1. 会議録本文
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000・会議録情報
平成二十七年六月十一日(木曜日)
午前十時開会
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出席者は左のとおり。
委員長 水落 敏栄君
理 事
石井 浩郎君
二之湯武史君
神本美恵子君
斎藤 嘉隆君
委 員
赤池 誠章君
衛藤 晟一君
橋本 聖子君
藤井 基之君
堀内 恒夫君
丸山 和也君
吉田 博美君
榛葉賀津也君
那谷屋正義君
森本 真治君
秋野 公造君
新妻 秀規君
柴田 巧君
田村 智子君
松沢 成文君
事務局側
常任委員会専門
員 美濃部寿彦君
参考人
白梅学園大学子
ども学部教授 無藤 隆君
共栄大学副学長 藤田 英典君
法政大学キャリ
アデザイン学部
教授 佐貫 浩君
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本日の会議に付した案件
○学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提
出、衆議院送付)
─────────────発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/0
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001・水落敏栄
○委員長(水落敏栄君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。
学校教育法等の一部を改正する法律案を議題といたします。
本日は、本案の審査のため、参考人として白梅学園大学子ども学部教授無藤隆君、共栄大学副学長藤田英典君及び法政大学キャリアデザイン学部教授佐貫浩君に御出席をいただいております。
この際、参考人の皆様に委員会を代表して一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。
参考人の皆様から忌憚のない御意見を拝聴いたしまして、本案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
本日の会議の進め方でございますが、まず、無藤参考人、藤田参考人、佐貫参考人の順でお一人十五分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
また、御発言の際は、挙手をしていただきまして、その都度委員長の許可を得ることになっておりますので、御承知おきいただきたいと存じます。
なお、参考人、質疑者共に御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず無藤参考人から御意見をお述べいただきます。無藤参考人。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/1
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002・無藤隆
○参考人(無藤隆君) 無藤でございます。
私は、資料としてお手元に行っているかどうか、九つ、箇条書ということでまとめてまいりました。
この義務教育学校、これまで中央教育審議会では小中一貫学校という言い方で審議を重ねてまいりました。たまたま私もその審議のメンバーの一員でありまして、この新たな義務教育学校の意義というものをいろいろな形で考え、また文部科学省等の調査、さらに、私は幾つか実際に、これまでのものですから一貫学校というよりは小中の連携、接続の試みでありますけれども、それを行っている自治体にも関わってまいりました。その経験を基にお話をさせていただきたいと思います。
以下に申し上げる九つほどの点で、新たな制度化ということがプラスであるというふうに考えております。
九つ挙げましたけれども、大きく言うと三つに分かれております。一つは、義務教育というもの、特に学校教育法で義務教育というものが規定される中で小中が位置付けられましたので、そのことに関わってということであります。大きく二番目は、小中の具体的な授業実践、生徒の指導の在り方の改善に関わるものであります。そして三番目は、カリキュラムをどういうふうに作っていくか、進めていくかに関わるものであります。
最初に、義務教育に関わってでありますけれども、義務教育は、法律を持ち出さなくても、当然ながら九年間、小学校そして中学校まとまったものとして存在しておりますし、義務教育学校あるいは通常の小学校、中学校を含めて中学校卒業時においてどのような資質、能力を持つか、きちっとした一定の資質、能力を持つ、それが学校の責任であるということになります。
そういう意味では、例えば小学校は基礎の部分、中学校は発展、完成の部分ですけれど、その両方が合わさって九年間の子供の成長、学びを可能にするものである。また、小中学校が言わば説明責任を持つとしても、最終的には中学校卒業時への責任であるわけです。そういう意味で、小中はできる限り協力して、一体となって義務教育に関わるという当然のことを申し上げたいと思います。
その上で、もしそうであるとすれば、小学校、中学校の密接な協力が不可欠であるわけです。それが、これまでのところ、小学校、中学校の制度的な違いや、それから、比較的大きな問題は物理的な配置の違いだと思いますけれど、そういったことで必ずしもうまくいっていないのではないかと思うわけです。
二番目に、校種間のつながりを改善するということで書いておきましたけれども、日本の学校は、学力検査あるいはそれ以外の実際の教育学者による視察その他で非常に国際的に高い成果を上げていると評価されていると思いますけれども、多くの海外からの見方の共通点の一つは、校種間のつながりが弱いということだろうと思います。それぞれ小学校、中学校、あるいは高校、あるいは幼稚園の完成度は非常に高いと思うのですけれども、逆に、そのためにつなぎの仕方に難しさが現れてくるのだろうと思います。
小中の間でいえば、それは学習方法の違いであります。小学校は言うまでもなくクラス担任制です。中学校は教科担任制です。それを部分的に修正してはおりますけれども、その大きな指導法の違いというものが子供にとって混乱をもたらすところは否めないと思いますし、また、生徒指導の在り方も、具体的なやり方等が非常に異なっているわけです。そういうことも影響しながら、いわゆる中一ギャップも起こってきているのかと推察しております。
また、中学校での、例えば中学一年での様々な問題行動なども、小学校高学年の段階に多くの芽生えがあると思いますけれども、その辺りの情報の交換、あるいは中学校の先生が小学校高学年まで見通し、またその逆というものがどうもやりにくいのではないか。
具体的に、例えば今なかなか難しい部分の幾つかを挙げれば、生徒の生活の自己管理、つまり、家庭でスマホの問題とかあるいは夜遅くまで起きている等の問題は小学校高学年から深刻になっておりますが、そういったことについての対応を小中一緒にやっていかなければいけない。
あるいはまた、自己学習スキルと呼んでおりますけれども、中学校になると、自分で宿題をするだけではなくて、試験勉強も含め、様々な形で自習、予習、復習が求められますけれども、その辺の学習スタイルは小学校と大きく違いながらも、中学校に向けての準備はほとんどなされておりません。その辺りの制度的な改革が必要であると考えております。
大きく二つ目が、三番、四番、五番、六番に挙げたところでありますけれども、個別の子供の指導の一貫性というのを一つ挙げたいと思います。
例えば小学校の中で、一年生から六年生までであれば、一人一人の子供の名前を挙げながら、あの子はこうである、三年生のときにこうで今五年生でこうであるといった情報の共有というのがなされます。中学に入っても、一年生から三年生についてはなされるわけですが、小六と中一の間には大きなギャップがあって、非常に抽象的な、あるいは極めて特別な情報はつなげられるにしても、日常的な情報はほとんど行き交っておりません。そういう意味で、子供一人一人の情報を共有する仕組み、これは一つの制度の下の方がはるかにやりやすいのではないかと思います。
それからもう一つ、四番に書きましたのは小中の移行期の在り方の問題であります。
学制改革の議論というのは以前よりあるわけで、例えば、六三制に対して四三二がいいとか五四がいいとか、いろいろな議論があると思うのですけれども、結局、それが決着はなかなか付かない一番大きな理由は、個人差が非常に大きいので、どういった子供に焦点を当てるかで、例えば小五を中学にした方がいいとか、それは早過ぎるといったことになるかと思います。
典型的にはアメリカなどのミドルスクールのような考え方で、つまり、多くの国で小学校、中学校の中間の学校をつくるなり、あるいは移行的な学年をつくるなりという試みが増えてきております。そういう意味で、日本で別にミドルスクールをつくれと言っているわけではなくて、その辺の小学校高学年から中学の一年生ぐらいの、小学校的特徴を持ちながらも中学の指導の在り方を強化するようなことをやりたいと、そういった地域、教育委員会が増えてきているというふうに考えております。
それから、五番、六番は子供同士の学び合い、教師同士の学び合いの問題であります。
子供が、小学生、中学生、行き来しながら相互に学び合うとか、あるいは小学生のうちに中学に行って中学生の姿を見る、また、中学生が小学校に出かけて、学習や時に部活などの面の指導を行うということが子供たちの成長に大いに役立つ面があります。
もう一つは、教師の学び合いであります。小学校、中学校の教師のどちらが指導技術が優れているかといえば、それは一般的にどっちが上ということではなく、種類の違いなんだろうと思います。小学校の教師は全科が基本であり、学級指導を中心とした極めて子供に近い、丁寧で一人一人の子供に対応した指導を得意としております。それに対して中学校の場合には、やはり教科専門として特定の教科についての高い知識と指導技術を持つものだろうと思います。その両方が本当は必要なわけで、そういう意味で、小中の教員が一緒になりながら相互に研さんし、学び合い、より良い在り方を求め、先ほど申し上げた小学校から中学校にかけての小中重なり合いがあるような、そういった新たな学習指導、生徒指導をつくり出していただきたいと考えております。
最後に、七、八、九のところでありますけれども、今回の提案されている義務教育学校というものは二つの特徴があると思います。
一つは、義務教育学校として提言されておりますけれども、基本的には教育委員会の選択である、通常のこれまでの小学校及び中学校と併存できるものである。もちろん、全部をそちらにしてもいい、あるいは選ばなくてもいい。やはり地域の事情、学校の事情、子供の在り方等々によってどのような形で自分の地域の小学校、中学校、義務教育の在り方を言わばデザインしていくかということが教育委員会また各学校に求められ、そこに参画する保護者、地域住民の考えによるということが大きいことだというふうに思います。それが一つです。
もう一つは、そこを当然ながらそういう形で行うということは、例えば小学校、中学校のその地域の学校が義務教育学校になり得るということであります。いわゆる就学指定をするという中での組立てでありますから、当然ながら、義務教育学校の前半の小学校に相当する部分は小学校の学習指導要領をきちっと行う、また中学校に相当する部分は中学校の学習指導要領をきちっと指導する、全体として義務教育の指導内容を指導するものであるということと、それから、就学指定ということは、その地域の子供たちが原則としてその小学校若しくは義務教育学校に進学するという意味でありますので、そういう意味で、地域の学校としての新たな義務教育学校というものが構想されていると私は理解しております。そういう意味で、地域住民の関わり、あるいは現場の先生方の関与というものを大いに求めながら教育委員会が活用していただける制度となってほしいと思っております。
それから、八番、九番なんですけれども、八番は極めて実務的な話ですけれど、特に首都圏などですと、中学になってから私立学校に転出する、進学する、あるいは引っ越すなどは結構あるのではないかと思います。そういう意味では、この義務教育学校で小六と中一の間の教育内容の多少の入替え、あるいは新教科というものも提言されてはおりますけれど、その際に、転出、転入する生徒さんへの十分な配慮、簡単に言えば、小六で学ぶべき事柄を中一で学ぶことになっていたが学んでいない場合の補習ですね、また、その逆などについてきちっと行うということをお願いしたいと存じます。
最後に九番、教科等の一貫性の問題でありますけれど、九年間という中で様々な形で進めていただけるわけですけれど、私としては、その中で、小六から中三のつながりということを幾つかの教科ではしっかりつくるといいのではないかというふうに思っております。
これは、義務教育学校の法律自体の問題というよりはその運用の問題でありますけれども、例えば家庭科は小五から始まり中三に続きます。それから小学校英語は、今提言されているのは小五、小六の英語活動を教科にするということのようですけれども、もしそうだとすれば、教科としての英語は小五から中三までつながるわけであります。また、理科や社会科などは小三から始まってはおりますけれども、教科内容に関して言うと、小学校部分と中学校部分の様々な繰り返しがあります。繰り返しの意義もありますけれども、それを整理しながら、より効率的に子供にとって印象深い教え方が可能になるということ。あるいは算数、数学の結び付きも、算数の高学年部分には実は代数の考え方がそれとは言わないけれども入っているわけでありますけれども。要するに、x、yという記号は使わないけれども代数的考え方が小学校算数の六年生に入りますけれども、あの辺りは、中一との結び付きがもうちょっと強くなればより優れた教え方になるのではないかと期待しているところであります。
時間かと思います。以上です。
ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/2
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003・水落敏栄
○委員長(水落敏栄君) ありがとうございました。
次に、藤田参考人、お願いいたします。藤田参考人。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/3
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004・藤田英典
○参考人(藤田英典君) ここで意見を申し上げますことを非常に光栄に思っております。ありがとうございます。
私は、この今回の法律案には批判的でありますが、お手元の資料のとおり、「「義務教育学校」創設の是非について 公正・公平な制度の下すべての子どもがハッピーでありうるために」と題して報告をさせていただきます。
最初に、図で示してありますけれども、学校教育が基本的に抱えている機能、役割と充足すべき要件について確認しておきたいと思います。
学校教育の基本的な役割あるいは機能として三つあります。
左上の教育・社会化機能。知識の伝達、配分により学力、能力の形成、それから人格、市民性の形成、この二つでありますが、これは、下の括弧にも書いてありますように、知識、文化の世代間継承を社会的に可能にするという意味で社会的にも非常に重要な機能であります。
二番目の大きな機能は、下に書いてありますケアリング機能であります。学校教育は、子供が学校で過ごす時間、生活空間、居場所を提供し、そして安全、安心、保護、世話を提供するところであります。したがって、校内暴力やいじめ等々の問題を迅速かつ適切に対応していくことが極めて重要であります。そういったことも含めてケアリング機能が重要です。
三番目は選抜・配分機能でありますが、これは、学校教育の直接的な目的というよりも付随的な機能と言うべきですが、しかし極めて重要で、入学者選抜と、そして受け入れた学生生徒に対して卒業証書を付与し、教育資格を付与し、そしてそれはその後の階層的な秩序への人員配分、就職等にも様々な影響を及ぼしていきます。したがって、この点におきまして、教育の機会は基本的に公正かつ公平でなければいけないということになります。
