1. 会議録本文
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000・会議録情報
平成四年二月十四日(金曜日)
午前十時一分開議
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○議事日程 第四号
平成四年二月十四日
午前十時開議
第一 平成三年度の水田農業確立助成補助金に
ついての所得税及び法人税の臨時特例に関す
る法律案(衆議院提出)
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○本日の会議に付した案件
一、新議員の紹介
一、議員熊谷太三郎君逝去につき哀悼の件
一、議員栗村和夫君逝去につき哀悼の件
一、国家公務員等の任命に関する件
以下 議事日程のとおり
—————・—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/0
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001・長田裕二
○議長(長田裕二君) これより会議を開きます。
この際、新たに議席に着かれました議員を御紹介いたします。
議席第二百五十二番、選挙区選出議員、奈良県選出、吉田之久君。
〔吉田之久君起立、拍手〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/1
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002・長田裕二
○議長(長田裕二君) 議長は、本院規則第三十条の規定により、吉田之久君を運輸委員に指名いたします。
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003・長田裕二
○議長(長田裕二君) 議員熊谷太三郎君は、去る一月十五日逝去されました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。
同君に対しましては、議長は、既に弔詞をささげました。
ここにその弔詞を朗読いたします。
〔総員起立〕
参議院はわが国民主政治発展のため力を尽くされ特に院議をもって永年の功労を表彰せられさきに内閣委員長公職選挙法改正に関する特別委員長の要職に就かれまた国務大臣としての重任にあたられました議員熊谷太三郎君の長逝に対しつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます
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004・長田裕二
○議長(長田裕二君) 原文兵衛君から発言を求められております。この際、発言を許します。原文兵衛君。
〔原文兵衛君登壇〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/4
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005・原文兵衛
○原文兵衛君 本院議員熊谷太三郎君は、去る一月十五日、急性肺炎のため福井市の福井県済生会病院において逝去されました。まことに痛惜哀悼の念にたえません。
私は、ここに、皆様の御賛同をいただき、議員一同を代表して、故熊谷太三郎君の御功績をしのび、謹んで哀悼の言葉をささげます。
熊谷君は、明治三十九年十一月、福井市にお生まれになりました。県立福井中学、第一高等学校を経て京都帝国大学に進まれ、経済学部で学ばれた後、昭和五年三月に卒業されました。
熊谷君が政界に入られた契機は、福井市議会議員に当選されたことであります。すなわち、昭和八年四月、御尊父の後任として選挙に出馬、初当選を果たされるとともに、市議会議長に選出されたのであります。
さらに、昭和二十年十月には、戦災により焦土と化した福井市の復興のため、地元出身の市長を切望する福井市議会満場一致の要請を受けて、当時三十八歳の若さで福井市長に就任されたのであります。そのとき、君は、郷土復興が祖国の発展に寄与することを思い、ためらう気持ちを抑えて決意されたと伺っております。以来、市長在職十五年間、市民のために日夜奔走されました。
熊谷君は、福井市長として、道路、下水道、治水を中心とする大規模な都市計画事業に着手されました。昭和二十一年四月の福井駅前四十四メートル道路の起工式に続き、昭和二十三年四月には、戦前着工寸前で中断した下水道事業に着手したのであります。この下水道事業の建設費は当時の東京都の下水道予算より多いと話題になり、下水道先進地ということで全国から見学者が絶えないほどでありました。
福井市は、昭和二十三年六月の福井大地震による火災、翌七月には豪雨のため九頭竜川の堤防決壊による被害を受けたのでありますが、熊谷君の市民ともども寝食を忘れての復旧作業により、「不死鳥福井」の名を全国にはせたのであります。
こうして、昭和三十六年四月、周囲の人々からぜひ国政へ参加をという激励を受けて意を決し、翌年七月、第六回参議院議員通常選挙において見事初当選を果たし、自来、連続五回の当選を重ねてこられました。そして、昭和六十二年二月二十日には二十五年の永年在職議員表彰の栄誉を受けられたのであります。
三十年の長きにわたる議員在職中、熊谷君は、内閣委員長、公職選挙法改正に関する特別委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長を務められました。また、昭和四十二年十一月に通商産業政務次官になられ、さらに、昭和五十二年十一月には福田内閣の国務大臣科学技術庁長官として原子力行政に力を注がれました。自由民主党におかれましても党紀委員長の要職につかれております。
また、真の民主主義の確立こそ日本の自由と独立、平和と繁栄を達成する唯一の道であるとして、「日本の民主主義を育てる会」を昭和四十三年一月に結成し、二十余年、地道に会を続けてこられました。
そして、御尊父が生前行っておられた恵まれぬ方々に対する援助活動を継承するため、昭和四十八年一月、基金二億円を寄附して財団法人いづみ福祉財団を設立されました。現在、財団法人熊谷福祉財団となりましたが、このように福祉活動も二十年に及んでおります。
