1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和五十九年六月十九日(火曜日)
午前十時一分開議
出席委員
委員長 片岡 清一君
理事 池田 行彦君 理事 戸塚 進也君
理事 深谷 隆司君 理事 宮下 創平君
理事 小川 仁一君 理事 松浦 利尚君
理事 市川 雄一君 理事 和田 一仁君
石原健太郎君 内海 英男君
大島 理森君 奥田 幹生君
鍵田忠三郎君 菊池福治郎君
塩川正十郎君 月原 茂皓君
二階 俊博君 林 大幹君
山本 幸雄君 上原 康助君
角屋堅次郎君 元信 堯君
渡部 行雄君 鈴切 康雄君
山田 英介君 田中 慶秋君
柴田 睦夫君 三浦 久君
出席国務大臣
内閣総理大臣 中曽根康弘君
文 部 大 臣 森 喜朗君
国 務 大 臣
(総理府総務長
官) 中西 一郎君
出席政府委員
内閣法制局第二
部長 関 守君
北方対策本部審
議官 橋本 豊君
兼内閣総理大臣
官房総務審議官
警察庁警備局長 山田 英雄君
文部政務次官 中村 靖君
文部大臣官房長 西崎 清久君
文部大臣官房審
議官 齊藤 尚夫君
兼内閣審議官
文部省初等中等
教育局長 高石 邦男君
文部省大学局長 宮地 貫一君
文部省管理局長 阿部 充夫君
委員外の出席者
内閣委員会調査
室長 緒方 良光君
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五月十六日
元日赤救護看護婦に対する慰労給付金に関する
請願(和田一仁君紹介)(第五八二八号)
同 (市川雄一君紹介)(第五九五一号)
同 (上草義輝君紹介)(第五九五二号)
同 (内海英男君紹介)(第五九五三号)
同 (柴田睦夫君紹介)(第五九五四号)
同 (鈴切康雄君紹介)(第五九五五号)
同 (田中慶秋君紹介)(第五九五六号)
同 (吹田愰君紹介)(第五九五七号)
傷病恩給等の改善に関する請願(左藤恵君紹介
)(第五八二九号)
同(中西啓介君紹介)(第五九六〇号)
旧軍人恩給改定等に関する請願(三浦久君紹介
)(第五九五〇号)
元従軍看護婦の処遇に関する請願(鈴切康雄君
紹介)(第五九五八号)
同(三浦久君紹介)(第五九五九号)
旧治安維持法等による犠牲者の賠償に関する請
願(嶋崎譲君紹介)(第五九六一号)
同(簑輪幸代君紹介)(第五九六二号)
同月十七日
旧軍人恩給改定等に関する請願(小川仁一君紹
介)(第六二五四号)
同(角屋堅次郎君紹介)(第六二五五号)
同(塩川正十郎君紹介)(第六二五六号)
同(松浦利尚君紹介)(第六二五七号)
同(三浦久君紹介)(第六二五八号)
同(元信堯君紹介)(第六二五九号)
旧満州国軍に服務した軍人等の処遇に関する請
願(片岡清一君紹介)(第六二六〇号)
同(林大幹君紹介)(第六二六一号)
元日赤救護看護婦に対する慰労給付金に関する
請願外一件(片岡清一君紹介)(第六二六二号
)
同外二件(塩川正十郎君紹介)(第六二六三号
)
同(宮下創平君紹介)(第六二六四号)
元従軍看護婦の処遇に関する請願外一件(上原
康助君紹介)(第六二六五号)
同外一件(菅直人君紹介)(第六二六六号)
傷病恩給等の改善に関する請願(左藤恵君紹介
)(第六二六七号)
同外一件(櫻内義雄君紹介)(第六二六八号)
同(玉置和郎君紹介)(第六二六九号)
同(中山正暉君紹介)(第六二七〇号)
同(葉梨信行君紹介)(第六五一二号)
元逓信官吏勧奨退職者の恩給適用に関する請願
(永末英一君紹介)(第六二七一号)
同(三浦久君紹介)(第六二七二号)
旧治安維持法等による犠牲者の賠償に関する請
願(中林佳子君紹介)(第六二七三号)
六月十五日
元従軍看護婦の処遇に関する請願(関晴正君紹
介)(第六五一六号)
同(岩垂寿喜男君紹介)(第六五六三号)
北海道外に居住するアイヌの対策等に関する請
願(岡田正勝君紹介)(第六五一七号)
旧軍人恩給改定等に関する請願(大島理森君紹
介)(第六五五九号)
同(奥田幹生君紹介)(第六五六〇号)
同(山本幸雄君紹介)(第六五六一号)
元日赤救護看護婦に対する慰労給付金に関する
請願外一件(大島理森君紹介)(第六五六二号
)
傷病恩給等の改善に関する請願(石橋一弥君紹
介)(第六五六四号)
同外一件(斉藤滋与史君紹介)(第六五六五号
)
同外一件(塚原俊平君紹介)(第六六三二号)
同月十九日
重度重複戦傷病者に対する恩給の不均衡是正に
関する請願(上草義輝君紹介)(第六六八〇号
)
同(山本幸雄君紹介)(第六六八一号)
同(柴田睦夫君紹介)(第六八一一号)
同(戸塚進也君紹介)(第六八一二号)
同(三浦久君紹介)(第六八一三号)
同(宮下創平君紹介)(第六八一四号)
臨時教育審議会設置法制定反対に関する請願
(梅田勝君紹介)(第六六八二号)
同外二件(小川仁一君紹介)(第六六八三号)
同(岡崎万寿秀君紹介)(第六六八四号)
同(工藤晃君紹介)(第六六八五号)
同(佐藤祐弘君紹介)(第六六八六号)
同(柴田睦夫君紹介)(第六六八七号)
同(瀬長亀次郎君紹介)(第六六八八号)
同(田中美智子君紹介)(第六六八九号)
同(津川武一君紹介)(第六六九〇号)
同(中川利三郎君紹介)(第六六九一号)
同(中島武敏君紹介)(第六六九二号)
同(林百郎君紹介)(第六六九三号)
同(東中光雄君紹介)(第六六九四号)
同(不破哲三君紹介)(第六六九五号)
同(藤木洋子君紹介)(第六六九六号)
同(藤田スミ君紹介)(第六六九七号)
同(正森成二君紹介)(第六六九八号)
同外九件(松浦利尚君紹介)(第六六九九号)
同(松本善明君紹介)(第六七〇〇号)
同(三浦久君紹介)(第六七〇一号)
同(簑輪幸代君紹介)(第六七〇二号)
同外十件(元信堯君紹介)(第六七〇三号)
同(山原健二郎君紹介)(第六七〇四号)
同外一件(小川仁一君紹介)(第六八四六号)
同外十六件(嶋崎譲君紹介)(第六八四七号)
同(山原健二郎君紹介)(第六八四八号)
臨時教育審議会設置法制定反対等に関する請願
(佐藤祐弘君紹介)(第六七〇五号)
人事院勧告未実施分の回復等に関する請願(梅
田勝君紹介)(第六七〇六号)
北海道外に居住するアイヌの対策等に関する請
願(上野建一君紹介)(第六七〇七号)
同(柴田睦夫君紹介)(第六七〇八号)
は本委員会に付託された。
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本日の会議に付した案件
委員派遣承認申請に関する件
参考人出頭要求に関する件
臨時教育審議会設置法案(内閣提出第四七号)
――――◇―――――発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/0
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001・片岡清一
○片岡委員長 これより会議を開きます。
内閣提出、臨時教育審議会設置法案を議題といたします。
これより内閣総理大臣に対する質疑を行います。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。角屋堅次郎君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/1
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002・角屋堅次郎
○角屋委員 中曽根総理、ロンドン・サミット、大変御苦労さまでございました。サミットからお帰りになりましたちょうどその時期に、無謀な国会の会期延長問題について与野党の話し合いがついて、国会が再開をされたわけでございます。
総理が、行政改革、財政改革、それに引き続く第三の改革として教育改革、これを本年度当初の総理大臣の施政方針でもその考え方を明らかにされて、具体的には、その第三の教育改革をやるという入れ物として、従来の中教審にかわって新しく、本日から本格的に当内閣委員会で議論を始めようとする臨時教育審議会設置法案を提案されておるわけであります。
私は本日、私と同じように戦前教育を受けられた中曽根総理、そして直接文部省の責任の大臣であられる森さんは戦後教育を受けられたわけでありますが、この新旧そろえていろいろ教育の問題をどう考えるかということがやはり今日与野党を通じて、教育の荒廃ということが言われておる、そして現実に学校を見ても、校内暴力があったり突っ張りがあったり登校拒否があったり、あるいは家庭内暴力の問題があったり非行少年の激増の問題があったり、そこにはいろいろ根本的に考えてみて教育荒廃の要因は何かということになりますれば、これはいろいろな複合要因があろうけれども、しかし、いずれにしても国民からもあるいは教壇にある先生方からもあるいは教育を受ける立場にある児童生徒、青年からも教育の問題が問われておる、政治家がこれらの問題について把握する角度、どういうふうにすべきかという点について、時には意見の相違があっても政治的にもこれにこたえていかなければならぬという命題を与えられておると私は思うのであります。
そこで、教育の問題に入る前に、若干関連した二、三の問題から私は入らせていただきたいと思います。
一つは、中曽根さんが行政管理庁長官当時、第二臨時行政調査会設置法案というのを中曽根さんの発想によって考えられ、そしてそれが国会に提案されたときに、私は中曽根さんと第二臨調の法案問題で議論をいたしました。総理はそれを覚えておられると思います。今度の臨時教育審議会設置法案は、第二臨調の方式というのを教育改革でとろう、こういうつもりで、当初、昨年の十二月の段階あるいは一月の初期の段階では教育制度の問題については第十四期の中教審でやろうということを中曽根総理自身もおっしゃっておったし、森文部大臣自身もおっしゃっておった、これを、一月の中下旬から急遽いわゆる教育臨調方式に切りかえられた。つまり、第二臨調方式をとられた。最近総理は教育臨調あるいは教育大臨調と言われるのを非常に嫌われる。しかし、総理自身も教育臨調という言葉は行管当時から対外的には使っておられたと私は思う。
それは別として、いわゆる第二臨調というものを中曽根さんの考え方で構想された、これが既に任務を終わって、そして行革審に切りかわっておる。この行革審がこれからいかなる役割を果たすかという点については、大体臨調答申というものの範囲内でそれを踏まえて、いわば実施の監視をやる、アフターケアをやるというのが臨調を受けた行革審の任務だと私は思っている。ところが、この行革審が来年度予算についていろいろこれから要求を出そうとする。事もあろうに、地方行財政の問題について最近小委員会を設け、そのたたき台の骨子をまとめ、近くこれを出されようとする。
第二臨調当時は、中期展望に立ちながら日本の行財政をどうするかという立場で、我々の方からも御要請に基づいて九人のメンバーの中に委員が出る、あるいは専門委員会にも委員が出る、いろいろな数の大小ありましても、そういう中で議論されて、中間答申あるいは第一次答申、それらを通じて最終的な最終答申という結果が出た。我々は、土光行革路線というものには、いい点はこれを受け入れるけれども、基本的な問題では厳しい批判の点も持っております。しかし、これは既に第二臨調としての役目を果たした。この答申のいわば範囲内において、これをどう実施していくかという段階における最近の行革審のいわゆる運営のあり方、これは当然政府もタッチしておられるわけでありますけれども、殊にこの行革審に後藤田行政管理庁長官の方からは、危機管理の問題について検討をしてくれないかと言ったということも伝えられておる。
第二臨調の答申を受けて行革審がその実行を監視する、推進する、あるいは答申に基づくアフターケアというような形のものをいろいろ検討していくということはあり得ても、第二臨調当時と同じ気持ち、同じ考え方でいろいろなものを手がけていくというのは行革審の範囲を超えておる、こういうふうに私は率直に受けとめておるわけでありますが、教育臨調で新たな方式をとられようとする中曽根総理として、しかも第二臨調の発案者であった中曽根総理として、今言った問題についてまず総理の見解からお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/2
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003・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 臨行審は、法律に基づきまして、臨時行政調査会の答申の範囲内におきましてそれを実行する、それを促進していく、そういうために設置されており、今地方問題についていろいろ御検討願っておる点もございますが、それは臨調答申の範囲内における作業をしていると考えております。臨調答申におきましても、中央と地方の関係という点がやはり答申の内容に含まれておりまして、委任事務の問題であるとか補助金の整理の問題であるとかあるいは地方の行革の問題であるとか、そういう問題が触れられておりまして、その点について作業をしておると考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/3
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004・角屋堅次郎
○角屋委員 今中曽根総理の方から、いわゆる第二臨調を受けた行革審の今日の運営のあり方について御答弁がございました。冒頭に申し上げましたように、私は、この第二臨調問題では同僚議員とともに行管長官当時の総理といろいろ議論をやりました。当時、御承知の昭和五十五年九月の時点でありますけれども、中曽根行政管理庁長官の考え方として、「今後の行政改革に関する基本的な考え方」というものを我々に説明されました。この考え方の資料は私も持っております。
そのときに、第二臨調を考えていくとしてその場合に、中央省庁の問題あるいは特殊法人その他中央にかかわる諸問題は第二臨調が基本的に検討していくにしても、憲法上地方自治の条項がある、さらにそれに基づいて地方自治法等の法律が現に存在をしておる。それと同時に、第二臨調をつくるにしても、地方の行財政問題については同じ格の地方制度調査会あるいは地方財政審議会等が現に存在して運営されておる。そこで地方公共団体の問題については、「今後の行政改革の検討課題」の中でも第七項目に「地方公共団体における定員の抑制」という項目が示されておる程度であって、しかも新たな臨時行政調査会の設置をやった場合のいろいろな点は中央の点におおむねウエートがあって、そして最後のところで「国として、国と地方の事務配分、補助金等のあり方等諸制度全般の見直しを進めるとともに、地方公共団体においても、地方公務員の定員の抑制に努めるよう、強く要請する。」という立場である。
私はこれに多くの時間をとるつもりはございませんけれども、この問題については、臨時行政調査会が存在した当時、臨時行政調査会と地方制度調査会との関係の問題について、昭和五十六年三月二日、衆議院予算委員会において政府の基本的な考え方というものが答弁上示されておる。そのときには、第二項目のところで「具体的な調査審議の対象については、臨時行政調査会の委員として地方制度調査会会長が参加されていることに鑑み、臨時行政調査会において適切な選択が行われることを期待するものであること。」こうなっております。当時、林敬三さんが地方制度調査会長、日赤社長として臨調に出席されておる。こういう点で、どの問題がどの程度に入るかは、林さんが地方制度調査会長として参加されておるので、そこでいろいろ相談をしながらやってもらいたいということであった。これは野坂浩賢さんが予算分科会等で取り上げられ、そして統一見解として、こういう運営をやります、憲法上明示されておる地方自治あるいは地方制度調査会というものについては、地方自治の本旨にのっとって、第二臨調の運営の問題は林さんが出席しておるのでそことの調整をとりながらやるという、十分な配慮を第二臨調当時でもやったのである。
ところが行革審になったら、柴田護君というのが、自治総合センター会長の立場にあると思いますが、これは行革審の関連におるということであるけれども、地方制度調査会とは何も関係がない役職です。そういう中で今の行革審が、地方自治体の議員の問題から給与、機構、市民病院、いろいろなものに至るまで、まるで国の行政機構にメスを入れるごとく、我々はあそこまで入る権限を与えた覚えがないし、あそこまで入ってやるというのは今言ったような点からも越権行為である。そして同時に、第二臨調をつくるとき、あるいは統一見解を通じて示されておる点から見て、第二臨調を発足させる推進役であった当時の行管長官中曽根総理と我々の議論を通じても、この点は明確でなければならない。それを危機管理等も含めて行革審でやらせようという、これはまさに権限を越えている問題であるし、国会の審議権との関係においても重大な問題が存在する、当時この問題を担当した責任の立場においてもこういうふうに感じておるわけであります。再度明確な答弁をお願いしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/4
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005・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 当時、政府の統一見解を出しまして、国との関係において地方の制度、行革というものを考える、そういうような趣旨のことであったと思います。「地方自治の本旨に基いてこと憲法にありますから、地方自治は地方自治として固有に尊重さるべきものでありますけれども、国との関係において地方におきましても、委任事務であるとか補助金であるとかあるいは交付税であるとか、いろいろ関係があるものでございますから、その関係において地方の問題も考える、そういう趣旨であったと思うのであります。そういう意味におきまして、補助金の関係等から見てあるいは交付税との関係等から見て、今のような諸般の問題が検討されることは私は法律の範囲内であり、かつそれは許されていることである、そのように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/5
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006・角屋堅次郎
○角屋委員 きょうは総理出席のもとで集中的にやるということで、後藤田行政管理庁長官も総理の時間との関係上お呼びしなかったわけでありまして、私は、今取り上げた問題は行革審の今後の運営の問題としても十分御検討を願いたい、この運営いかんによってはこれからの行革審のあり方として問題を提起しなければならぬと思う。これは何も社会党、私ばかりでなしに、第二臨調後におきます行革審の今日の活動、予算の問題にしろあるいは地方治自体の問題にしろ、ことに危機管理の問題にまで行革審に検討してもらおうということ自体にも重大な問題がある。
これは自民党の中でも、政権政党として来年度予算については考えていかなければならぬ、そういうことから、積極財政論等も含めて与党の重要幹部にも現実に意見が出てきておる。我々社会党の場合は、来年度予算については、従来土光臨調路線が求めてきたゼロシーリング、厳しいマイナスシーリングの中で、防衛費は聖域とされながら教育や福祉が大きく犠牲にされる、あるいは貴重な食糧の問題である農業が大きく後退をしている、こういったもろもろの問題の中で、この際、マイナスシーリングをとる、一律にそういう考え方をとることをやめて、積極的に景気の対策、あるいは教育、福祉予算の充実、さらには最近韓国米の輸入等でいろいろ議論を呼んでおる食糧自給の向上といったような問題を含めて積極的な予算編成をすべきであるということを、我が党みずからも石橋委員長を通じて対外的にも明らかにしておるわけであります。これは政党政治の時代における自民党の最近の重要幹部の動き、あるいは我が党を初め公明党その他も含めて来年度予算に対する基本的な考え方が次々出されてきておる。何も土光臨調、あれを受けた行革審はかつての枢密院的存在ではない、我々はそういう受けとめ方をし、国民的立場で来年度予算をどうするか、国民的立場で教育、福祉等の問題をどうするか、農業再建の問題をどうするか、これはそれぞれの政党、あるいは政府自身、与党自身がそういう立場で考える権限と行動を持っておる、こう思うのであります。
そこで、来年度予算編成の問題については、中曽根総理は土光さんに第二臨調の会長をお願いして、私は、土光会長自身は八十歳を超えられて老齢の身でありながら、財界のかつてのチャンピオン的な位置という性格を清算できないにしても、とにかく第二臨調の審議や答申の過程においては一生懸命にやられたと思う。しかし、答申の中身というものはそれぞれ政党の判断によって受けとめ方が違って当然である。とにかく、今言ったような行革審の来年度予算に対する動き、それと絡んで、内閣自身が来年度予算について機械的に行革審から出される意見というものに基づいてやろうとするのか、今日の内外情勢の中で来年度予算について与党内の御意向あるいは野党の御意向あるいは国民団体のいろいろな意見に対する総合判断というものから予算編成をやられようというのか、こういう点について総理としての御見解を聞いておきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/6
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007・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 来年度予算につきましては、政府は臨調答申を最大限に尊重すると今まで言ってきております。したがって、その基本線に沿って編成すべきものであると考えております。すなわち「増税なき財政再建」、この理念を守る、それから六十五年に赤字公債脱却という目標を達成すべく努力を続ける、そして臨調答申の線に沿って予算編成を行う、この基本線を逸脱してはならぬと思っております。
そこで、行管長官から臨行審に今いろいろ意見を求めております。臨行審の意見をよく検討いたしまして、政府・与党一体になって検討すべきものである、そう考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/7
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008・角屋堅次郎
○角屋委員 きょう中心議題になるこのいわゆる臨時教育審議会の設置法案に関連をして、せっかく文部大臣も御出席でございますが、総理に集中的に御質問申し上げるというふうに文部省の方にも伝えたと思いますけれども、何といっても来年度の予算を文教予算として考える場合、今総理からは、従来からも、いわゆる第二臨調発足以来、総理自身としては臨調のお考え方を基本的に尊重しながら、我々にも意見はありますけれども、これまでもやってまいりました、これが行革審にかわって、そして基本的には従来のそういう考え方を踏まえてやっていきたいというふうに御答弁なさったわけでありますけれども、来年度の文教予算を展望してまいりますと、一つはいわゆる教科書無償法案の関係。事もあろうに、数年来、自民党の中では大蔵省の無償やめろという要求に対して、当時から森文部大臣を含めて、孤軍奮闘とは言いませんけれども、それは憲法で保障されておる義務教育の無償という理念を発展させていく中に教科書無償があるのであって、これをやめるということはできないと言って今までやってきておられるわけであります。
この点については、第二臨調からは教科書無償については廃止を含めて検討せよという注文がついておる。中曽根総理は基本的には拳々服膺しようという立場である。しかし、憲法上の義務教育の無償という問題は、単に授業料のみならず、教科書のみならず、教材から、あるいは学校給食から、父兄負担の軽減ということも含めてさらに前進をさせていかなければならぬというのが我々の考え方である。国際的にも義務教育無償ということはずっと浸透し、またそういう考え方は国際的な条約、規約の中でも明示されておる、これは文部大臣御承知のところであります。一体、政府・与党、特に大蔵省サイドから、行管サイドから言っておられる義務教育無償という問題について、文部大臣は文教の責任者としてどう考えておられるのか。
さらに、例の四十人学級の問題、これはいわゆる土光臨調によって五十七年、五十八年、五十九年、三年間、行革特例法の期間として凍結されておる。しかし、これは文部大臣十分御承知のとおり、我々としては極めて不満でありましたけれども、与野党の満場一致の決議に基づいて十二年間で四十人学級を実現していこうということで、昭和五十五年から六十六年まで十二年計画で今日実施されておるところをストップされた。来年は凍結が解かれるわけであります。三年間ストップしておっただけに、森文部大臣は国会の答弁を通じて、最後の終着点のところは変更していない、こういうふうに明言されております。したがって、スピードアップをしなければならぬ。スピードアップをするためには、厳しい財政事情はあっても、来年からは解除することはもちろん、これを従来のパターンにある程度上積みをしたところから再開をしなければならぬということに当然なる。この与野党合意をしておる四十人学級の実施を来年から凍結を解除し、三年間の凍結分を来年度のスタートにおいては上積みをしてやる、こういうことで予算の獲得を当然やられると思うのだが、四十人学級の問題に対してはたちまち来年度は凍結ではない、解除で予算をつけるということをやらなければならぬ、この問題がございます。
第三の問題は、マンモス校解消の問題である。これは木曜日に、四十人学級あるいはマンモス校問題等々についてはさらに私自身二時間の時間を理事の方から聞いておりますが、どういうふうになるか理事会で御相談があると思います。きょうはせっかく総理がおいででありますからその際に譲りたいと思いますけれども、マンモス校解消問題、今日学校でいろいろ問題の起こるのは、三百人、五百人、六百人という小中学校よりも、いわゆる二千人を超えるとかそれ以上超えるとか、学級数においても、本来十五学級、最大限十八学級ぐらいのところが標準に考えられなければならぬと思うのですけれども、それをはるかに超えた学校が極めて多い。そういうところで問題を生じておる確率は、他の通常の学校以上に多い。したがって、マンモス校の解消をやはり着実、計画的にやらなければならぬ。これも来年度予算にかかわる。したがって、中曽根総理が言っておるような、臨調からこう言われれば土光大明神の御灯明を掲げて、そして臨調から言われ、あるいは行革審から言われれば最高裁の判決としてこれを受けとめてやるというような感覚は我々にはない。