そこで、下の方に二点まとめておきましたが、学校教育システムは全ての子供に教育の機会を公正かつ公平に提供するものでなければならない、左に、学校は全ての子供に最善の教育と学びの場と機会を提供するものでなければならない。この点におきまして、今回の義務教育学校が特殊なものとして位置付く可能性があり、そしてまた、それは教育の機会を非常にゆがめていく可能性があります。
次に、小中一貫、連携の在り方について考える際に留意すべき事項として二点確認しておきたいと思います。
一点目は、初等教育は共通性原理によって、高等教育は分化原理によって編成されております。そして、その間に位置する中等教育は共通性原理と分化原理がせめぎ合う段階となっております。そのために、中等教育の在り方は国によっても、そして歴史的な発展段階によっても多様でありましたし、現在もそのような多様性が見られます。
とはいえ、前期中等教育は共通性原理によって、後期中等教育は両方の原理が収れんする傾向にあります。その意味で、小中一貫という考え方は両方とも共通性原理に属するという点では問題は特にないところでもありますが、しかし、後で述べるようなことで非常に問題が多いと考えております。
二点目は、重要な選択、選抜の時期が早いほど家庭の経済資本、文化資本、教育戦略や情報収集判断能力の違いによる教育機会の格差が拡大、固定化しがちであると。これは、義務教育学校は、現に既に施設一体型の小中一貫校として始まっている学校の多くは選択制の学校になっております。つまり、小学校入学時点から保護者が選択するということになります。ですから、学校選択制は学校間の序列化、格差化を招く傾向がある。二点目、義務教育段階の学校選択制や選択制の小中一貫校、中高一貫校の制度化は教育機会の階層間の格差の拡大を招く可能性があるということであります。
次のページ、御覧ください。小中一貫教育の法制化について。
この法制化論の根拠にされるものとして、先ほどの無藤参考人も言及されました中一ギャップというものが絶えず挙げられます。そして、この中一ギャップ論は、私は妥当性に欠けているというふうに見ておりますが、お手元の資料、学年別いじめの認知件数と学年別不登校児童生徒数、この表は、教育再生実行会議の小中一貫校の法制化を提言した第五次提言の参考資料にも掲載されているものであります。もちろん、文部科学省の調査データであります。
御覧いただくように、いじめについては、小学校六年生、一万九千人、中一、二万九千人ということで約一万人増えていて、これをもって中一ギャップあるいは中一ギャップの表れと言われているわけでありますが、私は、そこに補助線として引きました。これは増加傾向線と言っていいものでありますが、小一から中一まで増加傾向線、この線を引きますと、むしろ小学校五年生と小学校六年生は少ないと。なぜこれが少ないのかということを考える必要があるということです。これは、小学校と中学校を六三で分けていることによるものだというのが私の見方です。
同様のことは不登校についても言えます。不登校はいじめの場合よりやや複雑な面がありますが、まず、小学校六年生から中三、ピークに達する中三までの補助線のところを見ますと、明らかに中一はこの増加傾向線よりも上に出ています。しかし、その点で見ますと、中学二年生も同じように上に出ています。そして、実際に実数で言いますと、小六から中一の増加は約一万四千ですが、中一から中二にかけても約一万二千増加しております。ということになれば、もし中一ギャップというならば、同じように中二ギャップがあるということになりますが、これではギャップ論は成立しません。
そこで、ほかの二つの補助線を御覧いただければと思いますが、小一から小六まではなだらかに増加傾向にあります。しかし、理論的に言えば、不登校は基本的には思春期以降に顕在化する傾向が強いというふうに言えますから、小四からピークに達する中三までの補助線を引きますと、この増加傾向線で見れば、いじめの場合と同様、小学校五年生、小学校六年生は極めて少ない、少なく収まっているということになります。それに対して、中学一年は増加傾向線よりもむしろ下にあります。そして中学二年生は上に出ます。つまり、中一でもちろん増えますが、中二になるともっと増える、そして中三になるとそれほど増えない。これは、中二段階で困難を抱えている子供が不登校になってしまうから中三では増えないという天井効果によるものです。
ですから、そうしますと、ここで二つのことが指摘されます。小学校の五、六年生が少ないのは、上級学年、最上級学年になる自覚化、成長効果によるものと考えることができます。それに対して、中学校で不登校が増えるのは、これはいじめも同様なんですけれども、基本的には、中学校文化が持っている二重の競争的な、競い合うというプレッシャーであります。一つは学力、受験競争の圧力、もう一つは友達の間で人気があるかどうか、好ましく見られているかどうか。様々な点で子供たちは潜在的に競い合いの意識を持っています。その二つのプレッシャーに加えて、中学校文化では、学校における規則、規律等も小学校時代よりも強くなりますし、そしてまた様々な形で集団性圧力も強くなります。ですから、そういう中で不登校が増え続けるということでありますが、そういうことを踏まえるならば、次のページを御覧ください。
今述べた私の見方が妥当であるなら、小中一貫校の法制化は、いじめや不登校などへの対応策として適切でも有効でもないというだけでなく、事態の更なる悪化を招きかねない。義務教育学校の法制化は、施設一体型小中一貫校の増加を促進すると予想されるが、特に都市部の大規模校で小五、小六の子供たちの萎縮、疎外やいじめ、不登校の増加を招く危険性があるというふうに考えられます。
そこで、次に、アメリカの学校体系の変遷と現行の六三三制の意義について考えてみたいと思います。
このアメリカの変遷は非常に興味深いものでありまして、お手元の資料の下に示しました主要な学校種の学校数の推移、一九八〇年から二〇一〇年に公立学校がどのように変化したかというものの表でありますが、これも先ほどの教育再生実行会議の第五次提言の参考資料に掲載されているものです。
この表の要点を右の四角の中にまとめておきました。一点目は、六年制の小学校、下級ハイスクール、上級ハイスクールが大幅に減少しております、この三十年間にですね。それから二点目は、五年制の小学校、ミドルスクール、四年制ハイスクールが大幅に増加しております。これは、先ほども無藤参考人も言及されましたミドルスクールが非常に多くなってきたからであります。
では、この二つの三十年間の変化は、もう少し長いスパンで歴史的な変遷の文脈の中に置いてみますと、次のようなことを指摘することができます。
第一段階の二十世紀初頭までは、アメリカでは八四制、小学校八年、ハイスクール四年が大半でした。ところが、第二段階の二十世紀前半には、六三三制が導入され、増加することになります。そして、戦後日本にこの六三三制が導入されたことは御存じのとおりであります。次に、第三段階の二十世紀後半になりますと、ミドルスクールを核とする五三四制などが急増することになります。
なぜこういう変化をたどったかということについて、六三三制とミドルスクールの制度設計理念について確認しておきたいと思います。
まず、六三三制は、八年制の小学校から四年制ハイスクールへの移行上の困難、不適応を解消するためでした。つまり、現在の中一ギャップ論が主張していることと同じ論理で六三三制が導入されたということであります。それに対して、二番目のミドルスクールを中心とする制度再編は、ミドルスクールは思春期の発達上の難しさに適切に対応し、最善の教育環境を提供するという基本理念に基づいて導入され、増えてきているところであります。
そこで、以上を踏まえますと、次のページにまとめておきましたけれども、一番目として、戦後日本に導入された六三三制は、八年制小学校から四年制ハイスクールへの移行上の困難、不適応の解消という点にあり、その点で、現在日本で言われている中一ギャップ問題と同種の問題への対応策であったということであります。二点目といたしまして、二十世紀後半以降に導入されて増加してきたミドルスクールは、思春期の発達上の難しさに適切に対応し、最善の教育環境を提供しようとするものであり、アメリカの経験に基づく改革とは真逆の改革が今日本で進められようとしております。
そこで、この部分の結論として、一、中一ギャップの問題の解消が主要な理由、目的の一つであるなら、その点で九年制義務教育学校の創設には目的合理性はないと言える。加えて、二、思春期の難しさが重大であるとするなら、いじめ、不登校などへの適切な対応という点でも、おおらかな環境の下で生活、学習し、誇りと自信を持って自己形成していくことができるようにするという点でも、九年制義務教育学校の法制化には目的合理性、適切性はなく、むしろ事態の悪化を招く危険性があるということであります。
そこで、次に、問題はしかしそれだけではなくて、九年制義務教育学校創設の副次的あるいは付随的な効果として、教育機会の制度的格差を拡大するという問題があります。義務教育段階の学校選択制や選択制の小中一貫校、中高一貫校が教育格差の拡大を招くというのは、これは教育社会学を始めとして様々な研究がこれまで明らかにしてきたところであります。
ここで四点まとめてありますが、赤字にしておいた三点目と四点目だけを申し上げたいと思います。学校選択制は人気校と不人気校をつくり出し、その固定化と格差化を招きがちである。四点目、学校選択制も小中一貫校、中高一貫校も、重要な選択の時期を早期化、早くすることになりますから、その結果として、家庭の経済力、文化資本、教育戦略などによる教育機会の格差化を招くことになるという点で公平性を欠くというふうに言えます。
そして、こういったような制度改革の結果に対する責任は誰が取るのか。これまでの経験では、責任を取らされてきたのは子供、保護者であり学校、教師でありました。しかし、ここにいらっしゃる議員の先生方を始め、政策担当者が責任を取ったということはこれまで一度もありません。このことは極めて理不尽かつ不条理なことであると私は考えておりますが、このような理不尽、不条理を回避するためにも、良識の府とされる参議院におきまして賢明な判断と決定をしていただきたいというのが私の願いであります。
それで、それにしても、日本の教育はこういうような制度改革をしなければいけないほど問題の多い駄目な教育制度であるのかということであります。
OECD教育調査団が一九七一年に日本に来て詳細な調査をして、報告書として日本の教育政策というものを公表しております。このときのメンバーは、ジョセフ・ベン・デビッド、高等教育の専門家です。それからロナルド・ドーア、日本研究者として世界でも第一人者と言われる人です。それからヨハン・ガルツング、平和研究者としても有名です。エドガー・フォールはフランスの最年少で首相を務め、文部大臣も務めた人です。それから、エドウィン・ライシャワーは御存じのとおりであります。
我々は、自分たちの国に比べて初中等段階での日本の成果がいかに大きいかに深く印象付けられた、日本の人々に役立つようなことをこちらから指摘したり示唆するよりも、むしろ我々自身の方が学ぶべき立場に置かれている、日本は十五歳まで、すなわち中学校段階まで差別的な教育はやらないように細心の努力を払ってきた国の一つである、コースの分化を避け、優秀な子供には遅れた仲間の学習を助けさせるという中学校教育の在り方は、最も魅力的で人間的な教育の特質として我々の心を捉えたと、これが当時のOECD教育調査団の日本の初等中等教育に対する評価であります。
しかし、この三十年間、この良さを基本的にはずたずた切り裂いてきたのが主要な制度改革であったと見ております。
私の時間ほぼ過ぎましたので、最後のページの「公正な制度の下すべての子どもがハッピーでありうるために」のところにつきましては、後ほどもし御質問等ありましたら説明をさせていただきます。
どうも御清聴ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/4
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005・水落敏栄
○委員長(水落敏栄君) ありがとうございました。
次に、佐貫参考人、お願いいたします。佐貫参考人。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/5
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006・佐貫浩
○参考人(佐貫浩君) このような機会を与えていただきまして、感謝いたします。
皆さんのお手元に四ページのレジュメと十一枚の資料をお配りしておりますので、それを見ながら私の陳述をさせていただきたいと思います。主に二点をお話ししたいと思います。
私は、現在、品川区に住んでおりまして、そして、品川の学校についての研究も継続して行っております。「品川の学校で何が起こっているのか」という、このような本も出しております。
まず第一点は、品川の小中一貫教育の現実というものが一体どういうものかということをお話しさせていただきます。
レジュメの方で第一番目の品川の小中一貫教育の実態をどう見るかというところですが、まず第一番目、小中一貫教育の実態は何よりも統廃合であったということが非常に明確です。
資料としてお配りしました一ページの一番上にあります図表を御覧ください。そうしますと、それまで十八校ありました小中学校が小中一貫校六校になりました。そして、十八校の校地があったわけですが、そのうち九つの校地が学校以外のものに転用されることになりました。品川区は、二〇一七、八年ぐらいまでは学齢期の児童が漸増傾向にありますが、そういう中でこのような統廃合が行われたということになります。そして、その結果、六つの小中一貫校のうち半分、三つ千名前後の大規模学校というものが生まれてしまいました。そのため、校地が非常に狭い大規模校が生まれてしまいました。
これについては地元からの相当な反対もございましたが、小中一貫教育という新しい教育を行うのだという、そういう教育委員会の側からの宣伝と、それから豪華な校舎、この表の中にその費用が書いてございますが、この豪華な校舎とによって反対が抑えられたというのが現実であります。
二点目ですが、その結果、小学校五、六年生の存在感、活躍の場が失われていったというのが現実です。親たちも、この小中一貫校での運動会を見て、小中一貫校とは何と過密な学校かということを改めて気が付いたというのが現実です。
中教審の議論に出されました資料の中に、品川の小中一貫教育の具体的な現実が書かれた資料がございますが、例えば入学式については、一年生と七年生で一緒に実施していて、全校生徒児童が参加。果たして、小学校一年生と七年生、この二つが同じ会場で一つの入学式をするというのが発達段階から見て妥当かどうかということは非常に疑問がございます。
あるいは卒業式について、この小中一貫の中心校は、六年生の卒業式を実施しない理由として、小中一貫校として九年間の連続性を重視し、六年生は一つのステップとして認識しているが、四年生で十歳式を実施するなど、一—四年、五—九年のまとまりを重視しているという形で、六年生の卒業式はなくなりました。後でこのことの意味はまた触れさせていただきたいと思います。
運動会については多様なやり方がありますが、学年で分けてやっている、一—四年生の運動会と五—九年生の運動会に分けてやっているところがあります。しかし、今まで小学校五、六年生が学校のリーダーとして、そのすばらしい演技を小学校一年生、四年生辺りに、こんなすばらしい五、六年生になりたいと思うような感動の場とか、そこでのパフォーマンスを五、六年生がつくることで自信を付けていくという場がなくなってしまいます。果たして、五—九年生で行う運動会で、中学三年生や二年生が活躍する場で小学校五、六年生が自分たちの出番があるというふうに本当の感動できる運動会が可能かどうかを考えてみると、これもまた非常に疑問がございます。