さらに、資源に乏しい日本が将来の繁栄を築くには科学技術の振興こそが必要だと痛感され、昨年八月二十七日、財団法人熊谷科学技術振興財団を私財を投じて設立されたのであります。
このように、熊谷君は、実に多方面にわたりその持てる能力を十分発揮されましたが、そればかりではなく、アララギ派の歌人として知られており、昭和万葉集にも紹介されております。
一高在学中にアララギに入会され、以後、斎藤茂吉、土屋文明等の諸先生に師事されたのであります。
そして、昭和二十一年、北陸アララギ会を結成され、その主宰者として歌誌「柊」を復刊号れました。また、歌集も、昨年八月の「汽車の旅」で六冊に及んでおります。
ところで、熊谷君は今夏の参議院選挙を機に政界引退を表明しておられましたが、任期をわずかに残されたまま不帰の客となられました。
無欲恬淡とした熊谷君は、よりよい国家社会の建設を希求し、熱い情熱を心に秘め、邁進してこられました。君は、今後新たな社会活動に取り組
むことを楽しみにしておられましたが、その実現が不可能となり、さぞや御無念でありましょう。
君を失ったことは、御遺族のお悲しみはもとより、ひとり本院にとどまらず、二十一世紀を目前にしつつも激動する世界の中、我が国にとりましてこの上ない痛恨事と申さねばなりません。
しかし、まことに残念ながら、今や幽明境を異にされました。ここに、生前の熊谷君の御功績とお人柄をしのび、院を代表して心から御冥福をお祈り申し上げ、哀悼の言葉といたします。
—————・—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/5
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006・長田裕二
○議長(長田裕二君) 議員栗村和夫君は、去る一月二十五日逝去されました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。
同君に対しましては、議長は、既に弔詞をささげました。
ここにその弔詞を朗読いたします。
〔総員起立〕
参議院はわが国民主政治発展のため力を尽くさ
れました議員従五位勲四等栗村和夫君の長逝に
対しつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔
詞をささげます
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/6
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007・長田裕二
○議長(長田裕二君) 鶴岡洋君から発言を求められております。この際、発言を許します。鶴岡洋君。
〔鶴岡洋君登壇〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/7
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008・鶴岡洋
○鶴岡洋君 本院議員栗村和夫君は、一月二十五日、呼吸不全のため東京大学附属病院分院において逝去されました。連続六期宮城県小牛田町長を務め、地方行政のエキスパートとして、農政通として、また文人・文筆家としてもっとに知られた君は、保革七人の激戦となった三年前の参議院宮城選挙区において、有効投票の四八%を占める四十六万余票という圧倒的な県民の支持のもと、初当選め栄に浴されました。ようやく国政の場において君の抱負経倫が実を結び始めたそのやさき、志半ばにして病に倒れ、さぞや無念であったろうと、まことに痛惜哀悼の念にたえません。特に、懸命な看護に尽くされた御家族の心情を思うとき、その念切なるものがあります。
私は、同僚議員の御同意を得て、ここに、議員一同を代表し、故栗村和夫君のみたまに謹んで哀悼の言葉をささげたいと存じます。
小牛田町、宮城の県北農業地帯にあるいかにも牧歌的な名のこの町を含む周辺一市十三町は大崎地方と総称され、米どころ宮城、ササニシキの産地でありますが、君は、大正十三年十月、現小牛田町である遠田郡不動堂村にお生まれになりました。長じて、陸軍特別甲種幹部候補生としての軍歴を経て復学し、昭和二十年九月、旧制宇都宮農林専門学校を卒業されました。
自来、青年・労農運動にかかわる中で、療養生活を送られましたが、同三十五年から故島野武仙台市長の政策ブレーンを六年、その後、連続六期小牛田町長を務め、平成元年、本院に転ぜられたのであります。君は、地方行政委員会、議院運営委員会、選挙制度特別委員会に在籍の後、私が委員長を務める法務委員会に所属、当面は療養に専念し今後の活躍が期待されるさなか、また一日も早い回復を祈念する私どもの願いもむなしく、ついに不帰の客となられたのであります。
素朴な語り口で、ほとんどメモなしに行う理路整然とした委員会質疑、あまたの入選論文や著作、また、地方の首長としての体験に裏打ちされた選挙の立会演説会復活にかけた執念、町づくりにかけた情熱、町の広報紙に毎月一回、二十年余にわたって書き続けた「町長日記」、いずれも博識多才、長年地方行政に携わってきた君の一面を示すものでありますが、君が地方行政委員会や選挙制度特別委員会を希望することになったゆえんでもあると伺っております。
東北作家同人、日本農民文学会会員でもあった君の文才は、上梓された「町長日記」、「佐々木更三・その人の横顔」、「私は町長さん」、「欠点だらけ二十四章」、「ふたすじの流れ」等、あまたの著書に見ることができます。町長在職中の昭和五十二年、河北新報社創刊八十周年記念事業「住みよい郷土づくりへの提言」において君の応募論文は最優秀賞に選ばれましたが、このほか、東北放送、毎日新聞、社会新報等の懸賞論文でも最優秀賞に入選、君の論文はことごとく最優秀の栄に輝くという偉業をなし遂げているのであります。
君は、文人政治家であると同時に、学者政治家でもありました。昭和六十年には信州大学客員講師に招かれ「自治体経営学の実践」を講義されるなど、長年地方行政に携わった町長としての理論と実績、また風格に富むその話り口は聴講者の心を魅了して離さなかったと聞いております。
大崎地方町村会長、宮城県町村会副会長並びに地方制度調査会委員を歴任された君の地方行政に対する深い造詣と熱意、政治家としての理論と実践は、町づくり、地域おこしの先駆にもなったのであります。日本を、なかんずく東北地方を心から愛した君は、個性のある町づくりの大切さを訴え、創造的町づくりの積み重ねのみがあすの東北の姿になると強調され、みずからも実践されたのであります。昭和五十四年に完成した小牛田町文化会館は大崎地方の文化会館の嚆矢として、ここを核に、この地に合唱や演劇などの文化活動をはぐくむ礎になったのであります。