それはともかくとして、今言った来年度予算は、単に今指摘してきた三つの問題ばかりでない、他にも広範にございます。私学の振興問題を含め、あるいは保育所、幼稚園のさらに設置、充実の問題を含め、いろいろございましょう。今の三つの点をひとつ中心にしながら、来年度予算について命題として常に迫っておる問題、これについて文部大臣としてどう対応されようとするのか、これを明らかにしてもらいたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/8
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009・森喜朗
○森国務大臣 先ほど角屋先生の御質問の中にもございましたように、義務教育は国でできるだけ親の負担を軽減していく、そして子供たちに対して国が公費で手を差し伸べていく、基本的にはそういうことであろうと思います。しかし、やはり日本の国の経済情勢、あるいはそれぞれ一人一人の最近のいわゆる個人の所得、いろいろな角度から考えてみましても公費のあり方というのはやはり常に改善もしていかなければなりませんし、国が負担をする、あるいは設置主体である市町村が負担をする、あるいは親がどの程度まで負担をするか、いろいろな角度からの議論はあってもよろしいのではないか、私はこういうふうに考えておるところでございます。
特に教科書につきましては、今先生のお話の中にもございましたように、義務教育を公費で負担をするということの理念を拡大的に対策としてみんなで考えていったものでございますので、今さまざまな意見があることは十分承知をいたしておりますし、臨調の指摘もございましたが、また中教審の答申もございました。そして、昨年の予算編成の際に与党・自由民主党の中でもう一度この結論についていわゆる概算要求時まで検討するということになって、ことしも継続をいたしたところでございます。したがいまして、今の段階におきまして私から、これを廃止する、有償でいくかあるいは無償でいくかということの議論はここで申し上げることは適切ではございませんが、文部省の所管の責任大臣といたしまして、あくまでも従来どおり無償継続であってほしい、こう願っているところでございます。
四十人学級につましても、これも国会の答弁を通じて申し上げておりましたが、行革審あるいはまた第二臨調の基本的な考え方がまだ出ておりませんし、また財政当局のいわゆる六十年度の予算に対します考え方もまだ出ておりませんので、今の段階で私から申し上げることをむしろ御遠慮申し上げなければなりませんが、これも基本的には六十六年度までの到達年度と全体計画というものを変えないということを終始この国会を通じて私も申し上げてまいりました。したがいまして、我々もできる限りの努力をして、そして国会の与野党の先生方の議論を通じてこの六十六年到達年度というものをつくり上げた当時の経緯にもかんがみまして、私といたしまして何とか四十人学級を少しずつでもいいから実現をしていきたい、こういう考え方をいたしております。
過大規模につきましては、いわゆるマンモス校につきましては、一番基本的にはやはり土地の問題でございましたので、土地が取得しやすいような方向で、今文部省もそれぞれ教育委員会を通じて、できるだけその方向で分離をするように、そしてまた土地の取得をしやすいような特別の補助制度を考えながらそれを促進するように指導しているところでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/9
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010・角屋堅次郎
○角屋委員 森文部大臣が本会議あるいは衆参両院の予算委員会あるいは文教委員会、こういうところで今私が指摘した問題について文部大臣という立場から御答弁されてきておる考え方については、私は十分承知をしているつもりであります。きょうは、その答弁のラインから見て少し慎重に、総理がおられるので答弁を控えたという印象は率直に言って免れません。免れませんが、基本的な点についてはちゃんと押さえて答弁をされたというふうに思います。
殊に教科書無償の問題については、今文部大臣からの御答弁の中でもありましたように、一方にある第十三期まで来た中教審の方では、いわゆる憲法の義務教育無償の理念を発展させるためにあくまでもこれを堅持すべきであると言っておる。これはそういうことで私どももその答申の内容は承知しているつもりであります。殊に、これは教科書無償の問題から本来は離れるべき問題であるけれども、教科書の検定問題等々の、我々から言えばいろいろ最近の厳しい批判があるのだけれども、しかし、教科書無償の問題について政府・与党内で議論するときには、例えば教科書の無償を有償にし、経済的に苦しい家庭にだけ教科書を無償にしていく。あるいは諸外国の例では、教科書は貸与という形で金は出させない、そういうところも国々の中にございます。先進諸国で、義務教育無償のために日本のように教科書を無償にしておるという国々もあれば、貸与をとっておる国々もある。しかし、各国ともに、義務教育は教科書や授業料ばかりでなしに、もっと義務教育の無償を拡大をしていこうという方向にあることは厳然たる事実であります。そういう中でぜひ内閣総理大臣としても、土光大明神の灯明の方にばかり目を向けるのではなしに、憲法問題、教育基本法の理念、これに基づいて教育予算をどうするのか、あるいは教育改革をどうするのか、こういうことで予算問題についても考えてもらいたい、私はこういうふうに思うのであります。
そこで、この際ロンドン・サミットの問題については、これは、きのうの参議院本会議に引き続いて本日の衆議院の本会議でも我が党の代表も含めて議論されるわけでありますので、その議論に深く入ることについては時間の関係上もあって私は控えたいと思います。
ただ、ロンドン・サミットの際にも、いわゆる東西を含めた国際情勢、あるいは米ソの核兵器の制限交渉を今後どう進めるか等の問題も含めた米ソ関係の問題、あるいは日本として新しくニューラウンド等も中曽根総理は御提唱になり、基本的にはそういう方向で、プログラムは明示できなかったにしても考え方としては合意されたということで、この点は中曽根総理にすれば、自分がサミットでいろいろ努力された中では一つの国際的な役割を日本自身が果たしたと自負されておられるかもしれない。それはそれで結構だと思います。ウィリアムズバーグのサミットの際には、中曽根総理、登板早々という張り切りもあったかもしれませんが、いわゆるNATO諸国に配備される中距離核ミサイルの問題について積極的な発言をサミットの中でされる、非核三原則を堅持しておる我が国の総理として他国の領土の中にアメリカの核を入れることについて発言をされること自身は、これは中曽根総理の自由かもしれないけれども、非核三原則を堅持する日本の立場からいえば、それを言えば、あなたが総理ならあなたの方にもと言われたときに、私の方はというのは、本来人間関係、政府関係としてはいささか言いにくい立場があり得るのじゃないかというふうに私は思う。本来そういう点については、日本以外のサミット参加国の中で言われた点について、それのまとまりを見ていればいいことだと私自身は思う。特に日本が非核三原則を厳守しておる立場から見て、ウィリアムズバーグにおけるNATO諸国への核配備の問題については慎重にすべきであったと私は思うのでありますけれども、今回のロンドン・サミットは二度目の経験ということもあって、落ちついて慎重に対応されたというふうに私自身は受けとめております。
その中で特にお聞きしたい一点というのは、ソ連との問題であります。私は、たまたまソ連の関係については、与野党を通した超党派議員団の議員連盟の事務局長をもう六、七年命ぜられてやっておるわけであります。新しく日ソ友好議員連盟の会長に、中曽根総理も大変親しい櫻内さんに御就任いただいたわけであります。
私は、春の列国議会同盟の国際会議に、佐藤文生団長、私と参議院の河本さんが副団長ということでジュネーブの国際会議に出ました。驚いたことに、佐藤文生さん自身は広島の原爆の体験者であった。彼は本会議で、その生々しい体験に基づいて核廃絶を訴えられた。私は、戦争の敗戦直前、中国に兵隊で行っておって本土決戦で日本に帰ってまいりました。そして福岡で五島行きの命令を受けて、長崎の原爆の体験をしておる一人であります。私もまた、ジュネーブの国際会議ではみずからの体験に基づいて核の廃絶、そういう立場から米ソの話し合いの再開の呼びかけというものを国際会議の舞台で訴えたのであります。
そういう点において、御承知の、これは衆参両院のハウスが今御相談されつつある問題でありまして、佐藤文生さんと私とがモスクワを訪れて、アフガン問題以降あるいは大韓航空機撃墜事件でさらに加速をされて日ソの関係は極めて冷えた状態にある、これを何とか扉を開きたい、対話の再開に持っていきたい、こういうことで、今ハウス招待の問題については衆参両院の議長、議運にお願いをし、これはいずれこたえていただけると私は考えておるのでありますが、そういう問題も含めて安倍外務大臣は、国会の招待問題についても積極的に発言をされ、山村農林水産大臣がソ連に行かれることについても、山村農林水産大臣に対話としてお行きになることを勧めておられる。
内閣全体をまとめられる中曽根総理として、日本のポジションに立った平和戦略の中におけるソ連、これは引っ越しのきかない大切な隣人である、この関係において、ハウス招待の問題は本来お招きするのはハウス自身でありますけれども、総理としてハウス招待の場合に、おいでになればこれに対応を好意的に、また温かく迎える等々の問題も含めて、サミットに関連をして、特に私が今担当しておる関係もあり、ソ連の最高会議議員団のハウス招待の問題あるいはこれからの対話の政府としての問題等々について御見解を承りたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/10
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011・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 私は、基本的には世界は一つである、そういう理念を持って一つの世界をつくるべく努力していくのが正しいと思っております。そういう考えを持ちましてロンドンにも赴いたということは、既に申したことがございます。
そこで、ソ連との関係でございますけれども、サミットの首脳だけの会議の際におきましても、東西関係を打開する必要があるということを強く主張いたしました。今回のロンドンの各宣言の中に平和と東西交渉あるいは武力不行使というような考え方が濃厚に出てきているのは、我々の発言も大いにあずかって力があったのではないかと思います。
そのサミットの場におきましても、例えばソ連の国民性というものを歴史的にも見ますと、非常に艱難辛苦に耐える国民性であり、歴史がそうであった。例えばナポレオンにしてもヒトラーにしても最終的には負けてしまっておるのであって、ソ連という国民は愛国心も強いし、そういう艱難辛苦に耐える国民であって、力で圧服することはできないし、それは適当でない。結局話し合いによって世界の平和をつくっていく以外にないのだということを強く申し上げた次第なのでございます。
それで、今お話しの点につきましても、日本といたしましてはできるだけ対話あるいはそれに基づく話し合いということを進めていきたい。もちろん領土問題がございますから、領土問題を解決するということは一番大事な条件でございます。しかし、また一面におきましてできるだけ対話の機会をつくる、一番手ごわい相手とは一番たゆみなく話をすべきであるというのが私の考えであります。したがいまして、今日の事態においても、あるいは議員交流あるいは経済人の交流あるいは文化人の交流等の交流を進めて、そしてこの対話、話し合いというものをつくっていく糸口を拡大すべきである、そう考えておりまして、櫻内議員が私のところへ参りまして今のような先方の議員との交流についてお話がありましたときも、自分は自民党総裁としては賛成である、賛成でありますからどうぞ院の皆様方の御意見をも承り、そして積極的に進めていただくのは結構じゃありませんか、これは各党と御相談なさるべきことでありましょう、そういうふうに申し上げてきておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/11
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012・角屋堅次郎
○角屋委員 今の対ソ対応の問題は、今総理から御答弁をいただきました。これは、ハウス自身にかかわる問題については、私どもも衆参両院議長に幾たびかお願いをしまして、さらに議運の委員長等にもお会いをしてこれを要請しておる。延長国会の開かれておる段階の中でこれが実現をしていくということを望む一人でありますが、その意味は、今も、ソ連は最も手ごわい国だ、武力でこれを打ち破るということはできがたい、歴史的にもそうであると。ここにも私の二十五年の額がかかっておりますが、二十六年間国会をやってまいりまして、歴代総理と直接渡り合う機会もありましたし、また我々の同僚諸群が渡り合っておるのにいろいろともに闘う立場から加わっておる立場もありましたが、歴代総理の中では、ソ連ということではありませんが一番手ごわい総理だという感じを、私の長年の経験で持っておるわけであります。岸さんもありましたし、いろいろ挙げてまいりますとありますけれども、岸さんに匹敵する手ごわい総理というふうに私自身は、これは買いかぶりではなしに――なぜそういうふうに私が考えるかという点は、中曽根総理は風見鶏、風見鶏と世の中では言っておる。なるほど、三角大福中の中でいかに早く天下を取るかという点ではこう方向計を出しまして風見鶏であったかもしれない。しかし、政治家として憲法問題をどう考える、あるいは教育をどう考える、国際的な平和戦略をどう考えるというふうな点になると、青雲塾をつくった当時から、著書を出したのを見てみても風見鳩でなしに終始一貫をした考え方を持っておる。右に揺れ左に揺れというのじゃなしに、我々の座標軸からいえば右へ右へ、この意味も含めて岸さんに匹敵するほど手ごわいということを、言うのだが、とにかくその点で臨時教育審議会設置法案というものを議論する場合に、今言った意味において中曽根総理自身は、みずからは改憲論者である、こういうふうに公言をされておる。
臨時教育審議会設置法案の第一条では、御案内のとおり「教育基本法の精神にのっとり」ということに相なっておる。言うまでもなく、この教育基本法は戦後平和憲法の制定と一体のものとして制定された。新しい教育改革というものはこの教育基本法の精神にのっとって進めるということを言っておる。ところが、それのもとになる憲法自身について、直接総理の諮問機関として臨教審を持とうとしておる総理自身は、憲法を変えたいという考え方の人である、教育基本法の基礎揺らぐという考え方の人である。これが内閣直属で審議会をつくって教育改革をやろうとしておる。
教育は本来、教育基本法の第十条でも言っておるように、不当な介入を許さないという精神である。文部省も含めていわゆる教育行政というものは、教育の目的が達成されるために条件整備を誠実にやっていかなければならぬという精神である。そういう総理直属という文教の審議機関は、戦前に五回あった。大正年代から始まって戦前に五回あった。戦争の遂行に伴ってさらに教育を国家主義、軍国主義で締めつけていくという、そういう性格を、五回戦前に総理直属で開いた審議会の中では歴史的に役割を果たしているものと私は思っております。明治初期の教育改革のスタート、敗戦直後の新しい教育改革に基づくスタート、これが第二。恐らく中曽根総理は、この臨教審の設置を通じて第三の教育改革をやろうと考えておるのであろう、こう私は思います。
中教審の昭和四十六年答申というものは、第三の教育改革であると言って打ち出した。私は、あれが第三の教育改革に当たるかどうかについてはもちろん異論がございます。しかし、少なくとも四十六年答申というものを第三の教育改革として対外的に中教審は打ち出した、これは事実であります。中曽根総理は、四十六年の中教審答申、国際的な舞台からの教育の問題の四十九年答申、この二つについては、中教審が十三期までの間に二十数回にわたって答申されている中で評価をすべき答申と受けとめておられるのじゃないか。そういう言動も出ておると私は思うのであります。しかし一方、文部省あるいは中教審は外来種の教育の問題を部分的にいろいろやってきたのであって、これではいかないといったような、文部省の行き方に対するいわば批判的ともとれる言動、あるいは総体として中教審路線について我々と違った意味における批判というものも持っておられるりじゃないか。
一部報道では、四十六年答申についても哲学と理念がないとも言ったと伝えられておる。これからやろうとしております総理直属の臨教審、この入れ物を通じて中曽根総理は第三の教育改革というものを短期決戦で――これは教育には非常になじまない。単に言葉として教育は国家百年の大計である、政治権力の介入を許してはいけないと。こういうのは言葉だけではなしに、保育所、幼稚園から、小中学校から高等学校、大学、さらに専修学校から各種学校、単に学校教育ばかりでなしに家庭教育、社会教育、あるいは国際的な問題、そういうことをも含めて教育全般を国民の手によって考える場合に、内閣直属で、しかも短期決戦で一体何をやろうとするのか。そして、本来必要な教育の環境整備や教育の効果を上げるために必要な予算については行革審の方針に基づいてさらに締めていく、金は出さない、しかし改革はやる。改革は極めて広範囲な問題が対象である。一体何をやろうとするのか。
しかも、去年の暮れやことしの初めには、第十四期中教審に教育の六・三制等の制度の問題を諮問したいと総理も言っておられ、森文部大臣も言っておられた。急遽この方針を変えたのはいかなる事情に基づくものか。こういった問題について総理から明らかにしてもらいたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/12
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013・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 私は、前から申し上げますように、戦後の日本というものを非常に高く評価しておるものなのであります。明治維新、それから今度の戦争後の日本の大きな改革と変化、これはやはり歴史的に大きく書かるべきものではないかと思っております。特に、戦後の日本が新しい平和的な、文化的な日本を目指して大きな改革をやりまして、そしてまれに見る生活水準の向上とか中央と地方との格差の是正とかあるいは義務教育の無償制度とか、そういうような非常に普遍性、しかも非軍事性を持った高い文化文明を築きつつあるという点については非常に高く評価もしておるのであります。
しかし、やはり人間がやっておることでございますから、中には欠陥も出てくるし、あかもたまってまいります。そこで、三十八年たってみまして教育に関する国民の御意見を承ってみますと、皆さん非常に御不満をお持ちのようであります。やはり直すべきときに来た。ただし、やはり憲法あるいは教育基本法という基本のもとに、これが戦後日本をつくってきた一つの大きな柱でございますが、そのもとにこれをやるのが適当である、そういう考えに立ちまして、今度臨時教育審議会設置法をお願いしておるのでございます。
そういうようなところで、できるだけ早く審議会を設置していただきまして、そして委員の皆様方にできるだけ早く御意見をつくっていただく。もちろん委員の皆様方は国民の御意見も聞き、あるいは公聴会とか世論調査とか、いろいろなことがあるでしょうけれども、やはり中教審がやってきた一つの大きな成果というものは、これまた非常に大事な成果を生んでおると考えておる。特に四十六年、四十九年の中教審の答申というものの中には非常に貴重なものがあると思っております。それらも踏まえまして、さらにその後の大きな時代の変化、教育に対する国民の要望、あるいは日本が国際国家へ前進してきているというこの現実、それらの変化に対応できるような発想まで入れた、二十一世紀を目指した教育改革をこの際断行すべきである。国民の御支持のもとにその御意見を十分聞いて行うべきである。そういう意味でこの審議会をお願いしておるわけでございまして、どうぞ、できるだけ速やかに成立させていただきますようにお願いを申し上げる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/13
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014・角屋堅次郎
○角屋委員 私がお尋ねしたポイントの幾つかについて、必ずしも直にお答え願えなかった点もあるわけであります。
ただ、この際、私が冒頭に触れました、憲法改正論者であると中曽根さんがみずから総理になられても言っておられる。また、総理の著書を見、あるいは憲法調査会が我々の反対にもかかわらずできたときに、中曽根総理自身は当時改進党からの派遣されたメンバーとして「中曽根康弘委員の意見」というものを、憲法調査会の記録の中に、意見ももちろん述べられ、それが記録の中におさめられておる。私はかねて、この憲法調査会におけるあなたの意見というのを見ておりました。そして改めて総理になられてのあなたの、韓国に飛びあるいはアメリカに飛び、そしてウィリアムズバーグからロンドン・サミットヘと東奔西走をいわゆる最高責任者としてやっておられるわけでありますが、いろいろな政治の発想、手法というものを見てきた場合に、中曽根さんの政治的信念、政治行動の発想というのは、若かりしころの憲法調査会の意見というのがバックボーンかなという感じを持っておるわけであります。
その後閣僚等の経験をやられ、党の重要な役職をやられたので、この当時考えられた点とその後変わった点もあるいはあるのかもしれませんが、私はこの中で、天皇の第一条の問題、これは、第一条問題を考える場合にいたずらなる議論や紛争というものを起こすことはかえって天皇に御迷惑をかけることになりかねない、したがって象徴天皇ということでいくことがいいということを、天皇の第一条のところではあなた自身は憲法調査会の委員の意見の中で言っておられる。
注目すべきは、第九条の戦争放棄の条項について、私は、あなた自身はあなた自身の本来の考え方からいけば第九条の改正ということを言われる人だというふうに本来的には思うのでありますけれども、やはり総理になられるという総合的なバランス感覚というのがこの見解の中にも出ておるのかもしれません。ただしかし、この憲法調査会で述べている意見そのものは、これは私どもが見てみてやはり重大な逆問題提起をしておると思うのですけれども、第九条問題についてはあなたは、条文をそのままにして自衛隊の出動、徴兵、海外派兵、さらに核兵器保有の可否、こういう四項目の重要な問題については政府自身が解釈を示して、これを国民投票にかけて、国民がその政府見解の可否を投票を通じてやる。
ここで掲げておる自衛隊の出動、徴兵、海外派兵、さらに核兵器保有の可否、これがその後、憲法問題が議論されるときに、徴兵制は現行平和憲法のもとでは認められない、海外派兵は認められない、また、核兵器保有の可否と言っているけれども、これも非核三原則の堅持あるいは原子力基本法、さらに憲法の理念、こういう点から見てこれも認められない、自衛隊の違憲、合憲の問題は議論の存するところでありますけれども、徴兵制、海外派兵、さらに核兵器の保有の可否という点について政府見解を示して国民投票にかけるという考え方、これ自身が私は問題だと思うのだが、これは、あなたがだんだん政治家として大成されるに従ってここのところはあるいは考えが当時と違ったのかな、こういう感じを持っておるわけです。
あなたが一番国民的に知られておるのは、総理大臣を国民投票で決めるべきだと言っておる点であります。「国民の権利義務に直接関係のかる執行府の長を選挙することは、国民の譲るべからざる固有の権利であり、国民が内閣総理大臣を選挙する権利を、憲法に規定する必要がある。」いわゆる首相公選論をあなたみずから提唱され、全国を行脚されたことは国民周知のところであります。これは憲法を改正しなければできない。しかも、あなたが考えておる公選された首相を仮に認めた場合に、内閣総理大臣は、「国会を通過した法律、予算につき、全部及び一部の拒否権を持つ。」という権限をあなたは考え方として出しておられる。
そして、国会の二院制の問題については、「両院制」の条項の中で「現在の参議院のままなら、むしろ一院制がよい。参議院に別個の機能を持たせるなら、参議院存置を考慮してもよい。」こう書いておる。最近、国会外のところから参議院廃止論が出てきたりして、我々は、とんでもないことだ、議会制民主主義の立場から一院制は絶対とるべきではない、やはり二院制のもとにおいて参議院がチェック・アンド・バランスの役割を十分果たしていくということによって議会制民主主義は健全に発展していくものである、こういうふうに私は思うのですが、あなたは、参議院が現状のままなら、当時、一院制でよいと考えられた。
この考え方等を見てまいりますと、青雲塾をつくられた当時から、「憲法改正の歌」をみずからつくられ、これを東京宝塚劇場で催しをやられて発表され、勇ましいそういう行動はありますけれども、憲法調査会というのは公的にはやはり我々の反対にもかかわらず成立をして、政治家としてあなたはこの考えを述べておられる。この議会制民主主義のあり方の問題について、あるいは両院制の問題について、しかも首相公選論が実現された場合は、あなたは議院内閣制を廃止するとこの文章の中で書いておられる。政治家は成長過程だということであなたが言われるのか、本来の考え方は憲法調査会で述べたこの意見のままだと言われるのか、それはあなたの自由である。しかし、当時から青年将校として注目されておったあなたが、前文についても中曽根さん自身、全面改定をした文章をみずから草案をして提起をしておられる。そして、憲法改正の根本については、今言ったようなことを基本的に考えて提起されておる。
第二臨調の手法、教育臨調の手法、議会を何と考えられるか、あるいは議会制民主主義を何と考えられるか。総理の権限という意識、こういったものが、この第二臨調をある党から党首会談を通じて言われた、それにこたえるように、電光石火のごとく中教審のいわゆる従来のあり方から急遽臨教審に切りかえられた。そしてこれから内閣直属でやろうとしておられる。あなたのこういう発想というものは、青雲塾にさかのぼるまでもなく、憲法調査会における中曽根さんの委員としての、政治家としての責任ある発言、考え方の中に原点があるのではないか、こういうふうに私は見ておるのでありますが、その点について明らかにしていただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/14
