さんの責任、あるいは権限、それを重視していくこと、これもきわめて大切なことだと思います。また、学習指導要領、これに基づいて教育課程は学校が定めるんだと。学校が定めるということは、校長さんの権限と責任においてきめていくことだと、かように考えます。学習指導要領は基本的なことしか示されておりません。にもかかわらず、人によりましては、学習指導要領は先生方をがんじがらめに縛っているんだと。事実、私はテレビの討論会みたいのところで教育評論家がそう言うものですから、あなた学習指導要領見たことがありますかと言いましたら、見たことがありませんとお答えになったのでびっくりしたわけでございまして、今後も校長さんの権限あるいは責任、これを重視していく気持ちには変わりはございません。ただ、残念なことに、学校によりましては職員会議は決議機関だと、そして校長さんの権限を排除しようとされている。そういうところに混乱が起こったりしているわけでございます。先生方が教育に情熱を傾けられる、多少私は行き過ぎがあってもいいと思うんです。行き過ぎた結果、児童生徒をときにはぶんなぐられるかもしれない。そういう場合にぶんなぐられても、私は父母は納得すると思うんです。そんなことよりも、組合活動を一生懸命やつちゃって、自習、自習、自習と、あるいはまた児童生徒の授業をほうりっぱなして同盟罷業だと。児童生徒の授業はちゃんとやってから、不満があるなら大いに不満を言われる、隊伍を組んで、プラカードを掲げて、やむにやまれぬ気持ちで出かけられても、私は理解できると思うんです。しかし、授業をほうりっぱなして、ストライキをおやりになる、政治課題を掲げられる、そうなりますと、私はやっぱりそんなに政治がお好きなら教員をやめて政治社会に入ってくださったらいかがでしょうかと言わざるを得ない。私は、先生方が情熱を教育に傾けられる点についてはいまだかつて一言も批判的なことを申し上げたことはございません。教育以外のことに情熱を傾けられることについて私は批判的なことを申し上げておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/124
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125・加瀬完
○加瀬完君 労働問題は、いま内閣で労働問題について検討しているわけですから、ここで議論はいたしません。(「議論したらうまくないから」と呼ぶ者あり)うまくないじゃないですよ。時間を幾らでも私にやらしてくれるのならばもう少しやりたいけれども、一応、理事会で私の質問は一応きょうの午前中で、一時までで終わってくれというから、あとはあとで残るとしても、なるべくはしょっているんだけれども。……
組合運動にしろ、何にしろ、目的がほんとうに子供のことを考えて教育のことを考えるというんなら、私はある程度許してやっていいことも当然あるし、特に組合ということも正しいかどうかしらぬけれども、組合をつくる権利、結ぶ権利というものはだれでも持っておるわけです。それをどうするかということは、法制的にもっと検討をするというんだから、それはそれとして私はここでは省いておきます。
ただ、この間、私はある有名な私立学校の記念式に出ました。そうしたら、その校長が、こう言いました。「私は小・中学校の三割を私学にしたいのが夢であります。そうなれば、日本の教育の方向は変わるであろう。」、こう言いました。そして、さらに説明を加えて、「いまの公立の小・中学校では国家統制が強くて教師の創意くふうを働かせる余地というものは非常に少なくなってきている、これは全く嘆かわしいことだから、これを私は変えていきたい。」と、この方は特殊な政党に入っている者でもありません。政党といえば自民党だ。しかし長い五十年の経験で、もう私立学校でなければほんとうの教育できないじゃないか、こういう訴え方をされたわけです。これは、私は非常に考えてみなきゃならない問題だと思います。公立学校で、教育者が見て、正しい教育ができないと目される面があるとすれば、これはお互いに考えてみなきゃならない問題ではないかと思うのです。といいますのは、さっき大臣は、指導要領読んだかとか読まないとか言っておりますが、これは内藤さん専門だけれども、旧指導要領は、教育は教師の良心によって計画、運営される、指導要領は教師が教育計画をする参考にすぎないという規定があったわけですよ。それで、それは一つの参考だけれども、その参考によってあとは教師の責任で、それぞれの学校の教育計画というものを編めということであった。ところが、だんだん時代がたってまいりますと、指導要領は法律に準ずるものだという見方になってきた。法律だと、こう極言するようになった。一字一句指導要領の中にあるもののとおりにしかできないということになってきている。これが事実の経過ですよ。私は、大臣がおっしゃるように、指導要領は一つの基準でありますから、この基準に従って教育は教師の良心によって計画、運営される面というものがもっとあっていいと思う、核は指導要領できまってるんですから。その円周は教師の計画、教師といって悪かったら校長、学校の計画運営というものにまかせらる面があっていいけれども、指導要領はおっしゃるようになってない。なっておらないですよ、指導要領のとおりにやらなきゃならないというのがいまの状態です。