それから三つ目、小中一貫カリキュラムの実態というものを見る必要がございます。そして、私は率直に言って、小中一貫でカリキュラムを考えれば現在の学習指導要領よりもとてもいい指導要領ができるなんということは幻想であると思います。もしそうであるならば、既に文科省が検討して、そういうカリキュラムを作っているはずであります、学校が別であってもカリキュラムの連続性は学習指導要領として作り得るわけですから。したがって、小中が一体の学校になれば新しいカリキュラムができるというのは、私は何の根拠もないというふうに思っております。
じゃ、実際にどういうカリキュラムが行われているかということは、前倒し、繰下げカリキュラムです。私の配りました資料一ページの漢字学習カリキュラムというのが図表二でございますが、現在の学習指導要領では一年から六年までに合計千六の漢字を学ぶことになっていますが、品川区では小学校五年生までにその全部の漢字を学ぶというふうになっております。三年生は、指導要領では二百字ですが、品川では二百八十五字です。四年生は二百字ですが、品川では三百字です。
そして、これだけ詰め込んで漢字を教えるということは果たして教育的かどうか、これについては、私の身辺では、子供が漢字が嫌いになったという声が非常に聞こえてまいります。これについて検証はされておりません。これは品川の小中一貫カリキュラムの最も典型ですが、こういうものについてきちんとした検証なしに小中一貫で前倒しのカリキュラムが進行していくということは、教育学的に見ても子供の現実からしても非常に大きな問題があるというふうに私は考えております。
それから、少し飛ばしますが、学校選択制と並行されておりますが、これが非常に矛盾がございます。資料一の一番上の表で御覧いただきたいんですが、実は、小中一貫校の中でそのまま六年生から七年生に進む生徒の数は全体で四分の三です。すなわち四人に一人が脱出をしております。そして、七年生になったときに新たに外から入ってきた生徒と下の小中一貫校の六年生から進学した生徒との比率は一対一、半分になっております。
小中一貫教育といいながら、その中心の小中一貫校で非常に六年生と七年生の段階で入れ替わりが激しい。本来、小中一貫教育の成果があるならば六年生は七年生に、これはいい教育だということで進むはずですが、そんなふうにはなっておりません。そういう点では、学校選択制との矛盾というものも非常に激しいものがございます。
さて、小中一貫教育の教育学的根拠があるのかということについて簡単に触れますが、中教審で議論されている議論が、全部でその理由が五点あります。
第一点は、教育基本法、学校教育法の改正による義務教育の目的、目標規定の新設ということがあります。しかし、これは不思議な理由付けです。今まで果たして共通の目標はなかったのか。教育方法に共通の目標が書かれたからといって小中が一貫になる必然性はどこにもございません。
二つ目、近年の教育内容の量的、質的充実への対応。量的、質的な充実はそれぞれの段階で量を新たに検討すればいいことであって、連続すればこの量的な増加に対して対応できるという根拠は一つもありません。
三つ目、児童生徒の発達の早期化との関係ということが言われております。これについては、確かに、身体的コンピテンス、実は、思春期において大きく発達するのは身体的コンピテンス、社会的コンピテンス、認知的コンピテンス、コンピテンスというのは能力とお考えいただければいいんですが、ございます。そして、身体的コンピテンス、性的な特徴の発達という点では確かに早まっております。しかし、認知的な発達というものが大きく一年、二年と早まったという証拠はどこにもございません。
そして、重要なことは、思春期の段階を豊かに生きるためには、子供たち自身が自分の世界をつくるということが非常に重要です。なぜかと申しますと、思春期というのは、初めて子供たちが自分の概念的思考によって、今までは見たものをそのまま受け入れるという発達段階から、自分の頭の中で何がいいか、価値というものは何か、経験の上で望ましいことは何かという価値によって世界をつくり直す、そういう段階になるわけです。したがって、初めて主体的に仲間関係をつくり、世界の意味を考え、価値というものを照らして自分たちの生活を再構成していく時期です。
ということはどういうことかというと、自分で考えて関係をつくり、仲間をつくり、世界をつくっていくという、そういう発達段階が始まるということです。そうしますと、小学校の早くは四年生、五年生、六年生辺りで子供たちが自分で考え自分の世界をつくるという、こういう主体的、自治的、自分の思考によって世界をつくるという、その場をつくることが非常に重要になっております。そして、現在の六三制は、実は、そういう五、六年生が学校のリーダーとして様々な活動を行い、そしてクラスをつくり、言わば中学生に行く大きな飛躍力、ジャンプ力を身に付けていく時期なわけです。
そういう点でいえば、五、六年生が小学校の指導的学年として初めて全校的なリーダーシップに挑戦し、行事や生活づくりの責任を負い、自治の経験を経ることは重要な意味を持っております。その五、六年生を一—四年生と切り離し、七年生、中学一年生を頭とするグループ、しかもそのグループは、一貫校のリーダーシップは九年生が取るので、五—七年生グループにはリーダーシップのイメージが希薄になります。こういう位置に小学校五、六年生を配置することは慎重でなければならないというふうに思います。
それから、藤田参考人も述べられましたが、中一ギャップですが、これについては、皆さんにお配りいたしました資料の九番目、十番目にあります、これは国立教育政策研究所、文部省の下にありますこの研究所が作りました生徒指導・進路指導研究センターのパンフレットでありますが、この中に中一ギャップという用語の問題性が指摘されています。
中一ギャップという語に明確な定義はなく、その前提となっている事実認識、いじめ、不登校の急増も客観的事実とは言い切れないと書いております。中一ギャップに限らず、便利な用語を安易に用いることで思考を停止し、根拠を確認しないままの議論を進めたり広めたりしてはならないというふうに書いております。
さらに、その資料の十番目には、中学に行くときの不安がある、そして不安が不登校を急増させるという言説があるけれども、これは科学的に裏付けられたものではありませんと書いております。そして、不安感が原因で不登校になるという事実が確認できるかどうかを検証した結果、そういうことはないと。どういうふうに結論付けたかというと、分布をよく見ると、最も不安感の高かった生徒は誰一人新規不登校者になっていない、しかも、それより少し点数が下だった生徒でも新規不登校群になったのは一名ずつで、反対に、不安感が低い方にも同じくらい新規不登校群になった生徒はいますし、不安感が中くらいの生徒には新規不登校者が多くいます。要するに、不安感が原因で不登校になるという仮説自体に無理があるのですというふうにはっきり書いております。
私は、中一プロブレムというのは、中学に行くときに壁があって、それを越えなければいけないと、こういうふうに理解されていますが、実は、中学校教育そのものが非常に厳しい困難な競争性があって、したがって、中学プロブレムとでもいうふうに言った方がいいと思います。
最後になりますが、実は、品川区において親の小中一貫教育に対する意見は、賛成しないという方が多い数字が品川区のホームページ自身に書かれております。そして、管理職においては圧倒的に小中一貫教育がいいという結論になっておりますが、一般の教員、特に養護教員ではこの小中一貫教育は問題があるという方が多くなっております。本当の検証のためには、現場の教師や親たちの意見をしっかり聞く必要があると思いますが、中教審で展開されている議論は、言わばこの改革の中心になっている管理職と行政の側にアンケート調査をして、これはいいというふうに結論が出ているもので、これでは本当の検証にならないと思います。
以上で私の証言を終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/6
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007・水落敏栄
○委員長(水落敏栄君) ありがとうございました。
以上で参考人の皆様からの意見の聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑に入ります。
質疑のある方は順次御発言願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/7
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008・二之湯武史
○二之湯武史君 自由民主党の二之湯武史と申します。本日は、大変貴重な御提言をいただきましてありがとうございます。
まず、お伺いしたいんですけれども、この小中一貫校、現行でも千百三十校という数が今運営されているわけでございまして、そういった中には、それぞれ性格というか事情を異にする場合があると思います。必ずしも行政の恣意的な意味での統合という意味ではなくて、そこはやっぱり住民も参加した上で、協議を踏まえて、住民の合意を取り付けた上で小中一貫を進めているところ、若しくは今佐貫参考人がおっしゃったような、都市部でほかの学校もありながら小中一貫校というものが一つの選択肢として提供されていると、そんな地域もあるように思います。
そういった中で、まず無藤参考人にお伺いしたいんですが、これ簡潔にお願いしたいんですけれども、義務教育の中にそういった選択できるある種の幾つかの類型があるということについてはどのようにお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/8
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009・無藤隆
○参考人(無藤隆君) まず一つは、私が義務教育学校について選択可能であると申し上げたのは、教育委員会として、特定の言わば学区の中学校、小学校について義務教育にするか、あるいは従来の小学校及び中学校の組合せにするかという選択という意味であります。
そういう意味で、私は、基本的には義務教育学校であろうと小学校であろうと、就学指定の下で成り立つということであれば、学校選択制とは全く別の議論として義務教育学校というものを考えるべきだと思います。すなわち、特定の学区においてそこに住む住民、そのお子さんたちが基本的には義務教育学校に行くならそこにみんなが行く、要するに、地域の学校としての義務教育学校という形で私は考えたいというふうに思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/9
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010・二之湯武史
○二之湯武史君 つまり、その地域に生まれてそこに義務教育学校があれば、それはほかの学校に行く選択肢ではなくて、その地域の義務教育学校に行くと、こんな意味でしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/10
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011・無藤隆
○参考人(無藤隆君) そのとおりです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/11
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012・二之湯武史
○二之湯武史君 もう一つ、無藤参考人にお伺いしたいんですが、藤田、佐貫両参考人が九年一貫であることと現行との大きな違いの中に、やはり小学校五、六年生の自覚といいますか成長の実感といいますか、私自身も、そういった部分には大変今まだ懸念というか疑念を持っているのは事実なんですね。
やはり九年制になったときの四、五年生というのがある種の、非常に、何というんですかね、自己肯定感とか自己責任感みたいなものが持ちにくいような中間層になってしまうんじゃないかなと。また、六年の時点で卒業式、そして中一の時点で入学式という儀式を経ることによって、そういった人生の一つの壁や関門を通過することによる精神的な、人間的な成長というような視点というものがこの小中一貫校の中で今までどおり確保できるのかどうか、そういった点について無藤参考人にもう一度お伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/12
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013・無藤隆
○参考人(無藤隆君) 二つのことがあると思います。
一つは、子供たちはいかなる年齢であろうとリーダーシップとともに上への憧れを持ち、その両面を持ちながら成長していくものであると思います。
ですから、例えば小学校二年生においても憧れと同時にリーダーシップを持つべきである。そのために、例えば最近は幼稚園と小学校のつながりの中にリーダーシップのある機会を与えようとしております。そういう意味で、小学校でいえば、恐らく二年単位ぐらいでリーダーシップのある機会というのを十分に用意するべきであると思いますし、中学校でいえば、中一に対してどういう形でリーダーシップを用意するかということを真剣に考えるべきである。同時に、小学校六年生などにとって憧れの機会をどうつくるかということももう一つ課題になり、その両面で常に学校教育はあるべきだというのが第一です。
二番目は、儀式、成長の機会を確認するというときに卒業式というのは一つでありますけれど、先ほど言及がありましたが、運動会や学芸会、様々な発表の機会、スポーツ大会への参加等々は様々な学年の組合せで可能になりますし、部活動などもそうであります。機械的に小学校六年生の卒業式がなければそれができないというのは、余りに儀式というものの極端な見方であると私は考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/13
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014・二之湯武史
○二之湯武史君 もう一度、無藤参考人にお伺いしたいんですが、今日提出いただきましたレジュメのところの一つ目に、義務教育の目的、意義の上で小中をまとまりとして捉えることが好ましいと、こういうふうにしっかり書かれているわけですね。ということは、基本的には全小中学校、義務教育における全小中学校が小中一貫校となって小中をまとまりとして捉えることが望ましいというようなお考えなんでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/14
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015・無藤隆
○参考人(無藤隆君) それは様々だと思います。
お二人の参考人も多分おっしゃっていることだと思うのですけれど、現在の六三制において小学校も中学校もしっかりとその責務を果たし、展望を持てば、特に義務教育学校にしなくても、全体として、例えば小学校も、卒業させれば小学校の責務は終わるということではなくて、中三まで見通した指導をできると思います。
しかし、そのためには十分小学校と中学校が連携していく必要がある。そのときに、連携、接続というものが非常につくりにくい場合に、義務教育学校にすることによってそれが大いに改善する場合もあるということですので、やはり具体的な地域、学校の事情によって判断すべきだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/15
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016・二之湯武史
○二之湯武史君 大変よく分かりました。ありがとうございます。