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015・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 憲法調査会におきます私の総括をお読みいただきまして、まことにありがとうございます。そういうふうにまじめにお取り上げいただいたことを感謝いたします。やはりジャーナリズムやその他を見ますと、本人に会わないで物を言ったり、原文を読まないで孫引きで物を書いたりする風潮が多過ぎますけれども、角屋先生わざわざお読みいただきまして、本当に恐縮に存じておるところであります。
もとよりそれは、昭和三十年代の後半におきまして、私が憲法調査会の一員として、議員として、また個人として発言したものでございます。国務大臣になっておる今日はおのずから立場が違いますから、自分の個人の意見を主張することは慎んでおり、また、憲法改正は政治日程にのせない、そのように、申し上げている次第であります。
ただ、同じ人間がこうやっておるわけですから、やはり青雲塾をつくったころの中曽根康弘と今の中曽根康弘は同じ名前が続いておるわけで、人格が変わったわけではありません。しかし、進歩した点は多少あるのじゃないか、そう思います。でありますから、やはり人間の連続性と申しますか、初心忘るべからずと申しますか、そういうものは一般的に、抽象的にやはり消えているものではない。しかし、それがどういう形をとって、どういう発想形態になって出てくるかということは、人間が進歩してき、また客観情勢が変化するに応じてまた変わってくる、これは当然のことであると思っております。しかし、基本というものはそう変わっているものではない。精神というものは変わっているものではない。それはやはり大きな改革を望んでいるということで尽きるのじゃないかと思っております。
そこで、今度の審議会の設置の件でございますが、私は、中教審というものをじっと見ており、かつまた四十六年、四十九年の答申も選挙前後よく読んでみまして、なかなかよくできているなあ、私らが考えていることは大分盛られているなあ、そう思っておりまして、お正月に伊勢神宮に行ったときの記者会見では、中教審の考え方を中心にしてと、そういうふうに申し上げた。中心にしてとたしか申し上げております。
その後、党首会談がありまして、それで特に民社党の佐々木委員長のお説では、教育関係の臨調をつくりなさい、そういうお話がございました。民社党の公約の中にも、選挙中、そういうのがあったと思います。そういう御意見等もあり、国民的広場に立った、より広い立場に立ってこれはやった方がいいな、そういうふうに感じまして、臨教審という発想に定着したわけでございます。
この仕事は、一文部省の所管の仕事ではない、やはり全内閣を挙げての大事業である、つまり全国民の皆様方の御支持と御支援をいただいて、また、各党各派のお考えもよく聞いて、そして国民的基礎に立った教育改革でなければ長続きするものではない、そういう考えに立ちまして、内閣、総理府にそれを置いた、そういう考えに立って、文部省に置くというよりもむしろ総理府に置いて、内閣全体の関係というものの連絡を持たせよう、そういうふうにした次第なのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/15
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016・角屋堅次郎
○角屋委員 今回の臨教審の法案を出されるという点については、今中曽根総理からもお話しのように、民社党の佐々木委員長から教育臨調が提唱されて、それをきっかけにしたということがございますけれども、本来教育改革の問題について中教審の形をさらに上げて、内閣直属の第二臨調方式のような形で教育臨調をやりたいというのは、先ほどの憲法調査会の中曽根委員の意見の基本的な思想というふうなものから見て突然の発想ではない。年来温めておったものが、たまたまそれをきっかけにして、いわゆる明治維新の第一改革、戦後の第二改革、中教審が四十六年答申を第三改革と言ったけれども、自分の時期に自分の手による第三の改革をやりたいというのが今回の法案の提案ではないかというふうに私は受けとめておるのです。
この場合の第三の教育改革をやろうとするその核心は何か、ポイントは何か。
総理は本会議、予算委員会その他の答弁を通じて言われておる、また最近でも、四十六年答申あるいは四十九年答申といったようなものを柱にしたような中教審からの答申等が文部大臣十分御承知のように出てきておる。特に、教科書のあり方について昨年の六月三十日の中教審からの答申、これはなかなか問題ですけれども、それから昨年の十一月十五日に教育内容等小委員会審議経過報告というのが中教審から出された。
この昨年の十一月十五日に中教審から出された報告に基づいて、本来第十四期中教審で議論をしてこの問題に対する答申に持っていこうというのが従来の考え方の流れであったと思うのですが、文部大臣、その点は間違いございませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/16
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017・森喜朗
○森国務大臣 先ほど総理からも御答弁申し上げましたように、教育改革全体はやはり一文部省だけで考えているというような段階ではないような感じを、私は個人的に率直に持っておりました。総理から教育改革についてこの内閣でぜひ取り組みたいというお話もございました。私自身も、中教審でやるべきか、また新しい大きな改革の命題として内閣全体でやるか、随分悩みを持ちながら検討もいたしてまいりました。
しかし、今日の日本の教育はもう一つの部分だけを改善してもなかなか容易に国民の大きな期待にこたえられたい、私はそういう段階に来ておるような感じがいたしました。したがいまして、四六答申あるいは四九答申というものを大事に踏まえながら、各行政省各部にかかわりのあるものもかなりあるわけでございますし、内閣全体としてこの問題をさらに一層幅広く検討することが国民の要請にこたえるものである。また、内閣全体がこの問題を取り上げることによって、国民全体がまた幅広く教育の論議を高まらせていく。そして、これから二十一世紀に向けて日本の子供たちに対して現世生きている大人たちがどのような教育制度を残していくのか、こういうことについてみんなで議論することが私は今最も大事なときではないか、こういうふうに考えまして、この問題を臨時教育審議会という形で取り上げていただくことが最も至当である、こういう判断をいたしたものでございます。
したがいまして、従来のいろいろな教育に対する御提言、特に中教審が四六、四九、そしてまたこれまでいろいろな形で答申をしてまいりましたものについて、十分それに検討を加えながら、それを踏まえながら、新しい考え方、多くの意見を求めながら、それぞれの専門の先生方の御意見をぜひ御論議をいただき、まとめていただきたい、こういう期待を持っておるところでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/17
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018・角屋堅次郎
○角屋委員 戦後の教育刷新委員会、教育刷新審議会、これが戦後の教育改革の第二と言われている平和、民主教育の基礎をきちっとつくられた。それを受けて昭和二十八年以来、いわゆる中教審がずっと第十三期まで委員をつくられ、そして議論をし、答申を出してこられた。我々は、中教審路線という一つの言葉でその中身について一定の見解を持っております。きょうは総理も出席のもとの議論でありますので、それは文部大臣との関係の中で触れていくとして、今のように総理直属の審議機関をつくるという提案をされる際に、中央教育審議会はこれは休眠状態にする、つまり第十四期の中央教育審議会はこれはスタートさせたい。文部省は教育の問題について多くの審議会を持っておる。教育課程審議会、理科教育及び産業教育審議会、教免法の改悪法案が出ておりますけれども、その問題と関連する教育職員養成審議会、学術審議会もありますが、さらに社会教育審議会、私立大学審議会、大学設置審議会、これは大学の新設、学部を出す場合にここの審議会を経て国会に法案を出してくるという、しかしこの大学設置籍議会も、これからピークには八万六千名の十八歳児の団塊に備えて私立、国公立の大学でどういう受け入れ態勢で教育体制を整備するかというような問題になってくると、これは大学設置審議会だけの問題、私立大学審議会だけの問題ではなしに、文部省の中の今言ったいろいろ既設の審議会のほかに、我々が戦後教育の中で重要な問題として考えていかなければならぬ、しかも政府自身がとり行ってきた問題について極めて問題の多いその関係の審議会でございます。
教科用図書検定調査審議会、こういうように他にもございますけれども、要するに、中央教育審議会を初めとして教育課程、職業教育、教職員の養成、私立大学あるいはまた大学設置審議会等も含めてたくさんの審議会を文部省自身が持っておる。そうすると、我々は内閣直属のこの審議会をつくることには、中曽根総理のもとに置くことも含めて基本的に賛成しがたい。それからまた、短期決戦で教育改革をやろうとすることが極めて危険であるとも思う。ということはございますが、提案された側としては、この内閣直属の審議会と、中教審は休眠させるとして文部省がそれぞれの専門分野に分けてお願いをしておる審議会、その関係はどういうふうに考えておられるのか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/18
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019・森喜朗
○森国務大臣 先般の予算委員会あるいは文教委員会でも御答弁を申し上げてまいりましたが、中教審は文部省固有の事務所掌に関する基本的な問題を調査、審議をお願いをしているわけでございます。そして、今角屋先生の各種の審議会、調査会等の御指摘がございました。これらはそれぞれ文部省所管の特定分野につきまして調整、審議、ときどきの課題、そして必要に応じて有益な答申、御提言をいただいておるものでございます。したがいまして、中教審以外の各審議会におきましては、それぞれの設置目的に基づきましてこれからも必要となる場合には従来どおり審議を行い、そして答申をしていただきたい、このように考えておるところであります。
なお、御指摘の中教審につきましては、臨時教育審議会は先ほども申し上げましたように二十一世紀に向けて日本の教育がどのような方策、どのような方向を求めていったらいいのか、どのような制度が至当なのか、こうしたことで、関連する分野の諸政策に関して必要な改革を図るという御審議をいただくわけでございまして、中教審の設置の目的とは性格がやや違っておるわけでございます。しかし、内容におきましては、異なる面もございますが、また合致している面もございますので、この臨時教育審議会の御議論をいただく間当面見合わせていきたい、こういうように考えているわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/19
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020・角屋堅次郎
○角屋委員 中曽根総理は、第一の教育改革の明治初期、第二の教育改革と言われるいわゆる戦後初期、この審議会の設置を通じて第三の教育改革というふうな考え方でこの審議会をつくっていくという考え方なのか、あるいは当面、教育の荒廃が言われいろんな問題が提起されておる、これを総合的に――教育というのは、改革する場合も静かな議論を通じ、また国民に根差す公開を含め、教育基本法でも憲法でも言っておりますように、政府、我々を含めて教育は国民に対して責任を負っているわけである。主権者である国民が教育の権限を持っておる。我々が教育改革を考える場合には、父兄や乳幼児から児童生徒、青年も含めたそういう学生や教育の責任を持たれる教師の方々やそういうものの問題と願いというものを的確にとらまえて、静かな論議、そして十分なコンセンサスを得て改革をやるというのが本来のやり方である。
私は、諸外国の教育改革の問題等についてある程度、総理に対する質問が間がありましたからいろいろ読んでみました。スウェーデン、イギリス、フランス、西ドイツあるいはアメリカ、いろいろそういうものを見てみました。あるいは教育問題ということにかかわってきょうもたくさんありましたから二、三持ってまいりましたが、いろんな学校教育問題の中であるいは家庭の中で起こっている問題、そういうことでいろんな本を見てみました。いわゆる教科書検定に絡んで、本来戦後教育が発足した当時は学習指導要領というのはいわば先生方が教育する場合の指針というふうな考え方であったのが、いつの間にか変わって、これが法的拘束力を持つというふうに切りかえてきた。教科書検定においても、次の機会に私は学習指導要領等の問題についても触れたいと思うのでありますが、私自身も戦後二年奈良の郡山高等学校で教鞭をとったわずかな経験しかないわけでありますけれども、したがって私が担当しておったそういう科目その他の問題も含めて、昭和三十八年から二十一年間中教審の委員として、最近は会長としてやっておられました高村さんを銀座の慶応の交詢社にお訪ねして、いろいろ中教審をやってまいりました感慨についてお伺いをしてまいりました。木曜日には御出席を賜るようにお願いをしてまいりました。だから、木曜日の時点はいわゆる中教審というものの果たしてきた役割が何であったのかということについても議論をしてみたいと思います。
そこで、総理は新しい臨教審をつくるに当たって、私的諮問機関の文化と教育に関する懇談会、これは座長はソニー名誉会長の井深さんでありますけれども、これは、もっと時間をかげてと思っておったけれども、臨教審の構想が急遽出てまいりましたから、三月末でお答えを出していただくということでせかれた点もあるかと思います。総理は新しい審議会をつくるに当たって、四十六年答申、四十九年の中教審答申、さらには文化と教育に関する懇談会の報告、これらを参考資料にしてというふうに言っておられるわけでありますけれども、この文化と教育に関する懇談会の報告というのは、総理の私的諮問機関で検討してもらって、しかももう少しじっくりと言っておるのを繰り上げた。中身を見ましたけれども、報告の中身は問題が多い。こういうメンバーでありますれば、戦後ずっと出されてきたようだ財界の提言や意見を見ておれば大体こんなものと同じようなものだな、こういうくらいにしか考えないわけですけれども、これも参考の中に取り入れたい、こう言っておられるわけで、我々としてはこのままの提案では新しい審議会の入れ物は困るということを基本的に持っておりますけれども、ここで議論するたたき台、ここで議論する諮問事項というのは、総理としてはこれからどういうふうに考えをまとめていかれるつもりなのか。そこらあたり、元来この審議会でやろうと言ったのは私は総理だと思うので、お考えをお伺いしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/20
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021・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 ただいまの御質問の中で二、三お答えしたいと思いますが、まず短期決戦ということはとりません。それから、やはり教育改革というものは静かにじっくり行うべきものであると思います。しかし、審議会が開かれまして議論がまとまったら、そのまとまった都度御報告願って、実行し得るものは実行していってもいいんではないか。試験制度とか偏差値の問題とか、いろいろそういう国民が困っておる問題もあるようでございますから、そういう問題はまとまり次第御報告願って実行していくのもやぶさかではないが、基本的には、教育は植林と同じで、まず二十年、三十年はかかると考うべき体のものでありますから、短期決戦をやるという考えはございません。
それから公開の問題でございますけれども、これは委員の皆さん方が御発言なさって、そのたびごとにだれがどう言ったということが表に出ることは、公正たる言論の自由を害するおそれがあるのです。現代社会は非常にさまざまだ方々が非常に注目して見ているところでございますから、自分の意に反する発言や何かあるとすぐ圧力がかかってきたりして、個人の見識を妨げられる危険がある。そういう意味において、その都度こういう議論があったというようなことを担当者がジャーナリズムや皆様方に御説明することはこれは当然であろうと思いますし、一区切り一区切りついたときに中間報告のようなやり方でその審議の状況を報告するということも十分あり得ることであると思いますが、その都度だれがどう言ったというようなことを言うことは危険性が非常にある、そう思っております。
それから、臨時教育審議会の設置に関しましては、一口で言えば二十一世紀を目指した世界的日本人をつくってください、それが我々の基本的理念であります。結局、そういうことは、よき人間、よき市民、よき国民をおつくりください、そして我々が考えておる人間像というものからいたしますれば、人格主義あるいは人間主義あるいは理想主義というような考えを根底にした人間をつくっていくことがやはり正しいだろう、そして世界的視野を持った、国際性を持った日本人を今や必要としている、そういうふうに私は考えておるのでありまして、そういう点を中心に諮問する。これは文部大臣にいろいろ御研究をお願いしたいと思っておることでございますが、そういうことを頭に置いて諮問事項を考えていただきたい、そう考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/21
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022・角屋堅次郎
○角屋委員 総選挙の際に、教育改革に対する七つの構想というものを総理自身が発表された。それから今度の第百一特別国会の年を明けての衆議院本会議、参議院本会議で、総理自身が施政方針演説の中で教育改革の問題についてその理念あるいは視点というものを発表されて、今日議論が続いておる。我々もまた政治家として、単に来年どうするか、再来年どうするかというばかりでなしに、長期展望に立ったいわゆる内外政策、教育の問題も含めてそういうことを考えていくということは当然必要である。今日になれば、二十一世紀を展望して、そして教育の問題をどう考えるべきかということも、当面の問題の打開と解決をどうするかということを含めてこれは重要なことだと思う。その点は、少なくとも中期展望というものを持ってやっていくということは私どもも考えなければならぬことだし、考えておるところである。
問題は、よき日本人、よきということをつける中曽根さんのよきというのがなかなか問題。よい政党、悪い政党、教育の舞台でいくとこういうことになる できる子、できない子。いわゆる教育における平等主義、教育における平和、民主教育、国民一人一人が教育に対して教育権を持っておる。それは、心身障害者の方も目が見えない方も耳が聞こえにくい方も、健康の人のみならず、そういう人々も含めていわゆる教育を受ける権利があるし、教育を身につけたいと思っておる。教育を考えるに当たって我々は、いわゆる英才教育とかスーパーエリートをつくるとかあるいは飛び級とか飛び進学とか、財界がいろいろ要求しておるいわゆる能力教育、英才者を生み出すということじゃなしに、教育はもっと国民の立場に立って、諸条件のある者に対して広く目をやった教育をやらなければならぬ。
そういう場合に、例えばこれはテレビのニュースキャスターの小林完吾さんが、ダウン症候群の子供を持たれて、百四日間、テレビの関係では自分はニュースキャスターとしてちゃんとした時間を持っておったけれども、家内、長女とともにほとんど看護に費やした、そういう看護の記録と亡くなった子供の記録が出ておる。私は、この小林完吾さんの「愛、見つけた 小さな命の置きみやげ」という本を読んで、いわゆる障害者を持つ親の気持ちにひしひしと触れた感じがする。私どもの周辺、私どもの一族を広げていけば障害を持つ子、あるいはそれで苦労する親、そういう者を知ってはおりますけれども、とにかく小林さんの場合は、この子が成長していく過程でテレビ局をなるべく早くやめて雑貨屋でもつくって、我々が亡くなった後、その子供がその仕事をやるための必要最小限のことを身につけさしてと、そして、そういう子供を持った親を、周囲の、隣の方やあるいは障害児を持つ親やいろいろな者が温かく支えた記録が出ておる。
今日、英才教育やあるいは習熟度別学級を高等学校からさらに中学までおろそうとする考え方、一体それはいいのか。そういうときに、教育がもっと目をつけたければならぬのは、できる子やできない子に分けるのでなしに、よい子や悪い子に分けるのでなしに、今言った体が悪条件の子、その子を小学校はもちろん中学校から高等学校まで育てていく、教育していく、そして、養護学校でというのを地域の学校を望むのなら、そういうものに児童生徒も協力しながら、PTAも協力しながら、先生も協力しながらやる。そういう中でやはり真の意味における人間教育というものは育っていくんじゃないか。いわゆる教育の視点を、財界、経済界の要請によって日本の教育をこれから変えていこうというのか、もっと教育の根本原則に基づいてみんなに等しく、できない子はできるように、突っ張りっ子は突っ張りっ子でないように、こういう立場から教育というものをつくり直していく。我々が言う場合は、そういう視点に立った教育改革が基本である。したがって、中教審路線を含めて今日考えようとしておることは、財界要請に基づく教育改革の方向が大きな流れとして出ておる、そういうふうに私は思うのでありますが、教育改革の基本を教育基本法、憲法が示すように平和、民主教育に置いて、体の強い子も弱い子も、いわゆるできる子もできない子も含めて公民として立派に社会で、国際的にも活躍していくような、そういうものを全体として育てていく、これがやはり教育改革の基本に流れなければならぬと思うのです。
総理がこれから教育改革をやるに当たっての基本的な考え、総理自身は高崎中学で立派な成績でおられたから四年で静岡高校へ行かれて、ストレートで東大に入って、そして東大の在学中に高文試験を八番で通ったというふうに言われておる。だから、とかくすると英才教育賛成、飛び級賛成というようなことになりかねない。だけれども、できる、優秀なエリートに育っていく子というのはそんなに多くないのであって、普通の子が大半であって、場合によれば悪条件の子供たちもおる。我々が教育を考える場合には、選別をしてはいけない、差別をしてはいけない、突っ張っておる子は突っ張らぬように、登校拒否をする子は登校拒否を改めて学校に来るように、そういうことを先生も親も地域も協力してやるというのが、これから真に始まっていく教育改革の基盤になければいかぬ、こういうふうに私は思うのですが、総理から、教育改革をやるに当たっての私の考え方についてどういうふうに受けとめておられるか、そのことも含めてお考えを聞きたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/22
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023・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 今角屋さんがおっしゃいました点は、非常に傾聴に値するところであると思っております。それは教育改革の一つの柱であると思いますが、それだけがすべてではないと思っております。
特に、障害児の教育という問題については日本はおくれているように思います。障害児自体に対する研究も不足ですし、また障害児をどういうふうに誘導していくかというやり方についても、また施設についても、外国から比べればまだ落ちておるのではないかと思います。そういう点について大いに改革すべき点があると思いますし、また子供たちの扱いにつきましても、突っ張りとか落ちこぼれとかいろいろありますが、それらにはそれらにふさわしいやり方があると思うので、何も優秀な、飛び級をやるような子供を頭に置いて教育を平均的に考えてはいけない。しかし、子供たちにはみんなさまざまな能力があるわけでございますから、その持っておる能力を最大限に引き出して上げてやる、そういう配慮もまた必要であると思うのです。
でありますから、総合的に、包括的に教育というものは考うべきもので、その中で今度は仕分けをして、障害児はどうすべきか、あるいは中学校においてはどういうふうにやったらいいのだろうかとか、そういうふうに各論に入っていっておのおののあり得べき姿をみんなで探し当ててやっていく、そういうやり方が正しいのではないかと思います。能力のある子は能力のあるように伸ばしてあげるという点もまた大事ではないかとも思うのです。だが、そのためにできない子供を犠牲にするということは許さるべきではない、できない子供や突っ張りの子供はまたそれにふさわしいやり方でやり得る方法もあるのではないか、そう思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/23
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024・角屋堅次郎
○角屋委員 理事会の御相談に基づきます私の質問時間が参りました。私は、総理がせっかく御出席の機会に、今当面どうすべきかの大学の共通一次問題、世に言う極めて批判の厳しい偏差値教育の本質等、これをどうしていくかという問題、あるいはまた幼保一元化問題、小中学校の義務教育問題、あるいは中学校、高等学校を含む中等教育の全体的な問題、あるいは大学、短大等を含む高等教育問題というような点について、重要な柱になる数点をせっかく総理の御出席をいただいたのでお伺いするつもりでございましたが、時間が参りました。これは、私はきょうは質問の第一陣ということでありまして、我が党の同僚議員はもちろん、各党の議員それぞれ、総理御出席のもとの質問も含めてこれから十分に議論をしていく重要な問題の第一陣として立ったわけでございますから、委員長、理事会の申し合わせに基づいて、これで私の質問は終わらせていただきます。総理、どうもありがとうございました。
―――――――――――――発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/24
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025・片岡清一
○片岡委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。
本案審査のため、来る二十一日、参考人として前中央教育審議会会長高村象平君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/25
