1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和六十一年十月三十日(木曜日)
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昭和六十一年十月三十日
午後一時 本会議
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○本日の会議に付した案件
永末英一君の故議員湯川宏君に対する追悼演説議員請暇の件
臨時行政改革推進審議会設置法案(内閣提出)の趣旨説明及び質疑
午後一時二分開議発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/0
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001・原健三郎
○議長(原健三郎君) これより会議を開きます。
────◇─────発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/1
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002・原健三郎
○議長(原健三郎君) 御報告いたすことがあります。
議員湯川宏君は、去る九月二十六日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
同君に対する弔詞は、議長において去る十月一日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
〔総員起立〕
衆議院は 多年憲政のために尽力された議員正四位勲二等湯川宏君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます
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故議員湯川宏君に対する追悼演説発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/2
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003・原健三郎
○議長(原健三郎君) この際、弔意を表するため、永末英一君から発言を求められております。これを許します。永末英一君。
〔永末英一君登壇〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/3
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004・永末英一
○永末英一君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員湯川宏君は、第百七回臨時国会の召集に応じましたが、病あらたまり、去る九月二十六日、慶応病院において逝去されました。まことに驚愕悲痛のきわみです。
私は、昭和十年四月、「紅萌ゆる丘の花」、京都の第三高等学校の同級生として湯川君と三年の青春を送って以来、東京帝国大学法学部でともに学び、また、海軍主計科士官として大東亜戦争を同じ太平洋南方戦線で戦い、さらに、この十年間は本衆議院で議席を同じくして、半世紀を超える交遊を重ねてまいりました。
大阪千里会館において、君のひつぎの前に立ったとき、君とともに過ごした五十年余のここかしこでの君の立ち居振る舞い、君の笑顔、君の声音、怒濤のごとく私を襲いました。火にくすべるお香の煙がなぜ君と私との境を異にさせるのかと涙滂沱としてほおを伝い、痛惜の念、心を締めつけるのでした。
ここに私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで友湯川宏君に対し哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手)
君は、大正七年三月九日和歌山県海南市に生まれ、県立和歌山中学を経て、第三高等学校に学び、東京帝国大学法学部に在学中、高等試験行政科試験に合格、大学卒業とともに厚生省に入省、労働局に勤務されました。昭和十六年四月十八日付、海軍主計中尉に任ぜられ、第六期海軍補修学生として、東京築地の海軍経理学校で猛烈な訓練に従事しました。
やがて空母「飛龍」乗り組みを皮切りに、海南島勤務を経て機動部隊に属し、ソロモン海域で戦い、次いでジャワ方面勤務と南方各地を転戦し、昭和二十一年六月復員され、内閣、労働省を経て、昭和二十四年大阪府に勤務されました。
敗戦直後の地方自治体の最大問題は食糧問題でした。君は、食糧課長、農務課長として、戦時食糧統制からの転換、食糧増産に果敢に取り組まれましたが、昭和二十六年六月から一年間、ガリオア資金留学制度、後のフルブライト留学制度でアメリカ・シカゴ大学に留学し、国際政治学界の第一人者ハンス・モーゲンソー教授のもとで研さんを積まれました。帰国後、三高時代の恩師鈴木成高教授とともに、モーゲンソー教授の「世界政治と国家理性」を翻訳出版されました。