もう一方で、現行の小学校、中学校という組織がそれぞれあって、その中で現在義務教育が行われているわけですけれども、多くの場合ではですね。その小中のままで今おっしゃったように連携を進めていくということがもう一つのアプローチなんだろうと思うんですが、これは藤田参考人、佐貫参考人両人にお伺いしたいんですけれども、現行のいわゆる小中連携みたいなものというものが、例えば小学校の先生は六年生までで自らの教育の要は視座を持って、その子が十五歳の時点でどうなっていくかというその視点を持って現在の小学校で教育されているのか、若しくは、中学校の先生も同じだと思うんですが、六年生の時点のその子の姿と一年生のその子の姿に当然思いを致しながら、なるべく今統計的に出ているような中一ギャップという問題が出ていかないように教育しないといけない。
つまり、小中の連携というものが、現行の小学校、中学校という二つの組織がある中で今十分に進められているのかどうかということと、それを進めていく上で、今まで以上にしっかりと今の組織の分かれたままで取り組んでいけるのかということを、それぞれ簡潔にお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/16
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017・藤田英典
○参考人(藤田英典君) 私も、実は品川区の京陽小学校というところの外部評価委員会の委員長を十一年やっております。そこは連携校でありまして、施設一体型ではありません。随分連携の成果は上がってきつつあると思います。最初はいろいろ苦労もあったようですけれども。
これは、全国的に連携を積極的に進めているところとほとんどそれをやっていないところありますが、大体におきまして都市部の方が、いわゆる教科のつながりとか、中学校になると教科担任制になりますから、中学校の理科の先生が小学校の理科を教えるとか、そういったようなことを導入しているところもあるようですから、そういう意味で、それぞれの自治体と学校の意欲次第だと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/17
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018・佐貫浩
○参考人(佐貫浩君) 一つの問題点は、今、教師が非常に多忙になっているということです。したがって、例えば中教審の資料でありますが、小中一貫校を実現していく上で何が困難になっているかというと、そのための、連携のための話合いとか教師の移動とか、その時間を確保するのがとても難しいというふうになっております。これは、たとえ小中が一体化しても、そのための、仕事が増えるということであれば実際上の結合は非常に難しくなると思います。
したがって、ここで注意しておきたいのは、連携と一貫とは違うんですね。私たちは、連携という形で、むしろ小学校と中学校の違いというものを徹底的に追求しながらそれが連携していくという、この形が望ましいと思って、先ほど私も言いましたように、これが一貫という形でそれぞれの独自性が失われるよりも、連携という形で実現していく方が望ましいというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/18
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019・二之湯武史
○二之湯武史君 ありがとうございます。
現行千百三十あると申し上げましたけれども、その千百三十を対象にしたアンケート調査というのもありまして、その中で、今、佐貫参考人がおっしゃったように、連携における打合せや研修という時間を取らなきゃいけない、改めてですね、それによって多忙化が進んでいるという実態もそのアンケートではうかがい知れます。一方で、中一ギャップといった問題について、ある一定の成果が上がっていると、こういうアンケート調査も出ているのも事実であります。
それが、今おっしゃったように連携なのか一貫なのか、これが制度化されることによって一貫になっていくわけですけれども、もう一度お伺いしたいんですけれども、そういった今千百三十実際ある中での小中一貫校における成果の面について、そういうある一定の成果が出ているという結果については、佐貫参考人、どのようにお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/19
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020・佐貫浩
○参考人(佐貫浩君) 私の資料の六ページを御覧ください。
私は、科研費で小中一貫教育の研究をグループでやってまいりました。そのグループの中で、相当数の生徒に対するアンケート調査をいたしました。その結果として、この下に表がございますが、自己価値得点の推移というものがございます。ほかも同じようなものですが、一つだけ説明いたします。
これは、自分に自信がありますか、他者よりもうまくいろんなことができますかというふうな項目で自己価値度を調べたものですが、この青いのが一貫校の生徒の点数です。そうしますと、逆に一貫校の場合は、四年生、五年生、六年生の得点が低くなるという傾向が出てまいりました。これは恐らく、五、六年生が最高学年で、そこで自信を持つというプロセスがやっぱり消えているということではないかと。確かに、これはハードルですから、そこにうまい指導がないとなかなか自信は持てないわけですが、そういう課題自身が提起されないという結果としてこういうことが出てきているのではないかというふうに思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/20
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021・二之湯武史
○二之湯武史君 ありがとうございます。大変示唆に富んだ調査結果も御紹介いただきました。
いずれにいたしましても、藤田参考人がおっしゃったように、制度改革というものは当然政治家が主導していくわけです。特に、小中一貫校においては地域の自治体、これが大きな責任を持つわけですから、いずれにいたしましても、地域の皆さんの同意をしっかり得る形で進めていかなければ、説明責任を果たす形で今まで以上にそういうことをしていかなければいけないというふうに、今日の参考人の御意見のおかげで私も認識を更に深めることができました。
どうもありがとうございました。終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/21
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022・那谷屋正義
○那谷屋正義君 民主党・新緑風会の那谷屋正義でございます。
今日は、三人の参考人の皆さん、本当に貴重な御提言ありがとうございました。
三名の参考人のそれぞれの御意見を聞いていると、ますます分からなくなるのが、なぜ今これを制度化するのかという政府の狙い、文科省の狙いというのがどうしても見えてこない。これまで、千百三十校が既に、今お話がありましたように、もう一貫校があると。その中で、それぞれの課題について、少しずつ解決する中でいい方向に行っているものもあれば、なかなか問題点が指摘されないところもあるというふうなこと、あるいは地域の実態によってそのありようが違うということであるならば、なぜ今ここで、今この時期にこれを制度化しようとするのかということについてますます分からなくなってきたのでありますけれども、恐れ入ります、これについて三人の御見解をそれぞれお聞かせいただけたらと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/22
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023・無藤隆
○参考人(無藤隆君) なぜ今という、特定の今と言われると分かりませんけれども、私は、小中一貫学校の幾つかに何年か関わってみて、そこでの良さを全国化するという意味、また、そこでの問題点を多少とも克服するという意味で今回の制度化を位置付けたいと考えております。
具体的に二点だけ申し上げます。
一貫学校の中にも、既に校舎も一体になっている、校長などは分かれたとしても、つながった校舎でやっているようなところが一部あります。それから、隣接で、文字どおりフェンスを隔てているようなところもあります。それから、離れている距離で、五分ぐらいだったり自動車で行かなきゃいけない、いろいろあるわけでありますけれども、文科省の調査でも、あるいは私が関わっている場合でも、やはり物理的距離は非常に大きな意味があって、生徒の行き来、先生方の行き来の支障になるかならないか、気楽にちょっとしたところで話せるかということが大きいと思います。
今のことと、もう一つは、教師が打合せ等で難しい、これが小中の連携などで必ず出てくる、恐らく一番大きなポイントであることは確かだと思いますが、その辺りも、制度的な保障や、あるいは物理的に隣接化する、一体化するということである程度克服できる部分があります。
例えば、ある学校は、一体化の中で職員室を隣り合わせといいますか近づけるようにし、また、小学校と中学校の時間割の中で、それまで会議日が別だったところを合わせるという形での連携をしました。それだけでも、もちろん多忙さは変わりませんけれども、その中で打合せ、あるいは相互の乗り入れ授業というものの実現に踏み切ることもできています。
そういった具体的なことまで考えてみますと、具体的な制度の中で例えば義務教育学校ということを選ぶことができて、その中で一生懸命やる方が具合がいいと、そういう地域、学校は十分あり得るというふうに考えております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/23
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024・藤田英典
○参考人(藤田英典君) 私は、これは自民党の教育再生実行本部、それから教育再生実行会議、こういったところが制度改革をしたかったからだというふうに思います。
この間、政治主導の改革というのが非常に強くなってきていると。まあ政治家が決めるのは当然なんですが、制度を変えるということは実質的にその後も継続しますから業績になるのかもしれませんけれども、予算を付けただけでは余り業績にならないからだというふうに思います。ですから、私は、率直に言えば余計な制度改革はすべきではないというふうに思います。小中一貫も中高一貫もその類いのものだというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/24
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025・佐貫浩
○参考人(佐貫浩君) 三点あると思います。
第一は、学校統廃合を今進めるという動きが自治体で広がっておりますが、ただ単なる統廃合ということであれば住民の抵抗は非常に強いわけです。ところが、新しい小中一貫教育というすばらしい教育を行うのだということで、豪華校舎、新しい校舎が提示されると、住民の多くは賛成に回ります。実は、小中一貫教育について、品川に住んでおりますと、ケーブルテレビで品川の小中一貫教育のすばらしさというのが連日と言ってもいいほど報道されております。こういう形で、統廃合というものが教育学的ある種の理由付けによって住民に合意を得るという、これが進行すると思います。
それから、過疎の地域では、小学校が何校かあって中学校があるというときに、これが統合されるという、こういうことが、今過疎の中でどう学校を残すかという努力がいっぱいあるわけですが、そこが越えられてしまうという、これが第一です。
二つ目は、これは慎重に考えていただきたいんですが、品川で何が起こっているかといいますと、例えば品川独自のカリキュラムができ、そして市民科という指導要領が作られ、そして区が教科書を作り、それが全ての学校で義務的に使用されています。国のレベルでカリキュラムが決定されて学習指導要領があって、それは審議会があって決めるわけですね、文科省が直接決めるのではなしに。そして、それに基づいて一般の教科書会社が作り、それを選択して選ぶという、言わば教育の自律性とか専門性が保障されるシステムがあるわけです。ところが、品川で見ますと、その審議過程も一切公表されませんし、したがって、外から見ると、教育行政が自分で決めて、区定教科書、国でいえば国定教科書ですね、それを作って学校に全て義務化するという。
そうすると、日本において教育の自律性というものを保障する国レベルの仕組みがほとんどないところで、自治体では、行政や例えば選挙で中心になる政党や首長がこういうことをやりたいという公約をして、それを実現するために教育内容が行政の主導で決められて、それが実施されるという、こういう教育の自律性にとっては非常に危険な状態が生まれる。したがって、それはある意味で自治体、首長の自由な改革を保障する制度ではありますが、教育の自律性というものを保障するこのシステムが非常に弱くなるという、これが二点目です。
三つ目は、実は学校選択が復活する可能性があるというふうに思っております。
私の資料の二ページ目に、品川の学校選択の結果どうなったかという資料がございます。例えば、行政は三割ぐらいが選択しているといいますが、私立中学も合わせると五・五割が地元の学校から脱出いたします。そして、非常にたくさん出る学校では七割程度の生徒が地元から出ていきます。そして、義務学校というものが、例えば大阪の場合は、それは特別な学校だから広域から選べるという、そういう方法を取っているようですが、そうしますと、この義務学校については学校選択が入るという形で、非常に問題が大きい学校選択制が復活されるということもあると思います。
そういうことも含んで、実際に、親たちからすれば、小学校でどこの学校に行かせよう、中学校でどこに行かせよう、自分の子供をどうやったら将来の見通しにつながる学校に選べるかという、こういう心配と努力が非常に広まって、これは義務教育というものの公平性にとって非常に大きな問題になるというふうに思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/25
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026・那谷屋正義
○那谷屋正義君 ありがとうございました。
もう少し今のお答えに対して御質問したいんですが、時間の方が大分迫ってまいりました。
ちょっと今までこの委員会でまだ議論になっていないことについて私の方からお尋ねをしたいと思いますけれども、この間、義務教育学校が子供たちの成長にどういうふうな影響を与えるのか、メリット、デメリットについてるるお話はございました。しかし、指導する側の教員の免許、こういったものについてなかなかまだ議論がされていません。これから私も大臣にいろいろただしていきたいと思っていますけれども。
当面は併有を原則とすると。しかし、直ちにということにはならないので、当分の間、前期は小学校の免許、それから後期の方は中学校の免許を持っている方というふうな形になっているわけであります。もしこれを制度化して実際に行われる場合には仕方ないことなのかなというふうに当面は思いますけれども、私が思っているのは、免許というものについて、特に、いろいろな免許がございますけれども、更新制を伴う免許というのは教員だけだということに対して私は相変わらず不満を持っておりまして、そういう意味では、更新をしなければその身分を失うという免許の意義というものについて一体どう考えているのかと。私は、更新制も含めて、もう一回教員の免許制度全体を見直すこれは必要があるというふうに考えているんですけれども、三人の方にそれぞれお尋ねをしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/26