多彩な活動をされた君は、信念の人でもありました。参議院選挙においては、「続町長日記」の副題でもある「平和・緑・コメ」を農村部でも都市部でも実直に訴え続けたと聞いております。票になるならないより、それが信念と思うことを訴える、それが政治家の務めだと語っていたと聞いております。
その君が、昨年夏ごろから体調を崩され入退院を繰り返しながらも、小説という形に託しながら、月刊「地方政治」に「選挙春秋」のタイトルで地方サイドから見た特異な選挙史を書き続けたのであります。信州を舞台としたこの小説の主人公城戸充の一生は、地方政治に情熱を注いだ君の生涯そのものと言えます。昨年一月から十一回連載して完結、しかしその軽快な筆致とは裏腹に、終章は病床にあって苦しい体調の中での執筆であったと聞いております。まさに地方行政に一生をささげた君の執念の脱稿であり、ついには君の絶筆ともなったのであります。地方自治に生き、地方政治に情熱をささげた、いかにも君にふさわしい終焉と申せましょう。
ここに、謹んで故粟村和夫君の生前の御功績とお人柄をしのび、院を代表して心から御冥福をお祈り申し上げ、哀悼の言葉といたします。
—————・—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/8
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009・長田裕二
○議長(長田裕二君) この際、国家公務員等の任命に関する件についてお諮りいたします。
内閣から、
国家公安委員会委員に岩男寿美子君を、
中央社会保険医療協議会委員に井原哲夫君及び館龍一郎君を、
航空事故調査委員会委員長に竹内和之君を、同委員に東昭君、東口實君、宮内恒幸若及び吉末幹昌君を、
また、労働保険審査会委員に小川博君及び山口泰夫君を任命することについて、それぞれ本院の同意を求めてまいりました。
まず、国家公安委員会委員、中央社会保険医療協議会委員のうち井原哲夫君、航空事故調査委員会委員長、同委員のうち東昭君及び東口實君並びに労働保険審査会委員の任命について採決をいたします。
内閣申し出のとおり、いずれも同意することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/9
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010・長田裕二
○議長(長田裕二君) 総員起立と認めます。
よって、全会一致をもっていずれも同意することに決しました。
次に、中央社会保険医療協議会委員のうち館龍一郎君並びに航空事故調査委員会委員のうち宮内恒幸君及び吉末幹昌君の任命について採決をいたします。
内閣申し出のとおり、いずれも同意することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/10
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011・長田裕二
○議長(長田裕二君) 過半数と認めます。
よって、いずれも同意することに決しました。
—————・—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/11
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012・長田裕二
○議長(長田裕二君) 日程第一 平成三年度の水田農業確立助成補助金についての所得税及び法人税の臨時特例に関する法律案(衆議院提出)を議題といたします。
まず、委員長の報告を求めます。大蔵委員長竹山裕君。
〔竹山裕君登壇、拍手〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/12
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013・竹山裕
○竹山裕君 ただいま議題となりました平成三年度の水田農業確立助成補助金についての所得税及び法人税の臨時特例に関する法律案につきまして、委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
本法律案は、衆議院大蔵委員長提出によるものでありまして、平成三年度の水田農業確立助成補助金について、個人が交付を受けるものはこれを一時所得とみなし、農業生産法人が交付を受けるものは、交付を受けた後二年以内に固定資産の取得または改良に充てた場合には圧縮記帳の特例を認めることにより、それぞれ税負担の軽減を図ろうとするものであります。
なお、本法律施行に伴う平成三年度の租税の減収額は約六億円と見込まれております。
委員会におきましては、提出者より趣旨説明を聴取の後、採決の結果、本法律案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。
以上、御報告申し上げます。(拍手)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/13
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014・長田裕二
○議長(長田裕二君) これより採決をいたします。
本案に賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/14
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015・長田裕二
○議長(長田裕二君) 総員起立と認めます。
よって、本案は全会一致をもって可決されました。
本日はこれにて散会いたします。
午前十時三十分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/112315254X00419920214/15
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