そこで、法制局だいぶ長くお待たせしましたので、法制局に伺いますが、公立学校の設置、管理はこれは地方公共団体の処理すべき地方事務という見方をしてよろしゅうございますね。——小・中学校のこの義務制の学校の仕事というものは、地方分権によってこれは教育委員会に与えられてるものでしょう。教育の地方分権ということは、お認めになるんでしょう、もっとわかりやすく言えば。——時間がないからね、それじゃ文部大臣に、あとで法制局長官答えていただきます。教育権は国民に、という場合の国民はイコール国会とあなたは解釈してるようですけど、それは間違いじゃありませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/125
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126・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 教育権は国民にあると考えるかとおっしゃいますから、そのとおりでございます。そのとおりでございますので、その国民の教育権が十分に活用されますように、政治の面において教育関係の条件を整備する、施設を整える、そういう責任を負ってるんです。こう申し上げてまいってきてるわけであります。政治の面においてそういうことを整えていかなきゃならない、それは国会にゆだねられているんです。国民の期待を負って代表者が国会に送られておる、その代表者が国会においてきめた法律、これは基づいて進められていくんです。そんなことをお答えしたことがございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/126
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127・加瀬完
○加瀬完君 その国会できめられた法律によって運営されるということはいいですよ。しかし、地方分権というものを認めたわけでしょう、教育の、小・中学校の義務制についても。そうすると、文部省あるいは政府と教育委員会といずれに行政主体があるかということになれば、これは教育委員会に行政主体があるわけでしょう。だから指揮命令ということは一切省いて、指導監督ということを言ってるわけでしょう。行政主体の本体というものは、これは地方教委にあるわけでしょう。これはお認めになるでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/127
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128・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 教育の地方分権というものは、これもやはり憲法及び法律に基づいて、どのものは地方分権するかということがきめられてくると考えます。教育のすべてが地方まかせという意味の分権じゃございません。ものによりまして地方に分権してる、ものによりましては中央政府が責任を負っていくということになっていると、かように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/128
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129・加瀬完
○加瀬完君 あんたは法律家の専門家にもかかわらず、私にはうなずけませんよ。公立学校の設置、管理はだれの事務かと、これに対してはいままで専門家も地方公共団体に処理すべき地方事務だと、こう言ってる。したがって、それは、あなたのおっしゃるように法律できめていけないということじゃないけれども、直接のいわゆる管理その他の行政事務というものは、地方公共団体が持ってるわけです。そうすると、小・中学校の場合における教育権は国民にあるという国民は、自治体住民をさしてるわけですよ。そうでしょう。前の教育委員会法のときには、自治体住民に教育権があるから、自治体住民に選挙された教育委員が教育事務を管掌をしたわけですよ。ですから、国民とは国会だと、地方教育委員会の所管にある義務制の学校の教育行政事務も、それらの意思にはかかわりなく、国会が何でもやればいいと、それが国民ということということには、この場合は読んではならないものだと思いますが、いかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/129
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130・奥野誠亮