大阪府にあって、君は、衛生部庶務課長、教育次長、さらに民生部長、農林部長として大阪府の振興に力を尽くされましたが、昭和三十五年に企業局長となるや、君の本領を発揮し、的確な判断、直截な行動によって指導者としての快腕を振るわれました。
昭和三十年代の高度経済成長期に入るや、人口の都市集中が激化し、住宅需要の急増とともに都市周辺地域の乱開発によって大阪府下の環境は著しく悪化しました。大阪府は、健康で文化的な生活ができる住宅都市の建設を目指して千里ニュータウン開発計画を実施し、大阪の経済的地盤沈下の回復のため重化学工業を中心とした堺・泉北臨海工業用地造成、さらに泉北ニュータウン建設計画が立案、実施されるに至りました。
君は、この新たな組織の長として采配を振るい、特に最も困難な問題であった用地買収、さらに漁業補償の陣頭に立って交渉に当たり、幾多の困難を克服して所期の目的を果たされました。また、その資金確保に当たっては、ドイツ連邦共和国からのマルク債導入に成功する等、その功績ははかり知れないものがあります。
次いで、「人類の進歩と調和」をテーマにアジアで初めての万国博覧会が昭和四十五年三月大阪千里丘陵で開催が決まるや、君は、万国博覧会準備事務局長に就任、約百万坪に及ぶ用地買収の最高責任者としてこれに当たり、見事に任務を果たされました。君の熱意と献身的な努力が、日本万国博覧会成功の礎であったと言わなくてはなりません。(拍手)
このような開発事業を成功せしめたのは、一にかかって君の誠実無比の人柄にあったと言えるでありましょう。時の左藤義詮大阪府知事は、この間汚職や不祥事を一件も出さなかった君の手腕を高く買って君を副知事に請い、君は、左藤知事の信任を一身に背負って、副知事として大阪府民の福祉、大阪の発展のために全力を傾注いたしました。
左藤府政から黒田府政への転換に際し、考え方の違う知事は補佐できないと、さっさと副知事の職を投げ捨てた君は、いよいよ一本立ちの政治家の道を歩むことになりました。アーバンシステム研究所を創設して、四年間、満を持して放たなかった君は、昭和五十年、黒田府政打倒のために立ち上がりましたが、惜しくも目的を果たし得ず、翌五十一年の総選挙に大阪第一区で自民党議員として見事当選、郷土の先輩早川崇代議士の歩んだ道を踏んで、国政の第一線に躍り出ました。
君は、大学、内務省、海軍の同期生である中曽根康弘君と政治行動をともにし、旧内務省出身者を広く集めて「内友会」を結成し、これがやがて中曽根自民党総裁誕生の母体となるに至ったことは、人のよく知るところであります。
政府にあっては、鈴木内閣時代経済企画政務次官として河本敏夫長官を助け、また、中曽根内閣の最初の大事業であった健康保険法の改正に当たっては、古巣の厚生政務次官としてこれを見事成立せしめました。当時民社党の国会対策委員長であった私のもとにも君はたびたび訪れ、法案の成立促進を図ったものであります。
引き続き四回当選を果たした君は、図らずも本年二月、身体の不調のため入院されました。元来頑健な身体を誇っていた君は、苦痛を訴えることもなく病気と相対していましたが、七月の衆参同日選挙の試練にひるむことなく病体のまま立ち向かいました。まことに悲痛と言わなければなりません。しかし、大阪府民の君に寄せる信頼は厚く、堂々と五回目の当選を果たされましたが、病勢急変、ついに九月二十六日、幽明境を異にされました。まことに痛恨にたえません。
君は生来極めて明敏な頭脳の持ち主でしたが、一見望洋として豪放、大人の趣がありました。亀川小学校時代、先生が「何か質問はありませんか」というので君が鋭い質問をすると、先生は「よく調べてからお答えします」と、政府答弁みたようなことを言って、以後「何か質問はありませんか」とは言わなくなりました。副知事時代、この旧師が君を大阪に訪れたとき、君は師と夕食をともにし、歓談の後、旧師の靴をそろえ、手をとって別れを惜しんで見送りました。君は人間味あふれる温かい礼節の士でした。(拍手)
和歌山中学時代、君の後ろの座席の友人の思い出に、「湯川君は授業中はよくこれほど眠れるなあと思えるほど眠っていたくせに、授業が終わると一番にグラウンドに飛び出し野球をやっていた姿が今も眼底にありありと残っている」との述懐があります。君のらいらくさがしのばれるではありませんか。
第三高等学校時代、文科甲類一組に入学した君は、君が名づけたクラス雑誌「馬楽丘時代」に「わが輩の抱負」として「三文文士と心中、駆け落ちはまず御免こうむり、巡査の親類か十銭文士にならざるかを憂う」と述べていますが、十八歳の少年が後年内務省に入ることをみずから予測したものでもありましょうか。同時に、少年の君が文学に傾倒していた様子がしのばれます。また、「女性は無邪気さを加味して平安朝型がよろし」としていますが、後年の静香子夫人にその望みを果たし得たとも言えましょう。