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026・片岡清一
○片岡委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
―――――――――――――発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/26
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027・片岡清一
○片岡委員長 次に、委員派遣承認申請に関する件についてお諮りいたします。
ただいま審査中の内閣提出、臨時教育審議会設置法案につきまして、審査の参考に資するため、委員を派遣いたしたいと存じます。
つきましては、議長に対し、委員派遣承認の申請をいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/27
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028・片岡清一
○片岡委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
なお、派遣地は大阪府とし、派遣の日時、派遣委員の人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/28
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029・片岡清一
○片岡委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
この際、暫時休憩いたします。
午前十一時五十五分休憩
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午後三時五十五分開議発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/29
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030・片岡清一
○片岡委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
質疑を続行いたします。市川雄一君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/30
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031・市川雄一
○市川委員 きょうは総理御出席でございますので、総理にざっくばらんに教育改革の中身あるいは臨教審のあり方について伺いたいと思います。
最初に、総理の教育に対する考え方というか、教育観というか、これを伺いたいと思います。
総理は、「新国策」という雑誌の五十六年八月十五日号に総理の講演の内容が出ておるわけでございますが、その中でこう言っております。「私は、第二臨調の次に必要なものは”教育大臨調”だと考えている。文部省の中教審程度のスケールの小さい技術論による教育改革ではなく、教育体系の基本的なあり方まで掘り下げるような教育大改革があってしかるべきだと思う。行革はいわばその精神的な先駆でもある。」
ここでおっしゃっておる「教育体系の基本的なあり方まで掘り下げるような教育大改革」は、具体的にどんなことをおっしゃろうとしておられたのか、それをまず伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/31
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032・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 前から申し上げておりますように、私は戦後の民主主義社会、日本の発展を非常に評価しておるものでございます。日本の教育体系も、そういう意味においては世界的にも比して遜色のない立派なものであったと思います。しかし、いいものばかりがそういつまでも続くものではない。いろいろな弊害も欠点も出てきたわけで、それらを一つ一つつぶさに見てみると、最近の情勢から見れば、これは社会的な関係とか家庭あるいは教師の関係、いろんな面から原因がありまして今の子供の問題というものは生まれておる。
例えば、今の激しい進学競争というものはどこから来るかといえば、一つは就職問題があります。これは会社がじゃどういう人を採用するかという問題にも関係してまいります。官庁の採用の問題でもそうでございましょう。そういう一番大事な終局的な方向を是正せずして、入り口の方ばかりいじっても直るものではない。
そういう意味から、やはり総合的に点検し直して、そして一貫した流れのいいやり方で改革していく必要があるのではないか、部分的にいじくっても直る問題ではない、そういう感じがしてきておりまして、そういう意味で総合的な全面的な点検とそれに対する改革、そういう必要を感じて申し上げておる次第なんです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/32
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033・市川雄一
○市川委員 もう少し具体的に伺いたいのですが、もう一方では、これは総理になられる前ですが、五十六年八月二十七日号の「週刊現代」で、藤原弘達氏との対談で総理はこうおっしゃっておりますね。「当面大きな外交でしょうけれど、内政を見ると、行革をやったあとはやっぱり教育でしょうね。これには、教育臨調みたいたものをつくって、オーバーホールをやるときが大事で、それが事実上、憲法問題を処理することにもなる」、こういう御発言があるわけでございます。
教育改革をやるごとがなぜ憲法問題を処理することになるのか、総理のおっしゃる「憲法問題を処理することにもなる」という意味は具体的にどういうことをお考えでいらっしゃるのか、伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/33
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034・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 大分前の発言でありますから私よく記憶しておりませんが、恐らく、要するに自主自立、連帯、友情あるいは創造、そういうような徳目というものを教育によって培う、これらはやはり行革の基本精神にも通ずるものでもある、そういうような意味において、そういうような精神的な土壌が培われ、新しいいい子供たちが出てくれば、それは憲法でいろいろ弊害だとかなんとか言われている問題がこれである程度処理がつくのではないか、そういう意味のことで発言したのではないかという気がいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/34
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035・市川雄一
○市川委員 ちょっとよくわからないのですが、総理はよく大東亜戦争とおっしゃるのですね。これは世代の違いが反映しているということである程度理解はできるのですが、いわゆる第二次大戦において日本がやった行為、これを侵略と見るか見ないか、この点について総理はどういう御認識でございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/35
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036・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 御質問の趣旨がよくわからなかったのですが、想像して申し上げますと、私は戦前の人間ですから、昭和十六年十二月八日には大東亜戦争という名前が正式に政府によってつけられて、そして大詔奉戴日というのもずっとあったわけで、そういう意味で、人間のさがといいますか、大東亜戦争という言葉が出るのであります。しかし、その後太平洋戦争とアメリカが言ってきて、太平洋戦争史観という言葉も出てきたりして、それで時々太平洋戦争ということも言うようになり、今どっちかといえば、太平洋戦争と言うことも多くなってきております。そういえば、石橋さんも大東亜戦争という言葉を国会で使ったことがありまして、やはり同じ人間のさがを持っているなと共鳴をしたところもあるのであります。
そういうわけで、人間はみんな過去の歴史をしょっておるのであって、その歴史まで隠す必要はないと思うのであります。しかし、それが現代の民主主義社会の原理原則に背馳していれば、これは慎まなければいかぬ、そう思っております。しかし、日本の歴史に対する評価というのはおのおのが持っておるのでありまして、それはおのおのまた尊重していくべきではないかと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/36
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037・市川雄一
○市川委員 戦争のネーミングを伺っているのではなくて、大東亜戦争、太平洋戦争、どちらでも結構です。日本が中国や朝鮮半島あるいは東南アジアであの戦争を通して行った行為が侵略であるかどうか、この点についての総理の御認識を伺っておるわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/37
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038・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 やはりこれは日本にいかなる名目があったにせよ、平和に暮らしておったインドネシアとかフィリピンとか、そういうところへ資源を取りにあるいは防衛の目的のために土足で上がっていったということは、これは侵略と言われるかもしれませんし、あるいは侵入と言われるかもしれませんね。そういうふうな目に遭った人の側から見たらそう思われるので、ですから国際的にそういうような批判を受けているということは十分わきまえなければいけないと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/38
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039・市川雄一
○市川委員 総理御自身は侵略だとは思っていないのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/39
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040・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 私は、今言ったように、該当している方々から見れば土足で上がってきたというふうに思っておる一人でありまして、そういう意味においては非常に迷惑をかけた、やってはならぬことである、そう思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/40
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041・市川雄一
○市川委員 土足で踏み込まれた側がこう見ている、私も同じ意見である。何かそこに総理御自身の主体的な判断、御認識というものを避けている感じがするのですね。そういう御答弁ということでよくわかりました。
そこで、具体的にお伺いしたいのですが、総理が拓殖大学の総長をおやりになったころ、当時の特攻隊の青年学徒を非常に礼賛した発言をされているわけです。総理は孫引きはけしからぬとおっしゃるから、ここに全文を取り寄せてございます。
例えば御就任のときのごあいさつでは、諸君たちは祖国を愛する人間になってほしいという前置きで、諸君たちと同じ青年学徒が二十数年前に同胞のために命を捨てていったんだということを最後に申し上げたいという形でおっしゃっているわけです。
それから、その翌年の「二百年目の初心」という講演では、やはり同じことを引かれているわけですね。「第一あの大東亜戦争のときに、諸君と同じくらいの青年学徒は、特攻隊で自分の身体を捧げて死んでいった。自分の身体を殺してまでもやるというものは、何か理想がなければやれるものではない。勲章がほしいとか名誉がほしいとかという程度の考え方で、自分の命を殺すというところまでやれるものではない。自分の命を殺すというところには、自分以上のものの価値をみつけたときにそれがはじめて可能なのである。いわんや大学あるいは高等学校をでた学生諸君がそういうことをやる場合においておやだ。そういうことを考えると、学徒出陣で特攻隊で戦死していった学生諸君の気持ちの中には、やはり大きな歴史的な理想というものが内在的にあったのであって、それがあの人たちをあの行為に走らしめたのだろうと私は考える。」こうおっしゃっている。
一般論としてはそれなりに意味はわかるのです。何か自分が掲げる理想のためにみずからの命を捨てる、その自分の命を捨ててもいい理想というものがある、そのこと自体はこれを間違いだとかと言う気はない。ただ、この特攻隊という歴史的なある段階で特定された行為について、この特攻隊の人たちが大きな理想のために命を捨てていった。総理がおっしゃる大きな理想というのは、当時の特攻隊の青年学徒にとっては何だったんでしょうか。大きな理想、何でしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/41
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042・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 これは戦争というものに対する考え方にもよるんですけれども、あの大東亜戦争というものがどういう戦争であったか。本当に日本を防衛するための戦争であったのか。聖戦とかよく言われましたけれども、しかし、政治とか大きな国策という上層部の部面から見ると大きな間違いを犯している、私はそうあのころも考えておりました。それはいろいろな理由はあるでしょうけれども、やるべからざる戦争をやった、そう私は思うのです。
しかし、第一線へ出ていった兵隊さんや将校、純真な学徒の諸君は、これで自分の国を守らなければならぬ、ABCD線で包囲されて日本はもう生きられなくなっていると純真に信じて、そして祖国を守るために自分の一身をささげるという純真な気持でやったか、あるいは植民地支配からアジアを脱却させようと、日本は自分の犠牲においてそういう聖戦をやっているんだ、そういうふうに教えられて純真にそれを信じてやっていった人が実は多いのです。私らも戦争に出て第一線でそういうことも聞いたし、そういう話し合いもしたこともある。
そういう意味において、特攻隊に出るというようなそういう自分の命を投げ出すようなことは、一身の名誉とか何かでできるものではないのです、実際は。何かそういう崇高なものにあこがれなければできるものではない。そういうことに殉じた人の魂を私はとうといものだと思うのです。だから靖国神社に行って頭を下げてきておるのであって、そのことが悪いと私は思っておりません。また、特攻隊で死んだ英霊の皆さんについては本当に心からお悔やみ申し上げ、尊崇しておる、今でもそう考えております。そのことと、この大東亜戦争をやってよかったか悪かったか、戦争の意義はどうであったかという問題とは、別の問題がまたあるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/42
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043・市川雄一
○市川委員 戦争のよしあしを伺っているわけではなくて、問題は、そのやるべからざる戦争でしかも純真に死んでいった。だから、その背景には軍国主義時代の国家権力と、そういう純真な魂を教育の力によってそう思わしめてしまった教育の体制というものがあったと思うのです。そういうものに対する反省なくして、ただ特攻隊だけを美化していくというのは私は非常に危険な考え方だと思う。
もちろん、私も第二次大戦で亡くなられたそういう英霊の方々に対する気持ちというものは当然持っております。国民としてその英霊を鎮魂するということは当然のことだというふうに思っております。それが総理と違って、靖国神社というふうにはならないところが違うわけでございますけれども、国民的に霊を慰めるということは当然やるべきであるというふうに思っております。
そういうこととそういう国家権力。強制でしょう、学徒出陣は。しかも、そういう教育の横暴な体制というものがあったのじゃありませんか。そういうものに対する反省なくして、ただ第一線の青年学徒は純粋だったという形で美化していく、そういうことが総理の教育観の根底にあるのかなという疑念を私は持っているわけでございます。大学で学生を相手にこういう話をされた。真理の探求とか真実の探求というものから当時は遠ざけられていた。米英鬼畜とか英語を習っちゃいかぬ。しかも戦争が終わるのか終わらないのかわからない。終わるとしたらどういう形で終わるのかということさえも想像もできない。言ってみれば平和というものから完全に遮断された状況の中であの人たちは行ったわけです。したがって、そういう背景と切り離して、ただ何か理想に生きて殉じていったというような美化の仕方は怖いなというふうに思うわけでございます。その辺、総理はどうお考えですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/43
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044・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 制度を論ずるのと、それからその個人が主観的に処していったその心境について我々が評価するのと、それは別の問題なのであって、ですから私のその演説、全文読んでいただけば、戦前の体制に対する批判というものは出ていると思いますよ。拓大で総長講演というのをよくやっていましたけれども、それを全部読んで質問していただきたいと思うのです。特攻隊で戦死していったその人を尊崇する、その部分だけでなくして、戦前の体制あるいは戦争そのものに対する考え方というものは、私はある程度はっきり言っておるのです。大東亜戦争というのはやるべからざる戦争であったとはっきり言っておりますよ。
そういうように、制度あるいは戦前の体制というものと、その中にあって純真に死んでいった人、それを我々が評価するということとは別の次元に属することなのであって、私は戦前のような教育を戦後やろうとは毛頭思っていない。いわゆるウルトラナショナリズム、極端なる国家主義的な性格が非常に強かったし、閉鎖的な要素もあったと思うのです。だから私は、戦後の体制は実に立派ないい体制だ、日本の歴史でも特筆すべき時代が来た、そういうことも総長講演ではたしか言っております。それは非軍事的性格においてということも育っておる。これはけさも申し上げたと思いますよ。そういう意味において、時代時代に対する認識というものはそのときによって明確にしている部分があるということをもう一回御検討願いたいと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/44
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045・市川雄一
○市川委員 要するに、第二次大戦、太平洋戦争が行うべからざる戦争であった、しかも行われた側から見れば侵略であったということを言いながら、あの当時青年たちは大きな理想に死んでいった、その理想というのは何ですかというのですよ。誤った理想あるいは教育によってたたき込まれた幻の理想ではありませんか。そういうものに対するもっと痛烈な反省というものがあって私はいいと思うのです。そうでなくして、ただ同胞のために命を捨てていったのは何かいいという、それだけを言うというのは非常に危険な考え方だと私は思います。
なぜそんなことを申し上げるかといいますと、総理はことし中国へ行かれました。その中国へ行かれたときに、三月ですか、北京大学で「二十一世紀をめざして」と題する演説を行った。その演説が終わって質問に答えた形でということになっておりますが、新聞報道しかありませんのでわかりません。総理はこう言ったという。「日本は物質的に繁栄したが、公のために燃え尽くす精神が薄れてきている。」何か総長時代の御発言と総理になられてからの公のために燃え尽くす精神なんというのをあわせて読みますと、総理のおっしゃっているのは滅私奉公的な教育改革をなさろうとしているのじゃないのかなというような疑念が強く浮かんでくるわけです。総理、この点についてどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/45
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046・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 中国へ行ってみますと、中国の青年たちは目が輝いていると思った。それはやはり中国という祖国に対して、挺身してこれを近代化しよう、そして立派な中国にしよう、そういう意欲に燃えておると思いました。それに対して日本は、比較してみれば割合に個人主義的に固まって自分のことしか考えない。ところが、中国の諸君は中国全体、中国の同胞全体というものもよく考えているように自分には考えられた。それから見て我が国の状況が余りにも個人主義的に小さくせせこましくたっているなということを反省して、私はそういう発言が出たんだろうと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/46
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047・市川雄一
○市川委員 中国の青年の目が輝いていたというのはちょっと異論があるのです。私も何回か中国へ行って、中国のそれなりの実情というものを見ておりますが、それは本題じゃありませんからあえて伏せましょう。
ただ総理、さっきの特攻隊の話なんですが、「きけわだつみのこえ」という本があります。私もこれは愛読書の一つです。青年たちがみんな同胞のために全く命を惜しまず死んでいったのか。そんなことはありません。東大卒業の方、京大卒業の人、みんな命が欲しいと書いてありますよ。何のために死ぬのかわからない。もちろん総理のようだ青年学徒もいますよ、この中には、だけれども、多くの方々は自分の死に大きな疑問を投げかけております。何のために死ぬのか。読もうと思えば幾らでもあります。同胞のために、帝国主義のために、天皇陛下のために、恋人のために、母親のために、祖国のために、それでも自分はまだ生きたいということを特攻機に乗る前の日に書いている青年もいますよ。その生きたいと思っている自分があした飛行機に乗る、しかもあした死ぬ、こんな偽善はないということまで書いてありますよ。こういう青年たちの気持ちというものをもっと総理は読むべきじゃないか、こう僕は思うのですね。ただ特攻隊はすばらしかったという、ちょっと戦前皇国史観的なにおいをそこに感じてならないわけでございます。その点、教育改革に当たってそういうものを絶対持ち込まないようにしていただきたい。
愛国心というものが大事であるということはよくわかっております。ただ、愛国心という言葉には手あかがつき過ぎてしまっている。下手に言うと右翼みたいに言われる。しかし、私は国を愛する心というものを国民が持つことは非常に重要なことだと思います。例えば今の自衛隊なんか見ておりますと、国民は自衛隊に防衛を委託してしまっているということを非常に感ずるわけでございます。委託してしまっている。おれたちは日本の国の防衛は自衛隊に任せてしまったんだという感じがしてならない。本来なら、日本の国を愛する、そしてもし日本の国が侵されるようなことがあれば戦おう、こういうものがあってしかるべきだというふうには思うのです。
しかし、残念ながら日本にはレジスタンスとかそういう歴史がありませんから、正しい意味でのそういうものが今結びついてない、こういうことは感じますが、この教育論議の中にあって総理の発言を拝見しておりますと、特攻隊はすばらしいとか、大東亜戦争についても片方ではだめだと言いなから、片方では何となく、あのころは帝国主義、列強がやっていたんだから、日本をABCDで包囲したんだからやむを得なかった、あるいはロマンチシジムが日本にはあった、ただ単なる権力的膨張主義ではないとかということも総理はおっしゃっております。ですから、その中曽根総理が教育改革をやることについて私たちは非常に強い不安を持っているわけでございます。そういう戦前の価値観に日本の社会を戻すような教育改革であっては断じてならない。この点についてどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/47
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048・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 その「きけわだつみのこえ」は、私も暗然として読んだ記憶があるのです。確かにそういう人たちも多かった。あのころはいろいろな人たちがおったのです。本当に純真に戦死した方々も多いのです。兵学校とか士官学校を出た方々なんかは、割合に純真にそうである。大学出の学徒兵は非常に屈折したものがあった。そういうものの火花が前線の宿舎においても散っておった。私らもそういう面、軍艦に乗っておっても、兵学校出身の人やその他とは違う面があったのです。しかし、本当に純真に死んでいった方々も多いのです。いわんや兵隊さんクラスになれば、非常に純真にいった方々も多いのです。ですからいろいろな人がいる。しかし、仮に今のような「きけわだつみのこえ」に盛られているような方々ですから、お亡くなりになったことについては、我々は心から、そういう心境で行かれたにせよなおさら涙が出る、そういうものだろうと思います。そういう意味においては、大きな反省を私たちは持たなければならないと思っております。ともかく、そういう戦争前の悪夢を考えさせるような教育というものは、絶対持ち込まないように私はいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/48