○国務大臣(奥野誠亮君) 教育の地方分権といいますと、たいへん荒っぽいことばのように思います。教育の中で学校の設置管理、これは地方分権のたてまえをとっているわけでございまして、小・中学は市町村が設置主体でございます。しかし、教育のすべてを分権しているかというと、そうじゃありませんと、こう申し上げたわけであります。たとえて申し上げますと、教育内容につきましては、学校教育法の中で小学校の教育はこうでなけりゃならない、中学校の教育はこうでなけりゃならない、そして教育課程は監督庁が定める。その規定に基づきまして、教育課程審議会が設けられておりますし、その審議を経て、文部大臣が学習指導要領をきめている。この学習指導要領に基づいて、学校がその学校ごとのカリキュラムを組んでいくんだと、こう定めているわけでございます。そういう意味合いで、多少ものによっては地方分権の制度をとっているし、ものによっては中央政府の責任にゆだねられていると、こういう意味で申し上げたわけでございます。同時に国民の教育権の問題は、憲法の二十六条の規定で御議論があったように思うのでございます。二十六条の第一項に「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」、この規定で御議論があっているように思うわけでございます。これはもうそのとおり、国民が教育を受ける権利を持っているんだということでございまして、それからすぐにいまのお話が出てこないんじゃないだろうか、むしろ小・中学校の設置管理は、市町村の仕事になっているわけでございます。市町村の仕事になっているわけでございますから、それらの問題につきましては、市町村住民の考え方、地方自治でございますので、住民の考え方に基づいて設置管理が行なわれなけりゃならない。住民の考え方は、結局住民が代表者を議会に送るわけでございますので、それらのことは、市町村議会が定めていくということになるんじゃなかろうか、かように存じております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/130
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131・加瀬完
○加瀬完君 この教育委員会法が論じられましたときに、教育の地方分権ということが前提にされたことは御承知のとおり。その後、地方教育委員会が、さらにその改正法によって人事権を県に移す段階になって、内申で問題があったように、ああいう議論が起こった。しかし、内申権というものがあるということは、人事権そのものも本体は地方教育委員会にあると、しかし、委任事務のような委譲事務で、都道府県教委に移したということが前提だから、そういう議論が成り立つわけですよ。だから私が、いまおっしゃるように、大臣は、地方のいろいろ意見を聞かなきゃならないということはお認めになったが、それはそれでいいです。ですから、地方分権というたてまえを踏まえて、それが育成されるような形で、国の法律なりあるいは行政なりというものは進められなければならないじゃないか、そういうことを申し上げておるわけです。それから、教育の行政主体は国だと、何でも国がみんなやっていいと、こういうたてまえはとるべきではないという点を申し上げたわけです。
それで、もう一つ、そこで法制局に伺います。こういう見解が前に出されたことがある。法律に別段の定めのない場合でも、監督能力を文部省は持ち得るのか。それに対しては、法律に別段の定めのない場合は、積極的に何でもやっていいという権能は文部省にはないと、こういう見解が示されておる。そこで、さらに、文部省の権限について、教育委員会が国家基準によらない場合、違法であるとしても、この場合、違法であっても、従うことを文部省が強制することができる。これに対して、違法であるということと、違法の場合、いかなる措置をとり得るかということは、法律上別個の事項である、こういう見解も出されておった。これらの点、お認めになるかどうか。そうしてさらに、学校教育法の、文部大臣が教育課程の国家基準を定め得るという規定をもって、直ちに行政及び運営上の監督権を行なう特例を認めたと解釈するわけにはいかないと、こういう見解が当時出されたわけでございますが、これはお認めになりますか。——そこですぐ御返事ができなけりゃ、この次のときに、それ研究しておいて答えてもらってもけっこうです。約束の時間ですから、これで終わります。この次答えてくだすってけっこうです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/131
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132・世耕政隆
○委員長(世耕政隆君) お答えいただけませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/132
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133・吉國一郎
○政府委員(吉國一郎君) いまの第一の問題でございますが、文部省設置法の第五条で文部省の権限を規定いたしております。で、第一項で、「文部省は、この法律に規定する所掌事務を遂行するため、次に掲げる権限を有する。」として、第一号から第三十二号まで掲げてございます。そこにただし書きを置いて、「ただし、その権限の行使は、法律に従ってなされなければならない。」、こういう形をとりますことは、各省設置法全部共通の姿でございます。ところが、文部省では第五条に第二項の規定が特にございまして、「文部省は、その権限の行使に当って、法律」カッコがございますが、「法律に別段の定がある場合を除いては、行政上及び運営上の監督を行わないものとする。」、こういうことがございまして……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/133