多情多感な青年であった君は、人並みすぐれた強い肩を持ち、野球のキャッチャーとして、しゃがんだままでセカンドまで矢のような球を投げるのでした。その強肩にほれ込んだ陸上部は、君にやり投げを託しました。君は黙々と毎日南グラウンドでやりを投げておりました。が、あるとき私に、「なあ、永末、一秒速くなったの、一メートル遠く投げたのなどと言っているのがばからしくなった」と述懐しました。当時水泳部にあってプールで一秒を争っていた私は、君の深い言葉に人間存在の奥義を教えられた感がいたしました。しかし、昭和十三年の全国インターハイに三高が優勝したのは、新先輩としての君の熱心な指導のたまものでありました。
君とはよくともに歩き、ともに語りました。君は少しも酒をたしなまないのに、酒をくむ友とほほ笑みを絶やさず夜遅くまでつき合ってくれました。君は友から信頼される懐の深い包容力の持ち主でした。自由寮の総代部屋にあって、よく寮生の面倒を見ましたが、寮の機関紙「自由寮報」には哲学論文や小説を投稿し、ファンを集めました。
一見豪放の君でしたが、君が繊細な叙情の持ち主であったことは、君がスケッチをよくしたことにもあらわれています。君のスケッチが見事な線によって描かれていることは、君の感情の細やかさと鋭さを物語っていると言えましょう。三高一年のとき、「黒谷逍遙」と題して、
静寂をば求むともなく逍遙ひぬ黒谷の墓に陽溢れ居り
と歌った君は、まことに滋味あふれる多感な青年でした。
厚生政務次官のとき、昭和五十九年、マーシャル諸島共和国マジュロ島で挙行された「東太平洋戦没者の碑」の竣工・追悼式に日本政府代表として飛ばれたとき、
颯々と風の吹くありこの風を戦火のもとに聞いたひとらは
の歌を詠みました。みずからが参加した戦場を想起し、戦争への反省を込め戦没戦友への至情あふれる歌に、君の人間としての温かさが人の心を打つのです。(拍手)
君は、自民党内にあって福祉問題、開発問題の権威者として党議をまとめてまいりましたが、当選五回、ようやく党の指導者としてその持てる能力を発揮し得る段階に達しましたのに、突然の御逝去は君にとっても極めて不本意でありましたでしょう。
今や、国際経済の潮の流れの変化が我が国の進路を大きく変えようとしています。このときこそ、まさに豊かな経験の上に国際情勢に通じ天稟の洞察力を備えた君の政治力量の発揮が翹望されるときであるのに、君は我らを去って天に召されました。何たる悲痛、落胆、君の死は、国家のために惜しみても余りあるものであります。
友を失った寂莫の情を込め、謹んで君の面影をしのび、君の生前の功績をたたえ、追悼の言葉といたします。(拍手)
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議員請暇の件発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/4
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005・原健三郎
○議長(原健三郎君) 議員請暇の件につきお諮りいたします。
野坂浩賢君から、海外旅行のため、十一月三日から十一日まで九日間、請暇の申し出があります。これを許可するに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/5
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006・原健三郎
○議長(原健三郎君) 御異議なしと認めます。よって、許可するに決しました。
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臨時行政改革推進審議会設置法案(内閣提出)の趣旨説明発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/6
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007・原健三郎
○議長(原健三郎君) この際、内閣提出、臨時行政改革推進審議会設置法案について、趣旨の説明を求めます。国務大臣玉置和郎君。
〔国務大臣玉置和郎君登壇〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/7
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008・玉置和郎
○国務大臣(玉置和郎君) 臨時行政改革推進審議会設置法案について、その趣旨を御説明します。
政府は、かねてから行政改革を国政上の緊要な課題の一つとして位置づけ、これに取り組んできたところでありますが、引き続き行政改革の推進が要請されている現下の情勢にかんがみ、今後とも所要の施策の実施に努めてまいらなければなりません。
そのためには、各界有識者のご意見を聴取しつつ諸般の施策を推進することが、重要かつ有益であると考える次第であります。