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049・市川雄一
○市川委員 臨教審の法案について伺いたいと思います。
時間が限られておりますので、一つは、答申の尊重という意味について総理に伺いたいのです。
第二臨調のときは土光臨調というものがあって、そこのけそこのけ土光臨調が通る。何か土光臨調というものは国民の全体の意見であって、にしきの御旗であって、これに逆らう者は何か賊軍みたいな、こんな風潮があった。私は、教育というものはそういうふうにしてはならないと思うのです。やはりみんなが意見が言いやすいという形で、より多くの国民のコンセンサスをつくりながら改革案ができていかなくてはならないと思うのです。そういう意味で総理、もしこの答申が出され、尊重するという意味、何か国会の議論というものを横に置いて、臨教審の答申を金科玉条的に絶対視して、もうこれは臨教審の答申ですからという形で行われてはならないと思うのです。
そういう意味から、答申の尊重という意味は、自由な議論が答申後にできるという前提なのかどうなのかということが一つ。これはやはり国会で開かれた議論をするという意味において、総理大臣に答申されるんですが、総理から国会にきちんと答申を報告する、こういうものを義務づけるべきではないかと思いますが、そういうふうに変える考えはありませんか。総理、どうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/49
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050・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 報告の点は、一つの御議論としてよく頭に入れておきたいと思います。
それから、自由な論議につきましては全く同感でございます。ただ、臨調の答申というものは私は正しい答申であると思っておるのです。正しいがゆえに私は一生懸命やろうと思っておるので、正しくないものを何も押しつけてそこのけそこのけと言っておるものではありません。私は正しいと思うから一生懸命努力しておるので、正しいか正しくないかは国会議員の皆さんが御自分で、また一人一人の責任において御判断なさることであるだろう、そう思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/50
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051・市川雄一
○市川委員 答申が出る前に答申がもう既に正しいなんと言うのもちょっと何か理解できないのですが、おっしゃっている意味はそういう意味じゃないんだろうと思うのですが……。
第一条で「教育基本法の精神にのっとりここうあるのですが、総理の本会議での御答弁では、三月二十二日に発表された文化と教育に関する懇談会の報告、これを臨教審の議論を始めるに当たっての重要な参考資料にしたい、あるいは貴重な参考資料にしたい、こういう御答弁をなさっておるわけです。しかし、文化と教育に関する懇談会の報告を読みますと、いわゆる教育基本法とか特定の見解にはとらわれない立場で議論をした、そして報告、レポートができたわけでありますと、教育基本法にとらわれない立場で議論した報告書が教育基本法にのっとって審議する審議会の重要な参考資料というのは、ちょっと矛盾しているんじゃないかな、こう思うのですが、この点、総理はどうお考えですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/51
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052・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 それは取り扱う者の心構えだろうと私は思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/52
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053・市川雄一
○市川委員 それは答弁になってたいと思うのです。
それから、教育改革に当たっては、高等学校とか中学校とか小学校の実際に授業経験のある人、いわゆる現場の教師の意見は非常に重要だと思うのです。したがって、そういう現場の教師を委員の中に入れるということは非常に重要ではないかと私は思いますが、その点については総理はどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/53
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054・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 教師のみならず、現場の声を聞くということは非常に大事だろうと思うのです。ただ、特定の団体の代表とかそういうような性格のことは適当ではない、学識経験者としてその見識を尊重するという意味において私は大事であると思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/54
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055・市川雄一
○市川委員 委員の任命についてお伺いいたします。
これは「文部大臣の意見を聴いて、内閣総理大臣が任命する。」こうなっておるのですが、しかし、臨教審というのはあくまでも教育改革の器づくり、その器をつくって、そのメンバーでどういう改革案をつくるか」したがって、どういう人が選ばれるかによって改革案の方向性というものが決まってしまうと思うのです。そういう意味で委員の人選が非常に重要じゃないか。極論すればという前提で申し上げておりますが、極端なことを言えば、中曽根首相、文部大臣の考え方に一番合った人だけを選んじゃう。と、一番御自分に合った考え方の答申が出てくる。そういう意味では、いわゆる教育の政治的中立性という問題と抵触してくるんではないか。したがって、この委員についてはやはり国会での同意ということをすべきではないか、こう私たちは考えておるわけですが、これについての総理のお考えを伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/55
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056・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 この点については、私は本会議で答弁を修正して申し上げたとおりでございます。今の同意の問題につきましては、一つの御意見として拝聴しておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/56
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057・市川雄一
○市川委員 それから、専門委員の役割をお伺いいたします。
専門委員というのはどういう役割を果たすのか、どういう権限を持っているのか、委員とどこが違うのか、人数はどのくらいになるのか、それから専門委員の調査した結果の意見の影響力というのはどういうふうに役割を見ているのか、委員会に出席するのかどうか、こういうことを具体的に教えていただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/57
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058・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 政府委員より答弁させます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/58
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059・齊藤尚夫
○齊藤(尚)政府委員 専門委員につきましては、法案の第七条に規定がございます。「審議会に、専門の事項を調査審議させるため、専門委員を置くことができる。」ということでございます。専門委員につきましては、特定の専門的な事項について調査審議をしていただくということでございますので、今回の審議に当たりまして審議の事項が確定しました段階で、その時点で適正な方を専門委員にお願いをするということになろうかと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/59
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060・市川雄一
○市川委員 それから総理、本会議や何かで御答弁になっておることは伺うのをやめて、諮問の仕方というのも非常に重要だと思うのです。個別のテーマで諮問するのか、教育改革全体ということで諮問するのかということによって、答申の出方も変わってくるのじゃないかと思うのです。その辺の諮問のテーマというか諮問の仕方というか、その辺はどういうふうにお考えになっていますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/60
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061・森喜朗
○森国務大臣 諮問につきましては、私も予算委員会あるいは文教委員会でお答えを申し上げておるのでありますが、この国会で今御審議をいただいております設置法案、この御審議の中でそれぞれ国会の諸先生方がどのようにお考えになるのか、当然そのことも踏まえたければなりませんし、そして法案ができまして所掌事務等々国会でお決めをいただきましたその上で、改めてどのような諮問全体を考えるかというふうに検討していかなければならぬ、そういう段階だろうと思います。
ただ私は、国会を通じまして今まで申し上げておりましたのは、これは若干私見も入るわけでありますが、総理の先ほどの御答弁にもありますように、二十一世紀を担う青少年にとってどのような教育の制度がいいのか、こうしたことを幅広く、しかも長期的な観点で考えていきたいということでございますから、でき得ればこれはある程度の、将来二十一世紀を担う教育諸制度について御諮問を申し上げることになるかと私は思います。これは総理がお考えいただくことになりますが、でき得れば最初に幅広く委員の皆様方でいろいろな角度で御検討いただいて、その何回かお進めになる議論の中から少し項目別にいろいろな制度についてまた話し合いが出てくるのではないだろうか、そういう考え方でこの審議会をお進めいただいたらいいのではないかな、私はそういう個人的な考え方を持っております。こう御答弁を申し上げてきております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/61
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062・市川雄一
○市川委員 予算委員会の質疑、本会議の質疑でも出ていることで大変恐縮なんですけれども、「教育基本法の精神にのっとりこということは、教育基本法を変えない。例えば今文部大臣おっしゃったけれども、六・三・三制という問題、制度に触れてくれば、義務教育年限の九年という問題をもし変えるとなれば、教育基本法を変えなければならない。どんなことがあっても教育基本法は改正しないということなのか、場合によっては、臨教審の審議の結果として教育基本法を改正しなければならないような答申が出た場合は、議論をした上での話ではあるでしょうけれども、改正もあり得るということなのか、いや仮に教育基本法の改正に触れるような答申があってもそれは受け付けたいという姿勢なのか、その辺がよくわからないのですが、明快に御答弁をいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/62
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063・森喜朗
○森国務大臣 この法案には「教育基本法の精神にのっとり、その実現を期して各般にわたる施策につき必要な改革を図ることによりこというふうに規定をいたしております。当然、この御論議をいただく上におきましては、政府といたしましては、正しく教育基本法の精神にのっとって改革をしていきたいということでございます。したがいまして、総理も予算委員会では、教育基本法を変えるという考え方を政府としては持っておりません、こう御答弁をいたしております。私も当然その考え方に従っているわけであります。
ただ、それぞれの幅広い方々からの御意見をいただく上で、御議論をいただく上で、教育基本法だけは絶対変えてはいけないよ、ここのところにはさわりなさんなよということで御議論をしていただくことが本当に日本の教育制度全般の議論をしていただくことになるのかどうか、こんなことを考えますと、もちろん先ほど総理も申し上げたように、要はこれをおまとめいただく会長がどのようなお考えを持つかということにもなりますし、当然政府は尊重してそれを国会にまたお諮りすることになるわけでありますから、いろいろだ形で歯どめができているわけであります。
ただ、市川さんが今おっしゃったように年限の問題で、例えば六・三という問題に仮に触れれば、当然そこに触れることが出てくると思いますし、例えばいろいろなところの意見の中に、学校というのはもっと自由自在につくったらどうかという御意見がある、こういうことも当然学校教育法に触れてくるわけでありますから、御議論をいただくときには当然そのことを会長自身は頭に置いてもらわなげればなりませんが、幅広いお考えで御議論いただいた方が結果的にはいいお考えが示されるのではないか、こういうふうに私どもは考えている、期待もいたしておるところであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/63
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064・市川雄一
○市川委員 次に、少し教育の中身の議論をさせていただきたいと思います。
今の特に小学校、中学校、高等学校の教育は、一言で言えばテスト主義、テストで何点取ったか、それによって人間の評価を決めてしまう。よく言われておりますが、友情があるとか思いやりがあるとか優しさがある、あるいは我慢強いとかスポーツが好きだとかいう人間としてすぐれた資質というものを評価しようとしない。ここに大きな問題があると思うのです。しかも、教育の中に育てるという要素が全然ない。いかに記憶させるか、いかにその記憶が的確に行われているかどうかをテストで調べてみる。そのテストの結果でその人間を評価してしまう。このテスト主義の教育をどう改めるかというところに教育改革の最大のポイントがあると私は思う。
本来、教育というのは、みずから学ぶ力、そういう力を先生が子供から引き出してあげる、自分で興味を持って学んでいくあるいは考える力、そういう可能性を先生がみずから生徒の中から引き出してあげる、引き出したものを育ててあげる、これが本来の教育ではないかと私は思うのです。
このテスト主義がもう高等学校、中学校、小学校と、この現状、これをどう改めなきゃならないのか。もっと人間というものをトータルで評価するという、そういうふうに文部省に申し上げると、文部省の方はおっしゃるのですけれども、採点する側は非常に大変だ、マル・バツで合っているかどうか、テスト主義の方が簡単だと。しかし、採点する方がどんなに大変であっても、その採点する側の労苦をいとわない、そして極力人間を人間全体として評価しようという風潮が強くなってこなければ、制度をいじくっても余り意味がないのじゃないか、この点についてどうお考えですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/64
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065・森喜朗
○森国務大臣 市川さん、私も文部大臣になりましてから、この点についても今でも非常に悩みを持っているのです。今市川さんがおっしゃったのは、テスト主義ではなくてもう少し人間の評価を多面的に見たらどうか、こういうお考えだろうと思うのです。私も大賛成なんです。そのことを文部省の局長の皆さんとも議論したこともありますし、あるいは大学の関係者とも議論いたしたことがございますが、要は、多面的な面で評価をしろということは、ちょっと極端な言い方をすると、余り勉強させなさんなという言い方にもなるわけです。
教育者というのは、教育、学問を進めることが一番大きな使命感だろうというふうになっております。しかし、私ども、人間を教育するということは、教育基本法にありますように、人格形成を目指すものだろうと考えますから、そういう意味で、もう少しいろいろな角度で人間のいい面を引き出してあげるということが、今の日本の教育にとって最も大事なところだというふうに考えます。
午前中、角屋先生のときにも総理が御答弁申し上げたように、総理は国際性、人間性ということを言っておられます。二十一世紀というのは日本だけでは生きていけない、むしろ日本人の価値観みたいなものが国際社会でかなり問われていく時代になるだろう。こういうふうに考えますと、今の日本の教育は決して間違ってはいない。ただ、量的に非常に拡大をしてしまいましたから、みんなが教育を受けるというこの大きな机の上にみんな乗ることはできるけれども、何か一つだけの電車に、例え話で言えば特急の「ひかり」にだけ乗れば物すごく成功するんだというような印象が強い。やはりこれは馬車で行っても自転車で行ってもあるいは徒歩で行っても社会には評価されるんだという、そういう面を引き出せる制度を考えていく上には、単に文部省の教育制度だけいじくるのではなかなかこれは改められないだろう。社会全体がこのような認識を持ってくれなければ、結果的には今のようなテスト面だけをどうしても強調しなければならない面が出てくるだろうと思うし、もう一つは、長い人生になったのですから、会社の選び方も学校の選抜の選び方も、もう少し手間暇かけて考えてみるという時期が来ているのではないか。こういう意味で、社会全般にわたる諸制度の大改革をしてみる必要があるのではないか、こんなふうにも考えているわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/65
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066・市川雄一
○市川委員 勉強をしなくなるというのは非常に、誤解です。そんなことはありません。要するに、みずから学ぶ力を引き出してあげる、育てる、これが本当の勉強ですよ。試験の点をよくするための勉強だけが勉強ではない。それを僕は申し上げている。そういう教育のあり方を追求すべきだ。
それでは伺いますが、教育を受ける側、生徒にとって最大の教育環境、教育環境がいいというのを一つ挙げよと言われたら、これは総理に伺うつもりだったのですが、こういう質問をするのは失礼ですから文部大臣に伺います。何を文部大臣は挙げますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/66
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067・森喜朗
○森国務大臣 子供の心身の発達程度によって違うと思いますが、一番今教育の現場に求められるものは、子供たちが学校に行くことが楽しい、こういう気持ちを持ってくれることが一番大事ではないかと私は考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/67
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068・市川雄一
○市川委員 今のは子供の気持ちなんですけれども、私が聞いているのは、いい先生がいる、校舎がいい、プールがある、緑に囲まれている、あるいは一学級四十人だ、教育環境という言葉の中にはいろいろな条件がある。ただ、一番大事なものを一つ挙げよと言ったら何を挙げるかということを伺っている。
私は、教師、先生だと思うのです。それに尽きてしまう。いい学校があって、グラウンドがあって、プールがあっても、先生が悪かったらこれはどうにもならぬ。いい先生にめぐり会うかどうかということが生徒にとっては最大の教育環境だと私は思うのです。
ですから、今ここで議論しておりますのは、もちろん社会の問題もあります。家庭のしつけの問題もあります。しかし、それはおきましょう。これをやっていると、教育の責任がなくたってしまう。社会は社会のあり方を考えなければいけない。家庭は家庭のしつけのあり方を考えなければならない。十分にわかります。しかし、学校教育というのは、学校の教師と生徒で成り立っている。しかも、生徒は教えてもらう側、教師は教える側、したがって、最大の教育環境というのは教師自身に尽きてしまう。そういう御認識、お考えは総理にはございませんか、どうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/68
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069・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 全く同感です。私は、初中の教育においては、特に教育というものは両親と先生がやるものだ、そう思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/69
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070・市川雄一
○市川委員 そうなってきますと、先生の養成という問題が非常に重要なんです。今大学で単位を取って教職課程をとって、教育実習があって先生になる。それでは、先生を養成する過程で、その先生の教師としての資質というものをだれが責任を持って見ているのか、だれが責任を持ってその資質というものを育てているのかということを見ますと、非常に疑問がある。
要するに、先生の採用もテストで採用されているわけです。最近は試験が非常に難しい。大学へ入るのもテスト、大学を卒業するのもテスト、先生になるのもテスト、結局テストの教育をくぐり抜けた優等生が先生になる、こういうことだと思う。したがって、教師の選び方を変えない限り、今の教育改革に二つの中身の改革はできないのではないのか。やはり教師というものを、ただ単にテストの点がいいというだけで選ぶことに失敗があると思う。子供に対する愛情がある、教育に対する情熱がある、使命感を持っている、そういう人間的な資質を持った教師をどう選ぶのか。今の制度では、もちろんそういう先生方も多くおることは承知しておりますが、やはりこの辺に一つのポイントがあるのではないか。その点についてどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/70
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071・森喜朗
○森国務大臣 市川先生のおっしゃるとおりでありまして、私がさっき学校へ来ることが楽しいと言ったのも、当然学校に来るということは、建物の中に入るのではなくて、教師に触れて教師から知識を受けると同時に、教師の人格に触れていくということが私はやはり教育の最大の大事な点だろうと考えているわけです。
ただ、教師の選び方については、やはり教育者という立場、使命感、専門職と両方のものがございます。しかし、今日までの日本の教育も、やはり教師という目で見る場合は、どうしても知識は盛りだくさん持ってなければいけないという面があったと思うのです。しかし、今日の教育の現場を見てまいりますと、確かに学問は優秀なのかもしれませんが、子供たちを指導していくという面では若干適格性が欠けている面があるのかもしれない。そういう意味で、教師の選び方についても、もう少しどういう角度から選んでみるかということも、これは検討していかなければならぬ大事な今度の教育改革の問題の視点ではなかろうかというふうにも私は考えております。
したがいまして、従来でございますと、学問優先という考え方はある程度日本の国民の合意であったと思いますけれども、やはり今日的な視点で見れば、教師というものはもう少し多面的ないろいろな要素や面を持っていなければならぬというふうに国民の皆さんも期待をしておられると思うのです。そういう意味で幅広くいろいろな角度からいろいろな皆さんの御意見を伺ってみて、教師像というものもみんなで考えてみる必要がある。それに伴って、その教師像をどういう形で選んでいくか、資格を求めていくかというようなことも、これは多くの人生の経験豊かな方々から御検討いただくということも、やはり今後の教育改革の一つの大きな柱になっていくことではないだろうか、私はこんなふうにも期待もいたしておるところであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/71
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072・市川雄一
○市川委員 時間が迫ってきているのですが、あと、例えば英語教育はヒアリングとカンバセーションで私は十分だと思うのですね。大学の先生になったり、どうしても作文とかリーディングの必要な方はそれでやればいい。幾ら英誌の教育を受けても、しゃべれない、聞くこともできない、これではもう全くナンセンス、これはやはり改革しなければいけないと思う。
それから、第二外語というものを大学で習う意味、学者になるたら別ですが、フランス語だとかドイツ語は余り意味がない。
あるいは高等学校、中学の国語の教育、国文法をたくさん教えますよね。け、け、ける、ける、けれ、けよとかね。さんざん僕らも暗記させられたわけです。こういうことにそれほど意味があるのか。日本の和歌を品詞に分析して、「あおによし奈良の都」を、これは名詞で、これは助詞でなんてナンセンスだ。もっと古典というものを素直に味わったらどうか、それで十分なんじゃないのか、こう思いますし、あるいは文学作品というものを感受性の強い高校時代にもっとたくさん読むようにした方がいいと思う。例えば京大の桑原武夫さんは「文学入門」の中で、すぐれた文学作品を読むのと読まないとでは、その人の心の中に大きな変化が起きてくる。例えば「レ・ミゼラブル」を読んだ人と読まない人では、囚人に対する理解が変わってくる。立場の違う人間に対する理解力とか、あるいは、まあソ連は怖い怖いということを言っておりますが、ロシア文学を読んだ人間と読まない人間では、やはりソ連に対する見方は変わってくるのじゃないか。ですから、そういう意味において、いわゆる文法を何かただ入試のためだけにやっているような気がしてならない、もっとそういうことに教育すべきじゃないのか。