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027・水落敏栄
○委員長(水落敏栄君) それでは、無藤参考人、藤田参考人、佐貫参考人の順に、簡潔にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/27
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028・無藤隆
○参考人(無藤隆君) 教員については、その資質、能力について十分高いものを保持していく、そのための援助というものを国、行政側も提供すべきだと思います。そういう意味で、中央教育審議会で現在、教員養成部会という中ででありますけれども、養成のみならず、採用とともに研修についても議論をする。研修について議論するということは、当然ながら、その中で国なり自治体、教育委員会が教員のもっと勉強する場、あるいは学校現場の中で授業、教育を振り返り、高める、そういった機会を増やしたいという意味であります。そういう意味で、教員の多忙化ということについての軽減を含めながら、より高い資質を持った教師にしていく、その勉学の場になってほしいと思います。免許更新講習も、そういう中で再検討が望まれるのではないかというふうに考えております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/28
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029・藤田英典
○参考人(藤田英典君) 三点述べたいと思います。
まず第一は、日本の教師の資質、力量は平均的に見れば世界的にはトップクラスにあるということ、これはこのように断言していいと思います。もちろん、優秀な先生はどこの国でもいますから、そのレベルも基本的にそんなに遜色ないと言っていいと思います。
二点目としまして、教員免許更新制には私も基本的には余り意味がないと考えておりましたが、先生や大学によっては、リフレッシュの機会になったとか新しい知識をあるいは見方を得ることができたという評価もありますから、一概に間違っていたかなというふうに今は考えておりません。ただ、私費負担になっておりますから、それで忙しい中で受けているということは改善の余地はあると思います。
しかし、それと関連して、今、例の教員免許の国家資格化あるいは試験化ということが出ていますが、これについてはとんでもない話だと思いますけれども、教員の免許更新制やあるいは十年研修とセットにして、教員が現職を数年間経験した後で大学に例えば一年ぐらい通って上級レベルの専修免許を取得できるようにするという、そういう制度を制度化することは非常に意義があることだというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/29
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030・佐貫浩
○参考人(佐貫浩君) 今委員のおっしゃったように、非常に問題が多い制度であり、再検討すべきであるというのが私の基本的な考えです。
もう一つは、この義務学校の教員は小学校と中学校の免許を持つ必要があると、将来的にはそれが基本にするとあります。ところが、これは、本当の意味での教師の専門性を実現する上でプラスになるのかという点で非常に疑問を持っております。小学校なら小学校としての専門性、中学なら中学校としての専門性があります。ところが、全部これを両方しなければいけないというふうになると、かえってそれぞれの専門性が揺らいでしまって、免許制度の基本からしても逆行するというのが率直な私の感想です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/30
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031・那谷屋正義
○那谷屋正義君 ありがとうございました。
教員の研修というのは、無藤参考人言われたように、私も非常に大事だというふうに思うんですけれども、この免許更新制度の一番のガンは、これを、様々な手違いも含めて、受けなかったらばその身分を失うなんというとんでもない毒があるという制度に対して、私は、ずっとこの間もうこれに対しては反対をしてきたわけでありますけれども。
しかしながら、義務教育学校というものが設けられる中にあって、今、佐貫委員が言われたように、教員の多忙化あるいは専門性が薄れていくということについてもやはり懸念を示すわけでありまして、そういう意味では、やっぱりもう一度教員のいわゆる養成、それから採用、研修、こういったものについて全体的な見直しが必要だというふうに改めて思ったところであります。
終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/31
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032・新妻秀規
○新妻秀規君 三名の参考人の皆様、本当にありがとうございました。
小中の移行期について、三人の参考人の先生方にお伺いしようと思います。
まず、無藤先生、小中の移行期を具体化するということでレジュメの中の四番に書いていただきました。六三とか四三とか五四という学制の問題ではなく、決着が学制では付かない、個人差が大きいからという御見解の上で、それでもやはり小学校の高学年と中学校の一年の間には移行的なそうしたところを設けるべきではないか、具体的に今そうした取組を行う教育委員会も増えているというふうにおっしゃいました。
そうした具体例も通して、また実際の効果、そんなことも含めて、どのような具体的な移行期の在り方が望ましいのかについて御所見をお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/32
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033・無藤隆
○参考人(無藤隆君) 移行期というときに、現実に今、小中の一貫なり連携の学校でなされているのは、比較的極めて短期な部分、短い部分だと思います。つまり、小学校六年の三学期と中一、一学期についてのつなぎをいろんな形で工夫するというのが増えてきていると思います。
例えば、小学校六年生が中一の授業に参加する、あるいは中学一年生が小六の授業に参加して指導的役割を果たす。あるいはある種の授業は、小六、中一、一緒でもできる総合的な学習のようなものだと一緒のチームになる。それとともに、先生方が乗り入れて、例えば小学校の先生が、全面的には免許を持っていないと駄目ですけれども、部分的なチームティーチングはできますので、そういう形にしながらお互いを理解していくという意味での移行的な取組というのが増えてきていると思います。
これは、それらを実践している学校によると、特に教師側にとっては互いの指導のやり方を深く理解できる意味でプラスであると。それから、特に小学校六年生にとっては、中学校の具体的な勉強のやり方とかそのための準備とか気持ちの切替えができていいというような傾向が出ていると思います。
私が申し上げているのは、そういうことはもうどんどん進めてほしいと思うんですが、更に加えて、もし義務教育学校のような制度的な切替えができれば、例えば小五から中一のような三年間、あるいは小六から中一の二年間、もっと短い、小六の半ばから中一の半ばが可能か分かりませんけれども、そういった形でのもう少し長い移行期です。そうすると、もうむしろ移行期の学校というか、そういうことを義務教育学校の九年間につくるようなものだと思うんですけれど。
これは、私は、典型的には小五から中一は思春期の変化する時期でありますので、そういう意味での、子供たちの心身のかなり大きな動揺というのを支えながら中学校の新たなスタイルの学習に持っていくという意味の指導の在り方をもっと本気で考えた方がいいと。これがなかなか、私はその辺りが研究者として専門に近いものですから、私が関わっているところで何とかと思うんですけれど、今の小学校六年、中一という制度的な明確な区切りがあるところでそこまで踏み込むのは非常に難しいという意味で義務教育学校に期待しているところがあります。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/33
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034・新妻秀規
○新妻秀規君 無藤先生、ということは、今回の義務教育学校の導入によってそうした取組がしやすくなるというふうに先生は思われるわけですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/34
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035・無藤隆
○参考人(無藤隆君) そうです。私がイメージしている義務教育学校というのは、九年間がべたに一年刻みでただ上に積み上がるということではなくて、六三という区切りもあるし四三二もあるし、様々な区切り方を各学校、子供や地域の実態に応じて工夫してほしいと、そういう意味ですので、そういう意味での工夫の成果というものの中でもしかしたら学制改革への見通しも出るかもしれませんが、そういう極めて柔軟なスタイルの義務教育学校を望みたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/35
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036・新妻秀規
○新妻秀規君 ありがとうございました。
続いて、藤田先生にお伺いします。
先生は、資料の三ページ目で、アメリカの学校体系の変遷とかを通してこうした移行期の問題をお話しいただきましたが、こうしたアメリカの例とかも通して、具体的な望ましい移行期の在り方について先生の御所見をお願いをしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/36
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037・藤田英典
○参考人(藤田英典君) 基本的には、確かに、身体的、それから特に認知的な部分よりも、感情面も含むそういう部分で発達段階が早まっていることは事実だと思うんですね。感情面よりも関心と言った方がいいかもしれません。
ですから、そういう面を中心に、先ほど言いましたように、アメリカだけではなくてイギリスなんかもミドルスクールが増えてきているんですね、やっぱり五三という区切りで。だけど、日本の場合にこれを、じゃ、五三にした方が本当はいいのかというと、私は、必ずしもそうではなくて、先ほどのいじめや不登校の数値でもそうですけれども、やはり五年生、六年生になると、自分がそれぞれ上級生、最上級生になったという自覚とか、あるいはいろいろなところでリーダーシップを発揮する機会があるとか積極的に責任を持っていろいろなことをやるという、そういう経験が積めるので、非常に好ましい効果を上げていると思うんですね。
ですから、問題は、やはり中学校の教育を、その点のギャップと言われるような懸念される事項をどういうふうにしたら緩和できるのかという、そこのところを対応するのが重要なんだと思うんですが、この難しさは、やはり三年間で高校入試という受験があるということが非常に難しいことだと思います。だけど、これは、カリキュラムやそれから教科ごとに高校入試の在り方と内容を考えることで可能性はいろいろあると思います。
例えば社会科について、今、選挙権年齢十八歳に引き下げられますけど、そうしますと、中学の社会科は非常に難しい課題を担わされることになりますから、そういう点で、これを知識中心主義のままでいくのがいいのか、それとも有権者教育のような部分をもっと拡張していくのか、そこの部分を拡張するとなると今度は教員の政治性が問われたりいろんな危険性が入りますから、その点で非常に、教員免許の制度もそうですけれども、難しい課題が、今、これに小中一貫の問題もみんな絡んできますけど、含まれていると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/37
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038・新妻秀規
○新妻秀規君 最後に佐貫先生にお伺いをしたいんですけれども、先生は、先ほどの配付資料のこれは二ページ目ですね、移行期における中学ギャップという言葉を使われまして、これは実は中一ギャップじゃないんだと、やっぱりこういう中学に進むということそれ自体が結構もっと大きな課題なんだと今おっしゃったというふうに理解をしました。
先生がおっしゃったように、小学校五年生、六年生の活躍の機会をきちんと確保しながらどのようにしてこの移行期を適切に乗り越えさせることができるのか、先生の御所見をお願いをいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/38
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039・佐貫浩
○参考人(佐貫浩君) いわゆる思春期の壁とか九、十歳の壁というふうに言われていますが、ある学者は、これをむしろ峠と呼んだ方がいいというふうに主張しております。私もそうだと思います。それを越えることによって新たな成長が達成できる、その課題をどうするかですね。
その場合に、先ほど私も言いましたが、思春期にとって発達するべき内容として認知的、身体的、社会的というふうに考えますと、とりわけて社会的な部分が問題になってきます。そうしますと、実は、五、六年生というのは、自分たちで集団をつくるとか学校のリーダーとして役割を果たすとか、そういう中でどういう関係が望ましいかと。今までは親に言われたこと、先生に言われたことを実現していく主体から自分で価値を判断してその世界をつくっていくという、そういう訓練を、しかしまだ歩み始めですから、学級担任の教師の丁寧な指導をもらって、そしてそれを試行錯誤しながらする、それが実はこの峠を越えるためのジャンプ台になって、そして中学に行くことができる。このような形で思春期というものを位置付ける、今の六三のシステムはある意味でそういうことを踏まえて積み上げられてきたものだというふうに思います。
もう一つは、この問題について教師が実際にどう思っているかです。私の提出しました資料の五ページを見ていただくと分かりますが、例えば、いろんな調査がやられていますが、品川区で四三二制度をどう受け止めているかという、この一番下の資料で見ますと、実は、校長、副校長、主幹は圧倒的に賛成なんですね。ところが、現場の教師は二七対二六で半々です。養護教諭は賛成が一四で反対が三五です。ということは、より子供に接している方々ほどこの四三二という区分とか、小中一貫は上にありますが、それについては疑問を持っているということです。
ですから、そういう意味で、本当に現場の教師の声、養護教諭の声も聞きながら、どういう形で思春期を乗り越えるかということを考えないと、管理職は小中一貫教育をやれというふうに、それを目標にしてやっていますから、それが問題だなんというアンケートで答えるはずがないというのが率直なところなんですね。だから、そういう意味では、全体的な声をきちんと検証しないといけないというふうに思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/39
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040・新妻秀規
○新妻秀規君 ありがとうございました。