去る六月二十七日をもって存置期限を迎え、解散した臨時行政改革推進審議会も、その最終答申において、国民の全般的協力を得つつ改革の推進を図る観点から、行政改革のための審議機関を引き続き設置することが必要である旨を提言しているところであります。そこで、政府といたしましては、今般、総理府に改めて臨時行政改革推進審議会を設置することとし、ここにこの法律案を提出した次第であります。
次に、法律案の内容について、その概要を御説明します。
今般設置しようとするいわば新行革審ともいうべき臨時行政改革推進審議会は、行政改革に関し臨時行政調査会の行った答申並びにさきに解散した臨時行政改革推進審議会の述べた意見及び行った答申を受けて講ぜられる行政制度及び行政運営の改善に関する施策に係る重要事項について調査審議し、その結果に基づいて内閣総理大臣に意見を述べるほか、内閣総理大臣の諮問に応じて答申することを任務としており、審議会の意見または答申については、内閣総理大臣はこれを尊重しなければならないことといたしております。
審議会は、行政の改善問題に関してすぐれた識見を有する者のうちから、両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命する委員七人をもって組織することといたしております。
また、審議会は、行政機関の長等に対し資料の提出、意見の開陳、説明その他の必要な協力を求めることができることといたしているほか、特に必要があると認めるときには、みずからその運営状況を調査することができることとしております。
なお、審議会は臨時の機関として設置されるものであり、政令で定める本法律の施行期日から起算して三年を経過した日に廃止されることとしております。
このほか、関係法律について所要の改正を行うことといたしております。
以上が臨時行政改革推進審議会設置法案の趣旨でございます。(拍手)
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臨時行政改革推進審議会設置法案(内閣提出)の趣旨説明に対する質疑発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/8
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009・原健三郎
○議長(原健三郎君) ただいまの趣旨の説明に対して質疑の通告があります。これを許します。石橋大吉君。
〔石橋大吉君登壇〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/9
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010・石橋大吉
○石橋大吉君 私は、日本社会党・護憲共同を代表し、ただいま議題となりました臨時行政改革推進審議会法案につきまして、総理並びに関係閣僚に質問いたします。
五十五年に臨時行政調査会、いわゆる第二臨調が設置される際、当時の鈴木総理は、当本会議における我が党議員の質問に対し、第二臨調への期待として、国民と行政、官業と民業、国と地方の間などの基本的あり方の確立を挙げておられました。また、当時の中曽根行政管理庁長官は、行革は政策形成システムの民主化であるべきという我が党の主張に対して賛成の意を表明されるとともに、行政管理の効率化と清潔化という問題もあると答えられております。私は、第二臨調、そして五十八年に設置された臨時行政改革推進審議会が果たしてこれらの課題にこたえるような議論を行ってきたか否かを問題にしたいと考えます。
小さな政府を目指すとされた結果はどうであったのか。確かに、社会保障、教育、公共事業など国民生活に直結する国の予算は削減、縮小されました。しかし、一方において軍事費は聖域化され、肥大化の一途をたどり、予算審議の際にはGNP一%を突破するか否かが焦点となっております。安全保障会議の設置や内閣機能の充実など、内閣中枢の管理機能は強化をされております。地方行革の推進と国庫補助負担金のガットは何ら実質的な権限と財源の移譲を伴わず、画一化と集権化をもたらしています。これでは、国民にとって小さな政府どころではなく、大きな政府であり、強い政府、軍事と危機管理の政府でしかありません。中曽根総理及び総務庁長官にこの点についての所見をまず伺いたいと存じます。(拍手)
第二に、総理が行政管理庁長官として答えられた政策形成システムの民主化の問題でありますが、どのような形で民主化が追求されたのでありましょうか。
中曽根政治の特徴は、私的諮問機関政治であるとさえ言われています。しかも、諮問機関の委員は総理好みの人選、そして、論議される内容は、国会の審議や地方制度調査会などこれまで蓄積してきたもろもろの審議会答申を全く無視するものであります。例えば、五十八年に設置をされた臨時行政改革推進審議会は、第二臨調の答申の実施を見守り、その推進のための施策に係る事項を調査審議するとなっておりました。しかるに、行革審はいつしかひとり歩きを始め、臨調答申に盛り込まれていない事項まで勝手に答申し、政府はそれを天の声であるかのごとく国民とその代表機関である国会に押しつけております。こうした少数者による特権的発言機関が何ゆえ政策形成システムの民主化と言えるのか。設立以来の行革審の一連の答申においては、設置法の目的を逸脱したいわば越権行為が数々あるのではないかと考えますが、総理の具体的な所見を伺いたいと存じます。