時間がないから申し上げます。あるいは作文教育というものが余りにも軽視され過ぎているのではないのか。大学を出ても文章が書けない。しかし総理、物を書く力を養う課程というのは、僕は非常に重要だと思う。物を書くということは、ただ読んでいるだけでは書けない。考えなければならない。その書く力を養うことによって初めて読む力、考える力、こういうものが出てくると思う。ところが、本格的な作文教育を小中高でやっているか。大学を出てもなかなか文章が書けない。むしろ教えることはたくさんあるのですけれども、教科が多いのですが、その割に実際に本当に必要なものが抜けている感じもする。これはやはり入試がもたらした問題だと私は思う。
そこで、一番申し上げたいことは、大学のあり方を変えるということです。今までの教育改革は生徒のかかわり合いの部分を改善したわけです、例えば共通一次を実施しようとか。そうでなくて、むしろ教える側の改革が必要だと思う。大学というものは、本来ならみずから学ぶ力あるいは研究する力を育ててあげる。それがそうではなくて、もう大学に入ったころは受験勉強でくたくたに疲れてしまっている。大学が学ぶ力を育てたり教えたりするところではなくて、ある意味ではライセンス、どこどこ大学を卒業した、単位を取りました、大卒でございますというライセンスを与えることにむしろ主眼がいってしまっている。その辺の大学のあり方というものを変えない限り、この入試の改善というものは難しいのではないのかな。
入試というものは最善というものがないと私は思う。どんなにいじくってもまた弊害が出てくると思うのです。共通一次をアラカルト方式に変えたとしても、またそれに伴う弊害が起きてくる。ですから、本来の大学に大学のあり方を改革していく、そして、入りやすくて出づらい大学に日本の大学のあり方を変えていく。もし入りやすい方が難しいというなら、最初に出づらい方だけ実行していく。落第をさせていく、あるいは卒業をさせない。そのくらいの大学の基本的な改革がありませんと、これは絵にかいたもちになってしまうのではないか。大学のあり方を改革するということに高中小の教育改革のポイントがある、私はこう見ておるのですが、総理大臣はどういうお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/72
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073・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 今おっしゃった試験に関するマークシート方式の改革あるいは大学の改革、同感であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/73
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074・市川雄一
○市川委員 ぜひ臨教審でそういう大学自体の改革――大体アラカルト方式に校長会が反対しているというのは、私はある意味ではわかる気持ちがするのですが、高校の先生が自分の授業の力で勉学意欲を引き起こす力がないということを暴露した。入試の科目をふやすことによって、入試で生徒を引っ張る、もう既にそこに毒されてしまっているのではないかということを思うわけです。その辺を、大学のあり方を変えることによって入試のあり方が基本的に変わってくると私は思うのです。高校のあり方も変わってくると思う。こういうふうに考えている一人でございます。
時間が迫ってまいりましたので、最後に、教育問題と直接関係はありませんけれども、けさの朝日新聞を拝見いたしましたら、韓国の外務大臣が、全斗煥大統領の訪日に当たって日本の天皇陛下と会見がある、その会見があることは慣例として確立されている、その会見のときに天皇陛下のお言葉として、過去についての天皇陛下のお言葉を期待する、そういう示唆をするような発言が新聞に出ているわけでございますが、総理としてこの問題についてどういうお考えでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/74
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075・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 韓国の大統領が御来日になるということは、まだ正式に決まっておるわけではありません。また、おいでになって、どういうような御日程があるかということも決まっているわけではありません。したがいまして、そういう仮定的な御質問にはお答えしない方が適当であると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/75
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076・市川雄一
○市川委員 時間ですから、最後にもう一点、申しわけありません。
教育問題に戻りますが、総理は選挙中に、六十年度に偏差値教育を打破すると各地でおっしゃっておりますね。六十年度の共通一次試験から改革したいと国大協のメンバーにも要請していますね。しかし、文部省は来年の共通一次試験についての方針を発表しておるようですが、六十年度から偏差値教育の打破、共通一次試験の改革、アラカルト方式への改革、これについて今総理のお考えはどうですか。六十年度からやるというお考えがまだありますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/76
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077・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 国大協の先生方がお決めになることのようですが、期日について改革が行われて、どうもずらすことになってきたようです。しかし、今度は内容につきましては、今御議論しておられるので、間に合うかどうかわかりません。国大協の先生方がお決めなさることですが、私は、できるだけ早くやった方がいい、善は急げだ、そう思います。思いますが、しかし、受験生の身にもなって考えないといけないので、今一生懸命ある前提のもとで勉強している皆さん方の立場も考えなければいけない。そういう思慮を持ってこの問題には対しなければならぬと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/77
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078・市川雄一
○市川委員 今まで行われた議論、これから行われるであろう国会での教育議論、ぜひこれを、それぞれの立場での議論ではありますけれども、臨教審にそれなりに反映をしていただきたいということを要望申し上げまして、私の質問を終わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/78
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079・片岡清一
○片岡委員長 田中慶秋君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/79
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080・田中慶秋
○田中(慶)委員 私は、教育について国民の関心がこれほどまで高まっているときはないと考えておりますし、それだけに、多くの問題を抱えながらなお将来に向けて教育が心配されているのだと思われます。現在提案されている臨教審設置法を中心に、教育改革について若干の意見を加えながら総理に質問をさせていただきたいと思います。
まず一点は、臨教審設置法の基本姿勢についてであります。
民社党は、二十一世紀は教育の時代であるということを提唱しているところでありますし、また民社党結党以来、教育を重視し教育国家の建設を提唱するなど、常に教育行政の改革に努力してまいりました。特に最近の教育の荒廃、青少年を取り巻く社会環境の悪化などを考えるとき、教育改革は急を要する国民的課題であろうと思います。
総理はサミットの帰朝報告でも、世界が日本に期待するところ大である、要約するとこういう報告もございました。二十一世紀に向けて、ニューリーダーとして国際社会に貢献する日本の役割はますます重要性を増してきていると思いますし、私もそのとおりであろうかと思います。国際社会に貢献する立場に立って、日本として、例えば技術協力を初め福祉や平和など、それぞれの分野においてすべて教育とのかかわりが大きいわけであります。
民社党は、このような実態を踏まえながら、ことしの一月十七日、先ほど総理も述べられておりましたように、佐々木委員長が党首会談の席上、グローバルな形で教育改革を論ずる教育臨調の設置を提案をしたところであります。民社党があえてこのような呼びかけを行ったのは、これまでもさまざまな形で教育改革に大胆な提案を行ったにもかかわらず、教育が文部省、日教組及び教育関係者という狭い枠組みの中で取り扱われてまいりました。そのひずみが校内暴力、家庭内暴力あるいは教育の荒廃をもたらし、青少年の非行化がエスカレートするという実態となり、国民等しく教育に対し危機感を持っているのだと思います。
今ばらばらな形で行われてきた教育論議を国民の期待や時代の要請にこたえるために教育臨調の設置を提唱してまいりました民社党として、今般の臨教審に対する総理の基本的な姿勢をお示しをいただきたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/80
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081・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 お示しのように、佐々木委員長との党首会談の席上、佐々木委員長からいわゆる教育臨調設置のお話がございまして、私も非常にお示しに共鳴をいたしましてこういう発想を持った次第であります。その言わんとするところは、現在の戦後の教育体系全般について国民的幅の広い立場に立った検討を行っていただいて、そして二十一世紀に向かって立派に世界的日本人をつくり得るような教育体系に変えていただきたい、そういう念願を持って今回このような審議の機関を設置したということなのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/81
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082・田中慶秋
○田中(慶)委員 臨教審もそうでありますけれども、日本の教育、すなわち教育には長い歴史と伝統の中からつくり上げられる環境というものもあろうかと思います。日本のよき伝統の一つに隣人とのつき合いやあるいは触れ合いを大切にしてまいりました過去の習慣、しかし、最近は近代化や核家族などの時代の流れとともに、せっかくいい習慣も忘れられようとしていることも事実だと思うのです。こうしたことをもう一度見直すことを日本のよき教育制度の中に確立することが急務ではあろうか、こんなふうに思う次第であります。
特に、例えば隣人の大学生や高校生が、社会参加の中で子供たちに対する世話活動や指導をどのようになされているでしょうか。余りにもそれは分断されている社会である、こんなふうに受けとめられているわけであります。同時に、日本のよき先輩でありますお年寄り、貴重な経験や体験を持っているにもかかわらず、これらの発言の場所すら失われつつあるというのが今の社会の実態ではなかろうかと思います。こういうよき伝統やらよき経験を持ったことを教育の中に生かせるような真の教育が生まれていいのではないか、こういうことも言われているわけであります。例えば四十人学級を実現しても、あるいは教育の制度を整備したり、教員の資質の見直しを行うだけで果たして真の教育改革ができるでありましょうか。今教育改革に必要なのは、従来から論議されてきました制度の枠組みを超えた社会全体の問題として教育をとらえ直す必要があるだろう。そういう意味で、今回設置されようとしております臨教審が出す答申が中教審の範囲と同じであっては意味がない、こんなふうに思う次第であります。また、中教審が幾つかの貴重な提言を行ってきたにもかかわらずこれを放置してきた政府の姿勢も改める必要があろうと思います。
総理は、どのような答申を期待し、また、それをどのように実現をされようとしているのか、総理の考え方をお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/82
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083・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 前に、文化と教育に関する懇談会やあるいは中教審の今までの答申等を踏まえていろいろ御検討を願いたい、こう申し上げておったところでございますが、非常に幅の広い見地から、まだかなり社会的な実相をうがって、また試験の実態やら学生生活の実相を掘り下げてよく検討していただきまして、そして、日本の未来を開くそういう力を持った学生なり子供たちをつくっていただきたい、国際国家日本にふさわしいような子供たち、学生たちをつくっていただきたい、そういう念願を持っていろいろ御検討を願いたい、そう思っておる次第でございます。
やはりそういう意味におきましては、日本の各方面を網羅した、国民全体の意見を代表し得るような方々に委員になっていただいて、そうして、そういう非常に幅の広い面から、あらゆる角度から教育というものを見直していただいて、そして欠陥を指摘し、改革案を練り、我々の方へ提示していただく、そういうことを期待しておる次第なのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/83
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084・田中慶秋
○田中(慶)委員 総理が期待されているのは、国際社会の中での日本のこれからの役割や、将来の日本の教育によって世界における日本人としての位置づけを示されていると思いますけれども、私は、一面においては中教審という形の中でそういうものもあったと思うのですけれども、今回の臨教審がそういう点では全く同列であっては意味をなさないだろう、こんなふうに思う次第なんです。総理が意図されているところもまさしくそんなところにあるのではないかというふうに私は思うのですけれども、総理はその辺をどのように考えられているのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/84
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085・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 中教審の答申は答申としての意味がまたあると思いますが、中教審よりもっとさらに幅の広い――内閣、総理府に置くというのはそういう意味もあるわけでありますから、幅の広い見地に立ち、その後の時代の変化、あるいは試験例度や教育制度に対する国民世論というものもよく踏まえて、そしてさらに、二十一世紀に向かって国際国家日本にふさわしい学生なり子供たちをつくっていただきたい。そういう新しい未来を開くという意味も大いに考えてやっていただきたい。ですから、中教審よりもより幅が広く、また、より未来が長くというような感じで特に答申を期待しておる次第なのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/85
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086・田中慶秋
○田中(慶)委員 この内閣委員会は枠組みを論ずるわけなので、中身というものについては余り深くはということも考えていたわけですけれども、今の総理のお答えの中で、大変臨教審に対する期待というものが従来よりも幅広く、多くのものを期待しているように承っているので、この辺について総理に再度お伺いしたいわけでありますけれども、せっかく中教審というものがあって、日本の教育はそれなりにユニークだと評価されてきたと思います。しかし、現実に教育の荒廃とか落ちこぼれだとかいろいろなことが、模索といいますか、教育論議がいろいろな角度で言われてきたと思うのです。しかし、それは私は、一面においては戦後の日本の教育のいろいろな形のひずみであろうかとも思います。しかし、そういう中で今最も必要なのは何だろうということを言われたときに、社会教育あるいは社会計画、こういうものに対する取り組みというものが少し欠けているのではないか、こういうことをよく言われておりますし、私もそのとおりだと思います。例えば、せっかくそれぞれの分担、学校は学校の現場で、私は一生懸命やられていると思います。家庭教育の問題も、多くの問題を今論議をされております。もう一つは、社会がどのようにその役割分担をされているかということを考えたときに、この社会教育の面におけるその辺が一番今の日本の教育に欠けている大きな問題ではなかろうかということをよく指摘をされております。
例えば、社会教育は確かに幅が広いわけであります。そういう中で、総理も、ボランティアの問題、いろいろなことをそれぞれ予算委員会その他で説明をいただきました。しかし、子供たちが本当に心身ともに遊ぶ場所を一つとっても、遊ぶ場所すら失われつつあります。あるいは、そういう人たちが社会参加の中で、生涯教育の中でボランティアに参加をしようとしてもその環境でないということは事実であります。そういう点で、それぞれの役割分担の中で、少なくとも今教育論議を行い、そして臨時教育籍議会の中における教育の改革を行おうとするならば、これらの問題も重要視をされる必要があるだろう、こんなふうに思う次第ですけれども、総理はこの社会教育についてどのようにお考えになっているのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/86
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087・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 生涯教育ということが言われますように、単に学校教育だけの単線進行ではなくして、複線あるいは複々線というように、さっき文部大臣がここでおっしゃいましたように「ひかり」に乗るだけではなくて自転車もあれば馬車もある、そういうような複線化方式で行けるような形にする。そして、生涯教育ということでございますから、社会教育というものが非常に重要性を増してくるわけでありまして、社会教育の中に、今度は大学へ入るというチャンスも出てまいりますし、また、出てきてから今度はその力を援用して先生になってもらうという場合もあり得るでしょうし、もっと社会的ないろいろなリーダーシップを発揮していただくという面もあるでしょう。そういうものにふさわしいような意味の社会教育というものが非常に大事である。今まで単に学校の補習をするとか補欠的な意味における社会教育というよりも、社会教育自体が一つの大きな意味を持ってくる、そういう独自性を持ったものでありたい、そう念願しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/87
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088・田中慶秋
○田中(慶)委員 そこで総理にお伺いしたいわけでありますけれども、臨教審の問題に入ってまいりたいと存じます。
臨教審の運営について、政府の関与の仕方についてでありますが、例えば第二臨調のときには部会方式をとり、多数決方式をとってきたと思います。中間答申も数次に分けて出されてまいりました。こうしたやり方が答申の内容自身にも少なからずあらゆる影響を与えてきた、こんなふうに思います。
そこで、今回、この臨教審の審議内容だけではなく、審議会の運営の仕方について臨教審の裁量に任す、白紙の状態でゆだねるということを何回か述べられておりますけれども、この辺についてもう一度確認をさせていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/88
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089・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 臨教審の審議する内容及びその運営のやり方、これは委員になった皆様方が自分でお決めいただくことがいい。ただし、政府は、総理大臣の名前において諮問はいたします。
諮問の内容というものは、文部大臣にいろいろ検討していただき、今文部大臣も構想の一端をお述べになったような次第でございますが、それで、ではどういう項目をどういう順序でやるかというような内容やあるいは手続等の問題は、これは委員にお決めいただきたい、そう考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/89
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090・田中慶秋
○田中(慶)委員 そうしますと、この審議会の手続、ルールの問題についてはそのメンバーの人たちにお願いをする、すなわち、中身の問題については、政府として、少なくとも総理は総理として教育に対する情熱とさらに考え方があるわけですから、そういう点で中身について総理は当然注文をつけていくのではないか、また、つけても当たり前のことだと思うのです、総理の諮問機関なんですから。そんなことを含めて、総理はこの辺をどういうふうにお考えになっているのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/90
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091・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 審議の過程で注文をつけるというようなことは避けた方がいいと思うのです。しかし、審議するに当たって、総理大臣が、こういうことを答申してほしい、こういうことについて御意見をまとめてほしいあるいは述べてほしい、そういうことは当然我々の方はやるべきで、それらの内容については文部大臣にいろいろ勉強していただきたい、そう思っておるわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/91
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092・田中慶秋
○田中(慶)委員 そうしますと、この臨教審の運営についてはそのメンバーにゆだねるということであっても、総理として、今それぞれ臨教審に対する基本的な姿勢が述べられているわけでありまして、そういう点で内容その他の問題についてはそれぞれ審議会に具体的に意見を求める、こういう形に理解をさせていただきたい、こんなふうに思うわけであります。
実は、この臨教審設置法が成立したということで発足の時期の見込みからして、例えば中間答申を出してもらったとしても、来年度の予算編成に間に合うというのは大変困難なことではなかろうかと思うのです。そういう点で、手続として、従来のような中間答申を出していただくのか、それとも緊急答申を出してもらって来年度の予算編成に重要な柱として間に合わせたい、こういう意思を持たれているのかどうか、総理の考え方をお伺いしたいと思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/92
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093・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 これは委員の皆様方に独自にお決め願い、審議していただくことでございますが、私は、これはかなり時間がかかる審議会であると思っておりますから、その過程において、必要に応じ、機宜に応じて中間答申をしていただいたらありがたいのではないか。そういうような点については文部省なりあるいは文部大臣なりがいろいろ考えていただいて、その必要性ありやなしや、そういう点についてもいろいろ助言していただきたい、そう思っておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/93
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094・田中慶秋
○田中(慶)委員 財政的な関係で来年度の予算について、今総理がこの臨教審というのは息の長いことであるからと言うこの前提で、少なくとも将来に向けての方向と、さらに今財政的な裏づけがなくてもできるような問題、さっきも一部総理が論じられていた共通一次試験等の問題あるいは有害図書の問題等々を考えたときに、中間答申があればこういう問題については緊急を要するという形の中でそういう措置をするのか、あるいは逆に、総理として緊急を要するものに対して答申を早く出していただきたいという期待はお持ちだと思うのですけれども、その辺についてお考えをお聞きしたいと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/94