次に、負担の軽減について、先ほど那谷屋委員もおっしゃいましたけれども、今回、小中一貫を進めると、やはり打合せの時間であるとか移動の時間であるとか、こうした負担をどういうふうに減らしていくのかというのは大きな課題だと思います。そうした具体的な、こういうことに気を付けなくちゃいけない、こういうふうに減らすことができる、こうしたような御提案があれば、これは無藤参考人にお願いをしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/40
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041・無藤隆
○参考人(無藤隆君) 個別の教師のみならず、校長以下の全教職員にとって、小中の連携という課題が非常に負担を増やしていることは事実だと思います。その意味で、軽減といいますか、もう少しやりやすくする必要があると。先ほど申し上げたように、制度化というのは一つですし、物理的にそばにいるということも大事だと思いますが。
もう一つは、この法律に伴って、必ずなのか私は把握しておりませんが、例えば教員の加配であるとか、あるいは加配までいかなくてもある種の時間の軽減ですね。例えば、横浜市の場合には小学校に児童指導の教員がいるわけですが、その授業負担は半分にして、例えば小中の連携、幼小、特別支援などに特に関わるということで随分やりやすくなったという報告を聞いております。そういったことが国全体で可能かどうかはちょっと分かりませんけれども、例えばそういうことであるとか、あるいは建物を建て直す場合であれば、それをやりやすくして小中のつながりを良くするとか、そういった、是非国としてやれるところをお願いしたいというふうに思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/41
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042・新妻秀規
○新妻秀規君 御所見ありがとうございました。
終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/42
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043・柴田巧
○柴田巧君 維新の党の柴田巧です。
今日は、三人の参考人の方々に、お忙しい中、本当にありがとうございました。それぞれのお立場から貴重な御意見を頂戴しましたことに感謝を申し上げたいと思います。
私自身は、基本的には学校教育制度の弾力化、多様化をやっぱり進めていく必要があるんだろうという基本的な認識を持ってはいますが、しかし、一方において、先ほどからもいろいろ出ておりますように、新たな義務教育学校の今後の、法案が成立してやっていく上において、まだまだ疑問点、不明な点も多いと思っていまして、そういう観点から、まず、無藤参考人に幾つかお聞きをしたいと思っております。
まず一つ目は、先ほどの二之湯先生の質問とも重なる部分はあるかもしれませんが、よく言われるのは、この義務教育学校になって、九年一まとまりとしてやっていく上で、人間関係の固定化というのがやっぱり一つ挙げられるんだろうと思います。そのことによって新たな出発がなかなかできない、あるいはいじめとかそういったものが続いていくといったような弊害もあり得るのではないかと思っていますが、その懸念を払拭していくために有効な手だてというものはどういうことがあり得るか、まずこの点からお聞きをしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/43
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044・無藤隆
○参考人(無藤隆君) 今の点は確かにおっしゃるとおりで、人間関係の固定化というものは義務教育学校において十分ありそうなことだと思います。
〔委員長退席、理事石井浩郎君着席〕
ただし、根本的な理由は少子化にあるわけで、つまり、学校選択制のようなことで選べば人間関係が流動するかもしれませんが、私が申し上げているように、基本的にはその学区の就学指定の下でということであれば、今、日本全国の大部分のところでやっているのは、中学校学区を基本として、一つの中学校に対して、その下に一つの小学校あるいは二つの小学校があり、場合によっては更にその下に幼稚園、保育園の、最初の十五年教育を中学校学区を単位とするという発想だと思います。そうすると、その中学校学区に生まれてくる子供の数が極端に減ってくれば、猛烈に極端な場合には、生まれたときからずっと同じ例えば十名が中三までいると、そのぐらい固定化するわけです。
ただし、それはどういう制度にしたって変えられないということなので、むしろ今後考えるべきことは、少子化という現実の中で、他の中学との交流、小中との交流活動をどういうふうに進めるか。これは選択制という意味ではないです。そうではなく、交流とか、あるいは地域の様々な方との交流、高齢者を含めた交流というのをどうするかということとともに、一人一人の子供の特徴を十分ケアしながら、子供の数が少ないからこそ、子供の様子、子供同士の関係、あるいは先輩、後輩の関係のつくり方が可能になるはずですので、そういうきめ細かい配慮の中でより柔軟で多様な人間関係をつくっていただきたいと思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/44
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045・柴田巧
○柴田巧君 ありがとうございます。
それから、続いて無藤参考人にお聞きをしたいと思いますが、先ほどからも、義務教育学校になった場合の先生の在り方等々も出ておりますが、いろんな本来の今までやってきた仕事に加えて、この小中一貫教育への対応あるいは校務マネジメントなどをやっていかなきゃならぬということになります。その向上のためにどのようなやはりサポートなり研修なりが必要かというのが一つ。
それと、やはりこの九年間を見通した、そういう視野を持った新たな教員の免許制度といいますか、こういったものの必要性もやはりこれから出てくるんではないかと思っていますが、この点についてどうお考えになるか、併せてお聞きをしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/45
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046・無藤隆
○参考人(無藤隆君) 教員の在り方といいますか、多忙化を更に増してはいけないわけです。そういう意味で、義務教育学校によって、むしろより効率的な仕事を可能にする方向に何とかしなければいけない。そして、そのためには、先ほど申し上げた幾つかのことや教員の加配あるいは事務職員の加配、場合によってはそれ以外のコーディネーターのような役割の人を置くといったことが求められるのではないかというふうに思います。
それからもう一つは、免許の問題でありますけれども、小中の九年間について、その全てについて高度な専門家であり、かつ例えば中学校の数学の高度な専門家でもあると、その両方を完全に兼ねるというのは極めて困難だというふうに思います。
〔理事石井浩郎君退席、委員長着席〕
そういう意味で、小学校の免許を持ちながらも中学のある部分を持つ、逆に中学校の免許を持ちながらも小学校のある部分を持つと、そういうことで、九年間の指導を完璧にどこでもやれるという万能選手ではなくて、それぞれのスペシャリティーを生かしながら、しかしながら、中学校三年間あるいは小学校六年間には固定されずにそれぞれに乗り出していけるような、そういう柔軟な仕組みというものが必要だと思います。
それについては、小学校、中学校の免許の併有という在り方、あるいは場合によっては義務教育免許を検討されるかもしれませんが、そういう免許それ自体とともに、その免許を持ちながらもその上でスペシャリティーを持つというような二重の仕組み、研修の中で、この辺は自分は得意であるということをつくるような柔軟な教師の専門性のつくり方を考える必要があると、こういうふうに思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/46
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047・柴田巧
○柴田巧君 ありがとうございます。
続いて、やはり義務教育学校の設立、運営に当たっては、保護者や地域の皆さんの理解や協力が必要だろうと。したがって、丁寧にこの設置に当たっては必要性を説明をしていくということも大事でありましょうし、また、運営に当たっても地域のいろんな理解を求めていく、協力を求めていくということが大事だと思っています。
それで、あわせて、やはりそういう観点からもコミュニティ・スクール等との一体的な導入ということもある意味大事なことなのではないかと思いますが、こういうことについてはどういうふうにお考えか、無藤参考人にお聞きをしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/47
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048・無藤隆
○参考人(無藤隆君) コミュニティ・スクールというものが今広がりつつはありますけれども、それと小中の連携、一貫とが必ずしも今セットになっているわけではありません。今後も、基本的には別な制度かもしれませんが、できる限りそれを重ねていかないと、特に子供自身、また保護者、地域住民にとって納得のいく制度にならないだろうというふうに考えます。
そういう意味では、保護者や地域住民に一回説明会をするということではなくて、日常的に例えば義務教育学校の運営にも入っていただくようなコミュニティ・スクールというものを模索しながら、地域に支えられ、地域に返っていくような、そういった在り方にしていただきたい。
そういう意味で、もう何度も申し上げますけれども、中学校学区を基本とした地域の学校としての義務教育学校、地域住民に支えられ、保護者に支えられる義務教育学校を是非目指していただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/48
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049・柴田巧
○柴田巧君 ありがとうございます。
もう一点、無藤参考人にお聞きをしますが、この義務教育学校設立の一つの大きな目的というか、いわゆる中一ギャップが解消できるんじゃないかということでしたが、藤田、佐貫両参考人からは、極めてそれは逆に難しいというか悪化をさせるんじゃないかという見解もございましたが、反論ではありませんが、無藤参考人から、やはりこの義務教育学校ができることによって中一ギャップが解消できるという、説得力のある何かあれば教えていただければ幸いでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/49
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050・無藤隆
○参考人(無藤隆君) お二人の意見と違うところもありますけれども、多くは賛成であります。
どうしてかというと、中一ギャップというのは、もっと簡単に言えば小学校のシステムと中学校のシステムのギャップなのであって、中一というそのちょうど境目なので、中学校の仕組みのまず差が顕著に出てきているということだろうと思います。そういう意味では、小学校のままでいいのかというとそうではもちろんないので、今度は小学校も中学校のような高度な指導の中に入っていく必要がありますから、そういう意味では緩やかな移行が求められるのではないか、こういうことです。
そうすると、やるべきことは幾つかあると思いますけれども、三つ挙げれば、一つは、中学校の指導の在り方というのがこれまででいいのか、余りに例えば試験中心になっていやしないか等の吟味、再検討が要ると思います。第二に、小学校の高学年において、中学校への準備教育ではないけれども、しかしながら、自立した主体的な生徒の生活の仕方、学業、勉強の仕方というものについてもっと意識して指導してよいのではないかと、これが二番目です。そして、確かに小学校としてのまとまり、中学校としてのまとまりを大事にしていいとは思いますが、何度も申し上げますけれども、移行する中で、小学校の高学年あるいは六年から中一のもう少しなだらかな中で、子供たちがしっかりと力を身に付けながら無理なく進めるということをお考えいただいていいのではないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/50
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051・柴田巧
○柴田巧君 ありがとうございました。
あと、ちょっと時間が短くなってしまいましたが、藤田、佐貫両参考人にお聞きをしたいと思いますが、中一ギャップというか、プロブレムという言葉を使うかは別にして、あの世代がいろんな問題を抱えているのは間違いないと思っています。その中で、義務教育学校ではなくて今の六三制のそのままの中で、じゃ、具体的にどうそれに有効な解決策があるのか。先ほど中等教育の改革というお話もありましたが、それぞれに、こういう手だてをやっていくべきじゃないかというのがあれば改めてお聞きをしたいと思います。お願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/51
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052・藤田英典
○参考人(藤田英典君) なかなか難しい問題ですけれども、ただ、これは多分、私も調べてみていないのではっきりしたことは言えませんが、いじめが起こっている学校とほとんど起こっていない学校というのがあると思うんですね。それは、もちろん規模もある程度関係しますけれども。
それで、やはり起こっていない学校はどういう特色を持っているかと。そういう学校を私随分見ていますけど、それはやはり、生徒の間と先生の間のいわゆる親和性とか一体感というのが非常に強いですよね。いろいろなところで自由闊達にいろいろな交流があり、そして仲間意識とか母校意識とか我が校の意識とか、そういう学校カルチャーをつくり上げるようなリーダーシップや、あるいは教員の連携、協働とか、そういったものがやはり非常に重要だと思います。
そういうことで、私だけじゃないですけれども、認め合い学び合い高め合う学校づくりという、標語にもなっているんですけれども、お互いにいろんな違いがあるということを認め合いながら学び合って、そして高め合っていくという、そういう学校づくりを進めている学校というのはいじめというのがほとんど起こらない。
それからもう一つ指摘しておきたいのは、いじめの件数は、先ほども言いましたように中学校一年で増えるんですが、実は、いじめ自殺は中二が一番多いんですよね。ですから、深刻ないじめに達して自殺が起こるような事態に行くようなケースというのは、実際にはいろんなキューというか情報が事前に発信されているケースが多いですから、やはり学校現場においてそれを早期発見、早期対応というようなところでやっていくことが重要だと思いますが、そういう点では、今回の政策の中でも、チーム学校ということで、カウンセラーだけじゃなくてソーシャルワーカーなども巡回方式で入れるという案については、私は好ましいことだというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/52
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053・水落敏栄
○委員長(水落敏栄君) 時間が参りましたので、佐貫参考人、恐縮でありますけれども、おまとめいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/53
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054・佐貫浩