第三に、今回の臨時行政改革推進審議会の新たな設置目的についてお尋ねいたします。
前回の行革審の設置の経過を勘案いたしますと、一体どのような意義があるのか甚だ疑問であります。ただいまの政府の趣旨説明を伺っても、今日第二次行革審を設けなければならない理由は全く不明であります。行革は行革審、国鉄は監理委員会、教育は臨教審、経済は経構研と数々つくられておりますが、何を目的にするのか、そのテーマをはっきりさせていただきたい。もとより、行政が社会の発展に即して常に見直されなければならないことは、我が党がかねがね主張してきたところであり、それがまさに国会の役割であったはずであります。
国会の外側に特にこの種の機関を新たに設けるに当たっては、当然限定的かつ国民に理解される課題が示されなければなりません。それが不明確なまま、行政のあらゆる分野について少数者が検討を行うとするなら、すなわち、何でもできる行革審では、国民の権利義務がいつ、どのような形で脅かされるか、何が飛び出してくるのか、まさに暗黒政治のごとく、政治も行政も閉ざされたものとなってしまいます。しかも、いつでも常にこの種の機関が常設機関として設けられなければならない論理ともなります。
また、前回の行革審のときにおいても議論がありましたが、国民各階層の生活にかかわり、生活権をも脅かすような問題について、行革審は国民の声を聞いたのでありましょうか。例えば生活保護、老人対策、農林水産業などの問題について、おのおのその当事者から意見の聴取をしているのでしょうか。ただ中央省庁の官僚の縄張り主義に基づく意見の調整にのみ腐心したのではないでしょうか。総務庁長官及び中曽根総理に行革審の設置目的、また、国民各階層からの意見聴取について、具体的にお示しいただきたいと存じます。
第四に、第二臨調が答申し、その答申の実施を監視するはずの行革審においても不熱心であった問題、しかし、今日においては多くの国民が予算削減や防衛費増額以上に期待する情報公開制度、議会オンブズマン制度、職員団体との間の労使関係の改善など、積み残された課題は一体どうなるのでしょうか。都合のよいことはその設置の目的にないことでもどんどん進める、政府・内閣にとって関心のないことは放置して顧みないというのでは、政府、行革審自体が国民に対する公約違反を犯すこととなり、行革審が言う国民の理解など得られるべくもないと考えますが、総務庁長官の決意を伺います。
第五に、政府の経済政策との整合性の問題であります。
中曽根内閣は、国際経済摩擦の解消のため、サミット、G5等に力点を置くとともに、具体的な実のなさを諸外国から責められ、内需拡大のため、建設国債の増発を含む補正予算を組むことといたしております。このことについて行革審は、六月十日の最終答申において「経済情勢等への臨機対応」として「経済情勢の急激な変化等に対して、政府が臨時・緊急の対応を採ることは、もとよりあり得る」として逃げ道をつくってあります。しかし、大型補正予算を組まざるを得ない経済情勢となった以上、これは臨時・緊急の対応とはもはや言えず、第二臨調、行革審による行革の大前提は失われたと言ってよいと考えますが、いかがでありましょうか。
このことは、今回の税調答申でさらに明確になったと言わざるを得ません。臨調答申の基本は、増税を行えば財政再建はあり得ないとするものであり、新型間接税の創設を柱とする税制改革は、明らかに臨調答申の趣旨に反するではありませんか。減税分の埋め合わせあるいは中立と言いわけはしていますが、中期的に見れば全体が増税となるばかりか、当初においても一定階層に対しては直ちに増税につながるものであり、政府が税調答申を実施に移すとするなら、この点からも行革路線は破綻したと言わざるを得ません。総理並びに大型補正予算を編成した当事者であります大蔵大臣の所見を伺いたいと存じます。
第六に、行政監察について伺います。
政府は、米をめぐる諸制度や農協のあり方を検討するとし、総務庁長官は、政治判断を要するが、各都道府県とも連携して農協を行政監察の対象とすると言明しております。一体農協活動のいかなる部分を対象にしようとしているのか、極めて政治的発言とも受け取れる総務庁長官の真意はどこにあるのか、また、所管大臣である農林水産大臣はこれについてどのように考えているのか、おのおの所見を伺いたいと存じます。
最後に、以上のように、私は、第二次行革審の設置という今回の法律案は、単なる設置法の域を超えて、問題が余りにも多いと言わざるを得ません。私は、臨調及び行革審の欠陥をまず政府みずからが明らかにすることが必要であることを強く指摘し、本案については反対である旨を表明し、質問を終わります。(拍手)