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095・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 試験制度の改革とかそのほか、あるいは審議している途中に応じまして、できるだけ早くやっていただいたら国民も喜ぶし、また、学生や生徒たちも要望している、そういうような問題がありましたら中間答申をしていただくのは適当である、そういうふうに考えることになるでしょう。そういう意味において、中間答申をしていただくことは適当であるというふうに考える場合には文部大臣なり文部省から御相談する、そういうことになるのではないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/95
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096・田中慶秋
○田中(慶)委員 そういう点では二面性を持っておるのではないかと思うのです。財政的な裏づけのものと財政的に裏づけのないものと、こういう形でそれぞれ答申の要望もあろうかと思いますが、それでは昭和六十年度の予算編成で、文部省予算に対して総理としては、財政が大変厳しいという感覚のもとに切り込むという、こういう言葉がいいかどうかあれですけれども、予算についてどのようにお考えになっているのか。
例えば今度の臨教審の設置に見られるように、教育の充実ということを一面に置けば当然お金がかかることだと思うのですけれども、反面においては相矛盾する点も出てこようかと思うのです。そういう点で、「増税なき財政再建」の範囲の中でという、あるいはまたそのような形の中で、総理の従来のパターンからするとこの財政問題というものが必ず出てこようかと思うのですけれども、それらについて総理はどのようにお考えになっているのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/96
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097・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 財政一般につきましては、前から申し上げておりますように「増税なき財政再建」を行う、あるいは六十五年に赤字公債から脱却する、そういう方向で、臨調答申尊重という基本線に立って予算編成も行わなければならぬだろうと思います。
基本的にはそういう構えでおりますけれども、具体的に、ではシーリングをどうするとかというような問題になりますと、これはまだ決まっているわけではありません。今行管長官が行革審に御意見を求めておるので、その意見等も踏まえまして、党及び内閣でよく相談をして具体的には決めていきたい、そう思っておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/97
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098・田中慶秋
○田中(慶)委員 実は、来年度の予算編成というのがもう既に目前に来て、いろいろな形で御検討されていると思うのですけれども、臨教審の答申なり中間答申なり、そういうものがはっきりしない現状において考えると、少なくとも今の予算配分その他の問題について、私学の補助率であるとかあるいは教科書の無償配付であるとか、そういう問題で従来とってまいりました総理の姿勢というものは変えることがないというふうに理解をしてよろしいのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/98
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099・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 行政改革に関する私の基本姿勢は変わっておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/99
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100・田中慶秋
○田中(慶)委員 行政改革も当然のことだから、反面においては教育の充実もしなければいけない、そういう点で今度の臨教審の設置法の問題が出てきたと思うのです。ただ、行革だからといってそれぞれの予算の中で、例えば私学の補助率、私学は私学の建学の精神を初めとして今教育改革に情熱を込めている総理の考え方は、いろいろな角度で私学でも重要視をしながら教育について情熱を燃やしていると思うのです。そういうところに補助率をカットするようなことがないと思うのですけれども、そういう補助率の問題、あるいは教科書の無償配付等の問題については、当分、臨教審の答申が出るまでは現在のままでいてほしい、こういう声が多くあるわけですけれども、総理はこの辺についてどういうふうにお考えでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/100
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101・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 そういう具体的な問題になりますと、これは臨教審の委員の先生方がどういうふうにお考えになり、どういうふうにおまとめになるか、そういうことを待って考えるべきである、そう思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/101
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102・田中慶秋
○田中(慶)委員 今総理が具体的な個々の問題についてはということでございますけれども、例えば、臨教審の答申がまだ出ていない、こういう前提で、片方においては行革もしなければいけない、総理はそういう点で大変厳しい立場に置かれていると思うのですが、臨教審の考え方を待ってという総理の前向きな言葉をそのまま理解するならば、教科書の無償配付というのは当分続くというふうに理解をしてよろしいわけですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/102
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103・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 ただ、予算編成というものはもう差し迫って、八月までには概算をやらなければなりません。しかし、決定されるのは十二月ですね。ですから、党としては、この概算を決めるという場合に、臨教審がそれまでにできてもいないし、またお考えも示されないという状態なら、党で相談をしてやらざるを得ないのであります。
それで、教科書無償の問題についてはいろいろな因縁話もありまして、党の中でもいろいろ議論が分かれているところでありますから、それらは党の皆さんが最終的にどういうふうにまとめられるか、それをまた我々は検討しなければならぬと思っておる次第です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/103
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104・田中慶秋
○田中(慶)委員 そうすると、総理が今出されております臨教審の問題のとらえ方として、この教育改革は予算とは切り離して当面は進んでいく、こういう理解でよろしいのかしら。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/104
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105・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 これはもう、進行速度によるわけですね。ですから、早く臨教審をつくっていただいて、早く中間答申でも出していただけば列車に間に合うということもあり得ますし、鈍行列車になれば間に合わぬということにもなりますね。そういう点で、私たちはできるだけ早くそういうお考えをお示し願えればありがたいと思っているわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/105
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106・田中慶秋
○田中(慶)委員 いずれにしても、今教育改革を叫ばれているわけですから、当然教育改革と財政というものは表裏一体の部分が相当出てこようかと思います。片方においては行政改革に悩み、片方においては教育改革を推進しようとする総理ですから、その辺については、臨教審の答申もさることながら、少なくとも現状、私学の補助金とか教科書の問題等々については私は当分の間そのままの状態を進めていただきたい。これはひとつ要望としておきたい、こんなふうに思う次第であります。
そこで、臨教審の委員の人選についてお伺いしたいと思うのです。
委員の人選が教育改革の動向に極めて重要な意味を持っているというふうに理解をしております。我が党は、少なくとも国政の重要な課題について与野党間で国会審議を離れて自由に協議のできる場所を持つことが望ましいということを総理にも提案しましたし、それを踏まえて総理が与野党の政策協議という形の中で現に行われてきておることも幾つかあろうと思います。そういう点では、この委員の人選等について、臨教審の大事な枠組みづくりでありますので、今後これらの問題について与野党間での話し合いの場所を持つべきだろうと思いますけれども、総理の所見をお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/106
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107・森喜朗
○森国務大臣 委員の人選につきましては、今国会で御審議をいただいているわけでございますので、各党の先生方の御意見、そしてまた審議のプロセスも十分踏まえつつ、人選をしていかなければならぬと思います。
この人選の問題について与野党間の政策機関ということとは、私はいささかなじまないのではないかというふうに考えております。やはり当然国会における審議のプロセスあるいは各党の御意見、そういうことを十分踏まえつつ、幅広く多くの皆さんの中から人選を進めていきたい、こういうふうに考えておるところでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/107
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108・田中慶秋
○田中(慶)委員 いずれにしてもこの人選の問題も、それぞれの構成されるメンバーということを考えたときに、この人選によってまた教育が大きく左右されることもあるわけですから、そういう点では、政策協議ということを先ほど申し上げましたけれども、私は少なくとも同じような形の中で相談があってしかるべきだろう、こんなふうに考えて申し上げたわけでございます。それらについて文部大臣は政策協議の場とは違うという前提で今お答えいただいたわけですが、私は、少なくともこれだけ大きい臨教審の問題ですから、政策協議の場と同じような形で進めてもしかるべきだと思うのです。その辺、もう一度答弁をしていただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/108
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109・森喜朗
○森国務大臣 人選につきまして、その人選の問題をテーマとして与野党間でどういう方々をお選びしようかというようなことで選ぶというのは、私は現時点で考えていないということであります。
ただ、当然、臨時教育審議会設置に当たりまして、まだこれからの教育改革を進めるに当たりまして、与野党間でいろいろ御意見を交わしていただくことは私は大歓迎でございます。ただ先ほども申し上げましたように、委員の人選につきましては、十分に各方面の御意見も承りながら幅広く人選をしたい、こう考えておりますが、その一つのエキスといいましょうか、その舞台といいますのは、この国会におきますいろいろな先生方の御意見等を十分踏まえて判断することが政府の一番大事な姿勢ではないか、こういうふうに私は申し上げたわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/109
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110・田中慶秋
○田中(慶)委員 今文部大臣から、これらについての基本的な姿勢はわかりましたけれども、しかし、これだけ重要なものでありますから、過去のいろいろな、それぞれの委員のメンバー等々のことも考慮に入れますと、どちらかというと偏ってはいかぬという姿勢もありますので、こういうことを含めて、今後の委員の人選等については配慮をぜひしていただきたい、こんなふうに思うのです。
そこで、教育基本法の精神と臨教審についてお伺いしたいと思うのです。
教育改革は当然制度の改革であるわけでありまして、我が党は従来まで中高の一貫教育を提唱してまいりました。教育基本法四条には義務教育期間九年と定めております。しかし、仮に臨教審が何らかの形で中高一貫教育、つまり義務教育の延長を答申した場合、それがたとえ教育基本法の条文の手直しをすることがあってでも、設置法で言う教育基本法の精神には触れないと考えておりますけれども、この辺について総理の御所見をお伺いしたいと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/110
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111・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 義務教育九年というのは変える考えは今のところありません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/111
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112・田中慶秋
○田中(慶)委員 今九年は変える考えはないということで答弁をいただいたわけですけれども、臨教審の答申が仮に変更した場合、九年ということ以外に答申が出てきた場合、この設置法で言う教育基本法の精神に触れないだろうと思うのですけれども、その辺はいかがでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/112
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113・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 やはり教育基本法に九年と書かれておるわけですから、九年を変えるという考えは今持っていないと申し上げる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/113
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114・田中慶秋
○田中(慶)委員 その辺はやはり、少なくとも制度の改革とかいろいろなことを含めて従来からも中高の一貫教育を主張している私どもとすれば、これらの問題を含めて将来とも中身、制度見直しがあって――当然そういうところで初めから制度をコンクリートした形の中でやることは今の臨教審に対する注文づけのような形になると思うのですけれども、総理が変えないと言うこと自体が、臨教審にそれの問題についてはという形で注文づけをされるつもりですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/114
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115・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 教育基本法の趣旨にのっとりとか、そういうふうにわざわざ法文に書いてありますのは、やはり教育基本法を守っていくという考えに立っておるのでありまして、やはり守っていきたいと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/115
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116・田中慶秋
○田中(慶)委員 時間もありませんので、次の問題に移らせていただきたいと思います。
この臨教審設置法に対して我が党は、国民的コンセンサスを得る必要があるだろう、国民的コンセンサスを得る一つの方法として、例えば委員のメンバーの国会の承認を求める、あるいはまた臨教審から出された答申を国会に報告をする、このような二点の問題が現在の設置法において修正をされるならば少なくとも今の設置法に賛成をしてもよろしいという民社党の考え方を持っているわけでありますけれども、この問題については、中曽根自民党総裁として、この修正相談に応じる用意があるのかどうか、お伺いをしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/116
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117・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 法案について非常に御理解あるお言葉をいただきまして御礼申し上げたいと思いますが、修正問題云々というのはまだ現実化しておるわけではありません。一つの御意見として今のところは承らせていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/117
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118・田中慶秋
○田中(慶)委員 いずれにしても、この臨教審の設置法というものが今後の教育改革に果たす役割というものが大変大きいわけであります。そういう点を考えてまいりますと、少なくとも国民的コンセンサスを得るために、委員のメンバーの国会承認やあるいはまた出された答申は国会に報告するということをぜひこれからも前向きに検討されることを望んでおきたいと思います。
そこで、専門委員の話も先ほど出ました。あるいはまた事務局体制の問題について、若干触れてみたいと思うのです。
従来の第二臨調のときにいろいろな問題が起きたわけでありますけれども、事務局体制というもの、あるいはまた専門委員のところも、少なくとも民間の活力を導入するということで民間スタッフの多くを参入していただきたい、こういう声がこの臨教審に対して望む態度としてあるわけですけれども、これらについて総理はどういうふうにお考えになっておりますか。文部大臣で結構です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/118
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119・森喜朗
○森国務大臣 専門委員につきましては、先ほどの市川さんの際の御答弁でも申し上げましたように、これから審議会でいろいろ幅広い御論議があろうと思いますし、その具体的な条項につきまして専門の方々をその都度お選び申し上げたい、こう考えておるわけであります。したがいまして、今田中さんから御指摘がございましたように、大変重要な教育の問題でもございますので、専門委員はできるだけ幅広くいろいろなところから御人選を申し上げるということは適当かと考えますので、当然民間の方々の御意見をいただくということは、私は極めて大事なことでないかというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/119
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120・田中慶秋
○田中(慶)委員 専門委員の問題もそうでありますが、事務局体制というものがどうしても文部省を中心とした形になりはせぬかという心配もあるわけでありますから、この事務局体制についても、幅広く各省にわたり、あるいはまた時には民間のスタッフも参入する、こういうことについてぜひやっていただきたい、こういう声があるわけです。この辺について文部大臣、専門委員と同じような考え方でよろしいかどうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/120
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121・森喜朗
○森国務大臣 既に準備室を文部省の中に設けて、この国会の御審議に対応いたしましてその作業を進めておるところでありまして、それも文部省が中心になりまして、関係省庁からそれぞれ御専門の方々を今いわゆる併任の形でお手伝いいただいておるところでございます。一日も早く国会で御承認をしていただきまして、成立をした暁には審議会をスタートいたしたいと思いますが、その際は、今田中さんからの御指摘にありましたように、幅広く各省庁から、それぞれの部門の中からぜひこの審議会に御協力いただきたい、こういうふうに考えております。
ただ、事務局に民間の方をということはできませんので、先ほど専門委員のときにも先生から御提案がございましたように、民間のいろいろな皆さんの御意見が幅広く吸収でき得るような、そういう工夫を何かいろいろと凝らしてみたい、こういうふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/121
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122・田中慶秋
○田中(慶)委員 もう時間が参りましたので……。
いずれにしても、臨教審の設置法というものは、これからも時間をちょうだいして大いに議論をしてまいりますけれども、少なくともこれから二十一世紀に向けて、こういう総理の考え方を述べられておりますし、まさしく二十一世紀に向けて教育を論ずるならば、これらの問題についてももっともっとユニークな形で幅広い意見をお互いに出し合いながら論議をさせていただきたい、こんなふうに思う次第であります。
時間が参りましたので、終わらせていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/122
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123・片岡清一
○片岡委員長 三浦久君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/123
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124・三浦久
○三浦(久)委員 まず、総理大臣にお尋ねをいたしたいと思います。
現在の教育の現状というのは、まことに憂慮すべき状況にあることは国民のだれでもが認識していることだと思います。例えば校内暴力の問題、非行の増大の問題、また受験競争の過熱化の問題、偏差値による進路決定の問題、体力の弱い子供の増大等々、よく指摘されることですね。ですから、これらの解決をすべての国民が願っているというふうに私ども考えております。また、一切の党派的偏向教育の排除、民主的な市民道徳を身につけさせる教育、こういうものをも国民が強く望んでいるだろうというふうに考えています。
我が党は、かねてから教育の荒廃を憂えて、教育改革について具体的な提言を行ってまいりました。
そこで、我々の提案に一貫する原則的な見地は、まず第一に、学校教育の中心任務は、基本的な知識、技術、また健全な身体、また市民道徳を青少年の発達に即して理解できるやり方で身につけさせるということであります。
第二番目には、学問の自由と教育の自主性を尊重する。学校に納得と人間的信頼関係を基本とした生き生きとした雰囲気を回復をするということ。
第三番目には、このような教育を可能にする教育諸条件の整備というものが教育行政の最大の責務であるということ。
第四番目に、これらは法的には憲法と教育基本法の理念と原則を堅持して行われるものであること。
第五番目には、教育改革はこれを政争の具とすることなく、国民的な討論と国民的な合意に基づいて実行をされなければならないということなどであります。
ところが政府は、これらの我が党の提言に耳をかさず、今国会に教育改革を行うためと称して臨教審設置法案を提案をしてきたわけであります。総理は、この国会での答弁でもたびたびおっしゃっておられますが、この臨教審設置の目的について、二十一世紀を目指し、新しい時代に十分対応できる国際国家日本にふさわしい日本人を形成していただくのだ、こういうように言われておられますね。そこで問題になるのは、それでは総理は、二十一世紀を国指す国際国家日本というものを一体どのように展望されているかということであります。
総理の各国首脳との会談、また国際会議での発言、この国会での答弁、そういうものを総合的に勘案をしてみますと大体明らかになってまいりますけれども、総理は、この国際国家日本というのは西側諸国の一員としての責任を果たす国家ということを意味されているのかどうか、この点をまず最初にお伺いをいたしたいというふうに思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/124
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125・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 日本はやはり自由主義、民主主義を基本にして、今世界的な地歩を占め、我が国の国民生活を開拓しておるところでありまして、私は共産主義を選ぶ気持ちはありません。やはり自由主義、民主主義というものを基本にしてやっていきたい、そう考えております。それと同時に、日本はアジアの一国でございます。だから、アジアの一国であるという点をよく踏まえて、その近隣諸国との関係も十分考えつつ行う必要がございます。
それから、日本は発展途上国から近代工業国家に成長した国であります。そういう意味において、発展途上国のこともよく考え得る立場にあるのでありまして、それらの発展途上国に対する我我の配慮というものも十分考えていかなければならないと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/125