○参考人(佐貫浩君) 一つは、教師が余りに多忙で子供の困難を発見する余裕もないというのが現実です。組合の調査によりますと、平均で月当たり九十一時間十三分という超過時間をやっております。これはもう非人間的で、対処する余裕がないというのが現実です。
二つ目は、もっといじめの本質を子供自身に学ばせるということが必要だと思います。
四層構造論というのがありますが、傍観者もいじめを支えている、そして、人間の尊厳にとって、憲法にあるような人権とか表現の自由とか、こういうものをどうやって生かすかという、それが人間として生きていく基本なんだということを徹底して先生方がやっぱり子供と討論して考える、こういう教育がもっと広がる必要があると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/54
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055・柴田巧
○柴田巧君 どうもありがとうございました。終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/55
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056・田村智子
○田村智子君 日本共産党の田村智子です。よろしくお願いいたします。
まず、三人の参考人にお聞きをします、同じ質問で。
やはり私も、中学でいじめ件数が一年生でぐっと増える、それから不登校の件数は中学校の三年間では増え続けているというこの統計資料を見てみると、中学校の在り方そのものに真剣にメスを入れなければならないということが問題提起されているんじゃないのかなと、子供たちからは、そういうふうに思うわけです。
私もこの三月まで中学生の母親でもありましたので、やはり思春期の一番難しい時期に、髪を縛るときはポニーテールは駄目で、ゴムは黒か茶色でなきゃいけなくて、スカートの丈は膝下三センチでなければならなくて定規で測ると。ソックスはくるぶしが見えては駄目とか、問題のある子供は制裁的に例えば校門にもう入れないとか、こういうことを思春期の一番難しい時期にやる。あるいは、内申点のことを考えて、子供の側が言いたいことが言えなくなっていく。
こういうことが、果たして小学校と中学校の区切りをなくすというやり方で解決がしていくんだろうかと。むしろ、中学そのものの在り方というのを根本的に問い直していくことの方が求められているんじゃないかというふうに思いますが、三人それぞれにお聞きしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/56
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057・水落敏栄
○委員長(水落敏栄君) それでは、無藤参考人、藤田参考人、佐貫参考人の順にお述べください。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/57
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058・無藤隆
○参考人(無藤隆君) 中学校の在り方を大きく変える必要があるということは私も賛成です。ただ、根本的に駄目だということではないので、国際的に見ると、私は、日本の小学校は非常に高く評価されておりますが、中学校もほぼそれに準じて高く評価されていると思います。
そうはいっても、中学校の現場において、思春期又はそれを過ぎる、様々な問題行動が出てくる時期でもあるので、時に生徒指導上の厳しい面が表立ち過ぎているということと、それからもう一つ、子供たちの学習ということでいうと、より年齢が上がるからこそ、より主体的で、最近の言い方で言えばアクティブな学びを求められると思うのですが、実際には、小学校に対して中学校ではアクティブな学び方が減っていく傾向があります、これは学校差が大きいですけれど。そういう意味での中学校の在り方の改善というものが必要だと思います。
では、義務教育学校がそれに有益か有益でないかということでありますが、やはりそれは使い方ということになるんですけれど、私としては、義務教育学校というものを今回御議論いただいているということとともに、中央教育審議会では、二年後を目指して学習指導要領の改訂の議論を始めているところであります。御存じのように、アクティブラーニングというものを中心に、より主体的な学びにシフトしたいということであります。
そういう意味では、御指摘の中学校の在り方についてどうやって改善していくか。教師の多忙感、その中心の一つは部活動の問題でもありますので、そういうことも含めて中学校について考えていく必要があります。その際に、私は、小学校高学年と中学一年のつながりの中で、先ほども申し上げた緩やかなシステムへの転換というものを図るというのは、幾つかの手だての一つとして有効であり得ると考えております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/58
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059・藤田英典
○参考人(藤田英典君) この問題は本当に難しくて、明確なことは言えないんです、明確というか具体的なことは余り言えないんですが。
システムを変えるというのは、中学校の場合に、高校入試ということが、これを取り払うということができればいろんな方法はありますけれども、そういう中で変えるというのは非常に難しいですね。
そうすると、次に、先ほど例も挙げられました様々な規則と規律で縛るという、これは、体罰の問題もそうですけれども、やはり教師の意識を変えていく必要が非常に大きいと思いますね。それからもう一つは、実は、そうはいっても、例えばいじめもそうですし暴力行為もそうですけれども、起こっている地域や学校とそうでないところというのはかなり違いがありますから、割とそういう危険性を抱えているといいますかリスクを抱えている地域には、やはり教員を加配するとかいうことをして学校のカルチャーを豊かなものにしていくと。
その際に注意する必要があるのは、今日私飛ばした最後のところですけれども、ボトムクオーターもハッピーであり得る学校づくりという言い方をしているんですが、学校の中で、学力とか試験に合格するとか、そういう物差ししかなければ、ボトムクオーターがハッピーであり得るということは絶対にあり得ないですよね。そして、大体小学校高学年辺りから、学力面でボトムクオーターというのはずっとボトムクオーターを歩かされるわけですよ。そうすると、そういう状況をずっと続けて中学、高校と行って、ただ、高校へ行くと今度は多様性がありますからちょっと収まるんですが、中学がそれが続くと、やはりボトムクオーターは自分の誇りとかあるいは自分の生きがいとか自己肯定感を持ちにくいですよね。それに加えていろいろなプレッシャーが掛かるから、いろいろな問題が頻発するというふうに言えると思いますから。
そういう意味で、うまくいっている学校は、先ほど言ったように、非常に学校の中での交流とか友達同士のそれが盛んだということと、教師が一人一人の子供をよく見ている、そして認める、いろんな課題を、問題を抱えていることも含めて認めて、一緒になって何とかしようというふうに取り組んでいる学校はうまくいっている。昔はそういう教師が非常に多かった、中学校段階で。それがやはり多忙化の中で、いろいろ教師のやらなきゃいけない仕事が増える中で困難になっていると思いますから、具体的には、やはり加配を困難校といいますかリスクの高い学校にはするというのが一番有効な手だてではないかなと思います。
あとは、やっぱり先ほど言った豊かな学校づくりですね。ボトムクオーターもハッピーであり得るということは全ての子供がハッピーになり得ることですから、そのためにも、多様な物差しと、そしてそれぞれの物差しで頑張ったら、それは一つ一つが認め称賛に値するという点で等しい価値があると、これは私、名誉の等価性と言っていますけれども、そのカルチャーがなければやはり子供たちが自己肯定感を持てないですよね。ですから、そういう点が重要だと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/59
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060・佐貫浩
○参考人(佐貫浩君) 実は、小中一貫教育の目標として学力を上げるということが基本的に書かれています。ところが、品川でどうなっているかというと、教科担任制、期末テスト、早習カリキュラム、こういうものを小学校の六年生、五年生に下ろすというのが小中一貫カリキュラムの基本になっています。そうしますと、中学的な矛盾が実は小学校六年生、五年生に下りると。私は、これを皮肉って小五プロブレムが起こるというふうに言っているんですが、そういう形では問題は解決できないだろうと。したがって、小中一貫という形でこの学力問題を解決する特別な手だてがあるとか、それから中学校的な困難を克服する方法があるとかいうふうに言うのは、私は根拠がないというふうに思っております。
もう一つは、これを解決していく根本的な問題は、丁寧に子供たちに働きかける教師の条件や力量が確保されるということです。
先ほども言いましたが、教師の余りの多忙性があり、そして今、学力テストで点数を上げないとその学校は駄目だという形で、指標が結局学力だけになってきます。しかし、思春期を本当の意味で乗り越えるためには、人間関係だとか自分自身が主体として新しい世界をつくっていく、そういう自信だとか、こういうものがあって初めて自分で勉強しようとか、ほかの友達とも一緒にやっていこうとか、こういう人間的意欲が形成されるわけですから、そういう意欲を形成することで思春期を乗り切り、本当の意味で新しい学習に対する意欲を形成していく、この総合的な教育のありようを今根本的に考えていくことが必要だというふうに思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/60
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061・田村智子
○田村智子君 無藤参考人に中教審での議論のことでちょっとお聞きをしたいんですけれども、今回の義務教育学校をつくるという、小中一貫校をつくっていくということで、これまでも挙げられてきた五、六年生のリーダーシップをどうするのかということが課題として挙げられているというふうに思うんですね。
私は、やっぱり一年間、二年間掛けて学校生活の様々な係をやったり、クラブ活動で、五年生から始めて五、六年で吹奏楽頑張るとか。あるいは行事も、年間通じての行事、運動会や音楽会や、一か月に一回ぐらいでしょうか、全校集会で司会やるとか。こういう中で、一年、二年掛けてやっぱりリーダーシップ性、あるいはその達成感というのが育まれていくというふうに思うんですね。これが緩やかにしちゃってその区切りがなくなったときに、課題があると認めて、では、どうやって五、六年で普通の小学校生活の中では培われるリーダーシップ、達成感、これを育むことができるというふうな議論になったのか、具体的にお願いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/61
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062・無藤隆
○参考人(無藤隆君) 私などが緩やかにと申し上げているのは、学習指導の在り方とかクラスの組み方とか、例えば学級担任と教科担任の組合せであるとか生徒指導の在り方、さっきの細かい規則のような話なんですけれど、それを緩やかに徐々に移行するという意味で使っております。
それに対して、リーダーシップの問題は、先ほどどなたかのところでもお話ししましたけれど、あらゆる学年でリーダーシップ養成は不可欠です。
例えば小学校一年生にリーダーシップ養成が必要だし、中学一年生でも同様です。五、六年生でリーダーシップを持たせる機会を十分与えなきゃいけないというのは賛成ですけれど、では、中学一年生は三年生のリーダーシップの下に従うだけでいいのか。それは全く間違っていると思います。そうではないんです。小学校五年生、六年生、中一、中二、中三、それぞれの学校でリーダーシップを持ち、同時に、先輩への憧れ、それに従う機会、その組合せが必要だと。それをやるのが義務教育学校だと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/62
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063・田村智子
○田村智子君 今の御意見でお二人の参考人に、藤田参考人、佐貫参考人にも御意見をお聞きしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/63
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064・藤田英典
○参考人(藤田英典君) 私は、やはり節目というのは非常に人生において重要で、小学校段階は、学校の段階の区切りがやはりその大きな節目になっていると思います。
ですから、子供たちは、その節目節目で、その一点においてではなくて、先ほどから出ているように、小学校ですと五年生、六年生のときにそういう節目に当たり、いろいろ学んで自分で自覚し成長していくと。それから、中学がその点で一番難しいんですね。高校になりますと、例えば部活動で一生懸命やっている人も、二年生までは部活をやる、あるいは三年の前期までやるけど、その後は入試の試験の準備だとか、あるいは最近は推薦入試が非常に多くなっていますから、そういうところをクリアしている人はずっとやるとか。
ですから、中学だけがそれがやっぱり難しいんですね。節目は高校入試という、しかも九八%以上が高校入試には巻き込まれているわけですから。だから、ここの部分の入試の在り方を本当はもっときちっと変えることができれば一番いいんです。これをやるには、やはり地域の人たちと一生懸命検討するのが一番いい。
この点で注意する必要があるのは、高校入試は決して全国の競争じゃないんです。都道府県内の競争なんです。だから、都道府県で了解すれば改革が可能なんですね。ですから、その点を踏まえて高校入試の在り方を少し変えることができれば、随分中学の生活は良くなると思いますね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/64
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065・佐貫浩
○参考人(佐貫浩君) 無藤参考人のおっしゃったように、あらゆる学年でリーダーシップを形成することが必要だと、これは当然のことです。ただし、注意すべきは、実は学校制度は、その制度そのものによってある課題を提起する、そういうシステムとして存在しているということは重要なことです。
小中一貫校の多くの場合、四三二という形が考えられています。しかし、四年生までのリーダーシップというものは、果たして学校そのものを動かしていくような形に展開し得るかというと、これはもう学校の先生の感覚からして、それは難しいというふうになるんじゃないかと思うんです。
そういう意味では、五、六年生が初めて学校を動かすというふうなリーダーシップを、その制度によって課題として提起されるわけですね。
ところが、小中一貫教育で、多くの場合は五、六、七と、これが一つのグループになるわけです。そうすると、五、六年生が初めて自分たちで世界をつくる、自由に挑戦するということが、中学一年生が上に来ちゃうとできなくなるわけです。しかも、五、六、七は、実は義務学校では九年生、八年生が全体としてはリーダーシップを取っているわけですから、そもそも、制度的に見て五、六、七のリーダーシップが希薄化するわけです。