〔内閣総理大臣中曽根康弘君登壇〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/10
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011・中曽根康弘
○内閣総理大臣(中曽根康弘君) 石橋議員にお答えをいたします。
まず、小さな政府と軍事費の問題でございます。
政府といたしましては、防衛費は必要最小限に限定して、節度ある防衛体系をつくっているところでございます。他の諸経費とのバランスを考えながら予算編成を行ってまいっております。社会保障経費、文教関係経費、公共事業関係経費、これらを十分考えながらバランスをとってきておるところでございます。
次に、内閣官房の再編成の問題でございますが、昭和六十年七月二十二日の行革審答申の趣旨を最大限尊重いたしまして、対外問題及び緊急事態への対処等を初めとする複雑化してきている現在の調整課題に対して、さらに適切に適応し得るような組織の改編を行ったわけでございます。そのために、規模の拡大を極力抑制するという方針のもとに、安全保障会議の設置に際して国防会議を廃止する、内閣官房の定員についても既存の組織の定員を活用する等によりまして、増加を招かないように努力してきておるところであります。
地方への権限移譲の問題でございますが、地方自治の尊重の観点から、住民に身近な行政はできるだけ住民に身近な地方公共団体において処理するように改革を進めてきております。その一環として、今国会に機関委任事務の整理合理化及び地方への権限移譲を行うための法案を提出しておるところであります。これを初めとしまして、今後とも国、地方間の役割分担等の見直しの推進に努力してまいります。
次に、行革審の審議は越権行為ではないかという御質問でございますが、これは、臨調答申に基づく行政改革を推進するための審議機関として設置しておりまして、内閣の総合調整機能のあり方、規制緩和の推進方策等の諸課題等について臨調答申をさらに発展させる形での具体的提言をいただいておるものなのであります。したがって、行革審の諸提言はいずれも臨調答申の範囲内のものであり、越権行為との御批判は当たりません。また、これらの提言を推進するに当たりまして、重要事項は所要の法案を国会に提出して、国会の御判断も仰ぐことにしておるわけであります。
次に、国民の声を反映したやり方で行えという御質問でございますが、政府が重要課題として取り組んでおります行政改革について、各界有識者の意見を十分聴取することは有意義でございます。その審議範囲は、臨調答申に指摘された行政改革課題の全般にわたるべきものであります。また、この運営に当たりましては、国民の声を十分聞くようにいろいろ手配をして、努力してまいりたいと思います。
次に、補正予算と行革路線の問題でございますが、今回の補正予算編成に当たりましては、追加財政需要が相当大規模に上る一方、また税収についても相当な減収が見込まれる等、厳しい状況のもとの編成でございましたが、最大限の努力を払いまして、特例公債の増発を回避したところであり、行財政改革の基本路線は堅持していると考えております。
次に、税制改革との問題でございますが、今回の税調答申は、財政改革につき、まず徹底した経費の節減合理化による歳出の抑制に引き続き努めるべきであるとするとともに、税制の抜本的見直しについて、いわゆる税収中立性の原則は堅持すべきといたしておりまするところから、御指摘の点は当たらないものと考えております。
残余の答弁は関係大臣がいたします。(拍手)
〔国務大臣玉置和郎君登壇〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/11
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012・玉置和郎
○国務大臣(玉置和郎君) 私に対する石橋議員の質問は五つに分けられるかと思います。
一つは、臨調、行革審は小さな政府を目指すとしたが、実際は強い政府をつくったのじゃないかというようなこと。二番目には、行革審はその設置目的を逸脱していたのではないか。三番目には、新行革審の設置目的は不明確だ、国民の声をもっと具体的に聞くべきではないか。それから次が情報公開制度。それから農協であります。
この一、二、三につきましては、総理の答弁で私は尽きておると思います。重複を避けます。
そこで、残されました情報公開制度などの諸問題について、また、農協の行政監察について御答弁を申し上げます。
民主的な社会においては、国民の行政に対する信頼と理解を確保することが不可欠であり、これなくしては行政が円滑にその役割を果たしていくことは不可能である。このような観点に立脚しつつ、まず情報公開については、一方で文書閲覧窓口の整備充実等の運営改善を推進し、他方、制度化に関する調査研究を進めてきているのであります。また、オンブズマンについては、かねてから総務庁内において検討を進めてきたところでありますが、本年六月に研究会から、行政府にオンブズマンを設置する構想が提示されたところであります。これらを踏まえて、さらに必要な具体的検討を進めているところです。さらに、職員団体との関係についても、政府及び職員団体相互間の意思疎通を図る観点から広く話し合いを行ってきております。