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134・加瀬完
○加瀬完君 それはできないってことでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/134
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135・吉國一郎
○政府委員(吉國一郎君) 文部省は行政上及び運営上の監督を行なうためには、法律上別段の定めがなければならないということを明らかに規定をいたしております。
それから第二の、ある機関なり人なり法人なりが法律に違反しているということと、そのための法律の違反状態を是正しあるいは矯正するための手段をとるということは別であるかというような趣旨の御質問でございました。これは、もちろんある一定の法律上の義務を負っている者がその法律上の義務を履行しない、その義務については、作為の義務もあれば、不作為の義務がある。その義務違反によって法律の違反状態を生じているということと、その違反状態を是正するために一定の手段をとると、行政の問題でございまするならば、それに対して法律上の根拠をもって指導監督ということが行なわれて、それによって正しい状態に戻される、また、司法上の問題であれば、損害賠償であるとか、あるいは原状回復の請求であるとかというようなことで違法状態が完全に是正されるまでいかないまでも、違法によって生じた事態が矯正されるということになります。また、刑事上の問題であれば、違法の状態に対して一定の処罰行為というものによって、この違法を正す方策が講じられております。したがって、違法であるということ、こういう状態と違法を正すための手段ということはおのずから別なことでございます。文部省も、たとえば教育委員会が一定の行為をしなければならないと、法律上の職務権限を執行しなければならないという場合に、その執行のし方が違ったという場合に、それは違法であるということは、まあ客観的な事実であるといたしまして、それに対して、当然文部省は一定の措置をとれるということはなくて、法律上の手段として掲げられたものしかとり得ない、これはもう当然のことでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/135
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136・加瀬完
○加瀬完君 このように、文部省の権限に相当の制限を加えているということを、義務制の公立学校の教育行政の主体が地方にあるという前提で、文部省の力にこういうチェックをしておるということに私は解すべきだと思います。
そこで、私は聖職論等についてもやろうと思ったんですが、約束の時間がきましたので、ひとつこの点だけ、大学教師と小・中学校の教師を比べると、研究時間というものがどうなっているのか、授業時数というのがどうなっている、雑務についての勤務状態がどうなんだ、こういう点をあとでいいですから資料としてお出しいただきたい。同じ教師と言いながら、専門職の違いでしょう。おとなを教えるか子供を教えるか。にもかかわらず、大学、高校、小中というふうに相変わらず三段階の見方がされている。研究時間が大学にはたくさんなければならないけれども、小・中学校には研究時間が要らないということはあり得ない。授業時数だって同じ、雑務についても勤務状態だって、これは大学は雑務を一切させないが、小・中学校は教頭まで雑務をやる係りだというようなものの考え方では困る。そこで、その実態調査をいずれかの機会に出していただきたい。それでまた、申し上げたいこともあります。
それから私は、委員長にお願いして、各都道府県の教頭試験の問題を出してもらいたいと言いましたら二通出ました、東京と福岡と。どういう教頭の選考状態が行なわれているかということは、教頭法というものが提案された限りは、文部省も把握しておらなきゃならない問題だと私は思って質問した。これは部外秘ですからということでした。したがって、これは質問するわけにいきません。二通ではどうにもなりません。いずれかの機会に、委員長においてこの質問の時間をとっていただきたい。きょうは、一応これで終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/136
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137・世耕政隆
○委員長(世耕政隆君) 本案に対する質疑はこの程度にとどめ、午後二時三十分再開することとし、暫時休憩いたします。
午後一時十三分休憩
〔休憩後開会に至らなかった〕
—————・—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107215077X01519740521/137
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