こういうところに、制度としてリーダーシップ、思春期に生きるための自律的な課題を言わば峠として設定するということがなくなるということが最大の問題だと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/65
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066・田村智子
○田村智子君 ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/66
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067・松沢成文
○松沢成文君 次世代の党の松沢と申します。
これまで、同僚委員の皆さんから様々な角度から参考人に対する質問がありました。私はちょっと違った視点から質問したいんですが、実は、日本の教育の中で一貫教育というのが先行して進んだのが中高一貫教育ですよね。これは、中学校は義務教育課程ではありますけれども、中高で三年、三年と途切れてやるよりも、ここを六年にして、それで一貫教育の良さを出していきたいということだと思います。これは、学校運営が自由な私学でどんどんどんどん進んでいったわけですね。
一貫教育の目的というのは様々あると思うんですが、今出ていたように、その裏にはやはり受験制度、高校入試、大学入試というのがあるから、これを六年でうまくまとめて大学入試に成功できるような、そういう受験校としてのプレステージも上げていかなきゃいけない、私学も生徒が減っていますから、そういう競争の中にあるわけですね。
そういうのを受けて公立の方でも、実は私、神奈川県だったんですけれども、教育委員会が、市町村教育委員会と県教育委員会と違いますが、多くの県民の皆さんから、私学でどんどん中高一貫化が進んでいる、だから公立でもつくってほしいという多くの要望もありまして、神奈川県も二校で中高一貫をつくったわけです、県の教育委員会と市の教育委員会が連携して。その中では、私学に負けないような、やっぱり受験の競争にも勝てるような公立高校という希望もあったんだと思いますけれどもね。
それで、今、中高一貫はかなり私学も含めて進んできて、これはこれでいろんないい面、悪い面があったと思うんですが、三人の先生方は、この中高一貫教育がどんどんこれまで進んできたことに対する評価をどう持っているのかということと、今度、小中一貫の義務教育学校をつくりますと、細かく言うとバッティングするところも出てくるわけです。例えば、自分の学区は義務教育学校だからそこに行かざるを得ない、でも、私は中学は別のところに行きたいという方もいるかもしれないし、あるいは私学受験を中学でしたいかもしれない、でも、義務教育学校に行かざるを得ない。そういうのは嫌だなと思っても、なかなか学区で決まっちゃっていたら逃げられないわけですよね。
そういう中高一貫教育の評価と、それと小中一貫教育に与える影響みたいなのはどんなふうに考えているか、御開陳いただきたいと思うんですが。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/67
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068・無藤隆
○参考人(無藤隆君) 中高一貫の方、中等学校であります。私立の場合には中等学校とは限りませんが、とにかく中高一貫学校が増えたわけですが、二つほどのことを考える必要があると思います。
一つは、全国的に言うと、首都圏あるいは関西、阪神辺りを中心として多いわけですが、それ以外の地域はそう多くはないということなんですね。
例えば埼玉県、私は近いので関わりが多いですけれども、もちろん、首都圏といいますか、大宮のような東京に近い部分はまた別なんですけれども、大部分のところは従来の小学校、中学校、高校としてつくられているわけですし、私学受験もそう多くはないわけです。そういうところでは、新たに中高一貫をつくっている場合もなくはありませんけれども、むしろ、今としては、小中の一貫とかつながりということで、先ほどから申し上げている人生の最初の十五年間というのを考える。それが特に市町村にとって、基礎自治体にとっては一番責任が持てる部分ですので、そういうことが動きとしてあるんだろうというのが一つの事情です。
もう一つは、中高一貫ないし中等学校は基本的には受験、また選択です。公立の場合の受験については、余り試験勉強を極端にさせないという一個入っているだろうとは思いますが、そういう意味での、入学時の受験とか基本的には選択制であるという在り方に対して、義務教育学校は、基本的にはそれを含めていないということですね。小学校まで含めるということは、もちろん受験勉強という想定をしていないし、そういう事態にならないようにしてほしいということが基本線だと思います。
私は、選択制と全然制度が違うので、選択制が駄目だとこの場で言う気はありませんけれども、少なくとも、義務教育学校というのは、先ほどから何度も申し上げている就学指定をベースにした特定の学区としての在り方を考える、地域の学校として考えるという趣旨でつくられていると、そういう理解です。そういう意味で、直接的につなぐものではないということです。
その上で、首都圏のような私学あるいは公立の中高一貫学校の選択肢がある場合の小中一貫のつくり方は非常に難しいと思います。場合によっては、小学校卒業の半数以上が私学に行く、中高一貫に行く場合がありますので、そういう意味で、あえてつくるとすれば、小学校の、あるいは前期課程の卒業時への配慮というのが不可欠だと思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/68
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069・藤田英典
○参考人(藤田英典君) これ、どちらも、小中一貫も中高一貫もそうですが、都道府県といいますか、立地環境によってかなり問題は、表れ方は違うと思います。
まず、一般論として、私は中高一貫には当初から批判的でした。その最大の理由は、中高一貫が公立で広まっていくと、そのときには人生にとって重要な選択が中学校に下りてきちゃう。それはまた選抜の時期でもありますから、そうなりますと、先ほどの家庭間格差が非常に拡大していって公平なシステムが維持できなくなるという問題ですね。
しかし、実際には、高校については、御指摘のように、私立は中高一貫校が、事実上の一貫校がたくさんあって、受験名門校としても有名なところがたくさんあったわけですから、これが多い東京であるとかそういったところについて一貫校ができることについては、私自身は、既に実態が、子供たちにとって選択肢が多様化していますから、個人的には、一般論として批判的だけどやむを得ないかなというふうにも思っています。
もう一つ問題は、今回、小中一貫も重なりますと、御指摘のように、九年制あるいは六年制、そして、しかもそれが途中で重なる、それから私立も割と多い、それも六年制が多いとか。そうすると、この選択を早い段階でやった子供は固定化の問題だけじゃなくて、人間関係の、移行のリスクというのを覚悟しなきゃいけなくなるという問題がありますね。ですから、これは、選択して合わなかった場合にほかの学校へ移るというのは公立であれ私立であれ非常に大きいリスクを伴いますから、そういう意味でも、選ぶ側は気を付けなきゃいけないし、システム制度設計としては、私は好ましくないというふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/69
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070・佐貫浩
○参考人(佐貫浩君) その問題は、品川の小中一貫教育に典型的に表れています。
私の資料の一ページ目にありますが、例えばその一番中心である日野学園というところは、六年生がその上の七年生に進学するのが六六%です。そして、入ってきた七年生の内部構成を見ますと、内部から進学した者は四二%です。ということは、もうこれは小中一貫という理念が成立していないという意味ですね。そして、なぜかというと、これは、多くは私立中学校へ逃げるわけです。
小中一貫教育は、例えばそのための加配とかそういう意味では、宣伝として、学力がほかよりも上がりますよという宣伝が親からすれば聞こえるわけです。そして、入ってみたところ、実は、こんなふうに優秀な生徒は外へ出ていく、そして空いたからというので地域からまた入ってくる、そうすると、中学の七、八、九という段階で何か高校受験に有利になるような教育があるというイメージがなくなるわけです。そうすると、小中一貫教育そのものが幻想に転化してしまうという、こういう矛盾があって、ですから、都市部で小中一貫教育をこういう位置付けで行うことは、私は破綻するというふうに思います。
それからもう一つは、このような教育システムの場合に非常に重要なことは、中高一貫という形であることによって、それがエリート校になることによって、もちろん私立中学受験もあります、実は小学校の五、六年生の授業空間が破壊されているということです。
どういうことかといいますと、小学校の五、六年でよくできる生徒は、ほとんど塾に行っている生徒です。それが先生に答えを言ったりして、そして勉強が終わっちゃう。ところが、よく分からない生徒、塾に行けないような生徒はそこで付いていけない。そうすると、成績の悪い生徒は、その小五、六の空間で学んでいるという感覚がなくなり、よくできる生徒は、塾で学んだということで学校で学んだという感覚がなくなる。そのようにして、中学校段階に入るときに激しい競争が組織されると、実は、もはや小学校五、六年が崩壊していくということが制度として今進行しているということを深刻に考えなきゃいけないというふうに思うんです。
ですから、何か競争すればみんなの、国民の、子供たちの能力が高まるという、これは幻想だというふうに私は思っていますが、その制度全体を根本的に見直さないと、日本の学校教育は本当に子供たちにとって困難な嫌な勉強を押し付ける、そういう空間としての性格がますます高まっていって、国民教育そのものが痩せ細っていくというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/70
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071・松沢成文
○松沢成文君 先生方のお話聞いていて私疑問に、疑問にというか、ここをきちっと解決しなきゃ難しくなるなと思ったのは、やはりこれは学区との関係なんですよね。
恐らく、先生方みんな、これを導入するとしたら、一つの義務教育の選択肢としてやるとしても、これ、学区は固定学区というか、住んでいるところでこの学校が一校、義務教育学校でもいいからありますよというふうにしないと、これ、どこからでも来ていいですよという選択制をやると、まあ教育選択の自由は保障されるかもしれませんが、もうすごく生徒が集まってしまってマンモス校になっちゃって、ほかに行かなかったり、また、今度は逆に学区を固定してしまうと、同じ市民税を払っているのに、うちの学区は義務教育学校しかない、私は義務教育学校へ行きたいのに学区が違うから行けないという不平等感も持つわけですよね。
ですから、こういう義務教育段階において普通の小学校、中学校と違うパターンの学校を用意する場合は、これ、学区を住んでいるところに固定しても変な不平等感も出てくるし、逆に自由にしても、品川のように、大変な混乱を招く可能性もあるんですね。
ですから、この学校を導入する場合、学区はどうあるべきか。それも教育委員会で決めさせていいのか、あるいは、この義務教育学校を導入すると同時に、導入する代わりに学区はこうしてくださいねというふうにきちっと国で方針を決めた方がいいのか。その辺りについて、一言ずついただけたらお願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/71
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072・水落敏栄
○委員長(水落敏栄君) 時間が迫っておりますので、恐縮ですが、簡潔に御答弁をお願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/72
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073・無藤隆
○参考人(無藤隆君) 学区を具体的にどうつくるかは教育委員会の責任だと思いますが、就学指定で、ある特定の地域に住むお子さんはとにかくそこに入るという形を維持する限りにおいては、教育委員会はその地域全体に、その市、自治体全体に責任を持つべきです。
そうすると、あるところでは義務教育学校を入れたとして、別なところでは従来の小中だとすれば、同様の学業、学力の保障というのをどういうふうにするかということをきちっと考える。もし義務教育学校で優れた面があるとして、市の別なところではそれがうまく入れられないで小中という形だとすれば、それについての何らかの補いを教育委員会は行う義務があるというふうに思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/73
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074・藤田英典
○参考人(藤田英典君) 現行の制度を、要するに学区は残すけれども各教育委員会で選択というか希望を聴取するという、そのシステムを変えることはまず無理だと思いますね。そうすると、義務教育学校は確実に選択制への圧力が掛かると思います、御存じのように。その圧力を掛けないように何らかの指導をできるかというと、なかなか難しいですよね。
ただ、例えば品川は、先に選択制があったところに施設一体型の一貫校をつくりましたから、目的は小学校の統廃合でした。同じ理由で一貫校を結構つくってきた京都は、選択制が教育を駄目にするというコンセプトで、理念で、選択制に移行しないように、流れないように、あるいは就学校指定変更で選択制の実質を確保できることがないようにいろんな歯止めを掛けていますね。ですから、そういうことも参考にして各教育委員会が判断するのがいいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/74
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075・佐貫浩
○参考人(佐貫浩君) 一つは、選択制と義務教育学校という特殊な差異化された学校を連動させることは絶対してはならないということが私の意見です。二つ目は、義務学校がほかの学校より優れた学校であるという印象が生まれるような事態にはしてはならないと、その二つです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/75
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076・松沢成文
○松沢成文君 時間です。ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/76
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077・水落敏栄
○委員長(水落敏栄君) 参考人に対する質疑はこの程度にとどめます。
参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、長時間にわたりまして貴重な御意見を賜りまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
本日はこれにて散会いたします。
午後零時十七分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/118915104X01320150611/77
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