このように、御指摘の諸問題については、臨調答申等に沿って着実に推進を図ってきているところであり、これらを初めとして、引き続き諸課題の推進に全力を傾けてまいる所存であります。
最後に、農協監察について真意を申し上げます。
農協については、その機構が大きくなっていくにつれ、農業協同組合法にも示されておりますように、組合員への奉仕を目的とし、営利を追求してはならない、こうなっておりますが、そういった農協法の精神がどうもあやふやになっておるのではないかということ、また、農協活動の本来の目的であります協同主義というものがどうもないがしろにされておるのではないか、一度この辺でしっかり見直して、本当に農民のための農協というふうになってもらいたいものだという、その発想から出ております。
農協に関する行政監察においては、農林水産省の農協に対する指導監督、行政の改善に資するため、国や県の指導監督の状況や、農協の協力を得ながら農協業務の実態について調査してまいりたいと考えております。また、農協自身が今自助努力を一生懸命にやっておりますので、十一月の半ばには自助努力の成果を発表できるものと期待をいたしているところであります。(拍手)
〔国務大臣宮澤喜一君登壇〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/12
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013・宮澤喜一
○国務大臣(宮澤喜一君) 補正予算につきましては、間もなく国会に提出をいたしまして御審議を仰ぎたいということでただいま準備を進めておりますが、その中におきまして、内外の経済情勢に対処いたしまして、公共事業関係費の追加等を計上いたしたいと考えております。この点につきまして、御指摘のように、行革審の本年六月の答申の中で「経済情勢の急激な変化等に対して、政府が臨時・緊急の対応を採ることは、もとより」であるという指摘がございまして、私どもは、現在の状況を臨時・緊急の事態、それへの対応と考えております。ただ、それにいたしましても、今回の補正予算におきましては建設国債は増発せざるを得ないと考えておりますが、特例公債は追加発行をいたさないつもりでございます。この点では、行財政改革の基本路線に沿ったものと考えておるわけでございます。
税制改革につきましては、政府の税調答申は現在の税制のゆがみ、ひずみ等を是正することを抜本的な改正の目的といたしておりまして、税収増を目的といたすものではございません。さりとて、現在の財政状況から、税収減をもたらすということでありましても困るわけでございますので、総理大臣が言われましたように、税収の中立性を堅持いたしたいと考えておりまして、この点も臨調行革路線との関連では許されておる改革ではないかというふうに考えております。(拍手)
〔国務大臣加藤六月君登壇〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/13
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014・加藤六月
○国務大臣(加藤六月君) 農協に対する行政監察についての所見を石橋議員から求められました。
農協法に基づく農協の事業活動につきましては、同法の規定に基づく国及び都道府県による定期的な検査を実施しているほか、必要な指導を行っているところであります。総務庁による農協についての行政監察につきましては、今後総務庁の考え方を具体的に承りながら対応してまいるつもりであります。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/14
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015・原健三郎
○議長(原健三郎君) これにて質疑は終了いたしました。
────◇─────発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/15
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016・原健三郎
○議長(原健三郎君) 本日は、これにて散会いたします。
午後一時四十八分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/110705254X01019861030/16
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