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126・三浦久
○三浦(久)委員 私は、総理に社会主義者になれなどということを全く期待はいたしておりません。しかし、世界には現在国連加盟国は百五十八カ国あるわけです。その三分の二に当たる百一カ国がどの軍事ブロックにも属さない非同盟中立の国になっているわけであります。ですから、西側諸国の一員ということ、これは言いかえれば西側軍事ブロックの一員ということにもなるだろうと思いますね。これはもう総理自身もお認めになるだろうと思うのです。ですから、そういう西側諸国の一員というそのことは、まず世界でも特定の党派的な政治的な立場だということが言えるのじゃないかと私は思いますね、三分の二の国々がもう非同盟中立の国なんですから。国内的に見ましても、この西側軍事ブロックの一員という立場は、私はコンセンサスを得ていない問題だと思います。例えば我々は非同盟中立の日本ということを目指しています。社会党は非武装中立の日本ということを言っておられますね。自民党も、福田内閣までは全方位外交ということを言っておりました。大平内閣になってから公然と西側諸国の一員ということを強調されてきたわけであります。ですから、これは国内的にもコンセンサスを得ていない問題だと思うのです。
そうしますと、いわゆる西側諸国の一員としての国際国家日本というのは、まさに世界的にも国内的にも特定の党派的、政治的立場を代表しているものだというふうに言わざるを得ないと私は思うのです。そういたしますと、この西側諸国の一員としての国際国家日本にふさわしい日本人づくりというものが教育改革の目的であるというのであるならば、その教育改革というのは、憲法、また教育基本法の平和主義というものの原則に真っ向から反しているというふうに言わなければならないのではないかと思いますけれども、その点についての総理の御見解をお伺いいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/126
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127・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 私は、教育をやるからといって、日米安保条約をそのままストレートに謳歌させようなんという気持ちは持っておりません。しかし、自由主義、民主主義を愛する、またそれを信奉する、そういうことは憲法の命じておる線でありまして、そういうような線においてやはり教育というものも考えていくべきである、そういう意味の国際国家日本というものを目指していくべきである、そう思っておるわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/127
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128・三浦久
○三浦(久)委員 憲法はどういう国家像を想定しているかというと、いわゆる対立する軍事ブロックの一員としてそれ相応の軍事的な分担を負担をする、そういうことによって日本の平和を守るというような立場はとっておりませんですよね。これは、諸国民の公正と信義に信頼して日本の平和と安全を確保することを決意したというふうにはっきり述べられているわけであります。そういう意味で、いわゆる西側軍事ブロックの一員としての国際国家日本というものを背負うための人材づくりという教育改革は、憲法の期待するところではないというふうなことを私はまず最初に申し上げておきたいと思います。
そこで、総理はたびたび、教育基本法を守るのだ、今もおっしゃられましたね、教育基本法を守るのだ、その枠内でやるのだ、その精神にのっとってやるのだ、こういうふうに言っておられます。それで端的にお尋ねしたいのですが、そういたしますと、教育基本法の第十条で教育行政の目標とされております教育諸条件の整備確立、これを今回の教育改革の柱として位置づけられるのかどうか、そのことをまずお尋ねいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/128
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129・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 教育基本法を守っていくということでありますから、もちろんこの条文も尊重して、守っていきたいと思っておるわけであります。ただ、財政の事情というものはまたありまして、この内閣全体の仕事の中には教育関係もあれば、財政関係もある。そういう意味において、財政の許す限り、そういう条件がつくのは当然のことであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/129
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130・三浦久
○三浦(久)委員 私は、教育行政で今やらなければならないことは、やはりこの教育諸条件の整備確立だと思うのですね。その中でも特に、まず緊急に解決をしなければならない問題はマンモス校の解消ではないかというふうに思っております。また、四十人学級の実現というものも早急にやらなければならない問題。さらに私学助成の問題、こういう問題だというふうに思います。総理も御承知のとおり、これらの三つの問題は国会でも決議をされている問題ですね。そしてまた、この過大学級やマンモス校というものが教職員と児童生徒間の人間的な交流、また教職員相互の人間的な交流、または生徒間の交流というものを非常に阻害して、教育上非常に大きな障害を及ぼしているというのは広く指摘されているところであります。そしてそのことが総理も言われる落ちこぼれの問題、非行の問題というものの要因になっているということも指摘されておりますね。
私も北九州の小中学校幾つか調査に入りました。ある中学校ですけれども、ここは生徒数が千三百十名おります。学級数が三十八クラスです。適正規模は十二ないし十八というふうに政府はお考えですね。ですから、三十八クラスというのは非常に過大だということはもうだれもが認めるところだと思います。職員数は六十四名おります。それで一つの職員室に入れないで、職員室は廊下を隔てて二つに分かれております。お話を校長先生から聞きますと、来年はまた二ないし三クラスふえるのです、だから四十ないし四十一学級になるのです、こういうことを言われているわけであります。そしてその校長先生は、教職員間の意思統一がなかなかできない、生徒の顔を全部覚えられないだけではなくて先生同士もお互いに知らないという関係になってきている、ですから学校が一体となって生徒の指導に当たることが非常に困難になってきているというふうに私に話をしておられました。
運動会の季節でありますから運動会のことも聞いてみましたけれども、ある学校は、去年までは学校のグラウンドでやったが、ことしはプレハブなんかを建てちゃってもうできないので、他のグラウンドを借りてやらなければならないということを言っておりました。ある学校では、運動会ですから全校生徒を校庭に入れますが、入れるとトラックをつくるときに百三十メートルのトラックしかできないというのですね。そうすると、まるで円になってしまって競技ができないということも言っておられました。そして、マンモス校ですから、一日じゅう運動会をやっても生徒一人がたった一種目の競技にしか参加できないのだ、だから生徒が気の毒ですというようなことも言われておりました。今野球が生徒には大変人気があるわけですけれども、野球部というものもつくれないというのですね。校長先生はそういう意味で大変残念がっておったわけですけれども、これではスポーツに関心を持って健全な身体をつくれと言っても無理な注文じゃないかと私は思います。
マンモス校の抱える問題というのはまだまだたくさんあります。例えば特別教室の問題がありますね。例えば音楽教室を使うのに、一つしかありません。ですから、多くのクラスでは自分の教室でもって音楽をやる。ですから、校長先生はこんなことを言っておるのですね。私は音楽の素人ですけれども、素人の目で見ても音楽教室の効果というのは上がっていないでしょうね、こういうふうに言われるわけです。
そのほかにも、例えばある学校へ行ってみますと、校庭が狭いので休み時間に一度に生徒を校庭で遊ばせることができないのです。ですから、きょうはどこのクラスとどこのクラスとどこのクラスと言って、一日置きに休み時間に校庭に出て遊ぶ、こういうような状況もあるわけですね。もっとほかにもたくさんあります。例えば朝礼をやるのに、雨が降ったら運動場ではできません。また、体育館でも全部入れない。ですから、結局はマイク朝礼で済ましてしまうとか、生徒間や先生と生徒間のコミュニケーションを形成していくという意味では非常に大きな障害になっているわけであります。
このことは文部省自身の調査によっても私は明らかになっていると思います。このマンモス校が一体どのくらいあるかといいますと、いわゆる三十一学級以上のマンモス校だけで、昨年の五月の調査ですけれども二千百四十四校あるのですね。そうすると、これはどのくらいの人数かというと、三百万の児童生徒が今私が言ったような劣悪な教育条件の中で教育を受けているということになるわけであります。
三十一学級以上の学級で三百万人、二千百四十四校であります。政府は適正規模十二ないし十八と言っております。統合した場合でも二十四だと言っておりますが、二十五以上の学級を調べてみますと六千校以上あります。ですから、かなりの児童生徒がこういう劣悪な教育条件の中で教育を受けている。このことは、我々は子供や生徒児童、また先生や父母、父兄の皆さんの責任ではないと思うのですね。やはり教育行政に責任を持っている政府の責任だと思います。どんな理由があれ、こういう過酷な教育条件はいち早く解決をしなければならない問題だというふうに私は思います。何しろこの問題というのは、教育条件の中でも最も基本的な条件だからです。
それで私は総理にお尋ねしたいのですけれども、このマンモス校の解消というものは緊急にやらなければならない課題だとお考えにたっておられるのかどうか、お尋ねいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/130
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131・森喜朗
○森国務大臣 三十一学級以上の小中学校については、今三浦さんからいろいろな例を取り上げられて御説明をいただきましたが、まさにさまざまな問題があるわけであります。したがいまして、文部省といたしましても、従来この過大規模につきましては、小中学校の設置責任者であります市町村教育委員会、また県の教育委員会等にも分離するように指導してきたわけでありまして、大勢としては減少の方向にあるわけです。ただ、まだいろいろな問題がたくさんございます。学校の校下を分けるということは、長い間の地方、地域社会をつくっている一つの核になっているわけですからなかなか分けにくい面もあるでしょうし、昔からのそうした学校区の中に新しい市街地ができてきて、昔から住んでいらっしゃる方と新しく来られた方のいろいろな問題もさまざまにあるようでありまして、市町村教育委員会等でも大勢としてはその方向に努力をしておられますが、必ずしもすべてがうまくいっているものでないことは私どもも承知をいたしております。
ただ、一番問題は、やはり用地が大変高い。人口が急増いたしておるわけでありますから、当然用地取得が困難であるということから考えまして、五十九年度の予算から一定の枠を超えて特定の補助率を考えた方策を指導しているわけでありまして、五十九年度におきましてもかなりその方向で市町村でお考えをいただいているところもございます。なお一層文部省としてもその努力をしてまいりたいと考えております。少なくとも私ども五十九年度の予算におきましては、市町村がそうした分離促進を進めていく上において十分にその対応ができるような範囲で予算も確保しているところでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/131
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132・三浦久
○三浦(久)委員 何か一生懸命やっているというお話ですけれども、実際そうじゃないじゃないですか。児童生徒急増都市について、昭和六十年度まで確かに用地取得について七分の二の助成をするという措置はとりましたね。しかし、これは六十年度までの話でしょう。そして六十年度までに解消されるというのはたった五十校じゃありませんか。二千百四十四校あるうちの五十校解消したというだけで十分だと言われたのでは、私はマンモス校の解消についてどういうお考えなのだろうかと思わざるを得ないですよ。そうして、今マンモス校は大体三百校くらいずつ毎年減っていっているのですね。それは確かに児童が減るところは減っています。しかしまたふえるところはふえているから、やはり同じように三百校くらい出てきているのです。ですから、昭和六十年度までは、まず現在のマンモス校のうち五十校減るだけのことで推移していくわけですよ。
では、六十一年度以降はどういう用地取得についての助成措置をお考えですか。何もないじゃないですか。何もそういう解決策はないじゃありませんか。どうですか。文部大臣がそうおっしゃるのなら、六十一年度以降の解消計画を今ここでおっしゃっていただきたいと思うのです。いかがでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/132
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133・森喜朗
○森国務大臣 今の日本の教育制度は、三浦先生も御承知のとおり、国がこうしなさいということを必ずしも強く言い切れる、そういう立場ではないわけでありまして、あくまでも小中学校は市町村教育委員会、あるいは高等学校は県の教育委員会がその設置をする責任者であります。文部省は一生懸命に助成をし、お手伝いをしている、こういう立場でございます。したがいまして、文部省としては、三浦さんが今おっしゃるように、でき得る限り分離をするように指導を今日までしておるわけであります。今年度のいわゆる公立文教施設の中でも現に、例は具体的に申し上げられませんけれども、市長さんにとってはなかなか、私どもが分離をしたらどうでしょうかという考え方についても、いろいろな事情からしばらくこのまま御猶予願いたいというような市町村もあるわけであります。しかし、過大規模校については、先ほど申し上げましたように、原則としては三十一学級以上については分離をするようになお一層の指導を今強めているわけであります。
用地取得につきましては、先ほど先生からも指摘がありましたように、六十年度で一応この制度は終わることになっておりますが、この形が解消しないということであるならば、六十一年度から文部省としてはどういう形でなお一層促進をするかどうか、これは十分その時点について考えていかなければならぬことだと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/133
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134・三浦久
○三浦(久)委員 解消を指導すると言ったって、解消のネックというのは用地取得に余りにも莫大な金がかかり過ぎるからでしょう。ですからあなたたちも児童生徒急増都市については土地取得について特別な助成をしているわけだ。ですから、指導しているだけじゃだめなんですよ、ある程度そういう助成措置をとらないとね。ところが、六十一年度というのは今回の計画もない。そうでしょう。ですから私は、もっと本腰を入れてこういうマンモス校の解消に取り組んでほしい。三百万人の児童生徒がさっき言ったような、もっとたくさん事例はありますけれども、そういう劣悪な教育条件の中で教育を受けているということ、このことに我々は責任を感じなきやならぬというふうに思うのです。これを放置したまま教育改革というようなことを言ったって、そういう教育改革というのは何ら効果を上げ得ないものだということを私は指摘せざるを得ないというふうに思います。
それからまた、四十人学級の実現というものも早急にやらなければならない問題だと思います。行革特例法で五十九年まで凍結されておりますが、六十年度、来年度は切れるわけですね。ですから、六十年度からはこの四十人学級を実施に移すのが当然だと思うのですけれども、これは中曽根総理大臣のお考えをお尋ねしたいというふうに思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/134
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135・森喜朗
○森国務大臣 四十人学級につきましても、文教委員会、予算委員会でも私は御答弁申し上げておりますが、六十六年度までのこの全体計画と最終年度は変えておりません。したがいまして、私どもいろいろな工夫をしながら、ただ毎年毎年児童生徒の増減というものもございますので、そうした実態も当然各県の教育委員会を通じて数字が上がってくるわけでございますので、四十人学級につきましては逐次その方向で進めていきたい、こういう希望を持って私どもは進めております。
ただ、六十年度の概算要求の作業が間もなく始まるわけでありますが、まだ全体的な財政当局の考え方が定められておりませんので、ただいまのところではどのようにするかということについて申し上げることは適当ではないと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/135
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136・三浦久
○三浦(久)委員 総理、眠いだろう、お疲れだろうと思うのですけれども、総理自身の発言に関係する問題ですので、ちょっと御容赦いただきたいと思いますが、総理は五十六年の十月三十日の参議院の本会議で、この問題、行革特例法の問題について聞かれまして、「時限立法は時期が来たらこれをやめるのが原則であります。」というふうに答弁されておりますね。そうすると、行革特例法というのは本年度でもう期限切れであります。来年度は原則に戻るというのが当たり前の話なんですが、来年はその原則に戻って四十人学級を実施に移すのかどうか、それをひとつお伺いいたしたいというふうに思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/136
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137・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 今のは一般論を述べてそういうふうに申したのでありますが、現実問題になりますと、これは行革特例法をどういうふうに扱うか、政府・自民党において、また具体論として検討すべき場が出るだろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/137
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138・三浦久
○三浦(久)委員 そういたしますと総理、この行革特例法を検討しているということは、また再延長する、そういうことを今御検討になっていらっしゃるということなんですか、大変なことだと思いますが。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/138
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139・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 まだ検討しているわけではありません。ただ一般論としてそれは述べた言葉であります。したがって、これは期限が来てこれをどういうふうに処理するかという場合になれば、これは延期したりあるいはやめたり、いろいろなケースがあるわけです。沖縄の振興法にしても奄美大島の振興法にしても、期限が来た場合にどうするか、その具体的問題になりますと、政府・与党でいろいろ相談をして決めておるわけですね。そうして法案として提出しておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/139
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140・三浦久
○三浦(久)委員 それは延長する場合もあるでしょうけれども、これはしかし国民の非常に期待の強いものですね。
六月六日の朝日新聞の世論調査を見ましても、教育改革で何から手をつけてほしいか、こういう問いに対して圧倒的に多いのが、一学級の人数を減らしてほしいということなんですよ。これは行き届いた教育を行うための前提でありますから。ですから、四十人学級の凍結をさらに続けるというのは、私は国民の願いに反しているのではないかというふうに思うのですね。そういう意味で私は、財政上の問題というようなことを言われますけれども、政府自身のお考えもやはりはっきりさせていただかなければならぬと思うのです。
例えば文部大臣は午前中の質問で、教科書の問題については来年度も無償であることを願っておる、こう言われましたね。そうしたら同じように、四十人学級の問題についても今じゃわからないと言うのではなくて、来年度からはちゃんと実施に移したいという希望を持っているとか、その程度のことは言えるのじゃありませんか、どうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/140
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141・中曽根康弘
○中曽根内閣総理大臣 今の行革特例法の問題は、まだ白紙の状態でおります。別に延ばすとかやめるとか決めたわけではありません。しかし、さっき申し上げたのは、一般論として申し上げた、こういう意味であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/141
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142・三浦久
○三浦(久)委員 しかし、今白紙というふうに言われましたけれども、ちょっと信じがたいことですよね、八月にはもう概算要求の時期なんですから。それを現在総理大臣や文部大臣が四十人学級の問題について白紙だというようなことを言われても、私どもはそうですかというふうに納得することはできないと思うのですね。やはり私は、正直に政府の考え方を述べるのが本当だと思うのですよ。しかし口を割って言わせるというわけにいきませんから、次に参ります。
私学助成の問題です。これは来年度は増額するのかどうか。その点、簡単にお尋ねいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/142
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143・森喜朗
○森国務大臣 私学助成につきましても、私どもは私立学校振興助成法をつくりました当時の気持ちを大事にいたしております。したがいまして、私学助成についてはこの精神を生かして、国からの助成が行き届いたものになるようになお一層の努力をしていきたいと考えております。
ただ、今年度の予算につきましては、財政の厳しい中におきましてそれぞれ国のシーリングの枠の中でおさめざるを得ないという経緯もございます。しかし来年度につきましては、また今三浦さんからそんなことではいかぬとおしかりをいただくかもしれませんが、私の気持ちとしては私学を大事にしていきたいと考えておりますが、私学助成のあり方についてもまた国民的な多くの支持がなければいけないことだというふうに考えておりまして、私学の助成につきましてはさまざまな意見もございます。しかし私といたしましては、私立学校が日本の教育において大きな役割を果たしているという考え方で、私学法の精神を生かしてさらに来年度も努力をしていきたい、こういうふうに申し上げておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/143
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144・三浦久
○三浦(久)委員 この私学助成は、国会に来ている請願の中で最も多いのですよ。千六百万人の署名が衆参両院に寄せられている問題ですよ。そういう意味では、国民的なコンセンサスを得られている問題だと言っても差し支えない問題だと私は思います。それを財政上の都合だということで、さあ、どうなるかわかりませんというようなことでは、私は国民は納得しないだろうと思う。特に、この私学助成の増額の問題とか、それからまたマンモス校の解消の問題とか四十人学級の問題というのは、総理、あなたがこの前、昨年暮れの総選挙で国民に対して約束をした問題じゃありませんか、公約をした問題じゃありませんか。こういう問題について、私はいまだ白紙でございます、さあ、やるのかやらないのかもわかりませんというようなことでは、教育を語る資格がないというふうに言われても一言も返せないと私は思うのです。やはり政治家たる者、国民に選挙のときに公約した問題はずばっと実行する、そのために全力を尽くす、そういう姿勢こそ私は必要だというふうに思います。
国民に対するその公約を来年度予算では実現するように、実行するように私は強く要望して、時間が参りましたので、質問を終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/144
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145・片岡清一
○片岡委員長 次回は、来る二十一日木曜日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
午後六時十一分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110104889X01419840619/145
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